2015年1月30日金曜日

自衛隊のトップにいた人間が、なぜこうも愚昧なのだろう?

元航空幕僚長の田母神俊雄のツイートが話題になっています。

どうしちゃったんでしょうね。田母神さん。保守というよりも、これでは単なるネトウヨとか右翼モドキじゃないですか。私、自分を保守派だと思っていますが、彼と同じ保守としてひとくくりにされたくないと痛切に思う次第です。私自身が馬鹿なのに、さらに馬鹿に見られてはかなわないな、と。

問題となる点

何が問題か? ひとつは、別種の問題を持ち込んでいるという点。在日韓国人、朝鮮人が通名を利用して犯罪の指弾を免れているという問題は確かにありますが、今回のイスラム国による日本人殺害予告事件とはまったくの無関係。それを持ち出す理由が分かりません。

それに、仮に日本人ではなく在日韓国人だから韓国政府がこれを解決すべきだと言いたいのだとしても、それは今言うべきタイミングではありません。後藤健二氏の国籍が日本だとしたら、まったく余計な発言や問題提起で現場を混乱に陥れるだけ。日本政府が彼を日本人だと言っているのです。政府を信じて一意専心、彼の救出を祈るべきときでしょう。そのあと、問題を正していけばよろしい。

また、在日韓国人だから日本政府は救出に努力すべきではない、と言いたいのだとしたら、単なる差別主義者です。

仮に後藤氏が以前在日韓国人だから、帰化した人間だから、日本人らしい行動をしなくておかしい、という指摘だとしたら、今度こそ本当にただの馬鹿でしょう(そして多分、これが田母神さんの本音のように見受けられます)。日本人にも大勢くだらない馬鹿がいます。帰化したラモス瑠偉さんのような、ラテン気質で日本人としては型破りだとしても、日本人以上に日本を愛している方々もいます。多様性を認めず一つの鋳型に押し込もうとする人間は、単なる全体主義者です。

差別主義者でかつ全体主義者となると、ネトウヨというよりも「ナチ公」という称号のほうがふさわしい。

石堂さんの父は韓国軍人じゃない

それに、石堂順子さんが在日韓国人だ、というデマの根拠が著しく薄弱なことは、調べればすぐに分かります。

このデマは、石堂順子さんが1/23に会見の中で、子を思う親の気持ちについて述べるくだりで、
それから、私の父は軍人です。朝鮮とか、そういうところのかなりのトップだったと思います。私はいつも軍用車と、三角形のひらひらする旗のある自動車で送られていました。しかし、今、私どもが、写真を見ますと、私のおじいちゃん、教育者だったんですが、草履履きで私の朝鮮馬山の宿舎へ訪ねてきました。私はつい最近まで、おじいちゃん、なぜそんな格好で朝鮮へ来てくれたの、恥ずかしいという思いをしたことがありました。
と語った言葉がひとり歩きして、
「石堂順子さんの父が韓国軍トップ、ということは、石堂順子さんは在日韓国人だ」
と噂されたのが、そもそもの発端のようです。

★ 【全文】「私はこの3日間、何が起こっているのかわからず悲しく、迷っておりました」ジャーナリスト・後藤健二さんの母・石堂順子さんが会見

ところが、調べるとすぐに答えらしきものが出てきます。

78歳の女性が語る父親の思い出話です。父は韓国軍人ではなく、朝鮮半島に駐在していた日本帝国軍人である可能性もあるでしょう。そして今は便利な時代で、陸軍のトップの人間の名簿までもインターネットで見ることが出来る時代です。

★ 陸軍部隊最終位置
「石堂」というのは珍しい名前です。「石堂」の名で検索すると、朝鮮軍管区直轄馬山重砲兵連隊補充隊に「石堂燦二中佐」という人物が在籍していたことが分かります。

宿舎の場所も朝鮮の馬山で同じです。この石堂中佐と考えて間違いないように思います。

陸軍士官学校33期生なので、石堂中佐は1900年の生まれでしょうか。石堂順子さんは78歳なので、年齢から逆算すると1937年生まれあたり。順子さんは石堂中佐が37歳頃に生まれた子どもだと考えれば、年齢的にも辻褄が合うでしょう。

軍属の暮らす宿舎に、学校の先生をしていた石堂順子さんの祖父が、日本からわざわざ海をわたってやってきたのでしょう。立派な服装で訪れると「上官の父兄がやってきた」と大袈裟な歓待を受けてしまうので、仕事の邪魔にならないよう、敢えて近所の老人の素振りをして、粗末な身なりで宿舎を訪れた、というエピソードのどこにも、批判を受ける要素はありません。

……という情報は、調べればすぐに分かるはず。 その手間も惜しむ理由がわからない。

自衛隊トップにもバカは居る

なぜこんな人間が航空幕僚長という重責に就いていたのだろう? と不思議に思いましたが、案外、この手の卑しい品性の人間が、自衛隊のトップに多く生息しているのかもしれません。

自衛隊のトップレベルの方と会う機会は、あまりないでしょう。私の人生を振り返っても、お会いしたのは数度です。その内の一度は、私が19歳のときでした。

防衛大学を受験して、最終面接まで合格したあと、詫び状を書いて入学辞退をしたときのことです。その地方の自衛隊のトップだった人物の自宅に招かれて、こんこんと説教をされたうえで、執拗に防衛大学に勧誘されたことがあります。

居間に虎の皮が敷かれていて、随分と豪勢な家でした。ところが人物はそれに見合っているとは最後まで思えませんでした。3時間ほど食事をしながら歓談したのに、彼は最初から最後までカネのことしか言わないのです。

「地方だったら30代で、家をローン無しで一軒、建てることができる」
「俺の部下は北海道に、二軒の家を建てた」
「将来は安泰」
「かなりの財産も残せる」

「子どもだからカネのことを言えば納得するだろう」
と見くびっていたとしたら、子どもの気持ちをまったく分かっていないということで、指導者としては失格でしょう。子どもの心を動かしたいならば、カネではなく情熱でしょう。

日本のために尽くして欲しいとか、自分たちはこんなに頑張っているんだ、という具体的な話をしてもらえれば、単純な子供ですから、感動して防衛大学に入学したかもしれません。しかし徹頭徹尾、カネのことしか言われないのにあきれ果て、彼に会ったことすら後悔をしたのを、ふいに思い出しました。

私の乏しい人生経験の中で、ほとんど会うこともない自衛隊トップの人間が、たまたま若者にカネの話しかできない愚昧な人間だった、という可能性よりも、自衛隊トップの人間にはこの手の人間が大勢いる、と考えたほうがいいのかもしれません。

田母神俊雄も、航空幕僚長という経歴からもっと立派な人間を想像していましたが、ずいぶんと卑しい人物のようです。現代では昔と違って、品性に優れていようとも実務能力に劣る人間は出世しません。実務能力やコミュニケーション能力に優れていることと品性や教養とは別です。逆に言えば、出世した人間には随分と卑しい品性の持ち主もいる、ということでしょう。

それにこの方、支持者も右翼モドキやネトウヨばかりのご様子ですから、彼らにだいぶ毒されているという側面もあるのでしょう。また、Twitterなどは本人ではなくスタッフがおこなっているのでしょうから、スタッフに恵まれていないのかもしれませんし。

いずれにしても、彼には保守派を名乗らないでほしいものです。


2015年1月28日水曜日

イスラム国による日本人誘拐事件について

このブログでは一応、日々のニュースについての論評をおこなうと謳っている。

しかし、最近話題のイスラム国による日本人殺害予告事件については、今まで一度も触れてこなかった。

ここまでメディアが連日報道しているから、もちろん私の耳にも届いている。しかし、敢えて記事にしなかったのは、大騒ぎとなっているニュースについての論評は大手メディアにまかせて、自分のところのような個人ブログの一つや二つで扱わなくてもいいだろう、と思ったのと、イスラム国のプロパガンダにみすみす乗るのも癪に障るという、二つの理由からだった。

特に後者の理由が大きい。少し日本のメディアは騒ぎすぎではないだろうか。

我々が大騒ぎしても、彼らが釈放されることはない。我々が大騒ぎしていることは、先方にリアルタイムで伝わっているだろう。そうすると、騒ぐことで彼らに満足感を与えているだろう。

イスラム国という明白なテロ組織を利するような行為はおこなってはならないから、彼らに身代金を払うようなことは言語道断だ。同時に大騒ぎしてパニックになっている様子を相手に見せることもまた、利敵行為の一つだから極力避けるべきかと思う。

それに、今回の騒動で、イスラム国にシンパシーを感じる異常者が増えて、国内にイスラム国の拠点をつくろうという動きが加速するかもしれない。

昨日「人を殺してみたかった」という理由でお婆さんを殺した女子大生が逮捕されたように、犯罪行為や非道徳的な行為が大好きな人間というのはヤンキーに限らず社会の中には必ず発生する。イスラム国の存在や参加方法を彼らに知らしめることは、社会を不安定にする手段を彼らに与えるようなものだろう。 現に欧米諸国では、イスラム国の主張に賛同した大勢の10代の少年少女が刺激を求めてイスラム国へと馳せ参じて問題となっている。

だから騒ぐべきではない、と思うのだが、別の意見もあるのは確かだ。逆に騒がなければ、現在監禁中の後藤氏の利用価値がなくなったとみなしたイスラム国が、今すぐにでも後藤氏を殺すかもしれない。邪魔な人質をいつまでも生かしておくことは移動の妨げにもなり、証拠にもなるのでリスキーだからだ。私達が騒ぐことで、後藤氏の生命を保証するという意味合いがあるかもしれない。

報道しない、騒がないデメリットはまだある。彼らの行為を知らないと、彼らの跳梁跋扈を許して被害を拡大する可能性もある。私は昨年8月頃にこのブログで、彼らの残虐行為を撮影した動画を紹介した。あの場所ではこんなひどいことが行われていると、注意をうながす意味合いだからだが、そのときにはほとんど注目もされなかった。対岸の火事だからだろう。

中東の情勢はそれでも比較的知られているが、中南米も今、ひどい状態になっているのを知らない人が多い。中南米では麻薬が騒動の主原因だ。中東の宗教と中南米の麻薬(どちらも麻薬であると言えないこともないが)、この二つが現在世界で猛威をふるっていることを日本人はあまりに知らない。今回の件をもとに彼らの実態を広くしらしめる必要性は確かにある。


騒ぐメリットとデメリットを秤にかけて、行動することは難しいが、私は現段階では騒ぐ方がデメリットの方が大きいと思うので、これ以上書かない。

嫌がらせや脅迫を行なう組織へ、戦争等の積極的抵抗ができないならば、せめて消極的抵抗をおこなうべきだろう。それには無視をして、平然とした態度を見せ、彼らにおもねらず、あとは専門家にまかせて応援をする、というのが考えうる最善策だと思う。

実際、キルギスで起こった日本人誘拐事件では、その方法でうまくいき、日本人の解放につながっている。

ただ今回の事件では、マスコミは連日大騒ぎをして見せたけれども、ネット上では冷静な言論が飛び交い、これを政府攻撃に利用しようとした人々に対しては大きな反発が巻き起こるなど、日本人は総じてうまく対応しているように思う。

次に私達にできることは、その周辺諸国に早急に安定をもたらしてイスラム国を日干しにするよう地道な取り組むくらいだろうか。

目の前で苦しんでいる人がいるのに、何も出来ないのはつらい。だが、出来ないことに躍起になれば苦しむだけだ。今は我慢に耐えるべきだと、思う。


2015年1月26日月曜日

岡田斗司夫が異常にもてた理由とは

ここ数年でしょうか。

10代、20代の若者が喫茶店などで話しているのをなんとなく横で聞いていて、
「ずいぶんと、コミュニケーションを取るのが下手な人が増えたな」
とふと感じることが増えました。

仕事では、彼らと接点がありません。日常的に彼らを観察する機会がなく、印象論でしか語れないのが残念ですが、それでもその印象は、実態からそれほどズレていないはずです。

と言いきれますのも、私自身コミュニケーション能力が低く、苦労してきたため、なんといいましょうか、同種の人間を感じとるセンサーが発達しているからです。こう書くとなにやら超能力じみた力でもあるのか、と突っ込まれそうですが、そんなものではありません。

「同病相哀れむ」という言葉を思い浮かべた方がいるかもしれません。似た欠点を持つ人間にシンパシーを感じる力は、誰もが持つものです。それで、コミュニケーション能力に障害のある人――あまりいい言葉ではありませんが、「コミュ障」と呼ばれています――の存在にすぐに気づけるわけですが、若者の集団にコミュ障がいるな、と思う頻度が、ここ数年確実に増えました。

コミュニケーションで苦労している人間に会うと、かつての自分を思い出し、もどかしくなります。
(もう少し知識と経験と別の信念があれば、こんなふるまい方はしないのに)
この胸が苦しくなる感覚は、同じ苦労をしてきた者が共有するものかもしれません。

もちろん、私自身のコミュニケーション能力は今でもさほど高いものではありませんが、それでも年齢を重ね、経験値が蓄積されています。この場合にはこう言ってはいけない、こう言えば自分の言葉がこう曲解される、この場合にはこう行動しなければならない……知識が増えたせいで、随分と楽になりました。余裕があるからこそ、他人のことに気がつける、という側面もあるのでしょう。

コミュ障が増えた理由は、いったい何故だろう? と考えてみました。


若者になぜコミュ障が増えたのか?

私自身がコミュ障となった理由をふりかえってみますと、ちと特殊な経験からです。

父に転勤が多く、数年おきに友人関係を再構築しなければならなかったこと、母の束縛が大変強く、友人と遊ぶよりも家で勉強をするよう強要され、周囲から浮き上がっていたことなど、いくつもの原因が重なりました。それに、母が新興宗教にのめり込んでいたため、休日にそれ系の活動に駆り出されたことの悪影響も大きかったように思います。

つまり、意図せずして周囲の人間と濃密でまともな人間関係を築く機会が少なく、それを補うために読書へと逃げ、さらにコミュニケーションの機会を失うという悪循環からコミュ障となったわけです。

こんな経験をした人間は昔は少数派だったのでしょう。コミュ障はそもそも脳の作りが他人と異なっているという研究もなされていますが、最近はそうではない、という主張をなされる研究者もいるようで、意見はさまざま。私は、環境の影響も大きいと考えています。

20年ほど前から、人間のコミュニケーション能力、特に面と向かって話し合いながらお互いの意思疎通をおこなっていく能力を奪う環境が、増えてきました。

一つ目はゲームの存在です。

マクドナルド、あるいは公園などで小学生の集団を見かけますと、特に男の子はゲームに夢中になっています。お互いの目を見ながら会話するよりも、それぞれのゲーム画面をにらみながら会話してばかり。

たまに一人のゲーム機に面白いシーンが流れると、一斉に同じ画面をのぞきこみますが、そのときもお互いの顔を見て話すことはありません。このようなことを多感な時期に続けていては、相手の表情を読み取る能力は伸びないでしょう。

二つ目が体を動かして遊ぶ場所と機会の激減。

私の小中学生のころはまだ空き地が多く、しかも権利意識に乏しかった時代ですから、私有地であっても空き地ならば、入って缶蹴りをしたり虫捕りをしたりしても怒られることはほとんどありませんでした。ところが土地開発が進み、整備もされ、空き地が減り、減った空き地で遊べなくなりました。特に都市部では、子供たちが駆けまわって遊べる場所が減りました。

それに物騒な事件が多く報道されるようになり、子供たちを人気のないところで遊ばせることに躊躇する親が増えました。そのうえ、球技などの出来る公園は限られています。子どもの声が騒音だと難癖をつける人間も増えました。こうして外で遊ぶ機会は奪われていきました。

コンピューター経由ではない、対人関係を築く環境が激減したのです。


便利が能力を退化させる

そして三つ目、SNSの普及です。


日常的にパソコンやスマフォで文字入力をされていますと、久しぶりに手書きで文章を書こうとすると、漢字が思い出せなくて悩んだ経験がおありのはず。

人間の能力は、使えば伸びる代わりに、使わなければ退化します。便利になることはいいことばかりではなく、人間の能力減退も生み出します。それならば、コミュニケーション能力を補完するSNSというサービスのお陰で、逆に人間のコミュニケーション能力を退化させるのは当然と言えましょう。

Facebook、Instagram、Twitter、mixi……今の20代の若かりし頃は、「前略プロフィール」なんてものもありました。

これらSNSでは、これまでのような自己紹介が不要です。相手がどんな人間か、手探りで調べる必要がありません。日頃何をしているのか、尋ねる必要もありません。
「Facebook見てね」
「Twitterの過去ログを見れば、私が何に興味を持っているかわかると思うよ」
それだけで済んでしまいます。

イイねを押してもらえればつながっている安心感が生まれます。旅先の写真がアップされれば、わざわざ時間を見つけて、会って旅行の話を聞く必要もなくなります。

満足しているうちにコミュニケーション能力の一部は使われず成長させる機会も奪われ、リアルでのコミュ障が増える、というわけです。

……といったことを今つらつらと考えましたが、わざわざ私が書かなくても、誰でも思いつくことでしょう。「SNS コミュニケーション能力を奪う」という検索キーワードでググりますと、同じようなことを訴えている方々が大勢いました。

そのうえで本日の主題。社会評論家の「岡田斗司夫乱交事件」について、考えたのです。なぜ彼はそこまでもてたのだろうか、と。


岡田斗司夫がもてたワケ


彼は愛人遍歴を記した流出リストを「妄想がほとんど」と説明していますが、長年ネットをいじっていれば、彼の女性遍歴が妄想「だけ」なのかどうか分かります。自己顕示欲が肥大化した人間が、匿名のアカウントで他人にばれるかばれないかのギリギリのラインで何百回も投稿をしている内容がすべて嘘でしょうか? 私は彼の匿名告白は、8割型本当だと思っていいと考えています(もっとも、こんな意見もあるにはあるので、どちらを信じるかはあなた次第)。

彼の容姿はご存知のとおりですし、その上デブです。カネがある知識人だからといって、なぜあそこまでもてていたのか?

そこで、先ほどのコミュ障の増加ですよ。

近年、コミュニケーション能力を社会から問われることが多くなりました。それは以前ブログで書いた通り、IT化が進み、それでも人間にしか出来ないことを求めて追求された結果であるのでしょう。

ただ、それともう一つ、コミュニケーション能力に欠けた若者たちが社会に増えたために、入社してトラブルが多くなった、という側面もあるように思うのです。彼らがあまりに周囲とトラブルを起こすので、企業側が自衛策のために、コミュニケーション能力を事前に、入社前に若者たちに要求するようになったのではないでしょうか。

コミュニケーション能力を低下させる環境が増えたのに、社会は逆にコミュニケーション能力を求める。このアンビバレントな環境に挟まれた若者たちは高いストレスにさらされているはずです。

ストレスにはさまれた人々は、そこから逃れるために出口を探します。そこで、
「出口はこちらだよ!」
と指し示していたのがオタクの地位向上を目指していた岡田斗司夫らであり、彼らが異様にもてていた原因ではないでしょうか。

オタクには様々な定義がありまして、岡田斗司夫は、ある趣味に異常なこだわりを持つという面の方にフォーカスすることが多いのですが、若者たちが惹かれたのはそこではなくて、岡田斗司夫が余技的にやっていた社会性欠如フォローの方だったのでしょう。

社会性の欠如、コミュニケーション能力のなさを、
「いいんだよ、それでいいんだよ。これからの時代、それでいいんだよ」
と優しく包み込む彼の言動が、彼の講義を聴く大勢の若者たちの心をとらえたのではないでしょうか。


若者は悩んでいる

本来オタクについての専門家なるものはキワモノでして、日本における軍事評論家のような、
「たまに出てきて非常事態について説明してくれる人」
程度の存在だったはず。ところが若者の中でコミュ障が大きな割合を占めるようになったために、いつの間にか彼らは若者の間で大きく評価されてきてしまったのではないか、と。

だから彼が80人もの女性と同時並行で付き合い続けられるほど、次から次へと20代の(ときには10代の)若者たちが彼に群がったのではないでしょうか。

今は少子高齢化時代でして、数が少なくカネもないために、若年層の嗜好性が市場の中で軽視されがちなきらいがあります。かわいそうに、彼らの存在感は小さく、目立ちません。

しかし彼らの中で、コミュニケーションについて悩んでいる人々は、中高年の人々が考えているよりももっと、もっと多いのではないでしょうか。その悩みを救い取れる専門家は、案外少ないのではないでしょうか。

岡田斗司夫は期せずして、そこにつけこむことができた、ということなのでしょう。


2015年1月24日土曜日

裁判所の前でスピーカーで訴えている人に話しかけてみた

知人が雇用問題でもめています。彼になにか助けになれないかと思いまして、代休のとれた平日に、東京地方裁判所に傍聴に行ってきました。

私が傍聴したのは、527号法廷で行われている裁判。「未払賃金支払請求事件」の証人尋問です。医療法人社団T会とU氏との間で争われている事件のようでした。知人の助けになるような知識は得られませんでしたが、面白く、裁判に抵抗感がなくなりました。これから裁判を考えている方、度胸をつけるためにも傍聴はお勧めですよ。

さて、傍聴を終えて東京地方裁判所の門を出ると、スピーカーで司法制度の不当性を訴えている方がいらっしゃいます。それに興味を持ちました。

手渡しされたビラを見ますと、
「集団ストーカー犯罪にご注意を!」
と題され、個人を組織ぐるみで追い込む手口などが書かれています。

たしかにこういうの、実際にあるんですよね。

★ オリンパス敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口
★ オリンパス事件は氷山の一角 現役産業医が語る「リアルでブラックなクビ切り術」
悪質な企業では、会社にとって都合のよくない社員に対して『精神的なケアをする』との名目で、会社お抱えの産業医に診断をさせるんです。この産業医が会社とグルで、その社員を『君は精神分裂症だ』『重度のウツなので治療が必要』などと診断し、精神病院へ措置入院させたり、合法的に解雇してしまい、事実が隠蔽されてしまう。
ひどい話です。

もしもビラを配っているこの人が、このような不当な目に遭っていたというのならば話を聞いてみたいと思いました。

でも、統合失調症を患っている方である可能性もあります。集団ストーカーに襲われている、と思い込んでいる統合失調症の患者さんは案外多く、ネット上に多数の動画がアップされていますが、残念ながらほとんどは、彼らの妄想です。

★ 【集団ストーカー】駅前、車内のつきまとい

(この人が精神障害者だったら、話を聞いても無駄だな……)
と思いながら彼の風体を眺めていました。特に服装にだらしなさはなく、挙動不審な様子もありません。

そこで、思い切って話しかけてみました。少し話せますか? と断ったうえで、単刀直入に、
「失礼ですが、精神病院への通院歴はございますか?」
とね。

もう、面倒臭かったんですよ。たしかに大変失礼な物言いです。話は聞きたいけれども時間の無駄は嫌だ、というワガママな思いが、こんな直截な言い方になってしまいました。

それに、いきなりこんなことを聞いたら怒られたり殴られるたりするかもしれないけれども、裁判所の前だからすぐに警察が飛んできてくれる、命の危険もないだろう、という姑息な計算もありました。

ところが、私の大変失礼な質問に対して、ビラ主は怒らず、淡々と、
「いいえ。通院歴はありませんよ。頭がおかしいと思われること、多いんですけどね。集団ストーカーは事実です」
と答えてくれます。

ああ、これはまともな人だな、と最初は思いました。

そこで、興味がずずっと湧きまして、これまでどんな嫌がらせを受けたのか、うかがってみたのです。

彼が集団ストーカーされたのは、S価学会。その職場にはS価学会の会員が多く、ビラ主が勧誘されたのに入会しないのに腹を立てられて、集団で嫌がらせを始められた、というのです。その一環として、盗聴されたのだ、と。

彼らは盗聴をする、と。そして、それを司法に訴えても、司法がまともに取り合ってくれないと。S価学会は司法と裏で取引をしているせいである、と。だから、ここで訴えているのだ……と。なるほど、なるほど。

彼らが通話記録などを盗み出してたことなどは、裁判でも判決として出ているので事実でしょう。

★ 創価学会幹部(当時)らに賠償命令 東京地裁 ドコモの責任も認定

しかし、この眼前の男性の証言が本当だとは限りません。そこで、突っ込んで尋ねてみました。

「あなたは、盗聴器を発見したのですね? それはいつごろでしょうか?」
私の質問に、彼は答えました。
「いえ、残念ながら盗聴器は見たことがありません」

……えっ?

「盗聴器がみつからないのに、なぜ自分が盗聴されていると確信されたのですか?」
「私しか知らないはずの家庭内の会話を、彼らが知っていたからです」

……私の頭の中のアラームが鳴り始めました。

「それだけですか?」

私の疑問に、いや違います。盗聴しているところを見たことがあります、とビラ主は言います。なんだよ、早く言ってくれよ、と思いながらどんな方法か尋ねると、彼は明快に答えてくれました。

「自衛隊の飛行機が、空から盗聴するのです」
「……空から?」
「私が家のドアを開けると、空の上を自衛隊の飛行機が飛んでいたことがありました。彼らは空から指向性のマイクを向けて、私の会話を盗聴していたのです!」
「……ほう」
「それだけじゃなく、私が床をドンと叩くと、それが隣の人間に聞こえているのです。彼は盗聴していたに違いありません!」




……私は、そっとその場を離れました。




2015年1月20日火曜日

岡田斗司夫が大阪芸大の生徒を餌食にしたとしたら、許されるのか?

岡田斗司夫という社会評論家がいる。

快挙!我らがオタキンング岡田斗司夫氏が報ステのゲストコメンテーターで登場 より
「エヴァンゲリオン」で有名なガイナックスの創業者の一人であり、アニメやマンガと社会との関係性などを、柔軟に解き明かす語り口に人気がある。現在は大阪芸術大学の客員教授を勤めている。

「評価経済社会」なる用語や欲求特性を定量的に4つに分類(王様型、軍人型、職人型、学者型)する手法などでも名高く、独自の社会評論にもファンが多い。それに漫談のような語り口も面白い。

ところが昔から女性関係にだらしなくて、東京に移住してガイナックスを設立したのも、不倫関係が発覚して大阪にいづらくなったためだそうだし(……とWikipediaに書かれています)、妻と離婚したのも新時代の人間関係を模索した結果だそうだが、まあ、いろいろあったのだろう。

で、現在56歳のこの人物と20代女性とのプリクラキス写真が流出して大きな話題となっている。

この話題をまつたけのブログ岡田斗司夫が愛人のニセ写真発言を撤回した件」で知ったのだけれども、まあ、独身だしそれくらいいいやんけ、外聞も悪いから「写真は嘘だ」と慌てるくらい可愛いもんだと思いながら構えていたら、なんとこの男、80股もしていたことを自分から告白しやがった。

★ 岡田斗司夫、流出キス写真は本物 過去の驚愕「80股!」も告白 
「言いにくい話なんですけども、実は現在、Aさん(編注:プリクラの女性)を含めて彼女さんが9人います」と告白し、過去には80人ぐらいの女性と同時に交際していたことも明かした。今後はこういったことをオープンにしていくという。
そして、「家族形態、人間のつながりを考える話だと思っています。就職というのが終わっているように恋愛というのが終わっていて、その代わりに、つながりというのが僕らの間で今後数十年のキーワードになるのではないかと思っています」と持論を展開した。
80股ってどうなんだ? 単に仕事上で知り合った女性をナンパしただけならば、80人とそういう行為をした、というだけになるが、同時並行でつきあっていたとなると、仕事関係だけじゃなかろう。仕事を持っている女性と一緒に過ごす時間を見つけるのは難しいし、自尊心が高くて自立した女性は、少ししか逢えない浮気症の男にそうそうひっかかるまい。どういう仕組だろうと思っていたら、彼が昔Twitterの偽アカウントで告白していたというツイートをまとめた記事が、現れた。

★ https://archive.today/8dHh0
 aijin @aijin81  ·  4h 4 hours ago
△東大(30歳)
☆アテナ映像(30歳)
▼南極2号(31歳)大阪
☆マンガ(23歳)
☆アニメ(21歳)
●雌犬(27歳)大阪◎
☆まゆたん(29歳)
☆司法試験(27歳)
☆くびれ(32歳)
☆Hカップ(23歳)大阪
●カレー(26歳)◎
aijin @aijin81  ·  4h 4 hours ago
☆和美(元妻・48歳)
☆ナオミ(同棲・28歳)
○メイド(21歳)
△芸大一号(20歳)大阪
○芸大2号(20歳)大阪
☆ヒサコ(30歳)
○超ファラオ(24歳)
●由布子(27歳)
☆看護婦(29歳)
○おばさん(49歳)
☆薬屋(37歳)◎
問題は、彼が講師を勤める大阪芸大生の女子生徒たちを愛人としているらしき記述があることだ。
 aijin @aijin81  ·  3h 3 hours ago
里奈は彼氏が大阪に来てるので、深夜1時までに帰して、そのまま一人の夜を満喫。翌朝8時に芸大2号・涼子が朝立ち●●●●をしに来てくれます。午後から東京に帰るか、芸大1号・花衣を呼び出して抱くかは考え中です。
(●●●●は私が伏せ字にした)
そこには芸大生をナンバリングして男女行為に及んでいたことなどが記されている。騒動を受けて、現在このアカウントは削除されている。本物じゃないならば、騒動とは無関係であり、アカウントを削除する必要はないと思うのだが、どうだろう?

上のTwitterでは、キム先生という恋愛カンセラーに離婚相談をした女性を紹介してもらったとも書かれているが、ことの詳細は不明。

★ 岡田斗司夫が大阪芸大の生徒を食いまくってることが判明

上記記事では、岡田斗司夫がネット上に挙げていた写真と、愛人リストの突き合わせ作業などが進んでいる。

私が腹をたてているのは、彼が愛人を何人も作っていたことじゃない。ネット上の噂が本物だとしたらの話ではあるけれども、教師と学生という上下関係を利用して男女関係に持ち込んだり、離婚相談をおこなう精神的に落ち込んだ女性を口説いたりする卑怯な手口だ。

大学生はたしかに、大人の部類に入るだろう。だが、まだ社会経験のない弱者だ。講師ならば、多数の女性生徒と日常的に触れ合うことが出来る。何百人という女生徒がいれば、自分に興味を持つ女性を物色することは可能だろうし、上下関係があるから精神的に優位に口説くことも出来るだろう。

責任をとって結婚するならば、まだいいのだ。恋愛関係に陥るのも、大丈夫だろう。だが、責任を取らずに情欲のおもむくままにこうした行為を行なって、それが新しい人間関係だと吹聴する人間を、私は軽蔑する。

それに、大学に生徒を預けている親御さんの身にもなってほしい。学内で守られていると思うから預けているのだろう。生徒間の恋愛ならば、その後の発展性もあるから許せるだろう。だが、責任を取らずに社会人としての悪知恵を働かせる講師に口説かれることまでも許してはいないだろう。

私はこの記事で、事実無根かもしれない怪情報を流す意図はまったくない。

しかし、彼が何十人という女性と同時期に男女関係を告白したことは事実であり、日頃から結婚に縛られない人間関係を吹聴していたことも事実だ。何十人もの女性と同時につきあう行為は、何らかの地位を利用しなければ困難であり、その頃に彼が、大阪芸大の講師であり、生徒とつきあっていた事実が実際に確認できたならば、彼が己の立場を利用してほかの多数の女性を利用して、その上、責任を取っていない可能性が高くなるだろう。

彼にはぜひ、釈明を求めたい。大学もぜひ、彼に釈明を求めるべきだろう。

そもそも新しい人間関係もへったくれもあるか。

動物である人間は技術のように大きく変化はしない。美しいものを見れば感動するし、好きな人といれば楽しい。愛する人がいれば独占したいと思うし、別れれば寂しいと思う。愛しい人を殺したいと思うような精神に異常をきたした人間は、突然変異のようにどうしても現れるけれども、それはあくまで例外だ。

大多数の人間の感情が変わらない以上、時代が変わっても変わらないものがある。カネと社会的地位、そして高い知能を利用して、精神的知識的に劣った、弱い立場の人間を利用しつくして、責任を取らずに捨てる行為を行なう人間はいつの時代もいた。そういう人間は必ず、
「新しい時代がやって来た。これからは新しい人間関係が僕達の間には必要だ」
と説く。これは詐欺師のテクニックだ。

そういう無責任な行為が、いつまでも許されると思うなよ。



※1/21追記
昨日岡田斗司夫のホームページで、上記のhttps://archive.today/8dHh0の愛人リストを載せたTwitterのアカウントを、自分のものだと岡田御大が告白している。

★ お詫び 岡田斗司夫なう
今回インターネットに流出している、私と関係をもったとされる女性のリストですが、ほとんどは私が、仕事で会っただけの女性に対する妄想を書いたものです。
ほとんどは実在の人物を元にした創作であり、そのような事実もないのに、名前を出されてしまった方々に心からお詫びします。
これは予想外だった。妄想だと釈明するのはしょうがないとしても(相手の女性の立場もあるから)、@aijin81のアカウントは他人のなりすましだと言いはると思っていた。それを自分のものだとこんな短期間に認めることなど、完全に予想の範囲外。

おお、そこまで自分をさらけだすか、と少々私の怒りはトーンダウンしている。

2015年1月18日日曜日

米田哲也など野球のレジェンドはなぜ老害となるのか?

野球界の伝説の名投手たちがあつまって、座談会が開かれましたが、そのタイトルがなかなか刺激的です。

★ 球界勝利数トップ3「投げすぎで投手の肩は壊れぬ」で意見一致

いずれも投手として一流で、しかも1日300球を平気で投げ、身体を壊すことなく引退したものですから、最近の投手に無理をさせない風潮が、歯がゆくて仕方がないようです。
──故障しなかったのは投げ込んだから?

小山:そう。投げすぎで壊れるわけがない。実際日本で一番投げている我々は壊れてない。そしてそれ以前に大事なのは、カネさんじゃないけど、投げ込める体を作るために走ったから。プロに入ってからはとにかく「走れ走れ」「投げろ投げろ」でしたね。これは財産になったと思う。
不思議な話です。彼らの同時代にも、杉浦忠や稲尾和久、権藤博といった、肩を酷使しして引退していった名投手たちが数多くいました。彼らのことを、金田正一、米田哲也、小山正明のお三方は覚えていないのでしょうか?

ちなみに、上記の座談会で小山氏が、
だから僕は「なんで投げ込ませてコントロールを身に付けさせないんだ」というと、あるバカな指導者は「肩は消耗品ですから」という。野球に9つあるポジションで唯一球を投げることが仕事の投手が、球を投げたらアカンてどうするのと。
と語っているのは、権藤氏が監督として横浜ベイスターズを率いていたときのことでしょう。「肩は消耗品」は権藤氏の持論。小山氏は横浜ベイスターズの元となった大洋ホエールズの出身ですから、OBとして意見を述べた可能性が高いです。

しかし、権藤氏、科学的な理論を取り入れた指導により、投手からの信頼が厚く、監督就任一年目でベイスターズを優勝させていますから、権藤氏から否定されても、小山氏は言い返せなかったはずです。

金田正一、米田哲也、小山正明の三人の肩が壊れなかったのは、たまたまでしょう。

たとえばボクサーでも、パンチドランカーになる人とならない人がいます。パンチドランカーとは、頭を殴られすぎたボクサーに出る症状で、ろれつが回らなくなったり記憶に障害が出たりするというもの。
これも、ならない人はなりません。しかし、頭部打撲の危険性は分かりやすいので、
「殴られすぎで壊れるわけがない。実際日本で一番殴られている我々は壊れてない」
と主張するボクサーはいませんし、いても馬鹿にされるだけでしょう。

150キロもの速度でボールを何度も投げれば、肩や肘に負担をかけないはずがないのです。それを「ない」と言い切る小山氏の神経を疑います。

「老害」という言葉があります。私はこの言葉が嫌いです。なぜ年を取っただけで害だと言われねばならないのか。「女害」「若害」という言葉がないのに、なぜ老人だけが狙い撃ちにされねばならないのか。不条理なものを感じるからです。

しかし、たしかに小山氏らのような存在は老害です。彼らは幾人もの落伍者を見てきたはずです。一生懸命走りこんでも肩を壊した人々のことも、何十年も野球界にいたのですから知っているはずです。ところが、彼らの頭からは、落伍者の記憶はすっぽり抜け落ち、主観的な印象しか残っていません。

記憶の怖いところです。記憶は感動して「こころ」で覚えたものはいつまでも残りますが、データとして「あたま」で覚えたものを忘れていきます。彼らは自分の成功体験を感動とともに記憶したものの、落伍者の失敗体験は冷笑して眺めていたのに違いありません。

落伍者に余計な憐憫の念を抱かないというのは、成功者に必要な素質の一つかもしれません。しかし、年をとるとそれがこのような形で現れ、客観的な判断ができなくなり、結果老害となってしまうのでしょう。それが老いるということなのでしょう。

そうはなりたくないものです。年をとってもいつまでも若々しくいたい。そのためには、客観的なデータをもとにものを考える人間でいたいものです。


2015年1月16日金曜日

西野カナは欲求不満かも

平安時代に詠まれた和歌では、「あう」という言葉がよく出てきます。
あふことの たえてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし ……中納言朝忠
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あうこともがな ……和泉式部 
これを小学校や中学校の国語の時間では、
「会って話せない寂しい気持ちを詠んでいます」
としか習っていないはずですが、実は平安時代の「あう」(=逢う)とは、男女間の性行為を指す隠語だったって、知っていましたか?

夜に会ってすることは決まっていた

もちろん、古語にも性行為をあらわす言葉があります。「まぐわう」というものがそれです。しかし、これはとても直接的な言葉。上品な歌を詠むという行為に際して、こんな下品な言葉を使うわけにはいきません。

そこで「逢う」という言葉が隠語として選ばれました。
「逢いたい」
という言葉を聞けば、夜の営みを想像するのが、あの時代の大人の常識となっていたわけです。そう知って和歌を眺めると、いろいろな妄想が湧き出してきそうですね。

日本の歌は昔から会いたがっている

そこで思い出したのが、以下の有名なあのコピペ。
会いたいく会いたくて震えるのが西野カナ
会えないから会いたいのが沢田知可子
会いたいくて会えないから私だけを見てほしいのが加藤ミリヤ
会いたくて会えなくて長すぎる夜に光を探してるのがGLAY
会いたいから会えない夜にはあなたを思うほど Uh UhするのもGLAY
会いたくて会えなくて揺れまどうけれど目覚めた翼は消せないのがラルク
会いたくて会えなくて唇噛み締めるのがEXILE
会いたくて会いたくて涙が止まらない夜なのが岡本真夜
会いたくて会いたくて素直な自分でいつもいられないのがLINDBERG
会いたくて会いたくて眠れぬ夜にあなたのぬくもりを思い出すのが松田聖子
会いたくて会いたくて言葉にできないのが小田和正
別に会う必要なんてないのが宇多田
日本の歌はとにかく、会いたい会いたい、と歌う歌が多すぎる、ということを揶揄するコピペです。

ただ、宇多田はその点サバサバしていて、「会う必要なんてないよ」とバッサリと甘い気持ちを断ち切ってしまうところがさすが、ですね。うまいオチになっています。

さて……もちろん、字面だけ眺めればただ、「会いたい」と言っているだけ。でも、恋する男女が夜に会ってすることなんて古今東西同じ。政治について語り合いたくて「会いたい」わけではないはずです!! そうしますと、彼ら歌い手の情念が、見えて来る気がしませんでしょうか。

それに、彼らも歌詠み。日本語を洗練させるために、陰で努力をしていらっしゃる方が多くて、意外に和歌について一生懸命勉強している方がシンガーソングライターには多いんですよ。

彼らのほとんどが、歌に込められた「会う」の隠された意味を知って、使っているとしたら?

……彼らへの見方が、変わりそうですね。

西野カナの会いたい率は異常

その中でもダントツに会いたがっているのが、西野カナ。
『君に会いたくなるから』   ♪会いたかった~君に会いたくなるから~いつか会おう
『遠くても』           ♪会いたくて会えなくて~会いたいの私だけなの?
『会いたくて 会いたくて』  ♪会いたくて 会いたくて 震える~
『love & smile』        ♪君の笑顔に会いたいから~会えない日も見守って
『もっと…』          ♪今すぐ会いたい~今日も会えないの?いつ会えるの?
『celtic』            ♪週末会いに行くね~会えない時会いたいよ~
『September 1st』      ♪またバイトなの?いつ会えるの?
『ONE WAY LOVE』     ♪やっと会える
『Yami Yami Day』      ♪『ゴメン今日やっぱ会えない』
『Dear…』           ♪すぐに会いたくて~会えない時間にも愛しすぎて
『LOVE IS BLIND』     ♪考えてたらもう会いたいよ やっと会えたのはいいけど
早く会いに行けよ、と彼女の歌詞にはよく突っ込みが入ります。

失礼ですが、彼女に和歌の教養があるようには見えませんが……もしかしたら無意識のうちに日本の伝統にのっとっているのかも?

そして、「会いたい」が男女の営みのことだと彼女は直感で理解しながら歌詞に多用しているとしたら?

会いたいのにいつまでも会えない西野カナさんは、そうとうの欲求不満……なのかも知れません!?




2015年1月14日水曜日

高倉健の愛読書『男としての人生』の最初の部分の概要と感想 3

一昨日に引き続き、木村久邇典著『男としての人生』の内容の紹介と感想です。このネタは今日でおしまいです。

「第3章 男の賭け」の概要

この章で取り上げられた「男」は、『赤ひげ診療譚』の語り手である保本登(やすもとのぼる)と、彼の目を通して語られる赤ひげ・新出 去定(にいで きょじょう)です。例によって章の10ページのうち『赤ひげ診療譚』のあらすじで4ページが費やされています。

『赤ひげ診療譚』 は有名な作品ですので、ご存じの方も多いでしょう。江戸時代、エリート医師の卵が、貧民街で地道に活動する医師のもとで修行を積むうちに、真実の医師道に目覚める物語です。

山本周五郎は反権力志向が強い作家で、宮本武蔵などの歴史上の英雄・豪傑を否定すべきもの・唾棄すべきものとして描きました。そんな山本が、英雄・豪傑を裏返して描いた巷のスーパーマンが新出去定です。『男としての人生』の著者木村は、赤ひげをいつの世にも実在する隣人だと述べています。
『赤ひげ診療譚』の主題――貧困と病苦とに立ち向かうという事業は、人間にとってしょせんは"徒労"に属することなのかもしれない。しかも去定は、その徒労に己を賭けて生きる。徒労の積み重ねの中から希望の萌芽を捜し出そうとする。

また木村は、山本周五郎は、徒労に賭けた男の生き様を称揚し、不条理と闘う市井の人々を賛美していると説きます。

なぜ山本が、徒労だと分かっていてもそれに専念する人々を賛美するのか? それは、世の中では成功する人よりも無駄な人生を歩む人々が圧倒的に多く、それでも真面目に誇りをもって仕事をする大多数の無名の人々によって、この社会は支えられている、という諦観が山本にあったからのようです。



「第4章 男の宥(ゆる)し」の概要


この章では、『藪の陰』と、『ちくしょう谷』という作品の2編が取り上げられます。14ページの章のうち、作品のあらすじに10ページが費やされていました。

まずは『藪の陰』から。

婚礼の日に、藩の財産管理を任されていた安倍休之助は腹部に大怪我を負わされますが、誰に襲われたのか、なぜ襲われたのか、決して語ろうとしません。

どうやらその背景に、藩の公金横領があったらしい、という噂が流れます。

安倍の妻になったばかりの由紀は、実家から離縁を勧められますが、由紀は、
「一度嫁いだ身だから実家には戻りません」
と言いはり、結婚生活を続けることを選択しました。

由紀は勝ち気な性格であり、実家に頼らず、また嫁ぎ先に心配をかけないために、琴の師匠として出稽古に赴いて家計を支えながら、姑にもそのことを内緒にします。そのために姑から疎まれたりします。

報われない苦労を思い、由紀は悲しくて涙をながすのですが、偶然、婚礼の日の夫の重症の真相を知りました。夫と犯人の瀬沼が、夫の部屋で密談をしているのを偶然聞いてしまったからです。

米の投機に手を出して公金を横領した瀬沼が、安倍に罪がバレたことを知り、安倍に闇討ちを仕掛けたのです。安倍はすべてを知りながら、 黙って損失の埋め合わせを行い、ひたすら瀬沼が立ち直ることを願いました。やがて瀬沼は改悛し、懺悔のために安倍のもとを訪れたのでした。安倍は瀬沼のために酒をふるまいたいと、妻に声をかけるのです。

由紀は酒を買いに出かけながら、「人はこんなにも深い心で生きられるものだろうか」と思い、かつて人生を悔やんだ自分を恥ずかしく思う……こういう話です。

次に『ちくしょう谷』。人間が人間をどこまで許せるのかを描いた作品です。

朝田織部は、公金横領が露見することを恐れた西沢半四郎と決闘して殺されました。

織部の弟である朝田隼人は、数日前に兄から、西沢を破滅させずに済む方法を相談する手紙をもらっていました。兄が西沢の罪を許していたように西沢を許そうと考えた隼人は、同時に貧しい人々の教化に尽くすことを決意して「畜生谷」と呼ばれる流人村へと赴任します。

昔、藩の犯罪人である「流人(るにん)」を閉じ込めていた陸の孤島である畜生谷は、今は犯罪者の留置所ではなくなったものの、その子孫が暮らす治安の悪い場所でした。血縁の濃い婚姻を繰り返したせいで障害者が多く、藩に反抗的。

隼人はその中で、人々の教化にいそしみます。ところが同じくこの地方の役人となっていた西沢から命をつけ狙われます。それどころか西沢は、障害者の娘を犯して殺すなどといった狼藉を働きます。

そんな折、村の桟道が崩れたために修理に向かった隼人は、西沢から何度目かの襲撃を受けました。ところが西沢は、はずみで逆に命を落としそうになり、隼人に救われました。ようやく罪を悔やんだ西沢は、隼人に忠誠を誓う、という物語です。

山本周五郎の持論によれば、人間が人間をいったんゆるしたならば、際限なくゆるすべきであり、適度なところで一線を画すという許し方は偽善にすぎない、というものでした。それを具体化したのが『ちくしょう谷』で、原稿用紙百数十枚の中編であるにも関わらず、脱稿までに4ヶ月を要したそうです。

私の感想

『男としての人生』全体を通しての感想です。

私、高倉健をカッコイイと思っていたものですから、彼の愛読書があるときいて勇んで探し求め、ようやくこの本を読んだわけですが、感動するどころか、逆に高倉健に対する評価が下がることとなりました。ああ、これが彼の目指していた境地なのか、と。

もともと、山本周五郎の作品に一時期はまっていたのに、私はあるときを境に、彼の作品から離れました。山本の主張に共感できなくなったからです。

山本の描く人々の姿は確かに美しく思えます。見事だと思えます。しかし、なにか受動的な身勝手さを感じるのです。

たとえば、『ちくしょう谷』では、兄を殺した男を徹底的に許す朝田隼人の姿を描いていますが、結果的に朝田が西沢の罪を見逃したせいで、障害者の娘は惨殺されています。他人を間接的に殺したのと同然です。

西沢は朝田を殺そうとして偶然足をすべらせて危険に陥り、それを朝田に救われて改心しましたが、こんな偶然がなければ決して西沢は悔い改めずに罪を重ねたことでしょう。

『藪の陰』では、偶然夫と瀬沼の会話を聞かなければ、夫の善行を妻は知ることはありませんでした。

善行を誰にも告げずに黙って行ない、ときにそのまま死ぬことすらある人々の良さを、誰かに発見される、というのが山本周五郎の描く人物たちのパターンです。また、悪人の罪を暴き立てるのではなく、自分が悪者となって彼の罪をかばいながら改悛を待つ行為を山本は賞賛します。しかし、それって運任せですよね。

主体的な悪に対して、受動的な善。時間をかけて、善が悪を包み込む。それは一見美しくはありますが、植物的で弱々しい。それに、システムを変えるのではなく、システムの悪いところを温存したまま、自分が頑張ればいつか悪人も立ち直るだろうし、そんな自分を誰かが分かってくれるだろう、という態度は無責任で、必ず結果を出そう、という意思も感じられません。社会を良くしようと動くのではなく、自分が我慢すればいいとあきらめる人々を賞賛しているのでしょうか。

こういう主張が嫌いで、私、山本周五郎の本を読まなくなったんですよね。それを今、思い出しました。

価値観の問題なので、美しい男の生き方をお前は理解していない、と私をお叱りになる方もいらっしゃることでしょう。

また、山本周五郎の良さがお前にはわからないだけだ、とおっしゃる方もいるでしょう。そうかもしれません(いずれ私も考えが変わるかもしれません)。 でも、今はそのときじゃありません。
戦後になってからだが、山本周五郎が『樅の木は残った』で、原田甲斐を"忠臣"として描いたことについて、封建社会で、藩家のために一身を犠牲にする忠義が賛美されている、と論難した"進歩的"批評者がいた。
山本周五郎は直接かれに、それではあなたは、日本に封建社会があったこと、封建社会に生きていた人々の思考態度や、生活態度を、すべて時代おくれのものとして笑殺されるのか――と反論したのを覚えている。
日本に封建時代という時期があったのは、なんびとも否定できぬ歴史的事実なのである。そうした事実を踏まえたうえで、当時の武士や農民や商人が、どのように 人間として誠実に生きようとしたかを、山本周五郎は小説世界のなかで追求しつづけた。(第9章 男の宮仕え『男としての人生』より)
たしかに、封建社会は日本の歴史の一部です。それを否定するつもりはありません。しかし、現代社会に生きる我々は、前時代で評価されてきた生き方をそのまま称揚するよりも、その時代であっても現代に通じる価値観で生きてきた人々を称揚するべきです。それは人類に普遍的な価値観を手にしたと信じる私達の務めのように思います。

そうしますと、悪役となって不満分子を粛清することで、伊達藩存続を勝ち得た原田を賞賛する気持ちに、どうしてもなれないんですよね。

2015年1月12日月曜日

高倉健の愛読書『男としての人生』の最初の部分の概要と感想 2

一昨日に引き続き、高倉健の愛読書『男としての人生』の概要について、書きます……が、15章まであるので、すべてについて説明するのは長すぎるでしょう。

よって、この本について紹介するのは第4章までとします。本日は2章まで。次回、第3章と第4章について紹介をする予定です。



第2章 男の見切り

章のタイトルに「見切り」とつけられているものの、この章で取り上げられた山本周五郎の作品『虚空遍歴』の主人公は、見切ることの出来なかった人間です。
けれどもおれは、自分の浄瑠璃にみきりをつけたことだけは、一度もなかった。誰に悪口を言われ、けなしつけられ、笑われても、自分の浄瑠璃に絶望したことは決してなかった。
という『虚空遍歴』の中の一文が冒頭で紹介されていまず。主人公である中藤冲也は理想の浄瑠璃の創作のために武士の身分を捨て、芸人として身を立てようとして、夢を果たせずに死んだ人物です。

『男としての人生』の著者の木村は、18ページの章のうち作品説明に8ページを費やしています。作品を読んだことのない者にとってはありがたい構成です。

端唄で江戸を魅了した中藤は、浄瑠璃第一曲を中村座で演じてもらい、大成功をおさめます。ところが後になって、その成功が妻の実家である料亭「岡本」のお陰だったためだと知ります。

中藤は本当の実力を試してくて、妻から離れ、上方へと上ります。ところがことごとく失敗、そして失意の底で死んでしまう、というのが『虚空遍歴』のあらすじです。

「ぼくは、新しい小説に取りかかるとき、いつも遺書をかくつもりで机に向かう」という山本周五郎の口癖を紹介した上で、著者の木村は『虚空遍歴』こそが山本の遺書にもっとも近いと断言します。

昭和36年(1961)から38年に書かれた『虚空遍歴』のあとにも、『さぶ』などの有名な長編小説をいくつも山本は発表しています。しかし木村によれば、それらは完熟度は高いけれども、山本周五郎の味である、ねちっこい(いい意味での)脂っこさが抜けているそうです。

『虚空遍歴』が山本周五郎の遺作にふさわしい理由として木村は、山本の持ち味が生かされていること以外に、彼の人生と作品の主人公の姿が重なっていることも挙げています。偶然でしょうが、山本の逝去の様子は、中藤と同じ冬の雪の降る朝であり、その前後の様子は『虚空遍歴』の主人公である中藤の逝去の姿そのままだったそうです。

『虚空遍歴』の主人公の死因は、持病(肺疾患)の悪化です。作曲に行き詰まり吐血しながら、
「真っ暗だ。どっちを向いても真っ暗だ。なに一つ見えない、どこかで道に迷ったんだな」
と呟いて死んでいきます。

愛人・おけいに看取られながら亡くなった後、江戸から三日後にやってきた妻は枕頭で、おけいの唄う中藤最後の端唄を聞きながら、
「いい唄だわ――でもこうなってみると、しょせんうちの人は端唄作者だったのね」
と言い、それに対しておけいは、妻からも理解されない中藤をいたみ、自分だけが中藤の理解者だったと悟って、この作品は終わるのです。

『虚空遍歴』のモデルは、アメリカの作曲家・フォスターの生涯だそうです。山本は『青べか物語』で「わたくしのフォスター伝」と名づけた章を設けてフォスターを描くつもりだったそうです。その計画を変更して、本格的な長編小説として再構成したのが、この『虚空遍歴』でした。

中藤が新婚後に妻を残して上方に向かったのは、フォスターが妻子と別れてニューヨークへ向かったことを下敷きにしています。いずれにしても、自分勝手な個人主義ではありますが、、
だが、自分が好ましいと感じたひとつの仕事に生命を賭けてまで忠実であろうとすれば、あくまで仕事が第一であって、妻子などは二の次三の次の小さな問題にしかすぎないのである。
と木村は自論を展開します。仕事も家庭も両立する人生を「二股膏薬的な処世」と木村は断罪するのです(この辺りから私は、『男としての人生』の著者木村の考え方にも、彼が賞賛する山本周五郎の価値観にも同意できなくなってきました)。

山本周五郎の仕事観は、『虚空遍歴』の主人公らと同様の厳しいものだったようです。
山本周五郎自身も、きよ以前夫人(昭和20年死去)と結婚したときから、起居する家と仕事場を別にするという生活様式をとり、昭和23年からは自宅から2キロ余りはなれた旅館で原稿を書き継いだ。晩年には眼と鼻のさきの本宅にさえ帰るのもまれという独居の生活に入った。

山本は短編小説の名手だったけれども、読切り連載などの制約を一切とらない本格長編小説を描きたいという希望を抱き続け、その結晶が『虚空遍歴』だったそうです。端唄で実力を認められながら浄瑠璃作曲で世に認められたいと願った中藤と、似通っているではありませんか。最期まで自分の才能に見切りをつけずに可能性を模索しようとした気魄に感動してやまないと、木村は中藤や山本を賞賛します。

第二章では、もう二つの作品が紹介されます。『栄花物語』と『正雪記』です。このに作品もまた、己の才能を死ぬ間際まで見限らなかった主人公を描いています。

彼らは門地・門閥を持たなかったために、若いころに屈辱を味わいます。
とくに印象的なのは、紀州侯のまえで講義を行う(由比)正雪の面体をにらみすえた家老の安藤帯刀が、正雪をニセモノだと決めつけ、下郎下がれ! と大喝する場面である。

山本には学歴詐称の癖があったらしいので、似たような屈辱を若いころに味わったのでしょう。

いずれにしても、人生の土壇場まで粘り抜いた人々を山本は愛しており、こうした存念をもって彼の作品を読みなおして欲しい、というのが木村の主張です。

雑感

『男としての人生』は高倉健の愛読書でしたが、その主人公である山本周五郎の座右の書となったのは、ストリンドベリーの『青巻』でした。

どこかで「ストリンドベリー」という名前を聞いたことがあるなと思って調べてみたら、私のブログで以前触れたことのある人物でした。興味のある方は、お読みください。

★ 夫婦が仲良く過ごすために ②

ストロンベリーが『青巻』で最後に述べた
苦しみつつなお働け、安住を求めるな、人生は巡礼である
という言葉に山本は最も感銘を受けたそうです。そして小説家として成功をおさめたのちに、ひたすら小説をかくことに打ち込んだ結果、山本周五郎は最晩年にしんみりと、
「ぼくが書きたいことは、ぜんぶ小説のなかに書いた。頭の中がガラン洞になってしまった」
と木村に語ったそうです。山本周五郎は『虚空遍歴』の主人公と異なり、小説家として大成し、長編小説も短編小説に劣らず評価を受けることができました。

しかし、彼もまた、その最後に虚脱感に悩まされていたとしたら、それは彼の生き方が間違っていたように思うのです。『虚空遍歴』の主人公は、仕事のために人生を賭けたものの、成功せずして悔やみながら死にました。ところが、同じく仕事に人生を賭けた山本周五郎は、成功をおさめたにも関わらず、晩年を虚しいまま死んだのです。

つまり、家庭を犠牲にして仕事に人生を賭けたこと自体が間違っていたのではないか、木村が罵倒した「二股膏薬的な処世法」こそが、悔やまない人生となったのではないかと思えてならないのです。

2015年1月10日土曜日

高倉健の愛読書『男としての人生』の最初の部分の概要と感想

昨年11月10日に亡くなった高倉健が生涯愛読した本があります。グラフ社発行、木村久邇典著『男としての人生』です。副題は「山本周五郎のヒーローたち」となっています。

一度絶版となったのちに、若干の手直しをされて『山本周五郎が描いた男たち』というタイトルで平成22年(2010)再発行されたようですが、こちらも今は絶版、両者ともに読むのが大変困難な状況です。

先ほど確認したところ、『男としての人生』はヤフオクにすら出品されていません。『山本周五郎が描いた男たち』はヤフオクで99,700円の高値をつけていました。

グラフ社も緊急出版すればいいと思うのですが、難しいのでしょうか……。

先日たまたま本を読む機会がありました。内容を知りたいという人は多いことでしょう。せっかくですから、最初の方の内容を、簡単にご紹介しようと思います。

まずは筆者の紹介から。木村久邇典氏は大正12年(1923)生まれ。刊行当時別府大学教授。山本周五郎研究の第一人者でしたが、惜しくも平成12年(2000)に亡くなっています。

刊行は昭和58年(1983)。山本周五郎が亡くなって16年後に書かれたものです。

まずは、序章にあたる「はじめに」の概要です。

はじめに

木村氏は、批評家達の通念となっている、「山本周五郎は女性を描くのが得意な作家」という認識に対して、少し違うのではないか、と疑義を呈することから、筆を起こしています。

山本周五郎は女性の間で人気がある作家でした。また、女性造形に抜群の技量も持っていることでも定評がありました。それに異を唱えるつもりはない、しかし、彼は女性を造形することで男を描きだした作家だったことも指摘したい、と言うのが前書きの本旨です。この主張がタイトルにつながっていきます。

山本周五郎が描く男性群像は、「こうありたい」と彼が望む理想像だったのだろう、とも。これが、「はじめに」の概略です。

つづいて、「第1章 男の忍耐」の概要に移ります。


第1章 男の忍耐

その前に、若干のお断りを先に行います。文中の人物の呼び方についてです。

時代物の登場人物の呼び名は、今と違って苗字か官位で呼ばれるのが普通です。この第一章で出てくる伊達兵部少輔宗勝(ひょうぶしょうゆうむねかつ)を、下の名前・諱(いみな)「宗勝」で呼ぶ人は、彼の存命当時にはいません。友人などの第三者が彼を呼ぶとしたら、「兵部」、あるいは「伊達どの」といったところでしょう。今の日本で苗字ではなく「課長」などの役職で人を呼ぶ会社が多いのは、その名残です。

『男としての人生』でも、人物を官名で呼んだりしていますが、逆に今は分かりにくい。そこでこの記事では基本的に苗字で、同姓の登場人物がその章に多ければ、混同を避けるために諱(いみな)で呼ぶことにします。


さて、第1章です。

まず取り上げられたのは、山本周五郎の最高傑作と言われる『樅ノ木は残った』。伊達騒動を描く作品で、NHKの大河ドラマの原作となったこともありました。

主人公は、国家老の地位にあった原田宗輔(むねすけ)。

舞台は東北の名門、伊達家家中。伊達政宗の末子・伊達宗勝は、徳川幕府の老中・酒井忠清(ただきよ)と組んで、伊達家62万石を分断、30万石を自分のものにしようと画策します。幕府にとってみれば、力のある大藩の力を削げるのですから、他藩の内部紛争は願ったり叶ったりです。

原田は宗勝と酒井が密かに裏で手を握ったことを知り、酒井らが仕掛ける伊達藩中のさまざまな騒動の種を、すべてもみ消していきます。最終的ににっちもさっちもいかなくなり、幕臣としての面目も潰された酒井は、自邸に原田ら伊達藩の4人の重役を呼びつけ、殺してしまい、これまでの口封じを図ろうとしました。

そこに到着した将軍側職の久世に対し、原田は死にかけながら、
「自分が乱心して仲間を殺したことにして欲しい」
と頼みながら死んでいきました。

江戸時代の刑罰は、一方だけが悪くとも「喧嘩両成敗」が基本。自分らを酒井が殺したことがばれれば、もちろん酒井は罰せられるでしょう。しかし、同時に伊達藩も相当のダメージを得ることは必至。伊達家のお家騒動がそもそもの発端で、酒井は巻き込まれた側。場合によってはそれを口実に伊達藩は取り潰されるでしょう。

結果的に原田一人が罪をかぶり、伊達62万石はそのまま存続しました。しかし伊達藩は、原田の所領を没収し、家族一同皆殺し、家名も断絶させました。

ここまで『樅の木は残った』の内容について詳細にこの記事に記せるのは、第1章15ページのうち、『樅の木は残った』の解説に8ページも割かれているからです。

次に、木村氏が書いた、『樅の木は残った』のあらすじ以外の部分について。第一章の冒頭で著者の木村氏は、あらすじを紹介する前に、山本周五郎の次の言葉を紹介しています。
日本人という国民はよろずにつけて辛抱が足りない、粘り強さに欠けている、諦めが早い。熱しやすく冷めやすい。これではいけないね、と山本周五郎が云った。
また、山本はこうも語ったそうです。
三十年戦争、百年戦争をはじめ、第一次、第二次世界大戦のように、血みどろになってトコトンまで闘う。戦ったのちのちも遺恨は決して消えない。ヨーロッパの闘争にはそういうねちっこいところがある。僕は戦争の賛美者ではないが、西欧人のあの執念深さは学ばなければなるまい、と信じている。なぜなら執念がなければ文化は生まれないからだ。
山本周五郎は日本人に対して随分批判的だったようです。終戦後まもない当時の文壇の風潮でもあります。山本は、日本人の軽薄な国民性からはロクな文学が生まれないから、自分が頑張り通す人間を描いてやると意気込んで数々の作品を発表し続けたのだとか。かなりの自信家です。

その彼の自信作が、この『樅の木は残った』でした。

「伊達騒動」は、江戸時代の歴史に関心のある人にとってはよく知られた事件です。ただし史実によれば、主人公の原田の乱心が真実として伝えられています。ですから、藩の存続を願ったために原田が汚名を着たのだ、という山本流の解釈は社会に大きな驚きをもたらしました。

このおかげで山本周五郎の周りには、歴史の常識に敢えて意を唱えた勇気を讃えたり根拠を正したりする人々が増えたようですが、彼はそれに警鐘を鳴らします。講演で、歴史の常識に異説を唱えることが目的ではなく、平凡人が大事件に巻き込まれながら、一個の人間として誠実に生きようとした人間態度を描きたかっただけのだと説明しているそうです。

また、主人公・原田と、ヒロイン・畑宇乃(はたけうの)との間のプラトニックな恋愛が本当のテーマだ、などとも主張しているそうです。

これに対して『男としての人生』の著者・木村は山本の主張を肯定しつつ、山本周五郎の履歴を振り返りながら、原田が山本の理想の一つなのだ、と説きます。原田は挫折したけれども、執念と忍耐で悲劇的な人生を生き切った、このような人物に、山本は憧れていたに違いない、と結論づけるのです。

ここまでが第1章の内容です。

【私の雑感】

山本周五郎は、下克上だとか理想に国作りだとか、大上段な理想の実現に奔走した人々を書くのを好みません。むしろ、大きな理想の実現のために無理難題を持ち込まれた人々が、それに対抗して、お家存続だとか家庭の平穏だとか、小さな理想を守るために努力する姿を好んで描く作家でした。

それが当時人気となったのは、第二次世界大戦に翻弄され、逃れられない大きな宿命の中で、それでも自分なりの信念を守り通そうとした悲哀を多くの人が共有していたからでしょう。

ところが今は違います。国家の意思に人々が翻弄されることは少なくなりました。それよりも大きな影響を与えるのは時代の風潮です。また、平穏な日常の繰り返しに嫌悪感を感じる若い人々も大勢います。

彼らからも山本周五郎は支持されるのでしょうか。『男としての人生』が絶版になった理由が、段々と見えてきたような気持ちに、第1章を読んだ後になりました。




 こんな調子で、あと一章ほどを後日紹介してみようと思います。

2015年1月8日木曜日

アマゾンと植田佳奈 あるいは、魅力あるブラックとどうつきあうか?

昨年末に、元社員が匿名で、Amazonの雇用実態を暴露した記事が話題になりました。

★ 「アマゾンジャパンは血も涙もない会社でした」採用・年俸・評価・PIP…元社員が語る“合理的すぎてブラック”な人事管理

この記事にかぎらず世界中で、Amazonはブラック企業だという声が上がっています。しかしAmazonの業績になんら影響がありません。とにかく便利なので、天下無双状態。

私も本来ならば、同じくらい便利で信頼できる、もっと健全な通販でものを購入したいのです。楽天が思い浮かびますが、ここのレビューは信頼できませんし、その上出店者への締め付け具合ではAmazon以上。さらには野球チームに暴力で有名な監督を採用していることなどを考えますと、Amazonを選ばざるを得ないのです。

しかも、私今月中にAmazonから電子書籍出版しようと目論んでいます。そうなると、ますますAmazonから離れられません。

デモを起こそうにも本社はアメリカ、その上毎月の詳細な売上高を確認することができないので、ネット上の批判が効いているのかどうかも分からない。抗議しようにも、どうしようもありませんな。

最近、とあるブラック企業で働いていた知人とメールをやりとりしていて、これと似た感情を味わいました。ブラック企業の経営者は大変魅力ある人物。ところが部下に無理難題を強いるだけではなく、世間に公表していた姿と実態は、かけ離れたものでした。酷いものです。

それでも、彼に感じる魅力。それと、彼を道義的に許せない気持ちとの間で揺れ動きました。

『Fate/stay night』

似たようなことを、娯楽の世界でも最近、感じています。

私、昔から『Fate/stay night』という作品が大好きです。昨年から放送が始まったリメイク作『Fate/stay night[Unlimited Blade Works]』を楽しみに観ています。

『Fate/stay night』という作品をご存知でしょうか? 古代の英雄の霊を現代に呼び出し使い魔として使役する7人の魔術 師の戦いを描いた作品です。ゲームから人気に火がつき、10年以上、映画になったり漫画になったりしながら今なおファンを増やし続けています。

あまりに人気が高く、昨年10年ぶりにアニメの新バージョンがリリースされました。大人の鑑賞にも耐えられる作品に仕上がり、多くの人に絶賛されています。

(上記はその中でも屈指の名場面を抜粋したものです。最近のアニメ表現をご存じない方は、戦闘シーンがここまで進化していることに驚くはずです)

現在一時中断中、今年四月に再開予定です。ネット上で視聴可能です。

★ Streaming

ところで、本作の準主役「遠坂凛」役の声優に起用された植田佳奈は、性格が悪いことで有名でもあります。

★ 植田佳奈「おっさんを社会的に抹殺」発言に大批判 逆に本人の社会的抹殺が進行中?

電車の床にジュースの紙コップを置いて注意されたことに腹を立て、注意した男を痴漢に仕立てあげてやろうと画策したと告白。当時私も彼女の言動を知り、音声を聴きまして、彼女を嫌いになりました。

作品自体、いい作品です。遠坂凛にも魅力を感じます。しかし内部の声優には嫌悪感しか感じません。このどうしようもない屈折した感情はいかんともしがたく、製作陣には再検討を願いたいところです。

原作者の奈須きのこもアニメ監督も、彼女の言動は知っているでしょうし、それを疎む声も知っているのでしょう。それでも人気のある声優ですし、声にファンが馴染んでいます。変えずに今回も彼女を起用したのでしょう。

どうつきあう?

こうした「魅力あるブラック」にどう我々は向き合うべきか?

人によって、いろいろな対応方法はあるでしょうが、私の方法は、下記のようなものです。
  • まず、事実確認をします(批判が的外れだったり、嘘だったりすることもあるので)。
  •  その上で、関係を断ち切れる相手ならば、関係を持たないようにします。その上で、批判の声を上げて、彼らと戦う弱者を側面から応援します。
  • もしも関係を断つことができないなら(Amazonとか『Fate/stay night』とか)、我慢してそれにつきあいながら、批判の声を節々であげていきます。
人によっては、私の曖昧な態度は我慢できないかも知れません。嫌なものならばスッパリと切ればいいじゃない、とね。

ところが残念なことに、世の中には嫌なものがたくさんあるのです。そのすべてをスッパリと切ろうとすれば、生きていくことはできないでしょう。漱石は『草枕』の冒頭で、
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
と書いています。 どこかで妥協して、彼らとつきあうしかありません。清潔でいるために、汚れたものには触れず、汚れたものに触れなければならないときにはゴム手袋を使ったり、触れた後に手を洗えばいいでしょう。

同時に、おかしいことはおかしいと声を上げ、彼らに虐げられた人々を、何らかの形で援護しなければなりません。それが、少しでも正しく生きようとする人間の矜持というものです。

その結果、相手にスポイルされたとしたら(たとえばAmazonによってアカウントが削除されたりしたら)、それはそれで、しょうがないことです。

2015年1月5日月曜日

目の疲れを軽減するため、年始にパソコン設定を変えよう

年初に私は、家でパソコンを長時間使いました。1日平均、10時間ほどになるでしょうか。これだけ多用すると、目の疲れが出るのはいかんともしがたいものがあります。

一番多く使用しているのがWordです。そこで、「ページレイアウト」などの設定をいじり、黒背景に緑文字という、目にやさしい組み合わせに変えました。
★ ページ背景に色を設定する


まずはディスプレイの設定

しかし、根本的な解決のためにはディスプレイ自体の設定をいじることが必要です。

一番簡単な方法が、輝度を下げるというやり方。ディスプレイを暗くすれば、光が網膜を強く刺激することを避ける効果があります。デスクトップ型パソコンのディスプレイなら、右下辺りにあるボタンを押せば輝度(明るさ)を調節できます。ノート型パソコンをお使いの方は、下記サイトを参考に調節されればいいでしょう。
★ 格段に見やすくなる ディスプレイの設定方法

下記はみつけにくい、WindowsVistaの輝度の下げ方 。
★ 疲れ目の人はモニタの輝度を調整しましょう!

上記二つのサイトには、他に文字を大きくする方法なども紹介されています。それを試すのもいいかもしれません。


画面のほとんどを黒背景に緑文字

その次の方法として、コンピューターの視覚効果を変更して、テーマをハイコントラストにしてしまう、という荒業もあります。つまり、パソコンの画面の一切合財を黒字に緑文字で統一してしまうのです。
★ Windows7の画面デザインを変更して見やすくする

ただ、これはオススメしません。インターネットのサイトによっては、文字や絵が潰れてしまい、一部の画像がまったく見えなくなることがあるからです。

インターネットで調べ物をしていても、ページの中に見えない画像ちょこちょこ存在するので、毎回見落としはないだろうかと疑心暗鬼になります。

どのページも強制的に「目にやさしく」してくれるので最初は重宝していました。結局私にとっては使いづらく、この方法はやめました。 これはよほど目に負担がかかって困っている方向けですね。


ブルーライトのみをカット

ここまではよく知られている方法ですが、今日はもう一つ、別の方法を知りましたのでご紹介します。本日の記事はこれがメインです。それはディスプレイのブルーライトのみを大幅にカットする、という方法です。

網膜に一番悪影響を与えるのが、ディスプレイの中の青い光です。
★ ブルーライトとは

この青の部分をカットしてしまえば、眼球への負担が下がる、と、こういう理屈です。

★ ブルーライトカットを無料で実現!パソコンの設定を少し変えるだけ

上記のサイトを参考にして、青光を削減しました。その結果、私の目の負担がかなり軽減され、楽になりました。画面がややくすんで見えるのが難点ですが、目を大切にするに如くは無し、です。

今年一年、これからもみなさんはパソコンを多用されるはず。今はスマホ利用者が多くなりましたが、職場や学校ではパソコンを多く利用することでしょう。できるだけ自分の身体と長くうまくつきあうためにも、年初のうちにパソコンの設定を変えてみてはいかがでしょうか?

2015年1月1日木曜日

新年あけましておめでとうございます



平成27年を迎えました。

私にとって昨年は、いろいろなことがありましたが、全体的に見ればとても素晴らしい年でした。みなさんにとっても、よい年だったでしょうか。
これから一年、よい年としていきたいですね。

今年も一年、よろしくお願いいたします。


アマカナタ管理人







追記(16:20)
なお、年始は電子書籍執筆に力を注ぎたいので、しばらく更新をお休みする予定です。









イラストは「2015年賀状無料テンプレート素材」よりダウンロード