2013年6月30日日曜日

同性愛者への憎悪

ロシア南部のボルゴグラードで先月、同性愛者が知人に殺されたという。

★ ロシアで同性愛告白の男性が暴行死、背景に見える政治と宗教
 事件の被害者となった23歳の男性は、同性愛者だと告白した直後に、複数の知人から暴行を受けた。肛門にビール瓶をねじ込まれ、服に火を放たれ、最後は石で頭を殴られて絶命した。
 事件ではこの男性の知人2人が拘束されたが、ロシアでは同性愛者への暴力事件の件数を示す公式のデータはない。事件のほとんどが報告されずに終わるか、「同性愛者への暴力」という分類分けをされないためだという。

アメリカのニューヨークでは、同性愛者憎悪の犯罪が70%増えたという。

★ 米NYで同性愛憎悪の犯罪が70%超の増加、市警が監視強化
 ニューヨーク(CNN) ニューヨーク市警のレイ・ケリー本部長は23日までに、同市内で発生した人種問題などが絡む「ヘイトクライム」(憎悪犯罪)が今年これまで前年比で30%減少したものの、同性愛者が被害となる犯罪件数が70%超増えたと報告した。
同種の報道があるたびに、同性愛者への憎悪がそれほどない日本に住むものとして、不思議な感覚におそわれる。

そりゃ日本でも、身内からオカマが出たと、親が泣く、ということはよくあったし、子供がオカマに石を投げたりすることを聞いたことがあるけれども、欧米の同性愛者への異常な憎悪は、今一つ我々の感覚になじみにくい。

ギリシャやローマの時代には西洋でも同性愛が公認されていたのだから、それがここまで変わったのはキリスト教の影響なのだろう。ユダヤ人や異教徒、同性愛者への差別の源泉ともなっているキリスト教というものを文明の大本に抱えた西洋は、難儀なものである。

もっとも、難儀な価値観が内包されているせいで社会に悪影響を与えるのはキリスト教だけではない。あれほど優秀なインド人が、未だにカースト差別を根絶できないのも、彼らが聖典とするヒンズー教の聖典『リグ・ウェーダ』や『マヌ法典』に、「人間には生まれながらの貴賤と役割がある」と書かれているからだ。

深刻な差別にはだいたいにおいて宗教が関わっていることが多い。この手の価値観から自由になりたければ、イスラム教徒がそれまでの偶像崇拝を禁じて既存宗教を徹底的に破壊したり、中国共産主義者が儒教を徹底的に否定して毛沢東主義を徹底的に教え込んだりしたような、前文明の徹底的破壊を企てなければ、なかなか根絶できないものだろう。

ロシアやアメリカだけではなく、近年、同性愛者側の権利拡大とともに、それに反発する側の反撃が年々増えているようだ。しかし、報復はさらなる報復を産むもの。リベラル側はこの件では主導権を握っているから、同性愛への憎悪へ、社会的な厳罰を与えるに違いない。かくして抗争は激化する。アメリカではリベラル側も保守側も、極端に走りがちなところがある。

社会的な厳罰だけならまだいいが、共産主義者が宗教施設を破壊したように、リベラル側による保守思想の根絶を訴える声が出てもおかしくない。アメリカ西海岸地区あたりから、
「これだけ同性愛への憎悪がなくならないのは、その思想の源泉となるキリスト教がおかしい。キリスト教徒の基盤となる教会を、社会から根絶していこう」
という動きが出てくるかもしれない。


2013年6月29日土曜日

鳩山由紀夫を止めるためには、ブリヂストンの不買運動しかない

元首相の鳩山由紀夫が中国で、
「尖閣諸島は日本が中国から奪ったと言われても仕方ない」
と言ったとか。

カイロ宣言を元にした主張だそうで、それを批判した日本メディアの取材陣に、
「もっと勉強したらどうか」
とヌケヌケと言い放ったのを映像で見て、こいつはどうにかしないといけないと真剣に考える。

もともと係争地というのは、お互いの主張にもそれぞれ穴があるから、係争地になったのだろう。当然、日本側に理のある条文もあれば、中国側に理のある証拠もある。

それをお互いの国民感情に配慮し、海外情勢も踏まえながら、落とし所をはかっていくことが外交というものなのだろう。その時に、責任ある立場の人間が好き勝手なことを言っていては、まとまるものもまとまらない。

規模は違うが、企業同士が特許問題で争っている時に、当事者の一方の元役員が、
「あのデザインはパクリと言われても仕方ない」
と放言するようなものだ。普通責任感のある人間はそのような無責任な発言はしない。それが信念だとしたら、まず社内に向けて発言し、それがいれられなくて初めて、世間へ訴える。鳩山由紀夫はその当然のステップを踏まない。

日本はいい国だ。様々な政治的意見を自由に発言出来る。けれども、社会的地位の高い人間、影響力のある人間にはそれなりの責任ある言動をとってもらわないと、下の者が困る。大変困る。

昔は家督を継ぐような立場の人間が精神錯乱を起こしたりバカだったりしたら座敷牢に閉じ込めていたものだ。そうしないとお家断絶の危機を免れないからだ。

鳩山由紀夫の周りの人間にも、大方の日本人と同じような危機感を持ってもらって彼に足枷をつけてもらいたい。座敷牢をご準備いただきたい。でも、彼の周りに動こうとする人がいない。彼がどんな活動をしようが今更選挙に落ちるわけでもないし、気楽なものだ。ひたすら主人の自由にさせとけばいいのだから。

兵糧攻めにしたくとも、彼は大金持ちだ。彼の母親はタイヤメーカーのブリヂストンの創業者の長女。金は唸るほどある。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/7456082/

上記記事によれば彼はブリヂストン株を100万株生前贈与されている。母親が亡くなって遺産相続した今ではもっとあるだろう。ブリヂストンでタイヤを買えば買うほど、彼に配当が入る計算だ。それが彼の活動を支えている。

彼の政治的行動を止めるためには、ブリヂストンのタイヤを買わない。ブリヂストン関連の事業にカネを落とさない。私たちに出来ることはそれくらいだろうし、それが一番、彼の周りの人々の危機意識を煽るんじゃないか?

ストップ ハトヤマ!
ブリヂストンは製造物に責任を取れ!

こう呼びかけたい。私はクルマ乗らないから何も出来ないんだけどさ。

2013年6月28日金曜日

対イスラム教徒用武器開発は、中世への逆戻り?

Company Sells Pork-Laced Bullets To Fight Islamic Terroristsより
おもしろいことを考えたものだ。
米国の「South Fork Industries」社は、豚肉を使用した塗料でコーティングされた銃弾の販売に着手した。同社の説明では、イスラムの教えにおいて豚肉は不浄なものとされているため、この弾丸で銃殺されたイスラム過激派戦闘員の身体は「汚された」ものであり、聖戦士たちは自らの基本的な天国に入るという目的を達する事ができなくなる。
この発想はなかった。ネタ元がThe Voice of Rusiaなので少々怪しいけれども、記事としては面白い。

タリバンだのアブ・サヤフだのアルカイダだのは、千年以上前のコーランの教えを現代に蘇らせようと考えている一種の狂信者。当時の迷信に満ちたイスラム教の説く物語を信じている。そこにつけこみ、心理的にいたぶるという手法は巧みだ。

現実的な話、天国も地獄もないのだから、銃弾に禁忌といわれるものが塗られようと呪詛が埋め込まれようと撃たれた人間があの世で苦しむことは、ありえないのだが、それを言い出すならば、そもそもお互いに死を賭してまで戦う意味がない。形而上の価値を信じているという点では、アメリカ人もイスラム教徒と変わらない。

誰だって死ぬのは怖い。宗教は死の恐怖に打ち勝つための方法であり、どの国の兵士も大抵、迷信深くなる。そうすると、こういった魔術系の武器が精神的にダメージを与えられるのは、イスラム教徒だけじゃなさそうだ。

今後は、お互いに魔術的テクニックを利用した兵器開発が進められるかもしれない。たとえばエノク語で書かれた、必ず地獄に相手を送る呪文を銃弾に刻む、とかね。物理的に効果があるかどうかが問題ではなく、人間がそれを信じるかどうかだ。

「信じる者は救われる」
という言葉があるが、逆に、
「信じるばかりに苦しめられる」
ということだってあるだろう。信じる人がいる限り、歴史の彼方に葬ったはずのオールドテクノロジーは何度でも蘇る。

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化していく。近代社会とイスラム社会の戦いが世界中で頻発する内に、近代社会にも様々な迷信が蔓延していくのだろう。お互いに魔術道具を実装して闘う風景が日常的になるかもしれない。数年以内に、銀の弾丸が発売されても、可笑しくはない。もともと笑えない話だが。

2013年6月27日木曜日

炎上や批判から生き残るために

ブログで岩手県立中央病院の対応に腹を立て、会計をすっぽかして帰り、事務員をいびったことを告白して大きく批判を受けた県議が自殺をしたそうだ。

★ 岩手県議:小泉氏死亡、自殺か 病院非難でブログ炎上
 25日午前5時ごろ、岩手県一戸(いちのへ)町平糠の大志田ダムの湖岸で、近くに実家がある小泉光男・岩手県議(56)=盛岡市北山2=がぐったりしているのを、偶然通りかかったいとこが発見、110番した。
この人の常識はあまりにズレていた。議員という立場で無賃診療という犯罪告白までしているのだから、批判されない方がおかしい。だが、何も死ぬほどのことはない、というのが大方の意見だろう。ただこれについては、精神医師が下記のような適確な分析をしていた。

★ 岩手県議さんの死について思うこと。
そもそも最初の病院でのリアクションといい、ちょっと通常から考えられないようなものがあります。怒りの沸点が低いうというか、被刺激性亢進というか。
双極的な傾向がもともとあり、炎上したことによりうつ転してしまい、そして最悪の結果を招いてしまったのではないか。
たぶんそんなところだろう。この人の感情の起伏は異常だった。何らかの精神的疾患を患っていたのだろう。だから、自殺という極端な反応を選ばざるを得なかったのだろう。

ネット上には精神疾患者のブログが数多く更新されているが、その手のブログが炎上の対象となることは、まずない。彼らをまともに相手にしてはいけない、という常識は、2chの住人でも案外持っている。けれども、小泉氏は「県会議員」という社会的地位のある人だから、まともな人だと皆が思ってその逸脱行為を責めてしまった。

これに対して、みなさん考えるところがあったようで、反省をしたり批判をした人々を逆に批判したりと、いろいろな意見が飛び交っている。けれども、これはしょうがないだろう。公職に就いている人、権力者は、批判に耐えなければならないというのは自由主義社会では当然のルールだ。犠牲を払ってでも、守る価値のあるルールである。彼への批判は適切であった。批判への対応ができず、死ねば済むと考えた小泉氏は政治家として下の下である。自殺した小泉氏がおかしいし、同情の念もわかない。

ところで、政治家にかぎらず、芸能人などの著名人には世間からのバッシングを浴びた人々は数多くいる。ある人は生き延び、ある人は表舞台から消え去った。その違いは何なのだろうか? いくつか、つらつらと考えてみた。

1.特殊技能がある
たとえば松田聖子。彼女ほど批判を浴びた芸能人女性はいないと言われているけれども、彼女には歌があった。今でも誰もが口ずさめるような流行歌を数多く持っていた。彼女へのバッシングは、その後の歌のヒットやディナーショー、コンサートの盛況でかき消されてしまう。たとえ批判を受けようとも、食いっぱぐれがなく、批判をはね飛ばせる成果を挙げられるものを持っている人は強い。人格に問題があるスポーツ選手が、スポーツで結果を出せば批判の声が霞むのも同じだろう。

2.カネがある
たとえば鳩山由紀夫だが、彼はどれほど馬鹿げた発言をしようとも、実家にバカのようにカネがあるから、彼が世界中を飛び回ることを誰一人、妨げることができない。ホリエモンだって、起業家としてたぶん大変な蓄財をしているだろうし、今でもメールマガジンでカネを稼いでいるから、批判の果てに見せしめのように逮捕されようとも、生活出来る。

3.所属する組織の力が強い
たとえばバーニングや吉本興業のような大手事務所に所属していると、稼ぎの多くは事務所に搾取されるとしても、何かがあったときに守ってもらえる。あるいは宗教団体に所属している芸能人なども、批判に強い。大手メディアから叩かれることは皆無、せいぜいネットで「そうかそうか」とつぶやかれる程度。もっとも組織は時に冷淡。炎上が激しくなると手のひらを返すこともあるので、安穏とすることはできないが。

4.ボスの力が強い
たとえば同じ未成年者への淫行を行なった同じ吉本興業のお笑いタレントなのに、極楽とんぼの山本は未だ芸能界復帰ならず、板尾創路は7ヶ月で復帰できた。ダウンタウンの松本という批判をかわせる強いボスがいたかどうかという点で、2人は大きく異なっていた。そのまんま東も、ビートたけしの門下じゃなけれはあそこまで生き延びることは出来なかっただろう。

5.神経が図太い
たとえばデヴィ夫人などは、自分を批判をする方が絶対的に間違っていると、心の底から思っているだろう。

批判などを受けて一番困るのは、ストレスが溜まること。天涯孤独のような気持ちになる。友人もよそよそしくなる。誰ともこの苦しみを分かち合えない。そのストレスにまず、打ちのめされるものだが、精神的に図太いと、その手のストレスを感じない。他人のことなんてどうでもいい、という割り切りが必要だ。気持ちの切り替えがうまくなくてはならない。叶姉妹などの神経の図太さは、見習いたいところだ。

6.無視できる
「溺れるイヌは棒で叩け」
ということわざが韓国にはあるそうだが、メディアや世間も、その手の底意地の悪さがある。所詮個人と大衆、物量が違うから、個人の力で抵抗出来るわけがない(出来るとしたら独裁者くらいのもの)。つまり、最初から勝負がついている試合なのだ。下手に抵抗してもなぶり殺しにあうだけ。

ところが攻撃されても徹底的に無視し、笑っていれば、攻撃する側は不安になる。
(もしかして、相手はまったく効いていないんじゃないの?)
これが一番の世間への攻撃かもしれない。最近だと、いくら批判をファンが繰り返そうともまったく聞く耳を持たなかった平野綾などがこの手法を取る代表格だろうか。

ただし、一芸を持っているために、批判を受け続けながらその世界で生きていけることが前提ではある。平野綾は「声優」という特殊技能があったが故に、コンスタントに声優として大きな作品に出続けることができたが、裕木奈江という女優は、テレビという批判に弱い業界にいたがために、彼女が無視をし続けようとスポンサーがそれを嫌い、テレビから閉めだされてしまった。その後、英語を学び演技を学び直すことで、日本のメディアの批判の及ばない海外へ舞台を移して活躍をすることとなるのだが。

7.愚直に同じ芸風を貫く
たとえばイケダハヤトやホリエモンは他人の嫌がるようなことを公言してたびたび炎上の的となるのだけれども、それでも同じようなことを何度でも繰り返す。次第に人々はそれに慣れてしまい、そして炎上の規模は少しずつ小さくなる。石原慎太郎は、他の議員ならば議員生命を終えてもおかしくない失言をいくつも行いながら、決して人気を失うことはない。昔からあの芸風で、今では大抵のことが許されるような立場にいる。そこまで行けば、もう炎上なんて怖くない。

8.愚直に反省を繰り返す
たとえば冒頭の小泉議員は、ブログをすぐに閉鎖してしまったそうだ。たとえばあの騒動の後でも彼がブログを閉鎖せず、反省の情を見せ、コメントした人々に、真摯に対応し続けたとしたら、どうだろうか? また、県立中央病院の関係者に、テレビに事前予告して訪問、テレビカメラの前で一人一人に謝罪していたとしたら?
「あそこまで反省しているのならば」
と、世間の同情を逆に集めていたかもしれない。

美川憲一は、昔覚醒剤使用が発覚して逮捕された。未だにそのことを蒸し返されるが、彼はそのたびに反省の弁を述べ、時には涙を流す。今、彼を昔のことで批判する人は、ネットですら、ごくごく少数派だ。

9.さらけだす
たとえば岩城滉一の自宅が借金のために競売にかけられた時に、批判をしようとしたマスコミに対して、
「俺は在日韓国人だから韓国系銀行から借りたんだが……」
と話し始めて、マスコミの批判の矛先があっという間に鈍ったことがあった。ホリエモンは逮捕前にヌードになり、AV嬢とからんでみせた。

自分の弱点でもなんでもさらけ出す。まな板の上の鯉状態になった時に、世間の批判者の矛先は、鈍るものである。ただ、死んだふりをしてクマに食べられることもあるので要注意。

10.断固として法的手段に訴える
たとえばスマイリーキクチは以前、ある犯罪に関係していたというあらぬ疑いをかけられて、8年間もの間、ネットで中傷を繰り返されていた。炎上や批判は時に長期にわたることもある。いったん批判を受け始めたら、それは死ぬまで何らかの形で続くと覚悟を決めたほうがいい。しかし、故なき批判が犯罪となりうることを、スマイリーキクチが地道な努力で明らかにした。前例があると警察も動きやすい。

また、たとえ本当のことであっても、度を越す批判へは、精神的被害を訴え、批判を載せているホームページを管理するプロバイダーへ抗議すれば、それなりに対処してくれるようになった。度を越す批判には時に断固とした抗議を行うことが必要だ。

11.炎上案件を投稿し続ける
橋下徹の浮気案件は、彼の政治生命を潰しかねないものだったと思うけれども、それに負けずに彼は様々な発言を繰り返すうちに、次第にそのことに誰も触れなくなってしまった。石原慎太郎を後援するユニバーサル(旧アルゼ)会長がフィリピンのアロヨ前大統領にワイロを送り、米カジノ規制当局が動くという非常に大きな国際問題が発覚した。「石原銀行」と呼ばれた新銀行東京の元執行役である丹治幹雄がその裏で動いている。この案件は、もっと叩かれるはずだったが、維新の会での様々な軋轢報道に、このニュースもかき消された格好だ。

維新の会は迷走しているけれども、どちらにとっても触れて欲しくない案件を隠すことには成功しているといえる。もっともこれも両刃の剣。慰安婦問題で不適切な発言をおこなった橋下氏は、それが原因で、ローカル政治家としてその政治生命を終えるかもしれない状況に陥っている。

以上となる。このサイトだって、なんらかの拍子に炎上することがあるだろう。気をつけたいものよ。くわばらくわばら。

2013年6月26日水曜日

欧州総バルカン化

世界で一番福祉制度が整った国でもあるスウェーデンのストックホルムで、先月19日、移民が暴動を起こし、その騒ぎは数日間続いた後に沈下した。

★ スウェーデン暴動の根底にあるもの(下)
ストックホルム郊外で大規模な暴動が発生し、同様の動きが全スウェーデンのいわゆる「移民コミュニティ」に飛び火した。そして現在、国内で大きく議論されていることは「我々の移民統合政策は、失敗だったのか」だ。これは、移民による事件が起きるたびにくり返される議論でもある。
 そして結論的には、「やはり移民統合政策は、失敗だったのだ」という論調が多い。移民統合政策とは、出自にかかわらず社会の成員全員が公平・平等に権利と義務を負う社会を構築することだ。
理想の追求が、国家を苦しめる。社会主義国と似たような失敗を、世界で最も進んだ国であるスウェーデンもまた犯してしまった。

似たような問題が、移民政策を進めた欧州各地や北米で、これから頻発していくのだろう。増えた移民が移民先の文化に同化せずに国内が複雑な民族のモザイクへと変わるならば、これは欧州全域がバルカン半島のような状況になることじゃないか……と考えつつGoogleで調べたら、2009年に「Newsweek」が似たような問題提起をしていた。

バルカン半島はヨーロッパの南東部に属する。ギリシャ、ブルガリア、旧ユーゴスラビアなどの様々な国家がそこにある。この半島の別名は「ヨーロッパの火薬庫」。なぜなら近代になって民族国家の概念がこの地にもたらされると、民族がモザイク状に入り混じったこの地は紛争の一大拠点となったからだ。
古代から様々な民族が入り込む一方、東ローマ帝国・オスマン帝国・オーストリア・ハンガリー帝国といった多民族国家の時代が長かったことから諸民族が混在していた。
このため、西欧から単一民族による国民国家の概念がもたらされると、たちまち諸民族同士の争いが勃発し、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれることになる。第一次世界大戦勃発の原因はバルカン半島の民族問題にあり、1990年代以降にユーゴスラビア紛争が発生し、紛争が終わった後も宗教・民族問題を多く抱えている。
多民族国家では、それぞれの民族が等しく尊重されることはない。民族内ではある程度同じ価値体系を共有しているが、民族によってはそれが大きく異なる。

ある民族が指導者として優秀な人材を多く排出すると、いくら気をつけても、その民族に偏った価値体系をもとにした国家運営が成される。それは異民族にとって、居心地のいい場所ではない。

それを解決するための国民国家だったのだけれども、不満は解消されても国家間の紛争が多発してしまい、2度の世界大戦でヨーロッパは大きな傷を得た。その反省から国家統合という実験がこの地で行なわれのだが、結局のところ、東ローマ帝国・オスマン帝国・オーストリア・ハンガリー帝国といった多民族国家を再構築するようなもので、同じような不満が蓄積しつつあるのはバカバカしい話だ。

国境が意味を持たなくなり、移民が各国へと散らばっていく。

移民した人々に求められるのは、その国の中心を担う民族が嫌う仕事へ従事することだ。給料も安い。貧しい人々は身を寄せ合って生きなければ、生きていくことができない。こうして、その国の文化に同化できない民族集団が各地に作られていく。これじゃ、将来の民族紛争の種をせっせと作っているようなものだ。

移民政策が、移動の自由や基本的人権の尊重という美名のもとに推し進めれているけれども、歴史に責任を持たない資産家たちが、安くて自由になる労働力を求めて彼らを呼び寄せる口実にされているだけなんじゃないか。例えばホリエモンとか、ユニクロの柳井社長とかの発言を思い浮かべればいい。

それに同調して今の自分だけの幸福を追求するのも一興だが、そうはしたくない。欧州の惨状を見ながらそれでも移民を増やす政策を声高に叫ぶのは、悪魔に魂を売り渡した資産家の醜悪な姿だ。それに政治家たちが安直に同意を示して、世の中はますます悪くなる。

「踊る大捜査線」という番組の名セリフに、
「事件は会議室で起こってるんじゃない。現場で起きてるんだ」
というものがある。大勢の人々が青島刑事に共感したのは上層部の現場無知がいたるところで見受けられるからだったが、欧州でもそうなのだろう。

欧州以外の地域で、政治的、経済的に困窮しいている人々が大勢いるのは間違いない。彼らが欧州に避難すれば、彼らの命は助かる。人道的観点からは、移民の自由を保障することは肝要だろうが、会議室で決める人々は、母国で食い詰めた教養や常識のない人々と日常的に接することはない。

欧州の都心部ではこれからも移民が増え続け、やがてコソボ共和国のように、移民の国が国の中心部に居座るような羽目に陥るのだろうが、それは百年後の話で、その時には誰も生きていやしまい。

2013年6月25日火曜日

「質問」によって相手の心を揺らす

私が初対面の相手との会話は苦じゃないという話をすると、
「初対面の相手と、会話がなかなか続かないのですよ」
と悩みを打ち明けられることがあった。

どのような会話をしているのか尋ねたところ、、
「趣味は?」
「仕事は?」
「どこに住んでいるの?」
という情報収集に終始して、それで終わってしまうのだそうだ。

「それじゃ会話じゃなくて尋問だろ」
と笑ったところ、
「そう言われて怒られたことがある」
と彼も笑っていた。

質問をしてはいけない、という訳ではない。
会話は質問だけではなく、自分の情報開示、共感、批評などを適当に織り交ぜながら話題を膨らませるもの。尋ねるばかりで、相手から訊いた内容を置き去りにしていては、相手から物をもらいながらお返しをしないようなものだ。相手にとっては不快感が増すばかりだろう。

特に最近は個人情報保護がうるさくなっており、自分の情報を開示することに誰もが警戒心を抱く時代となっている。意味なく質問されることをいやがる人が、年々増えていると考えた方がいい。

それに、この「質問」にしても、上記のようなすぐに答えられる質問ばかりしてしまってはいけない。すぐに応えられる質問を繰り返しつつ、その中に、すぐには答えられない質問をすっと挟み込む。そうすれば、相手に強い印象を与えることができる。それだけではない。相手が予想できない「質問」によって、相手の心をつかむことができる

小説やマンガなどを読んでいると、異性から思いもよらぬ質問をされて、それに答えられずにとまどい、そこから自分のこれまでの生き方を反省する、というシーンが出てくる。あれはよくあることだ。

なぜなら、脳には疑問を埋める解答を探そうとする「空白の原則」というものがあるからだ。
「あなたの名前は?」
と言うような簡単な質問ならばすぐに解答を出せるけれども、考えてもいなかった、あるいは目を背けていた質問、たとえば
「なぜこの仕事を辞めないの?」
などを尋ねると、簡単に動揺させることができる。相手が虚勢を張ってその場を誤魔化しても、家に帰ってそのことで悩んでいるかもしれない。

このときに、動揺を防ぐための何かの解答を与えると、理性で否定しても、潜在意識のどこかでそれに飛びついてしまう。これがうまくはまれば、相手に自分の言ったことを信じ込ませることが出来る。

こういう方法は知っていても、気持ちが悪いので私はついぞ使ったことがない。ただ、このことを知っていると、ある程度の心理的な防衛ができる。

私の友人が昔、仕事がうまくいかずに悩んでいるときに、取引先のある女性から、
「この人に相談してはどうか?」
とさる経営コンサルタントを紹介されたことがあったそうだ。

その経営コンサルタントの事務所に通された友人に、コンサルタントは開口一番、
「あんたはなにしにきたんや?!」
と大声で問いただしたのだという。

友人は一瞬、パニックになったそうだ。
(ええ? 俺がここにやってきた理由、仲介の人はこのコンサルタントに説明してなかったの?)
と思い、どう説明したらこのコンサルタントに失礼でないだろうかと逡巡した彼を無視して、そのコンサルタントは友人を叱責したのだという。

そこから経営コンサルタントは、やれ宇宙の法則だのユダヤ人の世界支配だの、怪しげな話を始め、それに友人はすっかり参ってしまい、寸前のところでその場で数十万円の借金してコンサルタント主催のセミナーに申し込みそうになった。

結局、このコンサルタントは詐欺師で、寸前ところでとどまった友人は事なきを得た。紹介者を責めたが、
「あの人は怪しい人じゃない」
の一点張り。紹介者はコンサルタントに心酔していて、実は彼に数百万円、貢いでいたことが後になって分かったそうだ。

「俺もね、普段はあの手の話なんて、怪しいからすぐに席を立つんだけれども、最初に『お前は何しに来たんや?!』という思いも寄らないことを質問されて脳の働きが一瞬止まったんだよね。あれは彼の手口だよ。危なかったなぁ」
と後になって友人は、その話を笑いながら教えてくれた。ただ、これ以降、友人は詐欺的な話をされても、
(あの時のコンサルタントと同じヤカラだな)
と思うようになり、同じような動揺を起こすことはなくなったそうだ。

2013年6月24日月曜日

具体的に伝えることが大切

褒めるのは案外難しいと最近仕事をしながらつくづく思う。気むずかしい同僚と、どうつきあうか。そこが悩みの種なのだが、以前子供を褒めて育てればいいと聞いた母親の話をふと思い出した。

小さい頃はうまくいっていたのに、段々と自我が出てくると、子供を褒めると舐められて言うことを聞かなくなったという。

「そこを乗り越えて褒めることが必要」だと思って、何か出来るたびに、
「◯◯くん、すごい!」
「◯◯くん、やったね!」
と言い続けたそうだが、男の子は、だんだんと母親の言うことをうるさがる。

「お母さん、あっちに言って!」
などと生意気を言われ、悲しい思いをしながら、それでもいつか分かってくれるに違いない、いつか良いことがあると思い続けていたが、息子との仲はしっくりといっていなかったという。

ところが、その女性が息子と一緒に宿題の手伝いをしていた。息子が課題をうまく作り上げたので、すかさず、
「すごい! ◯◯くん、すごいよ」
と褒めたところ、ボソッと、
「お母さんの言うスゴイは何がスゴイのか、全然わからない。もう、そういうの止めてよ」
と言われてはっとしたという。

というのは、この女性はその前日にご主人との間で喧嘩をしていて、子供と同じ不満を夫に向けていたからだ。

ご主人のために毎朝ワイシャツにアイロンをかけるなど甲斐甲斐しく世話を毎日していたが、このご主人、ワイシャツを受け取った時に、
「ありがとう」
というばかりで、それ以外の感想を何も言わない人だった。それが、段々と我慢できなくなった。

ある朝、新しくワイシャツを買ってきて、それをご主人に手渡した。そのワイシャツは値段の割に質がよく、ご主人が喜んでくれると思っていたのに、ワイシャツを受け取っても「ありがとう」としか言わない。帰宅してもそのことに触れない。それどころか、帰宅してワイシャツを洗濯カゴに放り込んだだけで、
「飯、頼むよ」
と言われただけ。そこで奥さんの怒りが爆発する。

「ワイシャツ、どうだったの?」
「うん? 良かったんじゃない?」
「良かったって、何が? 着心地はどうなのよ?!」
「良かったよ」
「どこが? せっかく紳士服店で、あなたが喜ぶと思って買ってきたのに」
「いや、だから良かったって言ってるじゃないか」
「私が尋ねないと何も応えなかった癖に! 訊いたら『良かった』としか言わないなんて! 朝も何も言わないじゃない!」
「朝にシャツ受け取ったときに、ありがとうって言ったじゃないか!」
「ありがとうだけじゃ、何がありがたいのかわからないでしょ!」

まあ、そんなやり取りをして、その後はうやむやになったまんまで終わったが、奥さんにとっては不満が残るやり取りとなった。

でも、息子から同じようなことを逆に言われたときに、母である奥さんは悟る。

「ありがとう」「良かった」だけじゃ、何がありがたくて何が良かったのか分からず、結局フラストレーションを相手に与えるだけだったのではないか、ということに。

定められた言葉を話すだけなら、単に万人に対応できる定型文を掲示されたようなもの。感謝を"伝える"ことにはならないということだ。

「今、ここにいる、自分」に対して向けられたものだとは認識できない。褒めることは大切。感謝の言葉も大切。でも、具体的に、
「どこがどうだ」
ということを付け加えないと、それが本当に自分に向けられたものなのかどうか、不安に感じるのが、人間というものなのだろう。

この女性は、それからというもの、息子には、
「ここがこうだよね。ここがすごい」
という言い方に変えるようになったそうだ。それに対して、
「わかってないなぁ」
と言われることもあるのけれども、息子からは前ほど邪険にはされなくなったのだという。

具体的に物事を伝えなければ、感謝の気持ちは相手に伝わらないということなのだろう。

2013年6月23日日曜日

フランスの子供にはADHDが少ない

「発達障害」という脳の障害の存在が、日本でもここ数年、大勢の人の知るところとなった。テレビや雑誌で、異常な犯罪を犯す原因として挙げられたり、片付けられない人々の理由として紹介されたり……教育現場ではある程度知られた概念だったようだが、それがここ数年、一気に日常の中へ浸透していったのではないか。

その手の診断では先進国であるアメリカでは、現在小学生の9%がADHDと判断されて、その多くが投薬治療の対象となっている。

ところがアメリカと同じく心理学が発達し、先進的な幼児教育が多く行われているフランスでは、ADHDと診断される子供の数が圧倒的に少なく、小学生全体の0.5%に過ぎないらしい。

その理由はいくつかある。たとえば、アメリカとフランスのADHDの捉え方の違い。アメリカでは発達障害は生来的なもので、肉体的な障害であるから、薬を飲ませて治療するのが当たり前だというもの。

ところがフランスでは状況が異なり、今でもADHDは生活環境などの影響によってその症状が出ていると考える研究者が多く、投薬に頼らず環境整備やカウンセリングによって治療するのが一般的なのだという。

一方はADHDを生来的なものだとみなし、もう一方は環境によるものだとみなした場合、前者はある一瞬を切り取ってADHDであると判断するのに比べて、後者はそれよりも長い期間をかけて、よくよく観察しながら最終的な判断を下そうとする。結果、フランスでは子供を安易にはADHDとして判断しないようだ。

またフランスでは、食品添加物をあまり取らせないとか、夜泣する幼児は泣かせっぱなしにする、というしつけ方法が取られるという。それが子供の脳の発達にかなりいいらしい。

また、子供をアメリカよりも厳しくしつけるため、フランスの子どもたちは、ADHDの症状をあまり起こさないという。

教育で子供の有り様が大きく変わるというのならば、ADHDとして投薬の対象となるアメリカ人の子どもたちは、実は不必要な治療の対象となっているのではないか、という気がしてならない。

ADHDは作られた病であることを『ADHDの父』が死ぬ前に認める」という記事が指摘する通り、アメリカでは製薬会社が裏で専門家と手を組み、金の成る木を量産しているということだろう。


参考 Why French Kids Don't Have ADHD

2013年6月22日土曜日

ナンパ集団に話を聞いてみた

昨日の記事はアクセスが多くてびっくりした。ありがたいことだ。

今日はそれに負けないくらい面白い記事を書こうとしたが、とんと思いつかぬ。そこで、自分がオモシロイと思った、以前、東京駅の改札で友人と待ち合わせをしていたところ、目の前でナンパをしている人々に遭遇した話でも書いてみようと思う。

場所は東京駅の地下の丸ノ内地下中央口。

ぼんやりと人の流れを見つめていると、視界の端に、何やら男女が見つめ合っている姿が映った。

熱烈な告白
恋人同士がむつみ合っているのだろうと思っていたが、やや雰囲気が異様。通路の真ん中に正面同士で向かい合っている。


女性はフワッとした、森ガール風の軽めの服装。男は20代後半、メガネをかけた研究者のような、線の細いマジメそうな男。服装はジーンズにTシャツ、袖のやや短いジャケットを羽織っていた。
男の声に傾聴してようやくそれが、彼の一世一代をかけた告白だと知った。そのセリフがスゴイ。
「あなたを見た時に、私の胸に、ロウソクの炎のような温かいものを感じました」
「あなたをここで見失ったならば、私がこの世界にいる意味がないと思いました」
「私はずっと誰かのために生きたいと思っていましたが、それがあなたかもしれないと思ったときに、足が自然に動いていました。普段はこんなこと、しません」
「あなたのまっすぐな目を見た時に、あなたのことしか考えられなくなりました」
「とても魅力的で、頬のあたりがとてもチャーミングだと思う」
街でよく見かける、チャラい男のナンパとは違う。本当にその女性のことを真面目に好きなんだなぁ、ということが分かる、熱いセリフがトツトツと男の口から繰り出されていた。

普段はナンパなんかにひっかからなさそうな、社会人5年目風の女性も、じっと男性を見つめながら、うなずいたり首を振ったりしていて男の言葉に反応していた。女性の声は小さく、詳細不明。

やがて女性の「今は忙しいけど、また時間があれば、その時に」というセリフが聞こえ、男が名刺を渡し、女は丸の内ビルへと去った。男はその後姿をいつまでも見送っていた。

(いやぁ、いいもの見たなぁ。後でこのこと、友達に話してやろう)
と思っていたが、男の様子が変だ。

実はナンパ
女の姿が見えなくなった瞬間、すぐにきびすを返してまるで獲物を狩ろうとする猛禽類のような目で周囲を物色し始めたかと思うと、別の女性に声をかけ始めた。

(おいおい、さっきのあれ、ナンパだったのかよ)
私は呆れた。

男は何人もの女性に声をかけるが、立ち止まる人はほとんどいない。話を聞いてもらうまでが大変なのだろう。とすると、あの男が先ほどの女性と話すまでには、何十人もの女性に振られたということだろう。よくやる。

そこへ大柄な男が近づいてきた。この男が、白いワイシャツのボタンを3番目まではずし、金のネックレスをしているというなんとも言えない服装をしている。
(写真はイメージです)
「どう? うまく言っている?」
大柄な男は、快活に研究者風の男に声をかけた。

(ああ、彼らはナンパグループなのか……)
ようやく私は合点がいった。大柄な男が師匠格なのだろう。2人は話しながら、ある方向を見た。私も同じ方向を見ると、黒いラガーシャツを着た男が、女性に声を掛けているのが見えた。どうやら2人以外にも仲間が複数人、いるようだ。

2番目に現れた男の顔をじっくりと眺める(その男を仮にAとする)。口は半開きで大きな前歯がのぞいていて、決してかっこよくはない。長い茶髪で韓流スターを意識していそうだった。年齢は30代半ば、といったところ。

ネットに似た顔がいないか調べたところ、これを若くしたような風貌だった。
(写真はイメージです)
ただ、風格がある。口調、話し方が落ち着いていて、自信にあふれているのだ。なるほど、こういうところが女性にモテるのだろう。

これは面白い。このブログを御覧になっている方は御存知の通り、私は結構好奇心が強い。
★ 新規公開株で、詐欺師がだます手口 上
★ 人体実験のアルバイト あるいは治験体験談 ①

目の前で変わったものを見たら、自分で確かめねば気がすまぬ。年齢も異なり、共通点もなさそうな2人はいったい、どういうつながりなのか。

そこで、この2人組に話を聞くことにした。

ナンパ塾という存在
「すみません、物書きをしている者ですが……」(ブログを書いているのだから、嘘ではない)。
こう切り出して、今彼らがナンパをしているのを見ていたこと、そして、どういうコンセプトでこのような行為をしているのかを、尋ねてみた。

突然声をかけてきた私を、彼らはどこか不安な表情で見ていた。気持ちは分かる。ナンパという行為はある意味迷惑で、時に大変嫌われる。他の男性から喧嘩を売られたりすることもあると聞く。私とのトラブルを懸念していたのだろう。それに、見ず知らずの男から突然声をかけられたら、だれだって警戒する。

だが、彼らはナンパを繰り返しているのだから、見知らぬ相手にいつも声を掛けている側だ。まさか逆の立場になったときに、けんもほろろな態度は取れまい。

私が名前を名乗ったところ、Aも礼儀正しく名前を名乗った。
「僕たちは、ネガティブなイメージのあるナンパを、もっと明るいイメージのものとするために、グループで女性に声を掛けているんです」
とAは気さくに語りはじめた。

Aによれば、いわゆるナンパと彼らのナンパは異なるのだという。いわゆるナンパは、下心を隠して女性を騙してあわよくば夜のお供にしようとするものだが、彼らのナンパは、あくまで合コンなどのきっかけとするものであり、見知らぬ男女が出会う機会を増やすことがメインだという。
「女性がナンパを嫌がるのは、それを信じてついていった結果、危ない目に遭うことがあるためでしょう。私たちはそうではないことを示すために、丁寧に真面目に声をかけるようにしています。また、その場で強引に誘うことは固く禁じています」
なるほど。それがあの丁寧な話し方だったのか。他に心がけていることは?
「用事があるのに突然声をかけられるのは、女性にとっても迷惑です。その時に、女性に『この人と話して良かった』と思ってもらえるように、その人をとにかく褒めるように心がけています。たとえ失敗しても、いい印象を持ってもらえれば、声をかけた私たちも、ホッとします。お互いにとってWin-Winなのです」

でも、大げさすぎやしませんか?
「大げさのように見えましたか? でも、褒めるときには大げさに褒めないと、伝わりません。それに、非日常的な雰囲気を作ると、女性は次第に周りを忘れ、私たちの言葉だけしか聞こえなくなるのです」

何人くらいに声をかけるのですか?
「だいたい30人に声をかけて、ようやく1人と話せます。そこから出会いに持っていけるのは、10人に1人くらいでしょう」

Aさんの格好とこの方(研究者風)とは、随分ファッションが異なりますね。
「それぞれの個性がありますから。自分の個性を一番よく見せる方法は何かを考えるようにしています」

全員で研究しあっているのですか?
「いえ。受講料を払って、ナンパの技術を教えています。1ヶ月3万円です」

高い……私は絶対に入らないだろう。
Aによれば、ナンパをしているといろいろな妨害があるため、場所の選定に苦労するのだという。渋谷などではからまれることもあるという。それに比べ、恵比寿や東京駅周辺は意外な穴場らしい。

最後に、彼の主催する団体名を最後に教えてもらった。
「BMJと言います」
意味は?
「"B(バカ) M(モテ) J(人生)"の略です」

……ワロタ。
帰宅すると、確かにBMJという団体があって、そのサイトまであった。バカバカしいからリンクを貼らないけれども、いや、それにしてもびっくりした。

いろいろなコンセプトのいろいろな団体があって、真面目にバカバカしいことに挑戦している。こういうところが、都会の面白いところではある。

2013年6月21日金曜日

「モズグス型」という類型――渡邉美樹、戸塚宏、永守重信などの共通点

先日会った友人はワタミの株を持っていて、「株主優待券を使って呑もう」と誘われたものの、あまり気乗りがせずに断った。ワタミは接客も食事もそれなりにいいのは確かなのだけれども、創業者がアレなので、ちょいとその気になれない。

友人は合理的に物事を考える人間。創業者の人間性と、会社の良さは別だと割りきる。彼のサバサバした性格は、いつも羨ましいと思う(私が考え過ぎなのかも)。

ところが、逆にこの手のブラック創業者の人間性に傾倒するのもいる。これは別の知人だが、某カルト宗教にはまっていたので、止めるために彼の家を訪れたところ、本棚にワタミの渡邉美樹の著書と、日本電産の永守重信の本が揃っていて頭痛がした。

あれは何なのだろうね? 知人の信じるカルト宗教の教えは、自己成長や努力、社会貢献を主張する一見まともなものだが、やることが軒並み胡散臭い。ちなみに知人は戸塚ヨットスクールの戸塚宏のことも尊敬していた。社会性を備えた宗教と、ブラックな組織には、共通する何かがあるのかもしれないと思った瞬間だった。

戸塚宏や渡邉美樹など――彼らは俗物的な独裁者とは異なり、どこか宗教的だ。狂信的独裁者といえばヒトラーだが、反ユダヤ主義のような明らかに差別的で異常な思想ではなく、それなりにまっとうな思想を掲げる。

まっとうな思想を信じているはずなのに、なぜか発言・他者への扱いが異常。かといってサイコパスのような「平然と嘘をつく」「良心の欠如」という特徴を有していない……こういう人物を類型化できないか、と考えた時に真っ先に思い浮かんだのが、『ベルセルク』というマンガに出てきた登場人物モズグス。
(C)三浦建太郎/白泉社
それ以来、彼らのようなタイプの人間を、密かに「モズグス型」と呼ぶようにしている。

まず『ベルセルク』とモズグスのことを簡単に説明しよう(どちらもWikipediaを参照)。
『ベルセルク』
 三浦建太郎による日本の漫画作品。白泉社発行の漫画誌『ヤングアニマル』にて不定期で連載されている。(中略)中世ヨーロッパを下地にした「剣と魔法の世界」を舞台に、身の丈を超える巨大な剣を携えた剣士ガッツの復讐の旅を描いたダーク・ファンタジー。

モズグス
 「血の経典」の異名を持ち、どんな軽微な罪さえも許さぬ苛烈な審問で恐れられる異端審問官。法王庁から派遣され、異端の徒や異教徒として裁いた者をことごとく磔刑や車輪轢きの刑といった極刑に処しており、その数は500人以上に上る。
それでは、このモズグス型に共通する特徴を述べてみたい。

1.強烈な使命感
彼らには「世の中を良くしなければならない」という強い使命感がある。

2.若年時に「原理」を獲得
彼らは若年時に、それぞれの体験と学習によって獲得した、ある信念、「世の中を良くするため」の方法論を持つ。その「原理」は、社会に貢献するものではあるものの、弱者・少数者などの犠牲を必ず生み出す、歪んだものであるのが特徴。単純であり、現実の複雑な社会に完全に応用できないものであることが多い。彼らは、現実にそって「原理」を修正するのではなく、「原理」に沿って社会を修正することを選ぶ。なお、「原理」はモズグス型人物の現実的な利益(社会的地位、財産など)を保証するものでもある。

3.参考とする形而上のバックボーンがある
モズグスはカトリックと思しき神の教えの狂信者であるが、たとえば渡邉美樹もキリスト教、戸塚宏は朱子学などを参考にする。その中から自分の成功体験をもとに、自分に都合のいい部分だけをつまみとって作り上げたのが「原理」である(渡邉美樹の「夢」や戸塚宏の「脳幹論」など)。

4.「原理」に忠実で迷わない
「迷う」のが人間だが、彼らは迷いを見せない。「原理」に間違いはないと固く信じている。

5.「原理」と異なる行為は間違い
他人が彼らの原理と異なる考えを持ち、異なる行動をするのは当然なのだが、彼らにとってはそれは即アウト。間違いなので是正しなければならず、糾弾しなければならない。多種多様な価値観とやらを認めない。価値観は己の信じる「原理」のみ。

6.根本に人権意識や遵法意識がない
個人の信条がいかに正しかろうと、それを超える人類普遍の価値観や法律が存在するはずだが、彼らにとって何より尊重すべきは自身の「原理」。基本的人権や法律がそれに反するならば、それを破るのは当然だと考えている。

逆に、社会的に蔑視されているような人物であっても、自身の「原理」に従うのならば、社会的偏見に拘泥せずに採用する。

7.自分を特別だと思っている
「原理」を尊び、そのために生きていると自負する自分のことを、選ばれた人物だと密かに自負している。だから、自分の肖像を飾ったり自己を神格化することを恥じない。

8.倫理観は強い
モズグス型ではない、傲慢な人間、強欲な人間は、特権を利用して部下に肉体関係を迫ったり蓄財に走ったりするものだが、モズグス型の人間は本能的欲望に基づいた罪は犯さない。このため、あまり醜聞とは縁がない。

9.肉体的、精神的暴力の肯定
ただ「相手のことを傷つけてはいけない」という倫理観を彼らは持たない。それどころか「原理」に従わない人間を、肉体的罰や精神的苦痛を与えて無理やり従わせることは正しいことだと考えている。

10.恥ずかしい過去がない
親から憎まれていた、引きこもりで登校拒否だった、風俗にはまっていた、イジメられていた、ギャンブル依存症だった、挫折した、などの他人にあまり知られたくない過去を誰しもいくつか持っているものだが、彼らにはそれがほとんどない。だから弱みがないため、他人に強い立場でモノを言う。

11.軽蔑をせず、罰を与える
恥ずかしい過去を持つ人間、罪を犯した人間、「原理」に反した人間のことを彼らは軽蔑をしたりバカにしたりすることは、意外にない。ただし、罰を与えなければならないと思っているし、それが背理者のためだと信じている。しかも、それに従わなければ激怒する。

12.普段は穏やかだが、逆らわれると激高する
元々は激情タイプだが、それを外に出すと世間では受け入れられないことをよく知っているから、とても穏やかな素振りを普段は見せている。彼らは微笑みを絶やさない。だが、自身の信じる「原理」を否定されたり、立場が下の人間から反抗されたりすると、途端に怒り狂い、罰を与えるまで収まらない。

13.人格者だと信じるエゴイスト
彼らは自分のことを人格者であると自負しているけれども、その本性はエゴイスト。だが、自分の利益となる「原理」こそが普遍的正義だと信じているため、それに従っている自分は人格者である、と考えている。また、「原理」に従って自己の利益(地位や名誉、財産)が増大することは当然のことだと考えている。

14.絶対服従の部下を従える
彼らは自分に絶対服従の部下を作る。部下は主の劣化版コピーともいうべき存在で、主の手足となって働く以外に行動原理を持たない。そういう部下をモズグス型は自身が若い内に最底辺から見出し、引き上げて、自分の手足としている。

15.体力のある努力家
工夫をこらして努力をするタイプではなく、恵まれた体力に任せて寝る間を惜しんで働くハードワーカータイプ。だから、睡眠を削り、長時間働くことは正しいことだと信じているし、他人にもそれを強制する。自分に厳しく他人にも厳しい。

以上となる。自覚なき原理主義者、微笑むエゴイスト、といったところだろうか。穏やかな風貌で社会的に相応の地位を占めているけれども、単純な原理を振りかざして他人に強制し、いくらでも他人に残忍になれる彼ら「モズグス型」には、できるだけ関わりあいになりたくないものだ。
ベルセルク (1) (Jets comics (431))
ベルセルク (1) (Jets comics (431))

2013年6月20日木曜日

子供は紐でつなげばいい

小さな子供を紐でつなでいる人に違和感を覚えるという記事を読んだ。

★ 「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た

これに関して、紐を子供につけている親を批判するコメントが案外ある。
私の友人にこのことについて尋ねると、やはり否定的な意見で、非常識だと思う、とのことだった。だが、この手の常識は、時代によって大きく変わるものだ。

たとえば、日本人は昔は、おぶい紐で子供を背負うのが一般的だった。
これが欧米人や欧米に留学していたような昭和初期当時の進歩的な女性からは大変不評で、
「まるで荷物のようだ」
「足がO客になる」
「子供の顔が見えないので子供の情緒が不安定となる」
などと批判をしていたらしい。

その手の批判を今ではあまり見なくなったのは、乳母車が普及したことと、便利な家電製品が増えて家事が楽になったことなどで、女性が子供を背負いながら忙しく働く必要がなくなったからだろうか。

ところが母におぶわれながら育った我々の世代にとっては、母の背中におぶわれていた経験は、それほど悪いものではない。母の体温を感じながら、肩越しに、普段見ることのない高い場所から世の中を見渡せるあの感覚は、悪くなかった。

荷物のように見えようが、おぶわれた子供たちにとっては、それは甘美な記憶。外野には分からない心地よさがあった(ただ、今ではドイツあたりでリュックのような形状で子供を背負えるかっこいいおぶい紐が開発され、アメリカ人の間でも子供を背負うのはそれほどおかしなことではないらしいが)。

翻って、子供を紐でつないで歩く話。あれもペットのように見えて不快感を覚える人が多いけれども、子供にとって見れば余計なお世話だろう。

親に手をつながれるのは嬉しいけれども、走り出したいときもあるし、親が近所の友人に出会っておしゃべりを始めたのに、手をつながれっぱなしで動き回れないのはそれこそ不快に感じるだろう。それに比べたら、紐に結ばれていれば、ある程度自由に動くことができるから楽なことこの上ないだろう。

子供は急に動き出す。少し目を離すと走り出す。大人がくぐれない隙間から道路に飛び出るのが大好きで、ほんの少し目を離しただけで突然目の前から消えることがある。

トラックの前に飛び出してひかれた後になって、
「あのとき紐でもつけていれば、引っ張っ手連れ戻したのに」
と後悔しても遅いだろう。

ときどき犬を抱きかかえたり乳母車に乗せて運ぶ老女を見かける。あれも、
「うちの犬は自分の子供のように可愛いのだから、紐をつけて歩かせるなんて可哀想」
という意識から生じた行動なのだろうけれども、あれを見るたびにペットが哀れでならない。犬も自由に駆け回りたかろうに。

とはいえ、近所の目はうるさいし、中には「自分たちの常識が一番正しい」
と思いこんでいる人もいるので、余計なトラブルの元になるような真似もつつしみたいもの。

元記事を書いた方はNPO法人に勤めていて、そういう人でも違和感を感じないような方法がないものか。

ブックマークコメントによれば、日本では昔、子供の帯を長くして親が握っていたという。紐やハーネスでつなぐからペットを連想させるので、これが布だったら、見た目もが異なるかもしれない。たとえば兵子帯のような、軽くてふんわりした布がある。
大人・子供OK!! 豪華絞り 浴衣用 天使の羽 プチ兵児帯 (ピンク)
大人・子供OK!! 豪華絞り 浴衣用 天使の羽 プチ兵児帯 (ピンク)

これを子供の腰に結びつけ、その端を握ってみればどうだろうか。子供のちょっとしたアクセントになるし、何か言われたら「兵児帯を有効活用しています」とか言えば、年配の相手にも逆に好評かもしれない。

2013年6月19日水曜日

Googleは IT界のアスペルガー

Googleはとにかく便利すぎるので、Googleが提供する機能だけでIT消費者に必要な基盤はほぼそろってしまうと言っても過言ではないのだけれども、
  • 融通が効かない
  • 突然アカウントを停止することがある
  • 傲慢
  • サポートがほとんど機能していない
  • 日本支社はアメリカ本社にまったく逆らえない
  • 日本語能力が低いスタッフが多い
などのいろいろな難点が十年一日の如く変わらないのはなんとかして欲しい。

中でも突然のアカウント停止は何よりも困る。ところが、先日自分の息子の裸の写真を誤ってGoogle+に掲載してしまったがために、突然アカウントを停止された人がいたそうだ。

 アカウントが削除された数日前、息子が「ちんちんが痛い」と言っていたため、ズボンとパンツを脱がせて、様子を見ていました。
 その日は暑く、多分蒸れたのでしょう。赤くなっていました。
 さて、その素人診察の後、息子は全然パンツを履きませんでした。
 何が可笑しかったのかちんちんを丸出しにしたままケタケタ笑っていたのです。
 その姿が面白かったので、ふざけ半分つい写真を撮ってしまいました。
 これだけなら削除はされていなかったでしょう。
 自分がまずかった(と思っている)のは、Google+のインスタントアップロード機能がONになっていたことです。
 意識せず息子のちんちん丸出し画像がインターネット上にアップロードされてしまっていたのです。
これがあるから、私はGoogle+を使いたくない。Google+は個人情報をネット上に上げろ、上げろとうるさいのだけれども、個人情報には上記のような4歳の息子の裸の写真だったり愛しい妻のセクシーショットも含まれる。それが何らかのミスで外部に漏れても、Googleが責任を持つことは、ゼッタイにない。それどころかミスの責任を問われるのは利用者だけで、上記のようなアカウント停止のペナルティーを受けるハメになる。

Google+だけではない。私が利用させてもらっているBloggerにしても、アカウントの突然停止をたまに聞く。段々便利な機能が増えてきているので末永くつきあいたいと今は思い始めているものの、Bloggerの取締基準がいつなんどき変更され、その結果利用停止になるかもしれない、という恐怖は常にある。

海外でもGoogleアカウントが突然停止された事例がいろいろあるようだ。いささか古い記事だが、Google AdSenseの利用者が理由もなくアカウントを停止され、裁判に訴えて勝訴した、という記事がGIGAZINEに掲載されていた。


この時のGoogle側の代理人の態度がひどい。
 小額裁判所では弁護士を雇うことが許されないので、Googleは弁護士の代わりにStephanie Milani訴訟法律家補助員(女性)を派遣しました。
 最後の和解を促す短い期間が用意されており、その際に彼女はAaron Greenspan氏に対して「破滅に値する間違ったことをしたわね」と言ったそうです。そして、
「Googleはどのような理由であってもあなたのアカウントを停止することができます」
 と彼女は言った
というのだ。

結局Google側の敗訴ということで落ち着いたようだが、この短いやり取りにはGoogleの本質が見える。大変優秀で社会にも間違いなく貢献しているけれども、傲慢で融通が効かず、他人との交渉を拒絶して自分だけが正しいと思い込むという点だ。

はっきり言おう。GoogleはIT界のアスペルガーだ。彼らは優秀で傲慢で、才能だけあれば世の中を変えていけると思い込み、他者(消費者)との双方向のコミュニケーションをとことん拒絶する。

ちなみに、アスペルガーチェックリストでGoogleをチェックしたところ、下記の通りとなった。
◯ 会話が出来ているようでできていない
◯ 知らないうちに失礼な行動をしている
◯ 応用がきかない
◯ 指示されないと動けない
◯ 人と対面する仕事が出来ない
◯ 余計なことを言ってしまう
全部に当てはまっているじゃないか!(笑)これはちょっと驚き。
上記の6つのアスペルガー特徴に一つでも当てはまるならば、
アスペルガー症候群の可能性があります。
でも安心してください。
アスペルガー症候群は、治療すれば治るという訳ではないですが、
きちんと対策すれば、一般の大人と同じ生活ができます!
と、上記サイトに書かれている。ぜひとも治療してほしい。

Googleが素晴らしい能力を持ち優秀なのは間違いないところであり、「邪悪になってはいけない」という誓いの通り、彼らの心情には一点の曇もないものだろう。

だからといって、失敗した人間を、自己責任だからといって、ミスを理由に不幸のどん底へと突き落として平然としてもいい権利は、ないのではないか。せめて、何らかの救済措置を用意して然るべきじゃないのか。

でも、Googleは1かゼロかという思考様式にこだわる。アスペルガーがルールを絶対視して、それを破られると癇癪を起こすように。

実のところ私は、アスペルガーが嫌いではないのでGoogleも嫌いではないのだが、彼らが時折見せるひとりよがりの正義感には辟易することが多々ある。それでも彼らと仲良くしたい。そのためには、彼らが理解できるように、他者のミスに寛容となるように、とにかく粘り強く粘り強く交渉していくことが必要なのだ。

冒頭のブログ主にアカウントを教えてほしいとコメントしたが、今のところお返事なし。でも、もしもアカウントを教えていただいたら、ブログ主のアカウント復活を、私からもGoogleにお願いするつもりだ。この趣旨に賛同する人々が大勢で声を上げれば、たぶん、Googleの頑なな態度も、少しは変化があるのではないかと思う。




2013年6月18日火曜日

歴史の反省が世界の潮流? 従軍慰安婦問題とケニア独立戦争賠償

先週末の話だが、イギリスがケニアの独立戦争で行なった拷問などの人権侵害を反省し、30億円の賠償金を支払うことを決定したという。
ヘイグ英外相は6日、英植民地時代のケニアであった拷問などの人権侵害への補償として計1990万ポンド(約30億円)を支払うと発表した。(中略)人権侵害は、英統治下のケニアで「マウマウ団の乱」と呼ばれる独立闘争が行われた1952~61年に起きた。独立闘争では数千人のマウマウ団の兵士が死亡。民間人を含む多くのケニア人が身柄を拘束された。
英、ケニア独立闘争の拷問被害者らに30億円支払いへ
従軍慰安婦問題を抱えている日本にとっては他人ごとではない判決だ。宗主国が旧植民地で起こした残虐行為を、現代の価値観で反省し、謝罪し、賠償金を支払うというのだから。

先日このブログで、「『ガラパゴス化』する慰安婦論争 ―― なぜに日本の議論は受入れられないか」という記事を紹介した。その際に、
先進国間で進められているのは過去の事象を現在の価値観でどうとらえていくか、という洗い出し
だと私は書いたが、歴史上、特に近代史以降の諸問題に現代の価値観で正邪をつけていくことは、確かに世界の潮流らしい。

この背景を探ると、イギリス人が賠償を決定するまでに、様々な葛藤があること、独立運動を戦う人々の間で深刻な内輪もめがあったようだ。

★ 英軍と闘ったゲリラ・元マウマウ団兵士

イギリスが、10万人もの犠牲者を残らず救済していくつもりなのか、それとも約5000人相手の賠償でなんとか幕を下ろそうとしているのか、それが可能なのか、といった点で、日本にとっては参考になる点が多々あるだろう。これからの動向に注意していく必要がある。

また、日本は現代の価値観、特に基本的人権の尊重という概念から、近現代史を捉え直していくことが必要な時期へ来ているのかもしれない。

最近サンデル教授の『ハーバード白熱教室』を読みなおした。

ここには、現代社会で正義を語る上で、基本的人権という概念理解がいかに大切で、キーになるかが述べられていて面白い。

サンデル教授は、西洋で整えられた基本的人権の尊重という概念に、カントがいかに多大な影響を与えているのかを、学生との討論の中で理解させようとする。

理性が道徳法則を作り、その道徳法則に自発的に従うことを『自律』とする。その自律能力を持った自由な主体が『人格』であり、道徳的な自律を人間は持てるからこそ尊厳があるのだと、カントは説く。そして、その基本的人権の考え方は、現代の私たちが「正義」について議論する際に切っても切れない原理原則となっている。

基本的人権は決してま新しい考え方ではない。たとえば人を殺すのは是か非か、貧しいからといって隣人のものを奪うのは是か非か、といった普遍的な問題に対して私たちが古代から有していたはずの理性を使って普遍的な解答を導き出すことができるものだと、サンデル教授は教える。

であるならば、過去にあったことだから当時の価値体系に沿った形のみでしか価値判断を行なってはいけない、ということにはならない。なぜなら基本的人権は人類普遍の原理なのだから。

実際のところ、日本が戦時中に行なった様々な諸問題には現代的価値観からみれば、過ちが多くあったことは否めない。それに、現在は過去の延長上にあるのだから、現在の諸問題――労働基準法違反の蔓延だとか、デリヘル業者の売春行為の黙認だとか、拘置所という代用監獄の存在だとか――を解決することにもつながるだろう。

……というところが、たぶん現代的価値観で過去の事例を断罪し、国家に罪を認めさせようとする人々の考えているところなのだろう。サンデル教授の本を読みながら、そんなことをつらつらと考えたのだが、さて、理想を追求するのは結構なのだけれども、理想を追求した結果、逆に人々が不幸になるケースが世界にたくさんあるのも確かだということも、また思った。

原理原則を推し進めていこうとすれば、世の中にはそれと反する習慣が無数にあり、その全てと衝突するハメになる。それを全て破壊した結果、社会自体が機能しなくなってしまい、大勢の人々が不幸になったのならば本末転倒だ。

そもそも基本的人権自体、理性を人類全員が持つ、というフィクションをもとに成立している考え方で、事実と異なっている。近年の脳の研究では、人間の脳が大変多様性に飛んでおり、生まれつき倫理観や理性がまったく欠如している人間が大勢いて、それでいながら問題なく社会生活を送っていることもわかっている。

事実と異なる概念が元になっているのだから、基本的人権を元にしてそれと反する価値観・慣習をすべて排除した社会は、たぶん生きにくいものとなる。

とはいえ、世界が原理原則をもとに動いてることは明らかで、日本はこの原理原則と衝突しない形でゆるやかに少しずつ慣習を変え、価値観を変え、世界と共同歩調を取っていくしかあるまい。しんどいことだが。

2013年6月17日月曜日

在特会の桜井会長が逮捕される

「在特会」と言えば、新宿や新大久保で「朝鮮人を殺せ!」というとんでもない罵声を人々に浴びせながらデモをすることで有名な右翼であり、その代表が桜井誠という人物。この桜井会長が逮捕されたという。
 東京・新宿で16日、在日コリアン排斥を掲げるデモの参加グループと対立グループの間で乱闘騒ぎがあり、警視庁新宿署は、暴行の疑いで双方のグループの計8人を現行犯逮捕した。
 デモは「在日特権を許さない市民の会(在特会)」などが新宿・新大久保のコリアンタウンなどで月に数回実施。
 逮捕されたのは在特会会長、桜井誠(本名・高田誠)容疑者(41)ら4人と、対立グループ側の写真家久保憲司容疑者(48)ら4人。
東京・新宿で嫌韓デモ、8人逮捕 対立団体と乱闘騒ぎ
桜井の名前はてっきり本名だと思っていたのに、実は通称だったということに驚いた。在日朝鮮・韓国人に「通名を使うな!」というのならば、自分自身も本名で勝負しないと無責任と思っていたのだが。

彼らに「責任」などを期待したのが間違いだったのかもしれない、それにしてもひどいな、と思いつつ、彼らの背景をネットで色々と調べていたところ、面白い記事を見つけた。「北朝鮮右翼の起源」という記事に、新潮社から出ている『宿命』という本が紹介されているのだが、ここに興味深いことが書かれている。
田宮高麿がピョンヤンで客死した一九九五年、その年、わたしは春から夏の入ロにかけて何度も彼と会っている。ピョンヤンでのこともあり、第三国でのこともあった。このころ彼は、日本国内に「愛族同盟」と称する政治団体を結成することを考えていた。民族主義を最前面に押し出した組織だった。もちろん、この動きが朝鮮労働党の指導のもとに行われていたことは明白だった。そして、この組織化のなかで日本の民族派系組織も取り込んで運動を拡大することが画策されていた。
北朝鮮がバックとなって、日本赤軍の連中を使って日本の過激な民族主義を煽るような作戦が過去に立案されていたというのに驚いた。その理由が「在日朝鮮人の薄くなった民族的意識を鼓舞するために、日本の過激な民族主義を煽る」という目的だという。なるほど、それは確かに在日朝鮮人からの送金が大きな外貨獲得の手段である北朝鮮にとって、重要な目的となりうる。

この手の活動は、よく考えれば世界中でよくある手法だ。日本もよくやっていた。日露戦争の際にはロシア革命を誘発するために帝政ロシアで明石元二郎がレーニンを始めとする共産主義者を応援していたことはよく知られている。近い所では、元共産党の指導者で戦後右翼となった田中清玄が、全学連に資金提供していたなんて話もある。

敵を撹乱するためであったり、敵の分裂を招くためならば、自国に敵意を抱く相手や思想が真逆の相手でも、応援するのが政治のリアリズムという奴だ。アメリカだってソ連を倒すために、民主主義とは相容れず、アメリカ流民主主義に敵意を抱くタリバンをアフガニスタンで応援して、育て、ソ連に対抗させようとしたではないか。

今の在特会が、北朝鮮の作戦の成果だとしてもおかしくはない。証拠はないけれども、ああいう醜悪な民族主義は、本来の日本の愛国主義とまったく相容れないし、大勢の日本人の嫌悪感を煽るだけなのに何故やるのだろう? と不思議だったが、その謎がこの理由だと解ける。

彼らの行動は、まるで自ら死の淵へ飛び込むレミングのようなものだ。その先には破滅しか待っていないのに。けれども、それが在日朝鮮人の民族意識高揚のための捨て駒だったとしたら、合点がいくというものだ。

2013年6月16日日曜日

ラテン男の会話術――無闇矢鱈に声をかけるだけではない――

ラテンの乗りは日本人とはかなり異なる。特にラテン系の男性に顕著なのが、恋愛に積極的な点だろう。

家族以外の女性にはとりあえず口説く、などと評されていて、日本ではもてなかった女性でも、イタリアやスペイン、中南米に行けば必ず口説かれる。それに魅了される日本人女性はかなりの数に上るようだ。

日本人男性としては悔しい限りである。では、彼らと同じような乗りで女性に声をかければそれで済むのか、といえば、そうでもない。
「こんにちは! おごるから、一緒にそこでコーヒー飲まない?」
とラテンの乗りでナンパをする。彼らのように何十人にも飽きずに声をかけていれば、数人はそれに応えてくれるかもしれない。だが、その後が続かない。

彼らはどのような会話を繰り広げるのか……それを観察していると、ただ明るいだけではなく、ムードを作るのに長けていることに気がつく。そのムード作りについて、ご紹介しようと思う。

私の友人に、スペインに魅せられて、南米で働いている女性がいる。彼女にメールをすると、例外なく、
「今あなたのことを考えていた」
「あなたと話すのがとても楽しくてたまらない」
「あなたと一緒に過ごした日々が懐かしくてたまらない」
といった情熱的な言葉がメールの端々に書かれる。

誓って言うが、彼女と恋愛関係になったことは一度もないし、今後恋愛関係に陥ることも100%ない。だからこういうメールをもらうと、こそばゆくて叶わない。そこで、大抵は、
「そんなあからさまな嘘つかなくてもいいのに。そんなことを思ってもいないだろ」
と誤魔化した返事を返すのだが、それに対して彼女は、いっさい反応を示すことはなく、相変わらず情熱的な文章をメールにところどころ、織り交ぜる。

ところが、先日読んだ本によれば、この種のオーバーな表現はラテン系の外交辞令でしかないのだそうだ。彼女のオーバーな表現は、英語で毎回"Sincerely"と文末に書くようなもの。それに対して、
「そんな『親愛なる』なんて書かれるほど仲良くないじゃん」
と照れるような馬鹿げた反応を、私は示していたわけだ。あるいは日本語で「敬具」と書くからといって、相手を尊敬しているわけではないのと同じ、というところか。

(単なる社交辞令だよ、と言ってくれればいいのに)
私は彼女にも自分にも憤慨した。

スペイン人やメキシコ人などのラテン系の人々にとって、
「あなたとの出会いは私の人生を変えてしまった」
とか、
「あなたにすっかり魅了されてしまった」
という言葉は、"日常的”によく使うのだという。日本人にとってみれば、言葉が軽すぎる、と思えるのだが、彼らにとってみればそうではない。

会話は正しい情報を伝えるという目的よりも、その人に対する共感と好意を表現することが、より重要な目的なのだという。

これ、女性同士の会話、いわゆる「ガールズトーク」に、似ていないだろうか? 女性たちは、相手の話す内容に同意していなくても、とりあえず、
「そうだよね」
「分かる分かる」
と賛意を示す。そして彼女に批判をするときは、彼女のいないところで行う。

それに比べて男性は、批判を加えることに躊躇わない。
「ええ?! 俺はそうは思わないけれどな」
「それ、違うんじゃないの?」
思ってもいないのに賛意を示すことを、男性は不誠実だと思う。ところが女性の目には、それは思いやりがないものと映る。

表面上の言葉の正否よりも、感情の共有を目標とする場合、内容を否定することは人格を否定するようなもの。まずは賛意を示すことが大切であって、その内容が正しいかどうかは二の次となる。

ここが、ラテン系の男性と相性がいいところなのだろう。事実と異なる嘘を交えることは正しくないことだが(既婚者のくせに「僕結婚していないよ」と言うなど)、相手と感情を共有するために、ひとまず自分の気持は横において、相手の気持に同調することは正しいことだと、彼らは考えるのだ。

考えてみれば、日本人だって同じことをしている。先述の手紙の表現。日本人は敬っても拝んでもいない相手に対して、「敬具」と書いたり「拝啓」と書いたりするではないか。

尊敬してもいない相手に頭を下げることは、「嘘」なのだろうか? そうではないだろう。東洋文明は上下関係が基本だから、まず下手に出て、相手の機嫌をうかがう。西洋文明は恋愛関係が基本だから、まず相手の気分に同調し、そして好意を示す。それだけの違いなのである。

ラテン男性に声をかけられる女性に、感想を聞いたところ、彼女たちは異口同音に、
「最初は軽いと思っていたし、嫌な気がしたが、段々とそれが快感に変わっていった」
と答える。彼らのオーバーな表現は、「好意を伝えること」に当たる。それだけではダメだ。それに対する女性の反応に、今度は同調することが重要だ。

そして再び、オーバーな表現で好意を示す。これを繰り返す。そのうちに、女性の気持ちはある段階まで来ると男性の心と共鳴しあうようになり、日常から切り離され、この世界に二人っきりしかいないような錯覚にとらわれることがある。これが、これこそが「ムードを作る」ということなのだろう。

2013年6月15日土曜日

31歳差で結婚して生涯処女だった小倉遊亀

「経(こみち)」(小倉遊亀・1966)
小倉遊亀(おぐらゆき)という画家がいる。この人の絵を知ったのは最近なのだが、なんとも言えない柔らかいタッチで、不思議な印象を受ける。日本画家でありながら、題材とするのは日常のありふれた風景。そうと知らなければ、絵本の一部と言われてもおかしくない、愛らしい絵だ。いわさきちひろに一脈通じるものがあるが、いわさきちひろとはまた異なる、ユニークなタッチだ。

どんな人なのだろうといろいろ探ってみると、遊亀自身がどうやら、大変ユニークな存在であることを知った。

まずは、その驚くほどの長寿である。明治28年(1895)に生まれ、平成12年(2000)年、105歳で亡くなった。

一概に画家は長寿を全うすることが多い。ゴッホのような精神的な問題を抱えていた人物はともかく、例えばピカソは91歳まで生きた。

高齢でも健康でいられるためには、身体のみならず精神をいたわる必要がある。精神が満たされるのは生き甲斐があるときで、働けることが何よりの生き甲斐となる。その点で言えば、画家はいい。たとえば音楽家なら、年をとるとまず耳が遠くなるので仕事を続けられない。画家にとって必要な目は、年をとってもぼんやりとなら、ある程度まで機能する。

同じく目を使う作家の場合、細かな字は読めなくなるから年をとると執筆を断念することも多いという。その点、画家は高齢でも続けられるため、有利なのかもしれない。

さて、小倉遊亀。長寿を誇った彼女は遅咲きの天才でもあった。芸術の世界では若くして成功する者が多いのだが、その点でも遊亀はユニークだった。

横浜の女学校で講師をしながら独学で絵を描き始めたものの、限界を悟り25歳の時に安田靫彦の門下に入る。
「佐久良」 (安田靫彦・1941年)
頭角を現すまで10年かかった。彼女の絵がようやく院展で入選したのは35歳の時だ。冒頭に掲げたように、日本画の技術を用いて日常の風景をモチーフにした絵精力的に描き、女流画家として一時代を画した。

ニーチェは、
若くして成功すると、成熟することの意味がわからなくなる
と『漂泊者とその影』で述べている。彼女の画風には、下積みの長かった人間特有の、他者への優しさがにじみ出ているようにも思える。成熟することの意味を知った人間の醸しだす、魅力がある。

彼女がユニークである理由の三点目。遊亀は結婚したのも遅かった。42歳の時に73歳の小倉鉄樹という老人と結婚。老人にとっては二度目、遊亀にとっては初婚である。

この老人、禅を明治維新の立役者・山岡鉄舟に学んだ後、日本中をふらふらと旅して回った後に、埼玉県にある平林寺に落ち着いて、ひたすら禅の修行をしていたという人物。平林寺で修行三昧の日常を送っているものの、僧ではなく、禅寺の好意で寄宿していたらしい。大変な学識を持ち、人格者で、大勢の弟子に囲まれていた。

ところが財産というものを、何一つもっていなかった。

現代日本の拝金主義一辺倒と異なり、当時はカネがなくとも、智慧のある人物を尊敬する風潮があったようだ。江戸時代末期にから昭和初期にかけて、日本にやってきた欧米人が一様に驚いたのが、
「日本人は貧しくとも恥ずかしがらない。カネを持っているからといって尊敬されない」
ということ。小倉鉄樹の存在は、彼らの述懐が真実である証明でもある。

この結婚生活は、7年間しか続かなかったようだ。亡くなる時に鉄樹は妻・遊亀に、
「かあちゃんや、とうとうお前さんを一度も抱いてやることが出来なかったね」
と言ったという話が伝わっている。この言葉が、小倉遊亀生涯処女説の根拠である。

二人の間は完全なプラトニックな関係だったということだ。

遊亀にとってみれば、結婚した時にはもう、子供を産める年でもなかったろうし(昭和初期においては、高齢出産は現代と異なって医学的にも難しかった)、ただ一緒にいるだけで良かったのだろう。

だが、切ない話である。

ところが亡夫が亡くなって5年後に、寂しさに耐えかねたのだろうか、彼女は54歳で養子をとった。養子となった男性は21歳で、文筆業を目指していた西川典春(にしかわつねはる)である。歌集「あゆみ」などの編集者として活動していたようだが、今ひとつぱっとしなかったようだ。典春は結婚後も遊亀のもとにとどまり、後年は画家・遊亀のマネージメントに徹していたようである。
遊亀は経済的に成功する男とは、あまり縁がなかったようだ。ただ、この典春という人物は、金銭的に成功はしないものの、人格的に立派な人物だったようだ。47年間、遊亀を実の母として慕い続け、彼女の身の世話を死ぬまで続けた。しかし遊亀が101歳の時、典春の方が先によりも早く、64歳で亡くなる。その後、典春の娘・寛子が遊亀の手厚い介護を引き継ぎ、遊亀が死ぬのを看取った。

典春を養子にしたのは遊亀にとって幸せな選択だった。

ちなみに寛子氏の看護は大変献身的なもので、遊亀のおしめを換え、尿やウンコの目方を量りながら、A5判ノート70冊に克明に介護日誌をつけ続けるというものだった。元『暮しの手帖』の編集者だけあって、大変緻密な介護だったという。

寛子氏は今は鎌倉にある有限会社「鉄樹」の役員として、小倉遊亀の絵画の管理を行なっている(講演会も行なっているようだ。リンク先で寛子氏のご尊顔が拝める)。

さて、小倉遊亀。
彼女の人生を振り返ると、様々な人生が世の中にはあるものだと、改めて思う。

メディアは不特定多数を相手にしなければならないから、◯◯歳で結婚しなければ人生駄目になるだとか、顔が良くなければダメだとか、仕事は◯◯でないとだめだとか、年収◯◯◯万円以下だったら結婚する価値なしだとか、学歴がないとダメだとか、とにかく人を鋳型に押し込めて、恐怖心を煽ろうと様々な脅迫じみたメッセージを日夜送り続けている。

しかし、遊亀のユニークな人生と偉大な業績を目の当たりにすると、窮屈に生きることがバカバカしくなるのではないだろうか。彼女の絵も生き方も、大変魅力的だ。

ちなみに、冒頭に掲げた彼女の絵が展示されているのが、東京芸術大学の大学美術館。

★ 東京藝術大学大学美術館

上野駅を出てすぐの国立西洋美術館に比べて奥まったところにあるため、あまり知られていないが、教科書で出てくるような著名な絵もたくさん展示されている。
お暇な人は行ってみたらいいだろう。

参考
★ 『小倉遊亀・天地の恵みを生きる―百四歳の介護日誌』書評
★ 小倉鉄樹と遊亀夫人

2013年6月14日金曜日

大分市高卒正規職員の初任給は148,900円

大分市の正規職員が夜の飲食店でバイトしていたのがバレたという話なのだが、バイト自体よりも彼女の手取りが10万円を切っていたというニュースに多くのはてなユーザーが驚いている。
"正規職員で手取りが10万切るって、そっちこそニュースだろ"Apeman
"「公務員の副業禁止は知っていた。だが、職員によると、毎月の手取りは10万円を切り」責められるべきはこの程度の手取りしか出さないのに副業禁止にしている労働条件の方ではないのか。"D_Amon
"地方公務員の給与や賞与は公開されるが,平均値でしか示されないから,実際は多極化して若い職員等は貧困化していることが隠されている。"complex_cat
"見出しは「市職員の手取り給与が10万円切る!」にすべきだろう。"ncc1701
"正規職員で手取り10万円を切ってるということのほうが問題だろ。問題にするところがおかしいよ。"toronei
★ 大分市職員、飲食店で夜のバイト
11日夜、大分市内で大分合同新聞社の取材に応じた女性職員は、事実関係を認めると深々と頭を下げた。
 公務員の副業禁止は知っていた。だが、職員によると、毎月の手取りは10万円を切り、6万円を実家に入れていたという。自分の携帯電話料金などを払うと「ほとんど何もできない」状態に不自由を感じていた。
ほんとうかよ? とまず疑った。それはないんじゃないのだろうか? と。公務員の初任給はすぐに調べられる。それが公開されていることを、案外知らない人が多い。そして調べてみて、ますます疑いが濃くなった。

★ 大分市の給与・定員管理等について

上記2ページ目下部によれば、高卒の正規職員の初任給は148,900円。ちなみに手取り額は、下記サイトに給与金額を打ち込めばすぐに計算できる。

★ 給料手取り計算シミュレーション

社会保険や雇用保険などを差し引くと、125,872円となる。手取り額が10万円を切ることはなさそうだ。新聞社がこの程度の下調べを怠っていたとは考えられないため、隠されている事情があるのではないだろうか。

彼女は当初、寮に住んでいたのかもしれない。実家が職場の近くなのに、わざわざ一人暮らしをする理由はないだろう。そうすると、実家が遠方にある可能性が高い。寮費が差し引かれた手取りが、10万円だったのではないか。

「手取り額が10万円を切る」などと書かれると、大変少額に聞こえるが、家賃を差し引かれていたとしたら、これは特段哀れな話ではないだろう。180,000円程度の月収で、月額60,000円のアパートに暮らす東京の若者と、生活レベルは一緒だ。都会で月収180,000円のバイト暮らしをしている19歳の若者は、それほど珍しくない。だからといって、皆が皆、水商売に手を染めている訳ではあるまい。

むしろ責められるべきは、子供に大学に行かせず高卒で働かせておきながら、毎月6万円を搾取していた親ではないか。いわゆる毒親なんじゃないの?

この手のニュースは、新聞記者が公憤を煽るために、いろいろな裏事情を隠して報道することが多いので、注意をしなくちゃならない。

2013年6月13日木曜日

養子縁組制度の悪用が増えている

監禁王子事件と呼ばれる「北海道・東京連続少女監禁事件」では、犯人が入門した空手道場主のハンコを勝手に持ちだして無断で養子縁組した。この話で初めて養子縁組が簡単にできることを知ったのだが、最近この手の悪用が多発しているという。

養子縁組には2種類ある。特別養子縁組と普通養子縁組だ。

特別養子縁組は家庭裁判所によって厳格な手続きが行われるため、これはあまり悪用されない。逆に普通養子縁組の手続きは大変簡単で、必要書類に記入して印鑑を押して、各市町村に提出すれば終わり。

この2種類の縁組は、税法上で区別される。他人の財産を譲り受ける場合に、相続税を逃れるために便宜的に養子縁組をするケースが以前多発した。これを避けるため、今では相続税の控除対象となる養子を、実子がいる場合は1人まで、実子がいない場合は2人までに限定している。特別養子は実子と認められるので、普通養子は税法上の優遇措置の対象とはならない。

だが、それ以外、特別養子と普通養子の間には何も差がない。それどころか、普通養子には養親の財産を受け継ぐ権利だけではなく、実親の財産を受け継ぐ権利もあるのだ(普通養子縁組は、実親との関係を断ち切らないため)。その上、普通養子縁組はいくつも同時に行うことができるので、戸籍上は何十人もの「親」を持つことができる。

たかだか書類を提出するだけで、財産を手に入れるチャンスがある。たとえば最近増えている独居老人と仲良くなり、家に上がり込んで間取りを把握、彼らが留守の隙を選んで印鑑を盗み出して普通養子縁組の書類を偽造、市町村に提出しておいて、後は彼らが死ぬまで待つ、という行為を繰り返せば、数十年後には一財産築けることになる。

そもそも「養子縁組」という行為自体が滅多に行われるものでは無いはずなのに、日本全体で、現在8万件もの養子縁組届が提出されている、というのがおかしい。東京都内のある区では、不自然な養子縁組届が全体の16%にも達しているというのだから、ザル法もいいところだ。なにしろ1ヶ月の間に幾つもの養子縁組を繰り返すような事例が、実際に起こっているのだ。

しかし、市町村には書類に不備がない限り、受理しなければならないという決まりがある。どうしようもない。文京区は以下のような請願書を提出して国に法改正を求めたが、当時の政権を担っていた民主党からは完全無視された。

★ 養子縁組を悪用した犯罪を防止するために法の改正を求める意見書

現在、暴力団がこの手の養子縁組ビジネスに深く入り込んでいる。先日兵庫県尼崎市で、複数の家族を乗っ取り、殺人などを繰り返してきた角田美代子。彼女の父が北朝鮮の左官工であり、この手の犯罪ビジネスに精通していたと、先日発売された『実話ナックルズ』が報道している。ネットゲリラさんの記事によれば、そもそも戸籍ロンダリング自体が昔からある暴力団のシノギの方法であり、主犯格が女性だから奇異に感じたものの、よくよく考えれば伝統的なものだ、という。

戸籍に価値を置く人々は、このような戸籍の悪用はしない。するとしたら、戸籍に価値を置かない人か、戸籍制度自体を憎む人々だ。彼らは戸籍を"汚す"ことを躊躇しないし、それで利益が出るのならば、利用しない方がおかしいと考える。どのような人々が戸籍制度を憎んでいるのかは詳しく述べない。

★ 角田美代子容疑者に“戸籍ロンダリング”を伝授したのは誰なのか
 かつて養子縁組ビジネスをしていた暴力団関係者が言う。
 「養子縁組ビジネスのいいところは、家族の問題にできるので警察の介入を防げるということだが、ほかにもう1つある。養子を組んだ人間同士で“共犯”になれること。勧めた多重債務者が今度はブローカーになって、ほかの多重債務者に勧めるなんてことも多い」
 ということは、養子縁組の悪用を繰り返すということでファミリーの結束が強まり、巨大な犯罪集団へと拡大していったということではないのか。 
「こんなこと、自分には関係ない」
という人、案外世の中を知らない。たとえばあなたが企業に提出した履歴書。これにはあなたの生年月日も筆跡も、時には印鑑さえも記載されている。これ一枚あれば、あなたの筆跡で書類を偽造して、役所に提出することが可能なのだ。

就職しようと思うような大手企業なら、まだいい。学生時代に履歴書を提出したバイト先は、それほど信用できるところだっただろうか? あなたを養子として登録し、後日あなたの家庭へと上がり込んで、あなたの家庭を崩壊させようと虎視眈々と狙っているような人は、あなたのかつてのバイト先に、いなかっただろうか?

個人情報保護が騒がれているけれども、中小企業では求人に応募してきた履歴書をそのまま保管しているところも多い。それが暴力団に狙われる。あるいは暴力団のフロント企業が、中高年向けに、履歴書を取り寄せるためだけに求人広告を出すケースもあると聞く。

一度自分の戸籍を取り寄せてみた方がいいかもしれない。あなたの戸籍に、誰かの名前がひっそりと書き加えられていないか、注意が必要だ。

2013年6月12日水曜日

婚活居酒屋「四万十」に行ってきた! 下

東京都品川の、青物横丁駅にあるという、婚活居酒屋「四万十」
まるで一般住宅のような部屋でまったりと会話を楽しむ……
(「婚活居酒屋「四万十」に行ってきた! 中」の続き)

(この雰囲気、楽しい! 案外はまるかも?!)
という感動を抱きつつ、それでも少し、飽きはじめていた。

というのは、残念なことに、目の前の女性があからさまに我々を無視して、同僚同士の話で盛り上がり始めたからだ。彼女たちにとって、吾々は相手に足らず、といったところか。

そこで、私はトイレに行くふりをして、2階の様子を見に行った。

2階はやや、すいてきていた。時計は22時を回っている。23時には閉店となるためか、そろそろ新しい客足は途絶えようとしているのだろう。それにしても23時閉店とは、飲み屋らしからぬ営業時間ではないか、と思ったが、いや、本来それが普通なのだと思い直す。世の中が深夜営業へとシフトし過ぎてしまっただけで、これくらいで閉店が本来は健康的なのだ。盛り上がった男女はこれからも別の場所で楽しめる。

店員に、声をかけて、2階へ移動できないか尋ねたところ、
「2階客が減りすぎているから、今日は特別に、移動してもいいよ」
と言われたため、移動。年齢層はここも幅広く、20代から50代までいる。

あるテーブルにつき、横の男性と会話を始めた。ふと思ったのだが、ここでは「婚活」と銘打っているから見知らぬ異性に話しかけやすいのは当然として、見知らぬ同性にも話しかけやすいのである。

「この店のことはどうやって知ったのか?」
「目当ての異性はいるのか?」
「占ってもらったことはあるか?」

といった共通の話題である程度盛り上がれるし、それをきっかけにお互いの仕事についての情報交換もできる。

ちなみに、横にいた男性は、誰もが知る外資系の一流IT企業の男性であり、なぜこんな男性がここにいるのだろう、と疑う爽やかガイだった。

「ここに来なくても、出会い、あるでしょ?」
「それが、ないんですよ」
「またまた~」
などといった調子で尋ねると、案外深刻な悩みを抱えていた。

仕事はクライアント周りばかりで、それなりに素敵な異性と出会いがあるのだが、コンプライアンスの問題もあるため、他社社員とプライベートな関係を結ぶことがなかなかできない、というのだ。

「今ではSNSで、噂はあっと言う間に広がりますからね。相手が悪意を持っていて、ふられたことを逆恨みして『あいつは仕事中に私を口説いた』と言い触らされたり、二人のプライベートのメールを公開されたりしたら、アウトですから。仕事上のつきあいのある相手とプライベートな関係を持つのは、リスクが大きすぎます」
と語る彼は、たぶん、真面目な人なのだろうと思った。

パワハラだのセクハラだのコンプライアンスだのとうるさくなった世の中ではあるが、案外みなさん、仕事上の立場を利用してうまくやっている。時に事件になることはあっても、うまくやっているケースはその何千倍とあるだろう。

でも、逆に真面目な若手社員は、会社から通達されるギチギチなルールを守ろうとして、異性とプライベートな関係を持つことを躊躇することが多いのかもしれない。この彼のように。

なんとももったいない話である。

それにしても楽しい。ここがもう少し近ければ、時々通いたいなと思いつつ、カウンターを眺める。そこには長い列が出来ていた。

カウンターには一人の老女が来客一人一人を占っていた。事前に渡された紙に生年月日などのプライベート情報を書いて渡しておき、それを元に占ってもらう。同行の友人に尋ねたところ、
「せっかくだから、並ぼうぜ」
という返事。30分ほど並び、首尾よく占ってもらうことになった。

結果は話すまい。どのようなことを言われたのかを書くと、営業妨害になりそうだから、詳しくはここには書かない。とりあえず、まあ、こんなもんか、という結果。

店を出た。風が暖かい。妙な充実感があった。来てよかったと思う。

「婚活」と聞くと、異性獲得のためにイマイチいけていない男女がうろうろしている、というネガティブなイメージを持っている人もいると思うが、そんなことはない。爽やかなナイスガイ、清楚なお嬢さん、色っぽい女性やラガーマンタイプのいかつい男など、様々な客が、そこにはいた。

その上、会社が近いためか、ごくごく普通のビジネスマンも飲み会の場所として使っていたため、気負うこと入店できるだろう。

とても楽しい時間を過ごすことができた。人恋しい時などに、ふらっと立ち寄ることを、お勧めしたい。素敵な出会いが、そこにはあるはずだ。

2013年6月11日火曜日

婚活居酒屋「四万十」に行ってきた! 中

東京都品川の、青物横丁駅にあるという、婚活居酒屋「四万十」
そこに入店したところ、驚くことばかりだった……

店員に命ぜられるがままに、女性4人、男性2人が座るテーブルについた。
中には60歳ほどの女性店員がたち働いている。入ってすぐ左側にキッチンがある。これを見れば、そこがごくごく普通の室内であることが分かるだろう。
女性4人は会社の同僚、男性2人も会社の同僚同士だが、男女に接点はまったくないという。男性は何度もこの店に通っているが、女性たちは初めての訪問だそうだ。

まずは自己紹介すべきなのだろうか。そう思ったものの、女性たちはこちらを無視して会社の部長が傲慢だの、出入りの業者がかっこいいだのといった他愛もない話で盛り上がっていたため、その隙がない。まずは料理を注文しようとしたところ、
「この店にはメニュー表、ありませんよ」
と横に座る男性に教えてもらった。

なんでもこの店は定額制で、3000円を最初に支払い、その後は食事が次々に出てくる仕組みだという(ちなみに酒は飲み放題だ)。

女性たちは自分たちで盛り上がっていたため、横に座る男性二人に話を聞いてみた。

一人は50代、もう一人は40代。二人とも近くの職場で働いていて、この店の雰囲気が好きなので、よく通っているというので、いろいろと情報を仕入れた。

  • 混むのは金土日。予約を取らないと入れないこともあるので、金曜日なのに15分程度で入店できたのは運がいい。
  • 平日は空いているため、ゆっくりと話すことができるものの、人がいなくていい出会いがないこともある。
  • 2階では占いをしていて、それが目当てて女性が大勢やってくる。それはタダ。
  • しばらくすると席替えをしなくてはならない。30分に一度は席替えをする。

という。その説明の最中に、料理が次々に運ばれてきた。

料理の味は、まあまあ、といったところ。それほど品数もなく、料理も選べないので、料理に期待してこの店に行くべきではないのかもしれないが、コロッケはうまかった。
そのうちに、目の前に座る女性たちと、なんとはなしに会話が始まる。

彼女たちは占いをしてもらいにこの店にやってきたと言い張る。4人のうちの1人が占いに興味があるから……という話を聞きながら、
(なるほど。うまくできている)
と考えた。

出会いをメインとするパーティーやサークルでは、女性目当ての男性が多くやってくるために、放っておくと、男性ばかりが増えてしまい、少ない女性を取り囲む、といったことになりやすい。だからお見合いパーティーでは、男性側の参加費を高くして、男性を絞り込み、女性の参加費を低くして男女比を均等にしようとする(男性側に高収入などの資格を求める場合は逆となる)。

それに、女性にとっては「婚活をしている」と告白することは、まだまだ気恥ずかしいに違いない。

ところがこの店では「占い」というそれ以外のセールスポイントがあるため、女性たちも「占ってもらうためにやってきた」という逃げ口上を述べ、「婚活はついで」というスタンスを取ることができる。このお陰で女性の入店率は放っておいても高くなり、男性側は高額の参加費を払わなくとも、いろいろな女性と話ができるという仕組みだ。男女どちらにとってもメリットがある。

30分経ったが、席替えの声はかからなかった。男性によれば、それほどきっちりと決まったルールではなく、その日の都合で席替えはあったりなかったりするらしい。

雰囲気は面白かった。学生時代のサークルのような雰囲気で、男女入り乱れて飲むものの、それほど性的な雰囲気がない。ワイワイと飲む他のテーブルを見ても、お見合いパーティーのような必死さは微塵もない。明るく健全で、和気藹々としている。

これはいい。
(明日に続く)

2013年6月10日月曜日

婚活居酒屋「四万十」に行ってきた! 上

「婚活居酒屋」という耳慣れない言葉を聞いたのは、友人からだった。

「なに、それ? 居酒屋でお見合いパーティーするの?」
「違うよ。パーティーがあるわけじゃない。居酒屋の店主が、来店した若い男女に声をかけて、お見合いさせるらしいんだよ」

なにそれ、面白い・・・・・・。

面白いものには目がない。婚活に情熱を傾けている訳ではないが、なにしろ今の私は独身。「婚活居酒屋」とやらに潜入する資格は十分ある。

結婚後にも参加可能だろうが、店の他の客に対して、
「私、独身なんですよ」
と言えるのと言えないのとでは、行ったときに受ける待遇は随分変わるだろう。

行くのならば、今でしょ?!

……という訳で、私と友人は、二人で品川駅の近くにあるという「四万十」に向かったのである。
※この体験談は、3回ほどに分けて記事にする予定なので、先が気になる方は後でまとめて読む方がいいかもしれない。
さて、品川駅の近くにあるという友人情報は、その後訂正され、当日の集合場所は、店の最寄り駅である「青物横丁駅」という耳慣れない名前の駅の改札前になった。京急本線で品川駅から浦賀行へと向かうとすぐの駅である。

「お待たせ!
「遅い~♡」

などという会話で盛り上がるカップルを横目でにらみながら、それでも期待に(何の?!)胸膨らませて待つこと10分(その日は何故か、10分前に到着したのだ)。友人が時間通りに現れ、二人で照れながらイソイソとお店に向かう。改札を抜けて、正面の道を右へと曲がって数十メートルで店へ着いた。

店の前には大きな看板で「四万十」の文字。これで見逃すことはないだろう。
2階へと上がる。金曜日の夜のためか、店内は大変混んでいた。7時から開店すると聞いていたが、まだ8時なのにこの混みようは何なのだ?!

店の入り口には坂本龍馬の写真がいくつも張られている。「四万十」という店名の由来は土佐の四万十川であり、土佐料理が一応、この店のメインなので、店主も竜馬ファンなのだろう。
事前に予想していたような、婚活に勤しむ年配の女性が多いのではないか、という予想は外れ、私の前に立っていたのはうら若き20代の女性。
(特定を避けるために、カバンを塗り潰しています) 
しかもかわいい。

「案外、若い女性が多いね」
「意外だよな」

友人と語りあいながら待つこと15分、2階への大広間には通されず、
「3階へお上がりください」
と指示されて階段を上った。

どうみてもマンションの一室が上にはあり、ドアが開いている。

「おいおい、ここ、従業員の部屋かなにかだろ? 別のフロアがあるんじゃないか。訊きなおそうぜ?」
慌てる友人に、すでにネットでこの店の変わったシステムをあらかた調べていた私は、
「これだよ! この個人の住居での宅飲みのような雰囲気こそが、この店の売りなんだ!!(ドヤァ)」
と自慢した。

そう。このお店では、婚活という、見ず知らずの男女が話すという心理的なハードルを下げるために、敢えて自宅のような間取りの空間を用意、まるで自宅で飲むような雰囲気を演出しているのだ!!

「ええ!!」
という予想通りの友人の感嘆の声。店の雰囲気について綴ったブログを読んでなければ、私も信じられないよ、と心の中でつぶやきながら室内へ入った。

(「婚活居酒屋「四万十」に行ってきた! 中」に続く)

2013年6月9日日曜日

最近気になった記事 6/9

最近気になった記事のご紹介です。

寡聞にしてガラスの仮面がギャグマンガになっていたことを知りませんでした。ここまであの世界をパロディ化した腕前はスゴイです。映画になるようなので、観に行きたいような、観に行きたくないような……。

 弁護士の大半は個人事業主として活動しているが、その2割は、経費などを引いた所得が年間100万円以下であることが国税庁の統計で分かった。500万円以下だと4割にもなる。弁護士が急増したうえ、不況で訴訟などが減っていることが主原因とみられる。一方、1000万円超の弁護士も3割以上おり、かつては「高給取り」ばかりとみられていた弁護士業界も格差社会に突入したようだ。
ひえぇ~。厳しい世界。それにしても不況下では資格がある弁護士は強いと思っていましたが、訴訟が減ったために逆に弁護士稼業が大変になるとは思ってもいませんでした。ちなみに、メキシコに詳しい友人によれば、メキシコでは弁護士では食えないため、アルバイトをするのが当たり前なのだそうです。

日本はアメリカ型よりも、むしろメキシコ型の地縁血縁を重視する社会です。TPP導入後の日本の将来像は、アメリカよりもむしろメキシコのようになるのではないか、と密かに憂えています。

慰安婦論争は日韓で大変大きな問題となっていますが、木村幹氏によって、何が問題であり、日本の議論は世界とどのようにずれているのかが詳しく述べられています。これは読む価値があります。
最初に明らかなのは、慰安婦問題のような「現在」の価値基準に対して受入れられない事象については、それ自体が今後も非難され続けることがある程度やむを得ない、ということである。そのことはたとえば、ドイツにおけるナチス政権下のユダヤ人迫害にかかわる議論を考えてみればわかりやすい。

このケースにおいて重要なことは二つある。一つは、今日のドイツが自らの「過去」に対する問題を清算した否かとはまったく別の次元で、この問題が依然として否定的に議論されている、ということである。いい換えるなら、過去の問題がどう清算されるかと、過去にかかわる特定の問題が否定的に議論されるか否かは関係がない、ということをこの事例はしめしている。

二つ目は、この問題が今日、否定的に議論されているのは、当時の価値観に照らしてではなく、今日の価値観に照らしてだ、ということである。「不遡及の原則」により過去と現在が切り離されている法律的な議論とは異なり、歴史にかかわる議論においては、価値観が過去に遡及することはきわめてありふれた現象である。「歴史の教訓」などという言葉が存在するのもそのためだ。
「歴史的な事象を現在の価値観で価値判断してはいけない」
とよく聞きますし、それを私は根源的な原理だと思い込んでいましたが、そうではないという現実への目が拓かされた瞬間でした。

たしかに、今世界でさかんに行われていることは、過去の事実は現在の価値観で判断した場合、正しいのかどうか、という議論です。

現在に生きる私たちにとって、現在の価値観で歴史上の物事を判断することの方が、より現実的ですし、ナチスの行為であれ、黒人差別の歴史であれ、先進国間で進められているのは過去の事象を現在の価値観でどうとらえていくか、という洗い出しです。この世界の流れに、日本は確かに乗り遅れています。

★ ダウン症が”治せる病気”になる日も近い?
これは嬉しいニュースです。
ヒトの21番染色体に相当するマウスの16番染色体を余分にもつ、ダウン症のモデルマウスTs65Dnにおいて、低下しているSNX27遺伝子の発現を強制的に上昇させました。すると、低下していたグルタミン酸受容体の発現、シナプスの機能、学習記憶能力のどれもが、ほぼ正常レベルにまで回復したのです。これは、将来的なダウン症の治療につながる有望な結果といえそうです。
痴呆症やダウン症といった脳分野の症状の緩和が、今後も進んでいくでしょう。

★ 平野綾ちゃんという無計画な偶像
私、「涼宮ハルヒの憂鬱」に恥ずかしながら夢中になった時期があるため、平野綾の個々数年の迷走ぶり、見ていて残念でなりませんでした。たしかに実力があります。人気もあります。でも、自分の本来性への欲求があまりに強かったことが、彼女にとっては不幸でした。

人間、下積みが長いと、夢や希望が少しずつ摩耗します。それは決してわるいことではありません。なぜなら、年をとって人気が出た時に、多少の融通や無理に寛容になれるからです。人気が出るようなことは運がよくないとダメであること、世の中には実力が出会いや運がないためにくすぶっている人がたくさんいること……こういった現実を肌で感じていると、自分に運が巡ってきたときには大抵の仕事をこなせるようになります。

とはいえ、あまりに何でも受け入れてしまうと、ほしのあきのような詐欺サイトの片棒を担いで、せっかくの運を使い果たしてしまうこともありますが……。

★ 貧困というサイレント・ツナミ
 各加盟国内でくり返し実施される世論調査や加盟の是非を問う国民投票でも、EUやユーロを脱退すべしと考える国民数は毎回うなぎ上りだ。英国では5月2日の地方議会選挙で、EUからの脱退を主張する独立党が大躍進を遂げた。
 主要な国際組織、通貨・金融機関関係者らも、自分たちの政策の失敗を認め始めている。
ヨーロッパは2つの世界大戦の後、戦争を二度と起こさないために地域統合を推し進めてきました。それが今、危機に貧しています。大きな要因は、所得格差の拡大による社会の不安定化です。新自由主義に任せると、ここまで急激に所得格差が拡大するとは誰も考えていませんでした。

社会主義の不完全性は、ソ連の崩壊により自明となりましたが、新自由主義の不備もまた、チリのピノチェト政権の失敗で明らかになっていたはずでした。しかし、アメリカの繁栄が、欧州指導者たちの判断力を鈍らせてしまい、現在の惨状へとつながっているように思えます。

所得格差の拡大は、大量の移民(低賃金労働力)の流入や技術革新(熟練工の不要)により、今後ますます広がるでしょう。その動きに棹さして、今に生きる人々をどれだけ救えるかが、政治家に求められています。

2013年6月8日土曜日

マナーが身につくとは、マナー違反ができるということ

ある名優を使って食事のシーンを撮影していた時のことである。ベテランの俳優で、もちろん食事のマナーは完璧。作法に問題ないはずなのに、何度取り直しても監督はそのシーンに違和感を感じる。

最初は原因が分からなかったが、助監督とともに試写フィルムを見直して、その理由が判明した。……俳優のマナーが"完璧"過ぎたのだ。

その俳優は貧しい家庭で育った。親は無教養で、子供にマナーを教えることはなかった。大人になって成功をつかんだのち、様々な人々と食事をするようになった彼は、必死にマナーを学び、完璧な作法を身につける。

ところが、彼には「間違ってはいけない」という緊張がどこかにあった。意識しながら、一つ一つの動作をこなさねばならないから、どこかぎこちない。それが、フィルムを通すと途端に、透けて見えたのだという。

生まれつきの金持ちや教養ある家庭で育った人々は違うようだ。子供の頃に叩き込まれ、嫌々ながらも幼くして身につけたものは、普段の動作に染みこむ。だから無意識の内に、マナー通りにふるまえる。だから、自然で緊張がないのだ。

上流階級(嫌な言葉だが)の人間は、だからこそ、時にはお思いきり不作法にふるまうことすらできる。それ以外のマナーが出来ているから、一部分が無作法でも、周りを不愉快にさせないのだ。それが彼らに、自由な雰囲気を与える。名優には、その種の余裕がなかったのである。

そもそもマナーとは何か。他人を不愉快にしないための所作振る舞いの一体系だ。社会に出ると、不寛容な人が多いことに誰もが気づく。些細な仕草を不愉快だと思う人が、世の中には大勢いるのだ。

食事中に話すと「唾が飛ぶ」と嫌がる人。
口を開けながら食べることを「くちゃらー」と呼んで毛嫌いする人。
食事中に鼻をかむことを「汚い」と顔を背ける人。
ひじをつくと「姿勢が悪い」と怒り出す人。
皿に取り分けられた料理を均等に食べないと、不機嫌になる人・・・・・・。

気になる人は気になるのが、こういった一つ一つの他人の所作である。食事のマナーとは、たくさんの立場の人々に不快感を与えないような所作の集合体、と言えるだろう。

だが、すべて守ると窮屈だ。だから、一生、いついかなる時にでも、マナーをすべてを守れる人ような人はいない。それに、マナーは文化や家庭によって微妙に異なる。食事中に会話することが当然の家庭に呼ばれたにも関わらず、親からしつけられた通りに、食事中は無言を貫くような人は、食卓を不安にさせるだろう。その上、その理由を尋ねられて、
「食事中に話すと、唾が相手の料理にかかるので、汚いですよね。だから、食事中は会話してはいけないと家で習いました」
と答えるようでは、相手の家庭を不愉快にしているので、むしろマナー違反だ。他人に不愉快な念を抱かせないためのものなのに、本末転倒な話となる。

こんな話がある。イギリス女王を囲む食事会で、果物が出された。果物の皮を指でむかなければならないので、指先をすすぐための水をためた容器「フィンガーボール」が招待客に配られた。皮を剥いた後、そこに指を入れて、果汁で汚れた指先を洗うのだ。

ところが、無教養な賓客が、知らずにフィンガーボールを持ち上げて、水をごくりと飲んでしまった。当然周囲は失笑する。女王の前で無様な態度を取った彼は、翌週のゴシップ新聞に、
「バカはいつまでたってもバカ――女王の前で洗浄水を飲み干した成金」
などといったタイトルをつけられた記事で、侮蔑され、国中の笑いものになっていたかもしれない。

ところがそこは英国女王。とっさに同じようにフィンガーボールの水を飲み、周囲の失笑をピタリと止めた。お陰で、この賓客の面目は守られたという。

マナーを守りつつ、状況や相手によって一部のマナーを破ることができる……英国女王のような融通無碍な態度を取れることが、本当に「マナーが身に付いた」と言えるのだろう。

マナーが他人と円滑につきあうための態度の体系ならば、当然の帰結なのだが、ここに思い至らない人が、あまりに多い。そして、
「マナーを身につけたからこそ、マナー違反ができる」
ということは、他の様々なことにも、言えることなのだ。

2013年6月7日金曜日

キングコング西野がまたやらかしたらしい


お笑いコンビのキングコングと言えば、その実力以上に世間を騒がせることで有名な2人です。そのうちの1人、西野(生活保護を母親に脱法受給させた梶原ではない方)の行為が、再び世間の批判を浴びているようです。

   「キングコング」西野亮廣(32)が同居する後輩芸人・小谷に「今日中に荷物をまとめて家を出るように伝えた」と6月1日(2013年)にツイッターで明かした。4月から同居していたが、家賃4万円を2か月連続で滞納したためだという。
彼はこのようなこともつぶやいています。

西野氏の行為と一連の発言に対して、インターネットでは批判の渦が沸き起こりました。
「これはどこで笑えばいいの?」
「モーレツに面白いと本気で言ったんなら最悪の性格だなw」
「ホームレスの炊き出しに参加する事がそんなに面白いのか」
「不快感しか湧かない
これが面白いと本気で思ってるんだろうか」
西野氏は、先日も放送作家の鈴木おさむに喧嘩をふっかけ、謝罪をするハメになるなど、問題発言が多いことで有名です。彼の発言は、世間の共感を得るよりも反感を買う傾向があります。

今回の行為は、後輩芸人の売名行為の手助けといえるようなものであり、いまいちパッとしない後輩芸人に「ホームレス芸人」という新しい肩書きをつけようという西野氏なりの思いやりなのでしょう。しかし、その目論見は大きく外れてしまったようです。

思うに、西野氏の感覚は世間とだいぶずれているのではないでしょうか。

この小谷という芸人は、健康で若くて体力もあるのですから、芸人としての仕事を減らして定期的なバイトをすれば、ある程度の生活はできるはずです。それをしないのは芸人になるための夢を追っているからでしょうが、そのためにホームレスの炊き出しに並んではいけません。

以前ホームレスのためにボランティアが飲み物などを配布したところ、近くで働くサラリーマンが、それをもらうために並んでいて、批判を受けたことがありました。それと同じですね。

「勤労」は国民の3大義務ですから(なんて大上段なことを言うのは少々バカバカしい話ではあります)、それをできるのにしないで、恵まれない人のための善意に便乗するという行為や、それをけしかける行為は、倫理的に問題です。相方の梶原が行なった、母親への生活保護脱法受給の勧めとまったく同じ構図。やはり2人、コンビだけあって、発想が似てしまうのでしょうか。

それに、運命のイタズラで、ホームレスまで身をやつすのならばともかく、吉本の芸人が半分遊び感覚でホームレスを体験したところで、世間が面白がることはないでしょう。

今では芸人の社会的地位は、大きく向上しました。芸能界の中でも最低ランク、世間からは爪弾きにされ、ヤクザにすら五分のつきあいを断られた昔とは違います。ビートたけしやタモリなどのインテリ芸人の奮闘のお陰もあり、彼らの社会的地位は随分と向上しました。

政治家や大学教授、財界の大物と、お笑い芸人が対等に話すのは当たり前のこの時代、売れっ子芸人と直につながっている若手芸人がホームレスに混じって生活するというのは、大手企業の若手社員から、
「ワタミに社会人になっても入っちゃったよ!」
と自慢するのを聞くような、嫌らしさを感じるのが正直なところでしょう。

たとえばビートたけしがフライデーを襲撃したり、江頭2:50がトルコで局部をもろ出ししたりしたことがありました。それはメディアからは叩かれるものの、大衆の支持を深い所で得て、後日の活躍の礎となりました。

でも、これだけ芸人の地位が向上した今、彼らに求められるハードルも高くなりました。若手芸人が世間の共感を得たいのならば、もっと巨悪に立ち向かうようなことでもしない限り、彼らレジェンドに肩を並べることは難しいでしょう。

いずれにしましても、倫理観の欠如、時代の流れを読み取る能力の欠如は、お笑い芸人としては致命的な欠陥のように思えます。西野氏に才能があることは間違いありません。例えばこの絵本。

彼がこの細密画を描いていることは確かな模様です。

他にもいろいろなイベントを手がけている彼は、才能の塊に思えます。それは確かなものの、自分の才能に溺れて、世間の人々の反感を考慮しない傲慢な姿勢、弱者を踏みつけにすることが面白い、という嗜虐性を今後も露わにするのならば、世間から段々と受容されなくなり、ひっそりと消えていく運命になるでしょう。少々もったいない気はします。


2013年6月6日木曜日

瞑想の方法と私の失敗

以前『スタンフォード大学の自分を変える教室』をたびたびこのブログで紹介しました。その中で著者が意志力強化法として、幾度となく勧めていたのが"瞑想"という技術でした。

日本では宗教アレルギーが強いためか、もともと宗教の中の一つの行法として知られている瞑想という行為について、あまりおおっぴらに語りにくい雰囲気があります。

「私週末にはテニスしている」
と言うことはできるでしょうし、
「ヨガに通っている」
とも気軽に言えるでしょうが、
「毎晩瞑想しています」
と告白するのには勇気が要ります。時には気味悪がられることだって、あるでしょう。

とはいえ、瞑想という行為が大変精神に良い影響を与えることは間違いありません。私も以前から、時間を見つけては日常の中に、瞑想を取り入れるようにしています。これは、確かにリラックスに効果があります。

失敗を繰り返しつつ、実践しながら学んだ瞑想について、わかっていることを簡単に述べてみます。

1.瞑想は睡眠ではない
瞑想も睡眠も、目をつぶって身動きしないという点で似ているため、
「瞑想なんて意味あるの? 寝ればいいじゃない」
と考える人は、多いはずです。かつては私もそうでした。でも、全然違います。

同じように身体を動かしながら水に浮いていても、泳いでいるのと溺れているのとがぜんぜん異なるのと同じくらい、違います。

睡眠中は、意識の全活動がほぼ停止します。ところが、瞑想中には意識は覚醒していなければなりません。言語や、自我、エゴといったものの活動を抑制することで、普段の思考ではアクセス出来ないような、より潜在意識の深い部分と意志を司る理性がつながり、深い智慧を獲得できるところに、瞑想の醍醐味はあります。

はっきりと意識を覚醒させながら、言語による思考活動を抑制する……言うは易く、行うは難し。大変むずかしい行為です。普段、慣れていないからです。それが難しいからこそ、
・呼吸の数を数える
・心臓の鼓動に耳を傾ける
・両手で手を叩くのではなく、片手で手を叩いた時の音を想像する
・種が芽吹き、成長して大木になるまでを想像する
といった、様々な方法が試みられてきました。

瞑想は睡眠ではありません。睡眠とは別の時間を取って、改めて行うことが必要です。

2.瞑想中は身動きしてはいけない
瞑想してみると、いろいろなことが気になってくるものです。たとえば、身体のどこかがむず痒くなることは、よくあります。というのも、人間は実は常に、身体のあちこちに、痒みが生じているものなのです。それを無意識の内に掻いているか、他のことをしているうちに忘れてしまうのに、厄介なことに瞑想中にはできません。そうしますと、余計に気になって、掻きたくてたまらなくなります。

あるいは、身体の凝り。これもまた、普段意識していない部位の凝りが気になって、少しだけ、身動きをしたくなります。

「ほんの少し、掻いたり身体を動かしたりすれば、再び瞑想に集中できるのだから、雑念を生じるものが現れたら、それを解消したっていいじゃない」
と思って、そんな時には一度瞑想を中断して、体を掻いたり、ストレッチをしたりして、それから再び瞑想を始めていた時期も、ありました。

でも、これは間違いですね。むしろ、日常生活において感じないものが身体に現れて、瞑想を邪魔しようとするのならば、それは悟る前の釈迦の前に現れた悪魔のような存在なのです。それに気を取られず、瞑想の姿勢を崩さないこと。これもまた、集中力を養うために必要な行為であり、散漫となりがちな意識を乗り越えることで、よりより瞑想ライフを行えることが、分かって来ました。

瞑想を始めたら、他のことに気を取られてはダメなのです。特に日本では、生命を脅かすウイルスを運ぶような蚊はほとんどいません。痒くても、蚊に刺されても、身動きしてはいけません。ましてや、やらなければならないことを思い出してメモをとる、なんてことは言語道断です。

3.疲れているとき、眠い時に瞑想してはいけない
瞑想するとリラックスすることは確かです。半分ウトウト、半分覚醒。この状態がまた、気持ちがいいのです。朝起きたばかり、あるいは疲れきったときに瞑想することは、疲労回復や睡眠不足解消にちょうどいい、と思っていた時期もありました。

でも、これって、二度寝と同じなんですよね。先述の通り、瞑想は睡眠とは異なります。疲れているのならば、30分ほど仮眠をとればいいし、朝瞑想するならば、一度目を完全に覚ましてから瞑想する必要があります。そうでないと、時間だけが無為に過ぎます。瞑想がもたらす効果も半減してしまいます。

4.一つの方法にこだわらなくてもいい
最近私が瞑想しながら思い浮かべる質問が、
「自分のこの、今の考えは、どのようにして浮かんだのか?」
というものです。

以前は「呼吸を数える」方法を取っていましたが、どうしても雑念が多く生じて、呼吸を数えているつもりが、心のなかで別のことを考え始め、すぐに精神集中が途切れてしまう、という失敗を繰り返していました。

ところが、
「自分の今の考えは、どのようにして浮かんだのか?」
という、言わば公案のようなものに取り組むと、他の雑念が生じなくなりました。

考えてみれば、小さな日本の中ですら、公案という、言葉では語り尽くせない質問に取り組む一派である臨済宗と、ひたすら何も考えずに座り続ける曹洞宗という二大宗派に分かれていたのです。がっしりした体格とひょろ長い体格の人間には、それぞれ向いたスポーツがあるのと同じように、人間の精神活動のあり方もまた、千差万別です。

自分にあった瞑想法を取捨選択しなければ、その効用を知ることができません。

雑念のような、脳のムダなおしゃべりをいかに抑制できるか……テーマは同じでも、人それぞれ、合う方法合わない方法、様々であることを認める必要があります。そして、自分に一番合った方法を、選べばいいのです。何か一つの方法にこだわって、
「ああ、おれは精神統一ができない。ダメな人間だ」
などと悩むことほど、ムダなことはありません。


ほんの少しの時間でかまいません。毎日、必ず瞑想するようになれば、私たちは、より精神的に余裕を持って生活できるようになります。ほんの少しの進歩は、ほんの少しの実践で成し遂げられるの。ぜひ、日常生活の中に瞑想を取り入れてください。

気軽に座り、心を落ち着けて座れば、いずれ効用を実感できるようになるでしょう。

2013年6月5日水曜日

最近気になった記事 6/5

最近気になった記事のご紹介です。

★ 「姉は認知症」訴えに取り合わず…日興不正解約
久々に心底胸糞悪くなった記事です。SMBC日興証券といえば、元日興コーディアル証券のこと。かつては不祥事のデパートと一時期言われるほど、顧客のカネをだまし取ったり違法勧誘をしたりインサイダー取引をしたり、度重なる犯罪を犯してきた証券会社でしたが、三井住友銀行系列であるために、SMBC(Sumitomo Mitsui Banking Corporation)を頭につけて再出発したはずでした。しかし、DNAは裏切れなかったようです。

★ 急増する「愛してくれ症候群」。
承認欲求は誰しもあるものですが、それが過剰になると周囲に迷惑となります。愛されたことがない男性が要求する「愛していると言ってくれ」症候群。昔の冬彦さんの名台詞を思い出します。

★ ブラジルの都市サントスでは100棟以上のビルが傾いている
1950年頃から週末を過ごすための高層建築ブームが起こり、さらに建築責任者がサントスの地層に詳しくないサンパウロの技術者だったことから、地盤の基礎工事も十分でないまま乱立していきました。その結果、立ち並んだビル群の重量に耐えられず、地盤沈下によってビルが傾いてしまったとのことです。
★ ワタミの介護 崇高な創業理念と裏腹な「死亡事故」多発の深層
いろいろな話が出てきますね。ワタミといえば、労働基準法違反で新卒社員が先日自殺したことでも有名ですが、死人が出たのはそれだけではありませんでした。

★ カタツムリ:コハクオナジマイマイ、ビタミンB2大量蓄積
ビタミンB2は、赤血球の形成などに関わるため、口内炎予防にも必須のビタミンですが、これをカタツムリが大量に溜め込んでいるそうです。海の貝は「海のミルク」と呼ばれるほど栄養価が豊富です。カタツムリもまた、本来ならば食材としてエスカルゴのように注目されてもおかしくないはずですが、日本人、カタツムリを食べませんね。

★ ペットボトルを直飲みしたら? 実験開始7日目結果編。
水で雑菌が繁殖しにくいのは当然として、緑茶の菌抑制効果はお見事ですよね。

★ ロシアで製作されたダチョウ型二足歩行ロボットがスゴイ!!
見かけはどう見ても遊園地のおもちゃですが、よくよく見ますと大変な労作です。これはスゴイ発明品です。そろそろ、車輪ではなく歩行する自動車が公道を走るようになってもおかしくないとおもうのですね。

★ 食べ物に関する内容ばかりアップしている人は心理的な問題を抱えている可能性あり
食べ物の写真をアップしているブログは、たくさんありますよね。彼女たちが心理的に問題を抱えている、その理由は……と記事を読み進めてみましたが、これといった根拠はなく、精神学者の独断と偏見のようです。

2013年6月4日火曜日

業界自体がおかしいとメディアもおかしくなる

物流ウィークリーという、運送業者を相手としたサイトがあるのを初めて知りましたが、そこに書かれている内容があまりに世間一般の常識とかけ離れた内容だったため、読んだ瞬間お茶を吹き出してしまいました。

運送業は、業界自体がブラックなのはよく知られています。あのブラック企業で有名なワタミを作った渡邉美樹は、大昔、体育会系で軍隊的な組織運営で有名だった佐川急便で経営ノウハウを学んだそうです。

さて、おかしな記事とは以下のものです。

★ 残業代未払い求めるドライバー「人間不信に陥る」
運送業がブラックということを知って上記タイトルを読めば、人間不信に陥ったのはドライバー側だろうと思うのですが、そうではなく、経営者側なのです。
今回、当事者となってしまった東京都内の事業者も、「話に聞いていたが、まさか自分がという思いだ」と打ち明ける。
よほどおかしなドライバーでも雇ったのだろうと想像しながら読み進めたのですが、
  • 「有給を取りたい」と依頼をしたドライバーに有給を与えず有給買取で当座をしのいだところ、ドライバーの態度が悪化した
  • 残業代の未払いを請求してきた
  • 「払えない」と言ったところ、荷主のところに弁護士を伴って訴えた
  • すべての日報をコピーして保管していて、証拠固めされていた
こんなことをするドライバーが、「平気で会社を裏切る」悪いやつだということで、経営者側が人間不信に陥った、という記事でした。……そんな馬鹿な。

労働基準法違反を犯して当然だと思うバカ経営者がいるのは、まだ理解出来ますが、その経営者側に賛意を示すメディアがあるというのはどういうことでしょうか。記事を書いたのは一記者だとしても、編集部のチェックは当然入ったはず。新聞社を名乗る組織が掲載許可を出したことに、呆れます。そんな事実を知る方が、人間不信に陥りそうです。

新聞社を名乗るならば、せめて法令遵守の姿勢くらいは見せて欲しいのですが、業界自体がブラックだと、そういう当然の判断すら、できなくなってしまうのでしょう。
平気で会社を裏切るドライバーや、臭いものにフタをする荷主の姿勢に、人間不信に陥った」。会社を畳むことも考えたが、残ったドライバーのためにも続ける覚悟を決めた。
そうですが、いや、むしろこういう企業は早急に市場から撤退してほしい、と切に願います。

ただ、こういうブラック企業が、他に行き場のない人々の雇用に貢献しているのも確か。昔はそれを担っていたのが、土木業者でした(年末の紅白歌合戦で、美輪明宏が「ヨイトマケの歌」を歌いましたが、「ヨイトマケ」という掛け声をかけながら働く土木労働者が、昔は今よりもたくさん、いました)。

それが、公共事業の縮小と、ネットの興隆などにより、これまでは土木作業に従事していたような層が、運送業へとシフトしているのでしょう。2006年のデータですと、運送業に従事する人々の数は全国で300万人であり、その平均年収は500万円だといいます。たとえ労働時間が長く、休みをとれないとしても、長時間働けば、人並みに稼ぐチャンスがそこにはあります。それは、一服の福音なのかもしれません。

ただ、こういう業界を温存させていることで、結果的に社会全体の質が下がり、人々の暮らしはますますひどくなります。

昨今、アマゾンや楽天などの、通販系の企業が大変業績を伸ばしています。アマゾンなどは、一時期送料無料を掲げていました。たかだか数百円の物を運ぶのすら無料で行なって、利益が出るのだろうかと陰ながら心配していましたが、順調に業績を伸ばしています。

それを支えているものの一つに、上記のような多数のブラックな運送業者の存在があるのでしょう。全部が全部とは言いませんが、労働基準法違反ギリギリで従業員をこき使い、運送料を安く、安く設定することで、異常なまでに安い運送料を実現させているのでしょう。通販業者が隣近所のスーパーや商店街で買うよりも安い値段で商品を提供する陰で、地元自営業者がバタバタと潰れています。

こう考えてみますと、やはり、異常な業界、従業員の最低限度の生活の質を下げて当然だと思う業界へは、怒りの声を上げなければなりません。

2013年6月3日月曜日

なりたい顔と、なれる顔

高須クリニックで2013年2月~4月に集計された調査結果によれば、美容整形でなりたい顔としてAKB48の板野友美が選ばれたそうです。
1位 板野友美(AKB48)
2位 浜崎あゆみ
3位 佐々木希
4位 小倉優子
5位 小嶋陽菜(AKB48)
6位 堀北真希
7位 白石麻衣(乃木坂46)
8位 井川遥
9位  渡辺麻友(AKB48)
10位 島崎遥香(AKB48)
高須クリニックにかぎらず、整形外科では、ここ数年板野友美の顔が大人気だそうです。しかし、板野友美が普遍的な美人として、大勢の人から認識されている訳ではないでしょう。少し前、2012年に調査した美人タレントランキングでは、まったく異なる集計結果が出ていました。確か、新垣結衣やローラが上位となっていました。これほどアンケートの集計元が問われる結果もありません。

板野友美が整形美人であることは、衆知の事実です。成長や化粧によって、女性の顔が、思春期を境に大きく変化するのは確かですが、あそこまで変化することは、通常有り得ません。

★ 板野友美 整形 整形前 ともちん AKB48
★ 「成長か整形か?」"AKB48のオシャレ番長"板野友美の"疑惑"を徹底検証

上記記事では、美容整形外科が彼女の整形疑惑を指摘していましたが、医師に指摘されるまでもなく、彼女がアゴや目を整形していることは誰もが分かることでしょう。メディアでそれに触れないのは"暗黙の了解"といったところ。彼女の顔は、美容整形の成功例です。

でも、美容整形に通う女性たちにとって、ほんとうに理想とする顔は、別にあるかもしれません。たとえばローラとか、新垣結衣だとか。ただ、そういった天然素材になることは難しい、という諦めと、板野友美のような整形顔ならば、なれるかもしれない、という希望があり、だからこその、アンケート上位人気なのでしょう。

このような本来の理想と、理想表明とが異なることはよくあることです。たとえば就職先として昨今は、どのランキングでも相変わらず公務員が大人気です。これだって、回答者の本音からかけ離れている可能性があります。回答者にとって理想的な職場として頭をよぎるのは、Googleやテレビ局なのかもしれません。たかだかアンケートですから、それを書けばいいのです。もっと自由に書けばいいのに、それでも、
「自分だったらなれそう」
と思う、「公務員」を書いてしまうものなのです。

こういった本音と建前の乖離は、日常に氾濫しています。アンケートにすら建前を書く人々が、普段の生活の中で、本音を吐くわけがありません。それなのに、言葉だけでその人の意思をを判断することが、なんと多いことでしょう。

もちろん、言わなければ、伝わりません。言葉で説明することが、何よりも大切です。そして、説明されない部分を補うのは、推理であり、想像ですから、逆に本来の姿と大きくかけ離れた空想図を描いてしまう危険性があるのも確かです。ライオンを想像して描かれた東洋の獅子図が実像と大きくかけ離れたものとなったように。

それでも、想像して、本音を探る努力を怠ってはいけないと思うのですね。それに、身近な人ならば、仮説と検証を繰り返して、過ちを修正することができます。ライオンと獅子図ほどの乖離は、避けることができるものです。

言葉と本音にはズレが有り、自由に書いてもいいはずの「なりたい顔」にすら、「なれそうな顔」を書いてしまうのが人間です。日常のちょっとした言葉ですら、本音と若干ずれているのではないか……そう考えながらズレを解消する工夫を続けることで、人間への理解は深まって行くことでしょう。