2012年12月7日金曜日

ここであえての神代文字 トップ10

漢字が伝わる前にも、日本に独自の文字が存在していたと言われているのをご存知ですか?
漢字でも、漢字から派生した平仮名や片仮名でもない、日本オリジナルの文字のことです。

その文字の名は"神代文字"。
「かみよもじ」と読むこともあれば「じんだいもじ」と読むこともあり、研究者によってバラバラ。
ただ、共通するのは、日本には中華文明よりも古くから古代文明が栄えていて、"神代文字"はそこで使用されていた、という見解です。

何らかの原因で日本の古代文明は衰退してしまい、いつの間にかオリジナルの文字は廃れ、漢字にその座を奪われたのだと、神代文字論者たちは主張します。

でも、こういった主張は、韓国の起源論者と同じで、あまり信用出来ないように思えます。ほとんどは、江戸時代から明治時代にかけて中国や西洋の進んだ文明に触れた人々が、日本文化の優秀性を証明するために、悔しさのあまりに歴史を捏造したのではないでしょうか。

ただ、そういう事実が合ったとしても、神代文字は面白いです。ご存じの方があまりいない神代文字について、ご紹介しましょう。

10. カタカムナ文字
旧石器時代末期に存在していたという「カタカムナ文明」で使われていた文字です。
カタカムナ文明では物理学や哲学が非常に発展していたといわれています。

日本の物理学者・楢崎皐月によって発表されました。
楢崎氏は、戦後「植物波農法」などを提唱した、やや怪しい人物。
彼によれば、この文明は高度だったにもかかわらず、文章を書く時には縦書や横書きではなく、中心から外側へと円を描くように書かなければならない決まりがあり、短い文章しか書けなかったそうです。
そのために進化したのが、31文字で森羅万象を表すことが出来ると言われる、日本の「和歌」なのです。
和歌の形式には、そのような秘密があったのですね!!


9. ヲシテ文字
江戸時代中期に書かれたと言われる『ホツマツタエ』という古文書に、このヲシテ文字が使われています。
日本語の5つの母音は、それぞれア=空 イ=風 ウ=火 エ=水 オ=土 を象徴しており、ヲシテ文字も、その象徴を元に作られたそうです。
西洋の四元素(風・水・火・土)のような考え方が、少なくとも江戸時代には日本に存在していたというのが胸熱ですね!

『ホツマツタエ』は古代にさかのぼる言い伝えをまとめたものであり、天照太御神は男性であるなど、古事記や日本書紀とは微妙に異なる伝承を含んでいます。

昔、ホツマツタエを中学生の頃に読んだ私は感動して、受験勉強に疲れると、
「あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめをこほの もとろよそ をてれせゑつる すゆんちり しりたらさやわ」
などと唱えて精神集中を図っていたのを思い出します。
今から考えると、相当あやしい中学生でした。


8. アイヌ文字
慶応2年(1866)、石細工のための原料を探していた石工が、現在の北海道小樽市にある手宮海岸洞窟内にて岩肌に刻まれた大量の線文字を発見しました。

明治11年(1878)、あの榎本武揚が書写して東京に送ったことから世間に知られることとなり、明治12年(1879)にはイギリスの御用学者であるジョン・ミルンが学会に発表。
日本に古代文字が存在していた証拠と考える人々とそれに反対する人々との間で論争が巻き起こります。

もしも手宮海岸洞窟内だけでしか見つからなかったならば、たまたまその地域に住んでいたアイヌ人家族が、気まぐれに文字らしきものを書いた可能性もありました。

ところが、そこから20キロほど離れた余市郡余市町のフゴッペ洞窟にて、昭和25年(1950)200個をこえる彫刻が発見されたのです。
この遺跡は約2000年前の続縄文時代に属することが確認され、しかも手宮の洞窟と共通する絵文字が描かれていたために、両者間で、この文字を使った情報伝達が行われた可能性が出てきました。

アイヌ人が使っていたとも、アイヌ人よりも前に北海道を支配していたといわれるコロボックル人が使用していたとも言われていますが、定かではありません。
今に至るまで、この文字はまったく解読されていないのです。


7. サンカ文字
サンカ=山窩とは、明治維新後に警察によって作られた言葉だそうです。
日本が近代国家へと変貌しようとした際に、政府が困ったのが、定住しない人々の群れをどう扱うか、でした。

教科書では、人々は士農工商に分かれ、厳しい身分制度にがんじがらめにされて生きていたように描かれていますが、実際は明治になるまで、誰からの支配を受けず、山の洞穴で過ごしながら、盗賊や行商人、竹細工による農作業道具の作成・販売をしながら生活している人々がいたのです。
彼らを明治政府は「サンカ」と呼びました。

独自の言葉を持ち、独自の文化を持っていました。
伝承によれば、彼らは大和民族によって征服された出雲民族の末裔なのだそうです。
彼らの間で使われていた文字が、サンカ文字なのです。

政府は徴兵制の網から逃れようとする彼らを徹底的に「犯罪者」として取り締まっていきます。
次第に文明の波に飲み込まれた彼らは、伝説を後世に残すことなく消えていき、その文明の痕跡は途絶えてしまいました。


6. 天名地鎮(あないち)文字
いろは47文字を、母音と子音の文字を組み合わせて表しています。
数字は別に存在しておりますが、「百」「千」「万」「億」などの位を表す文字もあるのだそうです。

アナイチという名前はあまり使わない言葉ですが、「穴一」というゲームがあり、そこで使われる印に形が似ているために名付けられたとのこと。

朝鮮のハングルをもとに作られた文字ではないか、とも言われています。


5. 対馬卜兆文字(まじかたもじ)
対馬は韓国に近いことから、日本とは異なる文化が発達していました。
そこでは近世まで、亀の腹甲や獣の骨を炎であぶり、できたヒビによって吉凶を占っていたといいます。

今でも朝鮮半島のシャーマンの一部が、この方法で吉凶を占っているそうなので、韓国旅行する人は、卜占ができるシャーマンを探してみるのもいいかもしれません。
占いの結果を記すための文字が、対馬文字でした。
亀の甲羅のヒビを模して作られた文字は、樹の枝のような形をしています。
実用的では無さそうですが、今でも対馬の雷神社で、神事にこの文字が使用されるそうです。


4. 出雲文字
出雲大社の近くに書島(ふみじま)という島があり、そこの岩窟の内部に刻まれていた文字が、この出雲文字です。

「いなばの白兎」の昔話で有名な大国主、別名大己貴命(おおなむちのみこと)という神様の命令によって作られたこの文字は、文政2年(1819)に国学者の平田篤胤によって紹介されました。

ところが、書島という島は出雲には無いらしく、実在を疑われています。


3. カイダ文字
これまでの実在が危ぶまれる神代文字と異なり、こちらは明治時代まで与那国島で実際に生活の中で使われていた象形文字です。

与那国島は巨石海底遺跡が周囲にあるなど、独自の文化圏を育んでおり、一説には、ムー王国の末裔たちの島なのではないか、などとも言われています。
海底の巨石遺跡写真
この文字は、明治にいたるまで、商品の売買の記録などに使われていたそうです。

文字を知らない人々が、イラストで商品を書き留めておいたものが、文字として流通するようになったのかもしれません。

まるでトンパ文字のような素朴な象形文字で、とても面白いです。
この地方の生活習慣までも想像させる、素晴らしい文化ですが、残念なことにこの文字で記された徴税記録などは、第二次世界大戦でほとんどが消失してしまいました。


2. 阿波文字

阿波(現・徳島県)に代々伝えられてきた神代文字であり、昨年震災のあった宮城県気仙沼市の御崎神社まで伝えられ、敷地内の石碑には阿波文字が記載されています。

ただ、日本各地の神社に残された遺跡に神代文字が使用されていたからといって、必ずしも神代文字の存在を裏付けるものではありません。

鎌倉時代から朝廷の学者によって、各地の遺跡に残された線文字を解読しようという研究が盛んになりましたが、そこで学んだ神道系の学者たちが日本各地に散らばり、その知識を使って石碑に文字を刻み、神社に祈祷文として奉納している可能性もあるからです。

国学者の平田篤胤は、その著書『神字日文伝』の中で、この阿波文字は藤原充長の創作ではないか、と疑義を呈しています。


1. 阿比留草(あひるくさ)文字
時々、神社の御札には、この文字で書かれたものがあります。
今度神社で御札を買った時は、よくよくご覧ください。

熊本辺りで使われつつ、徐々に日本の神社で、呪文を記すために多用されるようになったと言われています。
ニョロニョロとしたヘビのような形が特徴で、別名「日本版梵字」などとも言われています。
梵字
サンスクリット語を書き表していた梵字を見た神道関係者が、同じような霊験効果があることを狙って創作したものなのかもしれません。
国学者の平田篤胤が、その夢枕に、同じく国学者であった本居宣長が現れて師弟の契りを交した際に、この文字の存在を示唆された、などという話も伝わっております。

いかがでしょうか。
もうすぐお正月、三社参りなどで神社を訪れる際は、境内に神代文字で書かれた石碑などが飾られていないか、調べてみるのも面白いと思いますよ!

古代の歴史はロマンです。

神代文字によって書かれた古代日本史は、とんでもなく文明が発達していたそうです。

たとえば、天皇が来日したモーセに十戒を授けたとか、イエス・キリストは十字架上で死なず、弟を身代わりにして日本に逃亡し、青森にやってきたとか、そもそも釈迦をはじめ孔子やマホメットにいたる、世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたとか、3000年以上前に当時の天皇の16人の弟妹が全世界に散らばって「ヨハネスブルグ」「ボストン」「ニューヨーク」といった名前へと変化したのだとか、夢が膨らむ記述がいっぱいです。

少なくともニューヨークは、イギリス人がイングランド王の名前、ヨークからとって名付けたはずですが、そんなことは神代文字を信じている人にとっては関係ありません。

本当かどうかわかりませんが、学校で習う歴史以外に、知られざる古代史が眠っていると想像すると、ワクワクしてきますね。

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