2013年4月11日木曜日

松田聖子は歌がうまい

松田聖子といえば伝説のアイドルとして未だにファンを増やし続けている(いい意味で)化け物なのだが、彼女のことを、先日福山雅治とタモリが番組の中で誉めそやしたそうだ。
今回のSP(3月29日の『ミュージックステーション 3時間スペシャル』のこと)では「タモリさんと見ながら話したんだけど」と、「松田聖子さんはやっぱり歌がうまい」という話題で盛り上がったことを明かした。司会のタモリも松田聖子を全盛期から見ている。福山の言葉に共感して「この人は本当にうまいんだよ」と評価したのである。

私が子供の頃に、ある教師が松田聖子のことを、
「あんなに歌が下手な人間でも歌手になれるんだから、君たちもなろうと思えば歌手になんて簡単になれるよ」
と言った。それを聞いて子供だった私は、バカだったから、
「そうかぁ。松田聖子は歌が下手なんだ」
としばらくの間信じ込んでいた。

今になったら、当時40代の教師がどんなことを考えながら松田聖子の悪口を言っていたのかが、分かる。子供の前で威張ってみせ、小学生にとって憧れの的のアイドルをけなせる俺って、カッコいいだろ? という子供じみた主張をしていた。思えば彼は、小さなミスをいつまでもねちっこく責め立て、子供が泣き出すまでやめないような男だった。彼は教育力に欠けていて、周囲の評価も高くなかったのだろう。自分の意のままになる子供を相手に、輝いている他人をけなすことで鬱憤を晴らしていたのだろう。

松田聖子は歌がうまい。当時の映像を今観れば、単純にそう思える。たとえばこの動画を見れば一目瞭然ではないか。1982年の武道館コンサートのラストシーン。「Only My Love」を歌う彼女の声を聞いてほしい。
(動画が見られない人は、こちらをクリック)
最近のコンサートのような、派手な演出もなく、バックダンサーもおらず、ただ、ゴンドラに乗って彼女1人が歌う、というシンプルな構成だ。それにも関わらず、なんと感動的なワンシーンだろうか。まるで劇の中の一幕のように見える。

劇的といえば、彼女のデビューもまた、相当に劇的である。

16歳でミス・セブンティーン九州地区大会で優勝したものの、父親の反対で1年半地元でくすぶり、熱心なプロデューサーの説得もあってようやく高校を中退して上京したのが18歳の頃。

だが事務所は、とうの立ってしまった彼女に期待をしていなかったようだ。もっと若い新人アイドルを売りだすことに躍起になっていた。事務所期待の星の祖父は映画監督、父は俳優であり、芸能一家に生まれたサラブレットに対して、松田聖子の勝ち目はないはずだった。

聖子自身も、18歳で歌手を目指す遅咲きの自分が、アイドルとして売れるとは考えていなかったようで、歌手として地道に活動する心づもりだったようである。

ところが、そこから彼女の強運が始まる。「おだいじに」というドラマに、本来は香坂みゆきという先輩タレントが出演するはずだったのが出られなくなり、代役として出演が決まった。そのときの役名が「松田聖子」で、それが、以後の彼女の芸名となった。

それに続いて、サン・ミュージックが売り出すはずだった期待の新人アイドル出演予定のシャンプーCMが、薬事法違反で販売中止となってしまう。その埋め合わせのために、サン・ミュージックの営業舞台がとってきた仕事が、資生堂の「エクボ」のCM。ところがクライアントには、画面に映えるタレントを使用したいという意向があり、モデルの人選も済んでいた。

サン・ミュージックに要求されたのは「歌だけ」のタレント。そこで、ルックスは評価されていなくても(バカな……でも本当の話)、歌は事務所スタッフから評価されていた松田聖子が急遽、抜擢されることとなった。それがこのCMだ。
ところが、CMに顔出しをした山田由紀子は売れず、松田聖子の声が、人々に強烈な印象を与えることとなった。

「あの声の女性は誰だ?」
「あの伸びやかな歌声の主は?」

そんな街の声に手応えを感じたソニーのプロデューサーとサン・ミュージックの上層部が、ようやく彼女を期待の新人として売り込むことを決意した。

上記CMとのタイアップであり、デビュー曲でもあった「裸足の季節」のレコードの売上が28万枚ほどもあり、新人としては大きなヒットを飛ばしたのも大きい。

彼女を売り出すために、テレビ局も、ソニー・ミュージックも、サン・ミュージックも頑張った。

なにしろ、7月1日にリリースした彼女の2曲目を鮮烈に世間に売り込むために、お盆の8月14日という国民の多くがテレビに釘付けになる日に、空港の一角を借りきって、飛行機を10分近く上空で待機させ、テレビの出演時刻に間に合わせるという荒行を成し遂げたのだ。

「ベストテン」の8位にランクインし、その発表ととともにテレビカメラは羽田空港を映し出す。しばらくして札幌からやってきた飛行機が羽田空港に到着して、カメラは搭乗口を映しだす。

ドアが開き、軽やかに階段を駆け下りてきた純白のドレスを着た少女が、松田聖子だった。彼女は少しだけスタジオの久米宏らと会話した後、ヘッドフォンをつけて、そして大きく腕を回し、歌いはじめた。

それが「青い珊瑚礁」である。その伸びやかな歌声に日本中が魅了され……そして彼女の伝説が始まった。
彼女の歌が、下手なはずがないのだ。

2 件のコメント:

  1. おはようございます。
    しおれたきゅうりです。

    >彼女の歌が、下手なはずがないのだ。

    仰る通りです!
    でも「松田聖子は歌が下手」っていう人は、当時少なからず存在してましたね、確かに。
    何でだろうなあ?

    やっぱり「ぶりっ子」っていうイメージが、相当強烈だったのかな?
    でも今観ると、その「ぶりっ子」こそ、彼女の素晴らしいパフォーマンスの証なんですけどねえ。
    当時の価値観では、未知との遭遇って感じで、理解できなかったんですね、あの素晴らしさを。

    それと、歌唱力についても、眉間にシワ寄せて太い声で歌い上げる=歌が上手い、みたいなものからすると、聖子ちゃんの歌唱はタイプが違いますもんねえ。
    これも今聴くと、逆にこんなにサラッと歌っているのに感情を伝える事ができる稀有な歌手なんだと強くかんじるのですけれども。

    そういう意味で、この時のタモリさんと福山さんの会話は嬉しかったです。
    できれば本番中に言っていただければもっと嬉しかった(笑)

    アマカナタさん、素晴らしい記事をありがとうございました。
    この記事、私のブログで紹介させていただいてもよろしいですか?
    (コメント欄にて、ですけれでも)

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    1. しおれたきゅうりさん
      コメントありがとうございます。しおれたきゅうりさんの「『松田聖子』という奇跡~ひとりよがり哲学」は結構初期から注目して読んでいましたので、コメントいただけるのは光栄です。

      私は年を食ってから聖子ファンになった口なので、ここ数年の間で、ネットをいろいろとあさくって、松田聖子について書かれたブログのほとんどには目を通しました。ですが、詳しく論考を重ねるブログは、案外少ないものですよね。

      しおれたきゅうりさんのブログは、後発ながらその量、百科全書的な知識が網羅されていて、圧巻でした。
      「このブログを読めば、日本国内の松田聖子関連のネット記事はすべて知ることができる」
      という安心感があります。

      上記記事は聖子ファンにとってはほとんど常識のことばかりですが、紹介していただけるならば、喜んで。

      高圧ガスの資格試験、がんばってください。

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