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2014年11月20日木曜日

どうすれば、高倉健のような生き方ができるのか

高倉健が亡くなった。

かっこいい男の代名詞。

稀有なスターが亡くなると、記憶にある彼らを鬼籍へと移し替えねばならない。細い手で胸を押さえつけられるような息苦しさを覚える。

彼の演技は随分酷評されてきた。大根役者と言われたこともある。しかし経験を経て、彼の演技は本物へとなっていった。演技の勉強に余念がなかったというから、自分の味を出しながら、監督とカメラの向こうの観客にどう満足してもらえるか、考え続けてきたのだろう。

残念ながら、彼とは生きていた時代が異なるので、映画を観て彼の演技に夢中になった経験はない。ビデオなどをいくつか観て、カッコイイなとおもったくらいだ。ただ、彼と過ごした映画人たちが好んで語る高倉健のふるまい、たたずまいを聞いて、強く憧れたことはあった。

彼がどのような人物だったのかは、Wikipediaに詳しくまとめられている。

★ 高倉健 人物像

Twitterなどを観ていると、彼の生き方をカッコつけていると感じた人もいるようだ。それは当然だと思う。彼は意図的にカッコつけて、生きていたのだから。

歳を食ってくると、若い頃に否定していた生き方が避けられないことが否が応でもわかってくるだろう。そのうちの一つに、社会の中で生きる上では何がしかの「演技」が必要だというものがある。わりきらねばならない。あきらめなければならない。

自分の感情をあざむき、他人にこう思って欲しいと思いながら行動するというのは大変卑しいことだと子供の頃から思っている。だが、他人をどうにかして利用しようと考える人間と一緒に働かねばならない場合に、多少の演技で抵抗していかないと、喧嘩をして恨まれるか、自分を押し殺してうつ病になるかしかなくなってしまう。

卑近な例だが、上司が次々に新しい仕事を部下に押し付けてくるような職場にいたとする。自分の仕事を責任をもって完遂するためには、忙しいフリをして仕事をふられるのをさけなきゃならない。プライドの高い年上の女性同僚が自慢話を始めたら、仕事の手を止めて、さも関心があるように振る舞わなければならないこともあるだろう。上司をバカにしてくる部下には、怒鳴りつけたい気持ちを抑えて笑いながら接しなければならないこともある。

しかし、自分の意思を殺して行動する演技は、さじ加減が難しい。

過剰な演技はわざとらしい。あきらめてポーカーフェイスに徹するという方法もあるが、感情がないと嫌われることがある。迎合さえしていればいいのかと言えばそうではない。軽蔑され、侮られるもととなるからだ。

自分を安売りせずに、他人を尊重していることを伝えるための行動は、考え始めると難しい。

その中で、高倉健の日常生活の「演技」は見事だった。映画の中の演技も素晴らしかったけれども、これだけ長い間、日本中から注目され続けて生きていながら、悪いうわさをほとんど立たせなかったのは凄いことだ(江利チエミと結婚、離婚したときに、義姉との間で一騒動あったようだが)。

日本中の人から四六時中見られながら、高倉健は、劇中の登場人物と同じ、無骨で律儀で謙虚な人物像を貫き通した。これは、並大抵の努力ではできまい。

高倉健の近所に住んでいた板東英二が高倉健の実像を語っている。

★ 高倉健さん死去に板東英二「あの人は寡黙でもなんでもない」
あの人は寡黙でもなんでもない。何時間でも話します。プライベートな話も。(元妻の)江利チエミさんとの話や東映から脱走した話。やんちゃした話とか。健さんがヤクザ映画に出ていた頃、愛媛の松山へロケに行ったら黒服100人くらいがずらっと一列に並んで『ごくろうさまです!』と言ってきた。『仕事で(ヤクザ役を)やってるんで』と言うと翌日、白のトレパンにシャツ姿の人が100人。そういうことじゃないんだよ! とか……そんなこと延々と話してるんです。
本当はそんな人なのだろう。親しい人には快活で、お喋り好き。それでいながら彼は彼を慕う人の前では「高倉健」を演じ続けた。いいなぁ。

どうすれば彼のような生き方ができるのかわからない。まずは、できることからマネてみようか。

ちなみに上記は高倉健の愛読書で、彼はこの本をことあるごとに読み返していたらしい。まさに座右の書。読みたいが、今の段階で46,000円の値がついているので、断念せざるを得ない。

2014年9月18日木曜日

大江麻理子 不倫 略奪婚 アナウンサーとしての適格性

一昨日、マネックス証券社長である松本大さん(50)と、テレビ東京アナウンサーの大江麻理子さん(35)が結婚するというニュースを聞いて、耳を疑った人が多かったに違いない。

どちらも大変な著名人だ。大江アナウンサーの天然ボケでかわいらしい人柄はバラエティー番組で多くのファンを魅了してきた。今年3月からビジネスマン視聴率№1と言われるテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」のメインキャスターに就任していたので、お茶の間の知名度も高い。

松本大さんは、開成高校から東大に入り、ゴールドマン・サックスでは優秀な業績を上げ、それからマネックス証券を立ち上げた立志伝中の人物だ。経済に関する鋭い分析と穏やかな性格が、多くの人を魅了している。事業は順調で、大変な資産家でもある。

お二人には、まずはおめでとうと申し上げたい。

不倫の末の略奪婚?

さて、美男美女で金持ちかつ優秀な者同士の結婚なので、多方面から祝福の声が挙がっているものの、「好事魔多し」の例えどおり、いくつか気になる噂が流れている。その内の一つが、
「今回の結婚は、大江アナの略奪婚なのではないのか?」
というものだ。

根拠の一つが、松本氏の離婚時期にある。

彼が離婚したことは、これまでまったく公にされていなかった。今回の結婚報道で、彼が離婚していたことを知った人がほとんどだったようだ。

では、いつ離婚したのか?

昨年2013年12月12日、東京都港区六本木の政策研究大学院大学で開かれたアジアイノベーションフォーラム。17:30から行われた総括セッションの映像がYouTubeに上がっている。そのときの松本氏の左手薬指には、結婚指輪が光っているのだ。
 

動画の38:49頃に、松本氏が左手を高く上げているのでご確認頂きたい。

離婚したら結婚指輪は外す。そう考えると、彼が離婚したのは今年初めのはず。

松本氏が大江アナと知り合ったのは2012年12月4日。経済誌である『日経ヴェリタス』編集部と大江アナがトークをするという、ラジオNIKKEIの番組『日経ヴェリタス 大江麻理子のモヤモヤとーく』に松本氏がゲスト出演したときだ。

その時に面識があり、連絡先でも交換したのだろう。今年3月に大江アナが海外赴任先から帰国したのをきっかけに、つきあい始めたのだという。

しかし、50の男性と35の女性が、つきあって半年で結婚の意思を固めるだろうか? 乗り越えなければならない難問は山のようにある。お互いに責任ある立場にいる。結婚となると、大勢の人々に影響を与える。2人だけで決められることではないのだ。そのための準備時間として、半年はみじかすぎる。

特に松本氏は離婚経験者だ。離婚を経験した人間は、結婚に慎重になるはずではないのか?

そう考えると、2012年に知り合って、すぐに2人は人知れず交際を重ねた末に、松本氏が妻と離婚して大江氏と結婚することを選んだ、と考えた方が自然なのではないか? そうなると、大江アナにとっては不倫の末の略奪婚であるし、松本氏にとっては糟糠の妻を見捨てたことになる。

……と、こう邪推されたようだ。

こうした街の噂は、下記に詳しい。

★ 大江麻理子アナの結婚は【 略奪婚 】だった!!!?
★ 年の差婚発表のテレ東・大江アナに“不倫略奪婚“疑惑が急浮上?


実際は離婚して数年

ただ、上記記事でも紹介されているとおり、離婚したのは数年前だと松本氏自身が告白している。

松本氏のブログ「松本大のつぶやき」では、「海水浴」と題された記事に追記して、
私事ですが、ご報告させていただきます。数年間独身でありましたが、この度縁あって、テレビ東京キャスターの大江麻理子さんと結婚することとなりました。今後ともよろしくお願いします。
と書いているのだ。

大手企業の社長が、ついてすぐバレる嘘はつくまい。そうすると、彼は詮索されるのが嫌で結婚指輪をつけ続けていただけで、離婚は数年前に終えていた、というのが真相なのだろう。

頭が良くてカッコイイ資産家が離婚したとなると、妙な女性がわんさかと寄ってくるものだ。既婚者でも平気でアタックする芸能人崩れも多いという。松本氏もつきあいで、いろいろなパーティーに顔を出さなくてはなるまい。女性のアタックには、辟易していたことだろう。

加えて、中には押しの強い財界人も多い。彼らは松本氏が離婚したとなると、
「俺の知り合いに素敵な女性がいるから、会ってみてくれよ」
としつこく迫ってくる。

こうした煩わしさを嫌って、指輪をつけ続けていた、ということは、考えられないことではない。

ただ、そうすると、離婚していたのに結婚指輪をはめつづけて、周囲を欺いていたことになる。上記の噂は、彼がついた嘘に対して支払われるコスト、なのかもしれない。

アナウンサーとしての矜持

ただ、私が問題としたいのは、大江麻理子アナウンサーの行動だ。日本を代表するビジネス番組のメインキャスターとしてはあまりに軽率なのではないか。

「ワールドビジネスサテライト」(略称WBS)は、ビジネスマンならば必ず観ていると言われる夜の情報番組だ。この、公正中立を掲げる経済専門番組のメインキャスターに、一金融機関の社長夫人が座ることは許されまい。

すぐに辞めるのか? メインキャスターとなって半年なのに? 大江がメインキャスターとなるから、WBSにチャンネルを合わせていた視聴者たちを裏切るのか?

メインキャスターとなると、番組の構成にも携わる立場にある。どのような企業を取り上げるか、どのような商品を紹介するのか、どんな経営者にインタビューをするのか、などなど。そこに、価値中立的でいられるのか?

彼女が公正妥当だと信じて意見を伝えたとしても、視聴者がそれを公正中立だと判断するだろうか? ある企業の信用担保能力をゼロと某証券会社が判断するのは当然の行為ですと彼女が説明して、視聴者は受け入れるのだろうか。

証券会社としてメインで売りたい商品があるだろう。NISA(少額投資非課税制度)口座の存在を大勢の人に紹介したいなどと、彼女が番組で発言した途端、公私混同だ、という声が上がるだろう。上がらなくても、それは公私混同だ。

たとえば安住紳一郎が

逆の立場を考えていただきたい。

たとえばフリーとなった安住紳一郎アナウンサーが、報道ステーションの新メインキャスターとなったとする。ところが、彼がそのときすでに、女性政治家と隠れて交際していて、半年経って結婚を発表したとすると? あるいはメインキャスターとなった後に政治家とつきあっていたとしたら? 絶対にバッシングを受けていたはずだ。

政治報道番組にとっての政治家のように、株価に影響を与える経済専門番組にとって、証券会社経営者は出来る限り距離を保たなければならない業界関係者なのではないだろうか。それと隠れて交際していたというのは、メインキャスターとしては不適切だ。

WBSは、日本を代表する経済情報報道番組だ。彼女がすでに松本氏と交際を始めていたのならば、公正中立な立場を保つことが出来ない、結婚してすぐに辞めたら、大勢のスタッフに迷惑がかかるし、視聴者をがっかりさせることになるからと、上司に密かに伝え、番組のメインキャスターとなることを断るべきだったのだ。

もしもメインキャスターとなって言い寄られたのだとしたら、
「申し訳ありませんが、責任ある立場を任されたので、お断りさせていただきます」
と彼女は松本氏に、断るべきじゃなかったのか?

メインキャスター時代にサザビーズジャパン社長と結婚した小谷真生子とは、意味が違う。

男女雇用機会均等法が1986年に施行されて今年で28年になる。男女の扱いは公平であるべきだし、特に大江アナウンサーは、社会人として高い地位に就き、相当の収入を得ている30を越えた知性のある女性だ。男性と同等の、責任ある行動を求められるべきだろう。

ところがこうした観点から彼女を責める声が少ないことに、女性の責任を問わない、日本人男性の無意識の蔑視が潜んでいるような気がしてならない。





明後日は、上記で紹介していた記事の中に書かれていた、
514 :名無しさん@恐縮です@\(^o^)/:2014/09/16(火) 21:55:56.62 ID:pxgR9HAi0.net
やっぱり綺麗なのになんで結婚してないんだろ?ってのは
確実に愛人やってるわ
というコメントの真偽について、お見合いパーティーに行っていたときの経験でも書いてみようと思う。


2014年9月10日水曜日

日本エレキテル連合の面白さの理由

エレキテル連合のコントを観たのは比較的最近なのですが(周回遅れもいいところです)、コントを途中まで観た段階では、どこが面白いのか分かりませんでした。

(老人男性が中年ホステスを口説く様を笑いものにしてるだけじゃないの?)
(白塗りメイクのキワモノ狙いか?)

このネタが子供たちの間で流行っているという情報や、日本テレビの24時間テレビで彼女たちが活躍をしたというニュースは知っていました。ところが、よくある、常識はずれの人間の滑稽な行動を笑いものにするコントとの差異を見いだせません。

それよりも、老人の勘違いと醜い中年女性のせめぎあいを、若い女性2人が笑いものにするという構図が、最初は不快でたまりませんでした。

どんなネタかは論より証拠、2人のコントを、まずはご覧ください。

初めて二人のコントを観た人だったら、最後まで観て、びっくりしたでしょう。

……まさか「明美ちゃん」が機械じかけのダッチワイフだった、というオチがあったとはね。

途中で期待値が低くなったために、オチを知ったときの爽快感といったらありませんでした。もちろん、大爆笑です。そのあと、笑い疲れてぐったりしてしまうほど。

子供たちに受ける理由はわかります。

いやらしい老人に話しかけられたロボットは、同じセリフしか言わないポンコツ品なので、老人と意思の疎通はできません。その上、途中で完全にぶっ壊れてしまいます。ところがそれまで意思の疎通が出来なかったはずなのに、最後に交換されることを理解したかのように、首を上げて、
「ダメよー、ダメダメ」
と大声を上げます。ゾッとします。

ダッチワイフだと明かして落とし、さらにそれが突然意思を持ち始めるという意外性で驚かせるという二段階構成です。

子供たちはもともと、気味の悪いものやロボットが大好きです。そして、コミュニケーションギャップをもとにしたギャグも大好き。老人の要求をすべて跳ね返していた、
「ダメよー、ダメダメ」
というセリフを、最後は老人にすがり、お願いするために発言するという面白さなど、子供たちに分かる面白さがてんこ盛り。

これが受けるのはよく分かります。

子供でも分かる面白さに加え、大人にしか分からないネタも数多く組み込まれています。

まず、老人が性欲処理用のダッチワイフ相手に会話をする、というシュールな光景。老人の年齢は、設定では76歳だったはず。高齢になっても衰えない男性の性欲が、嘲笑の的です。

老人の服装は、戦後に流行した格子柄のダブルのジャケットにタートルネック。若かった当時のファッションを未だにカッコイイと思い、そのまま感性の時を止めてしまった男性の愚かさ。

長髪ですので、元デザイナーか何かなのかもしれません。デザイナーでも自分のファッションは頑なに同じものを貫き通すような頑固な老人、いらっしゃいますね。

九州の大分という田舎から出てきて、クリエイターとしてそれなりに成功したものの、都心には住めず、東京郊外に落ち着いて余生を過ごしている……そんな背景が想像できます。または定年退職した後、会社勤めでは出来ない若い頃に憧れたファッションに変えたのかも。いわゆる「定年デビュー」です。

人々は、落ち目の男性が女性を口説く老醜をまず嘲笑するのでしょう。そして、実はダッチワイフを相手に寂しさを紛らわせていたという、もっとむごたらしい現実を見て、さらに残酷に笑うのです。

よく出来ています。

先日日本テレビの24時間テレビで、小林旭が日本エレキテル連合のネタを無視したと報じられていました。

★ 日本エレキテル連合を、ガン無視! 『24時間テレビ』の小林旭の態度に物議。
するとやっとチラリと日本エレキテル連合の方に視線を移したが、やはり無言のまま。この一連の行動がよほどインパクトがあったのか、ツイッターでは「小林旭、日本エレキテル連合をガン無視」というつぶやきが溢れ出したのだ。
小林旭には、笑えなかったのではないでしょうか。彼が笑われる対象である、老人だから。

高齢化社会となり、老人が街にあふれています。昔に比べれば栄養状態もよく、身体は健康であり、性欲も衰えません。ところが社会には未だ老人の性をタブー視する風潮があります。翁たちは、後ろめたい気持ちを抱きながら女性を口説かざるを得ません。そんな自分たちの姿を、若い女性に嘲笑されたと往年のスーパースターである小林旭がとらえたら、笑えるわけはありません。

でも、これは単なる嘲笑とは思いません。日本人の受容の過程ではないかとも思うのです。

日本エレキテル連合のネタを観てすぐに連想したのは、鳥居みゆきでした。彼女の登場もまた、衝撃的でした。

上記の動画は、たぶん彼女の登場の初期のものだと思います。彼女を笑っていいのかどうしようか、迷っているタレントたちの表情が印象的です。

私もそうでした。彼女のネタを初めて観た時に、
「精神異常者を笑っていいのだろうか?」
と、躊躇ったものです。

彼女の登場は今となって分かりますが、時代の変わり目を表わしていたように思えます。

精神異常、特に統合失調症について語ることさえタブーだった時代がありました。昔は、あまりに深刻なので、笑いの対象にすることはできなかったのです。親族に統合失調症患者が出ると、精神病院に押しこめ、親族中で必死に隠しました。

しかし、全人口の1%が罹患する、決して珍しい症状ではないこと、薬である程度抑えられるものであることが分かってきました。罹患者が情報発信をするようになり、決して恐ろしいものではないことなども明らかになってきました。

人間は恐怖を感じると、笑ってごまかそうとします。

★ なぜ人は恐怖を感じた時に笑ってしまうのか?
人間の恐怖による笑顔の可能性はもう一つ考えられます。おそらく、私たちは、自分たちが危機的状況に陥っているということを認めない可能性があります。自分は危なく無いと、激しく否定しようとして笑いが出てくると考えられるのです。
タブーを否定するために、笑う……別の表現で言い換えましょう。タブーとされてきたことを受容する過程で、人は笑うことが必要なのです。

日本エレキテル連合のネタが人々に受け入れられ、共有されていったのは、日本人の中に、高齢化社会で否応なく向き合わざるをえない老人の性の問題を受け入れる体制が整ったことを示しているのかもしれません。

これから、老人の恋愛、性処理などがもっと大きな声で語られるようになるのかもしれません。そうだとしたならば、まさにエポックメイキングなネタと言えましょう。

こうしたことを意識的にやっているのか、無意識的にやっているのか?

私は、意識的に仕掛けているのではないかと疑っています。と言いますのも、日本エレキテル連合のネタ作りを担当する中野聡子は、お笑いへの思い入れが強く、かなりの勉強家で、大変な野心の持ち主であるからです。

インタビューで、彼女の憧れは志村けんであり、ドリフの作り上げた世界観を継承していくことが自分の目標だと発言しています。
 

現実に欠けた理想のピースを思い描き、それを自分で作り上げていきたいという目標を掲げる女性は、珍しいですね。それにしても日本中で愛されたドリフの世界を再度蘇らせようという野望を口にすることは、大変勇気が必要です。

若いころにありがちですよね。私ならやれるって。でもこういう人、私は嫌いじゃありません。

また、彼女たちが最近、自分たちのネタを詰め込んだDVDを発売しました。このタイトルが凄い。「腹腹電気」です。

「お客さんにハラハラして欲しいから」
とタイトルの理由を白々しく語っていますが、そんな訳ありません。

間違いなくこれは、三菱重工など企業の連続爆破事件を起こした極左グループ「東アジア反日武装戦線・狼」が地下出版した、爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記したマニュアル『腹腹時計』を意識したタイトルでしょう。

こうした昔のネタを若い彼女が知っているところをみますと、相当の勉強家だと思われます。

あまり受け答えはうまくありませんし、即興のコメントも苦手な様子。一発屋的な臭いも多少しなくもないですが、例えば映画監督や落ち着いた番組の司会などで才能を発揮するタイプかもしれません。


2014年7月16日水曜日

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』感想

7月4日に公開された『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を新宿で観た(中黒打つのが面倒だね。『オールユーニードイズキル』のタイトルのほうが良かったかも)。

それほど期待していなかった。52歳のトム・クルーズが戦闘経験皆無で前線に送られるというストーリーにリアリティーはないだろうと思ったからだ。

それでも私が映画館に足を運んだのは、私が好きな『シュタインズ・ゲート』に言及してる感想ブログが多かったので、興味を惹かれたから。「タイムループものにはずれなし」という格言もある。ちょっくら観てくるか、という軽い気持ちで出かけた。

結論から述べる。観てよかった。誇張抜きで、涙を流して私は泣いた。世間の評価が高いのも当たり前だ。

以下、できるだけネタバレ無しでこの映画を宣伝してみたい。

脚本の力

まず、私が懸念したリアリティーについては、うまく説明していたために損ねることがなかった。
「ああ、あの状況ならば、こういうことも起こりうるだろう」
と納得させる入り方。

全般的にハリウッド映画の脚本は、よく練られている。同じくSFを扱う日本のアニメでは、
「あの能力があるのに、どうして今それを使わないんだ?」
というシチュエーションが度々出てくるが、ハリウッド映画では、極力、どうしてそうなったのかを丁寧に説明する傾向が強い。それなりのカネをかけているから、矛盾が取り除かれ、突っ込みどころが少ない。その結果、醒めて我に返ることも少なく、作品に没頭できる。

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』もまたしかり。タイムループものを観ているときに感じる、
「あの選択肢をなぜ試さないのか?」
というもどかしい思いを、この映画ではほとんど感じることがない。

仲間が殺されることが分かっているのならば、仲間を巻き込まない方法取ればいいのにとか、逆に、1人では解決できないことが多いならば、仲間を募ればいいのにと思うことが、他作品ではよくある(残念なことに『シュタインズ・ゲート』でも、それを何度か感じた)。主人公がなぜかその方法を試さないから観ていてもどかしくなるのだ。良心的な作品でも、
「これも試したが、うまくいかなかった」
と少し触れる程度だ。

ところが『オール・ユー・ニード・イズ・キル』では、伏線を縦横に巡らせているので、出来ない理由に納得できる。そして、可能性として考えられることを、主人公のウィリアム(=トム・クルーズ)は一つ一つうまくいくまで丁寧に試す。それがテンポよく描かれているから、飽きない。

原作をもとにした漫画も読んだ

映画を観た後、早速本屋で小説をパラパラとめくり、結果、漫画版を買うことにして、原作の小畑健の単行本2冊を買って読んだ。まあ、よかった。映画の余波があったから、ウルっと来た。アマゾンでも売れ行きは好調のようだ。ヤングジャンプで連載されていたようだ。

だが、原作はストーリーが単純だ。それに比べて映画版では、たった一つの単線的なストーリーではなく、ある問題が解決したら、さらに別の問題を解決し、それからさらにもう一つの難問も解決するという、二重三重の展開が待っている。

その上、アメリカ人の郷愁を誘うのだろうか、だだっ広い平原をたった2人で車で旅をする、というお決まりのシーンも描かれていて、適度にアメリカナイズされているのが心地よかった。適度なローカライズに、原作を完全に咀嚼した余裕が感じられた。

桜坂洋の原作よりも、ハリウッド映画版の方が、ラストも含めてよかったのではないか。

ちなみに、私が涙を流したのはラストだった。

あのシーンを観た瞬間、彼らのたどった運命、その齟齬が脳裏の蘇った。年をとって涙腺がゆるくなったという理由もあるのかもしれない(映画館では、私の周りは誰も泣いてなかったから)。だが、年齢を重ねたからこそ感じるものもある。主人公のウィリアムがたどった、いくつもの挑戦。それを経た上での、さいごのシーンのあの笑顔なのだろうと思い、私は自分の身に置き換えて涙を流した。

タイムリープは絵空事か?

御存知の通り、空想が現実化することの多いSFの分野の中で、唯一実現せず、まったく進展のない分野が時間旅行だ。

タイムリープは絵空事。だから、観ても得るものはあまりない、ただ感動だけしていればいいという考え方を、この映画を観る前には思っていた。

だが、ちと違うのではないかと、思い始めている。

主人公は、同じ1日を何度も繰り返す。漫画版ではループした回数を手の甲にマジックで書くことで、彼らの繰り返した絶望を表現する。その回数100回以上に及ぶ。無限の繰り返しのように思える。

……だが、よく考えれば私たちも、代わり映えのしない繰り返す毎日を送っているではないか。

宮台真司という社会学者は、20世紀末に「世界は滅びない」「素晴らしい未来も、ない」と喝破して、「終わりなき日常を生きろ」と人々に諭した。

毎日、同じことの繰り返し。少しずつ年をとるかも知れないが、一年前の自分と今の自分とでは、さほど肉体的にも変わらない。精神的にも進展しない。永遠とも思える繰り返しの果てに、やがて老い、人は死ぬ。それまではとても、長く思える。

さて、365回同じ毎日を繰り返しているのに、映画の主人公と同じくらいにあなたは成長しているだろうか? そうではないとしたら、その違いは?

映画ではその違いが、丁寧に描かかれる。主人公が短期間で成長するためにやったこと。徹底的なシミレーション、同じ過ちを絶対に繰り返さないと誓う決意、その記憶、理解できる形まで簡素化した計画などなどを観せられるうちに、
「ああ、こうすれば、繰り返される凡庸な日常から、逃れられるのだろう」
ということに考えが至った。

タイムリープものは、マンネリ化した日常の繰り返しを打破して、新しいステージに移るための方法論を描いたものとしてとらえ直せるのかもしれない。だから、人々はまったくの絵空事にも関わらず、この分野に興味や関心を抱くのではないか? それが現実の打破につながると信じて。

トム・クルーズの演技

それにしても、トム・クルーズの演技は抜群に良かった。

彼はいろいろと問題がある人間だ。離婚と結婚を繰り返し、カルトと認定されている新興宗教の広告塔として活動している。それでも彼が、いまだに多くの人から愛されているのは、彼の演じる人間が、不屈の魂を持ち、絶えず明るく前向きで、嫌味のない人物であり、それを観て育った人々が、スキャンダルがあろうと何があろうと、彼のことを愛さずにはいられないからだろう。

年を取れば人格が演技にもにじみ出てくる。ところが彼は相変わらず快活で、キャラクターも安定している。映画で演じる人格と、さほど変わらないからではないか、と思う。

とりあえずオススメです。映画情報は下記より。

★ オール・ユー・ニード・イズ・キル


2014年6月28日土曜日

塩村文夏議員の中の、深い闇

都議会でセクハラ野次をおこなった側、受けた側の双方の過去を探りますと、さまざまな問題を抱えていました(ネタ元は、だいたい週刊文春7月3日号です)。

鈴木章浩は嘘の常習犯

まずはセクハラ野次を行った鈴木章浩(あきひろ)議員。

2005年に公費80万円を使ってフランスの地下鉄などを視察後に都に提出した報告書が、早稲田大学名誉教授の講演要旨の丸写しだった過去が、掘り起こされています。

★ 自民区議が報告書盗用? 千葉県HPから丸写し

上記記事では原文と盗用文が映像で紹介されているのですが、読みにくいので一部、書き起こしてみました。
EUの新たな中核都市を目指す「ユーラリール」プロジェクトを紹介します。ヨーロッパは政治・経済のドラスティックな変化の中で、長い伝統を持つ存在自体が大きく揺らいでいるという状況のもと、EUという一つの共同体として結集することにより再生しようとしています。ヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ動脈である「ユーロトンネル」の開通はその象徴的な事件でした。イギリスのフォークストンとフランスのカレーを結ぶ全長53km、海底部分38kmのトンネルが開通したのは1994年6月ですが、計画から実現までに2世紀を要したプロジェクトです。
上記が盗用されてしまった、早稲田大学名誉教授である浜田泰三氏の講演要旨であり、下記が鈴木章浩議員が盗用した報告書。
ヨーロッパは政治・経済のドラスティックな変化の中で、長い伝統を持つ存在自体が大きく揺らいでいるという状況のもと、EUという一つの共同体として結集することにより再生しようとしました。ヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ動脈である「ユーロトンネル」の開通はその象徴的な事件でした。イギリスのフォークストンとフランスのカレーを結ぶ全長53km、海底部分38kmのトンネルが開通したのは1984年6月ですが、計画から実現までに2世紀を要したプロジェクトでありました。
この調子でほぼ丸写しだったのにもかかわらず、「引用」だと鈴木議員は強弁して、この件はうやむやに。

過ちは誰にでもあると思うのです。でも、盗用は盗用。引用元を書かなければ、引用にはなりませんよ! 開き直ってしまうところが悪質。その上、翌年にも同じ盗作騒動を引き起こしています。反省しないから繰り返すのです。

詐欺師は再犯しやすいと言います。セクハラ野次騒動でも、最初は「野次を私は言っていない」とすっとぼけようとしましたから、この方は嘘の常習犯なのでしょう。

金銭欲と上昇志向と不倫

対しまして塩村文夏(あやか)議員。

この方がテレビ番組『恋のから騒ぎ』にレギュラ―出演したときに、「別れた彼氏から慰謝料1,500万円をもらった」などとテレビで告白していることは、私も以前の記事で触れましたし、ネットで存じの方も多いようです。

同じく都議の三谷英弘と不倫騒動も起こしていたことまでは、先日の記事でも取り上げたとおりですが……。塩村議員、朝日新聞記者とも不倫をしていたと、週刊文春では報じられています。いやぁ、ゆるいですね。



……ここまでが週刊誌に掲載されていた話ですが、本日の本題はここから。

私は、塩村文夏という美しい女性について調べれば調べるほど、不思議でなりませんでした。あの美しい顔の向こうに、異常な金銭欲と上昇志向、不倫願望が同居している理由が、分からなかったのです。普通、ある程度世間に認められれば、満足するはずですし、都議にまでなったら、身持ちを良くするはず。なにかアンバランスなものを感じたのです。

男女の間で何があったのかわかりませんが、相場というものがあるでしょう。別れ際に1,500万円もの大金を受け取る理由に、まともなものはありますまい。

グラビアアイドルから素人タレント、放送作家から政治家へと、自分の美貌をどうすれば社会的地位へと変えられるかを意識しながら、上へ上へと強迫観念のように上がろうとする上昇志向をなぜ彼女は持つにいたったのか?

そして、議員という社会的に責任のある立場にありながら、どうして不倫を重ねるのでしょうか?

それぞれまったく別のことではあるのですが、一人の人間にそれが同居するにはなにか大きな要因があるはずだと踏んだのですが、全体像のパズルを組み立てるにはピースが足りませんでした。

それがここ数日の間に出てきた情報が重なることにより、一気に理解できるようになったのです。

塩村一という産廃業者がいた

塩村文夏議員は、年上の男性が若い女性と結婚することに、大変な嫌悪感を持っていることを、過去に告白しています。

ツイートは現在削除されていますが、魚拓が撮られており、

★ https://archive.today/PEP1d

で確認することが出来ます。2011年、加藤茶が45歳年下の女性と結婚し、2012年に仲本工事が27歳年下の女性と結婚したことへ、嫌悪感をいだいた模様です。

なぜそのように感じたのか。彼女は別のツイートで理由を示しています。

つまりは、自分の父親が30歳も年下の女性と駆け落ちし、結局捨てられてみじめに年老いている姿を見聞きした結果、年上の男性への嫌悪感と不信感、憎悪が入り混じったコンプレックスを抱くにいたったのでしょう。

では、この老父とはどういう人物か。

それについては確証はありませんが(伝聞の類なので、もしも事実と異なっていることがわかれば、後日この部分を削除するかもしれません)、下記のような指摘をされているのを読みまして、本当か? と度肝を抜かれました。

★ 【塩村完全終了】2ch探偵団が塩村文夏議員の素性を特定!!!
(画像は「保守速報」より)
1989年に広島県福山市で汚土収集詐取事件が発生します。塩村一という人物が起訴され、有罪判決を受けました。暴力団の影響力の強い当時の広島県の福山市(映画『仁義無き戦い』では、福山市を地盤とする河野組という暴力団が出演しています)で、最大手の産廃業者というだけで、いろいろと想像がつくというもの。

この業者が、市長や市の職員を脅迫し、随意契約を違法に獲得。それがバレたという事件です。

塩村一という人物は、事件当時54歳。そこから計算した所、塩村議員の父親と同じ年齢。塩村議員の生まれ育った場所も、広島県福山市内でした。

妻子を捨てて30も年下の女性と駆け落ちできた塩村議員の父親は、それなりの社会的地位や資産を有していたはず。地方には同姓同名が多いとはいえ、年齢も姓も同じ成功者が、そうそういるとも思えません。

で、もしもこの「塩村一」という人物が塩村議員の父親だとしたら。彼女が11歳のときに汚土収集詐取事件が発覚したことになります。

すべては老父へのコンプレックス

幼いころに金持ちから貧困へ突き落とされた場合、長じて異常に金銭に執着する例が多いことが知られています。こういった事件があった以上、今までの豪奢な生活は当然送れないでしょうから、塩村一の子どもは、大変苦労したことでしょう。

成功者の父が家庭を捨てた場合、子どもは父を見返すために、異常な上昇志向を示すことが知られています。原爆の落ちた広島では、すべてが一からのやり直しでした。一代で市内最大手の産廃業者を束ねるに至るというのは相当の手腕でしょうし、その父に捨てられた子どもは、父を見返すために、強迫観念のように上へ登ろうとすることでしょう。

こう考えますと、塩村議員の行動パターンが非常によく、理解できるのです。

また、最愛の父に捨てられた娘は、2つのパターンに分かれます。年上の男性を求めるようになるか、逆に激しく拒絶するようになるか。

塩村議員の場合、ツイートからは明らかに後者であることが見て取れます。

ところが、恋愛対象が常に既婚者であるところを見ますと、年下や同年代の精神的に幼い男性に興味を持てないようです。かといって、年上の男性には嫌悪感を持ってしまいます。

そうしますと、同年代ではあっても、落ち着きのある既婚者を求めるのは必然かもしれません。彼女は気づかないうちに、父の面影を恋人に見て、父に愛されなかった代償行為として恋愛しているのではないかと、想像できるのです。

ところで、既婚者であっても一人の男性を愛する女性と、次々にいろいろな既婚者と不倫を繰り返す女性の違いをご存知でしょうか。

後者の女性が自身の行動原理を、かつてインタビューで答えていました。
「最初は自分のことを遊び相手だと考えているのがわかるが、次第に若い自分に夢中になっていって、家庭を捨ててもいいとまで思うようになる。自分にとって、相手を支配できるようになることが、とてもおもしろい」

塩村議員が次々に不倫を行う理由も、この種の支配欲にもとづいているところがあるかもしれません。

家庭を大切にしている相手が、次第に自分に夢中になることで、男性への不信感を再確認できるでしょう。
「やっぱり男はくだらない存在だ。男なんてそんなもんだ」
と確認して、決して自分の父親だけが自分を捨てたのではなく、男全体がそういうくだらない生き物だと見下せば、安心できることでしょう。

父に捨てられたが故の、男性不信。それが彼女の行動原理なのかもしれません。

2014年6月27日金曜日

イギリスで最高のタレントが、小児性愛者であったという事実

イギリスの元人気司会者が性的暴行を長年働いていたことがばれて、イギリスは大騒ぎだそうです。慈善活動家として知られるサビル氏は、施設を自由に行動できる特権を悪用して、病院内の遺体に性的暴行を加えたり、子どもに性的なイタズラを繰り返していたというのです。

★ 英元人気司会者、病院で5歳から75歳に性的暴行 60人が被害認め
英保健省は26日、元人気司会者、ジミー・サビル氏=2011年に84歳で死去=の性的暴行疑惑のうち、公立病院で起きた事案の調査結果を発表した。被害は患者や病院職員など5~75歳に及んでおり、英国であらためて衝撃が広がっている。
この事件のことを、恥ずかしながら知りませんでしたが、一昨年発覚したもののようです。

★ 英人気司会者、50年にわたり少年少女に性的暴行 最年少は8歳
★ 昨年死去した名司会者に性的暴行疑惑 揺れるBBC

欧米ではときどき、小児性愛者による長期間に渡る多数の暴行事件が発覚します。性倫理に厳しい社会では、犯罪者はばれないように細心の注意を払うため、発覚せず、結果的に犯罪が長期に及ぶのかも。以前これもイギリスだったと思いますが、神父による数十年にもわたる児童への性的虐待が明るみになったこともありました。

ジミー・サビルとは、いったいどういう人物なのか。

彼の生前のインタビューがYouTubeに上がっています。 
堂々とした、早口、頭の良さそうな人間じゃありませんか。彼が、児童に性的虐待をしていたとはにわかに信じられません。

しかし、すでに死亡した彼を告発してもカネにはならないはずなのに、数百人が彼の罪を訴えています。ほぼ、事実なのでしょう。

日本の検察の話だったと思いますが、性犯罪者、中でも小児性愛者の再犯率は大変高いそうです。バレにくく、簡単である割には、得るものが大きいのでしょう。それに、弱者を支配する快感は、一度味わったらやみつきになる、ということでしょう。

おぞましいの一言。彼らの存在を許してはなりません。理性でおしとどめるべき劣情に負け、大勢の人々に消えない傷をつけたのですから、去勢でもすべきでしょう。

でも、もし、彼らの歪んだ劣情が生まれつきのものだとしたら。

遺伝的に児童に異常な性欲を感じる人が、いるのだとしたら。

遺伝子の奥底で定まったものを法で縛ろうとしても、彼らは法をかいくぐって、別の方法をみつけようとするだけかもしれません。

以前、小児性欲を持ったネズミについての記事を私は書いたことがあります。

★ ゲイにはなぜ才能のある人が多いのか
カルフーンは、ネズミを3世代に渡って過密状態に保ったまま飼育するという実験をおこなったところ、ネズミの性衝動に異常が現れることを発見しました。
最初に、雌雄の区別が出来ない同性愛者が現れ、次に、未成熟のメスを犯すオスが現れました。やがて、インポテンツになったオスが現れ、変態も現れたそうです。
もしも人間だけに小児性愛者が現れるのならば、本人の意思の問題であり、理性が本能に負けた結果であり、精神的な異常だとしたら治療が必要な病変です。ところが、ネズミのような下等生物に、ある条件下で自然発生するのだとしたら、動物の遺伝子全体に異常誘発因子が組み込まれているということにならないでしょうか。

遺伝子の因子が発動した以上、本人にはどうしようのないものだ、という可能性が、考えられないでしょうか。

生まれつきの同性愛者を社会で許容するのが今のトレンドです。
同性愛者が盛んに、
「自分は好きで同性愛者になったわけではない」
「生まれつきそうなのだ」
と訴えますし、欧米では彼らを認め、社会が許容するのが当たり前、という論調が強くなっているようです。

が、同じく生まれつきだとしても、小児性愛者が認められることはありません。いたいけな子どもを精神的に傷つける存在を、社会が許容することはないからです。

それにしても、やや不条理に感じます。同じ理由を持ちながら、一方は許容され、一方は拒絶されるのですから。

ジミー・サビルを告発することは大切ですが、彼のような才能もあり、法や常識を十二分にわきまえ、深い教養もあり、社会に多大な貢献をおこなった人物ですら、理性でそのおぞましい欲望を妨げることができなかったという事実を、私たちはもっと重大に受け止めてもいいように思うのです。

ただ、法でしばるだけではなく、彼らの逃げ道――たとえばマンガやアニメなどの二次元の世界――を用意してあげた方が、いいのではないかというのが私の持論ですが、イギリスのこの元司会者の例から、ますますその意を強くしました。

2014年6月15日日曜日

冲方丁は広辞苑を読み込んで言葉を学んだ

小説家を目指していた時に、『沖方式ストーリー創作術』を読んだのが、冲方丁の名前を知ったきっかけです。

それに納得半分、反発半分の相反する感情を抱きつつも、彼が高い才能を持った人物であることは認めざるを得ませんでした。それから本屋に行きまして買ったのが、彼の代表作である、『マルドゥック・スクランブル』です。

長い小説ですが、面白くないわけではなく、最後まで読みました。好き嫌いの分かれる小説ですが、私にとっては、
「読ませるけれども楽しくない、嫌いな小説」
でした。

小説を読んで初めてわかったのが、『沖方式ストーリー創作術』を読んだ時に感じた彼への反感の理由です。

彼は、フェミニズムに大変理解があり、虐げられている者への情に熱いのですが、同時に能力のない者を徹底的に見下しています。これはフェミニストにも多い論調ですが、能力が他よりも高いのに、それが公平に認められない現状へ不満を抱くあまり、システムで掬い取られている能力の低い人物を徹底的に貶めてみせることでシステム全体を軽蔑してみせ、それを自身の高い才能で手玉に取ることを正当化するのです。

システムに対抗するためならば、法律や道徳に反することを行うことに一抹の倫理的なためらいはなく、そこをためらうことに軽侮を見せる……こういう癖があるように思えます。そこが私にとっては気持ちが悪いのです。

それでも、最近は『天地明察』が大変売れているようですし、彼の感性の方が、時代に受け入れられているのは間違いありません。買って読む気がないので、本屋でパラパラと立ち読みしましたが、よく調べて書かれたものだと思いました。

そんな彼の学生時代について、書かれた記事を読みました。

★ 『天地明察』冲方丁のバイト時代
「1週間2万円の給料で、ゲーム会社に泊まり込んで働きました。あらゆるジャンルの企画書を1週間で25枚は書きましたね。2カ月目に『派遣社員にしてやる』と言われて某社に行ったら、もっとひどい労働環境だった。当時は120億円かけた失敗ゲームを作っていて、朝から晩までわけのわからん会議と制作漬けでしたね」
「ひたすら小説を写す、広辞苑を読破する。リレー小説なんかを書いて、高校時代に原稿用紙3000枚くらい書きました。僕は人に何かを提供する仕事。もし対象に興味が持てなかったらもったいないですよね。だからこそ“欲求”に正直に、興味のあることをしただけなんです」
広辞苑を読破する、という修行法があることは初めて知りました。しかし、これは確かに役に立つだろう。マルコムXという黒人指導者も、牢獄内で辞書を写して社会の仕組みや修辞法を学んだといいます。

こういう努力を続けているからこそ、一流と言われる小説家となったのでしょう。私も、携帯をいじる生活からそろそろ離れなければ……。

2014年6月11日水曜日

宮崎駿が松田聖子に影響されて作品を作った証拠とは?

昨日の記事で、宮崎駿が松田聖子に影響されて、作品群を作り続けたかもしれないと述べました。

「松田聖子 宮崎駿 影響」
という言葉でググりまして、調べましても、こんな指摘をしているのは今のところ、私だけのようです。それを大声で述べますと、
「医者に行ってください」
と言われそうなので、ブログにこそっと書き留めることにしたのが今日の記事です。

宮崎駿の作品に、松田聖子がどのような影響を与えてきたのか。これについて、時系列順に論じていきたいと思います。


①1979年


12月 松田聖子、日本テレビ系ドラマ『おだいじに』に「松田聖子」役で出演。
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12月 宮崎駿、アニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』発表

宮崎氏の出世作となった『ルパン三世 カリオストロの城』が発表されたのは、奇しくも松田聖子の芸能界デビューと同じ年、同じ月でした。

松田聖子が翌年歌手デビューしたときに、一部で、
「クラリスの再来」
と騒がれたそうです。かわいく、おっとりしていて、茶目っ気があって明るく、それでいて上品。まさに、クラリスそのもの。

松田聖子が戦国大名である蒲池鑑盛の子孫であることは有名です。クラリスと同じ貴種であり、世が世ならお姫様となる人物でした。そういえばクラリスの髪型は、聖子ちゃんカットですね!

もっとも、「おだいじに」の時には無名の松田聖子が、宮崎駿の映画製作に影響を与えたはずはありません。これは単なる偶然。しかし翌年4月、松田聖子が華々しくデビューした時の大フィーバーで、彼の映画監督初作品の上映時期と、松田聖子のデビュー時期が同じであることを宮崎氏は日がな一日家で観るテレビで知ったはず(なぜ彼が家でテレビ鑑賞三昧だったのかは後述します)。

宮崎氏が奇異の念を抱いたとしてもおかしくありません。彼が彼女を意識したのは、ここからだと私は踏んでいます。


②1980年~1984年

松田聖子、大活躍。「青い珊瑚礁」から始まるヒット曲を連発する。
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宮崎駿、1982年~ 『風の谷のナウシカ』漫画連載開始、1984年 3月 映画『風の谷のナウシカ』発表

実は、『ルパン三世 カリオストロの城』は期待されていたほどの興行成績を上げることができませんでした。
「あんなルパンはルパンじゃない」
と、オリジナル版のルパンファンからそっぽを向かれ、観客動員数は伸び悩み、暫くの間、宮崎氏はアニメ製作に携われなかったんですね。

その間に徳間書店から提案されたのが『風の谷のナウシカ』の漫画製作であり、それをもとにして、アニメ映画『風の谷のナウシカ』を製作、1984年に公開します。

先々の保証もなく、鬱々とした感情を抱いたまま、宛てのない仕事に打ち込む宮崎氏。仕事柄、流行しているものについてリサーチするために、必ずテレビをつけていたはずです。テレビで必ず流れていたのは松田聖子の歌。それをBGMにしながら、コツコツと作品を作り続けていたことでしょう。己の暗い境遇と、ブラウン管の向こうの松田聖子の華やかな活躍は、対照的で記憶に刻まれたことでしょう。

考えれば、都から遠く離れた田舎で美しく育った姫が、メーヴェというグライダーに乗りながら、腐海の謎に迫るという『風の谷のナウシカ』のストーリは、歌という才能一つをもとに久留米の田舎から出てきた少女が、芸能界という腐海の中を軽々と飛び回り、ヒット曲を連発しながら芸能界の頂点へと上り詰める過程と、どこか似ていないでしょうか。

それに、ナウシカは、この時期の聖子ちゃんの髪型とそっくりです。



③1985年~1986年

1985年 6月 松田聖子、神田正輝と結婚
1986年 10月 娘・沙也加を出産
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1985年 6月 宮崎駿、スタジオジブリ創設
1986年 8月 『天空の城ラピュタ』発表

松田聖子が神田正輝と結婚したのと、宮崎駿がスタジオジプリを創設したのが同じ月であることに気づいた方は、あまりいないと思います。1985年6月は、どちらにとっても人生の転機となる月でした。そして、翌年、松田聖子にとっての初めての出産と、宮崎駿にとってのプロダクション初作品公開が重なっています。



④1988年

2月 松田聖子、自由が丘にブティック「フローレス・セイコ」をオープン。
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4月 宮崎駿、狭山丘陵を舞台にした『となりのトトロ』発表

この2つは対照的です。片やおしゃれな住宅地であり、片や田舎を舞台にした映画。2つは対称性とともに近似性があります。どちらも丘の上が舞台であり、可愛らしさが売りであるところです。

それに、『となりのトトロ』の二人の主人公は、「メイ」と「サツキ」。どちらも5月を表わしています。5月☓2=10月。これは、松田聖子の愛娘である神田沙也加の誕生月なんです!!


⑤1989年

5月 松田聖子、「サンミュージックプロダクション」から独立。
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7月 宮崎駿、『魔女の宅急便』を発表

どうでしょうか。松田聖子が古巣を独立して、新しい門出を迎えたのとタイミングを合わせるように、宮崎駿は「旅立ち」をイメージした作品を発表。あまりに符牒が合いすぎているとは、思いませんか?

もしかすると、宮崎氏なりの、松田聖子への応援歌だったのかも。
「がんばれ、聖子。俺は応援しているよ」
という、宮崎御大の励ます声が、聞こえてくるような気がしたのは、私の頭がおかしいからでしょうか。

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このあと、1992年発表の『紅の豚』から1995年発表の『耳をすませば』までは、残念なことに松田聖子の影響を見つけることは出来ませんでした。

ちょうどこの頃、松田聖子はジェフくんとのゴタゴタが週刊誌にスクープされて、大変なときでしたからね。

さすがの宮崎氏も、聖子に呆れてしまったのかもしれません。それはわかります。彼は女性の純粋さを愛する人だからです。

しかし宮崎駿の選択を、誰が責められるでしょう? 松田聖子ファンの多くの男性が、この時期聖子ファンを一時、辞めてしまっているのですから。


⑥1997年

1月 松田聖子、神田正輝と離婚。
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7月 宮崎駿、『もののけ姫』発表

『もののけ姫』に出てくるエボシ御前は、大人になって酸いも甘いも噛み分けた、松田聖子の具現化のようにも思えます。どこか人形的なヒロイン"サン"に比べると、情熱的で色っぽい大人の女性・エボシ御前。

前年には、松田聖子は初のミリオンセラー『あなたに逢いたくて』を発表しています。ミリオンセラーを出すものの、神田正輝と離婚して、それでも前を向いて進もうとする松田聖子と、タタラの民を率いるエボシ御前の姿が重なりませんか?



⑦2000年~2001年

2000年 12月 松田聖子、波多野浩之と離婚。
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2001年 7月 宮崎駿、『千と千尋の神隠し』発表

少し時期がずれていますが、松田聖子の離婚を受けて作ったのが、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』ではないか、という仮設が成立します。

離婚と再婚を繰り返す松田聖子は、神隠しにあって帰ってきたようなものだ、という宮崎駿の諦念を、ここでは表しているような……うーん、それはちょっと苦しいか。

このあと、『ハウルの動く城』から『崖の上のポニョ』まで、あまり松田聖子の影響は見いだせません。この間、松田聖子自身もスキャンダルにはそれほど巻き込まれず、歌手業務を淡々とこなしているという感が強いです。



⑧2013年

7月 宮崎駿 『風立ちぬ』を発表

宮崎駿オリジナルの劇場版映画作品は、『風の谷のナウシカ』から始まりました。そして、『風立ちぬ』で終わった風から風の映画監督人生だったわけですが、この作品の原作となった漫画を、宮﨑駿は2009年4月から連載開始しました。

実はその前年の2008年7月に、松田聖子がスタジオジブリが映画化したことで有名な『火垂るの墓』の映画に主人公の母役で出演しています(映画出演は7年ぶり)。

ちなみに、松田聖子が『風立ちぬ』を発表したのは1981年10月。宮崎駿が漫画『風の谷のナウシカ』の執筆を開始したのが1982年2月。

つまり、松田聖子の『風立ちぬ』のヒットの直後に初のオリジナル作品『風の谷のナウシカ』の漫画連載を開始した男が、松田聖子の久々の映画出演(しかもスタジオジブリと縁が深い!)の後に、松田聖子のヒット曲と同じタイトルをつけた漫画を描き始めた、というわけです。

これでも何の関係もないと言えるでしょうか?



……というわけで、いかがでしたでしょうか。宮崎駿が松田聖子の大ファンで、彼女にインスパイアされて作品をつくりあげていたことを、ご納得いただけたかと思います。

それがわからなければ、松田聖子の歌をエンドレスで毎晩聞いてください。段々とそんな気になるはずです。

2014年6月10日火曜日

宮崎駿の作品は松田聖子に影響されてきたのかも? 

ふと考えたことがあるんです。宮崎駿は、松田聖子の大ファンなんじゃないのかと。

宮崎氏が松田聖子について触れたのは、とあるインタビューでのこと。今の時代にはイングリッド・バーグマンのような仰ぎみる女優がいなくなったと語り、返す刀で日本の代表的なアイドルを斬りました。

「松田聖子なんてどこがいいんですか、あんなもんは、うすぎたないだけで」

とね。

このセリフは一時期有名となり、彼は松田聖子に関心がないと誰もが考えるようになりました。だからでしょう。最新作の『風立ちぬ』というタイトルは松田聖子のヒット曲とも同じでしたが、堀辰雄の原作と関連づける人はいても、松田聖子と結びつけて論じる人はいませんでした。

しかし、本当でしょうか?

彼ほど本音と発言がかけ離れている人もいません。

たとえば、引退宣言と撤回を繰り返してきたのは有名な話。『天空の城ラピュタ』を作った1986年に、すでに「引退する」と言っていたそうです。彼は本当は、一生アニメを作理続けるつもりなのではないでしょうか。しかしその本音を隠すために、敢えて逆のことを言うのが宮崎流。

彼はとても複雑なのです。アニメが世間から偏見の目で見られていた時代から良質の作品を作り続けた信念の人。へそ曲がりで、世間におもねることを潔しとしません。しかし同時にシャイです。だから、傷つけられることを恐れ、本音を敢えて隠すことが習性となっているのかもしれません。

松田聖子という当代きっての人気歌手のファンだとしても、彼がそうだと告白するはずがありません。いや、むしろ好きだからこそ嫌いだと答えるはず。どうでも良いものに対しては言及しません。ボロクソに言うのは意識しているからだと考えるべきです。

しかも彼には、尊敬する人や好きな人のことを、必ずくさす癖があります。宮崎氏は高畑勲を大変尊敬しているのですが、高畑氏について聞かれると、必ず、
「あの人のココがダメ」
などとダメ出しをする、とのこと。

庵野秀明のことも大変買っていることは、『風立ちぬ』の主人公の声優として庵野氏を起用したことからも明らかなのに、彼についてどれほど酷評してきたことか。
「あいつはあれが限界だ」
とかね。

それもこれも、みんな愛情の裏返し。重度の照れ屋である宮崎氏は、本心を隠すために好きな人のことをボロカスに言う、というツンデレキャラなのです。

……としますと、インタビューで答えた、

「松田聖子なんてどこがいいんですか、あんなもんは、うすぎたないだけで」
という言葉は、彼女に惹かれる気持ちを韜晦するための照れ隠しだと考えるのが自然というもの。

もちろん、本当に嫌いなもののこともボロカスに言うのもこの人の特徴です。では、両者の違いをどう見分けるか? それは簡単。行動を見ればいいのです。

高畑氏や庵野氏に宮崎氏が好意を抱いていることは、彼らと幾度となく共同で作品を製作しているところから明らか。では、松田聖子のファンであることは?

簡単です。彼の作品と松田聖子の間の関連性を探っていけばいいのです。作品には本音がにじみ出ます。

そもそも宮﨑駿が不遇の時期である1981年のヒットナンバー『風立ちぬ』と重なるタイトルを、引退作品のタイトルとしたことが何よりも怪しい。

単なるこじつけ?

よろしい。それではもっと証拠を見せましょう。松田聖子の軌跡と宮崎駿の作品の発表年とを照らし合わせながら、真実を追っていこうではありませんか。

明日に続きます

2014年6月3日火曜日

アンジェリーナ・ジョリーの『マレフィセント』が好発進中

女優であるアンジェリーナ・ジョリーが主演している映画『マレフィセント』が、北米映画興行収入で初登場1位となったそうです。
[ロサンゼルス/ニューヨーク 1日 ロイター] - 映画各社や調査会社レントラックの推計に基づく5月30─6月1日の北米映画興行収入ランキングは、 米女優アンジェリーナ・ジョリー主演のディズニー映画「マレフィセント」(日本公開7月5日)が7000万ドル(約71億円)で初登場首位を飾った。
この映画を配給しているのがディズニー社です。ディズニーは現在上映中の『アナと雪の女王』でも観客動員数を順調に伸ばしています。今年はディズニーの当たり年といえそうです。

ところで、主演のアンジェリーナ・ジョリーが、最近卵巣の全摘出手術を計画しているそうです。下記の記事は、2013年5月16日のもの。

★ 乳房切除のアンジェリーナ・ジョリー、次は卵巣摘出を予定
先日、予防的乳房切除手術を受けていたことを明かした女優のアンジェリーナ・ジョリーが、次は卵巣摘出手術を受ける予定であるとPeople.comが報じた。
アンジーは14日にNYTimes.comに寄稿したエッセイで、がん抑制遺伝子の「BRCA1」に変異があり、乳がんになるリスクが87パーセント、卵巣がんになるリスクが50パーセントと診断されていたと公表。
医学の発展により、遺伝子を調べれば将来罹患する予定の病気がわかる時代となりました。とはいえ、彼女の決断には多くの人が抵抗感をいだいているようです。将来に死の確率が高くなるとはいえ、今うまく機能している健全な臓器を事前に取り除くのは、行き過ぎじゃないの? と。

たとえば将来、私の足に悪性腫瘍ができる可能性が8割あり、そのために死ぬ可能性が高いとしても、今、自分の足を手術で取り除こうとするだろうか? と自問します。取り除きたいと思うのか? 私だったら、否です。

将来の確率がどれほど科学的に証明されようとも、早期に切り捨てて臓器の一部を失ったまま生きるべきか、ガンが発生する可能性に用心しながら、それでも自分の一部だと考えて大切にしながら質の高い人生を送るべきか。これは難しい人生の選択です。

彼女は様々な慈善活動にも熱心だそうです。多くの人々に愛を降り注ぎつつ、冷静に将来の不確実性を取り除く冷静な人物なのだろうか? と思いながら、さらに情報を仕入れていくと、そういうわけでもないことがわかりました。

彼女は14歳の頃から恋人と刃物で傷つけ合う趣味があったことなどをインタビューで答えています。また、体中にタトゥーがあるということも知りました。

彼女の数々なエピソードを調べるうちに、どうもちぐはぐな印象を受けます。なにか、異常な人が、無理して正常な人を装っているような。そうしますと、今回の手術も勇気ある決断というよりも、ややおかしな人が時折見せる、妙に人間味のない冷酷さと考えるほうが正しいのかもしれません。

今現在正常なものであっても将来のことを考えて切除することが正しいと思う価値観からは、犯罪を犯す確率が高い人物を今のうちに排除することを正当だと考えるあやうさを感じます。多くの人がアンジェリーナ・ジョリーの今回の決断に忌避感を覚えているようですが、そのあたりが原因ではないかな、と。

もっとも、彼女の性格がどれほど異常だとしても、正常であろうとして頑張っているのならば、それはそれとして応援していくべきだとは思いますが。


2014年2月10日月曜日

「7cm」というアイドルユニットの悪あがきを新宿で観た

昔、SDN48というアイドルグループがありました。AKB48のお姉さん的アイドルという位置づけで、セクシー路線を追求していたそうです。
AKB48を含めた姉妹グループの中で唯一恋愛が認められていたが、既婚者については”子供は作っていけない”というルールがあった。
というから、アイドルというよりもセクシータレントといったとことでしょうか。そもそもSDNという名前自体、"SaturDay Night"の略なので、深夜放送向けという位置づけだったのでしょう。

AKB48結成の5年後、2009年に結成。ところが、あまり人気は出なかったようで、一昨年に解散してしまいました。

……ということも、Wikipediaを見て知ったほど、彼女たちのことを知らなかった私が「SDN48」の残党を見かけたのは、先週のことです。たまたま、新宿駅の前を通っておりますと、寒い中、ミニスカートで歌っている5人組がいました。観客、0。
最初は地下アイドルかアイドル志望の女性たちかと思いましたが、妙に顔やスタイルが整っており、笑顔がプロのもので、なにより年齢層が高いところが、駅前によくいるアイドル志願の連中と異なります。

(セミプロかな?)

寒かったものの、興味を持って立ち止まったところ、彼女の一人がいそいそと駆け寄り、私にチラシを渡しました。

彼女たちは、元SDNのメンバー7人で作ったユニット「7cm」。20代最後の悪あがきとしてCD3000枚完売目指して頑張っているのだそうです。事情があり、この日は2人がお休みだったそうですが……。

それにしても、寂しいものです。これだけ大勢の人々が歩いているというのに、誰一人、立ち止まろうとしません。都会ではこの手のイベントが日常茶飯事だからでしょうし、何より日が悪い。この日はあまりにも寒すぎました。

私も立ち去りたかったのですが、せっかくチラシをもらったのですから、一曲聴かずに立ち去るのはかわいそうだと思い、歌い終わるまで、立ち止まっていました。

……思っていたより、良かったです。

それは、もしかしたら彼女たちの笑顔により、補正された歌のイメージなのかもしれません。ただ、彼女たちを見ながら、私は歌よりも、彼女たちの情熱に少し、感動していました。

別にこんなことをしなくても、本来ならばもっとちやほやされるはずの、顔もスタイルもいい20代の女性たちです。それが、「芸能界に残りたい」という気持ちで、こんな寒い夜に誰も聞かない舞台で歌おうという心意気に打たれました。

これが10代や20代前半なら、まだ分かります。でも、もう20代後半、社会の仕組みも自分の限界も充分に理解しているはずです。こんなチャレンジがいかにバカバカしいか、も分かっているはず。それでも、頑張ってみたい、と彼女たちに思わせるのは、何でしょう? 派手そうに見えても、根は純粋な子たちなのかもしれません。

彼女たちのホームページを見ますと、今月13日に高円寺HIGHという会場でイベントがあるそうです。 
<日時>
2014年2月13日(木)
OPEN 18:00/START 18:15
<場所>
高円寺HIGH(http://koenji-high.com/access/)
東京都杉並区高円寺南4-30-1
<料金>
料金:前売/当日¥2500+Drink
上記サイトには、「チケットのご予約は、ticket@c-lip.net に、件名:2/13チケット予約 本文にお名前・枚数・お目当ての出演者を明記の上、お申込み下さい」と書かれていました。ぴあなどで売られているわけじゃないんですね。手作り感が伝わってきますね。

彼女たちに、頑張ってほしいと思いました。CDは買いませんが。

2014年1月13日月曜日

剛力彩芽が可愛く見えてきた

剛力彩芽写真集「滴~Shizuku~」
事務所のゴリ押しだった剛力彩芽への反発は、一巡した気がします。

いくら人々がネットで剛力彩芽のことをブサイクだ、どこがいいのか分からない、などと反発しても、メディア側の決意は固いもので、
「この子を売り出す」
という決定はぶれず、その上剛力彩芽という素材がしっかりしていたものですから(スキャンダルがない!)、最近、彼女を叩く勢いが、往時ほどのものではなくなりました。

もちろん、「オスカープロモーション」という事務所のゴリ押しには辟易します。それに、もっと他に美人はいるだろうに、なぜ彼女のような女性を推すのか分からない、と誰もが思うのも分かります。
ですが、ここまで叩かれながら、くじけず、しかもストレスに押しつぶされてスキャンダルを起こそうとしないところなど、大したものだと思のうです。確かに事務所が、
「この子に賭けてみよう」
と思わせる何かを彼女は持っているのでしょう。

彼女は、よくいる美人ではありませんが、よくよく見れば、ブサイクでもありません。

彼女を見た時に、即座につのだじろうのマンガを思い浮かべました。そこは否定しません。でも、よく考えれば、つのだ氏のマンガの中では、剛力彩芽の顔は「美人」として扱われているのです。
昨今整形美人が多い中で、生まれつきの顔で勝負をすると決め、いくら批判を受けても、
「私、自分の顔が好きなんです」
と言い切る彼女は、健気じゃありませんか。

ネット上には、
「いくら性格が良くても、彼女のような凡庸な人間が出ることで美人が活躍する枠が一つ減るから、彼女を応援したくない」
という声もあるようです。でも、美人というだけなら、昔に比べてモデル出身の女性が大勢テレビに出るようになっています。昔のテレビ番組を見ると、ひどいもんです。どうしてこんな子がアシスタントに? と思うような女性ばかり出ているのですから、現代は美人がテレビに出過ぎです。

ところが彼女たちは、総じて性格も態度も悪いのです。むしろ、性格がとびっきりいい彼女の出る枠を用意しようというのは、メディアの良心ではないでしょうか。

最初は上戸彩の方が可愛いから、auからソフトバンクに替えてしまいたかったのですけれども、最近は彼女がイメージキャラだから、auでもいいか、と思うようになってきたのは内緒です。

……最近、芸能ネタばかり扱っている気がします。

2014年1月12日日曜日

優れた男をつかまえようとした西川史子が愚かということで

西川史子女史が離婚したそうです。

この方は毒舌キャラで売ってはいるものの、よくよく発言を聞いていると、それほど厭味がありません。本質は"いい人"であることがにじみ出ていたので、私は嫌いではありませんでした。

いい人と、そうでない人との違いというのは、必要なこと以外では他人を傷つけたくない、と考えるかどうかだと考えています。

自分の代弁者を人々は求めますから、毒舌キャラはテレビでは重宝されます。しかし、毒舌キャラは代弁をしない人々から嫌われるもの。毒舌で有名な和田アキ子や神田うのにはアンチもまた、多いですよね。

そもそも彼らの心情に、醜さを覚えます。和田アキ子には縄張り意識が強いところが、神田うのには本質的な排他的な感性が垣間見えます。

それに比べると、西川氏の批判精神は、バランスが取れています。案外まっとうな意見が多いのが特徴です。それに、芸能人や政治家などではない、弱い立場の人間に対しては、優しさを見せます。


また、毒舌を言う自分がそれほど立派ではないことを、客観的に分かっているから、時には自分を卑下し、道化となることにも躊躇しないのではないでしょうか。

「結婚相手には年収4千万円以上ないとダメ」
などと発言しつつ、実際に結婚した男性はそこまでの年収ではなかったという点にも好感を持っていたのですが、結局離婚してしまいました。

★ 西川史子、離婚の理由を生告白「(元夫から)嫌われたんでしょ。お互いに傷付け合った」
「理想の家庭像とか、『こうあるべき』というのを私が強く持ってしまっていたので、そこが違うと(元夫が)怒ってしまったりとか、(西川の)実家は父親と母親が毎晩、家でごはんを食べるというのは当たり前だったので、それを当てはめたかったし、旅行に何回行くとか、そういうところも私は言ってましたし」
旦那の福本亜細亜はある程度の公人といえるでしょう。平沢勝栄の公設秘書を経た後、葛飾区議会議員を務めていました。ただ、2007年に自民党から参議院議員選挙に出馬して落選しています。

現在は父の営む老人福祉施設の傍らで、白鳥セレモニーホールという葬祭業の経営に関わっているそうです。

葬祭業というのは難儀な商売です。人の死が関わっているので、儲かってもおおっぴらに話せません。営業活動が大変難しい職業です。

また、深夜に亡くなった顧客のために睡眠を削って葬儀の準備に立ち会わねばなりません。当然多忙です。以前私、高齢化社会を見すえて葬祭業に従事しようと考えていた時期があましたが、仕事があまりに不規則だと知って、断念しました。

ところが、同じく西川氏も多忙な人物。医師の仕事に加え、テレビの撮影というのがまた拘束時間が長いのです。また、芸能界というところは飲み会や親睦会が一種の営業の場でもあるため、仕事とプライベートの境目が曖昧です。よって、毎日のように帰宅が深夜に及んでいた可能性も高いでしょう。

多忙な西川氏としては、貴重なプライベートな時間に、自分に合わせてほしかったところでしょう。でも、彼女が1日のうち午前9時から14時の間、一緒にいて欲しいと思っても、その時間に同じく多忙な福本氏が合わせることは困難というもの。

一緒に過ごす時間が少なくなってしまえば、気持ちは冷めていきます。一緒に過ごす時間が長ければ、行き違いがあっても修復できるけれども、それも叶いません。

結局、多忙な人同士が結婚生活をうまくやっていくことなど、無理なのですよ。

……そもそも彼女ほど稼いでいるならば、旦那に稼いでもらう必然性はないのです。西川氏ほど頭がよく、合理的な考え方がわかっている女性ならば、そのことにも考えが及んだはずですが、
「仕事ができる、尊敬できる男性」
と結婚したい、という女性特有の虚栄心に、勝てなかったのでしょう。

男性が、自分よりも劣った女性に性的魅力を抱くことを"いやらしい心情"だと批判するのならば、女性が、自分よりも優れている男性に魅力を抱くこともまた、劣った感情だと批判すべきなのに、そのような声は聞こえてきませんね。でも、それはおかしい話です。

劣った男性が自分よりも劣った女性を探す心情を軽蔑するならば、優れた女性が自分よりも優れた男性を探そうとする心情も軽蔑せねばなりません。それを求めるものはワガママだと、批判せねばなりません。

よく考えたら、本当に"いい人"ならば毒舌を吐きませんし、キャラとしてもそのような仮面をつけませんよね。西川史子さんは、とどのつまり、ワガママな女性なのでしょう。

2014年1月9日木曜日

喜多嶋舞の一件は、バーニング王国崩壊の序章かも

まいっちゃいましたね。

昨日の「大沢樹生が嘘を言ったのか? 子供もときに、嘘をつく」という記事の続きを、以下の様な流れで書くつもりでした。

週刊誌記者に、虐待告発や鑑定書結果の暴露を行う少年の行動は少しおかしい。また、告発内容もおかしい(虐待を告白しても、その原因を述べていないところなど)。
 ↓
頭がいいなら、週刊誌で親を告発するという暴挙には出ない。優しい人間ならば、週刊誌に芸能人の親を告発することに躊躇する。虐待に怯えているなら、虐待から逃れて数日後に週刊誌に告発することなど、できない。
 ↓
「息子は虚言引きがある」という大沢の発言には信憑性があるかもしれない。
 ↓
でも、多くの人は「子供が嘘をつくだろうか?」「なぜ、嘘の告白をするだろうか?」と疑問を持つはず。
 ↓
疑問を解く一助として、1980年代にアメリカで『生きる勇気と癒す力』という本がきっかけで、性的虐待が問題になった過程について説明。

「女性の鬱病患者は、子供時代に親や兄弟から性的虐待を受け、その記憶が封印されている可能性が高い」という説を信じて多くのアメリカ人が過去の性的虐待を催眠療法で「思い出した」。
 ↓
ところがエリザベス・ロフタスという女性が、
「記憶というものは、後から与えられた情報によって変わりやすい」
と異議を述べ、論戦を繰り広げた結果、アメリカでは、虐待告発のうちの数%には、嘘がある、という事実が知られるようになった。
 ↓
彼らが虚偽記憶を持った理由にはいろいろなものが考えられているが、虐待告発により、親と対等な関係を築き、親と関係改善を望む潜在的な欲求があったという説がある。
 ↓
大沢の息子も、同じかもしれない。

……という記事を、いろいろな具体例を挙げながら書いていたんですよ。ええ、数千字に及びました。


ところが、です。こんな記事が、すでに一昨日、出ていたんですね。

★ 喜多嶋舞・大沢樹生に“長男”が「二人とも好きにすれば」
 長男によれば、昨年、大沢に「お前がもし病気になったら俺の血を渡すために、一応親子だけど確認だけはしよう」と言われ、DNA鑑定をしたという。
「今回、検査の結果がいきなり記事になったので、『このためだったのかよ!』って思いました」
……『女性自身』に語っていた「99.9%はパパの子と鑑定書に書かれていたのを見た」という少年の告白は完全な嘘だったと、すでにバレていたのですね。

何も私が言を費やして、
「この少年の言うことをそのまま信じられないぞ」
などと述べる必要はありませんでした。

いやはや。無駄なことをしてしまった。



さて、こうして様々な証言が出そろいますと、背景がおぼろげに見えてきます。

喜多嶋舞は、1996年松竹映画『GONIN2』の撮影現場で、激しい拷問シーンをオールヌードで撮らせて話題になりました。
「必要ならば、役者として当然」
と、当時語っていました。

妊娠を隠して撮影にのぞんだため、当時の監督が、
「妊娠していると教えてくれれば、あんなに激しい撮影はしなかった」
とこぼしていたほどの過酷なロケだったそうです。

それを知った時は、「役者魂にあふれた女性だな」と私は感心しましたが、そうではなかったのでしょうね。

その時には、大沢を愛していて、それなのに別の男を妊娠してしまった。だから、「流れて欲しい」と思いながら撮影させていたのではないでしょうか。

喜多嶋が息子に狂的な虐待を働いていたのは、大沢への自責の念からだったのかも。

ここまで息子がぐれたのは、喜多嶋が息子に、「話してはならないこと」を話したせいかもしれません。旧友に怪我をさせたり万引きをしたり針金を突き刺したりと、息子の行動は少々常軌を逸しています。

鑑定書結果の暴露をおこなったのは、喜多嶋サイドの深謀遠慮かもしれません。

いずれ、喜多嶋の不貞は発覚します。それならばその前に情報操作できる範囲で暴露していって、大沢に、
「間男の子供を16年間育て続けた、マヌケな男」
「DNA鑑定をおこない子供の気持ちを傷つけたひどい親」
というレッテルを貼り、信用失墜を狙うために。その分、喜多嶋舞の評判は傷つきませんからね。


……でもね。そうだとしたらこれ、逆効果でしょ。

芸能人という連中は、ヤクザと似た感性を持っています。彼らなりの美意識・オキテがあります。筋の通らないこと、信頼にもとることをしながら平然としていることを、彼らはたいへん嫌います。

喜多嶋舞の陣営が今回見せた潔くない態度は、芸能人がもっとも嫌うものです。
「鑑定結果を大沢樹生が週刊誌に売り込んでいる」という情報操作とかね。

本当はどちらが売り込んだのか、いずれ判明するでしょうに。

芸能人の感性から嫌われるのって、怖いですよ。

こういうことがきっかけで、かつて王国を築いていた渡辺プロダクションは力を失いました。

喜多嶋舞が所属している「フロム・ファーストプロダクション」は、「バーニングプロダクション」の系列です。対応を見誤ると、バーニングは大変なことになるでしょうね。

このブログで私はこれまで、

★ 橋下徹が人気絶頂の時に、彼の早い落日を予測し、

★ 猪瀬直樹が最高得票で都知事に当選したときに、彼はいずれ失脚すると予測し、

★ 『家族の裏事情』というドラマが視聴率大爆死することなどを予測してきました。

この予測に引き続き、上記の件が呼び水になって、バーニング王国が来年の末までに崩壊するだろうと、予測しておきます。


2014年1月8日水曜日

大沢樹生が嘘を言ったのか? 子供もときに、嘘をつく

昨今ワイドショーを賑わせている大沢 樹生(みきお)が、息子を虐待している、と一昨年に報道されました。

★ 元・光GENJI大沢樹生・喜多嶋舞 長男が両親からの虐待を告白
 長男によれば、喜多嶋に(中略)虐待を日常的に受けていたが、小学3年生の時、ハイヒールで殴られ出血したことで、大沢と喜多嶋は殴り合いのケンカになり、喜多嶋は家を出たという。
 2005年に両親は離婚し、長男は大沢に引き取られた。だが、長男は大沢からも(中略)虐待を受けるようになった。
この記事を私も週刊誌で当時読みまして、少し奇異な印象を受けたのです。
 今年9月16日、日本刀を喉に突きつけられ「これを引いたら死ぬぞ」と脅されたことをきっかけに家出したという。
(中略)
 大沢は「模造刀の日本刀を突きつけたのは事実で行き過ぎだったと反省しています。ただ、それ以外の虐待は事実ではありません」と回答した。
ええ?!

模造刀をつきつけたことを告白しちゃうの? 隠すのならば、そこを隠すべきでしょ?
「虐待をしたという事実はありません。詳しいお話は家庭のことなので話せません」
と言えばいいのに。

もう一つ奇異に思ったのは少年の告発。この記事が書かれたのは2012年の9月26日。日本刀事件が起こったのがその10日前。虐待の話を普通、親から逃げ出した直後に、週刊誌記者に暴露出来るものでしょうか?

少し、私の話になりますが。

社会に出て、とあるブラック企業で、経営者から蹴られたり殴られたりしながら朝から深夜に及ぶ連日の労働に従事していたことがあります。

当時は、
「この特殊な道を進むならばこれには我慢すべきだ」
と思っていた(洗脳されていた)のですが、今から考えれば愚かでした。

そのときの経験があるから、つらい思いを告白して誰かに分かってもらいたい、という長男の気持ちを分からないでもありません。

毎日、
「お前はクズだ、馬鹿だ、殴られて当然だ」
と怒鳴られるうちに失った自信を取り戻すため。自分ではなく、あいつが間違っているはず、暴力は間違っているはず……この当たり前のことを確かめたいのですね。

でも、そこから逃れた後。経験をどのように消化するべきか? 洗いざらい世間に公表してやろうか? などとも考えたのですが、やめました。

告発するのならば……もっと私が社会的な信用を得てから、しよう、それよりも、体験を作品として昇華しよう、と思って書いたのがこの本です。

本書では、設定を大幅に変えエピソードも大きく変えました(事実と同じなのは50%ほどでしょうか)。モデルが誰かは、分からないはず。

やっぱり、いろいろと考えてしまうわけです。

証拠もないのに世間は信用しないでしょう。相手は社会的にも有名な人物なので、雇う弁護士は優秀です。裁判で勝とうとしても、長い時間がかかるでしょう。

そこまで知恵が回るならば告発しませんし、(まだ14歳なので)そこまで知恵が回らないならば親をかばい、躊躇するはず。……ところが、この長男の告白からはこの種の葛藤がうかがえないのです。

(なにか違うんじゃないの?)
という、一種の勘ですね。

結局よく分からないまま収束したと思っていたところへ、今回の騒動。

★ 喜多嶋舞16歳長男、大沢樹生の実の子でない!週刊新潮報じる
 今年初め、大沢が自分と長男のDNA鑑定を米研究機関に依頼。「2人が親子である確率は0%」との鑑定結果を受け取った。
★ 大沢樹生・長男「僕は99・9%パパの子。鑑定書見た」実子騒動で真逆記事
 昨年(2013年)暮れに『週刊女性』が「長男は大沢の実の子ではない。父性確率0%」と報じたが、年が明けてきのう6日(2014年1月)発売の『女性自身』(1月21日号)は「99.9%はパパの子」という長男の証言を掲載した。

この大沢樹生の会見を観て、いろいろなことが頭に浮かびました。

彼は頭が良いタイプではなく、嘘をつこうとしてもボロが出るタイプじゃないのか、ということ、自分でもそれがわかっているから、出来る限り正直にいようとしているのではないか、ということなどです。

大沢氏の主張と長男の証言は明らかに矛盾。弁護士を立てた大沢が、公衆の面前で鑑定書の内容を偽証する可能性はないでしょう。

それなのに息子は、
「99.8%の可能性で親子だと鑑定書に書かれていた」
と証言しています。

これについて、思い出したことがありました。


続きは明日

2013年12月25日水曜日

北島三郎が芸能界で大成功した理由

『ちびまる子ちゃん』のこんなシーンを覚えている人がいるかもしれない。

まる子は、紅白歌合戦を観ている最中に眠ってしまって悔しがる。新年を起きたまま迎えられなかったからだ。
「サブちゃんが歌うまでは起きていたんだ。サブちゃんのバカ!」
と彼女は北島三郎に八つ当たりするのである(うろ覚えだが)。

マンガの単行本で読んだシーンだ。状況は手に通るように分かる。紅白の終盤の、子供にとって、聞きたくもない演歌の大御所の歌で寝ることに悔しがるまる子の気持ちがわかる。それが当たり前だ、と思っていた。だが、よく考えればこれは凄いことだ。

『ちびまる子ちゃん』の舞台は昭和50年前後、1970年代半ば。1936年生まれで現在77歳の北島三郎は、当時30代後半だ。その頃、すでに子供には共感できない、お年寄りのアイドル、紅白歌合戦の重鎮という位置を占めていたのだから。

1975年第26回の紅白について念の為に調べてみると、出場はすでに13回目を彼は誇っている。当時ですら、彼より出演回数が多い歌手はあまりいない。歌う順番も、最後から数えて3番目だ。

たとえば当時の北島と同年齢の今のSMAPが、当時の彼ほどの貫禄があるだろうか? いやいや、SMAPファンには申し訳ないが、どこか浮ついたところのあるSMAPのメンバーに比べると、格が違うように思うのだ(イメージだけか?)。

彼が帝王として、カリスマとして何十年もの間、芸能界に君臨できた理由は何なのか? 今年最後で紅白歌合戦を引退するというので、理由を探ってみた。


長い下積みと、快進撃

北島三郎は高卒後、流しのギター弾きをしていた。

「流し」というのは、音楽がラジオでしか楽しめなかった昔、居酒屋にギターを抱えて流行歌を歌っていた人々のことである。

その頃に偶然知り合った関係者から芸能界にスカウトされる。しかし、デビューまで8年かかった。長い下積みだ。

ただ、下積みから抜けだした後は早かった。26歳でデビューした彼は、「なみだ船」を皮切りに、「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」を立て続けにヒットさせ、押しも押されぬスターとなる。

芝居に歌を取り入れた舞台公演などで地方を巡業しながら、弟子を多数育成。「北島ファミリー」と呼ばれる集団を作り上げた。

東京都の八王子市には、総工費20億円をかけて、1500坪の大豪邸を建設している。出身地の函館には、北島三郎記念館も建設している。現代の大成功者なのだ。


飛び込んだのはニッチな分野

北島三郎がデビューしたのは1962年(昭和37年)。1956年(昭和31年)に経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言された6年後になる。ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥー」でデビューして世界中で大人気となった年でもあり、グループサウンズの草分けであるスパイダースは前年に結成されている。

つまり、北島三郎が飛び込んだ「演歌」というジャンルは、その頃すでに若者のものではなかった。同年代の都会の若者たちがグループサウンズやジャズなどに熱狂していたのに、地方出身の北島はその輪から外れていた。

これは、彼のライバルが少なかったことを意味する。

また、中高年層向けの演歌を歌うための人材は、本来ならば30代、40代の人々のはずだったが、この世代は戦争に駆りだされていたため、芸能界で修行するチャンスに恵まれなかった。

さらに上の世代になると、もう引退している。昔は年を取るのが早く、50を過ぎれば歯は抜け、腰も曲がっていた。栄養状態が悪かったせいだろう。

つまり、北島は人材の空白地帯にうまく滑りこんだということになる。

演歌を求める層は、中央のメディアからはあまり把握されておらず、相手にされてもいない人々だ。教養がそれほどなく、肉体労働に従事する人々が多い。彼らは活字メディアにうとく、レコード店でレコードを買わない人々だ。

ところが、彼らは娯楽に飢えている。地方に巡業に行けば、数年に一度の楽しみだ、喜んで大枚をはたく。レコードも巡業の会場でなら、応援のために何枚も買ってくれる。彼が主戦場としたそこには、競争相手の少ない、小規模ながら確実なマーケットがあった。だからこそ、大成功をおさめたのだ。
経営センスのある人は、むしろ斜陽産業を狙う。斜陽産業は超トップレベルの人材は少ないから、努力が報われやすい。相変わらず旧来のやり方にこだわる頭の堅い人が多いために、外からやってきた人間にこそチャンスがある。
上記の文章は、大手経営コンサルティング会社で働いていた作家が、ビジネスを行うべき分野について書いたものだ。

何の事はない。

北島三郎がやってきたことは、プロのコンサルタントが推奨する、成功の方程式を、知らず知らずのうちになぞったものだったというわけだ。


理想のエンターテイナー

……とはいうものの、彼はニッチな産業を狙うために、演歌界に飛び込んだのではなかろう。あくまで結果だ。彼は心底、歌うことや演歌が好きだと公言している。今回も、紅白からは引退するが、歌手を引退するわけではないと宣言しているのもその証拠だろう。

彼は運と才能だけではない。人知れず努力している。

北島三郎といえばパンチパーマ。髪型は一貫して変わっていない。トレードマークになっているとはいえ、飽きることもあるだろう。でも彼は、髪型を変えない。我慢もまた、努力だ。

誰もが「あの人だ」と分かる格好を、時代の流行とは無関係に貫いているのだから、ブランディング戦略として正しい。

北島三郎という名前も良かった。本名は大野穣だが、北海道出身ということでこの名前となったという。だが、たぶん「北里柴三郎」を大いに意識してつけられたのではないか。人口に膾炙した名前は、人々に覚えられやすい。実際、人々はすぐに彼の名前を覚えてしまった。

地方巡業では芝居形式の演歌ショーを行うことで有名だが、彼の軽妙なトークのせいもあって、大変面白いと評判である。明治座や博多座行われる公演チケットはとても取りにくい。

また、演歌とは異なる様々なジャンルの音楽を貪欲に取り入れることでも知られている。彼の大ヒット曲『与作』は、ジャズ・シンガーであるビル・ウィザースの"Ain't No Sunshine"が元ネタ。


北島は、それを演歌に完全に咀嚼してしまった。
 

好きでないと勤まらない。才能がないと認められない。そしてたまたま、有望な市場と供給者としての適性がピタリと合ったという点で、北島三郎は、大変運がいい男だった。そのうえ努力も怠らないからこそ、芸能界の帝王として君臨できたのだろう。


家庭を大切にする常識人

ただ、順風満帆というわけではない。これまで何度か危機にも陥っている。

一番大きな危機は、暴力団稲川会との交際が発覚した1986年の騒動だろうか。

昔からヤクザと芸能界は切っても切れない関係にある。昔は、どの地方にも地元に根付いたヤクザがいて、祭りやショーを仕切っていた。

それは洋の東西を問わず同じで、アメリカでもイタリアンマフィアがラスベガスなどの興業に深く関わっていたことはよく知られている。フランク・シナトラは特にマフィアと縁が深かった。

だから、北島三郎のことを「和製フランク・シナトラ」などと揶揄する声もある。無論、シナトラと芸風が似ているからではない。人気があり、ファミリーを作り、なおかつマフィア(ヤクザ)と仲がいいところがシナトラとそっくりだ、というわけだ。

そのような批判があったにも関わらず、引退にも追い込まれずにここまでこれたのは、彼の人柄による。

まず、彼は酒を飲まない。また、浮気をしない。

酒は下戸で、奈良漬けでも酔っ払うほどだという。

また、独立した際は、北島音楽事務所の社長に、妻を置いた。もしも浮気などしていたら、妻を事務所の社長になど怖くて置けないだろう。事務所には様々な情報が集まってくる。浮気相手から連絡が入らないとも限らない。

だから、事務所の社長を奥さんにしたというだけで、彼の身持ちの堅さがうかがえると思うのだが、いかがだろうか。実際のところ、北島三郎が愛人を作っていたとか、隠し子がいるとかいう話は一度たりとも聞いたことがない。

また、彼は若者を応援しよう、という精神にあふれている。以前DJ OZMAが女性に裸に見えるコスチュームを着せて問題になった時も、(台本で決められていたにせよ)その演出に怒りもせず、寛容な態度で通している。

たしかにヤクザとつきあいがあるという一点で、非常識な人間なのだが、それ以外は大変温厚な常識人なのだ。ここが、これまで大過なく芸能人生を歩んでこれた理由なのだろう。


今年、北島三郎が歌うのは、「まつり」だそうだ。
歌手生活の総決算は、いったいどのような舞台になるのだろう?

2013年10月12日土曜日

男が望んで海外移住、女は夢に乗せられる

Dialogue -Miki Imai Sings Yuming Classics-
布袋寅泰の母親が先月9/3に亡くなった。そのため布袋寅泰の奥さんでもある今井美樹が、家族とともに緊急帰国した。

★ 今井美樹 悲しみで憔悴…布袋の母逝去で英国から緊急帰国

その後、葬式ついでにいろいろなイベントに参加しているようだ。布袋氏はイギリスに移住して音楽活動に熱心に取り組んでいるとはいえ、いまだ道半ば。日本でないと稼げない。

海外の芸能界の中で名前を売るためにも、交際費が多くかかるだろうから、夫のために、稼げる時には冠婚葬祭のついででも稼ぐ腹だろう。夫を支えるために、大したもんだ。

★ 今井美樹 英国移住は当初気乗りせず「寂しくてつらくて」

上記のインタビューの中で、今井氏は海外移住の寂しさを吐露している。
 布袋が英国で音楽活動に挑戦するために生活拠点を移した。だが、「どうして行かなきゃならないんだろうと思ってた。家族で決めたことなのに、私の気持ちは全然前に進んでいなくて、寂しくて、つらくて」と出発まで気乗りしていなかったという。
海外進出を志す日本人アーティストは多い。ダウンロードも含めた音楽ソフトの売上は日本がとうとうアメリカを追い抜いたので、日本こそが世界一の市場、その中で成功すればそれだけでスゴイと思うけれども、業界人はそれでは満足できないらしい。

日本の音楽業界は、戦後にアメリカからやってきたジャズによって多大な影響を受けた。その後ビートルズなどを聞いて育った人々が、今の音楽業界の中心に多いのだから、しょうがない。

気持ちは分かるものの、その夢に付き合わされる方は苦労する。だいたい子供の頃の夢をしつこく追い求めるのは男に多い。時代が変わり、環境も地位も変わったのに、男は子供の頃の夢を叶えようとして周囲を翻弄する。

そんな男のために苦労するのは女と相場が決まっている。男が船で海を渡り、港で女が帰りを待つ、という歌もあった。

たとえば松田聖子だけれども、聖子が渡米して音楽活動をおこなったのは、彼女自身の強い海外志向があったためだと、当時は報道されていたが、実は違う。

CBS・ソニーの若松宗雄ディレクターと言えば、聖子にとっての大恩人である。芸能界に入りたい松田聖子の上京を禁止する聖子の父を、九州の久留米に何度も通って説得したからだ。

その若松氏の夢が、アメリカ進出だった。ジャズやロックから多大な影響を受けた彼は、アメリカで仕事をするのが夢だった。

嘘だって? いやいや。彼を手助けするために、聖子が渋々渡米したことを、若松氏自身もインタビューで答えている。

★ 中国で見つけた!聖子と同じ「天才」 ―伝説のプロデューサー独占インタビュー
いや、アメリカ志向は私の考え。私が直感的に聖子はアメリカに向いていると思ったんで、私の勘一つでアメリカでやるって決めたんです。CBS・ソニーの洋楽セクションとも連携してプロジェクトを組んでね。実は、アメリカへ行くのには聖子は大反対で、成田空港でアメリカ行きのフライトまでの待ち時間、聖子とお茶を飲んでいたんだけど、聖子が「若松さん、私なんで今からアメリカへ行かなくちゃならないんですかねぇ?」って言ってたくらいですから。
聖子の偉いところは、この若松氏の強い要望を、決して周囲に明かさずに、あくまで「自分の夢」だと語って事をすすめたところ。恩人を窮地に陥れないためだ。

そのためにもう一人の恩人であるサン・ミュージックの相澤秀禎との関係が断絶したのだが、時間をかけて彼女はその絆を修復する。娘のさやかをサン・ミュージックに預けることで和解へと持ち込んだのだが、それはまた、別の話。

閑話休題。

聖子の他に、男の夢に翻弄されたもう一人のトップシンガー、宇多田ヒカルについても話そう。彼女がアメリカ進出を狙ったのも、彼女自身の願いというよりも、父である宇多田照實の強い意向のためだったと言われている。

松竹ニューヨーク支社の社員であった父(ヒカルの祖父)を頼って渡米したものの、花咲くことなく萎れた夢を、彼の代わりに叶え、渡米時代に出会った人々を見返して欲しい、という父の希望を叶えるために、宇多田ヒカルは渡米して、そして失敗した。

秋元康のことを私はそれほど好きではない。でも、ただひとつ評価できるのは、彼にはこの手の野望が希薄なところだ。彼の向く先はあくまで日本だけ。夢は美空ひばりに歌を書くこと。

プロデュースするのは日本の女子高生たちで、お客は日本の青少年たちだ。彼がプロデュースした女性たちは、その後に家庭に入り、平凡でも幸せな生活を送っていることが多い(国生さゆりが幸せになれないのは、彼女自身の性格の悪さが原因だから、しょうがない)。

★ TBSドラマ『歸國』出演の長渕剛 忘れがたき「AD殴打事件」その蛮行
長渕は一度パーティー会場を後にしたADを呼び戻し、何が気に入らなかったのか、サンドバッグのように殴りつけたのだ。当時、長渕の愛人と言われて、同ドラマでも共演していた国生さゆりも、ADにコップ酒を投げつけて「やれ、やれ」と囃し立てたという。長渕は、無抵抗のADを殴り終わったあとに、金を投げつけて「訴えられるものなら、訴えてみろ」と開き直ったそうだ。
閑話休題(脱線ばかりしているな)。

秋元康が海外を狙うとしても、ついでに東南アジアなどでも売れればいい、という程度。「日本」という風土を大切にしてアメリカなどを一顧だにしない、という彼の姿勢はもっと評価されてもいい。

いずれにせよ、夢はいつかは醒めるもの。他人の夢ならなおさらだ。松田も宇多田も、自分の幸せを守るために、やがて夢を見た男たちから距離を置いた。

布袋氏も、自分の夢を叶えるために、家族を振り回しすぎていないだろうか? 今井の幸せのためにできることを探しておかないと、いずれ愛想をつかされるだろう。

2013年8月21日水曜日

松田聖子のスゴさと、勝新太郎の前で歌舞伎の口上を述べる岡田有希子のスゴさ

松田聖子 スーハ゜ー・ヒットコレクション Vol.1 DQCL-5001
80年代女性アイドルの当時的な感覚での格付け」という記事が話題になっている。

NHKの「あまちゃん」の影響で80年代のアイドルににわかに関心が集まり、当時を知らない若者が、アイドルたちが当時どのような存在だったのかを知りたがっている。その要求に答えた形のこの記事にたくさんブックマークがあつまるのも当然だろう。

かくいう私も以前、

★ 松田聖子は歌がうまい

という記事を書いたり自由が丘にあるフローレスセイコに言ってグッズを買ったり彼女の昔の楽曲のベスト版を最近も買ったりする程度には松田聖子のことが好きなので、この記事が大変興味深かった。もしかしたら記事が消されるかもしれないので、とりあえず松田聖子について述べられた部分だけを引用しておく。
第1位 松田聖子
  代表作品:「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「赤いスイートピー」/『野菊の墓』など。
言わずと知れたアイドルの中のアイドル。絶対正義。高度経済成長から、安定成長へ、そしてバブルへと向かう世相の中で、松田聖子が時代を代表出来たのには彼女の生い立ちによるところも大きいと思う。一点の曇りもない地方の中産階級、そんな彼女には貧困も、学園闘争も、無縁だった。60年代の加山雄三的なるものから70年代の四畳半フォーク時代を飛ばして直結していると言えるが、加山雄三が曇りが無いように見えても階級社会的な側面や敗戦国国民のてらいのようなものがあるのに対して、松田聖子は徹頭徹尾、能天気であった。彼女は日本が初めて獲得した、先進国のアイドルであった。
素晴らしい分析だ。

松田聖子の凄さというのは子供の頃はよく分からなかった。しかし、それから数十年、様々な芸能人が現れては消え、現れては消えるのをながめ、さらには美空ひばりなどの過去のレジェンドのことを本や回顧映像などで知り、その流れの中で、数十年も語り継がれる松田聖子が芸能界の中でどれほどの特異点であったのか、今になって分かる。やっぱりスゴイ存在だったのだ。

だからだろうか、当時リアルタイムで松田聖子を観ていた人々が、今、彼女について様々なブログで分析をしている。彼女について述べたブログは数あれど、その中の白眉は、しおれたきゅうりさんのブログ、

★ 「松田聖子」という奇跡~ひとりよがり哲学

ではないか。このブログはネット上の松田聖子に関する情報の百科事典のような存在となっているので、これを抑えておけば、松田聖子についてはほぼ完璧に理解できると言えるだろう。

ところで、同じサン・ミュージックでありながら、彼女の後輩に当たる岡田有希子にこれまで私はあまり関心を持ってこなかった。そもそも彼女たちに興味を持ち始めたのはここ数年の話で、硬派を気取っていた昔はアイドルに興味がなかった。

だから、岡田有希子が死んでから彼女のことを知ったし、自殺したアイドルについて関心を持つのもためらわれたので、彼女について書かれた記事を読んだり動画を観たりすることを拒否していたのだ。

ところが、「80年代女性アイドルの当時的な感覚での格付け」の一番最後の16位で岡田有希子を取り上げていた。最後の最後で彼女が現れ、ふと彼女はいったいどういう人だったのだろうと気になって、動画を検索して……衝撃を受けた。

私が衝撃を受けた動画はこちらです。肝心の部分は7分11秒からなので、できればそこから観て欲しい。

動画は9分ある。最初は歌、その後簡単なクイズ(3人の中で本当に岡田有希子の関係者は誰? というよくあるものだ)、それから岡田有希子が習った歌舞伎の口上『白浪五人男』を実際に述べる、という構成になっている。

そもそも福沢富夫なんて、私ですらどこかで名前を聞いたことがある演出家なのだから、芸能関係者なら当然彼のことを知っていただろうし、それがクイズとして成り立っているのがまず可笑しいのだがそこは割愛。

問題は岡田有希子のこの演技力である。
張りのある声、凛とした仕草、淀みのない口上、指先がまっすぐに伸び、ピシッ、ピシッと決めるところで決めている。迷いがない。その上この演技を、ハイヒールを履いて行うのだ。これは本当にスゴイ。

しかもそれを見せるのが、あの勝新太郎の前である。勝新太郎といえば名優中の名優だ。岡田有希子自体は若くて物おじしないとはいえ、逆に周りがハラハラしそうなものだが……。

しかし勝新太郎は、彼女の演技をやや身を乗り出すようにして鋭い眼光で見つめ、笑いもせず、それからおもむろに拍手をはじめた。怖いなと思うと同時に、彼から見たら岡田有希子のこの演技、果たして何点だったのだろうと気になった。

彼女に今でも人気があり、ファンが彼女のことを語りたがる理由が分かる。

2012年12月14日金曜日

AKB48とプロレス

元AKB48の前田敦子について本が書かれていました。
前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)
タイトルがものすごく、キリスト教原理主義者がいたら激怒しそうです。
内容は、
AKB48の魅力とは何か? なぜ前田敦子はセンターだったのか? 〈不動のセンター〉と呼ばれた前田敦子の分析から、AKB48が熱狂的に支持される理由を読み解いていく。
なぜファンは彼女たちを推すのか、なぜアンチは彼女たちを憎むのか、いかにして彼女たちの利他性は育まれるのか……。
握手会・総選挙・劇場公演・じゃんけん大会といったAKB48のシステムを読みとくことから、その魅力と社会的な意義を明らかにする。(Amazon内容紹介より)
というものだそうです。
当然タイトルには批判が多く寄せられています。
Amazonレビュー欄には、
まあ流行に乗ってお金儲けってことですよねえ。
実際にAKBファンなのはよくわかりますけど、別にこっち方面が専門の人でもないし、出さなくていい本をつい出しちゃいましたってことでしょうねえ。
別に生活と知名度向上のためにこういう本を出すことは全然かまわないと思いますけど、やっぱり問われるべきはそのクオリティですよね。
宗教学、哲学、社会学等の知を動員してAKB現象を解明するってことなんでしょうが、明らかに一過性の現象を大風呂敷広げて論じちゃって、この人これからどうするんでしょうかねえ。
以前のネット論なんかは見るべきものがあったので、本当に著者には期待してたんですけど、残念だなあ・・・。
ちなみに他のレビュアーの方が過剰反応している本書のタイトルですが、これは有名なジョン・レノンの言葉のパロディですね。
ビートルズは今でも人気あるし、影響力も世界的ですけれども、さてAKBはいかに・・・・。(By Amazonレビュー igaku (岡山県))
などの批判が寄せられていました。多分著者も出版社もそれを織込み済みで出版したに違いありません。

人気のある芸能人の魅力の源泉を畑違いの文化人が分析することは、昔からあるもので、中でも有名でかつ成功したのは、2009年に68歳で亡くなった評論家の平岡正明が著した、『山口百恵は菩薩である』でしょうか。

たぶん、前田敦子の上掲本のタイトルも、平岡氏の書籍タイトルを意識してつけられたのでしょう。

ただ、私が上記とともにより強く連想したのは、むしろ作家の村松友視が著した『私、プロレスの味方です』の方でした。

山口百恵人気というのは、当時圧倒的であり、社会現象とまで言われたほどです。また、百恵自身の凛とした立ち居振る舞い、毅然とした言動にも品格があり、『山口百恵は菩薩である』というタイトルには賛否両論があったものの、人々は納得し、概ね好意的に受け止められていたようです。

ところが、前田敦子を含むAKB48人気というのは、山口百恵人気とはどうも種類が違うと思うのです。
彼女たちはそのコンセプトどおり、クラスで五番目から六番目くらいの容姿の持ち主であり、歌もさほどうまくありません。レッスンを重ねる前にデビューするためか、演技力もありません。

よって彼女たちの自身に魅力があるというより、それ以外の部分にファンを惹きつけるものがある、と考えるべきです。

その有り様は何かに似ている……少なくとも、山口百恵や松田聖子の醸し出す魅力とは違う……そして、おニャン子クラブやモーニング娘。ともまた違う……なんだろう? と思っていた時に『前田敦子はキリストを超えた』とう馬鹿馬鹿しいタイトルの本が出て、そこで初めて「ああ、AKB48は、在りし日のプロレスと同じだ!」ということに気づきました。

ご存知の通り、一時期プロレス人気は凄まじいものがありました。

戦後間もなくに力道山が現れ、シャープ兄弟というアメリカ人レスラーを日本人がやっつける、というわかりやすいストーリーで大衆の心をつかみました。

力道山亡き後は王道プロレスを歩むジャイアントにアントニオ猪木という最強のトリックスターが挑み、そのアントニオ猪木の敷いた路線に対して長州力が挑み、前田日明や高田延彦らがさらに挑戦する、といった「挑戦する人々の群像劇」にファンは熱狂したのです。

ファンは、彼らの感情が、プロレスリング上の試合にも反映されていると信じ、その勝敗に一喜一憂したのです。

AKB48もまた然りです。たとえば恋愛禁止という原則に指原莉乃が大きく逸脱、そこからHKT48へ左遷されたり、あるいは人気が一番だった前田敦子と大島優子の友情と確執など様々なギミックが現れては消え、現れては消えていきます。

ファンはその度に一喜一憂しているようですが、外野からみていれば、それは演じているだけちゃうの? と突っ込みたくなること必至で、なぜそんなお芝居をファンが信じ、熱狂するのかわかりません。

しかし、ドラマやお芝居を嘘だと思いながら見る人はいません。見ている間は没頭し、それに浸りきって観るものです。

本物のお芝居を「嘘だ」と叫ぶのはバカげた行為です。誰もがお芝居が嘘であることを知っているのですから。

わざと騙されるーーとも、違いますね。仮装空間に没頭し、彼女たちとともに今を生きているようなつもりになるといったところでしょうか。それを作り事だと指摘すること自体、とても愚かな行為なのです。

たとえ作り事でも、たとえばプロレスの試合、あるいはAKB48のコンサートは「プロの仕事」であり、それなりに見応えがあります。

それが多少未熟でも、逆に背後の人間ドラマと相乗効果を発揮して、より魅力を増す……ハプニングを織り込んだ即興劇を、彼女たちは演じ、ファンはそれを楽しんでいます。

すぐに人気がなくなるだろうと踏んでいましたが、案外、AKB48人気はもっと長く続くかもしれませんね。

ただし、プロレス人気を一気に凋落させた『流血の魔術 最強の演技』のような最低の暴露本がかかれなければの話ですが……。