2013年7月8日月曜日

安藤美姫の未婚の母としての覚悟

未婚の母となった安藤美姫への風当たりが強いようだが、同時にそれを擁護する声もまた多い。

批判派は安藤美姫への不満というよりも、彼女に影響された若いモノ知らずの女性が、
「自分だって未婚でも子供を産んでもいいじゃん」
と言い出しかねないことへの恐怖によるものだと思う。

潜在的ヤンママは案外多い。勉強や努力が嫌いで、親や先生の意見を聞くのはイヤだけれど先輩や男の影響は受けやすいという女性たち。彼らは世間の影響を受けやすい。世間が未婚の女性に寛容になれば、ある時を境にして、一斉に、本能の命じるままに未婚者の出産ラッシュが始まるかもしれない。まるで繁殖地のオットセイのように一斉にだ。
「キタオットセイの暮らし」HPより
そうなっては家族制度は崩壊の危機に立つ。それを危惧する人々が、未婚の母のアイコンを早めに潰そうと考える気持ちも、分かる。

けれども今の日本、たとえ虐待が増えようとも、子供の数を増やすことの方が早急の課題。親父雑誌の「週刊文春」の安藤美姫批判の試みが、逆に批判の渦へと巻き込まれたのも、民族的危機感のなせるわざなのかもしれない。

批判と肯定の間で、日本の世論は安藤美姫に対して迷走をしているように思える。

彼女の娘の名前は「ひまわり」だそうだ。元コーチで元彼氏、ロシアの種馬の異名を持つのヤ○チン・モロゾフの国の国花がひまわりだから、何か関係があるのかもしれない、などと2chなどの口さがない京雀はかしましい。子供の名前をつけるとき、今は別の男とつきあっているのだとしたら、普通は元彼にまつわる名前を息子につけないもの。たとえば日本人とつきあっていた中国人女性が、その後、自国の男性と結婚して子供を産み、生まれた娘に「桜花(インファ)」と名付けないだろう。……たぶんね。


--> 本来ならば、彼女自身の人生なので、外野がとやかく言うことでもあるまい。ただ、彼女のような美人で世界的なアスリートが、未婚の母となるというのは、ちょっとしたショックであるし、世間の常識、ルール、慣習、義務とはズレているのだから、叩かれるのはしょうがない。未婚の母を選ぶということは、先方が既婚者とか、何かしらの理由があったればこそとの疑いもある。その疑いを晴らさないで済まそうするのは、少々虫が良すぎるようにも思う。人倫を踏み外している人を大多数の人は応援したくない。

社会は信頼と契約で成り立っている。結婚は一種の契約だ。契約を結ばずに仕事を進めようとする人間をいい加減だと感じるのは当然のこと(一部業界は、いまだに契約を結ばないまま仕事を頼むことが多いが)。約束ごとをいくつも破り、なおかつ世間に受け入れてもらおうというのは彼女の都合であって、吾々がその意思をすべて受け入れる必要はない。

上に立つ者を人々が叩くのは、彼(女)自身が悪いからではなく、私たちの社会に悪影響を与えそうだから、叩く。叩かれることは上に立つ者の仕事の一つであり、それが嫌なら辞めるしかない。

そして、私の好きな松田聖子はいくら叩かれても常にマスコミの前で堂々と自説を語り、芸能界を辞めることはなかった。安藤美姫の覚悟や、いかに。

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