2014年9月8日月曜日

朝日新聞記者が、過去の強盗行為を自慢

先日この本の存在を知って、あまりのデタラメぶりに驚愕した。

★ 【朝鮮学校の真実】朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ - NAVER まとめ

朝鮮高校の生徒だった筆者・金漢一は、現在朝日新聞の記者だという。彼が書いた下記の本の内容にゾッとした。

2~3人で仙台市内に繰り出し、
2年生はお目付役として1年生にアイツをやれとか
目配せしたり ・・・
日曜日に1年生が寮内にいたら先輩になぜ街に出て日本人を狩らないのか聞かれる
端から見てても気の毒なほど日本人をボコボコにしてるヤツもいるし
まわしケリ一発で決めるヤツもいる
相手が前かがみに倒れると、殺してしまったかと、さすがにビビるそうだ 
先輩から命令されてやっていることが多いので、
2~3人とカツアゲしても 、目標額に達しないと焦ってくる
なかには給料袋のまま、数十万円もカツアゲしてくる勇者もいる
「おまえそれはひどいんじゃないか?」
「チョッパリにはなにしてもかまわねえ」
警察に捕まった朝高生も、呼び出された先生も、
我々朝鮮人を強制連行した日本政府が悪いんだと、話を政治問題に振り向けると、
バカな仙台の警察官達は、黙りこくってしまい、お目こぼしされる
ネトウヨの吐き気をもよおす主張には憤懣やるかたないが、それへの反対勢力が、これまたどうしようもなく暴力的で嫌気がさすので共感できない。

民族の問題解決に最も必要なのは、お互いの文化に対する敬意だろう。そして、基本的な価値観の共有だろう。

基本的価値観とは基本的人権の尊重であり、法律の順守であり、暴力行為の否定だろう。また、親と子は別人格であり、罪を子供が背負うものではない、という価値観だ。

コミュニタリアニズムを唱えるサンデル教授の思想に賛同するものだが、物語を組織として背負うことを意味しても、子供が親の罪を背負うことを許容するものではない。

親の世代の一部が、韓国人にひどいことをした。その恨みを、無関係の子供の世代に晴らす権利があると信じ、彼らが稼いだ給料を奪い取り、それを当然だと信じるのが金漢一の歪んだ価値観なのだろう。だったら、金漢一の子供を殴る権利が俺にあるということじゃないか。そんな馬鹿な。

そもそも暴力行為は許されるものじゃない。それをなんだかんだと言って正当化するのが、DVを行う人間の基本パターンだ。

過去の行為を本当に反省した人間は、悔恨の念とともに、恥じ入りながら告白するものだ。それを、
「仕方ないじゃないか」
「俺達が怒るのは当然だろう」
と理由をつけて開き直る人間は、決して反省をしていない。

芸能人で、弱いものいじめ、強盗行為などを自慢する人間がどうしても好きになれない。野球界、柔道界、相撲界などで暴力をふるうことを当然だとする風潮が我慢できない。なぜそれを許すのか。

それにだ。罪を許さないためにも、罪を犯した人間に贖罪をさせるべきだ。しかし、為政者にとって便利だから、「連帯責任」などの言葉で個々の罪の追求を疎かにしてきたのが封建社会だ。いまだにこの手の価値観が一定の支持を受けていることが理解できない。過去の朝鮮の国力が劣っていたからといって、今の韓国を貶めようというバカな奴らと変わらないじゃないか。絶対に、絶対に、"ノー"をつきつけねばならない。

暴力に"ノー"
親の罪を子に償わせようとする封建的価値観に"ノー"

人類の勝ち得た共通の基本的価値観は絶対に守る、という覚悟がないから、いまだにこうした人物の戯言を褒めそやす人々がいるのだろう。

それにしても、朝日新聞という一流メディアの社員となり、社会的地位を手に入れたにも関わらず、過去の罪を悔い改めるどころか、自慢気に語って平然とする金漢一という人物の神経を疑う。

以前直木賞を受賞した金城一紀の『GO』を読んだときにも思ったが、この手の人間を賞賛するのは「実話ナックルズ」だけにして欲しい。

暴力や異常性愛は、マンガやアニメのようなファンタジーだけに許される。現実のものには絶対に許さない、という毅然とした態度を日本のメディアはなぜ持ち得ないのだろうか。それを社員に許容するのが朝日新聞社のメンタリティーなのだろうか。基本的人権を尊重するのならば、当たり前の価値観ではないか。

もっとも朝日新聞は、高校野球界の虐待を見過ごし続け、駒大苫小牧の甲子園優勝を取り消さないなど、体育会系の暴力に甘い態度をとり続けてきた会社だ。当たり前の常識が通用しない企業なのかもしれない。

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