2014年12月30日火曜日

実態が請負契約のブラック企業経営者はなぜ理想を裏切ったのか

今日は本来、従軍慰安婦について書くべきところ、あまりに腹がたったことがあって別の記事を書くことにする。

ある企業の破綻

IT関係の高い能力はあるものの精神的な問題を抱えた社長が会社を創業した。ところが仕事の途中で(精神疾患のためか)すべてのデータを故意に破損させたまま失踪。てんやわんやの大騒ぎとなる、という事件が某所で起こった。

私はこの社長と、一度会ったことがある。シャイで誠実な人物、という印象だったし、実態もそうなのだろう。いろいろな問題を引き起こしているけれども、他人を脅迫して追い込むタイプではない。彼の記事は含蓄があり、面白い。人間的に好きだった。よって、今回の騒動は大変残念で仕方がない。

元社員が彼のことを追求する記事をネット上にいくつも書いている。しかしそれを読んでも、実のところあまり共感ができない。

「もともと彼の精神疾患を承知して入社したこと。データの全消去、という暴挙を許すまじ、と思う気持ちは分かるが、責任は社長がすべて取ることじゃないか。粛々と会社から離れればいいんじゃないか」
と考えたからだ。

憎むべきは社員に脅迫や強要を行って社員を追い詰める会社だ。いい加減な会社、儲からない会社を私はブラック企業とは呼ばないし、一般的にもそうだろう。

いい加減なところは、それを知った上でつきあえばいい。私は以前、辞めようとした会社の経営者から、これまでの勤め先や家族親戚を調べあげて、電話をかけてやると脅しつけられて辞めるに辞められない状況に陥ったことがあったが、そこの会社の元社員たちはそういう状況にない。嫌なら辞めればいいだけの話じゃないか。

実態は請負か委託

ブラック企業の定義についてこれ以上深入りしないけれども、ひっかかったのは、今回の事件の主役のTwitter上のつぶやきだ。
◯◯さんはご本人が言っているとおり正社員としては雇っていなくて、下請法の適用を受けるんですよね(源泉徴収しない報酬を支払っていた)。それで、当該月には成果物がなかった。この場合はどうなんだろう。 / “雇用契約書なんて作る義務…” http://t.co/qNZ2QmERpW

……おお、出た。

元社員はただ、退職すればいいと思うけれども、その問題とは別に、社長自体の問題を考える上で、この発言を看過できなかった。ブラック企業を経験した私のいや~な記憶を、蘇らせてしまった。


ブラック企業は、社員のために福利厚生を充実させることを嫌う。社員のために保険料などを負担しない。そこで「請負(うけおい)」あるいは「委託(いたく)」という雇用形態を採用するところが多い。本来これは、注文者が報酬を支払い、請負人が仕事を完成させる、あるいは受託者が業務を行う、というだけの関係を指す。読者のみなさんも、「うけおい」や「いたく」という言葉には、それだけの意味しか見出さないだろう。

注文者は請負人の保険料などを負担する義務がない代わりに、請負人や受託者は成果さえ出せばいい、という自由なもの。もちろん休日や休暇は自由に取ることが出来る。我々が画家に絵を注文して、画家が期日までに仕上げる。画家が期日までの間に何をしようが注文主の知るところではない。それが本来のあり方だ。

ところが、業務委託という形態を取りながら、9時出社を義務付け仕事が終わるまでは家に帰さず、休日出社までも命令するのが、ブラック企業のやり方。実態は完全な社員扱いで、社員数として我々の数を求人票などで公表していたというのに。

こうした雇用形態は法的には認められない。元社員が訴えれば、実態を元に社員と認定されるために、ほぼ間違いなく勝てるものだという。ところが裁判には時間がかかる。

私はブラック企業を辞めたあと、都内の法テラスの弁護士に相談に行ったところ、
「◯◯さん、悔しい気持ちは分かります。戦えば勝てるでしょう。けれども、これを訴えて勝つまでに時間もお金もかかりますよ。私は弁護士としてうけおわないなぁ。お金にならないですから」
と言われた。

そうだろうな、と思った。実際の話、別のブラック企業を突然解雇された知人が訴えたものの、半年分の基本給約100万円を得るに至ったのを知っている。だが、それまで1年間かかった。

(もっとも、大変だが……訴えていれば良かったと今になって思う。とことん戦った後は、「悔しい」という気持ちが決して湧くことはない。別の件で戦ったことがあり、そのときには、苦労をしたけれども後悔はなかった。戦えば勝てる戦ならば、戦うべきだ、というのが私の結論となっている)

夢から醒めた後が大切

さて、件の社長の件。

彼はホームページなどで、「ホワイト企業を目指す」 「基本在宅勤務で、出社を義務付けない」と誇っていた。実態もそのとおりだったらしい。

でも、私はその記事を読みながら、「請負契約なんじゃないの? だったら在宅勤務だったり休みを自由に取ったりするのは当たり前の話だろう」と内心嗤っていた。まあ、当事者同士が納得しているのならばいいじゃないか、というスタンスだ。

しかし、社長が仕事をすべてほっぽり出して会社が立ちいかなくなった以上、「実は請負だったんだよね」と開き直る態度は許せない。

この社長も以前、同じような環境にいて、悔しい思い、嫌な思いをしていたじゃないか。「請負」とは名ばかりの偽装請負の現場にいて、なぜ自分がこんな目にあっているのだろう、と苦痛を感じていたはずじゃないか。そこで自分の会社は、少なくとも本来の形での「請負」のありかたを目指していたはずじゃないか。

だが、生来の虚栄心のなせるわざだろうか、「社員に給料を払わなければ」と語って、自分の会社があたかも社員を雇用していたかのように偽っていた。

もっとも、それくらいの虚栄心は許せる範囲だ。なにしろ今年は創業一年目。これから、彼らを社員として雇えるようになればいい。

だが、今回自分の一時的な感情ですべての会社のデータを破損させて失踪するという暴挙によって、「社員」をすべて解雇するはめに陥ったのだ。自分の責任だ。申し訳なかった、と謝る場面じゃないのだろうか。一時的に精神疾患となっても、今は判断できる状態なのだろう? その今になって「彼らとの関係は請負だったんだよ」と開き直るのは、倫理観にもとる。法的にはそうであっても、社員と呼んでいたのだから、最後まで社員として扱うべきだったんじゃなかったのか?

彼は社員を大切にする会社を作ると語っていたが、実態は社員ではなく請負人だった。しかし社長は、請負人を社員と呼び、社員に在宅勤務や自由出勤で勤務させているように装って、一見ホワイト企業的な理想郷を作り上げてみせた。

その理想郷が破綻したとしても、多少の言い訳はしょうがない。 ある程度の弁明ならばしょうがない。夢を見たことは罪じゃない。夢に他人を巻き込んだことも、罪じゃない。夢破れることも、罪じゃない。

その上で、
「実は請負という形態であったけれども、会社が立ちいかなくなった以上、社員として世間に紹介していたので、社員として扱いたい、雇用保険や健康保険にも過去にさかのぼって加入させて、その分の負担は私が何年かかってもお支払いします」
と述べればいい。

それとも、こうした責任を回避したいならば、
「実は請負でした。申し訳ございません。私の不徳とするところです」
と語って、サンドバック状態になることを我慢しなきゃならない。

責任を回避したい、でも世間からは悪く思われたくない、なんて良いとこどりは、土台、都合良すぎる話なのである。

なぜ理想を裏切るのか

理想を語る者が、もっとも大切にしていた理想をないがしろにする、という例は歴史に数多く刻まれた悲劇だが、似たようなことは日常にゴロゴロと転がっている。革命家に憧れる左翼的思考の人物にそれが多い。民主党シンパの元社長の場合もそうだったのだろう。愛人を多く抱えていた毛沢東やスターリンが恐怖政治をおこなったのはよく知られているだろう。

私は、熱く理想を語る者が、理想を実現する立場に至った時に豹変するかどうかの試金石として、乱倫かどうかが一つの鍵となると考えている。家族を大切にするのは通常保守的思考の人物で、革新的な人々は通常、「保守」ではない。

浮気や不倫を行う人間は、例外なく嘘つきだ。
なぜなら独占欲の強い女性たちに、常日頃から、
「お前が一番大切だ」
「お前を一番愛している」
と囁かなければならないからだ。日常的に嘘をつくのに、こうして慣れていく。

また、浮気をする、不倫をする、というのは、かつて愛した女性を裏切って切り捨てる、一種の非情が必要だ。愛する女性と結婚するという理想を成し遂げたあとに、とどのつまり、理想を継続できないのだ。

家庭を大切にしたい、という理想と、たくさんの異性と関係を結びたい、という本能の間で、理想を裏切り本能を選択する人物は、理想の現場で簡単に理想を裏切る。

結婚後も浮気をする人間かどうかは、人生の早い段階でわかる。社会で理想を達成した後に理想を維持できるかどうかは、後にならないとわからない。だから、ある人物が理想を実現した後に理想を裏切るかどうかは、彼が結婚後に浮気を何度も繰り返していないかどうかに注目する、というのも一つの判断基準となる。

アングロ・サクソンの国家に独裁者が少なく、どこもある程度うまく機能しているのは、上層部が適度に潔白で、国民が指導者に一夫一婦制を守らせようとしているからだろうと私はにらんでいる。

だから、独裁者とならないためにも、ブラック企業の経営者とならないためにも、人は、もしも大切な人が現れたら、その人を一生愛し続けなければならない。それが無理なら、一度関係を精算して、相応の賠償をした上で、新しい恋を見つけなければならない。

恋することは一時の感情だが、愛し続けることは努力だ。相手のことを考え、それ以外の人との間で恋愛が生じそうになったら早めに対処する、という行動を地道に行う、という強い意志を持たなくてはならない。

件の社長も乱倫ぶりをブログで告白していたのだから、理想を実現できる人間ではなかったのだろう。歴史の法則は、案外強固なものだ。


2014年12月27日土曜日

トンデモ医師というのは野島政男医師のことなのか?

年末最後の土曜日ということで、例に漏れずに寝床でダラダラと過ごしていました。眠気覚ましには、面白いニュースを探すこと。重宝するのは「はてな」というサイトです。ホッテントリ(ホットエントリーの略称。人気のある記事のこと)を探していますと、こんな記事がみつかりました。

★ トンデモ医師のことを調べたら想像以上にトンデモだった

なにこれ、面白すぎる……。
ある日、実家から数百万円分の領収書が出てきた。
領収書の名目はトンデモ医師への献金や、医師の家族が代表を務める法人への寄付等。
またあろうことか、死亡時に全財産をトンデモ医師に遺贈する旨の遺言まで出てきた(きちんと公証役場で作ったもの)。
メールは「先日の地震は◯◯(患者の個人名)の意識が悪いから起こりました」「神がいるとしたら私が作ったのです」等、脳みそに蕁麻疹が出るような内容。
これらに記載された患者の個人名は400名程度になる。
医師という高度な専門職につきながら、こんな宗教チックな発言をする方がほんとうにいるのでしょうか。

急いで調べてみようと思いまして、他の方のブックマークを読みましても、人物特定できていません。記事が書かれたのが昨日19:17で、翌朝10時になっても具体的な事実が出てこないなんて。みなさん、宗教関係についてあまり詳しくないから、手間取っているのかな?

それならある程度くわしい自分が調べようと思いまして、文中のキーワードを便りに調べていくこと5分後。

★ (鹿児島・出水・野島政男) 野島医院
86 :がんと闘う名無しさん:2013/02/22(金) 01:30:15.78 ID:T10d5f8t
この医院は出水保健所とかの公的機関の立ち入りは入らないの?
多数の信者に向けて山中伸弥を名指しで批判するのは侮辱罪だし
小沢一郎への個人献金を強要したり「お金を払わなければ死ぬぞ」
などと脅したりするのは恐喝罪だし訴えられたら負けるよ

>【政治】「娘を助けたいなら小沢氏に寄付するよう医師に言われた」
>小沢資金管理団体「陸山会」へ100万円以上の個人献金急増

↑でググったらいろいろ出てくるけどこの「医師」って野島政男じゃないの?
もしそうなら完全に犯罪だから公的機関に調査してもらわないと











小沢一郎の収支報告書によれば、個人献金額が1億6千万円と記事指摘額とほぼ同額。医師の発言をさかのぼって調べてもほぼ記事の内容と同じなので、この医師のことで間違いないかと。

記事では「訴訟リスクがあるのでは?」と心配していますが、小沢一郎氏に野島政男医師が献金を求めていることは事実のようですし、彼が自分のことについて、
野島政男という名前そのものの波動でも人は癒される。
私を認めることで皆さんは成長する。なぜなら私は全てを創った存在だから
と講演で公表しているのです(下記本のアマゾンレビューによる)。

私の記事では彼を貶める意図はまったくないので、名前を出すことに何ら問題を感じないのですが……。

2010年頃から話題になっているのにマスコミも騒がず、司法も動かないところをみますと、記事で指摘されているように、双方合意で支払われているもののようですから、問題にしようがないのでしょう。

それに、地方に住む老人にとっては、遠方に済む子供や孫よりも、近くにいて親身に自分たちの話を聞いてくれて、死後の社会について教えてくれる社会的地位の高い人物の方が頼りになるということ。
死亡時に全財産をトンデモ医師に遺贈する旨の遺言まで出てきた
と聞くと大変うさんくさいのですが、何もしなくても親の財産を全額もらえると思って親や祖父母をほったらかしにしていた自分をまずは反省するべきではないか、とも思うのです。

ところで、冒頭記事の中で、
問題解決について一緒に考えてくれませんか。id:NATROMさんにはぜひお伝えしたい。
と書かれていまして、id:NATROMがブコメで、
トンデモ医師のことを調べたら想像以上にトンデモだった

増田の内容が事実だと仮定して私の専門外のような気がするなあ。既にコメントあるけど藤倉善郎さん(やや日刊カルト新聞社)のほうが。ただ、個別の医学的な主張の妥当性についてはご質問いただければ回答できます。
2014/12/27 09:18
と回答していました。ところが彼の過去の日記に、すでにこの医師の関係者に関する記事が書かれているのです。

★ 何でも治る超ミネラル水。野島尚武博士が熱い!

この記事自体は野島尚武という人物について述べたものですが、コメント欄で、彼と野島政男氏が実の兄弟では? と指摘されています。

最初、 id:NATROM自体が野島政男氏について書いたものと勘違いして(まだ目が醒めてなかったんでしょうな)、見当違いのことをブックマークに書いてしまいました。すみません。


……それにしても、時間があるというのはいいことですな。上記のような記事について、こころの赴くままに書けるのですから。年末ばんざい。

最近、忙しくて……食事がなかなか作れませんでした。かといって外食は栄養価で不安。安くて栄養価の高い弁当を宅配してもらうことが多くなりました。

★ 宅配健康食を全国へお届けする通販サイト!ウェルネスダイニング

7日分が送られてきます。一食635円で毎日二食、配送料無料なので、最近出不精な身にとっては、試してよかったので、上記の記事と関係ないながら、ご紹介。

2014年12月26日金曜日

Amazon電子書籍KDP 転居後の住所変更や雇用者番号変更について


アマゾンで電子書籍の販売を行うには、面倒な手続きが必要です。

アメリカの税制が適用されるため、なにも減免措置をとらないと売上利益の30%が源泉徴収されてしまいます。それを避けるために納税者番号(TIN)というものを取得しなければなりません。

納税者番号にもいろいろと種類があり、一番取得しやすいのは雇用者番号(EIN)。私は昨年末に取得しました。

さて、今月になりまして、アマゾンから「必要なアクション: 年末の税報告のための連絡先情報の更新」と題されたメールが届きました。

住所などの個人情報に変更があったら、変更手続きしてください、という内容です。

私は今年引っ越しして住所が変わりましたから、情報修正の必要があります。KDP アカウント (http://kdp.amazon.co.jp) にサインインして、 「税に関する情報」の更新作業を行おうとしたんですね。

住所を新しいものに変更し、そのあと昨年末に取得したEINを入力しようとしたら……入力できません。

「個人の方はSSN、またはITINを入力してください」としか書かれていないのです。EINを入力する場所がどこにもないのです。

ためしにEINを入力しても、形式が違うと警告が出て、入力を受け付けてもらえないのです。

……これは困りました。

例のごとくグーグル先生に質問したのですが、この事実に関する情報がネット上にほとんどありませんでした。いろいろと検索語句を変えて調べた結果、下記のサイトにいきつき……衝撃の事実が判明しました。

★ 個人でも可能な電子出版 誰でもできる電子出版 第三十七回
詳細は実際のKDPヘルプを見ていただくとして、かいつまんで言うと、「個人はITIN(個人納税者番号)を取得し、個人以外はEIN(雇用者番号)を取得してください。取得方法は米国IRSのサイトを確認してね」という感じです。
ガーン。
まじかよ、と。つまり、アマゾンは、今まで個人で電子書籍を販売していた人間に認めていたEINを、認めなくなった、ということです。

その代わりに入力しなければならない「個人納税者番号(ITIN)」なのですが、これがクセモノです。取得するためには、
・パスポートのコピー(米国領事館または公証人役場で公証を受けたもの)
・前年度の納税証明書
・フォームW-7(米国IRS書類)
が必要だというのです。それも、すべて英語で書かれたものを、です。

前年度の納税証明書を英語で用意したり、パスポートのコピーを公証人役場で英語で公証してもらうなんて、ハードルが高すぎます!

なにかいい方法はないのでしょうか?

この件に関する情報は乏しく、Google先生もあてになりませんね。ようやくこんな抜け道があることを知りました。

★ KDPアカウントで税の優遇措置を受ける方法
受益者の種類として「個人」以外を選択した場合は、米国のTINにEmployer Identification Number(EIN)を利用できます。
とある。
この「個人授業主」とは、USに会社がある、またはUSで人を雇っている、でなければならないのだ。
なので、ここでは「みなし事業体」を選択する。
へ~。

それで大丈夫なの? 一気にハードルが下がったんだけど。

でもこれしかないのだろうな、と思い、「個人でも可能な電子出版 誰でもできる電子出版 第三十七回」の著者である林拓也さんにもメールでお知らせしたところ、たいへん丁寧な御返事をちょうだいいたしました。ありがたいですね。

この方はKindle出版講座やiBooks出版講座なども開催されているプロの方でした。最新の情報を常にサイトで紹介されていて、その他の記事も大変役立つものばかりです。電子書籍出版をお考えの方は、この方のセミナーを受講されてはいかがでしょうか。

★ 電子書籍講座


さて、今朝になって、私は再び迷い始めました。

ほんとうに「KDPアカウントで税の優遇措置を受ける方法」で紹介された方法でいいのだろうか? なにか問題があるんではないか……と思いましてさらに調べてみますと、こんな記事をみつけたのです。

★ みなし事業体の税務情報の送信
みなし事業体である単独所有 LLC 所有者の税分類と納税者番号は、以下の 3 通りのいずれかとなります。

    所有者が個人事業主の場合: 税分類では個人を選択し、米国社会保障番号(SSN)を記入します。
    所有者が法人またはパートナーシップの場合: 税分類では法人またはパートナーシップを選択し、法人番号(EIN)を記入します。
    所有者が LLC カンパニーの場合(パートナーシップ、C コーポレーション、S コーポレーションの場合): 税分類で LLC を選択し、法人番号(EIN)を記入します。

実態に合った適切な項目を選択して、税務情報を送信します。
うーん。すでに個人事業主として生計を立てている方ならばともかく、そうではない個人が電子書籍を出版する場合、上記の三つに当てはまらないような気がするんですよね……。ほんとうに大丈夫なのでしょうか?

できるだけ、ルールや法律は守りたもの。さてさて。どうするべきか?

いろいろと悩んだ末に、こういうプランで行くことに決めました。

まず、急ぎIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)の住所変更手続き用紙(8822-B)にて郵送で住所変更手続きを行います。

ちなみに、 8822-Bの郵送先は、
Internal revenue Service Center
Ogden, UT 84201-0023
USA
で送りました(UTはユタ州の略です。海外から送付する場合はユタ州の事務所に送付するようです)。

住所変更が行われたら、それで急場しのぎ的に「みなし事業体」として申請を行い、同時並行でITINの取得を目指していこうかと。

そのあとの続報は、追ってご紹介していこうと思います。

それにしてもアメリカの税制は頻繁に変わりすぎです。ネット上の情報が陳腐化するスピードの早いことといったらありません。

2014年12月24日水曜日

地位ある男には美女がわらわらと寄ってくる

選挙の前だから記事を書くのを控えていたが、先日、次世代の党から出馬して落選した田母神俊雄・元幕僚長が離婚裁判を起こした、という記事を読んで思ったことを書いてみようと思う。

発端はフライデー記事だった。

★ 田母神候補に不倫と泥沼の離婚裁判報道! 選挙3日前に出る判決の影響は…

私もフライデーを読んだ。フライデーを読んだ人ならお分かりだと思うが、掲載された写真に写った田母神氏と並んだ女性は間違いなく美人。目の部分が黒塗りされているのに美人だとわかるレベルで、永作博美になんとくなく似ていた。

50代の女性の色香に迷った、という報道を知って、あまり期待をしていなかったのだけれども(失礼)、田母神氏がよろめいたのも、なるほどと腑に落ちた。

その後の報道によれば、結局離婚は裁判で認められなかったようだ。妻は終始一貫して離婚を拒んでおり、浮気をした田母神氏だけが離婚を望んでいるのだから、当然だろう。

馬鹿な話だ。極右の類は、彼がどのような人間であっても自分たちに都合がいい言動を取る著名人として、いつまでも彼を支持し続けるだろう。だが、保守的傾向の強い、常識人で彼になんとなく賛同していた人々は、彼を支持することはないだろう。家族を大切にしたい、という感情の延長上に国家を尊重する人々にとって、家庭をないがしろにした彼を許容できないからだ。

歪んだ価値観の狂信者ばかりに囲まれた人間は、やがて精神に変調をきたす。より過激に、より偏屈に。これから田母神氏の言動は、ますます不穏当になっていくのではないだろうか。

さて、本日の記事で私が書きたいのは、田母神氏非難ではない。そうではなく、男性の方々に忠告をしたいのだ。地位がこれから上がる男性は、気をつけるべきであると。あなたには必ず女性が、それも飛びきり美人の女性がこれから寄ってくるから、今のうちから意思を強固に保ったほうがいいですよ、と。

30代半ばを過ぎて独身で、なおかつ結婚願望のある元モデルのような美女たちと話す機会が、これまで何度かあった。彼女たちはたしかに綺麗だ。でも、彼女たちと話しながら、私は幾度となく疎外感を味わうこととなった。
(彼女たちは愛想が良い。私にもにこやかに応対してくれる。そして『誰でもいいから結婚したい』と訴える。でも、その『誰でも』の中には、絶対に私は入っていないのだ)
ということが、話せば話すほど理解できたからだ。

「誰でもいいといっても、限度がある」
と言う言外の言葉で、ハードルの下の人々を無自覚に傷つけていることを彼女たちは分かっていないし、分かっていても平然としている。他人を傷つけることに罪悪感を感じていないのだ。

「彼女たちが不幸になりますように」
と、世の男性たちの多くが祈っているのをご存知だろうか? 祈りが聞き入れられるのか、彼女たちはなかなか幸せにならず、やがて世の中に悪態をつきながら年老いていく。

彼女たちはだいたい、上昇志向が強い。その美貌が故に、これまで理想的な恋愛をそれなりに経験した彼女たちは、イケメンとの恋愛には、もはや憧れを感じない(すでに経験済みだから)。

年をとるに連れて、彼女たちの価値観は変わっていく。若い女性が結婚相手に求める、知性だとか性格の相性だとか話の面白さだとか人格だとか、いろいろな条件が、年をとるに連れて段々と削ぎ落とされていく。

DVを行う相手などは論外だとしても、それ以外の「顔」だとか「魅力」だとかはどうでもよくなっていき、譲れないものとして、「経済的に安定しているかどうか」と「友だちに自慢できるかどうか」の二点が残るのだ。

だから彼女たちは私に興味を示さない。そんな彼女たちは、たとえば最近離婚した社長と知り合う機会があろうものなら、恥も外見もなく彼らにすりより、嬌態を示すのを何度も見た。

わかったことがある。勘違いされがちだが、彼らの財産が目的ではない。そうではなく、彼女たちの目的は、もっと精神的なものだということだ。

たまたま運が悪く、素敵な伴侶に恵まれなかったけれども、美しい自分は本来もっと幸せであってしかるべきだ、という感情が根強いのだ。肥大したプライドを満足させるために、
「社会的に地位の高い男性と共にいることで、他人に自慢をしたい」
という欲望が大きくなる。

たとえ相手が結婚していようとも、社会的に地位が高い男性にはこの手の女性が猛烈なアタックをかけてくることとなる。知り合いに、「彼は私の大切な人」と自慢するために。きょう日、モデルのように美しい独身の高齢女性が本当に多くなった。その中に、この手の女性が多く生まれている。だから、猛禽類のような彼女たちから誘われる機会も激増する。

「自分には関係のないこと」
だと思っている若い人も多いだろう。でも、あなたが若くてこれから身を立てようとしている男性だとしたら、これから社会的地位が上がるにつれて、これまで出会ったことのないような美女から、猛烈なアタックをかけられることが必ず出てくることを覚悟しておいた方がいい。

そのときに、「いつか自分も美女と浮気をしてみたい」というような、浮ついた欲望を持っていたとしたら、彼女たちは間違いなく、そこにつけこんで来る。田母神氏のように年をとって醜態をさらし、妻の信頼を裏切った彼が、妻や娘から心から信頼されることもないだろう。やがて小沢一郎のように、周囲の信頼さえも失っていく。

とある研究によれば、「意思が固い」と言われる人々を調査したところ、彼らはそもそも意思を試されるような場所に赴かないことがわかったそうだ。つまり、タバコを吸わないと決意したら、タバコをすべて捨てる。そして禁煙に成功するまでは、コンビニでタバコを買えないように、小銭自体を持ち歩かないし、ストレスを避ける。結果禁煙に成功して、彼らは「意思の固い人物」という評判を得る。でも、彼らは困難の中で意思を通すことが得意なのではなく、困難を避ける回避能力に優れているのだ。

いま大切な家庭をお持ちの方々で、これから社会の中で活躍しようと望んでいる方々は、転ばぬ先の杖、今のうちから、こうした危険性の存在を知り、彼女たちの誘惑から遠い場所にいるように、身を慎むことをお勧めしたい。

2014年12月22日月曜日

Yahoo!映画レビューから献辞が削除されたという記事を読んで

松嵜真一という映画監督が、「映画は人を殺してもいいのか?~映画「告白」の裏側で亡くなった若手スタッフについて~」という記事で、映画撮影に携わっていた1人の若者の死を悼んでいる。

監督の裁量のもと、過酷な労働環境を強いられ、保障されないまま人々が酷使させられている現状を憂いた記事だ。昨今のブラック企業の問題にもつながる根深い構造だと思う。

詳しくは元の記事を読んでいただくとして、私が気になったのは、メインテーマとずれた、とある箇所だった。
けれどもやはり、私はそんな煮え切らない思いをどうにかしたくて、「告白」の公式ホームページで、感想を寄せてくださいと、Yahoo!映画レビューにリンクが貼られているのを見つけて、そこに上記の「後藤くんへの献辞の件」について書き込んだ。しかし、どういうわけだか、その書き込みはその数日後にはキレイさっぱり削除されてしまったのだ。Yahoo!映画レビューでは、1度レビューを投稿した映画には、再びレビューを投稿することはできず、削除された文章をもう一度書き込むことはできなかった。私はその時はじめてこの件に関して、なにかひっかかりを覚えはじめた。
確たる証拠はない。Yahoo!映画レビューが、「これこれこういう理由で削除しました」と明確に説明しないためだが、たぶんこれは、労働基準法違反が蔓延している映画製作の現状を知られることは一部の人間(多分映画政策配給会社)にとって都合の悪い書き込みだったから、削除させたのではないかな、と邪推する。

日本のサイトでは、この手の壁にぶつかることが比較的多い。ある程度の跳ねっ返りは許容してくれるけれども、根本に打撃を加えるような発言は、決して許してくれないという不寛容性がある(私も何度か経験した)。

楽天にせよ、Yahoo!にせよ、日本のIT企業が日本で善戦をしてくれている。それは外資系に日本の市場を席巻されることよりははるかに嬉しいのだけれども、彼らを根っこの部分で信用出来ないのは、こうしたところだ。日本のITサービスでは、企業や大きな団体に不利なことを書き込もうとすると、それが真実であるかどうかに関わらず、削除されたり発言の制限を受けたりすることがある。

無論、GoogleやAmazonなどの外資系IT企業がすべて信用できる、ということではない。彼らの検閲もかなりえげつない。でも、少なくとも、日 本のIT企業よりも、「事実をできるだけそのまま伝える」「できる限り検閲をしない」という使命に、もっと真摯に向き合い、違法行為を摘発する声以外の雑音には、拘泥しない、できるだけフェアであろうとする姿勢が強いように思うのだ。理念への信頼。私はこのブログで、何度かこのテーマを取り上げてきたが、どうしてもそこにこだわってしまう。

Googleが「邪悪になるな」という理念を社是としていることは有名だが、この種の形而上的な理念を掲げているIT企業は日本ではそれほどメジャーではない。実利的な、「暮らしをもっと豊かにする」などの直接社会に利益を与えることを目標として掲げるところが多い。

それはそれで一つの考えだと思うが、やはり少し、寂しいと思う。キリスト教原理主義者達が建国したアメリカでは、真実を人間が曲げてはならない、という想いを国民の中で共有している、という強みがある。例えばIT企業の中でもレビューの書き込みを監視する人間というのは現場の末端に属すると思うのだが、この現場レベルの人々の間に、自らの権利の濫用を防ごうという強い意志が働いているのではないか。

それに比べると、仏教国である日本は因果論に基づく、関係性の中でものごとをとらえようとする傾向が強いのだろうか。キリスト教の神のような絶対的なものを想定せず、存在の根拠を関係性の中に見出す思考法に慣れ親しんだ我々の中には、理想に殉じる気概を持つことを揶揄する風潮がアメリカの人々よりも強いように思う。

いや、それならば、ヨーロッパ発のインターネットサービスで、もっと世界を席巻するものが出てきてもおかしくないか。ITサービスのほとんどがアメリカ製であり、信頼を勝ち得ていることを考えると、SNSサービスを「フェアに」提供するための人材としては、キリスト教徒、というだけでは弱く、キリスト教原理主義的な、理念への狂的な信頼が必要なのやも知れず、そうした資質はアメリカ人にのみ多く宿り、その結果彼らのサービスが世界中で愛されている……そうした一面があるように思われる。

2014年12月20日土曜日

富裕層が海外に移住することのプラスの面

日本がまだ「もっとも成功した社会主義国」と揶揄されていた頃の話です。

今から15年ほど前でしょうか、格差が今ほどひどくなく、金持ちは累進課税制度を嘆き、渡部昇一辺りが大変人気を集めていた頃のことです。

「日本人にもっと金持ちが増えたほうがいい。一億総中流の政策のために、大金持ちが日本では生まれにくい。そのために、世界のエリートたちの輪に日本人が入れない。結果、日本の国益が損なわれる」

という富裕層からの意見を読んだことがありました。

当時は、日本が欧米諸国から盛んにバッシングをされていた時期。日本は経済的に優れていても文化的には劣ったものとみなされ、随分酷い誹謗中傷がイギリスやフランスの大衆紙などに掲載されていたものです。

四面楚歌状態の中にいたので、世界(主に欧米)からのけものにされている、という実感は日本人が等しく共有していました。いろいろな打開策を日本の識者が提案していましたが、「富裕層を増やす」という案はその中の一つとして出てきたもののようですが、さて、果たして金持ちが増えれば、本当に世界の支配層と日本の富裕層の関係性が生まれるのか? 今の閉塞状況から本当に抜け出せるのだろうか? と考えたとき、まったくその間に因果関係を見いだせない駄作と、私には思えました。

だって、日本人富裕層がいくら増えたところで、彼らが住んでいるのは日本です。欧米から隔たった場所に住んでいる以上、欧米の金持ちと交わる機会はどうせ少ないでしょう。

よって、日本人富裕層が増えれば欧米諸国の輪に日本人が入れるという意見は、まあ、与太話のたぐいだろう、としか当時は思えませんでした。

★ 富裕層、株売却益非課税国へ 日本人永住者2.6倍に
株式の売却益に課税しないニュージーランドや香港など4カ国・地域の日本人永住者が1996年に比べ2.6倍に増えたことが財務省のまとめで分かった。富裕層が節税のために永住権を得て、移り住んでいる例が多いという。欧州諸国などで深刻化する富裕層の国外流出が日本でも進んでいる実態が浮き彫りとなった。
これは今月初めの記事です。記事によれば、富裕層が節税のために海外に大挙して移住しているのだといいます。こうした記事を読みまして、15年ほど前の先述の富裕層の主張を思い出しました。

構造改革によって誕生した大勢の富裕層たちは、海外に移住し、当然、現地の富裕層コミュニティーに入ることでしょう。 同じ仲間同士で打ち解けあい、親交を深めることでしょう。人間同士が理解を深めるのは、何よりも、直に会い、話をすることが大切でしょう。

欧米の富裕層たちはカネを持っていますから、各国で、ある程度の権力を保有しています。そうしますと、普段から日本人とつきあっている欧米の権力者たちが、次第に日本に同情的な立場を取るようになるのはなんとなく分かる気がします。

そう言えば、往年の日本バッシングはいつの間にやら、終焉を迎えました。欧米の論調は日本に妙に同情的です。失われた10年、いや、20年と言われた景気の低迷などが同情を買っているという面もありますでしょうし、日本の平和への貢献がようやく認められつつあることも要因の一つではありましょう。アニメの人気が若年層に何らかの影響を与えているのかもしれません。

しかし、もしかしたらこの、欧米の「金持ちクラブ」の輪に日本人が多数入り込んだことで、世界の権力者達の感情に大きな影響を与えたのかもしません。税収のダウン以上に、彼らの海外移住が日本の国益に貢献した可能性はあるでしょう。ソフトパワーは侮れません。そう考えますと、彼らの海外移住は決して悪いことばかりでもありません。



2014年12月18日木曜日

疲れが取れないのは、音楽を聞いていないせいかもしれない

私には音楽を聴く習慣がありません。

人間には、「視覚型」「聴覚型」「触覚型」があるそうです。

たとえば買いたい製品があったとして、それをよく見て、買うかどうか決めるのが視覚型なら、人に聞いたりして決めるのが聴覚型、まず手にとって触って判断するのが触覚型、なのだとか。私はどうしても触らずにはいられないので、触覚型でしょう。

触れない場合は、しげしげと眺めます。そして最後に店員に尋ねるのです。

こんな私は音楽を聴くことにあまり熱心ではなく、普段は聴きません。家では無音で過ごすことが多いのです。

同じような人は、ある程度の割合でいるはずです。音楽を聴くことよりも、読書をしたりネットサーフィンをしたりすることを好むような人々です。

とはいえ決して音楽が不要なわけではありません。ときどき、無性に音楽が聞きたくなることがあります。脳が欲するのでしょう。

ところが、普段音楽を聞き慣れていませんから、脳が音楽を欲していることに気づかないことがあります。普段あまりない感じることのない欲求なので、脳が信号を見落としてしまうのです。

最近なにか調子が悪く、疲れが取れず、気分転換がうまくいかないことが多くなりました。

(おかしいな、おかしいな)
と思いつつ、ふと、YouTubeで好きな音楽を流してみたところ、気分が晴れたのです。

二重の意味でショックでした。こんなに簡単に気分が晴れるのか、という驚きと、音楽を欲していることに気づかなかったことに対する失望が重なったのです。

普段音楽を聴かない方は、気分がすぐれないときに、
「そういえば、最近、自分は音楽を聴いていただろうか?」
と自問してみるのもいいのではないでしょうか。

2014年12月16日火曜日

久々にはてなブログに記事を書いた

このブログの読者にはあまり興味がないだろう、はてな村のある人物についての記事を書きました。つまらないヨタ記事ですので、ご覧にならないほうがいいでしょう。


★ 齊藤貴義氏、あるいはid:netcraftとは何者だったのか?(妄想記事です)

2014年12月14日日曜日

自民党が圧勝したことが批判が加えられているが

選挙は自民党が圧勝しましたね。

投票後、食事を済ませてユーストリーム「ニューズ・オプエド選挙特番」で識者の分析を聞き流していましたが、途中で気分が悪くなってサイトを閉じました。

この特番では上杉隆がアンカーとなり、リベラルと言われる人々が選挙を振り返るというものでしたが、今回の選挙で日本の有権者が自民党を圧倒的大差で選んだことに対して、
「日本人の責任」
「ロシア並(の民度)」
「若者が本を読まなくなったせい」
「Yahoo!ニュースでヘッドラインだけを読んで社会を理解した気になっている」
「民主主義の危機であることが日本の国民はまったく理解していない」
と、恨み節ばかり。

さらには、
「日本人は民衆が自らの手で民主主義を勝ち取っていないので民主主義が成熟していない」
という、左翼勢力のいつもの主張まで飛び出す始末。彼らはどこまで日本人を馬鹿にしているのだろう、どこまで傲慢なのだろう、と思って気分が悪くなったのです。


今回の選挙で自民党を選んだ日本国民が、自民党の政策をすべて肯定しているはずがありません。外交、財政、社会保障、雇用問題など、自民党の様々な政策に、それぞれの立場から反発を感じている人々は多数いるのですから。

私の場合、自民党の労働政策に我慢ができません。日本電産のような労働基準法違反の企業を野放しにし、ワタミの創業者のような人間を自民党として公認する。こういう点が許せないのです。

それ以外でも、自民党の政策には是々非々です。同じく、親米政策、原発推進政策などを許せない人にとって、それが理由で自民党に反感を感じる、ということはあるでしょう。

ところが、こうした各論で反対ではあっても、総論では自民党を肯定する……それが多くの日本人の立場なのではないでしょうか。

様々な論の中にも序列があります。そのうちの、日本人の大多数が第一優先順位に考えているであろう、「人権への最低限の配慮」を有しつつ、「日本の国民のためになる政策」を考えている政党が、自民党くらいしか見つからないからです。

愛国主義、とまでは申しませんが、健全な保守主義を有している党が一つしかない、というのが日本の悲劇でしょう。

右翼的で暴力的な主張をする党はそもそも論外です。日本人の大多数の人権意識はそこまで低俗ではありません。かといって、それに対抗する勢力が総じて愛国にネガティブなのは、如何なものか。

アメリカは二大政党制を敷いていますが、共和党も民主党も、どちらも「国を愛する」という点では同じです。アメリカは二大政党とは名ばかりで、どちらも保守政党である、などと揶揄される所以ですが、政策は大きく異なっていようとも、国を愛していこう、という点では理念が一致しているのです。

国を愛するとは、その国の歴史を愛することでもあります。さまざまな間違いを、過去に起こしていたことは認めるものの、この国のたどってきた歴史は素晴らしいもので、私たちはこの国に生まれたことを誇りに思うべきである……こういう価値観を共有し、それ以外の点で対立する政策を、掲げ、争う。これが望むべき2大政党制でしょう。

ところが、日本では違いますな。民主党や社民党、共産党などの党員が、江戸時代の徳川幕府の政策や、明治政府が取り組んできた護民のための努力を積極的に肯定したりしませんね。近代史、それどころか、日本の歴史すべてを否定しようとする勢いです。だから日本を盛んに馬鹿にする人が多いのです。野党最大勢力である民主党のシンパにはこの手の人間が大変多いです。

民主党がこうなった理由は、いろいろあるでしょうが、民主党が自民党との対立軸を親米路線か否か、に置いたところに大きな原因があるような気がしてなりません。

民主党は、自民党とは異なる路線を取るために、親中国路線へと舵を切ろうとしました。

この中国という国はどういう国でしょうか? いまだに報道の自由や政治の自由、発言の自由を大きく規制している国です。また、明治期以降の日本の近代化の歴史を、帝国主義の歴史であると否定している国です。かつ、自国の過ちを決して認めようとしない、反省なき国家です。さらには未だに、チベット族や回族の独立勢力に虐待を加えている国でもあります。

そのような国に擦り寄ると、どうなるのか?

日本の過去をひたすら否定し、反省してみせます。
ところが、隣国の誤った政策には一切批判せず、見て見ぬふりをします。
さらには、報道の自由度などの、日本が優れている点を決して評価しないのです。


自分の長所ではなく短所ばかりに目を向けて、批判を許さない横暴なボスにすりよる人間が人望を失うのは必然でしょう。党もまたしかり。

外交政策は、私たちの生活に直接関係することではありませんから、投票する判断材料としては、二の次、三の次の優先順位でしょう。ところが、そう思って数年前、民主党を選んだところ、彼らの政策はお粗末極まりないものでした。当時は私も、ブラック企業追放のための何らかの施策を打ち出してくれるものと期待していましたが、なにか彼らが改善しましたかね?

結局、どの国を同盟国とみなすかは、党の姿勢に大きな影響を与えます。親米であれとは決して申しませんが、反米親中を選ぶことは、日本の先人の努力に敬意を払わないことにつながりますし、民主主義と自由主義という、民主国家にとって何よりも大切な理念を尊重しないことと、同意なのです。

そして、理念を尊重しない党が、リベラルだとか弱者救済だとかいったもともとの党の理念に沿った政治を、行えるはずがないのです。

各論で自民党と対立していても、根本では日本のこれまでの歴史を愛し、世界と協調しつつまずは日本国民のための政治を行うという点で共通している、そして何より、まともな人材が揃った野党に、現れてほしいものです。

2014年12月12日金曜日

元エリート金融マンのイギリス人が日本に苦言

元ゴールドマン・サックスでパートナーのイギリス人社員が、京都の老舗企業の社長となって奮戦しているという記事を読みました。

★ 身勝手な日本人が、日本の国宝をダメにする

そもそも、ゴールドマン・サックスのパートナーとは何でしょうか? ゴールドマン・サックスは、現在世界最高の証券会社と言われている企業です。全世界の従業員34,500人のうち上級社員は409人のみが「パートナー」と呼ばれます。まさに、選ばれた者しかなれないエリート中のエリート。報酬は5,000万円~2億円と言われています。

それなのに42歳で退社して、日本の老舗の漆塗り会社に入社したのですから、大変な変わり者です。よほど、日本文化に魅力を感じたのでしょう。

頭のキレはピカ一の方です。彼が日本文化にどっぷりとつかり、日本人に指摘する言葉は大変刺激的でした。

何を言っても無駄。行動しない。日本人は農耕民族だからと平気でバカげた理由を語り出したり。何でこの国が世界第2の経済大国なのか、ずっと不思議に思っていました。
これを読んで笑いました。この手の発言をするリーダーは、確かに日本にはたくさんいます。政治家、経済人、芸能人。10年ほど前に日本人サッカー選手が世界で活躍できない理由を、
「日本人は農耕民だから決してヨーロッパの人々には勝てない」
などと記事に書かれているのを読んで驚愕した覚えがあります。

サッカー大国のフランスは日本以上の農耕民じゃないか? 日本にだって漁師や狩人、さまざまな職業の人々が大勢いるじゃないか、何を馬鹿げたことを言うのだ、と。

しかし、ステレオタイプの考え方で思考停止してしまう人々が、日本の指導者然として君臨しているのですから困ったものです。

私はこれまで、企業の社長などと話す機会が何度かありましたが、彼らは平気で、
「世界はユダヤ人が支配している」
などの陰謀論を私に語ります。 馬鹿じゃないかと。ユダヤ人が指導者層に多いことと、彼らが世界を支配していることは違うだろう、と思うのですが、この手の馬鹿げた説を大まじめに語る人々は本当に、日本には多いのです。おとなりの韓国を笑えません。

百八十度の転身と言われるけど、障壁は感じませんでした。そもそも伝統技術という人工的な線引き自体を否定しています。(中略)よく職人は10年がかりというけど、じゃあ10年かからない職種を教えてほしい。金融マンだって医者だって同じでしょ。だからこの業界を特別視してはいなかった。自分としてはあくまでもビジネスの常識を実行していくだけ。
この言葉は大変重く、心に響きました。
「10年かからない職種を教えて欲しい」
たしかにそうです。そうですが、ただ、若くしてエリートとなった人が、それでも、10年かからないと仕事のプロにはなれないと断言したのを聞いて、ぞっとしました。

今の自分がこれから新しい道に進もうとするならば、さらに10年の下積みが必要、ということかと……。

最近では例の「おもてなし」です。日本では財布を落としてもほぼ確実に戻ってくるってよくいうでしょ。でも警視庁の数字では、現金では届け出があった額の40%にすぎない。残り60%にはいっさい触れず、都合のいい少数を大げさに持ち上げる。サッカーW杯のとき、日本人観客のゴミ拾いが日本人の美徳として話題になった。なら、鎌倉の花火大会の後を見てください。ゴミだらけです。
いいですね。最近の日本では、自画自賛ぶりが際立っていて気持ちが悪いです。自虐史観は問題ですが、かといって自賛史観もバランスを欠いています。それなのに、かつての日本はすごかった、とか、今の日本は素晴らしい、というものばかりがここ数年世の中にはあふれています。もっと中道を歩めないものでしょうかね。

それをこうして数字で表してもらえると、胸がスカッとします。アナリストらしく、客観的な数字とエピソードでものごとを把握しようとする姿勢、学びたいですね。

観光立国するなら発想の転換が必要ですよね。京都に来た外国人観光客の不満は「英語が通じない」の次が「解説がなく何を見ているのかわからない」。
いろいろなものごとを把握しようとするときに、理由の一番目に注目するあまり、二番目の理由を見過ごしてしまうことはよくあります。

「日本では英語が通じない」
よく聞く不満です。でも、これを解消するためには教育制度から変えねばなりません。ところが、それをまず解決しようとして、やれ、小学校から英語を教えろだの、必ず英語ネイティブを学校に一人は置くように、などといったことばかり、人々は語りたがります。

でも、二番目の不満である、
「開設がなくて何を見ているのかわからない」
に関しては、すぐに対応できることです。

日本には無数の翻訳者がいるのですから、彼らに歴史の解説文を英語に翻訳させて、看板を作ればいいのです。たったそれだけ。簡単にできることから始めればいいのに、それに手を付けずに大きな問題ばかりを話しあおうとする愚を悟りました。

いろいろと学べることの多い記事です。


2014年12月10日水曜日

ホリエモンの考え方に共感するのは、公務員に多いのかも

以前、とある勉強会で知り合った区役所の公務員が休憩時間に本を読んでいました。その本は堀江貴文の、
『君がオヤジになる前に』。


意外に思いました。堀江貴文といえば、新自由主義の申し子、 企業家バンザイ。公務員とは真逆の人、というイメージがあったからです。

「本、面白いですか?」
彼は答えます。
「面白いですよ。いろいろと共感することが出来て」

(へえ、共感するのか)
と、私は驚きしました。

それから他の公務員の友人と話す機会がありまして、そのことを話したところ、友人自身はそうではないと断った上で、
「上司や同僚に、そういえばホリエモンの信者や彼のことを好きなやつ、いるね」
と言うのです。
「自分に出来ないことをやすやすとやってるとこが、カッコいいと思えるからじゃないのかな」
と、彼は言います。

それだけだろうか、と考えてみました。

ホリエモンの主な主張をまとめますと、
  1. 能力主義
  2. 弱者切り捨て
  3. 行動主義
  4. 無責任
  5. 伝統や権威の否定
といったものでしょうか。

こうして並べて考えてみますと、なるほど、ある種の公務員が彼に共感する理由が、見えてくるような気がします。 

自分が有能だと思う人々

まず、1.能力主義、弱者切り捨てに関して。公務員には、自分の能力に自信をもっている方が大変多いものです。学校の成績が良い方が多く、学校の試験の延長線上にある公務員試験に受かって職に就いた方々が多いです。 昇進も試験の結果で決められることが多く、民間の競争を知りません。

ホリエモンが主張する能力とは、自由競争の中で勝ち上がる能力でしょうが、そこは人間、自分の業界のルールに引き寄せて考えます。中でも自分たちが有能だと思っている幹部候補生たちの耳に、ホリエモンの能力主義は心地よいことでしょう。

2.弱者切り捨てに関してはどうでしょうか。

役所に押し寄せるのは、社会の中でも恵まれない人々が多いものです。平日の昼間に役所に行きますと、ときどき窓口の職員に、
「お前の上司に代われ!」
と怒鳴り声を上げているヤクザまがいのオヤジなどに出くわします。



「公僕」という言葉を文字通りにとらえ、税金をほとんど払っていないのに、
「お前ら俺達のしもべだろ? お前らはオレたちの税金で食ってるんだ。文句があるのか!」
と言い放つ人々に日頃から接する機会が多い公務員の中に、
(あいつらがダメになったのは、自分自身のせいだ)
と、弱者全体に反感を持つ人が増えても不思議ではありません。

そうしますと、当然ホリエモンの、自己責任論、低能力者切り捨てに共感することになります。

ましてや、自分たちがリストラされることはほぼありませんから、無能力者がリストラされるのは当たり前(自分たちはリストラされないから有能)という考えにて陥るのも無理はありません。

公務員は責任を問われない

3.行動主義に関してはどうでしょうか。公務員の中には、仕事をしない、できない人間が一定数含まれています。縁故採用された人などですが、彼らに反感を感じている有能な公務員は多いでしょうから、彼らがホリエモンの行動主義に共感するのはよく分かります。

大都市ではさすがにそういうことはありませんが、地方都市などにいきますと、事務所の外の喫煙所、衝立の向こうのベンチに座って、一日中だべっている人などに出くわします。問い合わせをする窓口が分からなくて、彼らに尋ねても、うるさそうに立ち上がって、
「それ、あそこの人に聞いてくれる? 俺は今休憩中だからさ」
などと、1時間前からそこにいるのに堂々と命じたりするのです。

4.無責任はどうでしょうか。公務員は、誤った施策に対して基本的に責任を問われることはありません。無論左遷されることはあります。でも、数年に一度、転勤することが多く、仕事自体も成果が見えにくいものが多いため、自分自身の施策の結果を目の当たりにすることがあまりありません。

数年後に自分たちがおこなった施策によって多数の犠牲者が出たとしても、当時の担当が探しだされて罪を問われる、ということもありません。

そうしますと、
「一生懸命にやった結果が悪くても、それに対していつまでも責任を問われるのはおかしいでしょ。その時にそれに賛同した人たちの責任だから」
というホリエモンの主張は、自分を免罪してくれるものとして、心地良いものとなるでしょう。

ホリエモンも公務員も、一生安泰

「尖閣諸島を中国にあげればいい。それで中国が満足すれば」
と放言したことで有名なホリエモンですが、彼が小笠原諸島近海に大挙して押し寄せた中国船について述べることはありません。一歩引き下がれば一歩踏み込まれる相手の無理難題を聞くことは、相手につけいられるのと同じですから、こうした無責任な発言は、落選する危機のある政治家などは出来ないものです。

元億万長者という滅多に無い肩書きを持ち、実刑も喰らったことのある彼には怖いものはないでしょう。批評家としての地位は安泰ですし、それなりの資産もある彼は、たとえ言ってはならないことを言って、マスコミから干されようとも、食うに困ることもない、天下無双状態。首を切られない公務員のようなものです。彼の無責任礼賛が、一部の公務員から共感されるのも当然かもしれません。

5.伝統や権威の否定に関してはどうでしょうか。

役所の中ではつまらない伝統がてんこ盛りです。前例踏襲主義が根強いですし、叙勲の推薦手続きなんざ、後ろ向きもいいところで気が狂いそうになります。監督諸官庁の人々の機嫌をうかがったり、ひたすら昔の事績を調べたり。こんな仕事で一生を終えたくないと思う方々は多いことでしょう。

公務員に共産主義へのシンパが多いのはよく知られています。伝統や権威を守る立場にあるからこそ、それに従わざるをえない自分に忸怩たるものを感じる機会が、民間で勤めている人間には多いかもしれません。

(なぜこんな馬鹿げたルールに従わなきゃいけないの?)
(なぜ儀典のような馬鹿げたことにこんなに一生懸命にならなくちゃならないの?)

こうした思いをもつ人々にとってホリエモンの伝統否定発言は、
「よくぞ言ってくれた!」
と拍手喝采を浴びせたくなるのかもしれません。

匿名だから底辺ばかりというわけじゃない

尖った発言をすれば叩かれます。特に、地位のある人間で、批判に弱い立場の人には批判が集まり易い傾向があります。

公務員は地位があるものの、作家や政治家のような、多数のファンが周りにいるわけではありません。だから、余計なことを発言すると批判が殺到し、せっかくの地位を失いかねず、さらには彼を養護するサポーターにも恵まれないために発言するだけ損というもの。

それに、ある程度の承認欲求が満たされている彼らは、ネット上で発言する必要性を感じることは少ないでしょう。むしろ、百害あって一利なし。今後の昇進にも影響が出ます。

実名で発言するほど馬鹿じゃない、と思っている公務員のほとんどは、ウェブ上の発言は匿名で行うことが多いものです。

ホリエモンに共感する層というのは、物知らずの学生や自営業者たちだろうと、なんとなく思っていました。彼のブログやTwitterに賛同のコメントをしている人々も、そうだろうと。

ですが、こうして考えますと、ある程度有能だと自負しているけれども、他者への思いやりの少ない中間管理職の若手公務員などに、彼へのシンパが非常に多いのかもしれません。



2014年12月8日月曜日

清朝最後の文人「呉昌碩(ごしょうせき)」はなぜ四絶と言われたか

呉昌碩(ごしょうせき・ウーチャンシュオ)の名前を知らない人は、多いでしょう。1844年に生まれ、1927年に亡くなった清朝末期に活躍した人物です。

古代の人物は評価が確立していますが、時代が近づくに従って一般の人々に名が知られることは少なくなります。顔真卿の名前ならば、世界史の授業で習って知っている人は多いはず。でも、呉氏の名を高校までの授業で習うことはありません。そのため、書道に興味のある人以外にはほとんど名前が知られていないのは、惜しいところです。

彼の人生について、詳しくはWikipediaで読んでいただくことにしまして、このブログでは簡単なご紹介と、彼がなぜ「四絶」と称されたかについて、ご案内したいと思います。

呉氏は浙江省安吉県に生まれました。

エリートの家系で裕福でしたが、1850年の太平天国の乱に17歳の時に巻き込まれます。故郷を家族とともに離れて避難したものの、弟と妹、許嫁を相次いで亡くしました。

そのあと、働きながら書の修行に明け暮れましたが、生活は苦しく、戦乱の中、結婚後も家族を養うのに一苦労したようです。ただ彼は、その困難に決して負けることはありませんでした。何人も師匠を変えながら各地を転々としつつ、「書」「詩」「画」「篆刻(てんこく)」に関する様々な技法を貪欲に学んでいきます。

50歳を過ぎてから、段々と世の中に認められるようになり、次々と仕事の依頼がくるようになりました。遅咲きの人だったのです。

そのあと、彼の名前は篆刻家として非常に有名になります。1904年に丁仁・王禔・葉銘・呉隠という4人の芸術家が、篆刻を中心とする国際的な学術団体・西泠印社(せいれいいんしゃ)を設立したときに、わざわざ招かれて60歳にして初代社長となったほど。

そのあとも活躍を続けましたが、 1927年、南京事件の起こった年に脳卒中のため84歳で亡くなりました。

さて、彼が「四絶」と称された理由です。ここで言う「絶」とは、「絶対的な」「並優れた」という意味です。 つまり、文人が身につけなければならないとされる四種の芸術分野「書」「詩」「画」「篆刻」に、並外れた技能を発揮したから、彼は四絶と呼ばれたのです。

どのような作品を生み出したのか。まずは「篆刻」から見ていきましょう。

「篆刻」

中学校までしか書道を習っていないならば、篆刻の存在について知らない人も多いかもしれません。高校で書道を選択すれば、一度は経験するんじゃないかな。「てんこく」と読みまして、早く言えば「書」と「彫刻」の結合芸術のことです。

木や石に文字を彫りつける……「書」の技法も「彫刻」の技法も必要となる、奥深い世界です。

呉氏が得意としたのがこの篆刻でした。その作品がこちらです。

彼は「鈍刀(どんとう)」という、あまり切れない彫刻刀を好んで使いました。鈍刀は、切れ味が悪いために削り過ぎることがありません。力は必要ですが、時間をかけてコツコツと掘れば、理想通りの彫刻が出来るという利点があります。

苦労の多い人生を歩んだ呉氏に適した道具だったのでしょう。 しかし、彫り過ぎによるものでしょうか、肩を壊してしまいまして、50歳を過ぎてからの作品は大変少なくなります。彼の篆刻の名品は、有名になる前のものが多いようです。

「書」

彼は篆刻を一番得意としていたため、「書」に「篆刻」を応用した独特の文字を書くのを得意としていました。

春秋戦国時代に花崗岩に刻まれた文字である「石鼓文(せっこぶん)」 を模した、「猟碣集総聯」と言われる書体で書かれた文字は、独特の美しさがあります。


「画」

彼は絵に、書で学んだ技法を応用しました。草書体をさらに崩した「狂草」という書体がありますが、この技法や、篆書(てんしょ)と呼ばれる秦代以前の絵のような文字を書く上で学んだ技法などを惜しみなく画に応用したため、花や山、岩などが、絵であるのに文字のような独特の風味があります。

「詩」

中国の文人は、必ず漢詩を作ることができます。彼もまた、
「呉先生の作品が欲しい」
という依頼に応えるために、作詩に余念がありませんでした。

彼の作品の一つが、これです。
泠然一曲奏当筵
和鮮陽春顧亦捐
充耳不聞簫管徹
琵琶疑坐李龜年
冷然として一曲、まさに筵(むしろ)にて奏でたり
鮮やかなる陽春に和し、 また狷なるを顧みん
耳に充てれども簫管の徹するを聞かず
琵琶、李亀年の座するかと疑う

とでも読み下すのでしょうか。

むしろの上で音楽家が曲を奏でている、その曲を聞きながら、春の日に照らされ、己の短気を反省していた。ふと耳をそばだてると、いつの間にやら簫管の音が聞こえない。琵琶の音のみが聞こえてくる。その美しさは、音楽家として名高い唐代の李亀年(りきねん)が奏でているようだ。

とでも訳すのでしょうか(不学のため、誤っていればコメント欄などで教えてください)。


こうして彼の作品をほんのわずかでも眺めて見ますと、彼が清朝最後の文人と呼ばれ、四絶と称されたのもなんとくなく分かります。すごい人です。



参考:「書道偉人物語」 「「書道ジャーナル研究所」」など


2014年12月6日土曜日

家族を守るために殺人を犯した父の判断は正しかったか?

デジタル版朝日新聞の記事からです。

★ 「妻と娘を守る義務がある」 三男殺害、父への判決
父親「主治医や警察に入院をお願いしたが、最終的には措置入院もできなかった。今の精神医療の社会的仕組みでは、私たち家族は救えないのではないか。そう思いました」
 7日午前3時前。父親は風呂を出ると、2階にあった出刃包丁を持ち出し、三男の部屋に向かった。寝ている三男の横に中腰で座り、左胸を1回、思い切り突き刺した。

この記事を読んで、私は考えました。同じような状況に置かれたとき、自分はどうするか、と。

身内や隣人が反社会的人物となる可能性

似た事件が、長崎県の佐世保市でもありました。少女は、殺人衝動にとらわれた末に、同級生を殺したという、例のあの事件です。少女を野放しにしていた責任を問われた弁護士の父親は、世間から非難を受けた末に、自殺しました。

家族に狂人がいる苦労を想像することは、同じ状況にいない者にとっては難しいでしょう。しかし、たとえば隣人に執拗な嫌がらせを受けることや、ストーカーの被害に遭うことは誰にでも起こりうることです。他人に害を加えようとする狂人に出会う可能性は、どこにでも転がっています。

彼らが社会人ならば、彼らの非道を会社なり得意先なりに訴えて、兵糧攻めをねらうこともできるでしょう。ところが、相手が生活保護を受けていたり、親の財産を相続して働かなくてもよい、そんな相手だった場合は? 彼らには時間が十分にあり、失う社会的地位もないため、執拗な嫌がらせを避けることは困難です。

有り余る時間を使って、バレないように窓に石を投げたり、延々と苦情を述べ続けたりと、あの手この手の嫌がらせをおこなうことも多いのです。中には身の危険を感じることもあるでしょう。たいていバレますが、中には巧妙に証拠を隠すことに長けている者がおり、警察が動きようがないことも珍しくありません。

そんな狂人とつきあう羽目におちいったときに、さて、どうするか? この父親のように、殺すしかないのか? いざその状況に陥った時に、追い詰められた頭ではまとな判断ができません。平時に考えておくことが、大切です。

私の経験

今のところのベストな回答は、
「彼らから危害を受けたら、どんなに恥ずかしくても、怖くても、必ずその都度、警察に訴える」
ということではないかと思います。

冒頭の記事の事件では、母親に暴力を振るっています。長崎の同級生殺害事件も、その前に父親の頭蓋骨を陥没させるという暴力事件を起こしています。その時点で、警察に突き出さなければならなかったのでしょう。そうすれば、後日自分の手で息子を殺すことも、娘が他人を殺すことも、なかったかもしれないからです。

しかし、これは思った以上に、難しい。それは、昔私がとあるブラックな職場に勤めていた頃に、雇い主から木刀でのどを突かれたことを警察に訴えられなかった経験上、よくわかります。

警察に駆け込んでも、彼が逮捕されることはないでしょう。せいぜい厳重注意でしょう。のどの柔らかいところを突かれただけで痣もありませんから証拠もありません。逆に名誉毀損で訴えられるかもしれません。



しかも、彼は、
「もしもお前が逆らえば、懲戒解雇の上、以前の勤め先すべてに電話して、どんな人間か調べつつ、お前がどんなに無能な人間だったかを話してやる」
とうそぶくのです。

彼には実行力と執念深さを備えていました。たとえば、取引先の気に食わない役員に失礼な態度を取られたことがありました。そのとき彼は、その役員によって取引が中止されたあとに、その上司に敢えて大口の顧客を紹介したり、それをきっかけに他の役員と飲み食いを重ねるなどして信頼を勝ち取ったのちに、1年かけて件の役員を退職に追い込んだことがありました。

彼はゲームのように、誰かを嗜虐するのが好きな人間で、雇った人間が不幸になるように裏で画策するのが大好きなのです。だから、私の以前の勤め先に電話をしてあることないことを吹き込むというくらいの嫌がらせは、法に触れない範囲で間違いなくやるでしょう。

私にもプライドがあります。元勤め先を円満退社したものの、そこに嘘ではあっても妙な噂を吹き込まれるのは死ぬほど嫌でした。だから結局彼の暴力を警察に駆け込むことはできませんでした。

彼はこうした脅しで、前に勤めていた人間に暴力をふるい、自殺未遂に追い込んだりもしていました。弱い人間をねらって。世間に公表されることがないだろうと見越して。弱い人間にもプライドがあることを見越して。

プライドを捨てるのは難しい

この手のプライドが邪魔をして、結果大きな災厄に見舞われることは予想以上に多いのです。北九州監禁殺人事件でも、被害者が犯した小さな罪(不倫など)を表沙汰にされることをおそれて、加害者の松永太の言いなりになっていました。彼が犯す犯罪を警察に訴えることができませんでした。

犯罪者を警察に突き出すことに、普通ならば、誰もためらいを覚えないでしょう。ところが、相手が家族であったり、あるいは相手に弱みを握られていたりすると、警察に突き出すのは難しくなります。
 父親「警察に突き出すことは、三男を犯罪者にしてしまうこと。その後の報復を考えると、それは出来ませんでした」
 父親は法廷で、「三男は自分が犯罪者になることを恐れていた。家族がそうさせることはできなかった」とも話した。
と、冒頭記事の事件を犯した父親は証言しています。これもまた、プライドです。記事では「三男を犯罪者にすることはできなかった」と父は述べていますが、それだけでしょうか? 身内に犯罪者を抱えること、それが勤務先にばれることなどが恥ずかしい、という気持ちが、彼ら家族にあったのではないでしょうか?

日本人にはこの「恥ずかしい行動をしたくない」という気持ちが、自分でも思っていない以上に強いのです。それは社会の安定をもたらす反面、狂人や反社会的人物らに、つけこまれる隙をつくります。

江川達也の覚悟

こうした問題解決の参考例として、漫画家の江川達也さんがいます。
『東京大学物語』でおなじみ、ときどきテレビでコメンテーターとして活躍している江川氏は、元研究者である兄との間に、大きな確執を抱えています。

★ 親族に20億円騙し取られた森光子、実兄のせいで数億円失った江川達也…家族とお金の話

「1年研究してだめだったらやめてください」と結論を先送りした江川氏のもとには、さらに兄より執拗な電話がかかってくる。

「『お前が今まで稼いだ金と将来的に稼ぐ金も全部俺のものだ。死ぬまで稼いでも足りないぞ。早く金を返せ』『金を送らないと、お前のかみさんを“念”で殺してしまうぞ。殺したらお前の責任だ』『お前の目が見えなくなるぞ、いいのか』――こういったことを16~17時間にわたってネチネチと繰り返され、『このままでは、死んでしまう』と思いました」

江川氏は宗教に狂った兄から家族を守るために、兄を訴えます。それだけではなく、骨肉の争いを、継続することを決意しています。
「裁判が終われば、必ずまた兄が執拗に金を要求し、『お前の家族を殺してしまう』と言ってくると思うからです。私が死んだら妻や子どもが標的にされるでしょう。『俺の金を返せ。数兆円だ』とどこまでも追ってくるでしょう。兄が死ぬまで私は、生きて、家族を守るつもりです」
身内が狂人となるかどうか、反社会的人物が自分にからんでくるかどうかなど、自分がこうした争いに巻き込まれるか否かは、運次第です。それでも世間の中で、なんとか犯罪者とならずに、あるいは被害者とならずに踏みとどまるためには、現状の司法制度で出来る限りのことを、おこなっていくしかないのでしょう。そして、こうした争いを続けている人々を、応援していきましょう。


上記の本はお勧めです。犯罪者たちがどのように脅してくるのか、その場合にどのように立ち向かえばいいのか、くわしく書かれています。

2014年12月4日木曜日

将門の首塚はもっと評価されていい

日本には「三大怨霊」と呼ばれる三人の歴史上の人物がいます。
  • 菅原道真……当時最高の大学者。左遷されて903年に死亡後、怨霊化。
  • 平将門……桓武天皇の末裔が新皇を自称、反乱。940年に討伐され怨霊化。
  • 崇徳院……保元の乱を鎮圧されて、1164年に配流先で死亡後、怨霊化。
それまで日本で怨霊といえば、 崇徳院の方が、将門よりも有名でした。

崇徳院の数奇な生涯

崇徳院は悲劇の人です。天皇在位中も譲位後も鳥羽上皇に実権を奪われ、上皇亡き後は、逆恨みされることを恐れた鳥羽上皇の側近たちから命を狙われる悲運に見舞われます。

追い詰められて仕方なく乱を起こしましたが、とらえられ、讃岐(現・香川県)に島流しにされます。彼は本来、優しい人なのでしょう。戦死者の供養のために大変な量の写経を朝廷に送ります。

ところがこれを、「呪いをかけているのでは?」と疑われて突き返されたことに、怒りを爆発させました。堪忍袋の緒が切れ、舌を噛み切り、その血で「大魔王になって、天皇をその地位から引きずり下ろし、今は見下されている者を王にしてやる」と写経に書き込んで死ぬのです。

結局、その20年後には鎌倉幕府が成立し、朝廷の権力は完全に武士に奪われました。王政が復古するまで700年近くの間、崇徳院の呪いがかかっていたと言えなくもありません。

とにもかくにも、彼のすさまじい最期とその後の怪異によって、崇德院は人々におそれられ続け、様々な文学のモチーフとなりました。中でも有名なのは江戸時代中期に書かれた『雨月物語』です。江戸時代後期から末期にかけて大きな影響を人々に与えました。

物語の影響は、案外大きいものです。江戸の影響が色濃い明治時代には、崇徳院が非常に崇められました。明治天皇は即位するとき、崇徳院の御霊を京都へ帰還させる行事を行って、白峯神宮を創建して霊を弔いましたし、戦後になっても、昭和天皇が崇徳院800年祭を祀ったほどでした。

『帝都物語』の影響

ところが、1976年に放映された海音寺潮五郎原作のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』で平将門が主人公となった頃から、人々の注目が将門に集まるようになりました。

ただドラマで描かれたのは、あくまで歴史上の一武将というものでした。ところが1985年から87年にかけて刊行された荒俣宏の『帝都物語』で、平将門のもう一面、怨霊としての将門が大きくクローズアップされるようになります。

『帝都物語』は、平将門の生まれ変わりである加藤保憲が、東京を魔都へ変えようと画策する明治期から昭和73年(!)までの100年間を描く、という壮大な物語です。幸田露伴や泉鏡花、さらには角川春樹まで、実在の人物が登場して加藤と戦うのが特徴です。

小説は映画やアニメになりました。なかでも当時邦画界として破格の10億円をかけて制作された映画版「帝都物語」は、大変な反響を呼びました。しかし、興行成績は8位、興業収益は10億5千万円と、ほとんど儲けが出ませんでしたが……。

この映画は、とにかく嶋田久作がカッコ良いのです。脚本が大変お粗末で、どうしてこんな分かりにくい脚本にしたんだろう? と今でも思い出すと怒りが湧いてくるほどですが、それ以外、映像と演技が抜群によく、特に大抜擢された遅咲きの俳優・嶋田久作の怪演によって、映画が駄作になることを防ぎました。これほど「はまり役」という言葉が合う役は、ないかもしれません。


私は映画が先で、小説があとでしたが、小説の加藤のイメージは、嶋田久作の演じる加藤そのままでした。島田氏のブログを読みますと、ネコ好きの穏やかな芝居バカというキャラが浮かんできますが、私の中の嶋田久作は、あくまでも「帝都物語」のおどろおどろしい加藤です。

とにかく、「帝都物語」は興行成績こそふるわなかったもの、大きなインパクトを世の中に残しました。平将門ブームの火付け役になり、大手門にある「将門の首塚」には、大勢の観光客が訪れたといいます。

首塚は現代も

「将門の首塚」は、皇居のすぐ近くにあります。住所は、「東京都千代田区大手町1-2-1」であり、高層ビルに囲まれていますが、ここだけ異次元の空間のようです。

『帝都物語』以降、将門の首塚を題材にした作品は作り続けられています。少し前になりますが、ヒットして映画にもなった『鴨川ホルモー』の続編で2007年に刊行された『ホルモー六景』では、東京学生の鎮守行事が、この首塚で行われていたことなどが描かれています。

私は数度、この首塚を訪れたことがあります。なんとなく、妙な雰囲気がありまして、たしかに人々が、この神社に惹かれるのが分かりました。通りから中をのぞきこめるのですが、時間が止まったような鬱蒼感があり、長居をしたいとは思えませんでした。

東京の一等地に手付かずの神社があるのが、とても奇妙です。そもそも天皇のお住まいの皇居のすぐ近くに、天皇にかつて反逆した将門公の首塚がある、というのが不思議でなりませんでした。

ただ、よくよく考えますと、平成天皇の身体には、第六天魔王を名乗った織田信長の血も、天皇に代わり日本国の王たらんとして東照大権現を名乗った徳川家康の血も流れています。現在の天皇家自体が、江戸幕府に反逆して現在の地位に就いたとも言えるわけですから、その血に脈々と流れる反逆者の魂にとっては、むしろ平将門は頼もしい存在に思えるかもしれません。

『帝都物語』のブームも今はなく、皇居の近くにひっそりとたたずむ、この「将門の首塚」ですが、 せっかくこれだけの物語に彩られた神社です。もっと人々に、興味を持ってもらいたいものです。

現代の権威に反逆を試みようとする人々は、東京駅に寄ったついでに、この「将門の首塚」に参拝に行ってみてもいいかもしれません。