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2015年2月22日日曜日

知っていることをまくし立てるのが説明ではない

妻の説明を「要領を得ない、わかりにくい」とけなし、自分の説明を得意がる夫の勘違いぶりが面白かったので、この問題について述べてみたい。

★ 医師「どうしました?」 嫁「子供の下痢が酷くて熱もあるんです!食べてもすぐもどしちゃうし」 俺(解りづらい説明乙!)
子供(2)が発熱、嘔吐、下痢の三重苦で病院に行った時の話

医師「どうしました?」
嫁「下痢がひどくて、熱もあるんです!食べてもすぐもどしちゃうし…」
俺(解りづらい説明乙…)
医師「えぇと…」
俺(説明しよう!)

俺「金曜日の夜から調子悪くなって、夜中に嘔吐2回、熱は8度3分。水のような便。
土曜日…、昨日は8度5分で、終日食事はとろうとせず、イチゴなどを食べさせましたが、すぐ嘔吐。併せて水のような便。
本日午前中は、8度3分で、ビスケット数枚とイチゴを食べて嘔吐無し。相変わらず、水のような便。
脱水症状防止のため、赤ちゃん用のスポドリを飲ませるようにしています。
ノロ…ですかね?牡蠣とかは食べさせてませんが…」
医師「わかりました」

その後、医師が今後の対応について話すとき、座っている嫁と、立って子供(0)をあやしている俺と、交互に見ながら説明していてちょっと申し訳なかった…
時系列にそって説明とかできないんですかね。国文学科?かなにか、文系のはずなのに
理系の方が向いているなのかな?経緯とか比較とか…

俺自身は、職業的に『状況の説明』とかの訓練を受けているので、比較はできないのかもしれませんが。
仕事をしていて、この手の男性から話を聞かされることがよくある。そしてイライラとさせられる。

相談を受ける場合に、いろいろなケースを想定しながら慎重に話を進めたい。だから、回答は短く要領よくおこなってほしい。あとはこちらの質問に答えてくれるのが一番ありがたい。

ところが件の夫のように、知っていることをまくし立てられると、その情報を理解して、夾雑物を抜き取り、それから判断しなければいけない。それも短時間に。この手の人間はたいてい短気だから、こちらが素早く判断しないと、今度はこちらをバカ扱いする。

「あんた、俺が今説明しただろ? 話を聞いていないの?」

(あんたのムダな説明をだらだら聞く気はこちらにないよ。しかも必要な情報が入っていないじゃないか)

と言いたい気持ちをぐっとこらえて、にこやかに彼に応対するのはなかなか骨が折れる。

冒頭のやりとりでも、何を食べたのかとか、体温の細かな数字など、不必要な数字がいくつもある。 ノロかどうかの判断も、医師がするものなので、余計な素人判断だ。

「金曜日の夜中に嘔吐と水のような下痢が始まり、38.3度の熱が出ました。翌日の土曜日も症状が収まらず、ビスケットなどを食べさせても嘔吐するので、丸一日何も食べられませんでした。今日午前中は吐き気はなく食欲も戻りましたが、熱と下痢の症状が止まらないためにお医者様に伺いました。今は赤ちゃん用のスポーツドリンクだけ、飲ませています。牡蠣とかは食べさせてませんが…」
ということを、聞かれながら答えれば済むではないか。体温などの数字は、医師から聞かれれば答えればいい。どうせ病院では、再び体温を測るのだから。

自分の知っていることをすべて言えばいいと思っている自称優秀な人間はこの社会に多い。彼らは、自分が馬鹿であることになかなか気づかない。「説明」とは相手の理解に応じて行なうものなのに、相手の理解度を図ろうとしない、そこまで頭が回らないという点で彼らは馬鹿であり、自己を客観視出来ないという点でも馬鹿なのだろう。

かくいう私にも、知っていることをまくしたてる傾向があるから、他山の石とせねばなるまいて。

2015年2月18日水曜日

最初の謝罪は直接会うほうがよろしかろう

岡田斗司夫ネタでまだ引っ張っているから、興味のない方は読まない方がいいだろう。

さて、岡田斗司夫が高須克弥医師を怒らせた際の対応について、今回は述べたいと思う。

岡田斗司夫がダイエットネタで人気を博していたときに、高須医師との対談で脂肪吸引手術を了承しながらドタキャンする、という騒動があり、それが最近になって再び騒動となったのは先日ご紹介したとおり。

私が気になるのは次の箇所だ。

★ 高須 克弥さま  お詫びと、経緯説明を申し上げます。
新潮社からは「広告出稿の件もあるので、こちらから手術の件はお断りします。ビジネスがらみになりますので、以後は任せてください。岡田さんから高須先生に直に連絡しないようにしてください」と言われました。
その時に、すぐに僕から直に高須先生に謝罪すべきでした。
しかし、後藤氏より「岡田さんが謝ると、人間味がないのでますますこじれる」と遠回しに言われ、自分でもそんな気がしたので、お任せしてしまいました。
 この部分である。

私は以前、橘玲の『臆病者のための裁判入門 (文春新書)』という本を読んで以来、交通事故でもめている人々のブログや、雑誌の記事、書籍の体験談などに気をつけるようにしている。

交通事故では、被害者は突然の事故によって大変な苦しみを受けることになる。加害者は当然、それに対してお詫びしようとするのだが、最近の損害保険会社は、それを押しとどめることが多いようだ。

「あなたが行っても解決しないから」
「むしろ被害者の感情を悪化させてしまう」
などと言って、加害者がすぐにでも被害者のもとを訪れて謝罪するのを押しとどめようとする。

これには理由がある。損害保険会社が示談交渉をおこなう場合に、加害者と被害者が直接やりとりされると困る。冷静な判断のもとで、法律上で許される裁定ラインで保障額を算定しようとするのを、被害者に拒まれることがある。そのときに、損害保険会社では埒があかないとなると、加害者に直接精神的な揺さぶりをかける被害者がいる。そのようなことになっては加害者側にとって大きなリスクとなるから、それを避けたい、という判断のようだ。

ところが、加害者側が一度たりとも被害者に顔を合わせないようなケースも、最近は多いという。損害保険会社がそう指示するからだ。しかしそれはあまりにも極端だろう、と思う。現にそのようなケースでは、被害者側の感情がこじれて、解決に何年も掛かる場合がある。

損保会社の指示で加害者が被害者に顔を合わせなかったがために、問題がこじれたとしても、それが統計に現れることはないだろう。損保会社側の判断ミスになるし、因果関係がはっきりしないものをわざわざ報告するとも思えないからだ。だから実態は分からないが、最初から加害者が謝っていれば済んだことも、案外多いのではないかしらん。

離婚についても似たような話がある。

夫に何の非がないにも関わらず、妻側から離婚を切り出す場合がある。そういう場合に限って妻は、「夫とは二度と会いたくない」と主張して、弁護士だけが夫に会うケースが多いようだ。それを弁護士が指示するからだ。

当然夫は納得しない。一度でもいいから会おうと言っても、妻はそれを拒否する。自分に非があるから、責められたくない、という自己保身のためだろうか。

沢尻エリカがそれで揉めて、結局夫の高城剛との間で、数年に渡る離婚劇を繰り広げることになった。最近では中山美穂がそれに当たるかもしれない。

謝罪の意思を直接確認したいというのは人間の性だろう。面と向かって言われないと、納得出来ないというのはよくわかる。もともとネット上のつきあいならばともかく、最初からリアルで出会っておきながら、肝心要で会うことが出来ないと、人は裏切られたと感じる。ましてや加害者の謝罪をや。

交通事故の被害者がどう豹変するかわからないし、非のない夫からどう罵られるかわからない、という恐怖があるのも分かる。しかし、相手が暴力気質だと判明しているのでもない限り、やはり道義的には一度は直接会って、謝罪などの意志を伝えるべきじゃないだろうか。それで相手も納得することが多い。

一度目の謝罪に直接訪問するかどうかの判断において、仲介者の言うことに唯々諾々と従うべきじゃない。なぜなら彼らは結局自分の立場を第一で行動しているから。決してこちら側の意図を汲んでいるわけではないからだ。損保会社も弁護士も、最終的に守りたいのは自己の利益だ。損保会社は慰謝料が高額になって欲しくないし、弁護士も和解されて離婚訴訟費用が入らないことはなんとしても避けねばならない。

岡田斗司夫の件でも、高須医師が広告宣伝費を出してくれるか、出さないにしても対談原稿を掲載させてくれるかが問題であり、どちらもダメだったとしたら、せめて新潮社側が火の粉をかぶらないようにしたい、というのが新潮社の意思であっただろう。岡田斗司夫が最終的に高須医師に恨まれようがどうしようがどうでもいいのである(と言うと、新潮社の後藤氏にやや申し訳ないが)。

「会って話をしたい」
などと凄む相手はたいてい輩の類なので、その誘いにホイホイのらないことは大切だ。しかし事件の加害者となったりこちらに非があって離婚を進めたい場合は、やはり一度は会って話すべきだろう。心から謝罪をして、それでも納得しないならば、そこから第三者に間に入ってもらえばいいのだ。



2015年2月11日水曜日

ブログを書く効用


「なぜブログを書くのか」
と問われることがある。

承認欲求だとか、アフィリエイトによる利益の追求だとか、人的交流の機会追求だとか、人によっていろいろな理由があるだろう。いや、むしろ理由は一つではなく、複数あることが多いだろう。

かくいう私も、自信のある記事を書いてPVが増えれば嬉しいと思うし、それによってGoogleから多少の小遣い銭が入れば別の意味で嬉しい。それに、このブログを書いたことで増えた友人もいるから、それも楽しい。

いろいろな効用があるが、最近、これももう一つの効用だと思ったのが、
「思考がスピーディーに、論理的になる」
というものだ。それを最近実感して、ブログを書いていてよかった、としみじみ思った。

どういうことか。

私のブログ記事は、よくいらっしゃる方はご存知かもしれないが、案外長い。一記事3000字以上書く、と決めていた時期もあって、それを毎日続けて書いたこともあった。訪問者の方も当時は読むのがしんどかっただろうと、深く反省している。

ところが長文を毎日、あるいは隔日でもいい、定期的に更新していると、ある時期から思考が良い方向に変化したことにふいに気がついた。

どういうことか。

通常人間の思考は、それほど論理的ではない。いや、論理的だがそれを意識することがない、と言い換えるべきかもしれない。

具体的に説明すると、たとえば今まで野球の話を興味深く聞いて、野球の話題も自分から振っていたいような人が、突然、
「俺は野球なんて嫌いだ!」
と怒るようなことがあったとする。

当然怒られた相手は驚く。そして、野球が嫌いだと怒りだした人のことを、
「この人は感情的だ」
と思うだろう。そして、怒った人が自分自身、なぜ怒ったのかを説明できないと、
「あの人は気分屋だ、論理的じゃない」
と周囲から評価されてしまうだろう。

ところが、
「自分は野球が好きだが、それとは別に、不倫という行動が大嫌いだ。ところが今度、不倫相手の女性を殴ったことをメディアで暴露された大久保博元が東北楽天監督となった。それを許すことはできず、大久保の監督就任を許した野球界に絶望した。だから俺は野球を嫌いになった。今は聞くだけで嫌なんだ」
と説明されれば、それに共感できるかどうかは別として、聞かされた方は、
「なるほど」
と納得するだろう。

問題は、こうした思考が普段は無意識下で行われているために、意識できず、意識できないから論理的に説明しづらい、ということだ。

野球が突然嫌になったのは、数日前に聞いた大久保博元の楽天監督就任が影響しているのだけれども、そのことを思い出せず、まさかそれだけの理由で、野球自体がイヤになるほど自分が狭量だったとも自覚していないと、なぜ自分が、突然野球の話を聞くことが嫌いになったのか説明できないだろう。

よく「論理的ではない」と言われる人間の行動や発言には、必ず論理がある。無意識下の複雑な論理が重なった結果、予想外の行動、普段と異なる発言を行なうのだが、それを自覚できないだけなのだ。

ときにはそれは脳の病理によるものかもしれないが、それも、「脳の病理のため」という理由が背後にある。

人間行動にかぎらないだろう。

物事すべての事象には、必ず論理がある。隠されているために読み取れないか、複雑なあまりに論理をたどることができないだけなのだ。それを筋道立てた理屈で説明できる人間が「論理的」と言われるようになるのだ。

そして、日々の行動、思考などを文章化しようとすると、人は論理的になる。

自宅の日記帳にでも書けばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、日記は自分に甘くなる。自分しか読まないために、多少論理に整合性がなくとも、不正確でも、論理となる部品の一部が見つからなくとも、
「まあ、いいか」
で済ませてしまうことが多くなる。人間は不精な性格だから、思考の深堀を怠ってしまう。

インターネット上に公開されるブログはそうはいかない。他人に読んで理解してもらうためには理屈を文章につけなければならない。もしもとりとめのない思考をそのまま公表すれば、
「この人、馬鹿だな」
「この人、頭がおかしいんじゃないの?」
と思われてしまうだろう。

他人にまともな人間だと思ってほしいとか、馬鹿とは思われなくない、という自意識が、整合性のある文章を書かせる。「他人に理解してもらいたい」という欲求は、一人で日記に書いていた時には湧きにくい感情だろう。これが大切なのだ。

過剰な自意識は愚劣だと一蹴されがちだが、愚劣な感情には根深く強いエネルギーがある。このエネルギーを利用しない手はなかろう。

そして、論理的な文章を書くことを定期的に続けることで、思考はスピーディーになる。

毎日は暇な時ばかりではなく、急いでブログを書かねばならないこともあるだろう。あと1時間で日が変わってしまうことを恐れながら、時計を気にしながら記事を更新するときもあるだろう。いや、そんなときばかりだ。人生ヒマじゃない。

言わば強制的に、思考を高速に回転する訓練を自らに課しているようなものだ。それをPVやアフィリエイトが応援してくれる。

その繰り返しが重なり、それが数年続いたときに、ふと、自分の思考がクリアになり、合理的になり、スピーディーになり、無意識の行動に説明をつけられるようになった自分に気づくのだ。

私はバカかもしれないが、ブログを書く数年前に比べれば、自分の頭が確実に整理され、改善されたと断言できる。

これもまた、ブログを書く効用の一つではないか。

脳トレブームに見る如く、思考力を伸ばしたい、高めたいという欲求を持つ人はこの世に大勢いる。高齢化社会、ボケを防止したいと思っていらっしゃる老年の方々も多いはずだ。そんな人は、ある程度の量の記事をブログに毎日書いてみるといいのではないか。自己の成長という点で、数年後に必ず、良かったと思えるはずだ。





2015年1月5日月曜日

目の疲れを軽減するため、年始にパソコン設定を変えよう

年初に私は、家でパソコンを長時間使いました。1日平均、10時間ほどになるでしょうか。これだけ多用すると、目の疲れが出るのはいかんともしがたいものがあります。

一番多く使用しているのがWordです。そこで、「ページレイアウト」などの設定をいじり、黒背景に緑文字という、目にやさしい組み合わせに変えました。
★ ページ背景に色を設定する


まずはディスプレイの設定

しかし、根本的な解決のためにはディスプレイ自体の設定をいじることが必要です。

一番簡単な方法が、輝度を下げるというやり方。ディスプレイを暗くすれば、光が網膜を強く刺激することを避ける効果があります。デスクトップ型パソコンのディスプレイなら、右下辺りにあるボタンを押せば輝度(明るさ)を調節できます。ノート型パソコンをお使いの方は、下記サイトを参考に調節されればいいでしょう。
★ 格段に見やすくなる ディスプレイの設定方法

下記はみつけにくい、WindowsVistaの輝度の下げ方 。
★ 疲れ目の人はモニタの輝度を調整しましょう!

上記二つのサイトには、他に文字を大きくする方法なども紹介されています。それを試すのもいいかもしれません。


画面のほとんどを黒背景に緑文字

その次の方法として、コンピューターの視覚効果を変更して、テーマをハイコントラストにしてしまう、という荒業もあります。つまり、パソコンの画面の一切合財を黒字に緑文字で統一してしまうのです。
★ Windows7の画面デザインを変更して見やすくする

ただ、これはオススメしません。インターネットのサイトによっては、文字や絵が潰れてしまい、一部の画像がまったく見えなくなることがあるからです。

インターネットで調べ物をしていても、ページの中に見えない画像ちょこちょこ存在するので、毎回見落としはないだろうかと疑心暗鬼になります。

どのページも強制的に「目にやさしく」してくれるので最初は重宝していました。結局私にとっては使いづらく、この方法はやめました。 これはよほど目に負担がかかって困っている方向けですね。


ブルーライトのみをカット

ここまではよく知られている方法ですが、今日はもう一つ、別の方法を知りましたのでご紹介します。本日の記事はこれがメインです。それはディスプレイのブルーライトのみを大幅にカットする、という方法です。

網膜に一番悪影響を与えるのが、ディスプレイの中の青い光です。
★ ブルーライトとは

この青の部分をカットしてしまえば、眼球への負担が下がる、と、こういう理屈です。

★ ブルーライトカットを無料で実現!パソコンの設定を少し変えるだけ

上記のサイトを参考にして、青光を削減しました。その結果、私の目の負担がかなり軽減され、楽になりました。画面がややくすんで見えるのが難点ですが、目を大切にするに如くは無し、です。

今年一年、これからもみなさんはパソコンを多用されるはず。今はスマホ利用者が多くなりましたが、職場や学校ではパソコンを多く利用することでしょう。できるだけ自分の身体と長くうまくつきあうためにも、年初のうちにパソコンの設定を変えてみてはいかがでしょうか?

2014年12月26日金曜日

Amazon電子書籍KDP 転居後の住所変更や雇用者番号変更について


アマゾンで電子書籍の販売を行うには、面倒な手続きが必要です。

アメリカの税制が適用されるため、なにも減免措置をとらないと売上利益の30%が源泉徴収されてしまいます。それを避けるために納税者番号(TIN)というものを取得しなければなりません。

納税者番号にもいろいろと種類があり、一番取得しやすいのは雇用者番号(EIN)。私は昨年末に取得しました。

さて、今月になりまして、アマゾンから「必要なアクション: 年末の税報告のための連絡先情報の更新」と題されたメールが届きました。

住所などの個人情報に変更があったら、変更手続きしてください、という内容です。

私は今年引っ越しして住所が変わりましたから、情報修正の必要があります。KDP アカウント (http://kdp.amazon.co.jp) にサインインして、 「税に関する情報」の更新作業を行おうとしたんですね。

住所を新しいものに変更し、そのあと昨年末に取得したEINを入力しようとしたら……入力できません。

「個人の方はSSN、またはITINを入力してください」としか書かれていないのです。EINを入力する場所がどこにもないのです。

ためしにEINを入力しても、形式が違うと警告が出て、入力を受け付けてもらえないのです。

……これは困りました。

例のごとくグーグル先生に質問したのですが、この事実に関する情報がネット上にほとんどありませんでした。いろいろと検索語句を変えて調べた結果、下記のサイトにいきつき……衝撃の事実が判明しました。

★ 個人でも可能な電子出版 誰でもできる電子出版 第三十七回
詳細は実際のKDPヘルプを見ていただくとして、かいつまんで言うと、「個人はITIN(個人納税者番号)を取得し、個人以外はEIN(雇用者番号)を取得してください。取得方法は米国IRSのサイトを確認してね」という感じです。
ガーン。
まじかよ、と。つまり、アマゾンは、今まで個人で電子書籍を販売していた人間に認めていたEINを、認めなくなった、ということです。

その代わりに入力しなければならない「個人納税者番号(ITIN)」なのですが、これがクセモノです。取得するためには、
・パスポートのコピー(米国領事館または公証人役場で公証を受けたもの)
・前年度の納税証明書
・フォームW-7(米国IRS書類)
が必要だというのです。それも、すべて英語で書かれたものを、です。

前年度の納税証明書を英語で用意したり、パスポートのコピーを公証人役場で英語で公証してもらうなんて、ハードルが高すぎます!

なにかいい方法はないのでしょうか?

この件に関する情報は乏しく、Google先生もあてになりませんね。ようやくこんな抜け道があることを知りました。

★ KDPアカウントで税の優遇措置を受ける方法
受益者の種類として「個人」以外を選択した場合は、米国のTINにEmployer Identification Number(EIN)を利用できます。
とある。
この「個人授業主」とは、USに会社がある、またはUSで人を雇っている、でなければならないのだ。
なので、ここでは「みなし事業体」を選択する。
へ~。

それで大丈夫なの? 一気にハードルが下がったんだけど。

でもこれしかないのだろうな、と思い、「個人でも可能な電子出版 誰でもできる電子出版 第三十七回」の著者である林拓也さんにもメールでお知らせしたところ、たいへん丁寧な御返事をちょうだいいたしました。ありがたいですね。

この方はKindle出版講座やiBooks出版講座なども開催されているプロの方でした。最新の情報を常にサイトで紹介されていて、その他の記事も大変役立つものばかりです。電子書籍出版をお考えの方は、この方のセミナーを受講されてはいかがでしょうか。

★ 電子書籍講座


さて、今朝になって、私は再び迷い始めました。

ほんとうに「KDPアカウントで税の優遇措置を受ける方法」で紹介された方法でいいのだろうか? なにか問題があるんではないか……と思いましてさらに調べてみますと、こんな記事をみつけたのです。

★ みなし事業体の税務情報の送信
みなし事業体である単独所有 LLC 所有者の税分類と納税者番号は、以下の 3 通りのいずれかとなります。

    所有者が個人事業主の場合: 税分類では個人を選択し、米国社会保障番号(SSN)を記入します。
    所有者が法人またはパートナーシップの場合: 税分類では法人またはパートナーシップを選択し、法人番号(EIN)を記入します。
    所有者が LLC カンパニーの場合(パートナーシップ、C コーポレーション、S コーポレーションの場合): 税分類で LLC を選択し、法人番号(EIN)を記入します。

実態に合った適切な項目を選択して、税務情報を送信します。
うーん。すでに個人事業主として生計を立てている方ならばともかく、そうではない個人が電子書籍を出版する場合、上記の三つに当てはまらないような気がするんですよね……。ほんとうに大丈夫なのでしょうか?

できるだけ、ルールや法律は守りたもの。さてさて。どうするべきか?

いろいろと悩んだ末に、こういうプランで行くことに決めました。

まず、急ぎIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)の住所変更手続き用紙(8822-B)にて郵送で住所変更手続きを行います。

ちなみに、 8822-Bの郵送先は、
Internal revenue Service Center
Ogden, UT 84201-0023
USA
で送りました(UTはユタ州の略です。海外から送付する場合はユタ州の事務所に送付するようです)。

住所変更が行われたら、それで急場しのぎ的に「みなし事業体」として申請を行い、同時並行でITINの取得を目指していこうかと。

そのあとの続報は、追ってご紹介していこうと思います。

それにしてもアメリカの税制は頻繁に変わりすぎです。ネット上の情報が陳腐化するスピードの早いことといったらありません。

2014年12月24日水曜日

地位ある男には美女がわらわらと寄ってくる

選挙の前だから記事を書くのを控えていたが、先日、次世代の党から出馬して落選した田母神俊雄・元幕僚長が離婚裁判を起こした、という記事を読んで思ったことを書いてみようと思う。

発端はフライデー記事だった。

★ 田母神候補に不倫と泥沼の離婚裁判報道! 選挙3日前に出る判決の影響は…

私もフライデーを読んだ。フライデーを読んだ人ならお分かりだと思うが、掲載された写真に写った田母神氏と並んだ女性は間違いなく美人。目の部分が黒塗りされているのに美人だとわかるレベルで、永作博美になんとくなく似ていた。

50代の女性の色香に迷った、という報道を知って、あまり期待をしていなかったのだけれども(失礼)、田母神氏がよろめいたのも、なるほどと腑に落ちた。

その後の報道によれば、結局離婚は裁判で認められなかったようだ。妻は終始一貫して離婚を拒んでおり、浮気をした田母神氏だけが離婚を望んでいるのだから、当然だろう。

馬鹿な話だ。極右の類は、彼がどのような人間であっても自分たちに都合がいい言動を取る著名人として、いつまでも彼を支持し続けるだろう。だが、保守的傾向の強い、常識人で彼になんとなく賛同していた人々は、彼を支持することはないだろう。家族を大切にしたい、という感情の延長上に国家を尊重する人々にとって、家庭をないがしろにした彼を許容できないからだ。

歪んだ価値観の狂信者ばかりに囲まれた人間は、やがて精神に変調をきたす。より過激に、より偏屈に。これから田母神氏の言動は、ますます不穏当になっていくのではないだろうか。

さて、本日の記事で私が書きたいのは、田母神氏非難ではない。そうではなく、男性の方々に忠告をしたいのだ。地位がこれから上がる男性は、気をつけるべきであると。あなたには必ず女性が、それも飛びきり美人の女性がこれから寄ってくるから、今のうちから意思を強固に保ったほうがいいですよ、と。

30代半ばを過ぎて独身で、なおかつ結婚願望のある元モデルのような美女たちと話す機会が、これまで何度かあった。彼女たちはたしかに綺麗だ。でも、彼女たちと話しながら、私は幾度となく疎外感を味わうこととなった。
(彼女たちは愛想が良い。私にもにこやかに応対してくれる。そして『誰でもいいから結婚したい』と訴える。でも、その『誰でも』の中には、絶対に私は入っていないのだ)
ということが、話せば話すほど理解できたからだ。

「誰でもいいといっても、限度がある」
と言う言外の言葉で、ハードルの下の人々を無自覚に傷つけていることを彼女たちは分かっていないし、分かっていても平然としている。他人を傷つけることに罪悪感を感じていないのだ。

「彼女たちが不幸になりますように」
と、世の男性たちの多くが祈っているのをご存知だろうか? 祈りが聞き入れられるのか、彼女たちはなかなか幸せにならず、やがて世の中に悪態をつきながら年老いていく。

彼女たちはだいたい、上昇志向が強い。その美貌が故に、これまで理想的な恋愛をそれなりに経験した彼女たちは、イケメンとの恋愛には、もはや憧れを感じない(すでに経験済みだから)。

年をとるに連れて、彼女たちの価値観は変わっていく。若い女性が結婚相手に求める、知性だとか性格の相性だとか話の面白さだとか人格だとか、いろいろな条件が、年をとるに連れて段々と削ぎ落とされていく。

DVを行う相手などは論外だとしても、それ以外の「顔」だとか「魅力」だとかはどうでもよくなっていき、譲れないものとして、「経済的に安定しているかどうか」と「友だちに自慢できるかどうか」の二点が残るのだ。

だから彼女たちは私に興味を示さない。そんな彼女たちは、たとえば最近離婚した社長と知り合う機会があろうものなら、恥も外見もなく彼らにすりより、嬌態を示すのを何度も見た。

わかったことがある。勘違いされがちだが、彼らの財産が目的ではない。そうではなく、彼女たちの目的は、もっと精神的なものだということだ。

たまたま運が悪く、素敵な伴侶に恵まれなかったけれども、美しい自分は本来もっと幸せであってしかるべきだ、という感情が根強いのだ。肥大したプライドを満足させるために、
「社会的に地位の高い男性と共にいることで、他人に自慢をしたい」
という欲望が大きくなる。

たとえ相手が結婚していようとも、社会的に地位が高い男性にはこの手の女性が猛烈なアタックをかけてくることとなる。知り合いに、「彼は私の大切な人」と自慢するために。きょう日、モデルのように美しい独身の高齢女性が本当に多くなった。その中に、この手の女性が多く生まれている。だから、猛禽類のような彼女たちから誘われる機会も激増する。

「自分には関係のないこと」
だと思っている若い人も多いだろう。でも、あなたが若くてこれから身を立てようとしている男性だとしたら、これから社会的地位が上がるにつれて、これまで出会ったことのないような美女から、猛烈なアタックをかけられることが必ず出てくることを覚悟しておいた方がいい。

そのときに、「いつか自分も美女と浮気をしてみたい」というような、浮ついた欲望を持っていたとしたら、彼女たちは間違いなく、そこにつけこんで来る。田母神氏のように年をとって醜態をさらし、妻の信頼を裏切った彼が、妻や娘から心から信頼されることもないだろう。やがて小沢一郎のように、周囲の信頼さえも失っていく。

とある研究によれば、「意思が固い」と言われる人々を調査したところ、彼らはそもそも意思を試されるような場所に赴かないことがわかったそうだ。つまり、タバコを吸わないと決意したら、タバコをすべて捨てる。そして禁煙に成功するまでは、コンビニでタバコを買えないように、小銭自体を持ち歩かないし、ストレスを避ける。結果禁煙に成功して、彼らは「意思の固い人物」という評判を得る。でも、彼らは困難の中で意思を通すことが得意なのではなく、困難を避ける回避能力に優れているのだ。

いま大切な家庭をお持ちの方々で、これから社会の中で活躍しようと望んでいる方々は、転ばぬ先の杖、今のうちから、こうした危険性の存在を知り、彼女たちの誘惑から遠い場所にいるように、身を慎むことをお勧めしたい。

2014年11月16日日曜日

GoogleのブログサービスBloggerが、他のブログサービスよりも優れている理由

今年初めに、「GoogleBloggerからWordPressに移行検討する私の理由」という記事を書いて、はや1年近くが経ちますが、御存知の通り、いまだに私はBloggerを利用しています。

なんだか、このままBloggerでもいいような気がしてきました。華美ではなく、堅牢なこのサービスは、使い続ければ光りだす南部鉄器のようなものに思えてきました。ゆえに、愛着が湧いてきています。

これからブログを始めようとしている方の中には、どのブログサービスを利用すればいいのか、悩んでいる方もいるかもしれません。そんな方のために、Bloggerのいいところをいくつか、挙げてみたいと思います。


1.Googleが提供するサービスである

インターネットが世界の人々の情報収集、伝達方法を根本から変えました。その立役者の一つがGoogleであることは論をまたないでしょう。

私はGoogleにこれまで何度も文句や不満を述べてきましたが、それは期待の裏返し。既存メディアが恣意的に情報操作をおこなっていた実態をインターネットは暴き出しました。インターネットのお陰で自由に意見をだれでも発信することができるようになり、Googleのお陰でこの人々の意見に誰もがたどり着くことが出来るようになりました。

今の言論空間の素晴らしさは、昔の閉塞感を知らない10代の人々には今ひとつ理解できないかもしれません。世の中は間違いないく、10年前よりも自由で開放的になりました。Googleを私は支持しますし、ごのGoogleのサービスですから、自信をもって勧めることができます。


2.アクセス数などが正確

Google Analyticsを利用していれば別にブログサービスはどこでもいいのかもしれませんが、それでもブログサービス自体の信頼性を確認するものとして、ブログ付属のシステムで、ページビュー数(その記事が何回閲覧されているか)などが正確に把握できるかどうか調べる、という方法があります。

少しググればすぐに探せるので敢えてリンクを張りませんが、アメブロのカウンターはとてもいい加減だと評判です。私も一時期、アメブロでブログを書いていたことがありましたが、つまらない記事を一回書いただけで何十もアクセスがあったりしていて、すぐに疑ったのを覚えています。


3.安定している

ブログサービスによっては、突然アクセスができなくなる、といったシステム上のエラーに悩まされているところがあるようですが、Bloggerを使い始めて2年、そのような不満は記憶にありません。


4.シンプルで簡単

WordPressに移行しなかった理由の一つが、操作がいろいろと大変だというもの。私、PHPなどが使えないので、プラグインを増やしたりCSSを書き換えたりとか、よくわからんのです。他にしたいことも多いので、プログラム言語を覚えないまま、また一年経とうとしていますけれど。

今となってはコンピューター言語を知らないままでも簡単に利用できるBloggerに感謝しています。ブログサービスを初めて利用する人、Bloggerはとても単純で使いやすいですよ。


5.無駄な争いに巻き込まれない

私、はてなブログへの移行も密かに狙っていました。

はてなブログは今、もっともホットなブログサービスです。ユーザー同士で批判を応酬したり、議論を戦わせたり、いろいろなイベントを開催したり……ユーザーになると毎日が面白そうです。

私もはてなブックマークはよく利用しているため、今年ははてなブックマークのオフ会に参加しました。あれは楽しかったな。主催者の齊藤さんは、現在沖縄旅行中。私もはてブオフ会で少し話した関西の可愛らしい女性に会いにいったらしいです。

こういう楽しい交流はあるものの、ユーザー同志の交流が濃いブログサービスで有名人となると、ブログ記事が炎上しやすく、少し気を抜くと、批判が山のように集まるのです。

Blogger記事の読まれ方は、SNS経由ではなく、純粋に検索経由が多いはずです。そのため批判したい人が一気にやってくることが少なく、炎上しにくいのが特徴です。筆が滑っても、あとで気づいてこそっと書きなおしておけばいい……こうしたゆるさがBloggerの特徴です。


6.アダルトがあまりなくて健全

私もときどきアダルトなネタを書くのにあれですけれども、性的表現があまりに露骨なのは嫌いなのです。FC2などのサービスでは、性的なブログがほんとうに多いので、アクセスするたびにちょくちょく目に入ってきます。ブログを書くことが嫌になってしまう人もいるでしょう。

こうした心配のない適度な真面目さが、Bloggerのいいところです。



こんなところですね。

これからブログを書き始めようと思っている方々は、ぜひBloggerも、検討の対象の一つにしてください。


2014年11月12日水曜日

金融業に向いているかどうかの基準

ある職業が自分に向いているかどうか、なかなかわからないものです。
「向いている」
と思って就いてみても、想像していたものと違っているのは当たり前。仕事が面白くなく、さらには能力もなければ悲惨の一言。

かく言う私も、以前とある職についていたときに、この種の悲哀を味わいました。

「慣れるうちに好きになる」
と言われ、会社でその職に数年就いてみましたが、毎日が嫌で嫌でたまりませんでした。

それでも力を伸ばそうと思いまして、仕事と平行して専門に沿った勉強もしていたのですが、知識は身につかず、ただ苦痛の一言。

勉強時代も合わせると10年近くその業界に身をおいて、好きになることも得意になることもありませんでした。

「10年やればどんなことだって好きになる」
「やれば必ず力は伸びる」
こう断言する人は大勢います。でも、やっても力が伸びず、好きにもならなかった人々はそれ以上にいるのです。

しかし落伍者は声を上げません。自身の恥になるだけですから。そして声高に成功を語れる人だけが残ります。その陰には、不得意なこと、嫌なことを仕事としたばかりに、鬱病になったり挫折したり、転職したりした無数の声なき民が大勢いるのです。

そんな失敗をおかさないためにも、その職業に向いているかどうか、判断する簡単な基準って、ないものでしょうか。

先日このブログで取り上げた、松本大さんが面白いことを述べていました。

「金融業に向いている人、向いていない人」
が簡単に分かる基準があるのだそうです。

それは"桁"。

彼の周りで金融業で成功している人は、絶対に桁を間違えないのだそうです。例外はほとんどないのだとか。

面白い着眼点です。こういう情報の方が、職業診断テストなどよりよほど価値が有ります。

思えば私、桁の計算がとても苦手です。345ドルが日本円でいくらか、と問われても、
「ええと、1ドルが100円だとして、345円掛ける100はいくらだったっけ?……34,500円か」
と手間取るレベル。つまり、金融業に向いていなのでしょう。金融業に就かなくて本当によかったと、この話を聞いて思いました。

「ジェイコム株大量誤発注事件」では、みずほ証券の社員が桁を間違えて大きな問題になりました。今から思えばこの社員は、金融業にそもそも向いていなかったのかもしれません。金融マンとして優秀な彼の周囲の先輩たちは、桁を間違えるかもしれないという懸念に薄く、
「まさか我々の仲間に桁を間違える人間がいる」
ということを想像しにくかったのかも。だからそれに備えることを怠っていたのかもしれません。

それはともかく。

これから金融業に就こうかどうか、迷っている学生のみなさん。
"桁"という基本的で簡単な概念を学生時代によく間違えている場合は、どれほど業界に思い入れがあろうとも、そもそも金融業に向いていない、と即判断して、別の道へ進んだ方がいいのかもしれません。


2014年11月5日水曜日

会社名は前株よりも後株にするのがベスト

事業を起こして社名をつけるときに悩むのが、
「前株か、後株か?」
という問題です。

前株(まえかぶ)というのは、
「株式会社◯◯」
と、社名の前に企業形態である「株式会社」をくっつける表記方法。

後株(あとかぶ、ときどき「うしろかぶ」と読む人も)というのは、
「◯◯株式会社」
と、社名の後に「株式会社」という言葉をくっつける表記方法。

どちらのタイプもよく目にします。Web界隈ですと、前株としては「株式会社はてな」「株式会社サイバーエージェント」などが有名ですし、後株としては「ヤフー株式会社」「楽天株式会社」などがすぐに頭に浮かびます。

経営の専門家によれば「どちらでもいい」そうです。

★ 会社名の前株と後株
ご質問の件ですが、前株、後株で明確なメリット又はデメリットはございません。
語呂や個人的な好みで決定して頂いて良いと思います。
スッキリとした回答が小気味いいですね。

歴史のある会社は後株に、新興企業は前株にする傾向が強いという程度の差異はあるものの、両者に法的な差異はないようです。そんなことが、「会社名は前株・後株どっちが良い?会社名は何文字まで?似た会社名を付けると訴えられる?~会社起業の道標」という記事でまとめられていました。

上記の記事では、「鈴木です」という特殊な社名だと、後株の方が会社だと認識されやすいという結論を出していますが、せっかくですから、前株のメリットについて述べてみます。

前株のメリットは、名乗った時に認識されやすい、ということです。

相手の言葉を認識するにおいて、心理学的には、最初の0.3秒は注意力が散漫になりがちなため、名乗られた社名の頭の部分が聞き損じられる可能性が高いのだそうです。

初対面の人に、社名を名乗る際に、
「◯☓株式会社の、△△です」
と名乗った時に、最初の「◯」の部分が聞き取ってもらえない可能性がある、ということです。

だから後株の社名の社員は、前株の社名の社員よりも、
「もう一度社名をおっしゃってください」
と言われる確率が、やや高い、ということになります。

前株だと、「株式会社……」と言った時点で、相手の脳が、
(お、社名を名乗るんだな)
と準備体制に入るので、続く社名を聞き逃しにくいのです。
この若干の差が、競争の激しいビジネス社会で何十年もの間に積み重なり、大きなアドバンテージとなる、という反論が考えられるでしょう。

ただ、私の個人的見解としては、上記ブログと同じく、後株を推奨します。

私はバックオフィスの経験が長いものですから、事務処理上の観点から考えてしまいます。お恥ずかしい話、いろいろな会社を渡り歩いてきました。大手の会社の裏側もある程度知っています。私のつたない経験から言いますと、断然おすすめするのは後株です。それはなぜか?

後株の社名は、整理されやすく、オンライン上でも把握されやすいんですね。

いろいろな企業のデータ管理状態を見てきました。どこの企業も、データ入力は人力です。それを行なうのは現場の社員。営業現場の社員が全員、データ整理がうまいわけじゃありません。それにコンピューターが大幅に導入されて、まだ10年とちょっと。それまで蓄積された、お得意先、取引先、あるいは顧客法人の社名のデータ入力は、かなりいい加減です。

「カブシキカイシャ◯◯」
のこともあれば、
「カブシキガイシャ◯◯」
と、濁点がある場合もあります。

あるいは、略称で、
「KK◯◯」
としているところもあれば、
「KG◯◯」
としていることもあります。

それだけではなく、
「(カブ)◯◯」
や、
「(カ)◯◯」
といった略号で登録されていたりとか。

最初から、統一した基準で入力させていれば問題ないんですけれど、ビジネス上ではそれよりももっと決めなければならない諸問題が山積みですから、こうした些事はだいたい後回しです。
「データ入力の際のフリガナ入力の統一基準」
という細かな問題にまで頭が回る経営者はいませんし、そこまで決めなければいけないと気づく現場マネージャーも少ないのです。

そうしますと、大手であればあるほど、大勢の入力者がてんでバラバラに社名をオンライン上に登録していたりします。最近はデータセンターでデータ入力している場合が多いですが、最初にルールを決めていなければ、それぞれのキーパンチャーが勝手な基準でフリガナ登録することになり、気づいた時にはさまざまなフリガナ方式が混在する破目に陥るのです。

ただ、現場の通常の業務には差し支えないレベルの差異なので、大体の場合、ほっとかれます。電話番号で紐付けしているところが多いし、検索機能を使えば、社名のみで企業を特定できるところがほとんどなので、業務に支障が出ることは、滅多にありません。

ところが、この「滅多に」というのが曲者。ときどきは、業務に支障が出ることがあるんですね。

人間だからいろいろなミスがしょっちゅう発生しています。電話番号を一桁間違って入力されていたり、連絡先として社長の携帯番号しか登録されておらず、社長が急に携帯電話を変えてしまっていたり……。

そして社内の顧客管理システムには、なぜか、前方検索しかできなかったり、前株後株を取り除いて検索できない仕様になっているものが、異常に多いのです。

そうしますと、前株の会社の社名がデータ上で特定できないということがときどき起こります。

そんな場合、バックオフィスではもう大変。社員総出で、「カブシキカイシャ◯◯」で検索したり、「(カ)◯◯」で検索したり。バカバカしいことで時間を取られ、待たされる側はイライラ。そんな経験、今までありませんでしたか?長時間待たされる方は、まさか自分のところの社名が前株だったせいで調査が遅れているとは思ってもいないはずです。

そりゃそんなトラブルに巻き込まれること、滅多にありませんよ。でも、こういう些細なことで将来のわずかな時間を少しずつ奪っていくとしたら、考えものです。

超一流企業と言われる企業の内部データ管理で、フリガナのデータ入力がいかにいい加減か、そのためにどんなトラブルが頻発しているかを見てきました。こだわりがないならば、断然私は後株をオススメします。

これからの時代、フリガナで間違われない社名をつけていく、という工夫も大切になるかも。たとえば「KDDI]という社名だと、「KDDI」とアルファ ベットで入力される場合もあれば、「ケーディーィーアイ」と入力される場合、「ケイディディアイ」と入力される場合などいろいろあり、同一社名と認識されない場合があるそうです。こうした細々とした点も、社名を考える際に参考にしていただくと幸いです。

2014年10月28日火曜日

システムを見直せば、マナーも環境も心も変わるかもしれない

電車内で足を投げ出している人、邪魔ですよね。

マナー違反を解決しようとしても、人間の心を変えるのは至難のわざです。不特定多数の人々にひたすら訴えて、社会の雰囲気を変え、その中にいる違反者の気持ちを時間をかけて変えていくしかないのでしょうか?

それ以外の解決策を、車両メーカーが提示しています。新しい仕組みの座席を開発して、足を投げ出す行為自体をしにくくさせようという試みです。

1月から順次置き換えている新型車両の座席は、座る面をひざ側に9度上向くようにした。こうすると、座った人は自然にかかとを引く姿勢になるという。狭い車内でも乗客がスムーズに乗り降りできるように、車両をつくる三菱重工業が工夫した。
リンク先には写真が載っていますので、ご覧になるとイメージしやすいでしょう。

他人の心を変えようとするのではなく、仕組みを変えてしまう。そして、マナーを自然と守らざるを得なくさせてしまう。この発想の転換が素晴らしくありませんか?

ここで思い出されたのが、先日読んだ、頭の回転が速い人はなぜ速いのかを分析する記事です。

★ 【頭の回転が速い】と言われる人々の共通点とは...?
頭の回転が速い人は、日常生活に<WHY?>を取り入れて日頃から考えることを習慣化させている傾向にあると思われる。
例えば、渋谷のとある8Fのカフェに行ったとする。閑散とした店内に数人のお客さん。ここで「ナゼこのカフェは人が少ないのだろう?」「数あるカフェの中で、ここに来たお客さんは何を求めているのだろう?」という質問を自分に投げかける。
電車の中で足を投げ出す人を見て、注意することも大切でしょう。

でも、足を投げ出さなくても楽に座れる椅子を開発した方が、確実に問題は解決されます。

間違った現象を嘆き、その場しのぎの対応をするのではなく、原因をつきとめシステムの方を変えれば、現象があっという間に消えてしまう……こうしたことは、なにもマナーの改善に限りません。

たとえば、公園に散乱するゴミ。マナー違反を嘆くのではなく、ゴミ箱を設置しただけで公園がきれいになる例などはいかがでしょうか。公共の場所の環境悪化は、ゴミ箱がないために生じることが多いものです。

数十年前に、美濃部都政ではゴミ箱を無くせば人々はゴミを持ち帰るので、公園がきれいになる、と信じてゴミ箱を撤去したところ、公園にゴミが散乱する結果になったのをご記憶の方もいることでしょう。

あるいは、
「部下が自分の意見を言わない」
と愚痴を言う上司。よくいますね。そして、部下に「意見を出せ、アイデアを出せ」とガミガミ怒鳴る。それで仕事をした気になっているのです。

ところが、なぜ部下が上司に自分の意見を述べないのか? この上司はそれまで部下のアイデアを、
「つまらない」
「くだらないものをもってくるな」
と否定してばかりいたからです。これでは部下は、委縮してしまいます。

アイデアなんて、100あるうちの2つか3つが当たればいいもの。まずはいくつもの数を集めて、思考錯誤しながら良いものをえりすぐるのがアイデアをうまく活用する方法です。そのためにはくだらない意見でも述べやすい雰囲気を組織の中に作ることが大切です。

私の見た例では、部下をガミガミ叱る上司の再教育を会社が行い、部下への暴言をやめさせたことで、社内の雰囲気ががらっと変わり自由闊達な意見が飛び交うようになりました。

世の中、案外システムを変えるだけで解決できる問題がゴロゴロと転がっているのかもしれません。

まずは、世の中を嘆く悲観論に陥るよりも、その理由を考え、解決策を講じる。このポジティブな発想に転換した方が、楽しく人生を過ごせることは間違いありません。

その次に、その際に人の心を変えるのではなく、システムを変えてみようという発想の転換を行うよう努めること。

この二つが大切です。


2014年10月26日日曜日

ときに、一冊の本のある文章が繰り返し役立つことがある

ある本を買おうかどうしようか迷っているときに、アマゾンのレビューを読む。
「私の人生に影響を与えた」
とか、
「私の人生を変えた」
という感想を読むと興味を掻き立てられる。

ただ、それだけでは買わない。レビュー主がそれまでどんなレビューを書いていたかを念の為に確かめる。

その本にしかレビューを書いていなかったり、レビューが数日の間に数十件書かれていたりすると(そしてその本以外のレビューはすべて定型文だったりする)、
「これは業者が書いたのだろう」
と判断して買うのをやめる。最近はあの手この手で広告代理店が暗躍しているので、油断がならない。

そこまでしてレビューを確かめる必要があるかといえば、私にとってはあると言える。くだらない本を買って時間と金銭を浪費したくない。口コミは信頼できる物がまだ多い。レビューで一般人に、「人生が変わった」と書かせるような本は、それなりに面白いものが多く、読んで損をした、と思うことが少ない。

最近では『人間の土地』が面白かった。


本の感想はまた今度書くつもりだ。アニメ映画監督の宮崎駿が本書の解説を書いているという事実だけで、本書を手に取る価値はあるだろう。これもレビューで一生の宝だなどと激賞されていた。

ところで、そこまでではなくとも、小さな影響を与え続ける一節もある。何度も思い出され、人生に少しだけ影響を与え続ける本がある。

一昨年の話だが、雪の降る日の通勤中に、足をすべらせて右足の親指を痛打した。痛みがひかず、二週間以上経過した末にようやく整形外科でレントゲンを撮ってもらった。

ところが異常がみつからない。炎症も起こしていない。完治しているはずだが、突き指をしたときのような鈍い痛みが、長時間歩くと右足の親指付け根を襲い、治らない。

そのまま一年あまりが経過した。強い痛みは時々再発するため、この痛みとは一生付き合わねばならないのだろうと覚悟するようになった。

ところが今年の初めからトレーニングを始めた。走るとやはり右の指の付け根が痛む。そのときに、とある本のとある一節が私の脳裏に思い浮かんだ。

初見良昭という武道家の自伝に書かれていた一節だったと思う。本を仕舞いこんでしまったので取り出すことが面倒なので、うろ覚えのままに書くと、初見氏が武道の師匠について稽古をしていたときのエピソードである。

当時の武道の稽古というのは荒っぽく、森の中を猛スピードで木剣をふるいながら駆け下りたり、ひたすら立ち木を木剣でぶったたりたりといったものだった。自然の中だから、何が起こるかわからない。突然枝が折れてケガをしたり岩で滑ったり、それが日常茶飯事だったという。

ときには何日も痛みがひかないこともある。ところが、ケガを気にした初見氏に師匠は、
「それを無視しろ」
と命じる。最初は、
「骨でも折れていたらやばいんじゃないか」「腱が切れていいやしないか」
と心配した初見氏だったが、稽古を重ねるうちに、痛みが消えてしまう、という経験を幾度となく繰り返すようになった。激しい鍛錬が傷を癒すのだ。

やがて余程のケガでない限り、無視してトレーニングをするようになった、という。

私はそのエピソードを読んで、人間の身体は随分と丈夫にできているもんだと感心した。

さて、私が今年の初めにトレーニングを始めたときにたびたび傷んだ古傷に、話を戻す。

痛みは間違いなく、ある。でも、現代医学では治しようがないものだ。それならば、この痛みを我慢しよう。我慢して、身体を鍛えることに専念しようと、私は考えた。鋭い激痛が走る。それを無視して運動場を走るのだ。

結果的にその考えは正しかった。今では、トレーニングをしても痛みがさほどなくなった。あれほど一昨年、私をさいなんだ足の付根の痛みが嘘のように弱くなったのだ。

痛みを無視して、トレーニングで解消してしまうことができる、という信念。

現代医学では何を非科学的なことを、と思われるだろう。だが、私の右足指の疼痛が減ったことは間違いない。もしも現代の常識のとおりに、トレーニング自体を取りやめていたら、私の足の痛みはそのままだったことだろう。

そして思い出す。初見氏の本を読んでから、ケガをして身体を痛めたことがそれ以外にも何度かあった。私は、多少の痛みは我慢してトレーニングを続けるのだが、そのたびに心に思い浮かべ、勇気づけられてきたのがこのエピソードだった。そして、痛みはどれも、今は残っていない。こうしたことが何度もあったことを、今思い出した。

痛みがトレーニングで消せるものかは知らぬ。だが、原因が分からない不定愁訴は無視出来ると信じ、痛みを耐えてがんばって来れたのは、初見氏の本のあの一節に出会えたお陰だった。その結果、私の生活がほんの少し楽になったのは、間違いない。

本を読むことで、思いも掛けない一節がのちのちまで人生を良い方向へ切り開くこともあるという一例である。

2014年10月24日金曜日

ディベートは自分を変え、スピーチは世界を変える

学生の頃に、ディベートやディスカッション、スピーチなどをひと通り学びました。

私はディベートが好きでした。相手の様々な主張に有効な反撃を加えて、一つ一つをつぶしていくことが面白かったからです。

その頃、会話の技術の中ではディベートが最も実用的だと思っていました。社会を変えるためには、敵の過ちを指摘することが重要だと思っていたからです。ディベートにはいろいろな技法があります。技法を駆使し、反駁の材料を用意して、ひたすら相手の論点の欠点をえぐりだす。相手が反論できずに困るのを見るのが快感でした。

これに対して、スピーチのことは、少しバカにしていました。観客がいるとはいえ、敵とする相手もいない場所で、話すだけ。単なる自己満足でしょうと、重要視していませんでした。

ところが社会に出ると、議論で相手を打ち負かすのは厄介な事態を引き起こすことが多いことが分かるようになりまして、議論はひかえるようになりました。

議論自体は、楽しいので好きです。質問をなげかけ、回答をもらい、その矛盾点について質問をすることで、お互いの知識が深まります。問題は、相手がこうしたやりとりをするに値しない人物のとき。逆恨みされますし、矛盾のある主張を平気で吐き、指摘されても過ちを認めないので話がまったく前に進まなくなります。こうした人は案外多く、話していても時間が無駄になるだけです。

今ではむしろ、一歩ひいたスタンスです。相手の知識がある程度あり、筋の通った主張をしていて、過ちは過ちと認められるタイプならば議論を続けますが、道理のないことを主張する相手とは、議論自体行わないようにしています。

それに、たとえば昨今の保守と革新の議論を傍観していても分かるように、この手の議論に決着がつくことは、ほぼないと言っていいのです。

学生時代、ディベートは社会を変えるために有効な手段だと思っていましたが、どうやらそれは違うらしいと思うようになりました。

世界を変えるためには、反対勢力の矛盾点を指摘するよりも、傍観者の大多数にスピーチで共感をしてもらうことの方が、より効果的なのですね。反対勢力が自分の意見を変えることはほとんどありませんが、観衆を味方にすることは十分可能です。

では、ディベートにはなんの意味もないのか、という点ではそうではありません。ディベートは、相手が自分の代わりに、自分の主張の矛盾点を探してくれます。第三者の視点で、議論の精度を確かめてくれる……大変有難いことです。自分がいかに分かっていないのかを知ることができるのですから。

学生時代に、議論が世界を変え、演説は自分のためにあると思っていましたが、そうではありませんね。むしろ議論は自分のためにあり、世界を変えるためには演説の技法を学ぶべきでした。学生時代に、演説について、もっと身を入れて学んでいたら、今が楽だろうに、と思ったりします。

2014年9月22日月曜日

お見合いパーティー必勝法 下

私 「明日、どこか美味しいお店で食事でもしませんか?」
女 「明日も別のお見合いパーティー、行かなくちゃならないんですよ~」
私 「参加申込み、断ればいいんじゃないですか」
女 「でも、友達に頼まれてててぇ」
私 「友達と一緒に行くんですか?」
女 「いえ、友達はお見合いパーティーの主催者なんです」
このようにお見合いパーティーで出会った女性から聞いた私は、一気に鼻白んだ。

サクラ(偽客)とまでは言わないけれども、頼まれて参加しているだけなら、熱意はなかろう。こうしてカップルになっても、つきあうつもりはないだろう。今回のパーティーだけではなく、他のお見合いパーティーでも、主催者側が美人の女性を客寄せに仕込むことは多いに違いない、と空想しながら、素知らぬ顔でその女性と会話を続け、カクテルをもっと飲みたい言う女性をうながして立ち上がり、そそくさとバーを後にした。

彼女には2回ほどメールを送ってみたが返事がなく、関係も立ち消えとなった。

さて、こうした経験から、私は一番人気の女性に対して、先入観に基づいたある種の嫌悪感を持つようになった。主催者側の仕込み客だと疑い、どれほど美人だろうと、あきらめて、気持ちを切り替えられるようになったのだ。

そこから私は、以下の様な作戦を組み立てて実行することにした。

一番人気の女性は最初から完全無視して、2番手、3番手の女性にアタックする。会場に入ってすぐに、一番人気「以外」の女性に狙いをつけ、前半の自己紹介時に印象が良かったら、
「あなたが素敵だと思うから、あなたとカップルになりたい」
と最初から宣言してしまう。

ただし、前半終了後の休み時間にその女性に複数の男性が群がったならば、すぐに目標を変更して、別の女性へ、
「あなたとカップルになりたい」
と出来る限り早めに宣言する。

(最初に宣言した女性には結果的に嘘を言ったことになるけれども、複数の男性からアタックされているので、彼女を傷つけることはないから、罪のない嘘だろう)

あとは意思を曲げず、その女性にだけ熱心に話しかける。都合上、他の女性と話さなければならないとしても、できるだけ素っ気なく、ときどき目当ての女性だけに視線を向ける。案外女性は周りを観察していて、私が他の女性と熱心に話し込んでいたりしたら、すぐに、
「この人、誰にでも色目を使っているんじゃないの?」
と勘違いされる(はっきりとそう言われたこともある)ので注意が必要だ。

女性は、他の女性には目もくれずに最初から自分だけに強くアタックしてくる男性には好意を抱いてくれるようで、次第に、後半の歓談タイムでは、他の男性を無視して私とだけ話すようになる。他の男性はあきらめて去っていく。

★ 独身社会人のためのカップリングパーティー 「エクシオ」
★ エヴァのふれあいパーティー 
★ 無料 婚活 「ハッピーブライド」

つまり、後半に勝負をかける他の男性陣に対して、私の場合は前半で勝負をつけてしまうのだ。先行逃げ切り型だ。

なぜこの方法が有効なのか? それは、参加者に共通する「プライド」と「コンプレックス」を取りのぞくことが出来るからだろう。

お見合いパーティーに参加して異性とカップルになろうとする男女は、プライドが高く、なんらかのコンプレックスを抱えている人が多い、というのが私の分析だ。

学生時代や社会人になりたての頃なら、いくらでも出会いはあったはずだ。ところが、モテなかったり、合コンに参加する勇気が無かったり、好きだった相手とうまくいかなくて別れたり、ふられたりしたから今、パートナーがいない場合が多い。そのため、自分に自信が無かったり、承認欲求に飢えていたり、といったコンプレックスを抱えている女性が大変、多いのだ。

そもそも、こんなところでお相手を探さなくても、社会人サークルにでも参加して、その中で出会った相手に猛烈にアタックすればいい。普段つきあいのある異性に自然に好意を抱くのが自然な出会いの形だと思う。見ず知らずの異性にアタックする、お見合いパーティーという形式は不自然だ。

ところがそれをしないのは、プライドの高さのせいだ。頻繁に出会う異性にアタックして、ふられたあとに、その異性と前と変わらずに接する自信がないのだ。だから、日常とは異なる場所で相手を見つけようとする人が、お見合いパーティーには集まる。

私ももちろん、その1人。それは嫌なことではない。そのプライドは私にとってモチベーションの素となるので大切だと思っているし、コンプレックスも自分の個性の一部だから愛している。

男女の出会いには邪魔、というだけで……。

閑話休題。

お見合いパーティーで前半から猛アタックをすれば、最初から選ばれたという事実により、承認欲求が満たされ、コンプレックスが解消される。

それに、一番人気の女性がいるにも関わらず、それには目もくれずに自分一人を真っ先に選んでくれたということで、プライドも満たされる。
女 「ええ~。気が早くないですか? あそこに、私よりももっと可愛い女性がいるでしょ」
私 「あんなのどうでもいいんですよ。性格の悪さがにじみ出ている」
そんなジョークを言えば、女性は、
「そんなことないでしょ~」
とケラケラ笑いながら、まんざらでもない顔をするのだ。

それに、だ。

よく考えたら、結婚相手に求めるのは容姿ではない。ある程度、平均以上の容姿があれば、残りは性格だ。誰もがまず容姿で相手を判断するお見合いパーティーで、敢えて容姿を二の次にすれば、中身を観察することに全力を注ぐことができる。話した印象で、
(この女性とは、いても楽しくないな)と感じれば、すぐに別の女性へ気持ちを切り替えることもできた。

この方法で、私はお見合いパーティーに参加した後半の期間、必ずマッチング出来るようになった。15、6人とカップルになっただろうか。

慣れてくると、余裕が出来る。経験も積める。やがて、それまで無理だと思っていた女性ともマッチング出来るようになった。ときに元CA、財務省に勤める女性、大手企業の受付嬢、看護師などとマッチングして、食事に行く。

たいていは、その場で会話を楽しむが、平日夜、時間は11時を過ぎていることが多いため、それからさらに……ということにはならない。今度遊びに行きましょう、と約束して別れる。その繰り返しだった。

その中で、つきあった女性もいた。でも、ほとんどは1,2回の食事のみで別れてしまう。なぜか?

先日のブログで、2ちゃんねるの投稿を引用した。
514 :名無しさん@恐縮です@\(^o^)/:2014/09/16(火) 21:55:56.62 ID:pxgR9HAi0.net
やっぱり綺麗なのになんで結婚してないんだろ?ってのは
確実に愛人やってるわ
これを裏づける話が多かったからだ。


……またいつか、この話をしたいが、長くなったので今日はこの辺で。

(はてなブックマークでも集めれば、早めに書きますw)

2014年9月20日土曜日

お見合いパーティー必勝法 上

お見合いパーティーで出会った女性について話をしようと思うが、まず今日と明後日は、お見合いパーティー必勝法について書くことにしよう。

30歳を越えたばかりの頃の私は、結婚しなきゃとあせっていた。

その頃に知ったのが、お見合いパーティーの存在だ。初めて参加して、出会いの手応えを掴んだ私は、月に1~2回のペースで参加するようになった。1年の間に、20回近く参加しただろう。一度の参加費が男性は5千円程度だから、年間10万円以上の痛い出費だ。それが、ときどきインターバルはあるものの、数年続いた。

この時の経験則をご紹介する前に、お見合いパーティーがどのようなものか、ご存知のない方のために簡単に説明したい。

参加するパーティーは、ネットで「お見合いパーティー ◯◯(地名を入れる)」で検索すれば、いくらでも探せるだろう。あるいは、以下のサイトから選んでもいい。

★ 独身社会人のためのカップリングパーティー 「エクシオ」
★ エヴァのふれあいパーティー
★ 無料 婚活 「ハッピーブライド」

会場は、ホテルの一室のこともあれば、普段は会議に使われている貸し会議室の場合もある。事前に電話などで申込、受付で名前を伝え、身分証明書を見せて、会場に入る。

場所にもよるが、高校の教室ほどの広さのところが多かった。壁際のしつらえた机の上にお菓子や飲み物が用意され、自由に飲食できるようになっている。

部屋には向かい合わせに並べられたパイプ椅子が10脚×2列、それが2組あり、合計4列、40人分が座れるようになっていることが多い(あくまで1例)。

女性20人が、横一列に決められた場所に座る。その前に、男性も主催者に決められた順に座り、動くのは基本、男性だけである。

スタートと同時に、向かい合った男女がお互いに自己紹介とアピールを開始。たった3分で交代して横にずれていく。30秒の休憩後、また3分間自己紹介をし、世間話に興じる。

3分間は短い。それだけで自分をアピールし、相手を知ることなんて無理だ。でも、20人と話さなければならないから、休憩を含めると1時間半はすぐに経つ。初参加者が「こんなに短時間だと何も話せない」と声を上げることもあるが、やがて全員と話すのには時間が足りないことに気がついて、目前の相手と話すことだけに集中するようになる。

20人の初対面の異性と話し終わると、そこそこ疲れる。そのため、20分の休憩が主催者によって設けられ、気分転換が図られる。

席を移動して自由に歓談することが可能なので、人気の女性の周りには、4~5人の男性が群がり、必死にアピールすることが多かった。あきらめて飲食に走る男性もいる。まったく男性が周りにやってこない、あぶれた女性は女性同士でお喋りを始めたり携帯をいじったりしている。

その間に係員は、参加者全員から、少しでも興味のある異性の名前を3人ほど書かせた第一印象集計表を集め、パソコンに入力する。休憩時間が終わると、自分に興味を持ってくれた異性の名前が書かれた紙が、主催者から参加者に配られる。

先ほどの自由時間と似たような雰囲気で、20分ほどの自己アピールの時間が始まる。人気のある女性に群がっていた男性は、その女性が自分にまったく興味を持っていない、という現実をつきつけられ、自分に興味を少しでも持ってくれた女性の前に移動することが多い。もっとも、初志貫徹して目当ての女性に話しかけ続ける男性も多い。

それから参加者は、「この人とカップルになりたい!」という人の名前を書いた第二印象集計表を係員に提出する。係員は10分ほどで内容をパソコンに入力していく。大変タイトなスケジュールだ。

最後に結果発表。みごとマッチングした男女は、名前を呼ばれ、二人づつ、会場を後にする。最後まで名前を呼ばれなかった男女は、主催者から慰められながら、会場を後にする。

誰ともカップルになれなかった男女は、内心、みじめだ。男性は5,6千円がパー、女性は3千円程度だが、貴重な時間を費やしたことには変わりはない。それに、誰からも選ばれなかったという屈辱を胸に帰宅しなければならないから、悔しい。

何度か参加するうちに、私はコツをつかめるようになった。

一度、一番人気の女性と運良くカップルになれたことがある。会場の近くのバーに誘い、彼女に酒をおごった。アルコールが入って口が軽くなったのだろう、彼女がこんなことを打ちかけてくれた。
私 「明日、どこか美味しいお店で食事でもしませんか?」
女 「明日も別のお見合いパーティー、行かなくちゃならないんですよ~」
私 「参加申込み、断ればいいんじゃないですか」
女 「でも、友達に頼まれてててぇ」
私 「友達と一緒に行くんですか?」
女 「いえ、友達はお見合いパーティーの主催者なんです」
きくと、主催者がお見合いパーティーを盛り上げるために、知人の女性にタダで参加させている、というのだ。私は一気に興ざめした。

次回に続く。


2014年9月2日火曜日

ステージが変わると、復讐する機会は失われる 下

昨日はひどい風邪をひいた。デング熱ではないようなので一安心だが、季節の変わり目である。みなさま、ご用心を。

さて、二日前の記事の続きです。

社会人となって会社で経験した精神的な苦痛――ブラック企業では肉体的な暴力もあったが――を受け、その場所から逃れた後に私は彼らにどうやったら復讐できるだろうかと、数年の間考え続けたのだが、やがてそれがどれも実行不可能であることに気がついていく。

いや、最初から気づいていたのだが、それを納得して、あきらめるのに数年間かかったと言ったほうがいいかもしれない。

  1. 暴力による復讐
  2. 法律による復讐
  3. 将来の復讐

上記3点について、それぞれ書いてみよう。

1.暴力による復讐

時々、ストーカーによって女性が危害を加えられたという記事が話題となる。そのニュースを観るたびに思うのは、
「世の中、暇とカネがある人間がいるものだな」
ということだ。

ターゲットをしぼりこみ、獲物が人気のない場所を歩くのを執念深く待ち、襲いかかる。その間、彼らはどうやって生活費を稼いでいるのだろうと、不思議に思う。

結局、彼らがああした犯行に及ぶのは、それをバックアップしてくれる家族や財産の存在があるからだろう。とてもじゃないが、私にはそんな余裕がなかった。

それに私には、やりたいことが多すぎた。本を読みたい、本を書きたい、デートもしたい、映画も見たい、旅行もしたい……こうしたことをすべて諦めて復讐のために彼らの後をつけ回す……考えただけでぞっとした。

そもそも、犯行を終えた後、どうするか。捕まってしまえばおしまいだ。かといって人知れず犯行を終えて、その後一生、犯行を告白せずにいられるか?

私には無理だ。そもそもブログを書く人間という輩は、自己表現欲求が人一倍強いものだ。そんな人間が、一生秘密を抱えて生きていく、という生き方は難しかろう。

それに、犯罪を犯した後、良心の呵責に苦しめられずに生きていく将来が、どうしても思い浮かばなかった。憎しみで相手を恨む気持ちは、相手を痛めつけることで晴れるだろう。だがその後はどうなる? 苦しむ相手への後悔の念を抱えながら残りの一生を送るのも、ゴメンだった。

2.法律による復讐

税務署に務める友人に、経費のごまかしについても相談したが、その罪を立証するのには手間暇かかる割に、敵に被害を与えるまでにはいたらないだろう、とアドバイスされた。

違法残業について、労働基準監督署や法テラスで相談したことがある。結果分かったのは、日本では労基法に違反した経営者に懲罰的な罰則を与えられることはないということだ。

また、弁護士に相談したところ、PTSDで傷ついたことなどを訴えようとしても、それを認められるまでに相当の時間とカネがかかるし、労力の割には得る対価は少ないということだった。

先日、下記のニュースが報道された。

 牛丼チェーン最大手「すき家」の労働環境改善に関する第三者委員会の調査報告書は、過酷な労働実態を浮き彫りにしました。
 違法残業や休憩なしなど、労働基準監督署から受けた是正勧告は、12年度から約2年間で64件にのぼります。
労働基準監督署は、すき家ほどの悪質な企業に対しても、せいぜい是正勧告をする程度なのだ。ましてや、私一人が訴えても、個人事務所にとってはへでもあるまい。

3.将来の復讐

「盲亀の浮木」
という言葉がある。

海底には、百年に一度海上に浮上して呼吸をするという盲目の亀が住んでいると言われている。それが、たまたま海に浮かんでいた浮木の穴に、すっぽりと頭がはまってしまう、という偶然を指す。

ほとんどあり得ない僥倖を夢見ることは、不幸だ。成果を得られることはほとんど無く、成果を得られるまでに夢見た時間は全て無駄に終わり、人生をあたら無駄にしてしまうだろう。

もっとも、世の中というものは狭いもので、縁のある人間とは、いずれどこかで必ず出会う。復讐の機会が訪れないとは言えない。その時に向けて、牙を研ぐことはムダではあるまい。

それにだ。もしも功成り名遂げた後には、失うものが多すぎる。復讐のために成功した後に実際に復讐する人が少ないのは、地位も名誉も得た今、昔自分に害を与えた人間に関わってその地位を失うことがバカバカしく思えるからだろう。

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こうして、一つ一つの方法を吟味してみると、そこで受けた屈辱を、その場所を逃れた後に晴らすことは、ほとんど不可能であることに気がつく。

「やられたらやり返す」
ことは、現実の社会の中ではあまりに難しい。だからそれに憧れて人は『半沢直樹』を応援するが、半沢は架空のヒーローであって現実にはいない。

苦痛を与えられたことを許す必要はない。けれども、受けた屈辱を晴らす機会を探し求めるには、人生はあまりに短い。もちろん、屈辱を晴らす機会はいつか訪れるかもしれない。それならなおのこと、その時のために力を蓄える時間が必要だろう。

結局のところ、ゲームのステージを上がれば、次の敵を倒すことに集中しなくてはならない。前のステージでやり残していたことがあっても、そのステージにいながら前の敵を倒すことはできない。そのステージにその敵はいないからだ。あきらめることが肝要なのだろう。

だが、
「あきらめる」
ことは悪いことではない。それは、一度挑戦した勇気を持っていたという証であり、挑戦した後、できることとできないことを見極めて、撤退する決断力を持っているという証でもあるのだから。


2014年8月30日土曜日

ステージが変わると、復讐する機会は失われる 上


以前も触れたが、転職先で同僚から受けた執拗な嫌がらや暴力は、私にとって社会への見方を変える大きな転機となった。

中途採用された転職先は小さいながらも安定していた。だから落ち着いて働けると思っていたのは大きな間違いだった。逆に閉鎖的でいびつな人間関係に縛られていて、たとえば、Kという定年間近だが仕事ができず平社員だった60代の人物を、職場全員でイジめ、無視するのである。また、ある50代の女性は、とある天下りの役員が大嫌いで、その悪口を役員室に聞こえるような大声でわざと言う。
「あんな無神経な人間が人の上に立つ? 冗談じゃないよ! あんなやり方でこれまでのうのうとよく生きてこれたもんだ!」
私が焦って、
「◯◯さん、聞こえますよ」
と言っても、
「聞こえるように言ってるんだよ !」
と返されとりくすいまもない。私はその天下りの役員のことが好きだったので、この人間のことをますます嫌いになったものだった。

こうしたおぞましき秩序が気に食わなかった私は、その都度、反抗した。

転職してきたばかりの若手が既存秩序に下手な方法で歯向かったらどうなるか、考えれば分かるだろう。若さのあまり、正義は勝つと自惚れていた私は、やがて職場の女性数人から陰湿な嫌がらせを受け始めた(話しかけても一切無視されるとか、あいつは給料泥棒と書いたメールをわざわざプリントアウトされて回覧されるとか、私がトイレに入っている間に、大声で私の悪口を私に聞こえるように言われるなど、いろいろだ)。

嫌がらせは数年続いた。小さな職場で小声でヒソヒソと悪口を言われ、話しかけても挨拶をしても無視され、それに同調する一部上司から怒鳴られ、役員から評価されると今度はやっかまれて余計に嫌がらせを受ける、物を隠されることなどが続いた。上司も頼りない人間でお局が絡んでいるから助けてくれないのである。きつかった。

そこを離れた後、会社勤めにトコトン嫌気が差して、独立して働くことを決意。メンターと見込んでカバン持ちを始めたボスのもとで働いたのだが、これはまた、別の意味できつかった。

数度の離婚、愛人を常に幾人も抱えており、性的に放縦な人間だった。事務所の事務員を殴る蹴るが当たり前。私の前任者は、それが原因で鼓膜が破れ、一緒に働いていた同僚は首を吊って自殺未遂を図ったが死にきれず、鬱病になってようやく退社できた。私は武道をやっていたことと同僚ほどひどいミスをしなかったせいか、多少はましだったが、それでも首を木刀で突かれたり、興奮すると蹴りを入れられながら怒鳴り散らされたりするのは当たり前だった。

それなのに対外的には大変な人格者として通っていた。マスコミによく登場しており、今でも識者として活躍している。

ボスに、辞めたいと訴えたところ、
「クソが。お前みたいなウジ虫がどんなにクズか、世間に分からせてやろう。てめえが辞めたあと、お前の履歴書に書いている以前の職場全部に電話をかけてやる。『◯◯という人物をこちらで雇っていましたが、この男がどうも信用できませんでしてね。もしかしてオタクの会社で何かしでかしたんとちゃいますか?』と聞いてやるよ」
と、こう脅迫された。

そしてこの男、実際にこういうことを、平気でやるのである。

私をいじめ抜いた前職場たる政府機関の女性陣に、こうした噂を流されるのはあまりに恥ずかしく、それは恐怖だった。こうした私の弱みを、彼は的確についてくる。下手に辞めて、新しい次の職場に嫌がらせをされても困る。私は辞めるに辞められなかった。

穏便にその会社を辞めるのに、数年かかった。


さて、なぜこうした話を再び書いたのか? 私がそこから脱出した後に考えたことを初めて申し上げるのだが、その内容はひどいものであり、事情を知らないままでは、みながドン引きされるに違いない、と考えたからだ。

私はしばらくの間、彼らにどうすれば復讐してやれるか、そればかり考えていた。

結果、次の3点に集約されていく。
  1. 暴力による復讐
  2. 法律による復讐
  3. 将来の復讐

1.暴力による復讐

政府機関で働いていたとき、通勤ラッシュでやってくる電車を見つめながら、
「駅のプラットフォームから飛び降りれば楽だろう」
と思いつつ見送ったことが何度かある。後年、その頃のことを思い出すたびに憎悪が増した。

暴力で黙らせることを妄想した。


2.法律による復讐

Tという女性をPTSDで訴えることを考えた。残念ながら私は深刻な鬱病にはならなかったけれども、精神科で、経験したことを訴え、それに今でも眠れないほど悔しい思いがすることを訴えれば、あるいはPTSDと認められるかもしれないと考えた。

彼女たちが私の悪口を言っていた、というのを訴えても「幻聴だ」「頭がおかしい」と突っぱねられるのを懸念して、彼女たちが紙などに残した証拠をゴミ箱からあさって保存しておいたから、証拠はあった。だから、裁判で勝てるのではないか、と考えたのだ。

ボスに対しては、打ち合わせのために経費として計上されている食事代のほとんどが愛人との食事代であることを税務署に訴えることとか、労働基準法違反の実態を労働基準監督署に訴えることなどを考えた。


3.将来の復讐

たとえば私が後年、ある程度の社会的地位に登った後に、彼らを社会的に抹殺する……そんな光景を夢見た。

なにかの表彰で私が壇上に上がり、そこに司会者が
「◯◯さんのかっての恩師がここに来ていらっしゃいます!」
と言って、スタッフがドッキリでボスを連れてこようものなら、壇上でこのボスがどれほどひどい人間か話した後、持っていた水を上からひっかけてやる……そんなシーンを妄想した。

あるいは、ある程度の社会的地位を得た上で、彼の取引先すべてに電話をして、
「この男、本性はどんな人間か知ってます? それなのに彼と取引しているんですか?」
と話して彼の信用を根こそぎ奪う、とか。



……こうしたことを考えていたが、今ではそうした気持ちはなくなった。それはなぜだろうか?

2014年8月26日火曜日

月間7万ページビューなので、まだ広告のことは考えていない……なんてね

文人商売というブログを書いている人が、「月50万PVいったので、そろそろ広告を考えてみる」という記事で8ヶ月で月間50万PVまでいったことを紹介している。

PVというのは「ページビュー」の略であり、何回、そのブログが閲覧されているのかを示しており、ブログの人気や実力を示す指標の一種となっている。

私のブログは2012年3月から開始して、ようやく月間PV数が7万から10万なので、彼我の差に少々、情けなくなる。

PVという指標は、ユニークユーザー数や訪問者数に比べると指標としての信頼性は低いと言われることが多い。同じ人が5記事をクリックして読んでも、異なる人5人が1記事ずつ読んでも、同じく5PVとカウントされるからだ。

ところがPVが指標として利用されるのは、アフィリエイトの収益額と相関関係があるからだ。乱暴に言えば、1人の人が5記事を読んで、そのうちに広告(このブログの上や右上などに貼り付けられているGoogle AdSenseの部分です)をクリックしてくれる確率と、5人の人の中でクリックを誰かがしてくれる確率はほぼ似たようなものだからだろう。

※ちなみに、このブログを読んだだけでは筆者の収益とならない。Google AdSenseの広告をクリックしないと筆者への利益とはならない。

つまり、私の月間のGoogleからの収益額は7,000円から8,000円ほどとなる。その計算は正しい。

毎日1時間以上ブログを書くのに費やしているので、仕事として考えるとまったく割に合わない。しかし、文章力上達のための機会として、あるいは、情報発信によって、書き手、読み手双方の考え方の整理に少しでも役立つ機会としてブログを書いているので、金銭面で割に合わない、というハードルはクリアしている。

ただ、問題は存在意義だ。多くの人に読んでもらえるということは、それだけ記事が誰かの役に立っている、ということだろう。その意味で、PV数が増えるのは、筆者にとって嬉しい。その上ちょっとした小遣いになることが、さらなるモチベーションの源泉となる。

冒頭で紹介した「文人商売」の筆者が、ではどうやってPVを増やしたのか。その理由は下記記事に詳しい。

★ 書籍化&30万PV達成したので、ブログのアクセス増やす具体的な方法を教える

ちなみに、これを参考に私が書いた記事が(そうです。私はなんでもすぐにやってみる質なんです)、こちらだ。

★ エヴァ映画を「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」も含めてランキング形式で紹介してみた

でも、これは思ったほどPV数はなかった。エヴァは、取り上げている記事が多すぎて、私の記事が埋もれてしまったのだろうと予測しているが、それにしてもひどかった。

私のブログの場合、まずは、タイトルと内容にもう一工夫が必要なのだろう。

もっと面白いと思ってもらえる記事を書いてみたい……。

そう考えて、いろいろと考えた末、明日からだけれども、記事を書くのを隔日にしてみようと思う(もちろん、書きたいネタがあれば、それに関わらず書いていくつもりだが)。

アウトプットも必要だが、インプットも必要だ。だが、今のペースでブログを書いていると、私にはインプットの時間が足りない。その時間を増やすことで、少しは内容はマシになるのではないだろうか……。

しばらく、隔日でブログを書いていきます。



2014年8月1日金曜日

ときには我慢が必要

江角マキコが数年前に、幼稚園のママ友からイジメに遭っていたことをブログで告白しています。

★ 人は人、自分は自分
なかなか想像力豊かな内容で今は笑えますけど、その時は露骨に無視をされたり、お茶会やランチ会をその噂を広めるために開かれたりとか
「違います!」と言いたいのを我慢して耐えました。
 子どもと一緒にいる時に無視をされたり、嫌味を言われたり、、、そんなときも必死で耐えました。
静かに耐えていると助けてくれる人ができ、人付き合いがシンプルになりました。
この人のキャラクター、もともと嫌いじゃなかったのですが、さらに少し、好きになりました。

狭いコミュニティーの中で嫌がらせを受けて、困っている人は多いでしょう。

私、社会人になって猛烈な嫌がらせを受けたことがあるので、その辛さは分かります。

イジメを受ける前は、考えていました。工夫をすれば解決できるとか、自分が悪くなくても敢えて謝ればいいとか、こちらから挨拶を毎日すれば相手の心もほぐれるとか、話しあえばなんとかなるとか。

でも、それは間違っていました。ボス的な人間の気に食わないと、あの手この手で嫌がらせを仕掛けてきます。そして、下手(したて)に出れば相手の嗜虐心に火をつけ、平気な顔をしていると嫌がらせがひどくなり、こちらが怒るとしらばっくれ、話し合いを求めても無視されるのです。

だから、江角さんが、
「違います!」と言いたいのを我慢して耐えました。
 子どもと一緒にいる時に無視をされたり、嫌味を言われたり、、、そんなときも必死で耐えました。
静かに耐えていると助けてくれる人ができ、人付き合いがシンプルになりました
と書いたのを読んで、納得するものがありました。


鳴くまでまとう ホトトギス

話は戦国時代に飛びます。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三傑の特徴を示す戯れ歌に、
  • 鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス……………………織田信長
  • 鳴かぬなら 鳴かしてみしょう ホトトギス………………豊臣秀吉
  • 鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス…………………徳川家康
というものがあります。私はその中では豊臣秀吉の言葉がとても好きです。才覚の限りを尽くして、鳴かせようと知恵の限りを尽くす秀吉の積極性に好意を持てるからです。

ところが、秀吉がどれほど才覚の限りを尽くしても、一番のライバルである家康を、ついぞ殺すことはできませんでした。

最終的に幕府をひらき、250年以上の安定政権を築いたのは家康でした。家康が秀吉よりも長生きしたために、時間が味方したのです。

考えれば、家康の前半生は苦悩の連続。人質時代、信長の傀儡として戦い続けた壮年時代。その中を家康は我慢を重ねて、耐え忍び、天下人として一生を終えることが出来ました。

彼の言葉に、
「人の一生は 重荷を負うて、遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」
というものがありますが、その言葉通り、重荷を背負った旅も、いつかは荷を下ろす終わりがあるものです。


高名な人間ですらときに冷や飯を食う

無論、我慢すれば乗り越えられるというものではありません。質の悪い人間は、何年でも嫌がらせを続けます。

江角さんがそれを乗り越えられたのは、彼女が女優として認められた確固とした地位を築いていたからでしょう。

家康が信長の高圧的な命令をこなし、秀吉の猛攻を耐えしのげたのも、「犬のように忠実」と言われた三河武士団を彼が抱えていたからでした。

我慢をするためには、それなりの条件があることに、ご注意。耐え忍ぶ根城がないならば、そこで我慢をしていても、獲物となるだけです。そのときは逃げなければ。人間がハイエナの群れの中で生活する必要なんてないのですから。

ただ、実力のある人間がたまたま冷や飯を食らう羽目に陥ることがあります。そのときは感情を爆発させることよりも、じっと我慢を決め込む方が、長い目で見るといい結果をもたらすことが多いものです。

女優として高名な江角さんですら、嫌がらせを受けることがあるということ。
彼女はこの件ならず、いろいろな場面で、耐え忍び、つらい時期を乗り切っていることが多いこと。
そしてそれは多くの場合、成功していること。

彼女の告白は、いろいろな示唆を与えてくれました。

2014年7月31日木曜日

いつも何かの問題が現れる人

先日、
「なぜかプロジェクトの直前にもめ事が起こってご破算になることが多い」
という人の愚痴が書かれているブログを読んだ。

大口の契約が取れそうな時に限って、親が病気になったりといった身辺のゴタゴタがあったり、転職のいい話がある時に限って上司から大変な案件の仕事を割り振られたりするのだという。

よくあることだ。

ただ、物事が必ずうまくいかない人たちには、なにかしら共通の問題を抱えていることが多いものである。

「計画を立てて実行しようとしたら、必ず問題が起こる」
という友人が以前いた。

「これをしたいと思っていろいろと下準備をするんだけれども、その直前に必ず何か問題が起こるんだよね」
と笑って話すのを聞いて、最初は不運だと思っていたけれども、次第にその人自身に問題があるのではないかと思うようになった。

計画に余裕がない

この手の人の計画を見ると、必ずギチギチに積めた計画表を見せられる。週末の休みにも予定がぎっしりと詰まり、一日の計画にも余裕がない。

計画を立てる前には遊んでいたのだから、もっとそう急に予定を変えられないと思うのだが、
「計画を立てるうちに、時間がないことに気がついた。これから予定日までは休みなしでいく」
と宣言する。そして失敗する。

だいたい人生なんて、先になにが起こるか分からないものだ。事件の連続、障害の連続なのである。予定の直前に問題が生じて実行できない人のほとんどは、それ以前に無理に無理を重ねている。

だから直前時期に生じた問題の前で撃沈する。

逆算しない

目標を立てて逆算して考えるのではなく、ものごとを始めてから方法を考えてしまう。

計画を実行する間には、いろいろなことが起こるものだけれども、目標を念頭に置いていれば、多少わき道に逸れても再び元の道に戻れる。

ところが目標が常にぐらぐらしていると、方向を見失っているから、大きな障害が現れるととたんに方向感覚を失ってしまう。方向感覚を失う人は、普段から方向のことを考えていない人である。

目標を達成する段階にない

「直前にあれがなければ・・・・・・」
と後悔する人の能力は、たいていギリギリであることが多い。

余裕があれば、直前期の多少の困難は乗り越えられるものだが、能力が低いとちょっとした困難が大きなハードルに見えてしまう。

でも、そもそもそのハードルが直前期ではなくて、道半ばにあったとしても、挫折していただろう。

自分の能力が劣っているということを認めることはとてもつらい。しかし、それを認めることから、努力が始まる。行動が始まるのだが。

覚悟がない

「絶対にこれを実行する!」
という強い信念を持っていない人が多い。

信念がないから続けられないのに、それを何かの障害のせいにする。言い訳しやすいからだろう。

いつも何かの問題が現れようと何があろうとも、やり遂げられればなんの問題もない。
「それでもこの問題を解決してやる!」
という堅い決意を持っていれば、たいてい問題は解決できる。

直前に揉め事が起こってご破産になる、という人は、揉め事が起ころうが何があろうが、必ず実行してやる、という強い決意を持っていないことが多いように見受けられる。

2014年7月24日木曜日

電子書籍を出版するのに便利なサイト

ご存知の人はあまり多くないと思うけれども、私は昨年Amazonから、電子書籍を出版した。

あれからすでに半年以上。月日が経つのは早い。早く次回作を書かねばならぬ。

昨日、急にそう思い立ち、電子書籍を作るにあたって前回参考にしたサイトを再び見なおしている。ある程度ブックマークしておいたけれども、段々ブックマークしている他のサイトが多くなってきた。このブログにリンク集としてまとめておこうと思う。

本日のこの記事は、今後電子書籍を出版しようと思っている人にとって参考になるだろう。




まずは、私の尊敬する底辺氏のブログより。

★ 電子書籍―無限の地平はみな底辺
上記の記事は、読み物として単純に面白い。電子書籍とはなんぞや? とか、電子書籍を出版する意義について、述べている。ぜひ、お読みいただきたい。

ちなみに、冒頭に掲げた図は、私が底辺氏に、
「上記のような帯をつけて、電子書籍を販売させて欲しい」
と依頼した際に私が作ってみたサンプル画像。

もちろん、謝礼をお支払いすることを条件に底辺氏に依頼をしたのだが、底辺氏からは謝絶とその理由を書いた大変丁寧なメールを頂戴したため、企画は没になった。

どのような理由だったのかは、内緒。情にあふれたメールだった。




★ Kindleダイレクトパブリッシングで電子書籍を出版するときの注意点まとめ
電子書籍の出版を視野に入れている人は、この記事を読めばいい。電子書籍出版において、必要な知識がほとんど網羅されているからだ。
  • 大まかな作業の流れはどんななの?
  • 適切な文章量や価格は?
  • 縦書きで書く時の注意点
  • 表紙画像を作るときの注意点
  • 便利すぎて神! でんでんコンバーター
  • Kindleプレビューツールで実際の見た目を確認
  • iPhoneやKindle Paperwhite実機で確認するときの注意点
  • 米国での源泉徴収税の免除手続き時の注意点
  • Kindleへのデータ登録時の注意点
  • ブログの電子書籍化は漏れなく審査に引っかかる
  • 公開案内メールのURLが違う
  • 公開された後での注意点
これを読めば、すぐにでも電子書籍が出版できると言っても過言ではない。




★ KDPの売上にかかる米国所得税を回避するための具体的手順
電子書籍をいざ出版するときになって、米国納税者番号を取得していなくて慌てる人は絶対に多いはずだ。

アマゾンで出版するということは、アメリカで電子書籍を出版するということ。アメリカの所得税も、課税される。

どういうことか?

上記の「Kindleダイレクトパブリッシングで電子書籍を出版するときの注意点まとめ」でも注意されている通り、なにもしないままだと、アメリカと日本で重複課税されるのだ。

それを避けるための方法を述べるものの中では、上の記事が一番私にってはわかりやすかった。

電子書籍を出版するかどうか迷っているみなさん、書き始める前に、下記の記事などを参考にして、まず米国納税者番号を取得するべし。取得には時間がかかる。いざ出版しようとして出鼻がくじかれる。それを避けねばならない。
★ EIN(米国納税者番号)を取得する手順について




もしかすると、今ではシステムが変わっているかもしれない。とりあえず、Amazonにいろいろな登録をする際に、当時、上記の記事が大変役に立ったので、記録。




本は宣伝しないと売れない。宣伝するための方法がここにある。

私はここまでやらなかったけれども、底辺氏のブログなどを参考に、いろいろと策を弄した結果、下記の通り、Kindle本のいくつかの分野で売上一位になった。




★ キンドル・ダイレクト・パブリッシング体験記録
私と同じ頃、ちきりんも電子書籍を作っていたので、嬉しかったのでブックマーク。