「座談会」とは、3人以上の人々のおしゃべりを文字おこしにしたものです。雑誌でたびたび企画され、出版されることもあります。この「座談会」という形式は、日本独自の文学ジャンルなのだそうです。意外ですね。
欧米ではテーマを決めた「対談」や、著名人に尋ねる「インタビュー」がありますし、もちろん戯曲の伝統もありますので、数人の登場人物が対話を重ねる小説も多いのですが、芸能人や作家、あるいは市井の人々が、てんで勝手に話すおしゃべりが、誌面を飾ることはほとんどないといいます。面白いですね。
欧米の会話の基本はディベートだといいます。あるテーマについて、異なる意見を戦わせながら、どちらが正しいのか優劣を競い、よりよい解答を導き出すというものです。
それに比べて、日本で大切なのは、合意です。忌憚のない意見をお互いに口々に話し合う中で、感情の対立を乗り越えて合意を形成していくことが何よりも大切にされます。さかのぼろうと思えば、聖徳太子の時代までさかのぼれます。彼が「和を以て貴しとなす」という言葉に続けて、「上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず」(上の者と下のものが協調して、話し合いを行えば、正しい方針が次第に定まるものだ)と述べています。話しあうことにより、正しい意見が自ずと定まる、というのが日本の伝統なのです。
「座談会」だけではありません。たとえば、ソーシャルメディアもまた然り。欧米の有名掲示板としてはredditや4chanが有名ですが、どの発言がどの発言に対するレスなのかが一目で分かりますし、基本的に一対一対応です。それに比べて、日本の2ちゃんねるや発言小町などでは、スレごとに好き勝手な意見が並列する方式です。
掲示板で自然に醸成されていく雰囲気、育まれた合意を、山本七平という評論家は「空気」と呼び、太平洋戦争に日本を突入させ、敗北へ向かわせた大きな要因として、否定的に捉えました。
でも、本当にそうでしょうか。日本はかつて、確かに間違えました。でも、欧米だって、国家の進路を誤ったことは何度もあるではありませんか。むしろ、ここ最近の、匿名掲示板による合意の形成の過程をみていますと、右往左往し、時には間違いをしでかしながらも、最終的な着地点は、よりよいものへと変化していっているように思うのです。先日、河本準一の母親の生活保護受給が問題となりました。当初は単なるやっかみから始まったこの議論は、今や国全体の生活保護のあり方を問うものとなり、今までメスの入れられてこなかった聖域へ切り込むきっかけとなりました。このような展開を、誰が想像していたでしょうか?
好き勝手にお互いに発言していく中で、様々な情報が集まり、活発な意見の応酬が行われ、次第に合意が形成されていく、という考え方。そして、形成された合意に信頼を置く価値観を、仮に「座談会主義」としますと、座談会主義は、ジャッジが判断を行うディベートに比べ、神の見えざる手に委ねるという点で、市場経済に近いものなのではないでしょうか。そして、市場経済に重きをおくのが現代社会ならば、私たちは、同じく座談会主義にも、肯定的な評価を与えてもいいのではないでしょうか。
本日読んで、気になった記事はこちら。↓
2012年6月3日日曜日
2012年6月2日土曜日
ツイている人の習慣
今から四年前に書かれた「どうして運のいい人はいつもツイているのか? 」という記事を読んで、これは面白いと思いました。
今から10年前に、ハートフォードシャー大学のリチャード・ワイズマン博士によってある実験が行われたのだそうです。
どのような実験だったかは、らばQを直接ご覧頂きたいと思いますが、その結果、幸運な人が常によい機会に恵まれ、不運な人が機会に恵まれない原因が、彼らの行動や考え方にあるのということが確かめられました。
その幸運な人々が行なっていた習慣が4つにまとめられており、これは私の経験上、たしかにそうだと思えるものでした。
1. 内から聞こえる直感を大事にする
2. 新しい経験をすることや、普段の習慣が壊れることに対し、心をオープンにする
3. 毎日少しの時間だけ、うまくいったことを考えるようにする
4. 重要な会議や電話などする前に、自分を幸運な人間だと心に描く
運の良い人々が実行している、という4つの習慣。逆に運の悪い人々がこの習慣を心がけたところ、運が劇的に良くなったといいます。
らばQの記事を読んで感心しましたが、ふと、10年前にこのような結果が出ていたならば、自己啓発書にもっと多く取り上げられていてもおかしくないはずだと思い、この博士についてネットで調べてみました。
どうやら社会心理学の分野では、結構有名な方で、本も数冊翻訳もされていました。ジョークについても研究している、元マジシャンの心理学者なのだそうです。
イギリスの元プロ・マジシャン。20代前半にはアメリカのマジック・キャッスルの舞台に招待されるほどの腕前を持っていたが、マジシャンとして活躍していくうちに観客がトリックにハマる心理のほうに興味を持ち、心理学者へ転向。現在は、イギリス・ハートフォードシャー大学で心理学の研究をしている。
研究対象は、超常現象、詐欺、運など、ユニークなものが多く、特に超常現象の心理学的な研究では世界的に有名。研究室はエジンバラにある世界屈指の心霊スポット「ボールド」と呼ばれる地下洞窟にある。
CSI会員。近年では、ロシアの超能力少女として話題となったナターシャ・デムキナの実験にCSI側として立ち会った。
※著書には、『Deception & Self-Deception: Investigating Psychics』、『Magic in Theory』(ピーター・ラモントとの共著)、『運のいい人、悪い人―運を鍛える四つの法則』(角川書店)、『超常現象の科学』(文藝春秋)ほか多数。http://www.nazotoki.com/skeptic.html#wiseman
松田聖子が運がいいかどうかは、判断の別れるところですが、彼女は寝る前に、必ず神様に、
「今日はこんなにいい日でした、ありがとうございます」
と祈って、就寝するのだといいます。様々なバッシングを経験するなど、彼女は一時期ひどい運命に見舞われましたが、幸運な人間だって、毎日幸運だけが訪れるということもないでしょう。様々な苦悩を体験する中で、全体を通して幸運ならば、それでよし、とするべきです。彼女は今、とても幸せそうです。それは、彼女の習慣に原因があったのかもしれませんよ。
本日読んで、気になった記事はこちら。↓
2012年6月1日金曜日
「経験の欺瞞」について
「経験の欺瞞」という言葉を知りました。
たとえば、昔友人にひどいことをしたことのある人間は、その後も、他の人間をいじめたり虐待したりする傾向があるのだそうです。
「嫌な人間は、罰せられて当然だ」とか「俺はみんなの気持ちを代表して、あいつを懲らしめてやったんだ」とか、自分が行った罪を認めずに正当化する心理状態。それが経験の欺瞞です。
「あんな奴は、いじめて当然さ」
「トロトロした奴を追い込むことは、正しいことだ」
「あいつもトロトロしてやがる」
「あいつに優しくしてはダメだ」
「あいつを懲らしめてやる」
と、考え、生涯を通じて、弱い者いじめを行います。それは第二の天性となり、やがて、彼自身すら蝕んでいきます。
本当は、自分でも悪いことだと気づいているのです。それなのに、自分を守るために、正しいことだったのだと思い込もうとします。とはいえ、表面上でいくら自分が正しいのだと思い込んでも、元来理屈に合わないことですから、潜在意識の中で葛藤が起こります。そうすると、真実と自己認識の間で葛藤が起こり、精神的に追い込まれていくのだそうです。
個人もそうですが、共同体もまた然り。
アメリカ人は、歴史で、清教徒がヨーロッパの迫害を逃れ新世界にやってきた、という物語を学校で習います。ところが実際にアメリカ大陸で起こったことは、清教徒が迫害する側にまわり、インディアンを虐殺していくというものでした。
しかし、アメリカではその考え方をなかなか認めません。ピルグリム・ファーザーズを始めとする開拓者の一群は今でもアメリカ人にとっては英雄です。
実際のところ、ヨーロッパからやってきた開拓者たちは夕食に招いてくれたインディアンを虐殺し、彼らの土地を奪ってアメリカを建国したのです。そういう没義道なことを行った祖先を正当化しようとする結果、アメリカ人は、遅れた文明国に民主主義を広げるためには住民を殺してもかまわない、と考える傾向があるのだそうです。
でも、潜在意識ではそれが悪いことだと感情でもわかっているはずなんですよね。わかっているから、米国以外の国が行う虐殺行為には極度に反応し、絶対に許さないのでしょう。本来なら自分を批判する代わりに、他者を批判することで、精神の健全を図っているのかもしれません。
本日読んで気になった記事はこちら。↓
たとえば、昔友人にひどいことをしたことのある人間は、その後も、他の人間をいじめたり虐待したりする傾向があるのだそうです。
「嫌な人間は、罰せられて当然だ」とか「俺はみんなの気持ちを代表して、あいつを懲らしめてやったんだ」とか、自分が行った罪を認めずに正当化する心理状態。それが経験の欺瞞です。
「あんな奴は、いじめて当然さ」
「トロトロした奴を追い込むことは、正しいことだ」
「あいつもトロトロしてやがる」
「あいつに優しくしてはダメだ」
「あいつを懲らしめてやる」
と、考え、生涯を通じて、弱い者いじめを行います。それは第二の天性となり、やがて、彼自身すら蝕んでいきます。
本当は、自分でも悪いことだと気づいているのです。それなのに、自分を守るために、正しいことだったのだと思い込もうとします。とはいえ、表面上でいくら自分が正しいのだと思い込んでも、元来理屈に合わないことですから、潜在意識の中で葛藤が起こります。そうすると、真実と自己認識の間で葛藤が起こり、精神的に追い込まれていくのだそうです。
個人もそうですが、共同体もまた然り。
アメリカ人は、歴史で、清教徒がヨーロッパの迫害を逃れ新世界にやってきた、という物語を学校で習います。ところが実際にアメリカ大陸で起こったことは、清教徒が迫害する側にまわり、インディアンを虐殺していくというものでした。
しかし、アメリカではその考え方をなかなか認めません。ピルグリム・ファーザーズを始めとする開拓者の一群は今でもアメリカ人にとっては英雄です。
実際のところ、ヨーロッパからやってきた開拓者たちは夕食に招いてくれたインディアンを虐殺し、彼らの土地を奪ってアメリカを建国したのです。そういう没義道なことを行った祖先を正当化しようとする結果、アメリカ人は、遅れた文明国に民主主義を広げるためには住民を殺してもかまわない、と考える傾向があるのだそうです。
でも、潜在意識ではそれが悪いことだと感情でもわかっているはずなんですよね。わかっているから、米国以外の国が行う虐殺行為には極度に反応し、絶対に許さないのでしょう。本来なら自分を批判する代わりに、他者を批判することで、精神の健全を図っているのかもしれません。
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