2014年6月10日火曜日

宮崎駿は松田聖子に影響されて、作品を作り続けたのかも? 

ふと考えたことがあるんです。宮崎駿は、松田聖子の大ファンなんじゃないのかと。

宮崎氏が松田聖子について、一度だけ触れたことがあります。とあるインタビューで、今の時代にはイングリッド・バーグマンのような仰ぎみる女優がいなくなったと語り、同時に日本の代表的なアイドルを斬ります。
「松田聖子なんてどこがいいんですか、あんなもんは、うすぎたないだけで」
とね。

だから、最新作の『風立ちぬ』が松田聖子のヒット曲『風立ちぬ』と同じだからといって、宮崎氏と松田聖子を結びつけて論じられることもありませんでした。

だが、本当でしょうか?

宮崎という人物はとても複雑です。作品に込めた本音を韜晦して、墓場まで持っていくことくらい造作なくやってのけるでしょう。アニメがまだ世間から「子供のもの」という偏見の目で見られていた時代から作品を作り続け、今日のアニメ隆盛の礎を築いた立役者でもあります。

世間一般的な価値観に叛旗を翻すことが習性となっており、へそ曲がりで、世間におもねることを潔しとしません。

松田聖子という当代きっての人気歌手のファンだと公言することを、彼は潔しとするわけがなく、上述のインタビューによって、多くの人が、宮崎氏は松田聖子のことをバカにしている、と考えたようですが、これは宮崎氏のことを分かっていない者の発想です。彼ほど公の発言と本心がかけ離れている人もいません。

引退宣言と撤回を繰り返すのは有名な話。『天空の城ラピュタ』を作った1986年には「引退する」と言っていたそうです。今までの自分をリセットして、製作意欲を高めるタイプの人なので、「辞める」と完全に思い込まないとやる気が出ないのでしょう。

そんな彼には、尊敬する人や好きな人のことを、必ずくさす癖があります。宮崎氏は高畑勲を大変尊敬しているのですが、高畑氏について聞かれると、必ず、
「あの人のココがダメ」
などとダメ出しをするのです。

同じく庵野秀明のことも大変買っていることは、『風立ちぬ』の主人公の声優として庵野氏を起用したことからも明らかでしょう。それなのに、彼についてどれほど酷評していることか。
「あいつはあれが限界だ」
とかね。

しかし、それもこれも、みんな愛情の裏返し。重度の照れ屋である宮崎氏は、本心を隠すために好きな人のことをボロカスに言う、というツンデレキャラなのは、もはや誰もが認めるところでしょう。

……としますと、インタビューで答えた、
「松田聖子なんてどこがいいんですか、あんなもんは、うすぎたないだけで」
という言葉は、彼女に惹かれる自分の気持ちを韜晦するための照れ隠しだと考えるのが自然というもの。

もちろん、本当に嫌いなもののこともボロカスに言うのもこの人の特徴です。では、両者の違いをどう見分けるか? それは簡単。行動を見ればいいのです。

高畑氏や庵野氏に宮崎氏が好意を抱いていることは、彼らと幾度となく共同で作品を製作しているところから明らか。では、松田聖子のファンであることは?

簡単です。彼の作品と松田聖子の間の関連性を探っていけばいいのです。作品には本音がにじみ出ます。

そもそも、昨年ジブリが発表した『風立ちぬ』。堀辰雄の同名の小説を基にしたタイトルだと言われていますが、今の多くの人にとっては、松田聖子が1981年にリリースしたヒットナンバー『風立ちぬ』の方を思い出したはず。なぜ、宮崎氏はよりによって、松田聖子に縁のあるこのタイトルを、彼の引退作品のタイトルとしたのか?

……彼が松田聖子のことを、本当はとてもリスペクトしている、ということを後世に伝えたかったからではないでしょうか。

それだけだと単なるこじつけ?

よろしい。それではもっと証拠を見せましょう。松田聖子の軌跡と宮崎駿の作品の発表年とを照らし合わせながら、真実を追っていこうではありませんか。

明日に続きます

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