2012年12月21日金曜日

猪瀬直樹・新都知事のとある一面について ③

A 作家・猪瀬直樹が交通事故鑑定人・林洋を週刊文春誌上で批判(1994.10)

B 林氏が猪瀬氏と出版社に厳重抗議

C 文藝春秋社編集部が林氏に話し合いを提案、林氏は懐柔されるつもりはない、とこれを拒否

D 林氏、『交通事故……』所収の全5事例全ての誤りを指摘した小冊子30冊を作って各方面に配布したが、ほぼ黙殺される

E 林氏の弾尽きたと判断したのか、猪瀬が第二弾の批判(1995.10)

F 林氏、雑誌「宝島30」にて詳細に、猪瀬本の過ちを指摘(1995.11)

G 林氏と猪瀬氏、雑誌「宝島30」誌上で討論したが、紛糾して終了(1996.1)

H 林氏、上記小冊子を元に下に掲載した本を上梓(1996.3)



B 林氏が猪瀬氏と出版社に厳重抗議
昨日は、Aについて説明しました。
猪瀬氏は林氏の鑑定数が大変多いことを挙げて、異常な数だ、だから杜撰だろう、という推定を述べています。
ただし、
・どう杜撰なのか、証拠をまったく挙げない。
・「数が多いから杜撰だろう」という印象を述べるだけ。

という問題点がありました。

その上猪瀬氏は、林氏の自己申告する仕事量自体、嘘ではないかという疑いを文章にさらっと差し込んで、林氏の根本を否定しますが、そんな、当時の事故資料を調べれば簡単に分かるようなことを、まったく確認せずに濡れ衣を着せていたことが分かりました。

私、高名な職業作家が、ある人物の業績を批判する際は、証拠をもとに行うものだと思っていました。
ところが猪瀬氏、何の証拠もなく、印象、インスピレーションだけで、そもそも江守氏批判という論文趣旨とは関係のない人物を、イメージの傍証のために突然公共の場に引きずり出して、自分の有利な社会的立場を利用してエビデンス無しに面罵を加える、ということを平気で行うのです。

ちょっと驚きますよね。


結局、この2人の応酬の過程で、猪瀬氏は最初から最後まで、林氏の仕事がほんとうに杜撰なのかを具体的に示すことは「何一つ」できないのです。

C 文藝春秋社編集部が林氏に話し合いを提案、林氏は懐柔されるつもりはない、とこれを拒否
もちろん、林氏は猪瀬氏と出版社に、抗議の手紙を出します。
ところが、猪瀬氏はこれを黙殺、出版社からは、
拝啓 十月十日にお送りいただいたお手紙、さっそく拝見いたしました。私が察しますに、林様と猪瀬氏との間で、多少の見解の相違があるのではないかと思われます。つきましては、一度お二人に直接会っていただき(私も担当編集者として同席いたします。)各々のお考えについて、心ゆくまでお話いただいてはいかがでしょうか。後日あらためて当方より連絡させていただきます。よろしくご検討ください。
  敬具 平成六年十月二十四日
という手紙が届きます。

誌上討論をよびかけるのでもなく、単なる酒席の場を設けて、懐柔しようという、出版社が訴訟を起こされるのを未然に防ぐためによくやる手口です。

むろん、林氏はこれを拒絶します。
そして、訴訟を検討するのですが、林氏、
(待てよ)
と思い返します。

(向こうがその気ならば、猪瀬の作家としての仕事がどれだけ杜撰なのか、プロの交通事故鑑定人として徹底的に公開の場で戦ってやろう)

よほど技量に自信がなければ考えられない不利な方法をあえて取るのです。

『修羅の門』というマンガでは、主人公の陸奥九十九が、自分が伝承する陸奥圓明流が最強であることを証明するために相手の得意とする分野で戦います。
それを思いだしました。

くりぃむしちゅーの上田なら、
「ブハハハwwwそこは名誉毀損訴訟で一気に終わらせちまえよwww」
と笑うところですが。

~猪瀬直樹・新都知事のとある一面について ④に続く~

0 件のコメント:

コメントを投稿