2014年12月30日火曜日

実態が請負契約のブラック企業経営者はなぜ理想を裏切ったのか

今日は本来、従軍慰安婦について書くべきところ、あまりに腹がたったことがあって別の記事を書くことにする。

ある企業の破綻

IT関係の高い能力はあるものの精神的な問題を抱えた社長が会社を創業した。ところが仕事の途中で(精神疾患のためか)すべてのデータを故意に破損させたまま失踪。てんやわんやの大騒ぎとなる、という事件が某所で起こった。

私はこの社長と、一度会ったことがある。シャイで誠実な人物、という印象だったし、実態もそうなのだろう。いろいろな問題を引き起こしているけれども、他人を脅迫して追い込むタイプではない。彼の記事は含蓄があり、面白い。人間的に好きだった。よって、今回の騒動は大変残念で仕方がない。

元社員が彼のことを追求する記事をネット上にいくつも書いている。しかしそれを読んでも、実のところあまり共感ができない。

「もともと彼の精神疾患を承知して入社したこと。データの全消去、という暴挙を許すまじ、と思う気持ちは分かるが、責任は社長がすべて取ることじゃないか。粛々と会社から離れればいいんじゃないか」
と考えたからだ。

憎むべきは社員に脅迫や強要を行って社員を追い詰める会社だ。いい加減な会社、儲からない会社を私はブラック企業とは呼ばないし、一般的にもそうだろう。

いい加減なところは、それを知った上でつきあえばいい。私は以前、辞めようとした会社の経営者から、これまでの勤め先や家族親戚を調べあげて、電話をかけてやると脅しつけられて辞めるに辞められない状況に陥ったことがあったが、そこの会社の元社員たちはそういう状況にない。嫌なら辞めればいいだけの話じゃないか。

実態は請負か委託

ブラック企業の定義についてこれ以上深入りしないけれども、ひっかかったのは、今回の事件の主役のTwitter上のつぶやきだ。
◯◯さんはご本人が言っているとおり正社員としては雇っていなくて、下請法の適用を受けるんですよね(源泉徴収しない報酬を支払っていた)。それで、当該月には成果物がなかった。この場合はどうなんだろう。 / “雇用契約書なんて作る義務…” http://t.co/qNZ2QmERpW

……おお、出た。

元社員はただ、退職すればいいと思うけれども、その問題とは別に、社長自体の問題を考える上で、この発言を看過できなかった。ブラック企業を経験した私のいや~な記憶を、蘇らせてしまった。


ブラック企業は、社員のために福利厚生を充実させることを嫌う。社員のために保険料などを負担しない。そこで「請負(うけおい)」あるいは「委託(いたく)」という雇用形態を採用するところが多い。本来これは、注文者が報酬を支払い、請負人が仕事を完成させる、あるいは受託者が業務を行う、というだけの関係を指す。読者のみなさんも、「うけおい」や「いたく」という言葉には、それだけの意味しか見出さないだろう。

注文者は請負人の保険料などを負担する義務がない代わりに、請負人や受託者は成果さえ出せばいい、という自由なもの。もちろん休日や休暇は自由に取ることが出来る。我々が画家に絵を注文して、画家が期日までに仕上げる。画家が期日までの間に何をしようが注文主の知るところではない。それが本来のあり方だ。

ところが、業務委託という形態を取りながら、9時出社を義務付け仕事が終わるまでは家に帰さず、休日出社までも命令するのが、ブラック企業のやり方。実態は完全な社員扱いで、社員数として我々の数を求人票などで公表していたというのに。

こうした雇用形態は法的には認められない。元社員が訴えれば、実態を元に社員と認定されるために、ほぼ間違いなく勝てるものだという。ところが裁判には時間がかかる。

私はブラック企業を辞めたあと、都内の法テラスの弁護士に相談に行ったところ、
「◯◯さん、悔しい気持ちは分かります。戦えば勝てるでしょう。けれども、これを訴えて勝つまでに時間もお金もかかりますよ。私は弁護士としてうけおわないなぁ。お金にならないですから」
と言われた。

そうだろうな、と思った。実際の話、別のブラック企業を突然解雇された知人が訴えたものの、半年分の基本給約100万円を得るに至ったのを知っている。だが、それまで1年間かかった。

(もっとも、大変だが……訴えていれば良かったと今になって思う。とことん戦った後は、「悔しい」という気持ちが決して湧くことはない。別の件で戦ったことがあり、そのときには、苦労をしたけれども後悔はなかった。戦えば勝てる戦ならば、戦うべきだ、というのが私の結論となっている)

夢から醒めた後が大切

さて、件の社長の件。

彼はホームページなどで、「ホワイト企業を目指す」 「基本在宅勤務で、出社を義務付けない」と誇っていた。実態もそのとおりだったらしい。

でも、私はその記事を読みながら、「請負契約なんじゃないの? だったら在宅勤務だったり休みを自由に取ったりするのは当たり前の話だろう」と内心嗤っていた。まあ、当事者同士が納得しているのならばいいじゃないか、というスタンスだ。

しかし、社長が仕事をすべてほっぽり出して会社が立ちいかなくなった以上、「実は請負だったんだよね」と開き直る態度は許せない。

この社長も以前、同じような環境にいて、悔しい思い、嫌な思いをしていたじゃないか。「請負」とは名ばかりの偽装請負の現場にいて、なぜ自分がこんな目にあっているのだろう、と苦痛を感じていたはずじゃないか。そこで自分の会社は、少なくとも本来の形での「請負」のありかたを目指していたはずじゃないか。

だが、生来の虚栄心のなせるわざだろうか、「社員に給料を払わなければ」と語って、自分の会社があたかも社員を雇用していたかのように偽っていた。

もっとも、それくらいの虚栄心は許せる範囲だ。なにしろ今年は創業一年目。これから、彼らを社員として雇えるようになればいい。

だが、今回自分の一時的な感情ですべての会社のデータを破損させて失踪するという暴挙によって、「社員」をすべて解雇するはめに陥ったのだ。自分の責任だ。申し訳なかった、と謝る場面じゃないのだろうか。一時的に精神疾患となっても、今は判断できる状態なのだろう? その今になって「彼らとの関係は請負だったんだよ」と開き直るのは、倫理観にもとる。法的にはそうであっても、社員と呼んでいたのだから、最後まで社員として扱うべきだったんじゃなかったのか?

彼は社員を大切にする会社を作ると語っていたが、実態は社員ではなく請負人だった。しかし社長は、請負人を社員と呼び、社員に在宅勤務や自由出勤で勤務させているように装って、一見ホワイト企業的な理想郷を作り上げてみせた。

その理想郷が破綻したとしても、多少の言い訳はしょうがない。 ある程度の弁明ならばしょうがない。夢を見たことは罪じゃない。夢に他人を巻き込んだことも、罪じゃない。夢破れることも、罪じゃない。

その上で、
「実は請負という形態であったけれども、会社が立ちいかなくなった以上、社員として世間に紹介していたので、社員として扱いたい、雇用保険や健康保険にも過去にさかのぼって加入させて、その分の負担は私が何年かかってもお支払いします」
と述べればいい。

それとも、こうした責任を回避したいならば、
「実は請負でした。申し訳ございません。私の不徳とするところです」
と語って、サンドバック状態になることを我慢しなきゃならない。

責任を回避したい、でも世間からは悪く思われたくない、なんて良いとこどりは、土台、都合良すぎる話なのである。

なぜ理想を裏切るのか

理想を語る者が、もっとも大切にしていた理想をないがしろにする、という例は歴史に数多く刻まれた悲劇だが、似たようなことは日常にゴロゴロと転がっている。革命家に憧れる左翼的思考の人物にそれが多い。民主党シンパの元社長の場合もそうだったのだろう。愛人を多く抱えていた毛沢東やスターリンが恐怖政治をおこなったのはよく知られているだろう。

私は、熱く理想を語る者が、理想を実現する立場に至った時に豹変するかどうかの試金石として、乱倫かどうかが一つの鍵となると考えている。家族を大切にするのは通常保守的思考の人物で、革新的な人々は通常、「保守」ではない。

浮気や不倫を行う人間は、例外なく嘘つきだ。
なぜなら独占欲の強い女性たちに、常日頃から、
「お前が一番大切だ」
「お前を一番愛している」
と囁かなければならないからだ。日常的に嘘をつくのに、こうして慣れていく。

また、浮気をする、不倫をする、というのは、かつて愛した女性を裏切って切り捨てる、一種の非情が必要だ。愛する女性と結婚するという理想を成し遂げたあとに、とどのつまり、理想を継続できないのだ。

家庭を大切にしたい、という理想と、たくさんの異性と関係を結びたい、という本能の間で、理想を裏切り本能を選択する人物は、理想の現場で簡単に理想を裏切る。

結婚後も浮気をする人間かどうかは、人生の早い段階でわかる。社会で理想を達成した後に理想を維持できるかどうかは、後にならないとわからない。だから、ある人物が理想を実現した後に理想を裏切るかどうかは、彼が結婚後に浮気を何度も繰り返していないかどうかに注目する、というのも一つの判断基準となる。

アングロ・サクソンの国家に独裁者が少なく、どこもある程度うまく機能しているのは、上層部が適度に潔白で、国民が指導者に一夫一婦制を守らせようとしているからだろうと私はにらんでいる。

だから、独裁者とならないためにも、ブラック企業の経営者とならないためにも、人は、もしも大切な人が現れたら、その人を一生愛し続けなければならない。それが無理なら、一度関係を精算して、相応の賠償をした上で、新しい恋を見つけなければならない。

恋することは一時の感情だが、愛し続けることは努力だ。相手のことを考え、それ以外の人との間で恋愛が生じそうになったら早めに対処する、という行動を地道に行う、という強い意志を持たなくてはならない。

件の社長も乱倫ぶりをブログで告白していたのだから、理想を実現できる人間ではなかったのだろう。歴史の法則は、案外強固なものだ。


2014年12月27日土曜日

トンデモ医師というのは野島政男医師のことなのか?

年末最後の土曜日ということで、例に漏れずに寝床でダラダラと過ごしていました。眠気覚ましには、面白いニュースを探すこと。重宝するのは「はてな」というサイトです。ホッテントリ(ホットエントリーの略称。人気のある記事のこと)を探していますと、こんな記事がみつかりました。

★ トンデモ医師のことを調べたら想像以上にトンデモだった

なにこれ、面白すぎる……。
ある日、実家から数百万円分の領収書が出てきた。
領収書の名目はトンデモ医師への献金や、医師の家族が代表を務める法人への寄付等。
またあろうことか、死亡時に全財産をトンデモ医師に遺贈する旨の遺言まで出てきた(きちんと公証役場で作ったもの)。
メールは「先日の地震は◯◯(患者の個人名)の意識が悪いから起こりました」「神がいるとしたら私が作ったのです」等、脳みそに蕁麻疹が出るような内容。
これらに記載された患者の個人名は400名程度になる。
医師という高度な専門職につきながら、こんな宗教チックな発言をする方がほんとうにいるのでしょうか。

急いで調べてみようと思いまして、他の方のブックマークを読みましても、人物特定できていません。記事が書かれたのが昨日19:17で、翌朝10時になっても具体的な事実が出てこないなんて。みなさん、宗教関係についてあまり詳しくないから、手間取っているのかな?

それならある程度くわしい自分が調べようと思いまして、文中のキーワードを便りに調べていくこと5分後。

★ (鹿児島・出水・野島政男) 野島医院
86 :がんと闘う名無しさん:2013/02/22(金) 01:30:15.78 ID:T10d5f8t
この医院は出水保健所とかの公的機関の立ち入りは入らないの?
多数の信者に向けて山中伸弥を名指しで批判するのは侮辱罪だし
小沢一郎への個人献金を強要したり「お金を払わなければ死ぬぞ」
などと脅したりするのは恐喝罪だし訴えられたら負けるよ

>【政治】「娘を助けたいなら小沢氏に寄付するよう医師に言われた」
>小沢資金管理団体「陸山会」へ100万円以上の個人献金急増

↑でググったらいろいろ出てくるけどこの「医師」って野島政男じゃないの?
もしそうなら完全に犯罪だから公的機関に調査してもらわないと











小沢一郎の収支報告書によれば、個人献金額が1億6千万円と記事指摘額とほぼ同額。医師の発言をさかのぼって調べてもほぼ記事の内容と同じなので、この医師のことで間違いないかと。

記事では「訴訟リスクがあるのでは?」と心配していますが、小沢一郎氏に野島政男医師が献金を求めていることは事実のようですし、彼が自分のことについて、
野島政男という名前そのものの波動でも人は癒される。
私を認めることで皆さんは成長する。なぜなら私は全てを創った存在だから
と講演で公表しているのです(下記本のアマゾンレビューによる)。

私の記事では彼を貶める意図はまったくないので、名前を出すことに何ら問題を感じないのですが……。

2010年頃から話題になっているのにマスコミも騒がず、司法も動かないところをみますと、記事で指摘されているように、双方合意で支払われているもののようですから、問題にしようがないのでしょう。

それに、地方に住む老人にとっては、遠方に済む子供や孫よりも、近くにいて親身に自分たちの話を聞いてくれて、死後の社会について教えてくれる社会的地位の高い人物の方が頼りになるということ。
死亡時に全財産をトンデモ医師に遺贈する旨の遺言まで出てきた
と聞くと大変うさんくさいのですが、何もしなくても親の財産を全額もらえると思って親や祖父母をほったらかしにしていた自分をまずは反省するべきではないか、とも思うのです。

ところで、冒頭記事の中で、
問題解決について一緒に考えてくれませんか。id:NATROMさんにはぜひお伝えしたい。
と書かれていまして、id:NATROMがブコメで、
トンデモ医師のことを調べたら想像以上にトンデモだった

増田の内容が事実だと仮定して私の専門外のような気がするなあ。既にコメントあるけど藤倉善郎さん(やや日刊カルト新聞社)のほうが。ただ、個別の医学的な主張の妥当性についてはご質問いただければ回答できます。
2014/12/27 09:18
と回答していました。ところが彼の過去の日記に、すでにこの医師の関係者に関する記事が書かれているのです。

★ 何でも治る超ミネラル水。野島尚武博士が熱い!

この記事自体は野島尚武という人物について述べたものですが、コメント欄で、彼と野島政男氏が実の兄弟では? と指摘されています。

最初、 id:NATROM自体が野島政男氏について書いたものと勘違いして(まだ目が醒めてなかったんでしょうな)、見当違いのことをブックマークに書いてしまいました。すみません。


……それにしても、時間があるというのはいいことですな。上記のような記事について、こころの赴くままに書けるのですから。年末ばんざい。

最近、忙しくて……食事がなかなか作れませんでした。かといって外食は栄養価で不安。安くて栄養価の高い弁当を宅配してもらうことが多くなりました。

★ 宅配健康食を全国へお届けする通販サイト!ウェルネスダイニング

7日分が送られてきます。一食635円で毎日二食、配送料無料なので、最近出不精な身にとっては、試してよかったので、上記の記事と関係ないながら、ご紹介。

2014年12月26日金曜日

Amazon電子書籍KDP 転居後の住所変更や雇用者番号変更について


アマゾンで電子書籍の販売を行うには、面倒な手続きが必要です。

アメリカの税制が適用されるため、なにも減免措置をとらないと売上利益の30%が源泉徴収されてしまいます。それを避けるために納税者番号(TIN)というものを取得しなければなりません。

納税者番号にもいろいろと種類があり、一番取得しやすいのは雇用者番号(EIN)。私は昨年末に取得しました。

さて、今月になりまして、アマゾンから「必要なアクション: 年末の税報告のための連絡先情報の更新」と題されたメールが届きました。

住所などの個人情報に変更があったら、変更手続きしてください、という内容です。

私は今年引っ越しして住所が変わりましたから、情報修正の必要があります。KDP アカウント (http://kdp.amazon.co.jp) にサインインして、 「税に関する情報」の更新作業を行おうとしたんですね。

住所を新しいものに変更し、そのあと昨年末に取得したEINを入力しようとしたら……入力できません。

「個人の方はSSN、またはITINを入力してください」としか書かれていないのです。EINを入力する場所がどこにもないのです。

ためしにEINを入力しても、形式が違うと警告が出て、入力を受け付けてもらえないのです。

……これは困りました。

例のごとくグーグル先生に質問したのですが、この事実に関する情報がネット上にほとんどありませんでした。いろいろと検索語句を変えて調べた結果、下記のサイトにいきつき……衝撃の事実が判明しました。

★ 個人でも可能な電子出版 誰でもできる電子出版 第三十七回
詳細は実際のKDPヘルプを見ていただくとして、かいつまんで言うと、「個人はITIN(個人納税者番号)を取得し、個人以外はEIN(雇用者番号)を取得してください。取得方法は米国IRSのサイトを確認してね」という感じです。
ガーン。
まじかよ、と。つまり、アマゾンは、今まで個人で電子書籍を販売していた人間に認めていたEINを、認めなくなった、ということです。

その代わりに入力しなければならない「個人納税者番号(ITIN)」なのですが、これがクセモノです。取得するためには、
・パスポートのコピー(米国領事館または公証人役場で公証を受けたもの)
・前年度の納税証明書
・フォームW-7(米国IRS書類)
が必要だというのです。それも、すべて英語で書かれたものを、です。

前年度の納税証明書を英語で用意したり、パスポートのコピーを公証人役場で英語で公証してもらうなんて、ハードルが高すぎます!

なにかいい方法はないのでしょうか?

この件に関する情報は乏しく、Google先生もあてになりませんね。ようやくこんな抜け道があることを知りました。

★ KDPアカウントで税の優遇措置を受ける方法
受益者の種類として「個人」以外を選択した場合は、米国のTINにEmployer Identification Number(EIN)を利用できます。
とある。
この「個人授業主」とは、USに会社がある、またはUSで人を雇っている、でなければならないのだ。
なので、ここでは「みなし事業体」を選択する。
へ~。

それで大丈夫なの? 一気にハードルが下がったんだけど。

でもこれしかないのだろうな、と思い、「個人でも可能な電子出版 誰でもできる電子出版 第三十七回」の著者である林拓也さんにもメールでお知らせしたところ、たいへん丁寧な御返事をちょうだいいたしました。ありがたいですね。

この方はKindle出版講座やiBooks出版講座なども開催されているプロの方でした。最新の情報を常にサイトで紹介されていて、その他の記事も大変役立つものばかりです。電子書籍出版をお考えの方は、この方のセミナーを受講されてはいかがでしょうか。

★ 電子書籍講座


さて、今朝になって、私は再び迷い始めました。

ほんとうに「KDPアカウントで税の優遇措置を受ける方法」で紹介された方法でいいのだろうか? なにか問題があるんではないか……と思いましてさらに調べてみますと、こんな記事をみつけたのです。

★ みなし事業体の税務情報の送信
みなし事業体である単独所有 LLC 所有者の税分類と納税者番号は、以下の 3 通りのいずれかとなります。

    所有者が個人事業主の場合: 税分類では個人を選択し、米国社会保障番号(SSN)を記入します。
    所有者が法人またはパートナーシップの場合: 税分類では法人またはパートナーシップを選択し、法人番号(EIN)を記入します。
    所有者が LLC カンパニーの場合(パートナーシップ、C コーポレーション、S コーポレーションの場合): 税分類で LLC を選択し、法人番号(EIN)を記入します。

実態に合った適切な項目を選択して、税務情報を送信します。
うーん。すでに個人事業主として生計を立てている方ならばともかく、そうではない個人が電子書籍を出版する場合、上記の三つに当てはまらないような気がするんですよね……。ほんとうに大丈夫なのでしょうか?

できるだけ、ルールや法律は守りたもの。さてさて。どうするべきか?

いろいろと悩んだ末に、こういうプランで行くことに決めました。

まず、急ぎIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)の住所変更手続き用紙(8822-B)にて郵送で住所変更手続きを行います。

ちなみに、 8822-Bの郵送先は、
Internal revenue Service Center
Ogden, UT 84201-0023
USA
で送りました(UTはユタ州の略です。海外から送付する場合はユタ州の事務所に送付するようです)。

住所変更が行われたら、それで急場しのぎ的に「みなし事業体」として申請を行い、同時並行でITINの取得を目指していこうかと。

そのあとの続報は、追ってご紹介していこうと思います。

それにしてもアメリカの税制は頻繁に変わりすぎです。ネット上の情報が陳腐化するスピードの早いことといったらありません。

2014年12月24日水曜日

地位ある男には美女がわらわらと寄ってくる

選挙の前だから記事を書くのを控えていたが、先日、次世代の党から出馬して落選した田母神俊雄・元幕僚長が離婚裁判を起こした、という記事を読んで思ったことを書いてみようと思う。

発端はフライデー記事だった。

★ 田母神候補に不倫と泥沼の離婚裁判報道! 選挙3日前に出る判決の影響は…

私もフライデーを読んだ。フライデーを読んだ人ならお分かりだと思うが、掲載された写真に写った田母神氏と並んだ女性は間違いなく美人。目の部分が黒塗りされているのに美人だとわかるレベルで、永作博美になんとくなく似ていた。

50代の女性の色香に迷った、という報道を知って、あまり期待をしていなかったのだけれども(失礼)、田母神氏がよろめいたのも、なるほどと腑に落ちた。

その後の報道によれば、結局離婚は裁判で認められなかったようだ。妻は終始一貫して離婚を拒んでおり、浮気をした田母神氏だけが離婚を望んでいるのだから、当然だろう。

馬鹿な話だ。極右の類は、彼がどのような人間であっても自分たちに都合がいい言動を取る著名人として、いつまでも彼を支持し続けるだろう。だが、保守的傾向の強い、常識人で彼になんとなく賛同していた人々は、彼を支持することはないだろう。家族を大切にしたい、という感情の延長上に国家を尊重する人々にとって、家庭をないがしろにした彼を許容できないからだ。

歪んだ価値観の狂信者ばかりに囲まれた人間は、やがて精神に変調をきたす。より過激に、より偏屈に。これから田母神氏の言動は、ますます不穏当になっていくのではないだろうか。

さて、本日の記事で私が書きたいのは、田母神氏非難ではない。そうではなく、男性の方々に忠告をしたいのだ。地位がこれから上がる男性は、気をつけるべきであると。あなたには必ず女性が、それも飛びきり美人の女性がこれから寄ってくるから、今のうちから意思を強固に保ったほうがいいですよ、と。

30代半ばを過ぎて独身で、なおかつ結婚願望のある元モデルのような美女たちと話す機会が、これまで何度かあった。彼女たちはたしかに綺麗だ。でも、彼女たちと話しながら、私は幾度となく疎外感を味わうこととなった。
(彼女たちは愛想が良い。私にもにこやかに応対してくれる。そして『誰でもいいから結婚したい』と訴える。でも、その『誰でも』の中には、絶対に私は入っていないのだ)
ということが、話せば話すほど理解できたからだ。

「誰でもいいといっても、限度がある」
と言う言外の言葉で、ハードルの下の人々を無自覚に傷つけていることを彼女たちは分かっていないし、分かっていても平然としている。他人を傷つけることに罪悪感を感じていないのだ。

「彼女たちが不幸になりますように」
と、世の男性たちの多くが祈っているのをご存知だろうか? 祈りが聞き入れられるのか、彼女たちはなかなか幸せにならず、やがて世の中に悪態をつきながら年老いていく。

彼女たちはだいたい、上昇志向が強い。その美貌が故に、これまで理想的な恋愛をそれなりに経験した彼女たちは、イケメンとの恋愛には、もはや憧れを感じない(すでに経験済みだから)。

年をとるに連れて、彼女たちの価値観は変わっていく。若い女性が結婚相手に求める、知性だとか性格の相性だとか話の面白さだとか人格だとか、いろいろな条件が、年をとるに連れて段々と削ぎ落とされていく。

DVを行う相手などは論外だとしても、それ以外の「顔」だとか「魅力」だとかはどうでもよくなっていき、譲れないものとして、「経済的に安定しているかどうか」と「友だちに自慢できるかどうか」の二点が残るのだ。

だから彼女たちは私に興味を示さない。そんな彼女たちは、たとえば最近離婚した社長と知り合う機会があろうものなら、恥も外見もなく彼らにすりより、嬌態を示すのを何度も見た。

わかったことがある。勘違いされがちだが、彼らの財産が目的ではない。そうではなく、彼女たちの目的は、もっと精神的なものだということだ。

たまたま運が悪く、素敵な伴侶に恵まれなかったけれども、美しい自分は本来もっと幸せであってしかるべきだ、という感情が根強いのだ。肥大したプライドを満足させるために、
「社会的に地位の高い男性と共にいることで、他人に自慢をしたい」
という欲望が大きくなる。

たとえ相手が結婚していようとも、社会的に地位が高い男性にはこの手の女性が猛烈なアタックをかけてくることとなる。知り合いに、「彼は私の大切な人」と自慢するために。きょう日、モデルのように美しい独身の高齢女性が本当に多くなった。その中に、この手の女性が多く生まれている。だから、猛禽類のような彼女たちから誘われる機会も激増する。

「自分には関係のないこと」
だと思っている若い人も多いだろう。でも、あなたが若くてこれから身を立てようとしている男性だとしたら、これから社会的地位が上がるにつれて、これまで出会ったことのないような美女から、猛烈なアタックをかけられることが必ず出てくることを覚悟しておいた方がいい。

そのときに、「いつか自分も美女と浮気をしてみたい」というような、浮ついた欲望を持っていたとしたら、彼女たちは間違いなく、そこにつけこんで来る。田母神氏のように年をとって醜態をさらし、妻の信頼を裏切った彼が、妻や娘から心から信頼されることもないだろう。やがて小沢一郎のように、周囲の信頼さえも失っていく。

とある研究によれば、「意思が固い」と言われる人々を調査したところ、彼らはそもそも意思を試されるような場所に赴かないことがわかったそうだ。つまり、タバコを吸わないと決意したら、タバコをすべて捨てる。そして禁煙に成功するまでは、コンビニでタバコを買えないように、小銭自体を持ち歩かないし、ストレスを避ける。結果禁煙に成功して、彼らは「意思の固い人物」という評判を得る。でも、彼らは困難の中で意思を通すことが得意なのではなく、困難を避ける回避能力に優れているのだ。

いま大切な家庭をお持ちの方々で、これから社会の中で活躍しようと望んでいる方々は、転ばぬ先の杖、今のうちから、こうした危険性の存在を知り、彼女たちの誘惑から遠い場所にいるように、身を慎むことをお勧めしたい。

2014年12月22日月曜日

Yahoo!映画レビューから献辞が削除されたという記事を読んで

松嵜真一という映画監督が、「映画は人を殺してもいいのか?~映画「告白」の裏側で亡くなった若手スタッフについて~」という記事で、映画撮影に携わっていた1人の若者の死を悼んでいる。

監督の裁量のもと、過酷な労働環境を強いられ、保障されないまま人々が酷使させられている現状を憂いた記事だ。昨今のブラック企業の問題にもつながる根深い構造だと思う。

詳しくは元の記事を読んでいただくとして、私が気になったのは、メインテーマとずれた、とある箇所だった。
けれどもやはり、私はそんな煮え切らない思いをどうにかしたくて、「告白」の公式ホームページで、感想を寄せてくださいと、Yahoo!映画レビューにリンクが貼られているのを見つけて、そこに上記の「後藤くんへの献辞の件」について書き込んだ。しかし、どういうわけだか、その書き込みはその数日後にはキレイさっぱり削除されてしまったのだ。Yahoo!映画レビューでは、1度レビューを投稿した映画には、再びレビューを投稿することはできず、削除された文章をもう一度書き込むことはできなかった。私はその時はじめてこの件に関して、なにかひっかかりを覚えはじめた。
確たる証拠はない。Yahoo!映画レビューが、「これこれこういう理由で削除しました」と明確に説明しないためだが、たぶんこれは、労働基準法違反が蔓延している映画製作の現状を知られることは一部の人間(多分映画政策配給会社)にとって都合の悪い書き込みだったから、削除させたのではないかな、と邪推する。

日本のサイトでは、この手の壁にぶつかることが比較的多い。ある程度の跳ねっ返りは許容してくれるけれども、根本に打撃を加えるような発言は、決して許してくれないという不寛容性がある(私も何度か経験した)。

楽天にせよ、Yahoo!にせよ、日本のIT企業が日本で善戦をしてくれている。それは外資系に日本の市場を席巻されることよりははるかに嬉しいのだけれども、彼らを根っこの部分で信用出来ないのは、こうしたところだ。日本のITサービスでは、企業や大きな団体に不利なことを書き込もうとすると、それが真実であるかどうかに関わらず、削除されたり発言の制限を受けたりすることがある。

無論、GoogleやAmazonなどの外資系IT企業がすべて信用できる、ということではない。彼らの検閲もかなりえげつない。でも、少なくとも、日 本のIT企業よりも、「事実をできるだけそのまま伝える」「できる限り検閲をしない」という使命に、もっと真摯に向き合い、違法行為を摘発する声以外の雑音には、拘泥しない、できるだけフェアであろうとする姿勢が強いように思うのだ。理念への信頼。私はこのブログで、何度かこのテーマを取り上げてきたが、どうしてもそこにこだわってしまう。

Googleが「邪悪になるな」という理念を社是としていることは有名だが、この種の形而上的な理念を掲げているIT企業は日本ではそれほどメジャーではない。実利的な、「暮らしをもっと豊かにする」などの直接社会に利益を与えることを目標として掲げるところが多い。

それはそれで一つの考えだと思うが、やはり少し、寂しいと思う。キリスト教原理主義者達が建国したアメリカでは、真実を人間が曲げてはならない、という想いを国民の中で共有している、という強みがある。例えばIT企業の中でもレビューの書き込みを監視する人間というのは現場の末端に属すると思うのだが、この現場レベルの人々の間に、自らの権利の濫用を防ごうという強い意志が働いているのではないか。

それに比べると、仏教国である日本は因果論に基づく、関係性の中でものごとをとらえようとする傾向が強いのだろうか。キリスト教の神のような絶対的なものを想定せず、存在の根拠を関係性の中に見出す思考法に慣れ親しんだ我々の中には、理想に殉じる気概を持つことを揶揄する風潮がアメリカの人々よりも強いように思う。

いや、それならば、ヨーロッパ発のインターネットサービスで、もっと世界を席巻するものが出てきてもおかしくないか。ITサービスのほとんどがアメリカ製であり、信頼を勝ち得ていることを考えると、SNSサービスを「フェアに」提供するための人材としては、キリスト教徒、というだけでは弱く、キリスト教原理主義的な、理念への狂的な信頼が必要なのやも知れず、そうした資質はアメリカ人にのみ多く宿り、その結果彼らのサービスが世界中で愛されている……そうした一面があるように思われる。

2014年12月20日土曜日

富裕層が海外に移住することのプラスの面

日本がまだ「もっとも成功した社会主義国」と揶揄されていた頃の話です。

今から15年ほど前でしょうか、格差が今ほどひどくなく、金持ちは累進課税制度を嘆き、渡部昇一辺りが大変人気を集めていた頃のことです。

「日本人にもっと金持ちが増えたほうがいい。一億総中流の政策のために、大金持ちが日本では生まれにくい。そのために、世界のエリートたちの輪に日本人が入れない。結果、日本の国益が損なわれる」

という富裕層からの意見を読んだことがありました。

当時は、日本が欧米諸国から盛んにバッシングをされていた時期。日本は経済的に優れていても文化的には劣ったものとみなされ、随分酷い誹謗中傷がイギリスやフランスの大衆紙などに掲載されていたものです。

四面楚歌状態の中にいたので、世界(主に欧米)からのけものにされている、という実感は日本人が等しく共有していました。いろいろな打開策を日本の識者が提案していましたが、「富裕層を増やす」という案はその中の一つとして出てきたもののようですが、さて、果たして金持ちが増えれば、本当に世界の支配層と日本の富裕層の関係性が生まれるのか? 今の閉塞状況から本当に抜け出せるのだろうか? と考えたとき、まったくその間に因果関係を見いだせない駄作と、私には思えました。

だって、日本人富裕層がいくら増えたところで、彼らが住んでいるのは日本です。欧米から隔たった場所に住んでいる以上、欧米の金持ちと交わる機会はどうせ少ないでしょう。

よって、日本人富裕層が増えれば欧米諸国の輪に日本人が入れるという意見は、まあ、与太話のたぐいだろう、としか当時は思えませんでした。

★ 富裕層、株売却益非課税国へ 日本人永住者2.6倍に
株式の売却益に課税しないニュージーランドや香港など4カ国・地域の日本人永住者が1996年に比べ2.6倍に増えたことが財務省のまとめで分かった。富裕層が節税のために永住権を得て、移り住んでいる例が多いという。欧州諸国などで深刻化する富裕層の国外流出が日本でも進んでいる実態が浮き彫りとなった。
これは今月初めの記事です。記事によれば、富裕層が節税のために海外に大挙して移住しているのだといいます。こうした記事を読みまして、15年ほど前の先述の富裕層の主張を思い出しました。

構造改革によって誕生した大勢の富裕層たちは、海外に移住し、当然、現地の富裕層コミュニティーに入ることでしょう。 同じ仲間同士で打ち解けあい、親交を深めることでしょう。人間同士が理解を深めるのは、何よりも、直に会い、話をすることが大切でしょう。

欧米の富裕層たちはカネを持っていますから、各国で、ある程度の権力を保有しています。そうしますと、普段から日本人とつきあっている欧米の権力者たちが、次第に日本に同情的な立場を取るようになるのはなんとなく分かる気がします。

そう言えば、往年の日本バッシングはいつの間にやら、終焉を迎えました。欧米の論調は日本に妙に同情的です。失われた10年、いや、20年と言われた景気の低迷などが同情を買っているという面もありますでしょうし、日本の平和への貢献がようやく認められつつあることも要因の一つではありましょう。アニメの人気が若年層に何らかの影響を与えているのかもしれません。

しかし、もしかしたらこの、欧米の「金持ちクラブ」の輪に日本人が多数入り込んだことで、世界の権力者達の感情に大きな影響を与えたのかもしません。税収のダウン以上に、彼らの海外移住が日本の国益に貢献した可能性はあるでしょう。ソフトパワーは侮れません。そう考えますと、彼らの海外移住は決して悪いことばかりでもありません。



2014年12月18日木曜日

疲れが取れないのは、音楽を聞いていないせいかもしれない

私には音楽を聴く習慣がありません。

人間には、「視覚型」「聴覚型」「触覚型」があるそうです。

たとえば買いたい製品があったとして、それをよく見て、買うかどうか決めるのが視覚型なら、人に聞いたりして決めるのが聴覚型、まず手にとって触って判断するのが触覚型、なのだとか。私はどうしても触らずにはいられないので、触覚型でしょう。

触れない場合は、しげしげと眺めます。そして最後に店員に尋ねるのです。

こんな私は音楽を聴くことにあまり熱心ではなく、普段は聴きません。家では無音で過ごすことが多いのです。

同じような人は、ある程度の割合でいるはずです。音楽を聴くことよりも、読書をしたりネットサーフィンをしたりすることを好むような人々です。

とはいえ決して音楽が不要なわけではありません。ときどき、無性に音楽が聞きたくなることがあります。脳が欲するのでしょう。

ところが、普段音楽を聞き慣れていませんから、脳が音楽を欲していることに気づかないことがあります。普段あまりない感じることのない欲求なので、脳が信号を見落としてしまうのです。

最近なにか調子が悪く、疲れが取れず、気分転換がうまくいかないことが多くなりました。

(おかしいな、おかしいな)
と思いつつ、ふと、YouTubeで好きな音楽を流してみたところ、気分が晴れたのです。

二重の意味でショックでした。こんなに簡単に気分が晴れるのか、という驚きと、音楽を欲していることに気づかなかったことに対する失望が重なったのです。

普段音楽を聴かない方は、気分がすぐれないときに、
「そういえば、最近、自分は音楽を聴いていただろうか?」
と自問してみるのもいいのではないでしょうか。

2014年12月16日火曜日

久々にはてなブログに記事を書いた

このブログの読者にはあまり興味がないだろう、はてな村のある人物についての記事を書きました。つまらないヨタ記事ですので、ご覧にならないほうがいいでしょう。


★ 齊藤貴義氏、あるいはid:netcraftとは何者だったのか?(妄想記事です)

2014年12月14日日曜日

自民党が圧勝したことが批判が加えられているが

選挙は自民党が圧勝しましたね。

投票後、食事を済ませてユーストリーム「ニューズ・オプエド選挙特番」で識者の分析を聞き流していましたが、途中で気分が悪くなってサイトを閉じました。

この特番では上杉隆がアンカーとなり、リベラルと言われる人々が選挙を振り返るというものでしたが、今回の選挙で日本の有権者が自民党を圧倒的大差で選んだことに対して、
「日本人の責任」
「ロシア並(の民度)」
「若者が本を読まなくなったせい」
「Yahoo!ニュースでヘッドラインだけを読んで社会を理解した気になっている」
「民主主義の危機であることが日本の国民はまったく理解していない」
と、恨み節ばかり。

さらには、
「日本人は民衆が自らの手で民主主義を勝ち取っていないので民主主義が成熟していない」
という、左翼勢力のいつもの主張まで飛び出す始末。彼らはどこまで日本人を馬鹿にしているのだろう、どこまで傲慢なのだろう、と思って気分が悪くなったのです。


今回の選挙で自民党を選んだ日本国民が、自民党の政策をすべて肯定しているはずがありません。外交、財政、社会保障、雇用問題など、自民党の様々な政策に、それぞれの立場から反発を感じている人々は多数いるのですから。

私の場合、自民党の労働政策に我慢ができません。日本電産のような労働基準法違反の企業を野放しにし、ワタミの創業者のような人間を自民党として公認する。こういう点が許せないのです。

それ以外でも、自民党の政策には是々非々です。同じく、親米政策、原発推進政策などを許せない人にとって、それが理由で自民党に反感を感じる、ということはあるでしょう。

ところが、こうした各論で反対ではあっても、総論では自民党を肯定する……それが多くの日本人の立場なのではないでしょうか。

様々な論の中にも序列があります。そのうちの、日本人の大多数が第一優先順位に考えているであろう、「人権への最低限の配慮」を有しつつ、「日本の国民のためになる政策」を考えている政党が、自民党くらいしか見つからないからです。

愛国主義、とまでは申しませんが、健全な保守主義を有している党が一つしかない、というのが日本の悲劇でしょう。

右翼的で暴力的な主張をする党はそもそも論外です。日本人の大多数の人権意識はそこまで低俗ではありません。かといって、それに対抗する勢力が総じて愛国にネガティブなのは、如何なものか。

アメリカは二大政党制を敷いていますが、共和党も民主党も、どちらも「国を愛する」という点では同じです。アメリカは二大政党とは名ばかりで、どちらも保守政党である、などと揶揄される所以ですが、政策は大きく異なっていようとも、国を愛していこう、という点では理念が一致しているのです。

国を愛するとは、その国の歴史を愛することでもあります。さまざまな間違いを、過去に起こしていたことは認めるものの、この国のたどってきた歴史は素晴らしいもので、私たちはこの国に生まれたことを誇りに思うべきである……こういう価値観を共有し、それ以外の点で対立する政策を、掲げ、争う。これが望むべき2大政党制でしょう。

ところが、日本では違いますな。民主党や社民党、共産党などの党員が、江戸時代の徳川幕府の政策や、明治政府が取り組んできた護民のための努力を積極的に肯定したりしませんね。近代史、それどころか、日本の歴史すべてを否定しようとする勢いです。だから日本を盛んに馬鹿にする人が多いのです。野党最大勢力である民主党のシンパにはこの手の人間が大変多いです。

民主党がこうなった理由は、いろいろあるでしょうが、民主党が自民党との対立軸を親米路線か否か、に置いたところに大きな原因があるような気がしてなりません。

民主党は、自民党とは異なる路線を取るために、親中国路線へと舵を切ろうとしました。

この中国という国はどういう国でしょうか? いまだに報道の自由や政治の自由、発言の自由を大きく規制している国です。また、明治期以降の日本の近代化の歴史を、帝国主義の歴史であると否定している国です。かつ、自国の過ちを決して認めようとしない、反省なき国家です。さらには未だに、チベット族や回族の独立勢力に虐待を加えている国でもあります。

そのような国に擦り寄ると、どうなるのか?

日本の過去をひたすら否定し、反省してみせます。
ところが、隣国の誤った政策には一切批判せず、見て見ぬふりをします。
さらには、報道の自由度などの、日本が優れている点を決して評価しないのです。


自分の長所ではなく短所ばかりに目を向けて、批判を許さない横暴なボスにすりよる人間が人望を失うのは必然でしょう。党もまたしかり。

外交政策は、私たちの生活に直接関係することではありませんから、投票する判断材料としては、二の次、三の次の優先順位でしょう。ところが、そう思って数年前、民主党を選んだところ、彼らの政策はお粗末極まりないものでした。当時は私も、ブラック企業追放のための何らかの施策を打ち出してくれるものと期待していましたが、なにか彼らが改善しましたかね?

結局、どの国を同盟国とみなすかは、党の姿勢に大きな影響を与えます。親米であれとは決して申しませんが、反米親中を選ぶことは、日本の先人の努力に敬意を払わないことにつながりますし、民主主義と自由主義という、民主国家にとって何よりも大切な理念を尊重しないことと、同意なのです。

そして、理念を尊重しない党が、リベラルだとか弱者救済だとかいったもともとの党の理念に沿った政治を、行えるはずがないのです。

各論で自民党と対立していても、根本では日本のこれまでの歴史を愛し、世界と協調しつつまずは日本国民のための政治を行うという点で共通している、そして何より、まともな人材が揃った野党に、現れてほしいものです。

2014年12月12日金曜日

元エリート金融マンのイギリス人が日本に苦言

元ゴールドマン・サックスでパートナーのイギリス人社員が、京都の老舗企業の社長となって奮戦しているという記事を読みました。

★ 身勝手な日本人が、日本の国宝をダメにする

そもそも、ゴールドマン・サックスのパートナーとは何でしょうか? ゴールドマン・サックスは、現在世界最高の証券会社と言われている企業です。全世界の従業員34,500人のうち上級社員は409人のみが「パートナー」と呼ばれます。まさに、選ばれた者しかなれないエリート中のエリート。報酬は5,000万円~2億円と言われています。

それなのに42歳で退社して、日本の老舗の漆塗り会社に入社したのですから、大変な変わり者です。よほど、日本文化に魅力を感じたのでしょう。

頭のキレはピカ一の方です。彼が日本文化にどっぷりとつかり、日本人に指摘する言葉は大変刺激的でした。

何を言っても無駄。行動しない。日本人は農耕民族だからと平気でバカげた理由を語り出したり。何でこの国が世界第2の経済大国なのか、ずっと不思議に思っていました。
これを読んで笑いました。この手の発言をするリーダーは、確かに日本にはたくさんいます。政治家、経済人、芸能人。10年ほど前に日本人サッカー選手が世界で活躍できない理由を、
「日本人は農耕民だから決してヨーロッパの人々には勝てない」
などと記事に書かれているのを読んで驚愕した覚えがあります。

サッカー大国のフランスは日本以上の農耕民じゃないか? 日本にだって漁師や狩人、さまざまな職業の人々が大勢いるじゃないか、何を馬鹿げたことを言うのだ、と。

しかし、ステレオタイプの考え方で思考停止してしまう人々が、日本の指導者然として君臨しているのですから困ったものです。

私はこれまで、企業の社長などと話す機会が何度かありましたが、彼らは平気で、
「世界はユダヤ人が支配している」
などの陰謀論を私に語ります。 馬鹿じゃないかと。ユダヤ人が指導者層に多いことと、彼らが世界を支配していることは違うだろう、と思うのですが、この手の馬鹿げた説を大まじめに語る人々は本当に、日本には多いのです。おとなりの韓国を笑えません。

百八十度の転身と言われるけど、障壁は感じませんでした。そもそも伝統技術という人工的な線引き自体を否定しています。(中略)よく職人は10年がかりというけど、じゃあ10年かからない職種を教えてほしい。金融マンだって医者だって同じでしょ。だからこの業界を特別視してはいなかった。自分としてはあくまでもビジネスの常識を実行していくだけ。
この言葉は大変重く、心に響きました。
「10年かからない職種を教えて欲しい」
たしかにそうです。そうですが、ただ、若くしてエリートとなった人が、それでも、10年かからないと仕事のプロにはなれないと断言したのを聞いて、ぞっとしました。

今の自分がこれから新しい道に進もうとするならば、さらに10年の下積みが必要、ということかと……。

最近では例の「おもてなし」です。日本では財布を落としてもほぼ確実に戻ってくるってよくいうでしょ。でも警視庁の数字では、現金では届け出があった額の40%にすぎない。残り60%にはいっさい触れず、都合のいい少数を大げさに持ち上げる。サッカーW杯のとき、日本人観客のゴミ拾いが日本人の美徳として話題になった。なら、鎌倉の花火大会の後を見てください。ゴミだらけです。
いいですね。最近の日本では、自画自賛ぶりが際立っていて気持ちが悪いです。自虐史観は問題ですが、かといって自賛史観もバランスを欠いています。それなのに、かつての日本はすごかった、とか、今の日本は素晴らしい、というものばかりがここ数年世の中にはあふれています。もっと中道を歩めないものでしょうかね。

それをこうして数字で表してもらえると、胸がスカッとします。アナリストらしく、客観的な数字とエピソードでものごとを把握しようとする姿勢、学びたいですね。

観光立国するなら発想の転換が必要ですよね。京都に来た外国人観光客の不満は「英語が通じない」の次が「解説がなく何を見ているのかわからない」。
いろいろなものごとを把握しようとするときに、理由の一番目に注目するあまり、二番目の理由を見過ごしてしまうことはよくあります。

「日本では英語が通じない」
よく聞く不満です。でも、これを解消するためには教育制度から変えねばなりません。ところが、それをまず解決しようとして、やれ、小学校から英語を教えろだの、必ず英語ネイティブを学校に一人は置くように、などといったことばかり、人々は語りたがります。

でも、二番目の不満である、
「開設がなくて何を見ているのかわからない」
に関しては、すぐに対応できることです。

日本には無数の翻訳者がいるのですから、彼らに歴史の解説文を英語に翻訳させて、看板を作ればいいのです。たったそれだけ。簡単にできることから始めればいいのに、それに手を付けずに大きな問題ばかりを話しあおうとする愚を悟りました。

いろいろと学べることの多い記事です。


2014年12月10日水曜日

ホリエモンの考え方に共感するのは、公務員に多いのかも

以前、とある勉強会で知り合った区役所の公務員が休憩時間に本を読んでいました。その本は堀江貴文の、
『君がオヤジになる前に』。


意外に思いました。堀江貴文といえば、新自由主義の申し子、 企業家バンザイ。公務員とは真逆の人、というイメージがあったからです。

「本、面白いですか?」
彼は答えます。
「面白いですよ。いろいろと共感することが出来て」

(へえ、共感するのか)
と、私は驚きしました。

それから他の公務員の友人と話す機会がありまして、そのことを話したところ、友人自身はそうではないと断った上で、
「上司や同僚に、そういえばホリエモンの信者や彼のことを好きなやつ、いるね」
と言うのです。
「自分に出来ないことをやすやすとやってるとこが、カッコいいと思えるからじゃないのかな」
と、彼は言います。

それだけだろうか、と考えてみました。

ホリエモンの主な主張をまとめますと、
  1. 能力主義
  2. 弱者切り捨て
  3. 行動主義
  4. 無責任
  5. 伝統や権威の否定
といったものでしょうか。

こうして並べて考えてみますと、なるほど、ある種の公務員が彼に共感する理由が、見えてくるような気がします。 

自分が有能だと思う人々

まず、1.能力主義、弱者切り捨てに関して。公務員には、自分の能力に自信をもっている方が大変多いものです。学校の成績が良い方が多く、学校の試験の延長線上にある公務員試験に受かって職に就いた方々が多いです。 昇進も試験の結果で決められることが多く、民間の競争を知りません。

ホリエモンが主張する能力とは、自由競争の中で勝ち上がる能力でしょうが、そこは人間、自分の業界のルールに引き寄せて考えます。中でも自分たちが有能だと思っている幹部候補生たちの耳に、ホリエモンの能力主義は心地よいことでしょう。

2.弱者切り捨てに関してはどうでしょうか。

役所に押し寄せるのは、社会の中でも恵まれない人々が多いものです。平日の昼間に役所に行きますと、ときどき窓口の職員に、
「お前の上司に代われ!」
と怒鳴り声を上げているヤクザまがいのオヤジなどに出くわします。



「公僕」という言葉を文字通りにとらえ、税金をほとんど払っていないのに、
「お前ら俺達のしもべだろ? お前らはオレたちの税金で食ってるんだ。文句があるのか!」
と言い放つ人々に日頃から接する機会が多い公務員の中に、
(あいつらがダメになったのは、自分自身のせいだ)
と、弱者全体に反感を持つ人が増えても不思議ではありません。

そうしますと、当然ホリエモンの、自己責任論、低能力者切り捨てに共感することになります。

ましてや、自分たちがリストラされることはほぼありませんから、無能力者がリストラされるのは当たり前(自分たちはリストラされないから有能)という考えにて陥るのも無理はありません。

公務員は責任を問われない

3.行動主義に関してはどうでしょうか。公務員の中には、仕事をしない、できない人間が一定数含まれています。縁故採用された人などですが、彼らに反感を感じている有能な公務員は多いでしょうから、彼らがホリエモンの行動主義に共感するのはよく分かります。

大都市ではさすがにそういうことはありませんが、地方都市などにいきますと、事務所の外の喫煙所、衝立の向こうのベンチに座って、一日中だべっている人などに出くわします。問い合わせをする窓口が分からなくて、彼らに尋ねても、うるさそうに立ち上がって、
「それ、あそこの人に聞いてくれる? 俺は今休憩中だからさ」
などと、1時間前からそこにいるのに堂々と命じたりするのです。

4.無責任はどうでしょうか。公務員は、誤った施策に対して基本的に責任を問われることはありません。無論左遷されることはあります。でも、数年に一度、転勤することが多く、仕事自体も成果が見えにくいものが多いため、自分自身の施策の結果を目の当たりにすることがあまりありません。

数年後に自分たちがおこなった施策によって多数の犠牲者が出たとしても、当時の担当が探しだされて罪を問われる、ということもありません。

そうしますと、
「一生懸命にやった結果が悪くても、それに対していつまでも責任を問われるのはおかしいでしょ。その時にそれに賛同した人たちの責任だから」
というホリエモンの主張は、自分を免罪してくれるものとして、心地良いものとなるでしょう。

ホリエモンも公務員も、一生安泰

「尖閣諸島を中国にあげればいい。それで中国が満足すれば」
と放言したことで有名なホリエモンですが、彼が小笠原諸島近海に大挙して押し寄せた中国船について述べることはありません。一歩引き下がれば一歩踏み込まれる相手の無理難題を聞くことは、相手につけいられるのと同じですから、こうした無責任な発言は、落選する危機のある政治家などは出来ないものです。

元億万長者という滅多に無い肩書きを持ち、実刑も喰らったことのある彼には怖いものはないでしょう。批評家としての地位は安泰ですし、それなりの資産もある彼は、たとえ言ってはならないことを言って、マスコミから干されようとも、食うに困ることもない、天下無双状態。首を切られない公務員のようなものです。彼の無責任礼賛が、一部の公務員から共感されるのも当然かもしれません。

5.伝統や権威の否定に関してはどうでしょうか。

役所の中ではつまらない伝統がてんこ盛りです。前例踏襲主義が根強いですし、叙勲の推薦手続きなんざ、後ろ向きもいいところで気が狂いそうになります。監督諸官庁の人々の機嫌をうかがったり、ひたすら昔の事績を調べたり。こんな仕事で一生を終えたくないと思う方々は多いことでしょう。

公務員に共産主義へのシンパが多いのはよく知られています。伝統や権威を守る立場にあるからこそ、それに従わざるをえない自分に忸怩たるものを感じる機会が、民間で勤めている人間には多いかもしれません。

(なぜこんな馬鹿げたルールに従わなきゃいけないの?)
(なぜ儀典のような馬鹿げたことにこんなに一生懸命にならなくちゃならないの?)

こうした思いをもつ人々にとってホリエモンの伝統否定発言は、
「よくぞ言ってくれた!」
と拍手喝采を浴びせたくなるのかもしれません。

匿名だから底辺ばかりというわけじゃない

尖った発言をすれば叩かれます。特に、地位のある人間で、批判に弱い立場の人には批判が集まり易い傾向があります。

公務員は地位があるものの、作家や政治家のような、多数のファンが周りにいるわけではありません。だから、余計なことを発言すると批判が殺到し、せっかくの地位を失いかねず、さらには彼を養護するサポーターにも恵まれないために発言するだけ損というもの。

それに、ある程度の承認欲求が満たされている彼らは、ネット上で発言する必要性を感じることは少ないでしょう。むしろ、百害あって一利なし。今後の昇進にも影響が出ます。

実名で発言するほど馬鹿じゃない、と思っている公務員のほとんどは、ウェブ上の発言は匿名で行うことが多いものです。

ホリエモンに共感する層というのは、物知らずの学生や自営業者たちだろうと、なんとなく思っていました。彼のブログやTwitterに賛同のコメントをしている人々も、そうだろうと。

ですが、こうして考えますと、ある程度有能だと自負しているけれども、他者への思いやりの少ない中間管理職の若手公務員などに、彼へのシンパが非常に多いのかもしれません。



2014年12月8日月曜日

清朝最後の文人「呉昌碩(ごしょうせき)」はなぜ四絶と言われたか

呉昌碩(ごしょうせき・ウーチャンシュオ)の名前を知らない人は、多いでしょう。1844年に生まれ、1927年に亡くなった清朝末期に活躍した人物です。

古代の人物は評価が確立していますが、時代が近づくに従って一般の人々に名が知られることは少なくなります。顔真卿の名前ならば、世界史の授業で習って知っている人は多いはず。でも、呉氏の名を高校までの授業で習うことはありません。そのため、書道に興味のある人以外にはほとんど名前が知られていないのは、惜しいところです。

彼の人生について、詳しくはWikipediaで読んでいただくことにしまして、このブログでは簡単なご紹介と、彼がなぜ「四絶」と称されたかについて、ご案内したいと思います。

呉氏は浙江省安吉県に生まれました。

エリートの家系で裕福でしたが、1850年の太平天国の乱に17歳の時に巻き込まれます。故郷を家族とともに離れて避難したものの、弟と妹、許嫁を相次いで亡くしました。

そのあと、働きながら書の修行に明け暮れましたが、生活は苦しく、戦乱の中、結婚後も家族を養うのに一苦労したようです。ただ彼は、その困難に決して負けることはありませんでした。何人も師匠を変えながら各地を転々としつつ、「書」「詩」「画」「篆刻(てんこく)」に関する様々な技法を貪欲に学んでいきます。

50歳を過ぎてから、段々と世の中に認められるようになり、次々と仕事の依頼がくるようになりました。遅咲きの人だったのです。

そのあと、彼の名前は篆刻家として非常に有名になります。1904年に丁仁・王禔・葉銘・呉隠という4人の芸術家が、篆刻を中心とする国際的な学術団体・西泠印社(せいれいいんしゃ)を設立したときに、わざわざ招かれて60歳にして初代社長となったほど。

そのあとも活躍を続けましたが、 1927年、南京事件の起こった年に脳卒中のため84歳で亡くなりました。

さて、彼が「四絶」と称された理由です。ここで言う「絶」とは、「絶対的な」「並優れた」という意味です。 つまり、文人が身につけなければならないとされる四種の芸術分野「書」「詩」「画」「篆刻」に、並外れた技能を発揮したから、彼は四絶と呼ばれたのです。

どのような作品を生み出したのか。まずは「篆刻」から見ていきましょう。

「篆刻」

中学校までしか書道を習っていないならば、篆刻の存在について知らない人も多いかもしれません。高校で書道を選択すれば、一度は経験するんじゃないかな。「てんこく」と読みまして、早く言えば「書」と「彫刻」の結合芸術のことです。

木や石に文字を彫りつける……「書」の技法も「彫刻」の技法も必要となる、奥深い世界です。

呉氏が得意としたのがこの篆刻でした。その作品がこちらです。

彼は「鈍刀(どんとう)」という、あまり切れない彫刻刀を好んで使いました。鈍刀は、切れ味が悪いために削り過ぎることがありません。力は必要ですが、時間をかけてコツコツと掘れば、理想通りの彫刻が出来るという利点があります。

苦労の多い人生を歩んだ呉氏に適した道具だったのでしょう。 しかし、彫り過ぎによるものでしょうか、肩を壊してしまいまして、50歳を過ぎてからの作品は大変少なくなります。彼の篆刻の名品は、有名になる前のものが多いようです。

「書」

彼は篆刻を一番得意としていたため、「書」に「篆刻」を応用した独特の文字を書くのを得意としていました。

春秋戦国時代に花崗岩に刻まれた文字である「石鼓文(せっこぶん)」 を模した、「猟碣集総聯」と言われる書体で書かれた文字は、独特の美しさがあります。


「画」

彼は絵に、書で学んだ技法を応用しました。草書体をさらに崩した「狂草」という書体がありますが、この技法や、篆書(てんしょ)と呼ばれる秦代以前の絵のような文字を書く上で学んだ技法などを惜しみなく画に応用したため、花や山、岩などが、絵であるのに文字のような独特の風味があります。

「詩」

中国の文人は、必ず漢詩を作ることができます。彼もまた、
「呉先生の作品が欲しい」
という依頼に応えるために、作詩に余念がありませんでした。

彼の作品の一つが、これです。
泠然一曲奏当筵
和鮮陽春顧亦捐
充耳不聞簫管徹
琵琶疑坐李龜年
冷然として一曲、まさに筵(むしろ)にて奏でたり
鮮やかなる陽春に和し、 また狷なるを顧みん
耳に充てれども簫管の徹するを聞かず
琵琶、李亀年の座するかと疑う

とでも読み下すのでしょうか。

むしろの上で音楽家が曲を奏でている、その曲を聞きながら、春の日に照らされ、己の短気を反省していた。ふと耳をそばだてると、いつの間にやら簫管の音が聞こえない。琵琶の音のみが聞こえてくる。その美しさは、音楽家として名高い唐代の李亀年(りきねん)が奏でているようだ。

とでも訳すのでしょうか(不学のため、誤っていればコメント欄などで教えてください)。


こうして彼の作品をほんのわずかでも眺めて見ますと、彼が清朝最後の文人と呼ばれ、四絶と称されたのもなんとくなく分かります。すごい人です。



参考:「書道偉人物語」 「「書道ジャーナル研究所」」など


2014年12月6日土曜日

家族を守るために殺人を犯した父の判断は正しかったか?

デジタル版朝日新聞の記事からです。

★ 「妻と娘を守る義務がある」 三男殺害、父への判決
父親「主治医や警察に入院をお願いしたが、最終的には措置入院もできなかった。今の精神医療の社会的仕組みでは、私たち家族は救えないのではないか。そう思いました」
 7日午前3時前。父親は風呂を出ると、2階にあった出刃包丁を持ち出し、三男の部屋に向かった。寝ている三男の横に中腰で座り、左胸を1回、思い切り突き刺した。

この記事を読んで、私は考えました。同じような状況に置かれたとき、自分はどうするか、と。

身内や隣人が反社会的人物となる可能性

似た事件が、長崎県の佐世保市でもありました。少女は、殺人衝動にとらわれた末に、同級生を殺したという、例のあの事件です。少女を野放しにしていた責任を問われた弁護士の父親は、世間から非難を受けた末に、自殺しました。

家族に狂人がいる苦労を想像することは、同じ状況にいない者にとっては難しいでしょう。しかし、たとえば隣人に執拗な嫌がらせを受けることや、ストーカーの被害に遭うことは誰にでも起こりうることです。他人に害を加えようとする狂人に出会う可能性は、どこにでも転がっています。

彼らが社会人ならば、彼らの非道を会社なり得意先なりに訴えて、兵糧攻めをねらうこともできるでしょう。ところが、相手が生活保護を受けていたり、親の財産を相続して働かなくてもよい、そんな相手だった場合は? 彼らには時間が十分にあり、失う社会的地位もないため、執拗な嫌がらせを避けることは困難です。

有り余る時間を使って、バレないように窓に石を投げたり、延々と苦情を述べ続けたりと、あの手この手の嫌がらせをおこなうことも多いのです。中には身の危険を感じることもあるでしょう。たいていバレますが、中には巧妙に証拠を隠すことに長けている者がおり、警察が動きようがないことも珍しくありません。

そんな狂人とつきあう羽目におちいったときに、さて、どうするか? この父親のように、殺すしかないのか? いざその状況に陥った時に、追い詰められた頭ではまとな判断ができません。平時に考えておくことが、大切です。

私の経験

今のところのベストな回答は、
「彼らから危害を受けたら、どんなに恥ずかしくても、怖くても、必ずその都度、警察に訴える」
ということではないかと思います。

冒頭の記事の事件では、母親に暴力を振るっています。長崎の同級生殺害事件も、その前に父親の頭蓋骨を陥没させるという暴力事件を起こしています。その時点で、警察に突き出さなければならなかったのでしょう。そうすれば、後日自分の手で息子を殺すことも、娘が他人を殺すことも、なかったかもしれないからです。

しかし、これは思った以上に、難しい。それは、昔私がとあるブラックな職場に勤めていた頃に、雇い主から木刀でのどを突かれたことを警察に訴えられなかった経験上、よくわかります。

警察に駆け込んでも、彼が逮捕されることはないでしょう。せいぜい厳重注意でしょう。のどの柔らかいところを突かれただけで痣もありませんから証拠もありません。逆に名誉毀損で訴えられるかもしれません。



しかも、彼は、
「もしもお前が逆らえば、懲戒解雇の上、以前の勤め先すべてに電話して、どんな人間か調べつつ、お前がどんなに無能な人間だったかを話してやる」
とうそぶくのです。

彼には実行力と執念深さを備えていました。たとえば、取引先の気に食わない役員に失礼な態度を取られたことがありました。そのとき彼は、その役員によって取引が中止されたあとに、その上司に敢えて大口の顧客を紹介したり、それをきっかけに他の役員と飲み食いを重ねるなどして信頼を勝ち取ったのちに、1年かけて件の役員を退職に追い込んだことがありました。

彼はゲームのように、誰かを嗜虐するのが好きな人間で、雇った人間が不幸になるように裏で画策するのが大好きなのです。だから、私の以前の勤め先に電話をしてあることないことを吹き込むというくらいの嫌がらせは、法に触れない範囲で間違いなくやるでしょう。

私にもプライドがあります。元勤め先を円満退社したものの、そこに嘘ではあっても妙な噂を吹き込まれるのは死ぬほど嫌でした。だから結局彼の暴力を警察に駆け込むことはできませんでした。

彼はこうした脅しで、前に勤めていた人間に暴力をふるい、自殺未遂に追い込んだりもしていました。弱い人間をねらって。世間に公表されることがないだろうと見越して。弱い人間にもプライドがあることを見越して。

プライドを捨てるのは難しい

この手のプライドが邪魔をして、結果大きな災厄に見舞われることは予想以上に多いのです。北九州監禁殺人事件でも、被害者が犯した小さな罪(不倫など)を表沙汰にされることをおそれて、加害者の松永太の言いなりになっていました。彼が犯す犯罪を警察に訴えることができませんでした。

犯罪者を警察に突き出すことに、普通ならば、誰もためらいを覚えないでしょう。ところが、相手が家族であったり、あるいは相手に弱みを握られていたりすると、警察に突き出すのは難しくなります。
 父親「警察に突き出すことは、三男を犯罪者にしてしまうこと。その後の報復を考えると、それは出来ませんでした」
 父親は法廷で、「三男は自分が犯罪者になることを恐れていた。家族がそうさせることはできなかった」とも話した。
と、冒頭記事の事件を犯した父親は証言しています。これもまた、プライドです。記事では「三男を犯罪者にすることはできなかった」と父は述べていますが、それだけでしょうか? 身内に犯罪者を抱えること、それが勤務先にばれることなどが恥ずかしい、という気持ちが、彼ら家族にあったのではないでしょうか?

日本人にはこの「恥ずかしい行動をしたくない」という気持ちが、自分でも思っていない以上に強いのです。それは社会の安定をもたらす反面、狂人や反社会的人物らに、つけこまれる隙をつくります。

江川達也の覚悟

こうした問題解決の参考例として、漫画家の江川達也さんがいます。
『東京大学物語』でおなじみ、ときどきテレビでコメンテーターとして活躍している江川氏は、元研究者である兄との間に、大きな確執を抱えています。

★ 親族に20億円騙し取られた森光子、実兄のせいで数億円失った江川達也…家族とお金の話

「1年研究してだめだったらやめてください」と結論を先送りした江川氏のもとには、さらに兄より執拗な電話がかかってくる。

「『お前が今まで稼いだ金と将来的に稼ぐ金も全部俺のものだ。死ぬまで稼いでも足りないぞ。早く金を返せ』『金を送らないと、お前のかみさんを“念”で殺してしまうぞ。殺したらお前の責任だ』『お前の目が見えなくなるぞ、いいのか』――こういったことを16~17時間にわたってネチネチと繰り返され、『このままでは、死んでしまう』と思いました」

江川氏は宗教に狂った兄から家族を守るために、兄を訴えます。それだけではなく、骨肉の争いを、継続することを決意しています。
「裁判が終われば、必ずまた兄が執拗に金を要求し、『お前の家族を殺してしまう』と言ってくると思うからです。私が死んだら妻や子どもが標的にされるでしょう。『俺の金を返せ。数兆円だ』とどこまでも追ってくるでしょう。兄が死ぬまで私は、生きて、家族を守るつもりです」
身内が狂人となるかどうか、反社会的人物が自分にからんでくるかどうかなど、自分がこうした争いに巻き込まれるか否かは、運次第です。それでも世間の中で、なんとか犯罪者とならずに、あるいは被害者とならずに踏みとどまるためには、現状の司法制度で出来る限りのことを、おこなっていくしかないのでしょう。そして、こうした争いを続けている人々を、応援していきましょう。


上記の本はお勧めです。犯罪者たちがどのように脅してくるのか、その場合にどのように立ち向かえばいいのか、くわしく書かれています。

2014年12月4日木曜日

将門の首塚はもっと評価されていい

日本には「三大怨霊」と呼ばれる三人の歴史上の人物がいます。
  • 菅原道真……当時最高の大学者。左遷されて903年に死亡後、怨霊化。
  • 平将門……桓武天皇の末裔が新皇を自称、反乱。940年に討伐され怨霊化。
  • 崇徳院……保元の乱を鎮圧されて、1164年に配流先で死亡後、怨霊化。
それまで日本で怨霊といえば、 崇徳院の方が、将門よりも有名でした。

崇徳院の数奇な生涯

崇徳院は悲劇の人です。天皇在位中も譲位後も鳥羽上皇に実権を奪われ、上皇亡き後は、逆恨みされることを恐れた鳥羽上皇の側近たちから命を狙われる悲運に見舞われます。

追い詰められて仕方なく乱を起こしましたが、とらえられ、讃岐(現・香川県)に島流しにされます。彼は本来、優しい人なのでしょう。戦死者の供養のために大変な量の写経を朝廷に送ります。

ところがこれを、「呪いをかけているのでは?」と疑われて突き返されたことに、怒りを爆発させました。堪忍袋の緒が切れ、舌を噛み切り、その血で「大魔王になって、天皇をその地位から引きずり下ろし、今は見下されている者を王にしてやる」と写経に書き込んで死ぬのです。

結局、その20年後には鎌倉幕府が成立し、朝廷の権力は完全に武士に奪われました。王政が復古するまで700年近くの間、崇徳院の呪いがかかっていたと言えなくもありません。

とにもかくにも、彼のすさまじい最期とその後の怪異によって、崇德院は人々におそれられ続け、様々な文学のモチーフとなりました。中でも有名なのは江戸時代中期に書かれた『雨月物語』です。江戸時代後期から末期にかけて大きな影響を人々に与えました。

物語の影響は、案外大きいものです。江戸の影響が色濃い明治時代には、崇徳院が非常に崇められました。明治天皇は即位するとき、崇徳院の御霊を京都へ帰還させる行事を行って、白峯神宮を創建して霊を弔いましたし、戦後になっても、昭和天皇が崇徳院800年祭を祀ったほどでした。

『帝都物語』の影響

ところが、1976年に放映された海音寺潮五郎原作のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』で平将門が主人公となった頃から、人々の注目が将門に集まるようになりました。

ただドラマで描かれたのは、あくまで歴史上の一武将というものでした。ところが1985年から87年にかけて刊行された荒俣宏の『帝都物語』で、平将門のもう一面、怨霊としての将門が大きくクローズアップされるようになります。

『帝都物語』は、平将門の生まれ変わりである加藤保憲が、東京を魔都へ変えようと画策する明治期から昭和73年(!)までの100年間を描く、という壮大な物語です。幸田露伴や泉鏡花、さらには角川春樹まで、実在の人物が登場して加藤と戦うのが特徴です。

小説は映画やアニメになりました。なかでも当時邦画界として破格の10億円をかけて制作された映画版「帝都物語」は、大変な反響を呼びました。しかし、興行成績は8位、興業収益は10億5千万円と、ほとんど儲けが出ませんでしたが……。

この映画は、とにかく嶋田久作がカッコ良いのです。脚本が大変お粗末で、どうしてこんな分かりにくい脚本にしたんだろう? と今でも思い出すと怒りが湧いてくるほどですが、それ以外、映像と演技が抜群によく、特に大抜擢された遅咲きの俳優・嶋田久作の怪演によって、映画が駄作になることを防ぎました。これほど「はまり役」という言葉が合う役は、ないかもしれません。


私は映画が先で、小説があとでしたが、小説の加藤のイメージは、嶋田久作の演じる加藤そのままでした。島田氏のブログを読みますと、ネコ好きの穏やかな芝居バカというキャラが浮かんできますが、私の中の嶋田久作は、あくまでも「帝都物語」のおどろおどろしい加藤です。

とにかく、「帝都物語」は興行成績こそふるわなかったもの、大きなインパクトを世の中に残しました。平将門ブームの火付け役になり、大手門にある「将門の首塚」には、大勢の観光客が訪れたといいます。

首塚は現代も

「将門の首塚」は、皇居のすぐ近くにあります。住所は、「東京都千代田区大手町1-2-1」であり、高層ビルに囲まれていますが、ここだけ異次元の空間のようです。

『帝都物語』以降、将門の首塚を題材にした作品は作り続けられています。少し前になりますが、ヒットして映画にもなった『鴨川ホルモー』の続編で2007年に刊行された『ホルモー六景』では、東京学生の鎮守行事が、この首塚で行われていたことなどが描かれています。

私は数度、この首塚を訪れたことがあります。なんとなく、妙な雰囲気がありまして、たしかに人々が、この神社に惹かれるのが分かりました。通りから中をのぞきこめるのですが、時間が止まったような鬱蒼感があり、長居をしたいとは思えませんでした。

東京の一等地に手付かずの神社があるのが、とても奇妙です。そもそも天皇のお住まいの皇居のすぐ近くに、天皇にかつて反逆した将門公の首塚がある、というのが不思議でなりませんでした。

ただ、よくよく考えますと、平成天皇の身体には、第六天魔王を名乗った織田信長の血も、天皇に代わり日本国の王たらんとして東照大権現を名乗った徳川家康の血も流れています。現在の天皇家自体が、江戸幕府に反逆して現在の地位に就いたとも言えるわけですから、その血に脈々と流れる反逆者の魂にとっては、むしろ平将門は頼もしい存在に思えるかもしれません。

『帝都物語』のブームも今はなく、皇居の近くにひっそりとたたずむ、この「将門の首塚」ですが、 せっかくこれだけの物語に彩られた神社です。もっと人々に、興味を持ってもらいたいものです。

現代の権威に反逆を試みようとする人々は、東京駅に寄ったついでに、この「将門の首塚」に参拝に行ってみてもいいかもしれません。

2014年11月28日金曜日

小4詐称サイト炎上事件は、フジテレビ抗議デモと似ている

先日から何度かこのブログで、小4詐称サイト問題について触れてきましたが、首謀者の母校の大先輩である山本一郎氏が、総括的な決定版とも言える記事を書いています。

★ 小4詐称サイト問題の周辺に“オトナ”不在のなぜ?|やまもといちろうコラム

山本氏が容赦なく切り込んでいて、笑えます。女子高生218人にNPO法人の経費を流用して焼き肉弁当をおごったという、知っている人がまだ少ないネタまで紹介している始末。これには正直、感心しました。大学の後輩にでも手心を加えない。立派だと思います。

山本氏が指摘するように、この炎上事件の功績は、
「青木さんを入塾させたり小保方問題を起こした裏口同然のAO入試の問題」
「経費の使い方が怪しいNPOのガバナンスの問題」
「明らかに問題がある詐称サイトに支援をしてしまった脇の甘いオトナたちの問題」
などを炙りだしたことです(炎上だけに)。

どれも、単体ではそれほど関心を集めるネタではないのに、青木氏というスターのお陰で、さくさんの人の関心を悪い意味で集めたため、問題意識が共有されることとなりました。

AO塾は、これから世間から監視されるようになるでしょうし、大学側も批判を受けて、今後は何らかの対策を進めることでしょう。いろいろな自浄作用が働き始めるとしたら、それは大変素晴らしいことだと思います。

私、山本氏の記事を読んで、今回の炎上事件はフジテレビに対する反韓流デモと似ていることに気づきました。

何かの問題が炎上するのは、偶発的ではありません。それまでの過程で小さな不満が人々の間に積もっていて、怒りが蓄積されていることが多いです。

もともと韓流ブームは作られた感のあるものでした。NHKの『冬のソナタ』や『チャングムの誓い』がブームとなったのは、たまたまだったのでしょう。でも、このブームに便乗して韓流を仕掛けたのは意図的、計画的なものだったはずです。だって、テレビ局がほぼ一斉に、韓国系芸能人を重宝し始めたり韓国系ドラマを放送したりしていましたからね。

リーマン・ショックなどで広告費が先細りになるのに危機感を抱いたテレビ局や大手広告代理店などが、経費削減のために、コンテンツのダンピングへと舵をとった結果ではないかと思います。

大手広告代理店がブームを仕掛けることはよくあることです。しかしそれが大衆心理と乖離していると、人々の不満が段々と溜まっていきます。

作られた韓流ブームに、違和感をもった大衆は、高岡蒼甫の不当解雇をきっかけに、大規模なデモをフジテレビに対して行いました。そして今日の反韓流の隆盛へとつながっていったのです。


同じ構図が、今回の事件にも見え隠れします。

ここ一年ほどですが、ネット上でTehu氏をむやみに持ち上げる記事を見かけるようになりました。

★ 北川拓也氏×Tehu氏 『ハーバード大学卒の天才×現役灘高校生の天才』 by Life is Tech !
★ 天才灘高生 @tehutehuapple さんのプレゼンがすごかった
★ 元旦にニッポン放送で「ももクロ」に会った

同じく、青木氏のような威勢のいい若い大学生の政治活動も、民主党を中心とした人々からやけに持ち上げられています。模擬選挙だとか、大して中身はないのに、「凄い」「凄い」と大変な騒ぎです。

正直、少し気味が悪いと思っていました。

Tehu氏のプレゼン、ほんとうに凄いですか?
青木氏の主張、そんなに目新しいでしょうか?


なにより彼らの顔。


こう言うと大変失礼ですが、人気の出る顔とはとてもじゃないですが、思えないのですね。あの手の顔に人気が出るとしたら、経験を積んで顔に渋みが出てくる30を越えてからでしょう。

それなのに、広告代理店に「使える人材だ」と認定されて、応援され、大衆の尊敬を得ていないのに尊敬を彼らが得ているような扱い方をされるということ。これ、大手広告代理店による、社会的指導者を自分たちの手でつくりあげようという計画の一環だったのではないか、と邪推するのです。

芸能人のスターを大手広告代理店が作り上げることは、これまでもよくあったことです。芸能人スターを一から作り上げたように、政治家や文化人を彼らが原石から発掘して作り上げようとしていたとしても、おかしくありません。

18歳の若者にも選挙権を与えろという、どうでもいい主張に夢中になる彼らと、彼らを妙にプッシュしてきたマスコミについて調べるうちに、その想像が確信に変わりつつあります。

で、この意図的な動きに対して、完全に気づいたわけではありませんが、なんとなく嫌だな、と思う人々が巷に増えてきて、その不満が積もり積もって、小4詐称サイト問題で一気に炎上したのではないでしょうか。

本当の人気は、こんな流れで上がっていきます。人々が無意識に共有していた時代の気分にマッチしたスターが、最初は熱狂的な一部のファンの人気を博し、そのファンが宣伝をして次第に人々に知られるようになり、テレビに出たり事件を起こしたりしたことをキッカケに一気に人気が出てきて、それに広告代理店などが群がって人気を不動のものにするのです。

それに比べて作られた人気は、いつまでも何があっても応援してくれるコアなファンを欠いていますので、すぐにしぼんでしまいます。青木氏が元代表を務めていたNPO法人の活動が、今回の件ですぐに瓦解してしまったとしてら、たぶんそういうことなのでしょう。


2014年11月26日水曜日

いろんな事実が出てくるものだ 「#どうして解散するんですか?」と入試不正疑惑

一昨日「#どうして解散するんですか」という大学生が小学4年生を装って作ったサイトについて言及しましたが、その事件が急展開を迎えています。

★ 【AO入試ビジネスの闇】小4なりすまし慶応生青木大和「NPOのスタッフ全員がAO入試で合格!」

上記記事によれば、この問題を起こした男性の友人らしき人物(たかお@o_takao104)がTwitterで、
いま話題の誰かさんの慶應法学部およびSFCのAO入試のための自由記述つくったの僕なんですけど、規約違反とかで慶應の合格取り消しにしてくれませんかね?お礼すらないどころか塾では彼が作ったとして掲載したらしいからねにもってる(´・_・`)
返信 リツイート お気に入りに登録 2014.11.22 23:00
と発言。青木氏が入試で不正を働いたのではないか、という疑惑が出てきたのだそうです(現在この発言は削除、いや、アカウント自体がなくなっています)。

上記の発言の中に出てくる塾とは、「AO義塾」という東京都渋谷区は代々木にある慶応大学のAO入試に特化した塾のことです。そして青木氏が代表を務める「僕らの一歩が日本を変える」という団体が、この塾の生徒の実績アップに利用されていたのではないか? と上記記事は指摘しています。

AO入試では、社会的な奉仕活動やその他の社会活動を通し,その成果や業績が認められていることを出願資格の一つとしていますが、社会活動の実績など、高校生がそうそう簡単に作ることはできません。ところが「僕らの一歩が日本を変える」では、国会に高校生100人を呼んで討論会を開くなど、全国規模の催しをたびたび主催していました。

★ 【学生】海江田代表が「僕らの一歩が日本を変える。高校生100人×国会議員vol.4」に参加
「僕らの一歩が日本を変える。高校生100人×国会議員vol.4」と題する討論会が27日国会内で開かれ、全国から集まった100人の高校生が国会議員らと「権利」「教育」「オリンピック」「社会保障」など多様なテーマについて討論した。
実績を簡単に作ることが出来る……全国規模の課外活動実績製造システムとして、「僕らの一歩が日本を変える」という団体が機能していたとしたら、これはたしかに大きな問題です。

現在、この団体がフェイスブックに載せていた団体ページは、閲覧不可となっています。

たった一つの過ちから、こんな問題にまで発展していくとは思っていませんでしたので、少々驚いています。20歳の若者のちょっとしたミスです。真面目そうな青年ですから、過去に妙な事件を起こしてはいないでしょうし、この事件はこれ以上進展しないだろうと思っていたものですから。

「入試制度が諸悪の根源」
などと公言する方もいらっしゃいます。実際、大学入試のせいで高校時代に疲弊したとか、青春を浪費したとか精神疾患を発症したという話は、20年前までは腐るほど聞いていましたので、受験地獄の緩和に多くの人が賛同したのも分かります。それから一芸入試など、様々な取り組みが各大学で行われ、今ではAO入試を実施する大学は大変多くなりました。



ところがそれなりに公平だった受験制度に比べますと、試験官の恣意的な判断が大きく作用するAO入試は、インチキの温床となる可能性が極めて高いと、以前から問題点が指摘されていました。今回の事件は、その指摘が決して的外れではなかったことを示唆しています。

今年初めから騒動の的になった早稲田大学の小保方晴子氏もAO入試組の一人。彼らがこう、次々におかしな騒動を引き起こしているのを見ますと、やっぱりAO入試自体に問題があったのではないか、と思われるのも仕方ありません。

AO入試組の学力に問題があるのでしょうか? いや、彼らの学力は入試組とくらべても遜色ない、という北海道大学での調査結果などがあるので、そうとも言い切れません。

ただ、学力やコミュニケーション能力は抜群でも、コツコツと何かをおこなうことを、ともすれば疎かにしがちなのかもしれません。アピールしたもの勝ち、結果が一番大切、という価値観は、過程をおろそかにすることにつながっていきます。そして杜撰な行為を途中でしでかしてしまうのです。結果が良くても、それが致命傷となることがあることも知らず。

「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」
という言葉があります。

スモモの木の下で冠の傾きを正すようなマネをしてはならない。なぜならスモモを盗もうとしていると思われるから。
用もないのに散歩などで瓜畑に踏み入れてはならない。瓜を盗もうとしていると疑われるから。

という意味です。

青木氏やTehu氏など、彼らの社会を良くしたい、という志は純なものだったのは間違いないでしょう。ですが、それなら彼らが関わる団体への利益誘導となる可能性を極力排除して欲しかった。

「僕らの一歩が日本を変える」
という団体には、自分が関係するAO塾の高校生以外から集める、せめて、国会で討論する100人にはAO塾関係者を入れない、などしていれば、AO入試の実績作りにNPO法人を利用しているなどと疑いを持たれることもなかったはずです。

また、Tehu氏が電通のインターン(学生が企業で研修を受ける制度)だったことも暴露されていまして、こうした彼らの行動のすべてに、電通がからんでいたのではないか、という疑惑まで報じられています。

それにしても、彼らはネットでの炎上を甘く見ていました。
「炎上すれば大勢の人に自分たちのことを知ってもらえるから、ラッキー」
程度に考えていたのでしょうが(イケダハヤト辺りが煽ったせいです)、炎上が飛び火して、自分の関わるものすべてが焼かれてしまう危険性を知りませんでした。

それなりに地位のある社会人ならば火消しも出来るでしょうが、そうでない一般人は、炎上することはこのように大変危険だと、わきまえねばなりませんね。

火遊びはほどほどに、ということです。

2014年11月24日月曜日

下手な嘘には腹が立つ 「#どうして解散するんですか?」

今年は、嘘が目立つ年です。

小保方氏のSTAP細胞の発見の虚報に始まり、最近の元競泳選手の富田氏の開き直りに至るまで、世間をダマせると舐めてかかった人々が、世間から手ひどくしっぺ返しを受けるという事件が多く起こりました。

同じような事件は続くものです。ある大学生が世間を舐めて不特定多数の人々をダマそうとして、失敗したニュースが話題となっています。

「10歳の中村」を名乗るユーザーが作った衆院解散の是非問うサイト「どうして解散するんですか?」が21日からインターネット上で注目を浴び、「小学4年生が作ったとは思えない」と炎上。関与を疑われていたNPO法人「僕らの一歩が日本を変える。」の代表・青木大和氏(20)が22日、ツイッターで「今回の一連の騒動は全て私1人が行いました」と謝罪した。
現在彼が作ったサイトには、代わりに、謝罪文が掲載されています。

もちろん、寄せられた声の中には、僕たちへの誹謗中傷、暴言、愚痴など、#どうして解散するんですか?への問いではない声もありました。
でも僕は、これだけの方が目にしてくださった今回の問い「#どうして解散するんですか?」を、いま一度日本について考え直す機会に出来ないだろうかと思っています。
(中略)
今回、僕の軽率な言動により、関係のない多くの方に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。
最初は私も腹を立てました。しかし、それなりに反省しているようですし、よく考えればまだ20歳。考え方が幼いのも無理はありません。それが見当違いの反省だとしても、立腹は収まりつつあります。

なぜ彼がこのようなことをしたのか? もともと炎上狙いと新党結成という狙いがあったことが、以前の言動から明らかになっています。

Tehu:政治ネタは炎上しやすいから、絶対に来る。
青木:それで炎上したときに、全国で「オレも意見がある」「オレも政党をつくる」みたいなツイッターのリプライが絶対に来るから、そしたら「じゃ、おまえも政党つくれよ」と言う。それで地域政党がいくつか出てきて、盛り上がってくると思うんですよ。
元々の炎上サイトを確認しましても、小学4年生が作ったという体裁を取っていながら、難しい漢字がそのまま残っていたり、文字が妙にうまかったりと、粗が目立つのは事実。このページに掲載した画像は、彼が作ったサイトのページの1部です。彼らはそもそもバレることを前提にあのホームページを作っていたのでしょうね。

「本当に小学4年生が作ったはずがないでしょ? 見て分からないの? ネタですよ、ネタ」

と言って舌を出してダマした人々をバカにするところまで、彼らは織り込み済みだったのかもしれません。

ところが予想以上にこの記事は炎上し、彼らの手では収集がつかないほどの非難を受けてしまいました。

青木氏はNPO法人代表を辞任し、Tehu氏もTwitterでの発言を自粛。今頃は弁護士などを交えて、今後の対策を考えている最中かもしれません。

なぜこの件がこれほど炎上したのか。それについて作家の岩崎夏海氏が面白い分析をしています。

2人が炎上した真の理由――それは「人々を苛立たせたこと」だ。
では、どういう理由で苛立たせたのか?
それは、2人が「多くの大人は政治に関心がない」と勘違いしているところだ。それに苛立たされたのである。
この慧眼は、さすが作家だと思いました。おっしゃるとおり。みんな、政治に関心がないわけではありません。だから、政治番組は視聴率がよく、ネット上でも政治ネタは盛り上がるのです。それなのに選挙に行かないのは、まともな政治家がいないからあきらめているだけ。決して政治に関心がないからではないのです。

しかし、岩海氏、その後の文章がすべてを台無しにしているのは残念。選挙に行かない人々と、イジメを見てみぬ振りをする人々を同列視するのは、ちょっと違うのではないでしょうか。また、
ほとんどは、「イジメられているやつも悪い」と思っているときに、見て見ぬ振りが行われるのである
という分析も自分の経験上、あたっていないと思うのです。それよりも、巻き込まれるのが怖い、めんどくさい、という恐怖の方が大きいのではないでしょうか。

閑話休題。

今回の青木氏が引き起こした事件のそもそもの要因は、安易に他人をダマせると勘違いした人間がついた杜撰な嘘を目の前にして、自分がバカにされたように多くの人々が感じたからではなかったでしょうか。

今ではネットで世論を操作しようと試みるのが当たり前の世の中となりました。まとめサイトなどには広告代理店が相当数入り込んでいますし、Twitterでバズらせて流行を生み出そうとすることも多く行われています。

その分、私たちの精神的な負荷は多くなっています。ネットの話題の一つ一つ、盛り上がっていそうに思える話題の一つ一つを、
「これは嘘かな? これは本当かな?」
と吟味しなければならないからです。10年前に比べますと複雑になりました。

嘘が横行すると、嘘に対して不感症になるのでしょうか? 逆でしょう。むしろダマされないよう、嘘について敏感になり、普段、嘘を突き止めるのが困難な分、あからさまな嘘には逆上してしまうのです。

今回の青木氏の作品には、あとでネタだと強弁するためか(見破れなかった情弱のお前が悪いと指摘できる)、小学4年生らしからぬ表現、文章、きれいな文字で作られています。そして、自民党を馬鹿にし、民主党を持ち上げる意図が透けて見えます。

一方で雑な作りをしながら、もう一方でメッセージを含ませる。つまり、嘘はやがてバレるだろうが、メッセージが多くの人に届くまではバレないだろう、しばらくはダマせるだろうと、社会を舐めてかかっているのですね。高をくくっているんです。

この青木氏には、周りの人間たちが政治に関心がない劣った人間だ、という思い込みがあるものですから、いまだに、
実際に選挙が行われることは決まってしまった事実です。僕自身も人生ではじめての選挙です。だからこそ多くの人に#どうして選挙するんですか?と問うてもらい、日本の未来を考えて1票を投じてほしいと強く願っています。
という、傲慢な文章を、謝罪文に含めています。詐欺師のお前に他人を導く資格はもうないよ、お前に言われたくないよ、と私は思いましたけれども。これも火に油をさらに注ごうとする、彼なりの炎上芸なのかもしれませんが。

「あんなチャチなサイトで少しでもダマされるほど、俺達はそこまで馬鹿じゃないよ」
と今回のニュースでは誰しもが感じたはず。でも、自分のことを頭がいいと思い込んでいる人々には、だまそうとされた側がむかつく感覚がわからないのかもしれません。そして、他人の自負心を傷つけてはいけない、という思いやりもないのかもしれません。それは政治家志望の人間としては致命的でしょう。


2014年11月22日土曜日

『論語』はインディアンの酋長の言葉のようだと彼は言った

司馬遼太郎の『アメリカ素描』という作品がある。
アメリカ素描 (新潮文庫)
東洋の歴史や地域を描いてきた司馬にとっての新境地であり、歴史作家が見るアメリカの風俗は他と異なっていて(どこがどう異なっているのかは、今手元に本がないのでわからない)、面白かったのを覚えている。

この本の中に、こんな小話がある。

あるアメリカ人の学者が孔子の『論語』を読んで、一言、
「まるでインディアンの酋長の言葉のようだ」
と言ったそうだ。

司馬遼太郎はこの話を誰かから聞いて、心の底から笑った、というものだ。

中華文明に大変尊敬を抱いている司馬遼太郎は、同時にリアリストだったから、いくら自分が尊敬している対象でも、それに関心のない西洋人にとっては戯言にしか聞こえまい、孔子の教えの含蓄を知るのは難しかろう、ということがよく分かっていて、笑ったのだろう。それを読んだ私もニヤリとした。

ところがこの箇所について、ある批評家が『アメリカ素描』を批判する中で、

「司馬遼太郎は『アメリカ素描』の中でアメリカ人の学者が『論語』のことをインディアンの酋長の言葉のようだと評したと書いているが、そんな話を聞いたことがない。いくら調べても出典がみつからない。彼は嘘を書いているのではないか?」

と指摘していたのをあるとき読んで、ふーんと思った。

司馬は噂話として誰かから聞いたのだから、それを話した人の嘘かもしれない。だとしたら司馬の責任じゃなかろうし、面白い話だからいいじゃないか、とも思ったし、あるいは、エッセイのための作り話だったのかもしれないなどとも思い、それならもっと書きようがあるかもしれない、などとも考えた。

手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』はあまりに有名になり過ぎて、架空の病気の手術の描写をしたところ、医師から「そんな荒唐無稽なことをかくな」などとたくさんの非難を受けたという。歴史作家として有名な司馬ともなると、噂話ですら根拠のないことは書くなと批判されるのだろう、難儀なこっちゃ、と思った。

ただ、批評家がそう断言するくらいだから、アメリカの学者が『論語』のことをインディアン(今では「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶのが適切)の酋長の言葉だと評した、という事実はないのだろう、となんとなく考えていたのだが、

それから数年、このことを忘れていたのだけれども、マックス・ヴェーバーの『儒教と道教』をたまたま読んでいた時に、あっと思った。その本の中に、たしかに「『論語』はインディアンの老酋長の語り口に似る」という旨の文章が載っていたからだ。

残念なことにマックス・ヴェーバーはドイツの社会学者だからアメリカの学者ではないので、『アメリカ素描』で取り上げるには不適切だったかもしれない。だが、ソ連が存在していた当時、マルクスと対抗しうる社会思想を作り上げたマックス・ヴェーバーは、アメリカで大変人気の高い学者だったので「アメリカの学者」と学生あたりが誤認してもそれほどおかしくはない。司馬遼太郎がアメリカで世話になったボランティアの学生あたりが、こうした話を司馬にしたとしても、おかしくはない。

なにより、『論語』をインディアンの酋長の言葉だ、と学者が評したという話がまったくの作り話ではないと知って、私はいささか司馬遼太郎を見なおした。

こうした、数年越しに引っかかっていた疑問が化学反応を起こしたように解消される瞬間というのは、大きな快感が得られて言いようのない気分の高揚を覚える。

それにしても、アイデアというものはオリジナリティがあるものだ。『論語』を読んだ西洋のある程度高名な学者は何百人といるはずだし、ネイティブアメリカンの酋長が歴史的な経験則を理由をつけずに語る、あの独特の話ぶりを本や映画などで知っている人も多かろう。

だが、両者を似ていると感じて、そのことを著書に書いた学者は、案外いないものである。




2014年11月20日木曜日

どうすれば、高倉健のような生き方ができるのか

高倉健が亡くなった。

かっこいい男の代名詞。

稀有なスターが亡くなると、記憶にある彼らを鬼籍へと移し替えねばならない。細い手で胸を押さえつけられるような息苦しさを覚える。

彼の演技は随分酷評されてきた。大根役者と言われたこともある。しかし経験を経て、彼の演技は本物へとなっていった。演技の勉強に余念がなかったというから、自分の味を出しながら、監督とカメラの向こうの観客にどう満足してもらえるか、考え続けてきたのだろう。

残念ながら、彼とは生きていた時代が異なるので、映画を観て彼の演技に夢中になった経験はない。ビデオなどをいくつか観て、カッコイイなとおもったくらいだ。ただ、彼と過ごした映画人たちが好んで語る高倉健のふるまい、たたずまいを聞いて、強く憧れたことはあった。

彼がどのような人物だったのかは、Wikipediaに詳しくまとめられている。

★ 高倉健 人物像

Twitterなどを観ていると、彼の生き方をカッコつけていると感じた人もいるようだ。それは当然だと思う。彼は意図的にカッコつけて、生きていたのだから。

歳を食ってくると、若い頃に否定していた生き方が避けられないことが否が応でもわかってくるだろう。そのうちの一つに、社会の中で生きる上では何がしかの「演技」が必要だというものがある。わりきらねばならない。あきらめなければならない。

自分の感情をあざむき、他人にこう思って欲しいと思いながら行動するというのは大変卑しいことだと子供の頃から思っている。だが、他人をどうにかして利用しようと考える人間と一緒に働かねばならない場合に、多少の演技で抵抗していかないと、喧嘩をして恨まれるか、自分を押し殺してうつ病になるかしかなくなってしまう。

卑近な例だが、上司が次々に新しい仕事を部下に押し付けてくるような職場にいたとする。自分の仕事を責任をもって完遂するためには、忙しいフリをして仕事をふられるのをさけなきゃならない。プライドの高い年上の女性同僚が自慢話を始めたら、仕事の手を止めて、さも関心があるように振る舞わなければならないこともあるだろう。上司をバカにしてくる部下には、怒鳴りつけたい気持ちを抑えて笑いながら接しなければならないこともある。

しかし、自分の意思を殺して行動する演技は、さじ加減が難しい。

過剰な演技はわざとらしい。あきらめてポーカーフェイスに徹するという方法もあるが、感情がないと嫌われることがある。迎合さえしていればいいのかと言えばそうではない。軽蔑され、侮られるもととなるからだ。

自分を安売りせずに、他人を尊重していることを伝えるための行動は、考え始めると難しい。

その中で、高倉健の日常生活の「演技」は見事だった。映画の中の演技も素晴らしかったけれども、これだけ長い間、日本中から注目され続けて生きていながら、悪いうわさをほとんど立たせなかったのは凄いことだ(江利チエミと結婚、離婚したときに、義姉との間で一騒動あったようだが)。

日本中の人から四六時中見られながら、高倉健は、劇中の登場人物と同じ、無骨で律儀で謙虚な人物像を貫き通した。これは、並大抵の努力ではできまい。

高倉健の近所に住んでいた板東英二が高倉健の実像を語っている。

★ 高倉健さん死去に板東英二「あの人は寡黙でもなんでもない」
あの人は寡黙でもなんでもない。何時間でも話します。プライベートな話も。(元妻の)江利チエミさんとの話や東映から脱走した話。やんちゃした話とか。健さんがヤクザ映画に出ていた頃、愛媛の松山へロケに行ったら黒服100人くらいがずらっと一列に並んで『ごくろうさまです!』と言ってきた。『仕事で(ヤクザ役を)やってるんで』と言うと翌日、白のトレパンにシャツ姿の人が100人。そういうことじゃないんだよ! とか……そんなこと延々と話してるんです。
本当はそんな人なのだろう。親しい人には快活で、お喋り好き。それでいながら彼は彼を慕う人の前では「高倉健」を演じ続けた。いいなぁ。

どうすれば彼のような生き方ができるのかわからない。まずは、できることからマネてみようか。

ちなみに上記は高倉健の愛読書で、彼はこの本をことあるごとに読み返していたらしい。まさに座右の書。読みたいが、今の段階で46,000円の値がついているので、断念せざるを得ない。

2014年11月18日火曜日

セクハラ対策が未婚女性を苦しめる

最近はコンプライアンス研修を社員に毎年受けさせる会社が多くなってきました。この研修、法令遵守に加え、セクハラ禁止を衆知する内容のものが多くなっています。

日本人がセクハラをあまり意識していなかった1990年代、アメリカ三菱自動車の女性従業員がセクハラ集団訴訟を会社に対して起こしました。結局三菱自動車側は12億円を支払って和解しています。

当時の日本では、女性に同情するよりも、アメリカの訴訟社会を問題とするものが多かったのを覚えています。でもその頃からでしょうか。日本でもセクハラが「悪」である、という認識が広まるようになりました。

こうした動きを私は歓迎します。女性社員にとってだけではなく、男性社員にとっても朗報だと私は考えています。セクハラをする男性というのは暴君タイプが多く、彼らの女性へのセクハラは、部下へのパワハラとセットになっていることが多いのです。セクハラを禁止する社風は、パワハラの歯止めにもなります。

ましてや、女性にとってセクハラのない社会が居心地がいいのは論を待ちません。女性の多くにとって、好意を持たない男性から性的な目で見られたり、性的な言動を吐かれたりすることはおぞましいのです。ヘテロの男性が、ホモの男性から性的な目で観られたときに感じる嫌悪感を想像すればいいかもしれません。

もっとも、意中の男性以外から性的な目で見られることへの女性の嫌悪感は、備わった本能のせいだ、とも聞いたことがあります。優秀な遺伝子を持った子供を妊娠したい、と願う女性にとって、それ以外の男性に妊娠させられることは絶対に避けたいもの。そこで、不特定多数の男性から性的な目で見られると嫌悪感を感じるよう、本能にプログラムされている、という説もあります。

いずれにしましても、女性の活躍する21世紀、職場からセクハラを一掃しようという取り組みは、とてもいいことだ、と私は思っています。


ただ、私、コンプライアンス研修を先日受けながら思ったんですよね。
「ああ、こういう教育を入社時から受けている男性が草食系男子になるの、分かる」
と。

職場では一切、性的な感情を持ってはならない、職場を出たら、性的欲求を持っても構わない、と聞けば、至極当たり前だと思いますが、人間、そこまで器用じゃないでしょう。

性欲の強い人間は一定数いて、彼らの性欲は職場で抑圧されても職場を出ればすぐに復活します。彼らにはコンプライアンス研修が大きな効果を生みます。

問題は、もともとそれほど性欲のない人々。研修で様々に、
「女性を性的な目で見てはならない」
「女性にとって性的な目で見られることは苦痛」
という教育を受けるうちに、彼らの中では、女性を異性としてみること自体を抑制する方向へシフトしていくのではないでしょうか?

繰り返しますが、多くの人間はそれほど器用な存在ではありません。職場ではこう、退社後はこう、と人間性を180度回転させることは難しいのです。もともと優しい人ほど、研修を繰り返し受けるうちに、性欲を感じることに罪悪感を感じるでしょう。

男性が女性へ性的な魅力を感じなくなると、一緒に暮らしたい、子供を作りたい、この人を守っていきたい、という男性が本来持つ欲求を、だんだんと失っていきます。結婚を望んでいる女性たちにとっては悲報でしょう。

ほとんどの女性たちにとっても、セクハラが職場から一掃されることは大変嬉しいはずです。でも、この女性たちの欲求の総体が、まわりまわって自分たちの首をしめることにもつながっているのかもしれないというのは、やるせないですね。

2014年11月16日日曜日

GoogleのブログサービスBloggerが、他のブログサービスよりも優れている理由

今年初めに、「GoogleBloggerからWordPressに移行検討する私の理由」という記事を書いて、はや1年近くが経ちますが、御存知の通り、いまだに私はBloggerを利用しています。

なんだか、このままBloggerでもいいような気がしてきました。華美ではなく、堅牢なこのサービスは、使い続ければ光りだす南部鉄器のようなものに思えてきました。ゆえに、愛着が湧いてきています。

これからブログを始めようとしている方の中には、どのブログサービスを利用すればいいのか、悩んでいる方もいるかもしれません。そんな方のために、Bloggerのいいところをいくつか、挙げてみたいと思います。


1.Googleが提供するサービスである

インターネットが世界の人々の情報収集、伝達方法を根本から変えました。その立役者の一つがGoogleであることは論をまたないでしょう。

私はGoogleにこれまで何度も文句や不満を述べてきましたが、それは期待の裏返し。既存メディアが恣意的に情報操作をおこなっていた実態をインターネットは暴き出しました。インターネットのお陰で自由に意見をだれでも発信することができるようになり、Googleのお陰でこの人々の意見に誰もがたどり着くことが出来るようになりました。

今の言論空間の素晴らしさは、昔の閉塞感を知らない10代の人々には今ひとつ理解できないかもしれません。世の中は間違いないく、10年前よりも自由で開放的になりました。Googleを私は支持しますし、ごのGoogleのサービスですから、自信をもって勧めることができます。


2.アクセス数などが正確

Google Analyticsを利用していれば別にブログサービスはどこでもいいのかもしれませんが、それでもブログサービス自体の信頼性を確認するものとして、ブログ付属のシステムで、ページビュー数(その記事が何回閲覧されているか)などが正確に把握できるかどうか調べる、という方法があります。

少しググればすぐに探せるので敢えてリンクを張りませんが、アメブロのカウンターはとてもいい加減だと評判です。私も一時期、アメブロでブログを書いていたことがありましたが、つまらない記事を一回書いただけで何十もアクセスがあったりしていて、すぐに疑ったのを覚えています。


3.安定している

ブログサービスによっては、突然アクセスができなくなる、といったシステム上のエラーに悩まされているところがあるようですが、Bloggerを使い始めて2年、そのような不満は記憶にありません。


4.シンプルで簡単

WordPressに移行しなかった理由の一つが、操作がいろいろと大変だというもの。私、PHPなどが使えないので、プラグインを増やしたりCSSを書き換えたりとか、よくわからんのです。他にしたいことも多いので、プログラム言語を覚えないまま、また一年経とうとしていますけれど。

今となってはコンピューター言語を知らないままでも簡単に利用できるBloggerに感謝しています。ブログサービスを初めて利用する人、Bloggerはとても単純で使いやすいですよ。


5.無駄な争いに巻き込まれない

私、はてなブログへの移行も密かに狙っていました。

はてなブログは今、もっともホットなブログサービスです。ユーザー同士で批判を応酬したり、議論を戦わせたり、いろいろなイベントを開催したり……ユーザーになると毎日が面白そうです。

私もはてなブックマークはよく利用しているため、今年ははてなブックマークのオフ会に参加しました。あれは楽しかったな。主催者の齊藤さんは、現在沖縄旅行中。私もはてブオフ会で少し話した関西の可愛らしい女性に会いにいったらしいです。

こういう楽しい交流はあるものの、ユーザー同志の交流が濃いブログサービスで有名人となると、ブログ記事が炎上しやすく、少し気を抜くと、批判が山のように集まるのです。

Blogger記事の読まれ方は、SNS経由ではなく、純粋に検索経由が多いはずです。そのため批判したい人が一気にやってくることが少なく、炎上しにくいのが特徴です。筆が滑っても、あとで気づいてこそっと書きなおしておけばいい……こうしたゆるさがBloggerの特徴です。


6.アダルトがあまりなくて健全

私もときどきアダルトなネタを書くのにあれですけれども、性的表現があまりに露骨なのは嫌いなのです。FC2などのサービスでは、性的なブログがほんとうに多いので、アクセスするたびにちょくちょく目に入ってきます。ブログを書くことが嫌になってしまう人もいるでしょう。

こうした心配のない適度な真面目さが、Bloggerのいいところです。



こんなところですね。

これからブログを書き始めようと思っている方々は、ぜひBloggerも、検討の対象の一つにしてください。


2014年11月14日金曜日

顔面攻撃ありは実践的か

夢枕獏の作品(名は覚えていません『餓狼伝』だったか、どうだったか……)の冒頭部分で、とある登場人物がこんなことをうつぶやくシーンがあったと思います。

「自分は背が低い。顔面攻撃さえできれば、得意技の上段回し蹴りで一発KOできる機会があったのに、この流派ではそれができない」

もう30年ほど前の作品で、読んだのもずいぶん昔なので記憶は曖昧です。身長の低い空手選手が、顔面攻撃を認めない自分の流派では自分は万年2位だと悟り脱会、より"実践的な"道を模索していく……そんな話だったでしょうか。

夢枕氏の本を読んだ当時、私は中学生か高校生の子供でした。だから単純に、
(顔面攻撃を認めない格闘技なんて使えないな)
(伝統空手なんて、実践的じゃないな)
などと考えて、伝統空手をひそかにバカにしていたんですね。

ところが、最近、また格闘技を習おうと思っていろいろと調べていくうちに、このことをふと思い出しまして、改めて考えなおしてみました。

よく「ケンカが強い」などと言われる人が大勢います。芸能人ならジェリー藤尾とか、渡瀬恒彦とか。

けれども、よくよく考えますと、彼らはそりゃ、それなりに強いのでしょうけれど、それよりもケンカをして相手にケガをさせながら一度も刑務所に入れられなかった、というところがうまいんですよね。

つまり、相手を叩きのめす、という単純な強さに加えて、
「勝てない相手、勝てない場所では絶対に喧嘩しない冷静さ」
「逃げ足の早さ」
があったことや、
「逃亡を助けてくれる仲間」
「助けてくれる弁護士や事務所」
があったこと。さらには、
「相手を傷めつけても大怪我をさせない喧嘩術」
をよく知っていたのがすごいんですよね。

特に最後の、「相手を傷めつけても大怪我をさせない」というところがポイント。顔面攻撃などの、頭部への攻撃には、彼らはかなり気を配ったのではないでしょうか。

顔面攻撃は、一発で相手を倒せる方法として、たしかに有効です。でも当たりどころを間違えば、相手を死に至らしめてしまう危険性が大変高いのです。喧嘩をする機会が多ければ多いほど、慎重でなかった人間は刑務所の中へと沈んでいったことでしょう。

★ 顔面に左ストレート「私のパンチで致命傷、間違いない」 公園でスパーリング、男性死亡 大阪
「左ストレートが顔面に入った。私のパンチで致命傷を負わせたことは間違いない」と容疑を認めているという。
 逮捕容疑は19日午後11時35分ごろ、自宅近くの公園で、知人のアルバイト、松本健嗣さん(20)=同区巽東=の顔面を殴り、死亡させたとしている。
上記の記事は先々月のものですが、たまに、顔面をパンチして相手を死に至らしめたというニュースは各方面で話題になります。

頭をぶつけたり頚椎をひねったりすれば、人間、意外に簡単に壊れてしまいます。パンチ一発で動かなくなり生死不明となった人の動画を、検索しますとすぐにいくつも観ることができるでしょう。

ボクシングで頭部にパンチ、観た目はかっこいいんですよ。一発で相手が動かなくなったりするから。でもその後、相手が死んだら殺人ですよ。かなりリスキーだと思うんですよね。

冒頭で紹介したプロの格闘技の選手ならばともかく、私たちにとっての"実践的"とは、たとえば暴漢におそわれたときに身を守るための方法。ただそのときに、相手に大怪我を負わせれば過剰防衛となり、実刑を受けるかも知れません。高額の賠償金を支払う必要があるかもしれません。

顔面攻撃をせずに相手をねじ伏せるための方法論の方が、はるかに、この文明社会では役に立つ気がします。組み技に限定しません。ボクシングだと、ボディ攻撃だけで相手をノックアウトしていく方法とかね。

そんなことを考えますと、顔面攻撃を試合で許可しない伝統空手の方が、より"実践的"だったのかもしれないな、などと思ったりするのです。

2014年11月12日水曜日

金融業に向いているかどうかの基準

ある職業が自分に向いているかどうか、なかなかわからないものです。
「向いている」
と思って就いてみても、想像していたものと違っているのは当たり前。仕事が面白くなく、さらには能力もなければ悲惨の一言。

かく言う私も、以前とある職についていたときに、この種の悲哀を味わいました。

「慣れるうちに好きになる」
と言われ、会社でその職に数年就いてみましたが、毎日が嫌で嫌でたまりませんでした。

それでも力を伸ばそうと思いまして、仕事と平行して専門に沿った勉強もしていたのですが、知識は身につかず、ただ苦痛の一言。

勉強時代も合わせると10年近くその業界に身をおいて、好きになることも得意になることもありませんでした。

「10年やればどんなことだって好きになる」
「やれば必ず力は伸びる」
こう断言する人は大勢います。でも、やっても力が伸びず、好きにもならなかった人々はそれ以上にいるのです。

しかし落伍者は声を上げません。自身の恥になるだけですから。そして声高に成功を語れる人だけが残ります。その陰には、不得意なこと、嫌なことを仕事としたばかりに、鬱病になったり挫折したり、転職したりした無数の声なき民が大勢いるのです。

そんな失敗をおかさないためにも、その職業に向いているかどうか、判断する簡単な基準って、ないものでしょうか。

先日このブログで取り上げた、松本大さんが面白いことを述べていました。

「金融業に向いている人、向いていない人」
が簡単に分かる基準があるのだそうです。

それは"桁"。

彼の周りで金融業で成功している人は、絶対に桁を間違えないのだそうです。例外はほとんどないのだとか。

面白い着眼点です。こういう情報の方が、職業診断テストなどよりよほど価値が有ります。

思えば私、桁の計算がとても苦手です。345ドルが日本円でいくらか、と問われても、
「ええと、1ドルが100円だとして、345円掛ける100はいくらだったっけ?……34,500円か」
と手間取るレベル。つまり、金融業に向いていなのでしょう。金融業に就かなくて本当によかったと、この話を聞いて思いました。

ジェイコム株大量誤発注事件」では、みずほ証券の社員が桁を間違えて大きな問題になりました。今から思えばこの社員は、金融業にそもそも向いていなかったのかもしれません。金融マンとして優秀な彼の周囲の先輩たちは、桁を間違えるかもしれないという懸念に薄く、
「まさか我々の仲間に桁を間違える人間がいる」
ということを想像しにくかったのかも。だからそれに備えることを怠っていたのかもしれません。

それはともかく。

これから金融業に就こうかどうか、迷っている学生のみなさん。
"桁"という基本的で簡単な概念を学生時代によく間違えている場合は、どれほど業界に思い入れがあろうとも、そもそも金融業に向いていない、と即判断して、別の道へ進んだ方がいいのかもしれません。


2014年11月10日月曜日

ある人々は嘘を平気で吐くことができる

人間、自分を基準にして考えますから、自分が
「嘘をつこうとしても表情に出てしまう。また、短期間ならば演技ができても、何年も嘘を貫き通すことは出来ない」
から、他人もそうだと考えます。

でも、ここ一年の間に次々に、
「嘘を平気でつく人たち」
の映像を目の当たりにして、それは違うということを学ばれた人も多いのではないでしょうか。

今年一番の話題かもしれない、理研の小保方さんが巻き起こした一連の騒動。彼女がSTAP細胞を発見していないことはもはや誰もが分かっていますけれども、小保方さんの堂々とした反論記者会見を観て、
「彼女は嘘をついていない」
と、一時期日本国民の3割は信じたのではないでしょうか。

あるいはパソコン遠隔操作事件の片山被告。彼も堂々と冤罪被害者をカメラの前で演じ切りました。あのあと下手な小細工さえしなければ、バレなかった事件でしょう。

最近ですと競泳の富田選手。彼の言い訳を聞けば聞くほど、信じられないものばかり。知らない男性にカバンに何かを入れられて、そのまま部屋に戻り、中を確かめずに翌日までそのまま放置するなんてあり得ないことです。

そのうえ、韓国側が盗難映像を公開しようとする動きに対して、
「公開しないで欲しい」
と発言するなど、何をか言わんや、です。

ところが彼の堂々とした記者会見を観たからでしょうか、ナイナイの岡村など一部の人間が、
「彼は盗難をやっていない」
などと騒ぎ始めています。なんなんでしょうね。

……ということを改めて考えたのは、柔道選手の元金メダリストの内柴が、自分は無実だという主張を獄中から発表しているというニュースを読んだから。

★ 内柴正人 「懲役5年」の獄中手記をタブー公開

同意があったかどうか、ということよりも、同意があろうとなかろうと妻を裏切って10代の教え子と関係を持った事自体を反省するべきなのに、そのことを悔やむ言葉がほとんど聞こえてこないのは本当に不思議です。

裁判で犯罪が認定されても、自分は正しいと堂々と主張できる人間がいます。自分を基準として考える正直な人は、彼らを今ひとつ理解できないのですが、それが現実なのです。この不愉快な現実に向き合わなくてはなりません。

「その人の目を見ればわかる」
とか、非科学的なことを言うのはやめて、
「人間見た目じゃわからない」
と、そろそろあきらめてしまうべきです。

じっくりと話を聞いて、証拠を集め、冷静に判断するクセをつけていくこと。人間を直感で信じるクセは、彼ら平気で嘘をつく人間に利用されてしまいます。


2014年11月8日土曜日

交通事故で首を傷めた人のためのマクラ

いやぁ、昨日この記事をアップしたつもりでしたが、今確認したら、下書きのままになっていてアップされてませんでした。すみません。

今日の話題は枕について。

枕が身体に合わなくて悩んでいる人は、多いかもしれません。

私、学生時代に交通事故に遭って以来、首の調子がよくありません。頭からフロントガラスにつっこみ、フロントガラスを割るという大きな事故です。

それから首が痛くて眠れない夜を、10年以上過ごしてきました。

いろいろな枕を試して、首の痛みを少しでも軽減しようとがんばってきたのですが、どれも今ひとつ。最初はごく普通のクッションの枕、そのあと蕎麦殻の枕、それからプラスチックパイプの入った枕という風に。

それでも首の不調は年々ひどくなり、気分一新する目的で思い切って買った高額な枕が、「王様の夢枕」です。今から10年以上前に、6000円以上かけて買いました。
王様の夢枕 アイボリー (専用カバー付) W52×D34×H12cm 【王様のマルチ枕をプレゼント】

テンピエールの低反発まくら(これは有名ですから商品紹介はしません。ググってください)も後に使ってみましたけれども、夢枕の方がテンピエールよりも柔らかくフィットします。「王様の夢枕」はいい枕です。

これで積年の問題が解決する人が案外いるかもしれないのでオススメです。長年多くの人に愛されているだけのことはあります。

ただ私の場合、長期間同じ姿勢だと首が痛くなります。その点、この枕は頭にフィットしすぎて、体勢を変えにくいのが難点。同じ姿勢で固定されてしまって寝返りが打ちにくいのです。

もっといいマクラがほしい、と思い、夢枕からビーズが漏れ始めたのをきっかけに新しい枕をまた、探し始めました。

先述の通り、一度テンピエールの低反発まくらを使ってもみたのですが、合わず、それから数カ月後に新しい枕に東急ハンズで出会いました。

アマゾンで見つけることが出来ず、うちにあるものの写真でしか紹介できません。買ったのがもう5、6年前でして、商品名も分かりません(製品にタグはついていません)。

中にはプラスチックパイプがぎっしりと詰め込まれています。低反発ではなく、固目でしっかりしています。この固さと特徴的な丸い形状が、頚椎を下から押し上げてくれるのです。

楽に寝れるのではなく、無理やり正しい姿勢にしてくれる、とでも言えばよいでしょうか。寝返りは若干打ちにくいのが少々気になるものの、首の痛みは軽減されました。

似たような製品だと、たとえば下の枕になるでしょうか。
リビングインピース いびき対応枕 いびき枕スタンダード makura-1517100

さて、この枕にも難点がありました。強制的に正しい姿勢にしてくれるものの、寝返りがやや打ちにくいせいか、二週間に一度、首が痛くてたまらなくなるのです。その時には枕を外して寝ると、また元に戻ります。多分、同じ姿勢でばかりいることで、身体が悲鳴を上げてしまうのでしょうね。

もっと良い枕はないだろうか……と思いながらここ数年過ごして、ようやくみつけました。究極の枕。
ビバルディ オルトペディコ 安眠枕 イタリア製 (横78X縦48cmX高さ13cm)

アマゾンで枕部門1位を取っていた理由が分かりました。

なかに芯が入っていまして、それが絶妙に首にあたってとても寝やすいのです。これで、首の痛みが軽減されまして、寝苦しくなくなり、楽になりました。

首や肩に苦痛を抱えている人がいると思いますが、その場合は、上で紹介した枕、一度試してみてください。今のところ、大変体調がいいので、毎晩寝るのが楽しみです。

もっとも、合うか合わないかは個人差があるでしょう。体格や首の不調具合によって、いろいろな枕をいろいろな方法で試してみて、自分にあったものを探していくのがベストですね。

2014年11月5日水曜日

会社名は前株よりも後株にするのがベスト

事業を起こして社名をつけるときに悩むのが、
「前株か、後株か?」
という問題です。

前株(まえかぶ)というのは、
「株式会社◯◯」
と、社名の前に企業形態である「株式会社」をくっつける表記方法。

後株(あとかぶ、ときどき「うしろかぶ」と読む人も)というのは、
「◯◯株式会社」
と、社名の後に「株式会社」という言葉をくっつける表記方法。

どちらのタイプもよく目にします。Web界隈ですと、前株としては「株式会社はてな」「株式会社サイバーエージェント」などが有名ですし、後株としては「ヤフー株式会社」「楽天株式会社」などがすぐに頭に浮かびます。

経営の専門家によれば「どちらでもいい」そうです。

★ 会社名の前株と後株
ご質問の件ですが、前株、後株で明確なメリット又はデメリットはございません。
語呂や個人的な好みで決定して頂いて良いと思います。
スッキリとした回答が小気味いいですね。

歴史のある会社は後株に、新興企業は前株にする傾向が強いという程度の差異はあるものの、両者に法的な差異はないようです。そんなことが、「会社名は前株・後株どっちが良い?会社名は何文字まで?似た会社名を付けると訴えられる?~会社起業の道標」という記事でまとめられていました。

上記の記事では、「鈴木です」という特殊な社名だと、後株の方が会社だと認識されやすいという結論を出していますが、せっかくですから、前株のメリットについて述べてみます。

前株のメリットは、名乗った時に認識されやすい、ということです。

相手の言葉を認識するにおいて、心理学的には、最初の0.3秒は注意力が散漫になりがちなため、名乗られた社名の頭の部分が聞き損じられる可能性が高いのだそうです。

初対面の人に、社名を名乗る際に、
「◯☓株式会社の、△△です」
と名乗った時に、最初の「◯」の部分が聞き取ってもらえない可能性がある、ということです。

だから後株の社名の社員は、前株の社名の社員よりも、
「もう一度社名をおっしゃってください」
と言われる確率が、やや高い、ということになります。

前株だと、「株式会社……」と言った時点で、相手の脳が、
(お、社名を名乗るんだな)
と準備体制に入るので、続く社名を聞き逃しにくいのです。
この若干の差が、競争の激しいビジネス社会で何十年もの間に積み重なり、大きなアドバンテージとなる、という反論が考えられるでしょう。

ただ、私の個人的見解としては、上記ブログと同じく、後株を推奨します。

私はバックオフィスの経験が長いものですから、事務処理上の観点から考えてしまいます。お恥ずかしい話、いろいろな会社を渡り歩いてきました。大手の会社の裏側もある程度知っています。私のつたない経験から言いますと、断然おすすめするのは後株です。それはなぜか?

後株の社名は、整理されやすく、オンライン上でも把握されやすいんですね。

いろいろな企業のデータ管理状態を見てきました。どこの企業も、データ入力は人力です。それを行なうのは現場の社員。営業現場の社員が全員、データ整理がうまいわけじゃありません。それにコンピューターが大幅に導入されて、まだ10年とちょっと。それまで蓄積された、お得意先、取引先、あるいは顧客法人の社名のデータ入力は、かなりいい加減です。

「カブシキカイシャ◯◯」
のこともあれば、
「カブシキガイシャ◯◯」
と、濁点がある場合もあります。

あるいは、略称で、
「KK◯◯」
としているところもあれば、
「KG◯◯」
としていることもあります。

それだけではなく、
「(カブ)◯◯」
や、
「(カ)◯◯」
といった略号で登録されていたりとか。

最初から、統一した基準で入力させていれば問題ないんですけれど、ビジネス上ではそれよりももっと決めなければならない諸問題が山積みですから、こうした些事はだいたい後回しです。
「データ入力の際のフリガナ入力の統一基準」
という細かな問題にまで頭が回る経営者はいませんし、そこまで決めなければいけないと気づく現場マネージャーも少ないのです。

そうしますと、大手であればあるほど、大勢の入力者がてんでバラバラに社名をオンライン上に登録していたりします。最近はデータセンターでデータ入力している場合が多いですが、最初にルールを決めていなければ、それぞれのキーパンチャーが勝手な基準でフリガナ登録することになり、気づいた時にはさまざまなフリガナ方式が混在する破目に陥るのです。

ただ、現場の通常の業務には差し支えないレベルの差異なので、大体の場合、ほっとかれます。電話番号で紐付けしているところが多いし、検索機能を使えば、社名のみで企業を特定できるところがほとんどなので、業務に支障が出ることは、滅多にありません。

ところが、この「滅多に」というのが曲者。ときどきは、業務に支障が出ることがあるんですね。

人間だからいろいろなミスがしょっちゅう発生しています。電話番号を一桁間違って入力されていたり、連絡先として社長の携帯番号しか登録されておらず、社長が急に携帯電話を変えてしまっていたり……。

そして社内の顧客管理システムには、なぜか、前方検索しかできなかったり、前株後株を取り除いて検索できない仕様になっているものが、異常に多いのです。

そうしますと、前株の会社の社名がデータ上で特定できないということがときどき起こります。

そんな場合、バックオフィスではもう大変。社員総出で、「カブシキカイシャ◯◯」で検索したり、「(カ)◯◯」で検索したり。バカバカしいことで時間を取られ、待たされる側はイライラ。そんな経験、今までありませんでしたか?長時間待たされる方は、まさか自分のところの社名が前株だったせいで調査が遅れているとは思ってもいないはずです。

そりゃそんなトラブルに巻き込まれること、滅多にありませんよ。でも、こういう些細なことで将来のわずかな時間を少しずつ奪っていくとしたら、考えものです。

超一流企業と言われる企業の内部データ管理で、フリガナのデータ入力がいかにいい加減か、そのためにどんなトラブルが頻発しているかを見てきました。こだわりがないならば、断然私は後株をオススメします。

これからの時代、フリガナで間違われない社名をつけていく、という工夫も大切になるかも。たとえば「KDDI]という社名だと、「KDDI」とアルファ ベットで入力される場合もあれば、「ケーディーィーアイ」と入力される場合、「ケイディディアイ」と入力される場合などいろいろあり、同一社名と認識されない場合があるそうです。こうした細々とした点も、社名を考える際に参考にしていただくと幸いです。

2014年11月3日月曜日

石川大我の告発にはやりようがあったのでは

東京都豊島区選出の同性愛者であることを公言している石川大我区議が、差別的言動に遭ったというニュースに違和感を感じています。

同性愛者を公にしている豊島区議の石川大我氏が、同じ会派の区議からセクハラ発言をされたと訴えたツイートが話題になっています。性的マイノリティーへのセクハラ、それが議員同士の間で問題になったことで注目を集めているようです。
告発したのはゲイが常日頃感じている人権侵害を白日のもとにさらすためでしょう。でも、敵の自民党ならばともかく、同じ会派の同僚区議への対応として、今ひとつ釈然としません。

これまでこの同僚から、何度も似た言動をされていたのだろうかと思い、調べてみましたが、そのような石川氏の主張は(今のところ)見当たりません。その場を謝罪させて収めるわけにはいかなかったのでしょうか。あるいは一度警告して、それでも同じ過ちを犯した場合は告発したりするとか。

ところがいきなり大衆へと訴えてみせたのは、彼のスタンドプレイのように思え、やや身勝手な印象を受けました。

「俺を舐めるなよ」
と警告する意味では大変効果的でしたけれども、威圧的なものを感じて嫌な気がします。同じ会派の仲間を、仲間として認めていない、というか、ゲイの権利拡大のためには、仲間の失言でも容赦しないというか。

異性愛者が同性愛者を嫌悪するように、同性愛者も異性愛者を嫌悪すると聞いたことがあります。
「女に愛情を感じるなんて、気持ち悪い……」
石川氏にとっては、同性愛者ではない彼は、所詮仲間ではなかったのかもしれません。


~追記~
……と考えていたのですが、そのあと考えが変わりました。
会派に属していたとしても、区議は会社員とは違います。有権者の代表として、冷徹に目的を達成していくための行動を取っていくことが必要でしょうし、そのためにはまず、仲間に対して厳正な対応をとることで、敵にも睨みをきかせることができるようになるはずです。特に自民党に、この種の主張への反感の持ち主が多そうですから、なおさらなのかも。


2014年11月1日土曜日

地球は温暖化でもなく寒冷化でもなく「不安定化」する

冬がやってきました。

10月になり、冷え込む日が多くなりましたが、もう11月です。私の住む東京都内では雪の気配はまだみえません。しかし北海道ではひどいことになっているようです。
ひところ地球温暖化が騒がれていましたが、御存知の通り、冬の冷え込みはここ数年ひどくなる一方です。これは世界的な現象で、欧米では記録的な寒波が毎年のようにやってきています。今年1月のニュースでは、
3日から8日にかけて、米国民の半数近くに当たる約1億4000万人がマイナス17度以下の気温を経験することになる。 
などと報道されたのをご記憶の方々もいるでしょう。地球でももっとも住みやすい場所であるアメリカに住む人々の多くが、マイナス17度を体験するだなんて!

この原因を、氷河期到来に求める人々がいます。もともと地球は約10万年周期で氷河期と温暖期が交互に訪れます。温暖期は約1万年ほど続き、そこからゆるやかに氷河期へと進みます。そして現在の温暖期は、もう11,000年続いているので、いつ氷河期へ向かってもおかしくないのです。

★ 地球は氷河期に突入した

ただ、人類が化石燃料を大量使用したために大気中の二酸化炭素量が増加しているのは事実。二酸化炭素濃度が上昇すると温室効果が発生します。気温が上昇し続けます。

そして海面が上昇し、南洋の島国が高潮に襲われ、国土が蝕まれ続けているのもまた、事実なのです。

果たして地球は温暖化へと向かうのか、それとも寒冷化へと向かうのか?

ここ数年の猛暑と厳冬の幅の揺れを観察して、私は最近思うのです。これは、どちらかに偏っているのではなくて、同時進行しているのではないかと。

想像してください。水を入れた鍋を、下から火であぶり、上から液体窒素を流して冷やせば、鍋の中の水は常温のままとなるでしょうか? 均衡状態を保つのでしょうか?

そうはならないでしょう。答えは多分「不安定化する」です。

冷やされたり暖められたり、急激な状態変化が内部では繰り返されます。決して均衡状態とはなりません。密閉した中で急激な温度変化にさらされると、下手をすると爆発するでしょう。地球は開放系なので爆発することこそありませんが……。

猛暑が増え、台風も大型化するなど、温暖化は間違いなく起こっています。また、太陽の黒点活動が少なくなるなど、寒冷化に進む懸念もこのごろ増えています。両者を示す材料はますます増えていくからといって、どちらかの陣営に与する必要はないでしょう。両者が同時進行して不安定化する未来を暗示しているだけなのですから。

今後世界中で、記録的な気候変動が増えていくのは間違いありません。

2014年10月30日木曜日

自衛隊員から暴力をふるわれたときの話

大半の自衛隊員は、自然災害復旧活動などに尽力する素晴らしい方々だろう。だが、中にはどうしようもないクズもいる。部下をイジメ倒して自殺に追い込む事件などもときどき耳にするが、ときには民間人に向かって牙を剥くようだ。

★ 空自幹部 線路に男性投げ落とした疑い
 航空自衛隊の幹部自衛官が29日夜遅く、東京のJR大久保駅で酒を飲んで帰宅途中に肩がぶつかったと声をかけてきた会社員の男性を、ホームから線路に投げ落としたとして、殺人未遂の疑いで警視庁に逮捕されました。
 逮捕されたのは、防衛省航空幕僚監部の3等空佐、鶴田義明容疑者(39)で、(中略)大久保駅のホームですれ違った際に肩がぶつかったと声をかけてきた44歳の会社員の男性に対し、「殺してやる」などと言って胸ぐらをつかみ、線路に投げ落としたとして、殺人未遂の疑いが持たれています。
この話を聞いて、蓋をしていた嫌な記憶を思い出した。昨年末、海上自衛隊の男(自称)にケンカをふっかけられたことが私にはある。

昨年12月の半ば、待ち合わせをしていた彼女と落ちあい、新宿マルイを通りすぎて新宿三丁目の交差点で信号待ちをしていたときのこと。

彼女が私に、
「あの人達、危ないね」
と声をかけた。

たしかに危ない。クルマが通行中の片側2車線の道路の中央寄り車線上に、そのカップルはしっかりと抱き合って夢中になってキスをしている。それに気づいたクルマは徐行しつつ、動こうとしない障害物を避けて、横の車線に移る。クラクションを鳴らさないのは、からまれるのを恐れてか。

(ああ、酒に酔ったバカ外国人だ)

と私は思った。女性は金髪の完全な白人で、男性も190cmほどある。六本木などでよく見るシーンで、酒に酔った外国人が酔って道路に飛び出ることがある。そういうときに私はよく、危なくないように彼らを歩道へと引き寄せる。

そのときも何の気なしに道路に駆け寄り、彼らの手首を掴んで、
「ここ危ないよ。赤になっているよ」
と言いながら歩道へと連れて行った。渋滞しかけていたクルマが動き出す。そのとき私は、男が20代の日本人で、酔っていないことに気づいた。

それからすぐに信号が青になったので、なんとなく不穏な雰囲気を感じながらその場を立ち去ろうとしたところ、男が追いかけてきて私の肩をつかむのである。
「おい、コラ。なに人の女に触ってんだよ」
そして私をつきとばした。

ふいをつかれて少々よろけた。私の彼女が、
「ちょっと、何してんですか!」
と声を上げたので、私は彼女に、
「この場から離れてもらえる?」
とお願いした。彼女にはこういう場合、その場から逃げるよう、日頃からお願いしている。彼女はすぐに走ってその場を去ってくれたので、安心して男に向き合った。

彼はGIカットと言われる髪型で、筋肉質で体格がいい。横にいる女性は白人だが、流暢な日本語で、
「ちょっと、やめようよ」
と彼氏を止めようとしているから、少しはまともなんだろう。完全な金髪だったから北欧人かとおもっていたが、顔を見るとスラブ系のようにも見える。ロシアンパブかどこかで2人は知り合ったのかね。

「危ないから引っ張っただけでしょ」
と言って私はその場を離れようとした。
「てめえ、なに逃げてんの? いかせねぇから」
と言ってその男、私の前にたちふさがり前をふさぐ。なおも進もうとする私の胸ぐらをつかもうとする。その両手首をとりあえず、合気道で言う両手取りの要領で、つかんだ。

つかんでみて分かったのは、この男は格闘技経験がなさそうだ、ということだ。普通、手首をここまで握られたら、なんとかして振り払おうとしたり、ローキックをしようとしたりするだろうが、それをしない。ああ、それならこいつ、いざとなれば投げられるな、と目算を立てて一安心した。

格闘技を習っていた人ならば同意してくれるだろうが、素人と経験者はまったく異なる。ある程度のガタイある相手であろうと、何年間かマジメに格闘技をやっている人間ならば、いなすことはそれほど難しくない。

ただ、こちらから手を出せば、その時点で加害者だ。それよりも、被害者となった方が、文明社会では勝者となる。

今回の場合、最初に交通法規に違反した行動を取っていたのは相手で、それを注意した私を逆恨みしたという構図だ。私が被害者になれば、裁判で完全に勝てると思いながらも、そこから一歩、踏み出す勇気がなかった。

今抑えている手首を離して、こいつに殴らせればいい、と思う。だが、クリーンヒットして私が路上に転倒するかもしれない。その上からこの男に乗られたらヤバイことになる。やっぱり、190cmのガタイは脅威だ。上から乗られたら、容易に返せない。

しかも今は彼女がいる。もしかして近くで見ているかもしれない。倒れた私に驚いて、万が一にでも助けに入られ、彼女が殴られでもしたらと思うと、被害者となってあえて自分を殴らせる作戦に出ることがどうしても出来ない。

お互いににらみあっていると、相手の男が妙なことを言う。
「おい、てめぇ、誰に向かってケンカ売ってんだ? 俺は海上自衛官だぞ」

道理でGIカットか。身体もゴツイから、鍛えているのは分かる。
「公務員なら法律違反するなよバカ」
とは、私は言わなかった。彼女のことを考えて、下手に、下手に出ることにした。

「そうですか。それは凄いですね」
「てめぇ、なめてんじゃねぇよ。国のために働いている俺に対して、何のマネだ? この野郎」
「だったら、警察につかまるようなマネしちゃダメでしょ。俺を殴ったら、警察行きですよ」
「は? 警察なんて地方公務員だろ。俺は国家公務員だぞ、お前バカだろ」

私は、この言葉に一瞬衝撃を受けた。というのも、無知なことに自衛隊が国家公務員で警察が地方公務員という区分となっていることを知らなかったから。この男の言葉を聞いて帰宅してネットで調べて改めて認識した。

バカだと思っていた相手が自分の知らない一般常識を語ったことに、私は少し狼狽してしまった。

また、同じ公務員としてお互いにリスペクトしているんだろうな、となんとなく考えていたので、こうあからさまに、自衛隊員を名乗る男が警察をバカにするセリフを吐くとは考えていなかったのだ。

本来ならば、
「あんた、本当に自衛隊なの? 部隊名は?」
などと聞き出せば、翌日自衛隊に電話をしてこの男の上官にでも文句を言ってやれたのだろうが、そこまで頭が回らない。思いがけない言葉を反芻するので手一杯となった。

(公務員て、地方公務員と国家公務員の2区分だったっけ? キャリアとノンキャリアの区別とはまた違ったっけ?)

なおも繰り出す男の罵声を聞きながら、そんなことをボンヤリと考えていると、男の力が急にすっと抜けた。
「いいよ、てめぇとケンカしてもつまらないから、手を離せよ」
と言うので、私も恐る恐る手を離す。男は白人の彼女と共に、その場を去る。後ろを振り返ると、警察がやってきたのが見えた。奴はそれを見て逃げることにしたのだろう。警察の横をすり抜けて、そのカップルは新宿一丁目方向へと去っていく。

警察が来たんだからお灸をすえてもらわないと。ここで逃しちゃダメだと思って、男を追いかけてその腕をつかんだ。
「おい、何逃げてんの?」
「は? 手を離せよてめせ!」
そこに警官がやってきて、私たち2人を引き離した。

交差点には交番があった。その近くで言い争っていたから我々にすぐに気づいたのだろうと思ったが、そうではなく彼女が警官を連れてきてくれたのだった。

警官がうまいと思ったのは、争う2人を引き離すために、海上自衛隊の男を、道路を渡らせて、向こう側の歩道へと連れて行ったことだ。離れた場所の2人にそれぞれに尋問をする。こうすれば、お互いの言い分が聞こえずに済む。
「なに嘘言ってんだよ。この野郎!」
などと言い合いになり、ふたたびケンカになることもない。

こちらはケンカをするつもりはなかったので、冷静に話をする。警官は海上自衛隊の男がからんだと認識してくれているようで、私には、
「大変でしたね」
と言い、簡単に事情聴取をした後、すぐに解放してくれた。自衛隊の男も、警官と談笑していたのが遠目で見て取れたので、特にお咎めもなくその場を離れたのだろう。

……ということが、昨年あった。

ブログに書こうと思いつつも、思い出すと腹が立つために書かないまま、いつの間にか忘れてしまっていた。嫌なことで、今さらどうしようもないことは、忘れるしかない。しかし、思い出せば怒りがふつふつと湧き上がる。

今でも腹が立つのは、理不尽なことをしてきた男に対して、何ら社会的制裁を加えられなかったからだろう。あの場で、
「この男を訴えたいから相手の名前と連絡先を教えて欲しい」
と警察官に訴え、強情をはればよかったのだ。名前や所属先が分かれば、あとで職場に怒鳴り込んだり何かができたかもしれない。

それまで自衛隊の悪いうわさを聞いても他人ごとのように思い、むしろ災害時に活躍する彼らを応援してきたのだが、これ以来、自衛隊隊員に対して、やや斜に構えるようになった。

自衛隊隊員が白眼視されていた時代は今や昔、彼らは自衛隊であることにプライドを持つと同時に、やや傲慢となってきているのかもしれない。冒頭の事件も、彼らの心の緩みの現れかもしれないと、今は思う。

2014年10月28日火曜日

システムを見直せば、マナーも環境も心も変わるかもしれない

電車内で足を投げ出している人、邪魔ですよね。

マナー違反を解決しようとしても、人間の心を変えるのは至難のわざです。不特定多数の人々にひたすら訴えて、社会の雰囲気を変え、その中にいる違反者の気持ちを時間をかけて変えていくしかないのでしょうか?

それ以外の解決策を、車両メーカーが提示しています。新しい仕組みの座席を開発して、足を投げ出す行為自体をしにくくさせようという試みです。

1月から順次置き換えている新型車両の座席は、座る面をひざ側に9度上向くようにした。こうすると、座った人は自然にかかとを引く姿勢になるという。狭い車内でも乗客がスムーズに乗り降りできるように、車両をつくる三菱重工業が工夫した。
リンク先には写真が載っていますので、ご覧になるとイメージしやすいでしょう。

他人の心を変えようとするのではなく、仕組みを変えてしまう。そして、マナーを自然と守らざるを得なくさせてしまう。この発想の転換が素晴らしくありませんか?

ここで思い出されたのが、先日読んだ、頭の回転が速い人はなぜ速いのかを分析する記事です。

★ 【頭の回転が速い】と言われる人々の共通点とは...?
頭の回転が速い人は、日常生活に<WHY?>を取り入れて日頃から考えることを習慣化させている傾向にあると思われる。
例えば、渋谷のとある8Fのカフェに行ったとする。閑散とした店内に数人のお客さん。ここで「ナゼこのカフェは人が少ないのだろう?」「数あるカフェの中で、ここに来たお客さんは何を求めているのだろう?」という質問を自分に投げかける。
電車の中で足を投げ出す人を見て、注意することも大切でしょう。

でも、足を投げ出さなくても楽に座れる椅子を開発した方が、確実に問題は解決されます。

間違った現象を嘆き、その場しのぎの対応をするのではなく、原因をつきとめシステムの方を変えれば、現象があっという間に消えてしまう……こうしたことは、なにもマナーの改善に限りません。

たとえば、公園に散乱するゴミ。マナー違反を嘆くのではなく、ゴミ箱を設置しただけで公園がきれいになる例などはいかがでしょうか。公共の場所の環境悪化は、ゴミ箱がないために生じることが多いものです。

数十年前に、美濃部都政ではゴミ箱を無くせば人々はゴミを持ち帰るので、公園がきれいになる、と信じてゴミ箱を撤去したところ、公園にゴミが散乱する結果になったのをご記憶の方もいることでしょう。

あるいは、
「部下が自分の意見を言わない」
と愚痴を言う上司。よくいますね。そして、部下に「意見を出せ、アイデアを出せ」とガミガミ怒鳴る。それで仕事をした気になっているのです。

ところが、なぜ部下が上司に自分の意見を述べないのか? この上司はそれまで部下のアイデアを、
「つまらない」
「くだらないものをもってくるな」
と否定してばかりいたからです。これでは部下は、委縮してしまいます。

アイデアなんて、100あるうちの2つか3つが当たればいいもの。まずはいくつもの数を集めて、思考錯誤しながら良いものをえりすぐるのがアイデアをうまく活用する方法です。そのためにはくだらない意見でも述べやすい雰囲気を組織の中に作ることが大切です。

私の見た例では、部下をガミガミ叱る上司の再教育を会社が行い、部下への暴言をやめさせたことで、社内の雰囲気ががらっと変わり自由闊達な意見が飛び交うようになりました。

世の中、案外システムを変えるだけで解決できる問題がゴロゴロと転がっているのかもしれません。

まずは、世の中を嘆く悲観論に陥るよりも、その理由を考え、解決策を講じる。このポジティブな発想に転換した方が、楽しく人生を過ごせることは間違いありません。

その次に、その際に人の心を変えるのではなく、システムを変えてみようという発想の転換を行うよう努めること。

この二つが大切です。


2014年10月26日日曜日

ときに、一冊の本のある文章が繰り返し役立つことがある

ある本を買おうかどうしようか迷っているときに、アマゾンのレビューを読む。
「私の人生に影響を与えた」
とか、
「私の人生を変えた」
という感想を読むと興味を掻き立てられる。

ただ、それだけでは買わない。レビュー主がそれまでどんなレビューを書いていたかを念の為に確かめる。

その本にしかレビューを書いていなかったり、レビューが数日の間に数十件書かれていたりすると(そしてその本以外のレビューはすべて定型文だったりする)、
「これは業者が書いたのだろう」
と判断して買うのをやめる。最近はあの手この手で広告代理店が暗躍しているので、油断がならない。

そこまでしてレビューを確かめる必要があるかといえば、私にとってはあると言える。くだらない本を買って時間と金銭を浪費したくない。口コミは信頼できる物がまだ多い。レビューで一般人に、「人生が変わった」と書かせるような本は、それなりに面白いものが多く、読んで損をした、と思うことが少ない。

最近では『人間の土地』が面白かった。


本の感想はまた今度書くつもりだ。アニメ映画監督の宮崎駿が本書の解説を書いているという事実だけで、本書を手に取る価値はあるだろう。これもレビューで一生の宝だなどと激賞されていた。

ところで、そこまでではなくとも、小さな影響を与え続ける一節もある。何度も思い出され、人生に少しだけ影響を与え続ける本がある。

一昨年の話だが、雪の降る日の通勤中に、足をすべらせて右足の親指を痛打した。痛みがひかず、二週間以上経過した末にようやく整形外科でレントゲンを撮ってもらった。

ところが異常がみつからない。炎症も起こしていない。完治しているはずだが、突き指をしたときのような鈍い痛みが、長時間歩くと右足の親指付け根を襲い、治らない。

そのまま一年あまりが経過した。強い痛みは時々再発するため、この痛みとは一生付き合わねばならないのだろうと覚悟するようになった。

ところが今年の初めからトレーニングを始めた。走るとやはり右の指の付け根が痛む。そのときに、とある本のとある一節が私の脳裏に思い浮かんだ。

初見良昭という武道家の自伝に書かれていた一節だったと思う。本を仕舞いこんでしまったので取り出すことが面倒なので、うろ覚えのままに書くと、初見氏が武道の師匠について稽古をしていたときのエピソードである。

当時の武道の稽古というのは荒っぽく、森の中を猛スピードで木剣をふるいながら駆け下りたり、ひたすら立ち木を木剣でぶったたりたりといったものだった。自然の中だから、何が起こるかわからない。突然枝が折れてケガをしたり岩で滑ったり、それが日常茶飯事だったという。

ときには何日も痛みがひかないこともある。ところが、ケガを気にした初見氏に師匠は、
「それを無視しろ」
と命じる。最初は、
「骨でも折れていたらやばいんじゃないか」「腱が切れていいやしないか」
と心配した初見氏だったが、稽古を重ねるうちに、痛みが消えてしまう、という経験を幾度となく繰り返すようになった。激しい鍛錬が傷を癒すのだ。

やがて余程のケガでない限り、無視してトレーニングをするようになった、という。

私はそのエピソードを読んで、人間の身体は随分と丈夫にできているもんだと感心した。

さて、私が今年の初めにトレーニングを始めたときにたびたび傷んだ古傷に、話を戻す。

痛みは間違いなく、ある。でも、現代医学では治しようがないものだ。それならば、この痛みを我慢しよう。我慢して、身体を鍛えることに専念しようと、私は考えた。鋭い激痛が走る。それを無視して運動場を走るのだ。

結果的にその考えは正しかった。今では、トレーニングをしても痛みがさほどなくなった。あれほど一昨年、私をさいなんだ足の付根の痛みが嘘のように弱くなったのだ。

痛みを無視して、トレーニングで解消してしまうことができる、という信念。

現代医学では何を非科学的なことを、と思われるだろう。だが、私の右足指の疼痛が減ったことは間違いない。もしも現代の常識のとおりに、トレーニング自体を取りやめていたら、私の足の痛みはそのままだったことだろう。

そして思い出す。初見氏の本を読んでから、ケガをして身体を痛めたことがそれ以外にも何度かあった。私は、多少の痛みは我慢してトレーニングを続けるのだが、そのたびに心に思い浮かべ、勇気づけられてきたのがこのエピソードだった。そして、痛みはどれも、今は残っていない。こうしたことが何度もあったことを、今思い出した。

痛みがトレーニングで消せるものかは知らぬ。だが、原因が分からない不定愁訴は無視出来ると信じ、痛みを耐えてがんばって来れたのは、初見氏の本のあの一節に出会えたお陰だった。その結果、私の生活がほんの少し楽になったのは、間違いない。

本を読むことで、思いも掛けない一節がのちのちまで人生を良い方向へ切り開くこともあるという一例である。