イスラム国に拉致されている後藤健二さんと、その母親の石堂順子さんは姓が違いますが、どうなっているのでしょうか。ネットでは在日の方で通名を使っているからだという情報が流れていますが、真偽のほどは分かりません。マスコミにも後藤健二さんの経歴なども調べて流して欲しいと思います。
— 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) 2015, 1月 29
イスラム国支配地域には現地の人たちも危険という理由で入らないのです。その危険を承知で後藤さんは入ったのです。母親である石堂順子さんは、皆様に迷惑をかけて申し訳ないというのが普通であると思うのですが、健二はいい子だから無事帰ってきて欲しいと言っています。少し違和感を感じます。
— 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) 2015, 1月 29
どうしちゃったんでしょうね。田母神さん。保守というよりも、これでは単なるネトウヨとか右翼モドキじゃないですか。私、自分を保守派だと思っていますが、彼と同じ保守としてひとくくりにされたくないと痛切に思う次第です。私自身が馬鹿なのに、さらに馬鹿に見られてはかなわないな、と。
問題となる点
何が問題か? ひとつは、別種の問題を持ち込んでいるという点。在日韓国人、朝鮮人が通名を利用して犯罪の指弾を免れているという問題は確かにありますが、今回のイスラム国による日本人殺害予告事件とはまったくの無関係。それを持ち出す理由が分かりません。それに、仮に日本人ではなく在日韓国人だから韓国政府がこれを解決すべきだと言いたいのだとしても、それは今言うべきタイミングではありません。後藤健二氏の国籍が日本だとしたら、まったく余計な発言や問題提起で現場を混乱に陥れるだけ。日本政府が彼を日本人だと言っているのです。政府を信じて一意専心、彼の救出を祈るべきときでしょう。そのあと、問題を正していけばよろしい。
また、在日韓国人だから日本政府は救出に努力すべきではない、と言いたいのだとしたら、単なる差別主義者です。
仮に後藤氏が以前在日韓国人だから、帰化した人間だから、日本人らしい行動をしなくておかしい、という指摘だとしたら、今度こそ本当にただの馬鹿でしょう(そして多分、これが田母神さんの本音のように見受けられます)。日本人にも大勢くだらない馬鹿がいます。帰化したラモス瑠偉さんのような、ラテン気質で日本人としては型破りだとしても、日本人以上に日本を愛している方々もいます。多様性を認めず一つの鋳型に押し込もうとする人間は、単なる全体主義者です。
差別主義者でかつ全体主義者となると、ネトウヨというよりも「ナチ公」という称号のほうがふさわしい。
石堂さんの父は韓国軍人じゃない
それに、石堂順子さんが在日韓国人だ、というデマの根拠が著しく薄弱なことは、調べればすぐに分かります。このデマは、石堂順子さんが1/23に会見の中で、子を思う親の気持ちについて述べるくだりで、
それから、私の父は軍人です。朝鮮とか、そういうところのかなりのトップだったと思います。私はいつも軍用車と、三角形のひらひらする旗のある自動車で送られていました。しかし、今、私どもが、写真を見ますと、私のおじいちゃん、教育者だったんですが、草履履きで私の朝鮮馬山の宿舎へ訪ねてきました。私はつい最近まで、おじいちゃん、なぜそんな格好で朝鮮へ来てくれたの、恥ずかしいという思いをしたことがありました。と語った言葉がひとり歩きして、
「石堂順子さんの父が韓国軍トップ、ということは、石堂順子さんは在日韓国人だ」
と噂されたのが、そもそもの発端のようです。
★ 【全文】「私はこの3日間、何が起こっているのかわからず悲しく、迷っておりました」ジャーナリスト・後藤健二さんの母・石堂順子さんが会見
ところが、調べるとすぐに答えらしきものが出てきます。
78歳の女性が語る父親の思い出話です。父は韓国軍人ではなく、朝鮮半島に駐在していた日本帝国軍人である可能性もあるでしょう。そして今は便利な時代で、陸軍のトップの人間の名簿までもインターネットで見ることが出来る時代です。
★ 陸軍部隊最終位置
「石堂」というのは珍しい名前です。「石堂」の名で検索すると、朝鮮軍管区直轄馬山重砲兵連隊補充隊に「石堂燦二中佐」という人物が在籍していたことが分かります。
宿舎の場所も朝鮮の馬山で同じです。この石堂中佐と考えて間違いないように思います。
陸軍士官学校33期生なので、石堂中佐は1900年の生まれでしょうか。石堂順子さんは78歳なので、年齢から逆算すると1937年生まれあたり。順子さんは石堂中佐が37歳頃に生まれた子どもだと考えれば、年齢的にも辻褄が合うでしょう。
軍属の暮らす宿舎に、学校の先生をしていた石堂順子さんの祖父が、日本からわざわざ海をわたってやってきたのでしょう。立派な服装で訪れると「上官の父兄がやってきた」と大袈裟な歓待を受けてしまうので、仕事の邪魔にならないよう、敢えて近所の老人の素振りをして、粗末な身なりで宿舎を訪れた、というエピソードのどこにも、批判を受ける要素はありません。
……という情報は、調べればすぐに分かるはず。 その手間も惜しむ理由がわからない。
自衛隊トップにもバカは居る
なぜこんな人間が航空幕僚長という重責に就いていたのだろう? と不思議に思いましたが、案外、この手の卑しい品性の人間が、自衛隊のトップに多く生息しているのかもしれません。自衛隊のトップレベルの方と会う機会は、あまりないでしょう。私の人生を振り返っても、お会いしたのは数度です。その内の一度は、私が19歳のときでした。
防衛大学を受験して、最終面接まで合格したあと、詫び状を書いて入学辞退をしたときのことです。その地方の自衛隊のトップだった人物の自宅に招かれて、こんこんと説教をされたうえで、執拗に防衛大学に勧誘されたことがあります。
居間に虎の皮が敷かれていて、随分と豪勢な家でした。ところが人物はそれに見合っているとは最後まで思えませんでした。3時間ほど食事をしながら歓談したのに、彼は最初から最後までカネのことしか言わないのです。
「地方だったら30代で、家をローン無しで一軒、建てることができる」
「俺の部下は北海道に、二軒の家を建てた」
「将来は安泰」
「かなりの財産も残せる」
「子どもだからカネのことを言えば納得するだろう」
と見くびっていたとしたら、子どもの気持ちをまったく分かっていないということで、指導者としては失格でしょう。子どもの心を動かしたいならば、カネではなく情熱でしょう。
日本のために尽くして欲しいとか、自分たちはこんなに頑張っているんだ、という具体的な話をしてもらえれば、単純な子供ですから、感動して防衛大学に入学したかもしれません。しかし徹頭徹尾、カネのことしか言われないのにあきれ果て、彼に会ったことすら後悔をしたのを、ふいに思い出しました。
私の乏しい人生経験の中で、ほとんど会うこともない自衛隊トップの人間が、たまたま若者にカネの話しかできない愚昧な人間だった、という可能性よりも、自衛隊トップの人間にはこの手の人間が大勢いる、と考えたほうがいいのかもしれません。
田母神俊雄も、航空幕僚長という経歴からもっと立派な人間を想像していましたが、ずいぶんと卑しい人物のようです。現代では昔と違って、品性に優れていようとも実務能力に劣る人間は出世しません。実務能力やコミュニケーション能力に優れていることと品性や教養とは別です。逆に言えば、出世した人間には随分と卑しい品性の持ち主もいる、ということでしょう。
それにこの方、支持者も右翼モドキやネトウヨばかりのご様子ですから、彼らにだいぶ毒されているという側面もあるのでしょう。また、Twitterなどは本人ではなくスタッフがおこなっているのでしょうから、スタッフに恵まれていないのかもしれませんし。
いずれにしても、彼には保守派を名乗らないでほしいものです。