そこで思い出したのが、『杜子春』という作品が、日本と中国では異なるバージョンになっているという話です。
本家は中国。元々は唐の時代の小説である、鄭還古の『杜子春伝』が元になっていて明治になって日本で芥川が翻案したのが日本版。細かなディティールは異なるものの、途中までの粗筋は同じです。
唐の時代、金持ちだったが磊落した杜子春という若者が、不思議な老人に出会い、黄金を与えられます。しかし3年後に黄金を使い果たした杜子春は、再びその老人に出会いました。杜子春は老人が仙人であることをに気づき、仙術を教えてほしいと頼んだところ、仙人は彼を住まいの峨眉山へ連れていきました。
杜子春は、仙人が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないと命じられて峨眉山の頂上に一人残されます。虎や大蛇に襲われ、神に殺され、ついには地獄に落とされ責め立てられても、彼は口をききません。
中国版と日本版はここから分かれます。中国版では、地獄に落ちた杜子春が女性に転生して、結婚して子を産みますが、それでも一言も声を上げません(これほど時間軸の長い話を作るというのは、白髪三千丈をいう表現を生んだ、中国らしいですね)。とうとう夫は怒って赤ん坊を叩き殺してしまいます。はじめて、彼の妻となっていた杜子春は悲鳴を上げてしまいました。
結局それはすべて幻覚で、仙人になりそこねた杜子春はとぼとぼと帰途に着く、というのが、唐代に書かれた『杜子春伝』です。
ところがその話を、芥川龍之介はこう作り変えます。
地獄に落とされた杜子春の前に、閻魔大王が杜子春の両親を連れてきます。彼の両親は彼より先に死んだ後、畜生道に落ちて馬になっていたのです。彼の前で鬼たちは、馬となった両親をさんざん打ち据え、これに耐えられなくなった杜子春は「お母さん!」と一声、叫んでしまったのだそうです。
最初、この違いを聞いた時に、中国では母性愛が尊ばれ、日本では親孝行が尊ばれるためにこの違いが生まれたのかと思いましたが、そうではなく、むしろ逆なのだ、という話をきいて目から鱗が落ちる思いがしました。
文化大革命があるまでの中国では、孝行を強制すること、日本の比ではありませんでした。親のために自分の足を切り取って粥にして食わせた、という話が伝わっているほどです。その中国では、たかだか自分の子供を殺されたからといって、叫んでしまった杜子春は、嘲りの対象なのだそうです。
大義を忘れて小さな肉親の愛情に拘泥してしまった人間は、失敗するということを描いたのが中国版の『杜子春』だったのだといいます。
翻って日本の特徴は、子供がとても大切にされる文化なのだそうです。これは戦国時代に日本にやってきたヨーロッパの宣教師も驚いたほど。いわんや、親への孝行を第一に考える中国人からすれば、正気の沙汰ではなかったはずです。
その日本では、親を大切にすることはないがしろにされがち。それを芥川龍之介は革めるために、『杜子春』という物語を書いたのだとか。明治といえば、忠孝がこれまで以上に重んじられた時代。その時代に期待されたのは、自分の身を顧みずに親を大切にする子供でした。
『杜子春』は失敗者の話であり、反面教師とするべき存在。それぞれが要求する理想の家族像が、ひねった形で提示されていることがおもしろいですね。
ちなみに現代では、事情がかなり異なっているかもしれません。中国では一人っ子政策のために子供を「小皇帝」と呼ぶほど大切にするようになり、日本では御存知の通り、幼児虐待が多数報告されるようになりました。
今、中国と日本で『杜子春』が書かれるとしたら、異なる結末となるに違いありません。
本日読んで、気になった記事はこちら。↓
★ フランスには「理系」と「文系」とあとひとつある
今から20年ほど前でしょうか。
理系と文系の2つを結ぶ境界的な学問が必要だ、などと言われて、「総合人間学部」「総合学部」などと名づけられた学部が雨後の筍のように、全国の大学に誕生しましたが、その後その学部独自の成果を生んだ、という話は聞いたことがありません。
フランスでは「理系」「文系」「経済・社会学系」の3つに分かれており、「経済・社会学系」が理系と文系の橋渡しをする学問であるとみなされているのだとか。
言われてみればそのとおりです。なにも新しい学部を誕生させるまでもありませんでした。
★ 「月3万円ビジネス」
昨日ムハマド・ユヌス氏について触れました。彼の理想を日本で実現した場合、どのような方法が考えられるのか……その答えの一つが、この「月三万円ビジネス」です。
★ 「マッサージや整体で骨折の被害も」
これも今から20年ほど前ですが、マッサージや整体のお店が日本で急激に増え始めました。国家資格に胡座をかいて、旧態依然としたあんま業界をシリ目に、どんどんとシェアを伸ばしました。ただ、資格を持たずに仕事をする人が大半な、言わばグレーゾーンの業界のために、骨折などの被害にあう人もいるようです。気をつけたいですね。
杜子春は、仙人が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないと命じられて峨眉山の頂上に一人残されます。虎や大蛇に襲われ、神に殺され、ついには地獄に落とされ責め立てられても、彼は口をききません。
中国版と日本版はここから分かれます。中国版では、地獄に落ちた杜子春が女性に転生して、結婚して子を産みますが、それでも一言も声を上げません(これほど時間軸の長い話を作るというのは、白髪三千丈をいう表現を生んだ、中国らしいですね)。とうとう夫は怒って赤ん坊を叩き殺してしまいます。はじめて、彼の妻となっていた杜子春は悲鳴を上げてしまいました。
結局それはすべて幻覚で、仙人になりそこねた杜子春はとぼとぼと帰途に着く、というのが、唐代に書かれた『杜子春伝』です。
ところがその話を、芥川龍之介はこう作り変えます。
地獄に落とされた杜子春の前に、閻魔大王が杜子春の両親を連れてきます。彼の両親は彼より先に死んだ後、畜生道に落ちて馬になっていたのです。彼の前で鬼たちは、馬となった両親をさんざん打ち据え、これに耐えられなくなった杜子春は「お母さん!」と一声、叫んでしまったのだそうです。
最初、この違いを聞いた時に、中国では母性愛が尊ばれ、日本では親孝行が尊ばれるためにこの違いが生まれたのかと思いましたが、そうではなく、むしろ逆なのだ、という話をきいて目から鱗が落ちる思いがしました。
文化大革命があるまでの中国では、孝行を強制すること、日本の比ではありませんでした。親のために自分の足を切り取って粥にして食わせた、という話が伝わっているほどです。その中国では、たかだか自分の子供を殺されたからといって、叫んでしまった杜子春は、嘲りの対象なのだそうです。
大義を忘れて小さな肉親の愛情に拘泥してしまった人間は、失敗するということを描いたのが中国版の『杜子春』だったのだといいます。
翻って日本の特徴は、子供がとても大切にされる文化なのだそうです。これは戦国時代に日本にやってきたヨーロッパの宣教師も驚いたほど。いわんや、親への孝行を第一に考える中国人からすれば、正気の沙汰ではなかったはずです。
その日本では、親を大切にすることはないがしろにされがち。それを芥川龍之介は革めるために、『杜子春』という物語を書いたのだとか。明治といえば、忠孝がこれまで以上に重んじられた時代。その時代に期待されたのは、自分の身を顧みずに親を大切にする子供でした。
『杜子春』は失敗者の話であり、反面教師とするべき存在。それぞれが要求する理想の家族像が、ひねった形で提示されていることがおもしろいですね。
ちなみに現代では、事情がかなり異なっているかもしれません。中国では一人っ子政策のために子供を「小皇帝」と呼ぶほど大切にするようになり、日本では御存知の通り、幼児虐待が多数報告されるようになりました。
今、中国と日本で『杜子春』が書かれるとしたら、異なる結末となるに違いありません。
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今から20年ほど前でしょうか。
理系と文系の2つを結ぶ境界的な学問が必要だ、などと言われて、「総合人間学部」「総合学部」などと名づけられた学部が雨後の筍のように、全国の大学に誕生しましたが、その後その学部独自の成果を生んだ、という話は聞いたことがありません。
フランスでは「理系」「文系」「経済・社会学系」の3つに分かれており、「経済・社会学系」が理系と文系の橋渡しをする学問であるとみなされているのだとか。
言われてみればそのとおりです。なにも新しい学部を誕生させるまでもありませんでした。
★ 「月3万円ビジネス」
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★ 「マッサージや整体で骨折の被害も」
これも今から20年ほど前ですが、マッサージや整体のお店が日本で急激に増え始めました。国家資格に胡座をかいて、旧態依然としたあんま業界をシリ目に、どんどんとシェアを伸ばしました。ただ、資格を持たずに仕事をする人が大半な、言わばグレーゾーンの業界のために、骨折などの被害にあう人もいるようです。気をつけたいですね。
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