2015年1月14日水曜日

高倉健の愛読書『男としての人生』の最初の部分の概要と感想 3

一昨日に引き続き、木村久邇典著『男としての人生』の内容の紹介と感想です。このネタは今日でおしまいです。

「第3章 男の賭け」の概要

この章で取り上げられた「男」は、『赤ひげ診療譚』の語り手である保本登(やすもとのぼる)と、彼の目を通して語られる赤ひげ・新出 去定(にいで きょじょう)です。例によって章の10ページのうち『赤ひげ診療譚』のあらすじで4ページが費やされています。

『赤ひげ診療譚』 は有名な作品ですので、ご存じの方も多いでしょう。江戸時代、エリート医師の卵が、貧民街で地道に活動する医師のもとで修行を積むうちに、真実の医師道に目覚める物語です。

山本周五郎は反権力志向が強い作家で、宮本武蔵などの歴史上の英雄・豪傑を否定すべきもの・唾棄すべきものとして描きました。そんな山本が、英雄・豪傑を裏返して描いた巷のスーパーマンが新出去定です。『男としての人生』の著者木村は、赤ひげをいつの世にも実在する隣人だと述べています。
『赤ひげ診療譚』の主題――貧困と病苦とに立ち向かうという事業は、人間にとってしょせんは"徒労"に属することなのかもしれない。しかも去定は、その徒労に己を賭けて生きる。徒労の積み重ねの中から希望の萌芽を捜し出そうとする。

また木村は、山本周五郎は、徒労に賭けた男の生き様を称揚し、不条理と闘う市井の人々を賛美していると説きます。

なぜ山本が、徒労だと分かっていてもそれに専念する人々を賛美するのか? それは、世の中では成功する人よりも無駄な人生を歩む人々が圧倒的に多く、それでも真面目に誇りをもって仕事をする大多数の無名の人々によって、この社会は支えられている、という諦観が山本にあったからのようです。



「第4章 男の宥(ゆる)し」の概要


この章では、『藪の陰』と、『ちくしょう谷』という作品の2編が取り上げられます。14ページの章のうち、作品のあらすじに10ページが費やされていました。

まずは『藪の陰』から。

婚礼の日に、藩の財産管理を任されていた安倍休之助は腹部に大怪我を負わされますが、誰に襲われたのか、なぜ襲われたのか、決して語ろうとしません。

どうやらその背景に、藩の公金横領があったらしい、という噂が流れます。

安倍の妻になったばかりの由紀は、実家から離縁を勧められますが、由紀は、
「一度嫁いだ身だから実家には戻りません」
と言いはり、結婚生活を続けることを選択しました。

由紀は勝ち気な性格であり、実家に頼らず、また嫁ぎ先に心配をかけないために、琴の師匠として出稽古に赴いて家計を支えながら、姑にもそのことを内緒にします。そのために姑から疎まれたりします。

報われない苦労を思い、由紀は悲しくて涙をながすのですが、偶然、婚礼の日の夫の重症の真相を知りました。夫と犯人の瀬沼が、夫の部屋で密談をしているのを偶然聞いてしまったからです。

米の投機に手を出して公金を横領した瀬沼が、安倍に罪がバレたことを知り、安倍に闇討ちを仕掛けたのです。安倍はすべてを知りながら、 黙って損失の埋め合わせを行い、ひたすら瀬沼が立ち直ることを願いました。やがて瀬沼は改悛し、懺悔のために安倍のもとを訪れたのでした。安倍は瀬沼のために酒をふるまいたいと、妻に声をかけるのです。

由紀は酒を買いに出かけながら、「人はこんなにも深い心で生きられるものだろうか」と思い、かつて人生を悔やんだ自分を恥ずかしく思う……こういう話です。

次に『ちくしょう谷』。人間が人間をどこまで許せるのかを描いた作品です。

朝田織部は、公金横領が露見することを恐れた西沢半四郎と決闘して殺されました。

織部の弟である朝田隼人は、数日前に兄から、西沢を破滅させずに済む方法を相談する手紙をもらっていました。兄が西沢の罪を許していたように西沢を許そうと考えた隼人は、同時に貧しい人々の教化に尽くすことを決意して「畜生谷」と呼ばれる流人村へと赴任します。

昔、藩の犯罪人である「流人(るにん)」を閉じ込めていた陸の孤島である畜生谷は、今は犯罪者の留置所ではなくなったものの、その子孫が暮らす治安の悪い場所でした。血縁の濃い婚姻を繰り返したせいで障害者が多く、藩に反抗的。

隼人はその中で、人々の教化にいそしみます。ところが同じくこの地方の役人となっていた西沢から命をつけ狙われます。それどころか西沢は、障害者の娘を犯して殺すなどといった狼藉を働きます。

そんな折、村の桟道が崩れたために修理に向かった隼人は、西沢から何度目かの襲撃を受けました。ところが西沢は、はずみで逆に命を落としそうになり、隼人に救われました。ようやく罪を悔やんだ西沢は、隼人に忠誠を誓う、という物語です。

山本周五郎の持論によれば、人間が人間をいったんゆるしたならば、際限なくゆるすべきであり、適度なところで一線を画すという許し方は偽善にすぎない、というものでした。それを具体化したのが『ちくしょう谷』で、原稿用紙百数十枚の中編であるにも関わらず、脱稿までに4ヶ月を要したそうです。

私の感想

『男としての人生』全体を通しての感想です。

私、高倉健をカッコイイと思っていたものですから、彼の愛読書があるときいて勇んで探し求め、ようやくこの本を読んだわけですが、感動するどころか、逆に高倉健に対する評価が下がることとなりました。ああ、これが彼の目指していた境地なのか、と。

もともと、山本周五郎の作品に一時期はまっていたのに、私はあるときを境に、彼の作品から離れました。山本の主張に共感できなくなったからです。

山本の描く人々の姿は確かに美しく思えます。見事だと思えます。しかし、なにか受動的な身勝手さを感じるのです。

たとえば、『ちくしょう谷』では、兄を殺した男を徹底的に許す朝田隼人の姿を描いていますが、結果的に朝田が西沢の罪を見逃したせいで、障害者の娘は惨殺されています。他人を間接的に殺したのと同然です。

西沢は朝田を殺そうとして偶然足をすべらせて危険に陥り、それを朝田に救われて改心しましたが、こんな偶然がなければ決して西沢は悔い改めずに罪を重ねたことでしょう。

『藪の陰』では、偶然夫と瀬沼の会話を聞かなければ、夫の善行を妻は知ることはありませんでした。

善行を誰にも告げずに黙って行ない、ときにそのまま死ぬことすらある人々の良さを、誰かに発見される、というのが山本周五郎の描く人物たちのパターンです。また、悪人の罪を暴き立てるのではなく、自分が悪者となって彼の罪をかばいながら改悛を待つ行為を山本は賞賛します。しかし、それって運任せですよね。

主体的な悪に対して、受動的な善。時間をかけて、善が悪を包み込む。それは一見美しくはありますが、植物的で弱々しい。それに、システムを変えるのではなく、システムの悪いところを温存したまま、自分が頑張ればいつか悪人も立ち直るだろうし、そんな自分を誰かが分かってくれるだろう、という態度は無責任で、必ず結果を出そう、という意思も感じられません。社会を良くしようと動くのではなく、自分が我慢すればいいとあきらめる人々を賞賛しているのでしょうか。

こういう主張が嫌いで、私、山本周五郎の本を読まなくなったんですよね。それを今、思い出しました。

価値観の問題なので、美しい男の生き方をお前は理解していない、と私をお叱りになる方もいらっしゃることでしょう。

また、山本周五郎の良さがお前にはわからないだけだ、とおっしゃる方もいるでしょう。そうかもしれません(いずれ私も考えが変わるかもしれません)。 でも、今はそのときじゃありません。
戦後になってからだが、山本周五郎が『樅の木は残った』で、原田甲斐を"忠臣"として描いたことについて、封建社会で、藩家のために一身を犠牲にする忠義が賛美されている、と論難した"進歩的"批評者がいた。
山本周五郎は直接かれに、それではあなたは、日本に封建社会があったこと、封建社会に生きていた人々の思考態度や、生活態度を、すべて時代おくれのものとして笑殺されるのか――と反論したのを覚えている。
日本に封建時代という時期があったのは、なんびとも否定できぬ歴史的事実なのである。そうした事実を踏まえたうえで、当時の武士や農民や商人が、どのように 人間として誠実に生きようとしたかを、山本周五郎は小説世界のなかで追求しつづけた。(第9章 男の宮仕え『男としての人生』より)
たしかに、封建社会は日本の歴史の一部です。それを否定するつもりはありません。しかし、現代社会に生きる我々は、前時代で評価されてきた生き方をそのまま称揚するよりも、その時代であっても現代に通じる価値観で生きてきた人々を称揚するべきです。それは人類に普遍的な価値観を手にしたと信じる私達の務めのように思います。

そうしますと、悪役となって不満分子を粛清することで、伊達藩存続を勝ち得た原田を賞賛する気持ちに、どうしてもなれないんですよね。

2015年1月12日月曜日

高倉健の愛読書『男としての人生』の最初の部分の概要と感想 2

一昨日に引き続き、高倉健の愛読書『男としての人生』の概要について、書きます……が、15章まであるので、すべてについて説明するのは長すぎるでしょう。

よって、この本について紹介するのは第4章までとします。本日は2章まで。次回、第3章と第4章について紹介をする予定です。



第2章 男の見切り

章のタイトルに「見切り」とつけられているものの、この章で取り上げられた山本周五郎の作品『虚空遍歴』の主人公は、見切ることの出来なかった人間です。
けれどもおれは、自分の浄瑠璃にみきりをつけたことだけは、一度もなかった。誰に悪口を言われ、けなしつけられ、笑われても、自分の浄瑠璃に絶望したことは決してなかった。
という『虚空遍歴』の中の一文が冒頭で紹介されていまず。主人公である中藤冲也は理想の浄瑠璃の創作のために武士の身分を捨て、芸人として身を立てようとして、夢を果たせずに死んだ人物です。

『男としての人生』の著者の木村は、18ページの章のうち作品説明に8ページを費やしています。作品を読んだことのない者にとってはありがたい構成です。

端唄で江戸を魅了した中藤は、浄瑠璃第一曲を中村座で演じてもらい、大成功をおさめます。ところが後になって、その成功が妻の実家である料亭「岡本」のお陰だったためだと知ります。

中藤は本当の実力を試してくて、妻から離れ、上方へと上ります。ところがことごとく失敗、そして失意の底で死んでしまう、というのが『虚空遍歴』のあらすじです。

「ぼくは、新しい小説に取りかかるとき、いつも遺書をかくつもりで机に向かう」という山本周五郎の口癖を紹介した上で、著者の木村は『虚空遍歴』こそが山本の遺書にもっとも近いと断言します。

昭和36年(1961)から38年に書かれた『虚空遍歴』のあとにも、『さぶ』などの有名な長編小説をいくつも山本は発表しています。しかし木村によれば、それらは完熟度は高いけれども、山本周五郎の味である、ねちっこい(いい意味での)脂っこさが抜けているそうです。

『虚空遍歴』が山本周五郎の遺作にふさわしい理由として木村は、山本の持ち味が生かされていること以外に、彼の人生と作品の主人公の姿が重なっていることも挙げています。偶然でしょうが、山本の逝去の様子は、中藤と同じ冬の雪の降る朝であり、その前後の様子は『虚空遍歴』の主人公である中藤の逝去の姿そのままだったそうです。

『虚空遍歴』の主人公の死因は、持病(肺疾患)の悪化です。作曲に行き詰まり吐血しながら、
「真っ暗だ。どっちを向いても真っ暗だ。なに一つ見えない、どこかで道に迷ったんだな」
と呟いて死んでいきます。

愛人・おけいに看取られながら亡くなった後、江戸から三日後にやってきた妻は枕頭で、おけいの唄う中藤最後の端唄を聞きながら、
「いい唄だわ――でもこうなってみると、しょせんうちの人は端唄作者だったのね」
と言い、それに対しておけいは、妻からも理解されない中藤をいたみ、自分だけが中藤の理解者だったと悟って、この作品は終わるのです。

『虚空遍歴』のモデルは、アメリカの作曲家・フォスターの生涯だそうです。山本は『青べか物語』で「わたくしのフォスター伝」と名づけた章を設けてフォスターを描くつもりだったそうです。その計画を変更して、本格的な長編小説として再構成したのが、この『虚空遍歴』でした。

中藤が新婚後に妻を残して上方に向かったのは、フォスターが妻子と別れてニューヨークへ向かったことを下敷きにしています。いずれにしても、自分勝手な個人主義ではありますが、、
だが、自分が好ましいと感じたひとつの仕事に生命を賭けてまで忠実であろうとすれば、あくまで仕事が第一であって、妻子などは二の次三の次の小さな問題にしかすぎないのである。
と木村は自論を展開します。仕事も家庭も両立する人生を「二股膏薬的な処世」と木村は断罪するのです(この辺りから私は、『男としての人生』の著者木村の考え方にも、彼が賞賛する山本周五郎の価値観にも同意できなくなってきました)。

山本周五郎の仕事観は、『虚空遍歴』の主人公らと同様の厳しいものだったようです。
山本周五郎自身も、きよ以前夫人(昭和20年死去)と結婚したときから、起居する家と仕事場を別にするという生活様式をとり、昭和23年からは自宅から2キロ余りはなれた旅館で原稿を書き継いだ。晩年には眼と鼻のさきの本宅にさえ帰るのもまれという独居の生活に入った。

山本は短編小説の名手だったけれども、読切り連載などの制約を一切とらない本格長編小説を描きたいという希望を抱き続け、その結晶が『虚空遍歴』だったそうです。端唄で実力を認められながら浄瑠璃作曲で世に認められたいと願った中藤と、似通っているではありませんか。最期まで自分の才能に見切りをつけずに可能性を模索しようとした気魄に感動してやまないと、木村は中藤や山本を賞賛します。

第二章では、もう二つの作品が紹介されます。『栄花物語』と『正雪記』です。このに作品もまた、己の才能を死ぬ間際まで見限らなかった主人公を描いています。

彼らは門地・門閥を持たなかったために、若いころに屈辱を味わいます。
とくに印象的なのは、紀州侯のまえで講義を行う(由比)正雪の面体をにらみすえた家老の安藤帯刀が、正雪をニセモノだと決めつけ、下郎下がれ! と大喝する場面である。

山本には学歴詐称の癖があったらしいので、似たような屈辱を若いころに味わったのでしょう。

いずれにしても、人生の土壇場まで粘り抜いた人々を山本は愛しており、こうした存念をもって彼の作品を読みなおして欲しい、というのが木村の主張です。

雑感

『男としての人生』は高倉健の愛読書でしたが、その主人公である山本周五郎の座右の書となったのは、ストリンドベリーの『青巻』でした。

どこかで「ストリンドベリー」という名前を聞いたことがあるなと思って調べてみたら、私のブログで以前触れたことのある人物でした。興味のある方は、お読みください。

★ 夫婦が仲良く過ごすために ②

ストロンベリーが『青巻』で最後に述べた
苦しみつつなお働け、安住を求めるな、人生は巡礼である
という言葉に山本は最も感銘を受けたそうです。そして小説家として成功をおさめたのちに、ひたすら小説をかくことに打ち込んだ結果、山本周五郎は最晩年にしんみりと、
「ぼくが書きたいことは、ぜんぶ小説のなかに書いた。頭の中がガラン洞になってしまった」
と木村に語ったそうです。山本周五郎は『虚空遍歴』の主人公と異なり、小説家として大成し、長編小説も短編小説に劣らず評価を受けることができました。

しかし、彼もまた、その最後に虚脱感に悩まされていたとしたら、それは彼の生き方が間違っていたように思うのです。『虚空遍歴』の主人公は、仕事のために人生を賭けたものの、成功せずして悔やみながら死にました。ところが、同じく仕事に人生を賭けた山本周五郎は、成功をおさめたにも関わらず、晩年を虚しいまま死んだのです。

つまり、家庭を犠牲にして仕事に人生を賭けたこと自体が間違っていたのではないか、木村が罵倒した「二股膏薬的な処世法」こそが、悔やまない人生となったのではないかと思えてならないのです。

2015年1月10日土曜日

高倉健の愛読書『男としての人生』の最初の部分の概要と感想

昨年11月10日に亡くなった高倉健が生涯愛読した本があります。グラフ社発行、木村久邇典著『男としての人生』です。副題は「山本周五郎のヒーローたち」となっています。

一度絶版となったのちに、若干の手直しをされて『山本周五郎が描いた男たち』というタイトルで平成22年(2010)再発行されたようですが、こちらも今は絶版、両者ともに読むのが大変困難な状況です。

先ほど確認したところ、『男としての人生』はヤフオクにすら出品されていません。『山本周五郎が描いた男たち』はヤフオクで99,700円の高値をつけていました。

グラフ社も緊急出版すればいいと思うのですが、難しいのでしょうか……。

先日たまたま本を読む機会がありました。内容を知りたいという人は多いことでしょう。せっかくですから、最初の方の内容を、簡単にご紹介しようと思います。

まずは筆者の紹介から。木村久邇典氏は大正12年(1923)生まれ。刊行当時別府大学教授。山本周五郎研究の第一人者でしたが、惜しくも平成12年(2000)に亡くなっています。

刊行は昭和58年(1983)。山本周五郎が亡くなって16年後に書かれたものです。

まずは、序章にあたる「はじめに」の概要です。

はじめに

木村氏は、批評家達の通念となっている、「山本周五郎は女性を描くのが得意な作家」という認識に対して、少し違うのではないか、と疑義を呈することから、筆を起こしています。

山本周五郎は女性の間で人気がある作家でした。また、女性造形に抜群の技量も持っていることでも定評がありました。それに異を唱えるつもりはない、しかし、彼は女性を造形することで男を描きだした作家だったことも指摘したい、と言うのが前書きの本旨です。この主張がタイトルにつながっていきます。

山本周五郎が描く男性群像は、「こうありたい」と彼が望む理想像だったのだろう、とも。これが、「はじめに」の概略です。

つづいて、「第1章 男の忍耐」の概要に移ります。


第1章 男の忍耐

その前に、若干のお断りを先に行います。文中の人物の呼び方についてです。

時代物の登場人物の呼び名は、今と違って苗字か官位で呼ばれるのが普通です。この第一章で出てくる伊達兵部少輔宗勝(ひょうぶしょうゆうむねかつ)を、下の名前・諱(いみな)「宗勝」で呼ぶ人は、彼の存命当時にはいません。友人などの第三者が彼を呼ぶとしたら、「兵部」、あるいは「伊達どの」といったところでしょう。今の日本で苗字ではなく「課長」などの役職で人を呼ぶ会社が多いのは、その名残です。

『男としての人生』でも、人物を官名で呼んだりしていますが、逆に今は分かりにくい。そこでこの記事では基本的に苗字で、同姓の登場人物がその章に多ければ、混同を避けるために諱(いみな)で呼ぶことにします。


さて、第1章です。

まず取り上げられたのは、山本周五郎の最高傑作と言われる『樅ノ木は残った』。伊達騒動を描く作品で、NHKの大河ドラマの原作となったこともありました。

主人公は、国家老の地位にあった原田宗輔(むねすけ)。

舞台は東北の名門、伊達家家中。伊達政宗の末子・伊達宗勝は、徳川幕府の老中・酒井忠清(ただきよ)と組んで、伊達家62万石を分断、30万石を自分のものにしようと画策します。幕府にとってみれば、力のある大藩の力を削げるのですから、他藩の内部紛争は願ったり叶ったりです。

原田は宗勝と酒井が密かに裏で手を握ったことを知り、酒井らが仕掛ける伊達藩中のさまざまな騒動の種を、すべてもみ消していきます。最終的ににっちもさっちもいかなくなり、幕臣としての面目も潰された酒井は、自邸に原田ら伊達藩の4人の重役を呼びつけ、殺してしまい、これまでの口封じを図ろうとしました。

そこに到着した将軍側職の久世に対し、原田は死にかけながら、
「自分が乱心して仲間を殺したことにして欲しい」
と頼みながら死んでいきました。

江戸時代の刑罰は、一方だけが悪くとも「喧嘩両成敗」が基本。自分らを酒井が殺したことがばれれば、もちろん酒井は罰せられるでしょう。しかし、同時に伊達藩も相当のダメージを得ることは必至。伊達家のお家騒動がそもそもの発端で、酒井は巻き込まれた側。場合によってはそれを口実に伊達藩は取り潰されるでしょう。

結果的に原田一人が罪をかぶり、伊達62万石はそのまま存続しました。しかし伊達藩は、原田の所領を没収し、家族一同皆殺し、家名も断絶させました。

ここまで『樅の木は残った』の内容について詳細にこの記事に記せるのは、第1章15ページのうち、『樅の木は残った』の解説に8ページも割かれているからです。

次に、木村氏が書いた、『樅の木は残った』のあらすじ以外の部分について。第一章の冒頭で著者の木村氏は、あらすじを紹介する前に、山本周五郎の次の言葉を紹介しています。
日本人という国民はよろずにつけて辛抱が足りない、粘り強さに欠けている、諦めが早い。熱しやすく冷めやすい。これではいけないね、と山本周五郎が云った。
また、山本はこうも語ったそうです。
三十年戦争、百年戦争をはじめ、第一次、第二次世界大戦のように、血みどろになってトコトンまで闘う。戦ったのちのちも遺恨は決して消えない。ヨーロッパの闘争にはそういうねちっこいところがある。僕は戦争の賛美者ではないが、西欧人のあの執念深さは学ばなければなるまい、と信じている。なぜなら執念がなければ文化は生まれないからだ。
山本周五郎は日本人に対して随分批判的だったようです。終戦後まもない当時の文壇の風潮でもあります。山本は、日本人の軽薄な国民性からはロクな文学が生まれないから、自分が頑張り通す人間を描いてやると意気込んで数々の作品を発表し続けたのだとか。かなりの自信家です。

その彼の自信作が、この『樅の木は残った』でした。

「伊達騒動」は、江戸時代の歴史に関心のある人にとってはよく知られた事件です。ただし史実によれば、主人公の原田の乱心が真実として伝えられています。ですから、藩の存続を願ったために原田が汚名を着たのだ、という山本流の解釈は社会に大きな驚きをもたらしました。

このおかげで山本周五郎の周りには、歴史の常識に敢えて意を唱えた勇気を讃えたり根拠を正したりする人々が増えたようですが、彼はそれに警鐘を鳴らします。講演で、歴史の常識に異説を唱えることが目的ではなく、平凡人が大事件に巻き込まれながら、一個の人間として誠実に生きようとした人間態度を描きたかっただけのだと説明しているそうです。

また、主人公・原田と、ヒロイン・畑宇乃(はたけうの)との間のプラトニックな恋愛が本当のテーマだ、などとも主張しているそうです。

これに対して『男としての人生』の著者・木村は山本の主張を肯定しつつ、山本周五郎の履歴を振り返りながら、原田が山本の理想の一つなのだ、と説きます。原田は挫折したけれども、執念と忍耐で悲劇的な人生を生き切った、このような人物に、山本は憧れていたに違いない、と結論づけるのです。

ここまでが第1章の内容です。

【私の雑感】

山本周五郎は、下克上だとか理想に国作りだとか、大上段な理想の実現に奔走した人々を書くのを好みません。むしろ、大きな理想の実現のために無理難題を持ち込まれた人々が、それに対抗して、お家存続だとか家庭の平穏だとか、小さな理想を守るために努力する姿を好んで描く作家でした。

それが当時人気となったのは、第二次世界大戦に翻弄され、逃れられない大きな宿命の中で、それでも自分なりの信念を守り通そうとした悲哀を多くの人が共有していたからでしょう。

ところが今は違います。国家の意思に人々が翻弄されることは少なくなりました。それよりも大きな影響を与えるのは時代の風潮です。また、平穏な日常の繰り返しに嫌悪感を感じる若い人々も大勢います。

彼らからも山本周五郎は支持されるのでしょうか。『男としての人生』が絶版になった理由が、段々と見えてきたような気持ちに、第1章を読んだ後になりました。




 こんな調子で、あと一章ほどを後日紹介してみようと思います。