2012年5月13日日曜日

渡邉恒雄と『キッズ・リターン』 前編

『渡邊恒雄 メディアと権力』 (講談社文庫)でナベツネが語るところによれば、彼は入社時から権力志向が強く、出世するために戦略を立てて、行動していました。その方法が、「フラクション戦術」と呼ばれるものです。
渡邊恒雄 メディアと権力 (講談社文庫)
この戦術は、彼が東大生のときに共産党員獲得手段として取り入れ、大成功をおさめたものの応用です。共産党という身分を隠して団体や組合に入り込み、密かに共産主義者を増やしていく手法ですが、それを自分の出世のために使うのです。
「新聞社で政治部長になる前に何人ぐらいの仲間をつくるか。たとえば十人子分をつくれば、政治部は好きなように動くわね。仲間をつくるにはまず会合することだ。研究会やダンスパーティーなどあらゆる会合で人の輪をつくっていく。政治部時代だって僕の家で十数人が毎土曜日集まって、政治の研究会や英会話の勉強会をやっていた」
渡邉恒雄の評伝『渡邊恒雄 メディアと権力』 (講談社文庫 P100 L2)
グループ活動が好きな男とはいえ、ペーペーから毎日のように会合を開き、たくさんの仲間を集めたというのですから、大したものです。

「一緒に飲もう」

と誘われても、人望がなければ人は集まりません。人望があっても、費用がかさめばそのような会合に段々と人は集まらなくなります。会費制だったのでしょうか? いや、そんなケチなことをしていては仲間を増やす、という目標を達成できないでしょうから、ある程度、彼の手出しだったのではないかと推測します。

彼の家庭は金銭的な余裕はありました。彼が8歳の頃に亡くなった父親は、元銀行員。戦前の銀行員ですから、今以上のエリート中のエリートといえます。亡くなった時にはすでに都内に11軒の貸家を所有していた資産家です。裕福という以上の家庭であり、戦後の高度経済成長期には土地はかなりの値上がりをしたでしょうから、彼の自由になる手元資金も、潤沢にあったはず。

同僚と自宅で毎週パーティーを行い、部下を毎週のように飲み食いに連れ回したりする余裕は十分にあったでしょうから、実家からの援助もあったのではないか、というのが私の推測です。

ここで、ふと頭をよぎったのが、北野武(ビートたけし)監督の『キッズ・リターン』という作品。
2人の青年の挑戦と栄光、そして挫折を描いた素晴らしい青春映画です。



内容を知っている人も多いでしょう。

高校時代の親友2人が、ボクサーとヤクザという2つの異なる道を歩みます。お互いに刺激を受けながら、それぞれの道でトップをつかもうとあがく2人。栄光をつかんだのは一瞬、周囲によって足を引っ張られ、挫折を味わい、二人共身体をボロボロにしながら転落していく、という物語です。

(この項、明日も続きます)






本日気になった記事はこちら。↓

★ 一瞬でなまけ癖をなくす方法
怠け癖をなくす方法、というと、やれメモを常に持ち歩くとか、友人に今日の予定を宣言するとか、目標を紙に書いて壁に貼り付けるとかを想像するでしょう。しかし記事に書かれているのはもっと簡単な方法です。

脳の働きが抽象的なものにピントがあっている状態ではヤル気を持続することができず、具体的なものやことにピントをあてていると、ヤル気が湧いてくるのだそうです。


★ 読めば納得、早起きは三文の徳!ホントに凄い理由とは。
どのようなすごいことが書いているのだろうと期待していたところ、見事に裏切られました。このブログを書いている松島宏和という怪しげな人間のプロフィールを確認しましたが、経歴までうさんくさい。若い世代からも、こうやって次々に怪しげな人間が湧き出てくるものなんでしょうか。


★ 遂に人間の目をサイボーグ化することに成功! 失明の治療成功は世界初!
視覚情報を電子情報に置き換えることに成功したそうです。まだまだ見える画像は荒いようですが、実験に協力してくれる数々のモニターのお陰で、少しずつ医学は進歩していくのでしょう。

学生時代から新社会人時代にかけて、毎日のように自転車に乗っていました。当時はどこに行くにも自転車でした。その頃を思い返すと、この記事で主張されている説は、間違いありません。

当時、私は勃起不十分に悩まされていました。そういう行為にいざ挑もうとしても、途中で必ず元気がなくなってしまうのです。その頃は、緊張しているためだろうと自分を慰めていました。でも、この話を読んで、理由がわかった気がします。

今? ありがたいことに、自転車に乗っていないせいか、すこぶる快調です。


★ 高専柔道は強かった - medtoolzの本館
「高専柔道」の存在を知らない人も多いでしょう。柔道の総本山といえば、講道館であることをご存知の方も多いと思いますが、昔は講道館だけが柔道界を担っていたのではなく、高専柔道という学生柔道が、柔道界の動向を左右していたそうです。

今で言えば、プロ野球と高校野球の違いに当たるのかもしれません。同じ競技ではあっても、お互い独立した機関として、時に協力、時に反目する、という関係だったのでしょう。

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