2013年2月23日土曜日

飯野賢治の訃報に接して

昨日の記事の続きを書くところ、予定を変更して、飯野賢治について書くことにする。

平成25年2月20日、ゲームクリエイターである飯野賢治が亡くなったという。42歳。死因は高血圧性心不全という、耳慣れない病名である。

私はそもそもゲームに疎い。ましてや好事家に人気だという彼のゲームに触れたことはない。
彼が「エネミー・ゼロ」「Dの食卓」「リアルサウンド~風のリグレット~」というゲームを作成したことは知っているが、そのゲームが本当は世間にどのように評価されていたのかも知らない。、

それでも彼のことを畏敬するようになったのは、彼の書いた『ゲーム』という本を若かりし頃に読んだことがきっかけだ。

『ゲーム』は今手元にない。だから、当時読んだ時の記憶を元にして以下の記事を書くことをお許しいただきたい。

彼の幼い頃、母親が失踪した。父親と二人で暮らすようになったものの生活はすさみ、彼の人生は転落し、やがて高校を中退して、近くの工場で働くようになる。

不良だったのだろうか?
そうではなく、明るいデブキャラのような立ち位置だったようだ。
高校中退後に勤めていた工場では、有機溶媒としてシンナーを使用していて、それを吸うのが一番の楽しみだったという。

ところが彼は、デカルトの『方法序説』を一読して、その美しく組み立てられた論理の世界に魅了されるようになる。美しい論理の世界と、現実の薄汚い世界のギャップに悩んだ彼は、ブルーカラーの世界から飛び出して、クリエイティブの社会で生きることを決意する。

小学生の頃にゲーム作成で賞をもらったことがあったので、その伝手をたどってゲーム会社に就職した。

彼の身体はでかい。身長は175cmくらいでそれほどでもないが、体重が100kg以上あり、迫力がある。
また、弁が立ち、記憶力にも恵まれており、しかもデカルトを読み込んでいるからか、常に論理的に思考する癖が出来ていた。

迫力があるから、リーダーとなるのに適している。学歴がないために苦労しながらも、IT業界が若い業界であったことが幸いした。能力があればすぐに見出される。数年でクリエイターとして認められるようになり、「Dの食卓」でブレイクした。

そのあと「エネミー・ゼロ」という作品のプラットフォームをプレイステーションからセガ・サターンへ移すと、ソニーのイベントで発表するという没義道ぶりを発揮し、周囲をあっと言わせるような派手な演出を繰り返して話題をさらい、一躍時代の寵児となるのだが、そこは割愛。

彼は『ゲーム』という本の中で、ゲームという分野がいかに可能性にあふれているかを切々と訴えていた。

ゲーム会社同士がお互いに足を引っ張るのはおかしいと彼は言う。なぜならゲームという新しいエンターテインメントがこれから蹴落としていくのは、ハリウッド映画やテレビ番組であり、彼らから顧客を奪うことがゲームクリエイターに求められているのであって、ゲーム業界内で争っている暇はない……そんな主張をしていて、
「若いのに大胆な発想をする人間だなぁ」
と感心したのを覚えている。

確かに今では、子どもたちは始終ニンテンドーDSで遊び、テレビをあまり見なくなった。
子どもたちの一番の関心の対象は、テレビでもマンガでもなく、ゲームとなったのは間違いない。

しかしゲーム業界は、彼の危惧していたとおりに、熾烈な競争が起こり、セガサターンはプレイステーションとの競争に敗れ、ドリームキャストも健闘むなしく消えてしまった。
セガが売れなくなったのは自滅のようなものだったけれども、プレステ陣営にも、敵に塩を送るような動きはなかったのではないか。

ライバルが少なくなって、業界内の新陳代謝がなくなるにつれて、「サクラ大戦」や「バイオハザード」、「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」のような、誰もが知っているようなゲームのタイトルが現れなくなった。最近では「どうぶつの森」がやや気を吐いているくらいだろうか。

もっとも、飯野氏の新作ゲームが売れなかったのは、ゲーム業界の凋落よりもずっと前の話。
ゲームは転け、会社の業績も上がらず、飯野氏は、彼自身のキャラクターを売って、コラムを書いたりいろいろな会社の企画に参加したりすることで、糊口をしのいでいたようだ。

彼はブログを長年連載していた。
テレビで見る、パフォーマーとしての彼の姿はそこになく、静かな日常が描かれていて、物足りなかったが、それが彼が30代を迎えてたどりついた境地だったのだろうか。

最近の関心はほぼ音楽にあり、いかにいい音楽を産み出せるか、という内容の記事がアップされることが多かった。

彼は単純で明快なメッセージを常に持っていて、明るくて論理的な人間だった。『方法序説』を自分流に読み解く様が適度に衒学的で、ゲーム業界黎明期を活躍したために、昔の名前がいつまでも通用する稀有な人材だった。

面白い人間で、迫力と能力があって、快活で繊細であり、そして優しい大男だった。
カリスマ性があり、弁が立つ所は、アップル創始者のスティーブ・ジョブズに似ていたように思う。
著名なクリエイターを、数年のうちに二人失ってしまった。

さびしい。

2 件のコメント :

  1. はじめまして。
    こちらの記事を読んでやっと自分の感情が理解できました。
    さびしい。

    とてもさびしいです。

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  2. lic uraさん、コメントありがとうございます。
    彼は一言で言うと、痛快な男でした。
    亡くなるには早すぎ、喪失感を納得するには時間がかかりそうです。

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