2015年2月26日木曜日

正しい判断は公開された議論から生まれる

カール・セーガンといえば、啓蒙科学者として著名な人物だ。「コスモス」という宇宙のドキュメンタリー番組を作り、その作品は世界中で放映されたために、今でも世界的な知名度がある。また、『人はなぜエセ科学に騙されるのか』という本でも有名で、一時期大量に売れたためか、ブックオフや古書店を回ると、彼の本がよく出回っている。

彼が1996年に亡くなるまで、終世批判を続けたのが「エセ科学」と言われるものだ。科学的な見かけをしているが、再現性が無かったり根拠が無かったりと、様々な理由で科学としては認められないものは世間に多い。水に優しい言葉をかけ続けたら美しい結晶が水の中に出来る、という『水からの伝言』や「ホメオパシー」などにまつわるものが、その典型だろうか。

既知の科学だけではわからないものがある、ということを少しでも信じている人間(私もその一人)は、この手のエセ科学にだまされやすいところがあるから、注意しなければならない。科学的であろう、まともであろう、という姿勢と、形而上のものへの信頼を両立させるためには、慎重である必要がある。

その点で面白いと思ったのが、下記記事で紹介されていた、カール・セーガンがエセ科学を見抜くための基準である。

★ 天体物理学カール・セーガンに学ぶ、物事を正確に見抜くテクニック


カール・セーガンは、上記記事で、「トンデモ話検出キット」というタイトルでエセ科学を診断するための方法を述べている。要約したのを下記に列挙してみた。
  • 提示された事実が本当かどうかをまず疑う。
  • 裏づけとなる証拠をたくさん取る。
  • 証拠は自分だけではなく、様々な人々と議論をして判断する。
  • 「権威はない。専門家がいるだけ」とわりきる。
  • 仮説は一つだけではなく、ありったけ立てる努力をする。
  • 自分の仮説を片っ端から反証してみる。
  • 自説に固執せず、自説を捨てることを考える
これだけできれば確かに間違った判断をすることはなくなりそうだが、人はめんどくさがり屋だから、それがなかなかできない。

事実を様々な立場の人の間で意見してもらうことは大切だ。「三人寄れば文殊の知恵」という。自分だけではわからないことが他人にはすぐに分かることが世の中には多いからだ。

エセ科学のようなものを信奉する人間は批判を嫌うし、詐欺師のたぐいは批判を巧みにかわそうとする。特に意図的な詐欺師は、公開された討論よりも個々のやりとりを好み、相手が詐欺師への批判者と交流することを、あの手この手で邪魔しようとする。

先日とある人物と交流をしていたとき、似たような経験をした。彼は私に、彼が敵対する人と「関わるな」「彼は嘘つきだ」と言い、「このやりとりを公表するな」と言ってとにかく情報の囲い込みを図る人物だった。ところが、後になって彼自身も裏で汚いことをやっていたのが発覚した。

彼からのメールは受信拒否にして今に至るが、このようなことは皆さんも経験したことがあるのではないだろうか。

正しい判断を行なうのは、それを妨げる人々と戦う必要がある。



2015年2月24日火曜日

『「殉愛」の真実』を読んだ(ネタバレ注意)

※この記事には作品のネタバレがあるため、これから『「殉愛」の真実』を読もうとする方は本日の記事を読まないほうがいいかもしれません。

百田尚樹の書いた『殉愛』は33万部を超えるベストセラーだが、発表当時から様々な批判を集めていた。「最後を見とった奥さんのさくらを美化し過ぎている」「家族や親戚を貶めている」などなど。

読み通していない私だったが、様々な媒体に引用された内容を知って、批判をされて当然だと感じた。百田によると、たかじんの娘は銭ゲバで父への愛情の欠片もなかったという。その証拠として、本では、父から食道がんと知らされた際の「何や食道がんかいな、自業自得やな」というメールが紹介されている。

これを娘の悪辣さの証拠、としている百田の感性を私は疑った。心置きなく悪口を言い合えるような親子関係が関西では珍しくないのは、百田尚樹ならばよく知っているはず。深刻な病気の告白を軽く受け流しただけかもしれない。なぜこれを娘の非道の証拠として紹介しなきゃならなかったのか?

ところがそのあと、作品がデタラメばかりだという悪評が出てくる出てくる。妻さくらを初婚のように本では紹介しているけれども、実はバツ1ではないのか、とか、いや、バツ2だろうとか。あるいはさくらがたかじんのメモを偽造したんじゃないか、とか。

ネット上の噂には嘘も多いがネットにしかない真実も多い。真実かどうかは読んでいればだいたい分かるが、私はさくらが以前書いていたブログ記事などを読むうちに、こりゃ、さくらという人物、真っ黒だな、と思うようになった。彼女はたかじんの遺産を食いものにするためにたかじんに食い込んだんだろうと。

ところが唯一解せないところがあった。彼女の写真を観ても、何年もかけて著名人を籠絡するような人間に思えない。


優しげで華奢な印象を覚える。

まあ、私という人間は面倒くさがりで、これから関わろうと思わない相手の第一印象に関してはいい加減で当たった試しはないのだけれども、私以外のほとんどの人だって、彼女を「真面目で気さくな女性」としか認識しないのではないか。

とかく、彼女の写真から伺える人柄と、伝え聞く行動にギャップがありすぎる。

そこが唯一の疑問点だが、昨日『「殉愛」の真実』を読んで疑問が氷解した。



この本の凄いところは、ネットでささやかれていた数々の噂の裏づけを丁寧におこなっている点だ。家鋪さくらというたかじんの元妻は、たかじんと結婚するまですでに離婚を3回も経験していた。

それだけではなくアダルトビデオ製作会社の社長の愛人までしていた。それが明確なのは、家鋪さくらがAV会社社長を、「別れた後もストーカー被害を受けている」と告訴したから。その際に元夫に証拠集めの協力を依頼していたという確たる証拠があるから、彼女が愛人契約をしていたというのは100%間違いない。

この本でもっとも重要な証言は、元夫のアメリカ人男性の告白だと思う。家鋪さくらは多重人格で、会話の途中で突然男の声に変わり、元夫を罵倒して、しばらくすると再びいつものさくらに戻り、男の声で罵倒していたときの記憶を一切失っている、という重要な告白がなされている。

多重人格者が著名人を籠絡して周囲と連絡を遮断、ベストセラー作家と組んで著名人の財産をすべて奪おうと画策するなんて、こんなの小説の設定だったら出来すぎだろう。

少し読んだらやめようと思っていたのに、下手なホラー小説を読むよりも面白くて、ページをめくる手が止まらなかった。
「次はいったいどうなるんだ?」
「どんな証拠が出てくるのか?」
とね。

それ以外にも、彼女が詐欺師だということがわかるさまざまな証拠が挙げられている。

なかには筆者の勇み足もある。
「彼だったらこんなことは言わない、だからさくらは嘘つきだ」
という論理構成に、無理があると思われるものも若干ある。しかし、弱点を上回る数々の証拠があるので、家鋪さくらと百田尚樹の悪辣振りは最早明らかだ。

新宿紀伊國屋でこの本を探したのだが、なんと2階に平積みで、5冊しか置かれていなかった。

出版社はこぞってベストセラー作家の百田尚樹を守ろうとしているらしく、出版社の意向を組んでか、書店もこの作品をママコ扱いするつもりなのかもしれない。書店側も「百田尚樹」という売れる作家を失うのは惜しかろう。彼らは積極的に売らないのではないだろうか。この本だけ売れても、未だ売れ続けている百田尚樹の本が売れなくなれば書店にとっては大損害だから。

実はこの本の陳列棚の前でたたずんでいたときも、少し離れた場所に置かれていた百田尚樹の本について、カップルが話しているのを偶然聞いていた。男が女に『永遠の0』がなぜ素晴らしいのか力説して、彼女に本を読むように力説していた。

「角を矯めて牛を殺す」という格言があるが、書店もその愚は犯したくなかろう。

だから、この本は、いつの間にやら新刊の中に埋もれて消え去る運命となるやもしれず、買おうと思っても買えない、ということにもなりかねない。興味のある方は早めに買うべきではないかと思う。










2015年2月22日日曜日

知っていることをまくし立てるのが説明ではない

妻の説明を「要領を得ない、わかりにくい」とけなし、自分の説明を得意がる夫の勘違いぶりが面白かったので、この問題について述べてみたい。

★ 医師「どうしました?」 嫁「子供の下痢が酷くて熱もあるんです!食べてもすぐもどしちゃうし」 俺(解りづらい説明乙!)
子供(2)が発熱、嘔吐、下痢の三重苦で病院に行った時の話

医師「どうしました?」
嫁「下痢がひどくて、熱もあるんです!食べてもすぐもどしちゃうし…」
俺(解りづらい説明乙…)
医師「えぇと…」
俺(説明しよう!)

俺「金曜日の夜から調子悪くなって、夜中に嘔吐2回、熱は8度3分。水のような便。
土曜日…、昨日は8度5分で、終日食事はとろうとせず、イチゴなどを食べさせましたが、すぐ嘔吐。併せて水のような便。
本日午前中は、8度3分で、ビスケット数枚とイチゴを食べて嘔吐無し。相変わらず、水のような便。
脱水症状防止のため、赤ちゃん用のスポドリを飲ませるようにしています。
ノロ…ですかね?牡蠣とかは食べさせてませんが…」
医師「わかりました」

その後、医師が今後の対応について話すとき、座っている嫁と、立って子供(0)をあやしている俺と、交互に見ながら説明していてちょっと申し訳なかった…
時系列にそって説明とかできないんですかね。国文学科?かなにか、文系のはずなのに
理系の方が向いているなのかな?経緯とか比較とか…

俺自身は、職業的に『状況の説明』とかの訓練を受けているので、比較はできないのかもしれませんが。
仕事をしていて、この手の男性から話を聞かされることがよくある。そしてイライラとさせられる。

相談を受ける場合に、いろいろなケースを想定しながら慎重に話を進めたい。だから、回答は短く要領よくおこなってほしい。あとはこちらの質問に答えてくれるのが一番ありがたい。

ところが件の夫のように、知っていることをまくし立てられると、その情報を理解して、夾雑物を抜き取り、それから判断しなければいけない。それも短時間に。この手の人間はたいてい短気だから、こちらが素早く判断しないと、今度はこちらをバカ扱いする。

「あんた、俺が今説明しただろ? 話を聞いていないの?」

(あんたのムダな説明をだらだら聞く気はこちらにないよ。しかも必要な情報が入っていないじゃないか)

と言いたい気持ちをぐっとこらえて、にこやかに彼に応対するのはなかなか骨が折れる。

冒頭のやりとりでも、何を食べたのかとか、体温の細かな数字など、不必要な数字がいくつもある。 ノロかどうかの判断も、医師がするものなので、余計な素人判断だ。

「金曜日の夜中に嘔吐と水のような下痢が始まり、38.3度の熱が出ました。翌日の土曜日も症状が収まらず、ビスケットなどを食べさせても嘔吐するので、丸一日何も食べられませんでした。今日午前中は吐き気はなく食欲も戻りましたが、熱と下痢の症状が止まらないためにお医者様に伺いました。今は赤ちゃん用のスポーツドリンクだけ、飲ませています。牡蠣とかは食べさせてませんが…」
ということを、聞かれながら答えれば済むではないか。体温などの数字は、医師から聞かれれば答えればいい。どうせ病院では、再び体温を測るのだから。

自分の知っていることをすべて言えばいいと思っている自称優秀な人間はこの社会に多い。彼らは、自分が馬鹿であることになかなか気づかない。「説明」とは相手の理解に応じて行なうものなのに、相手の理解度を図ろうとしない、そこまで頭が回らないという点で彼らは馬鹿であり、自己を客観視出来ないという点でも馬鹿なのだろう。

かくいう私にも、知っていることをまくしたてる傾向があるから、他山の石とせねばなるまいて。