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2015年2月9日月曜日

動詞の敬語と受動態が似ているのは主語が入れ替わったから?

先日、動詞の敬語と受動態が似ていて紛らわしいな、と思いながら、そもそもなぜ両者は似ていたんだっけ? と考えていたときに、こんな仮説が成り立つのではないのか? と思いつきました。

たとえば、
「客は『……』と言った」
という文章を敬語で表すならば、「言った」を「おっしゃった」に変えて、
「お客様は『……』とおっしゃった」
となるでしょうが、「言った」を受動態に変えて、
「お客様は『……』と言われた」
と表すのも間違いではありません。。

後者が受動態が敬語になることの例です。
さて、なぜなのか、と考えたときに、
「他人を敬うために受動態を使うのではなく、他人を敬うために、主語を「自分」に切り替える習慣が長年経って、いつの間にやら受動態を敬語として使うように変化したのではないかな」と考えたのです。

つまり、
「客は『……』と言った」
を敬語に直すとしたら、
「(私は)(お客様から)『……』と言われた」
と変換する長年の習慣がまずあります。

そして、日本語では「は」や「が」という、主語を表す助詞が省略される傾向にあり、そもそも主語自体が省かれる傾向にありますから、人間の頭では短絡的に、
「敬語には受動態を使う」
とインプットされるようになったのではないかな、と。

英語で表すならば、
"He forgot me."
という文章を敬語で表すために、
"I was forgotten by him."
と表現するようになり、普段主語を略して、
"Was forgotten."
と使われるうちに、"He"が尊敬の相手だった場合には、必ず、
"He forgotten me."
 と使うようになった、というのが私の仮説です。

そう考えたものの、まあ、こんなことは国語の専門家ならば誰だって考えるかもしれないな、と思って、ネットで「敬語 受動態 理由』などといった言葉で検索しましたが、そのものずばりの回答がなかなかみつかりません。

★ どうして受け身の形が尊敬になるのでしょうか
では、
実は英語だけでなく「受動態」が敬語になる例は各国語にあります。
なぜ「受動態」が敬語になるかといういうと「動作の主体」が客体になるからです。
という回答があり、一見、私のアイデアに近いのですが、主体が客体となったのちに、主語が入れ替わり、それが脱落した、という意味ではありません。

それに、前半と後半の文章の論旨が一貫していませんね。だからベストアンサーに選ばれなかったのかも。 その点、
個人的な感覚ですが、「れる、られる」の尊敬用法は、自発用法から派生したという考えもありかな、という気がします。
というベストアンサーは面白いですね。

昔、高校生の頃、金田一晴彦著『日本語』を読んだことがありました。そのなかで、「お茶が入る」という日本語の用法の奥ゆかしさについて金田一氏が力説していたのも、思い出しました。

もしや、『日本語』にすでに書かれていたかもしれない、と思って本を探しましたが、しまいこんでいたのか、本棚から見つかりませんでした。

この説に少しは新しいものがあるのかどうかは分かりませんが、仮説として面白いかもしれません。また、英語では主語を省略できませんが、ドイツ語では日本語のように、主語を省略したり動詞の後においたりできるので、ドイツ語では敬語の自動詞と受動態が同じになる、というケースがあるかもしれない、などと考えましたが、ドイツ語は身についていないので、確かめるすべがありません。

2014年12月30日火曜日

実態が請負契約のブラック企業経営者はなぜ理想を裏切ったのか

今日は本来、従軍慰安婦について書くべきところ、あまりに腹がたったことがあって別の記事を書くことにする。

ある企業の破綻

IT関係の高い能力はあるものの精神的な問題を抱えた社長が会社を創業した。ところが仕事の途中で(精神疾患のためか)すべてのデータを故意に破損させたまま失踪。てんやわんやの大騒ぎとなる、という事件が某所で起こった。

私はこの社長と、一度会ったことがある。シャイで誠実な人物、という印象だったし、実態もそうなのだろう。いろいろな問題を引き起こしているけれども、他人を脅迫して追い込むタイプではない。彼の記事は含蓄があり、面白い。人間的に好きだった。よって、今回の騒動は大変残念で仕方がない。

元社員が彼のことを追求する記事をネット上にいくつも書いている。しかしそれを読んでも、実のところあまり共感ができない。

「もともと彼の精神疾患を承知して入社したこと。データの全消去、という暴挙を許すまじ、と思う気持ちは分かるが、責任は社長がすべて取ることじゃないか。粛々と会社から離れればいいんじゃないか」
と考えたからだ。

憎むべきは社員に脅迫や強要を行って社員を追い詰める会社だ。いい加減な会社、儲からない会社を私はブラック企業とは呼ばないし、一般的にもそうだろう。

いい加減なところは、それを知った上でつきあえばいい。私は以前、辞めようとした会社の経営者から、これまでの勤め先や家族親戚を調べあげて、電話をかけてやると脅しつけられて辞めるに辞められない状況に陥ったことがあったが、そこの会社の元社員たちはそういう状況にない。嫌なら辞めればいいだけの話じゃないか。

実態は請負か委託

ブラック企業の定義についてこれ以上深入りしないけれども、ひっかかったのは、今回の事件の主役のTwitter上のつぶやきだ。
◯◯さんはご本人が言っているとおり正社員としては雇っていなくて、下請法の適用を受けるんですよね(源泉徴収しない報酬を支払っていた)。それで、当該月には成果物がなかった。この場合はどうなんだろう。 / “雇用契約書なんて作る義務…” http://t.co/qNZ2QmERpW

……おお、出た。

元社員はただ、退職すればいいと思うけれども、その問題とは別に、社長自体の問題を考える上で、この発言を看過できなかった。ブラック企業を経験した私のいや~な記憶を、蘇らせてしまった。


ブラック企業は、社員のために福利厚生を充実させることを嫌う。社員のために保険料などを負担しない。そこで「請負(うけおい)」あるいは「委託(いたく)」という雇用形態を採用するところが多い。本来これは、注文者が報酬を支払い、請負人が仕事を完成させる、あるいは受託者が業務を行う、というだけの関係を指す。読者のみなさんも、「うけおい」や「いたく」という言葉には、それだけの意味しか見出さないだろう。

注文者は請負人の保険料などを負担する義務がない代わりに、請負人や受託者は成果さえ出せばいい、という自由なもの。もちろん休日や休暇は自由に取ることが出来る。我々が画家に絵を注文して、画家が期日までに仕上げる。画家が期日までの間に何をしようが注文主の知るところではない。それが本来のあり方だ。

ところが、業務委託という形態を取りながら、9時出社を義務付け仕事が終わるまでは家に帰さず、休日出社までも命令するのが、ブラック企業のやり方。実態は完全な社員扱いで、社員数として我々の数を求人票などで公表していたというのに。

こうした雇用形態は法的には認められない。元社員が訴えれば、実態を元に社員と認定されるために、ほぼ間違いなく勝てるものだという。ところが裁判には時間がかかる。

私はブラック企業を辞めたあと、都内の法テラスの弁護士に相談に行ったところ、
「◯◯さん、悔しい気持ちは分かります。戦えば勝てるでしょう。けれども、これを訴えて勝つまでに時間もお金もかかりますよ。私は弁護士としてうけおわないなぁ。お金にならないですから」
と言われた。

そうだろうな、と思った。実際の話、別のブラック企業を突然解雇された知人が訴えたものの、半年分の基本給約100万円を得るに至ったのを知っている。だが、それまで1年間かかった。

(もっとも、大変だが……訴えていれば良かったと今になって思う。とことん戦った後は、「悔しい」という気持ちが決して湧くことはない。別の件で戦ったことがあり、そのときには、苦労をしたけれども後悔はなかった。戦えば勝てる戦ならば、戦うべきだ、というのが私の結論となっている)

夢から醒めた後が大切

さて、件の社長の件。

彼はホームページなどで、「ホワイト企業を目指す」 「基本在宅勤務で、出社を義務付けない」と誇っていた。実態もそのとおりだったらしい。

でも、私はその記事を読みながら、「請負契約なんじゃないの? だったら在宅勤務だったり休みを自由に取ったりするのは当たり前の話だろう」と内心嗤っていた。まあ、当事者同士が納得しているのならばいいじゃないか、というスタンスだ。

しかし、社長が仕事をすべてほっぽり出して会社が立ちいかなくなった以上、「実は請負だったんだよね」と開き直る態度は許せない。

この社長も以前、同じような環境にいて、悔しい思い、嫌な思いをしていたじゃないか。「請負」とは名ばかりの偽装請負の現場にいて、なぜ自分がこんな目にあっているのだろう、と苦痛を感じていたはずじゃないか。そこで自分の会社は、少なくとも本来の形での「請負」のありかたを目指していたはずじゃないか。

だが、生来の虚栄心のなせるわざだろうか、「社員に給料を払わなければ」と語って、自分の会社があたかも社員を雇用していたかのように偽っていた。

もっとも、それくらいの虚栄心は許せる範囲だ。なにしろ今年は創業一年目。これから、彼らを社員として雇えるようになればいい。

だが、今回自分の一時的な感情ですべての会社のデータを破損させて失踪するという暴挙によって、「社員」をすべて解雇するはめに陥ったのだ。自分の責任だ。申し訳なかった、と謝る場面じゃないのだろうか。一時的に精神疾患となっても、今は判断できる状態なのだろう? その今になって「彼らとの関係は請負だったんだよ」と開き直るのは、倫理観にもとる。法的にはそうであっても、社員と呼んでいたのだから、最後まで社員として扱うべきだったんじゃなかったのか?

彼は社員を大切にする会社を作ると語っていたが、実態は社員ではなく請負人だった。しかし社長は、請負人を社員と呼び、社員に在宅勤務や自由出勤で勤務させているように装って、一見ホワイト企業的な理想郷を作り上げてみせた。

その理想郷が破綻したとしても、多少の言い訳はしょうがない。 ある程度の弁明ならばしょうがない。夢を見たことは罪じゃない。夢に他人を巻き込んだことも、罪じゃない。夢破れることも、罪じゃない。

その上で、
「実は請負という形態であったけれども、会社が立ちいかなくなった以上、社員として世間に紹介していたので、社員として扱いたい、雇用保険や健康保険にも過去にさかのぼって加入させて、その分の負担は私が何年かかってもお支払いします」
と述べればいい。

それとも、こうした責任を回避したいならば、
「実は請負でした。申し訳ございません。私の不徳とするところです」
と語って、サンドバック状態になることを我慢しなきゃならない。

責任を回避したい、でも世間からは悪く思われたくない、なんて良いとこどりは、土台、都合良すぎる話なのである。

なぜ理想を裏切るのか

理想を語る者が、もっとも大切にしていた理想をないがしろにする、という例は歴史に数多く刻まれた悲劇だが、似たようなことは日常にゴロゴロと転がっている。革命家に憧れる左翼的思考の人物にそれが多い。民主党シンパの元社長の場合もそうだったのだろう。愛人を多く抱えていた毛沢東やスターリンが恐怖政治をおこなったのはよく知られているだろう。

私は、熱く理想を語る者が、理想を実現する立場に至った時に豹変するかどうかの試金石として、乱倫かどうかが一つの鍵となると考えている。家族を大切にするのは通常保守的思考の人物で、革新的な人々は通常、「保守」ではない。

浮気や不倫を行う人間は、例外なく嘘つきだ。
なぜなら独占欲の強い女性たちに、常日頃から、
「お前が一番大切だ」
「お前を一番愛している」
と囁かなければならないからだ。日常的に嘘をつくのに、こうして慣れていく。

また、浮気をする、不倫をする、というのは、かつて愛した女性を裏切って切り捨てる、一種の非情が必要だ。愛する女性と結婚するという理想を成し遂げたあとに、とどのつまり、理想を継続できないのだ。

家庭を大切にしたい、という理想と、たくさんの異性と関係を結びたい、という本能の間で、理想を裏切り本能を選択する人物は、理想の現場で簡単に理想を裏切る。

結婚後も浮気をする人間かどうかは、人生の早い段階でわかる。社会で理想を達成した後に理想を維持できるかどうかは、後にならないとわからない。だから、ある人物が理想を実現した後に理想を裏切るかどうかは、彼が結婚後に浮気を何度も繰り返していないかどうかに注目する、というのも一つの判断基準となる。

アングロ・サクソンの国家に独裁者が少なく、どこもある程度うまく機能しているのは、上層部が適度に潔白で、国民が指導者に一夫一婦制を守らせようとしているからだろうと私はにらんでいる。

だから、独裁者とならないためにも、ブラック企業の経営者とならないためにも、人は、もしも大切な人が現れたら、その人を一生愛し続けなければならない。それが無理なら、一度関係を精算して、相応の賠償をした上で、新しい恋を見つけなければならない。

恋することは一時の感情だが、愛し続けることは努力だ。相手のことを考え、それ以外の人との間で恋愛が生じそうになったら早めに対処する、という行動を地道に行う、という強い意志を持たなくてはならない。

件の社長も乱倫ぶりをブログで告白していたのだから、理想を実現できる人間ではなかったのだろう。歴史の法則は、案外強固なものだ。


2014年12月24日水曜日

地位ある男には美女がわらわらと寄ってくる

選挙の前だから記事を書くのを控えていたが、先日、次世代の党から出馬して落選した田母神俊雄・元幕僚長が離婚裁判を起こした、という記事を読んで思ったことを書いてみようと思う。

発端はフライデー記事だった。

★ 田母神候補に不倫と泥沼の離婚裁判報道! 選挙3日前に出る判決の影響は…

私もフライデーを読んだ。フライデーを読んだ人ならお分かりだと思うが、掲載された写真に写った田母神氏と並んだ女性は間違いなく美人。目の部分が黒塗りされているのに美人だとわかるレベルで、永作博美になんとくなく似ていた。

50代の女性の色香に迷った、という報道を知って、あまり期待をしていなかったのだけれども(失礼)、田母神氏がよろめいたのも、なるほどと腑に落ちた。

その後の報道によれば、結局離婚は裁判で認められなかったようだ。妻は終始一貫して離婚を拒んでおり、浮気をした田母神氏だけが離婚を望んでいるのだから、当然だろう。

馬鹿な話だ。極右の類は、彼がどのような人間であっても自分たちに都合がいい言動を取る著名人として、いつまでも彼を支持し続けるだろう。だが、保守的傾向の強い、常識人で彼になんとなく賛同していた人々は、彼を支持することはないだろう。家族を大切にしたい、という感情の延長上に国家を尊重する人々にとって、家庭をないがしろにした彼を許容できないからだ。

歪んだ価値観の狂信者ばかりに囲まれた人間は、やがて精神に変調をきたす。より過激に、より偏屈に。これから田母神氏の言動は、ますます不穏当になっていくのではないだろうか。

さて、本日の記事で私が書きたいのは、田母神氏非難ではない。そうではなく、男性の方々に忠告をしたいのだ。地位がこれから上がる男性は、気をつけるべきであると。あなたには必ず女性が、それも飛びきり美人の女性がこれから寄ってくるから、今のうちから意思を強固に保ったほうがいいですよ、と。

30代半ばを過ぎて独身で、なおかつ結婚願望のある元モデルのような美女たちと話す機会が、これまで何度かあった。彼女たちはたしかに綺麗だ。でも、彼女たちと話しながら、私は幾度となく疎外感を味わうこととなった。
(彼女たちは愛想が良い。私にもにこやかに応対してくれる。そして『誰でもいいから結婚したい』と訴える。でも、その『誰でも』の中には、絶対に私は入っていないのだ)
ということが、話せば話すほど理解できたからだ。

「誰でもいいといっても、限度がある」
と言う言外の言葉で、ハードルの下の人々を無自覚に傷つけていることを彼女たちは分かっていないし、分かっていても平然としている。他人を傷つけることに罪悪感を感じていないのだ。

「彼女たちが不幸になりますように」
と、世の男性たちの多くが祈っているのをご存知だろうか? 祈りが聞き入れられるのか、彼女たちはなかなか幸せにならず、やがて世の中に悪態をつきながら年老いていく。

彼女たちはだいたい、上昇志向が強い。その美貌が故に、これまで理想的な恋愛をそれなりに経験した彼女たちは、イケメンとの恋愛には、もはや憧れを感じない(すでに経験済みだから)。

年をとるに連れて、彼女たちの価値観は変わっていく。若い女性が結婚相手に求める、知性だとか性格の相性だとか話の面白さだとか人格だとか、いろいろな条件が、年をとるに連れて段々と削ぎ落とされていく。

DVを行う相手などは論外だとしても、それ以外の「顔」だとか「魅力」だとかはどうでもよくなっていき、譲れないものとして、「経済的に安定しているかどうか」と「友だちに自慢できるかどうか」の二点が残るのだ。

だから彼女たちは私に興味を示さない。そんな彼女たちは、たとえば最近離婚した社長と知り合う機会があろうものなら、恥も外見もなく彼らにすりより、嬌態を示すのを何度も見た。

わかったことがある。勘違いされがちだが、彼らの財産が目的ではない。そうではなく、彼女たちの目的は、もっと精神的なものだということだ。

たまたま運が悪く、素敵な伴侶に恵まれなかったけれども、美しい自分は本来もっと幸せであってしかるべきだ、という感情が根強いのだ。肥大したプライドを満足させるために、
「社会的に地位の高い男性と共にいることで、他人に自慢をしたい」
という欲望が大きくなる。

たとえ相手が結婚していようとも、社会的に地位が高い男性にはこの手の女性が猛烈なアタックをかけてくることとなる。知り合いに、「彼は私の大切な人」と自慢するために。きょう日、モデルのように美しい独身の高齢女性が本当に多くなった。その中に、この手の女性が多く生まれている。だから、猛禽類のような彼女たちから誘われる機会も激増する。

「自分には関係のないこと」
だと思っている若い人も多いだろう。でも、あなたが若くてこれから身を立てようとしている男性だとしたら、これから社会的地位が上がるにつれて、これまで出会ったことのないような美女から、猛烈なアタックをかけられることが必ず出てくることを覚悟しておいた方がいい。

そのときに、「いつか自分も美女と浮気をしてみたい」というような、浮ついた欲望を持っていたとしたら、彼女たちは間違いなく、そこにつけこんで来る。田母神氏のように年をとって醜態をさらし、妻の信頼を裏切った彼が、妻や娘から心から信頼されることもないだろう。やがて小沢一郎のように、周囲の信頼さえも失っていく。

とある研究によれば、「意思が固い」と言われる人々を調査したところ、彼らはそもそも意思を試されるような場所に赴かないことがわかったそうだ。つまり、タバコを吸わないと決意したら、タバコをすべて捨てる。そして禁煙に成功するまでは、コンビニでタバコを買えないように、小銭自体を持ち歩かないし、ストレスを避ける。結果禁煙に成功して、彼らは「意思の固い人物」という評判を得る。でも、彼らは困難の中で意思を通すことが得意なのではなく、困難を避ける回避能力に優れているのだ。

いま大切な家庭をお持ちの方々で、これから社会の中で活躍しようと望んでいる方々は、転ばぬ先の杖、今のうちから、こうした危険性の存在を知り、彼女たちの誘惑から遠い場所にいるように、身を慎むことをお勧めしたい。

2014年12月8日月曜日

清朝最後の文人「呉昌碩(ごしょうせき)」はなぜ四絶と言われたか

呉昌碩(ごしょうせき・ウーチャンシュオ)の名前を知らない人は、多いでしょう。1844年に生まれ、1927年に亡くなった清朝末期に活躍した人物です。

古代の人物は評価が確立していますが、時代が近づくに従って一般の人々に名が知られることは少なくなります。顔真卿の名前ならば、世界史の授業で習って知っている人は多いはず。でも、呉氏の名を高校までの授業で習うことはありません。そのため、書道に興味のある人以外にはほとんど名前が知られていないのは、惜しいところです。

彼の人生について、詳しくはWikipediaで読んでいただくことにしまして、このブログでは簡単なご紹介と、彼がなぜ「四絶」と称されたかについて、ご案内したいと思います。

呉氏は浙江省安吉県に生まれました。

エリートの家系で裕福でしたが、1850年の太平天国の乱に17歳の時に巻き込まれます。故郷を家族とともに離れて避難したものの、弟と妹、許嫁を相次いで亡くしました。

そのあと、働きながら書の修行に明け暮れましたが、生活は苦しく、戦乱の中、結婚後も家族を養うのに一苦労したようです。ただ彼は、その困難に決して負けることはありませんでした。何人も師匠を変えながら各地を転々としつつ、「書」「詩」「画」「篆刻(てんこく)」に関する様々な技法を貪欲に学んでいきます。

50歳を過ぎてから、段々と世の中に認められるようになり、次々と仕事の依頼がくるようになりました。遅咲きの人だったのです。

そのあと、彼の名前は篆刻家として非常に有名になります。1904年に丁仁・王禔・葉銘・呉隠という4人の芸術家が、篆刻を中心とする国際的な学術団体・西泠印社(せいれいいんしゃ)を設立したときに、わざわざ招かれて60歳にして初代社長となったほど。

そのあとも活躍を続けましたが、 1927年、南京事件の起こった年に脳卒中のため84歳で亡くなりました。

さて、彼が「四絶」と称された理由です。ここで言う「絶」とは、「絶対的な」「並優れた」という意味です。 つまり、文人が身につけなければならないとされる四種の芸術分野「書」「詩」「画」「篆刻」に、並外れた技能を発揮したから、彼は四絶と呼ばれたのです。

どのような作品を生み出したのか。まずは「篆刻」から見ていきましょう。

「篆刻」

中学校までしか書道を習っていないならば、篆刻の存在について知らない人も多いかもしれません。高校で書道を選択すれば、一度は経験するんじゃないかな。「てんこく」と読みまして、早く言えば「書」と「彫刻」の結合芸術のことです。

木や石に文字を彫りつける……「書」の技法も「彫刻」の技法も必要となる、奥深い世界です。

呉氏が得意としたのがこの篆刻でした。その作品がこちらです。

彼は「鈍刀(どんとう)」という、あまり切れない彫刻刀を好んで使いました。鈍刀は、切れ味が悪いために削り過ぎることがありません。力は必要ですが、時間をかけてコツコツと掘れば、理想通りの彫刻が出来るという利点があります。

苦労の多い人生を歩んだ呉氏に適した道具だったのでしょう。 しかし、彫り過ぎによるものでしょうか、肩を壊してしまいまして、50歳を過ぎてからの作品は大変少なくなります。彼の篆刻の名品は、有名になる前のものが多いようです。

「書」

彼は篆刻を一番得意としていたため、「書」に「篆刻」を応用した独特の文字を書くのを得意としていました。

春秋戦国時代に花崗岩に刻まれた文字である「石鼓文(せっこぶん)」 を模した、「猟碣集総聯」と言われる書体で書かれた文字は、独特の美しさがあります。


「画」

彼は絵に、書で学んだ技法を応用しました。草書体をさらに崩した「狂草」という書体がありますが、この技法や、篆書(てんしょ)と呼ばれる秦代以前の絵のような文字を書く上で学んだ技法などを惜しみなく画に応用したため、花や山、岩などが、絵であるのに文字のような独特の風味があります。

「詩」

中国の文人は、必ず漢詩を作ることができます。彼もまた、
「呉先生の作品が欲しい」
という依頼に応えるために、作詩に余念がありませんでした。

彼の作品の一つが、これです。
泠然一曲奏当筵
和鮮陽春顧亦捐
充耳不聞簫管徹
琵琶疑坐李龜年
冷然として一曲、まさに筵(むしろ)にて奏でたり
鮮やかなる陽春に和し、 また狷なるを顧みん
耳に充てれども簫管の徹するを聞かず
琵琶、李亀年の座するかと疑う

とでも読み下すのでしょうか。

むしろの上で音楽家が曲を奏でている、その曲を聞きながら、春の日に照らされ、己の短気を反省していた。ふと耳をそばだてると、いつの間にやら簫管の音が聞こえない。琵琶の音のみが聞こえてくる。その美しさは、音楽家として名高い唐代の李亀年(りきねん)が奏でているようだ。

とでも訳すのでしょうか(不学のため、誤っていればコメント欄などで教えてください)。


こうして彼の作品をほんのわずかでも眺めて見ますと、彼が清朝最後の文人と呼ばれ、四絶と称されたのもなんとくなく分かります。すごい人です。



参考:「書道偉人物語」 「「書道ジャーナル研究所」」など


2014年12月4日木曜日

将門の首塚はもっと評価されていい

日本には「三大怨霊」と呼ばれる三人の歴史上の人物がいます。
  • 菅原道真……当時最高の大学者。左遷されて903年に死亡後、怨霊化。
  • 平将門……桓武天皇の末裔が新皇を自称、反乱。940年に討伐され怨霊化。
  • 崇徳院……保元の乱を鎮圧されて、1164年に配流先で死亡後、怨霊化。
それまで日本で怨霊といえば、 崇徳院の方が、将門よりも有名でした。

崇徳院の数奇な生涯

崇徳院は悲劇の人です。天皇在位中も譲位後も鳥羽上皇に実権を奪われ、上皇亡き後は、逆恨みされることを恐れた鳥羽上皇の側近たちから命を狙われる悲運に見舞われます。

追い詰められて仕方なく乱を起こしましたが、とらえられ、讃岐(現・香川県)に島流しにされます。彼は本来、優しい人なのでしょう。戦死者の供養のために大変な量の写経を朝廷に送ります。

ところがこれを、「呪いをかけているのでは?」と疑われて突き返されたことに、怒りを爆発させました。堪忍袋の緒が切れ、舌を噛み切り、その血で「大魔王になって、天皇をその地位から引きずり下ろし、今は見下されている者を王にしてやる」と写経に書き込んで死ぬのです。

結局、その20年後には鎌倉幕府が成立し、朝廷の権力は完全に武士に奪われました。王政が復古するまで700年近くの間、崇徳院の呪いがかかっていたと言えなくもありません。

とにもかくにも、彼のすさまじい最期とその後の怪異によって、崇德院は人々におそれられ続け、様々な文学のモチーフとなりました。中でも有名なのは江戸時代中期に書かれた『雨月物語』です。江戸時代後期から末期にかけて大きな影響を人々に与えました。

物語の影響は、案外大きいものです。江戸の影響が色濃い明治時代には、崇徳院が非常に崇められました。明治天皇は即位するとき、崇徳院の御霊を京都へ帰還させる行事を行って、白峯神宮を創建して霊を弔いましたし、戦後になっても、昭和天皇が崇徳院800年祭を祀ったほどでした。

『帝都物語』の影響

ところが、1976年に放映された海音寺潮五郎原作のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』で平将門が主人公となった頃から、人々の注目が将門に集まるようになりました。

ただドラマで描かれたのは、あくまで歴史上の一武将というものでした。ところが1985年から87年にかけて刊行された荒俣宏の『帝都物語』で、平将門のもう一面、怨霊としての将門が大きくクローズアップされるようになります。

『帝都物語』は、平将門の生まれ変わりである加藤保憲が、東京を魔都へ変えようと画策する明治期から昭和73年(!)までの100年間を描く、という壮大な物語です。幸田露伴や泉鏡花、さらには角川春樹まで、実在の人物が登場して加藤と戦うのが特徴です。

小説は映画やアニメになりました。なかでも当時邦画界として破格の10億円をかけて制作された映画版「帝都物語」は、大変な反響を呼びました。しかし、興行成績は8位、興業収益は10億5千万円と、ほとんど儲けが出ませんでしたが……。

この映画は、とにかく嶋田久作がカッコ良いのです。脚本が大変お粗末で、どうしてこんな分かりにくい脚本にしたんだろう? と今でも思い出すと怒りが湧いてくるほどですが、それ以外、映像と演技が抜群によく、特に大抜擢された遅咲きの俳優・嶋田久作の怪演によって、映画が駄作になることを防ぎました。これほど「はまり役」という言葉が合う役は、ないかもしれません。


私は映画が先で、小説があとでしたが、小説の加藤のイメージは、嶋田久作の演じる加藤そのままでした。島田氏のブログを読みますと、ネコ好きの穏やかな芝居バカというキャラが浮かんできますが、私の中の嶋田久作は、あくまでも「帝都物語」のおどろおどろしい加藤です。

とにかく、「帝都物語」は興行成績こそふるわなかったもの、大きなインパクトを世の中に残しました。平将門ブームの火付け役になり、大手門にある「将門の首塚」には、大勢の観光客が訪れたといいます。

首塚は現代も

「将門の首塚」は、皇居のすぐ近くにあります。住所は、「東京都千代田区大手町1-2-1」であり、高層ビルに囲まれていますが、ここだけ異次元の空間のようです。

『帝都物語』以降、将門の首塚を題材にした作品は作り続けられています。少し前になりますが、ヒットして映画にもなった『鴨川ホルモー』の続編で2007年に刊行された『ホルモー六景』では、東京学生の鎮守行事が、この首塚で行われていたことなどが描かれています。

私は数度、この首塚を訪れたことがあります。なんとなく、妙な雰囲気がありまして、たしかに人々が、この神社に惹かれるのが分かりました。通りから中をのぞきこめるのですが、時間が止まったような鬱蒼感があり、長居をしたいとは思えませんでした。

東京の一等地に手付かずの神社があるのが、とても奇妙です。そもそも天皇のお住まいの皇居のすぐ近くに、天皇にかつて反逆した将門公の首塚がある、というのが不思議でなりませんでした。

ただ、よくよく考えますと、平成天皇の身体には、第六天魔王を名乗った織田信長の血も、天皇に代わり日本国の王たらんとして東照大権現を名乗った徳川家康の血も流れています。現在の天皇家自体が、江戸幕府に反逆して現在の地位に就いたとも言えるわけですから、その血に脈々と流れる反逆者の魂にとっては、むしろ平将門は頼もしい存在に思えるかもしれません。

『帝都物語』のブームも今はなく、皇居の近くにひっそりとたたずむ、この「将門の首塚」ですが、 せっかくこれだけの物語に彩られた神社です。もっと人々に、興味を持ってもらいたいものです。

現代の権威に反逆を試みようとする人々は、東京駅に寄ったついでに、この「将門の首塚」に参拝に行ってみてもいいかもしれません。

2014年11月22日土曜日

『論語』はインディアンの酋長の言葉のようだと彼は言った

司馬遼太郎の『アメリカ素描』という作品がある。
アメリカ素描 (新潮文庫)
東洋の歴史や地域を描いてきた司馬にとっての新境地であり、歴史作家が見るアメリカの風俗は他と異なっていて(どこがどう異なっているのかは、今手元に本がないのでわからない)、面白かったのを覚えている。

この本の中に、こんな小話がある。

あるアメリカ人の学者が孔子の『論語』を読んで、一言、
「まるでインディアンの酋長の言葉のようだ」
と言ったそうだ。

司馬遼太郎はこの話を誰かから聞いて、心の底から笑った、というものだ。

中華文明に大変尊敬を抱いている司馬遼太郎は、同時にリアリストだったから、いくら自分が尊敬している対象でも、それに関心のない西洋人にとっては戯言にしか聞こえまい、孔子の教えの含蓄を知るのは難しかろう、ということがよく分かっていて、笑ったのだろう。それを読んだ私もニヤリとした。

ところがこの箇所について、ある批評家が『アメリカ素描』を批判する中で、

「司馬遼太郎は『アメリカ素描』の中でアメリカ人の学者が『論語』のことをインディアンの酋長の言葉のようだと評したと書いているが、そんな話を聞いたことがない。いくら調べても出典がみつからない。彼は嘘を書いているのではないか?」

と指摘していたのをあるとき読んで、ふーんと思った。

司馬は噂話として誰かから聞いたのだから、それを話した人の嘘かもしれない。だとしたら司馬の責任じゃなかろうし、面白い話だからいいじゃないか、とも思ったし、あるいは、エッセイのための作り話だったのかもしれないなどとも思い、それならもっと書きようがあるかもしれない、などとも考えた。

手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』はあまりに有名になり過ぎて、架空の病気の手術の描写をしたところ、医師から「そんな荒唐無稽なことをかくな」などとたくさんの非難を受けたという。歴史作家として有名な司馬ともなると、噂話ですら根拠のないことは書くなと批判されるのだろう、難儀なこっちゃ、と思った。

ただ、批評家がそう断言するくらいだから、アメリカの学者が『論語』のことをインディアン(今では「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶのが適切)の酋長の言葉だと評した、という事実はないのだろう、となんとなく考えていたのだが、

それから数年、このことを忘れていたのだけれども、マックス・ヴェーバーの『儒教と道教』をたまたま読んでいた時に、あっと思った。その本の中に、たしかに「『論語』はインディアンの老酋長の語り口に似る」という旨の文章が載っていたからだ。

残念なことにマックス・ヴェーバーはドイツの社会学者だからアメリカの学者ではないので、『アメリカ素描』で取り上げるには不適切だったかもしれない。だが、ソ連が存在していた当時、マルクスと対抗しうる社会思想を作り上げたマックス・ヴェーバーは、アメリカで大変人気の高い学者だったので「アメリカの学者」と学生あたりが誤認してもそれほどおかしくはない。司馬遼太郎がアメリカで世話になったボランティアの学生あたりが、こうした話を司馬にしたとしても、おかしくはない。

なにより、『論語』をインディアンの酋長の言葉だ、と学者が評したという話がまったくの作り話ではないと知って、私はいささか司馬遼太郎を見なおした。

こうした、数年越しに引っかかっていた疑問が化学反応を起こしたように解消される瞬間というのは、大きな快感が得られて言いようのない気分の高揚を覚える。

それにしても、アイデアというものはオリジナリティがあるものだ。『論語』を読んだ西洋のある程度高名な学者は何百人といるはずだし、ネイティブアメリカンの酋長が歴史的な経験則を理由をつけずに語る、あの独特の話ぶりを本や映画などで知っている人も多かろう。

だが、両者を似ていると感じて、そのことを著書に書いた学者は、案外いないものである。




2014年10月26日日曜日

ときに、一冊の本のある文章が繰り返し役立つことがある

ある本を買おうかどうしようか迷っているときに、アマゾンのレビューを読む。
「私の人生に影響を与えた」
とか、
「私の人生を変えた」
という感想を読むと興味を掻き立てられる。

ただ、それだけでは買わない。レビュー主がそれまでどんなレビューを書いていたかを念の為に確かめる。

その本にしかレビューを書いていなかったり、レビューが数日の間に数十件書かれていたりすると(そしてその本以外のレビューはすべて定型文だったりする)、
「これは業者が書いたのだろう」
と判断して買うのをやめる。最近はあの手この手で広告代理店が暗躍しているので、油断がならない。

そこまでしてレビューを確かめる必要があるかといえば、私にとってはあると言える。くだらない本を買って時間と金銭を浪費したくない。口コミは信頼できる物がまだ多い。レビューで一般人に、「人生が変わった」と書かせるような本は、それなりに面白いものが多く、読んで損をした、と思うことが少ない。

最近では『人間の土地』が面白かった。


本の感想はまた今度書くつもりだ。アニメ映画監督の宮崎駿が本書の解説を書いているという事実だけで、本書を手に取る価値はあるだろう。これもレビューで一生の宝だなどと激賞されていた。

ところで、そこまでではなくとも、小さな影響を与え続ける一節もある。何度も思い出され、人生に少しだけ影響を与え続ける本がある。

一昨年の話だが、雪の降る日の通勤中に、足をすべらせて右足の親指を痛打した。痛みがひかず、二週間以上経過した末にようやく整形外科でレントゲンを撮ってもらった。

ところが異常がみつからない。炎症も起こしていない。完治しているはずだが、突き指をしたときのような鈍い痛みが、長時間歩くと右足の親指付け根を襲い、治らない。

そのまま一年あまりが経過した。強い痛みは時々再発するため、この痛みとは一生付き合わねばならないのだろうと覚悟するようになった。

ところが今年の初めからトレーニングを始めた。走るとやはり右の指の付け根が痛む。そのときに、とある本のとある一節が私の脳裏に思い浮かんだ。

初見良昭という武道家の自伝に書かれていた一節だったと思う。本を仕舞いこんでしまったので取り出すことが面倒なので、うろ覚えのままに書くと、初見氏が武道の師匠について稽古をしていたときのエピソードである。

当時の武道の稽古というのは荒っぽく、森の中を猛スピードで木剣をふるいながら駆け下りたり、ひたすら立ち木を木剣でぶったたりたりといったものだった。自然の中だから、何が起こるかわからない。突然枝が折れてケガをしたり岩で滑ったり、それが日常茶飯事だったという。

ときには何日も痛みがひかないこともある。ところが、ケガを気にした初見氏に師匠は、
「それを無視しろ」
と命じる。最初は、
「骨でも折れていたらやばいんじゃないか」「腱が切れていいやしないか」
と心配した初見氏だったが、稽古を重ねるうちに、痛みが消えてしまう、という経験を幾度となく繰り返すようになった。激しい鍛錬が傷を癒すのだ。

やがて余程のケガでない限り、無視してトレーニングをするようになった、という。

私はそのエピソードを読んで、人間の身体は随分と丈夫にできているもんだと感心した。

さて、私が今年の初めにトレーニングを始めたときにたびたび傷んだ古傷に、話を戻す。

痛みは間違いなく、ある。でも、現代医学では治しようがないものだ。それならば、この痛みを我慢しよう。我慢して、身体を鍛えることに専念しようと、私は考えた。鋭い激痛が走る。それを無視して運動場を走るのだ。

結果的にその考えは正しかった。今では、トレーニングをしても痛みがさほどなくなった。あれほど一昨年、私をさいなんだ足の付根の痛みが嘘のように弱くなったのだ。

痛みを無視して、トレーニングで解消してしまうことができる、という信念。

現代医学では何を非科学的なことを、と思われるだろう。だが、私の右足指の疼痛が減ったことは間違いない。もしも現代の常識のとおりに、トレーニング自体を取りやめていたら、私の足の痛みはそのままだったことだろう。

そして思い出す。初見氏の本を読んでから、ケガをして身体を痛めたことがそれ以外にも何度かあった。私は、多少の痛みは我慢してトレーニングを続けるのだが、そのたびに心に思い浮かべ、勇気づけられてきたのがこのエピソードだった。そして、痛みはどれも、今は残っていない。こうしたことが何度もあったことを、今思い出した。

痛みがトレーニングで消せるものかは知らぬ。だが、原因が分からない不定愁訴は無視出来ると信じ、痛みを耐えてがんばって来れたのは、初見氏の本のあの一節に出会えたお陰だった。その結果、私の生活がほんの少し楽になったのは、間違いない。

本を読むことで、思いも掛けない一節がのちのちまで人生を良い方向へ切り開くこともあるという一例である。

2014年10月22日水曜日

夫婦の仲が冷えるきっかけ

「夫婦仲良く死ぬまで暮らしたい」
こう願う夫婦は多いことでしょう。

ところが長年連れ添っていながら、ケンカをせず、仲のいい夫婦はそれほど多くありません。
何が原因なのでしょう?

先日私は、離婚したり夫の愚痴ばかり言っていたりする同僚女性たちに、夫婦仲が冷えきったきっかけを尋ねる機会を得ました。

「子はかすがい」のはずなのに

すると、子供が出来たことが一番のきっかけだと答える人が多いのです。

最初は一緒のベッド、一緒の布団で寝ていることが多いのです。ところが子供が生まれると、子供と妻は同じ布団で寝るようになり、夫と布団が別になります。妻は子どもにべったりかかりっきりとなります。夫の生活リズムと赤ん坊のリズムは異なるため、お互いに邪魔しないように、部屋を変えることすらあります。

この物理的な距離をきっかけに夫婦仲が冷え込んでしまうことが、どうやら多いようです。

もともと男と女は体温が異なるので、一緒の布団で寝るのは、お互いの身体にとって無理があります。新婚当初は苦痛を上回る愛情のお陰で一緒の布団で寝るのでしょう。

でも、子供ができたことをきっかけに距離を取ってみると、別々でいる方が自由で快適であることに気づき、夫婦で一緒にいることがバカバカしく思えるようです。

距離ができないのは

部屋を別にして寝るようになり、そのうちに顔を合わせなくなり、やがて家庭内別居のような状態となって、仲が冷え切ったり別れたりする、というパターンのようです。

でも、そうしますと、子供の出来た夫婦は、時間が経つと、必然的に仲が悪くなるものなのでしょうか? 日本ではそんなケースが多いのかもしれません。私の親やその周辺を観ていますと、愚痴のたれあい罵り合いが多いのは事実です。

でも、アメリカなどでは、年をとっても仲の良い夫婦が多いですよね。彼らと私たちの違いはどこにあるのでしょう?

考えれば、ハリウッドの映画に答えが隠されていました。夫婦の寝室のとなりに赤ん坊の個室があり、赤ん坊をベビーベッドに一人で寝かせるというシーンを何度も観たことがあります。Googleで調べると、欧米では一般的のようです。

欧米スタイルを学ぼう

私は以前、それを映画などで観るたびに、赤ん坊がかわいそうだと思っていました。母の体温を感じないまま赤ん坊が寝なくてはならないなんて!

ところが、赤ん坊に母親がつきっきりで面倒を見る日本のスタイルがきっかけとなって夫婦仲が冷えるのだとしたら、たとえかわいそうに思えても、個室に子供を寝かせることできっかけ自体をつくらないアメリカ方式が、俄然魅力的に思えます。

どうせ幼児時代のことなんて、子供は覚えてなどいやしませんよ。

私たち日本人の伝統では、夫婦が長年に渡って愛しあう姿を理想としてきませんでした。男尊女卑の封建的な日本では、出世した男は愛人を抱えるのが甲斐性です。「夫婦でユニット」という考え方がないから、公職にある人物の妻が表に出すぎることを嫌います。

ところが欧米では、夫人が夫の仕事をおおっぴらに手伝うことを良しとしますし、そのことをメディアが好意的に取り上げますよね。とてもうらやましい話です。

男女が仲良く愛しあうという、日本の伝統にないあり方を理想とするのならば、私たちは欧米の伝統に、今以上にいろいろと学ぶべきなのかもしれません。


2014年10月14日火曜日

「ラグビーは紳士のスポーツ」という言葉の、本当の意味

よく、
「ラグビーは紳士のスポーツ」
と言われます。その割にはラグビー出身者にはガラが悪い人が多くありませんか? さらに、不祥事もよく耳にしませんか?

私、不信感を持っていたんですよ。どうして彼らが紳士なんだろう、と。

私の高校にもラグビー部がありまして、かなりの強豪でした。しかし、その中に1人いけすかない野郎がいましてね。しかもモテている。

私も体育会系でしたが、女っ気がさらさらなく、恋愛関係では悲惨でした。それに比べると、彼らは高校の中心的な存在。やっかみ半分、ラグビー部のこと、あまり好きじゃありませんでした(もっとも嫌いなのは応○部でしたけど)。

ところが、先日「なるほど」と思う説明を聞いて、目からウロコが落ちました。

イギリスが、階級社会であるということを、多くの人は聞いたことがあると思います。大きく分けますと、地主・貴族が中心となった上流階級、資本家や弁護士などの専門家が中心の中流階級、労働者階級の3つ。

今では緩和されていますが、昔は上流階級と労働者階級の差はもっと露骨で、なにより経済格差が天と地ほどもありました。

だから昔は、上流階級と労働者階級は、見た目が違ったそうです。上流階級の子弟は栄養価の高い食事を取っているため、背も高く、スポーツで体を鍛える時間もあったために頑健な肉体を誇っていました。

それに比べて労働者階級の子供たちは満足に食事を取れず、いつも腹をすかしていたため、成長しても背が低く、痩せていたそうです。

彼らの間には、歴然とした肉体の差があったため、自ずから、人間には上下があることを悟ったのだといいます。ケンカをしても、一対一なら、必ず上流階級の人々が勝つのですから。

さて、こうした支配者側の人々のことを「紳士」とイギリスでは呼び習わしていました(ジェントリには、もっと深い歴史があるのですが、詳しい経緯はご自分でお調べください)。

ラグビーは御存知の通り、背の高いゴツい人間にとって有利なスポーツです。つまり、
「ラグビーは紳士のスポーツ」
というのは、肉体的に頑強でたくましい上層階級の人々=紳士のためのスポーツがラグビーである、という意味であり、ラグビーをすればフェアになるとか、そういう意味では無いのです。

では、労働者のためのスポーツとは? それがサッカーです。

ラグビーもサッカーも、イギリスが発祥です(ゴルフやラクロスなど、イギリスが発祥のスポーツは多いです。イギリスではイヌが昔から大切にされており、イヌは御存知の通りボール遊びが大好きです。そこからボールを使ったスポーツが多く生まれたのではないかと私は考えていますが、それはまた別の話)。しかしやってる人が違います。

今でこそサッカーも選手の大型化が進みましたが、昔はそれほどでもありませんでした。往年の名選手・マラドーナは166cmですし、現在の最高のサッカー選手と言われるメッシは169cmです。それでも2m近い選手と互角に戦えるのがサッカーというスポーツです。

ボールは地表近くを移動しますから、背の高さが意味をなさないのです。足で球を移動させることが体格差を消し、平等をもたらすのですね。

だからこそ、体格の劣る労働者階級のスポーツなのです。体格の優れた親からの遺伝や、子供時代の栄養状態よりも、その後の努力やセンスがものを言う世界です。労働者が夢を持て、自分を投影できるスポーツなんですね。

ワールドカップが盛り上がる理由もそこにあります。国同士の対抗戦になると、経済格差以上に人種による体格差が問題となります。身体の大きい者が有利なチームスポーツ――バスケットとかラグビーとか――は、特定の国がどうしても有利になります。それに比べてサッカーは体格の差が大きなアドバンテージとならず、特定の人種が有利とは言えないからこそ、平等で面白いのです。

ちなみにラグビーでは、他のスポーツとは違い、3年その国に居住していれば、国籍が異なっていてもナショナルチームに加われるという特別ルールがあります。体格の違いが露骨に出てしまうスポーツなので、そうでもしないとワールドカップでは一部の国しか勝てないために取れれた措置なのでしょう。

日本でも、早慶だとか明治だとか、私立大学がラグビー強豪校として名を馳せたのも同じような理由ではないでしょうか。金のある家の体格のいいボンボンにとって有利なスポーツだから、彼らが歴史的に強かったのでしょう。

「ラグビーは紳士のスポーツ」
と言いますと、なにやらラグビーが高尚なもののように思えますが、何のことはありません。金持ちのためのスポーツである、という意味だとしましたら、それほど評価するキャッチフレーズではないでしょう。

2014年10月10日金曜日

ゲーム理論についての簡単な覚え書き

以前、ゲーム理論を題材にした本を出そうと思っていた、という記事を書きました。

その後に、ゲーム理論について触れた記事を書いてアップするのを忘れていたのを修正して載せてみます。

……………………
「ゲーム理論」について語る前に、そもそもゲーム理論を知らない人のために少々、解説をすることをお許し下さい。
ゲーム理論とは、「相互作用を及ぼしあう複数、又は単独の主体の振る舞い」に関して研究する応用数学の一分野である。(中略)ゲーム理論の分析は、基本的にこのような戦略的な状況における未来の行動を予測したり、過去の行動を客観的に評価することを目的としている。つまりゲーム理論とは、あるルールのもとで各プレイヤーがとると考えられる最適な行動の組合せの解を求めることである。(Wikipediaより)
上記の方法を読んでもわかりにくいので、こう言い換えてみました。

複数のプレイヤーが競い合いながら、お互いにとってのベストな状態を模索する「試行錯誤」を科学的に分析する方法論。

――上述の説明より、少し、噛み砕いてみました。

私達の行動は、すべて「選択の積み重ね」とも言えます。指を動かすか、動かさないか、パソコンを開くか、開かないか、などなど。

選択を積み重ねることで、どのような結果を得られるのか。これを数学的に研究できる理論が「ゲーム理論」であり、経済学や生物進化の研究に、大きな影響を与えているそうです。

創始者は、ジョン・フォン・ノイマンという天才。

歴史上最も頭のいい人物とは誰か? という問いが、ときどきネットを賑わせます。レオナルド・ダ・ヴィンチだとかアインシュタインだとか、様々な人物の名前が挙がりますが、そのリストの中に必ず現れるのがノイマンです。

子供の頃に44巻の歴史書を丸暗記したり、8歳までに微積をマスターしたりという神童伝説を持っていました。中年になっても記憶力、暗算力について、他者の追随を許しませんでした。

天才が考えた人間の行動を科学するための理論……一端を知りたいものだと思いつつ、学ぶ機会を先送りにしていた私でしたが、たまたま手にしたゲーム理論の本が、なかなか面白かったのでついつい読み進めてしまいました。

まず興味を惹かれたのが、
「囚人のジレンマコンテスト」
について書かれた話です。

二人の共犯者が、自白をして自分だけ助かろうとするか(裏切り)、沈黙して相手の罪を隠してやるか(協調)、それぞれによって実刑の年数が変わるというルールを作ります。そして、この二人は意思の疎通の手段がありません。

さて、囚人はどのような選択をすればいいのか? それを考えるのが、「囚人のジレンマ」という命題。

「そんなの、場合によって異なるじゃない。人それぞれでしょ」

と言ってしまえば、それでおしまい。たしかにそうです。

でも、似たようなシチュエーションは生きている限り、人生の中にたくさん現れています。相手の気持を知ることができないまま、裏切るべきか協力するべきか、という選択です。

その時々で応対を変え、臨機応変に振る舞う、という方法もあるでしょうが、それでは偶然に支配される要素が強すぎます。それよりも、
「他人と接する際は、こういう原則で行動すれば高い確率で利益を得られる」
という原理原則を知って、迷うときは、常に同じ行動を取る、という戦略はどうでしょうか? 他の人を、ほんの少し、出し抜けるかもしれません。

1980年、政治学者のロバート・アクセルロッドは、この「囚人のジレンマ」について、コンテストを開催することにしました。無数の選択の果てに生き残るのは、どのような原則を己に課した場合でしょうか? 原理原則をコンピュータにプログラミングして、それをお互いに戦わせれば、もっとも強い原則を開発した人が生き残るはずです。

その結局、優勝した原則は、アナトール・ラポポートという心理学者の開発した「しっぺ返し戦略」というものでした。

この戦略は、まずはかならず「協調」という選択肢を選び、もしも相手が「裏切り」を選んだら、すかさず自分も裏切り返す。相手が「協調」してきたら、再び「協調」をする、という単純な戦略です。

ところが、これが強いのです。ときに敗れることはあっても、何千回とかけて調べていくと、この簡単な戦略のみが、並み居るライバルを押しのけて生き残る率が高いことが証明されました。見事コンテストでは優勝しています。

(簡単に説明しようと試みた私の説明が逆に分かりにくければ、下記サイトを御覧ください)
★ 賭博と国家と男と女 ~囚人のジレンマ

まさに、
「やられたらやり返す。倍返しだ!」
という半沢直樹の決心ですね。

実はこのことが多く世界中に知られるようになり、国家戦略にも影響を及ぼしています。もっとも影響を受けたのが、イスラエルだと言われています。つまり、相手が協調してくれば、こちらも協調するが、裏切られた瞬間、やり返すのです。それも徹底的に。

果たして、その結果は良かったのか、悪かったのか。

イスラエルがこれまで生き残ってきた、という一点でみれば、その方法は間違っていないでしょう。でも、常に戦果が絶えないという点では、誤っているように思えます。

「サバイバル」という目的に特化して戦略を組み立てていった結果、その他の目的をすべて捨てていかねばならない羽目に陥るというのは、この理論の欠陥を表しているようにも思えるのでしょうが、いかがでしょう?

2014年9月24日水曜日

10月の散歩 東京から40分の「大山千枚田」の夜祭が面白そう

東京は、昨日は秋晴れが広がりまして、まさに行楽日和でした。

気が浮き立ちまして、少し離れた場所まで足を伸ばすことにしました。緑地帯を散歩したり、偶然見つけたおしゃれな喫茶店に立ち寄ったりと、楽しい時を過ごしました。

ただ、せっかくの行楽シーズン。時間があれば、都会の喧騒をもっと離れた場所まで足を運び、自然を満喫したいもの。とはいえあまりに遠くても、移動だけで時間を取られてしまいます。そこで、近場の自然で、日常とかけ離れた場所はどこかないだろうか、と思って調べたところ、「大山千枚田」という場所を千葉に見つけました。

東京から一番近いところにある棚田として有名な場所だそうです。

それにしても美しいですね。
「青空と風景と花たまに料理」より

この地へのアクセスは、下記サイトをご参考にしてください。

★ かもがわナビ アクセス

電車ならば、東京駅から外房線特急「わかしお」で終点・安房鴨川駅まで2時間15分。

高速バスならば、浜松町駅から安房鴨川駅まで2時間20分。

どちらも片道2,450円です。

ただ、棚田に着くまではもう少し時間が必要。

安房鴨川駅(東口)から平塚本郷行き、または金束(こづか)行きの市内バスで揺られること30分。釜沼バス停で下車します。運賃は片道540円です。バス停近くには案内板があるので参考に、約20分歩くと棚田に到着します。

待ち時間も含めますと、片道4時間弱といったところでしょうか。休日のいい運動になるでしょう。

でも、ちょっと遠いかも。書いていて、ややウンザリしてきましたよ(>人<;)

どうせ行くのならば、「棚田の夜祭り」に合わせて行く方が良いのかも。
上記のHPの写真は、昨年のものです。今年は10月17日から来年の1月5日にかけて開催されます。10/17~19にはオープニングイベントもあるそうです。

10,000個のLEDと、3000個のキャンドルが点灯されるようです。この光景は圧巻ですね。

この間は棚田近辺への車の乗り入れが禁止されるため、クルマで来られた方も、安房鴨川駅の近くにある駐車場にクルマを停めなければなりません。そこから鴨川市総合運動施設までシャトルバスが無料で運行されます。

もしも鴨川の民宿に泊まるならば、それを条件に東京から片道千円のシャトルバスを利用することも可能です。

★ 房総鴨川行き お得な1,000円バス

安いところは一泊5千円からあるようです。うまく選べば、合計で1万5千円以下で楽しむことも可能でしょう。


関東にお住いの方々は、秋晴れが続くこの季節、足を伸ばしてみては如何でしょうか?

2014年8月25日月曜日

酒は百薬の長ならず

先日深酒、徹夜をしました。翌日どうも調子が悪く、1日をムダに過ごしてしまいました。

それからふと考えました。
(酒は結局のところ、体にいいのか? それとも悪いのか?)

酒が体にいい理由とは、少量ならばリラックス効果があるから、というものです。それは間違いなくあります。ところがアルコールには脳細胞を破壊するという噂を聞きまして、それ以来、アルコールは極力控えてきました。そこで改めて調べてみたのです。

すぐに見つかったのが、これ。

★ 1日わずか2杯のワインが脳細胞の生産を40%も減少させると判明!!飲酒を毎日続けると学習能力が低下するらしいゾ
米ラトガース大学がおこなった研究によると、例え節度を保った量であっても、アルコールを飲むことで成人の脳細胞の生産が大幅に減少することが判明したとか。
ところが、生産を抑制するとは書いていますが、脳細胞を破壊するとは書いていません。

★ 雑学!ビールたった一杯で80万個の脳細胞が死滅する
脳細胞の動きを鈍くさせ、身体の自由を奪うのです、
そして、それと同時に多くの脳細胞を破壊していることがわかりました。
量にもよりますが、一回の飲酒で60万個~80万個の脳細胞が死滅しているのです。
と書かれているものの、ソース無し。それどころか、アルコールは脳細胞を破壊しない、という研究結果が出されている模様です。

★ 科学的に偽りであることが証明された脳に関する9つの迷信
これもよく考えればわかることですが、もしお酒を飲んでいるそばから脳細胞が死んでいくとしたら、すぐに障害が起こって気づくはずです。確かに、アルコールは脳や身体に影響を与えますが、昏睡状態になるまで飲み続けるぐらいでないと、脳にダメージを与えるまでにはなりません。
Grethe Jensen氏が1993年に行った研究では、亡くなった人の脳のサンプルを調べています。その結果、アルコール中毒だった人とそうでない人の脳細胞には、特に違いが見られませんでした。
……なんだよ、ガセか。

ところが、脳に明確な害はないものの、心臓などにはあまりよくないことが分かっています。

★ 適量の飲酒も体に良くない、定説に疑問 研究
【7月15日 AFP】 グラス1、2杯の酒はむしろ心臓によい──酒を飲む人が好んで引用するこの医学的見解だが、英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(British Medical Journal、BMJ)にこのほど発表された研究論文によると、この長く信じられてきた考え方には問題がある可能性がでてきた。
 論文は、アルコールの摂取を少量でも控えることで、冠状動脈性心臓病のリスクを軽減させ、体重の減少や高血圧の抑制にもつながると説明している。
アルコールが心臓に良い、という説は初めて聞きましたが、多分欧米で広く広まっている俗説なのでしょう。それは嘘だ、とのこと。

なんだ。

それくらいならば、酒はまた飲んでもいいのかな、と思いました。もっとも、酒を飲むよりも楽しいことが世の中にはたくさんあるので、つきあいでもなければ飲もうとは思いませんが。


2014年8月21日木曜日

性風俗業従事の過去がありながら、イスラム過激派指導者となった人

昨日、過去に性風俗業に関わっていた人間が社会から承認を得るのはなかなか難しいことや、アラブでは偏見の目を向けられることなどを書いた。

書いたところで、そう言えばアラブ人で、、若いころに性風俗業に従事していながら、現在テロリストの首謀者となった人物がいたことを思い出した。

憎悪の説教師と呼ばれる、アブ・ハムザ・アル・マスリという人物のことである。

本名はムスタファ・カメル・ムスタファと言い、1958年にエジプトで生まれた。21歳でイギリスに渡り、大学で土木工学を学びつつ、ピープショウと呼ばれるストリップ小屋の警備員をしていた。

その後、イギリス人と結婚するが離婚。アフガニスタンやボスニアでイスラム教徒の仲間のために転戦を繰り返すうちに、片目と片手を失った。そのうちに、イスラム過激派の指導者としての地位を固める。

彼の演説は「憎悪の演説と呼ばれている。西洋文明への憎悪を煽り、テロ行為を正当化する演説だ。

彼はイギリスでとらえられ、アメリカに輸送された。現在、アメリカ当局に拘束され、有罪判決を受けている。

こうした例もある。イスラム過激派指導者という立場が果たして成功していると言えるかどうかは微妙なところだが、倫理的に厳しい人々から支持されているという点ではいい反例となる。ハードルは高いけれども、決して越えられないものではない。

昨日厳しいことを書いたので、念の為に書き添えておきたい。


2014年8月17日日曜日

人間がブタに似ているのには理由がある

人間が他の動物に比べると毛が少なく皮下脂肪が厚いのは、はるか昔、水生動物だったからだという説を読んだことがあります。

なるほど、セイウチやイルカなどは皮膚に体毛がほとんどありません。

その時代、海中から頭だけを出して生活していたから、頭髪だけは残ったとか、また、体温低下を防ぐために、生殖器などの一部分だけには体毛が残ったのだとか、その節を裏打ちする事実はたくさんあります。

無論、与太話の類ではありますが、その他にも、チンパンジーの手にはない水かきが、人間の手には残っていることだとか、人間の鼻の穴が猿に比べると水が入りにくい構造になっていることだとか、与太話を裏づける物証は挙げればきりがないため、楽しませてくれる、なかなか説得力がある仮説です。

これはこれでかなりいかれていると思っていましたが、それよりももっと酔狂なことを考える人もいるようです。

★ 「人間はチンパンジーとブタの子供が進化した生物」という仮説をアメリカの遺伝学者が発表!!

人間と免疫系の仕組みが大変似ているために、豚が医療実験によく使われている、という話を聞いたことがある人は、多いでしょう。

アメリカの遺伝子学者によれば、これは偶然ではなく、チンパンジーとブタが自然交配した結果生まれたのが人類なのだから、当然なこと、なのだそうです。
マッカーシー博士は、鳥類や哺乳類の雑種に関する研究を30年以上続けてきた研究者。常識的に考えると、他種同士のハイブリット生物は生殖能力を持たないとされていますが、マッカーシー博士の研究によると実際には、親の種類のどちらかの生物と繁殖できるケースが多くあるといいます。
また多くの人は、染色体の数が異なる生物同士による交配で子孫は残せないと考えていますが、子孫を残せる可能性と染色体の数も関係がないと指摘しています。例えば、ヤギの染色体数は54本(2n=54)でヒツジの染色体数は60本(2n=60)ですが、交配させるとギープという交配種が誕生します。またシマウマの染色体数は44本(2n=44)でロバのの染色体数は62本(2n=62)ですが、交配させるとゼブロイドという交配種が誕生します。
この手の話を読むのは大変面白いですね。人間の想像力は無限だなぁ、と感嘆してしまいます。


2014年8月16日土曜日

共産主義とイスラム原理主義

共産党に2ヶ月半で5,100人の若者らが入党したそうです。

数十年前まで、共産党及び共産主義に影響を受けた人々が、世界中でテロを起こして革命を起こそうとしていました。その残滓に、未だ共鳴する人々がいるのでしょう。

不況が慢性化して、格差が広がると、革命を起こして世の中を作り変えようとする意思のある勢力に、大勢の人々が引き寄せられます。この流れは、いつの時代も変わりません。

ただ、世界的には、貧しい人々の支持を集めているのは共産主義ではなくイスラム原理主義の方です。

昨日、「イスラム国」の勢力拡大についてブログで触れました。日本人の香田証生を殺害したイラクの「聖戦アルカイダ」が前身のこの組織は、アブグレイブ刑務所から受刑者を脱獄させて人々の支持を集めたのが始まりしたが、数年でここまで膨れ上がり、現在はイラクという「国」を手中に収めようとしています。まさに「国盗り物語」。

狂信者の集団の怖いところは、勢力の拡大が急であること。弱小組織だと思って油断していると、数年で国家を掌握するまで急成長することです。その怖さは、数十年前に社会主義国によって世界の半分を支配されていた人類ならばよく知っているはずなのですが。

数十年前の共産主義者とイスラム原理主義者。この2つにはいくつかの共通点があります。


1.貧困層からの支持

数十年前、封建社会が崩壊したり、急速に進む都市化によって、食えなくなった人々から共産主義は支持されました。

現代では、グローバリズムによって貧しくなったアフリカや中東の人々から、イスラム原理主義が支持されています。


2.支援する資金源の存在

これが彼らが力をつけている一番大きな要因です。ロシアという世界で最も巨大な大国と、中国という世界で最も人口の多い国が共産化したお陰で、世界中の共産主義者たちは様々なバックアップを受けられるようになりました。

イスラム原理主義者を応援するのは、オイルマネーです。蓄積された資本をイスラムの人々はうまく運用して、莫大な資金が今、彼らの手元にあります。大金持ちの一部には、イスラム原理主義に共鳴する人々がいます。

ところが彼らには世界を動かす力がありません。世界を牛耳っているのは、今も昔も欧米です。この世界秩序に反感を覚えていても、アラブの人々には世界を運営する機会がありません。

現状を打破したいと思う彼らが資金源となって、過激派が武器や弾薬や食料を購入するのを応援しています。


3.暴力を肯定する思想

マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中で、「共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する」と書いたがために、その後の過激派の暴力は肯定されました。

同じくイスラム原理主義の根本には、聖戦(ジ・ハード)を肯定するイスラム教創始者のムハンマドの教えがあります。

暴力には、すべての秩序を打ち壊すエネルギーがあります。そして、若い肉体の他には何者も持たない若者たちにとって、その肉体を存分に活用できるのは暴力です。それが肯定される思想は多くの若者にとって、魅力的です。


4.敵はアメリカ

彼らにとって目の上のたんこぶが、アメリカの存在でしょう。世界で最も豊かで、最も強い国であるアメリカが、今の世界の体制を決めています。世界をリードしているアメリカのシステムすべてが、虐げられている人々にとっては憎くて仕方がなくなります。


5.世界に張り巡らされたネットワーク

世界中に仲間がいるのは、心理的に心強いものです。

数十年前、ソ連は「コミンテルン」という国際組織を作って世界中の共産主義者の活動を陰に陽に応援しました。

現代では、イスラム教という世界宗教が張り巡らせた世界中のネットワークが、イスラム原理主義者を応援しています。穏健イスラム教徒と原理主義者を明確に区分することはできず、彼らの垣根は曖昧です。



以上、つらつらと両者の共通点を並べてみました。

読者にとって、日本人とイスラムの関わりが薄いためにあまり身近には感じられないかもしれませんが、実のところ、日本人にとって、イスラム教は決して無縁なものではありません。第二次世界大戦で日本の軍国主義を主導した人物に大川周明という人がいましたが、彼はイスラム研究家としても有名でした。
日本の左翼思想をリードする人物の1人に本多勝一がいますが、彼はイスラム教徒です。

日本の最高の知性と言われた人物に井筒俊彦という上智大学教授がいます。彼は世界的に有名なイスラム学者で、革命前のイラン王立研究所で教授をしていました。

イスラム教は、今後も日本にいろいろな形で流入していくことでしょう。今は細い糸ですが、やがて大きな潮流となることでしょう。

今は冒頭で紹介したように、、日本の不満層のはけ口は、馴染みのあるr共産党などに向かっています。しかし、彼らはやがて、共産党が、それを支えていたパワー(上記の2、3、5)を失っていることに気づくでしょう。そして、世界的な反攻者の潮流に身を投じたいと考えてもおかしくありません。

絶望したサヨクやネトウヨたちが、やがてイスラム教に共鳴して続々と入信していくという悪夢は、絵空事ではありません。今のうちにイスラムについて、知っておくのは無駄ではありません。



2014年8月14日木曜日

子供と一緒に寝ると、子供が死んでしまう

先日読んで、
「こんな簡単なことで幼児の命を救えるのか?」
と驚いた記事がありました。

★ 赤ちゃんの突然死、寝具の共有が最大要因 米研究

「乳幼児突然死症候群」という言葉を聞いたことがある人も多いことでしょう。それまでなんの問題もなく、元気だった乳幼児が突然死してしまう、ということが時々起こります。古くは千代の富士お嬢さん、昨年は板尾創路のお嬢さんが、亡くなったことで世間にも知られるようになりました。

上記記事によれば、
 研究では、突然死の69%で眠る場所が誰かと共有されていたことが指摘され、また生後3か月までと生後4か月~12か月とでは、死亡のリスク要因が異なることも分かったという。
 寝具を共有していた割合では、生後3か月までの赤ちゃんで73.8%、生後4か月~12か月の赤ちゃんで58.9%と前者の方が高かった。
とのこと。

寝ている間は、大人でも身体を自由に動かすことはできません。無意識のうちに寝返りを打ちますし、寝具を子供にかぶせてしまうこともあるでしょう。

また、子供のために良かれと思って与えたぬいぐるみが、窒息の原因となることもあるようです。
 一方、生後4か月~12か月の赤ちゃんの突然死では、眠る場所に毛布やぬいぐるみなどが置かれ、赤ちゃんがうつぶせの状態で見つかるケースが多かったという。 
子供が可愛いから、いつでもすぐ近くに置いておきたい、という気持ちはわかります。でも、子供の安全のためには、固いマットレスの上に寝かせ、毛布などは出来る限り知覚に置かない(その分寝間着を分厚くするのでしょう)といった対策が必要なようです。

人間の感情と相反する科学的発見には驚かされることが多いのですが、これもまた然り。感情や本能に基づいた行動が必ずしも正しくないという事実は、重く受け止める必要がありそうです。


2014年8月13日水曜日

霊能力が統合失調症のことだとしたら

ある統合失調症患者の1日の記録」と題された記事を先日読みました。患者の苦しい境涯に、同情を誘われます。
午前7時:
 目が覚めてもしばらくベッドの上に横たわっている。独り暮らしのはずなのに、自分のアパートのいたる所で足音が聞こえる。
午前7時半:
 温かく気持ちのいいお風呂に入る。が、お湯を出しているときに、ドアの向こうで誰かが会話している声が聞こえる。
午前8時:
 なにかが足を這い回っているみたいだが、見てみてもなにもいない。
午前10時半:
 女の子のグループが前をゆっくり歩いている。ネロという頭の中の声が命令してくる。女の子たちのひとりの腹を裂いてはらわたを抜き出し、その腸で二番目の女の子の首を締め上げ、友だちが死ぬを見て金切り声をあげる三番目の女の子を蹴り倒して踏みつけろと言うのだ。
統合失調症は、昔は精神分裂症と呼ばれていました。今は精神が分裂する、というおどろおどろしいイメージがもたらす偏見をなくすために、統合失調症という名前に切り替わりました。妄想、幻覚、人格崩壊などがその特徴です。

こうした精神障害に苦しむ人は今も昔も大勢いるのですが、患者自身の体験談に触れる機会はそれほどありません。書店に行けば体験談が置いてあることもありますが、目立たない場所に置かれていることが多く、読んだことがない人が大半でしょう。

それに、読もうとしても、大変読みづらいものが多いのです。以前、統合失調症患者の手記を何冊か手にとったことがありますが、いたずらに冗長で、途中で読むのをやめました。精神疾患を患うと、考えをまとめるのが苦手になるのかもしれません。

上記のような短くまとまった体験談は有り難く、たいへん貴重でした。

さて、これに似た体験談をどこかで読んだことはないでしょうか?

そう。オカルト雑誌や霊能者の書く書籍によく載っている、霊障体験談です。

★ 霊視 主な相談例
(相談例 2)
ある日から、私は霊に支配されていることを自覚し始めました。
お風呂にはいるときだけは、体から抜けて、お風呂の天井の隅から、男の人が見ています。
仕事もできなくなって、家で1日中寝ています。
病院にも行きましたが、異常はありません。
その他、弟や、母も家の中で異常な音を聞いたり、変なものを見たりしています。
私、昔から密かに、
「霊能力とは統合失調症の別名ではないか」
と考えていましたが、改めてその意を強くしました。

精神科医にとってはごくごく一般的な認識なのかもしれません。霊能力者が精神科医の診断を受ければ、のきなみ「統合失調症」と診断されてしまうのかもしれません。ドクター林ならば、
「一日も早く精神科受診が必要です」
と即断することでしょう。

……が、私はそこに、別の意味を見出します。

昔、高校の時に立花隆を薦めてくる友人がいました。彼から借りた本に書かれていたのが、
「臨死体験という現象がなぜ人間の脳に備わっているのか。その理由が必ずあるはずなのだ。それを探求するのが面白い」
という立花氏の述懐です。うろ覚えですが。

臨死体験というオカルティックな体験の存在の意味を問うことを許されるならば、統合失調症がこの世に存在するのに、理由があると考えることも、許されるはずです。


霊能者は何かを「観ている」

20年ほど前、NHKスペシャル『驚異の小宇宙・人体2 脳と心 第6集 果てしなき脳宇宙~無意識と創造性~』という番組で、沖縄のユタ(=霊媒)が口寄せをする際の脳波を測定するシーンが放映されました。覚えていらっしゃる方もいるはずです。

★ 科学的な検証
本物のユタが能力を発揮するとき、右脳が通常では考えられない異常な状態になることがわかっている。具体的には、論理的な言葉を話すときに活性化すると言われている左脳がほとんど活動を止め、逆に右脳が活性化して論理的な言葉を発している状態になる。この原因は解明されていない。
この番組では、ユタとなる女性の身の上が紹介されていました。ユタとなる以前の女性は、幾度となく幻覚に悩まされ、ときには裸足でうわ言を言いながら真夏の路上をひたすら歩くような異常体験をしたのだといいます。

先輩ユタに相談したところ、お前はユタになる運命にある、と告げられたのだそうです(なにぶん、20年前の記憶です。うろ覚えで申し訳ありません)。ただ、そこに至るまでの経験談は、まさに、統合失調症の発症例そのものでした。

しかし、彼女はユタとなる修行を続けるうちに、幻覚を神のお告げとして認識できるようになり、ユタとして生きるようになります。

彼女に神がかり状態になって神のお告げを語ってもらい、脳波をNHK取材班が測定してみたところ、驚くべき結果が現れます。

論理的なことを話しているのですから、本来ならば活発になるはずの、言葉を話すための左脳の働きがピタリと止まり、イメージを司る右脳が活発に動き始めるという測定結果が得られたのです。

言葉を話すために活発になるべき左脳が沈黙して、右脳が活発となるのは、間違いなく彼女が何かを観ながら、考えることなく話している証拠。そのシーンは衝撃的で、20年経った今でも覚えています。


聴覚を視覚として捉える「共感覚」

「共感覚(きょうかんかく)」という概念をご存知でしょうか。

人間には、本来ならば聴覚として捉えなければいけない情報を、視覚としてとらえてしまう人がいます。音を聞くと、色や形が目の前に現れるのです。

脳のなかの万華鏡---「共感覚」のめくるめく世界脳のなかの万華鏡

こうした人々は、芸術分野で驚くべき才能を発揮します。なにしろ文字通り、「音楽を観る」ことが可能なのです。ベートーベンの「運命」を絵にすることができ、しかもそれは、多くの人に感銘を与えるのです。

「もしもあの曲を色として観たならば、こうであろう」
という想念を、そのまま形にしてしまうのですから。

盲目の少年が、音の反射によって物を観ているというニュースが数年前に話題になったこともありました。

★ 音で世界を"視る"少年 米
ベンは2歳の時、網膜ガンに侵され、両目を摘出して視力を失った(現在、彼は両目に義眼を入れている)。しかしその後、ベンは失われた視力を補うべく、ある特異な能力を身に付けた。それは継続的に舌打ちをし、口から発する音のエコー(反響音)によって、まるで世界を視るように物体の外形や距離を掴むというものである。
この記事の後、研究は進みました。研究者たちは、ベンを始めとする人々の能力を調べ、それが人類に普遍的な能力=エコロケーションであり、学習次第で身につけられることを証明しつつあります。

下の動画は、エコロケーションを学習して身につけつつあるイギリス人の9歳の少年です。


逆の場合もあり、物を見ると音楽が頭に流れる人もいるといいます。そうした人は、優秀な音楽家となることでしょう。

そういえば、京極夏彦の小説にも、臭いを人の視線としてとらえる人物が登場していました。


幻覚、幻聴はなにかの情報?

よって、次のような可能性もあるのではないか、と考えるのです。

統合失調症に罹患すると、「幻覚」や「幻聴」を覚えます。何もないところに、幻を観たり、誰もいないのに誰かが語りかけてくるから、病気だととらえられてしまいます。

しかし、「幻覚」や「幻聴」のもととなる情報が、そこにあるかもしれません。

たとえば、男の人のわずかな臭いを、狐の姿として認識してしまう、という人がいるかもしれません。こういう人は、男の人が部屋にいると、狐の姿を男の背後に必ず幻視するでしょうし、男が数分前までその部屋にいれば、部屋に狐がうずくまっているようにみえるのでしょう。

あるいは、気圧の変化を光として認識する人がいるかもしれません。こうした人は、雨がふる前には青い光が周囲を包むという幻覚を観たりすることでしょう。

テレビ電波やラジオ電波を、受信する能力を備えている人がいるかもしれません。デコード技術(電波を音声として再構築する技術)に劣っているために、幻聴にしかなりませんが、ただしくデコードできれば、人間ラジオ、人間テレビの出来上がりです。

つまり、何もないのにものを見たり音を聞いたりするがために、現実を正しく認識できない=病気として、統合失調症=悪とされてきました。でも、何かの情報を、共感覚によって、視覚的な情報に変換して「幻覚」として観たり、聴覚的な情報に変換して「幻聴」として聞いていたとしたら、それは病気でしょうか?

もちろん、幻覚や幻聴そのままではなんの役目も果たしませんが、もしも幻覚から正しい情報を手に入れられるとしたら? それは立派な、才能となることでしょう。

実際のところ、霊能者達が、滝に打たれたり座禅を組んだりして、悩まされていた悪霊から開放さると同時に、守護霊が代わりにやってきて、有益な情報を教えてもらえるようになった、という話はゴマンとあります。

これは、統合失調症を「修行」によってコントロールして、幻覚から有益な情報を取り入れられるよう鍛えることが出来るという証左かもしれません。

昨今、「瞑想」の素晴らしさが科学的に証明されるようになりました。同じように、滝行や断食、読経などの「修行」が、統合失調症の有益な治療法として科学的に証明される日が、いつか来るかもしれません。

統合失調症に、人間の脳が後天的に共感覚を得る、脳の変容として、才能の獲得の機会として、積極的な意味を与えられる日がいつかやって来るかもしれない、などとも考えるのです。


2014年8月12日火曜日

野生動物や闘牛に催眠をかける中年男性

昨日、トロンボーンで牛を集める男性の動画を紹介しましたが、同じような人が確か、日本にいたはずだと思いまして、いろいろ調べて、ようやく見つけました。

★ 驚くべき気の力 気療師神沢瑞至 シベリア編2



この人の名前も観た番組も何も覚えていない状態から彼の情報を探すのは苦労しました。

他にもこんな映像もありました。

★ 驚くべき気の力 気療師神沢瑞至 スペインで闘牛と対決 1


気だの超能力だの、いろいろ怪しげな手合が多いものですが、この映像だけから判断するに、彼は本物かもしれません。

★ 神沢瑞至(かんざわただし)

上記のプロフィールによれば、明治大学法学部を卒業後、地方公務員として生活していましたが、44歳の時に気の力に目覚め、48歳で上京。平成8年8月8日に気療塾学院を開校し、延べ16年で120名の気療師を育ててきたのだそうです。

1年間でたった8名ほどの気療師しか誕生していないので、講師育成では食べていけないはず。気による治療の方がメインなのでしょう。

上気動画以外にも、出版記念パーティーの様子なども動画で観ました。ヒーラーや気功師に時々ありがちな尊大な態度ではなくて、謙虚で、あまり目立とうとしない方のようです。これだけの力を持っているのですから、新興宗教だって開こうと思えば開けるのに、それをしないのも好感が持てます。

2014年8月6日水曜日

仕事をしていた戦時中の外交官

日本がアメリカを真珠湾攻撃したときのこと。在ワシントン日本大使館1等書記官だった奥村勝蔵の失態のために、攻撃後の宣戦布告となりました。このため、アメリカから、
「日本は騙し討する卑怯な国だ」
と後々まで非難され続けて今に至ることは、よく知られていると思います。

その日の奥村は、前日部下の送別会に出席、それから早く帰宅すればいいのにトランプにかまけ、翌日遅くに出勤。宣戦布告書を清書するのが遅れたことが諸悪の根本とのこと。

それを知って以来、第二次世界大戦のときの日本の外交官に対して、信頼を寄せられなかったのですが、予想外に日本の外交官は活躍していたようです。


上記記事によれば、1945年2月8日と21日に、ドイツの情報士官が自国へ「ソ連対日参戦」の情報をもたらしました。ドイツは自国の在外公館で情報を一斉に共有したそうですが、
この情報は、もともとストックホルム駐在、小野寺信(まこと)陸軍武官がロンドンの亡命ポーランド政府から入手してクレーマーに提供したものとみられ、米国立公文書館所蔵秘密文書によると、クレーマーは、ドイツ降伏後の尋問で「小野寺と活発に情報交換し、45年2月か3月に連合軍の極めて重要情報の提供を受けた」と答えている。
のだそうです。

日本の武官がスウェーデンで活発に情報収集を行っていて、成功していたことに感動を覚えました。記事では、こうした情報を活かしきれなかったことが責められています。

ただ、こうした情報を日本が活用できなかったのは、しょうがないところもあるのではないでしょうか。

記事でも指摘されていますように、日本はソ連に和平交渉を依頼していました。和平交渉を頼む相手に敵対的な行動を取れないと考えるのは当然です。

それに、1939年にはノモンハン事件が起こっていますから、ソ連が再び、満州に攻めてくるだろう、という予想は、すでに前線では共有されていました。ですから、ソ連の対日参戦という情報も、ソ連が攻めてくる確率が5割から7割に上昇したようなもの。あまり大きな変化と感じられなかったのかも。

それに、撤退行動がソ連攻撃の誘い水になるかもしれない、という意見も根強く、動くに動けない状態だったと言われています。

また、連戦連勝しているはずの日本が撤退行動を取ることが、国民の支持を得られない、という判断も合ったのでしょう。

ソ連の対日参戦の情報をいち早く得た外交官の努力には感動を覚えます。しかし、いくら耳や目で相手の情報をつかんでいても、自由に動ける足がなければ逃げることはできません。

大本営発表などの間違った情報を国民に与え続けて、体面の維持を図った結果、撤退の自由がきかなかったことが、敗戦に至る一番の原因だったように思います。


2014年6月17日火曜日

「釣魚島」(尖閣諸島)という名は、中国人に「釣魚城の戦い」を想起させる

日中間の懸案となっているのが、尖閣諸島の領有問題。解決の糸口が見えません。

ところで、尖閣諸島で最大の島である魚釣島(うおつりしま)は、中国では文字が逆になり「釣魚島」と呼称されています。この名前、実は中国人、特に漢民族にとっては、心穏やかならぬ名前であることはご存知でしょうか。

宋による統一

西暦907年の唐の滅亡後、中国は散り散りバラバラとなりまして、さまざまな国に分裂して衝突を繰り返しました。

その中国を、960年、再び一つにまとめあげたのが趙匡胤(ちょうきょういん)という男。
この人はとてつもない名君でして、それまで前王朝の皇帝一族は抹殺されることが慣習であったのに、それを止め、侵略した国の王族のほとんどを貴族として遇しました。

皇帝になるときも、決して自ら望みません。前王朝の皇帝の補佐に徹していたところを、皇帝崩御による幼帝の擁立が重なって、人心の安定のために請われてようやく皇帝となったほどでした。終生、人を殺すのが大嫌い、という人物だったようです。

軍縮成功が仇

唐の滅亡の原因は、国境付近の国防軍の力が強すぎたことでした。野望を持った守備兵長が反乱をたびたび起こしたのです。そのために趙匡胤は、国家統一後、国防軍の力を削ぐことに努力するのですが、決して無理強いしません。長い時間をかけて話し合いを続けて、軍隊の力を少しずつ抑えることに成功します。

こうして再びまとまり、繁栄を誇った宋という国は、残念ながら1127年、異民族に北半分を奪われてしまいます。軍隊の力が弱すぎて、国を守ることが出来なかったのですね。

南に残った宋の片割れを「南宋」と呼びますが、南宋も1279年には滅びてしまいます。なぜならモンゴル帝国という超大国が北に現れ、大侵攻をしかけてきたからです。

釣魚城の戦い

ところが南宋は、たやすくやられはしませんでした。滅亡までの間、モンゴル帝国の侵攻に激しく抵抗します。その最大の抵抗の場所が「釣島城」。

場所は重慶市にあります。
抵抗は1243年から1279年まで36年間に及びました。

モンゴル帝国第四代皇帝であるモンケ・ハーンは、しびれを切らして親征(皇帝自ら戦場に赴くこと)するのですが、攻め落とすことができず、疫病にかかってしまい、この地で没してしまいます。

結局、南宋の首都陥落の後もしばらく持ちこたえた後に、釣島城は陥落するのですが、36年もの間、強大なモンゴル帝国相手に持ちこたえるのは並大抵の覚悟ではなかったことでしょう。

この地を数十年にわたって守り続けた数人の指揮官は、今でも名将と讃えられているそうです。

この偉業は中国ではよく知られています。

決して手放せない場所

つまり「釣島城」という名前は、漢民族にとって異民族への抵抗の象徴なのです。

アメリカ人にとっては「アラモ」のような、国家あるいは民族にとって、なにかこう、身体の奥から魂を揺さぶるような地名があるものです。

日本人にとっては「203高地」や「ミッドウェー」、「沖縄」がそれに当たるのでしょうか? あるいは象徴的という意味では、「関ヶ原」や「ヒロシマ」の名が私たちにもたらす影響の方が、近いのかもしれません。

偶然にも「釣魚城」と同じ名前を持つ島が、現在日本に領有され、中国との間で領有権を巡って争われているという現実。

平和主義の果ての、宋の崩壊、その最後となった「釣魚城の戦い」……中国人が、そこに様々な寓意を読み取っている可能性があります。