2013年4月25日木曜日

閉塞した時代に生きる

半分の月がのぼる空〈上〉
少子高齢化、国際化、IT革命などによって、市場環境が大きく変わり、右肩上がりの時代に波に乗った人々は、自分を時代に合わせることができないことに戸惑いを隠せません。

ライトノベル業界は、つい先日まで、大躍進時代に酔っていました。出版不況の中の数少ないドル箱として、各社が次々に新しいレーベルを立ち上げ、出版社を支えてきていましたが、そのバブルも潰えたようです。

今では大衆文学へと歩を進めた作家が、次のような述懐をしていました。
 五年前、十万部売れていた作品があったとしよう。今なら、よくて五万部くらいかな。三万部かもしれない。来年はもっと減る。再来年もね。三年後は……本になるかどうか、僕には確信が持てない。
 今の日本では、ほぼすべての分野において、市場が縮んでいる。当たり前の話だ。人口が減っているのだから。若い人がどんどん少なくなっている。小説もまた、その宿命から逃れることはできない。
橋本紡氏の『半分の月がのぼる空』は、アニメなどのライトノベルの枠を超えて、テレビドラマ、映画にもなりました。映画には大泉洋が重要な役で出ています。その彼が、「断筆宣言」をしたことで、業界に大きな波紋が広がっているようです。

もっとも、
>>家族を描いた小説は今、まったく売れなくなった。大人を描いた小説は今、まったく売れなくなった。
という後半部分が、彼の述べたい部分でしょうが、本日私が述べるのは、前半の閉塞した時代への彼の諦観についての感想です。

現代は、社会システムが強固です。高齢者が引退せず(ナベツネを見ていれば分かります!)上層部でガッチリと権力を握り、持たざるもの、貧しい者が上へ這い上がる夢を見るのが難しい時代です。こんな時代に反発して戦争を望む者さえ、中にはいます。

★ 「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。

戦争、あるいは革命、大きく環境が変化すれば、強固な社会システムから漏れでた人間にも出世する機会がありそうですが、そうでなければ、定められたレールの上をうまく走れればよし、脱輪したり、そもそも機関車の機能が劣っていたりすれば、成功することは叶わない時代にも思えます。

それでも、少しずつ前に進んでいるのならば、成長していることが実感できるのならば、努力を続けられますが、市場が縮小して年々売上が右肩下がりの中では、それも叶わないように思えます。

だからこそ、冒頭の橋下氏のような述懐に共感する人々が多いのでしょう。彼の言葉はたくさんの人にシェアされ、拡散しています。

ただ、私はそうは思いません。ゆるやかに停滞する経済環境の中では、その時代にあった成功の形があるだけだと思うからです。

大躍進、市場が急激に拡大する時代には、岩崎弥太郎や松下幸之助、あるいは孫正義のような大金持ちが現れ、人々はそれを夢見ながら日々を送ります。出版業界ではW村上のような若きスターが突然現れ、数百万部を売り上げたりします。頂上が高ければ、裾野も広いもの。たくさんの山がそびえ立っていれば、さらに裾野が広がります。しかし、今は頂上が下がり、山も崩れゆく時代です。

成長時代の波に乗った人が、停滞時代に
「同じ方法でうまくいかない」
「私よりも年齢の高い世代がうまくいっていた方法が、私がその年になった時にうまくいかない」
と言うのに、共感の溜息をつきそうになります。

でも、歴史を紐解いてみてください。日本史を見るだけでも、同じような停滞した時代はこれまでも何度も訪れています。その中で生きることは坂の上の雲を望むような明るさこそありませんし、偉人がキラ星のように活躍することもないでしょう。

ですが、イブシ銀のような人々が工夫をしながらどん底から這い上がり、破滅的な環境を改善しながら、停滞したほの暗い中で無数の灯台となって、落ちていく人々を地道に救い上げていく姿を観ることができるものです。

たとえば江戸時代末期など、どうでしょうか。農産物の生産高はあまり上がらず、飢饉がいくども発生し、人口は増えたり減ったりを繰り返していました。幕府の支配は絶対的であり、封建制度は打ち崩せず、黒船がやってくるまでは、未来永劫徳川幕府が続くことを、疑う者はいませんでした。

この時代に活躍した人に、二宮尊徳という人がいます。停滞した時代の彼の生き方が、とても参考になります。

彼の出発は悲惨です。天明7年(1787)に今の小田原市に生まれた彼は、5歳でその地を襲った大洪水のために土地も家屋も失い、困窮の中で幼少期を送ります。父は病弱で酒に溺れていましたが、やがて亡くなりました。二宮尊徳が14歳の時です。

一家はさらに困窮の底に沈みました。時代も悪い。生まれた時の天明の大飢饉の余波がいつまでも彼を苦しめました。

が、尊徳はひたすら、できることを始めます。努力と工夫を重ねて日々の糧を稼ぎながら副業に手を染めます。そこには大向うをうならせるような派手さはありません。日々のエピソードを聞いても、公有地に麦を蒔いて収穫しただとか、自分ですべてを行おうとせずに開拓した土地を少しずつ他人に貸して少しずつ地所を広げていったとか、そんな地味な努力ばかり。

彼は地味なのです。だから、名前が知られているわりにはドラマや映画になることもほとんどありませんでした。当たり前のこと、彼にできることをひたすらやり続けるだけです。でも、20歳になるまでには失った土地や家屋を取り戻し、一家を再興しました。

その手腕が見込まれて、彼は関東一円を経済コンサルタントとして、指導して回ります。歴史的に検証しても、彼の手腕にケレン味はありません。でも、その成果が甚大なることは、彼が指導をして復興を果たした神奈川から静岡にかけて、今でも彼の業績を語り継いでいることからも分かります。

尊徳の手法は理にかなった方法でした。その土地で収穫可能な生産高を10年間の年貢記録をもとに割り出し、それをもとに年貢高を定め、領主と交渉します。その一方で住民には開拓を勧めて増収を奨励。結果、領主は確実な年貢収入を徴収でき、農民の生活にも余裕ができます。

人のモチベーションの上げ方もうまいのです。監視者の眼の行き届かないところでサボる人間を叱責する一方で、眼の届かない所でも骨惜しみをしないで働く人間ならば、たとえ生産量が少なくとも褒めあげます。何を褒めて何を叱るのか、明確な指導方針が人々を変えていくのです。

橋本紡氏の半生を読みますと、女性のヒモとして生きながら暇にあかせて書いた作品が賞を取り、その後出した本が次々に売れた結果成功したようです。確かにそのような飛躍は、停滞した市場では難しいかもしれません。でも、当たり前のことを当たり前にやりつつ、創意工夫を凝らしていくことで、人生はいくらでも切り開けるものでしょう。

市場が拡大した時代、あるいはバブル時代を懐かしむ人々の慨嘆に共感するよりも、市場が縮小した時代に活躍した人々の歩みをたどりながら、己のなすべき道を模索することの方が、より建設的です。


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