2014年6月16日月曜日

行動せよ、意識せよ

ムカデに歩き方を尋ねたら、ムカデが歩けなくなったという小話がある。出典はマザーグース。イギリスに古くから伝わる童謡だ。
A centipede was happy – quite!
Until a toad in fun
Said, "Pray, which leg moves after which?"
This raised her doubts to such a pitch,
She fell exhausted in the ditch
Not knowing how to run.
ムカデは幸せ。ヒキガエルがからかって尋ねるまでは。
「教えてください。どの足がどの足の次に動くのか?」
どう動かせばいいのか、ムカデは悩み、
身動き取れずに溝にはまって衰えた。
歩き方がわからなくなって(拙訳)。
百足のジレンマ」として名高い話なので、聞いたことがある人が多いかもしれない。

上述のエピソードから、様々な寓意を得られるだろう。全体としてうまくいっていたけれども、部分部分を意識してしまうとうまくいかないという教訓を得る人もいるだろうし、考え過ぎると身動きがとれなくなる時は、考えずに動け、という話だと捉える人もいるに違いない。

いずれにしても、ムカデが歩き方を意識したことが過ちの基である、という認識の点では共通しているが、もしも、ムカデが「意識して」歩くことができたら、どうなっただろうか?

……彼女は悟りを得たかもしれない。

「瞑想」が欧米で注目を集めている

これまで宗教……主に仏教の範疇だった"瞑想"の科学的な効用が、脳科学の発達によって、明らかになり、欧米では空前の瞑想ブームだという。

無論、数十年前から瞑想の効用を科学的に証明しようという動きは日本でもあったのだが、脳機能改善の根拠が脳波しかなく、訴求力は弱かった。

「瞑想をしたらα波という脳波が現れるようになりました。これはリラックスしたときによく出てくる脳波なんですよ」
と説明されても、今ひとつピンと来ないし、それがどう役立つのか、分かりにくい。

ところが今は、MRIによって、脳の活性部位がミリ単位で分かるようになった。瞑想したグループとしないグループを比較する統計手法も開発された。こうして、科学的に瞑想をとらえ、効果を明確に論じられるようになったのだ。

その結果、瞑想が脳に驚くほど良いことが明らかになり、Googleの社員教育プログラムに利用されている。Googleの見事な世界展開――あれだけの規模を誇りながら、この数年システム障害をほとんど起こさず、ミスらしいミスがほとんどない――を支えているエンジニアたちの質は、瞑想によって担保されている。

日本ではオウム真理教、中国では法輪功が邪教と認定されたこともあり、東洋では現代的な仏教理解に批判的な人の割合が多く、ために瞑想の実践という点で、東洋が西洋に遅れを取る時代となった。

しかし上記の通り、瞑想の効用は科学的に認められており、精神の改善にも大きく役立つ手段の一つなのである。

瞑想手法の一つ

そして、瞑想の方法の一つには、歩く瞑想というものがあるのを、ご存じない方が多い。

座禅に慣れ親しんだ人は、瞑想は座ってするものだ、という固定観念で縛られている。
だが、瞑想の本質は、自分の心をみつめ、無意識と理性を強力にコネクトすること。
座ることにこだわる必要はない。

中沢新一の『チベットのモーツァルト』の中に、チベットでは荒野をひたすら歩いて瞑想をする僧がいて、非常に優れた悟りを得るという挿話が出てくる。

歩く、あるいは走っている間、修行僧は無駄なことを一切考えない。歩く、あるいは走るという行為にひたすら意識を集中するという。普段無意識にしている、関節を曲げ、筋肉に力を込め、足を持ち上げ……といった一つひとつの動作すべてを、意識して行うのだという。

2つを合わせる

無意識の行為を意識して行うことで、精神のレベルアップを図ることができるというのならば、百足のジレンマと、歩く瞑想の話の2つを合わせることで、どのような示唆を得られるだろうか?

考えすぎると身動きが取れなくなる。まずは考えずに動くことが大切だ。動きながら、動いていること意識する。「認識する」と言い換えてもいいかもしれない。

考えて身動きが取れなくなるなら、まず行動。行動を客観的に認識しながら、突き進む。考えずに、感じるのだ。その果てに、大きなブレイクスルーが待っているということだろう。

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