2015年1月18日日曜日

米田哲也など野球のレジェンドはなぜ老害となるのか?

野球界の伝説の名投手たちがあつまって、座談会が開かれましたが、そのタイトルがなかなか刺激的です。

★ 球界勝利数トップ3「投げすぎで投手の肩は壊れぬ」で意見一致

いずれも投手として一流で、しかも1日300球を平気で投げ、身体を壊すことなく引退したものですから、最近の投手に無理をさせない風潮が、歯がゆくて仕方がないようです。
──故障しなかったのは投げ込んだから?

小山:そう。投げすぎで壊れるわけがない。実際日本で一番投げている我々は壊れてない。そしてそれ以前に大事なのは、カネさんじゃないけど、投げ込める体を作るために走ったから。プロに入ってからはとにかく「走れ走れ」「投げろ投げろ」でしたね。これは財産になったと思う。
不思議な話です。彼らの同時代にも、杉浦忠や稲尾和久、権藤博といった、肩を酷使しして引退していった名投手たちが数多くいました。彼らのことを、金田正一、米田哲也、小山正明のお三方は覚えていないのでしょうか?

ちなみに、上記の座談会で小山氏が、
だから僕は「なんで投げ込ませてコントロールを身に付けさせないんだ」というと、あるバカな指導者は「肩は消耗品ですから」という。野球に9つあるポジションで唯一球を投げることが仕事の投手が、球を投げたらアカンてどうするのと。
と語っているのは、権藤氏が監督として横浜ベイスターズを率いていたときのことでしょう。「肩は消耗品」は権藤氏の持論。小山氏は横浜ベイスターズの元となった大洋ホエールズの出身ですから、OBとして意見を述べた可能性が高いです。

しかし、権藤氏、科学的な理論を取り入れた指導により、投手からの信頼が厚く、監督就任一年目でベイスターズを優勝させていますから、権藤氏から否定されても、小山氏は言い返せなかったはずです。

金田正一、米田哲也、小山正明の三人の肩が壊れなかったのは、たまたまでしょう。

たとえばボクサーでも、パンチドランカーになる人とならない人がいます。パンチドランカーとは、頭を殴られすぎたボクサーに出る症状で、ろれつが回らなくなったり記憶に障害が出たりするというもの。
これも、ならない人はなりません。しかし、頭部打撲の危険性は分かりやすいので、
「殴られすぎで壊れるわけがない。実際日本で一番殴られている我々は壊れてない」
と主張するボクサーはいませんし、いても馬鹿にされるだけでしょう。

150キロもの速度でボールを何度も投げれば、肩や肘に負担をかけないはずがないのです。それを「ない」と言い切る小山氏の神経を疑います。

「老害」という言葉があります。私はこの言葉が嫌いです。なぜ年を取っただけで害だと言われねばならないのか。「女害」「若害」という言葉がないのに、なぜ老人だけが狙い撃ちにされねばならないのか。不条理なものを感じるからです。

しかし、たしかに小山氏らのような存在は老害です。彼らは幾人もの落伍者を見てきたはずです。一生懸命走りこんでも肩を壊した人々のことも、何十年も野球界にいたのですから知っているはずです。ところが、彼らの頭からは、落伍者の記憶はすっぽり抜け落ち、主観的な印象しか残っていません。

記憶の怖いところです。記憶は感動して「こころ」で覚えたものはいつまでも残りますが、データとして「あたま」で覚えたものを忘れていきます。彼らは自分の成功体験を感動とともに記憶したものの、落伍者の失敗体験は冷笑して眺めていたのに違いありません。

落伍者に余計な憐憫の念を抱かないというのは、成功者に必要な素質の一つかもしれません。しかし、年をとるとそれがこのような形で現れ、客観的な判断ができなくなり、結果老害となってしまうのでしょう。それが老いるということなのでしょう。

そうはなりたくないものです。年をとってもいつまでも若々しくいたい。そのためには、客観的なデータをもとにものを考える人間でいたいものです。


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