2013年8月31日土曜日

最近の科学で不思議だと思った話題

信じられないような科学上の発見を聞いて、自分の常識がいかに固定観念に囚われていたかを痛感している。その内の2つについて述べると、

★ 首を切断された『プラナリア』は頭の再生と同時に記憶も再生される事が明らかに
研究チームはプラナリアが餌を見つけることを覚えたことを確認した後、プラナリアの頭を切り落とし、2週間かけて完全に再生させた。そして、切断される前と同じ実験を行った。すると、そのプラナリアは明るい場所が安全であることを覚えており、餌も安易に見つけ出すことが出来た。(中略)「我々が知っていることはプラナリアの記憶は脳以外の外部で格納することができるということです。
記憶は脳にしか記録されないというのがこれまでの常識だったが、そうではないのかもしれない。昔のある人の説では、腸が第二の脳であり、腸には記憶をする機能がある、という。今までは一笑に付していた説であるが、これがもしかしたら、冗談ではなくなるかもしれない。

★ 「不確定性原理」の欠陥、光使い検証 東北大など
 東北大などの研究グループは17日、現代物理学の基本とされる「不確定性原理」が成り立たない場合があることを示した新理論を、光を使った測定実験で検証したと発表した。(中略) 不確定性原理は電子などミクロの世界では粒子の正確な位置と運動量(速度)を同時に知ることは不可能とする考えで、一定以上の測定誤差があるとしてきた。その欠陥を修正したのが新理論で、誤差をゼロにし、精度を高められる。
ハイゼンベルクの不確定性原理を初めて知ったのは、トニーたけざきの『岸和田博士の科学的愛情』を読んだ時である。
岸和田博士の科学的愛情(1) (ワイドKCアフタヌーン (148))
素粒子レベルでは『観察する』という行為自体が対象に影響を与える
最初は理解できなかったが、調べてみるとなるほど、と納得する。観察するとは光を当ててその反射したものを眼の網膜に当てることであるが、素粒子は光によって簡単に動くので、正確な位置などを調べることはできない、という、ごくごく当たり前の理論である。

本来は素粒子レベルの話ではあるが、人間を観察した際に観察される被験者が、観察者におもねって態度を変えるようなことを説明する際に、
「ハイゼンベルクの不確定性原理ではさ……」
などというと衒学的で説得力が増す。

まあ、それはどうでもいい話だけれども、こうして長年親しんだ不確定性原理に欠陥が生じるとは思ってもいなかった。


……という小ネタ。

2013年8月30日金曜日

幸運に見舞われる人について

ノープランで記事を書き始めたら、後々苦労する。……それはともかく、昨日挙げた私の友人2人との思い出から、運の特徴、及び幸運に見舞われる人についていろいろとまとめてみたい。

1.運を運ぶのは人間
私が友人Bにボールを渡そうと考えたのは、友人の期待を私が叶えて、Bの喜ぶ顔が見てみたいと思ったからだった。

人間には他人を助けたいという根本的な欲求がある。なぜなら群れを作って何百万年と生きていたのが人間であり、利己的なだけの遺伝子は淘汰され、他人のために誰かを助けたい、という欲求が心のどこかにある人間だけが生き残ってきた。そういう遺伝を持った人間集団の方が、生き残る確率が高いからだ。

運は「運ぶ」と書く。何を運ぶのかといえば、幸福と不幸であり、それを運ぶのは人間だ。神だとしても、人間の形をとるのではないか。

2.時間がかかる
運を運ぶのが人だとしたら、幸運を持っている人間が現れるまで待つしかなく、幸運を持っている人へ欲求が伝わるのには時間がかかる。それまで待つことが必要だ。世の中は一朝一夕にはうまくいかない。

3.振り回されたくない
運を運ぶのが人だとしたら、幸せになるためには人間の性質を学ばねばならぬ。他人から自分を操られるのは、誰しも嫌なもの。運を運ぶ人にとってもそれは同じだろう。

物欲しそうな顔や強欲によって自分が操られるようなことを誰も望まない。

「忘れた頃に望みは叶う」という言葉を聞いたことがあると思うが、これはその辺りに原因があるのだろう。たとえば先日参議院議員となった山本太郎のように、強い願望を公言した人間の周りに支持者が集まるということはあるけれども、あれは本人の我欲でないから集まっている。

4.交流の幅は広い方がいい
欲求とは現状に満足できないから生じるものだけれども、現状にはその欲求を叶えるキッカケが転がっていないことが多い(だから願いが叶っていないわけだが)。

友人Aがバイクを手に入れたのはサークルをいくつも掛け持ちしていてとにかく友人が多かったからだし、友人Bもまた友人が多く、誕生日のパーティー人は彼のために何十人という人が集まっていた。それだけ友人がいれば、誰か一人くらいは友人の欲求を叶えられる人、叶えてもいいなと思う人が出てくるものだ。

5.信じること
私たちの殆どは「願いなんて叶うことは少ない」という現実を受け入れている。いくら心理学などで「信じることが大切だ」と説き、歌で「信じて欲しい」と歌っても信念と呼べるものを持つことは難しいものだ。

だから、信念を持てる人は珍しい。珍しいものを人は愛でる。自分にないものには憧れ、そして応援したくなる。狂信でも盲信でもなく、他者を犠牲にすることもなく、純粋に何かを信じる人を見て、応援しようと思う人は多いのだ。


幸運をを運ぶのは人間である、ということから、運をとらえ直すと面白いと思う。


2013年8月29日木曜日

運にまつわるエピソード

まずは、ちょっとした思い出話から入りたい。

私の友人(仮にAとしよう)は運が良かった。ほしいものを必ず手に入れる。それもタダでだ。
「コンサートのチケットがほしい」
と言えばお目当てのチケットを誰かからプレンゼントされる。自転車がほしいと言えば友達が姉からもらったものを「いらないから」という理由で回してもらえる。

「原付がほしい」
と言って数ヶ月後に彼の友達の友達経由で原付が本当に彼のものとなったときにはさすがに驚いた。ベスパというイタリア製の洒落た原付で、新品同様のものだった。
ベスパ 150VL 1T 1955 【ニューレイ】1/6 ベージュ
彼には次々に幸運が舞い込んだ。彼は、
「俺は偶然を操る力がある」
と豪語していた。(そんなバカな)と思いつつも、常人以上に幸運が次々と舞い込む彼を見ていると、(もしかして)と思う気持ちを抑えられなかった。

"運"という点で、もう一人の友人を思い出す。Aとは遠く離れた別の場所で時を隔てて知り合った別の友人(仮にBとしよう)の誕生パーティーに呼ばれたことがあった。その席で彼は、
「最近『ザ・シークレット』という本に自分ははまっています」
と話した。
ザ・シークレット
私も数日前にその本を読んだばかりだったので、意気投合をした。
「『ザ・シークレット』で説かれている引き寄せの法則がほんとうに使えるか、実験を今しているんです」
「実験ですか?」
私は尋ねた。

「ええ。普段ならば手に入らない物が、本当に手に入るならば、この法則が有効だということになりませんか?」
「そうかもしれませんね」
(普段手に入らないモノとはなんだろう?)
と私は思った。その気持を見透かすように、Bは言った。
「ボールです」
「……ボウル?」
貝印 ケーキボール 21cm (ハンドミキサー用) DL-5101
「そうです。野球ボールです」
「投げるボールですね」
「そうです。ボールなんて、社会人の普段の生活で手に入れる機会はないじゃないですか。だから、それを手に入れることで、引き寄せの法則が本当にある、ということを証明してみたいんです」
と彼は話した。
「引き寄せの法則」とは、「それ自身に似たものを引き寄せる」ということ。
 あなたの「思考」や「感情」にはつねに「引き寄せの法則」が働いて磁石のように似たものが引き寄せられ、実際の「経験」となっている。
 朝、気分よく目覚めるとその日は一日楽しく、嫌な気分でいるとその日はいろいろな面でろくなことがない。
 何か楽しいことを考えると法則によって同じように楽しい思考が沸き起こり、不快なことを考えると次々と不快な考えがふくらんでしまう。(「引き寄せの法則とは」より)
話はそれきりだったが、それから数年後、再びBの誕生パーティーに呼ばれた時にそのことを思い出した。パーティーに出席し、他のプレゼントを彼に渡して、それから数年前の「引き寄せの法則」について尋ねてみた。

彼は見事に忘れていたけれども、私から言われて、思い出す。
「そういえば、まだボールは手に入っていませんね」
Bは言う。
私は彼に、事前に100円ショップで買った、ゴムボールを渡した。彼は笑って「へえ」と言った。


この2人のことをふと思い出した時に、"運"というものの特徴が見えてきたように思う。どんな特徴があるのか。明日はそのことについて述べようと思う。





ところで、Amazonで『引き寄せの法則』で調べたところ、こんなのを見つけた。

「引き寄せの法則」がタロットになっているのだ。内容はたぶん、幸運の様々な局面を分解して、それぞれを象徴するイラストで表しているのだろう。これはいい企画だ。

2013年8月28日水曜日

藤圭子の死と宇多田ヒカルとキャラを作るということ 下

昨日書いたように、宇多田ヒカルのキャラクターは、明るく今風、屈託なく誰にでもタメ口で話すというものだ。

とにかく明るく、悩みなんて何もなさそうに思える。今から思えばそのキャラは、妻の病気から娘の精神を守るために、まともな時の妻と協力して父の照實氏によって作りこまれたものだったのだろう。

照實氏は「藤圭子」と娘を結びつけられることを極端に嫌っていた。テレビ番組や雑誌のインタビューなどで、母について娘へ尋ねることにはNGを出し続けた。ときには週刊誌の輪転機を止めてまでも、その姿勢を貫き通した。

妻が自身のキャラクターに押しつぶされた反省から、娘のキャラクターを明るく設定するための必死の抵抗だったのだろうか。

だがそのために、娘は、

・泣く姿
・苦しむ姿
・悩む姿
・叫ぶ姿
・愚痴る姿

を誰にも見せることができなくなったのではないか。宇多田の天真爛漫なキャラクターは、彼女に不平をもらすことを許さない。結局、宇多田ヒカルは歌手活動を休止してしまった。

明るくとも暗くとも、キャラ自身が本人と乖離していれば、破綻してしまうものなのだろう。そしてこれまで宇多田は、ファンに自分の苦しみを吐露することはなかった。

記憶に残る彼女の表情がある。

アメリカに彼女が進出する、というニュースが大々的に報道されたことがある。2004年、アメリカのユニバーサルミュージックで彼女が契約書にサインする瞬間を撮った写真だ。
弾けるような笑顔でも、周囲を睥睨する自信に満ち溢れた態度でもなく、どこか頼りなげで、不安で、消え入りそうな表情にみえないだろうか。

その時私は、
「アメリカでやっていく自信が、さすがの宇多田でもまだないのだろう」
と理解したのだが、そうではなかったのだろう。

彼女の向かって右隣にいるのは母の藤圭子であり、その後ろでサングラスをかけているのは父の宇多田照實である。家族が身近にいるからこそ見せた、彼女本来の表情だったのかもしれない。

彼女はセレブで何の苦労もない明るいキャラを演じていたけれども、実際は「悲しい記憶が多い」心休まらない生活を送っていた。その後の彼女が求めていたのは、本当はささやかな幸せであり、ぞこからあまりにかけ離れた世界へはばたくことへ、ためらっていたのではなかったか。

「自分が求めているのはこんなものではない」
と、強く感じていたのやもしれぬ。

実際のところ、彼女が歌手活動を休止していた本当の理由も、藤圭子が精神を病んだきっかけも、分からない。今はただ、藤圭子さんの死を悼むのみ。

誰しも多かれ少なかれ、いくつものキャラクターを演じている。だが、キャラクターと自分が不可分に結びついてしまうと、ファンが求めるキャラとキャラ固有の性格と自分自身の間に齟齬が生じた時に(必ず生じるのだが)、破綻をしてしまう。

ブログを書く者もまたしかり。私のブログも、傲慢な者、威張った者への敵意をむき出しにした記事が多いけれども、やがてそこに呪縛されないとも限らない。

2013年8月27日火曜日

藤圭子の死と宇多田ヒカルとキャラを作るということ 上

藤圭子が亡くなった。彼女は宇多田ヒカルの母であり、死因は統合失調症を患った末の自殺だった。

宇多田ヒカルの明るく今風、屈託なく誰にでもタメ口で話すという、作りこんだキャラが私は、嫌だった。初登場時の歌唱力には驚いたが、その後テレビに出たのを観たら、日本人と感覚の異なる仕草が気に触り、苛立った。

聞けば父親はプロデューサー、母親は一世を風靡した歌手という芸能一家に生まれ、子供の頃からインターナショナルスクールに通っていたというではないか。このセレブめ。

昭和の芸能には元々興味があり、藤圭子の名前やその数奇な過去は宇多田ヒカル登場以前から知っていた。藤圭子の母は瞽女(ごぜ)と呼ばれる盲目の旅芸人である。


父は浪曲師である。

どちらも藤圭子が活躍していた時代までは階級が一段低く見なされていたというが、まあ、どんなセレブであろうとも2代前にさかのぼればいろいろな過去を持つ者がいるのは当たり前であり、それはもう祖父母の時代だ、今の時代に生きる宇多田にはさほど関係あるまい。

そもそも父方の宇多田家自体は山口県の名家であり、金持ちである。宇多田の祖父は松竹芸能ニューヨーク支社の社員として現地で辣腕をふるっていた。

その父を頼って宇多田照實(てるざね)が渡米し、アメリカのマスコミ関係で働いていた時に藤圭子と出会い、藤が現地で産んだのが宇多田ヒカルである。

2人の結婚は最初は随分と反対されたらしいが、照實氏自身が大変強情な性格のために、結婚を押し切ったという。そして今ではセレブ一家だ。

宇多田ヒカルは、セレブな生活を満喫しながら両親の英才教育で鍛えられ、10代のみずみずしい感覚や20代の弾ける情熱を熟練の技術で表現した華やかな歌を歌ってきた。

そしてこれからも歌い続けていくのだろう。何の苦労も知らずに。

……そう考えていた自分の不明を恥じるばかりである。

★ 幼い頃から、母の病気が進行するのを見ていました

ネットゲリラの上記記事、そして宇多田のコメントを読むと、宇多田の別の姿が浮かんでくる。母の激変する感情に怯えつつ、でも時折見せる笑顔を引き出したいがために、母を喜ばせようと必死になって歌う幼な子の姿だ。

宇多田が苦しみ、悲しんでいたことを、私は画面を通して気づくことができなかった。

もっとも、一番苦しんでいたのは、亡くなった藤圭子自身であったろう。統合失調症の発症の原因の一つに、強いストレスがあると言われている。彼女にとってのストレスとは、彼女がかぶった仮面だったかもしれない。

藤圭子のヒット曲に「圭子の夢は夜ひらく」というものがある。

「15、16、17と 私の人生暗かった」
と歌う彼女の歌は、当時「怨歌(えんか)」などと言われていた。人気者となったが、不幸で売りだした人間は、ファンからいつまでも不幸であることを求められる。

Cocco(コッコ)という歌手がいる。

彼女の歌は独特だ。裏切られた女性の苦しみを歌い、ドロドロとした欲望、死や自殺をモチーフにした歌が多い。不幸な女性を歌うのがうまかった。当然、彼女のファンは、Coccoの歌に共感する人々だ。

ところが、Cocco自身は段々と、そんなファンに苛立つようになる。彼女がある雑誌のインタビューで話していたのを読んだが、ファンは自分に対して、不幸であることを求めている、自分は幸せになりたい、それをファンは裏切りだという、それがイヤだ、という内容のことを語っていた。

藤圭子も、同じようにファンの期待と実像との間の乖離に、悩まされていたであろうことは、想像に難くない。あまりに暗いその歌は、彼女に幸せになることを許すような類のものではないからだ。

彼女はやがて、芸能界から半分引退したような状態となる。ネットゲリラによれば、彼女の精神疾患が第一の原因だったというが、彼女自身が、自分のいる場所に不満を感じていたからではなかったか。

彼女と夫の照實は、その反省の上に立って、娘のキャラクターを作りこんでいったのかもしれない。

(明日に続く)


2013年8月26日月曜日

家賃の更新料がタダに " ならなかった " 話

先月下旬、家賃の契約更新料がタダになる、というお得な話を知った。

★ 家賃の「契約更新料」はタダになる!?
 果たして「更新料を払わない」のはアリなのか、ナシなのか。ネット上では諸説入り乱れているが、そのファイナルアンサーを、新刊『家賃を2割下げる方法』(三五館)を上梓したばかりのジャーナリスト・日向咲嗣氏に聞いた。
「まず前提として、借地借家法上、契約更新の書類が送られてきても店子にハンコを押す義務はないということを頭に置いてください。更新書類にハンコを押さない限り、更新料は発生しません」
本当かよ? 私はまず、眉に唾をつけた。
眉唾(まゆつば)とは――
(眉に唾をつければ狐などに化かされないという言い伝えから)だまされないよう用心すること
デジタル大辞泉より)
にわかには信じられない。記事元が「SPA」というのもウソ臭い。数年前に、
「彼女のいないあなたが女性に出会えるのはココだ!」
という「SPA」の特集記事で紹介された集まりに参加したところ、ご年配の女性しかいなかった時の徒労感を、私は忘れない。その集まりは、歴史的建造物などを散策するという会で、最近流行りの歴女(れきじょ)と呼ばれる歴史好きの若い女性が大勢やってくると、「SPA」には書かれていた。

ちなみに、契約更新料とは、賃貸マンションやアパートに住む場合に、2年おきに管理会社に支払わなければならないものを指す。通常は家賃1ヶ月分であり、家計にとって、やさしくはない。

ところが、上掲記事によれば、この更新料は払わなくてもいい、という。更新期限前に家賃の引き下げ交渉を行い、交渉決裂して、大家と店子の合意がないまま更新日期限を迎えた場合は「法定更新」になり、現在と同じ条件で更新するよう定められているから、更新料を支払わなくてもいい、らしい。

よく意味がわからん。そこで、ぐぐってみたところ、似たような指摘がいくつもある。

また、特約等で取り決めがあっても、法定更新の場合には、特約を有効なものと考え更新料の支払いを認めた判例がある一方で、特約は合意更新を前提としたものなので更新料を支払う必要はないとした判例もあるなど、裁判所の判断も分かれているのが現状です。

ふ~ん。

要は、家賃を問題なく払っているなら、よほどの理由がない限り、追い出されることはないと法律できまっているらしい。そして「契約更新料を払わなくてはならない」という法的根拠はない。だから、交渉が決裂したという理由さえあれば、その理由をもとに、更新料を払う必要がなくなる、ということらしい。

実は再来月の31日に、私が借りている部屋の更新期限がやってくる。いっちょ条件交渉をやってやろうか、という気になった。

もしも裁判になっても、いい勉強になる。その過程をここに書けば、いいネタになる。上記のような「更新料は払わなくてもいい」と指摘する記事は数多くあるけれども、裁判の過程をブログに書いたものはない。読者の需要もあるだろう。

家賃の相場を調べる
更新期限がやってきた、というお知らせの電話を受けたのが先週のこと。そのときに思い出したのが上の記事。そこで「後でかけ直す」と不動産屋に伝えた後に、自宅近くの似たような物件の家賃の相場を調べた。

調べる方法は簡単。自分の住む建物の名前と「家賃」というキーワードをスペースを開けてYahoo!やGoogleの検索窓に入力して、検索すればいい。

例えば、六本木ヒルズのマンションを調べたいならば、
「東京 六本木ヒルズ 家賃」
で調べれば、すぐに空室と家賃がいくらか分かる。あるいは、住所から番地を外して、
「東京都港区六本木6丁目 家賃」
で調べてもいい。

そこで、自分の住む建物よりも安い家賃のところがあれば、しめたもの。私が調べたところ、お隣の部屋が、今の私の家賃よりも2,000円安い値段で店子を探していた記録を見つけて、早速プリントアウトしておいた。これは一番の証拠だ。

条件交渉を始める
数日後、不動産屋に電話をした。
不動産屋「はい、×◯です」
私 「こんにちは。私、◯×の◯号室に住んでいる□□ともうします」
不動産屋「いつもお世話になっております」
私 「こちらこそ。ところで、先日ご連絡を頂戴した契約更新の件ですが……」
不動産屋「はい」
私 「更新後には、家賃を下げていただけないでしょうか」
不動産屋「え?」
私「住んで数年経っておりますのと、昨今家賃の相場もお安くなっておりますので」
不動産屋「いやぁ、それは難しいと思いますよ。相場からしても、適当な家賃だと思いますよ~」

私は、そうでしょうか、昨今いろいろと建築ラッシュでマンションも増えているので、お安い物件がこの近くにもたくさんあるようですよ、などと話した。不動産屋は、今の家賃は妥当だと、強気な主張を繰り返す。

相場では無い、と訴える
私 「今住んでいる建物の家賃が、もっとお安い値段で募集していたネット記事を見たような気がしますが」
不動産屋「(明らかにトーンダウンして)う~ん、そんな記事ないと思いますけどねぇ。どこのサイトですか?」
私 「すみません、私も自信がなくて……どこのサイトだったかな……」
と言葉をにごした。

後日裁判になった時に、私のプリントアウトした記事が重要な証拠となるだろう。切り札はとっておこうと思った。今ココで、手の内を全て見せてはいけない。相手に準備をさせる時間を与えてしまう。

不動産屋「家賃は適正価格だと思いますけどねぇ」
私 「せめて3,000円安くして欲しいですね」

上記サイトでは5,000円安くしてほしいと訴えろ、と書いていたが、そもそもの出発点が、そこまで高い家賃ではない。そこから5,000円値引いて欲しいと要求するのは、なんぼなんぼでも強欲だと思った。

実はこの家も住宅環境も、気に入っている。契約更新料を支払わないためとはいえ、いい部屋を提供してくれている大家に対して相場よりも低すぎる家賃を提示するのは、少々失礼だと思った(ここは、私の気の弱いところかもしれない)。

ほとんど同じ作りと思われる隣室の家賃が、うちよりも2,000円少ないのだ。そこからさらに1,000円差し引いた金額で交渉するのは妥当だろう。

相手の非を責める
なおも強気でいこうとする不動産屋に、別の切口から攻めることにした。雨樋が一部破損している。それを直すように不動産屋に今年初めから、数回にわたって私は訴えていたが一向に直す気配がない。

そのことで少々立腹していることなどを伝え、そういった不満が、現在の家賃への不満につながっている、ということを訴えた。向こうは黙る。あくまで、雨樋を直すつもりはないらしい。

私はいいんだけど、雨樋から吹きこぼれる水を浴びながら上へ上がる上階の人は難儀したままだろう。かわいそうに。

不動産屋はそれでも強気で、
「大家と交渉してみますが、ムダだと思いますよ」
と言い、私は、まあ、よろしくお願いしますと伝えた。

不動産は言外に、裁判になるかもよ的なことを匂わせたのだが、裁判になることをむしろ願っているし、別に勝とうが負けようが(ネタになるので)かまわないと思っているから、それには笑ってごまかした。

本気であることをアピールする
私 「ところで、今回の家賃の引き下げの件ですが」
不動産屋「はい」
私 「後日、内容証明で依頼書を送りますので、よろしくご確認ください」
不動産屋「……内容証明ですか?」
私 「はい」

冒頭で挙げた「SPA」の記事によれば、家賃の値下げ交渉は、
不動産会社もしくは直接大家宛てに、レター形式の文書を一通、送りつけるだけでOK。何の交渉スキルも要りません。
なのだそうだ。でも、本当だろうか? 不動産屋が、
「聞いてないよ。そんな郵便も届いていません」
と言ったとしたら、どうするのだろう? 証拠がない限り、送った届いていない、言った言わないの水掛け論になったらおしまいじゃないか。

文書を送ったことを証明するものがあればなおいい。一番簡便なのは電子メールだろう。メールを送って、不動産屋から受信した旨のメールを受け取れば、それは立派な証拠となるはずだ。ヘッダーには、送信者の情報が必ず記録される。

★ 意外な情報がバレる?! Eメールのヘッダーから送信者の情報を解読する方法

ただ、もしも裁判になり、相手がそのメールは受信していないと主張し、それがウソであることを証明するのは、いろいろと大変だろうと思う。それよりも、数百円で、家賃の引き下げを依頼したことを、間違いなく証明をしてくれる内容証明郵便を利用したほうがいいに決まっている。

内容証明とは
一般書留郵便物の内容文書について証明するサービスです。いつ、いかなる内容の文書を誰から誰あてに差し出されたかということを、差出人が作成した謄本によって当社が証明する制度です。郵便局「内容証明とは」
「こんな内容が郵便物の中には書かれています」ということを公的な存在が証明してくれるのだ。また、それが相手に送付されたことも証明して欲しいときは、「配達証明」をさらに依頼する必要がある。

その上、昨今は便利な世の中となり、わざわざ原稿用紙に手書きで記入しなくてもよくなった。ネット上で内容証明を作成して、紙に印字して、相手に紙で送付してくれる、「電子内容証明サービス」なるものを郵便局が始めている。これは素晴らしいシステムだ。

★ 電子内容証明サービス

内容証明は、行政書士を描いたマンガ『カバチタレ!』ではおなじみの制度でもある。
カバチタレ!(1) (モーニングKC (657))
私も一度は使ってみたい!

不動産屋に、
「内容証明で、なぜ私が家賃の引き下げを要求するにいたったかを書いて送付しますので、ぜひ大家さんにも見せてください」
とお願いして電話を切った。

結局どうなったかというと……
それが一週間前の話。その後、仕事が忙しくて内容証明を送付することもなく、放置していた。更新期限までまだ間がある。暇になってからとりかかっても遅くない。

不動産屋からは何の連絡もなかった。私の出方をうかがっているのだろう。

「SPA」によれば、家賃交渉をした場合、圧倒的に契約更新料をあきらめ、家賃は据え置きとなるケースが多い、という。たぶん、更新料はタダになる。私は「勝った」と思った。

ところが、返事は突然、昨日日曜日のお昼にやってきた。
不動産屋「もしもし、×◯不動産です」
私 「お世話になっております」
不動産屋「先日の契約更新のお話ですが」
私 「はい」
不動産屋「大家さんと交渉した結果、家賃を2,000円値下げすることに成功しました」
私 「そうなんですか(ええ~そんな~)」

ここでゴネることもできたのだろうが、折れることにした。いろいろと不満もあるが、相手も頑張ってくれている。しょうがあるまい。ここで引き下がろう。

相手の顔も立ち、私も家賃が少し安くなり、大家も引き続き家賃収入が入る。不動産屋の更新料は2,000円下がり、私は裁判にならずにネタを失い、何より更新料を払う羽目になり、大家も家賃収入が少し減った。三方一両損のようなものだが、そこがいい。

こうして、更新料がタダになることは、私の場合、なかった。それでも、交渉してみて、良かったと思う。

無理な要求は、相手との間に禍根を残す。しかし、相手から要求されたことをそのまま鵜呑みにするばかりでいいものだろうか? この世の中はコミュニケーションでなりたっている。取引はコミュニケーションの一種だ。お互いに要求を出し合い、妥協点を探るというコミュニケーションの第一原則を、家の賃貸契約を更新するときに応用しても、道義的に悪いことではないと思うのだ。

まあ、小さくてみみっちい成果だし、更新料も痛いけどね!

2013年8月25日日曜日

FXをするのはお勧めしないからバイナリーオプションをやってみた 下


(昨日の続きです)

参加者自体が少ないものだから、ネットなどで、少数者の間で緊密な情報交換が行われる。誰かが儲かったら、気軽にその手法を教えてくれる。それを柔軟にとりこめば、それだけで勝てる。そして、オフ会なども盛んである。

また、最初は投資の波が非常に読みやすい。あまり複雑な動きは見せず、規則的な動きを見せる。だから、素人が見つけたセオリーが、意外に通じる。それを利用すれば、比較的簡単に儲けられる。

結果、学問のない、ほんの素人が大勢、儲けることができる。

そのうち、彼らの中からぼつぼつと成功者が現れる。マスコミへ登場したり、関連書籍の出版等が行われるようになる。

やがて彼らの中から巨額脱税者が出たり、あるいはジェイコム騒動のような世間の耳目を集める事例が出てくる。大成功者の登場だ。マスコミが騒ぐ。そして、同じように儲けようとした人々が、そのジャンルにわっと集まる。

この時もまた、先行者利益が生じるチャンスだ。始めたばかりの素人たちの逆を張るだけで、面白いくらいに儲けることができる。それだけではなく、今度は新参加者から「神様」などと慕われる。

ところが、そのうちあまりに多数の人々が投資市場に参加するようになると、リズムが読めなくなる。規則性が見えなくなり、ランダムで変則的な値動きとなり、素人が確立したようなセオリーは通じなくなるのだ。

やがて、大学院で金融工学を学んだようなエリートやプロばかりが利益をコンスタントに上げるようになり、素人が儲けるチャンスはなくなる。

よって、始めるならば、まだ誰も参加していないようなジャンルの投資に限る。そこで、バイナリーオプションですよ。

★ バイナリーオプション必勝法 一円の損失も出さずに利益のみを確実に積み上げる唯一の方法

私がバイナリーオプションについて知ったのは、上記記事で紹介されてから。

バイナリーオプションは2009年に始まり、今、ようやく陽の目を浴びようとしている。始まってまだ日が浅いので、聞いたことのない人も多いだろう。

バイナリーオプションとは何か? 一言で言えば、為替取引の丁半博打だ。10分後から数時間後にその通貨が、上がるか下がるかを賭ける。バイナリーとは「二進法」の意味。上がるか、下がるか、それをチョイスするだけ。

最低投資金額は、会社によるけれども、50円からでも可能なところもある。数種類の選択肢から一つを選び、チケットを購入する。それぞれに倍率が表示されている。もしも倍率の高いものを選び、それが当たれば、場合によっては20倍となる(会社による)。

取引開始から、参加終了まで一定の時間がかかり、それから判定までに、さらに10分から数時間たって、結果が出る。当たればその分払い戻しがある。

ここで損をするとしても、最初に購入したチケット分しか、損をすることはない。チケット以上の損をすることは、ない。リスクをコントロールできる。

現在競馬やパチンコ、スロットにはまっているならば、バイナリーオプションをやった方がいいのではないか? 為替への取引を糸口にして、世界経済に関心を持つことができ、勉強すればするほど社会情勢を学ぶことが出来る。リスクを完全にコントロールでき、その上先行者利益も見込める。

そう思って私、先日バイナリーオプションを始めてみた。
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 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
結果、数時間で数千円が消えた。

……以来バイナリーオプションはやっていない。やっぱり、辞めておいたほうがいいようだ。

しかもだ。あまりにギャンブル性が高いために、今月1日から自主規制が始まり、バイナリーオプションの購入開始から損益が確定する判定時刻までの時間は2時間以上にしなければならないという。既存の業者は11月30日まで見逃されるというので、ギャンブル的な投資ができるのは、あとわずかと言えよう。

結論。地道に働こう。

2013年8月24日土曜日

FXをするのはお勧めしないからバイナリーオプションをやってみた 中

(昨日の続き)

私の友人が儲けていることを疑っている訳ではない。彼はその手の嘘をつく男ではない。でも、私自身が儲けられるとも思わない。

それは、以前FXで数十万円溶かしてしまった苦い記憶があるからでは、断じて無い(汗)。儲ける儲けないとかいう以前に、いろいろなデメリットがあるからにほかならない。

まず、FX取引にハマると、やたらと時間を食われる。

FXは土日以外の24時間、取引ができる。会社員ならば、帰宅してから翌日出社するまでの間に取引に参加できることが嬉しい。

目の前で、刻一刻とチャートが推移していく。上がるかな? いや、上がらないかな? と考えるのが楽しい。気分は株式仲買人だ。

パソコンのチャートをにらみ、ニュースを分析し、世界の雇用統計や人々の心理に影響を与えそうな世界のニュースを睨みながら、短期スパンや長期スパンの値動きを予想するだけで、時間は矢のように進む。

値付けをして、思っていた値段になるまで、数十分、ときには数日、待たねばならない。その間、通貨の値動きが常に気になって仕方がない。時には夜中に跳ね起きて、値段を確認する。そのうちに睡眠時間が極端に少なくなることは間違いない。

……これは時間のムダだ。

デメリットはまだある。FXでは、急激な通貨の乱高下で、資金が一瞬でショートし、ときには借金を背負う危険性までもある。

通貨はあるとき、突然異常な値動きをする。それは突然やってくる。

明日は会議だ、会議資料を作らねば……そんな時に限って、異常な値動きをする。それまでコツコツと溜め込んでいた利益が、たった数十分で吹っ飛ぶことがある。そうなると、もはや仕事どころではない。

だが、こんな異常な値動きは、逆に言えば大儲けのチャンスだ。今目の前で失った数十万円、数百万円、ときには数千万円を取り返し、うまくいけば何倍にも増やすことだって可能となる。もう寝てなんていられない。

……こういうことを続けて、結局健康も貯金も損ねてしまうことになる。

だが、それにも増してFXを進めない理由は、こういう類のものは、だいたい先行者に利益があるものだが、FXが始まってすでに10年以上、もはや素人が勝てるような先行者利益は失われてしまったのではないか、と思えてならないからだ。

FXで8億円儲けた池邉氏がFXを始めたのは2000年のことだという。FX取引が始まったのは1998年だから、ほんの黎明期だ。まだ、儲かるかどうか分からない頃に始めたわけだ。

投資にはいろいろなジャンルがあるが、そのジャンルが大きく変革をするとき、その黎明期に参画した素人たちが大儲けをする、ということが、何故かよくある。

株式のオンライン取引の世界でも似たようなことが起こった。1999年10月に株式委託手数料が完全自由化となった影響で、証券会社はコスト削減のために株式のオンライン取引を次々に導入する。

その時にいち早く株式のインターネット取引を始めた素人の人々が、大勢、莫大な利益を上げた。有名ドコロでは、バイトで貯めた164万円を、2000年から2008年までの間に218億円まで増やした伝説のトレーダー・小手川隆氏(通称はジェイコム男、またはB・N・F)や、104万円を100億円にまで増やした森貴義氏(通称・cis(しす))などがいる。

だが、それ以外にも、ごくごく普通の学生やフリーターがオンライン取引を始め、素人に毛が生えたような人々が、数年で大成功を収めている。

何故このようなことが起こり得るのか?

あるブームの初期の頃は、プロの参加者が少ないことが要因の一つ。儲ける手法が確立されていない、試行錯誤の世界をプロは嫌う。そんなムダに時間を費やすよりも、研究すれば成果の上がるジャンルで勝負したほうが、頭のいい人間にとっては楽だからだ。

試行錯誤しながら儲ける手法を確立できるのは、時間のある主婦や学生、フリーターであり、だからこそ彼ら素人に勝てるチャンスが生まれる。

(明日に続きます)

2013年8月23日金曜日

FXをするのはお勧めしないからバイナリーオプションをやってみた 上

パチンコ屋の前で早朝から並んでいる人々を見ることがある。ギャンブル好きな人は、ギャンブルを止められないわけだが、あれを見るたびにいつも思う。

「どうせするなら、本当に一攫千金の機会のある株式投資やFXをやったほうがいいのに」
と。

数年前、FXで儲けた主婦が4億円脱税したニュースを覚えている人も多いだろう。
★ 主婦が外為取引で4億円を脱税、東京地検に告発される
「日刊スポーツ」など各メディアが伝えるところによると、東京国税局は(2007年)4月12日までに外国為替証拠金取引(FX)で多額の利益を得ながら確定申告をせず、2005年までの3年間で約4億円の所得を隠し、約1億3000万円を脱税したとして、所得税法違反容疑で東京都世田谷区の主婦(個人投資家)、池邉雪子氏(59)を告発した。
先日、私の友人が「数年かけて、FXで1000万円儲けた」とブログ記事で抜け抜けと公表していたので、ふと気になって、上記の記事の続報を調べてみた。

すると、この脱税主婦、今ではFXの広告塔となっていて、講演会で忙しい日々を過ごしていることがわかった。講演で述べた弁によれば、彼女が7年間で稼いだ金額は8億3000万円であり、税引き後の純利益は3億円だという。

★ FXで8億円稼いだ主婦… 池辺雪子さんのトレード手法(1)
~合計利益は4億円ではなく、8億円!!~

もしもこれがFX業者のセミナーで聞いた話だったら、眉唾物で、信用することもなかった。証拠がないのだから、いくらでもハッタリをかますことができる。プロですら勝てない投資の世界で、どうして素人がそれほどのパフォーマンスを上げることができるのだ?

だが、彼女がそれだけ稼いだことは、国税局のお墨付きであり、間違いのない事実。事実の前にはひれふすしかない。

この話を聞いて、FXを始めようと考えた人も多いのではないか。

もしも、いろいろある業者の中でFXを始めるとするならば、マネックス証券がオススメかもしれない。

開成高校から東大、複数の金融機関勤務後、ゴールドマン・サックスへ入社、莫大な利益を上げて史上最年少でゼネラル・パートナーとなった天才・松本大(まつもとおおき)が代表を務める。彼とあのソニーが合弁で作ったネット証券会社なので、システムが非常に堅牢かつ柔軟で、使い勝手がとてもよく、怪しい投資会社もある中、何より信用ができる。私も口座を開設した。

ここはFXだけでなく株式扱っているので(証券会社なのだから当然か)、アベノミクスに期待する人は、ここに資料を請求すればいいだろう。

だが、ここまで言っておいてなんだが、今からFXを始めることを私はお勧めしない。

(明日に続きます)

2013年8月22日木曜日

どうしても悩んでしまう心が問題だと分かったときに、ものごとは解決する

「浜の真砂は尽きるとも 世に問題の種は尽きまじ」
などと言われるほど、一つの問題が解決したかと思うと、別の問題が発生するものだ。

「自分は神様から愛されている」
と胸を張って言い切れる人が何人いるだろうか?

むしろ、
「運命が自分にだけイジワルをしているのではないだろうか?」
と考える人のほうが多いのではないだろうか?

そりゃ、自分よりも不幸な人は世の中にたくさんいる。
でも、自分と同じような能力なのに、自分よりも幸せそうな人の方が多くみえないだろうか?

その原理はすぐにわかる。
問題を抱えているとバレると恥ずかしいし、話しても何の意味もなく、むしろかき回されるだけだ。だから自分の抱える問題の一部しか、外部に漏らさない。
結果、周りがすべて自分よりも幸せに見える。

隣の芝生はいつだって青く見えるのだ。

それがわかっていても、問題は解決しない。ベッドに寝転んで、どうすれば解決できるのだろうといろいろと思い悩んでも、解決方法が見つかった試しがない。

どんな問題で悩むのだろう? 書き出してみると、大したことがない。

難病を患っている人、犯罪に巻き込まれた人、金銭的なトラブルに巻き込まれた人から見れば、退屈であくびが出そうなことばかりだろう。それだけ自分は平和なのだ。

でも、悩んでいる最中はそのことばかりが頭をよぎる。最近だと、こんなことで悩んでいた。

・職場に嫌な人間がいて嫌な言動をくりかえす
・いくら努力しても成果が出ない
・時間だけが刻々とすぎる
・他人が自分よりも先を進んでいるように見える
・決めたことが守れず、弱い意思を後で悔やむ
・余計な一言で、身近な人を傷つけてしまった

頭をよぎらないように他のことをしようとしても、どうしてもそのことが頭をはなれない。
「悩まなければいいじゃん」
とアドバイスする友人にはむかっ腹がたった。
「それができれば誰も苦労しないよ!」
とね。


ところがあるとき、本を読んでいたら、
「あなたが悩むのは、すべて自分の心の問題だ。だって悩んでいるのは心だから」
と書かれているのを読んで、ハッとした。

どうしても、考えてしまうと、悩むことを正当化していた。
でも、どうして、「どうしても考えてしまう」のだろう?

こんな話がある。
体臭がひどくて悩んでいる女性がいた。
自分でもそれが分かるらしく、ワキガの手術も試したが効果がない。

あるとき、その人の家に友人が遊びにいった。
そして唖然としたという。

部屋は閉めきられ、乱雑で、カビ臭い。
体臭じゃなくて、服やカバン、その他もろもろに臭いが染み付いていることが、
彼女の体臭の原因だったのだ。

聞けば、そこのマンションは騒音が激しく日光もささないために、
部屋を閉めきって生活するのが当たり前となったそうだ。
薄暗いために、掃除もおろそかとなり、自然に部屋が乱雑となったという。

「引っ越したほうがいいよ!」
友人が説得しても、自分の部屋がどれだけ異常なのかその人は分からなかったそうだ。
そこで、友人はその人と協力して部屋をとりあえず片づけたという。

「こんなに汚かったの?」
部屋を掃除して、ゴミがまだ残る部屋を見て初めて、
自分の部屋が異常だったことに気がついたというのだ。
それまではあまりにゴミが多くて、かえってゴミのことが気にならなかったという。
彼女は慌てて引っ越した。

今度は日当たりのいい場所。
もちろん、洗濯も毎日できる。
もう、体臭なんかに悩むことはなくなり、ようやく悩みから解放されたという。
悩みを解決するその前に、まずはやらなければならないことがあることを、上のエピソードは教えてくれる。
どうしても悩んでしまうというのならば、まずは、自分の、
「どうしてもそう考えてしまう理由」
という意思の弱さに気づかねばならないのだ。
そして、意思がなぜ弱いのかを、つきとめる必要がある。

自分で自分をコントロールできない人間が、思い通りの人生を送れるはずがない。
いや、そもそも自分で自分の心をコントロールできないから、問題が発生したんじゃないのか?

他人から傷つけられた上に、さらに悩んで自分を追い込むことに意味があるはずないのだ。

わざわざムダなことを考えて、時間をムダにして、なおかつストレスで健康にまで被害が出るなんて、ムダでしかない。それなのに、
「どうしても考えてしまう」
と悩むことを正当化してどうするというのだろう?

では、どうすれば自分の意志力を鍛えられるのか?

普段の心がけ。これしかない。

普段から買い食いをしていれば、買い食いをやめる。
歩くのがのろのろしている人は、少し歩みを早めてみる。
いつもギリギリで出勤する人は、今日は5分、早く出発してみる。
部屋が汚い人は、一日に3つだけ部屋のゴミを捨てる。

結局、悩みを解決する前に、まずは悩みを解決するための道具である「心」を鍛えることが大切であり、心を鍛えることは一朝一夕にはできないのだ。

ほんの少しの積み重ね。
これを10年間、がんばろうと決意して実行するだけでいい。
たぶん、10年たつ前、早ければ数ヶ月以内に、効果が現れるはずだから。

2013年8月21日水曜日

松田聖子のスゴさと、勝新太郎の前で歌舞伎の口上を述べる岡田有希子のスゴさ

松田聖子 スーハ゜ー・ヒットコレクション Vol.1 DQCL-5001
80年代女性アイドルの当時的な感覚での格付け」という記事が話題になっている。

NHKの「あまちゃん」の影響で80年代のアイドルににわかに関心が集まり、当時を知らない若者が、アイドルたちが当時どのような存在だったのかを知りたがっている。その要求に答えた形のこの記事にたくさんブックマークがあつまるのも当然だろう。

かくいう私も以前、

★ 松田聖子は歌がうまい

という記事を書いたり自由が丘にあるフローレスセイコに言ってグッズを買ったり彼女の昔の楽曲のベスト版を最近も買ったりする程度には松田聖子のことが好きなので、この記事が大変興味深かった。もしかしたら記事が消されるかもしれないので、とりあえず松田聖子について述べられた部分だけを引用しておく。
第1位 松田聖子
  代表作品:「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「赤いスイートピー」/『野菊の墓』など。
言わずと知れたアイドルの中のアイドル。絶対正義。高度経済成長から、安定成長へ、そしてバブルへと向かう世相の中で、松田聖子が時代を代表出来たのには彼女の生い立ちによるところも大きいと思う。一点の曇りもない地方の中産階級、そんな彼女には貧困も、学園闘争も、無縁だった。60年代の加山雄三的なるものから70年代の四畳半フォーク時代を飛ばして直結していると言えるが、加山雄三が曇りが無いように見えても階級社会的な側面や敗戦国国民のてらいのようなものがあるのに対して、松田聖子は徹頭徹尾、能天気であった。彼女は日本が初めて獲得した、先進国のアイドルであった。
素晴らしい分析だ。

松田聖子の凄さというのは子供の頃はよく分からなかった。しかし、それから数十年、様々な芸能人が現れては消え、現れては消えるのをながめ、さらには美空ひばりなどの過去のレジェンドのことを本や回顧映像などで知り、その流れの中で、数十年も語り継がれる松田聖子が芸能界の中でどれほどの特異点であったのか、今になって分かる。やっぱりスゴイ存在だったのだ。

だからだろうか、当時リアルタイムで松田聖子を観ていた人々が、今、彼女について様々なブログで分析をしている。彼女について述べたブログは数あれど、その中の白眉は、しおれたきゅうりさんのブログ、

★ 「松田聖子」という奇跡~ひとりよがり哲学

ではないか。このブログはネット上の松田聖子に関する情報の百科事典のような存在となっているので、これを抑えておけば、松田聖子についてはほぼ完璧に理解できると言えるだろう。

ところで、同じサン・ミュージックでありながら、彼女の後輩に当たる岡田有希子にこれまで私はあまり関心を持ってこなかった。そもそも彼女たちに興味を持ち始めたのはここ数年の話で、硬派を気取っていた昔はアイドルに興味がなかった。

だから、岡田有希子が死んでから彼女のことを知ったし、自殺したアイドルについて関心を持つのもためらわれたので、彼女について書かれた記事を読んだり動画を観たりすることを拒否していたのだ。

ところが、「80年代女性アイドルの当時的な感覚での格付け」の一番最後の16位で岡田有希子を取り上げていた。最後の最後で彼女が現れ、ふと彼女はいったいどういう人だったのだろうと気になって、動画を検索して……衝撃を受けた。

私が衝撃を受けた動画はこちらです。肝心の部分は7分11秒からなので、できればそこから観て欲しい。

動画は9分ある。最初は歌、その後簡単なクイズ(3人の中で本当に岡田有希子の関係者は誰? というよくあるものだ)、それから岡田有希子が習った歌舞伎の口上『白浪五人男』を実際に述べる、という構成になっている。

そもそも福沢富夫なんて、私ですらどこかで名前を聞いたことがある演出家なのだから、芸能関係者なら当然彼のことを知っていただろうし、それがクイズとして成り立っているのがまず可笑しいのだがそこは割愛。

問題は岡田有希子のこの演技力である。
張りのある声、凛とした仕草、淀みのない口上、指先がまっすぐに伸び、ピシッ、ピシッと決めるところで決めている。迷いがない。その上この演技を、ハイヒールを履いて行うのだ。これは本当にスゴイ。

しかもそれを見せるのが、あの勝新太郎の前である。勝新太郎といえば名優中の名優だ。岡田有希子自体は若くて物おじしないとはいえ、逆に周りがハラハラしそうなものだが……。

しかし勝新太郎は、彼女の演技をやや身を乗り出すようにして鋭い眼光で見つめ、笑いもせず、それからおもむろに拍手をはじめた。怖いなと思うと同時に、彼から見たら岡田有希子のこの演技、果たして何点だったのだろうと気になった。

彼女に今でも人気があり、ファンが彼女のことを語りたがる理由が分かる。

2013年8月20日火曜日

ネット上の情報を、カネにあかせて操作しようとする人々がいる

ネットの情報が今、カネのある奴らによって操作の対象となっている。
まずはこの記事。

★ Facebookの「いいね!」大量生産するダッカのクリック工場
 中国を拠点に「いいね!」やフォロワーを増やすサクラ集団の存在が日本でもクローズアップされているが、今回、調査報道の対象になったのは、縫製工場の崩壊事故で1千人以上が犠牲になったバングラデシュのダッカにあるクリック工場。オーナーは「Facebookの王様」と呼ばれていた。
 ビルの一室で10数人の若者がパソコンの画面を見ながら、アカウントを使い分け、ひたすらクリックを続ける。ある若者は1千のアカウントを持っていると打ち明けた。この工場ではFacebookのいいね!は1千人分で15ドル、YouTubeは1千ビューで3ドルだ。3~4時間もすれば、いいね!が1千人分増えている。
 バングラデシュの若者は1日3交代で24時間、Facebookのいいね!やTwitterのフォロワーを増殖させている。国民1人当たりの月収は約60ドル。クリック工場はバングラデシュでは割のいいビジネスなのだ。
Facebookで「いいね!」がたくさんクリックされているのをみれば、誰もが、
「お、これが今人気なの?」
と関心を持つ。本当に面白いものに関心を持つのではなく、他人が関心を持っているから自分も関心を持つ。同調圧力に弱いのはなにも日本人ばかりじゃない。

次にはこのニュース。
★ 東洋大学元教授が自身の犯罪歴を隠すためにスパムブログを乱立していたことが発覚
H田という人物が犯罪歴を隠すために、「H田学」という言葉で調べても決して彼にたどりつけないように、怪しいブログを乱立させてネットを混乱させている。

たとえばこのブログなんてそうだろう。
★ http://ameblo.jp/ydcat002/entry-11410231393.html
林田学逮捕ブログは林田学が弁護士の視点でリポートします。「林田学弁護士リポート(元東洋大学教授、元弁護士)」と称する所以です。元弁護士林田学がレポートします。
という無意味な言葉が羅列していて、一見統合失調症の患者のブログのように思えるが、そうではなく、たぶんH田氏がどこかの業者に頼んでいるのだろう。彼はどんな犯罪を犯したのか?
 東京・巣鴨の漢方薬局「健命堂」による調剤報酬の不正受給事件で、架空の処方箋を使って調剤報酬などをだまし取ったとして、警視庁生活環境課は(2007年6月)13日、詐欺の疑いで、東洋大元教授で弁護士の林田学容疑者(51)=世田谷区松原=と林田容疑者が実質経営する渋谷区のコンサルタント会社の元社員(50)ら2人を逮捕した。林田容疑者は黙秘しているという。(Yahoo!記事より)
一度逮捕されると社会復帰は本当に大変だろう。だから、このような手段を取ることには同情を禁じ得ない。でも、もっと方法があるだろうに。

カネも権力もない人間が再就職をしようとして健闘しているならば応援したいと思う。でも、こういうカネや権力がある人間がカネにあかせて情報操作をするのはいい気持ちがしない。

たしか10年間の弁護士免許の停止処分がくだされたはずだが、こんな姑息な手段で対策しなくとも、炎上に負けずに毎日反省の日々をつづる、などの方法を取ればよかったのに、と思うのだけれども。

情報操作だけではなく、司法の力を使った情報検閲が、企業ぐるみで行われることもある。

★ atwikiの2006年の不祥事について書くと速攻で弁護士から文句が来るので
 ここの会社は2006年に不祥事を起こしているのだが、弁護士を使って無理矢理削除しまくっているからだ。
 当初わたしのところに来たのは名誉毀損ということだった。
 わたしが引用した他人の文章に事実誤認が含まれていた。
 なので、わたしがその引用部分を削除し、事実誤認のない文章にしたところ、「不快なので削除しろ」というメールが来た。
atwiki、正確には@wikiというレンタルウィキサービスを運営しているのは和歌山県の会社であるアットフリークスだ。ここの元取締役が、大学の同級生を殴る蹴るの暴行を加えて逮捕されたという。

このバカは竹田隼也というらしいが、大学生になってベンチャーやって金持ちになったのに、イジメをするかね? 普通。

とはいえ、ベンチャー企業の初期にどうしようもない人材が混入することはよくある話だ。でも、それを乗り越えて反省してよりよい組織へと変えていこうとすればいい。それでも過去を咎めるのは少数だ。

ところがその事実にフタをしようとするのは、この会社がほとぼりが冷めた頃に竹田というバカを再度社員として迎え入れようと考えているからではないか? と疑われても仕方ないんじゃないか。

それにしても、会社ぐるみで過去を隠蔽しようとするとはね。

こういうのを逆SEO対策というらしく、上記のブログのうち、楽しくないブログのブログ主が、一記事にまとめているのが面白かった。

★ 犯罪者による前科隠しの逆SEO対策は予想以上に数が多いことが判明

では、どのような方法で、ネット上の情報操作を行うのだろうか? 実は下記のような求人サイトで、上記のような情報操作の協力者を募っている。

★ 簡単☆ブログ開設代行依頼(記事投稿なし)
【お仕事詳細】
■ 依頼の目的
無料ブログ50個の開設依頼です。
エクセルシートに記入されたブログサービスの開設をお願いいたします。
■ 進め方
Gメール又はヤフーメールを取得していただき50個のブログを開設していただきます。
こちらで用意しますエクセルシートに開設していただきたい無料ブログの一覧と
必要事項の記入欄があります。
それらに、必要事項を記入して提出をお願い致します。
尚、タイトルに入れて頂きたい文言リストをお渡しいたしますので
タイトル内に組み込みをお願い致します。
(記事投稿しなくてもOKです)
■ 注意点
・ブログのタイトルは同じものにならないように30文字以内で
 バラしてください。また連番も不可です。
・ブログのURLになる部分(アカウント)は同じものにならないようにバラしてください。また連番も不可です。
これって、法律的には問題ないにしても道義的にはOUTだろう。いや、無料ブログを提供している業者は、通常この手のスパムブログの開設を厳禁している。規約に違反しているのではないか?

それにだ。ブログを読む人の信頼を完全に裏切る行為じゃないか。50のアカウントで用意されたブログに、どうしようもない記事が書かれ、そこには時には上記のような情報操作が加えられ、やがて私たちは真実にたどり着くのが困難になる。

ネット上の情報を、こうやってカネにあかせて操作をしようとしている奴らが、今はびこっている。池袋や渋谷には、2ちゃんねるやブログにいろいろな書き込みを行って世論を操作したり、上記のような情報撹乱をになっているIT業者がいくつも存在している。

20代から30代の若者が経営していて、たいてい上層部はヤクザやハングレとつるんでいる。夏場は薄着だから、両腕の刺青がよく見える。それに怯えながら、打ち子は必死で書き込みを続けている。それが今の日本のIT社会の闇の部分だ。

2013年8月19日月曜日

火傷にあった女性の告白/女優のエクストリーム逃走

本日は気になった動画の紹介。

先日福知山市の花火大会で、露店が炎上した事件。当初はガスボンベが爆発したものと見られていたが、どうやら発電機を稼働させたままガソリンを注入、それに火が引火して、あの災害が起こったという。

この件に関する情報を調べていたら、この件とは直接の関係はないものの、とても印象深い動画を発見した。

★ 飲酒運転事故の被害者で大ヤケドを負ったジャッキー・サブリドさん

この女性の写真は、以前別の動画で観たことがあった。だが、、飲酒運転の結果この女性をこんな無残な姿へと変えた加害者の母親がテレビの前に現れ、被害者の女性へ謝罪をする場面は初めて観た。テレビの前にでてきた被害者も、加害者の母親も、それを暖かく見守った観客たちも皆素晴らしい。

次にご紹介するのは女優の大脱走劇の一部始終。

アメリカではパパラッチが著名人の周囲を大勢で取り囲むのが当たり前だが、今回囲まれた女優のテイラー・モンセンは、まるで特殊訓練を受けた兵士のような素早い動きでパパラッチを煙に巻いてしまう。

テイラー・モンセン――20歳の女優、ミュージシャンだが、最近はモデルとしての活動が多いようだ。
この女性がパパラッチたちに囲まれ、困惑していた表情を浮かべているシーンから動画は始まる。

サングラスをかけ直したモンセンはやおら階段を駆け下り、

突然手すりを越えて下へと飛び降りる。

突っ込んできた車の上に飛び乗って天井の支持棒にぶら下がる。

パパラッチを置いてきぼりにして駐車場の壁にへばりつき、

コンクリートの塀を乗り越えて車に乗って、悠然と笑みを浮かべて去っていくモンセンだった。

この子、手馴れている! すごい! とおもったものの、途中「うん?」となるシーンがいくつかあった。一番気になったのが車を踏み台にして天井の棒にぶら下がったシーン。

踏み台にした車の持ち主が損害賠償責任を追求されないか、次に、通電する可能性があるのになぜ天井の棒を持つことが出来るのだろうか、と考える内に、ニヤリと笑った。こりゃ、フェイクだ。
どうやらこれ、数年前に流れたナイキのCMらしい。どうりで一番目の上記写真の胸元に、大きくナイキのロゴが描かれているわけだ。

……面白いからいいけどさ。

2013年8月18日日曜日

歴史は繰り返してヨーロッパはローマの後を追う

ジェレミー・バンバー ~「マジソンズ博物館」より~
ヨーロッパで、仮釈放の可能性のない終身刑(=絶対的終身刑)が、残酷だという理由で廃止されることになったという。

★ 仮釈放ない終身刑:英制度廃止へ 欧州人権裁「非人間的」
死刑を廃止している欧州で、今度は絶対的終身刑が廃止されることになった。(中略)欧州人権裁判所は判決(7月9日)で、終身刑規定自体は容認しながらも、一定期間を過ぎた場合の仮釈放の規定がないことについて「刑務所内で死ぬことが決定していることは非人間的だ」として欧州人権条約違反と認定。
そもそもこの判決のきっかけとなったのが、両親をふくむ家族5人を殺したジェレミー・バンバーが「絶対的終身刑は欧州人権条約に違反する」という理由で欧州人ケイン裁判所に訴えたこと。このバンバーの犯罪については、

★ 殺人博物館~ジェレミー・バンバー

が詳しい。

ちなみに要約すると、地元の名士であるバンバー家は子宝に恵まれずに2人の養子をとったが、養子に厳しく接したために姉は精神病となり未婚のまま双子を出産する。そんな環境を弟のジェレミーは義親のせいだと恨み、そして遺産を全て乗っ取るために、義親、義姉、その双子全員を射殺して、死んだ義姉に罪をなすりつけようとしたという事件だ。

ところが犯行後に元恋人に密告されて、すべてばれてしまった。

まあ、どうしようもないクズだ。刑務所の中でも反省なんてしてないだろ。それでも外形上反省していれば、矯正されたと司法は判断するのだろう。そして25年経てば、仮釈放される。被害者の人権は今さらどうしようもない、それよりも重要なのは生きている加害者の人権だ、という理由で。

激しい怒りが沸き起こる。正しい者、か弱きもの、声なき衆生の声は届かず、反省をした風を装った無法者の罪を許さなければならない、ということか。

とはいえ、どのような罪であっても償えないものはない、というのが欧米人の考えの根底にある。だからこそナチスの罪を反省し続けたドイツを戦後50年を経て、周辺各国は許した。これを考えると、第二次世界大戦で悪者となった日本で生まれ育った日本人としては、「殺人者許すまじ」という感情を発露することにいささかためらうものがある。

決して許せない罪があり、憎み続けなければならないと思うのならば、
「日本が加害者で韓国が被害者という立場は、千年経っても変わらない」
などとほざいた韓国政治家とメンタリティーが変わらない、と批判されても仕方ないからだ。

日韓条約無視や遡及法の制定など、法治国家の体をなさない韓国のメンタリティーとは似通いたくはないもの。刑務所の目的があくまで罪をつぐない犯罪者を更生させるためにあるのだとしたら、時を経て真人間となった元犯罪者は「許さなくてはならない」ものなのかもしれない。

それにしてもねぇ。理屈は分かるが、感情が納得しない。

「ローマ市民権」という言葉をご存知だと思う。古代ローマはイタリア本土と属州に分かれており、イタリアに住む者は自由民と奴隷とに分かれていた。イタリアの自由民に与えられていたものがローマ市民権だ。ウィキペディアによれば、
市民権の保持者はコロッセウムでの観劇や浴場への立ち入りの権利を与えられ、また皇帝や有力者からの贈り物を受け取ることができた
そうだ。また投票権があり、納税の義務もない。この市民権は特権であり、奴隷や属州の人々はこの特権を求め、ローマ市民権を持つ者はこの特権を守るために、周辺の民族と戦い、偉大なるローマを守り続けてきた。

ところが西暦212年、カラカラ帝はアントニヌスの勅令を出して、ローマ帝国のすべての自由民にローマ市民権を与えてしまう。
このことが、ローマに衰退をもたらした。

なぜなら「ローマ市民」というプライドがあればこそ、人々は皇帝をかつぎ、周辺民族からローマを守るために戦い続けてきたのだ。忠誠心はプライドあればこそ。それが誰でも持てるというものならば、その価値は下がる。

かくしてローマは、ゲルマン人の侵攻に抗する気概ある人材を欠くようになり、衰亡へと向かっていった。

さて、ヨーロッパに話を戻す。

欧州発祥の基本的人権はすべての人々に与えられた所与の権利だ。ローマ市民権と異なり、特権ではないように思える。

けれども、この人権が大きく制限される場合がある。それが法を犯したときだ。その上罪を犯した人間は、刑務所から出所した後も、前科者として忌み嫌われる。だから、人々は罪を決して犯さないように気を配る。これがまっとうな人間の最低限度のプライドだ。

ところが、何十人と人を殺しても死刑にしてはならないとか、重度の犯罪を犯した人間であっても仮釈放を認めなくてはならないなどといったヨーロッパの司法が放つメッセージは、この最低限度のプライドを地域内の人々から奪いやしないだろうか。

無論、ほとんどの人は大量殺人などとは無縁の生活を送るけれども、メディアで報道される重大犯罪が司法でどのように裁かれていくか、というニュースは、人々の行動の指標となる。悪質な殺人という最低限度の規範を破ったものはどのように裁かれるか、それは人々の行動の最低限度の基準値の根拠となる。

そして、何十人と殺した人間、家族を殺して罪を姉になすりつけようとしたような人間がでも反省すればシャバに戻れます、というメッセージは、人々から、
「せめて犯罪は犯さない」
というささやかなプライドを失わせ、ヨーロッパに対する忠誠心を失わせることになりやしないだろうか。

「歴史は繰り返す」という。ヨーロッパはローマを範として作られた一種の帝国であるけれども、この帝国も、ローマ帝国と同じような過ちを、今まさに、犯そうとしているような気がしてならない。

2013年8月17日土曜日

アメリカのバンカーも経営者も、半沢直樹のようにプライドのために働く

アメリカ系の投資銀行で働く藤沢数希という人は「金融日記」というブログを書いている人気ブロガーの一人。彼がTBS系のドラマ「半沢直樹」について書いた記事が話題になっている(半沢直樹と藤沢数希の名前は似ているけれども、どうやら関係はなさそうだ)。

外資系銀行とは異なる日本の金融機関の文化にうといために、最初はドラマの何が面白いのか分からなかったという藤沢氏。
僕が最初によくわからなかったのが、この銀行員たちがいったい何のために、権謀術数を張り巡らせて争っているのか、ということだった。その政治闘争に勝ち抜けば、億単位のボーナスがもらえるわけでもない。
そして、クビの代わりに、『出向』というのがあるらしいことがわかった。その出向というのは、「雇用関係にある企業に在籍をしたまま、子会社や関連会社において業務に従事すること」を言うらしく、驚くことに、給料さえ減らないのだ。(中略)勝っても金が貰えない、負けても金を取られない、いったい、この人たちはどういうゲームをしているのか? さっぱりわからない。
モルガン・スタンレーとかゴールドマン・サックスだとかでは、億単位の年収が当たり前なので、日本の金融機関で悪戦苦闘する半沢直樹のモチベーションに共感できなかったと告白する藤沢氏だったが、3話、4話と観るうちに、ようやく彼らの内在原理に気づく。
そして、銀行員たちが何を賭けて闘っているのか、理解した。それは、金よりも大切もの。命よりも大切なもの。
プライドだ。
実際に、銀行で出世するか、どこかに出向するかによって、銀行員だけではなく、その妻や子供の序列も、社宅の中や幼稚園の中で如実に変化する。(中略)そして、出向というのは、家族をも辱めの対象にされ、まさに死刑同然のものなのだ。家族を巻き込んだプライドを賭けた闘争というのは、まるでマフィア映画『ゴッドファーザー』のようだ。
そこで藤沢氏、ようやく「半沢直樹」にはまるのだが、なるほど……と思うと同時に、アメリカだって同じだろうと思う気持ちを抑えられなかった。

金持ちの思考は想像するしかできないが、以前、堀江貴文が、
「豪華な生活をしようとしてもある程度を超えたらあまり変わらない。千円の食事が1万円になったら格段に味が異なるし、豊かさを感じるだろうが、5万円の食事が50万円になったからといって、段違いにうまい、ということもない。年収2千万円を超えたら、だいたいの贅沢はできるので、生活水準はそれほど変わらないんじゃないか」
ということをどこかの対談で語っていたと思う(うろ覚えだが)。

そうかもしれない。だが、高収入者は今以上の収入を望み続ける。昨年のカルロス・ゴーンの年収は9億8700万円だという。そんなにもらってどうする? 年収が1億円だとあなたは今の仕事ができないのか? と、思わず問いたくなるけれども、年収が2000万円を超え、ある程度の贅沢はすべて経験して、生活に余裕があろうとも、かれらは決して満足することはない。
「もっと、もっと」
と高収入を追い求める。

藤沢氏が記事で指摘するように、アメリカのバンカーはカネの奪い合いのために熾烈な競争を繰り広げるけれども、贅沢に限度がある以上、贅沢をするためだけにカネを稼いでいるわけじゃないだろう。では何のため? もちろんプライドのためだ。

元野球選手の落合博満は、初の三億円プレイヤーを目指す理由を問われて、
「外国人選手よりも活躍する日本人選手は、外国人選手よりももらうべきだと考えた」
とあるインタビューで語っていた。落合氏が批判されながら年棒アップにこだわり続けたのはライバル外国人選手へのプライドだった。

ある程度の年収を超えた後は、
「あいつには負けたくない」
という欲望のためにひたすら数字を追い求めていく。それが向上心というものだ。

考えてみれば、アメリカのように年収のみで序列化される社会よりも、役職や地位で序列化される社会の方がコストパフォーマンスはいい。人件費をかけなくても、勝手に競争して、お互いに切磋琢磨し、ときには不正行為を暴露しあうことで組織の清浄化にも役立つ。相互監視を怠らないから間違った行為はそうそうできず、よって社内には一定の緊張感と規律が生じる。

それがアメリカでできないのは、組織がオープンで、人員の流動化が激しく、組織の論理でがんじがらめにされなくても済むからだろう。だから、社内の序列化は彼らのプライドを満たさない。その結果、カネでしかプライドを図る指標がない。企業も社内の競争をうながして社員に成績を上げてもらうために、給与に格差をつけるしかない。

思えば私たちの日本の社会は、アメリカ流のオープンな社会に憧れて、人材の流動化を進めてきた。いや、日本に限らず、世界の先進国は、自由な社会に憧れて、人間関係に縛られず、差別のない、オープンな社会を追い求めてきた。

けれども、その社会はカネでしか人間のプライドを満たすことが出来ない、まさに「資本主義」の世界に他ならない。そこで生きる人間は、プライドのために、他人よりも高収入を求めて、序列の上へと誰もが登ろうとする。そうすると自然にピラミッドができてしまうわけだが、その行き着く先は、アメリカ流の格差社会だ。

社会主義が失敗した要因の一つは、人間の所有欲という根源的な本能を無視したシステムだったからである。人間の本能に反したシステムは必ず破綻する。

アメリカ流の格差社会は、自由や公正とは相性がいい。カネ以外の差別がない、という点でも平等だ。しかし、人間はこの「カネ」の差別に敏感だ。激しい経済格差には我慢ができない。ある限度を超えると革命を起こして政権を打倒するだろう。富裕層から略奪を始めるだろう。そうすると資本主義社会は、プライドのためにピラミッドを作ろうとする人間心理と、格差社会に我慢できない人間心理を二つ抱え込んでいる点で、矛盾を抱え込んだシステムだと言える。

「半沢直樹」もドラマだから面白いが、実際の金融機関で働く人間にとってはおぞましいものだろう。

でも、金融機関が作り上げたあのシステムは資本主義社会を維持するために大変優れたシステムだ。カネをかけずに人間を序列化出来る、あのあり方を肯定しないと、私たちの社会はいずれ崩壊することになる。

たとえ醜くとも、あれは必要悪なのだとあきらめねばならないのだろう。私たちが「半沢直樹」を観るのは、資本主義社会を肯定するためだ。





……もっとも、私は「半沢直樹」、まったく観ていないからドラマの感想も想像で書いてるんですけどね。

2013年8月16日金曜日

飯抜きと頬への殴打

子供の頃に与えられる罰に「飯抜き」というものがある。たぶん大昔前から親が子供に対する有効な罰として「飯抜き」が存在していたと思うのだが、あれは、
「飯を抜くことで食事代を浮かせようという庶民の知恵」
の一つだったのではないかと考えたのはつい最近である。

野生動物が三食間違いなく食べられるとは限らない。もちろん、草食動物なぞは起きている間のほとんどは食事タイムなのだろうが、肉食動物は違う。獲物を捕まえられない日が何日も、時には何週間も続くことさえあるという。

草食動物であっても、冬の間は食べ物を手に入れるのに難儀をする。シカが冬、草を食えずに樹木の皮を剥いで食べるシーンは、哀れを誘う。

人間も同じだろう。食事を毎日3食食べられるようになったのはつい最近のはずだ。近年になっても、食事代に事欠く家庭はたくさんあった。彼らの窮余の策の一つとして、
「飯抜き」
という方法を取られていたのだろう。単なる罰ではなく、家庭の都合で食事を抜かねばならない時代があったのだ。

だから、昔飯抜きの罰を受けていたからという理由で、
「親から昔、このような罰を受けていたことがあったから、子供にも同じような罰を与えなければならない」
と考えるのは誤りだ。

その他にも、今でも親が子供に行う体罰の一つに、ほっぺたを平手でたたく、というものがある。先日芸人が番組内で平手で叩きあうゲームを行い、その結果鼓膜が破れるという事件が起こった。

「頬を張る」ことも「飯を抜く」のと同じように、本来は別の意図がある罰だと思う。戦前に軍隊内で横行したこの罰は、
「体に傷をつけずに肉体的なダメージを与えるにはどうすればいいのか」
という観点で行われた。

頬は柔らかいので、殴っても外側に傷がつきにくい。ところが顔面には神経が無数に走っているので、殴打された時の激痛は身体の他の箇所を殴られるよりも上回るので、傷の目立たない効果的な罰として都合がいい。

閲兵などで外部の人間から観察される機会が多い軍隊内では、背中へムチで叩かれたような痕が残ってはいけない、という配慮をされたのだろう。体罰の存在を隠蔽することもできた。そこから「頬を張る」という体罰が慢性化したのだろう。

しかし、頬の周囲には歯もあれば鼓膜も眼球もある。まかり間違えば、大事になる。本来ならば叩くのに適した場所ではない。

現に、体罰の本場であるアラブでも、背中を鞭で打つという罰はあっても、頬を殴るという罰はない。日本の古来の刑罰でも、頬を殴るという罰は聞かない。目立たない、激痛が他の箇所よりも大きい、という以外には、デメリットのほうが大きな罰だからだ。

体罰には、本来の発生理由がなくなっても、慣習として横行しているものがある。怒りのタガが外れて子供に体罰をおこないそうになったときに、もう一つ、
「体罰には無意味なものがある」
というタガをはめていれば、誤った行為を行わずに済むかもしれない。

2013年8月15日木曜日

世界は変化し続けるために、安穏と生きることができない

文明が発達すればするほど、生活が苦しくなるとは、ある人の名言であった。

江戸時代に生きる人々は、日曜日の休みこそないものの、朝は9時頃から働きはじめ、午後3時頃に仕事を終えるのが一般的だったという。また、ライフスタイルとしても、40を越えたら家督を息子に譲り、あとは死ぬまで悠々自適の生活を送る、というのもごくごく普通の慣習だった。

もっとも、隠居後も実権は親がニギgっているというのはよくあることだったようだ。ただ、望むならば、いまだ若いうちからのんびり芝居見物や物見遊山で遊んで老後を過ごせるのは羨ましい話といえる。

それが今では共働きが当たり前、定年も下手をすると70歳まで延びそうな勢いである。こういった現実を下記の記事が改めてつきつける。

★ 減っていくそこそこのスキルの仕事
 以上の書籍(『The New Geography of Jobs』等)に共通に見られる主張は、コンピューターによって中間層の担ってきた中程度のスキルの仕事が喪失していること、これからの働き方に必要なのは、技術を駆使した「創造性・イノベーション」であること、そのためには「教育、能力向上」が必要だということである。
IT革命のせいで、知的労働需要は激減した。そこそこのスキルはコンピューターに置き換えられ、私たちに残されるのは少ない労賃の仕事か、コンピューターでは置き換えられないような高い能力を必要とする仕事ばかりとなる。

それが世界の選択ならば、従うしかないものの、果たして、アメリカが先導するこの社会の改革は、いったいいつまで続くのだろうか、と嘆息することがある。そして、答えはわかっている。

……たぶん、いつまでも続くのだ。

アメリカの哲学と言われるプラグマティズムによれば、自然科学上の新しい発見は、既知の「真理」が私たちの祖先の誤解や偏見を体系化したものでしかないと喝破した。現代という時代には、究極の真理というものはない。その時代に唯一言えることは、世界は変化し続けるということだけなのだ。

世界は変わり続ける。固定化した世界では不幸な目に遭う層が固定化されていくが、アメリカは変化を国是としているから、常に社会をかき混ぜることが大切だと思っている。彼らがリーダーである以上、世界は常に変化し続ける。

身分制度が社会の基本となっていたときは、能力があっても上に上がれない人々の怨嗟の声が巷にあふれていたものだが、現在では能力の低い人々のうめき声がネット上に蔓延している。引かれ者の小唄に同調してもしょうがないけれども、ただ、低所得でもいいから楽に生きる方法を残しておいてくれよと、恨み事の一つも言いたくなることがある。

昔、釈迦が「人生とは苦しみの連続である」と説いた。この世界には苦悩の種がつきることはない。進歩したのに不幸は同じくらい世の中に蔓延している。目に見えない苦痛の種が、次から次に湧いてくるのである。

私たちには、部屋の掃除を毎日するように、、それを少しずつ片づけていくことしかできないのだろう。

2013年8月14日水曜日

ストレートネックのために首が痛いので理想の枕を探す

10年以上前に、とある事故にあい、首から肩にかけて大きなダメージを受けて以来、首の調子がおかしい。

接骨院にときどき行く。もんでもらうと少し身体が軽くなる。

首周りの筋肉を自分で鍛える。好調、不調をくりかえしながら数日後にふと、身体が軽くなったことにきづく。こうして自分をだましだまし、ここまでやってきた。

でも、ここ数年ほどは
「首が痛い」
「肩が凝る」
などと不調を身近な人にもらしては、心配されることが多かった。それほど、首が痛む頻度が増えてきたからだ。

睡眠不足がつづいたり、風邪をひいたりすればいくら鍛えていても元の木阿弥となる。首の周辺がこわばり、体中がだるくなるのである。もっとも、数日後にはなんとか元に戻るのだが……。

枕を試す
「睡眠に気をつければいい」
とアドバイスされて、いろいろな高額な枕を試したことがあった。

最初に試したのはテンピエールの枕だ。
テンピュール(R) オリジナルネックピロー(新製品T85) S
なるほど、ふわりを肩周りを包み込むこの感覚はすばらいいものがあった。ところが私の頭は片側が傾いている。だから頭が安定しない。テンピエールの枕自体には姿勢を保持する力がないために、必ずどちらかに首が傾く。それが不快だった。今ではすっかり座布団代わりになっているので、へたっているのでうちにあるものをお見せできないのが残念だ。

次に買ったのが、健康枕というものだ。

上の枕はうちにあるものだが、数年前に東急ハンズで買った。このときたしか8,000円前後だったかと思う。

買って数週間は使い続けたが、次第に苦痛となる。1日使って数日他の枕を使い、また1日使って他の枕を使うという、断続的使用を繰り返した。

なぜなら、使うと首が痛いのだ。下から首を押し上げられるので、
「血管が潰れるのではないか」
という不安感が生じた。むしろ睡眠にとっては有害ではないか? 失敗した、8,000円損した、と感じ、次第に使わなくなった。これはつい最近まで、後悔の的となった買い物であった。

最近まで使っていたのは、パイプ枕と呼ばれるものである。
「森の眠り」枕 35×50×14・高め

枕の中にびっしりとプラスチックのパイプ片が詰まっている。適度に硬く、姿勢を安定させてくれる。熱もこもらず首にもあまり負担がかからない。ときどき寝違えることはあるけれども、それなりに満足していた。

ストレートネック
それでも時折首が痛くなるのは変わらず、一生この首の痛みとつきあっていくしかないのだろうと半分あきらめていたけれども、先日捻挫をしたついでに、長年の宿痾である首のレントゲン写真を撮ってもらった。
おどろきましたね。まったくカーブがない(というか、逆にカーブしてないか?)。頚椎は普通S字状のカーブを描いているはずなのに、ピント伸びきっている。

このような首をストレートネックと呼ぶのだと、ネットで調べて知った。
・頭痛
・肩こり
・首の痛み
・寝違い、睡眠不足
などの原因となるという。まさにドンピシャ。私の不調はこのせいだった。

医者によれば、頚椎にすでに変形が見られているので、このまま放置すれば手足のしびれが生じてもおかしくないのだという。

翌日から牽引をしてもらうことになり、連日のように牽引にかよっている。

自己流トレーニング
今回、整形外科に行ってよかった。原因が分からずに悩むのと、こうしてレントゲン写真を目の当たりにして、対策を練るのとは雲泥の差である。

ただ、いつまでも医者には頼れまい。自分でも何かしらのトレーニングを行なって、治る速度を早めたい。

ネットでストレートネックの直し方について解説するページをいろいろと調べる。その中で、
「これだ!」
と思ったのが、

★ 猫背・ストレートネックの治し方(円背改善自己矯正法)

というページである。丁寧な解説が分かりやすいし、姿勢矯正のためのいろいろな方法は、日常のふとした動作に取り入れられる。

ただ、新聞紙を芯にしてバスタオルで巻いた道具を作るのは、面倒だなと思っていたところで、ふと気づいた。

……これって、私が買って放置していた健康枕と同じなんじゃないの?

首が痛くて使うのをやめたけれども、あの痛みは、もしや、ストレートネックが正しい姿勢へと強制される過程の"好転反応"だったのではないのか?

私は健康枕を引っ張りだした。

やがて痛みは消えた
それから一週間、寝苦しかろうと健康枕を使い続けた。首が圧迫されて苦しくとも、毎晩だ。

首は悲鳴をあげた。それにも関わらず、私は首を枕に押しつけた。それを続けて1週間後には、寝ていても首が痛まなくなった。

そして1ヶ月が経った。日常生活を送っていても肩が凝ることがほとんどなくなった。私は、長年の苦痛から解放されたのだった。

メーテルリンクの『青い鳥』という小説をご存知だろうか。チルチルとミチルの兄妹は、夢の中で、幸福を叶えてくれるという伝説の青い鳥を探すため、過去や未来を行き来する、冒険の旅に出る。

ところが結局見つからず、目が覚める。そして気がつく。自分の家で飼っていた青い鳥こそが、幸福の鳥だった、ということに。

私の問題解決法は、随分と前から目の前にあった。

2013年8月13日火曜日

ネットワークは文字でつながっている

『サマー・ウォーズ』という映画がある。今から少し先の未来を描いた作品だ。

そこでは「OZ」という仮想現実空間の中で、誰もが「アバター」と呼ばれる分身をその中に作る。アバター同士が日常と同じように会話して、交流するのが当たり前の世界がそこに描かれている。
SUMMER WARS FILM PARTNERSのサイトより
ネットワーク上で人々が結び合った世界を、1980年台頃からSF作家が想像するようになった。そこで想像された未来では、上記のような視覚的な、3D的な仮想現実空間がネットワーク上に構築され、その中で私たちがお互いに結びつくだろうというものだった。

でも、光ファイバーなどが各家庭に行き渡り、電子技術もそれなりに進み、3D世界がリアルになったにも関わらず、3Dで描かれた仮想現実空間の中で交流する方向には進んでいない。

アメーバピグやHABOなどのような2次元の仮想現実空間はそれなりに流行っているものの、好きな人々の一部が利用しているだけで、爆発的な人気を得るに至らない。

それが未来のあるべき姿ならば、人々は自然にそちらへと向かって進むべきなのに。以前「セカンドライフ」というサービスが提供されて、
「これがネットワーク世界が向かう先だ」
と喧伝されたけれども、けっきょく鳴かず飛ばず、今ではほとんど人に忘れ去られた存在となった。

ネットワーク社会が発展した先に待つものは? その答えが「2ちゃんねる」であり、「LINE」なのだろうと思う。

文字で書かれた情報をやりとりするだけなのに、人々はそこに現実以上のリアリティーを感じながら今では生活している。文字だけでは寂しいと思ったら、スタンプや顔文字を入れる。でも、基本的にはテキストベースだ。

今では「LINE」や「Twitter」、「はてなブックマーク」や「ブログ」がお互いを結びつけている。全て言葉だ。言葉で人々は結ばれる。

所定の文字列をクリックすればリンク先へ飛ぶ。これぞまさに、ネットクワークの醍醐味だ。当たり前のように感じているけれども、それが三次元で結びついている様を想像すると、かなりの迫力だ。

なぜだろう? いずれ技術が進歩して、手持ちのバソコン上でも、3Dの映像空間の中でアバターを自在に動かせるようになれば、人々は文字情報で交流することよりも、アバターを使って3Dの仮想空間の中で会話することの方を選ぶようになるのだろうか? セカンドライフが、再び脚光を浴びるようになるのだろうか?

そうはならないような気がするのだ。人々がつながるのに、映像的な情報は必要ない。むしろ、絵や3Dのような情報量が多すぎるものだと、交流よりも先に頭が疲れてしまう。

現代人は普段の仕事で、疲れているのだ。何もわざわざ、インターネット上でも疲れる必要はない。オンラインゲームを楽しむのは学生と主婦がメインで、普段の仕事で疲れているビジネスマンにはその余裕がない。

人々は楽な方へと進んでいく。今後もネットワークが進む先は、高機能の映像空間にあるのではなく、この文字情報をいかに楽しく面白くやりとりできるか、という方向にあるのだろう。

また、右脳と左脳の違いも関係あるように思う。右脳は直感的で、世界と自己とが一体化している感覚を生む場所であり、左脳は論理的で、自他を区別する場所であると、ジル・ボルト・テイラーという脳機能学者が以前述べていた。

映像よりも言葉によって、人間は自他を区分けするのだとしたら、インターネットのような本当にすべてがつながった空間の中で、自他の区別が曖昧な中で自我を保つためには、言葉というワンクッションを置くのが、人間にとっては楽なのだ。言葉ほど簡単に思考を明確化できるものはない。

言葉を使わずに、視覚情報のみのやり取り、果ては思考以前の段階のイメージのやり取りばかりしていると、自分とインターネットの境界が曖昧となり、まるで精神病者のように自我が崩壊して、正気を保てなくなるのではないだろうか。

世界がつながるからこそ、言葉によって思考を世界から切り離す必用がある。そのためには、今のように、言葉によって他人とつながるあり方が一番、人間にとって楽なあり方なのかもしれない。

……ということを、喫茶店で周囲の学生のほとんどが、LINEとTwitterの話ばかりで盛り上がっているのを聞きながら考えたのだった。

今の若い人の会話の内容の9割はインターネットに関することだ。それは驚くほどだ。すでに世界は文字でつながり、これからも文字でつながり続けるのだろう。

2013年8月12日月曜日

マウンテンバイクレースで壁を走って追い越す大逆転

これを最初に見た時にはおったまげた。

レース開始直後に転倒して最下位になったレーサーが、ゴール直前に壁を走って追い越す、という大逆転劇を演じたのだ。

★ 自転車レースで大逆転 秘技「壁走り」が炸裂

この映像が世界中で有名になっているそうだ。動画で観なければ信じられない話だ。

いろいろなところで出回っている映像だけれども、まだご存じの方がいるだろうから、ご紹介。

2013年8月11日日曜日

詐欺師は犯罪者の顔をしていない

昔南アジアを旅したことが会って、その時に詐欺にあったことがある。
大変愉快な男で、大きな眼の表情豊かな人間で、屈託がなく、友達になったら楽しそうだと思える人間だったけれども、彼はまっとうな詐欺師であり、私を事務所に連れて行って半監禁状態にして、数人で囲んで金を出せと迫った。

私が武道をたしなんでいたのと、「ここで死んでもいいか」という捨鉢な気持ちになっていたために相手の手首を掴んで牽制しながら数時間、断り続けたために詐欺にはめられずに済んだのだが、その時に、
「顔は当てにならない」
と痛感した覚えがある。

もちろん、脅迫が日常茶飯事となって、睨みつけることが多くなると、表情筋がそれなりに変形することがあるだろう。男性ホルモンが過剰分泌されるにつれて、人相が悪くなり、ゴリラのような顔となることはあるだろう。暴力団や警察などは、同じような臭いを放つ。

だが、詐欺師は異なる。むしろ、いつも柔和でほほえみを絶やさず、相手のことを(詐欺に嵌めるまでは)毎日のように気遣い、何か手助けすることはないか(それが相手につけこむキッカケにもなるから)いつも考えているのだから、大変穏やかで優しい顔となる。

それどころか、悪いことをしているという良心の呵責があるから、表情に幾分の憂いを与えているために、元々イケメンだと、それがさらなる魅力を与えることとなる。「ワルはもてる」という言葉がある通り、アウトローの人間は非日常的な緊張感を漂わせているために、得も言われる風情がそこに加わる。

むろん、詐欺師にもいろいろあり、わざと詐欺師的風貌を装う場合もある。それは、詐欺師的風貌で最初警戒をさせ、その後にまともなことを言うことで、
「怪しいと思っていたけれども、案外まともな人じゃない!」
と相手に思わせて逆に警戒を解くという高度な戦術なのだけれども、それは一部で、たいていの詐欺師は大変穏やかな表情をしているものだ。

★ 女性を運び屋に仕立てる「ラブ・コネクション」
 「カナダ人の恋人から頼まれた。覚醒剤が入っていたのは知らなかった」
 福岡空港で6月、覚醒剤約3・5キロ(末端価格2億5000万円相当)をスーツケースに隠して持ち込んだとして、覚醒剤取締法違反(営利目的密輸)容疑で逮捕された際、大分県の日本人女子学生(23)は、こう供述した。
 捜査関係者によると、女子学生は約2年前、語学留学先のカナダで買い物中に男から声を掛けられ、交際を始めた。以来、複数回カナダに渡航。帰国時には、「日本に着いたら携帯電話に連絡が入るから」などと言われ、バッグを外国人の知人に渡すよう頼まれた。「バッグを渡すと報酬がもらえた」という。
バカとしか言いようがないけれども、この手のお誘いは長期間海外で滞在をしていたら必ずあって、私も東南アジアを旅していた時に、
「日本人と組んで商売をしたい。ついては、この荷物をあなたの実家にそこの郵便局から送ってもらえないか。帰国した後、実家に着いたら、その荷物を私の知人に届けて欲しい」
「自分でそれをすればいいのに。なぜそれを俺に頼むの?
「この国の税法はおかしくて、外国人が荷物をおくる場合に比べて、自国民が荷物を送ると税金を異常にとられるのだ。あたなに手数料を払ってもお釣りがくるくらいなんだよ」

と依頼を受けたことがある。多分、あの中に麻薬などが潜んでいたのだろう。危ないなと思ってもちろん避けたが。
彼の顔も穏やかで、決して詐欺を行うような人間に見られなかった。

こういった経験から、
「あの人は詐欺を行うような人間には見えない」
という言葉を吐くのは世間知らずだと思うようになった。詐欺にあった人間、あいそうになった人間は、詐欺師が犯罪者の顔をしていないことを知っているからだ。

ちなみに、ネットで拾ってきた詐欺師の顔がこれ。
まじめそうで、周りにいくらでもいそうな人畜無害な顔をしている。こんな人間が詐欺師なのだ。

2013年8月10日土曜日

先輩の言葉に耳を傾けろというが

ビジネス書花盛りである。時代時代によって流行となる分野は異なるもので、ある時は歴史物が棚を独占していたし、別のあるときはオカルトや占い物が大人気となっていた時代もあった。そして今はビジネス書なのだそうだ。

もう少し若い頃、20代の頃にはこの手の書物を読んで他人よりも人間的な知恵を身につけた気がしたものだが、今では著者の独善ぶりが鼻につくことが多い。

その中に「先輩や上司の言葉にとりあえず耳を傾けろ」というものがある。新入社員時代には、先輩や上司の言うことが不合理にしか思えず、反発ばかりを感じることがある。ところがそれから数年経つと、彼らの不合理な指示の意味が分かってくる。だから、最初は不合理だと思っていても彼らの言うことにはできる限り従った方がいい、というものだ。

ところが、先輩や上司が必ずしも人間的に優れているとも限らない。中には本当に、根っから部下が失敗するのがうれしくてたまらないという嗜虐的な人間がいるのである。

この手の人間がたまたま上に来なかった作者が、
「先輩の言うことにとりあえず耳を傾けろ」
などと世迷い事を言う。

北野武監督の『キッズリターン』でも、先輩の言うことに耳を傾けて、試合の前に減量をサボったり、やせ薬を飲んだりした青年が夢を潰されていたではないか。ああいうことは日常的に起こっている。私の周りでも、バカな人間が上にいたためにつぶされてしまった人間の屍はいくつも見てきた。

そういえば昔、斉藤一人という大金持ちがいて、人生論を多々語っていた。彼の本もビジネス書としてよく売れていた。今でも彼の本は、時々売れ筋本の中に顔を出す。

この斉藤氏、かつて、
「親孝行をしなさい。子供を嫌いな親なんていないんだよ。子供を愛さない親は、この世界に一人もいないんだから」
と熱く語っていた。彼の親は仕事熱心で、働かない父親の代わりに女で一人で子供を養っていたという。その彼の経験から、子を思う親の気持ちは信念となっていたのだろうが、所詮彼一人の狭い世界の出来事で、子供の虐待の話が大きな話題となるにつれて、自分の狭い見識を悟ったのだろう、子を虐待する親もいることを前提とした語りへと変わっていった。そんなものである。

2013年8月9日金曜日

曹洞宗の暴力事件を知って

第二次世界大戦前の日本軍は、世界最強だと称されていた。貧弱な装備と乏しい食料で、全世界を相手にあれだけの耐久戦を耐え抜いたのだから、その評価もむべなるかな、である。

では、なぜ世界最強の軍隊を作り得たのであろうか? それは様々な努力の結果であろう。なにしろ富国強兵の要となる政策であるから、日本軍という組織の形成のために、明治維新の先達はあらゆる面からの様々な研究を重ねたという。

日本人が欧米列強に憧れたのは、なによりも彼らが強かったからだ。アジアやアフリカの既存の軍隊を次々に打ち破り、連戦連勝、アジアにもアフリカにも中東にも南米にも、欧米列強を打ち倒せる軍隊は存在しなかった。このような組織を作り上げることが、我々の祖先の目標だった。

日本人の偉いところは、欧米列強の軍隊組織をそっくりそのまま日本に移植しなかったことだ。文化や伝統を無視してシステムだけを移植しても、拒絶反応が起こりうまくいかないことを知っていた。

ではどうするか。要素を仔細検討し、その中で日本の伝統の中にすでに存在したものがあればそちらを選択的に取り入れることで、自家郎中のものとしてしまうのである。

たとえばヨーロッパの近代軍隊の原型には修道騎士団があったと言われている。鉄の規則を元にした禁欲集団であり、独自の文化体系を保持した強固な組織だった。そこに注目したヨーロッパ各国は、修道騎士団を模範として配下の軍事組織を作り上げたという。

日本で修道院にあたるものはなにか。

明治の先達が考えた末にたどり着いたのが禅院だった、と以前読んだ本に書かれていた。中でも永平寺の僧侶育成法は大きく参考とされたという。

ところがこの時に、曹洞宗の悪癖が、軍に移植されてしまった可能性がある。彼らは新人教育のために、暴力を使う。

横尾忠則が永平寺での修行をしたとき、僧侶の言葉の暴力に驚かされているが、今も変わらず殴る蹴るの暴力は茶飯事で、そもそも修行の始めから殴られることに文句も言えない。こうして『全く文句を言わない個』となって、初めて修行が許されるのである。
「禅と暴力」と書いて並べると「平和と戦争」のような両極端のもののように思えるけれども、禅宗の修行でちょっとした暴力がふるわれることを、実は日本人はよく知っている。

竹篦(しっぺい)の存在だ。

竹でできたムチで、眠気が出た時に申し出て先輩の層に叩いてもらう。曹洞宗では竹篦のことを、警策(きょうさく)と呼ぶ。

1メートルほどの竹の棒をもった僧侶から、肩を叩かれる参禅者の姿をテレビで観た人は多いだろうし、参禅した人もいるだろう。瞑想は睡眠との戦いという面もあるので、肩を叩いてもらって眠気を覚ましてもらうのは有り難いことだが、これもある種の暴力、と言えないことはない。

ただ、これはあくまで序の口であり、本格的な修行ともなると上記の本に書かれている通り、文字通り殴る蹴るの悲惨な暴力が振るわれるようになる。その理由として曹洞宗では、悟りへ導くために兄弟子が敢えて鬼となり、弟弟子が誤った方向へ進むのを体を張って止めている、と説明される。

人間の意志は弱い。自分の力だけでは限界がある。そのために、暴力によって迷走を防いでもらうことは、愛の鞭でもあるという見方もたしかにできるだろう。

だが、そうはいっても暴力の力加減を若者同士で判断することが、果たして可能だっただろうか? これまで修行の過程で命を落としてきた若者たちも数多くいたと思われるが、その中に暴力に耐えきれず自殺した者などはいなかっただろうか?

さて、日本軍の話に戻る。日本軍の新兵へのシゴキは凄まじく、一時期世界最強と言われる組織を作り上げることにも貢献したに違いない。ところが、殴る蹴るの暴力を新兵育成に必ずしも必要としないアメリカ軍に日本が負けたのも事実である。

戦後日本軍は解体され、アメリカ式のフラットな方法によって自衛隊を作り上げ、数十年かけて、それなりの実力を有する組織を作り上げるにいたった(とはいえ、今でも年間の自殺数が100人を超えていることや、内部の暴力が根強く残っていることは、ときおり報道されるとおりだ)。

今ではモチベーションの研究なども進み、暴力なくして教育するための方法が確立されようとしている。日本軍のしごきの伝統が曹洞宗の修行方法をもとに形作られたという説が事実だとしたら、曹洞宗は日本に体罰を蔓延させた元凶ということにもなる。それが事実かどうか分からないが、修行という名目で兄弟子による暴力が今でも振るわれていることは、昔会った禅僧から私も直接聞いたことがある。

しかし、昨今の情勢を鑑みれば、いかに数百年続いた伝統ではあっても変える必要があるだろう。

★ 曹洞宗の名刹で年下僧侶を暴行
 正法寺は全国屈指の曹洞宗の名刹で、県内外から集まった十数人の僧侶が修行している。正法寺の住職は「人間の生き方を考え、基本に立ち返り、切磋琢磨して修行に臨んでほしい」と話した。
 大松容疑者の逮捕容疑は7月11~12日ごろ、寺院の部屋で男性僧侶(21)をスプレー缶で殴り、頭を切るなど約1週間のけがを負わせた疑い。村田容疑者は昨年9月21日、寺院内で同じ男性僧侶を蹴って、右手首骨折のけがを負わせた疑い。

2013年8月8日木曜日

レノボ終了のお知らせ

レノボは2004年、IBMのパソコン製造部門を買収した。中国の一電機メーカーが世界最高峰のテクノロジー部門を手に入れたのだから、世界中が驚いた。私も驚いた。

当時、パソコンに詳しい友人によれば、
「IBMを買っておけば間違いない」
ということだった。値段の割には高スペック、ということらしい。その友人も、さすがに中国のメーカーに買収された後は不安がっていた。

その後、レノボの品質に問題があるという話も出なかったものだから、再び、
「これほどコストパフォーマンスがいいものはないよ」
とレノボを彼は推していたのだか、下記のニュースを聞いた彼は、どう考えるのだろうと、ふと思った。敢えて尋ねるのも意地悪なので、訊かないが。

レノボの作ったパソコンには、外部からの情報詐取に弱い"穴"があるために、欧米の諜報機関では利用禁止の通達が出ていたという。

オーストラリアのメディア「The Australian Financial Review」(AFR)が7月27日に報じた記事が大きな波紋を広げている。「Spy agencies ban Lenovo PCs on security concerns」(諜報機関がセキュリティー上の懸念からレノボのPCを禁止)と題したもので、「オーストラリア、米国、英国、カナダ、ニュージランドの諜報・防衛機関における機密性の高いネットワーク上でレノボ製PCの使用を、『ハッキングに弱い』として禁じた」としている。
セキュリティー面で、レノボ社のものが特別に劣っているという理由がよくわからない。ウイルスの駆除などはウイルスソフトが行うものだから、ハードはそれほど関係ないだろうと思ったのだが、どうやら、ことはもう少し複雑なようだ。

   AFRによると、レノボの回路から典型的な脆弱性を超える「悪意ある修正」が発見され、PCの利用者が知らないところで、外部からアクセスされる可能性があるという。いわゆる「バックドア」(勝手口)と呼ばれる手法だ。
首をひねった。いくら中国でも、自国の産業の評判を悪くするような、そんな方法を取るだろうか?

よって、この記事自体ガセなんじゃないかと思ったりもしたのだが、こんな記事が飛び込んできた。
文書・資料やデータをインターネット上で共有できる中国の有力サイト「百度文庫」に日本企業の社外秘資料や内部文書が1、2年前から大量流出し、誰でも見られる状態になっていることが7日分かった。
これで、もしも被害にあった企業がすべてレノボを利用していたらレノボの責任がほぼ確実なのだが、東芝が被害にあったところをみると、このケースを上の記事と結びつけるのは早計かもしれない。

東芝のパソコンは、値段が高いという欠点以外は大変素晴らしいパソコンだ。使いやすく機能が大変高い。あるサイトが重くて固まっていようとも、それ以外のウィンドウを自由に動かすことができる。あんな高機能パソコンを値段を気にせずに購入できる社員ならば、わざわざレノボのパソコンを買うことはあり得ないだろう(とも言い切れないか。人間は全て合理的に行動するわけでもないし)。

いずれにせよ、中国のパソコンメーカーであるレノボのパソコンにはセキュリティーに大きな穴があり、中国人は様々な手をつくして情報を世界中から引き出そうと躍起になっていることが浮き彫りになった。

この2つを因果関係で結ぶ必要はないが、2つの出来事が同時期に報道されたということだけでも、中国製のPCやネット技術自体を今後は信用してはならない、という判断を下すのに十分ではないだろうか?

レノボは確かに値段の割には高性能だ。でも、信用出来ないものを敢えて買う必要もない。他に良いものはたくさんあるのだし。日本もコストパフォーマンスのためだけに中国にソフトウェアの開発を丸投げしていたら、後でとんでもないしっぺ返しにあうかもしれない。

2013年8月7日水曜日

数学を解くように、日常の問題を解決する方法 下

昨日に続いて、日経新聞オンラインの記事「ここが違う 数学が苦手な人、得意な人の『考え方』」の「数学の問題をどう解くか」のための考え方、
  1. 因果関係を押さえる
  2. 視覚化する
  3. 帰納的に考える
  4. 逆を考える
  5. 対称性を見つける
  6. ゴールからスタートする
を日常にどのように応用するか、具体的に述べることにしたい。

4.逆の立場にたって真剣に考えてみる
高校や大学でディベートを習った人は、ある命題に対して、時には肯定側に、ある時は否定側に立ち、どちらの立場でも議論を展開する方法を学ぶだろう。

この方法に対して、生理的な嫌悪感を感じる日本人が案外多い。

★ ディベートで育つ頭の悪い子供
簡単に言えばディベートとは屁理屈で相手をへこまかす方法だ。
相手をへこまかすことができたほうが正しいとされる無茶苦茶な手法だ。
アメリカなんかじゃ、子供のころからこんな屁理屈の訓練をしており、日本でも屁理屈で相手をへこまかせる訓練(ディベート訓練)が必要だと言われる。
でも「自分が逆の立場だった時にはどのような主張をするのか」ということを、相手を打ち負かすために真剣に考えた時になって見えてくるものは多い。それだけではなく、相手へ共感を持つことだって出来る。

議論は相手の立場に立って、お互いの妥協点を探るためにある。それなのに自分の立場だけに固執するようでは、問題は決して解決しない。

問題が煮詰まった時は、(嫌でたまらないだろうが)完全に相手の立場に立って一度考えてみればいい。生理的な嫌悪感は間違いなくある。でも、そこを乗り越えた時に、相手をやり込めたい、という欲求よりも、問題を解決していこう、という意欲が湧いてくる。これは不思議なことだが。


5.問題をそれだけで考えず、そこに別の似た要素を付け足してみる
上記記事では、数学の問題を解くにあたっては、対称なものを見つける、という方法を勧められていた。
ここが違う 数学が苦手な人、得意な人の「考え方」 より
ある対象だけ、そこに与えられたものだけで問題解決を図ろうとしてもうまくいかないことがある。それを、たとえば上記の問題ならば、微積の問題として解こうとしても、それが解けるのはよほどの天才にしかできないだろう。

でも、そこに描かれた図形にほんの少し、それとよく似た要素を付け加えるだけで、問題が一気に解決するということはある。

たとえば先日の「尼崎事件」。複数の家族内で歪な支配、非支配関係が生じたのは、閉鎖的な人間関係と尼崎という特異な土地柄による影響が大きかった。

★ 阪神尼崎は治安が悪い?(事件が発覚する数年前、2006年の記事)

この犯罪集団の存在が明らかになったのは、角田一族の支配から逃れた大江家の女性が、兵庫県警を避けて大阪府警に相談したことだった。

まったく同じ警察であっても、隣の府県に相談しただけで、物事は大きく前進した。
「どうせ警察に相談してもとり合ってもらえない」
とあきらめず、少しだけ相談先をズラしただけで、問題は解決する、ということはよくある。多くの問題解決においては、天才的な飛躍は必要ない。

ほんの少し、似ているが別の要素を取り入れるだけで、解決することもあるのだ。

6.逆算で考える
私が以前、「嫌な性格でも成功できる10の方法」に記載したとおり、これは成功する上での最大の秘訣でもある。
彼らに共通していたのは、なにをおいてもこれ。
「逆算思考」です。
目標を念頭に、そこに至るためには今なにをしなければならないかを考える……。
この思考法が、彼らの癖になっています。
目標達成のために、無駄な努力をとことん省き、必要最小限のことだけを行なって、最短距離で到達するのです。
他人よりも早く目的地に到着し、他人よりも早く目的物を獲得し、他人よりも多くの獲物を得る……その繰り返しによって、彼らは他人に抜きん出ることができたのです。
常にゴールから考えて、今の自分の行動を決める……これを習慣化することが大切だ。最初はとても違和感がある。普段の習慣ではない、慣れないことをすると、まず身体が拒絶反応を示す。やる気が失せる。そして、何か必ず行動を阻害する事件が発生する。

それでも、それを乗り越えるなければならない。

今のあなたが、あなたがかつて予想していた幸福な生活を送っていないとしたら、それはあなたが夢見た理想から逆算して、今の自分の行動を定めて実行していなかったからだろう。

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私もふくめて、上記のような考え方をこれまで怠っていたみなさんは、いまだ、幸福な生活を夢見てもがいているところだろう。

幸せになるために、上記のようなちょっとした考え方を積み重ねていくことが大切なのだろう。

これまで苦しんだみなさんにこそ、幸福になる権利がある。そのために、ほんの少しの手間を、惜しまないようにして欲しいのだ。

2013年8月6日火曜日

数学を解くように、日常の問題を解決する方法 上

先日、日経新聞オンラインで、ここが違う 数学が苦手な人、得意な人の「考え方」という記事を読んでおもしろいと思った。記事の主な内容は「数学の問題をどう解くか」なのだが、文中でも何度か言われているように、普段の生活の中で起こる問題を解決する上で、、数学的思考は役立つ。
  1. 因果関係を押さえる
  2. 視覚化する
  3. 帰納的に考える
  4. 逆を考える
  5. 対称性を見つける
  6. ゴールからスタートする
以前、「嫌な性格でも成功できる10の方法」という記事で述べた、成功者のとる方法とも共通しているものがある。

そこで、上記の数学的思考を少しアレンジしたりしながら、普段の生活にいかに応用出来るかについて具体的に考えてみようと思う。

1.十分条件と必要条件を区別する
AならばB(A→B)であるといえても、BならばAとはいえない関係のことをAはBであるための十分条件、BはAであるための必要条件と呼ぶ。
日本語で「必要」というと、「絶対に必要」という語感があるから、範囲が狭く感じられる。それに対して「十分」というと「それで十分」という語感があるから、範囲が広く感じられる。ところが、実際は下記の通り、逆だ。
「それさえあれば十分」という条件の範囲は狭く、「それは必ず必要」という条件の範囲は狭い。
その上、「条件」という言葉も誤解を招く。むしろ「事項」などとした方が日本語の語感と合っているかもしれない。

語感との戦いになるけれども、これを区別できるようになると、日常の問題解決にとても役立つ。

たとえば、友人から「ディズニーランドに行きたい」と言われたとする。その理由が、もしも「あなたとどこかに行きたいから」というものだとしたら、別にディズニーランドにこだわらず、動物園でもいいわけだ。「ディズニーランドに行く」という選択肢にとって、「どこかに行く」という条件は必要な条件ではあっても、全てを満たしているわけじゃない。

ところが、ディズニーランドに行く理由として「エレクトロニカルパレードを直接見たいから」という理由だったとしたらどうだろう? それを見るためには必ずディズニーランドに行かなくてはならない。

よって、「ディズニーランドに行く」という選択肢にとって、「エレクトロニカルパレードを見たいから」という理由は十分な条件であると言える。

でも、エレクトロニカルパレードを見ることだけがディズニーランドに行くための理由ではないだろう。ミッキーマウスに会いたいとか、ホテル・ミラコスタで食事をしたいとか、他にもディズニーランドに行きたい理由としていろいろ考えられる。

エレクトロニカルパレードを見たいという理由は、「ディズニーランドに行きたい」理由としては十分すぎるほどだが、そこまで具体的に絞り込んでいなくともいいのが十分条件。
この区分けは、相手が何かを訴えてきた時に、理由としてあげる条件が、いったいどちらだろうと考えるときに役立つ。

「それって必要条件だから、必ずしもそれでなくてもいいよね」
「十分条件だけど、他にもこんな理由が相手にはあるんだろうな」
などと考えるだけで、相手への理解は深まるだろう。

2.視覚化する
ユダヤ人がなぜあれほど人材を輩出してきたのかを解き明かした好著に『ユダヤ人の頭のなか』というというものがある。

この著者の本を読んで、かなり頭のいい人だという印象を受けた。彼はどのように普段仕事をしているのだろう? という疑問を解き明かしたのが、彼の次の著書『図解主義!』だった。

読んでみて驚いた。こんなことまで図解するのか、というような初歩的なことまで、彼は細かなルールを決めて図に書いて理解しようとする。これが、彼が学んだ物事を理解する方法だというので、拍子抜けしたものだ。

でも、たとえばユダヤ人物理学者のファインマンもそうだった。スペースシャトルが爆発した原因を解き明かすために、模型を使って考えたり、抽象概念を具体的なものへと落としこむのが彼らの流儀だった。簡単な物事ですら、図に書くこと。その癖、繰り返しが、異常なまでの問題解決能力アップにつながるのだろう。

3.具体的な数字や地名、人物名などを当てはめる
「ものごとを抽象的に考えるのではなくて、具体的な例を挙げる」というのは、バカに思われるのではないかと思って、中途半端に頭の良い人はやりたがらない。

でも、抽象的なものを中途半端に理解しているから、誤解が生まれる。具体的な数字や具体的な地名に当てはめたときに、見えていなかったものが見えることはよくある。

たとえば、
「理系出身の政治家がトップに立たたないから日本の政治はダメだ」
という主張を述べる人がいたとして、その理由としてロジカルシンキングの訓練を積んでいることだとか、科学技術に明るいことなど、抽象的な理論をいくらふりかざしても、理解を得られまい。

それよりも、例えば東京工業大学出身の菅直人が原発事故の際に、科学的知識があったために適切な判断ができたことだとか、
東大工学部を出た後スタンフォード大学で博士号を取った鳩山由紀夫が、温室効果ガス削減などの環境問題に積極果敢に取り組み、「鳩山イニシアチブ」と呼ばれる数値目標を掲げて国際社会から称賛を浴びたことだとか、
彼らの成功の具体例を挙げた方が、聞いている方も、
「確かにそうだ! 理系出身のトップがもっと増えれば、日本はもっとよくなる!」
と理解してくれのではないかと思う。


……長くなりそうなので、続きは明日以降に。

2013年8月5日月曜日

雪印牛乳の萌えキャラ・ゆきこたんの写真

土曜日に、雪印メグミルクがコーヒー牛乳50周年販売を記念して萌えキャラを公募しているという記事を書いたけれども、日曜日は外に出るのが億劫で、夕方になってようやく新宿に向かったのっで、結局イベントの肝の部分を見ることは出来ず。

ただ、写真は撮ってきた。




オタクの人達がたくさんいて怖かったです。


ところで、最近ちあきなおみの動画にはまっている。日本歌謡界最高の歌手として、彼女の名前が上がることが多いのだけれども、それも納得だよね。

2013年8月4日日曜日

中国の宴席

中国人の宴席に呼ばれた日本人が大変な目にあった、という話をよく聞く。あちらでは、アルコール度数の高い酒をお互いに飲み干すことが一種のマナーだそうだ。相手に酒を勧められたら、必ず受けなければならない。相手に注がれた酒を飲まないと、相手を侮蔑することになるという。

「これが中国の方法だ」
などと声高に話す人がいるが、それを聞きながら、そうではなかろうと思っていた。あれはそもそも、百姓のマナーが一般化したものだろうと。

「礼記」という、教養人が守るべきマナーを列記した書物がある。そこには、酒は節度を守って飲まねばならぬと書かれ、飲むべき分量も定められている。二千年近くの間、「礼記」を聖典とする儒教が国家の中心的な思想であったから、当然教養ある人々は、酒を他人に無理強いすることはなかったろう。

明代に中国を訪れた西洋人は、中国人の上流階級の人々が酒を飲み干したりせず、小さな器でチビリチビリと飲む様子を記録している。

★ http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/Elib/H35-2/001/003.html

ところが、中国共産党が第二次世界大戦後、政権を執った。彼らは「批林批孔」などと唱えて儒教に批判を加えた。

彼らの出身母胎は農民や労働者たちだ。肉体労働者は、日常の過酷な労働を忘れるために、酒を浴びるように飲む。ストレス解消のために、お互い意識がなくなるまでとことん飲み合う。

へぺれけになって、普段言えないような不満をお互いに言い合えば、醒めた後でも、相手へのストレスが解消される。翌日からの人間関係もスムーズにいくようになる。それが酒の効用だ。

共産党が政権を取り、王朝の風俗を徹底的に破壊して、今の中華人民共和国が誕生した。結果、労働者や農民たちのマナーが一般的となったのだ。

中国式のやり方だからといって、何も数千年の歴史が込められているものばかりではない。ここ数十年の風習を伝統だと勘違いしてはいけない。

それに加え、このところ、強い酒を飲ませ合う宴席が中国の若手IT経営者などはからは敬遠されているというニュースも報じられている。


中国が豊かになり(少し斜陽化しているが)、初代の金持ちの次代に当たる人々が、社会の中心となりつつある。彼らは酒を飲まなくとも、ストレスを感じない。他にたくさんの楽しみがあるからだ。彼らにとって、無理強いされることほど嫌なことはない。彼らが次の中国の経営を担っている、中国名物の酒の強要は、いずれ消えていくのではないか。

こういった動きは、中国を体験した人々が「中国の常識はこうだ」と振りかざす体験談が当てにならないという証左でもある。たかだか宴席の雰囲気ですら、100年前と大きく変わり、ここ10年でさらに変化する。これからだってさらに変化するだろう。

そして、日本人もまた、大きく変わっているのだろうし、それが他国にはなかなか理解してもらえない、ということもあるのだろう。

2013年8月3日土曜日

雪印コーヒー牛乳が萌化、擬人化、そのうえ実体化! 明日8/4(日)新宿駅へ急げ!


「雪印のコーヒー牛乳」といえば、根強い人気を誇る定番商品だ。

パッケージはマイナーチェンジを幾度か繰り返したもののん、味は50年の間、変わらない。懐かしくなってたまに飲むと、むやみにうまい。

今は減糖ブームなので、人工甘味料を利用した飲み物が増えているけれども、人工甘味料は身体に悪影響を及ぼす可能性が指摘されている。それに人工甘味料はエネルギーにはならない。疲れた時には本物の糖分が必要だ。

甘いモノを食べたいと思うのは動物の本能だ。脳活動には糖が唯一の栄養源。だから、本当に甘いモノが欲しいと思った時には雪印のコーヒー牛乳を飲むのが一番だという。

愛され続けて50年、イブシ銀のような魅力のあるコーヒー牛乳を製造販売する雪印が、50周年を記念していろいろなイベントを催すのだという。いいことだ。

でも、そのイベントが商品の"萌化"するとう暴挙(!)だというのだから、穏やかではない。

おいおい、雪印、大丈夫か? 問題ないのか?!

新宿駅の西口と東口を結ぶ地下通路、名称「メトロプロムナード」では、いろいろな企画ポスターが貼られていることで有名だ。ここに、この一週間ほど貼られているポスターが、これだ!
公式ホームページによれば、「俺たちのゆきこたんプロジェクト」と銘打たれたプロジェクトを、雪印メグミルクが主体となって進行中なのだ。

「雪印コーヒー牛乳」を萌え化、擬人化したイラストを公募、7000近いイラストの中から6作品を厳選して、その中からさらに投票によってイメージキャラクターを決定するのだという。

キャラクターがやたらとかわいいところに、雪印メグミルクの本気度を見た。
そして、そのキャラクターが実体化するイベントが明日、8/4の日曜日、11:00~19:00の間に1時間10分、計5回、丸ノ内線新宿駅で開催されるという。

場所はココ。

今回のイベントは東京開催なので、南関東在住者くらいしか参加できないのは残念だけれども、イラストはすでにパッケージ化されて店頭販売されているから、全国のコンビニやスーパーで買える。

全国の萌えキャラファンの皆様、三次元化した"ゆきこたん"を見るために、明日は新宿へ行こう!!