2014年6月11日水曜日

宮崎駿が松田聖子に影響されて作品を作った証拠とは?

昨日の記事で、宮崎駿が松田聖子に影響されて、作品群を作り続けたかもしれないと述べました。

「松田聖子 宮崎駿 影響」
という言葉でググりまして、調べましても、こんな指摘をしているのは今のところ、私だけのようです。そんな貴重なご意見を大きな声で述べますと、
「医者に行ってください」
と言われそうなので、ブログでこそっと述べておきましょう。

さて宮崎駿の作品に、松田聖子がどのような影響を与えてきたのか。これについて、時系列順に論じていきたいと思います。

①1979年


12月 松田聖子、日本テレビ系ドラマ『おだいじに』に「松田聖子」役で出演。
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12月 宮崎駿、アニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』発表

宮崎氏の出世作となった『ルパン三世 カリオストロの城』が発表されたのは、奇しくも松田聖子が人々の前に初めて現れたのと同じタイミングでした。

松田聖子が翌年歌手デビューしたときに、一部で、
「クラリスの再来」
と騒がれたそうです。かわいく、おっとりしていて、茶目っ気があって明るく、それでいて上品。まさに、クラリスそのものではないでしょうか。

松田聖子が戦国大名である蒲池鑑盛の子孫であることは有名です。クラリスと同じ貴種であり、世が世ならお姫様となる人物でした。そういえばクラリスの髪型は、聖子カットですね!

もっとも、「おだいじに」の時にはそれほど名も知られていなかった松田聖子が、宮崎駿の映画製作に影響を与えたとは考えにくいでしょう。

しかし翌年4月、松田聖子が華々しくデビューした時の大フィーバーは、宮崎氏もよくご存知のはず。彼女の芸能界デビューが、自身の映画監督デビュー作とほぼ同時だったことを知って、奇異の念を抱いたとしてもおかしくありません。彼が松田聖子を意識したのは、ここからだと私は踏んでいます。

②1980年~1984年

松田聖子、大活躍。「青い珊瑚礁」から始まるヒット曲を連発する。
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宮崎駿、1982年~ 『風の谷のナウシカ』漫画連載開始、1984年 3月 『風の谷のナウシカ』発表

実は、『ルパン三世 カリオストロの城』は期待されていたほどの興行成績を上げることができませんでした。
「あんなルパンはルパンじゃない」
と、オリジナル版のルパンファンからそっぽを向かれ、観客動員数は伸び悩み、ために暫くの間、宮崎氏はアニメ製作に携われなくなったんですね。

その間に徳間書店から提案されたのが『風の谷のナウシカ』の漫画製作であり、それをもとにして、アニメ映画『風の谷のナウシカ』を製作、1984年に公開します。

先々の保証もなく、鬱々とした感情を抱いたまま、宛てのない仕事に打ち込む宮崎氏、たぶん、家でテレビをよく観ていたと思うのです。そこで必ず流れる松田聖子の歌。それをBGMにしながら、コツコツと作品を作り続けていたに違いありません。己の暗い境遇と、ブラウン管の向こうの松田聖子の華やかな活躍は、対照的で印象深かったことでしょう。

それにしても、ナウシカ。

都から遠く離れた田舎で美しく育った姫が、メーヴェというグライダーに乗りながら、腐海の謎に迫るというストーリは、歌という才能一つをもとに久留米の田舎から出てきた少女が、芸能界という腐海の中を軽々と飛び回り、ヒット曲を連発しながら芸能界の頂点へと上り詰める過程と、どこか似ていないでしょうか。

それに、ナウシカは、この時期の聖子ちゃんの髪型とそっくりです。

③1985年~1986年

1985年 6月 松田聖子、神田正輝と結婚
1986年 10月 娘・沙也加を出産
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1985年 6月 宮崎駿、スタジオジブリ創設
1986年 8月 『天空の城ラピュタ』発表

松田聖子が神田正輝と結婚したのと、宮崎駿がスタジオジプリを創設したのが同じ月であることに気づいた方は、あまりいないと思います。1985年6月は、どちらにとっても人生の転機となる月でした。そして、翌年、松田聖子にとっての初めての出産と、宮崎駿にとってのプロダクション初作品公開が重なったわけですね。

④1988年

2月 松田聖子、自由が丘にブティック「フローレス・セイコ」をオープン。
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4月 宮崎駿、狭山丘陵を舞台にした『となりのトトロ』発表

この2つは対照的です。片やおしゃれな住宅地であり、片や田舎を舞台にした映画。2つは対称性とともに近似性があります。どちらも丘の上が舞台であり、可愛らしさが売りであるところです。

それに、『となりのトトロ』の二人の主人公は、「メイ」と「サツキ」。どちらも5月を表わしています。5月☓2=10月。これは、松田聖子の愛娘である神田沙也加の誕生月なんです!!

⑤1989年

5月 松田聖子、「サンミュージックプロダクション」から独立。
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7月 宮崎駿、『魔女の宅急便』を発表

どうでしょうか。松田聖子が古巣を独立して、新しい門出を迎えたのとタイミングを合わせるように、宮崎駿が発表した「旅立ち」をイメージした作品。しかも主題歌は、ユーミンの『ルージュの伝言』。

分かりますか? 同じユーミンが作曲して、大ヒットしたのが松田聖子『ロックン・ルージュ』。その曲がヒットしたのは、宮崎氏が『風の谷のナウシカ』を発表したのと同じ、3月だったんですよ?!

あまりに符牒が合いすぎているとは、思いませんか?

これ、宮崎氏なりの、松田聖子への応援歌だったと思うのです。
「がんばれ、聖子。俺は応援しているよ」
という、宮崎御大の励ます声が、聞こえてくるようではありませんか。

このあと、1992年発表の『紅の豚』から1995年発表の『耳をすませば』までは、残念なことに松田聖子の影響を見つけることは出来ませんでした。

ちょうどこの頃、ジェフくんとのゴタゴタした問題が週刊誌にスクープされて、大変なときでしたからね。

さすがの宮崎氏も、聖子に呆れてしまったのかもしれません。それはわかります。彼は女性の純粋さを愛する人。汚れてしまった女性には、愛想が尽きたのでしょう。それに反発するかのように、彼が描くのは夢を追う男性を応援し、裏切らず愛し続ける女性たちでした。

宮崎駿の選択を、誰が責められるでしょうか? 松田聖子ファンの多くの男性が、この時期聖子ファンを一時、辞めてしまっているのですから(その後少しずつ戻ってくるのですが)。

逆に、中高年女性のファンを増やしたのがこの時期だそうですね。禍福は糾える縄の如し。

⑥1997年

1月 松田聖子、神田正輝と離婚。
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7月 宮崎駿、『もののけ姫』発表

『もののけ姫』に出てくるエボシ御前は、大人になって酸いも甘いも噛み分けた、松田聖子の具現化だと思うんですね。どこか人形的なヒロイン"サン"に比べると、情熱的で色っぽい大人の女性・エボシ御前。

前年には、松田聖子は初のミリオンセラー『あなたに逢いたくて』を発表しています。ミリオンセラーを出すものの、神田正輝と離婚して、それでも前を向いて進もうとする松田聖子と、タタラの民を率いるエボシ御前の姿が重なりませんか?

⑦2000年~2001年

2000年 12月 松田聖子、波多野浩之と離婚。
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2001年 7月 宮崎駿、『千と千尋の神隠し』発表

少し時期がずれていますが、松田聖子の離婚を受けて作ったのが、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』ではないか、という仮定が成立します。

離婚と再婚を繰り返す松田聖子は、神隠しにあって帰ってきたようなものだ、という宮崎駿の諦念を、ここでは表している……ような……うーん、それはちょっと苦しいか。

このあと、『ハウルの動く城』から『崖の上のポニョ』まで、あまり松田聖子の影響は見いだせません。この間、松田聖子自身もスキャンダルにはそれほど巻き込まれず、歌手業務を淡々とこなしているという感が強いです。

⑧2013年

7月 宮崎駿 『風立ちぬ』を発表

宮崎駿オリジナルの劇場版映画作品は、『風の谷のナウシカ』から始まりました。そして、『風立ちぬ』で終わった宮崎駿の映画監督人生。松田聖子の特徴が随所に見られるナウシカ、そして松田聖子のヒットナンバー『風立ちぬ』と同じタイトルです。

松田聖子が『風立ちぬ』を発表したのが1981年10月。『風立ちぬ』の主人公であった堀越二郎は、1982年1月に亡くなっています。同じ月、松田聖子は歌手人生の転機となった曲『赤いスイートピー』を発表しています。宮崎駿は、それを追いかけるように、2月に『風の谷のナウシカ』の執筆を開始しました。

つまり、ですよ。
『風立ちぬ』は、宮崎駿と松田聖子の二人にとって、転機となった"1982年"という年が、大きな影響を与えている、というわけです。

両者の密接な関係が伝わってきますよね?!


……というわけで、いかがでしたでしょうか。宮崎駿が松田聖子の大ファンで、彼女にインスパイアされて作品をつくりあげていたことを、ご納得いただけたでしょうか?

それがわからなければ、松田聖子の歌をエンドレスで毎晩聞いてください。段々とそんな気になるはずです。

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