2013年12月26日木曜日

年末はブログをおやすみします

これまでブログを毎日更新してきて、約2年経つが、ここで一旦休憩。年末(年始も?)はブログの更新をお休みします。

先日爆発的なブログの訪問者増加があり、ここ数日その余波のお陰で毎日のPVも多い。しかし、ここしばらく、もう少し工夫の余地がこのブログにはあるのではないか、とつらつらと考えていた。

1.文字数が多くないか?
これまで商品紹介から社会批評まで扱い、時には数千文字以上の記事を書いてきた。でも、毎日読むとなると、数千文字は読者にとっては負担じゃないのか?

たとえば、麻理さんというブロガーが運営している「今日の100文字」のような読みやすく軽い記事を普段は書き、読み応えのあるものは週に2、3回に抑えるというのはどうだろう?

2.過去のムダな記事が邪魔をしないか?
毎日アップしていると力を入れた記事がそこに埋れてしまうというジレンマに陥っている。

私自身、毎日チェックをするお気に入りのブログは、毎日更新されているものが多い。たまに更新されるものは、暇な時に一気に読む。だから、読まれるためには毎日更新した方がいい。でも、検索をされてこのブログにたどりついても、読み応えのある情報、役立つ情報が数日続かなければ、固定読者になることはない。

★ カネを持っていない人間が、それでも喜んでもらえる婚約指輪を選ぶ方法

もっとも、何が読者の役に立つのかなんて、人それぞれだ。むしろ私の身辺雑記の方が、人によっては面白いと思えるかもしれない。

日々の気軽な記事は更新されるものの、役立つ情報の邪魔をしない方法はないかと模索してきた。

そこで、ようやくたどりついた結論は、
「毎日更新しつつ、一定期間が過ぎたらその記事は別の保管用のブログへ移してしまう」
という方法だ。どうしてこれに気づかなかったのか分からない。

3.広報活動の重要性
FacebookやTwitter、Google+で広報をするという作業を私は怠っていた。ここにもっと重点を置くべきかもしれない。

読み応えのある情報を週に数回書いた時に、宣伝しないと、身辺雑記に埋もれてしまう。

4.ブログ機能の充実
WordPressに移行しようか、どうしようかと検討中。Googlebloggerにはもう慣れたけれども、同じようなブログ記事を書いている人とつながっているという実感が皆目持てない。それは、このブログに他ブログとのリンク機能があまりないからだが、それをブログのテンプレートの改造から行うべきか、WordPressに移行してそちらの機能を利用すべきか、で今迷っている。

5.ブログ内容の充実
どんな記事が人々の関心を高めるのか? 私の売りは何なのか?

過去の動向から推測するに、
  • あるニュースを掘り下げたもの
  • オドロオドロシイもの
  • 著名人について述べたもの
などの記事がよく読まれているようだ。
要は『ナックルズ』系列の記事だと分かって少々凹んだ。いや、自分でも分かっていたけどね。自分はそちら側だと観念して堕ちるべきか? それとも別の方向性を探るべきか? この辺りについても、年末年始を使って考えなおしたい。


以上のようなことを考えているために、これまで毎日更新してきたブログは、今日をもって一時中断とする。今まで毎日の記事を読んでいただけていた方々へ。ありがとうございました。

最近一身上の大きな変化もあったので、これを機会に、目標を新たに設定し、新しいブログにして、来年皆様にお会いしたいと思う。

なお、私が出版した下記電子書籍に誤字が若干残っていた部分があり、読者からご指摘いただいた。

修正したため「My Kindle」で検索して、アップデート版を利用してください。



それでは、みなさま。よいお年をお迎えください。

2013年12月25日水曜日

北島三郎が芸能界で大成功した理由

『ちびまる子ちゃん』のこんなシーンを覚えている人がいるかもしれない。

まる子は、紅白歌合戦を観ている最中に眠ってしまって悔しがる。新年を起きたまま迎えられなかったからだ。
「サブちゃんが歌うまでは起きていたんだ。サブちゃんのバカ!」
と彼女は北島三郎に八つ当たりするのである(うろ覚えだが)。

マンガの単行本で読んだシーンだ。状況は手に通るように分かる。紅白の終盤の、子供にとって、聞きたくもない演歌の大御所の歌で寝ることに悔しがるまる子の気持ちがわかる。それが当たり前だ、と思っていた。だが、よく考えればこれは凄いことだ。

『ちびまる子ちゃん』の舞台は昭和50年前後、1970年代半ば。1936年生まれで現在77歳の北島三郎は、当時30代後半だ。その頃、すでに子供には共感できない、お年寄りのアイドル、紅白歌合戦の重鎮という位置を占めていたのだから。

1975年第26回の紅白について念の為に調べてみると、出場はすでに13回目を彼は誇っている。当時ですら、彼より出演回数が多い歌手はあまりいない。歌う順番も、最後から数えて3番目だ。

たとえば当時の北島と同年齢の今のSMAPが、当時の彼ほどの貫禄があるだろうか? いやいや、SMAPファンには申し訳ないが、どこか浮ついたところのあるSMAPのメンバーに比べると、格が違うように思うのだ(イメージだけか?)。

彼が帝王として、カリスマとして何十年もの間、芸能界に君臨できた理由は何なのか? 今年最後で紅白歌合戦を引退するというので、理由を探ってみた。


長い下積みと、快進撃

北島三郎は高卒後、流しのギター弾きをしていた。

「流し」というのは、音楽がラジオでしか楽しめなかった昔、居酒屋にギターを抱えて流行歌を歌っていた人々のことである。

その頃に偶然知り合った関係者から芸能界にスカウトされる。しかし、デビューまで8年かかった。長い下積みだ。

ただ、下積みから抜けだした後は早かった。26歳でデビューした彼は、「なみだ船」を皮切りに、「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」を立て続けにヒットさせ、押しも押されぬスターとなる。

芝居に歌を取り入れた舞台公演などで地方を巡業しながら、弟子を多数育成。「北島ファミリー」と呼ばれる集団を作り上げた。

東京都の八王子市には、総工費20億円をかけて、1500坪の大豪邸を建設している。出身地の函館には、北島三郎記念館も建設している。現代の大成功者なのだ。


飛び込んだのはニッチな分野

北島三郎がデビューしたのは1962年(昭和37年)。1956年(昭和31年)に経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言された6年後になる。ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥー」でデビューして世界中で大人気となった年でもあり、グループサウンズの草分けであるスパイダースは前年に結成されている。

つまり、北島三郎が飛び込んだ「演歌」というジャンルは、その頃すでに若者のものではなかった。同年代の都会の若者たちがグループサウンズやジャズなどに熱狂していたのに、地方出身の北島はその輪から外れていた。

これは、彼のライバルが少なかったことを意味する。

また、中高年層向けの演歌を歌うための人材は、本来ならば30代、40代の人々のはずだったが、この世代は戦争に駆りだされていたため、芸能界で修行するチャンスに恵まれなかった。

さらに上の世代になると、もう引退している。昔は年を取るのが早く、50を過ぎれば歯は抜け、腰も曲がっていた。栄養状態が悪かったせいだろう。

つまり、北島は人材の空白地帯にうまく滑りこんだということになる。

演歌を求める層は、中央のメディアからはあまり把握されておらず、相手にされてもいない人々だ。教養がそれほどなく、肉体労働に従事する人々が多い。彼らは活字メディアにうとく、レコード店でレコードを買わない人々だ。

ところが、彼らは娯楽に飢えている。地方に巡業に行けば、数年に一度の楽しみだ、喜んで大枚をはたく。レコードも巡業の会場でなら、応援のために何枚も買ってくれる。彼が主戦場としたそこには、競争相手の少ない、小規模ながら確実なマーケットがあった。だからこそ、大成功をおさめたのだ。
経営センスのある人は、むしろ斜陽産業を狙う。斜陽産業は超トップレベルの人材は少ないから、努力が報われやすい。相変わらず旧来のやり方にこだわる頭の堅い人が多いために、外からやってきた人間にこそチャンスがある。
上記の文章は、大手経営コンサルティング会社で働いていた作家が、ビジネスを行うべき分野について書いたものだ。

何の事はない。

北島三郎がやってきたことは、プロのコンサルタントが推奨する、成功の方程式を、知らず知らずのうちになぞったものだったというわけだ。


理想のエンターテイナー

……とはいうものの、彼はニッチな産業を狙うために、演歌界に飛び込んだのではなかろう。あくまで結果だ。彼は心底、歌うことや演歌が好きだと公言している。今回も、紅白からは引退するが、歌手を引退するわけではないと宣言しているのもその証拠だろう。

彼は運と才能だけではない。人知れず努力している。

北島三郎といえばパンチパーマ。髪型は一貫して変わっていない。トレードマークになっているとはいえ、飽きることもあるだろう。でも彼は、髪型を変えない。我慢もまた、努力だ。

誰もが「あの人だ」と分かる格好を、時代の流行とは無関係に貫いているのだから、ブランディング戦略として正しい。

北島三郎という名前も良かった。本名は大野穣だが、北海道出身ということでこの名前となったという。だが、たぶん「北里柴三郎」を大いに意識してつけられたのではないか。人口に膾炙した名前は、人々に覚えられやすい。実際、人々はすぐに彼の名前を覚えてしまった。

地方巡業では芝居形式の演歌ショーを行うことで有名だが、彼の軽妙なトークのせいもあって、大変面白いと評判である。明治座や博多座行われる公演チケットはとても取りにくい。

また、演歌とは異なる様々なジャンルの音楽を貪欲に取り入れることでも知られている。彼の大ヒット曲『与作』は、ジャズ・シンガーであるビル・ウィザースの"Ain't No Sunshine"が元ネタ。


北島は、それを演歌に完全に咀嚼してしまった。
 

好きでないと勤まらない。才能がないと認められない。そしてたまたま、有望な市場と供給者としての適性がピタリと合ったという点で、北島三郎は、大変運がいい男だった。そのうえ努力も怠らないからこそ、芸能界の帝王として君臨できたのだろう。


家庭を大切にする常識人

ただ、順風満帆というわけではない。これまで何度か危機にも陥っている。

一番大きな危機は、暴力団稲川会との交際が発覚した1986年の騒動だろうか。

昔からヤクザと芸能界は切っても切れない関係にある。昔は、どの地方にも地元に根付いたヤクザがいて、祭りやショーを仕切っていた。

それは洋の東西を問わず同じで、アメリカでもイタリアンマフィアがラスベガスなどの興業に深く関わっていたことはよく知られている。フランク・シナトラは特にマフィアと縁が深かった。

だから、北島三郎のことを「和製フランク・シナトラ」などと揶揄する声もある。無論、シナトラと芸風が似ているからではない。人気があり、ファミリーを作り、なおかつマフィア(ヤクザ)と仲がいいところがシナトラとそっくりだ、というわけだ。

そのような批判があったにも関わらず、引退にも追い込まれずにここまでこれたのは、彼の人柄による。

まず、彼は酒を飲まない。また、浮気をしない。

酒は下戸で、奈良漬けでも酔っ払うほどだという。

また、独立した際は、北島音楽事務所の社長に、妻を置いた。もしも浮気などしていたら、妻を事務所の社長になど怖くて置けないだろう。事務所には様々な情報が集まってくる。浮気相手から連絡が入らないとも限らない。

だから、事務所の社長を奥さんにしたというだけで、彼の身持ちの堅さがうかがえると思うのだが、いかがだろうか。実際のところ、北島三郎が愛人を作っていたとか、隠し子がいるとかいう話は一度たりとも聞いたことがない。

また、彼は若者を応援しよう、という精神にあふれている。以前DJ OZMAが女性に裸に見えるコスチュームを着せて問題になった時も、(台本で決められていたにせよ)その演出に怒りもせず、寛容な態度で通している。

たしかにヤクザとつきあいがあるという一点で、非常識な人間なのだが、それ以外は大変温厚な常識人なのだ。ここが、これまで大過なく芸能人生を歩んでこれた理由なのだろう。


今年、北島三郎が歌うのは、「まつり」だそうだ。
歌手生活の総決算は、いったいどのような舞台になるのだろう?

2013年12月24日火曜日

占い記事は結構いい加減

密教占星法
クリスマス・イブなので、少々スピリチュアルな話を。

時々雑誌の企画で、芸能人やスポーツ選手の能力や人気に五段階評価をつけるというものがある。あるいは雑誌の埋草に、星座や血液型同士の相性が書かれていることがある。

昔スポーツ選手をタイプ分けする企画に関わっていたことがあるのだけれども、案外、いい加減に作っているのをご存知だろうか。占いもまた然り。

たとえば血液型だと、それぞれ基本的な特徴というものがすでに決まっている。
A型・・・・・・まじめ
B型・・・・・・マイペース
O型・・・・・・おおざっぱ
AB型・・・・・・二重人格
基本系だけだと面白くない。そこからどうアレンジした文章を書けるかがライターの腕のみせどころ。

たとえばAB型の二重人格というのは要は誰もが持っている二面性を抽出したものに過ぎないので、そこから、
「AB型の女性は親友の前だと本音が話せるのに、つきあい程度の友達の前ではどうしても自分をガードしてしまいがち。でも、本音を見せないあなたを信用する人がいるでしょうか? せっかく、親友となれそうな友達を作るチャンスを、あなたの警戒心が今まで何度邪魔したことでしょう? 一度、自分を取りつくろおうとする気持ちを抑えて、心を開いてみてはいかがでしょうか?」
などと書く。

でも書いている本人自身の、
「本音が話せない相手は口が軽いとかいろいろ理由があるから話せないんだよね」
などという本音は書かない。

こんなことを以前知人に話すと、
「いろいろな占いの本で相性占いをしてみても、全部同じ結果になるんだよね。やっぱり、その裏にはしっかりした統計研究があるんじゃんないの?」
と言われたことがある。

その知人にはもう何年もつきあっている彼氏がいるのだが、その彼氏との相性診断が、占いではよくないんだそうだ。

でも、これにもタネがある。占いライターはそれなりに真面目なので、まったく想像で書いてはいけないという倫理観はある。たいていの企画には、すでに先行研究の書籍があり、それを参考にしながら記事を書く。参考にされるテキストは、すでに業界の中で定評のあるものとなる。

同じネタもとからひっぱってくるから、同じ結果になるだけなのだ。別に相性が統計によって定まっている訳ではない。

そもそも相性が悪い彼氏と何年もつきあえる訳がなく、しかも二人はうまくいっているのだから、それが一番の証明だと思うのだけれども、それだけでは満足できないのは本人の欲深さのせい。人間、なかなか飽きたらないものだ。

昔、占いのために統計的な調査が行われていたのは確かだ。たとえば日本では水野南北という占いの大家がいて、手相などの研究のために髪結い床(当時の理髪店)の見習いを3年、湯屋の三助業(当時の銭湯のマッサージ師のようなもの)を3年、火葬場の隠亡焼き(葬儀屋ですね)を3年続けて、何万人という人々の身体の特徴を観察し、研究したという。

似たようなことが中国やヨーロッパでも行われていただろう。また、アメリカ辺りでは様々な科学的な統計結果が占星術にも取り入れられているそうだ。

でも、数十年も経てば環境も大きく変わる。男性が強圧的に女性を支配していた時代には離婚出来なかったある性格の女性は、現代制度下では最も離婚し易い性格かもしれない。つまり、古い過去の事例を元にした統計は、現代人に当てはまらないことが多いということ。いわんや数千年前の統計結果においてをや。

よって、占いに振り回されるのはバカバカしい。

ただ、占いが好きであっても何ら問題無いと思う。実際私も、先日、預言カフェに行ったレポートも書いた。なにしろ、優れた占い師の直観的判断は凡人の判断能力をはるかに凌駕するケースが多いからね。

でも、のめり込むほどのものではない。

それでも占いにハマりたいなら、どうせならこんな本で研究スべきだ。阿含宗の桐山靖雄の『密教占星術』も、この辺りがネタ元かもね。

2013年12月23日月曜日

ウィルキンソンのジンジャエールは効く

ネットゲリラさんところでウィルキンソンのジンジャエールをかなり薦めている。最初の記事はこれだと思うけど、その後も思い出したようにこの商品を推している。

どんなもんだろうと思って買って飲んでみた。……確かにちがう。

圧倒的なカラさ

これよりもポピュラーな商品であるコカ・コーラ社の「カナダドライジンジャーエール」と比較すると、圧倒的にカラい。カラいといってもカレーライスやトウガラシのようなカラさではなくて、すりおろしたばかりの大根おろしとか、切ったばかりの生タマネギのようなカラさだ。

炭酸も幾分強めかもしれない。だから、喉にカーっとくる。それでいて甘いから、不思議な飲後感を得ることが出来る。

不勉強で知らなかったが、このウィルキンソンというブランドは純国産なのだそうだ。明治期に20歳で日本で一旗上げるために来日したジョン・クリフォード・ウィルキンソンが有馬で炭酸鉱泉を発見し、日本で炭酸飲料を発売し始めた。それがアサヒ飲料に買収され、歴史を今に刻んでいる。

ホットジンジャーも良かった

コカ・コーラ社から発売されたホットジンジャーも最近になって飲んでみたが、これも美味しかった。こちらはウィルキンソンよりも甘いのだが、炭酸が強め。その上温かいから、冷たいものよりも喉にカーっとくる。
風邪を引きそう……こういう時は喉の奥でウイルスや菌が繁殖している。ここにホットジンジャーを当てることで、殺菌効果が期待できるのではないか。事実、風邪の引き始めにこのホットジンジャーを飲んだせいで、数時間後には体調が良くなったことが今月何度もあった。

炭酸を温めても大丈夫なのか心配になったが、同じようなことを考えている人がいて、回答が書かれていた。

★ ホット炭酸 秋から発売スタート、炭酸飲料を温めると爆発しないの?
想像どおり、缶ごと急激に加熱すると内圧が急上昇するため、爆発する可能性もあるようです。しかし、加熱方法によっては炭酸を残したまま温めることが出来るそうで、コカコーラも今回の発売について
「カナダドライホットジンジャーエールは、コカ・コーラシステムが約4年の歳月をかけて開発したコカ・コーラ史上、世界初となるホット炭酸飲料です。」
とコメントしています。ホットジンジャエール、ホット芳醇アップル&ホップともに、再加熱はNGで 購入後すぐに飲んでもらうことを想定されています。
ちなみに、記事の中で商品名を「ホットジンジャエール」と記者が書いているのは間違い。コカ・コーラ社では「ジンジャーエール」、ウィルキンソンは「ジンジャエール」と使い分けをしているのでご注意。

なんにしても、再加熱はNGということは、コンビニなどの店頭で買うしかなさそう。これも美味しいので、見かけたら、是非飲んでみて欲しい。

2013年12月22日日曜日

赤ん坊の泣き声・夜泣きで困っている親のための、簡易防音の方法

子供の夜泣きに悩む親御さんにとって便利な商品の紹介をしようと思う。

赤ん坊が深夜に泣き始め、近所迷惑だと隣室や下の階の住人から怒鳴り込まれるという話を時々聞く。騒音問題は都市化が進んだ現代では深刻な話で、ご近所とのいさかいが社会問題になって久しい。

壁の厚い立派なマンションに住んでいれば、まだいい。問題は安普請の家に住む多くの人々だ。若くてまだ貧しい夫婦にとって、防音対策がしっかりした家賃の高い部屋を借りることは難しい。壁が薄い部屋では、赤ん坊の泣き声はよく漏れる。かといって、防音対策のために壁に防音シートを貼りつめるのは、大きな手間とお金がかかる。

そのための対策方法として、ピッタリのものを先日見つけた。ある程度安価で、簡便で、なおかつ子供の泣き声による周囲への迷惑をある程度防げるもの……それが、このだんぼっちである。

★ 簡易型の段ボール製防音室「だんぼっち」

まだモニターを集めている段階であり、本格的な販売は来年始めのようだ。本来は個室でのカラオケや「歌ってみた」のための小道具らしいけれども……これ、充分子供を中であやすのに使えるのではないか?

子供が泣き始めれば、この中に連れていけばいい。容積があるから、中で酸欠になることもないだろう。あやすために充分なスペースがあるから、親が一緒に中に入って、子供を寝かしつけてもいいだろう。

毒親が中に赤ん坊を放置してしまうようなことがあると大変怖いけれども、近所迷惑を軽減するためのツールとしては大変優れていると思う。

いつ販売停止になるか分からないアイテムなので(ニコ生から発生した商品だが、そこに集まる連中は何をやらかすか知れたものじゃない。たとえばくわえタバコでこのだんぼっちに入り大事故でも起こせば、すぐにこの商品は市場から回収されるだろう)、赤ん坊が出来そうな新婚夫婦は、商品が販売されたら、早めにこのアイテムをゲットするべきだと思う。

追記
商品が販売されたため、リンクを貼っておきます。

2013年12月21日土曜日

「餃子の王将」(王将フードサービス)の社長の大東隆行さんは、なぜ殺されたのか

大企業の社長が、12月19日午前、射殺されるという衝撃的な事件が起きた。その理由をネットを検索して調べてみたが、皆目理由が分からない。

怨恨を買うような人ではなかったらしい。威圧的で部下を頭ごなしに叱るというタイプではなく、元従業員が書いたという書き込み(無論、それが事実である確証はないが)をいくつか読んだが、この社長を嫌っているだとか、嫌だとか書いたものはほとんど見つからない(あればコメント欄で教えてください)。

「大阪王将」とのライバル関係という線も思い浮かんだが、さすがにそれはないだろう。

社長が在日だからとか書いた書き込みも多いが、それが事実だとして何だというのだろう。一生懸命に働いている隣人への暴言には腹が立つ。毎回のネトウヨの無責任な放言だろ。

この大東社長、毎朝6時前には出社して会社の鍵を開け、玄関などを掃除し、お昼にはトイレ掃除までするという謙虚な人柄だったそうだ。車も運転手をつけずに自分で運転して出勤していたという。大変立派な方だと思う。

会社自体がブラックだと指摘する人がいたのでその証拠となる動画も観た。この動画には新社長となる渡辺社長も映っている。

うーん、テレビに映っている限りでは、普通じゃないの? 私はブラック企業は大嫌いだが、これくらいの研修は許容範囲。テレビに映らないところでは、もっと厳しいのだろうが。

★ 餃子の王将 月135時間残業で「辞めたい」と言っても辞めさせない…「1日10時間以上は記録不可」の労務管理システム

こういう記事もあった。たしかにこれはひどい。ワタミと同じ臭いがする。ただ……殺されるほどではない。

そこで、こんな仮説を考えた。この社長自体に問題があるのではなく、単に著名人で行動パターンが読めてたから、選ばれたのではないか?

昨今、暴力団への締めつけがきつい。どこの暴力団も資金難にあえいでいる。その中でここ数日、北朝鮮系の人々が危機感を募らせているという。

御存知の通り、北朝鮮では外貨獲得のために覚醒剤などを製造して日本で売りさばいている。北朝鮮は正式に認めていないが、幾度も報道されているから、事実と言っていいだろう。

彼らは暴力団を通して覚醒剤を売りさばく。日本では、朝鮮系の人々が日本で仕事を得られずに、多数暴力団に加入している(組長になっている者も多い。「餃子の王将」の本社のある京都を根城にする「会津小鉄」の四台目組長の高山 登久太郎は在日韓国人だった)。

北朝鮮系の暴力団員は、日本で得た金銭を北朝鮮に送金している。覚醒剤の代金であったり、武器輸入のためだったり、北朝鮮での名誉を得るためであったり、本国の親戚に送金するものだったり、理由はいろいろだが。

ところが北朝鮮で、政変が先日あった。ここ数日、日本在住の自国人への監視や要求が厳しくなったという。ナンバー2の金庫番である張広沢を処刑したために、彼に連なる資金ルートが絶たれ、北朝鮮は苛立ちを募らせているそうだ。

そこで、忠誠心の証として、本国への送金額を増額せよ、というお達しがあったという噂がある。

北朝鮮系の暴力団員にとって手っ取り早い方法は、既存顧客をゆすることだ。暴力団への締めつけが厳しいために、新規顧客の開拓を急ぐのは困難だ。いつ収監されるか分からない。こんな大切な時にそれはまずい。

それよりも、すでにショバ代を払うことに合意している遵法意識が低い人々に、
「今よりもっとカネを出せ」
と命じる方が簡単だ。

ところが、それに「はいそうですか」と気軽には応じないだろう。そこで、誰か著名人を殺してみせることで、
「あそこはうちらに非協力的だったさかいなぁ。最近、世の中物騒でっせ」
「あの人もぎょうさん恨みかってましたからなぁ。わてらとつるんでいたら、わてらも守れたんやけどなぁ」
とでも言えば、ブルってみかじめ料の増額に応じる人は大勢いるだろう。

人を殺す場合、もっとも重要なのは殺し方ではなく、逃走経路だ。どうやって捕まらずに逃げるか? 誰にも見られないで済むか?

夜間は意外に人通りがある。人々の意識もはっきりしている。人々の行動パターンも読めない。

殺人を犯して逃げるならば、深夜から朝方にかけてがいい。だが、普通、殺してインパクトのあるような著名人は、この時刻に外出しないし、するとしてもイレギュラーだ。

ところが、「餃子の王将」社長の行動パターンは同じだった。毎朝、未明に出社している。数百億円の売上を誇る大企業の社長が、もっとも人目につかない時間帯に、毎日同じ時刻にその場所に1人でやってくるなんて、普通はあり得ない。

京都府警によれば、社長が殺されたのは午前5時40分ごろから遅くても6時までだという。京都の12月19日の日の出時刻は朝7時。夜明け前のもっとも暗い時刻で、この時間に殺せば、ほとんど誰にも気付かれずに逃げることが可能だろう。

それなら、本人に殺されるのに理由らしい理由はいらないだろう。いや、むしろ理由があれば、
「私はあいつとは違う」
と安心される。なぜ殺されるのか分からないような人が殺されるからこそ、
「俺だって殺されるかもしれない」
と誰もが恐怖する。理由が無いのが理由なのだ。

「我々に逆らうと、こうなるよ」
という見せしめのために選ばれた、スケープゴートなのかもしれない。

2013年12月20日金曜日

ミス・インターナショナルの女性が脅迫されていると世間に訴えている

ミス・インターナショナルでグランプリを勝ち取った女性が、大手芸能事務所の代表から脅迫を受けたことを告白したのに、日本の大手マスコミが報道を自粛している、という。
その陰には、二人の男の暗闘があった。

一人目は、吉松育美をミス・インターナショナルに育て上げたマット・テイラ(Matt Taylor)ーという人物。核兵器廃絶を訴えるGNDF(GLOBAL NUCLEAR DISARMAMENT FUND)という団体の代表を勤めている。彼に以前入れ込んでいたのが、元アナウンサーである故・川田亜子。

川田氏はスポンサーを探していたテイラー氏を、大手芸能事務所であるケイダッシュ(渡辺謙が所属している)の敏腕マネージャーである谷口元一に紹介する。谷口氏が、二人目の男だ。

谷口氏は、「核兵器処分のシーンを撮影させてくれるなら」という条件で1,000万円をテイラー氏に貸与。ところがGNDFという団体は(ホームページすらない!)、ロシアでの核兵器の処分などは一切行わなかった。谷口氏はハメられたといえる。

谷口氏は、紹介者である川田亜子を連日のように責め立てたという。川田氏が練炭自殺したのは、それに耐え切れなかったせいだ、とのもっぱらな噂だ。

両者の間で裁判となった結果、テイラー氏が敗訴。谷口氏へカネを返せという判決が出た。

★ 川田亜子アナ関連裁判 事務所幹部側が“最後の恋人”に勝訴
 判決文によると、川田アナはテイラー氏の核兵器解体事業に共鳴し、A氏に紹介。その後、テイラー氏はロシアの核兵器解体現場を撮影させると約束し、A氏から1000万円を受け取った。ところが、テイラー氏がまったく約束を果たさなかったことから、トラブルに発展した。仲介した川田さんは、両者の狭間に立たされ、苦悩していたことが容易に想像される。
 結局、一審判決はA氏側の主張を認め、テイラー氏に1100万円の支払いを命じたのである。
借金に関して、テイラーという男が谷口氏から1000万円を借りて返さなかったことが裁判で認められ、双方が事実認定しているのだから疑う余地はない。

ところがテイラーはカネを返さずに逃げまわっていた。トレイナーとして、吉松育美という女性にミス・インターナショナルのグランプリを取らせたのだから、アングロ・サクソン系の何らかのコネクションを持っているのだろう。多分、国際的芸能ゴロなのだろうと思う。

芸能ゴロ同士、お互いに意地の張り合いとなったのだろうね。

谷口氏は、ミス・インターナショナルの吉松氏に、テイラー氏から離れて自分の事務所(傘下のパールダッシュか)に所属するように説得を始める。この谷口氏、お気に入りの女性を自分の"女"とすることで有名だそうだ。

★ “バーニング系”紛糾! テレビ局・スポーツ紙は谷口元一氏のどんな横暴を放置してきたのか
 筆者が初めて谷口氏の名前を耳にしたのは、“ハマの大魔神”といわれた佐々木主浩投手と結婚した、元タレント・榎本加奈子のマネジメントを担当していた時だ。当時、谷口氏は商品である榎本と“半同棲”をしていた。いわゆる、「商品であるタレントには手をつけない」という業界タブーを破っていたのだ。
谷口氏は面長の女性がお好みらしい。なるほど、吉松氏に執着するのもうなずける。

ところが、それにしたがわない吉松氏が世間に相手の非を訴えたことで、騒動が明るみに出た。

クソのような人々が次々に現れるので食傷気味になる。女性に脅迫をおこなった谷口、金を借りて返さないテイラー。ストーカーと詐欺師は信用してはならない。特に、金があるのに、払わずに逃げ回る人間はね(昨今では家入一真とかあの連中も)。

ミスコンテストの現場というのは、きれいごとだけでは済まないもので、人身売買とは言わないものの、金を持った経済界の男どもと美人の女性を引き合わせるための、出会い業にやや近い。

彼女たちは、ミス・コンテストに出て、水着を着て一日だけ審査されるだけの存在ではない。むしろ、メインはその前後にある。

その前の一年間は、候補者として各地域で主催される様々なパーティーやセミナーで会場の華として場を盛り上げる。大会後は様々な肩書き(ミス・インターナショナル審査員特別賞受賞者とかね)をもとに、再び様々な場の華となり、大物たちと顔をつなぐ。そういうパーティーに私も何度か出たことがあるが、カネのある人間に主催者が挨拶をさせ、顔を売る作業を見ているのはあまりいい気分がしない。

ただ、
「どうせ枕営業とかやっているんだろ?」
というのはゲスの勘繰りというもの。彼女たちのような人種は、カッコイイ男だとか、遊び上手な男の周りに普段は群がっているもので、勉強ばかり、あるいは仕事ばかりしていたような人間の日常生活では縁のない存在だ。

そんな女性たちが来てくれるだけで、パーティーは盛り上がる。政財界の重鎮が集まるような年齢層の高めのパーティーでは、いるだけで喜ばれるのだ。

彼女たちはコンテストの過程で徹底的にプロフィールを調べ上げられるので、身元がはっきりしている。教養があって身元がしっかりしているマナーの行き届いた美人たちは、各界で活躍する一流どころの人々に好意をもって受け入れられる。そのうち、誰かと結婚したり、コネで一流企業に就職したりしていく。

もっとも、「男性のための美女」という存在は、芸能界ではあまり人気が出ない。元ミス日本の藤原紀香は例外で、ミス・インターナショナルやミス・ユニバースの日本代表、ミス日本の出身で芸能界に進出した人は多いものの、ほとんど大成しない。モデル出身の女優などの方が、まだ人気が出る。芸能界への登竜門としては、それほどいいものではないだろう。

この吉松氏、谷口という半グレのような人物にケンカを売った勇気には拍手をしたいけれども、これからどうするつもりだろう。こうなった以上、日本の芸能界では生きていけないだろうし。それに、テイラー氏という爆弾を抱え込んだままで、本当に戦っていけるのだろうか。他人事ながら心配になる。

2013年12月19日木曜日

大きく変化するためにこそ、小さくしか変化してはならない

ある友人から「ポジティブな逸脱」という概念を教えてもらった。皆さんは、ご存知だろうか?

★ ポジティブな逸脱がもたらすパワー
  • 「ポジティブな逸脱者」とは、社会規範に例外をもたらす人間を指す 
  • 問題を抱えているコミュニティーは自分達のポジティブな逸脱者(自主的に問題を回避したことのある人間で、解決策のヒントを持っている人)を見つけなければならない
  • 貧しいベトナムの村で健康な子どもを持つ、ポジティブな逸脱を実践している家族からの情報により、何千人もの子どもを栄養失調から救うことが出来た
面白いと思った。長期的均衡を保っている悲惨な環境の中に潜む、改善の糸口となる「逸脱」を発見し、それを周囲へと広げていくという作業。これは、環境を一気に変えるという逆転指向ではなく、少しの改善による複利効果をねらったものと言える。

昨日取り上げた「「綺麗ごと」を真に受けるな!」という記事を書いた筆者なら、このような最小限の改革についても批判をするのではないか。
 「1%のことを変えるだけで成功する」
→ ほんの小さなコツだけで成功してしまうというキャッチフレーズ。「ザ・射幸心」と呼んでもいい「キラキラワード」です。現在のポテンシャルが「100」だとして、 毎日たった1%ずつでも成長していけば、1年後にはそのポテンシャルが「3,778」になるという話が多いので、「騙された!」と思う方も多いでしょう。
だが、私は思うのだ。
「大きく変化するためにこそ、小さくしか変化してはならない」
というのは、汎用性のある考え方ではないだろうか?

小さな変化だから長続きする

先日、ブロガーが多数集まる東京ミートアップに参加してきた時に聞いたうろ覚えの話だが、ある食べ物についての記事を5年近くひたすら書き続けた人がいた。

アクセスも最初はほとんどなかったのに、ここ数年のブームでアクセス数が爆発。ついにはブログだけでも生活できるレベルで稼げるようになったらしい。

似たような話を聞いた覚えがある。

数ヶ月前に、株で儲けた友人の話。大儲けをするよりも、株式の売買の場から退場をくらわないように、ひたすら堅実な売り買いをここ数年努めていたところ、先日のアベノミクスにより株価が爆上げして、大幅な利益を今年は得た、という。

2つ目の話を聞いて、さもあらんと思った。勝とうとするよりも負けないようにしようとすることで、大勝はしなくとも退場しない方法を身につけることができたのだろう。その方法を見つけるまでが難しい。

だが、もしもその方法が身についたならば、コツコツと投資を続け、たとえば10年に一度は起こる株式市場の活況によって、大儲けすることはさほど難しいことはない。

長期的に大きく変わろうと思うのならば、息切れしないようにしなくてはならない。また、退歩しないようにしなくてはならない。ほんの少しずつ、必ず成長し続けることができたならば、必ずどこかで、大ブレイクを果たす。

大きく変化するためにこそ、日々の生活では息切れしないことが必要だ。また、小さな変化ならば、リバウンドを体験しなくてもいい。今を大きく変えようとすると、後で大きな反動が来る。周囲からの抵抗も大きいだろう。少しずつ進むならば、自分も周囲も、変化を自然に受け入れることが出来るのだ。

ビギナーズラック

このようなことを考えたのは、数日前。それから、不思議なことが起きた。

突然私のブログのPV(ページビュー。このサイトを閲覧している数)が、爆発的に増えたのだ。
きっかけは、胎児が子宮内で亡くなってしまい、石灰化して無害化した「石児」が再び現れ、話題になったことが原因だった。

★ 【コロンビア】妊娠40年目…82歳女性の体内に石化した赤ちゃん見つかる。「石児」という非常に稀な症例
実はこんな記事を書いたことを覚えていなかった。話題になるとは知らず、文章の校正もメチャクチャだったから、後にこの現象に気がついて冷や汗をかき、それからすぐに、いくつかの部分を修正した。

その後もあれよという間にPVが増え、念願だった10,000PV/日も突破した。これには驚いた。

今まで月に45,000PVくらいだったけれども、このままの調子が続けば、今月は月間100,000PVに届く可能性すらある。お陰で、このところGoogle AdSenseでも収入がうなぎのぼりだ。

こういうのも、「ビギナーズラック」というのだろうか。

正しい道へと進む人間を宇宙は全力で応援する

私はこの言葉を、『アルケミスト』のあるシーンを思い出しながら書いている。

 『アルケミスト』では、王・メルキゼデクが、少年に旅するよう促すというシーンがある。その言にしたがって羊を売ろうとしたところ、予想外にトントン拍子に事が進む。その理由をメルキゼデクは、正しい道へ進もうとした人を、宇宙が必ず応援するのだと説明する。

初心者にはその手のことがよく起こる、とメルキゼデクは言うが、これが、今回私が挙げた「ビギナーズラック」だ。

ポジティブな逸脱……決して一発逆転を狙うのではなく、絶え間ざるミニマムな改善をしていくことに共感した直後に、それを応援するような大幅なPVアップがあった。この方向は間違っていないよと、何かが応援してくれているのかもしれない。



……なんてね。


※写真:http://www.pakutaso.com/より

2013年12月18日水曜日

自己啓発にも周期がある

『綺麗ごと』を真に受けるな!」という記事が話題になっていたので読む。
小さな労力で大きな成果を手に入れたい、楽してお金儲けしたいという「射幸心」を煽るコピーが多すぎて、人を迷わせます。
と指摘し、泥臭く、ガツガツと目標達成のために努力をしていけと読者を叱咤する内容だ。 筆者である横山氏が指摘する「綺麗ごと」とは、
  • 「無理しないほうがいい」
  •  「頑張らなくてもうまくいく」
  • 「楽しいと思える仕事を見つけろ」
  • 「心の底からやりたいと思えることだけやればいい」
  • 「1%のことを変えるだけで成功する」
などで、それぞれに筆者から「そんな甘いことを言っていては成功しないよ」というツッコミが入っている。

Facebookのコメントなどを読むと、筆者の指摘に目からウロコが落ちた思いになった人々が、多いらしい。

自己啓発にも周期がある

最近、この手の自己啓発的なものにも周期があることが分かってきた。
①考え方を変えることで、超自然的な何かが、あなたを手助けしてくれる(宗教的)
 ↓
②非科学的なことはウソっぽい。それよりも心理学などを応用した成功法則だ!(科学的)
 ↓
③宗教だとか科学だとか大げさ。ほんの少しの改善でいいんじゃないの?(日常的)
 ↓
④甘いことを言うな。歯を食いしばって頑張れ。努力は実る(スパルタ的)
 ↓
⑤やっぱり世の中カネだろ。努力するよりもオレのやり方をマネてカネ稼げよ(即物的)
 ↓
①'いろいろやって頑張って努力しても、うまくいかないよね。でも大丈夫。
考え方を変えることで……(以下ループ)
上記の記事は、④に当たるのだろう。

努力しないとうまくいかないが、努力したからといってうまくいくものでもない。逆に努力しなくても運だけでうまくいく人もいる。ある人にとってはうまくいった方法が、他人にはうまくいかない場合もある。世の中の不条理に悩み、誰もが模索する。

だから、このようなライフハック系の記事はいつの世の中でも需要があるし、一冊の決定版が出ることによって、他の本は一切不要となる、ということもないのだ。

ブームになる本が時代をつくる

こうして、ある本……①『ザ・シークレット』だとか、


②『スタンフォードの自分を変える教室』だとか、


③『キッパリ!―たった5分間で自分を変える方法』だとか、

④上記記事だとか、⑤『金持ち父さん貧乏父さん』だとか

がブームになり、一時期似たような本が本屋の一角を占めるが、やがて次のブームに移っていく。

私は、だからどれも信用出来ない、とは思わない。どれがその人に役立つか分からないので、取り敢えず、やってみればいいんじゃないの? と思う。

①辺りを拒否する人が多いと思うけれども、不幸のどん底にいて誰も助けてくれないという閉塞感の中にいる人にとって、"神の存在"や"死後の幸福"のお陰で、はじめて希望を持てるということは十分考えられるし、それによって大転換を迎え、人生が好転していくような事例は、世の中にはたくさんある。

ただ、自分に合わない方法を選んで信仰のレベルにまでいくと、どれか一つを信頼しきったまま時間がダラダラとたってしまう、ということにもなりかねない。

『綺麗ごと』を真に受けるな!」という記事を読んで、
「ここにこそ真実が書いている」
なんてことを考えずに、、
「これもまた、一つの方法ではあるよね」
と思って、悠然と構えていればいいと思うのだ。

2013年12月17日火曜日

浜崎あゆみがアメリカ人の医学生と婚約したそうだ

誰もが知っている歌手の浜崎あゆみが、アメリカ人の医学部生と婚約したそうで、そろって黒づくめの衣装で成田空港に到着した。

医学部生はどうでもいいんだけど、浜崎あゆみにはなんというか、落ち目の芸能人の悲哀のようなものを感じるな。

今ではCDは売れて2万枚だという。かつてミリオンセラーを連発していた頃とは随分異なる。恋愛ネタでしか噂にならないのは、彼女にとっては屈辱ではないだろうか。

無論、ファンにとっては変わらず、あゆはあゆ、なのだろう。私の好きな松田聖子もCDの売上は随分落ちているが、CD販売不振は彼女自身の価値下落と直結しない。それは分かっている。

それにしてもだ。サングラスをする理由は、普通、顔バレしたくないとか日差しが暑いとかのはず、今回の場合はどちらも不要だろう。カメラのフラッシュが眩しいから、というのが一番ありそうな理由だが、今回の写真撮影は事務所側からメディアに情報提供があったと見るべきだから、浜崎も芸能人らしく写真を撮らせてやればいいのに、と思う。

それをしないのは、サングラスをつけて空港を黒っぽい服で歩くこと自体が、浜崎あゆみにとってのスタイルとなっているからではないか。そこに陳腐さを感じる。この景色は何度目だろう? とデジャ・ブに目眩がしそうだ。

彼女も大変だ。いろいろな男性と浮名を流してはいるものの、どれもしっくり来ずに別れる。それなりのステイタスの男性をゲットしなくてはいけない、という焦りがあるのだろうけれども「アメリカ人医学部生」というのも手垢がついた物件で、イマイチ感が拭えない。

長瀬智也とつきあっている時が一番良かったと、私も思ったし、まとめサイトを見ていると世間もそう考えているらしい。長瀬と別れたのは浜崎のワガママのせいだという。彼女の普段の言動から想像するに、
「私のような素晴らしい女性とつきあえているのだから、ありがたいと思いなさい」
とでもいうような態度で接していたんじゃなかろうか。

もちろん、彼女クラスの芸能人なのだから、そりゃ、最大限のワガママは許されるだろうと思う。世間ではね。

でも、それは相対評価であって、男女間は絶対評価だ。社会的地位だとか世間的評価だとかは、長いつきあいになるとほとんど無関係だろう。

たとえば許容度が1から10まである人にとって、浜崎あゆみとつきあえるならば物差しの目盛りが100まで上がるのか、と言えばそんなことはない。今までつきあった中で最高の美人が10ならば、浜崎あゆみもまた、10なのだ。ここ、男女ともに勘違いする人が多いところなので、注意が必要だろう。

人間、ウチとソトとは態度が異なる。ソトでは多少なりとも仮面をかぶり、立場をわきまえて行動するもの。ウチでは仮面を脱ぎ捨て、素の自分で行動したいと願うもの。それなのに、ソトの世間的な相対評価を基準に、ウチでワガママを言われたら、さすがの長瀬でも嫌気がさすだろう。

浜崎は自分レベルの人間なら思う通りにふるまえる、と思っているのかもしれない。たしかにその価値はある。世間的に羽。でも、恋愛は絶対評価なんだよ。男にとっては目の前の女が気にいるかどうかが問題であって、彼女が社会的にどういう立場なのかを考えることはない。

立場によって演技するのはソトの世界。ウチは仮面を脱ぎ捨てる場所だよ。そこでも自分の思う通りにならないと気が済まない人間は、まあ、世の中には多いよな。

そもそも女性はワガママなものだ。それでも普通は、経済的な問題だとか社会的な立場だとかで足かせがついて、ワガママを完遂できないものだけれども、これくらいお金があって自由に生きることができる女性になると、制限がない。男性タレントと異なり女性タレントの浮気は致命傷になるから、既婚者にとっては「離婚」という形でしか別の男性へ乗り換えられないのは、可哀想だと思う。だが、それが彼女の選んだ道だ。

こんな感じだと、たぶん、子供が出来たら浜崎は別れることになるんじゃないか。

……と、浜崎のことを実際には何も知らないのに書いてみた。多分いろいろと間違えているのだろうが、取り敢えずおめでとうございます。

2013年12月16日月曜日

たくさんの人と会って、メモ帳は必要だと思った

12月は忘年会シーズンなので会社や仲間との飲み会が多い。それにくわえて、Web系のいろいろなイベントも開催されている。

そういう訳で先週は合計4つのイベントに参加、とにかくしゃべった、しゃべった。

楽しい時間を過ごすことができたのだが、ただ、あまりに多くの人としゃべったために誰と何を話したのかうろ覚えになりそうで、それが少し、もったいない。

ブロガーのミートアップに関しては、先日このブログで報告したけれども、ああいった形でブログに記録に残しておかないと、ただ、
「参加してきました」
という記憶だけが残り、曖昧な過去となって意味がなくなる。

友人との忘年会自体は楽しむことが主目的だからそれで全然構わないのだが、他のイベントに関してはせっかく身銭を切って時間を使ったのだから、もったいない。

ただ、思ったのが、携帯やスマフォにメモするのはあまりよろしくないということ。数人で会話している時に、聞いた話をメモしていても、他人から見たら、
(この人、俺達と話しながら別の誰かにメールでも送っているのではないか?)
と思われてしまう。実際そういう人が他にいて、メモしているのかメールしているのかわからなかったし。

Web系のイベントではそれで怒るような人は誰もいないから問題なかったけれども、今後別の催しに参加する場合は、気分を害する人も出てくるだろう。

普段スマフォを使い慣れていると、それが当たり前になって、
「怒る人がいるかもしれない」
ということに思い至らなくなることがあるので、要注意だ。

そこで、やっぱりメモ帳が必要だと思ったね。

人の話を聞く時は、ペンとメモ帳。ちょいとアナログだけれども、シンプルイズベスト。メモを取りながら話を聞いている人に会うと、
(この人熱心に話を聞いてくれているな)
と思う。まあ、外部に漏らしたくない話だとメも取られたら逆に嫌だけれども(そういう場合はめったにないが)、その時にはメモする前に一言、
「面白い話なのでメモ取りながらお話をうかがっていいでしょうか?」
と断ってもらえれば、ほぼ問題は解消される。

先日友人からメモ帳をもらったので、これを来年一年は有効活用しようと心に誓った。まだ未購入の方は、ぜひお近くの本屋でお探しいただきたい。

ちなみに、これが私が今まで使って一番良かったメモ帳。モレスキンの無地ノートだ。ハードカバーなので、頑丈。それが雑にカバンにノートを放り込む私のような人間には有りがたかった。

スケジュールはスマフォに入力するので、スケジュール帳はなくてもいい。単純にメモとしてのみ使えるこのノートが、私にとっては使い勝手がよかった。

もっともそれぞれのお好みなので、一番いいのは近くの文房具屋で見比べることだね。

2013年12月15日日曜日

生活保護を受けながらライブに通っていた中年女性が叩かれている件について

生活保護を受けている人々への視線が厳しくなったのは、間違いなく吉本興業の芸人が親に脱法受給をさせていた件が発端だ。番組に親を出して孝行話で儲け高給を得ていたのに、親に仕送りしないのはおかしくないか? とみなが思った。

その上キングコングの梶原の親は大阪府内の超高級マンションに住みながら生活保護を受けていたことも発覚(生活保護費受給のために、祖母から孫へ遺産相続させて、当人は所有しないといううまい方法だ)したから、
「生活保護を受ける前にやることあるだろ?」
と誰もが思ったのは当然と言えば当然だった。私も当時はブログで愚痴めいた批判を何度か繰り返した。

この余波がまだ続き、結果、先日の国会で生活保護法改正案と生活困窮者自立支援法案の二案が可決された。

その件について取材したダイヤモンドオンラインの記事が、波紋を呼んでいるようだ。
★ 「リアル」を知らない政治家に動かされてよいのか? 食費1ヵ月3600円の当事者が語る「生活保護リアル」

リアルを知らないのはお前だろ? とむかつきながら私は読みすすめた。

取材ライターの不誠実・鈍感・無知

――当事者感覚がないのは、当事者でない以上は仕方ないのではないかとも思います。ただ、想像を及ぼす努力を続けるのとそうではないのでは、想像は想像でしかないとしても、全く異なると思いますが。

「今の日本の政治家は、人間としてアウトだと思います。冷酷で。でも、『生活保護バッシング、生活保護改悪で、自分たちの知名度を上げようとしているのかな?』とも思います」
生活保護受給者が叩かれるのは、取材するライターが肝心なことを隠蔽しようとする不誠実さと、鈍感力、無知のせいだといつも思う。

まずは不誠実について。

たとえばこの記事では、取材対象が月にいくら受給しているのかを最後まで書かない。たぶん書けば、それ以下で生活している人々から批判を受けること必至だからだろう。

ライターもダイヤモンド社から、
「生活保護受給者を擁護するような記事を書いてよ」
と言われて書いているのだろう。取材対象に不利な事は書かないのはしょうがない。でも、事実を隠蔽して同情をかおうとしても、感度の強い人は騙せないし、事実2ちゃんなどではフルボッコだ。

★ http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1782464.html

それに、この取材対象の女性、現在は家計簿をつけていないという。
5年前に、家計簿をつけはじめました。職場のストレスから買い物依存症みたいになって、自己破産したんです。それから、常に家計簿をつけて、月に何回も家計費を見直す習慣がつきました。今は、ある程度は、家計簿をつけなくても見通しがつくようになっています。
バカかと。見通しがついても家計簿はつけるんだよ。私も10年近く、つけている。財務諸表のない企業を誰が信用するだろうか?

全員がつけろとは言わないけれども、自己破産したり生活保護を受けたりしたならば、一生記帳しろと言いたい。

どうせ隠蔽するならここを隠蔽すればいいのに、このライターも感度が鈍い。

自分と違うから、共感できない

ライターの略歴を読む。
1990年、東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了後、電機メーカで半導体デバイスの研究・開発に10年間従事。在職中より執筆活動を開始、2000年より著述業に専念。主な守備範囲はコンピュータ全般。2004年、運動障害が発生(2007年に障害認定)したことから、社会保障・社会福祉に問題意識を向けはじめた。現在は電動車椅子を使用。
障害者という弱者の視点から、最底辺の人々を取材している方のようだ。立派だと思う。だが、それまでの恵まれた来歴が災いしてか、最初から底辺で喘ぎつづけている人々へは共感しない。

取材対象のような「元公務員だったのに鬱病で辞めてしまった」女性などには共感しているのにね。恵まれた環境から地獄へと叩き落とされた、似た立場の人だからだろう。

でもね、世の中には社会人になってからこれまでずっと、朝から深夜まで働き詰めで薄給に喘ぐ人々がいくらでもいる。これまで一度もライブなぞに行ったこともなく、映画にすら数年前に一度行ったきりという人もわんさかいる。

リアルを知らないのはどちらだ

この前、広島県だったかな。朝から晩まで牡蠣を殻剥きする生活に耐えられなくなって同僚を刺殺した中国人男性がいただろう。彼らの仕事は重労働で、慢性的な人手不足だ。仕事がないと言うけれども、この手の住み込みの農作業などの仕事はいつでも募集しているじゃないか。

私も重労働にいくつか従事していたから分かるけれども、つらいもんだよ。仕事はきついし朝は早く夜は遅くまで働く日々だ。

元シャブ中の奴とか元チーマーだとかの同僚は、風俗とスロットの話しかしない。週一の休みにはぐったりしてDVDを観る気力もなかった。

あれほどひどくないにしても、遅くまで薄給で働いて、それでも歯を食いしばって生活保護を受けずに頑張っている人々は大勢いる。

「働かないのに、どうして、自分よりも豊かで、時間的に余裕がある生活を送れるの?」
不条理に愚痴りたくなるのは当然だ。生活保護を批判的しているのは、こういう人々だよ。
http://www.pakutaso.com/より。写真はあくまでイメージです。
ライターは彼らには共感しない、出来ない。彼女がその種の人々にこれまでの人生で接してこなかったからだろうし、彼らに今接しても、
「それはあなたの自己責任でしょ?」
と切り捨てるのではないか? その証拠に、生活保護受給者への批判を重ねる人々も「ネットの向こう側の人」と切り捨てているじゃないか。

だいたい、生活に余裕がある人は生活保護受給者をかわいそうだと思うことはあっても叩きたいとは思わないね。叩くのは、自身も余裕のない人々がほとんどだ。

今までは底辺の人々の声をひろうメディアがなかった。今ではネットで愚痴り放題だ。素晴らしいよね。

生活保護受給者と重労働者のギャップ

本来生活保護を受給しなくてはならない人々をすくい取ることができていないという運用上の問題点。

生活保護を受けている人々を暴力団などが資金源にしているのに、それを見過ごす行政の怠慢。

労働基準法がザル法なので、生活保護受給者以下の「健康で文化的な最低限の生活」しか送れない大勢の人々がいるという現実。

問題が山積みで、その結果、昨今の生活保護受給者に対して世間の目が厳しくなっているという現状がある。でも、その中で一番の問題は、労働基準法違反の企業が蔓延していることだろう。

そこをまず改善しないままだと、不条理に怨嗟の声をあげる人々は増え続ける。一番母体数の多い底辺層がそこで放置されているからだ。

ヘイトスピーチに熱狂する若者だとか、生活保護受給者を批判する人々だとかが、今後も増え続けるのは間違いない。

でも、企業から広告料をもらって活動している新聞や雑誌などのメディアが、労働基準法の厳格な適用を訴えるキャンペーンをはることは、経営環境の厳しい現在では難しいのではないかな。

でも、これをすれば少しは新聞や雑誌などに読者も戻ると思うんだけどね。

2013年12月13日金曜日

音楽業界の衰退は、中産階級の没落と共に

CDや雑誌が売れない理由は、IT技術の進歩のせいだと言われている。

たしかにそれは一面の真理だろう。いつでもどこでもネットにつながるようになり、スマフォをいじるのにみんな夢中で、雑誌を読んだり音楽を聴いたりする時間が奪われた。おまけに、ネットで音楽を不正ダウンロードする人も多いに違いない。そりゃ、CD売れないよ。

……と思っていたが、楽曲の不法ダウンロードを厳しく取り締まるようになったにも関わらず、CDの販売高が戻らないという報道を数ヶ月前に読んで以来、考え方が少し変わった。


他に原因はないのだろうか? と思っていたところ、たまたま読んだ本にこう書かれていた。
小説ははなはだ不思議な出現で、貴族生活の糜爛の中に中流階級の清冽な泉が噴きだした時、あたかも地底に埋没した人の声の如くに響きいでたのである。
18世紀末のイギリスの文学の突然の勃興について述べた、イポリット・テーヌの『英国文学史』の中の一節だ。

つまり。

小説のようなコンテンツ産業が隆盛を誇ったのは、中産階級という小金持ちが西欧諸国で増えたから。だから、この階級が没落していけば、コンテンツ産業の元気がなくなるのは当然。小説と同様、CDもまた中産階級が多く消費する。この層の購買能力が下がったことは昨今の格差社会の進展によって明らか。

コンテンツ産業が栄えた理由が中産階級が発達したことならば、中産階級が次々に没落していることのほうが、CD売上激減の酒販としては正しいのじゃないの?

学生時代を思い出す。CDを浴びるように聴いている層というのは、(偏見だけれども)クラスの中のヤンキーだとかちょっと遊んでる連中だとかが多かった。偏見ですが。

でも、CDを買っていたのは間違いなく彼らだ。言わば中産階級の底辺層。そこに金が回らなくなったのは音楽業界にとって、大きな痛手だろう。

「不況のせいで嗜好品に回すカネがない」
といった一時的な現象ではなくて、もっと大きな歴史的転換点に私達は立ち会っているのかもしれない。

IT技術の発展と格差社会の進展。この二つが、様々なものを大きく変えようとしている。

2013年12月11日水曜日

著作権について

昨日に引き続いて、著作権の話。

昨日の記事を書くに当たり、いろいろな記事をネットで探していたところ、著作権と所有権の違いを表す有力な判例があることを初めて知った。この事件を「顔真卿自書建中告身帖事件」という。

「顔真卿自書建中告身帖事件」とは

顔真卿とは、大変有名な書家の大家だ。力強い楷書に、その特徴がよく現れている。
708年から785年、唐代に活躍した。この真蹟を現在所有する博物館が、昭和58年、真蹟を利用した出版物の差止請求をしたという事件である。

結論を言えば、博物館の主張は認められなかった。著作権は切れているし、真蹟の所有権を持っているからといって、知的財産権まで所有しているわけではないと最高裁で判決が下ったのだ。

この判例、もう少し知っている人がいてもいいと思う。寺院や博物館によっては、作品を所有しているのだから、作品を印刷したものにまで口を出す権利があると勘違いしている人が多い。それは実は間違っているということを示しているのだから。

この手の権利は、保護は必要だけれども、保護によって既得権益が守られ、新参者を排除することにつながる可能性がある。時代が下れば下るほど、既存のアイデア以外のものを生み出すことは難しくなる。

だから、著作権をあまり強固に守りすぎることには、私は反対だ。資料の引用や検証、紹介が簡単に出来ないと、やがて何も言えなくなってしまう。結局言論の自由の封殺につながってしまうではないか。

ディズニー社は著作権保護にうるさい

ディズニーは、著作権保護にとてもうるさい企業として有名だ。たとえば、下記のような丸と楕円形の組み合わせ。

それに色を塗ると、ミッキーマウスのように見えなくもない。
そして、ディズニーランドの著作権や商標権の管理は大変厳しく、この程度の図形ですら文句を言ってくる、という都市伝説がある。さすがにそれはないと思うけれども、このブログにミッキーマウスの写真を使おうとは思えない。

ディズニー社の厳格な権利管理は、それはそれで見事な戦略だろう。でも、もしも日本の出版社が、ディズニー社ほど著作権や商標権にうるさかったら、日本でこれほどアニメやマンガが活況を呈することはなかったと思うのだ。アメリカでディズニー作品の二次創作が自由に出来れば、日本のアニメがアメリカでそれほど浸透することはなかっただろう。

著作権保護は難しい

私もこのブログで、写真を転載している。方針として、無料素材として利用できる写真を利用し、それ以外を利用する時は、出来る限り引用元のホームページを調べてURLのリンクを貼って、引用であることを知らせるようにしている(どこが引用元なのかわからないくらい様々なHPに転載された写真はこの限りではない)。

また、文章を引用する場合は、元の文章の引用を3分の1以下に抑え、記事自体の文章の中で引用箇所を3分の1以下にするように出来る限り努力している(時にそれを忘れることもあるが……)。

出来る限り著作権の侵害にならないようにしているが、随分窮屈だ。これで本当に正しいのかも、確証がもてないので時に不安になる。こういうルールこそ、法律で定め、学校で教えてくれればありがたいのだが。

2013年12月10日火曜日

女子芸大生のパクリ疑惑と出版社の作戦

最近、昆虫の交尾を描いた作品が「パクリ」ではないか、とネットを揺るがす話題になっている。

★ 話題沸騰中の新発売された女子藝大生が描いた「昆虫交尾図鑑」の絵が写真のトレース疑惑ッ! 炎上へ…

上記サイトの検証画像を見れば、どう考えても参考サイト写真を模写したものだろう。しかし出版社は強気で、下記のような釈明文を発表している。

★ 「昆虫交尾図鑑」について
 弊社書籍は、著者がさまざまな昆虫の交尾の姿態をイラストで描き、それにコメントを付してまとめたものです。
 これに対し、一部読者の方から、弊社書籍中のイラスト(本件イラスト)が他者の撮影した昆虫の写真についての著作権を侵害するものではないかとのお問い合わせをいただきました。
 しかしながら、弊社は、弊社書籍中のイラストは著作権を侵害するものではないと考えております。

出版社は案外、いい加減

ところで、最近、これと似たような騒動があったことはご存知だろうか。

★ 軍艦本に掲載の写真「二次著作権に抵触」 竹書房が謝罪
   竹書房は2013年11月11日、文庫「日本の軍艦120艦艇」に掲載された写真の一部に二次著作権に抵触するものがあったと発表し、「多大なるご迷惑をおかけしたことを謹んでお詫び申し上げます」と関係者や読者に謝罪した。(中略)
   同書については個人ブログ「艦艇写真のデジタル着彩」の写真を無断転載しているのではとツイッターで話題になり、ブログ管理者が竹書房に事実関係の確認を求めていた。
戦前の写真ならばとっくに著作権が切れているから、それを写真として掲載することに何ら問題はないだろう。ところがそれに着色した「作品」を転載して出版するのはおかしい、とブログ主が下記のように抗議を行い、上記のような結果となった。

★ お知らせ 加筆その2 その3 その4終局のお知らせ 

出版社は当初、ブログ主の抗議を黙殺しようとしていたようだ。ところがブログ主がしつこく抗議を行った結果、出版社は渋々要求を受けて、謝罪したのである。

出版社というのは案外いい加減なものだ。多くの人は出版社は著作権のプロだと勘違いしているけれども、彼らは編集や出版のプロではあっても、法律上の知識に案外疎い。さらに、サラリーマンだから売らんがために営業や経営者から圧力をかけられることも多い。結果、編集者は、世間知らずの作家に多少のブラフ(はったり)を混ぜた要求をすることもになる。

「大丈夫ですよ。法律上も問題ありません」
でも、出版社のいうことを鵜呑みにすると、時にクリエイターが大火傷を負うことがあるから注意が必要だ。

この長谷川嬢も、出版社に「写真の転載ではなくあなたが絵にした模写ですから、何ら問題ありませんよ」と軽く言われてそのまま信じたのではないだろうか?

著作権の考え方には相違がある

実際、この種の"模写"については、様々な見解の相違があり、法的に定まっていない部分がたくさんある。

飛鳥新社の顧問弁護士が言うとおりに、写真を参考にした模写には写真家の著作権を侵害しないというのが一般的な見解ではある。でも、今は写真を絵画風に手軽に変換できるフォトショップのようなソフトが開発されている。フォトショップでお手軽に写真から作られたものは、果たして作品なのか? その著作権は写真家ではなく、フォトショップで写真を加工した者に移ってしまうのか? 考えだすときりがない。

『スラムダンク』は数多くのバスケの写真を参考に作られたことは有名だ。それをパクリだとして糾弾するサイトもある。

★ スラムダンク・トレース疑惑

私はこれくらいいいと思うんだけどね。ジャンルの違うものであるし、顔を変え、キャラクターの元々の筋肉のつき方に沿って書きなおしたものは、充分オリジナリティーがある。大切なのはストーリーだ。スポーツ写真の構図をそのまま利用しようとも、作品自体の価値が失われることはない。この種の参照は、許容するべきじゃないのか?

もっとも出版社にとってみれば、この手の著作権の問題は、曖昧にしておきたいところだろう。あまり厳密にしてしまうと、本を作れなくなってしまう。曖昧にしておいて、抗議がおこなわれればその都度対応する、という方法でこれまでやってきたし、これからもやっていきたいのだろう。

そもそも著作権は親告罪(訴えなければ罪にならない)なのだ。だから、バレなければそれで済む。バレてもブログ主である権利者と話し合い、納得させられればこの問題は収束する。

今回、出版社が強気なのは、ブログ主との間である程度の合意が出来ているからだろうか。いや、もしかしたら、ブログ主がそれほど抵抗しないだろうと、高をくくったのかもしれない。真相は分からないけれども、少々勇み足が過ぎないだろうかと、出版社編集部の態度が心配になった。

参考文献としてURLを載せれば良かったのに

それにしても……と思う。論文を書く上では、必ず「参考文献」を載せねばならない。これは法律で定められているものではないが、アカデミックな社会ではかなり強固なルールだ。このルールを破ってすべてオリジナルかのように装った者は、学会から追放されてしまう。

出版社の編集部に勤務するくらいだから、大学で卒業論文を書く指導を必ず受けているはずだ。知らないはずがない(マジメな出版社はこの種のルールに厳格だ)。

このルールは、先行者に敬意を払うと同時に、参考文献と比較してもらいながら、その論文の何がオリジナリティーなのかを読者に委ねる行為でもある。読者に委ねてしまえば、楽だ。

今回だって、作品の最後に、
「本書は下記サイトの写真をもとに、著者が絵の具で描き起こしたものです」
と注記すればそれでおしまいだったはずだ(その分、著者の評価は低くなるが……それが実像なのだから仕方ない)。

結局、
「シモネタに理解のあるマニアックな天才クリエイター女子大生」
というブランド確立を目指すあまり、事実を隠蔽しようとした出版社の作戦負けだったのだろう。

2013年12月9日月曜日

カンバン方式は下請けに在庫リスクを移しただけ

トヨタには「カンバン方式」と呼ばれる、 有名な生産方式があって、これまで散々もてはやされてきた。

在庫を工場で抱え込まず、 必要な物を必要なとき必要なだけ補充する事により、 経営を圧迫しない方法のことをいう。 日本が世界に誇れる方法だと言われているけれども、これ、体力のある組織が体力も抵抗力もない組織にリスクを押しつけるというアンフェアな方法でもある。

 トヨタの年2回の部品価格の改定に納得できるのかという問いについては「そんなわけないでしょう。円高を理由に値下げさせたのに、円安の今だって下げさせるんだから。昔はカイゼンをして、うちらの利益も確保したコストダウンだったけど、最近は最初から数字目標ありき」「利益が出ている間くらいコストダウン要求はストップしてほしい。このままいったら日本のモノづくりがダメになる」
トヨタの方式について、批判は昔からあったけれども、世界的な不況により地元の下請けからも怨嗟の声が強くなってきたのだろう。

ジャスト・イン・タイムで部品を納品してもらうためにはどこかにストックが無ければならない。時間通りの供給を要求される下請けにシワ寄せがくる。つまり在庫リスクを下請け企業へ移しただけであり、下請けイジメの別名とも言える。

トヨタの工場にムダが無いのを、
「カンバン方式の成果だ」
と賞賛するのはバカの証拠という話もある。もっとも弱者に注目しても世の中損するばかりであり、トヨタを批判する方が本当のバカだという話もあるが。

郵便局員が年賀状ハガキの販売不振で悲鳴を上げているという報道が増えている。郵便局にはトヨタのカンバン方式が鳴り物入りで導入されたのをご存知だろうか?

弱者に負担を強いて恥じないのがトヨタ方式だ。思想が移植され、売れない在庫を末端郵便局員がストックとして抱えるようになった。トヨタらしい解決方法といえる。


2013年12月8日日曜日

ブログに関する論議は現代の純文学論争

ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版)
はてな村界隈はいつも賑わっている。

BloggerというGoogleのブログサービスを初めてもう二年になろうとしているけれども、未だ活況を呈そうとしないこのサービスに比べると、楽しそうなはてな民のやりとりがうらやましい。

何度も、はてなブログへ移行しようと考え、「思考のジャイロスコープ」というサイトまで作って少しずつブログの転居を試みたことがある。しかし、Bloggerの魅力(SEO対策が大変すぐれている点とか)が捨てがたいまま、引っ越さずに今に至っている。

二年も経つと愛着も湧く。アカウントの停止などの何かしらの問題がない限り、今のところBloggerからよそに移る予定もなくなった。

……とはいうものの、最近新参者が多くなったはてな界隈で、悪意のあるコメントやブクマとどう向き合うのか、という議論(悪コメ――ワルコメ問題とでも略そうか)で色々な論客が発言しているのを読むと、こういう丁々発止のやりとりに参加できないのがとても悔しくなる(このブログで書いてもはてな民にはほとんど、読まれないしね)。

★ ブログ更新の気力を失ってました
★ 批判コメなんて9割は「読む価値ない」んだからほっときゃいいのに
★ 打たれ弱い奴はブログとか辞めたほうがいいんじゃないですか

どうでもいい話ではある。ブログを書くのが嫌になったのならばやめればいいし、批判コメントがうざいならばコメント欄を閉じればいい。それ以外のTwitterやブログで噂をいくらされようとも、批判は自由だ。こちらの邪魔をしなければそれでいい。

私がこのようなスタンスではあるものの、こういう人生に直結しない問題に様々な人が「ブログとはこうあるべきだ」という「べき論」について熱く語っている様を見るのはとてもおもしろく、興味深い。

こういう熱気は、かつての「純文学論争」を彷彿とさせる。
1961年9月の「朝日新聞」に、平野謙が、雑誌『群像』創刊十五周年に寄せて小文を掲載し、中間小説の優れたもの(松本清張、水上勉らの社会派推理小説など)が台頭し、純文学という概念は歴史的なものに過ぎない、と述べたことから始まったとされているもので、まず伊藤整がこれに反応し、高見順が激しく平野を批判した。
当時のことを私は知らない。だが、同時代の大勢の人々を巻き込んだ論争の余波については様々な本の中でよく取り上げられていたから、当時の熱気をなんとなく感じることが出来る。

「純文学は大衆小説よりも格が上だ」
と信じる人々が今よりも多かった時代。孤高を誇る純文学者と、経済的に豊かな大衆作家たちとの間の壁だとか、お互いの批判などに、当時の読書階級は夢中になった。ちょいと文字に目のない読書家ならば、誰もがこの純文学論争について知っていた。

ところが現代では、文学が昔に比べると影響力を持たなくなっている。Wikipediaによれば、つい最近になって大塚英志と笙野頼子との間で論争が起きていたそうだが、寡聞にして知らぬ。知っている人は余程の文学通だけだろう。

当時は、文学がまだあるべき姿を模索していた。文学でしか自己を表現できない人が数多くいた。たとえば自己表現の最も簡単な形は日記のような身辺雑記だが、日記を回し読みしてもらおうとしても誰も読まない。だから、自分の生き方を物語の形にまで昇華させる必要があった。そして文学作品に沢山の人々が一喜一憂した。

現代はその役目を、ブログが引き受けていると言っては言いすぎだろうか。

まだブログは発展途上だ。様々な形式のサービスが有り、様々な利用の仕方がある。悪コメがイヤだという人もいれば、悪コメがあるからこそ楽しいのだという人もいる。商業的な要素を多分に含んだものもあれば、広告すらも一切出さない潔癖なブログもある。その中で、ブロガー達が「あるべきブログ」の姿を模索している様は、在りし日の純文学論争は、このようなものだったのかと想像をかきたてられる。

ブロガーの1人が、この論争を「なんどめだナウシカ」と表現していたけれども、そこに大勢の人が集まり、新しい人々を吸引し続けるかぎり、あるべき理想像を人々が追い求めるのは終わるまい。新しい参加者が増えるたびに、同じ問いが幾度となく、繰り返されるのだろう。

もしも理想像の追求が飽きられてしまうとしたら、その時こそ、ブログサービスに人々が魅了されなくなったときだろう。

2013年12月7日土曜日

足を手術で長くする方法【ちょいグロ注意】

先日、ファッション業界で働きたい女性が、足首を切り落としたという記事を読んでゾッとした。

★ ハイヒールが履きたいばかりに両足を切断してしまった女の子
この女の子の名前はMariah Serranoちゃん。21歳のニューヨーカー。夢はファッション業界で働くこと。でも彼女はひどい内反足のため、ハイヒールを履くことができません。これじゃあファッション業界で働くこともできない!そんな彼女が選んだのはなんと、両足の切断でした。
美容のためにそこまでやるか? と思ったが、よくよく調べてみると、「内反足」とは深刻な足の障害のようだ。
ときにまっすぐに立てず歩けないために、よほどひどい場合は、健常者に近い生活を営む目的で、足首を切除することも絶対にないとは言えないという。

生まれつき備わっているものは手術で取り除いてはいけない、というのは偏狭な考えなのかもしれない。生まれついて腫瘍が備わっていれば取り除くのに躊躇する理由はない。

腫瘍と障害を持った足は幾分異なるとしても、足の用をなさないとするのなら、Mariahが決断の末足首を切り落としたことを、私は肯定する。

Mariah Serranoがどれほどの障害を抱えていたか、下記に彼女の子供の時の写真があるのでだいたい分かるだろう。

★ Fashionista has leg amputated so she can wear high heels

望みを叶えて活き活きと将来を語る彼女の表情を見ると、彼女にとってはそれは最良の選択だったのだろうと思う。

(上記が彼女がイチオシのブランド。高い!)

ただ、整形をどこまで許容し、どこから拒絶するのか、線引は難しい。上記のような整形を私は肯定するけれども、顔を美容整形することには、いい感情がわかない。その人の個性を消し去った韓国歌手のような顔には、正直嫌悪感を持つ。

では、手足を伸ばす手術に対しては、どうだろう?

先日イリザロフ法というのを初めて知った。たとえば足の骨をわざと折る。骨は治る過程で軟骨がまず傷を塞ぐ。柔らかいこの軟骨を引っ張ることで、足を1日に1mmずつ伸ばしていくという方法だ。

その苦痛は耐え難いほどひどいようだ(下記画像、Wikipedia等より)。
このように足に穴を開けて、イリザロフ創外固定器と呼ばれる固定器をつけて、足を伸ばしていく。
保険が効かない場合、両足2本で700万円という。先日整形で有名なヴァニラというタレントがこの方法で足を伸ばすことにしたと報道されていた。

ただ、本来これは美容整形ではなく、細菌感染により骨が炎症を起こして歪んで成長したり、先天性の四肢短縮などのような場合に使われることがほとんどらしい。
国内でイリザロフ法を積極的に行っているのが大阪府茨木市にあるスカイ整形外科クリニックというところらしく、そこの医師が本を書いている(下記の本を書いた吉野宏一医師は退任し、実兄が後を引き継いでいる)。興味のある方は、御覧ください。


それにしても、医学の進歩というのは素晴らしいね。

2013年12月6日金曜日

華原朋美の記事がアクセス数を集めていた

ここ二日で急激にアクセス数が上がった。
理由はなんだろうと思って調べたところ、次の記事がたくさんアクセス数を集めていた。

★ 華原朋美に与えられた試練

トモちゃんが小室と先日共演したことが、多くの人にとって衝撃的だったのだろう。
なるほど。

昨日コーヒーミーティングで話し疲れ、今日も移動疲れのため、本日はプチ休憩。

小ネタ。
Tシャツの皺にならずスペースを取らないたたみ方
これ、上から取り出しやすいからとても便利。

それと、嬉しい事に辛口書評で名高いMizuki氏にブログで高く評価いただいたのでご報告。

★ http://mizuki00325.blog.fc2.com/blog-entry-81.html

ありがたいことだ。辛口のコメントも嬉しい。次回の参考にしよう。

これを読んで思ったが、もしかすると、今回のものは「自己啓発本」として作らないほうが良かったのかもなと。

あと、もしも誤字脱字を発見したら、ご一報をお願いします。自分で見なおしているのだが(出版前にはもちろん、すべて一度印刷して読みなおしたのだが)、自分では気づけないものなので、コメント欄にて教えていただきますと幸いです。


2013年12月5日木曜日

佐藤優の本音と沖縄

佐藤優(まさる)という元外交官の評論家が、『ハフィントン・ポスト』誌に「沖縄は本気で抵抗している」という記事を寄稿している。

内容をかいつまんでまとめると、
  • 沖縄差別は日本国内の構造となっている。
  • 加害者側(東京の政治家とマスコミ)は差別と思わず沖縄を虐げ続ける。
  • その一つが普天間基地の県外移設に真剣に取り組まないこと。
  • このままだと沖縄は日本から独立を考えるだろう。
  • 母が沖縄出身の筆者は、沖縄人だと自覚しているので、沖縄の立場を代弁していきたい。
といったところだろうか。

この記事には二つの意味が込められているように思う。

米軍が沖縄にいる理由と沖縄がそれを嫌う理由

一つは文言通り、沖縄の普天間基地の県外移設問題に、当局はもっと真剣に取り組むべきだ、という主張だ。

沖縄が犠牲を強いられているのは間違いない。国境の町とはいえ、在日米軍基地の7割以上が沖縄に集中しているのは異常だ。それが数十年、是正されないまま今にいたっている。

なぜ、こんな異常な事態がまかりとおっているのか?

いろいろある理由の一つに、アメリカが沖縄を、戦勝によって獲得した「領土」だと潜在的に考えているから手放さない、という説がある。

沖縄戦という地上戦で多数の死者を出した米軍にとって、沖縄は尊い犠牲の末に手に入れた土地。戦勝国が敗戦国の領土を獲得するのは大昔からの伝統だ。しかも沖縄はかつて独立国だった。日本から分捕って何が悪い? と。

もちろん正式には否定されているけれども、彼らにとって沖縄は心理的「占領地」なのだ。だから米軍は、沖縄という土地に執着する。

これは、アメリカの大学で政治学の教授が学生に語ったか、ケビン・メアの主張か何かだったと思う。何かの本に書かれていたと思うのだが、覚えていない。ただ、陣取りゲームを人間は好む。それにアメリカは騎兵隊が西へ西へと領土を広げていった国だ。アメリカの一部に、このような考えがあるというのは、有り得る話ではないか。

だが、逆の立場だったらどうだろう? 沖縄の人々にとって米軍が在駐している間は、占領下にあるのと同然ということになる。正式には独立していようと、心理的には、占領地だ。アメリカ人の一部が沖縄を戦利品のように考えるならば、カウンターを受けた沖縄の人々が現状を首肯出来ないのは当然と言える。

陣取ゲームで勝者が優越感にひたるのと対をなして、本来は多くの日本人が、沖縄の人と共に悔しさを共有するべきだろう。特に右翼や民族主義者、あるいは保守層におかれましては。ところが日本人のこの層は、対中対露対鮮のためとはいえ、沖縄の在米軍駐留に、嫌悪感を露わにすることすらしない。これはおかしくないか?

家族を守りたいという素朴な発想が民族主義者の原点であるべきなのにね。無意識に沖縄を日本から切り離し、敗戦によって土地が占領されているということを意識しないようにしている。これは差別ではないとしても、非情ではないか。

この点で沖縄に私も共感し、同情の念を禁じ得ない。私は在日米軍が沖縄に集中することに、不快感を持つ。

……ただ、それでも私は沖縄に米軍が必要だと思っている。日本を守るために? それもある。でも、それ以上に台湾を守るという目的のために。

そもそも米軍が沖縄に駐在する一番の目的が、アメリカの友好国である台湾=中華民国の人々を守るためにあることは、一目瞭然だと思うのだが。

台湾の存在

後世の中国の歴史書に、現代史がどう書かれるかを想像して欲しい。中華民国=台湾を併合しない限り、中華人民共和国と並んで、中華民国が清帝国の後継国家としていつまでも併記され続けることになるだろう。

国家としては屈辱であり、面子を重んじる中国人にとって許されることではない。だから、台湾併合は中国の悲願だ。中国が日本に圧力をかけ続ける一番の目的は、台湾を併合する方法を模索するためだと思っている。

しかし、中華民国=台湾には2,300万人の人々が住んでいる。しかも、日本と同じ民主国家であり、自由と基本的人権を尊ぶ国家だ。民主主義の旗手を自認するアメリカが重視するのは当然のこととして、私たち日本人も、併合によって彼らが虐殺の憂き目に会うのを許してはなるまい。

本来ならば台湾に米軍が駐留すれば一番なのだが、それでは中国を刺激し過ぎる。よって、沖縄で米軍が睨みをきかせ続けるしかない。沖縄以外に、台湾の人々のもとへ即座に駆けつけられる地域は地上にないのだ。

ただ、この理由を説明すると、中国を刺激するから日本政府にはそれが出来ない。ジレンマの果てに、沖縄の人々のストレスは増すハメになる。

ただ、言えないにしても誠心誠意、沖縄の人々と対話を続ければ、分かってもらえると思うんだけどね。政府要員や本土選出の国会議員達が頻繁に沖縄を訪れ、人々と地道にタウンミーティングを繰り返しているとは、寡聞にして聞かぬ。たとえば米軍によって犯罪被害に遭っても、保守派議員が現地で沖縄の側に立って米軍軍人を糾弾するといった姿勢を率先して取るとか、これまで色々な機会はあったと思うのだが、それをしてこなかったのは政治家の怠慢だろう。

佐藤氏の主張に込められたもう一つの意味

佐藤氏がこのような沖縄の現状を憂い、代弁するのは理解出来るが、記事の裏に秘めたもう一つの主眼があると、私は睨んでいる。

一種の脅迫だ。自分をこのまま軽んじ続けるならば、今後は沖縄の代弁者として日本と闘うぞ、と暗に当局を脅迫しているようにも取れないか。

以前佐藤氏を講演会で観たことがある。

背が低く肥満体なのだが目が大きいために肥満を感じさせない。私が彼と話したのは2回。質疑応答で質問し、本にサインをしてもらった際に彼と言葉をかわした。私の質問が大変くだらないものだったからだろう(実際、くだらない質問だった。当時有名だった元外交官を売り物にしている原田武夫という人物をどう思うか? というね)。バカにしたような気のない返事をされた。

この時、彼の態度を観察したのだが、佐藤氏、目を私ごときと合わさないのだ。それに、だいたい下を向いていることが多い。顔がいいので押し出しはいいのだが、何か落ち着かないというか、小心者というか。

誠実な人間という風でも無かったな。文学部や理学部といった浮世離れした学部の中にいて、出世欲を秘めた大学教授に、彼と似たタイプの人間がいたような気がする。

早口だし記憶力もいいので頭は間違いなくいいのだろうが、彼の書物を読み、人物評を読んで、大変な人物だろうと想像していたのに肩透かしを食らって面食らった。

彼には『国家の罠』という著書がある。

そのアマゾンレビューにはこう書かれている。
97 人中、83人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 スパイ小説顔負けのノンフィクション2005/4/4By カスタマーレビュー対象商品
 以前“佐藤優”という元外交官のことを文藝春秋の記事で読み、衝撃を受けて以来、彼の告白が出るのを待ち望んでいた。その記事の中の、あるエピソードを紹介したい。
 ……ソ連崩壊前後、ロシア各地で軍隊と民衆が衝突。そのどれもが流血無しでは収まらなかったのに、たった一箇所、ギリギリまで対峙しながら、軍隊が銃口を下ろし、民衆との和解が成立した地域があった。
 その影にいたのが、佐藤優だった。偶然かの地に居合わせた佐藤は、日本の外交官という中立の立場を利用し、軍隊と暴徒化寸前の民衆の両陣営を行き来しながら、粘り強く説得を続け、ついには和解にまでこぎつけてしまう……。
 その無私の態度と優れた能力は、ロシア人から高く評価され、ロシアの中で最も信頼される西側の外交官の一人となる。
優秀な日本外務省役人の中からまで「10年に1度の人材」との賞賛が沸き起こったほどだった。
 その佐藤が2000年までの日露平和条約の締結を目指し、鈴木宗男とタッグを組み、両国の和平に尽力しながらも、夢破れ、やがて個人ではどうしようもない政局のうねりの中に巻き込まれる様が、この「国家の罠」の中で述べられている。
 徒手空拳で己の力を信じ、この社会に立ち向かわんとする全ての人は、この本から、何者にも負けない勇気を得ることができるだろう。
2005年、このレビューを書いたのは実は私なのだけれども、これほどまでに惚れ込んでいた佐藤氏への尊敬の念は、実際に会ってみて幾分、醒めた。

謀略家の発言

外務省の某国でレセプションを担当している友人と現地で食事をしたことがある。彼に仕事の内容を聞くと、彼らの一番の目的は、海外を訪問する日本人政治家の世話だという。省内の先輩からは、要人たちの癖を飲み込み、彼らをいかに操縦するかを学ぶそうだ。

「麻生太郎は3メートル先に視線をやって歩く癖があるから、その視線の先にあるものに常に気を配る必要がある。石原慎太郎は予想外のものを見たり聞いたりすると、目をパチパチと閉じる癖がある。彼がそのような表情をしたら、彼にとって予想外なものを見聞きしていると思った方がいい」

こういうことを先輩から学び、政治家が何を考えているのかを先回りして考えて、自分たちの希望する方向へ物事を進めていくことを学ぶのだそうだ。ずいぶんと、民間企業とは発想がことなると驚いたものだ。

外務省というのはそういう、情報工作のプロを養成する機関である。そこの出身者である佐藤氏は、やはり謀略家だ。彼は威風堂々とした人間的魅力で人々を惹きつけ、大勢の人々を率いて状況を切り開くタイプではない。様々な発言によって波紋を各方面に投げかけて、それによって他人を動かして、自分に有利な状況を作り上げようとするタイプの人間だろう。

彼は様々なメディアで評論家として活躍しているけれども、今ひとつ、影響力に乏しい。本来ならば外務省で大活躍していたはずなのに、追放された古巣へのルサンチマンもあるのだろう。そのような自分を、戦後レジームの中で差別された沖縄に重ねあわせているのは間違いない。

彼が沖縄の代弁者となるならば、大変手強い論客となるだろう。佐藤氏は、自分でもそれが分かっている。だから、
「そうなってもいいのか? 俺をもっとリスペクトした方がいいぞ。さもないとお前らの敵になるぞ」
と暗に、日本の政治家マスコミを脅迫しているのではないか、と思う。

余談が過ぎてしまった。今日はこれまで。

2013年12月4日水曜日

モテるようになるためには男とつきあう必要があるか?

昨日、あるもてない冴えない大学生が3人のゲイとつきあうことで、もてない男の特徴が分かって自分を変えるきっかけとなり、もてない人生を脱出した、という記事を読んだ。

ちょいとグロい描写がおおいため、リンクを貼らない。知りたい方は「三人のホモと出会ってモテるようになった話」でググればいいと思う。

内容を簡単に説明すると、なんとかつきあうことに成功したものの、身勝手な女性に振り回されて女が嫌になった大学生。

彼が、
(男性相手だったら優しくしてもらえるかもしれない)
と考えてゲイ専門の出会い系で相手を探し、結局3人のゲイと肉体関係を結ぶ。

2人のイケメンと、1人の生理的嫌悪感を抱いた男。この違いを分析した結果、モテない男の特徴をつかんだ、という話。

  • 清潔感があるかどうか
  • 自信をもった立ち居振る舞いか
  • 相手をまず思いやられるか
  • ある程度の強引さも必要
  • ある程度の基準をクリアーしていれば、実は女性は男性をそれほど嫌がらない

ということが書かれていて、なるほど、と思ったね。

ただ、実はこれ、見新しいことは何も書かれていない。ライフハック本やモテるためのマニュアルにはどれもよく書かれていることだ。実際、
(これくらい俺だって知っている)
と思った人、たくさんいるだろう。

その中で実際にもてるようになった人は、それでいいけれども、上記の内容を知っていながら実行できない人の方が多いのだ。それは何故か。

上記の記事を書いた男だって、それくらい常識として知っていただろう。清潔であることが大切なことであることとか、自信のある態度が大切であることとか。

でも、彼が自信の態度を改めたのは「ゲイとつきあう」という、ヘテロの彼にとって非日常的な体験を通してだった。

人間というのは厄介なもので、理性で理解していても、実感しないと行動を改めることができない。感情で納得出来ないと、人間は自分を変えられないのだ。

だったら誰もが男同士で恋愛をする必要があるのか? といえばそうではない。たとえば「3人のゲイとつきあってみた」という体験談が説得力を増すことに成功している。単なる教訓の羅列よりも訴求力があったということ。体験の次に、物語には人を動かす力がある、ということだ。

そこでこの本ですよ。物語風に成功法が書かれていたら、読みやすいし実感できますよね!


……結局宣伝かよ(スミマセン)。

まあ、これは冗談だけれども、小説が未だに人気を誇る一ジャンルとなっている理由はまさにここにあると思う。単なるコンテンツの羅列ではなく、共感できるエピソードを取り揃えることで、読者に追体験をしてもらい、読者の感情を動かして、行動自体を変える……これはとても大切なことだと、改めて思った。


2013年12月3日火曜日

電子書籍を出版するまで ① 原稿の用意の仕方

電子書籍出版に興味を持っている人は結構いると思うが、情報が多すぎて、どれを参考にすればいいのか、悩んでいる人も多いだろう。

その人々のために、これから数日、私がどのようにして電子書籍を出版するに至ったかを、簡単にご紹介しようと思う。

第一回目の今日は「原稿の用意の仕方」について。

既存の文章を元にする

まず問題になるのはある程度の文量の原稿を用意する、ということだろう。文章を書くのが好きという人なら何の問題もないが、多くの人はここで引っかかることが多い。そんな人にお勧めなのが、すでにお持ちの何らかの文章を元にしてはどうか? ということ。たとえば日記だとかブログだとかホームページだとか、あるいは手帳に何かの覚書を書いていたら、それを元にしたらいい。一から用意しようと気負うよりも、手始めは簡単なことから始めてもいいと思う。

私の場合、このブログを元にしよう、という目論見があったからそこは軽くクリアー。たとえば一昨日の記事は912文字ある。原稿用紙二枚分だ。それが毎日積み重なっているから、本を書くだけの文量のものはすぐに用意できるはず。

そこで、最初はブログ記事からピックアップして一冊の本にしようと思っていたが、途中で考え方が変わった。私の中で、イチオシの記事……それでいながらほとんど注目されていなかった記事を、もっと膨らませてみようと考えたのだ。すぐに思い込んだのがこれ。


ここに書いていること、実は、私が今回出版した『クソ野郎の成功者が自伝に書かない成功哲学』に出てくる"山本"という登場人物のモデルになった人物から実際に学んだことだった。彼とその周囲にいる、彼のお仲間たち……彼らの共通点を10にまとめたこの記事が、まずは出発点だった。

元原稿を掘り下げる

ただ、これだけでは内容が薄い。文字数は4,512字あるし、それなりの文字数だから、これだけでも出版できる。しかし、これだけだと面白くない。

そこで、10の項目について、エピソードをつけくわえたり、加筆修正したりして、元の原稿を3倍にした。また、それ以外に"山本"から聞いたこと、彼の行動を再度見つめなおして、彼の「成功哲学」を改めて考えなおした。

ストーリー仕立てにする

最初は、これをそのまま売ろうと思った。文字数15,000字ほど。原稿用紙に直すと40枚ほど。悪くない。99円で売るならありだろう。

ただ、ふと思った。これ、小説仕立てにした方が、読みやすいのではないの?

"山本"の下で働き始めてから辞めるまで……その場面場面ごとに適切な教訓項目を当てはめてみてはどうか。面白いと思った。小説をまさか書くとは2ヶ月前には考えてもいなかったけれども、書き始めたら毎日が面白く、あっという間に30,000文字に膨れ上がった。

完全な"小説"へと変える

ところが最初はドキュメンタリー仕立てで、すぐに、モデルとなった本人に私の事、見られたらバレるようなものだった。先方はマスコミにもよく出るような著名人だ。どこから本人に伝わるか分かったもんじゃない。これはまずい。

そこで、読まれても分からないくらいに、登場人物の設定も、エピソードのディティールも、大きく変えることにした。

彼の実話をそのまま載せることは、復讐的な意味合いがなかったとは言えない。しかし、こんなところで私のチンケな復讐心を満足させてどうする?

こうして、モデルとなった人物たちと、この小説の中の登場人物とは、かなり外見も設定も変えた。職業なども彼の実際の仕事からコンサルタントへと大きく変えた、はず。

このような改定により、原稿は結局、60,000文字へと大きく膨れ上がった。原稿用紙に直すとおよそ200枚。薄手の文庫本一冊分の文量だ。出版されているものと分量的には遜色なかろう。

こうして、私は本書の基になった原稿を書き終えた。


……と、こういった話を時々、更新していこうと思う。

2013年12月2日月曜日

なぜ私が「きんどるどうでしょう」を作れなかったのか

先日電子書籍を出版した際に、「きんどるどうでしょう」というサイトで紹介いただいたお陰で注目され、いいスタートアップを切ることができた。

「きんどるどうでしょう」で、管理人zon氏が昨年1年を振り返る記事を書いている。アフィリエイトで大儲けしているそうだ。

★ Kindle本の紹介アフィだけでご飯を食べているわたしの12ヶ月間。
・メディアとしてはまぁまぁ大成功で収益については右肩あがり
・3年目には有料販売のみで累計100万冊になる
・1年間で194万PV。
・Kindleストアにある本の数が160,755だから約1割は取り上げている
・食うに困らんし多少は国内旅行もできる
・数年頑張ったら中古物件の頭金くらいだせるなっ!というところ
・そもそも在庫ないし、スペースいらねぇし、赤字にならない。無敵感が漂ってる
大成功じゃないですか!

スゴイなぁと手放しで賞賛すると同時に、猛烈な後悔に襲われる。なぜこれに気づかなかったのだろう? zon氏はみごとにツルハシとジーンズに当たるものを見つけたことになる。

ツルハシとジーンズ

この逸話をご存知でない方のために、かいつまんで説明しよう。
 1848年、アメリカのカリフォルニア州で金鉱が発見されたことをきっかけに、文字通りの「一攫千金」をねらった人々が多数カリフォルニアに訪れた。――「ゴールドラッシュ」の到来である。
 ところがこの時代、一番儲けたのは金を掘った人間ではなかった。金は必ず取れるとは限らない。当たればデカイが、いつまで掘っても見つからずに借金だけが増えていくことも多い。そこで金鉱夫の多くは刹那的な生き方をして、たまに金が取れてもギャンブルと酒で即座に使い果たしてしまうことが多かった。
 では誰が儲けたか? 彼らにツルハシを提供した雑貨屋や、ジーンズを売った服屋などだった。ジーンズメーカーとして有名なリーバイ・ストラウスはゴールドラッシュによって大成功をおさめた一人だ。
 ここから、「ブームに群がるのではなく、ブームを手伝うビジネスに携わるべきだ」とビジネス啓蒙書などで言われるようになった。その象徴が「ツルハシとジーンズ(またはデニム)」である。
私はこの逸話を知っていた。だから、ここ数年、ツルハシとジーンズに当たるものはないだろうか? と探していたけれども、とんだ灯台下暗しだ。KDP(Kindle Direct Publishing)があったのに。

スマートフォンがこれだけ普及し、アマゾンが電子書籍出版に本格的に乗り出したのだ。これから電子書籍利用が人々の間で広がっていくことは間違いない。

電子書籍がゴールドだとしたら、アマゾンや「きんどるどうでしょう」がツルハシやジーンズだろう。

「きんどるどうでしょう」の有料販売は累計100万部だという。仮に一部が300円程度だとしても、4%の利益率があればざっくりでも1200万円になる。すごい数字だと思う。

たとえ分かっていても始められないのは?

電子書籍を紹介するサイトを作ることで、アフィリエイトで一稼ぎできる……これに気づかなかったことがまず悔しい。

もっと悔しいのは、一年前にたとえそのことに気づいたとしても、「きんどるどうでしょう」のようなサイトを私は作っていなかっただろうと予測できることである。

なぜ、1年前に「きんどるどうでしょう」のようなサイトを私が作ろうとしないと断言できるのか? 当時思いついたとしても、やらない理由がいくつも思い浮かぶからだ。

1.アマゾンで無料キャンペーンを紹介しているのだから、わざわざ自分のサイトで宣伝する意味ないんじゃないの?

「きんどるどうでしょう」の売りの一つが、Kindle本の無料キャンペーンの告知だ。ところが、そのようなムダなことしなくても、アマゾンのサイトで、「Kindleストア › 無料本」で調べればすぐに無料の本を探せるではないか。母体についている機能をわざわざ自分で作る意味が分からない。大勢の人は、よく知らない個人サイトよりも、アマゾン本体の機能を利用するに違いない。

2.興味のないことに取り組まねばならない

書評をしたり、インタビューをしたり……かなり本格的に取り組んでいる。それだけ取り組めば、ページビュー数は増えるだろう。

でも、たとえば「アマカナタ」のように、自分の好きな話題だけを扱うわけにはいかない。テーマを限定してしまうと、興味のない話題だとか、面白くなさそうな本なども取り上げねばならなくなる。実際、zon氏もBL本などを悪戦苦闘しながら紹介している。興味のない分野の記事を書くなんて、時間がいくらあってもたりなさそうだ。

3.儲かる気がしない

zon氏が収入を上げている今なら、儲かる道筋が見えた。でも、それ以前に、
「無料キャンペーン紹介や割引情報紹介などを中心にすえる」
という戦略が金儲けになると、どうして思えただろうか。

無料キャンペーンを多くの人に宣伝しても儲かるまい。無料だから。割引キャンペーンとかも、数百円から大幅に割引されたら利益なんて微々たるもんだろう。やる意味なんてあるまい、どうせムダじゃないのか?

4.やりとりが面倒そう

作者とのやり取り……一見楽しそうだが、作家を目指す人々なんて、自意識過剰で面倒くさい人間が多いはず。個性的な人々が多いから、彼らとのやりとりは面白い反面、一度ドツボにはまるとものすごく面倒くさいことになるだろう。

zon氏、私のお礼にもこうしてこまめに返事をくれている。
一記事ならばこれでいいけれども、何十という記事が貯まると、それぞれに新たにコメントが集まる。これといちいちやり取りしていたら、それだけで一日が終わってしまいそうだ。

5.紹介するのが大変そう

「きんどるどうでしょう」の一番古い記事は、

★ 【新着】本日発売のKindle本 2012年11月1日

である。Kindle本の著者名、値段、冊数などをまとめる作業、イチオシの本を取り上げて一言感想を書く手間……これが一年続くと考えただけで嫌になりそうだ。


以上となる。

結果が異なっていたのは御存知の通り。
上記の、一年前に私が思いついたであろう予測は、その後の「きんどるどうでしょう」の快進撃でことごとく否定された。

1'.大手では出来ないことができる

アマゾンの中心はあくまで有料販売だから、有料本の宣伝を差し置いて、無料キャンペーンを大々的に取り上げたりしない。ところがお金がない本好き層にとってはそこが一番知りたい情報。

関係各所にのことを考えなければならない大企業とは違い、個人事業主は小回りがきく。だから、Kindle本を、アマゾン本体を差し置いて人々に紹介するサイトを立ち上げる価値は、間違いなくある。

2'.嫌なことでも金儲けなら大抵のことは我慢できる

zon氏は今は「きんどるどうでしょう」専業でやっているという。仕事なんて嫌なことでもやるものだ。仕事をすればそれは全て自分の儲けにつながる。自営でやっていこうと思えばたいていの苦悩は乗り切ることが可能だ。

3'.人を集めれば、儲けは後からついてくる

無料キャンペーンで読者をつかめば、彼らはサイト内をいろいろと散策するだろう。いいなと思える本を見つければ、それが有料だとしても、気軽にダウンロードすうようになる。

儲けはあとからついてくるもの。現に私の書籍の有料販売は、どうやら「きんどるどうでしょう」経由が一番多いようだ(私のサイト経由で買ったら、Amazonで確認できるのに、確認できないんだもん)。

サイトの中で、あれだけいろいろな本が紹介されていると、目当ての本を無料でダウンロードしただけでは物足りず、有料のものも一冊くらいダウンロードしてもいいかな、と思う。これは理の当然だった。

4'.やりとりは選んですればいい

zon氏、ブログへのコメントには基本返信をしてない。私が二回ほどコメントを書いたが、返事がなかった。これは賢い判断だ。コメントの中で読者同士が議論を始めたりすることもある。そこに下手に割り込めば、時間だけが無為に過ぎる。コメント欄は読者同士のやりとりにまかせることに決めているのかもしれない。

ところがtwitterで呟いたところ、即座にzon氏は返信してくれた。こういうメリハリで、ムダな時間を随分短縮しているのだろう。

5'.慣れれば簡単

zon氏、どうやらフリーの編集者らしい。編集者は普通、数百ページもあるような本を一年に数百冊読む。それに比べれば、キンドル本を一日に数冊読むくらい、どうってことない。慣れれば簡単だ。

それだけではなく、有名になれば作者が勝手に本の紹介を投稿してくれる(私もそうだった)。大きくなればなるほど創業者の作業は楽になる。様々なビジネスと同じだ。


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ただ、分析をして分かったことがある。zon氏がサイト作りを続けてこれたは、それが好きで、得意な分野だったからだ。儲けられるかどうか分からないままやってこれたのは、書評サイト作成がzon氏にとって、何よりも面白いことだったからだろう。

……そう考えると、私は無理だな。私は編集者よりも、ライターが性に合っている。文章を書くのが好きなのだ。

うらやましいと思うあまり自己の本分を見失ってはならないね。

それにしても、だ。電子書籍紹介というのはまだまだ大きな可能性がある。これから取り組んでも充分間に合うだろう。興味があるなら、電子書籍紹介サイトを立ち上げてみることをお勧めしたい。2ちゃんまとめみたいに大化けするかもしれませんよ?


2013年12月1日日曜日

カネを持っていない人間が、それでも喜んでもらえる婚約指輪を選ぶ方法

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このブログの読者の中には、いつか誰かと結婚したいと考えている人も多くいらっしゃると思う。
その内の男性諸氏におかれては、婚約指輪を買うことを想定せねばなるまい。

お金があるのならば、いくらお金をかけてもいい。どうせ一生に一度しか送ることの出来ないプレゼントである。100万円でも200万円でも、つぎ込めばつぎ込むほど、送られた女性は喜ぶに違いない。

ところが、それほど懐に余裕のない人間ならば、一生に一度のこととはいえ、財布と相談しながら婚約指輪を選ばねばならぬ。

制約条件がある中で、どうすれば精一杯の思いを伝えることができるか。
どうすれば、限られた金額で喜んでもらえる品物を選ぶことが出来るのか。

……という観点から、どのような婚約指輪を選べばいいのかについて述べたサイトやブログは、あまりない(業者側にとってはカネを使わせない話をするメリットはなく、経験者にとっては外聞がよろしくないため、外に出したくないエピソードだからだろう)。

そのような方々に向けて、どのような観点から婚約指輪を選べばいいのかについて、述べてみようと思う。私は独身者なので、これはあくまでフィクションだと思って読んでいただくと幸いだ。

……いまだに独身者の私がなぜこれほど婚約指輪について詳しくなったのか、は内緒(なお、どうしても東京都内の話が中心になることをお許しいただきたい)

1.宝石はダイヤモンド

婚約指輪といえば、ダイヤモンドだ。

異なる考え方を持っている方もいるかもしれない。ダイヤモンドは値が張る。それならば同じ値段でサファイヤとかエメラルドを買った方が質のいいものが買える。それに、他人と同じことはしたくない、など。

そういう考えもあるかも知れない。だが、待って欲しいんだ。

そもそも宝石なんてものは、価値なんてあってないようなものだ。材料自体が何かの役に立つわけではなく、たくさんの人々が「価値がある」と定め、多くの人がそれに同意しているから価値が生まれている。嗜好品の代表的なものだ。多数の人々の総意に支えられている。

だから、嗜好品を買うならば、人々の常識に沿ったことをした方がいい。

日本では宝石業界の長年の尽力により、婚約指輪にはダイヤモンドを送るという常識がまかり通っている。世界的にもダイヤモンドが一般的である。

他人と違うことをしたいのならば、別の機会にいくらでも出来る。こういう時は一般常識に従った方がいいのではないか、と思う。

それに、ダイヤモンドは最も硬い物質だから、
「この結婚を絶対に壊すまい」
という思いも象徴している。他の宝石を選ぶということは、"最も硬い絆"という意味を捨てるということにならないか?

2.カラットかクラリティーか

「TSUTSUMI」の小冊子より
ダイヤモンドを選ぶ基準は4つある。「カラット(重さ)」「カラー(色)」「クラリティー(透明度)」「カット(全体的なプロモーション)」が基準となる。

カラットはたいていの婚約指輪がGood以上だから、ひとまずおいて。

欧米では、カラットが何よりも重視されるそうだ。

奴らはとにかく、デカイことが好きだ。それに、欧米では経済状態によって人々がランク付けされる。経済状態を象徴するのが指輪だ。できるだけ大きい物をつけることがステイタスだという。または、先祖代々伝わる指輪があり、それが婚約指輪となる。婚約指輪としては、北欧や西欧では高い婚約指輪は買わないようだが、結婚後に買うとなると、大きな指輪が好まれるという。

こういうデカイ指輪をつけて出かける機会も多い。パーティー文化が根付いているため、着飾ってパーティーに出かける機会が日本よりもはるかに多い。

多少の色がついていようが、多少の内包物があろうが、そんなことは遠目には分からない。でも、大きさは一目で分かる。だから彼らは、婚約指輪としては2カラット以上の物を選ぶ。

ところが、日本ではそもそも指輪をつけてパーティーに行く習慣があまりない。その上、目立つことはそれほど好まれないから、あまり大きな宝石をつけてパーティーに行くと、顰蹙を買う恐れすらある。それに、物騒な地域では、大きな指輪をつけていると、指ごと切り取られるという事件も発生している。

むしろ日本では量より質が好まれる。それならクラリティーが重要だ。IFクラスとなると値段がポンと跳ね上がってしまうけれども、少しここで頑張った方が女性に喜ばれるかもしれない。

基準で言うと、SI1以上がいいように思う。これ以下になると、肉眼でも不純物や傷が分かる。下記のダイヤはSI2だった。SI2は「10倍に拡大して(内包物が)発見可能」だそうだが、肉眼でも傷がはっきりと分かった。

ちなみに、ダイヤモンドを見る時は、朝10時の光で見るべきだと、宝石商を営んでいた日本マクドナルド初代社長の藤田田が本に書いていた。

日本人の女性の楽しみ方としては、たまに指にはめて喜ぶ、という人が多いようだ。長年眺めていれば、次第に悪いところが目につくもの。その時に、不純物の存在は嫌気が指す原因となる。

外国によく行く人ならばともかく、この日本で婚約指輪を買うのならば、クラリティーを重視した方が無難ではないかと一考。

それに、何度も言うが婚約指輪は、気持ちの象徴なのだ。確かに近くで眺めないと、SI2クラスでも内包物は見えないかもしれないが、
「嘘偽りのない思い」
を伝えたいのに、
「内包物があっても、よく見えないとばれないなら、大丈夫だろ」
と考えるのは、あまりオススメできない。
バレなければ多少の誤魔化しがあってもいい、と言っているようなものじゃないの?

無論、潔癖過ぎるのも困る(他の異性と一緒に飯を食べてはならないとか)。人間だから多少の嘘はあるだろう。でも、その嘘はせめてVS2程度にとどめておきたい。

無論、好みだけれども……。

3.何度も足を運ぶこと

高い買い物をする場合、しかもその商品について詳しくない場合、いろいろな店に何度も足を運んだほうがいい。そうすると、相手も人間だ。初見のお客さんには話さないことも話してくれる。

たとえば、東京都では御徒町という場所に、宝石屋が軒を重ねている。いろんな店があり、どこで買えばいいのか分からない。

その中で1軒、とても安い宝石屋がある。他のどの店よりも安い。ネットで調べても、その理由は不明。
「店員の態度が悪い」
「質は良い」
などの当り障りのない評判しか書いていない。意外に、ネットにはホントの悪い情報は載っていないものだ。

ところが足を運ぶこと数回目にして、こんなことを、とある店では教えてくれるようになる。
「あそこは買い取った中古品をリングを入れ替えて転売しているんですよ」

……別に中古品でもいい、という人はそれでもいいけれども、出来れば新品を上げたいと思うのは人情だろう。こういう情報は事前に仕入れておきたいもの。それが何度もお店に通うことで教えてもらえるようになる。

4.店員は時に、嘘を言う

『ゼクシー』に度々広告を載せていると宣伝している店があるとする。仮にAとしよう。店内には『ゼクシー』に掲載された宝石が、記事とともに飾られてあったりする。とても素晴らしい。

ただ、その店では、宝石鑑定では日本でもっとも権威があるという中央宝石研究所ではなく、名も知れないネットにも載っていないような鑑定所の鑑定書しか出せない、という。

「中央宝石研究所なんてのは、寡占にあぐらをかいている、いい加減な機関です。あそこを通すことは、鑑定料ばかり高くて意味がありません。その分宝石の値段に跳ね返ってしまう。うちはそこを通さない代わりに、お客さんにその分還元しています」

と店員が説明したとする。宝石業界の話なぞ知らないのだから、嘘かどうかも分からない。こんなとき、どうするか。

これも、何度も足を運ぶうちに教えてもらえるようになるだろう。たとえばA店は、過去に詐欺まがいの手法で宝石を販売したために、中央宝石研究所から鑑定を拒否される、という事件を起こしているとか。

「そこがそんなに商品に自信があるならば、一番いいのは『お金を余計に払うから(せいぜい5千円ほど)、中央宝石研究所にも鑑定を依頼して欲しい』と頼んでみればいい。御徒町では中央宝石研究所以外の鑑定所を利用している宝石店も多数ありますが、まともなところなら『〇〇宝石研究所の鑑定書も欲しい』と頼めば、有料で気軽に承諾してくれます」

こういうアドバイスを受けて、Aに行って依頼したら、逆ギレされる。
「うちが信用出来ないならば、今すぐお帰りください」
などと言って店員から店のドアを開けて追い出されたりね。その時の態度を見れば、どちらが嘘をついているのか、容易に分かるだろう。

5.数ヶ月のスパンをかける

数ヶ月の間、何度か宝石店に足を運ぶと、タイミングが良ければセール期間に当たる可能性がある。どんなお店でも、一年の間に何度か、セールを行って宝石を安く販売する時期がある。普段の数割引、ときには半額の値段のものがお目見えすることもある。

急ぐ話でないならば、時間をかけるべきだ。数万円も安くなるのだから、バカにならない。

6.そこそこブランド力のあるところがいい

普段から宝石をよく買う人ならば、どこで買ってもいいだろう。でも、初めて宝石を買うのだとしたら、よく分からないお店で安いものを買うことほどバカげた話はない。

そのお店は翌年には潰れているかもしれない。

「うちは創業◯十年です」
と古さをアピールしているお店があるかもしれないが、不良在庫を抱えて倒産した宝石店の暖簾だけ買い取った宝石店かもしれない。

普段から宝石を買い慣れていて、宝石自体に価値を置くならば、ブランドを信じるのはムダな行為に思えるかもしれない。ブランドの分だけ、値段に跳ね返ってくるからだ。

でも、その業界に疎いならば、信用できるブランドを選ぶのが無難だろう。とはいっても、ティファニーだとかカルティエだとかはちょっと手が出ない。同じランクで数倍してしまうからだ。

そのブランドがデパートに入っていたら、問題ないんじゃないだろうか。それなりに信用できるブランドしか店内に店を構えさせないだろうから。

7.給料三ヶ月分は過去の話

日本在住の外国人に、婚約指輪の相場を聞いてみた、という記事がある。


これによれば、アメリカでは給料の二ヶ月分が相場だそうだ。しかし、ヨーロッパではスペイン以外は、今では高価なものは買わなくなっているという。

経済が破綻したスペインや、離婚がやたらと多いアメリカのマネをする必要もあるまい。成熟した社会では、婚約指輪には昔ほどお金をかけなくなっている。日本でも今では給料一ヶ月分近辺がほとんどだという。借金してまで高価なものを買って、結婚後に妻に負担をかけては元も子もあるまい。

8.0.3カラット以上がいいのではないか

以上、いろいろな制約条件がある中で宝石を選ぼうとすると、それほどカラット数が大きなものが買えなくなる。

でも、せっかくならばある程度の大きさのものをプレゼントしたいではないか。いったいいくらほどの大きさが必要なのか。

いろいろと調べたところ、こういう記事を見つけた。

2012年度、某結婚情報雑誌の調べによれば、婚約指輪の購入率は首都圏で64%程度です。
ダイヤモンド婚約指輪のダイヤの大きさの平均は0.25~0.3カラット、お値段の平均は36万7千円です。
関西圏ではダイヤの大きさの平均は0.3~0.4カラットとなり、お値段の平均は首都圏と同じ36万7千円です。
0.3カラットあれば、婚約者も他人に見せても、肩身が狭くなることはないようだ。


以上となる。

これから婚約指輪を買おうと思っている方は、参考にして欲しい。この記事がいずれ必要になり、後になって思い出して読みたいと思う時があるかも知れない。そのときは、Googleで「アマカナタ 婚約指輪」で検索すると、今日の記事がすぐにみつかるだろう。

ちなみに、東京都内だと池袋の東武デパート地下にある池袋東武ホープセンター店が親切に応対してくれるのでいいと思うよ。