2014年8月13日水曜日

霊能力が統合失調症のことだとしたら

ある統合失調症患者の1日の記録」と題された記事を先日読みました。患者の苦しい境涯に、同情を誘われます。
午前7時:
 目が覚めてもしばらくベッドの上に横たわっている。独り暮らしのはずなのに、自分のアパートのいたる所で足音が聞こえる。
午前7時半:
 温かく気持ちのいいお風呂に入る。が、お湯を出しているときに、ドアの向こうで誰かが会話している声が聞こえる。
午前8時:
 なにかが足を這い回っているみたいだが、見てみてもなにもいない。
午前10時半:
 女の子のグループが前をゆっくり歩いている。ネロという頭の中の声が命令してくる。女の子たちのひとりの腹を裂いてはらわたを抜き出し、その腸で二番目の女の子の首を締め上げ、友だちが死ぬを見て金切り声をあげる三番目の女の子を蹴り倒して踏みつけろと言うのだ。
統合失調症は、昔は精神分裂症と呼ばれていました。今は精神が分裂する、というおどろおどろしいイメージがもたらす偏見をなくすために、統合失調症という名前に切り替わりました。妄想、幻覚、人格崩壊などがその特徴です。

こうした精神障害に苦しむ人は今も昔も大勢いるのですが、患者自身の体験談に触れる機会はそれほどありません。書店に行けば体験談が置いてあることもありますが、目立たない場所に置かれていることが多く、読んだことがない人が大半でしょう。

それに、読もうとしても、大変読みづらいものが多いのです。以前、統合失調症患者の手記を何冊か手にとったことがありますが、いたずらに冗長で、途中で読むのをやめました。精神疾患を患うと、考えをまとめるのが苦手になるのかもしれません。

上記のような短くまとまった体験談は有り難く、たいへん貴重でした。

さて、これに似た体験談をどこかで読んだことはないでしょうか?

そう。オカルト雑誌や霊能者の書く書籍によく載っている、霊障体験談です。

★ 霊視 主な相談例
(相談例 2)
ある日から、私は霊に支配されていることを自覚し始めました。
お風呂にはいるときだけは、体から抜けて、お風呂の天井の隅から、男の人が見ています。
仕事もできなくなって、家で1日中寝ています。
病院にも行きましたが、異常はありません。
その他、弟や、母も家の中で異常な音を聞いたり、変なものを見たりしています。
私、昔から密かに、
「霊能力とは統合失調症の別名ではないか」
と考えていましたが、改めてその意を強くしました。

精神科医にとってはごくごく一般的な認識なのかもしれません。霊能力者が精神科医の診断を受ければ、のきなみ「統合失調症」と診断されてしまうのかもしれません。ドクター林ならば、
「一日も早く精神科受診が必要です」
と即断することでしょう。

……が、私はそこに、別の意味を見出します。

昔、高校の時に立花隆を薦めてくる友人がいました。彼から借りた本に書かれていたのが、
「臨死体験という現象がなぜ人間の脳に備わっているのか。その理由が必ずあるはずなのだ。それを探求するのが面白い」
という立花氏の述懐です。うろ覚えですが。

臨死体験というオカルティックな体験の存在の意味を問うことを許されるならば、統合失調症がこの世に存在するのに、理由があると考えることも、許されるはずです。


霊能者は何かを「観ている」

20年ほど前、NHKスペシャル『驚異の小宇宙・人体2 脳と心 第6集 果てしなき脳宇宙~無意識と創造性~』という番組で、沖縄のユタ(=霊媒)が口寄せをする際の脳波を測定するシーンが放映されました。覚えていらっしゃる方もいるはずです。

★ 科学的な検証
本物のユタが能力を発揮するとき、右脳が通常では考えられない異常な状態になることがわかっている。具体的には、論理的な言葉を話すときに活性化すると言われている左脳がほとんど活動を止め、逆に右脳が活性化して論理的な言葉を発している状態になる。この原因は解明されていない。
この番組では、ユタとなる女性の身の上が紹介されていました。ユタとなる以前の女性は、幾度となく幻覚に悩まされ、ときには裸足でうわ言を言いながら真夏の路上をひたすら歩くような異常体験をしたのだといいます。

先輩ユタに相談したところ、お前はユタになる運命にある、と告げられたのだそうです(なにぶん、20年前の記憶です。うろ覚えで申し訳ありません)。ただ、そこに至るまでの経験談は、まさに、統合失調症の発症例そのものでした。

しかし、彼女はユタとなる修行を続けるうちに、幻覚を神のお告げとして認識できるようになり、ユタとして生きるようになります。

彼女に神がかり状態になって神のお告げを語ってもらい、脳波をNHK取材班が測定してみたところ、驚くべき結果が現れます。

論理的なことを話しているのですから、本来ならば活発になるはずの、言葉を話すための左脳の働きがピタリと止まり、イメージを司る右脳が活発に動き始めるという測定結果が得られたのです。

言葉を話すために活発になるべき左脳が沈黙して、右脳が活発となるのは、間違いなく彼女が何かを観ながら、考えることなく話している証拠。そのシーンは衝撃的で、20年経った今でも覚えています。


聴覚を視覚として捉える「共感覚」

「共感覚(きょうかんかく)」という概念をご存知でしょうか。

人間には、本来ならば聴覚として捉えなければいけない情報を、視覚としてとらえてしまう人がいます。音を聞くと、色や形が目の前に現れるのです。

脳のなかの万華鏡---「共感覚」のめくるめく世界脳のなかの万華鏡

こうした人々は、芸術分野で驚くべき才能を発揮します。なにしろ文字通り、「音楽を観る」ことが可能なのです。ベートーベンの「運命」を絵にすることができ、しかもそれは、多くの人に感銘を与えるのです。

「もしもあの曲を色として観たならば、こうであろう」
という想念を、そのまま形にしてしまうのですから。

盲目の少年が、音の反射によって物を観ているというニュースが数年前に話題になったこともありました。

★ 音で世界を"視る"少年 米
ベンは2歳の時、網膜ガンに侵され、両目を摘出して視力を失った(現在、彼は両目に義眼を入れている)。しかしその後、ベンは失われた視力を補うべく、ある特異な能力を身に付けた。それは継続的に舌打ちをし、口から発する音のエコー(反響音)によって、まるで世界を視るように物体の外形や距離を掴むというものである。
この記事の後、研究は進みました。研究者たちは、ベンを始めとする人々の能力を調べ、それが人類に普遍的な能力=エコロケーションであり、学習次第で身につけられることを証明しつつあります。

下の動画は、エコロケーションを学習して身につけつつあるイギリス人の9歳の少年です。


逆の場合もあり、物を見ると音楽が頭に流れる人もいるといいます。そうした人は、優秀な音楽家となることでしょう。

そういえば、京極夏彦の小説にも、臭いを人の視線としてとらえる人物が登場していました。


幻覚、幻聴はなにかの情報?

よって、次のような可能性もあるのではないか、と考えるのです。

統合失調症に罹患すると、「幻覚」や「幻聴」を覚えます。何もないところに、幻を観たり、誰もいないのに誰かが語りかけてくるから、病気だととらえられてしまいます。

しかし、「幻覚」や「幻聴」のもととなる情報が、そこにあるかもしれません。

たとえば、男の人のわずかな臭いを、狐の姿として認識してしまう、という人がいるかもしれません。こういう人は、男の人が部屋にいると、狐の姿を男の背後に必ず幻視するでしょうし、男が数分前までその部屋にいれば、部屋に狐がうずくまっているようにみえるのでしょう。

あるいは、気圧の変化を光として認識する人がいるかもしれません。こうした人は、雨がふる前には青い光が周囲を包むという幻覚を観たりすることでしょう。

テレビ電波やラジオ電波を、受信する能力を備えている人がいるかもしれません。デコード技術(電波を音声として再構築する技術)に劣っているために、幻聴にしかなりませんが、ただしくデコードできれば、人間ラジオ、人間テレビの出来上がりです。

つまり、何もないのにものを見たり音を聞いたりするがために、現実を正しく認識できない=病気として、統合失調症=悪とされてきました。でも、何かの情報を、共感覚によって、視覚的な情報に変換して「幻覚」として観たり、聴覚的な情報に変換して「幻聴」として聞いていたとしたら、それは病気でしょうか?

もちろん、幻覚や幻聴そのままではなんの役目も果たしませんが、もしも幻覚から正しい情報を手に入れられるとしたら? それは立派な、才能となることでしょう。

実際のところ、霊能者達が、滝に打たれたり座禅を組んだりして、悩まされていた悪霊から開放さると同時に、守護霊が代わりにやってきて、有益な情報を教えてもらえるようになった、という話はゴマンとあります。

これは、統合失調症を「修行」によってコントロールして、幻覚から有益な情報を取り入れられるよう鍛えることが出来るという証左かもしれません。

昨今、「瞑想」の素晴らしさが科学的に証明されるようになりました。同じように、滝行や断食、読経などの「修行」が、統合失調症の有益な治療法として科学的に証明される日が、いつか来るかもしれません。

統合失調症に、人間の脳が後天的に共感覚を得る、脳の変容として、才能の獲得の機会として、積極的な意味を与えられる日がいつかやって来るかもしれない、などとも考えるのです。


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