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2015年2月5日木曜日

欧米の同調圧力に抗うトルコ

ダーイッシュ(自称イスラム国)に後藤健二さんが先日殺害された。後藤さんのご冥福をお祈りする。

ご家族、特に奥さんの悲しみを思うと胸が張り裂けそうになる。お子さんが生まれたばかりで夫を失い、子どもの誕生という女性にとってもっとも大きな喜びを味わえないのだ。子どもを見るたびに亡き夫を思い出すのはつらかろう。悲しみは、深く刻まれた傷となり、彼女をこれからも苦しめる。あまりに不憫だ。

同胞が異邦人に殺されるのを観るのは嫌なものだ。彼らダーイッシュを憎らしいと思う気持ちが湧きあがる。

今後の課題

彼らの行為を眺めながら、では、どうするか? 安倍総理が今後同種の事件が起きたときのために、自衛隊派遣も含めて検討をしていきたいと述べた。たしかにそれも大切だろう。

ただ、これまで軍隊を派遣しなかったからこそ日本人が世界で得てきたメリットを失う覚悟が必要だ。私が海外を旅していたときに、日本人という理由で親切にされた経験が数多くあった。同じような経験をしてきた観光客、現地駐在人は数多くいるだろう。

デメリットのほうが大きいのではないのか? アメリカにすらできないことをやろうとして、失うものが大きすぎやしないか? ……ただ、それは失ってみなければ分からない。

それに、軍隊を派遣して武装勢力を殲滅するという方法では原因を取りのぞくことはできないだろう。それは一種の対症療法だ。それよりも、紛争をなくすための原因を取りのぞくことが先決じゃないか?

対症療法以外の方法

……とはいえ、対症療法ではない根本療法を探るとしても、どこまで深く追求するべきか、解決方法を実行することは可能か、という問題が立ち現れるだろう。出来ないことについてあれこれ考えてもしょうがない。

たとえば、あの地域にイスラエルを建国したのが悪いだとか、欧米の国際石油資本(石油メジャー)が中東利権を守るためにあの地域の政治バランスに深く関与しているのが悪いだとかいった議論があるのは知っている。しかし、その議論を深めてもあまり意味はないように思う。

原因はそうかもしれないけれども、イスラエルを今さらなかったことにできないし、国家と同じ力を持つ巨大な石油メジャーの行動を縛ることは、私たちには荷が勝ち過ぎる。同じく考えるのならば、少しは考えた末になんらかの効果がある議論を深める方がいい。

たとえば、多様な民主主義を私たちは我慢するべきかどうか、どこまでを許すべきか、それは可能なのか、といった問題だ。

トルコの我慢の限界

ダーイッシュが隆盛を極めている背景には、アメリカがイラクを崩壊させたことだとか様々な要因がからんでいるわけだが、他の要因の一つに、トルコのイスラム回帰という問題があるように思う。

欧米で育ったアラブ系の人々が、なんのツテもないのに身一つでダーイッシュに身を投じていることは多くの報道でご存知だろう。彼らのほとんどがトルコ経由でシリアへ向かうのだという。ダーイッシュの支配地域がシリアのトルコ国境付近に迫っていること、シリアとトルコの国境には森林や小道が多いことから、人知れずダーイッシュへ潜り込むには好都合なのだそうだ。

だが、地理的要因だけのはずがない。アラブ系とはいえ、彼らダーイッシュ志願者たちは土地勘がない。全くその土地と無縁の彼らが、GPSがあったとしても、うまくダーイッシュの支配地域へと忍びこむことができようはずがなく、彼らを応援する草の根の人的ネットワークがトルコ国内に間違いなくある。

トルコの人々のイスラムへのシンパシー。それは現在のエルドアン大統領への熱狂的な支持ぶりからもうかがえる。

都市部ではエルドアン大統領の独裁的手法への批判の声が大きいが、地方ではイスラム教を賛美するエルドアン大統領支持者が圧倒的に多い。シリアとの国境付近の人々ならばなおさらだろう。

だがトルコは、イスラム諸国の中で政教分離を早い段階で成し遂げて成功した民主主義国だったはずだ。そのトルコがイスラムへ回帰を始めたのには理由がある。要因の一つには、トルコがヨーロッパの一部になろうとして、常に拒絶され続けたことに、トルコ国民がうんざりしたという背景があるように思う。

トルコはEUへの加盟を幾度と無く拒絶されてきた。アルファベットを導入して、政教分離を成し遂げ、特権階級を認めない民主主義国家を作り上げたトルコに対して、ヨーロッパはアルメニア人虐殺を謝罪しろだとかキプロス島の権益を放棄せよなどと様々な理由をつけて、批判してきた。批判され続けて少しも敬意を払われない者は、ストレスが溜まり、鬱屈した感情を抱くだろう。トルコの人々は、ヨーロッパの傲慢にうんざりし、イスラムへ回帰しようとしている、という一面がある。

リベラルの同調圧力

トルコがヨーロッパから拒絶されてきた歴史に踏み込むと長くなるので、これ以上書かず、そもそもなぜヨーロッパがトルコをそこまで毛嫌いするのかについて述べたい。要は、民主主義の先進地域という意識が強いヨーロッパは、自分たちに似ているのに自分たちとは異なる存在を許せないのだ。

特に、リベラル勢力にその風潮が強い。彼らは多様性を唱えながら、実のところ同調圧力が大変強い人々だ。自分たちと全く異なる政治体制の国家(中国だとか)や開発の遅れた国々の独裁体制には妙に寛容なくせに、彼らに近い政治体制を取りながら、国情にあった民主主義の発展を目指す国には、自分たちの基準を押し付けようと必死になる。

自分たちを正統と考える人々は、異教徒には寛容でも異端を許せない。トルコの人々はイスラム教を精神的基盤に置きつつも、民主主義国家となることは可能だと考えている。ところがヨーロッパの人々は、キリスト教のベースがない民主主義には懐疑的で、だから何かしら、いちゃもんをつけようとする。彼らのように考えない国を批判したがる。

同じようなことは、日本に対しても行われる。彼らは日本もまた、「真の民主主義国家とはいえない」だとか「民主主義がまだまだ遅れている」などと批判してきた。今回の件でも、後藤健二氏がダーイッシュに拘束されたときに日本で「自己責任論」が現れたことに対して、ロイターのPeter Van Burenという記者が、
日本政府の反応とその支持者たちの態度は、欧米の反応の基準とは基本的に異なっていることを暴露する。(the response of their government and the attitudes of their fellow citizens expose key differences from the standard Western response. )
と批判した。紛争地域で危険にあった同胞への対応が異なれば、すぐに民主主義ではない、日本のものはまがい物だ、という批判が彼らから出る。今までもよくあったことだ。

日本は相当、民主主義が根付いた国家だと思うが、それでも彼らは「まだここが違う」「あれが違う」と言って日本の民主主義を認めようとしない。欧米人のように行動して、彼らのように考えることを望む。口では多様性を唱えながら、その国の伝統に沿った民主主義の発展を決して認めない。

たとえば、同性婚を認めるのがここ10年ほどの欧米の風潮だが、それが主流になると、もうそれ以外を認めなくなる。10年前には同性婚を認めない人々が欧米でも多数で、それでいながら民主主義が成立していたのにもかかわらず、だ。今はそれを認めない人間や国は基本的人権を尊重する仲間にあらず、という見方をする。

本来、基本的人権の考え方とは合わない伝統をそれぞれの国が持っているものだから(たとえば君主制だとか宗教に関するものだとか)、進んだ部分、遅れた部分はどこにでもあるのだ。それぞれが国家の実情に沿ったスピードで、変えるものは変え、変えられないものは変えずに、少しずつよりよいものへと変えていけばいいはずなのだ。特にイスラム教の影響の強いトルコでは同性婚を人々が認めにくかろう。しかし欧米人は、それを許さない。

自分たちを変えること

近親憎悪という言葉がある。

カトリックがプロテスタントが何を決めようと放っておくが、同じカトリックの中で異端の説を唱える者には容赦しないようなものか。似ているとなると、とことん自分たちと同じようであることを求めようとする彼らのすぐそばにいて、トルコはさぞつらかったろう。

仲間の差異を認めない欧米の人々が、トルコの人々を追い詰め、国内のイスラム教徒たちを追い詰め、彼らをダーイッシュへと追い込んだという側面があるのではないか。

そして、似たようなことは私たち日本人も行いがちだ。昨今中国が、民主主義国家へと大きく変貌を遂げつつある。韓国はほぼ、民主主義国へと変貌した。しかし、逆にその違いに注目して批判を加える、という行為を、ネトウヨにかぎらず、私たちは行いがちだ。

いや、中韓に対するだけではない。私たちの人間関係の中で似たような批判はよくあることである。仲間と思う人々のちょっとした差異を嫌うというこの感情は、人間誰しも持つものなのだろう。

それとどう折り合いをつけていけばいいのか。それは答えのない問題だけれども、それについて考えを深めていけば、それが政治への目となり、欧米人の同調圧力へ抵抗することへとつながり、イスラム的、あるいは共産主義的なものを大切にしながら民主主義国家へと変わろうとする国々を、間接的に応援することにもなるだろう。

そして、世界のシステムは個人では変えられないが、自分たちの考え方は変えられる。それによって影響を受けた世界もまた、変わるかもしれない。

2015年2月3日火曜日

『ブラック企業』は過渡期の存在かもしれない

最近になって『ブラック企業』という本を読んだが、読むのがつらくて何度か本を置くこととなった。

文章が読みにくいということはない。著者は私よりもはるかに年下ではあるけれども、学術的な訓練を受けているせいか私よりも論理的で、なおかつ豊富な実例が「読ませる」。

しかし、その豊富な実例を読むのがつらい。昔の自分の体験を思い出させるからだ。ブラック企業から離れて年月も経ち、ある程度気持ちの整理もついたはずだが、あのときの悔しい気持ち、腹立たしい気持ちとは未だに折り合いをつけるのが難しいようだ。

詳細は上記の本を読んでいただくことにして(幸いなことに、かつてたくさん売れたので中古本が安価で出回っている)、その本に書かれていないことを読みながら考えたので、書いてみたい。それは、現在のブラック企業の発生の理由だ。

なぜ近年、ブラック企業がこれほど話題になるようになったのか?

それは、日本企業が少し方向性を誤ると、ブラック化しやすくなったからだ。なぜ企業がブラック化しやすいのか? もともと日本流、あるいは松下幸之助流の家族主義という土壌へ、アングロ・サクソン流の熾烈な競争原理が持ち込まれて、社員に逃げ場がなくなったからだと思っている。

どういうことか? もともと日本企業は企業が社員の一生を丸抱えすることで、会社が一つの家族のような役割を果たしてきた。それは社員の忠誠心を育てたが、やる気を育てるためには別の燃料も必要だ。アングロ・サクソン流の頻繁な解雇や降格がない中でいかに社員のモチベーションを高めるか? そこで日本企業では様々な方法を用いて、社員のやる気を上げる工夫をこらした。

その一つに、労働と社会貢献、本来は別のものをくっつけてしまい、労働することが社会貢献だ、という価値観を育てたことがある。

リッツ・カールトンという外資企業が「クレド」 なる会社の理念を掲げてかつて話題になったが、あれはもともと日本企業のやり方を外資流にアレンジして取り入れたものであることはよく知られている。日本企業が世界を席巻していたときに、アメリカの企業が日本企業を研究して、朝礼で「社訓」「社是」と呼ばれるものを唱えられていることに着目して、アメリカの企業に紹介をした。それを洗練させたのが、リッツ・カールトンの「クレド」だった。

クレド、その源流となる「社是」「社訓」で訴えられることは、会社で働くことが社会をよくすることにつながる、という主張だ。この主張が使命感を育てる。使命感は、社員に労働に没頭させる。働くことが歓びとなった人間の生産性が高くなることは、容易に想像がつくだろう。また、会社で一生懸命に働かない人間は社会貢献の意思がない、と周囲がみなすようになり、社員にプレッシャーを与えるだろう。こうして人々は仕事に専念する。

こうした洗脳的な手法で日本企業は社員を追い立ててきたわけだが、ただ会社が家族のようなものだったから、社員間でお互いに支えあい、その欠点を補ってきた。
 
ところが今や、会社がリストラを自由に行なう時代が。従業員の生活には責任を持ちません、でも従業員にはこれまでどおり忠誠を誓って欲しい、という都合が良すぎる命令を現代の企業は我々に強いている。

こんな馬鹿げた命令に私たちが従う必要はまったくないし、いずれ社会から淘汰される考え方だろう。しかし今は過渡期だから、その害が明らかにまだなっていない。そこで、日本流の会社勤務=社会貢献という思想と、競争原理が容易に結びついて、人々を追い込む企業を生み出してしまう。ブラック企業の発生と増加の原因がそこにあるように思う。


2015年1月28日水曜日

イスラム国による日本人誘拐事件について

このブログでは一応、日々のニュースについての論評をおこなうと謳っている。

しかし、最近話題のイスラム国による日本人殺害予告事件については、今まで一度も触れてこなかった。

ここまでメディアが連日報道しているから、もちろん私の耳にも届いている。しかし、敢えて記事にしなかったのは、大騒ぎとなっているニュースについての論評は大手メディアにまかせて、自分のところのような個人ブログの一つや二つで扱わなくてもいいだろう、と思ったのと、イスラム国のプロパガンダにみすみす乗るのも癪に障るという、二つの理由からだった。

特に後者の理由が大きい。少し日本のメディアは騒ぎすぎではないだろうか。

我々が大騒ぎしても、彼らが釈放されることはない。我々が大騒ぎしていることは、先方にリアルタイムで伝わっているだろう。そうすると、騒ぐことで彼らに満足感を与えているだろう。

イスラム国という明白なテロ組織を利するような行為はおこなってはならないから、彼らに身代金を払うようなことは言語道断だ。同時に大騒ぎしてパニックになっている様子を相手に見せることもまた、利敵行為の一つだから極力避けるべきかと思う。

それに、今回の騒動で、イスラム国にシンパシーを感じる異常者が増えて、国内にイスラム国の拠点をつくろうという動きが加速するかもしれない。

昨日「人を殺してみたかった」という理由でお婆さんを殺した女子大生が逮捕されたように、犯罪行為や非道徳的な行為が大好きな人間というのはヤンキーに限らず社会の中には必ず発生する。イスラム国の存在や参加方法を彼らに知らしめることは、社会を不安定にする手段を彼らに与えるようなものだろう。 現に欧米諸国では、イスラム国の主張に賛同した大勢の10代の少年少女が刺激を求めてイスラム国へと馳せ参じて問題となっている。

だから騒ぐべきではない、と思うのだが、別の意見もあるのは確かだ。逆に騒がなければ、現在監禁中の後藤氏の利用価値がなくなったとみなしたイスラム国が、今すぐにでも後藤氏を殺すかもしれない。邪魔な人質をいつまでも生かしておくことは移動の妨げにもなり、証拠にもなるのでリスキーだからだ。私達が騒ぐことで、後藤氏の生命を保証するという意味合いがあるかもしれない。

報道しない、騒がないデメリットはまだある。彼らの行為を知らないと、彼らの跳梁跋扈を許して被害を拡大する可能性もある。私は昨年8月頃にこのブログで、彼らの残虐行為を撮影した動画を紹介した。あの場所ではこんなひどいことが行われていると、注意をうながす意味合いだからだが、そのときにはほとんど注目もされなかった。対岸の火事だからだろう。

中東の情勢はそれでも比較的知られているが、中南米も今、ひどい状態になっているのを知らない人が多い。中南米では麻薬が騒動の主原因だ。中東の宗教と中南米の麻薬(どちらも麻薬であると言えないこともないが)、この二つが現在世界で猛威をふるっていることを日本人はあまりに知らない。今回の件をもとに彼らの実態を広くしらしめる必要性は確かにある。


騒ぐメリットとデメリットを秤にかけて、行動することは難しいが、私は現段階では騒ぐ方がデメリットの方が大きいと思うので、これ以上書かない。

嫌がらせや脅迫を行なう組織へ、戦争等の積極的抵抗ができないならば、せめて消極的抵抗をおこなうべきだろう。それには無視をして、平然とした態度を見せ、彼らにおもねらず、あとは専門家にまかせて応援をする、というのが考えうる最善策だと思う。

実際、キルギスで起こった日本人誘拐事件では、その方法でうまくいき、日本人の解放につながっている。

ただ今回の事件では、マスコミは連日大騒ぎをして見せたけれども、ネット上では冷静な言論が飛び交い、これを政府攻撃に利用しようとした人々に対しては大きな反発が巻き起こるなど、日本人は総じてうまく対応しているように思う。

次に私達にできることは、その周辺諸国に早急に安定をもたらしてイスラム国を日干しにするよう地道な取り組むくらいだろうか。

目の前で苦しんでいる人がいるのに、何も出来ないのはつらい。だが、出来ないことに躍起になれば苦しむだけだ。今は我慢に耐えるべきだと、思う。


2014年12月18日木曜日

疲れが取れないのは、音楽を聞いていないせいかもしれない

私には音楽を聴く習慣がありません。

人間には、「視覚型」「聴覚型」「触覚型」があるそうです。

たとえば買いたい製品があったとして、それをよく見て、買うかどうか決めるのが視覚型なら、人に聞いたりして決めるのが聴覚型、まず手にとって触って判断するのが触覚型、なのだとか。私はどうしても触らずにはいられないので、触覚型でしょう。

触れない場合は、しげしげと眺めます。そして最後に店員に尋ねるのです。

こんな私は音楽を聴くことにあまり熱心ではなく、普段は聴きません。家では無音で過ごすことが多いのです。

同じような人は、ある程度の割合でいるはずです。音楽を聴くことよりも、読書をしたりネットサーフィンをしたりすることを好むような人々です。

とはいえ決して音楽が不要なわけではありません。ときどき、無性に音楽が聞きたくなることがあります。脳が欲するのでしょう。

ところが、普段音楽を聞き慣れていませんから、脳が音楽を欲していることに気づかないことがあります。普段あまりない感じることのない欲求なので、脳が信号を見落としてしまうのです。

最近なにか調子が悪く、疲れが取れず、気分転換がうまくいかないことが多くなりました。

(おかしいな、おかしいな)
と思いつつ、ふと、YouTubeで好きな音楽を流してみたところ、気分が晴れたのです。

二重の意味でショックでした。こんなに簡単に気分が晴れるのか、という驚きと、音楽を欲していることに気づかなかったことに対する失望が重なったのです。

普段音楽を聴かない方は、気分がすぐれないときに、
「そういえば、最近、自分は音楽を聴いていただろうか?」
と自問してみるのもいいのではないでしょうか。

2014年12月14日日曜日

自民党が圧勝したことが批判が加えられているが

選挙は自民党が圧勝しましたね。

投票後、食事を済ませてユーストリーム「ニューズ・オプエド選挙特番」で識者の分析を聞き流していましたが、途中で気分が悪くなってサイトを閉じました。

この特番では上杉隆がアンカーとなり、リベラルと言われる人々が選挙を振り返るというものでしたが、今回の選挙で日本の有権者が自民党を圧倒的大差で選んだことに対して、
「日本人の責任」
「ロシア並(の民度)」
「若者が本を読まなくなったせい」
「Yahoo!ニュースでヘッドラインだけを読んで社会を理解した気になっている」
「民主主義の危機であることが日本の国民はまったく理解していない」
と、恨み節ばかり。

さらには、
「日本人は民衆が自らの手で民主主義を勝ち取っていないので民主主義が成熟していない」
という、左翼勢力のいつもの主張まで飛び出す始末。彼らはどこまで日本人を馬鹿にしているのだろう、どこまで傲慢なのだろう、と思って気分が悪くなったのです。


今回の選挙で自民党を選んだ日本国民が、自民党の政策をすべて肯定しているはずがありません。外交、財政、社会保障、雇用問題など、自民党の様々な政策に、それぞれの立場から反発を感じている人々は多数いるのですから。

私の場合、自民党の労働政策に我慢ができません。日本電産のような労働基準法違反の企業を野放しにし、ワタミの創業者のような人間を自民党として公認する。こういう点が許せないのです。

それ以外でも、自民党の政策には是々非々です。同じく、親米政策、原発推進政策などを許せない人にとって、それが理由で自民党に反感を感じる、ということはあるでしょう。

ところが、こうした各論で反対ではあっても、総論では自民党を肯定する……それが多くの日本人の立場なのではないでしょうか。

様々な論の中にも序列があります。そのうちの、日本人の大多数が第一優先順位に考えているであろう、「人権への最低限の配慮」を有しつつ、「日本の国民のためになる政策」を考えている政党が、自民党くらいしか見つからないからです。

愛国主義、とまでは申しませんが、健全な保守主義を有している党が一つしかない、というのが日本の悲劇でしょう。

右翼的で暴力的な主張をする党はそもそも論外です。日本人の大多数の人権意識はそこまで低俗ではありません。かといって、それに対抗する勢力が総じて愛国にネガティブなのは、如何なものか。

アメリカは二大政党制を敷いていますが、共和党も民主党も、どちらも「国を愛する」という点では同じです。アメリカは二大政党とは名ばかりで、どちらも保守政党である、などと揶揄される所以ですが、政策は大きく異なっていようとも、国を愛していこう、という点では理念が一致しているのです。

国を愛するとは、その国の歴史を愛することでもあります。さまざまな間違いを、過去に起こしていたことは認めるものの、この国のたどってきた歴史は素晴らしいもので、私たちはこの国に生まれたことを誇りに思うべきである……こういう価値観を共有し、それ以外の点で対立する政策を、掲げ、争う。これが望むべき2大政党制でしょう。

ところが、日本では違いますな。民主党や社民党、共産党などの党員が、江戸時代の徳川幕府の政策や、明治政府が取り組んできた護民のための努力を積極的に肯定したりしませんね。近代史、それどころか、日本の歴史すべてを否定しようとする勢いです。だから日本を盛んに馬鹿にする人が多いのです。野党最大勢力である民主党のシンパにはこの手の人間が大変多いです。

民主党がこうなった理由は、いろいろあるでしょうが、民主党が自民党との対立軸を親米路線か否か、に置いたところに大きな原因があるような気がしてなりません。

民主党は、自民党とは異なる路線を取るために、親中国路線へと舵を切ろうとしました。

この中国という国はどういう国でしょうか? いまだに報道の自由や政治の自由、発言の自由を大きく規制している国です。また、明治期以降の日本の近代化の歴史を、帝国主義の歴史であると否定している国です。かつ、自国の過ちを決して認めようとしない、反省なき国家です。さらには未だに、チベット族や回族の独立勢力に虐待を加えている国でもあります。

そのような国に擦り寄ると、どうなるのか?

日本の過去をひたすら否定し、反省してみせます。
ところが、隣国の誤った政策には一切批判せず、見て見ぬふりをします。
さらには、報道の自由度などの、日本が優れている点を決して評価しないのです。


自分の長所ではなく短所ばかりに目を向けて、批判を許さない横暴なボスにすりよる人間が人望を失うのは必然でしょう。党もまたしかり。

外交政策は、私たちの生活に直接関係することではありませんから、投票する判断材料としては、二の次、三の次の優先順位でしょう。ところが、そう思って数年前、民主党を選んだところ、彼らの政策はお粗末極まりないものでした。当時は私も、ブラック企業追放のための何らかの施策を打ち出してくれるものと期待していましたが、なにか彼らが改善しましたかね?

結局、どの国を同盟国とみなすかは、党の姿勢に大きな影響を与えます。親米であれとは決して申しませんが、反米親中を選ぶことは、日本の先人の努力に敬意を払わないことにつながりますし、民主主義と自由主義という、民主国家にとって何よりも大切な理念を尊重しないことと、同意なのです。

そして、理念を尊重しない党が、リベラルだとか弱者救済だとかいったもともとの党の理念に沿った政治を、行えるはずがないのです。

各論で自民党と対立していても、根本では日本のこれまでの歴史を愛し、世界と協調しつつまずは日本国民のための政治を行うという点で共通している、そして何より、まともな人材が揃った野党に、現れてほしいものです。

2014年9月28日日曜日

20代の女性に社会が求めるものが多過ぎだ

私よりも年長、45歳の同僚の女性は、39歳で子供を産んだ。高齢出産である。私を含む周囲の同僚たちは、彼女から子育てがどれほど楽しいか、よく聞かされていた。

ところが私とその女性が、たまたま職場で2人きりとなったときに、真顔で諭された。
「子供は早く作った方がいいよ。楽しいと周りには話しているけれど、本当は身体がきつくてたまらないの。元気な子供についていくのが必死。こんなに大変だとは思わなかった」

彼女の言葉は、本音だったのだろう。人間は確実に老いる。子育てが楽しい、幸せだと、高齢出産を成し遂げた女性は声高にアピールするけれども、彼女たちは内心、元気な子供の世話に追われることで悲鳴を上げているのかもしれない。

出産にもある年齢を超えると危険をともなうことはよく知られている。子供を産むのには、適した年齢があるということだ。20代から30代前半の、15年ほどの期間。その間に子供を産むのが、身体に負担をかけない。

だから、社会が少子化対策のため、女性に子供を産んでほしいとお願いするならば、その年齢の女性が結婚し、子育てができる環境や雰囲気を作ることが必要だ。ところが社会は、女性たちに子供を産んで欲しいとお願いしながら、逆のことを平気で要求する。

よく語られる「経験を20代で詰め」

「20代で頭を鍛え損なった人がすべきこと」に取り組む50代のある半日」という日経BP社のオンライン情報サイト・ITproの記事では、50代の記者が、20代で能力を鍛え損なったことを後悔しつつ、日々経験に勤しむ様子をつづっている。
 20代の経験がその後の仕事振りを決める、すなわち仕事ができる頭は20代でつくられる、という話は昔からしばしば聞いた。この件は何回か書いたが大事だからまた書く。
 何かを成し遂げた人に「どうしてできたのか」と問うと若い頃の経験を必ず持ち出された。例えば、製品の企画、設計、生産、営業、客先への搬入、障害対策、保守を全部やらされて苦労したが、物事を判断する軸が頭の中に複数でき、その後の仕事にとても役立った、といった話である。
「20代で勉強・経験を積むことがいかに大切か」
という主張を、私のブログの読者も、どこかで読んだことがあるはずだ。いや、これはほぼ、常識のように語られている。

そして、少子高齢化社会の日本では、女性の社会進出に大きな期待が掛かっている。女性もまた、20代でキャリアを積み、専門知識を蓄えることを期待されている。

だが、20代は同時に、女性にとっては出産や子育てに適した年代だ。

一方では、女性もキャリアを積め、仕事をするべきだと言われ、もう一方では出産、子育てにはげめと言われる。別々のところで語られる矛盾した主張は、語る人間は異なるが、同じ人間へつきつけられている。女性にとってはあまりに酷ではないか。

矛盾した欲求で人は壊れる

無論、上記のITproの記者が、女性に酷な要求をするつもりで記事を書いたわけではない。だが、私たちは、同じ系列の日経新聞やその購買層が、矛盾した欲求を突きつけているのを知っている。

自動車のブレーキとアクセルと同時に踏めば、クラッチが焼けてしまう。幼少時に「私の言うことを聞きなさい」と言われながら、「自分の頭で考えて行動しなさい」と矛盾した2つの要求をされた子供は、両者に引き裂かれて精神を病むという。アンビヴァレントな要求をされることほど、ストレスのたまることはない。

無論、20代でキャリアを積むべき、という考え方は間違ってはいまい。だが、それを主張するときに、何らかのためらいを、私たちはそろそろ覚えるべきだ。

今のアメリカでは、化粧品会社が「白い肌は美しい」というキャッチコピーを使うことはほぼ不可能だという。有色人種への配慮がないからだ。窮屈なことだが、白人以外の人種に対して配慮をしていこう、有色人種の力を経済に取り組んでいこう、というアメリカ社会の意思を表している。

同じように、女性に子供を産んで欲しいと思い、同時に女性に企業の中でキャリアを積んで欲しいと日本人の私たちが思うのならば、キャリアはいつからでも積める、という考え方をもっとおしすすめていかなくてはならないと思う。

社会全体で、20代のキャリアに過剰な期待をすることをあきらめていくことで、女性へのストレスもまた、減るのではないかと思うのだ。

2014年9月18日木曜日

大江麻理子 不倫 略奪婚 アナウンサーとしての適格性

一昨日、マネックス証券社長である松本大さん(50)と、テレビ東京アナウンサーの大江麻理子さん(35)が結婚するというニュースを聞いて、耳を疑った人が多かったに違いない。

どちらも大変な著名人だ。大江アナウンサーの天然ボケでかわいらしい人柄はバラエティー番組で多くのファンを魅了してきた。今年3月からビジネスマン視聴率№1と言われるテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」のメインキャスターに就任していたので、お茶の間の知名度も高い。

松本大さんは、開成高校から東大に入り、ゴールドマン・サックスでは優秀な業績を上げ、それからマネックス証券を立ち上げた立志伝中の人物だ。経済に関する鋭い分析と穏やかな性格が、多くの人を魅了している。事業は順調で、大変な資産家でもある。

お二人には、まずはおめでとうと申し上げたい。

不倫の末の略奪婚?

さて、美男美女で金持ちかつ優秀な者同士の結婚なので、多方面から祝福の声が挙がっているものの、「好事魔多し」の例えどおり、いくつか気になる噂が流れている。その内の一つが、
「今回の結婚は、大江アナの略奪婚なのではないのか?」
というものだ。

根拠の一つが、松本氏の離婚時期にある。

彼が離婚したことは、これまでまったく公にされていなかった。今回の結婚報道で、彼が離婚していたことを知った人がほとんどだったようだ。

では、いつ離婚したのか?

昨年2013年12月12日、東京都港区六本木の政策研究大学院大学で開かれたアジアイノベーションフォーラム。17:30から行われた総括セッションの映像がYouTubeに上がっている。そのときの松本氏の左手薬指には、結婚指輪が光っているのだ。
 

動画の38:49頃に、松本氏が左手を高く上げているのでご確認頂きたい。

離婚したら結婚指輪は外す。そう考えると、彼が離婚したのは今年初めのはず。

松本氏が大江アナと知り合ったのは2012年12月4日。経済誌である『日経ヴェリタス』編集部と大江アナがトークをするという、ラジオNIKKEIの番組『日経ヴェリタス 大江麻理子のモヤモヤとーく』に松本氏がゲスト出演したときだ。

その時に面識があり、連絡先でも交換したのだろう。今年3月に大江アナが海外赴任先から帰国したのをきっかけに、つきあい始めたのだという。

しかし、50の男性と35の女性が、つきあって半年で結婚の意思を固めるだろうか? 乗り越えなければならない難問は山のようにある。お互いに責任ある立場にいる。結婚となると、大勢の人々に影響を与える。2人だけで決められることではないのだ。そのための準備時間として、半年はみじかすぎる。

特に松本氏は離婚経験者だ。離婚を経験した人間は、結婚に慎重になるはずではないのか?

そう考えると、2012年に知り合って、すぐに2人は人知れず交際を重ねた末に、松本氏が妻と離婚して大江氏と結婚することを選んだ、と考えた方が自然なのではないか? そうなると、大江アナにとっては不倫の末の略奪婚であるし、松本氏にとっては糟糠の妻を見捨てたことになる。

……と、こう邪推されたようだ。

こうした街の噂は、下記に詳しい。

★ 大江麻理子アナの結婚は【 略奪婚 】だった!!!?
★ 年の差婚発表のテレ東・大江アナに“不倫略奪婚“疑惑が急浮上?


実際は離婚して数年

ただ、上記記事でも紹介されているとおり、離婚したのは数年前だと松本氏自身が告白している。

松本氏のブログ「松本大のつぶやき」では、「海水浴」と題された記事に追記して、
私事ですが、ご報告させていただきます。数年間独身でありましたが、この度縁あって、テレビ東京キャスターの大江麻理子さんと結婚することとなりました。今後ともよろしくお願いします。
と書いているのだ。

大手企業の社長が、ついてすぐバレる嘘はつくまい。そうすると、彼は詮索されるのが嫌で結婚指輪をつけ続けていただけで、離婚は数年前に終えていた、というのが真相なのだろう。

頭が良くてカッコイイ資産家が離婚したとなると、妙な女性がわんさかと寄ってくるものだ。既婚者でも平気でアタックする芸能人崩れも多いという。松本氏もつきあいで、いろいろなパーティーに顔を出さなくてはなるまい。女性のアタックには、辟易していたことだろう。

加えて、中には押しの強い財界人も多い。彼らは松本氏が離婚したとなると、
「俺の知り合いに素敵な女性がいるから、会ってみてくれよ」
としつこく迫ってくる。

こうした煩わしさを嫌って、指輪をつけ続けていた、ということは、考えられないことではない。

ただ、そうすると、離婚していたのに結婚指輪をはめつづけて、周囲を欺いていたことになる。上記の噂は、彼がついた嘘に対して支払われるコスト、なのかもしれない。

アナウンサーとしての矜持

ただ、私が問題としたいのは、大江麻理子アナウンサーの行動だ。日本を代表するビジネス番組のメインキャスターとしてはあまりに軽率なのではないか。

「ワールドビジネスサテライト」(略称WBS)は、ビジネスマンならば必ず観ていると言われる夜の情報番組だ。この、公正中立を掲げる経済専門番組のメインキャスターに、一金融機関の社長夫人が座ることは許されまい。

すぐに辞めるのか? メインキャスターとなって半年なのに? 大江がメインキャスターとなるから、WBSにチャンネルを合わせていた視聴者たちを裏切るのか?

メインキャスターとなると、番組の構成にも携わる立場にある。どのような企業を取り上げるか、どのような商品を紹介するのか、どんな経営者にインタビューをするのか、などなど。そこに、価値中立的でいられるのか?

彼女が公正妥当だと信じて意見を伝えたとしても、視聴者がそれを公正中立だと判断するだろうか? ある企業の信用担保能力をゼロと某証券会社が判断するのは当然の行為ですと彼女が説明して、視聴者は受け入れるのだろうか。

証券会社としてメインで売りたい商品があるだろう。NISA(少額投資非課税制度)口座の存在を大勢の人に紹介したいなどと、彼女が番組で発言した途端、公私混同だ、という声が上がるだろう。上がらなくても、それは公私混同だ。

たとえば安住紳一郎が

逆の立場を考えていただきたい。

たとえばフリーとなった安住紳一郎アナウンサーが、報道ステーションの新メインキャスターとなったとする。ところが、彼がそのときすでに、女性政治家と隠れて交際していて、半年経って結婚を発表したとすると? あるいはメインキャスターとなった後に政治家とつきあっていたとしたら? 絶対にバッシングを受けていたはずだ。

政治報道番組にとっての政治家のように、株価に影響を与える経済専門番組にとって、証券会社経営者は出来る限り距離を保たなければならない業界関係者なのではないだろうか。それと隠れて交際していたというのは、メインキャスターとしては不適切だ。

WBSは、日本を代表する経済情報報道番組だ。彼女がすでに松本氏と交際を始めていたのならば、公正中立な立場を保つことが出来ない、結婚してすぐに辞めたら、大勢のスタッフに迷惑がかかるし、視聴者をがっかりさせることになるからと、上司に密かに伝え、番組のメインキャスターとなることを断るべきだったのだ。

もしもメインキャスターとなって言い寄られたのだとしたら、
「申し訳ありませんが、責任ある立場を任されたので、お断りさせていただきます」
と彼女は松本氏に、断るべきじゃなかったのか?

メインキャスター時代にサザビーズジャパン社長と結婚した小谷真生子とは、意味が違う。

男女雇用機会均等法が1986年に施行されて今年で28年になる。男女の扱いは公平であるべきだし、特に大江アナウンサーは、社会人として高い地位に就き、相当の収入を得ている30を越えた知性のある女性だ。男性と同等の、責任ある行動を求められるべきだろう。

ところがこうした観点から彼女を責める声が少ないことに、女性の責任を問わない、日本人男性の無意識の蔑視が潜んでいるような気がしてならない。





明後日は、上記で紹介していた記事の中に書かれていた、
514 :名無しさん@恐縮です@\(^o^)/:2014/09/16(火) 21:55:56.62 ID:pxgR9HAi0.net
やっぱり綺麗なのになんで結婚してないんだろ?ってのは
確実に愛人やってるわ
というコメントの真偽について、お見合いパーティーに行っていたときの経験でも書いてみようと思う。


2014年9月8日月曜日

朝日新聞記者が、過去の強盗行為を自慢

先日この本の存在を知って、あまりのデタラメぶりに驚愕した。

★ 【朝鮮学校の真実】朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ - NAVER まとめ

朝鮮高校の生徒だった筆者・金漢一は、現在朝日新聞の記者だという。彼が書いた下記の本の内容にゾッとした。

2~3人で仙台市内に繰り出し、
2年生はお目付役として1年生にアイツをやれとか
目配せしたり ・・・
日曜日に1年生が寮内にいたら先輩になぜ街に出て日本人を狩らないのか聞かれる
端から見てても気の毒なほど日本人をボコボコにしてるヤツもいるし
まわしケリ一発で決めるヤツもいる
相手が前かがみに倒れると、殺してしまったかと、さすがにビビるそうだ 
先輩から命令されてやっていることが多いので、
2~3人とカツアゲしても 、目標額に達しないと焦ってくる
なかには給料袋のまま、数十万円もカツアゲしてくる勇者もいる
「おまえそれはひどいんじゃないか?」
「チョッパリにはなにしてもかまわねえ」
警察に捕まった朝高生も、呼び出された先生も、
我々朝鮮人を強制連行した日本政府が悪いんだと、話を政治問題に振り向けると、
バカな仙台の警察官達は、黙りこくってしまい、お目こぼしされる
ネトウヨの吐き気をもよおす主張には憤懣やるかたないが、それへの反対勢力が、これまたどうしようもなく暴力的で嫌気がさすので共感できない。

民族の問題解決に最も必要なのは、お互いの文化に対する敬意だろう。そして、基本的な価値観の共有だろう。

基本的価値観とは基本的人権の尊重であり、法律の順守であり、暴力行為の否定だろう。また、親と子は別人格であり、罪を子供が背負うものではない、という価値観だ。

コミュニタリアニズムを唱えるサンデル教授の思想に賛同するものだが、物語を組織として背負うことを意味しても、子供が親の罪を背負うことを許容するものではない。

親の世代の一部が、韓国人にひどいことをした。その恨みを、無関係の子供の世代に晴らす権利があると信じ、彼らが稼いだ給料を奪い取り、それを当然だと信じるのが金漢一の歪んだ価値観なのだろう。だったら、金漢一の子供を殴る権利が俺にあるということじゃないか。そんな馬鹿な。

そもそも暴力行為は許されるものじゃない。それをなんだかんだと言って正当化するのが、DVを行う人間の基本パターンだ。

過去の行為を本当に反省した人間は、悔恨の念とともに、恥じ入りながら告白するものだ。それを、
「仕方ないじゃないか」
「俺達が怒るのは当然だろう」
と理由をつけて開き直る人間は、決して反省をしていない。

芸能人で、弱いものいじめ、強盗行為などを自慢する人間がどうしても好きになれない。野球界、柔道界、相撲界などで暴力をふるうことを当然だとする風潮が我慢できない。なぜそれを許すのか。

それにだ。罪を許さないためにも、罪を犯した人間に贖罪をさせるべきだ。しかし、為政者にとって便利だから、「連帯責任」などの言葉で個々の罪の追求を疎かにしてきたのが封建社会だ。いまだにこの手の価値観が一定の支持を受けていることが理解できない。過去の朝鮮の国力が劣っていたからといって、今の韓国を貶めようというバカな奴らと変わらないじゃないか。絶対に、絶対に、"ノー"をつきつけねばならない。

暴力に"ノー"
親の罪を子に償わせようとする封建的価値観に"ノー"

人類の勝ち得た共通の基本的価値観は絶対に守る、という覚悟がないから、いまだにこうした人物の戯言を褒めそやす人々がいるのだろう。

それにしても、朝日新聞という一流メディアの社員となり、社会的地位を手に入れたにも関わらず、過去の罪を悔い改めるどころか、自慢気に語って平然とする金漢一という人物の神経を疑う。

以前直木賞を受賞した金城一紀の『GO』を読んだときにも思ったが、この手の人間を賞賛するのは「実話ナックルズ」だけにして欲しい。

暴力や異常性愛は、マンガやアニメのようなファンタジーだけに許される。現実のものには絶対に許さない、という毅然とした態度を日本のメディアはなぜ持ち得ないのだろうか。それを社員に許容するのが朝日新聞社のメンタリティーなのだろうか。基本的人権を尊重するのならば、当たり前の価値観ではないか。

もっとも朝日新聞は、高校野球界の虐待を見過ごし続け、駒大苫小牧の甲子園優勝を取り消さないなど、体育会系の暴力に甘い態度をとり続けてきた会社だ。当たり前の常識が通用しない企業なのかもしれない。

2014年8月26日火曜日

月間7万ページビューなので、まだ広告のことは考えていない……なんてね

文人商売というブログを書いている人が、「月50万PVいったので、そろそろ広告を考えてみる」という記事で8ヶ月で月間50万PVまでいったことを紹介している。

PVというのは「ページビュー」の略であり、何回、そのブログが閲覧されているのかを示しており、ブログの人気や実力を示す指標の一種となっている。

私のブログは2012年3月から開始して、ようやく月間PV数が7万から10万なので、彼我の差に少々、情けなくなる。

PVという指標は、ユニークユーザー数や訪問者数に比べると指標としての信頼性は低いと言われることが多い。同じ人が5記事をクリックして読んでも、異なる人5人が1記事ずつ読んでも、同じく5PVとカウントされるからだ。

ところがPVが指標として利用されるのは、アフィリエイトの収益額と相関関係があるからだ。乱暴に言えば、1人の人が5記事を読んで、そのうちに広告(このブログの上や右上などに貼り付けられているGoogle AdSenseの部分です)をクリックしてくれる確率と、5人の人の中でクリックを誰かがしてくれる確率はほぼ似たようなものだからだろう。

※ちなみに、このブログを読んだだけでは筆者の収益とならない。Google AdSenseの広告をクリックしないと筆者への利益とはならない。

つまり、私の月間のGoogleからの収益額は7,000円から8,000円ほどとなる。その計算は正しい。

毎日1時間以上ブログを書くのに費やしているので、仕事として考えるとまったく割に合わない。しかし、文章力上達のための機会として、あるいは、情報発信によって、書き手、読み手双方の考え方の整理に少しでも役立つ機会としてブログを書いているので、金銭面で割に合わない、というハードルはクリアしている。

ただ、問題は存在意義だ。多くの人に読んでもらえるということは、それだけ記事が誰かの役に立っている、ということだろう。その意味で、PV数が増えるのは、筆者にとって嬉しい。その上ちょっとした小遣いになることが、さらなるモチベーションの源泉となる。

冒頭で紹介した「文人商売」の筆者が、ではどうやってPVを増やしたのか。その理由は下記記事に詳しい。

★ 書籍化&30万PV達成したので、ブログのアクセス増やす具体的な方法を教える

ちなみに、これを参考に私が書いた記事が(そうです。私はなんでもすぐにやってみる質なんです)、こちらだ。

★ エヴァ映画を「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」も含めてランキング形式で紹介してみた

でも、これは思ったほどPV数はなかった。エヴァは、取り上げている記事が多すぎて、私の記事が埋もれてしまったのだろうと予測しているが、それにしてもひどかった。

私のブログの場合、まずは、タイトルと内容にもう一工夫が必要なのだろう。

もっと面白いと思ってもらえる記事を書いてみたい……。

そう考えて、いろいろと考えた末、明日からだけれども、記事を書くのを隔日にしてみようと思う(もちろん、書きたいネタがあれば、それに関わらず書いていくつもりだが)。

アウトプットも必要だが、インプットも必要だ。だが、今のペースでブログを書いていると、私にはインプットの時間が足りない。その時間を増やすことで、少しは内容はマシになるのではないだろうか……。

しばらく、隔日でブログを書いていきます。



2014年8月23日土曜日

昔、クジラを食べるなという抗議に反感を感じていた

今から20年ほど前、まだ私が学生の頃に、
「クジラを食べる日本人は残酷だ」
と唱える白人どもに、ひたすら嫌悪感を抱いていた。

当時、日本人はエコノミックアニマルと呼ばれ、欧米人から目の敵にされていた。有色人種への偏見が今以上に強かった時代、白人よりも劣っているはずの黄色人種に経済規模で追い越されようとしていることが、単純に許せなかったのだろう。

欧米で日本人がどう批判され、どう侮蔑されているか。日本のマスコミは欧米の日本観を丹念に救い上げてよく特集を組んでいた。反捕鯨運動が、日本人野蛮説を補強するのに格好の材料となっていることも、そこで知った。

そもそも反捕鯨運動は、ベトナム戦争で世界から批判を受けていたアメリカが、自国のイメージアップのためにおこなったキャンペーンの一環であることはよく知られている。

つまり、自国のイメージアップのために、
「アメリカは環境保護運動に熱心なエコ大国である」
と世界に訴える戦略をとったのだ。その象徴として、反捕鯨が利用されたのだ。

だから、捕鯨に賛成であり、日本の文化を欧米人の偏見から守るという同じ流れで、和歌山県太地町の人々のイルカ漁がシーシェパードから邪魔されていることに憤慨をしていたものだ。

だいたい、クジラの肉はとても栄養価が高く、疲労回復のためにはウナギよりも適しているとも言われている。
クジラの多くは、半年間をエサ場である高緯度の冷たい海で過ごし、繁殖期になるとエサ場から数千キロも離れた暖かい海へ移り、ほとんど餌をとらずに子育てをする。半年も絶食状態で出産し、そのまま数千kmも不眠で泳ぎ続ける驚異的なパワー。そのパワーの源ではないかとされているのが、クジラの特有成分「バレニン」という抗疲労成分だ。バレニンは、クジラの赤身に含まれている成分で、体脂肪を効率よく燃焼させ、疲労予防・疲労回復の効果を持つ。最近では、バレニン成分を含んだサプリメントも販売されている。 ――【iWire】クジラ肉に含まれる意外な成分とは!?(共同通信提供)より――

この栄養素に築地場外市場にある鯨料理専門店「鯨の登美粋が注目して、妙な商品を開発した。

店先で売られている「くじらアイス」には、粉末状にしたバレニンと黒ごまをミックスしたくじらパウダーがふりかけられている。一個500円と、それほと高くはない。

9/3には東京の巣鴨で「第二回巣鴨くじら祭り 」が開催される。巣鴨近辺の60歳以上の女性が「クイーン」として選出される「すがもクイーン決定戦」という、誰得のイベントも開催予定だという。



かように、日本にクジラ食は根付いている。それを欧米の文化で野蛮だと蔑まれてはたまらん、という思いでいたのだが……。

このところ、イルカの可愛い動画をYouTubeで観るようになって、考えが段々と変わってきた。




やっぱり、イルカは可愛い。人間を臆せず、人間に寄ってきて、ひたすら「遊ぼう、遊ぼう」と言ってくる。

こんな愛しい存在を殺して食べるのは、どうかと思うのだ。

人間のエゴではあるけれども、イヌ好き、ネコ好きは、イヌやネコを食べる文化を許容できないだろう。同じく、イルカに親しみを感じる人々は、イルカ漁を肯定はできまい。イルカの可愛さを知った私は、イルカを殺して食べるのに、抵抗を感じるようになった。

それに、ここ20年ほどで、欧米人の偏見はかなり改善された。日本人が馬鹿にされることも、20年前に比べると格段に減っている。むしろ、リスペクトされていると思えることの方が、大きい。

彼らも変わったのだ。そろそろ、日本も変わってもいいのではないか。鯨食文化をやめてもいい頃合いじゃなかろうか。



2014年8月16日土曜日

共産主義とイスラム原理主義

共産党に2ヶ月半で5,100人の若者らが入党したそうです。

数十年前まで、共産党及び共産主義に影響を受けた人々が、世界中でテロを起こして革命を起こそうとしていました。その残滓に、未だ共鳴する人々がいるのでしょう。

不況が慢性化して、格差が広がると、革命を起こして世の中を作り変えようとする意思のある勢力に、大勢の人々が引き寄せられます。この流れは、いつの時代も変わりません。

ただ、世界的には、貧しい人々の支持を集めているのは共産主義ではなくイスラム原理主義の方です。

昨日、「イスラム国」の勢力拡大についてブログで触れました。日本人の香田証生を殺害したイラクの「聖戦アルカイダ」が前身のこの組織は、アブグレイブ刑務所から受刑者を脱獄させて人々の支持を集めたのが始まりしたが、数年でここまで膨れ上がり、現在はイラクという「国」を手中に収めようとしています。まさに「国盗り物語」。

狂信者の集団の怖いところは、勢力の拡大が急であること。弱小組織だと思って油断していると、数年で国家を掌握するまで急成長することです。その怖さは、数十年前に社会主義国によって世界の半分を支配されていた人類ならばよく知っているはずなのですが。

数十年前の共産主義者とイスラム原理主義者。この2つにはいくつかの共通点があります。


1.貧困層からの支持

数十年前、封建社会が崩壊したり、急速に進む都市化によって、食えなくなった人々から共産主義は支持されました。

現代では、グローバリズムによって貧しくなったアフリカや中東の人々から、イスラム原理主義が支持されています。


2.支援する資金源の存在

これが彼らが力をつけている一番大きな要因です。ロシアという世界で最も巨大な大国と、中国という世界で最も人口の多い国が共産化したお陰で、世界中の共産主義者たちは様々なバックアップを受けられるようになりました。

イスラム原理主義者を応援するのは、オイルマネーです。蓄積された資本をイスラムの人々はうまく運用して、莫大な資金が今、彼らの手元にあります。大金持ちの一部には、イスラム原理主義に共鳴する人々がいます。

ところが彼らには世界を動かす力がありません。世界を牛耳っているのは、今も昔も欧米です。この世界秩序に反感を覚えていても、アラブの人々には世界を運営する機会がありません。

現状を打破したいと思う彼らが資金源となって、過激派が武器や弾薬や食料を購入するのを応援しています。


3.暴力を肯定する思想

マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中で、「共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する」と書いたがために、その後の過激派の暴力は肯定されました。

同じくイスラム原理主義の根本には、聖戦(ジ・ハード)を肯定するイスラム教創始者のムハンマドの教えがあります。

暴力には、すべての秩序を打ち壊すエネルギーがあります。そして、若い肉体の他には何者も持たない若者たちにとって、その肉体を存分に活用できるのは暴力です。それが肯定される思想は多くの若者にとって、魅力的です。


4.敵はアメリカ

彼らにとって目の上のたんこぶが、アメリカの存在でしょう。世界で最も豊かで、最も強い国であるアメリカが、今の世界の体制を決めています。世界をリードしているアメリカのシステムすべてが、虐げられている人々にとっては憎くて仕方がなくなります。


5.世界に張り巡らされたネットワーク

世界中に仲間がいるのは、心理的に心強いものです。

数十年前、ソ連は「コミンテルン」という国際組織を作って世界中の共産主義者の活動を陰に陽に応援しました。

現代では、イスラム教という世界宗教が張り巡らせた世界中のネットワークが、イスラム原理主義者を応援しています。穏健イスラム教徒と原理主義者を明確に区分することはできず、彼らの垣根は曖昧です。



以上、つらつらと両者の共通点を並べてみました。

読者にとって、日本人とイスラムの関わりが薄いためにあまり身近には感じられないかもしれませんが、実のところ、日本人にとって、イスラム教は決して無縁なものではありません。第二次世界大戦で日本の軍国主義を主導した人物に大川周明という人がいましたが、彼はイスラム研究家としても有名でした。
日本の左翼思想をリードする人物の1人に本多勝一がいますが、彼はイスラム教徒です。

日本の最高の知性と言われた人物に井筒俊彦という上智大学教授がいます。彼は世界的に有名なイスラム学者で、革命前のイラン王立研究所で教授をしていました。

イスラム教は、今後も日本にいろいろな形で流入していくことでしょう。今は細い糸ですが、やがて大きな潮流となることでしょう。

今は冒頭で紹介したように、、日本の不満層のはけ口は、馴染みのあるr共産党などに向かっています。しかし、彼らはやがて、共産党が、それを支えていたパワー(上記の2、3、5)を失っていることに気づくでしょう。そして、世界的な反攻者の潮流に身を投じたいと考えてもおかしくありません。

絶望したサヨクやネトウヨたちが、やがてイスラム教に共鳴して続々と入信していくという悪夢は、絵空事ではありません。今のうちにイスラムについて、知っておくのは無駄ではありません。



2014年8月6日水曜日

仕事をしていた戦時中の外交官

日本がアメリカを真珠湾攻撃したときのこと。在ワシントン日本大使館1等書記官だった奥村勝蔵の失態のために、攻撃後の宣戦布告となりました。このため、アメリカから、
「日本は騙し討する卑怯な国だ」
と後々まで非難され続けて今に至ることは、よく知られていると思います。

その日の奥村は、前日部下の送別会に出席、それから早く帰宅すればいいのにトランプにかまけ、翌日遅くに出勤。宣戦布告書を清書するのが遅れたことが諸悪の根本とのこと。

それを知って以来、第二次世界大戦のときの日本の外交官に対して、信頼を寄せられなかったのですが、予想外に日本の外交官は活躍していたようです。


上記記事によれば、1945年2月8日と21日に、ドイツの情報士官が自国へ「ソ連対日参戦」の情報をもたらしました。ドイツは自国の在外公館で情報を一斉に共有したそうですが、
この情報は、もともとストックホルム駐在、小野寺信(まこと)陸軍武官がロンドンの亡命ポーランド政府から入手してクレーマーに提供したものとみられ、米国立公文書館所蔵秘密文書によると、クレーマーは、ドイツ降伏後の尋問で「小野寺と活発に情報交換し、45年2月か3月に連合軍の極めて重要情報の提供を受けた」と答えている。
のだそうです。

日本の武官がスウェーデンで活発に情報収集を行っていて、成功していたことに感動を覚えました。記事では、こうした情報を活かしきれなかったことが責められています。

ただ、こうした情報を日本が活用できなかったのは、しょうがないところもあるのではないでしょうか。

記事でも指摘されていますように、日本はソ連に和平交渉を依頼していました。和平交渉を頼む相手に敵対的な行動を取れないと考えるのは当然です。

それに、1939年にはノモンハン事件が起こっていますから、ソ連が再び、満州に攻めてくるだろう、という予想は、すでに前線では共有されていました。ですから、ソ連の対日参戦という情報も、ソ連が攻めてくる確率が5割から7割に上昇したようなもの。あまり大きな変化と感じられなかったのかも。

それに、撤退行動がソ連攻撃の誘い水になるかもしれない、という意見も根強く、動くに動けない状態だったと言われています。

また、連戦連勝しているはずの日本が撤退行動を取ることが、国民の支持を得られない、という判断も合ったのでしょう。

ソ連の対日参戦の情報をいち早く得た外交官の努力には感動を覚えます。しかし、いくら耳や目で相手の情報をつかんでいても、自由に動ける足がなければ逃げることはできません。

大本営発表などの間違った情報を国民に与え続けて、体面の維持を図った結果、撤退の自由がきかなかったことが、敗戦に至る一番の原因だったように思います。


2014年7月23日水曜日

ウクライナがロシアと対立を深める理由 まとめ

マレーシア航空を撃墜したのは、ウクライナ政府と抗争を続けている親露派によるものである可能性が濃厚だという。

亡くなった方々のご冥福を祈るばかりだ。そして、攻撃した側には軽侮の念を抱かざるをえない。バカなことをしたものだ。噂どおりだとしたら、ウクライナ内の親露派、それを応援するロシアに対する世界の目は、厳しくなるばかりだからだ。

それにしても、なぜウクライナとロシアは抗争を繰り広げるのか。両国の間の歴史、報道などを参考に、簡単にまとめてみた。


1.歴史的な対立
ウクライナ・ベラルーシ・ロシアの三国は、共通の民族と祖国を持つ。西暦882年に建国された東スラブ民族の国である、キエフ大公国である。

キエフ大公国の首都はその名の通り、キエフであり、現在のウクライナの首都。つまり、本来ならばウクライナが三国の盟主となるはずであったが、相次ぐ内戦やモンゴルの侵略によってキエフが荒廃したため、モスクワを首都とするロシアが台頭したまま現在に至る。

ウクライナ人は東スラブ民族の中心は自分たちだという自負を持ち、ロシア人は自分たちこそが東スラブ民族のリーダーだという意識がある。両者ともにプライドの競い合いがあった。

2.ウクライナへの虐待

ウクライナは穀倉地帯であり、豊かな土地である。逆に、ロシアはより内陸部にあり、環境としては過酷であった。

過酷な地域で勃興した帝国は強大となる。弱くてプライドの高い国は、強く貧しい帝国にとってみれば目障りだ。

ロシアの歴代政権は、ウクライナに対して、ロシア化を推進したり分割統治したりと、常に過酷な態度で臨んできた。また、近年ではソ連がウクライナのチェルノブイリに建設した原子力発電所が爆発し、ウクライナの人々に大きな被害を与えている。

3.ウクライナ国内のロシア民族

中国はチベット民族が多く暮らすチベット自治区に、大量の漢民族を送り込んで、チベット人の影響力を減らそうとしている。この種の民族浄化は、旧共産主義国ではよく行われてきた手法である。

ロシアはウクライナにロシア民族を大量に送り込んで、ウクライナの国論に影響を与えようとした。現在、ウクライナの中でロシア民族が占める率は2割にもなる。

4.ロシアと欧米の綱引き

国家間では常に摩擦が生じる。うまくいっているように見える日米間でも、懸案が生まれ続けているではないか。いわんや価値観が異なる国家間においてをや。

欧米は契約社会であるが、ロシアはときどき、圧倒的な力を背景に契約を一方的に破棄することがある。その上、欧米に公然と刃向かう勢力(イスラム過激派や犯罪組織、イランやキューバなど)に資金や武器を提供するなどして、欧米を頂点とした世界秩序の邪魔をしている。

欧米がロシアをいかに批判しても、ロシア側はライバルの力を削ぐのは当然として、意に介さない。そこで欧米は、ロシアの勢力圏を少しずつ奪うという地道な努力を続けている。その対立の場が、現在はウクライナというわけだ。

5.ユダヤ民族の恨み

ユダヤ人は、ロシアでは今もなお、差別される側である。アンチキリストとして迫害され続けたユダヤ民族は、欧米では近代化の波にうまく乗って、大勢が資本家として成功して、独自の地位を築き上げた。

しかし、ロシアやウクライナに大勢住んでいるユダヤ人は、社会主義の時代が長かったため、経済的に成功できなかった。今もなお迫害を受けている。これがユダヤ人にとってみれば許せない。

そこで、ユダヤの資本家、特にジョージ・ソロスを中心とした人々が、築き上げた財力でロシアの勢力圏の縮小を企てている。

「これからの社会は、企業が国家以上の力を持つ」
ということが、下記の書籍に記されている。

ジョージ・ソロスを中心としたユダヤ人グループは、巨大資本ならば超大国をすら凌駕しうる、ということを証明しようとしている。


こんなところか。



2014年7月4日金曜日

号泣会見をした野々村竜太郎議員は、ちょっと異常な人間だった

兵庫県の県会議員である野々村竜太郎(ののむらりゅうたろう・47歳・無所属)の常識はずれの記者会見が、大きな話題になっています。

号泣しながら意味不明のことを口走る様子は、明らかに異常。

この議員はどんな人物なのか。なぜこのような騒動になったのか。調べて、簡単にまとめてみました(なお、彼のことを「野々村龍太郎」と書いているブログもありましたが、「竜太郎」が正しいようです)。

まずは、問題の野々村議員の記者会見をご覧ください。
まともな精神状態ではないことが分かります。

そのまんま東も、こう批判しています。


不正疑惑の内容

まず、兵庫県県議会議員は、
840,000円/月(議員報酬)×12ヶ月+376万円(期末手当・年2回支給)=1,375万円
を収入として受け取ることをおさえてください。

それとは別に、資料作成や調査などのために、月額50万円を「政務活動費」としていったん受け取ります。
50万円×12ヶ月=600万円  1,375万円+600万円=1,975万円
これが、兵庫県県議会議員に一旦支払われる金額となります。

ところが、政務活動費である600万円のうちの不使用額は、年度が変わったら県知事に返還しなければなりません。完全にもらえるものではないのですね。

しかし、野々村議員は2011~2013年度の間に、東京、福岡、兵庫県城崎温泉、佐用町の4ヶ所に合計345回、日帰り出張したと主張。約780万円を返還しませんでした。他の議員は、最大で33万円/年ですから、平均260万円/年を受け取るのは異常。

その上、活動報告や領収書は未提出。下記のような領収書にもならない、「支払い証明書」を出しただけ。
そのことを追求された結果、7/1(火)に記者会見を開き、釈明に追われた野々村議員。

ところが、
「政策教授や意見交換をした訪問先からは、名前を公表するなと言われた」
という言い訳をして説明を拒み、3時間にわたって追求された結果、取り乱して、あの異常な記者会見となってしまったようです。

インチキな選挙

この方、関西大学法学部を卒業後、兵庫県川西市(下図の赤丸で囲った場所です)の市役所職員となったものの、
2007年に退職して、議員や市長などへの立候補を繰り返します。

2008年7月、兵庫県太子町長選に立候補。485票得票(落選)。

2008年11月、兵庫県西宮市長選に立候補。6,184票得票(落選)。
2009年7月、兵庫県議会議員補選に西宮市選挙区から立候補。33,359票得票(落選)。
2010年5月、西宮市長選に立候補。25,924票得票(落選)。
2011年4月、兵庫県議選に西宮市選挙区から立候補。11,291票得票(当選)。

被選挙権を得るためには、3ヶ月間の居住実態がなければなりません。上記の地図の通り、あっちに行ったりこっちに行ったりして、転居を繰り返したのでしょうね。

知名度がないのですから、川西市議会議員選挙や、西宮市議会議員選挙に出ればいいのに、それをせずに県議会議員選挙か、市町村長選挙にしか出ないところ、プライドが高い人物だったのでしょう。
ところが、2011年の選挙。彼が当選したのはインチキを行ったからでした。当時、橋下徹旋風が吹き荒れていた時に、「維新の会」とはまったく関係ないのに、「西宮維新の会」を勝手に名乗って当選を果たしたのです。

このことを今さらながら知って、橋下大阪市長は怒っています。
★ 号泣県議が名乗る「西宮維新の会」 橋下氏「関係ない」
野々村氏は2011年の県議選で「西宮維新の会」を名乗って戦い、初当選を果たした。選挙中は「ワン西宮」と訴えていた。維新は大阪府と大阪市を「ワン大阪」として一体の行政運営を進めている。橋下氏は会見で
「『ワン西宮』というが初めから西宮は一つじゃないか」
と皮肉った。

Twitterに渦巻く狂気

そのうえ、この議員のTwitterには異常性があふれています。
とか、
とかね。普通、議員ともあろうものが、憎いだのと負の感情を赤裸々に吐き出したりは、しませんよ。また、「ののちゃん」と自称するのも、いかがでしょう。

しかも別のツイッターでは、配偶者募集中であることを、いけしゃあしゃあと広告しているのです。また、「ひょうご出会いサポートセンター」でお見合いを申し込んだことなども報告しています。
議員としては少々、発言に慎重さが欠けるようです。

公私混同が激しい方なのでしょうね。

ブログに渦巻く狂気

また、彼のブログも、少々異常です。

ブログ記事の両脇に、これでもかとばかりに貼られた自分の似顔絵。

頭がクラクラしそうです。

そしてピンぼけの写真を貼るという感覚。公職に就く者が大勢の方に公開するものです。いい加減なものでも事足れりとする、だらしなさがみてとれます。誰しも議員になったとしたら、公開文書には相当に気をつけると思うんですよ。

極めつけは、SEO対策。これは、グーグルで自分のブログが検索されやすくするために、記事の中に、検索のキーワードとなる「単語」をいくつも忍び込ませるという方法ですが……。
赤丸で囲んだ部分をご覧ください。

単語をこれでもかとばかりに羅列しています。記事とは直接関係ないものも入っています。

他の記事も読みましたが、西宮にかつてあったパラビオン(Par Avion)というショップの名前が、脈絡もなく挿入されたりもしています。

これ、少しはSEO対策になるかもしれませんが、記事とは無関係な単語が、各記事の最後にかならず入っているわけですから、読む人にとっては大迷惑です……。



以上、野々村議員の異常さについて、簡単にまとめてみました。

Wikipediaには、彼のキャラクターをまとめた記事が書かれては削除され、書かれては削除されの繰り返し。国民の高い関心が見て取れます。

それだけではなく、イギリスやオーストラリアのニュースでも取り上げられており、世界からも注目され始めました。


まだ現在進行中のこの案件。議会に批判が殺到しているようですから、もしかしますと議員辞職までいくかもしれません。果たしてどうなることやら。

2014年6月28日土曜日

塩村文夏議員の中の、深い闇

都議会でセクハラ野次をおこなった側、受けた側の双方の過去を探りますと、さまざまな問題を抱えていました(ネタ元は、だいたい週刊文春7月3日号です)。

鈴木章浩は嘘の常習犯

まずはセクハラ野次を行った鈴木章浩(あきひろ)議員。

2005年に公費80万円を使ってフランスの地下鉄などを視察後に都に提出した報告書が、早稲田大学名誉教授の講演要旨の丸写しだった過去が、掘り起こされています。

★ 自民区議が報告書盗用? 千葉県HPから丸写し

上記記事では原文と盗用文が映像で紹介されているのですが、読みにくいので一部、書き起こしてみました。
EUの新たな中核都市を目指す「ユーラリール」プロジェクトを紹介します。ヨーロッパは政治・経済のドラスティックな変化の中で、長い伝統を持つ存在自体が大きく揺らいでいるという状況のもと、EUという一つの共同体として結集することにより再生しようとしています。ヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ動脈である「ユーロトンネル」の開通はその象徴的な事件でした。イギリスのフォークストンとフランスのカレーを結ぶ全長53km、海底部分38kmのトンネルが開通したのは1994年6月ですが、計画から実現までに2世紀を要したプロジェクトです。
上記が盗用されてしまった、早稲田大学名誉教授である浜田泰三氏の講演要旨であり、下記が鈴木章浩議員が盗用した報告書。
ヨーロッパは政治・経済のドラスティックな変化の中で、長い伝統を持つ存在自体が大きく揺らいでいるという状況のもと、EUという一つの共同体として結集することにより再生しようとしました。ヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ動脈である「ユーロトンネル」の開通はその象徴的な事件でした。イギリスのフォークストンとフランスのカレーを結ぶ全長53km、海底部分38kmのトンネルが開通したのは1984年6月ですが、計画から実現までに2世紀を要したプロジェクトでありました。
この調子でほぼ丸写しだったのにもかかわらず、「引用」だと鈴木議員は強弁して、この件はうやむやに。

過ちは誰にでもあると思うのです。でも、盗用は盗用。引用元を書かなければ、引用にはなりませんよ! 開き直ってしまうところが悪質。その上、翌年にも同じ盗作騒動を引き起こしています。反省しないから繰り返すのです。

詐欺師は再犯しやすいと言います。セクハラ野次騒動でも、最初は「野次を私は言っていない」とすっとぼけようとしましたから、この方は嘘の常習犯なのでしょう。

金銭欲と上昇志向と不倫

対しまして塩村文夏(あやか)議員。

この方がテレビ番組『恋のから騒ぎ』にレギュラ―出演したときに、「別れた彼氏から慰謝料1,500万円をもらった」などとテレビで告白していることは、私も以前の記事で触れましたし、ネットで存じの方も多いようです。

同じく都議の三谷英弘と不倫騒動も起こしていたことまでは、先日の記事でも取り上げたとおりですが……。塩村議員、朝日新聞記者とも不倫をしていたと、週刊文春では報じられています。いやぁ、ゆるいですね。



……ここまでが週刊誌に掲載されていた話ですが、本日の本題はここから。

私は、塩村文夏という美しい女性について調べれば調べるほど、不思議でなりませんでした。あの美しい顔の向こうに、異常な金銭欲と上昇志向、不倫願望が同居している理由が、分からなかったのです。普通、ある程度世間に認められれば、満足するはずですし、都議にまでなったら、身持ちを良くするはず。なにかアンバランスなものを感じたのです。

男女の間で何があったのかわかりませんが、相場というものがあるでしょう。別れ際に1,500万円もの大金を受け取る理由に、まともなものはありますまい。

グラビアアイドルから素人タレント、放送作家から政治家へと、自分の美貌をどうすれば社会的地位へと変えられるかを意識しながら、上へ上へと強迫観念のように上がろうとする上昇志向をなぜ彼女は持つにいたったのか?

そして、議員という社会的に責任のある立場にありながら、どうして不倫を重ねるのでしょうか?

それぞれまったく別のことではあるのですが、一人の人間にそれが同居するにはなにか大きな要因があるはずだと踏んだのですが、全体像のパズルを組み立てるにはピースが足りませんでした。

それがここ数日の間に出てきた情報が重なることにより、一気に理解できるようになったのです。

塩村一という産廃業者がいた

塩村文夏議員は、年上の男性が若い女性と結婚することに、大変な嫌悪感を持っていることを、過去に告白しています。

ツイートは現在削除されていますが、魚拓が撮られており、

★ https://archive.today/PEP1d

で確認することが出来ます。2011年、加藤茶が45歳年下の女性と結婚し、2012年に仲本工事が27歳年下の女性と結婚したことへ、嫌悪感をいだいた模様です。

なぜそのように感じたのか。彼女は別のツイートで理由を示しています。

つまりは、自分の父親が30歳も年下の女性と駆け落ちし、結局捨てられてみじめに年老いている姿を見聞きした結果、年上の男性への嫌悪感と不信感、憎悪が入り混じったコンプレックスを抱くにいたったのでしょう。

では、この老父とはどういう人物か。

それについては確証はありませんが(伝聞の類なので、もしも事実と異なっていることがわかれば、後日この部分を削除するかもしれません)、下記のような指摘をされているのを読みまして、本当か? と度肝を抜かれました。

★ 【塩村完全終了】2ch探偵団が塩村文夏議員の素性を特定!!!
(画像は「保守速報」より)
1989年に広島県福山市で汚土収集詐取事件が発生します。塩村一という人物が起訴され、有罪判決を受けました。暴力団の影響力の強い当時の広島県の福山市(映画『仁義無き戦い』では、福山市を地盤とする河野組という暴力団が出演しています)で、最大手の産廃業者というだけで、いろいろと想像がつくというもの。

この業者が、市長や市の職員を脅迫し、随意契約を違法に獲得。それがバレたという事件です。

塩村一という人物は、事件当時54歳。そこから計算した所、塩村議員の父親と同じ年齢。塩村議員の生まれ育った場所も、広島県福山市内でした。

妻子を捨てて30も年下の女性と駆け落ちできた塩村議員の父親は、それなりの社会的地位や資産を有していたはず。地方には同姓同名が多いとはいえ、年齢も姓も同じ成功者が、そうそういるとも思えません。

で、もしもこの「塩村一」という人物が塩村議員の父親だとしたら。彼女が11歳のときに汚土収集詐取事件が発覚したことになります。

すべては老父へのコンプレックス

幼いころに金持ちから貧困へ突き落とされた場合、長じて異常に金銭に執着する例が多いことが知られています。こういった事件があった以上、今までの豪奢な生活は当然送れないでしょうから、塩村一の子どもは、大変苦労したことでしょう。

成功者の父が家庭を捨てた場合、子どもは父を見返すために、異常な上昇志向を示すことが知られています。原爆の落ちた広島では、すべてが一からのやり直しでした。一代で市内最大手の産廃業者を束ねるに至るというのは相当の手腕でしょうし、その父に捨てられた子どもは、父を見返すために、強迫観念のように上へ登ろうとすることでしょう。

こう考えますと、塩村議員の行動パターンが非常によく、理解できるのです。

また、最愛の父に捨てられた娘は、2つのパターンに分かれます。年上の男性を求めるようになるか、逆に激しく拒絶するようになるか。

塩村議員の場合、ツイートからは明らかに後者であることが見て取れます。

ところが、恋愛対象が常に既婚者であるところを見ますと、年下や同年代の精神的に幼い男性に興味を持てないようです。かといって、年上の男性には嫌悪感を持ってしまいます。

そうしますと、同年代ではあっても、落ち着きのある既婚者を求めるのは必然かもしれません。彼女は気づかないうちに、父の面影を恋人に見て、父に愛されなかった代償行為として恋愛しているのではないかと、想像できるのです。

ところで、既婚者であっても一人の男性を愛する女性と、次々にいろいろな既婚者と不倫を繰り返す女性の違いをご存知でしょうか。

後者の女性が自身の行動原理を、かつてインタビューで答えていました。
「最初は自分のことを遊び相手だと考えているのがわかるが、次第に若い自分に夢中になっていって、家庭を捨ててもいいとまで思うようになる。自分にとって、相手を支配できるようになることが、とてもおもしろい」

塩村議員が次々に不倫を行う理由も、この種の支配欲にもとづいているところがあるかもしれません。

家庭を大切にしている相手が、次第に自分に夢中になることで、男性への不信感を再確認できるでしょう。
「やっぱり男はくだらない存在だ。男なんてそんなもんだ」
と確認して、決して自分の父親だけが自分を捨てたのではなく、男全体がそういうくだらない生き物だと見下せば、安心できることでしょう。

父に捨てられたが故の、男性不信。それが彼女の行動原理なのかもしれません。

2014年6月26日木曜日

経営者に政治を任せない方が

韓国の国会議員が、議員が雇っていた運転手によって内部告発されたために窮地に陥っているというニュースが報じられています。

★ 韓国国会議員と運転手が前代未聞の大バトル
地検は、この捜査の一環で、議員の長男宅から6億ウォンの現金も発見した。次々と出てくる疑惑で、議員の検察召喚も近いという見方が強まっている。盗難事件で告発したはずが、何倍ものブーメランで返ってきたようなものだ。
議員の車に置いていた200万円入のカバンが盗難に遭ったのが事件の発端。その日の午後に急に辞めた運転手を疑った議員は警察に通報しました。

ところが翌日、元運転手はカバンを持って地検に出頭。
「盗んだのではなく、不法政治資金の証拠物として提出するため」
というのが元運転手の言い分です。

違法なお金だから盗んでもばれないと高をくくった運転手が、警察に通報されたために内部告発に切り替えた可能性もあるのですが、問題は汚職疑惑をかけられた議員の経歴です。
 1949年に仁川で生まれたこの議員は、延世大学法学科を卒業してサラリーマン生活に入る。当時名門だった電線会社に入社し、その後、大企業である食品会社で社長、副会長まで上り詰める。つまり、「CEO出身議員」なのだ。
経営者として辣腕を振るった実績を買われて政治家になったものの、政治権力を利用して私腹を肥やしていた疑惑がもたれています。先日海に沈んだセウォル号の許認可利権にも深く関わっていたらしいのです。

こういった報道を見聞きしますと、名経営者が果たして名政治家たりえるかどうか疑問です。むしろ、財力+権力=強大な力の魅力にとりつかれ、利権獲得に邁進する可能性が高いのかもしれません。

私の台湾人の友人に、民主主義が根付いている台湾で、民進党が圧倒的な支持を受けない理由を尋ねたことがあります。

第二次世界大戦後に中国大陸から進駐してきた国民党は、進駐後、現地人を大勢虐殺しました。また、国民党出身者の数は現地人に比べて少数です。圧政から解き放たれて民主主義体制が敷かれた今日、民進党が選挙で国民党を大敗させることは簡単なはず。

ところが彼は、
「民進党は汚職がひどい」
と顔をしかめました。民進党出身の政治家には元実業家が多く、贈賄の噂が絶えないのだとか。

「国民党のほうが清廉潔白な人物が多い」
と彼は主張します。実業家出身の政治家に、カネにまつわるスキャンダルがついて回るのはいずこも同じ、ということでしょうか。

そういえばタイでも、実業家出身の政治家で元首相のタクシン・チナワットは王政派から汚職を追求され、国外追放処分となりました。タクシンは貧しいタイ東北部に大規模な投資を行って経済復興をもたらしましたが、目的は個人の利益のためだった、と疑われています。

ただ金があるので、ドバイの地にいながらタイに影響力を持ち続けているそうです。財力を持った人間の強さですね。

日本では財界人が政治家にな転身する例ははそど多くないのですが、たとえば一大病院ネットワークを気づきあげた徳田虎雄の一族が、不正疑惑で逮捕されたことは記憶に新しいところでしょう。

考えますと、アメリカでも元証券会社の社長のような人物を財務長官に抜擢するようになってから、国民間の格差が異常に大きくなったように思います。アメリカでは贈収賄で私腹を肥やすような単純な汚職はあまり行われてはいませんが、もっと巧妙な権力の乱用がまかり通っているようです。

経営力のある人間に政治を任せたいとは誰しもが考えることですが、名経営者が必ずしも名政治家たり得ず、むしろ力同士が結びついた悪影響の方が大きい実例を見聞きしますと、財界と政治は切り離しておいた方が無難なのかもしれません。

三権分立という素晴らしい思想を知っているにも関わらず、私たちはついつい、優秀な人材に全てを委ねたい魅惑に駆られてしまいます。




2014年6月23日月曜日

国会で野次がなぜ必要か

東京都議会本会で塩村文夏(あやか)議員の一般質問に対してセクハラ野次を行ったことで生じた騒動。議論が活発に沸き起こっています。セクハラなどの嫌がらせが日本では蔓延していますから、これを機会に年配男性の多い職場での意識改革が進んで欲しいですね。

ところがこの件に関するコメントやつぶやきに、
「野次の意味が分からない」
「そもそも野次は無駄だ」
というものが散見されました。それはちょっと違うのではないか、と考えていたところ、時宜を得た良記事が上がっていたのでご紹介します。

与野党それぞれ「野次飛ばし部隊」と呼ばれる、とりわけ声が大きくてユーモアのセンスがある議員(もちろん、その中には女性議員も含まれています)たちが控えています。「野次飛ばし部隊」として敵・味方から一目置かれるのは、議員として栄誉です。
彼ら、そして彼女たちはお互いに、ウケを狙い、弁舌……いや毒舌を競うわけです。
英国議会で野次がどれほど力を持つのか、野次が議論をいかに活発化させるのかについて、記事では詳しく説明しています。

それではアメリカはどうなのでしょう?

上の記事でも触れていますが、もっと詳しい説明が書かれた記事を見つけました。

★ 日本の常識はアメリカの非常識!? 日米議員のヤジ比較!
アメリカの上院は定員が100人。そして出席率が悪い時には10人くらいしかいない時もあります。ヤジを飛ばすということは物理的に考えにくいですね。上院の場合、賛成投票する予定の議員と、反対投票する予定の議員、そういう人達が事前にマッチングをして両方欠席することが出来るんですよ。
アメリカの議会では議論の応酬があまりなく、野次もなく、議会というよりも「会議」と言ったほうが良いもののようです。確かに合理的。しかし、衆人環視のもとにない議員は、ロビー団体の代理人に堕する危険性が高いのではないかと、危惧します。

学生の頃、法律制定の過程を公開する「議会」という制度を大変無駄なものと考えていた時期が、私にもありました。

「まるで猿芝居じゃないか。裏で官僚が根回しをしているに違いなく、最終的には多数決で決まるというのに、議論の中から政策が定まるかのようなふりをしてお茶を濁す国会というのは、無駄以外の何物でもない」
とね。

よって、当然野次にも反対。討論者の発言の妨げになるような不規則発言をなぜ許すのか? と疑問だったのです。

ところが、この論法でいきますと、アメリカのような質疑応答をしたい議員だけが議会に参加するのが理想のあり方となります。

いや、そもそも質疑応答も無駄というもの。今ではメールがありますから、お互いにメールでやりとりをして、HPで全文公開すればいいのかもしれない。

……と、こう合理化の極地点を見すえてみますと、薄ら寒くなったものです。時間の制限のない、書類上で行われる議論の応酬は、紙に直せば何百ページもの厚さになるでしょう。それをすべて読む気力のある人は暇人や研究者、ジャーナリストだけになることでしょう。

ほとんどの人が議論の過程を垣間見ることなく、いつの間にか政策がさだまっていく社会。それに私たちは、心から得心できるものなのでしょうか。

社会はそれとは逆の方向で発達しています。たとえば現在は、契約書さえ交わせば契約がすべて成立する、というものではありません。
お金を借りるとき、家を借りるとき、携帯を契約するときなどては、重要事項説明書をもとに、誤解されがちなところを口頭で契約者本人に読み上げてもらい、納得したことをチェックをしてもらう、という"再確認"手続きが必要なのをご存知の方も多いはず。

立法・行政もまた然り。

実際に法を定め、政策を実行する人々の姿、行動を、この目で見て、この耳で聞くことで、政策が自分たちの議論の結果、定まっているという臨場感は共有できません。

野次を飛ばす議員の姿に、多くの人は感情移入することでしょう。パフォーマンスと言えば、パフォーマンスですが、それは必要な、自分が衆議決定の一員であると"再確認"する、重要な機会なのです。

議会の野次や拍手などがどれほど民主主義にとって大切なのかは、東ローマ帝国の故事を探ればよいでしょう。

ローマ帝国は建前上、民主主義の国。主権者は元老院と市民であり、ローマ皇帝は市民の第一人者である、ということになっていましたので、共和制から帝政移行後も、ローマ帝国では議会で活発な議論が行われ、野次も飛び交っておりました。

ローマ帝国が東西に分裂後、より長く命脈を保った東ローマ帝国。ここでは皇帝の独裁権力が強く、ほとんどの政策は議会ではなく、皇帝と官僚が定めていました。しかし、偉大なるローマ帝国の末裔であることを証明するために、彼らは形式的ではあるものの元老院議会を開催して、そこで皇帝の勅令に対して、賛同の声を上げる、という儀式が行われていたと言います。

私たちの声の代弁者が議員だとしたならば、答弁者だけではなく、野次を放ち、拍手をし、エールを送る声もまた、私たちの感情を代替するものと言えましょう。野次や怒号の果てに決議されたものの方が、密室で少数の「合理的判断」で決められたものより信頼できるのです。

政治とは妥協の産物です。数千の様々な思惑の中、微調整をしながらよりよい政策を選んでいきます。ところが、合理的だと思われたことが、後日不合理だと判明することなど、枚挙にいとまがありません。見る人によっては、政治とは失敗の連続。

だとしても、私たちは責任をとり続けなければなりません。官僚による合理的選択よりも、民主主義による集合知を私たちは信じ、試行錯誤を受け入れています。

後は、議論の過程に納得できるか、否か。数年に一度、数千分の1、数万分の1の効果しかない投票行為だけでは納得することは難しいでしょう(もちろん、投票はしますがね)。目前の議会の活発な討論と、そこでの怒号や野次の応酬のお陰で、定まった政策は私たちが選んだものだという得心を得られるでしょうし、そこまで含めて、議会制度の利点です。

会社の会議でも、野次を飛ばしてみてはどうでしょうか。会議が活性化すると思うのですが、いかがでしょう。

2014年6月22日日曜日

セクハラ野次を飛ばした都議会議員が、一発逆転する方法

昨日、都議会のセクハラ野次騒動の概略を述べ、セクハラ野次を行った議員が釈明をせざるを得ないのではないか? と述べた。

しかし、世論を敵に回した後の謝罪は難しい。ちょうど一年前、病院に対して間違ったクレームを行ったことをブログで述べたために世間から爪弾きにされた小泉光男(みつお)岩手県議会議員のことを覚えているだろうか?

★ 小泉みつお岩手県議会議員、病院にて番号で呼ばれたことに激怒しクレームで炎上
“お名前でお呼びします。241番の小泉光男さん。”
→ん!僕を呼んでいるの?と気付いた瞬間、頭に血が上りました。
ここは刑務所か!。名前で呼べよ。なんだ241番とは!と受付嬢に食って掛かりました。
会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません。
彼のブログが大きく取り上げられた結果、釈明会見に追い込まれた。
 
しかし、それでも日本中から抗議の声が延々と届く。耐え切れなくなった小泉議員は、自殺をしてしまった。

このような痛ましい事故を起こしてはならない。炎上しても、適切に対応すれば、世間はそれを評価する。では、セクハラ野次を発した議員(以下、ヤジ議員と仮称)が名乗りでたとして、どのような謝罪をすればいいのか?

私は、野次を公憤へとすり替えるべきだと考える。

不倫行為への怒りに、すり替える

「そんなことを言う前に、おまえが早く結婚しないのか」
「子どもは産めないのか」
という野次はどうやら、別々の議員によって行われたようだ。最初の野次を飛ばした議員が、すべての責任を敢えて取る。

このヤジ議員が清廉潔白な男性だったとする。謝罪会見は、そのことを世間にアピールするチャンスだと思うのだ。
  1. まず、深々と礼をする。90度以上、テレビの前で頭を下げる。
  2. 「このたびは、東京都議会本会議という神聖であるべき場所におきまして、その場にそぐわない愚かな言動を発してしまいました。そのことにより、塩村あやか議員を始めとする都議会議員の皆様、なによりも都民の皆様、そして大勢の女性の方々に大変な苦痛を与えてしまいました。このことに対し反省をするとともに、皆様に深く、お詫び申し上げたいと思います」と言って再び最敬礼で頭を下げる。
  3. 次に、普段は決してそのような発言をしないことを簡単に述べる。ここは簡潔に。
  4. そして本題。なぜそのような発言をするにいたったのかを説明する。
    塩村議員がみんなの党の三谷英弘衆議院議員と不倫をしているという報道があったこと。それに対する大変な怒りがあったことを述べる。
  5. 「もちろん、過ちを犯すことも人間、あるでしょう。しかし、少なくとも、党倫理委員長という重責にある人物が、その任にある間に、倫理にもとる行動を取るべきではありません。そして、その任に相手が就いていることを知りながら、その男性を籠絡する女性も、私は軽蔑します。もちろん、週刊誌報道を鵜呑みにすることは愚かですが、そのあと双方、釈明会見もなにも行わず、うやむやに済ませていることは事実。このことに対して、私は許せないものを感じていました」
  6. 妻帯者である自分をアピール。妻を愛し、これまで決して不倫行為を行っていなかったことを述べる(既婚女性層へのアピール)。
  7. 「ところが、神聖であるべき都議会本会議で、よりにもよって不倫行為の当事者と目される人物が、結婚制度について質問を行いました。議会をバカにしていると私は感じ、大変な怒りがこみ上げてしまいました」
  8. 本来ならば「(不倫行為のような愚かな行動を早くやめて、あなたが別の男性と)早く結婚しないのか」と言うべきところが、言葉足らずだったのだと釈明する。
  9. 「子どもは産めないのか」という発言をした覚えはないが、興奮していたために、たぶん自分が発言したのに違いない。不倫しながらいけしゃあしゃあと結婚制度について持論を述べる塩村議員への怒りで興奮したための失言であると、再び最敬礼で謝罪する。
  10. 「経緯は以上です。塩村あやか議員を始めとする都議会の皆様、、都民の皆様、そして、多くの女性の方々を傷つけ、多大なご迷惑をおかけしましたことを、心よりおわび申し上げます。まことに申しわけございませんでした」と、ここで再々度、深く謝罪。
このようにして、女性全体への誹謗中傷ではなく、塩村議員一個人への怒りであるものの、根底には不倫行為全般への怒り、倫理にもとる行動を党ぐるみで行う「みんなの党」全体への怒りであることを述べる、というのはどうだろうか。

ヤジ議員が不倫をしていたとしたら?

ところがここで問題が生じる。もしもヤジ議員が不倫をしていたとしたら?

「英雄色を好む」
という。特に、議員となるような人間はモテるだろう。性欲も人一倍、強いかもしれない。そして、セクハラ的な野次をする人間だ。塩村議員と同じように不倫行為をしている可能性が高い。

ここは大切なところだ。過去の不貞行為を黙っていても、この会見で有名になったあとには詮索されて、バレてしまう可能性もある。バレたらすべてが終わってしまう。

その場合は、上記とは別の謝罪会見内容でなければならない。過去に不倫行為があったこと、妻を裏切ったこと、そのことを許してもらったからこそ、逆に他人の不倫行為について、我慢できなくなったことを上記の4と5の間でアピールするという戦略が考えられる。

では、不貞行為が現在進行中だったとしたら? その場合は、妻にすべてを告白した後、下記の通りの釈明会見となるだろう。
  1. まず、深々と礼をする。90度以上、テレビの前で頭を下げる。
  2. 「このたびは、東京都議会本会議という神聖であるべき場所におきまして、場所をわきまえない私の愚かな言動により、塩村あやか議員のみならず、都民の方々、そして大勢の女性に大変な苦痛を与えてしまいました。このことに対して、皆様に深く、お詫び申し上げます」と言って再び最敬礼で頭を下げる。
  3. 次に、普段は決してセクハラ発言をしないことを簡単に述べる。ここは簡潔に。
  4. そして本題。なぜそのような発言をするにいたったのかを説明する。
    塩村議員がみんなの党の三谷英弘衆議院議員と不倫をしているという報道があったこと。それに対する反感があったことを述べる。
  5. 「告白します。実は私も、妻を裏切る行為をしておりました。そのことを妻に隠しており、先日、妻にすべてを告白して、謝罪し、許してもらいました」と言って、深く頭を下げる。
  6. 「私は弱い人間です。都議会議員という、都民のみなさまの期待に応えるべき立場にありながら、私は過ちを犯し続けていました。そのことに、忸怩たる思いを常に抱いておりました。妻を裏切りながら、都民の皆様の結婚や出産を応援する立場にいていいのだろうか? その資格が自分にあるだろうかと、いつも自問自答しておりました」
  7. 最終的に妻にすべてを告白して、許しを請う決心を固めたのが、都議会本会議のあったその日だったと述べる。
  8. 「ところが、よりによってその当日に、不倫疑惑を報道された人物が、自分のような苦悩を覚えずに、軽やかに都民の晩婚化や結婚、出産について質問をしている姿を見て、まるで出来の悪い自画像を見せつけられているようなみじめな気持ちになりました。あまりにも腹が立ちまして、思わず『お互い汚いことを早くやめようよ。あなたも不倫をやめて、)早く結婚しないのか』という野次がほとばしったのです」
  9. 自分の個人的な煩悶を、他人へなすりつけてしまったことを懺悔する。以下、同じ。

ピンチをチャンスに変える

セクハラ野次をした議員にとって、議員生命が脅かされている危機ではあるが、逆にチャンスかもしれない。全国民から注目される場に、ただで出ることができるのだ。名前を売ることができる。

テレビに出たくても出られない地方議員は、この日本にいくらでもいる。テレビ局も話題性のない人間をテレビに出す義理はない。

ところが、今回の騒動は全国が注目している。議員生命の危機であるが、一打逆転のチャンスでもある。悪名は無名にまさるというではないか。

事なかれ主義でしのごうというのが都議会の自民党議員連の考えだという。だが、組織は個人を守ってはくれない。このまま頭を垂れて危機が去るのを待たされたものの、議会が空転し、その責任を取らされる形で議員辞職を求められる可能性もある。

だったら死中に活を求めて、進んで謝罪会見を行うべきだと思うのだ。上記のように、うまく立場を説明できれば、逆に多くの女性の支持を受けることができるだろう。

これをうまく乗り越えられたら、都議会議員で終わらず、国政に出るチャンスとなるかもしれない。

2014年6月21日土曜日

都議会セクハラ野次議員への追求網が、せばまっている

6/18の東京都議会で、都の結婚・妊娠・出産に対する取り組みについて質問するために登壇した、みんなの党の塩村文夏(あやか)議員に対して、
「そんなことを言う前に、おまえが早く結婚しないのか」
「子どもは産めないのか」
というとんでもない野次が飛んだという事件が起こり、問題となっている。

大変卑劣な野次だ。なぜなら、女性全体を侮辱する言葉だからだ。議員に対するものではなく、結婚できなくて苦しんでいる女性、子どもを産みたくても産めない女性全体を傷つける言葉だからだ。野次を発した者は、彼女たちがどれほど苦しんでいるのか、知らないのだろうか? 私はこの種の、抵抗できない弱者を貶める人間は大嫌い。第一報を聞いたときには、腹わたが煮えくり返った。

野次の効用は理解しているつもりだが、差別的な野次は議会の品位を下げるのみならず、民主的な討論の妨げとなるもの。都議会という日本の首都の選良が、議会で発言していいものではない。このまま曖昧にしてはならないだろう。

ところが野次を向けられた塩村議員について調べると、元グラビアアイドルで、『恋のから騒ぎ』で一世を風靡した有名人だという。番組の中で、別れた彼氏から1,500万円の慰謝料をせしめ、それで海外留学を果たしたと武勇伝を語っているというので、少し嫌な印象を受けた。

それは若気の過ちで、許されるものなのかもしれない。

しかし、先々月の17日に発売された「週刊文春」(2014年4月24日号)では、
「渡辺喜美8億円調査担当 みんなの党倫理委員長の不倫疑惑」
という題で、三谷英弘衆議院議員との不倫疑惑も報じられているという。議員になった後に、不倫をしているというのだ。これで、さらに嫌な気分となった。塩村議員へ感情移入することが難しくなった。

彼女は、セクハラ野次に抗議するための錦の御旗として担ぎ上げるに値する女性なのだろうか? 実は信じて後で裏切られて後悔するような相手なのではないか? 実はこの騒ぎも、すべて計算づくなのではないか? セクハラ野次騒動は、彼女の得意な「から騒ぎ」なのではないか?

元芸能人政治家の嫌なところは、メディアとズブズブで、発言の一つ一つが計算に基づいているところだ。

「ちょっと腹立つ! あんな公衆の面前でのセクハラなんて、絶対に許さない!」
といきりたつ議員に対して、メディアの煽り方に詳しい電通あたりの業界人が、
「これを利用してさ。あやかちゃん、いっちょ仕掛けてみる?」
と提案したなんてことはないだろうか。

ちなみに、彼女は2013年6月23日の都議会議員選挙で23,621票を獲得して当選している。世田谷区から立候補したのは14名であり、6名が落選している。落選確率4割。ちょっとした風向きですぐに崖から転げ落ちる可能性がある。

既婚者にとって、不倫女性ほど腹立たしい存在はないという。なぜならイイトコどりをされるからだそうだ。

結婚すると、いろいろと大変だ。親や義理の親との関係をこなし、感情の行き違いを解決しながら子どもを育て、地域とも関わっていかなくてはならない。

ところが、不倫女性は苦労を一切せずに、単純に恋愛だけを楽しむ。妻がいるためにがっつかず、落ち着いた男にはある種の魅力がある。言わば自分が作り上げた男性と不倫関係を結ばれるのは、上澄みだけをごっそりと奪われるのに等しい。この種の身勝手な行動を、既婚女性は大変嫌う。

みんなの党の著名党首が辞任した今、不倫騒動を起こした彼女が次の選挙で当選できるかどうか、難しいところだろう。

ところが今回のセクハラ野次事件で、塩村議員には同情票が集まった。不倫疑惑は影を潜め、結婚できない女性を代表する戦う女性という立場を得た。これは強い。

逆に、野次を飛ばした議員の立場は、たいへん厳しい。

★ セクハラやじ「断じて許さず」=舛添都知事が非難

★ 都議会やじ発言者は名乗り出ろ
自民党の石破茂幹事長は21日の読売テレビ番組で、東京都議会の一般質問中にみんなの党会派の女性議員にセクハラとも取れるやじが飛んだ問題に関し、発言者は自ら名乗り出るべきだと強調した。
セクハラ野次包囲網は、狭まっている。国会議員の重鎮がここまで発言した以上、一都議会議員が対抗できるものとも思われない。

婚活や妊活で苦しんでいる彼女たちすべてを敵に回した以上、名乗りでてなんらかの釈明会見は必要となるのではないか? 下手をすると辞任まで追い込まれる可能性もある。

某サイトでは、声紋分析などから野次の犯人がある程度確定されているようだ。名指しされている議員の選挙区では、強い基盤を持っているようだが、どう行動するかによって、今後の進退が決まる。

ところが、いろいろと考えるにつれて、ピンチをチャンスに変える方法もあるのではないだろうか? と考えるにいたった。

次の記事では、野次を放った議員がどう謝罪をすればいいのかについての、一私案を述べたいと思う。


2014年5月14日水曜日

Amazon VS 出版社の戦いは、ダイエー VS パナソニックの30年戦争に学べ(下)

出典:『里山の自然をまもる』(石井実・植田邦彦・重松敏則 著、築地書館)
昨日の続きです。

昨日は、ダイエー VS パナソニックの30年戦争の概略についてまとめ、流通側がメーカーから価格決定権を奪った現状について、解説しました。

なぜ、メーカーは流通に敗れたのか。

「自由競争と価格破壊が時代の流れだったから」
と言ってしまえば、それで終わりですが、メーカー側の対応がもう少し異なれば、別の結果に持ち込めたかもしれません。

今から20年ほど前までは、商店街に小さな家電店があるのは当たり前でしたが、今ではすっかり姿を消してしまいました。

家電製品は確かに安くなったものの、家電メーカーはどこも赤字で苦しみ、従業員は次々にリストラされ、今の日本の雇用状況の悪化をもたらしています。

メーカーがあの時、もっと別の方法を取っていれば、たとえ変化が避けられないものだとしても、ソフトランディング(軟着陸)が可能だったかも。一気に変わるのではなく、少しずつ変われば、社会は変化に対応できます。多くの人生が大きく狂うこともなかったかもしれません。

当時、どのような方法をメーカーが取ればよかったのか。冒頭のAmazon VS 出版社の戦いの参考にもなるのではないかと思いまして、メーカー側の戦略を、再検討してみました。

①メーカー側が一致団結するべきだった

家電メーカー敗北の1番の要因は、メーカー同士の足並みの乱れでしょう。ダイエーに対抗したのは松下電器だけ。その間、ソニーやシャープなどの大手メーカーは松下電器の動きを静観し、ほとんど協力することはありませんでした。

家電メーカー同士は熾烈なライバル関係にありましたし、ソニーと松下電器は家庭用VTR規格統一戦争を行っていましたから、しょうがないのかもしれません。それにメーカー間で価格協定を結んでしまえば、カルテルとなり、独占禁止法に引っかかります。

それでも、共闘宣言を出し、暗黙の了解のもと、流通側に対向する、という方法もあったはず。「ゲーム理論」でいうところの「囚人のジレンマ」を挙げるまでもなく、メーカー間で報復と報酬を繰り返すことで、密室談合を行わなくとも、協力できたのではないでしょうか。

ところが当時のメーカー間ではそのような動きはなく、松下電器だけの一人相撲になってしまいました。

②「メーカーが価格決定権を持つことは正しい」という信念がなかった

「自由競争と価格破壊」は世界のトレンドです。現在TPPの締結が急がれているのはその流れの一環。消費者志向は自由貿易の要とも言えます。

しかし、自由市場経済が世界中に広がった結果、私達は本当に豊かで幸せになったのでしょうか。むしろ、格差が広がり、最も豊かな国で極貧の生活を余儀なくされるような矛盾が、目立つようになったのではないでしょうか。

完全な自由社会では、一部の優秀な人間、組織のみに資金が異常に集まり、それ以外の労働力以外に売るものがない人々にカネが行き渡らなくなります。消費者は同時に生産者です。多数の生産者にカネが回らなければ、消費するための元手がなくなってしまいます。

松下幸之助は当時から、
「過当競争は寡占を生むので、将来的な独占価格をもたらす」
と指摘していました。この慧眼がメーカー側の共通認識となりえなかったこと、そのため、メーカー側に、
「価格決定権を我々がもつことは、人々の生活を豊かにすることだ」
という強い信念がなかったことも、足並みが揃わなかった理由の一つでしょう。

③大勢の人々への啓蒙活動がなされなかった

「価格決定権をメーカーがもつことが正しい」
という信念をメーカー側が持っているだけでは、世の中は動きません。メディアを巻き込んだ、大きな宣伝活動が必要です。

「ニューヨークでは100円で飲めるコーヒーが、東京では600円もする」
と、1970年代から90年代の日本では、新聞がこぞって書きたて、メディア全体が、日本の物価は高すぎる、という論陣をはっていたのを覚えている方々も多いでしょう。

600円の値段設定のお陰で、いくつもの中間業者に利潤が行き渡り、大勢の人々の生活が潤っていたというのに。皆が少しずつ得をする。もたれあい、支えあう隠微的な世界がそこにありました。それは窮屈ではあっても、心地よい世界でした。

もっとも、そのぬるま湯の心地よさは、今だから分かることかもしれません。20世紀末期には、消費者志向によってバラ色の未来が広がると、誰もが信じていました。

④その他大勢のメーカーを巻き込んだ研究会を開催するべきだった

消費者がメーカー側の主張に理解をするのは、生活レベルが一度落ちないと、難しかったもしれません。

数十年前にそれは無理でした。それでも、せめてメーカーに属する人々の意思疎通だけでも、統一する動きがあっても良かったのではないでしょうか。

流通業界では、ダイエーなどが日本の流通関係者を大勢集めて、アメリカのスーパーを見学させるツアーをよく主催していたものです。研究会や勉強会が各地で開催され、日本への流通革命の導入が図られました。

同じような勉強会を、メーカーが大勢の人々を招いて行ったという話は、あまり聞きませんね。

たとえばアメリカに対抗するものとして、欧州の方法があります。ドイツが生産者保護のために、どれほど法規制を国内に敷いていたか。そのあり方を日本のメーカーが、異業種のメーカー経営者のツアーを組んで見学させたりしたでしょうか? 生産者主導の社会をいかにつくり上げるか、という研究会が各地で開催された話も、寡聞にして知りません。

大勢の若手が集まって研究を行えば、その中にはキラリと光る手法が見つかったかもしれません。それによって、流通側に対抗する新しい方法がみつかったかも知れないのに。


以上をまとめると、もしも当時家電メーカーが流通側に対抗するとしたら、
①流通側に共同で対抗すると同時に、
②メーカー側の理念を明確にし、
③そlの理念を消費者に理解してもらいながら、
④業種を越えたメーカー間で研究を行う。

……といったところでしょうか。

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出版社には、家電メーカーと異なり、巨大流通業者と戦う上で有利な点が幾つかあります。

一つ目は、再販制度により、定価販売が法的に認められているということ。

知的財産を守るためには、定価販売が必要という共通認識が広く行き渡っていることです。これは、Amazonと戦う上で有利に働くでしょう。

二つ目は、自由市場経済の弊害が、現在では日本でも多く、知られるようになっていること。

2011年「ウォール街を占拠せよ」運動は、まだ記憶に新しいところです。自由主義の本場アメリカですら、市場経済万能思想は批判を浴びるようになりました。

三つ目は、出版社の商品を購入するのがインテリであること。

安いものにすぐに飛びつくではなく、自分の頭で考え、理念を消費行動に結びつける人々が出版物の消費者には多いはず。「安くて便利」以外の部分で、勝負が少しは、可能でしょう。

こうした利点を元にすれば、時代のスピードが早いとはいえ、出版社も十分、体勢の挽回は可能でしょう。

たとえば、出荷停止だけではなく、
「アマゾンは社会の多様性を奪います」
という煽り文句とともに、密林のすべての木々の根っこがすべて「Amazon」一つから生えているという反多様性の未来を描いたイラストの意見広告を、新聞やネットに流すとか。

戦争に勝つために、大勢の人々を巻きこみ、味方に引き入れるなど、いろいろな方法があるんじゃないでしょうか。

私もAmazonのアフィリエイトがもう少し多ければ、Amazon擁護の論陣を貼るのですが、一ヶ月のアフィリエイトが数百円という現状ですと、出版社側を応援せざるをえません。それに、Amazonの力が強くなりすぎると、我々ブロガーへの報酬がさらに少なくなるでしょうし。

出版社側には、ぜひとも頑張って欲しいところです。