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2015年1月20日火曜日

岡田斗司夫が大阪芸大の生徒を餌食にしたとしたら、許されるのか?

岡田斗司夫という社会評論家がいる。

快挙!我らがオタキンング岡田斗司夫氏が報ステのゲストコメンテーターで登場 より
「エヴァンゲリオン」で有名なガイナックスの創業者の一人であり、アニメやマンガと社会との関係性などを、柔軟に解き明かす語り口に人気がある。現在は大阪芸術大学の客員教授を勤めている。

「評価経済社会」なる用語や欲求特性を定量的に4つに分類(王様型、軍人型、職人型、学者型)する手法などでも名高く、独自の社会評論にもファンが多い。それに漫談のような語り口も面白い。

ところが昔から女性関係にだらしなくて、東京に移住してガイナックスを設立したのも、不倫関係が発覚して大阪にいづらくなったためだそうだし(……とWikipediaに書かれています)、妻と離婚したのも新時代の人間関係を模索した結果だそうだが、まあ、いろいろあったのだろう。

で、現在56歳のこの人物と20代女性とのプリクラキス写真が流出して大きな話題となっている。

この話題をまつたけのブログ「岡田斗司夫が愛人のニセ写真発言を撤回した件」で知ったのだけれども、まあ、独身だしそれくらいいいやんけ、外聞も悪いから「写真は嘘だ」と慌てるくらい可愛いもんだと思いながら構えていたら、なんとこの男、80股もしていたことを自分から告白しやがった。

★ 岡田斗司夫、流出キス写真は本物 過去の驚愕「80股!」も告白 
「言いにくい話なんですけども、実は現在、Aさん(編注:プリクラの女性)を含めて彼女さんが9人います」と告白し、過去には80人ぐらいの女性と同時に交際していたことも明かした。今後はこういったことをオープンにしていくという。
そして、「家族形態、人間のつながりを考える話だと思っています。就職というのが終わっているように恋愛というのが終わっていて、その代わりに、つながりというのが僕らの間で今後数十年のキーワードになるのではないかと思っています」と持論を展開した。
80股ってどうなんだ? 単に仕事上で知り合った女性をナンパしただけならば、80人とそういう行為をした、というだけになるが、同時並行でつきあっていたとなると、仕事関係だけじゃなかろう。仕事を持っている女性と一緒に過ごす時間を見つけるのは難しいし、自尊心が高くて自立した女性は、少ししか逢えない浮気症の男にそうそうひっかかるまい。どういう仕組だろうと思っていたら、彼が昔Twitterの偽アカウントで告白していたというツイートをまとめた記事が、現れた。

★ https://archive.today/8dHh0
 aijin @aijin81  ·  4h 4 hours ago
△東大(30歳)
☆アテナ映像(30歳)
▼南極2号(31歳)大阪
☆マンガ(23歳)
☆アニメ(21歳)
●雌犬(27歳)大阪◎
☆まゆたん(29歳)
☆司法試験(27歳)
☆くびれ(32歳)
☆Hカップ(23歳)大阪
●カレー(26歳)◎
aijin @aijin81  ·  4h 4 hours ago
☆和美(元妻・48歳)
☆ナオミ(同棲・28歳)
○メイド(21歳)
△芸大一号(20歳)大阪
○芸大2号(20歳)大阪
☆ヒサコ(30歳)
○超ファラオ(24歳)
●由布子(27歳)
☆看護婦(29歳)
○おばさん(49歳)
☆薬屋(37歳)◎
問題は、彼が講師を勤める大阪芸大生の女子生徒たちを愛人としているらしき記述があることだ。
 aijin @aijin81  ·  3h 3 hours ago
里奈は彼氏が大阪に来てるので、深夜1時までに帰して、そのまま一人の夜を満喫。翌朝8時に芸大2号・涼子が朝立ち●●●●をしに来てくれます。午後から東京に帰るか、芸大1号・花衣を呼び出して抱くかは考え中です。
(●●●●は私が伏せ字にした)
そこには芸大生をナンバリングして男女行為に及んでいたことなどが記されている。騒動を受けて、現在このアカウントは削除されている。本物じゃないならば、騒動とは無関係であり、アカウントを削除する必要はないと思うのだが、どうだろう?

上のTwitterでは、キム先生という恋愛カンセラーに離婚相談をした女性を紹介してもらったとも書かれているが、ことの詳細は不明。

★ 岡田斗司夫が大阪芸大の生徒を食いまくってることが判明

上記記事では、岡田斗司夫がネット上に挙げていた写真と、愛人リストの突き合わせ作業などが進んでいる。

私が腹をたてているのは、彼が愛人を何人も作っていたことじゃない。ネット上の噂が本物だとしたらの話ではあるけれども、教師と学生という上下関係を利用して男女関係に持ち込んだり、離婚相談をおこなう精神的に落ち込んだ女性を口説いたりする卑怯な手口だ。

大学生はたしかに、大人の部類に入るだろう。だが、まだ社会経験のない弱者だ。講師ならば、多数の女性生徒と日常的に触れ合うことが出来る。何百人という女生徒がいれば、自分に興味を持つ女性を物色することは可能だろうし、上下関係があるから精神的に優位に口説くことも出来るだろう。

責任をとって結婚するならば、まだいいのだ。恋愛関係に陥るのも、大丈夫だろう。だが、責任を取らずに情欲のおもむくままにこうした行為を行なって、それが新しい人間関係だと吹聴する人間を、私は軽蔑する。

それに、大学に生徒を預けている親御さんの身にもなってほしい。学内で守られていると思うから預けているのだろう。生徒間の恋愛ならば、その後の発展性もあるから許せるだろう。だが、責任を取らずに社会人としての悪知恵を働かせる講師に口説かれることまでも許してはいないだろう。

私はこの記事で、事実無根かもしれない怪情報を流す意図はまったくない。

しかし、彼が何十人という女性と同時期に男女関係を告白したことは事実であり、日頃から結婚に縛られない人間関係を吹聴していたことも事実だ。何十人もの女性と同時につきあう行為は、何らかの地位を利用しなければ困難であり、その頃に彼が、大阪芸大の講師であり、生徒とつきあっていた事実が実際に確認できたならば、彼が己の立場を利用してほかの多数の女性を利用して、その上、責任を取っていない可能性が高くなるだろう。

彼にはぜひ、釈明を求めたい。大学もぜひ、彼に釈明を求めるべきだろう。

そもそも新しい人間関係もへったくれもあるか。

動物である人間は技術のように大きく変化はしない。美しいものを見れば感動するし、好きな人といれば楽しい。愛する人がいれば独占したいと思うし、別れれば寂しいと思う。愛しい人を殺したいと思うような精神に異常をきたした人間は、突然変異のようにどうしても現れるけれども、それはあくまで例外だ。

大多数の人間の感情が変わらない以上、時代が変わっても変わらないものがある。カネと社会的地位、そして高い知能を利用して、精神的知識的に劣った、弱い立場の人間を利用しつくして、責任を取らずに捨てる行為を行なう人間はいつの時代もいた。そういう人間は必ず、
「新しい時代がやって来た。これからは新しい人間関係が僕達の間には必要だ」
と説く。これは詐欺師のテクニックだ。

そういう無責任な行為が、いつまでも許されると思うなよ。



※1/21追記
昨日岡田斗司夫のホームページで、上記のhttps://archive.today/8dHh0の愛人リストを載せたTwitterのアカウントを、自分のものだと岡田御大が告白している。

★ お詫び 岡田斗司夫なう
今回インターネットに流出している、私と関係をもったとされる女性のリストですが、ほとんどは私が、仕事で会っただけの女性に対する妄想を書いたものです。
ほとんどは実在の人物を元にした創作であり、そのような事実もないのに、名前を出されてしまった方々に心からお詫びします。
これは予想外だった。妄想だと釈明するのはしょうがないとしても(相手の女性の立場もあるから)、@aijin81のアカウントは他人のなりすましだと言いはると思っていた。それを自分のものだとこんな短期間に認めることなど、完全に予想の範囲外。

おお、そこまで自分をさらけだすか、と少々私の怒りはトーンダウンしている。

2014年12月30日火曜日

実態が請負契約のブラック企業経営者はなぜ理想を裏切ったのか

今日は本来、従軍慰安婦について書くべきところ、あまりに腹がたったことがあって別の記事を書くことにする。

ある企業の破綻

IT関係の高い能力はあるものの精神的な問題を抱えた社長が会社を創業した。ところが仕事の途中で(精神疾患のためか)すべてのデータを故意に破損させたまま失踪。てんやわんやの大騒ぎとなる、という事件が某所で起こった。

私はこの社長と、一度会ったことがある。シャイで誠実な人物、という印象だったし、実態もそうなのだろう。いろいろな問題を引き起こしているけれども、他人を脅迫して追い込むタイプではない。彼の記事は含蓄があり、面白い。人間的に好きだった。よって、今回の騒動は大変残念で仕方がない。

元社員が彼のことを追求する記事をネット上にいくつも書いている。しかしそれを読んでも、実のところあまり共感ができない。

「もともと彼の精神疾患を承知して入社したこと。データの全消去、という暴挙を許すまじ、と思う気持ちは分かるが、責任は社長がすべて取ることじゃないか。粛々と会社から離れればいいんじゃないか」
と考えたからだ。

憎むべきは社員に脅迫や強要を行って社員を追い詰める会社だ。いい加減な会社、儲からない会社を私はブラック企業とは呼ばないし、一般的にもそうだろう。

いい加減なところは、それを知った上でつきあえばいい。私は以前、辞めようとした会社の経営者から、これまでの勤め先や家族親戚を調べあげて、電話をかけてやると脅しつけられて辞めるに辞められない状況に陥ったことがあったが、そこの会社の元社員たちはそういう状況にない。嫌なら辞めればいいだけの話じゃないか。

実態は請負か委託

ブラック企業の定義についてこれ以上深入りしないけれども、ひっかかったのは、今回の事件の主役のTwitter上のつぶやきだ。
◯◯さんはご本人が言っているとおり正社員としては雇っていなくて、下請法の適用を受けるんですよね(源泉徴収しない報酬を支払っていた)。それで、当該月には成果物がなかった。この場合はどうなんだろう。 / “雇用契約書なんて作る義務…” http://t.co/qNZ2QmERpW

……おお、出た。

元社員はただ、退職すればいいと思うけれども、その問題とは別に、社長自体の問題を考える上で、この発言を看過できなかった。ブラック企業を経験した私のいや~な記憶を、蘇らせてしまった。


ブラック企業は、社員のために福利厚生を充実させることを嫌う。社員のために保険料などを負担しない。そこで「請負(うけおい)」あるいは「委託(いたく)」という雇用形態を採用するところが多い。本来これは、注文者が報酬を支払い、請負人が仕事を完成させる、あるいは受託者が業務を行う、というだけの関係を指す。読者のみなさんも、「うけおい」や「いたく」という言葉には、それだけの意味しか見出さないだろう。

注文者は請負人の保険料などを負担する義務がない代わりに、請負人や受託者は成果さえ出せばいい、という自由なもの。もちろん休日や休暇は自由に取ることが出来る。我々が画家に絵を注文して、画家が期日までに仕上げる。画家が期日までの間に何をしようが注文主の知るところではない。それが本来のあり方だ。

ところが、業務委託という形態を取りながら、9時出社を義務付け仕事が終わるまでは家に帰さず、休日出社までも命令するのが、ブラック企業のやり方。実態は完全な社員扱いで、社員数として我々の数を求人票などで公表していたというのに。

こうした雇用形態は法的には認められない。元社員が訴えれば、実態を元に社員と認定されるために、ほぼ間違いなく勝てるものだという。ところが裁判には時間がかかる。

私はブラック企業を辞めたあと、都内の法テラスの弁護士に相談に行ったところ、
「◯◯さん、悔しい気持ちは分かります。戦えば勝てるでしょう。けれども、これを訴えて勝つまでに時間もお金もかかりますよ。私は弁護士としてうけおわないなぁ。お金にならないですから」
と言われた。

そうだろうな、と思った。実際の話、別のブラック企業を突然解雇された知人が訴えたものの、半年分の基本給約100万円を得るに至ったのを知っている。だが、それまで1年間かかった。

(もっとも、大変だが……訴えていれば良かったと今になって思う。とことん戦った後は、「悔しい」という気持ちが決して湧くことはない。別の件で戦ったことがあり、そのときには、苦労をしたけれども後悔はなかった。戦えば勝てる戦ならば、戦うべきだ、というのが私の結論となっている)

夢から醒めた後が大切

さて、件の社長の件。

彼はホームページなどで、「ホワイト企業を目指す」 「基本在宅勤務で、出社を義務付けない」と誇っていた。実態もそのとおりだったらしい。

でも、私はその記事を読みながら、「請負契約なんじゃないの? だったら在宅勤務だったり休みを自由に取ったりするのは当たり前の話だろう」と内心嗤っていた。まあ、当事者同士が納得しているのならばいいじゃないか、というスタンスだ。

しかし、社長が仕事をすべてほっぽり出して会社が立ちいかなくなった以上、「実は請負だったんだよね」と開き直る態度は許せない。

この社長も以前、同じような環境にいて、悔しい思い、嫌な思いをしていたじゃないか。「請負」とは名ばかりの偽装請負の現場にいて、なぜ自分がこんな目にあっているのだろう、と苦痛を感じていたはずじゃないか。そこで自分の会社は、少なくとも本来の形での「請負」のありかたを目指していたはずじゃないか。

だが、生来の虚栄心のなせるわざだろうか、「社員に給料を払わなければ」と語って、自分の会社があたかも社員を雇用していたかのように偽っていた。

もっとも、それくらいの虚栄心は許せる範囲だ。なにしろ今年は創業一年目。これから、彼らを社員として雇えるようになればいい。

だが、今回自分の一時的な感情ですべての会社のデータを破損させて失踪するという暴挙によって、「社員」をすべて解雇するはめに陥ったのだ。自分の責任だ。申し訳なかった、と謝る場面じゃないのだろうか。一時的に精神疾患となっても、今は判断できる状態なのだろう? その今になって「彼らとの関係は請負だったんだよ」と開き直るのは、倫理観にもとる。法的にはそうであっても、社員と呼んでいたのだから、最後まで社員として扱うべきだったんじゃなかったのか?

彼は社員を大切にする会社を作ると語っていたが、実態は社員ではなく請負人だった。しかし社長は、請負人を社員と呼び、社員に在宅勤務や自由出勤で勤務させているように装って、一見ホワイト企業的な理想郷を作り上げてみせた。

その理想郷が破綻したとしても、多少の言い訳はしょうがない。 ある程度の弁明ならばしょうがない。夢を見たことは罪じゃない。夢に他人を巻き込んだことも、罪じゃない。夢破れることも、罪じゃない。

その上で、
「実は請負という形態であったけれども、会社が立ちいかなくなった以上、社員として世間に紹介していたので、社員として扱いたい、雇用保険や健康保険にも過去にさかのぼって加入させて、その分の負担は私が何年かかってもお支払いします」
と述べればいい。

それとも、こうした責任を回避したいならば、
「実は請負でした。申し訳ございません。私の不徳とするところです」
と語って、サンドバック状態になることを我慢しなきゃならない。

責任を回避したい、でも世間からは悪く思われたくない、なんて良いとこどりは、土台、都合良すぎる話なのである。

なぜ理想を裏切るのか

理想を語る者が、もっとも大切にしていた理想をないがしろにする、という例は歴史に数多く刻まれた悲劇だが、似たようなことは日常にゴロゴロと転がっている。革命家に憧れる左翼的思考の人物にそれが多い。民主党シンパの元社長の場合もそうだったのだろう。愛人を多く抱えていた毛沢東やスターリンが恐怖政治をおこなったのはよく知られているだろう。

私は、熱く理想を語る者が、理想を実現する立場に至った時に豹変するかどうかの試金石として、乱倫かどうかが一つの鍵となると考えている。家族を大切にするのは通常保守的思考の人物で、革新的な人々は通常、「保守」ではない。

浮気や不倫を行う人間は、例外なく嘘つきだ。
なぜなら独占欲の強い女性たちに、常日頃から、
「お前が一番大切だ」
「お前を一番愛している」
と囁かなければならないからだ。日常的に嘘をつくのに、こうして慣れていく。

また、浮気をする、不倫をする、というのは、かつて愛した女性を裏切って切り捨てる、一種の非情が必要だ。愛する女性と結婚するという理想を成し遂げたあとに、とどのつまり、理想を継続できないのだ。

家庭を大切にしたい、という理想と、たくさんの異性と関係を結びたい、という本能の間で、理想を裏切り本能を選択する人物は、理想の現場で簡単に理想を裏切る。

結婚後も浮気をする人間かどうかは、人生の早い段階でわかる。社会で理想を達成した後に理想を維持できるかどうかは、後にならないとわからない。だから、ある人物が理想を実現した後に理想を裏切るかどうかは、彼が結婚後に浮気を何度も繰り返していないかどうかに注目する、というのも一つの判断基準となる。

アングロ・サクソンの国家に独裁者が少なく、どこもある程度うまく機能しているのは、上層部が適度に潔白で、国民が指導者に一夫一婦制を守らせようとしているからだろうと私はにらんでいる。

だから、独裁者とならないためにも、ブラック企業の経営者とならないためにも、人は、もしも大切な人が現れたら、その人を一生愛し続けなければならない。それが無理なら、一度関係を精算して、相応の賠償をした上で、新しい恋を見つけなければならない。

恋することは一時の感情だが、愛し続けることは努力だ。相手のことを考え、それ以外の人との間で恋愛が生じそうになったら早めに対処する、という行動を地道に行う、という強い意志を持たなくてはならない。

件の社長も乱倫ぶりをブログで告白していたのだから、理想を実現できる人間ではなかったのだろう。歴史の法則は、案外強固なものだ。


2014年12月10日水曜日

ホリエモンの考え方に共感するのは、公務員に多いのかも

以前、とある勉強会で知り合った区役所の公務員が休憩時間に本を読んでいました。その本は堀江貴文の、
『君がオヤジになる前に』。


意外に思いました。堀江貴文といえば、新自由主義の申し子、 企業家バンザイ。公務員とは真逆の人、というイメージがあったからです。

「本、面白いですか?」
彼は答えます。
「面白いですよ。いろいろと共感することが出来て」

(へえ、共感するのか)
と、私は驚きしました。

それから他の公務員の友人と話す機会がありまして、そのことを話したところ、友人自身はそうではないと断った上で、
「上司や同僚に、そういえばホリエモンの信者や彼のことを好きなやつ、いるね」
と言うのです。
「自分に出来ないことをやすやすとやってるとこが、カッコいいと思えるからじゃないのかな」
と、彼は言います。

それだけだろうか、と考えてみました。

ホリエモンの主な主張をまとめますと、
  1. 能力主義
  2. 弱者切り捨て
  3. 行動主義
  4. 無責任
  5. 伝統や権威の否定
といったものでしょうか。

こうして並べて考えてみますと、なるほど、ある種の公務員が彼に共感する理由が、見えてくるような気がします。 

自分が有能だと思う人々

まず、1.能力主義、弱者切り捨てに関して。公務員には、自分の能力に自信をもっている方が大変多いものです。学校の成績が良い方が多く、学校の試験の延長線上にある公務員試験に受かって職に就いた方々が多いです。 昇進も試験の結果で決められることが多く、民間の競争を知りません。

ホリエモンが主張する能力とは、自由競争の中で勝ち上がる能力でしょうが、そこは人間、自分の業界のルールに引き寄せて考えます。中でも自分たちが有能だと思っている幹部候補生たちの耳に、ホリエモンの能力主義は心地よいことでしょう。

2.弱者切り捨てに関してはどうでしょうか。

役所に押し寄せるのは、社会の中でも恵まれない人々が多いものです。平日の昼間に役所に行きますと、ときどき窓口の職員に、
「お前の上司に代われ!」
と怒鳴り声を上げているヤクザまがいのオヤジなどに出くわします。



「公僕」という言葉を文字通りにとらえ、税金をほとんど払っていないのに、
「お前ら俺達のしもべだろ? お前らはオレたちの税金で食ってるんだ。文句があるのか!」
と言い放つ人々に日頃から接する機会が多い公務員の中に、
(あいつらがダメになったのは、自分自身のせいだ)
と、弱者全体に反感を持つ人が増えても不思議ではありません。

そうしますと、当然ホリエモンの、自己責任論、低能力者切り捨てに共感することになります。

ましてや、自分たちがリストラされることはほぼありませんから、無能力者がリストラされるのは当たり前(自分たちはリストラされないから有能)という考えにて陥るのも無理はありません。

公務員は責任を問われない

3.行動主義に関してはどうでしょうか。公務員の中には、仕事をしない、できない人間が一定数含まれています。縁故採用された人などですが、彼らに反感を感じている有能な公務員は多いでしょうから、彼らがホリエモンの行動主義に共感するのはよく分かります。

大都市ではさすがにそういうことはありませんが、地方都市などにいきますと、事務所の外の喫煙所、衝立の向こうのベンチに座って、一日中だべっている人などに出くわします。問い合わせをする窓口が分からなくて、彼らに尋ねても、うるさそうに立ち上がって、
「それ、あそこの人に聞いてくれる? 俺は今休憩中だからさ」
などと、1時間前からそこにいるのに堂々と命じたりするのです。

4.無責任はどうでしょうか。公務員は、誤った施策に対して基本的に責任を問われることはありません。無論左遷されることはあります。でも、数年に一度、転勤することが多く、仕事自体も成果が見えにくいものが多いため、自分自身の施策の結果を目の当たりにすることがあまりありません。

数年後に自分たちがおこなった施策によって多数の犠牲者が出たとしても、当時の担当が探しだされて罪を問われる、ということもありません。

そうしますと、
「一生懸命にやった結果が悪くても、それに対していつまでも責任を問われるのはおかしいでしょ。その時にそれに賛同した人たちの責任だから」
というホリエモンの主張は、自分を免罪してくれるものとして、心地良いものとなるでしょう。

ホリエモンも公務員も、一生安泰

「尖閣諸島を中国にあげればいい。それで中国が満足すれば」
と放言したことで有名なホリエモンですが、彼が小笠原諸島近海に大挙して押し寄せた中国船について述べることはありません。一歩引き下がれば一歩踏み込まれる相手の無理難題を聞くことは、相手につけいられるのと同じですから、こうした無責任な発言は、落選する危機のある政治家などは出来ないものです。

元億万長者という滅多に無い肩書きを持ち、実刑も喰らったことのある彼には怖いものはないでしょう。批評家としての地位は安泰ですし、それなりの資産もある彼は、たとえ言ってはならないことを言って、マスコミから干されようとも、食うに困ることもない、天下無双状態。首を切られない公務員のようなものです。彼の無責任礼賛が、一部の公務員から共感されるのも当然かもしれません。

5.伝統や権威の否定に関してはどうでしょうか。

役所の中ではつまらない伝統がてんこ盛りです。前例踏襲主義が根強いですし、叙勲の推薦手続きなんざ、後ろ向きもいいところで気が狂いそうになります。監督諸官庁の人々の機嫌をうかがったり、ひたすら昔の事績を調べたり。こんな仕事で一生を終えたくないと思う方々は多いことでしょう。

公務員に共産主義へのシンパが多いのはよく知られています。伝統や権威を守る立場にあるからこそ、それに従わざるをえない自分に忸怩たるものを感じる機会が、民間で勤めている人間には多いかもしれません。

(なぜこんな馬鹿げたルールに従わなきゃいけないの?)
(なぜ儀典のような馬鹿げたことにこんなに一生懸命にならなくちゃならないの?)

こうした思いをもつ人々にとってホリエモンの伝統否定発言は、
「よくぞ言ってくれた!」
と拍手喝采を浴びせたくなるのかもしれません。

匿名だから底辺ばかりというわけじゃない

尖った発言をすれば叩かれます。特に、地位のある人間で、批判に弱い立場の人には批判が集まり易い傾向があります。

公務員は地位があるものの、作家や政治家のような、多数のファンが周りにいるわけではありません。だから、余計なことを発言すると批判が殺到し、せっかくの地位を失いかねず、さらには彼を養護するサポーターにも恵まれないために発言するだけ損というもの。

それに、ある程度の承認欲求が満たされている彼らは、ネット上で発言する必要性を感じることは少ないでしょう。むしろ、百害あって一利なし。今後の昇進にも影響が出ます。

実名で発言するほど馬鹿じゃない、と思っている公務員のほとんどは、ウェブ上の発言は匿名で行うことが多いものです。

ホリエモンに共感する層というのは、物知らずの学生や自営業者たちだろうと、なんとなく思っていました。彼のブログやTwitterに賛同のコメントをしている人々も、そうだろうと。

ですが、こうして考えますと、ある程度有能だと自負しているけれども、他者への思いやりの少ない中間管理職の若手公務員などに、彼へのシンパが非常に多いのかもしれません。



2014年11月20日木曜日

どうすれば、高倉健のような生き方ができるのか

高倉健が亡くなった。

かっこいい男の代名詞。

稀有なスターが亡くなると、記憶にある彼らを鬼籍へと移し替えねばならない。細い手で胸を押さえつけられるような息苦しさを覚える。

彼の演技は随分酷評されてきた。大根役者と言われたこともある。しかし経験を経て、彼の演技は本物へとなっていった。演技の勉強に余念がなかったというから、自分の味を出しながら、監督とカメラの向こうの観客にどう満足してもらえるか、考え続けてきたのだろう。

残念ながら、彼とは生きていた時代が異なるので、映画を観て彼の演技に夢中になった経験はない。ビデオなどをいくつか観て、カッコイイなとおもったくらいだ。ただ、彼と過ごした映画人たちが好んで語る高倉健のふるまい、たたずまいを聞いて、強く憧れたことはあった。

彼がどのような人物だったのかは、Wikipediaに詳しくまとめられている。

★ 高倉健 人物像

Twitterなどを観ていると、彼の生き方をカッコつけていると感じた人もいるようだ。それは当然だと思う。彼は意図的にカッコつけて、生きていたのだから。

歳を食ってくると、若い頃に否定していた生き方が避けられないことが否が応でもわかってくるだろう。そのうちの一つに、社会の中で生きる上では何がしかの「演技」が必要だというものがある。わりきらねばならない。あきらめなければならない。

自分の感情をあざむき、他人にこう思って欲しいと思いながら行動するというのは大変卑しいことだと子供の頃から思っている。だが、他人をどうにかして利用しようと考える人間と一緒に働かねばならない場合に、多少の演技で抵抗していかないと、喧嘩をして恨まれるか、自分を押し殺してうつ病になるかしかなくなってしまう。

卑近な例だが、上司が次々に新しい仕事を部下に押し付けてくるような職場にいたとする。自分の仕事を責任をもって完遂するためには、忙しいフリをして仕事をふられるのをさけなきゃならない。プライドの高い年上の女性同僚が自慢話を始めたら、仕事の手を止めて、さも関心があるように振る舞わなければならないこともあるだろう。上司をバカにしてくる部下には、怒鳴りつけたい気持ちを抑えて笑いながら接しなければならないこともある。

しかし、自分の意思を殺して行動する演技は、さじ加減が難しい。

過剰な演技はわざとらしい。あきらめてポーカーフェイスに徹するという方法もあるが、感情がないと嫌われることがある。迎合さえしていればいいのかと言えばそうではない。軽蔑され、侮られるもととなるからだ。

自分を安売りせずに、他人を尊重していることを伝えるための行動は、考え始めると難しい。

その中で、高倉健の日常生活の「演技」は見事だった。映画の中の演技も素晴らしかったけれども、これだけ長い間、日本中から注目され続けて生きていながら、悪いうわさをほとんど立たせなかったのは凄いことだ(江利チエミと結婚、離婚したときに、義姉との間で一騒動あったようだが)。

日本中の人から四六時中見られながら、高倉健は、劇中の登場人物と同じ、無骨で律儀で謙虚な人物像を貫き通した。これは、並大抵の努力ではできまい。

高倉健の近所に住んでいた板東英二が高倉健の実像を語っている。

★ 高倉健さん死去に板東英二「あの人は寡黙でもなんでもない」
あの人は寡黙でもなんでもない。何時間でも話します。プライベートな話も。(元妻の)江利チエミさんとの話や東映から脱走した話。やんちゃした話とか。健さんがヤクザ映画に出ていた頃、愛媛の松山へロケに行ったら黒服100人くらいがずらっと一列に並んで『ごくろうさまです!』と言ってきた。『仕事で(ヤクザ役を)やってるんで』と言うと翌日、白のトレパンにシャツ姿の人が100人。そういうことじゃないんだよ! とか……そんなこと延々と話してるんです。
本当はそんな人なのだろう。親しい人には快活で、お喋り好き。それでいながら彼は彼を慕う人の前では「高倉健」を演じ続けた。いいなぁ。

どうすれば彼のような生き方ができるのかわからない。まずは、できることからマネてみようか。

ちなみに上記は高倉健の愛読書で、彼はこの本をことあるごとに読み返していたらしい。まさに座右の書。読みたいが、今の段階で46,000円の値がついているので、断念せざるを得ない。

2014年9月26日金曜日

杉村太蔵は株式投資の新たなスターとなるか

元衆議院議員の杉村太蔵氏が、株式投資で資産1億円を作ったというニュースが話題になっています。

★ 杉村太蔵センセー、華麗なる転身!「バカでも資産1億円」

「議員辞めればただの人」
となる人が多い中で、落選後も「サンデー・ジャポン」などのコメンテーターとして活躍している杉村氏を、
「しぶといな」
と呆れつつ感心していましたが、まさかその間に株式投資で1億円の資産形成に成功していたとは……。
株式投資で多額の利益を上げ、商社を立ち上げて4年間で約1億円の資産を築いた。昨年は1000万円の英高級車ジャガーを購入したという“投資家&実業家”タイゾーに話を聞いた。
「国民の99%はボクをバカだと思っているかもしれませんが、その私が資産1億円となると…、それはみなさんの勇気になると思いますよ」
自身のキャラをわきまえつつ、さらなる高みへ向かおうとする杉村氏に感嘆しつつも、眉に思わず唾しました。

(話ができすぎているんじゃないか)
とどうしても疑ってしまうのです。私の心は汚れているのでしょうか。


広告の技術は進化している

少し話は飛びます。

20年ほど前になるでしょうか。白鳳大学教授の福岡政行氏の講演を聞きに行ったことがありました。
「ちょっとだけ、ウラ話!福岡政行氏」より
某有名宗教団体の実名を挙げつつ、その団体は博報堂に莫大な広告宣伝費を支払い、博報堂は某団体のイメージアップを全面的に支援している、といった内情を、講演で話していました(業界の裏話を聞けるのが、講演の醍醐味です)。

広告代理店では、単なる出版物への広告宣伝を扱うのにとどまらず、教祖の言動、ファッションなど、様々な点の改善策を提案しているのだそうです。

(宗教団体も宣伝する時代なのか)
と驚きましたが、それも今から20年前の話です。今では広告代理店は、もっと多岐にわたる広告宣伝に携わっていることでしょう。

電通や博報堂のような巨大広告代理店ともなると、テレビCMで商品名や企業名を連呼する単純な広告作成だけではなく、業界全体のイメージアップを手がけることで、一企業にとどまらない収益アップにつなげていることなどを、ご存じの方も多いでしょう。

このような試みはすべてうまくいくとは限らず、当たり外れが多いものだそうです。とはいえ数十年も試行錯誤を続けていると、手堅い広告手法も分かってきます。いろいろな手法のうち、確実なのが「スター」を作って、大勢の人にアピールする、という方法だと、私は別の方の講演で聞いたことがあります。誰だったか忘れましたが。


株式投資のスターたち

たとえば2005年、ジェイコム株大量誤発注事件で注目を浴びたB・N・Fこと小手川隆氏。彼は大学中退のニートという立場ながら、株式投資で100万円を210億円にまで増やしました。

あるいは主婦でありながらFXで8億円の資産を築き上げた池辺雪子氏。日本の専業主婦を中心とする個人投資家が、2000年代から国際為替相場に大きな影響力をもたらすようになりました。欧米では畏怖を込めて、彼女たちを「ミセス・ワタナベ」と名づけましたが、その名前の由来となったのが池辺氏だそうです。

2000年中盤、マスコミやネットでたびたび話題となった彼らに憧れて大勢の人が投資を始めました。それは自然発生的なものだったのか? それとも誰かが絵図を描いたのか?

当時、バブルの余波がまだ残っていたので、主婦やニートといった人々は暇と小金がありました。今よりも余裕のあった時代。個人のものとしては些少でも、彼らの人数は多く、集まれば巨額の資金となります。それまで見向きもされなかった層の資金を投資市場へ呼びこむことに、上記のスターたちが大きく寄与しました。

FXやネット株取引は今でこそ当たり前ですが、始まった頃はまだ信用がなく、参加者も少なかったのです。その状況を変えたのは、小手川氏を始めとする大成功者のお陰です。無論、彼らの成功は実力や才能によるものでしょうが、それを後押しした大勢の人々、利用しようとした人々が背後にいたはずです。2ちゃんねる発の自然発生的なムーブメントだと意識している人が多いと思いますが、今では2ちゃんねるの相当初期から、2ちゃんねるの運営陣が印象操作のために書き込みを操作していたことが明らかになっています。


今度狙われる財布とは

当時、マザーズやナスダック(現・ジャスダック)が開設されたばかりで、これまでの株式投資の客層とは異なる層にアピールして新規投資を呼びこむ必要がありました。ニートや主婦といった人々がその頃大勢参入しましたが、今でも儲かっている人はどれほどいるのでしょう?

一部は儲けましたが、大多数の人々は有り金をそっくりと巻き上げられて、青息吐息といったところでしょう。

さて、2014年。

オリンピックも数年後には控えています。安倍首相は、株式市場の活性化を目論んでいます。たくさんの投資を呼び込まなくてはなりません。

では、日本政府や証券会社が次に狙う、新たに株式投資に挑戦してくれる人々とは、どのような人々なのでしょうか。

すぐに思いつくのは退職したばかりの団塊世代です。しかし、彼らは年齢が高く、概して保守的で、したたかです。バブル崩壊の記憶が根強く残っています。広告に踊らされ、熱狂の起爆剤となる可能性は少ないでしょう。彼らにアピールしても、あまり期待できそうにもありません。

では、どのような人々なのか? やはり経験や知識の少ない若い層でしょう。

もしも、杉村太蔵氏が、株式投資の新たなスタートして大手広告代理店の目に止まったのだとしたら。彼が体現する人物像こそ、投資をして欲しい対象なのかもしれません。

たとえば。

1970年代生まれの、団塊ジュニアや真性団塊ジュニアと呼ばれる世代、いや、氷河期世代と呼ばれる1970年から1982年生まれの世代。この層は、就職で困難に遭遇したものの、近年になってようやく落ち着き、結婚もぼつぼつとし始め、生活に余裕が出てきています。

彼らの余剰資金を狙うため、彼らにアピールするための「スター」として、杉村氏はとても適切なように思います。

「あいつに出来るのならば、私にだってできる」
……そう勘違いする人は多いはず。

今回の杉村太蔵氏に関連するニュース。一個人の本出版を報じるものにしては、扱いが大きく、いろいろな媒体で取り上げられているのが気にかかります。何らかの意図が背後にあるとしたら、それに騙されないようにしないといけません。


2014年8月30日土曜日

ステージが変わると、復讐する機会は失われる 上


以前も触れたが、転職先で同僚から受けた執拗な嫌がらや暴力は、私にとって社会への見方を変える大きな転機となった。

中途採用された転職先は小さいながらも安定していた。だから落ち着いて働けると思っていたのは大きな間違いだった。逆に閉鎖的でいびつな人間関係に縛られていて、たとえば、Kという定年間近だが仕事ができず平社員だった60代の人物を、職場全員でイジめ、無視するのである。また、ある50代の女性は、とある天下りの役員が大嫌いで、その悪口を役員室に聞こえるような大声でわざと言う。
「あんな無神経な人間が人の上に立つ? 冗談じゃないよ! あんなやり方でこれまでのうのうとよく生きてこれたもんだ!」
私が焦って、
「◯◯さん、聞こえますよ」
と言っても、
「聞こえるように言ってるんだよ !」
と返されとりくすいまもない。私はその天下りの役員のことが好きだったので、この人間のことをますます嫌いになったものだった。

こうしたおぞましき秩序が気に食わなかった私は、その都度、反抗した。

転職してきたばかりの若手が既存秩序に下手な方法で歯向かったらどうなるか、考えれば分かるだろう。若さのあまり、正義は勝つと自惚れていた私は、やがて職場の女性数人から陰湿な嫌がらせを受け始めた(話しかけても一切無視されるとか、あいつは給料泥棒と書いたメールをわざわざプリントアウトされて回覧されるとか、私がトイレに入っている間に、大声で私の悪口を私に聞こえるように言われるなど、いろいろだ)。

嫌がらせは数年続いた。小さな職場で小声でヒソヒソと悪口を言われ、話しかけても挨拶をしても無視され、それに同調する一部上司から怒鳴られ、役員から評価されると今度はやっかまれて余計に嫌がらせを受ける、物を隠されることなどが続いた。上司も頼りない人間でお局が絡んでいるから助けてくれないのである。きつかった。

そこを離れた後、会社勤めにトコトン嫌気が差して、独立して働くことを決意。メンターと見込んでカバン持ちを始めたボスのもとで働いたのだが、これはまた、別の意味できつかった。

数度の離婚、愛人を常に幾人も抱えており、性的に放縦な人間だった。事務所の事務員を殴る蹴るが当たり前。私の前任者は、それが原因で鼓膜が破れ、一緒に働いていた同僚は首を吊って自殺未遂を図ったが死にきれず、鬱病になってようやく退社できた。私は武道をやっていたことと同僚ほどひどいミスをしなかったせいか、多少はましだったが、それでも首を木刀で突かれたり、興奮すると蹴りを入れられながら怒鳴り散らされたりするのは当たり前だった。

それなのに対外的には大変な人格者として通っていた。マスコミによく登場しており、今でも識者として活躍している。

ボスに、辞めたいと訴えたところ、
「クソが。お前みたいなウジ虫がどんなにクズか、世間に分からせてやろう。てめえが辞めたあと、お前の履歴書に書いている以前の職場全部に電話をかけてやる。『◯◯という人物をこちらで雇っていましたが、この男がどうも信用できませんでしてね。もしかしてオタクの会社で何かしでかしたんとちゃいますか?』と聞いてやるよ」
と、こう脅迫された。

そしてこの男、実際にこういうことを、平気でやるのである。

私をいじめ抜いた前職場たる政府機関の女性陣に、こうした噂を流されるのはあまりに恥ずかしく、それは恐怖だった。こうした私の弱みを、彼は的確についてくる。下手に辞めて、新しい次の職場に嫌がらせをされても困る。私は辞めるに辞められなかった。

穏便にその会社を辞めるのに、数年かかった。


さて、なぜこうした話を再び書いたのか? 私がそこから脱出した後に考えたことを初めて申し上げるのだが、その内容はひどいものであり、事情を知らないままでは、みながドン引きされるに違いない、と考えたからだ。

私はしばらくの間、彼らにどうすれば復讐してやれるか、そればかり考えていた。

結果、次の3点に集約されていく。
  1. 暴力による復讐
  2. 法律による復讐
  3. 将来の復讐

1.暴力による復讐

政府機関で働いていたとき、通勤ラッシュでやってくる電車を見つめながら、
「駅のプラットフォームから飛び降りれば楽だろう」
と思いつつ見送ったことが何度かある。後年、その頃のことを思い出すたびに憎悪が増した。

暴力で黙らせることを妄想した。


2.法律による復讐

Tという女性をPTSDで訴えることを考えた。残念ながら私は深刻な鬱病にはならなかったけれども、精神科で、経験したことを訴え、それに今でも眠れないほど悔しい思いがすることを訴えれば、あるいはPTSDと認められるかもしれないと考えた。

彼女たちが私の悪口を言っていた、というのを訴えても「幻聴だ」「頭がおかしい」と突っぱねられるのを懸念して、彼女たちが紙などに残した証拠をゴミ箱からあさって保存しておいたから、証拠はあった。だから、裁判で勝てるのではないか、と考えたのだ。

ボスに対しては、打ち合わせのために経費として計上されている食事代のほとんどが愛人との食事代であることを税務署に訴えることとか、労働基準法違反の実態を労働基準監督署に訴えることなどを考えた。


3.将来の復讐

たとえば私が後年、ある程度の社会的地位に登った後に、彼らを社会的に抹殺する……そんな光景を夢見た。

なにかの表彰で私が壇上に上がり、そこに司会者が
「◯◯さんのかっての恩師がここに来ていらっしゃいます!」
と言って、スタッフがドッキリでボスを連れてこようものなら、壇上でこのボスがどれほどひどい人間か話した後、持っていた水を上からひっかけてやる……そんなシーンを妄想した。

あるいは、ある程度の社会的地位を得た上で、彼の取引先すべてに電話をして、
「この男、本性はどんな人間か知ってます? それなのに彼と取引しているんですか?」
と話して彼の信用を根こそぎ奪う、とか。



……こうしたことを考えていたが、今ではそうした気持ちはなくなった。それはなぜだろうか?

2014年8月5日火曜日

笹井芳樹副センター長が自殺

武田医学賞受賞時の写真 より
驚くべきニュースが飛び込んできた。STPA細胞論文捏造事件に大きく関与していた笹井芳樹博士が自殺したという。

★ 理研 笹井副センター長が自殺図り死亡

テレビの前であれほど堂々と弁明をしていた人物が自殺という手段を取るとは思ってもみなかった。態度からは心情はうかがい知れないという好例である。

このニュースを聞いて、私と同じように驚いた人も多かったはずだ。

衝撃を受けた人は、何かに責任を押しつけて気まずさを紛らわせようとする。今回、笹井氏の自殺の責任を、結論をダラダラと先延ばしにして、関係者を緩慢な自殺へ追いやろうとする文科省や理研上層部などに求める意見も多いようだ。私も最初、そう考えていた。

特に、早稲田閥を守るためなのかどうかわからないが、捏造がほぼ確定的になったにも関わらず、茶番劇のようなSTAP細胞再現実験を実行するよう、強く働きかけてきた文科省大臣の下村博文の罪は重い、と。

だが、アメリカで起こった、同様の事件「シェーンスキャンダル」について改めて調べ、それと比較すると、日本の事件解決に向けた取り組みはそれほど遅いものではない事がわかる。

「シェーンスキャンダル」というのは、数々の大発見をなしとげ、科学賞をいくつも受賞、2002年に「傑出した若手研究者のための材料科学技術学会賞」を受賞してノーベル賞受賞確実と言われたベル研究所のヘンドリック・シェーンという若手科学者の大規模な論文捏造が明らかになった事件のこと。

STAP細胞論文捏造事件のからみでテレビなどで何度か紹介されていたので、ご存知の人も多いだろう。
2000年 52K(-221.15℃)で超伝導を観測したと発表。
2000年 有機物における超伝導転移温度の最高記録を塗り替える。
2001年 上記記録を117Kに更新。
2001年 分子程度の大きさのトランジスタを作成
これらすべてが嘘、という指摘を受け、2002年5月、ベル研究所は本格的な調査に入ったが、結論が出て、シェーンを解雇したのは4ヶ月後の事だった。

そして、出身大学であるコンスタンツ大学がチェーンから博士号剥奪を決定したのはその2年後。そのあとシェーンは裁判で博士号剥奪撤回を大学に求めるために裁判を起こす。シェーンの訴えを退けて、裁判所が博士号剥奪を大学側に許可するまで、9年間を要した。

それに比べると、小保方の論文発表が今年の1月、捏造が発覚し出したのが2月頃。捏造が確定的になったのは今年6月頃だ。解決までにはまだまだ、時間がかかって当たり前なのだ。

理研は早い段階で誤りを認め、論文撤回を働きかけた。シェーンスキャンダルと比べても、対応は迅速に思える。

そのあとも、文科省や理研が、時間をかけながら問題の全容解明と再発防止に取り組んでいるのは間違いない。

STAP細胞再現実験に、小保方博士自身も参加して、自らの責任を果たそうとしている。逃げずに立ち向かっているという点では立派だと思う。

笹井博士もあきらめるべきではなかった。彼らを見守りつつ、全容究明に協力し、いずれ明らかになる破局に備えて、再就職の準備に入ればよかったのだ。

今回の自殺に関しては、文科省や理研の責任というより、笹井さん本人の責任放棄、という意味合いが強いのではないだろうか。

多くのプレッシャーにさらされる。それは当然だろう。だが、それでも彼らの研究所の周りをデモ隊が囲んでいるわけではない。生活の安全は保障されている。身近なところにサイコパスの人間がいて、毎日のように、「死ね」と言われながら生活していたわけでもなかろうに。

自殺した人間を責めることを、私はしたくないが、こうした高い地位にいる人間が責任を果たす前に自殺をすることは、どうしても許容できない。

「生きろ」という強制でもなく、
「生きねば」という諦観でもなく、
「生きてやる!」というがむしゃらの生への渇望を、持って欲しかった。


ご冥福を祈る。

2014年7月28日月曜日

ベネッセの原田社長は迷走していない

キャリアは作るな、巡り合いに賭けよ より
マクドナルドの元社長でもある原田泳幸は、大変評価の高い人物であるし、人気もあるのだけれども、ベネッセの情報流出事件前から、あまりいいイメージを持っていなかった。

その理由は、私が好きな「藤田田」(ふじたでん)という一代のカリスマの影響力を、アメリカ本社の指示どおり、徹底的に排除することに成功したことだ。見事な手腕で、優秀なマネージャーであることは確か。でも、あの強烈なキャラクターの延長線上にある日本マクドナルドであって欲しかった、という、こちら側の勝手な期待を裏切ったことで、どうしても好きになれぬ。

例えて言うならば、ジョブズ亡き後に、ジョブズの影響力をアップルから完全排除してアップルを立て直した男を好きになれるかどうか、と問われたアップル信者のようなものだ。

それに、やり方も結構苛烈だ。原田氏は、2004年の就任時から8年連続で増収増益を達成し、マクドナルドの営業利益を10倍の281億円にまで増加させた。だが、その実態は徹底したコスト削減だった。

社会保障の充実した直営店をフランチャイズ店へ変え、社会福祉関係のコストを削減し、直営店の中高年の社員をフランチャイズ店へ出向に追い込んで人件費を抑えている事例などが、下記のサイトにはいくつも紹介されている。

★ 日本マクドナルドユニオン

経営者としては優秀だが、労働者側から見れば批判の的。今の私は労働者よりの人間だから、どうしても彼のような人間に批判的になるのは、仕方のないことだとお許し願いたい。

そんな彼がベネッセ社長に就任した途端に、2070万件の個人情報流出問題が発覚した。

退任間際にはマクドナルドの売上を極度に落とし、ベネッセに就任するや否やこのような大きな問題を引き起こす。今では「運のない男」というレッテルまで貼られる始末。

下記記事では原田氏の対応に痛烈な批判を浴びせている。

★ 影を潜める“原田マジック” ベネッセが迎え入れた救世主が迷走

だが、ちょっと待って欲しい。原田氏が嫌なやつであるのはともかく、今回の記者会見などでらとった彼の手法は間違っていないのではないだろうか。むしろ経営者として正しい手法をとっているのではないか。

以下に、上記記事に対する反論を、述べてみたい。

今必要なのは社内の人心掌握

 原田氏は、(中略)流出情報を利用した他の通信教育会社の倫理を問う発言を繰り返した。
 謝罪会見の場で他を非難する-。企業広報に詳しい関係者によると、こうした行為は責任転嫁と受け取られやすく、やってはならないことのひとつとされる。
もしも原田氏が、ベネッセに就任して数年経った頃にこの事件が発覚してこの対応を取ったとしたら、この発言は責められてしかるべきだ。

だが、今回の事件は彼がベネッセ社長に就任して、一ヶ月も経たないうちに起きたもの。まだ、彼が社内の社員の心をつかむ前に起きたことだ。

まだ彼は、社外からベネッセの人間として叱責を受ける立場ではないから、批判も免れうる。逆に、社内からは同志とみなされていない。

こういう時期に自社を批判することは、自殺行為。社員からは裏切り者とみなされてしまう。逆に、世間から批判を受ける中で社員を守る発言を行えば、社員の気持ちをつかむことができる。

原田氏にとって、問題を解決するためにも、まずは社員の気持ちを掴む必要があったはずだ。だから彼は敢えて、他社を社会的批判を覚悟で、批判してみせた。

就任して一ヶ月しか経たない原田氏に、今回の事件の責任がないことは世間もよく理解している。だから、多少、他人ごとのように他社を批判しても、そこまでヒステリックな批判は受けないだろう、という冷静な判断もあっただろう。

カネには出すタイミングがある

ただ、もちろん社会の目は甘くはない。だから、ベネッセ自身の責任を曖昧にする原田氏の対応に大きな批判が起こった。そこで、彼は約一週間後に、総額200億円もの原資を基にした金銭補償を行うと表明した。これが場当たり的な対応だと批判を生んでいる。だがそうではない。むしろ緻密な計算の結果ではないか。

もともと彼はマクドナルドの社長時代、一万円足らずの消費税二重課税事件を解決するために、数千万円の謝罪広告を出した男だ。最初から、巨額の補償対策費が必要であることも重々承知していたはず。200億円もの金額補償は、むしろ彼の想定内だったのではないだろうか。

役員会などに、事件発生当初から、要求していた可能性もある。

しかし、それだけ巨額のカネを出すことを、ベネッセの他の誰も、おいそれと決意できないだろうし、就任して一ヶ月も経たない男の説得が功を奏することもなかっただろう。

そこで、敢えて悪役となり、世間から批判をさせ、ベネッセ役員全員に危機感を与えたのではないだろうか。大きな逆風を受け、初めて世間の厳しさを知る。よくあることだ。彼は批判をうまく利用したと言える。

矛盾ではない

社内の人心掌握と、個人情報流出事件解決を同時に行わなければならないから、今回の対応はとても難しいものだった。

2つの目的を同時に果たそうとするとき、性質の異なる言動が交互に現れるために、首尾一貫せずに迷走しているように見えるが、迷走ではない。2つの計画は時に真逆の行動が同時に必要となるため、矛盾のように思えるが矛盾でもない。

それは、ブレーキとアクセルを交互に踏みながら、目的地に向かうようなもの。直線でアクセルを踏み、カーブでブレーキを踏むことは、迷走ではないだろう。

盾で守りながら矛で攻めることに、なんの矛盾があるだろうか。お互いをぶつけるのではなく、矛も盾も相手へ向けているのだ。

今のところ原田氏は、うまくこの問題に対応していると、私は思うのだ。

2014年7月27日日曜日

楽天の若きエース・北川拓也氏の簡単なまとめ

北川拓也という人物に興味を持ちまして、昨日から彼について書かれた記事をいくつか読みました。
「ハーバード大学って、どうやって入るの?」より
彼の名前で検索すれば、すぐに、彼が書いていたブログだとかフェイスブックに行き当たることができるでしょう。ただ、ブログは二年前から更新されていませんし、ほとんどの人は忙しいでしょうから、彼の人となりをすぐに知ろうとしても、難しいと思われます。

そこで、最近急に北川氏に興味をもった方々のために、彼の考え方やについて、簡単にまとめてみました。


彼のプロフィール

北川拓也氏のプロフィールを、簡単にご紹介しましょう。

  • 1985年生まれ。
  • 灘高校時代に化学オリンピックの国内最優秀賞受賞。
  • ハーバード大学で数学、物理学を専攻、両学士課程で最優等の成績を取得。
  • 2013年にハーバード大学院博士課程修了。
  • 現在、楽天株式会社執行役員かつビヘイビアインサイトストラテジー室室長。


優秀なキャリアですね。

灘高から東大を経由せずに直接ハーバード大学に入学したことで、彼の行動が、
「優秀な学生の新しい生き方」
として、以前から注目されていたようです。そういえば、彼の名前を10年近く前にテレビで見かけたことがあるような記憶がありますが、これは私の勘違いかも。

優秀な人間は、ときに企業にとっては格好の看板となります。ノーベル賞を受賞した田中耕一氏が、島津製作所の研究レベルを担保しているようなもの。北川拓也のような優秀な人材がいる企業として、知的ブランドが一気に上がります。

彼を手に入れようと多くの企業が働きかけたようですが、北川氏を最終的に獲得したのは「楽天」でした。

なぜでしょう?

好きなことを研究できそうだったから

高校生の頃は、「『僕は』何のためにこれを勉強しているんだっけ」ということを、ずっと考えていました。たとえば、ニュートン力学のテコの原理でモノが動く、ということが「僕にとって」何が嬉しいんだっけ?と考えるわけです。
特定の物事にこだわるのではなく、全体的な関係性の中で解決しようとする癖が子供の頃から彼にはあったのですが、同時に、常に「自分にとってそれがどういう意味を持つのか」という主観を大切にしてきたと言います。

科学的合理性を備えた自己愛者、といったところでしょうか。

日本は経済的にはすでに発展しきっていますが、それでも幸せの実感値が低い国です。(中略)とすれば、幸せを「ものの見方や捉え方、価値観」といったものだけで変えられる可能性があるということです。
具体論でいうと、「通勤時間を短くすること」「家の中を静かにすること」「1日10分、死について考えること」「1日1回、人に親切にすること」といったことが、人間の日常の幸福感に直結することが知られています。
人間の幸せを考えるときに、日常生活の中でどういうスイッチを押せば幸せになるのかをできるだけ理解したうえで、取り組みたいと思っているのです。
彼にとって関心があるのは、まず「自分」。しかし、自分が「楽しい」と思う理由を説明するためには、自分だけを研究しても意味はなく、客観的な視点が必要だと考えた彼は、「幸せ」という抽象的な概念を、客観的視点から探求することにしたのでした。

そして、「幸せ」の出発点である「人のEmotion(感情)」を研究したいと思って、楽天へ就職したのだそうです。

もっともそれは彼の関心の一部分であり、その先には、金融政策を扱うマクロ経済と、消費行動を扱うミクロ経済学をつなぐ「ミディアム経済学」の研究や、普遍的なものと個別具体的なものをつなげる理論を見出すことが目的であるとしています。


それにしても、普遍化・抽象化と個別具体的事象との橋渡しなんぞ、「東洋と西洋の橋渡しをしたい」と語る文学者の夢と同じくらい、手垢のついた理念ではありませんか。誰もが考えつつ、それを成し遂げたとして有名になった人は少ないものですが。


実際に彼が楽天で具体的に行っている研究とはどのようなものでしょう? 彼の茫洋した理念とは異なり、結構具体的なもののようです。
数学を使い、過去のデータから「この人はこんなことに興味がある」という相関や「あの人はバナー広告をよくクリックする」といった傾向を見出し、表現していくわけです。
楽天のトップページには1日200万人くらいの来訪者がいますが、かりに全員へ同じようにミネラルウォーターの広告を見せても、興味を持つ人は全体の2%くらいしかいません。ということは残りの98%はまったく無駄になっているわけで、その分をマッチングできれば非常に成果が上がるようになります。 
わかりやすい例をあげると、同じ商品が100円から200円に値上がりした場合と、6000円から6100円に値上がりした場合を比べてみてください。どちらも値上がりした金額は100円で同じですが、感じ方は大きく異なるでしょう。人間は物の値段を「倍々」で感じていると言われていて、この見方に基づけば100円の商品が200円になったときと同じ感じ方をするのは6000円の商品が1万2000円になったときです。
この「人は値段を倍々で感じる」というのが解釈で、購買データの分布1つをとってもそこに解釈を与えることで「こんな動きになっているのは、こういう理屈があるからなんだ」と物の値段への感覚値が垣間(かいま)見えてきて、人間の購買の仕方が明らかになってきます。
顧客のそれぞれの興味に合わせて、これから顧客が興味を持ちそうな情報を予測してカスタマイズされた画面を、個々に提供する、というもののようです。

思った以上に、具体的な研究ですね。インターフェイス研究といったところでしょうか。そこで、「インターフェイス 北川拓也」で調べたところ、次の書籍が見つかりました。彼が共同著者の1人なのかも。

随分強気の値段設定でびっくり。

マッキンゼーが、経営戦略立案をルーチン化して、新卒生でも経営コンサルタントとなるパッケージをつくったように、楽天に出店している4万4000の店舗の店主ならだれでもが、消費行動を促すウェブデザインを構築できるパッケージを作るのが彼の目的なのだそうです。



それにしても、「物理学者」という社会的にステイタスの高い立場から、IT企業のインターフェース研究者という場所に降り立って、後悔はしていないのか?
物理学って、いい意味でも悪い意味でも非常に成熟した学問です。明確に考えたわけではないですが、この時代における物理は存分に楽しめた、という思いがあったんだと思います。同時にニュートンが活躍していたような黎明期の発見の喜びというのに憧れるところもありました。
(中略)
実際に飛び込んでみると、やはり知的刺激にあふれた世界でした。発見できるものの量が全く違うんです。
後悔はしていないようです。社会的地位よりも、自分の価値観を優先するタイプなのでしょう。


「行動変容」から「意識変容」へ

彼は、ネットを利用する人間の行動をどう考えていくか、という「行動変容」にフォーカスすると同時に、「行動変容」によって購買行動を変化させた結果、「意識変容」もさせうる、つまり楽天が人々の意識を変化させ得るのではないか、と考えているご様子。……なかなか危険です。

とはいえ政治的なものには今のところ関心はなく、あくまで電子商取引業社の社員としての役割にとどまりたい模様でして、それ以上の目的は口にしていません。


モノを買ったから幸せになるのではなく、モノを買ううちに、意識が変わり、価値観が変わり、幸せになる……そういう幸せを意識的に行い、顧客を満足させたい、とのこと。
プラットフォームで勝ちに行く事業者は、それより下のレイヤーでプラットフォームが変わったときに乗り換えられてしまうんですよ。今なら具体的には、PCからスマホへのシフトですよね。だからこそ、もっと本質的なレベルで「売買」とは何かを問う戦いに持ち込む必要があるんだと思います。
なるほど。彼の考え方が分かってきたような気がします。

楽天の画面構成を変えて、顧客に消費行動を促すサイト作りにとどまらず、
「楽天で物を買いたい。たとえパソコンからスマフォに変わっても、スマフォから他の媒体にツールが変わっても、私は楽天のファンで在り続けたい」
というファンづくりこそ、彼の目標とするところなのではないでしょうか。

(私、ちょうどそういうテーマに沿った電子書籍を作っていたところなので、嬉しくなりました……それはまた別の話ですが)。





しかし実際の研究よりも、啓蒙活動の方で忙しいのかもしれないと思ったのは、下記の記事を読んでから。

★ 北川拓也氏×Tehu氏が語る、これからの教育で必要な3つの力

灘高の文化祭で女装してももいろクローバーのダンスを踊った灘高性が話題になりました。本格的ですね。

この、なだクロを企画したTehu氏と、北川氏が対談をしています。
結局、リーダーシップは物事を成し遂げる力なので手段を問わないというのは非常に大事。目標を選ばずに、やるべきことを全て成し遂げていく力を持つことが、ハーバードに行って重要なことだと学んだ。
内容としては、やや陳腐。自己啓発本に書かれていることをなぞっているだけのように思います。彼の言葉に含蓄が生まれるためには、経験と実績がまだ不足しているように思えます。



以上、まとめますと、これまでの研究者としての経歴には文句なく、理論物理学について相当の研究をされている方のようですが、楽天で行っている研究の全体像は今ひとつ明らかにならず、彼のキャラクターも、今ひとつパッとしないな、という印象です。

楽天は彼を執行役員にして、何を狙っているのでしょう?

知名度を上げるために、茂木健一郎と対談を行わせたり、人生を語らせたり。

どうも楽天は、彼に研究者としての成果を求めているのではなく、裏に広告代理店をつけて楽天の「看板」として売りだそうとすることに熱心なのではないのか、とも思えるのです。



人寄せパンダか?

人寄せパンダというと語弊がありますが……。彼の研究自体よりも、楽天に欠けている、
「テクノロジーによって現実をより良いものへ変える、革新的な企業」
という、IT企業としてのイメージを彼が体現することを楽天は求めているのかも。

しかし、彼自身にはIT技術者としての蓄積も実績もありません。

理論物理学者としては頭のいい方なのでしょうが、インターネットへの愛がないため、EC企業の社員としては、言動が上滑りしている……彼の現状に、そのような印象を受けました。




人々の嗜好に合わせたインターフェイスを作るのはとても難しいことなのでしょう。結婚している方、妊娠している方、二股をしている方、不倫をしている方、浮気をしている方、愛人を作っている方、2ちゃんねるに入り浸っている方、7人の恋人を抱えている方、twitterをやっている人などなど。いろいろな人々に合わせた入り口を作ろうとする、彼の努力に、これからも期待をしてやみません。

2014年7月19日土曜日

巨額詐欺事件で有名な、元KKC(経済革命倶楽部)の山本一郎に会ってきた 下

(前日の続き)

名前を名乗り、事務所に入る。

いきなり山本一郎氏、ご本人と対面。気さくな人柄。刑務所に8年も入っていたとは思えない、くったくのない笑顔が印象的だ。

いかつい顔つきの男性スタッフが数名。その数倍の、女性スタッフがいた。みなさん、かなりの年配だった。

知人から勧められてこの会のことを知った(本当はネットで観ただけだが)と話したところ、まずはこの会の歴史から学んで欲しい、と言われて観せられたのが、かつてKKC(経済革命倶楽部)が進めていた、地球規模の事業について学ぶ動画だった。

KKCの経済戦略が、いかに素晴らしく、また、世界中の貧困をなくすためにどのような活動に取り組んでいたのかがよくわかった。動画を観る限り、素晴らしい団体だ。世界各地に学校を作り、貧しい人々に仕事を与え、社会貢献を第一に考える団体だという。

どうやら、20年前、逮捕の直前に広告代理店に命じて作らせたPRビデオらしい。カネがかかっているのがよくわかる。

そのあと、山本一郎氏直々の現在の事業の概要説明を拝聴する。

新事業の仕組み

仕組みはとても単純だ。

まず、下記が配布されたチラシだ(ポケットに入れてしまったせいで、シワができているのはご勘弁を)。
「競球事業」への投資を名目にして、1口10万円を山本氏に融資する。

それから、知人にこの事業への融資を勧める。知人が融資すれば、紹介料として5万円が入る。そのさらに知人が紹介をすれば、5万円が知人へ、3万円が自分に入る。山本氏には、2万円のみが融資されるのだそうだ。
(チラシの「本の印税を利益償還させていただきます」という文言にはバカバカしいから、敢えて触れなかった)

ただ、山本氏はさすがに抜け目なかった。そこからさらに新しい階層ができても、知人の知人より先からは、紹介料がもらえない。これにより、無限連鎖講(ネズミ講)を防止する法律の適用を免れると、山本氏は主張する。

(なるほど。反省はされているようだが、これでは儲からないだろう)
と思ったが、山本氏の話は、ここからが本番だった。

「こんなことしていても儲からない。もっといい方法がある。それは「競球事業先払いコース」に投資することだ」

この先払いコースとは、どういうものか。

「20万円をこのコースに投資する。10ヶ月以内に、50万円が確実にあなたのものになる」

その仕組を示したのが、下のチラシ。
(考え過ぎかもしれないが、「◯月度」の◯の部分や短期コースの配当金の部分を黒塗りとした。チラシには、参加日時とまったく異なる月が記載されていたし、数回に分けて支払われる配当金の組み合わせは、妙にランダムだった。これらの数字によって、顧客監視をしている可能性がある)

20万円を融資すると、毎月5万円ずつ、10ヶ月に渡って支払われることが示されている。

支払われるのはいいが、その原資はいったい何か?

……新しい融資者が支払う20万円だという。

そんな馬鹿な。自転車操業じゃないか。破綻しないのか?

「破綻するわけないじゃないか。現在、何百人という人が噂を聞きつけて、この事務所に日参している。その人々のカネを、前の人に渡すだけ。そうやって、順送りにしていけば、決して破綻することはない」





頭がクラクラとしてきた。融資者が増えることを前提に組み立てられた粗雑な集金システム。こんなシステムで、よくも7年もの間生き残り続けてきたもんだ。

「でも、どういう名目でその50万円は支払われるのでしょうか? ネズミ講を防止する法律にひっかかるのではないでしょうか?」

法律違反の不備を誰かが突いた。すると山本翁は、こう言ってのけた。

「なるわけないでしょ。私が支払うのは、紹介料ではなくて、利子なんだから」

紹介料ではなく利子

「利子……」
「そう。あなた方が私に融資する。それに私が高い利子を支払う。それだけでしょ」

別の女性が、それに反論する。
「でも、高利でお金を貸すことは、貸金業法で禁止されているんじゃないでしょうか?」
山本氏は手を振った。

「なるわけないでしょ。貸金業法が守るのは、カネを借りた方。私ですよ。私が『いいんだ、俺が利子を支払うよ』って言っている以上、警察はどうしようもないよ」

いやいや。もしも山本氏が心変わりして、我々を、
「法定利息を越えた暴利を貪ろうとしている」
と訴えたら、どうなるだろう? いつ彼が豹変するか分かりやしない。これに融資する人は、山本氏に首根っこをつかまれるのに等しいじゃないか。


私の心配をよそに、他の参加者は納得顔だ。隣の女性はセミナーが終わるとやおら立ち上がり、この説明会には2度めの参加だと言いながら、カバンから数百万円の札束を取り出して、山本氏に渡して契約書を書き始めている。なごやかな雰囲気が信じられない。

事務員に契約手続きをまかせて、今回は投資をしない人々相手に、山本氏の独演会が始まった。

「それしても腹が立つのは、俺を追い詰めた宇都宮弁護士だ。あいつはなんの罪のない俺を、新しい罪をこしらえて牢屋へ入れた。おかしいじゃないかと、俺は彼に1日に何度も電話をしている。でも、絶対に出ない。居留守を使っている。俺はゆるさないよ」

……弁護士も因果な商売だ。かつて告発した人々を相手にしながら、毎日商売をしなければならないのだから。私は前の都知事選では彼に投票しなかったし彼の政治主張に共感していなかったが、初めて宇都宮弁護士を心から応援したいという気持ちになった。

山本氏は、さらに、ロッカーにしまった何百という通帳を見せてくれた。これが、すべて会員の通帳であり、それに山本氏が入金しているそうだ。

なぜ通帳を本人ではなく山本氏が持っているのか。解せぬ。まったく解せぬ。

ここまでわかれば、これ以上あまり深く突っ込んでもしょうがないので、その場をすぐに去った。

ビルを見上げる。
美しい、きれいな建物。あの喧騒が、まるで嘘のようだった。

彼らは信念をもっていた

この記事では、彼らの事業の可否判断をおこなうつもりはない。以前、多くの人を騙してきた人物の人となりについて述べることが目的だ。

写真から受け取る、ちょび髭の怪しげなオヤジ、というイメージは、実物に会って払拭された。威圧的でもなく、むしろ優しげな表情である。

周囲に細かく気を配る(風邪引いていないか? などと知り合いに声をかけていた)心遣いにもあふれている。

他人をだまそうとするのではなく、自分がこの事業を心から信じていて、楽しんでいるといった風情であった。

事務所にいた人々とも話をしたが、誰もが、山本氏がかつて逮捕されたことについて、まったく納得していないのである。ネズミ講の残党などというのは彼らに対して失礼だ。彼らはこれまでも、正しいことをしていると思ってKKCなどの活動に関わってきたし、これからも正しいことをしていると信じて競球事業に携わっていくのだろう。

(ちなみに「競球」とは、直径数メートルの巨大な玉を、巨大なパチンコ台の上から落として、丁半の穴のどれに入るかを賭けるという博打であり、現在関係各所に新しい賭博を認めてもらうために活動中、らしい)

思えばこのところ世間を騒がせている人々は、みな、何かしらの信念にもとづいて罪を犯しているように思える。

典型的なところでは片山祐輔被告だ。PC遠隔操作は、
「自分を認めない社会をかき回すことは正しい」
という信念に基づいて行われた結果、嘘をついていても堂々とした受け答えで世間を煙に巻くことに成功した。

信念をもっておこなう人間から、悪を嗅ぎ取ることはできない。彼らにあるのは、情熱だけだ。

犯罪であることを知りながら他人を騙そうとする場合、本人が信じていないからバカにされてもくじけない、情熱など生まれてこない。バカにされないように虚勢を張り、強要、脅迫などを行うのが関の山なのである。

信念を持つ人は違う。犯罪などとはつゆほどにも思わず、社会を幸せにするためだと信じて、周囲を説得する人には、威嚇は必要ないのだ。

かつて世間を騒がせた元詐欺師は、決して巷間言われているような極悪人ではなかった。魅力と信念にあふれた人物だった。むしろ社会改革の信念にあふれているからこそ、多少の逸脱もやむをえまいと考えているフシがある。

人格で人間を判断しがちな人は、要注意だろう。直感も大切だが、定量的なデータ、合法性などによる客観的な判断が必要だし、それが出来ない人は、ひとりよがりにならないよう、友人の意見も取り入れた上で、判断せねばならない。

むしろ、まともな人間は、人格なんかで他人を判断できない、という諦めがあるからこそ、客観的にものごとを判断しようと心がけているし、他人の判断も謙虚に仰ぐことができる。

それが出来ない人間、人間性を見れば他人を判断できると豪語する人間は、信念を持つ逸脱者と出会ったときに、ダマされて泣くハメになるのだろう。


2014年7月18日金曜日

巨額詐欺事件で有名な、元KKC(経済革命倶楽部)の山本一郎に会ってきた 上

今年は、堂々と嘘を吐く人々のニュースでもちきりだ。このブログで、彼らの話題を何度とりあげたことかわからない。

正直に話すと、私は彼らに魅力を感じている。羞恥心が強く、嘘をつくことがヘタな私(笑)とは真逆の、明らかな嘘を平気で吐ける人々に、好奇心をかきたてられてやまないのだ。

彼らはどうして、多くの人を騙すことが出来るのだろう? そして周りの人々は、どうして騙されるのだろう?

これまで、新宿のマンションで7~8人に明け方まで監禁されてネットワークビジネス加入を説得された経験や、詐欺師から新規未公開株購入を熱心に勧められた経験が私にはある。そのことを記事にしたこともあった。他にも、まだ書いていない、深刻な経験もしてきた。

だが、私が会ったのは所詮、小物だ。日本中を騒がせるような、本物のペテン師に出会ったことがない。

「本物の偽物」だった人物に出会って、話を聞いてみたい。

……そう考えた私は、かつて日本中を騒がせた、元大物詐欺師に会いにいくことにした。潜入取材先は、経済革命倶楽部(KKC)の元代表である、山本一郎氏の事務所である。

経済革命倶楽部事件とは

1996年から97年にかけて日本中で大騒ぎになった事件だが、もう20年近く前のこと。知らない人も多いかもしれない。Wikipediaから簡単に引用してみたいと思う。

日本の詐欺事件。経済革命倶楽部はKeizai Kakumei Clubとも表記され、略称としてKKCとされていたことから、KKC事件とも呼ばれる。
「未常識経済理論」なるものを主張し、約1万2000人から約350億円を集めた。
しかし、KKCには高額な配当を生み出せるような事業の実態はなく、単に新規会員からの金を配当に廻す自転車操業をしていたにすぎない。
KKCの商法は、無限連鎖講に類似している。しかし、無限連鎖講の場合「…段階的に二以上の倍率をもつて増加する後続の加入者…」(無限連鎖講の防止に関する法律 第2条)が要件とされているのに対して、KKCの場合「新たな会員を1人増やす」だけなので無限連鎖講には該当しない。このため立件には詐欺罪が適用された。
350億円の詐欺事件。規模がでかい。

とはいえ、代表は実刑8年の有罪判決を受け、組織は完全に解体されてしまった。その名前も、もはや聞くことがないと思っていたのだが、このところ、妙な話を聞いた。

ここ数十年のうちに、数多く会った詐欺団体(KKCとか円天とか法の華三法行など、昔はいろいろあった)が、警察当局の手によりほぼ壊滅状態となった。
弁護士紀藤正樹のLINC TOP NEWSより

ところが、その残党……マルチネットワークやねずみ講が大好きな人々……の行き場がなくなり、大勢が出口を探してさまよっているとか。

そこに7年前、出所してきたのが山本一郎氏。最後の一花を咲かせるために、彼らが、山本氏のもとへ大勢集まっている、というのだ。

果たしてその実態はどうなのか? それとも、みなさん悔い改めて、まっとうな事業を始めていらっしゃるのか?

ネットで調べると

まず、インターネットで情報を集めてみた。

数年前の日刊ゲンダイに、山本一郎氏のインタビュー記事が載っている。

★ 新しく編み出した“競球”で大儲けを企んでいる
刑務所から出てきて、すぐに売り始めた毛生えシャンプーがウケちゃってねえ。それとローヤルゼリー。市価2万5000円のところ、2万円で売ってる。原価が3500円だから、1万6500円の利益がある。そのうち1万円くらいを会員のみなさんに分配してます。
上記の記事は、いつの間にやら、キャッシュでもみられなくなっていたが、リアルライブというサイトでも、出所直後の山本氏にインタビューした記事が掲載されていた。

★ 11年ぶり出所 KKC山本会長 独占インタビュー
私はね、逮捕されてから11年も刑務所に入っていたんだよ。出てきたのはつい5日前。刑務所を出るに当たって、私が固く決意したのは、お金を出した方々に全額弁済をする、ということです。

次に、彼が新しく始めたという「競球事業」について書かれた記事を発見した。

★ 競球事業の副支部長・共同玉主募集


「敬天新聞」という右翼団体のサイトには、KKCの後継団体「経恵志」の危険性を忠告する記事もある。

★ KKCが経恵志(ケーケーシー)で復活


こういった記事を注意深くたどり、山本氏が現在主催する、「株式会社山本経済研究所」の住所や連絡先を見つけた(リンク先をご案内すると、いろいろと支障がありそうなので、興味のある方はご自身でお調べください)。

日暮里駅近くの事務所

彼のもとを訪れたのはほんの少し前。
日暮里駅からしばらく歩き、大きな交差点を過ぎると、高層ビルが見えてくる。この辺りは再開発が進んでおり、しばらく歩かないうちに、周囲を睥睨する高いビルがいくつも建っていて、驚いた。

古ぼけた雑居ビルを予想していた私は、彼の事務所の周りの風景に、いくぶんめんくらった。もっとも、ところどころに古いビルも点在している。たぶん、山本新経済研究所が入っているのもそのうちの一つだろうと思っていたが、そうではなかった。
きれいなガラスが嵌めこまれた、ずいぶん近代的なビルではないか。山本氏の現在の活況が推測される。

入り口には下記のようにテナントの一覧がずらり。司法書士事務所のようなお固い業種も並んでいる。

(まともなビルじゃないか)

ところが、エレベーターに乗り5階に降りると、経済研究所の入り口のドアの前にいくつもの監視カメラが備えつけられていたためにドキリ。

少なくとも3台は設置されている。一気に緊張感が高まった瞬間だ。



2014年7月12日土曜日

与沢翼が、小保方や佐村河内と並べられない理由

今年は虚言者の当たり年だ。ネットでは有名になった犯罪者や虚言者たちを一覧にしたカレンダーが出回っているほどだ。

6月の代表が塩村議員であるのは少しかわいそうだが、過去のおぞましい告白と現在との落差から受けるインパクトは、他の面々に引けをとらないので、残当(残念だけど当然、というネットスラングです)といえるかもしれない。

また、北野武の有名な映画ポスターをパロディーにした下のような画像も出回っている。
道端で会っても普通そうだけれども、全員いろいろと腹黒いところが、怖い。

ところで、この中に1人、重要な人物が入っていないことが気になっていた。情報商材の販売などで資産を築き、「秒速で1億円を稼ぐ男」のキャッチフレーズで有名になった与沢翼だ。

与沢のことを知らない人もいるかもしれない。簡単にWikipediaの解説で紹介する。
与沢 翼(よざわ つばさ、1982年(昭和57年)11月11日 - )は、日本の実業家でネオヒルズ族の一人である。株式会社YOZAWA TSUBASA Holdings、株式会社フリーエージェントスタイルホールディングス代表取締役社長。
(中略)
2006年(平成18年)3月 - エスラグジュール株式会社を設立。3年半で月商1億円を超えるネット通販会社になる。
(中略)
2014年(平成26年)4月26日、自身のFacebookで「資金が完全にショートした」とし、フリーエージェントスタイルホールディングスが破たん状態にあることを明らかにした。
一時期テレビで彼の豪遊ぶりを盛んに宣伝したため、覚えている方も多いだろう。

ところが、内実は自転車操業だったようで、支払いが滞った結果、資金繰りがショートしたと与沢はメディアの前で告白してみせた。もっとも、その実態は計画倒産だったのではないか、と疑われている。

★ 与沢翼氏を探偵が追ったら…
自身のブログや週刊誌で嘘八百を書いて人々の同情を引き、有料メルマガを募って毎月いくらかの金を得ることは法律用語で何と言うだろう?
与沢が最近書いた本については、id:hagexの記事に詳しい。

★ 山師は変わらず。そして死なず。すべてが中途半端な与沢翼の『告白』

私は与沢という男がテレビに出始めた頃から、この男のバックには誰がいて、なんの目的でイカサマを続けさせるのだろう? といぶかっていた。そして、いつか彼は破綻するだろうし、その時にはトカゲのしっぽ切りの如く、背任容疑などで逮捕されるに違いなく、そうでなければ暴力団から殺されてしまいだろうと思っていた。

ところが上記記事によれば、経営破綻後も、正体を明かさずにフェイドアウトしていくつもりらしいし、それに半ば、成功しようとしているようだ。答えを知る術は、どうやらなさそうだ。

頭がよく、世渡りの上手な男だ。裏にどのような組織がいるのかわからないが、彼らの図面通りに演技して、豪華な生活を続け、組織の指示通りに会社をたたんだのだろう。うらやましくはないけれども、その能力と根性には嫉妬する。

冒頭での画像で取り上げられている小保方、片山、佐村河内、野々村といった虚言者たちの嘘は、すでに明らかになっている。嘘で塗り固められた過去の業績がしっかり証拠として残っていた者、自爆した者、共犯者に裏切られた者、調べれば分かる嘘だった者など様々だが、一時期の主張や経歴がすべて嘘であったことは歴然としているし、もはや逃れようもない。

だからこそ、外野は安心して叩けるし、あざ笑うこともできる。

だが、与沢翼はどうだろうか?


彼の話がすべてハッタリであり、宣伝する生活は虚飾であることは、最初から、多くの人から見ぬかれていた。でも、確たる証拠を残すことはなかった。虚飾であることを暴露することもなく、虚飾のまま、真実らしく幕引きを図り、虚飾だったことを信者に気づかせないまま信者のカネを持ち逃げすることに、半ば成功している。

肝心のことは何も言わず、司法の手に渡ることもない。誰もが胡散臭いと思っているけれども、誰もその罪を追求することが出来ない。これこそ本当の詐欺師だ。しかし、私たちにはどうしようもない。

彼の影にあるのは、たぶん本物の暗闇であり、底知れない悪なのだろうと思う。だから、完全な嘲笑の対象にすることを、人々がためらうのではないかと思うのだ。


2014年7月8日火曜日

ジョブズはやっぱりすごいと、佐藤可士和や安藤忠雄の仕事と比べて思った

最近、セブンイレブンのコーヒーをよく飲みます。某サイトで海外の人が絶賛している、という内容のものを読みまして、興味をもったからです。たしかに、苦味が強くて、ほんもの、という気がします。

ところが、セブンイレブンのコーヒーメーカー、表示がわかりにくくて困ります。

初心者は店員に尋ねなければ、どのボタンを押せばいいのかわかりません。朝の忙しい時間に、店員がレジを離れて教えてくれるまで、辛抱強く客が待つ、という風景をよく目にします。

デザインはシンプルですが、使いにくいために不快。でも、不満をぶつける相手が誰だかは、わかりませんでした。

ところが、下記の記事を呼んで不満をぶつけるべき相手がわかりました。

★ かっこいいデザインにする→利用者が分かりにくくなる→貼り紙されてデザイン崩壊

ああ……佐藤可士和(かしわ)かぁ……。

私デザインにうとく、デザイナーの知人から数年前に教えてもらうまで知りませんでしたが、彼に言わせれば、
「知らないなんて、常識をうたがう」
というレベルの超有名デザイナーだそうです。妙な名前だったので名前はすぐに覚えましたが、あのユニクロのロゴをデザインした方といえば、一般のかたもわかるはず。

セブンイレブンとは長年のつきあいのようでして、その縁でセブンイレブンが社運をかけたコーヒーメーカーのデザインも手がけたのでしょう。しかし、評判が悪いですし、実際私も、佐藤可士和デザインであることを知らずに、
「わかりにくいなぁ」
と不満を持っていたのは事実。客を無視したしかけを始める企業は、だいたいマクドナルドのように顧客離れが始まりますな。

もっとも、不便は承知の上、それよりもデザイン性を優先するべきってな考えなのかもしれません。多少の不便を我慢してでも美しさにこだわるべきだ、という考えで有名なのは建築家の安藤忠雄御大ですが、下記の記事を読みますと、その実害ははなはだしい模様です。

★ 近所の安藤忠雄住宅がわずか9年で解体されています・・・

リンク先に飛びますと、笑ってしまうほどいびつな建物が海沿いに2つ、並んでいます。こんな海風の強い場所で不安定な建物を建てれば、建物がすぐにダメージを受けてしまいそうだと最初から分かりそうなものです。

解体されることになった理由は、上記記事の続報を待たねばなんとも言えませんが、安藤忠雄はもともとそういう建築家なので我慢しなければならないとしても、コスト的なダメージは、かなりのもののようです。

私は実のところ、こういうものは面白いと思いますし、カネがあるなら、別荘に不便でも美しい建物がひとつ、あってもいいとは思います。

でも、今の余裕のない世の中には、デザインは実用的であってほしと多くの人が思うでしょう。それを考えました時、改めて、ジョブズという人物がいかに偉大だったのかを感じました。彼は、何百万という人々が理解できて、そして美しいデザインのものをつくり上げることに成功したのですから。

私がiPodを使ったとき、マカーがアップルコンピューターを絶賛する理由の一端を知った気になりました。直感的に早送りの方法が分かったからです。感動しました。この感動は、今でも記憶にとどまっています。

昔、柳宗悦(やなぎむねよし)という思想家は、「用の美」という概念を唱えました。
日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続けられている。
簡素なデザインは"禅的"あるいは"日本人的"と言われることが多く、日本人建築家やデザイナーは、その文化的な背景を含めて世界から評価されています。それなのに、簡素な精神の背後にある"用"(よう)がないがしろにされるのは、いかがなものでしょうか。

2014年7月5日土曜日

マッシモ・チェッリーノ会長という人物

ゴールキーパーの誕生日が17日という理由だけで、サッカーチームから解雇したオーナーが話題になっています。

★ リーズのオーナー、所属GKを17日生まれという理由だけで解雇
イングランド・チャンピオンシップ(2部相当)のリーズのイタリア人オーナー、マッシモ・チェッリーノ氏は、3日、所属するゴールキーパーのパディ・ケニーを自分が一番嫌う数字の日に生まれたという理由で解雇した。
マッシモ・チェッリーノ(Massimo Cellino)という人物は、もともとイタリアの実業家です。イタリアのサルデーニャ島を本拠地とするサッカーチームであるカリアリ・カルチョのオーナーでしたが、今年2月、イギリスのサッカーチームであるリーズ・ユナイテッドを買収しました。

イタリアでは年に数回監督を交代させるなどの独善的なチーム運営で有名でしたが、イギリスでも同じような"自分流"をつらぬくつもりのようです。
カリアリの会長も務めるチェッリーノ氏のこの迷信は、カリアリ時代、チームが17日に勝つか引き分けたことが22年の間にたった1度しかなかったことからきている。
スポーツ好きで、数十億円を動かせる大金持ち、それでいながら迷信家のイタリア人。いったいどういう人物なのか、俄然興味がわきまして、少し、調べてみました。

もともと、両親はサルデーニャ島の農民でした。1956年に生まれた彼は、長じて大学で経済学を学び、そののち、実家である農家の経営を手伝い始めます。

当時は高度経済成長時代。そこで、島の小麦やチーズなどの輸出に家族で励んだ結果、見事に当たり、大金持ちとなったのだそうです。

金持ちになったとはいえ、IT企業家などではなく、農産物の貿易というオーソドックスな手法でのしあがった人物。合理的であるよりも、地縁血縁や伝統を大切にする人物なのかもしれません。

彼の生まれ育ったサルデーニャ島は、おとなりのマフィアで有名なコルシカ島と異なり、牧羊がメインの穏やかな土地柄。イタリア語とは異なる、ラテン語に近い言葉を話す、古くからの迷信が根付いている場所です。

なにしろ、1950年代まで、下に示すような民族衣装をほとんどの人が着ていたそうですから。
マッシモ・チェッリーノが迷信深いのは、草深い田舎で幼少期を過ごしたあとに成功した者に特有の性格のようです。

2014年6月25日水曜日

日本に敬意を払う起業家に、もっと活躍して欲しい

ホリエモンこと堀江貴文といえば、ライブドアというIT企業を急拡大させたものの、証券取引法違反の容疑で逮捕され、実刑が確定。釈放されたのちは、主に執筆活動を行っている元経営者です。

彼が先日、下記ツイートをして話題になりました。
彼は逮捕前に選挙に出たことがありましたが、「天皇だけが日本の象徴であるというのは、物凄く違和感を覚える。 歴代の首相、内閣、議会が変えようとしないのは、多分、右翼が怖いから」と発言をして当時も物議をかもしました。天皇制無用論は彼の持論なのでしょう。

日本人でありながら日本が嫌いな人も大勢いてこその多様性です。彼のような人物がいてもいいでしょう。ただ、彼の言論の自由を担保しているのは日本国憲法です。その憲法で「日本国民統合の象徴」として規定されている天皇となるべき方を侮蔑する言動は、ただただ不快。つまるところ、日本国民全体を侮蔑しているのと等しいからです。

「国旗なんてただの旗だよ」
といって、星条旗や日の丸を足蹴にされて不快感を抱かないアメリカ人や日本人は少ないでしょう。それと同じようなことを堀江貴文は行っているのですが、賛同する輩が一定数いることが残念ですね。

アメリカの成功したIT起業家たちと、堀江貴文やその周辺の連中の大きな違いは、自分が生まれ育った国の歴史や伝統を愛し、誇りを持っているか、否か。ホリエモンにはそれがありませんね。良きものは守りつつ、破壊の過程で生じる弱者への配慮があるのが創造的破壊ですが、ホリエモンにはそれがない。

私は、鳩山由紀夫とホリエモンは似ていると思うんです。ホリエモンは、威勢のいい鳩山由紀夫説。頭もいいし言っていることも立派だけれども、無責任で無機質、他人の感情に無関心で、弱者を助けるつもりで弱者をないがしろにし、それが悪いとはまったく思っていないどころが、自分が正しいことをしていると心の底から信じているところです。

彼らと逆なのが、孫正義さん。彼は在日朝鮮人だった経歴から、大変ご苦労もされたことでしょうし、その影響で、内心では日本のどこかを嫌っているのかもしれません(そうであったら大変悲しいことですが)。しかし、彼は決してそれを表には見せません。つねに明るさを心がけていて、過ちがあれば時間をかけて是正していく、不屈の男です。

日本の偉人である坂本龍馬を尊敬していることを公言し、歴史への関心はかなりのものです。そして、日本のために尽くすと明言し、時には私財をなげうって人々に尽くします。彼が100億円の寄付内訳を公開したとき、感動しました。ここまでしなくてもいいのに。

★ 孫正義個人 寄付先使途一覧

孫正義は間違いなく、立派な人間です。だから、彼が現在日本国籍を取得して活躍していることを、大変嬉しく思っています。

今後彼が世界展開していく上で、もしかしますとアメリカ国籍を取得してしまうかもしれませんが、それでも彼が活躍した大半の時期を日本人として過ごしたという点を嬉しく思います。こういった感情を、ホリエモンは「バカバカしい」の一言で切り捨てるのでしょうが。

共同体を愛し、その共同体に責任感を持つ人間は、真面目で執務に粛々と取り組む国家元首の一族に、敬意を払わないことはないでしょう。多くの国民が天皇陛下や皇太子殿下を尊敬しているのですから、公の場で公然とディスる行為は、日本公民の大半を蔑ろにしているのと同じです。

私はワタミの渡邉美樹は嫌いですけれども、少なくともワタミ好きの友人の前では渡邉美樹を批判しないように心がけています。それもときどき忘れることがありますが、帰った後は後悔します。ホリエモンはにはそれは、ない感情だ。

結論から申しますと、ホリエモンが転落して本当に良かったということですね。

2014年5月29日木曜日

「舞の海氏が排外発言」というのは大嘘だった

私、立場的には自分は保守的だと思っていますが、本多勝一のことは、高校生の時に『殺される側の論理』を読みまして、ファンとなりました。まあ、彼も一種の保守とも言えるのかもしれませんが。

その本多氏が「週刊金曜日」という雑誌を創刊したときには、頑張って欲しいと陰ながら応援していました。とはいえ、彼らの思想、運動にはあまり共感できるものもなく、新聞の広告などで見かけることはあっても、読むことはありませんでした。しかし、こんなヨタ記事が掲載されているんですね。

「週刊金曜日」オンラインニュースに掲載されていた記事です。

“昭和天皇万歳”集会で――舞の海氏が排外発言(2014 年 5 月 22 日 6:27 PM)
(↑ほんとうに、こういう題名です。リンク先を参照してください)
 改憲を唱える政治団体が4月29日、東京・明治神宮会館で開いた「昭和の日をお祝いする集い」で、厚労政務官・高鳥修一衆院議員(自民)らを先頭に、来賓と全参加者約250人が起立し、“聖寿万歳”と称し「天皇陛下万歳」を大合唱した。
(中略)
「昭和天皇と大相撲」と題し“記念講演”をした舞の海秀平氏が「外国人力士が強くなり過ぎ、相撲を見なくなる人が多くなった。NHK解説では言えないが、蒙古襲来だ。外国人力士を排除したらいいと言う人がいる」と語ると、参加者から拍手が湧いた。“日の丸”旗を手にした男性が「頑張れよ」と叫び、会場は排外主義的空気が顕著になった。さらに舞の海氏が「天覧相撲の再開が必要だ。日本に天皇がいたからこそ、大相撲は生き延びてこられた。天皇という大きな懐の中で生かされていると感じる。皇室の安泰を」と結ぶと、大拍手が起こっていた。

 最後の拓殖大学吹奏楽部による記念演奏会は“昭和のメロディー”と題されたものだが、「陸軍分列行進曲」「軍艦行進曲」など、軍歌が多かった。天皇のために人々が犠牲となる「海ゆかば」は、筆者を除く全員が起立斉唱していた。
私はこれを読んだ時に、
「あっちゃー。舞の海氏、リップサービスをやり過ぎちゃった……」
と舞の海氏のために嘆息したものです。

相撲が日本の娯楽として定着した一つの理由として、出身力士を応援できる、という理由があります。日本は地域性が高い国であり、人々は地縁を大切にします。おらが村・町の出身者が活躍するのが、我がことのように嬉しい……この感情が、力士への応援につながります。

ところが、外国人力士には、そのような感情を覚えにくいです。それを差別として否定するのならば、他人の子供よりも自分の子供のほうが可愛いと思う感情さえも否定しなくてはなりません。もっとも、今の情勢ではそうなってもおかしくありませんけれどね。

その状況への憤りは、年配層に主に強く、舞の海氏は年配者の多そうなこの集会で、思わず彼らに迎合してしまったのでしょう。

ところが、舞の海氏は、現実に外国人力士だらけの相撲界で活動する人物です。それなのに、現在の相撲界を否定するスピーチを行ってしまってはいけません。今後のタレント活動にも支障をきたすのではないか?

……と、心配していたんですね。何しろ記事のタイトルが、「舞の海氏が排外発言」ですからね。

この手の報道記事は、すべてを検証する暇はありません。記事の内容、媒体を見て、ある程度、信頼できるものかどうかを判断します。「週刊実話」は一点の真実のないまったくの嘘でも平気で書く、とかね。

「週刊金曜日」は冒頭に述べたとおり、本多勝一という、深代惇郎と並ぶ朝日新聞のかつてのスーパースター記者が責任編集している雑誌のオンライン記事です。曲解はあっても、まったくの嘘を書くはずがない、と思っていました。

ところがどっこい。これが大嘘でした。

★ 「排外発言」とは正反対だった「舞の海氏の講演」(前回エントリのお詫びと訂正)

私が先日取り上げた冷泉彰彦氏の、最新のコラムです。これを読んで良かったです。

詳細はリンク先をお読みいただきたいのですが、要点をかいつまんで書きますと、舞の海氏のスピーチは逆であり、現在の相撲界に大勢の外国人力士がいることを賞賛しているのです。

外国人力士を嫌っている人もいる、というのは、そういう声もある、という紹介です。そして、
外国人力士に関しては、排斥の声があるという指摘をした時点で、場内から拍手とともに「先生ガンバレ」という掛け声が飛んだのは事実ですが、これに対しても、舞の海氏は「それはできません」とキッパリ取り下げていました。
と取り下げているのですよ。

おいおい。

もしも私が、
「この日本にはイジメを肯定する人々がいる。しかし、絶対に肯定すべきではない」
と記事に書いたら、私がイジメを肯定することになるのでしょうか?!

あり得ないんですよ。

この記事を書いた永野厚男という教育ライターは、いったいどんな人物なのでしょうか? Amazonを見ましても著書はなし。

そうしますと、それほど経験のない記者なのかも。だから、この会の主催団体であるとか、会の雰囲気であるとか、その前後の論者の発言であるとか、その流れの中で、雰囲気に飲まれて発言自体を誤ってとらえる、ということはあると思います。もしかしてこの記事を書いた時点で、そういう誤解をしたのかもしれません。

そうだとしたら、今ではYouTubeに舞の海氏の発言がアップされているのですから、検証して訂正するなりなんなりすればいいと思うのですけれどね。

……とにかく、「週刊金曜日」には失望しました。自分の意見に都合のいい部分を集めて、真実を覆い隠すという行為を行う媒体からは、今後も距離を置いていきたいものですね。


もっとも、永野記者を一概に責めることはできないのかもしれません。

たとえば、手鏡で女性の下着を覗いたり女子高生に酒によって痴漢をした罪で有罪判決が出されてメディアを追われた植草一秀氏が、下記のような記事をアップしていました。

★ 横綱白鵬会見拒否と舞の海のモンゴル力士発言

植草氏はかつて、エコノミストとしてメディアで大活躍していた人物。それが、YouTubeを確認した上でこう判断するのですから、永野氏ばかりを責められませんね。

それにしても、植草氏もしょうがない人物です。
舞の海氏の発言で一番の問題箇所は次の部分だ。
1時間0分25秒時点の発言だ。
「彼らの目的は何か。
日本のこの大相撲界に入って、そして早く強くなってお金をかせいで。
そして、両親家族の面倒を見なければならない。」
ところが植草氏、舞の海氏のこの後の発言を故意にカットしていますね。舞の海氏は、琴欧洲のお父さんが交通事故で亡くなり、琴欧洲が家族のためにお金を稼ごうと頑張っている、というエピソードを紹介しているのですから。

まあ、その後、朝青龍の父親の、
「相撲に勝つためには、敵を、自分の母親を殺した相手だと思って戦え」
という教えも紹介していましたから、外国人力士の完全な美談とはなりませんでしたが。

長いスピーチの前後を切り取って、問題だ問題だと騒ぐところをみますと、この人も信頼できませんね。

植草氏によれば、私の嫌いな竹中平蔵に反対した政策を提案し続けたせいで、国家から睨まれたのが痴漢冤罪を受けた理由だ、などと主張していました。それも信用出来ないな……。

2014年5月24日土曜日

人道がなぜ天道よりも上に来るのか

国際社会の中で、日本人としてどう誇りを持って生きるかは、私が学生の頃からのテーマの一つ。モデルケースを模索する中でたどり着いたのが江戸時代末期に活躍した二宮尊徳(そんとく。通称は金次郎)だ。

「貧しかった子供の頃、重い荷物を背負って働きながら勉強していた」
という逸話だけが独り歩きしているが、克己勉励の果てに土地を少しずつ買い集め、集めた土地を小作に貸し、カネを貸して、ついには若くして大地主となったという実務家の顔が本来の姿だ。その手腕を領主に認められて以降、近隣の農村のみならず、関東一円の農村復興コンサルタントとして活躍する。

順風満帆ではなかった。農民の生活立て直しのために、年貢の減免から始める彼の方法では武士の俸禄は上がらない。農民の生活が向上して、武士の生活が据え置かれることに、武士は我慢が出来なかった。むしろ武士にとっては、農民は困窮したままの方が、都合が良かったのだろう。

そこで様々な妨害があり、彼の生まれ故郷である小田原藩は、後ろ盾となる前領主が亡くなった後に彼を領地から追放する。先祖の墓参りさえ認めなかったのだ。既得権益を守ろうとする人々からは疎まれる、改革の人が二宮だった。

しかし、彼の方法により荒廃した農村が次々に復興した実績を隠すことは出来ない。彼は幕臣に取り立てられ、死ぬまで農村復興に尽力した。その思想は弟子たちによって、「報徳思想」という形にまとめられている。

経済と道徳の融合、経済的な自立と社会貢献の重要性などを説く二宮の思想はとても魅力的であり、夢中になって学んだものの、ただ一点、どうしても納得できない所があった。それは、彼の報徳思想の核となる部分。

彼は、混沌とした自然に対して、消極的な態度をとることを「天道」と呼び、積極的な態度を取ることを「人道」と名づけた。

さらに、「天道」に沿って生きようとする人間の心を「人心」と呼び、「人道」にそって生きようとする人間の心を「道心」と呼ぶ。「人心」とは我欲にとらわれた心のことであり、生産的ではないので、「道心」に沿った生き方をするべきだ、というのが二宮の思想だ。

東洋的――老荘思想的な観点から言えば、自然に沿った生き方こそが、我々の本来のあり方であるはず。人よりも天が上位にくるべきじゃないのか。しかし二宮は、「天道」という言葉を否定的に用いた。なぜだろうか?

農民だった彼にとって、自然は改良する対象だったからだとも言われているが、どうにも納得できなかった。

ところが、今から3年前に東北を津波が遅い、日本中が慟哭で覆われた時に、詩人でもある長渕剛が発表した『復興』という散文詩を読んだ。そのときに、ああ、こういうことかと得心がいったのだ。
憎い
憎い
私は 自然が憎い
憎い 憎い 私は 海が憎い
たわむれ 優しく 大きく 父のような海だったのに
恐くて憎くて たまらない 許せない 絶対に許さない
こんなに あなたを 愛して 生きてきたのに
なぜ 海よ あなたは 私たちを壊す?
なぜ 何もかも奪い去る?
なぜ こんなにひどい事をする?
こうした問いかけから始まる長渕の詩は、そのあと、津波への怒りへ、家族を失った悲しみへと続き、そののち、人間参加へと移る。決して人間は自然の横暴には屈しないと宣言し、立ち上がってやると力強く雄叫びを上げる。そして、こう結ばれる。
今こそ このむごたらしい現実を直視したからには 瞳をそらさず
ゆっくり立ちのぼってくる生き物の息吹に手を打ちならそう
どんなにささやかでもいい
勇気ある小さな者たちを どんどんグングンたたえるのだ
共に拳が上がったら 一目散に駆け上がれ
生存せよ!の方向へ駆け上がり
立ち向かうのだ
たとえ それが自然という憎き相手でも
私たちは決してひるまない
憎くても
怖くても
許せなくても
それでも
私たちは あの場所を
この国を
愛してやまないのだから
この詩を読んで思い出したのが、二宮尊徳の生家が貧農へと転落したきっかけだった。

彼が5歳の時、近くの酒匂川が氾濫し、居住地全てが濁流で押し流されてしまった。田畑は全て流され、家も財産も何もかもが奪われ、それをきっかけに二宮家は没落へと突き進む。父はアル中となり10年後に亡くなった。一家は離散し、そこから二宮の苦労が始まった。

二宮にとっての原体験とは、濁流で流された故郷だっただろう。彼の心には、それ以来、ずっとずっと天への怒りが潜んでいたのではないか。

彼の説く「道心」とは「理性」のことなのだろう。人間の本能、欲求、感情もまた自然の一種である。自然の放任に任せたままでは、社会はうまく回らない。理性によって積極的に立ち向かっていかなければならない、という確信を、彼は自然による裏切り、そして大勢の武士の醜い嫉妬から、学んだに違いない。

2014年5月23日金曜日

片山被告が無実ではないことを見抜くためには

片山祐輔が犯罪者であることを、なぜ見抜けなかったのか、という後悔の念に時折襲われる。彼が無実であると、なぜ信じてしまったのだろう、と。

小保方晴子の場合、彼女が嘘つきであるという確信を私が持つのは早かった。一連の論文に疑義を呈した11jigen氏のブログ記事や、その他の論者の指摘を読みこみ、彼女は黒だと早い段階で判断できた。

論文不備の理由は「多忙」だと、彼女は主張する。しかし、どれほど多忙であっても実験写真と企業の販促写真を混同することはあり得ない、というところは経験上、譲れなかった。いかに釈明会見が立派であろうとも、彼女を信じることは一度たりともなかった。

だから、
「小保方はSTAP細胞を本当に見つけたかもしれない。STAP細胞が発見されれば逆転できる」
などと主張する人を、真実を見抜けない人間だと笑うことができた。ところが、今度は笑われる側になってしまった。

片山の場合は、彼が逮捕された時に彼が犯人かもしれないとは思ったものの、拘置所で一年以上勾留されても自白しないこと、決定的な証拠は何一つ出てこないことなどによって、次第に彼の冤罪を確信するようになった。そして、保釈後の記者会見を見て、それは決定的になった。淀みのない回答、整合性のある説明。相手の目をしっかりと見て答える自信。小保方晴子に騙されなかった私が、彼は無罪だと信じてしまった。自らの不明を恥じるばかりだ。

この世の中は他人を騙そうとする人間にあふれている。猖獗を極めるオレオレ詐欺を思えばそれは容易にわかる。ところが他人を騙そうと狙うのは犯罪者だけではなく、まともな人間が仕事として信念をもっておこなうのが現代社会だ。宗教の勧誘、広告代理店の仕掛け、メディアの人心掌握などなど、他人を思い通りに動かして自分の利益とすることが正しいこととされ、まっとうな社会で公然と覇を競い合っているのが、私達の社会だ。

ウソを付くこと、騙すことを「邪」とするならば、邪悪をすべて避けようとしては、まともな社会生活を送ることはできないのが現代の私たちの宿命なのである。

誠実にまっとうに生きるために、悪と並走しながら彼らをはねのけることが必要だ。それができなければ、悪をすべて避けた隠遁生活でも送らねばならない。人のまったくいない世界は、人でなしに出会う世界よりも暮らしにくかろう。

どうすべきだったのか? 判断保留することが必要だったのだ。なんとはなしの違和感は、間違いなく片山被告の会見を観ていたときにあった。それを私は「彼を信じられない自分の不明」だと捨て去ってしまった。判断を保留しなければならなかった。

それに改めて思い至ったのは、「極東ブログ」の次の記事。

★ パソコン遠隔操作事件、雑感
ネットを通して見る論調には、検察暴走による冤罪だという意見が多かったように思う。私はそれにも与しなかった。
 私は、このブログで2003年時点で、東電OL殺人事件で逮捕されたネパール人は冤罪であると主張したことがある。これはその後冤罪となった。私の見立てが正しかったが、そのことを再度主張するのは拙いように思えた。(中略)こうした事件では、自分のなかにそれなりに確たる心証があったからだ。
 だが、このパソコン遠隔操作事件については、そうした冤罪の心証がついに得られなかった。
ブログ主が片山が冤罪であるとの心証を得なかったのは、①片山が過去の前科に無関与の態度を取っていたこと、②片山が捕まってから、愉快犯的なメールが一切送付されていない、という事実の2つが根拠だったという。。

後者②に関しては、片山が冤罪ではないかもしれない、という疑念を持つための根拠としては、弱いと思っている。劇場型犯罪、たとえば「怪人21面相事件」などは、ある時を境にピッタリと脅迫はやんだ。社会をかき回しておきながらピタリとなりをひそめる愉快犯は大勢いる。PCメール遠隔操作事件の犯人もまた、心境の変化で身を潜めることもあるだろう、と考えた。

だが、前者①に関しては、これまで私が幾度となく考察してきたことだったはずだ。同じ過ちを行わないためには、そのことを嫌悪することが必要だというのが私の持論だ。過去の間違った経験を、
「自分にとって必要だった。肯定的にとらえている」
「あれもひとつのいい思い出」
と語る人間は、再び同じ過ちを犯す、というのが私の苦い経験則だ。理性から感情のレベルまで落としこんで、初めて深い反省となる。

ところが、片山は過去に「仙台市太白区内の小学4年生♀を殺します。9人以上しょけいする」という脅迫を2ちゃんねるに書き込んでいた過去を、反省して二度と繰り返さないと主張するものの、「どこかに原文のあるものをそのまま転載しただけ」と、どこか他人ごとのように言い逃れていた、という。

そこに、疑念を持つべきであった。少なくとも、彼の冤罪を革新する前に、彼が過去の事件にどのように向き合っているかを調べるべきだった。

「今」の自分は過去の延長にある。もちろん、過去だけで未来を判断してはならないが、未来を作っている現在の時点で、過去をどのように消化しているかを確認すれば、「今」を材料にその人がつくり上げる未来像を予測することは十分可能だろう。

全体の印象で決めるのではなく、要素一つ一つにじっくりと当たり、動かし得ない判断基準があれば、それをもとに判断する。証拠不十分で判断が出来ないものは、判断を保留する勇気も必要だ。そうでなければ、勇み足を踏む。

それにしても、小保方のような毅然とした態度、片山のような理路整然とした態度を目の当たりにすると、人間を印象で判断することは出来ないとつくづく思う。

この堂々とした態度で、彼が書いたメールがいかにえげつないものだったのか、下記のリンクをご覧いただきたい。

★ http://yokoku.in/enkaku2012/mail20140516.pdf

人間を見た目や態度で判断することは出来ない、という諦めをもつことが大切だ。ただ、事実のみで冷静に判断する。そして、判断できないことは保留する。予断を持たない。

立場的には大変不安定だが、その不安定に慣れる強さを持ちたいものだ。

2014年5月13日火曜日

Amazon VS 出版社の戦いは、ダイエー VS パナソニックの30年戦争に学べ(上)

 
なし崩し的に再販制度を崩壊させようとするAmazonに対して、出版社3社が叛旗を翻しました。

★ 出版3社がAmazonへの出荷停止を発表
 一般社団法人 日本出版社協議会は5月9日、記者会見を開催。同協議会の会員社である株式会社 緑風出版、株式会社 水声社、株式会社 晩成書房の3社が5月7~9日より6カ月間、Amazonへの自社出版物の出荷を一次停止すると発表した。3社が出荷停止する出版物の点数は約1600点。
今朝この記事を読んで記憶に蘇ったのは、かつてダイエーと(現・パナソニック)の間で行われた価格決定権を巡る争い――「30年戦争」のことでした。

1964年、東京オリンピックの年にさかのぼります。
「15%まで」
というのが松下電器の値引き限度でしたが、その要請を無視したダイエーが、20%引きで家電製品を販売したことが発端。

松下電器はダイエーには一切自社製品を卸さないことを決意。ダイエーは松下電器を独占禁止法違反の疑いで告訴しました。両者は泥沼の争いを始めます。

松下電器創業者の松下幸之助には、持論がありました。
「メーカーには大勢の従業員と、系列販売店の生活を守る義務がある」
彼は経営者であると同時に、国家のために尽くしたいと願う国士でしたから、多くの人々の雇用が守られる、余裕のある価格をメーカーが設定することが必要だと考えていました。

これに対して、ダイエー創業者である中内功の考え方は違います。
「価格を決めるのはお客さん。安いものを届ければ消費者が喜ぶ」
徹底的に消費者目線に立った彼は、メーカーから価格決定権を奪うために規模の拡大を追求します。

ライバルスーパーのすぐ横にダイエーを出店して客を奪うなど、強引な手法で売上を上げ、メーカーが口を出せないほど巨大な流通帝国をつくり上げることに成功したのです。

松下電器が出荷停止すると、ダイエーは倒産した電器屋から松下電器の製品を仕入れ、メーカーによって貼られた製品管理シールを剥がして身元を隠して販売する、などの方法で徹底抗戦します。両者の争いは、1994年に正式に和解するまで30年間続いたのでした。

メーカーと流通の争いの結果は、みなさんご存知のとおりです。

メーカーは価格決定権を流通に奪われてしまいました。今ではダイエー以外のヤマダ電機やビックカメラ、ヨドバシカメラなどにメーカーが社員を派遣して販売を手助けするのが当たり前の時代となりました。

流通側の圧勝、という訳ですね。

もっとも、その立役者であるダイエーは、バブル崩壊によって売上が一気に落ちた時に、規模が大きすぎて身動きが取れず、業績が大幅に悪化。現在はイオンの子会社となってしまいましたが。

それにしてもなぜ、あの時にメーカーが敗れたのか。

明日は、その原因について探ると同時に、そこからどのように学ぶことができるかについて、分析を試みます。

2014年2月6日木曜日

ゴーストライターの誠

「佐村河内守の作品はすべて自分が作曲した」「彼が聾者だというのも嘘」
衝撃の告白が、ゴーストライター本人によってなされました。

記者会見の一問一答が書き起こされた記事を読みまして、私は途中から涙があふれるのを禁じえませんでした。

★ 「佐村河内守氏の耳は聴こえていた」新垣隆氏が会見

ゴーストライターが楽曲を有名音楽家に提供するという形式はよくあることでしょうが、提供した相手が障害者であるが故に人気者となっているとなると、問題は別。道義的にアウトです。

彼の行動を「売名行為」と指摘する人も多いようですが、的外れもいいところです。弱者を装って商売をするのは、社会的に許されません。まっとうな人間としてはみなされません。新垣氏は、社会から抹殺されることになるでしょう。

桐朋学園大学といえば、小澤征爾を排出した由緒ある大学です。このまま講師織を続けられるとも、思えません。社会的にある程度認められた地位から、新垣氏は引きずり降ろされることになるでしょう。この年では、再就職もままなりますまい。

それを分かっていながら、敢えて今回の告白にいたったのは、止むに止まれぬ思いがあったからでしょう。記者の質問に、どれにも真摯に応える彼の姿勢に嘘を感じませんでした。根がマジメな人間なのでしょう。その彼の思いを想像するとき、涙があふれざるを得ないのです。

彼が告白することを決意したのは、フィギアスケートの高橋大輔選手が、偽りの曲で演技することへの忌避感があったからだそうです。そこに嘘はないのではないか、と思います。

「ゴーストライターだったら真実を墓まで持っていけ」
と書いている人もいましたが、ゴーストライターだからこそ、最低限、譲れないラインはあるでしょう。新垣氏にとって、それは同じ表現者、クリエイターを裏切ってはならない、ということだったのではないでしょうか。だから、高橋大輔というもう一人のクリエイターに誠実でありたいと思ったのでしょう。

クリエイターではない佐村河内氏は、その思いに共感することができませんでしたが。

また、上記の会見が面白いのは、新垣氏が語らない、今回の告白に至ったもう一つの理由が、ライターの神山氏の補足により、おぼろげながら浮かび上がっているところです。

神山氏は、義手のバイオリニストの「みっくん」の父のコメントを紹介しています。
娘は佐村河内氏から格別の厚遇を受け、すばらしい曲を献呈いただいたり、コンサートに出演させていただくなど様々な恩恵をさずかりましたので、そのことについては、大変感謝しております。たた、ここ一年ほどは、絶対服従を前提に徐々に従い難い要求を出されるようになり、昨年11月に、『服従できぬ』と回答しましたところ大いに怒りをかい、絶縁された状態になっておりました。
みっくん……大久保美来さんの両親に出された従い難い要求とは、莫大な謝礼金だと言われています。

売れるためならば、聾者のふりもできる、公的機関も騙せる、大勢の視聴者の前で堂々と嘘をつける……佐村河内という人物、相当肝の座った詐欺師です。彼のような詐欺師には共通の特徴があります。高圧的で、粘着質で、裏切り者を決して許さず、支配欲が強いという性格です。

こんな人物が、音楽業界に大きな影響力を持っていれば、みっくんの今後の音楽活動に大きな支障となったことでしょう。

「未来ある子供のためにも、それだけは避けねばならない」
神山氏の説得が、学校の教員である新垣氏にとっては随分こたえ、その結果、今回の告発にいたったのではないだろうか……と想像します。

新垣氏の告発のお陰で、高橋選手のオリンピックの演技には、これまで以上の注目が集まっています。単純に美しいと思える調べではなく、様々な男たちが関わったいわくつきの音楽を、高橋氏がどのように咀嚼し、それを五輪の舞台でどう表現するのかが、問われているからです。

今回の騒動は、日本人の美徳である「誠」に殉じたものであり、結果的に良いものだと思います。偽りの上に気づかれた虚構の楼閣ではなく、見かけは悪いが真実の上に気づかれた堅牢なものを私達は求めています。高橋氏の演技が、そのような確かな作品へと、これから昇華していくことでしょう。