2014年8月6日水曜日

仕事をしていた戦時中の外交官

日本がアメリカを真珠湾攻撃したときのこと。在ワシントン日本大使館1等書記官だった奥村勝蔵の失態のために、攻撃後の宣戦布告となりました。このため、アメリカから、
「日本は騙し討する卑怯な国だ」
と後々まで非難され続けて今に至ることは、よく知られていると思います。

その日の奥村は、前日部下の送別会に出席、それから早く帰宅すればいいのにトランプにかまけ、翌日遅くに出勤。宣戦布告書を清書するのが遅れたことが諸悪の根本とのこと。

それを知って以来、第二次世界大戦のときの日本の外交官に対して、信頼を寄せられなかったのですが、予想外に日本の外交官は活躍していたようです。


上記記事によれば、1945年2月8日と21日に、ドイツの情報士官が自国へ「ソ連対日参戦」の情報をもたらしました。ドイツは自国の在外公館で情報を一斉に共有したそうですが、
この情報は、もともとストックホルム駐在、小野寺信(まこと)陸軍武官がロンドンの亡命ポーランド政府から入手してクレーマーに提供したものとみられ、米国立公文書館所蔵秘密文書によると、クレーマーは、ドイツ降伏後の尋問で「小野寺と活発に情報交換し、45年2月か3月に連合軍の極めて重要情報の提供を受けた」と答えている。
のだそうです。

日本の武官がスウェーデンで活発に情報収集を行っていて、成功していたことに感動を覚えました。記事では、こうした情報を活かしきれなかったことが責められています。

ただ、こうした情報を日本が活用できなかったのは、しょうがないところもあるのではないでしょうか。

記事でも指摘されていますように、日本はソ連に和平交渉を依頼していました。和平交渉を頼む相手に敵対的な行動を取れないと考えるのは当然です。

それに、1939年にはノモンハン事件が起こっていますから、ソ連が再び、満州に攻めてくるだろう、という予想は、すでに前線では共有されていました。ですから、ソ連の対日参戦という情報も、ソ連が攻めてくる確率が5割から7割に上昇したようなもの。あまり大きな変化と感じられなかったのかも。

それに、撤退行動がソ連攻撃の誘い水になるかもしれない、という意見も根強く、動くに動けない状態だったと言われています。

また、連戦連勝しているはずの日本が撤退行動を取ることが、国民の支持を得られない、という判断も合ったのでしょう。

ソ連の対日参戦の情報をいち早く得た外交官の努力には感動を覚えます。しかし、いくら耳や目で相手の情報をつかんでいても、自由に動ける足がなければ逃げることはできません。

大本営発表などの間違った情報を国民に与え続けて、体面の維持を図った結果、撤退の自由がきかなかったことが、敗戦に至る一番の原因だったように思います。


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