2014年11月28日金曜日

小4詐称サイト炎上事件は、フジテレビ抗議デモと似ている

先日から何度かこのブログで、小4詐称サイト問題について触れてきましたが、首謀者の母校の大先輩である山本一郎氏が、総括的な決定版とも言える記事を書いています。

★ 小4詐称サイト問題の周辺に“オトナ”不在のなぜ?|やまもといちろうコラム

山本氏が容赦なく切り込んでいて、笑えます。女子高生218人にNPO法人の経費を流用して焼き肉弁当をおごったという、知っている人がまだ少ないネタまで紹介している始末。これには正直、感心しました。大学の後輩にでも手心を加えない。立派だと思います。

山本氏が指摘するように、この炎上事件の功績は、
「青木さんを入塾させたり小保方問題を起こした裏口同然のAO入試の問題」
「経費の使い方が怪しいNPOのガバナンスの問題」
「明らかに問題がある詐称サイトに支援をしてしまった脇の甘いオトナたちの問題」
などを炙りだしたことです(炎上だけに)。

どれも、単体ではそれほど関心を集めるネタではないのに、青木氏というスターのお陰で、さくさんの人の関心を悪い意味で集めたため、問題意識が共有されることとなりました。

AO塾は、これから世間から監視されるようになるでしょうし、大学側も批判を受けて、今後は何らかの対策を進めることでしょう。いろいろな自浄作用が働き始めるとしたら、それは大変素晴らしいことだと思います。

私、山本氏の記事を読んで、今回の炎上事件はフジテレビに対する反韓流デモと似ていることに気づきました。

何かの問題が炎上するのは、偶発的ではありません。それまでの過程で小さな不満が人々の間に積もっていて、怒りが蓄積されていることが多いです。

もともと韓流ブームは作られた感のあるものでした。NHKの『冬のソナタ』や『チャングムの誓い』がブームとなったのは、たまたまだったのでしょう。でも、このブームに便乗して韓流を仕掛けたのは意図的、計画的なものだったはずです。だって、テレビ局がほぼ一斉に、韓国系芸能人を重宝し始めたり韓国系ドラマを放送したりしていましたからね。

リーマン・ショックなどで広告費が先細りになるのに危機感を抱いたテレビ局や大手広告代理店などが、経費削減のために、コンテンツのダンピングへと舵をとった結果ではないかと思います。

大手広告代理店がブームを仕掛けることはよくあることです。しかしそれが大衆心理と乖離していると、人々の不満が段々と溜まっていきます。

作られた韓流ブームに、違和感をもった大衆は、高岡蒼甫の不当解雇をきっかけに、大規模なデモをフジテレビに対して行いました。そして今日の反韓流の隆盛へとつながっていったのです。


同じ構図が、今回の事件にも見え隠れします。

ここ一年ほどですが、ネット上でTehu氏をむやみに持ち上げる記事を見かけるようになりました。

★ 北川拓也氏×Tehu氏 『ハーバード大学卒の天才×現役灘高校生の天才』 by Life is Tech !
★ 天才灘高生 @tehutehuapple さんのプレゼンがすごかった
★ 元旦にニッポン放送で「ももクロ」に会った

同じく、青木氏のような威勢のいい若い大学生の政治活動も、民主党を中心とした人々からやけに持ち上げられています。模擬選挙だとか、大して中身はないのに、「凄い」「凄い」と大変な騒ぎです。

正直、少し気味が悪いと思っていました。

Tehu氏のプレゼン、ほんとうに凄いですか?
青木氏の主張、そんなに目新しいでしょうか?


なにより彼らの顔。


こう言うと大変失礼ですが、人気の出る顔とはとてもじゃないですが、思えないのですね。あの手の顔に人気が出るとしたら、経験を積んで顔に渋みが出てくる30を越えてからでしょう。

それなのに、広告代理店に「使える人材だ」と認定されて、応援され、大衆の尊敬を得ていないのに尊敬を彼らが得ているような扱い方をされるということ。これ、大手広告代理店による、社会的指導者を自分たちの手でつくりあげようという計画の一環だったのではないか、と邪推するのです。

芸能人のスターを大手広告代理店が作り上げることは、これまでもよくあったことです。芸能人スターを一から作り上げたように、政治家や文化人を彼らが原石から発掘して作り上げようとしていたとしても、おかしくありません。

18歳の若者にも選挙権を与えろという、どうでもいい主張に夢中になる彼らと、彼らを妙にプッシュしてきたマスコミについて調べるうちに、その想像が確信に変わりつつあります。

で、この意図的な動きに対して、完全に気づいたわけではありませんが、なんとなく嫌だな、と思う人々が巷に増えてきて、その不満が積もり積もって、小4詐称サイト問題で一気に炎上したのではないでしょうか。

本当の人気は、こんな流れで上がっていきます。人々が無意識に共有していた時代の気分にマッチしたスターが、最初は熱狂的な一部のファンの人気を博し、そのファンが宣伝をして次第に人々に知られるようになり、テレビに出たり事件を起こしたりしたことをキッカケに一気に人気が出てきて、それに広告代理店などが群がって人気を不動のものにするのです。

それに比べて作られた人気は、いつまでも何があっても応援してくれるコアなファンを欠いていますので、すぐにしぼんでしまいます。青木氏が元代表を務めていたNPO法人の活動が、今回の件ですぐに瓦解してしまったとしてら、たぶんそういうことなのでしょう。


2014年11月26日水曜日

いろんな事実が出てくるものだ 「#どうして解散するんですか?」と入試不正疑惑

一昨日「#どうして解散するんですか」という大学生が小学4年生を装って作ったサイトについて言及しましたが、その事件が急展開を迎えています。

★ 【AO入試ビジネスの闇】小4なりすまし慶応生青木大和「NPOのスタッフ全員がAO入試で合格!」

上記記事によれば、この問題を起こした男性の友人らしき人物(たかお@o_takao104)がTwitterで、
いま話題の誰かさんの慶應法学部およびSFCのAO入試のための自由記述つくったの僕なんですけど、規約違反とかで慶應の合格取り消しにしてくれませんかね?お礼すらないどころか塾では彼が作ったとして掲載したらしいからねにもってる(´・_・`)
返信 リツイート お気に入りに登録 2014.11.22 23:00
と発言。青木氏が入試で不正を働いたのではないか、という疑惑が出てきたのだそうです(現在この発言は削除、いや、アカウント自体がなくなっています)。

上記の発言の中に出てくる塾とは、「AO義塾」という東京都渋谷区は代々木にある慶応大学のAO入試に特化した塾のことです。そして青木氏が代表を務める「僕らの一歩が日本を変える」という団体が、この塾の生徒の実績アップに利用されていたのではないか? と上記記事は指摘しています。

AO入試では、社会的な奉仕活動やその他の社会活動を通し,その成果や業績が認められていることを出願資格の一つとしていますが、社会活動の実績など、高校生がそうそう簡単に作ることはできません。ところが「僕らの一歩が日本を変える」では、国会に高校生100人を呼んで討論会を開くなど、全国規模の催しをたびたび主催していました。

★ 【学生】海江田代表が「僕らの一歩が日本を変える。高校生100人×国会議員vol.4」に参加
「僕らの一歩が日本を変える。高校生100人×国会議員vol.4」と題する討論会が27日国会内で開かれ、全国から集まった100人の高校生が国会議員らと「権利」「教育」「オリンピック」「社会保障」など多様なテーマについて討論した。
実績を簡単に作ることが出来る……全国規模の課外活動実績製造システムとして、「僕らの一歩が日本を変える」という団体が機能していたとしたら、これはたしかに大きな問題です。

現在、この団体がフェイスブックに載せていた団体ページは、閲覧不可となっています。

たった一つの過ちから、こんな問題にまで発展していくとは思っていませんでしたので、少々驚いています。20歳の若者のちょっとしたミスです。真面目そうな青年ですから、過去に妙な事件を起こしてはいないでしょうし、この事件はこれ以上進展しないだろうと思っていたものですから。

「入試制度が諸悪の根源」
などと公言する方もいらっしゃいます。実際、大学入試のせいで高校時代に疲弊したとか、青春を浪費したとか精神疾患を発症したという話は、20年前までは腐るほど聞いていましたので、受験地獄の緩和に多くの人が賛同したのも分かります。それから一芸入試など、様々な取り組みが各大学で行われ、今ではAO入試を実施する大学は大変多くなりました。



ところがそれなりに公平だった受験制度に比べますと、試験官の恣意的な判断が大きく作用するAO入試は、インチキの温床となる可能性が極めて高いと、以前から問題点が指摘されていました。今回の事件は、その指摘が決して的外れではなかったことを示唆しています。

今年初めから騒動の的になった早稲田大学の小保方晴子氏もAO入試組の一人。彼らがこう、次々におかしな騒動を引き起こしているのを見ますと、やっぱりAO入試自体に問題があったのではないか、と思われるのも仕方ありません。

AO入試組の学力に問題があるのでしょうか? いや、彼らの学力は入試組とくらべても遜色ない、という北海道大学での調査結果などがあるので、そうとも言い切れません。

ただ、学力やコミュニケーション能力は抜群でも、コツコツと何かをおこなうことを、ともすれば疎かにしがちなのかもしれません。アピールしたもの勝ち、結果が一番大切、という価値観は、過程をおろそかにすることにつながっていきます。そして杜撰な行為を途中でしでかしてしまうのです。結果が良くても、それが致命傷となることがあることも知らず。

「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」
という言葉があります。

スモモの木の下で冠の傾きを正すようなマネをしてはならない。なぜならスモモを盗もうとしていると思われるから。
用もないのに散歩などで瓜畑に踏み入れてはならない。瓜を盗もうとしていると疑われるから。

という意味です。

青木氏やTehu氏など、彼らの社会を良くしたい、という志は純なものだったのは間違いないでしょう。ですが、それなら彼らが関わる団体への利益誘導となる可能性を極力排除して欲しかった。

「僕らの一歩が日本を変える」
という団体には、自分が関係するAO塾の高校生以外から集める、せめて、国会で討論する100人にはAO塾関係者を入れない、などしていれば、AO入試の実績作りにNPO法人を利用しているなどと疑いを持たれることもなかったはずです。

また、Tehu氏が電通のインターン(学生が企業で研修を受ける制度)だったことも暴露されていまして、こうした彼らの行動のすべてに、電通がからんでいたのではないか、という疑惑まで報じられています。

それにしても、彼らはネットでの炎上を甘く見ていました。
「炎上すれば大勢の人に自分たちのことを知ってもらえるから、ラッキー」
程度に考えていたのでしょうが(イケダハヤト辺りが煽ったせいです)、炎上が飛び火して、自分の関わるものすべてが焼かれてしまう危険性を知りませんでした。

それなりに地位のある社会人ならば火消しも出来るでしょうが、そうでない一般人は、炎上することはこのように大変危険だと、わきまえねばなりませんね。

火遊びはほどほどに、ということです。

2014年11月24日月曜日

下手な嘘には腹が立つ 「#どうして解散するんですか?」

今年は、嘘が目立つ年です。

小保方氏のSTAP細胞の発見の虚報に始まり、最近の元競泳選手の富田氏の開き直りに至るまで、世間をダマせると舐めてかかった人々が、世間から手ひどくしっぺ返しを受けるという事件が多く起こりました。

同じような事件は続くものです。ある大学生が世間を舐めて不特定多数の人々をダマそうとして、失敗したニュースが話題となっています。

「10歳の中村」を名乗るユーザーが作った衆院解散の是非問うサイト「どうして解散するんですか?」が21日からインターネット上で注目を浴び、「小学4年生が作ったとは思えない」と炎上。関与を疑われていたNPO法人「僕らの一歩が日本を変える。」の代表・青木大和氏(20)が22日、ツイッターで「今回の一連の騒動は全て私1人が行いました」と謝罪した。
現在彼が作ったサイトには、代わりに、謝罪文が掲載されています。

もちろん、寄せられた声の中には、僕たちへの誹謗中傷、暴言、愚痴など、#どうして解散するんですか?への問いではない声もありました。
でも僕は、これだけの方が目にしてくださった今回の問い「#どうして解散するんですか?」を、いま一度日本について考え直す機会に出来ないだろうかと思っています。
(中略)
今回、僕の軽率な言動により、関係のない多くの方に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。
最初は私も腹を立てました。しかし、それなりに反省しているようですし、よく考えればまだ20歳。考え方が幼いのも無理はありません。それが見当違いの反省だとしても、立腹は収まりつつあります。

なぜ彼がこのようなことをしたのか? もともと炎上狙いと新党結成という狙いがあったことが、以前の言動から明らかになっています。

Tehu:政治ネタは炎上しやすいから、絶対に来る。
青木:それで炎上したときに、全国で「オレも意見がある」「オレも政党をつくる」みたいなツイッターのリプライが絶対に来るから、そしたら「じゃ、おまえも政党つくれよ」と言う。それで地域政党がいくつか出てきて、盛り上がってくると思うんですよ。
元々の炎上サイトを確認しましても、小学4年生が作ったという体裁を取っていながら、難しい漢字がそのまま残っていたり、文字が妙にうまかったりと、粗が目立つのは事実。このページに掲載した画像は、彼が作ったサイトのページの1部です。彼らはそもそもバレることを前提にあのホームページを作っていたのでしょうね。

「本当に小学4年生が作ったはずがないでしょ? 見て分からないの? ネタですよ、ネタ」

と言って舌を出してダマした人々をバカにするところまで、彼らは織り込み済みだったのかもしれません。

ところが予想以上にこの記事は炎上し、彼らの手では収集がつかないほどの非難を受けてしまいました。

青木氏はNPO法人代表を辞任し、Tehu氏もTwitterでの発言を自粛。今頃は弁護士などを交えて、今後の対策を考えている最中かもしれません。

なぜこの件がこれほど炎上したのか。それについて作家の岩崎夏海氏が面白い分析をしています。

2人が炎上した真の理由――それは「人々を苛立たせたこと」だ。
では、どういう理由で苛立たせたのか?
それは、2人が「多くの大人は政治に関心がない」と勘違いしているところだ。それに苛立たされたのである。
この慧眼は、さすが作家だと思いました。おっしゃるとおり。みんな、政治に関心がないわけではありません。だから、政治番組は視聴率がよく、ネット上でも政治ネタは盛り上がるのです。それなのに選挙に行かないのは、まともな政治家がいないからあきらめているだけ。決して政治に関心がないからではないのです。

しかし、岩海氏、その後の文章がすべてを台無しにしているのは残念。選挙に行かない人々と、イジメを見てみぬ振りをする人々を同列視するのは、ちょっと違うのではないでしょうか。また、
ほとんどは、「イジメられているやつも悪い」と思っているときに、見て見ぬ振りが行われるのである
という分析も自分の経験上、あたっていないと思うのです。それよりも、巻き込まれるのが怖い、めんどくさい、という恐怖の方が大きいのではないでしょうか。

閑話休題。

今回の青木氏が引き起こした事件のそもそもの要因は、安易に他人をダマせると勘違いした人間がついた杜撰な嘘を目の前にして、自分がバカにされたように多くの人々が感じたからではなかったでしょうか。

今ではネットで世論を操作しようと試みるのが当たり前の世の中となりました。まとめサイトなどには広告代理店が相当数入り込んでいますし、Twitterでバズらせて流行を生み出そうとすることも多く行われています。

その分、私たちの精神的な負荷は多くなっています。ネットの話題の一つ一つ、盛り上がっていそうに思える話題の一つ一つを、
「これは嘘かな? これは本当かな?」
と吟味しなければならないからです。10年前に比べますと複雑になりました。

嘘が横行すると、嘘に対して不感症になるのでしょうか? 逆でしょう。むしろダマされないよう、嘘について敏感になり、普段、嘘を突き止めるのが困難な分、あからさまな嘘には逆上してしまうのです。

今回の青木氏の作品には、あとでネタだと強弁するためか(見破れなかった情弱のお前が悪いと指摘できる)、小学4年生らしからぬ表現、文章、きれいな文字で作られています。そして、自民党を馬鹿にし、民主党を持ち上げる意図が透けて見えます。

一方で雑な作りをしながら、もう一方でメッセージを含ませる。つまり、嘘はやがてバレるだろうが、メッセージが多くの人に届くまではバレないだろう、しばらくはダマせるだろうと、社会を舐めてかかっているのですね。高をくくっているんです。

この青木氏には、周りの人間たちが政治に関心がない劣った人間だ、という思い込みがあるものですから、いまだに、
実際に選挙が行われることは決まってしまった事実です。僕自身も人生ではじめての選挙です。だからこそ多くの人に#どうして選挙するんですか?と問うてもらい、日本の未来を考えて1票を投じてほしいと強く願っています。
という、傲慢な文章を、謝罪文に含めています。詐欺師のお前に他人を導く資格はもうないよ、お前に言われたくないよ、と私は思いましたけれども。これも火に油をさらに注ごうとする、彼なりの炎上芸なのかもしれませんが。

「あんなチャチなサイトで少しでもダマされるほど、俺達はそこまで馬鹿じゃないよ」
と今回のニュースでは誰しもが感じたはず。でも、自分のことを頭がいいと思い込んでいる人々には、だまそうとされた側がむかつく感覚がわからないのかもしれません。そして、他人の自負心を傷つけてはいけない、という思いやりもないのかもしれません。それは政治家志望の人間としては致命的でしょう。


2014年11月22日土曜日

『論語』はインディアンの酋長の言葉のようだと彼は言った

司馬遼太郎の『アメリカ素描』という作品がある。
アメリカ素描 (新潮文庫)
東洋の歴史や地域を描いてきた司馬にとっての新境地であり、歴史作家が見るアメリカの風俗は他と異なっていて(どこがどう異なっているのかは、今手元に本がないのでわからない)、面白かったのを覚えている。

この本の中に、こんな小話がある。

あるアメリカ人の学者が孔子の『論語』を読んで、一言、
「まるでインディアンの酋長の言葉のようだ」
と言ったそうだ。

司馬遼太郎はこの話を誰かから聞いて、心の底から笑った、というものだ。

中華文明に大変尊敬を抱いている司馬遼太郎は、同時にリアリストだったから、いくら自分が尊敬している対象でも、それに関心のない西洋人にとっては戯言にしか聞こえまい、孔子の教えの含蓄を知るのは難しかろう、ということがよく分かっていて、笑ったのだろう。それを読んだ私もニヤリとした。

ところがこの箇所について、ある批評家が『アメリカ素描』を批判する中で、

「司馬遼太郎は『アメリカ素描』の中でアメリカ人の学者が『論語』のことをインディアンの酋長の言葉のようだと評したと書いているが、そんな話を聞いたことがない。いくら調べても出典がみつからない。彼は嘘を書いているのではないか?」

と指摘していたのをあるとき読んで、ふーんと思った。

司馬は噂話として誰かから聞いたのだから、それを話した人の嘘かもしれない。だとしたら司馬の責任じゃなかろうし、面白い話だからいいじゃないか、とも思ったし、あるいは、エッセイのための作り話だったのかもしれないなどとも思い、それならもっと書きようがあるかもしれない、などとも考えた。

手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』はあまりに有名になり過ぎて、架空の病気の手術の描写をしたところ、医師から「そんな荒唐無稽なことをかくな」などとたくさんの非難を受けたという。歴史作家として有名な司馬ともなると、噂話ですら根拠のないことは書くなと批判されるのだろう、難儀なこっちゃ、と思った。

ただ、批評家がそう断言するくらいだから、アメリカの学者が『論語』のことをインディアン(今では「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶのが適切)の酋長の言葉だと評した、という事実はないのだろう、となんとなく考えていたのだが、

それから数年、このことを忘れていたのだけれども、マックス・ヴェーバーの『儒教と道教』をたまたま読んでいた時に、あっと思った。その本の中に、たしかに「『論語』はインディアンの老酋長の語り口に似る」という旨の文章が載っていたからだ。

残念なことにマックス・ヴェーバーはドイツの社会学者だからアメリカの学者ではないので、『アメリカ素描』で取り上げるには不適切だったかもしれない。だが、ソ連が存在していた当時、マルクスと対抗しうる社会思想を作り上げたマックス・ヴェーバーは、アメリカで大変人気の高い学者だったので「アメリカの学者」と学生あたりが誤認してもそれほどおかしくはない。司馬遼太郎がアメリカで世話になったボランティアの学生あたりが、こうした話を司馬にしたとしても、おかしくはない。

なにより、『論語』をインディアンの酋長の言葉だ、と学者が評したという話がまったくの作り話ではないと知って、私はいささか司馬遼太郎を見なおした。

こうした、数年越しに引っかかっていた疑問が化学反応を起こしたように解消される瞬間というのは、大きな快感が得られて言いようのない気分の高揚を覚える。

それにしても、アイデアというものはオリジナリティがあるものだ。『論語』を読んだ西洋のある程度高名な学者は何百人といるはずだし、ネイティブアメリカンの酋長が歴史的な経験則を理由をつけずに語る、あの独特の話ぶりを本や映画などで知っている人も多かろう。

だが、両者を似ていると感じて、そのことを著書に書いた学者は、案外いないものである。




2014年11月20日木曜日

どうすれば、高倉健のような生き方ができるのか

高倉健が亡くなった。

かっこいい男の代名詞。

稀有なスターが亡くなると、記憶にある彼らを鬼籍へと移し替えねばならない。細い手で胸を押さえつけられるような息苦しさを覚える。

彼の演技は随分酷評されてきた。大根役者と言われたこともある。しかし経験を経て、彼の演技は本物へとなっていった。演技の勉強に余念がなかったというから、自分の味を出しながら、監督とカメラの向こうの観客にどう満足してもらえるか、考え続けてきたのだろう。

残念ながら、彼とは生きていた時代が異なるので、映画を観て彼の演技に夢中になった経験はない。ビデオなどをいくつか観て、カッコイイなとおもったくらいだ。ただ、彼と過ごした映画人たちが好んで語る高倉健のふるまい、たたずまいを聞いて、強く憧れたことはあった。

彼がどのような人物だったのかは、Wikipediaに詳しくまとめられている。

★ 高倉健 人物像

Twitterなどを観ていると、彼の生き方をカッコつけていると感じた人もいるようだ。それは当然だと思う。彼は意図的にカッコつけて、生きていたのだから。

歳を食ってくると、若い頃に否定していた生き方が避けられないことが否が応でもわかってくるだろう。そのうちの一つに、社会の中で生きる上では何がしかの「演技」が必要だというものがある。わりきらねばならない。あきらめなければならない。

自分の感情をあざむき、他人にこう思って欲しいと思いながら行動するというのは大変卑しいことだと子供の頃から思っている。だが、他人をどうにかして利用しようと考える人間と一緒に働かねばならない場合に、多少の演技で抵抗していかないと、喧嘩をして恨まれるか、自分を押し殺してうつ病になるかしかなくなってしまう。

卑近な例だが、上司が次々に新しい仕事を部下に押し付けてくるような職場にいたとする。自分の仕事を責任をもって完遂するためには、忙しいフリをして仕事をふられるのをさけなきゃならない。プライドの高い年上の女性同僚が自慢話を始めたら、仕事の手を止めて、さも関心があるように振る舞わなければならないこともあるだろう。上司をバカにしてくる部下には、怒鳴りつけたい気持ちを抑えて笑いながら接しなければならないこともある。

しかし、自分の意思を殺して行動する演技は、さじ加減が難しい。

過剰な演技はわざとらしい。あきらめてポーカーフェイスに徹するという方法もあるが、感情がないと嫌われることがある。迎合さえしていればいいのかと言えばそうではない。軽蔑され、侮られるもととなるからだ。

自分を安売りせずに、他人を尊重していることを伝えるための行動は、考え始めると難しい。

その中で、高倉健の日常生活の「演技」は見事だった。映画の中の演技も素晴らしかったけれども、これだけ長い間、日本中から注目され続けて生きていながら、悪いうわさをほとんど立たせなかったのは凄いことだ(江利チエミと結婚、離婚したときに、義姉との間で一騒動あったようだが)。

日本中の人から四六時中見られながら、高倉健は、劇中の登場人物と同じ、無骨で律儀で謙虚な人物像を貫き通した。これは、並大抵の努力ではできまい。

高倉健の近所に住んでいた板東英二が高倉健の実像を語っている。

★ 高倉健さん死去に板東英二「あの人は寡黙でもなんでもない」
あの人は寡黙でもなんでもない。何時間でも話します。プライベートな話も。(元妻の)江利チエミさんとの話や東映から脱走した話。やんちゃした話とか。健さんがヤクザ映画に出ていた頃、愛媛の松山へロケに行ったら黒服100人くらいがずらっと一列に並んで『ごくろうさまです!』と言ってきた。『仕事で(ヤクザ役を)やってるんで』と言うと翌日、白のトレパンにシャツ姿の人が100人。そういうことじゃないんだよ! とか……そんなこと延々と話してるんです。
本当はそんな人なのだろう。親しい人には快活で、お喋り好き。それでいながら彼は彼を慕う人の前では「高倉健」を演じ続けた。いいなぁ。

どうすれば彼のような生き方ができるのかわからない。まずは、できることからマネてみようか。

ちなみに上記は高倉健の愛読書で、彼はこの本をことあるごとに読み返していたらしい。まさに座右の書。読みたいが、今の段階で46,000円の値がついているので、断念せざるを得ない。

2014年11月18日火曜日

セクハラ対策が未婚女性を苦しめる

最近はコンプライアンス研修を社員に毎年受けさせる会社が多くなってきました。この研修、法令遵守に加え、セクハラ禁止を衆知する内容のものが多くなっています。

日本人がセクハラをあまり意識していなかった1990年代、アメリカ三菱自動車の女性従業員がセクハラ集団訴訟を会社に対して起こしました。結局三菱自動車側は12億円を支払って和解しています。

当時の日本では、女性に同情するよりも、アメリカの訴訟社会を問題とするものが多かったのを覚えています。でもその頃からでしょうか。日本でもセクハラが「悪」である、という認識が広まるようになりました。

こうした動きを私は歓迎します。女性社員にとってだけではなく、男性社員にとっても朗報だと私は考えています。セクハラをする男性というのは暴君タイプが多く、彼らの女性へのセクハラは、部下へのパワハラとセットになっていることが多いのです。セクハラを禁止する社風は、パワハラの歯止めにもなります。

ましてや、女性にとってセクハラのない社会が居心地がいいのは論を待ちません。女性の多くにとって、好意を持たない男性から性的な目で見られたり、性的な言動を吐かれたりすることはおぞましいのです。ヘテロの男性が、ホモの男性から性的な目で観られたときに感じる嫌悪感を想像すればいいかもしれません。

もっとも、意中の男性以外から性的な目で見られることへの女性の嫌悪感は、備わった本能のせいだ、とも聞いたことがあります。優秀な遺伝子を持った子供を妊娠したい、と願う女性にとって、それ以外の男性に妊娠させられることは絶対に避けたいもの。そこで、不特定多数の男性から性的な目で見られると嫌悪感を感じるよう、本能にプログラムされている、という説もあります。

いずれにしましても、女性の活躍する21世紀、職場からセクハラを一掃しようという取り組みは、とてもいいことだ、と私は思っています。


ただ、私、コンプライアンス研修を先日受けながら思ったんですよね。
「ああ、こういう教育を入社時から受けている男性が草食系男子になるの、分かる」
と。

職場では一切、性的な感情を持ってはならない、職場を出たら、性的欲求を持っても構わない、と聞けば、至極当たり前だと思いますが、人間、そこまで器用じゃないでしょう。

性欲の強い人間は一定数いて、彼らの性欲は職場で抑圧されても職場を出ればすぐに復活します。彼らにはコンプライアンス研修が大きな効果を生みます。

問題は、もともとそれほど性欲のない人々。研修で様々に、
「女性を性的な目で見てはならない」
「女性にとって性的な目で見られることは苦痛」
という教育を受けるうちに、彼らの中では、女性を異性としてみること自体を抑制する方向へシフトしていくのではないでしょうか?

繰り返しますが、多くの人間はそれほど器用な存在ではありません。職場ではこう、退社後はこう、と人間性を180度回転させることは難しいのです。もともと優しい人ほど、研修を繰り返し受けるうちに、性欲を感じることに罪悪感を感じるでしょう。

男性が女性へ性的な魅力を感じなくなると、一緒に暮らしたい、子供を作りたい、この人を守っていきたい、という男性が本来持つ欲求を、だんだんと失っていきます。結婚を望んでいる女性たちにとっては悲報でしょう。

ほとんどの女性たちにとっても、セクハラが職場から一掃されることは大変嬉しいはずです。でも、この女性たちの欲求の総体が、まわりまわって自分たちの首をしめることにもつながっているのかもしれないというのは、やるせないですね。

2014年11月16日日曜日

GoogleのブログサービスBloggerが、他のブログサービスよりも優れている理由

今年初めに、「GoogleBloggerからWordPressに移行検討する私の理由」という記事を書いて、はや1年近くが経ちますが、御存知の通り、いまだに私はBloggerを利用しています。

なんだか、このままBloggerでもいいような気がしてきました。華美ではなく、堅牢なこのサービスは、使い続ければ光りだす南部鉄器のようなものに思えてきました。ゆえに、愛着が湧いてきています。

これからブログを始めようとしている方の中には、どのブログサービスを利用すればいいのか、悩んでいる方もいるかもしれません。そんな方のために、Bloggerのいいところをいくつか、挙げてみたいと思います。


1.Googleが提供するサービスである

インターネットが世界の人々の情報収集、伝達方法を根本から変えました。その立役者の一つがGoogleであることは論をまたないでしょう。

私はGoogleにこれまで何度も文句や不満を述べてきましたが、それは期待の裏返し。既存メディアが恣意的に情報操作をおこなっていた実態をインターネットは暴き出しました。インターネットのお陰で自由に意見をだれでも発信することができるようになり、Googleのお陰でこの人々の意見に誰もがたどり着くことが出来るようになりました。

今の言論空間の素晴らしさは、昔の閉塞感を知らない10代の人々には今ひとつ理解できないかもしれません。世の中は間違いないく、10年前よりも自由で開放的になりました。Googleを私は支持しますし、ごのGoogleのサービスですから、自信をもって勧めることができます。


2.アクセス数などが正確

Google Analyticsを利用していれば別にブログサービスはどこでもいいのかもしれませんが、それでもブログサービス自体の信頼性を確認するものとして、ブログ付属のシステムで、ページビュー数(その記事が何回閲覧されているか)などが正確に把握できるかどうか調べる、という方法があります。

少しググればすぐに探せるので敢えてリンクを張りませんが、アメブロのカウンターはとてもいい加減だと評判です。私も一時期、アメブロでブログを書いていたことがありましたが、つまらない記事を一回書いただけで何十もアクセスがあったりしていて、すぐに疑ったのを覚えています。


3.安定している

ブログサービスによっては、突然アクセスができなくなる、といったシステム上のエラーに悩まされているところがあるようですが、Bloggerを使い始めて2年、そのような不満は記憶にありません。


4.シンプルで簡単

WordPressに移行しなかった理由の一つが、操作がいろいろと大変だというもの。私、PHPなどが使えないので、プラグインを増やしたりCSSを書き換えたりとか、よくわからんのです。他にしたいことも多いので、プログラム言語を覚えないまま、また一年経とうとしていますけれど。

今となってはコンピューター言語を知らないままでも簡単に利用できるBloggerに感謝しています。ブログサービスを初めて利用する人、Bloggerはとても単純で使いやすいですよ。


5.無駄な争いに巻き込まれない

私、はてなブログへの移行も密かに狙っていました。

はてなブログは今、もっともホットなブログサービスです。ユーザー同士で批判を応酬したり、議論を戦わせたり、いろいろなイベントを開催したり……ユーザーになると毎日が面白そうです。

私もはてなブックマークはよく利用しているため、今年ははてなブックマークのオフ会に参加しました。あれは楽しかったな。主催者の齊藤さんは、現在沖縄旅行中。私もはてブオフ会で少し話した関西の可愛らしい女性に会いにいったらしいです。

こういう楽しい交流はあるものの、ユーザー同志の交流が濃いブログサービスで有名人となると、ブログ記事が炎上しやすく、少し気を抜くと、批判が山のように集まるのです。

Blogger記事の読まれ方は、SNS経由ではなく、純粋に検索経由が多いはずです。そのため批判したい人が一気にやってくることが少なく、炎上しにくいのが特徴です。筆が滑っても、あとで気づいてこそっと書きなおしておけばいい……こうしたゆるさがBloggerの特徴です。


6.アダルトがあまりなくて健全

私もときどきアダルトなネタを書くのにあれですけれども、性的表現があまりに露骨なのは嫌いなのです。FC2などのサービスでは、性的なブログがほんとうに多いので、アクセスするたびにちょくちょく目に入ってきます。ブログを書くことが嫌になってしまう人もいるでしょう。

こうした心配のない適度な真面目さが、Bloggerのいいところです。



こんなところですね。

これからブログを書き始めようと思っている方々は、ぜひBloggerも、検討の対象の一つにしてください。


2014年11月14日金曜日

顔面攻撃ありは実践的か

夢枕獏の作品(名は覚えていません『餓狼伝』だったか、どうだったか……)の冒頭部分で、とある登場人物がこんなことをうつぶやくシーンがあったと思います。

「自分は背が低い。顔面攻撃さえできれば、得意技の上段回し蹴りで一発KOできる機会があったのに、この流派ではそれができない」

もう30年ほど前の作品で、読んだのもずいぶん昔なので記憶は曖昧です。身長の低い空手選手が、顔面攻撃を認めない自分の流派では自分は万年2位だと悟り脱会、より"実践的な"道を模索していく……そんな話だったでしょうか。

夢枕氏の本を読んだ当時、私は中学生か高校生の子供でした。だから単純に、
(顔面攻撃を認めない格闘技なんて使えないな)
(伝統空手なんて、実践的じゃないな)
などと考えて、伝統空手をひそかにバカにしていたんですね。

ところが、最近、また格闘技を習おうと思っていろいろと調べていくうちに、このことをふと思い出しまして、改めて考えなおしてみました。

よく「ケンカが強い」などと言われる人が大勢います。芸能人ならジェリー藤尾とか、渡瀬恒彦とか。

けれども、よくよく考えますと、彼らはそりゃ、それなりに強いのでしょうけれど、それよりもケンカをして相手にケガをさせながら一度も刑務所に入れられなかった、というところがうまいんですよね。

つまり、相手を叩きのめす、という単純な強さに加えて、
「勝てない相手、勝てない場所では絶対に喧嘩しない冷静さ」
「逃げ足の早さ」
があったことや、
「逃亡を助けてくれる仲間」
「助けてくれる弁護士や事務所」
があったこと。さらには、
「相手を傷めつけても大怪我をさせない喧嘩術」
をよく知っていたのがすごいんですよね。

特に最後の、「相手を傷めつけても大怪我をさせない」というところがポイント。顔面攻撃などの、頭部への攻撃には、彼らはかなり気を配ったのではないでしょうか。

顔面攻撃は、一発で相手を倒せる方法として、たしかに有効です。でも当たりどころを間違えば、相手を死に至らしめてしまう危険性が大変高いのです。喧嘩をする機会が多ければ多いほど、慎重でなかった人間は刑務所の中へと沈んでいったことでしょう。

★ 顔面に左ストレート「私のパンチで致命傷、間違いない」 公園でスパーリング、男性死亡 大阪
「左ストレートが顔面に入った。私のパンチで致命傷を負わせたことは間違いない」と容疑を認めているという。
 逮捕容疑は19日午後11時35分ごろ、自宅近くの公園で、知人のアルバイト、松本健嗣さん(20)=同区巽東=の顔面を殴り、死亡させたとしている。
上記の記事は先々月のものですが、たまに、顔面をパンチして相手を死に至らしめたというニュースは各方面で話題になります。

頭をぶつけたり頚椎をひねったりすれば、人間、意外に簡単に壊れてしまいます。パンチ一発で動かなくなり生死不明となった人の動画を、検索しますとすぐにいくつも観ることができるでしょう。

ボクシングで頭部にパンチ、観た目はかっこいいんですよ。一発で相手が動かなくなったりするから。でもその後、相手が死んだら殺人ですよ。かなりリスキーだと思うんですよね。

冒頭で紹介したプロの格闘技の選手ならばともかく、私たちにとっての"実践的"とは、たとえば暴漢におそわれたときに身を守るための方法。ただそのときに、相手に大怪我を負わせれば過剰防衛となり、実刑を受けるかも知れません。高額の賠償金を支払う必要があるかもしれません。

顔面攻撃をせずに相手をねじ伏せるための方法論の方が、はるかに、この文明社会では役に立つ気がします。組み技に限定しません。ボクシングだと、ボディ攻撃だけで相手をノックアウトしていく方法とかね。

そんなことを考えますと、顔面攻撃を試合で許可しない伝統空手の方が、より"実践的"だったのかもしれないな、などと思ったりするのです。

2014年11月12日水曜日

金融業に向いているかどうかの基準

ある職業が自分に向いているかどうか、なかなかわからないものです。
「向いている」
と思って就いてみても、想像していたものと違っているのは当たり前。仕事が面白くなく、さらには能力もなければ悲惨の一言。

かく言う私も、以前とある職についていたときに、この種の悲哀を味わいました。

「慣れるうちに好きになる」
と言われ、会社でその職に数年就いてみましたが、毎日が嫌で嫌でたまりませんでした。

それでも力を伸ばそうと思いまして、仕事と平行して専門に沿った勉強もしていたのですが、知識は身につかず、ただ苦痛の一言。

勉強時代も合わせると10年近くその業界に身をおいて、好きになることも得意になることもありませんでした。

「10年やればどんなことだって好きになる」
「やれば必ず力は伸びる」
こう断言する人は大勢います。でも、やっても力が伸びず、好きにもならなかった人々はそれ以上にいるのです。

しかし落伍者は声を上げません。自身の恥になるだけですから。そして声高に成功を語れる人だけが残ります。その陰には、不得意なこと、嫌なことを仕事としたばかりに、鬱病になったり挫折したり、転職したりした無数の声なき民が大勢いるのです。

そんな失敗をおかさないためにも、その職業に向いているかどうか、判断する簡単な基準って、ないものでしょうか。

先日このブログで取り上げた、松本大さんが面白いことを述べていました。

「金融業に向いている人、向いていない人」
が簡単に分かる基準があるのだそうです。

それは"桁"。

彼の周りで金融業で成功している人は、絶対に桁を間違えないのだそうです。例外はほとんどないのだとか。

面白い着眼点です。こういう情報の方が、職業診断テストなどよりよほど価値が有ります。

思えば私、桁の計算がとても苦手です。345ドルが日本円でいくらか、と問われても、
「ええと、1ドルが100円だとして、345円掛ける100はいくらだったっけ?……34,500円か」
と手間取るレベル。つまり、金融業に向いていなのでしょう。金融業に就かなくて本当によかったと、この話を聞いて思いました。

ジェイコム株大量誤発注事件」では、みずほ証券の社員が桁を間違えて大きな問題になりました。今から思えばこの社員は、金融業にそもそも向いていなかったのかもしれません。金融マンとして優秀な彼の周囲の先輩たちは、桁を間違えるかもしれないという懸念に薄く、
「まさか我々の仲間に桁を間違える人間がいる」
ということを想像しにくかったのかも。だからそれに備えることを怠っていたのかもしれません。

それはともかく。

これから金融業に就こうかどうか、迷っている学生のみなさん。
"桁"という基本的で簡単な概念を学生時代によく間違えている場合は、どれほど業界に思い入れがあろうとも、そもそも金融業に向いていない、と即判断して、別の道へ進んだ方がいいのかもしれません。


2014年11月10日月曜日

ある人々は嘘を平気で吐くことができる

人間、自分を基準にして考えますから、自分が
「嘘をつこうとしても表情に出てしまう。また、短期間ならば演技ができても、何年も嘘を貫き通すことは出来ない」
から、他人もそうだと考えます。

でも、ここ一年の間に次々に、
「嘘を平気でつく人たち」
の映像を目の当たりにして、それは違うということを学ばれた人も多いのではないでしょうか。

今年一番の話題かもしれない、理研の小保方さんが巻き起こした一連の騒動。彼女がSTAP細胞を発見していないことはもはや誰もが分かっていますけれども、小保方さんの堂々とした反論記者会見を観て、
「彼女は嘘をついていない」
と、一時期日本国民の3割は信じたのではないでしょうか。

あるいはパソコン遠隔操作事件の片山被告。彼も堂々と冤罪被害者をカメラの前で演じ切りました。あのあと下手な小細工さえしなければ、バレなかった事件でしょう。

最近ですと競泳の富田選手。彼の言い訳を聞けば聞くほど、信じられないものばかり。知らない男性にカバンに何かを入れられて、そのまま部屋に戻り、中を確かめずに翌日までそのまま放置するなんてあり得ないことです。

そのうえ、韓国側が盗難映像を公開しようとする動きに対して、
「公開しないで欲しい」
と発言するなど、何をか言わんや、です。

ところが彼の堂々とした記者会見を観たからでしょうか、ナイナイの岡村など一部の人間が、
「彼は盗難をやっていない」
などと騒ぎ始めています。なんなんでしょうね。

……ということを改めて考えたのは、柔道選手の元金メダリストの内柴が、自分は無実だという主張を獄中から発表しているというニュースを読んだから。

★ 内柴正人 「懲役5年」の獄中手記をタブー公開

同意があったかどうか、ということよりも、同意があろうとなかろうと妻を裏切って10代の教え子と関係を持った事自体を反省するべきなのに、そのことを悔やむ言葉がほとんど聞こえてこないのは本当に不思議です。

裁判で犯罪が認定されても、自分は正しいと堂々と主張できる人間がいます。自分を基準として考える正直な人は、彼らを今ひとつ理解できないのですが、それが現実なのです。この不愉快な現実に向き合わなくてはなりません。

「その人の目を見ればわかる」
とか、非科学的なことを言うのはやめて、
「人間見た目じゃわからない」
と、そろそろあきらめてしまうべきです。

じっくりと話を聞いて、証拠を集め、冷静に判断するクセをつけていくこと。人間を直感で信じるクセは、彼ら平気で嘘をつく人間に利用されてしまいます。


2014年11月8日土曜日

交通事故で首を傷めた人のためのマクラ

いやぁ、昨日この記事をアップしたつもりでしたが、今確認したら、下書きのままになっていてアップされてませんでした。すみません。

今日の話題は枕について。

枕が身体に合わなくて悩んでいる人は、多いかもしれません。

私、学生時代に交通事故に遭って以来、首の調子がよくありません。頭からフロントガラスにつっこみ、フロントガラスを割るという大きな事故です。

それから首が痛くて眠れない夜を、10年以上過ごしてきました。

いろいろな枕を試して、首の痛みを少しでも軽減しようとがんばってきたのですが、どれも今ひとつ。最初はごく普通のクッションの枕、そのあと蕎麦殻の枕、それからプラスチックパイプの入った枕という風に。

それでも首の不調は年々ひどくなり、気分一新する目的で思い切って買った高額な枕が、「王様の夢枕」です。今から10年以上前に、6000円以上かけて買いました。
王様の夢枕 アイボリー (専用カバー付) W52×D34×H12cm 【王様のマルチ枕をプレゼント】

テンピエールの低反発まくら(これは有名ですから商品紹介はしません。ググってください)も後に使ってみましたけれども、夢枕の方がテンピエールよりも柔らかくフィットします。「王様の夢枕」はいい枕です。

これで積年の問題が解決する人が案外いるかもしれないのでオススメです。長年多くの人に愛されているだけのことはあります。

ただ私の場合、長期間同じ姿勢だと首が痛くなります。その点、この枕は頭にフィットしすぎて、体勢を変えにくいのが難点。同じ姿勢で固定されてしまって寝返りが打ちにくいのです。

もっといいマクラがほしい、と思い、夢枕からビーズが漏れ始めたのをきっかけに新しい枕をまた、探し始めました。

先述の通り、一度テンピエールの低反発まくらを使ってもみたのですが、合わず、それから数カ月後に新しい枕に東急ハンズで出会いました。

アマゾンで見つけることが出来ず、うちにあるものの写真でしか紹介できません。買ったのがもう5、6年前でして、商品名も分かりません(製品にタグはついていません)。

中にはプラスチックパイプがぎっしりと詰め込まれています。低反発ではなく、固目でしっかりしています。この固さと特徴的な丸い形状が、頚椎を下から押し上げてくれるのです。

楽に寝れるのではなく、無理やり正しい姿勢にしてくれる、とでも言えばよいでしょうか。寝返りは若干打ちにくいのが少々気になるものの、首の痛みは軽減されました。

似たような製品だと、たとえば下の枕になるでしょうか。
リビングインピース いびき対応枕 いびき枕スタンダード makura-1517100

さて、この枕にも難点がありました。強制的に正しい姿勢にしてくれるものの、寝返りがやや打ちにくいせいか、二週間に一度、首が痛くてたまらなくなるのです。その時には枕を外して寝ると、また元に戻ります。多分、同じ姿勢でばかりいることで、身体が悲鳴を上げてしまうのでしょうね。

もっと良い枕はないだろうか……と思いながらここ数年過ごして、ようやくみつけました。究極の枕。
ビバルディ オルトペディコ 安眠枕 イタリア製 (横78X縦48cmX高さ13cm)

アマゾンで枕部門1位を取っていた理由が分かりました。

なかに芯が入っていまして、それが絶妙に首にあたってとても寝やすいのです。これで、首の痛みが軽減されまして、寝苦しくなくなり、楽になりました。

首や肩に苦痛を抱えている人がいると思いますが、その場合は、上で紹介した枕、一度試してみてください。今のところ、大変体調がいいので、毎晩寝るのが楽しみです。

もっとも、合うか合わないかは個人差があるでしょう。体格や首の不調具合によって、いろいろな枕をいろいろな方法で試してみて、自分にあったものを探していくのがベストですね。

2014年11月5日水曜日

会社名は前株よりも後株にするのがベスト

事業を起こして社名をつけるときに悩むのが、
「前株か、後株か?」
という問題です。

前株(まえかぶ)というのは、
「株式会社◯◯」
と、社名の前に企業形態である「株式会社」をくっつける表記方法。

後株(あとかぶ、ときどき「うしろかぶ」と読む人も)というのは、
「◯◯株式会社」
と、社名の後に「株式会社」という言葉をくっつける表記方法。

どちらのタイプもよく目にします。Web界隈ですと、前株としては「株式会社はてな」「株式会社サイバーエージェント」などが有名ですし、後株としては「ヤフー株式会社」「楽天株式会社」などがすぐに頭に浮かびます。

経営の専門家によれば「どちらでもいい」そうです。

★ 会社名の前株と後株
ご質問の件ですが、前株、後株で明確なメリット又はデメリットはございません。
語呂や個人的な好みで決定して頂いて良いと思います。
スッキリとした回答が小気味いいですね。

歴史のある会社は後株に、新興企業は前株にする傾向が強いという程度の差異はあるものの、両者に法的な差異はないようです。そんなことが、「会社名は前株・後株どっちが良い?会社名は何文字まで?似た会社名を付けると訴えられる?~会社起業の道標」という記事でまとめられていました。

上記の記事では、「鈴木です」という特殊な社名だと、後株の方が会社だと認識されやすいという結論を出していますが、せっかくですから、前株のメリットについて述べてみます。

前株のメリットは、名乗った時に認識されやすい、ということです。

相手の言葉を認識するにおいて、心理学的には、最初の0.3秒は注意力が散漫になりがちなため、名乗られた社名の頭の部分が聞き損じられる可能性が高いのだそうです。

初対面の人に、社名を名乗る際に、
「◯☓株式会社の、△△です」
と名乗った時に、最初の「◯」の部分が聞き取ってもらえない可能性がある、ということです。

だから後株の社名の社員は、前株の社名の社員よりも、
「もう一度社名をおっしゃってください」
と言われる確率が、やや高い、ということになります。

前株だと、「株式会社……」と言った時点で、相手の脳が、
(お、社名を名乗るんだな)
と準備体制に入るので、続く社名を聞き逃しにくいのです。
この若干の差が、競争の激しいビジネス社会で何十年もの間に積み重なり、大きなアドバンテージとなる、という反論が考えられるでしょう。

ただ、私の個人的見解としては、上記ブログと同じく、後株を推奨します。

私はバックオフィスの経験が長いものですから、事務処理上の観点から考えてしまいます。お恥ずかしい話、いろいろな会社を渡り歩いてきました。大手の会社の裏側もある程度知っています。私のつたない経験から言いますと、断然おすすめするのは後株です。それはなぜか?

後株の社名は、整理されやすく、オンライン上でも把握されやすいんですね。

いろいろな企業のデータ管理状態を見てきました。どこの企業も、データ入力は人力です。それを行なうのは現場の社員。営業現場の社員が全員、データ整理がうまいわけじゃありません。それにコンピューターが大幅に導入されて、まだ10年とちょっと。それまで蓄積された、お得意先、取引先、あるいは顧客法人の社名のデータ入力は、かなりいい加減です。

「カブシキカイシャ◯◯」
のこともあれば、
「カブシキガイシャ◯◯」
と、濁点がある場合もあります。

あるいは、略称で、
「KK◯◯」
としているところもあれば、
「KG◯◯」
としていることもあります。

それだけではなく、
「(カブ)◯◯」
や、
「(カ)◯◯」
といった略号で登録されていたりとか。

最初から、統一した基準で入力させていれば問題ないんですけれど、ビジネス上ではそれよりももっと決めなければならない諸問題が山積みですから、こうした些事はだいたい後回しです。
「データ入力の際のフリガナ入力の統一基準」
という細かな問題にまで頭が回る経営者はいませんし、そこまで決めなければいけないと気づく現場マネージャーも少ないのです。

そうしますと、大手であればあるほど、大勢の入力者がてんでバラバラに社名をオンライン上に登録していたりします。最近はデータセンターでデータ入力している場合が多いですが、最初にルールを決めていなければ、それぞれのキーパンチャーが勝手な基準でフリガナ登録することになり、気づいた時にはさまざまなフリガナ方式が混在する破目に陥るのです。

ただ、現場の通常の業務には差し支えないレベルの差異なので、大体の場合、ほっとかれます。電話番号で紐付けしているところが多いし、検索機能を使えば、社名のみで企業を特定できるところがほとんどなので、業務に支障が出ることは、滅多にありません。

ところが、この「滅多に」というのが曲者。ときどきは、業務に支障が出ることがあるんですね。

人間だからいろいろなミスがしょっちゅう発生しています。電話番号を一桁間違って入力されていたり、連絡先として社長の携帯番号しか登録されておらず、社長が急に携帯電話を変えてしまっていたり……。

そして社内の顧客管理システムには、なぜか、前方検索しかできなかったり、前株後株を取り除いて検索できない仕様になっているものが、異常に多いのです。

そうしますと、前株の会社の社名がデータ上で特定できないということがときどき起こります。

そんな場合、バックオフィスではもう大変。社員総出で、「カブシキカイシャ◯◯」で検索したり、「(カ)◯◯」で検索したり。バカバカしいことで時間を取られ、待たされる側はイライラ。そんな経験、今までありませんでしたか?長時間待たされる方は、まさか自分のところの社名が前株だったせいで調査が遅れているとは思ってもいないはずです。

そりゃそんなトラブルに巻き込まれること、滅多にありませんよ。でも、こういう些細なことで将来のわずかな時間を少しずつ奪っていくとしたら、考えものです。

超一流企業と言われる企業の内部データ管理で、フリガナのデータ入力がいかにいい加減か、そのためにどんなトラブルが頻発しているかを見てきました。こだわりがないならば、断然私は後株をオススメします。

これからの時代、フリガナで間違われない社名をつけていく、という工夫も大切になるかも。たとえば「KDDI]という社名だと、「KDDI」とアルファ ベットで入力される場合もあれば、「ケーディーィーアイ」と入力される場合、「ケイディディアイ」と入力される場合などいろいろあり、同一社名と認識されない場合があるそうです。こうした細々とした点も、社名を考える際に参考にしていただくと幸いです。

2014年11月3日月曜日

石川大我の告発にはやりようがあったのでは

東京都豊島区選出の同性愛者であることを公言している石川大我区議が、差別的言動に遭ったというニュースに違和感を感じています。

同性愛者を公にしている豊島区議の石川大我氏が、同じ会派の区議からセクハラ発言をされたと訴えたツイートが話題になっています。性的マイノリティーへのセクハラ、それが議員同士の間で問題になったことで注目を集めているようです。
告発したのはゲイが常日頃感じている人権侵害を白日のもとにさらすためでしょう。でも、敵の自民党ならばともかく、同じ会派の同僚区議への対応として、今ひとつ釈然としません。

これまでこの同僚から、何度も似た言動をされていたのだろうかと思い、調べてみましたが、そのような石川氏の主張は(今のところ)見当たりません。その場を謝罪させて収めるわけにはいかなかったのでしょうか。あるいは一度警告して、それでも同じ過ちを犯した場合は告発したりするとか。

ところがいきなり大衆へと訴えてみせたのは、彼のスタンドプレイのように思え、やや身勝手な印象を受けました。

「俺を舐めるなよ」
と警告する意味では大変効果的でしたけれども、威圧的なものを感じて嫌な気がします。同じ会派の仲間を、仲間として認めていない、というか、ゲイの権利拡大のためには、仲間の失言でも容赦しないというか。

異性愛者が同性愛者を嫌悪するように、同性愛者も異性愛者を嫌悪すると聞いたことがあります。
「女に愛情を感じるなんて、気持ち悪い……」
石川氏にとっては、同性愛者ではない彼は、所詮仲間ではなかったのかもしれません。


~追記~
……と考えていたのですが、そのあと考えが変わりました。
会派に属していたとしても、区議は会社員とは違います。有権者の代表として、冷徹に目的を達成していくための行動を取っていくことが必要でしょうし、そのためにはまず、仲間に対して厳正な対応をとることで、敵にも睨みをきかせることができるようになるはずです。特に自民党に、この種の主張への反感の持ち主が多そうですから、なおさらなのかも。


2014年11月1日土曜日

地球は温暖化でもなく寒冷化でもなく「不安定化」する

冬がやってきました。

10月になり、冷え込む日が多くなりましたが、もう11月です。私の住む東京都内では雪の気配はまだみえません。しかし北海道ではひどいことになっているようです。
ひところ地球温暖化が騒がれていましたが、御存知の通り、冬の冷え込みはここ数年ひどくなる一方です。これは世界的な現象で、欧米では記録的な寒波が毎年のようにやってきています。今年1月のニュースでは、
3日から8日にかけて、米国民の半数近くに当たる約1億4000万人がマイナス17度以下の気温を経験することになる。 
などと報道されたのをご記憶の方々もいるでしょう。地球でももっとも住みやすい場所であるアメリカに住む人々の多くが、マイナス17度を体験するだなんて!

この原因を、氷河期到来に求める人々がいます。もともと地球は約10万年周期で氷河期と温暖期が交互に訪れます。温暖期は約1万年ほど続き、そこからゆるやかに氷河期へと進みます。そして現在の温暖期は、もう11,000年続いているので、いつ氷河期へ向かってもおかしくないのです。

★ 地球は氷河期に突入した

ただ、人類が化石燃料を大量使用したために大気中の二酸化炭素量が増加しているのは事実。二酸化炭素濃度が上昇すると温室効果が発生します。気温が上昇し続けます。

そして海面が上昇し、南洋の島国が高潮に襲われ、国土が蝕まれ続けているのもまた、事実なのです。

果たして地球は温暖化へと向かうのか、それとも寒冷化へと向かうのか?

ここ数年の猛暑と厳冬の幅の揺れを観察して、私は最近思うのです。これは、どちらかに偏っているのではなくて、同時進行しているのではないかと。

想像してください。水を入れた鍋を、下から火であぶり、上から液体窒素を流して冷やせば、鍋の中の水は常温のままとなるでしょうか? 均衡状態を保つのでしょうか?

そうはならないでしょう。答えは多分「不安定化する」です。

冷やされたり暖められたり、急激な状態変化が内部では繰り返されます。決して均衡状態とはなりません。密閉した中で急激な温度変化にさらされると、下手をすると爆発するでしょう。地球は開放系なので爆発することこそありませんが……。

猛暑が増え、台風も大型化するなど、温暖化は間違いなく起こっています。また、太陽の黒点活動が少なくなるなど、寒冷化に進む懸念もこのごろ増えています。両者を示す材料はますます増えていくからといって、どちらかの陣営に与する必要はないでしょう。両者が同時進行して不安定化する未来を暗示しているだけなのですから。

今後世界中で、記録的な気候変動が増えていくのは間違いありません。