2014年6月3日火曜日

アンジェリーナ・ジョリーの『マレフィセント』が好発進中

女優であるアンジェリーナ・ジョリーが主演している映画『マレフィセント』が、北米映画興行収入で初登場1位となったそうです。
[ロサンゼルス/ニューヨーク 1日 ロイター] - 映画各社や調査会社レントラックの推計に基づく5月30─6月1日の北米映画興行収入ランキングは、 米女優アンジェリーナ・ジョリー主演のディズニー映画「マレフィセント」(日本公開7月5日)が7000万ドル(約71億円)で初登場首位を飾った。
この映画を配給しているのがディズニー社です。ディズニーは現在上映中の『アナと雪の女王』でも観客動員数を順調に伸ばしています。今年はディズニーの当たり年といえそうです。

ところで、主演のアンジェリーナ・ジョリーが、最近卵巣の全摘出手術を計画しているそうです。下記の記事は、2013年5月16日のもの。

★ 乳房切除のアンジェリーナ・ジョリー、次は卵巣摘出を予定
先日、予防的乳房切除手術を受けていたことを明かした女優のアンジェリーナ・ジョリーが、次は卵巣摘出手術を受ける予定であるとPeople.comが報じた。
アンジーは14日にNYTimes.comに寄稿したエッセイで、がん抑制遺伝子の「BRCA1」に変異があり、乳がんになるリスクが87パーセント、卵巣がんになるリスクが50パーセントと診断されていたと公表。
医学の発展により、遺伝子を調べれば将来罹患する予定の病気がわかる時代となりました。とはいえ、彼女の決断には多くの人が抵抗感をいだいているようです。将来に死の確率が高くなるとはいえ、今うまく機能している健全な臓器を事前に取り除くのは、行き過ぎじゃないの? と。

たとえば将来、私の足に悪性腫瘍ができる可能性が8割あり、そのために死ぬ可能性が高いとしても、今、自分の足を手術で取り除こうとするだろうか? と自問します。取り除きたいと思うのか? 私だったら、否です。

将来の確率がどれほど科学的に証明されようとも、早期に切り捨てて臓器の一部を失ったまま生きるべきか、ガンが発生する可能性に用心しながら、それでも自分の一部だと考えて大切にしながら質の高い人生を送るべきか。これは難しい人生の選択です。

彼女は様々な慈善活動にも熱心だそうです。多くの人々に愛を降り注ぎつつ、冷静に将来の不確実性を取り除く冷静な人物なのだろうか? と思いながら、さらに情報を仕入れていくと、そういうわけでもないことがわかりました。

彼女は14歳の頃から恋人と刃物で傷つけ合う趣味があったことなどをインタビューで答えています。また、体中にタトゥーがあるということも知りました。

彼女の数々なエピソードを調べるうちに、どうもちぐはぐな印象を受けます。なにか、異常な人が、無理して正常な人を装っているような。そうしますと、今回の手術も勇気ある決断というよりも、ややおかしな人が時折見せる、妙に人間味のない冷酷さと考えるほうが正しいのかもしれません。

今現在正常なものであっても将来のことを考えて切除することが正しいと思う価値観からは、犯罪を犯す確率が高い人物を今のうちに排除することを正当だと考えるあやうさを感じます。多くの人がアンジェリーナ・ジョリーの今回の決断に忌避感を覚えているようですが、そのあたりが原因ではないかな、と。

もっとも、彼女の性格がどれほど異常だとしても、正常であろうとして頑張っているのならば、それはそれとして応援していくべきだとは思いますが。


2014年6月2日月曜日

凶悪事件の被害者遺族の方々の告白を読んで考えたこと

長崎県佐世保市で2004年に起こった「佐世保小6女児同級生殺害事件」は衝撃的だった。

1997年に起こった「神戸連続児童殺傷事件」では、14歳のような子供が残虐な殺人を犯しうるということを知ったことが衝撃的だったが、この事件の主役は小学生であり、しかも女の子だ。"聖少女"という言葉もある通り、少女にはどこかはかなげでかよわく、純粋なイメージがある。そのイメージが打ち砕かれ、なんとなく感じていた信頼感が根こそぎ奪われ、喪失感に襲われた。

事件被害者の少女・御手洗怜美さんの兄と父が、殺人事件の被害者の立場から講演を行ったという記事を、その時の衝撃を思い出しながら何度か読んだ。

★ <佐世保女児殺害>「子供の将来を守りたかった」(被害者の父と兄が語る10年・上)
現在大学生の次兄が、公の場で語るのはこれが初めてだ。怜美さんから相談を受けていたという次兄は「なんてアドバイスしていたら良かったんだ」と自問自答していたことを告白。「他のことにまったく手がつかなくなった」と、事件後の苦悩の日々を振り返った。
凶悪事件の被害者やその遺族に、誰もがなり得る可能性がある。日本では欧米に比べ、まだまだ、被害者救済のための対策が遅れているという。その中で、遺族の方が自ら名乗りでてくれた。彼らに何が必要かについて、考えることができるという点で、彼らの言葉を聞く機会は、大変貴重だ。彼らの勇気に感謝したいと思う。

ただ、記事を読んで、被害者のお兄さんの結論に少し違和感をもったので、それだけ少し、述べたい。

被害者のお兄さんは、カウンセリングを受けてもアウトラインを問われるばかりで、細かいところを聞いてもらえずに、気持ちが楽になることは決してなかったという。だが、数年後に事故について新聞記者から事細かに聞かれたことによって気持ちが整理できたそうだ。

これは遺族自身でないと分からないことであるから、とても貴重な意見だとは思う。

ところが、これが一般的なものであるかのように、お兄さんは結論づけている。
問いかけが大事ですね。「周りから見守りましょう」だけでは、治りません。仕事としてきちんと入り込めるプロならば、信頼関係を作ったうえで、きちんと気持ちのなかに入るべきだと思います。
お兄さんにとってはそうだったのかもしれない。しかし、逆の人も多くいるだろうと思うのだ。

たまたまお兄さんの周りには、彼を気遣って事件について触れない人が大勢いたのだろう。それが逆にお兄さんを疎外してしまったのは間違いない。

だが、他の凶悪事件の被害者遺族の中には根掘り葉掘り事件について聞かれて、語ることに辟易している人もいるだろう。その人々にとっては、少し距離をおいて見守ってくれる人の存在が、心の癒やしとなる、という可能性だってあるはずだ。

いろいろなアプローチを続けていくことが大切ではあるが、そのアプローチが遺族の心根をえぐるような、忌まわしいものとなる可能性だってあるだろう。人間は本心を語らない。今回のお兄さんの告白だって、語っている内容のすべてが、彼の本心とは限らない。心は常に変化し続ける。何がその人にとっての救いとなるのかは、誰も分からない。

こういうことを考えながら、被害者遺族の兄と父の告白を読んだ。

たぶん、凶悪犯罪被害者遺族へどのように対応すればいいのかについては、これまで様々な研究があり、その結果を踏まえた対応だったのだろう。だが、マニュアル通りの対応では、彼らのようにこぼれ落ちてしまう人々がいる。

決まりきった方法では、すべての問題を解決できることはない、マニュアルはあくまで基本であり、それをいかに応用して、逸脱をすくい取るのかが大切であるように思われる。

2014年6月1日日曜日

対処療法は根本的な解決をはばむ――セウォル号オーナー一族からの財産没収検討

韓国のセウォル号沈没事件の余波は、いまだとどまることを知りませんが、先日気になるニュースが飛び込んできました。

★ 会長一族の全財産240億円没収へ 検察、不法利得と認定
 韓国旅客船セウォル号沈没事故で韓国検察は29日までに運航会社、清海鎮海運会長の兪炳彦容疑者=背任容疑などで指名手配中=と家族ら3人が持つとみられる財産総額約2400億ウォン(約239億円)を背任や横領による不法利得と見なし、刑事責任を問う形で全額没収する方針を決めた。
私が高校生の頃だったでしょうか。夜、ラーメンを食べていると、逮捕された盧泰愚元大統領の囚人服姿がテレビに映り、それを観ていた隣のサラリーマンが、
「韓国はすごいな。大統領が逮捕されるんだからな。しっかりしているよ」
と、同僚に話をしていたシーンが、深く記憶に残っています。

私を含む多くの日本人もそう思ったでしょう。田中角栄が収賄容疑で起訴されながら、収監されないのに比べると、潔いなと感じました。

ところが、今回のこのニュースを聞いても、スカッとするのは一瞬だけ。富豪一族の全財産を没収しても問題解決につながらならないことは、大統領を逮捕し続ける韓国の現状を知りますとよく分かります。同じ過ちがまた、繰り返されるのではないでしょうか。

韓国は中国王朝の政治風土の影響を強く受けました。中国では、科挙で選ばれた官吏が領民から賄賂を受けるのはおかしなことではありません。もちろん公式には否定されています。しかし、日本で速度制限が60キロでも10キロオーバー程度なら許されたり、麻雀屋で賭け麻雀が黙認されているようなもので、賄賂による蓄財は、当然の権利だというのが中国の政治風土です。

そして、一人が官吏になれば、一族郎党はそのおこぼれを預かります。当然の権利であり、官吏になった人間にとっては、親戚縁者の世話をするのが義務です。

本来ならば禁止されていることが堂々と行われ、当局はそれを半ば黙認している……この曖昧さが、儒教文化圏では政治の安定を生んできました。

……というのは、誰もが何かしらの法律違反をしているので、もしも当局に反抗的な態度を取ったのならば、これまでお目こぼしされていた法律違反を検挙するだけでいいからです。ですから、時の政権に誰も強硬な態度は取れず、だらだらとした改善のみが行われることとなります。

こうして溜まった膿を、事件が起こるたびに吸い出すのは、単なる対処方法で、根本治療になりません。膿ができるたびに、おできをメスで切り取るのは爽快でしょうが、根本治療を行わなければ、再び皮膚に疾患が出てくるでしょう。それを防ぐためには運動したり生活習慣を見直したりすることが人間にとって必要なのと同じように、社会にとっても教育制度を含めたシステム全体の改善が必要なのは、論を待たないところです。

ではどうするか?

その解決方法はすでに明らかになっています。法治主義により、人間の恣意的な判断を極力排除していくことです。法治主義には形式主義にとらわれて正義が無視される、という危険性もありますが、社会をよりよくしていくために、規則を明示化し、それを誰もが守るように社会全体で努力を積み重ねていくことは、恣意的な行政よりも社会全体の幸福度が上がる方法なのは明らかです。

その観点からしますと、今回のように、過去の不正蓄財の可能性を理由に財産没収するなどの方法は下策といえます。誤った社会システムが温存されるだけでなく、そこでスカッとしてしまい、今後の、何年にも渡る継続的な改革へのエネルギーが奪われてしまうからです。

韓国は、日本との政治軋轢を理由に、対馬で数百年もの間祀られていた仏像を未だに返還せず、それを当然のことだとして自国民の溜飲を下げさせています。このポピュリズムの行き着く先が、度重なる最高指導者周辺の違法行為であり、大規模災害時の不手際となります。

スカッとするのは小説やスポーツの中だけの話であり、現実でスカッとするようなものには、なにかおかしなところがあると、考えた方がいいでしょう。