2012年9月2日日曜日

2万人のファン獲得を目指す

初版として印刷する場合の最低部数は、3,000部だと言われています。出版してもらう場合、最低でも3,000人から買ってもらえるだろう、という見込みが立たないと、本は出してもらえないということになります。

それならば、絶対に本を買ってくれる3,000人の固定ファンがいれば、本を出版し続けることは必ずできる、ということになるでしょう。

これは、以前出版社に勤めている知人から聞いた話です。ただ、3,000人の固定ファンだけでは、副業程度の収入程度だろう、生活がようやくできる、という最低ラインだろうと私は考えました。

なにしろ、1冊1,000円の本を3,000人が買ってくれたところで、作家に入る収入は、印税率が10%だとして30万円です。一ヶ月の月給程度ですから、毎月一冊本を出版しないと、家庭を維持することは難しいでしょう。

実際は、3,000人の固定ファンがいれば、浮遊ファンがそれ以上にいるわけですから、書店に並べばそれ以上の人たちが買ってくれます。とはいえ、どの程度の固定ファンがいれば、ある程度余裕をもって言論活動を行なっていけるのだろうと考えていたところ、「2万人の固定ファンがいれば好きなことができる」 という記事に出会いました。

インタビューを受けている東浩紀は、哲学者としての言論活動をここ数十年続けています。それが可能となるのは、彼の論文を面白がってお金を払って読んでくれる、固定ファンがいるからですが、彼は今回新しい書籍を自社出版する上で、20,000人の固定ファンがいれば、事業を回していける、という手応えをつかんだようです。

これは具体的で面白いと思いました。組織は闇雲に大きくすればいいものでもありません。肥大すると、今度は組織を維持することが目的となり、しかもいろいろな利害関係者が関わってくるために、言いたいことが自由に言えなくなってしまいます。

言いたいことを言い、それで生活を維持し、なおかつ自由でいられる……その最低ラインが、20,000人か……具体的な数字を提示されると、目標となりますね。

個人事業を営む方も、このブログをお読みになる人の中にはいらっしゃるでしょう。その方々は、とりあえず、20,000人の固定ファンを作ることを目指して活動をするというのも面白いと思います。



本日読んで、気になった記事はこちら。↓

2012年9月1日土曜日

鏡の中のネット乞食と河原乞食

数年前、ネット界では有名なpha氏がテレビに出た時に、ビートたけしなどが「働けよ、馬鹿野郎」とつっこんでいたのに、猛烈な違和感を覚えました。


pha氏は大学を出た後IT企業に勤めていましたが、会社勤めが肌に合わなかったために退職して、あとはニートとしてダラダラと生活をしているという御仁です。

彼の名前を有名にしたのは、なんといってもホッテントリメーカーでしょう。このブログ記事のタイトルも、ホッテントリメーカーで作りました。

phpというプログラミング言語に造詣が深く、誰でも自由に楽しめるソフトを提供しています。ところがそれだけの技能がありながら、仕事をせずにニートとして暮らす、というライフスタイルを送っているため、多くの人々から、憧れと批判を同時に集めています。

彼のホームページには誰でもがコメントを残し、基本削除がされないので、「働かないで暮らそうとするとは何事だ」「無職を推奨するな」という批判が彼のホームページに数多く寄せられているのをそのまま見られます。こういう清濁併せ呑むところも、彼の魅力の一つ。

彼が生活の糧にしているのは、勤めていた時の貯金の切り崩しと、アフィリエイト収入、それから時々人から寄付される寄付金のようです。

「たけしの日本のミカタ」は、そんなpha氏を特集したもの。彼の生き方をテレビタレントたちもまた批判しています。しかし、私は「あんたらには言う権利ないだろ」と突っ込んだものです。

彼らタレントと、pha氏、テレビとネットの違いがあるだけで、あり方としては、ほとんど同じなのですね。

タレントは、おしゃべりや、生き方、日常生活、ゴシップ、たまに芸をテレビで放送することで、収入を得ています。同じように、pha氏などのネット著名人は、ネット上で様々なサービスを提供し、いろいろな話題を提供しています。それならば、その代償として人々から寄付金を募って、何が悪いのでしょう?

彼らの寄付金募集行為を「物乞いと一緒だ」と批判する人が相当数いらっしゃいますが、物乞いを職業として成り立たせたのが、芸能界ではないのでしょうか。

テレビタレントなどの芸人は、昔の汚い言葉で言えば「河原乞食」になります。河原乞食とは、河原のような共有地に掘っ立て小屋を立てて、芸能を披露していた昔の芸能人を揶揄する言葉です。

彼らは木戸賃(入場料)や投げ銭(舞台に向かって投げるおカネ=寄付金)で生活していました。それが今ではまっとうな権利として認められるようになりましたが、大昔の価値観で言えば、虚業の最たるものでしょう。

ものごとの本質が同じなのに、綺麗な服を着ていれば、それがまっとうなものだと思い込み、pha氏のように薄汚いかっこうをしていると、なにかうさんくさいもののようにみなす。馬鹿馬鹿しい話です。

それにしても……昔のたけしならば、pha氏のことを、
「こいつらのことはみんな批判するだろうけれど、実はおいらたちと同じなんだよね。おいらたちはテレビで馬鹿やってカネもらっているけれど、彼らはネットでカネもらおうとしているだけ。phaさんも芸があるわけだし、これからはこれがトレンドかもしれんね」

というようなコメントを出していたと思うのに、彼の感性も、年を取って鈍ってしまったのでしょう。

ちなみに数年前になりますが、pha氏の住むギークハウスに、一度お邪魔したことがあります。品のいいインテリアでまとめられていて、雑然としているけれども決して汚くない部屋に、予想を裏切られました。たぶん、そこに通う女性たちの趣味なのではないでしょうか。

pha氏の隣には同じ大学の後輩と思しき女性がいて、うろうろとするpha氏の後にチョコチョコと追いすがっては、いろいろと話しかけていたので、当時彼女のいなかった私は、(リア充爆発しろ!!)と腹の底で思いながら、なにか、裏切られた気分に陥ったのを覚えています。

その日は、東大大学院で情報技術関連を学ぶ人々が集まっていて、Rubyというプログラミング言語を使った、技術の情報交換をしていました。

「これを利用すれば、mixinには、ログインしなくても中の情報が読み取れるんですよ!」

と言いながら、実際にログインせずにmixiにアクセスしている様を見ていた私。
(これって犯罪に近いよなぁ)
という抵抗感を覚えつつ、こういう魑魅魍魎の跋扈する梁山泊のような空間を作りあげたpha氏の手腕に素直に感心しました。

ただ、IT技術にはまったく疎いのと、ギークハウスがあまりに辺鄙な場所にあったため、車のない私が再訪することはありませんでしたが。

このpha氏が、どうやら本を出したようです
いろいろなところで言及されており、今更ながらに彼に人望があるのが分かります。この印税で、今しばらくニートを続けていって欲しいですね。

そういえば、糸柳氏とのからみあいも面白かったのに、最近糸柳氏のウワサを聞きませんね。どうなってしまったのでしょう?


本日読んで、気になった記事はこちら。↓

2012年8月31日金曜日

新大久保がコリアンタウンへと変わった理由 下

昨日の続きです。

どうして、高級住宅街がコリアン・タウンへと変わったのだろう……それを調べていくと、このロッテ工場の設立が、最も大きなエポックメイキングであることが分かりました。

戦後まもなくロッテの工場は産声をあげたようですが、昨日書いた通り、戦後しばらくはその影響も少なく、数十年間は、ジャズ喫茶店が数多く散財する音楽の街として有名だったのです。

ところが、ロッテがチューインガムで国内のシェアの5割をとり、ロッテ工場が大きく発展するようになって、この街が大きく変貌を遂げました。

ロッテの創業者は、在日朝鮮人の重光氏。日本人経営の会社では雇ってもらえない、あるいは居心地の悪さを感じていた朝鮮系の人々が、彼を頼って、日本中からやってきました。

この辺りの事情は、新大久保のコリアンタウン(上) に詳しく載っています。

日本の生活が軌道に乗り、やがて、本国の親戚を朝鮮半島から呼び寄せて、現在のコリアン・タウンが形成されたのでした。高級住宅街が、急激に外国の低所得者層の方々の住む街に変わるのは、案外簡単な理由でしたね。むしろ、ロッテの工場ができてからのことを書いたほうが良かったかもしれません。

さて、昨日に引き続き、新大久保の歴史に思いを馳せたのは、反韓運動をしている人々が、新大久保でデモを繰り広げたというニュースを知ったからです。

韓国征伐国民大行進(*`Д´)ノ!!!デモ後の新大久保散策2012/8/25 という動画を見れば、当日彼らがどのような行動を取ったのかが、よくわかります。

同じ日本人として恥ずかしい、というのが正直な感想です。特に、「朝鮮人を皆殺しにしろ」というシュプレヒコールにいたっては、反吐が出そうになりました。

無論、韓国国内で繰り広げられる、異様な日本人敵視、日本人相手ならば、何を言ってもいいという態度、そして、先日の大統領による天皇陛下への土下座要求には、大変な憤りを、私も感じます。

しかし、そのおかしな韓国の人々と同じような行動をとるプチ右翼の行動には全く賛同できませんし、逆に、韓国の異常な行動を咎め立てしていた自分が恥ずかしくなります。日本人だって、品格下劣な点では、奴らと同類じゃねえか、とね。

在日朝鮮人、韓国人の人々には、日本を愛し、日本社会に溶け込もうとしている大勢の人々がいます。にも関わらず、朝鮮系の人々を十把一からげに排除しろ、「皆殺しにしろ」と連呼するのを許容出来る訳がありません。

もっとまともな、品格ある民族主義が、なぜ育たないのでしょうか。なぜ民族主義的な運動は、彼らのような、下品で知性のないものばかりになるのでしょう?

自制のきいて、それでいて凄みのある運動を展開することはできないものなのか、と、この動画を見ながら最近、よく考えます。


本日読んで、気になった記事はこちら。↓