2012年10月20日土曜日

デヴィッド・ボウイのファンサイト 「Pushing Ahead of the Dame」


デヴィッド・ボウイといえば、美形のロックスターとして、1970年代から80年代にかけて大活躍した歌手です。
その美しい容姿と中性的な魅力は、ヴィジュアル系の先駆けともいえます。

そのファンサイトが、雑誌『TIME』が選んだ2011年最高のブログ「The Best Blogs of 2011」の中に含まれています。
第22回目としてご紹介するのが、この「Pushing Ahead of the Damn」(あの子に群がる)です。

ファンサイトを『TIME』が紹介するというところは、『TIME』の度量の大きなところだと思います。

『TIME』は、このブログについてこう解説しています。
あなたがデヴィッド·ボウイのファンなら、クリス・オリアリーのサイト「Pushing Ahead of the Dame」を大好きになるでしょう。各投稿記事は大体年代順で、ボウイの歌の分析――歌詞、音楽、歴史、誰の影響を受けて誰に影響を与えたか――に取り組んでいます。オリアリーは2年間サイトを運営していて、ボウイの音楽の40年間を描写する上で、1977年までだけを取り上げていて、暫くの間、それに取り組むようだ。もしもあなたが、時にはジギー・スターダストとして知られているこのアーティストの崇拝者でないとしても、このサイトは読み甲斐がある(後略)。
それでは一記事を選んで紹介しよう、としたら……長い!
一記事が長いため、正直観ただけで訳すのがウンザリしました。
……やっぱり、どこでも熱狂なファンは熱心ですね。

それでは最近の記事から、
Don’t Let Me Down and Down」(ドント・レット・ミー・ダウンエンドダウン 2012年10月9日)
をご紹介します。
「ドント・レット・ミー・ダウン」と言えば、ビートルズの曲として知られています。
今回のはそれとはまったく関係なく、ボウイがカバーしたモーリタニアの楽曲の方です。
残念ながら、それを紹介しようとしましたが、YouTubeでは見つかりませんでした(T_T)

それでは、ブログの記事です。
1992年のある時期、イマンはパリへ旅行し、彼女の友達が作ったCDをもって家に戻った。彼女はそのアルバムを新しい夫のためにCDプレイヤーにかけ、その中からなにかをカバーしてはどうか、と提案した。結婚したばかりでうかれていたため、彼は喜んで同意した。そういう訳で、ボウイの人生で最も不明瞭な楽曲のカバーは結婚式の贈り物として始まったのだ。
デヴィッド・ボウイは、1992年にソマリア出身のモデルであるイマン・アブドゥルマジドと結婚しました。
イマンはアフリカ出身なので、同じアフリカの黒人歌手は身近な存在で、その曲をどうやら、ボウイに紹介して、カバーしたらと提案したようです。

ブログ主にとっては、ボウイが他人の曲をカバーするのは不本意だったのかもしれません。
たしかに、大好きな歌手が、他人の歌をカバーするのは、ファンとしては少々微妙な気分になりますね。
それに、音楽業界とは無縁のモデルが、私達のボウイの音楽にまで口を挟むんじゃない、という気持ちが強かったのかもしれません。

このときのカバー曲の題名が、ブログの標題となっている「Don't Let Me Donw & Down」です。
アルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』の中に納められており、モーリタニアの王女であり黒人歌手のタルハ・ミント・ヘンバラが元々フランス語で歌っていた曲でした。

以下、タルハの歌をボウイが歌うまでの経緯が書かれていますが、それは割愛。
最終的に、ブログ主にとっては、「Don't Let Me Donw & Down」は、ボウイの発表した楽曲の中で最も失望させるものなのだと書かれていました。

そういえば、私の子供の頃に、早熟な友人がデヴィッド・ボウイにはまっていましたが、彼に勧められてCDを聞いても、私には何がいいのやらさっぱりわからなかったのを思い出しました。
今聴いてみたら、なかなかいいものですね。
さて、『TIME』誌が2011年最高のブログとして選んだ海外人気ブログの内容をを紹介するのも、ようやくあと1回で終わりです。

長かった!

日本人に知られていない面白いブログが、海外では日夜更新されているのを知りました。
それは良かったのですが、あまり興味のないブログを訳すのはしんどかったですね。

海外のサイトを訳すのは、英語の勉強になるので、これからも続ける予定ですが、
・生き方論
・海外情勢
などについて書かれたサイトを、もっと丁寧に訳していこうと考えています
ただ、これからしばらく忙しいため、1か月は短めのブログ更新の予定です。

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