2015年2月16日月曜日

サイコパスは軽口のなかでも真実を明かさない

岡田斗司夫がサイコパスであることは明白なんじゃないかと思っている。

ウィキペディアによれば、犯罪心理学者のロバート・D・ヘアはサイコパスを以下のように定義している。それが岡田斗司夫にどう当てはまるかも書いてみた。
  • 良心が異常に欠如している……文章盗用や不倫騒動など
  • 他者に冷淡で共感しない………捨てた女への態度
  • 慢性的に平然と嘘をつく………岡田斗司夫の普段の行動のとおり
  • 行動に対する責任が全く取れない……美容手術ドタキャン騒動の放置
  • 罪悪感が皆無……罪を問われても言い逃れするばかり。
  • 自尊心が過大で自己中心的……彼のいつも態度
  • 口が達者で表面は魅力的……彼の特徴そのもの
「別の言い方をすると、他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う」
とか、他にも「 乱交的な性関係」だとか「寄生虫的な生活様式」だとか、岡田斗司夫の特徴そのものがサイコパスの特徴としてずばり書いている。

岡田斗司夫がサイコパスでなければ何なのか? という話だ。

似たような人間として有名なのが田中真紀子氏だろうか。彼女も平気で嘘をつき、口が達者で表面は魅力的であり、それでいながらお手伝いさんの女性を素っ裸で母屋の階段を昇り降りさせたり、雨の中、玉砂利の上で正座させて謝まらされた、などの過去が週刊誌で暴露されていた。報道のとおりならば、彼女も典型的なサイコパスと言える。

さて、岡田斗司夫と田中真紀子の二人には、似たような名言がある。岡田氏の名言はネット上の動画での軽口的な応答から。田中氏の名言は、身近に人に叩いた軽口が漏れ聞こえてきたものから。

「俺は、俺以外の人間はすべて犬とか虫に見える。それが人生観」……岡田斗司夫
「人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」……田中真紀子

私はこれまで、彼らのこのセリフは軽口だからこそ彼らの本心を表していると思っていた。だが、前回の記事を書くうちに、どうやら違うな、と考え始めている。彼らにとっては、それ以外の人間がいるのに、それを慎重に隠しているだけなんじゃないのか、と。

岡田斗司夫の場合は、高須克弥がそれにあたる。彼は岡田氏にとって虫けらだろうか? 謝罪の慌てぶりからすれば、決してそうは思えない。虫けら相手にあれほど真摯な対応をするだろうか? 彼が評論家の竹熊健太郎相手に見せた態度とは雲泥の差ではないか。

違うね。虫けら以外の人間だと思っているから、彼は異なる対応を取るのである。

それでは、「俺以外の人間はすべて犬とか虫に見える」という言葉には嘘が混じっているのだろうか? たぶん、そうだ。

私はかつて、サイコパスだろうと思われる上司の下で働いていたことは、このブログを以前から読んで頂いていた方はすでにご存知かもしれない。初めての方に改めて説明すると、彼は学生時代に暴力沙汰で警察の世話になったことを自慢していたり、愛人を10人近く常に抱えていたり、複数回の離婚歴があったり、部下をしょっちゅう殴りつけたり(私も被害にあった)、部下を鬱病で自殺未遂に追い込んだりと、「現実的で長期的な計画の欠如」以外のサイコパスの特徴をすべて兼ね備えているという人物だった(それに典型的な嘘つきだったしね)。

で、だ。

彼の行動を間近でみてきて面白かったのは、彼は利益のためならば、いくらでも下手に出ることが出来る人間でもあった。決して自己中心一辺倒ではなく、上下関係を一見、尊重するふりをするのだ。とはいえ、体育会系の上下関係とは明らかに異なっていた。

面倒見がいい人間、自分が取り行って得になる人間には徹底的に尽くす。その中でも自分をかわいがってくれる相手には常に平身低頭、どんなお願いでも聞いた。特に、権力を振りかざす、敵に回すと怖いタイプの人間との相性が抜群によくて、下手すりゃ夜のお供までしたんじゃないか? というくらい、卑屈になることが出来た。

ところが地位が上の人間でも、公平な人間や力のない人間に対しては、
「あいつは情がない人間だ」
とか、
「彼には挨拶だけしていればいい。そこそこつきあってりゃいいんだ」
と言って、敬意を払うふりをするだけ。彼にとっては、自分をかわいがってくれる人間だけが「情のある人間」であり、利用価値の無い人間を敬うことなど、考えられもしなかった。

この、「利用価値のある人間」や「敵に回すと怖い人間」へ極端に卑屈になるという特徴は、サイコパスの診断表にはまったく出てこないが、サイコパスの特徴の一つとして加えてもいいんじゃないだろうか。

ところが彼らは、自分よりも上の人間が存在する、ということを認めたがらず知られないようにしたがる。
「俺が一番」
「他の奴らは無能」
と威張るのが好きで、自己中心的だから、なによりも自分を敬ってほしい、崇め奉ってほしいと思っているから、「利用価値があって逆らってはいけない上位者」がいる、という事実を認めたがらない。口にしたくない。だから軽口で漏らした人間分類ですら、それを含めないのだ。

それで済むのは、自尊心のある人間ならば、岡田斗司夫が「自分以外はみんな虫」と公言しようが、自分のことを虫けらとは思っていないからだろうか。
「ああ、彼も馬鹿なことを言っているな」
としか思わず、岡田氏が自分のことを馬鹿にしていると考えて怒ることもない。

逆に独裁者タイプの人間にしてみると、他人には傍若無人な人間が自分にだけ擦り寄ると、
「他人には威張っているくせに、俺にはなつきやがって。うい奴じゃ」
と思って逆に可愛いと感じるんじゃないだろうか(気持ち悪いけれども)。

話を整理しよう。
  • サイコパスは、人間を(田中真紀子の分類法を利用するならば)「敵」「家族(または愛人)」「奴隷」の三種類に分類すると公言することがある。
  • しかしもう一つ「利用価値のある上位者」という分類があるが、そのことを公言しない。
  • 周りの人間には自分だけに注目して欲しいのと、上位者に「利用価値があるから媚びへつらっている」とバレるのが怖いからだ。
  • よって周囲は、この手の人間の「自分以外はみんな虫」という言葉を信用しない方がいい。それ以外の分類があることを隠しているだけだから。基本、彼の言葉には嘘が塗り込められていると疑ってかかった方がいい。
ということである。

それと、もう一つ悟ったことがあるが、これもテーマが異なるので別記事にして明後日辺りにアップしようと思う。






0 件のコメント:

コメントを投稿