2014年12月4日木曜日

将門の首塚はもっと評価されていい

日本には「三大怨霊」と呼ばれる三人の歴史上の人物がいます。
  • 菅原道真……当時最高の大学者。左遷されて903年に死亡後、怨霊化。
  • 平将門……桓武天皇の末裔が新皇を自称、反乱。940年に討伐され怨霊化。
  • 崇徳院……保元の乱を鎮圧されて、1164年に配流先で死亡後、怨霊化。
それまで日本で怨霊といえば、 崇徳院の方が、将門よりも有名でした。

崇徳院の数奇な生涯

崇徳院は悲劇の人です。天皇在位中も譲位後も鳥羽上皇に実権を奪われ、上皇亡き後は、逆恨みされることを恐れた鳥羽上皇の側近たちから命を狙われる悲運に見舞われます。

追い詰められて仕方なく乱を起こしましたが、とらえられ、讃岐(現・香川県)に島流しにされます。彼は本来、優しい人なのでしょう。戦死者の供養のために大変な量の写経を朝廷に送ります。

ところがこれを、「呪いをかけているのでは?」と疑われて突き返されたことに、怒りを爆発させました。堪忍袋の緒が切れ、舌を噛み切り、その血で「大魔王になって、天皇をその地位から引きずり下ろし、今は見下されている者を王にしてやる」と写経に書き込んで死ぬのです。

結局、その20年後には鎌倉幕府が成立し、朝廷の権力は完全に武士に奪われました。王政が復古するまで700年近くの間、崇徳院の呪いがかかっていたと言えなくもありません。

とにもかくにも、彼のすさまじい最期とその後の怪異によって、崇德院は人々におそれられ続け、様々な文学のモチーフとなりました。中でも有名なのは江戸時代中期に書かれた『雨月物語』です。江戸時代後期から末期にかけて大きな影響を人々に与えました。

物語の影響は、案外大きいものです。江戸の影響が色濃い明治時代には、崇徳院が非常に崇められました。明治天皇は即位するとき、崇徳院の御霊を京都へ帰還させる行事を行って、白峯神宮を創建して霊を弔いましたし、戦後になっても、昭和天皇が崇徳院800年祭を祀ったほどでした。

『帝都物語』の影響

ところが、1976年に放映された海音寺潮五郎原作のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』で平将門が主人公となった頃から、人々の注目が将門に集まるようになりました。

ただドラマで描かれたのは、あくまで歴史上の一武将というものでした。ところが1985年から87年にかけて刊行された荒俣宏の『帝都物語』で、平将門のもう一面、怨霊としての将門が大きくクローズアップされるようになります。

『帝都物語』は、平将門の生まれ変わりである加藤保憲が、東京を魔都へ変えようと画策する明治期から昭和73年(!)までの100年間を描く、という壮大な物語です。幸田露伴や泉鏡花、さらには角川春樹まで、実在の人物が登場して加藤と戦うのが特徴です。

小説は映画やアニメになりました。なかでも当時邦画界として破格の10億円をかけて制作された映画版「帝都物語」は、大変な反響を呼びました。しかし、興行成績は8位、興業収益は10億5千万円と、ほとんど儲けが出ませんでしたが……。

この映画は、とにかく嶋田久作がカッコ良いのです。脚本が大変お粗末で、どうしてこんな分かりにくい脚本にしたんだろう? と今でも思い出すと怒りが湧いてくるほどですが、それ以外、映像と演技が抜群によく、特に大抜擢された遅咲きの俳優・嶋田久作の怪演によって、映画が駄作になることを防ぎました。これほど「はまり役」という言葉が合う役は、ないかもしれません。


私は映画が先で、小説があとでしたが、小説の加藤のイメージは、嶋田久作の演じる加藤そのままでした。島田氏のブログを読みますと、ネコ好きの穏やかな芝居バカというキャラが浮かんできますが、私の中の嶋田久作は、あくまでも「帝都物語」のおどろおどろしい加藤です。

とにかく、「帝都物語」は興行成績こそふるわなかったもの、大きなインパクトを世の中に残しました。平将門ブームの火付け役になり、大手門にある「将門の首塚」には、大勢の観光客が訪れたといいます。

首塚は現代も

「将門の首塚」は、皇居のすぐ近くにあります。住所は、「東京都千代田区大手町1-2-1」であり、高層ビルに囲まれていますが、ここだけ異次元の空間のようです。

『帝都物語』以降、将門の首塚を題材にした作品は作り続けられています。少し前になりますが、ヒットして映画にもなった『鴨川ホルモー』の続編で2007年に刊行された『ホルモー六景』では、東京学生の鎮守行事が、この首塚で行われていたことなどが描かれています。

私は数度、この首塚を訪れたことがあります。なんとなく、妙な雰囲気がありまして、たしかに人々が、この神社に惹かれるのが分かりました。通りから中をのぞきこめるのですが、時間が止まったような鬱蒼感があり、長居をしたいとは思えませんでした。

東京の一等地に手付かずの神社があるのが、とても奇妙です。そもそも天皇のお住まいの皇居のすぐ近くに、天皇にかつて反逆した将門公の首塚がある、というのが不思議でなりませんでした。

ただ、よくよく考えますと、平成天皇の身体には、第六天魔王を名乗った織田信長の血も、天皇に代わり日本国の王たらんとして東照大権現を名乗った徳川家康の血も流れています。現在の天皇家自体が、江戸幕府に反逆して現在の地位に就いたとも言えるわけですから、その血に脈々と流れる反逆者の魂にとっては、むしろ平将門は頼もしい存在に思えるかもしれません。

『帝都物語』のブームも今はなく、皇居の近くにひっそりとたたずむ、この「将門の首塚」ですが、 せっかくこれだけの物語に彩られた神社です。もっと人々に、興味を持ってもらいたいものです。

現代の権威に反逆を試みようとする人々は、東京駅に寄ったついでに、この「将門の首塚」に参拝に行ってみてもいいかもしれません。

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