(昨日の続きです)
もちろん、最初から危険性高い治験に参加するつもりはありません。危険性がないことが確かめられれば、その後にバイト代の高い治験に参加すればいい話です。
躊躇なく3万円の仕事を選びました。ところが同じようなことを他人も考えるのでしょうね。応募人数が殺到し、キャンセル待ちの人数は数十人。辞退者も少なく、なかなかキャンセルが出ないとのことでした。2ヶ月の間に同じ薬剤で2回の異なる治験が行われ、どちらもキャンセルは空かず、虚しく時間だけが過ぎて行きました
(このままでは何も経験できないままじゃない!!)
という、夏休みも終わりに近づいて背伸びをして大人の階段を登ろうとあがく高校2年生の女子学生のような焦りを感じました。とうとう一つ目を諦めて、二つ目の糖尿病の薬剤の治験に参加することに決めたのです。
合計5日で15万円。美味しいバイトです。
まずは治験の会場で、説明会が行われます。説明会は、水曜日か木曜日の午後2時頃に時間を指定されました。初めて施設を訪問するので、ドキドキしながら地図を頼りに聞いていた住所へと足を運びました。
――その建物は、閑静な住宅街の中にありました。
びっくりしましたね。医療機関ですから、大通りに面した場所にあるものとばかり思っていたのに、そうではありません。しかも、決して大きくありません。大通りから10分ほど歩いたところにあり、集合住宅と民家に囲まれた、こじんまりした2階立ての、やけに横に長い、窓の小さな建物です。イメージ的には、このような建物でした。
(あくまでイメージ) |
時々ありますよね。住宅街を歩いていると、
「なぜこんなところにこんな建物があるの?」
と驚くような、場違いな建物を見つけることがありますが、まさにそれ。
(のちに、京極夏彦の『魍魎の匣』を読んだ時に、この建物のことを鮮明に思い出しました。治験施設は窓もあり、まともな施設のはずですが、雰囲気が、『魍魎の匣』で描かれた美馬坂近代醫學研究所と、とてもよく似ていました)
もしも悪の組織があるならば、このような目立たない場所にあるに違いないと変に感心したものです。敷地は樹木で囲まれており、門がありましたが、何一つ、看板がありませんでした。説明会当日だというのに案内すらおらず、何度も、
「本当にこの建物でいいの?」
と地図と聞いた住所を照らしあわせ、敷地に入るのをためらったほどです。
ようやく敷地の門をくぐったのは、私と同じ年頃の人たちが何人もその建物の周りに集まり始めたから。意を決して私が入ると、それを待っていたかのように、そこにたむろしていた数人も後から着いてきます。
建物の入り口には、白い紙がセロテープで張られており、マジックペンで黒々と、
「◯◯治験説明会場入り口」
という文字が書かれていました。
説明会は、数回に分かれて行われるそうです。その日の説明会には約20人が集まっていました。50平米ほどの会場にパイプイスが置かれていて、部屋の前にはホワイトボードがあります。質素ですがとても清潔な会場です。窓は小さいのですが、蛍光灯が昼から灯り、暗さは感じさせません。
白衣を着た男性がやがて現れ、説明が始まりました。
要約しますと、今回の治験は、すでにアメリカで認可を受けた糖尿病の新薬を、日本で販売するためのデータを集めるための治験であり、アメリカでは実績のある薬剤である、ということでした。
しかも、目的はデータの収集であり、治験では治療に使う量は使用せず、身体に影響を与えることはほとんどないこと、もしも異常が出たとしても、治療費は施設が全額負担するので安心してほしい、というのです。
(・・・・・・な~んだァ)
拍子抜けしました。アメリカですでに販売され、使用されている薬です。それのどこが怖いのでしょう? 私は安易にそう考えました。ところが、説明は続きます。
ただし、もしも万が一、治療の甲斐なく致命的な結果が出たとしても、それ以降の責任は施設では負わないので、その旨の誓約書を書いてほしいという内容です。
この説明で納得いかない場合は、このまま帰ってもいいこと、交通費はその場合でも出せることが説明されました。納得いただける方のみ、この場で誓約書を書いて、簡単な採血と身体測定、検尿などをおこなってほしい、と言われました。
説明会終了後、2人が怖がって席を立ちました。バカだなと思いながら、用箋挟に手渡された誓約書を挟み、住所や名前を書き、捺印して手渡しました。
身体測定を終了し、帰りに学生証のコピーを求められたので、それにも応じて帰宅。帰り際に渡された封筒には2000円が入っていて、気前の良さに驚いたものです。
治験は、その二週間後に始まりました。
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