2012年8月2日木曜日
本名と別名を使い分けできる社会を 下
昨日取り上げた、本名をネット上で公開するべきかどうか、という問題について。
思い出したのが、芸名が多い芸能界で、本名で勝負することを望んだ中森明菜の成功と失速を論じた記事です。
どこで書かれていたのかはっきりとは覚えていませんが、おそらく
だったような気がします。
今でも大河ドラマに出たり結婚の話題をふりまいたりして元気な松田聖子にくらべて、中森明菜は90年台後半から急速に調子を落とし、今では半分芸能界を引退状態になりました。
その理由の一つに、松田聖子が芸名なのに比べて、中森明菜が本名を選んだことが原因ではないか、というのです。
二人ともに、数々のスキャンダルに見舞われました。本当のスキャンダルも無論あったでしょうが、中には、火のないところに立った煙もあったことでしょう。それに、今から考えればどうでも良いようなことに騒ぎすぎた嫌いもありました。
その渦中、本当の自分とは異なることで騒ぎ立てるマスコミに、腸が煮えくり返ることだってあったはずです。
ところが、芸名で活躍している松田聖子は、それを客観的に見ることができます。
「あのように報道されているのは『松田聖子』という芸能人であって、自分ではない。『蒲池法子』という本人とは別の人格だ」
別名で活動していると、仮面を取り外すように意識を切り替えることができるため、報道の加熱を受け流すことができるのです。
ところが、中森明菜は本名で勝負することを執拗に望みました。これは、彼女が勝気で、「自分の名前に誇りを持っているから、この名前で勝負していきたい」と望んだからだと言われています。
貧しい家庭で育った中森明菜には、自分が中森家をもり立ててみせる、という強い意志があったのかもしれません。
しかし、結局、彼女はスキャンダルにまみれた「中森明菜」と本当の自分である「中森明菜」との区別をつけることができず、精神的に疲弊してしまいました。
本当の自分、家族や親友だけに見せる自分を、社会の無理解から守る、という意味で、別名を用意することは自衛のためにも大変有効な手段です。
インターネットにおける別名は、言わば裸を隠す衣服のようなもの。服を着る自由は認めて欲しいですね。
たかが名前と思うなかれ。
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ここまでくると、哀れみを感じます。早く日本に帰ってくればいいのに。
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