2013年7月10日水曜日

橋下は自分を肯定するために売春を肯定する

橋下徹・大阪市長が新潟市内の維新候補の応援演説で、
(旧日本軍の慰安婦問題を)世界各国がどういう風に見ているかといえば、ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺、ホロコーストとか黒人奴隷と同じように扱われている。僕はそれはちょっと違うんじゃないですかということを言った。
と述べたという。先日の応援演説でも、沖縄女性の神経を逆なでする発言をしていた。
橋下氏は応援演説で、米施政権下の県内で日本政府による米兵向け慰安所が設置されたとして「レイプを止めるために、沖縄県の女性が一生懸命になってやってくださった。感謝の念を表す」などと発言した。
★ 「ユダヤ人大虐殺や黒人奴隷とは違う」 維新・橋下代表
★ 「沖縄女性、慰安所で頑張った」 橋下氏「感謝の念」 参院選遊説

ため息しか出て来ない。これほど優秀で、男気のある人が、なぜこうまで間違った見解を述べ続けるのだろう?

彼の論点と世間の論点はずれている。兵士相手の売春強制(という間違った行為)に日本軍が関与していない、と言うのではなく、彼は売春自体を必要悪だと肯定する。世間の人々の多くは思っているはずだ。
「頼むから、売春が役立ったという胸くそ悪い発言はしないでほしい」
……しかし、彼は自説を曲げない。

昨年から、彼はダメだと何回かこのブログで書いてきた。

★ 橋下徹の中野剛志・小林よしのり批判
カリスマ性を手に入れたにもかかわらず、このままでは、求心力を保つことは出来ません。落日の時も近いようです。(今とは文体が違いますな……)
彼が大阪市長選挙で当選を果たしたのが2011年11月27日。それから数ヶ月、次々に大阪市政の変革に取り組んでいた時期だ。上記記事を書いた頃、「彼の落日の時も近い」と書くことは勇み足とも思われたが、その時の直感は正しかった。今度の参院選、維新の会は票をほとんど取りこぼすだろう。

ヤクザだった父親は子供の頃に自殺。極貧の家庭に育ち、逆境の中で身体を鍛え、勉学に勤しみ、そして今の地位を築いた。その地位から滑り降りるのが分かっているにも関わらず、彼は売春を否定し切れない。

なぜか。それは、彼のレゾン・デートル(raison d'être=存在意義)に関わるものだからだろう。

橋下は大阪の「飛田新地」という風俗街の顧問弁護士をしていた。金払いはいいけれども、まともな弁護士ならば引き受けない案件だ。それを引き受けたのは、カネのためだ。貧困から這い上がるためだ。そう思って割り切って引き受けたのだろうが、果たしてそううまく、割り切れるものだろうか。

彼が飛田新地の顧問弁護士として活躍していたのは30代前半。感性はまだ摩滅していない。その地で生じた様々な事件に相対し、裁判の準備過程で、当然、多くの風俗嬢と面識を持ったはず。自分とほとんど年の変わらない風俗嬢が、苦境にあえぐ姿に日夜、接していたわげだ。

性の問題を人類はいまだ解決できていない。男性が若年時に抱えるあの異常な、旺盛な性欲。気が狂いそうで、そのためならば殺人すらいとわないようなあの激しい欲望。女性の生理時の苦痛を男性が理解できないように、女性は男性の若年時の性欲の苦しみを、理解できまい。

女性の多くは、男の性欲だけの対象となることに嫌悪を覚える。だから、性欲をもてあます男性は多いのに、それに応じる意思のある女性は少なく、応じたとしても偏ることになる。

この食い違いを解消する一つの方法である売春を文明社会は常に否定してきた。それは、売春制度が女性を傷つけなければ成り立たないからだ。

しかし、売春をことさらに軽侮する風潮は、売春婦に身を落としてしまった女性にとっては二重の苦しみだ。売春婦となったことで他人から蔑まれ、売春をしてしまったことで自身の罪悪感に責めさいなまれる。

売春を経験した女性は、ほとんどが精神的疾患を抱えるという。摂食障害、鬱病、自律神経失調症、解離性障害、醜形恐怖などなど。

橋下は、精神的に苦しむ女性たちの姿も、見続けてきただろう。

彼は風俗嬢を内心で軽侮しながら仕事をしていたかもしれない。たとえそうだとしたも、その気持ちは一度も揺らがなかったか? おそらくそうではあるまい。

つらい過去を背負った人間は、同じようにつらい境遇の人間が苦しむのを真近にしたとき、過去の記憶がフィードバックする。反感と共感が交互に押し寄せて、人並み以上に感情移入する。エーリッヒフロムはつらい過去を持つ人々が強い同情を他人に寄せる傾向を憂えたが、それはどうしようもないオートマチックな感情活動である。

売春行為、売春婦自体を否定することは、橋下が当時交流のあった女性たちを裏切ることになる。彼女たちを否定することは、彼女たちに重ねあわせていた自分自身の生い立ちを否定することでもある。

幼少の頃、貧困家庭に育ち、歯を食いしばりながら周囲を見返してやろうとあがいていた自分自身を否定することは、彼にとって出来ないだろう。

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