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2015年2月16日月曜日

サイコパスは軽口のなかでも真実を明かさない

岡田斗司夫がサイコパスであることは明白なんじゃないかと思っている。

ウィキペディアによれば、犯罪心理学者のロバート・D・ヘアはサイコパスを以下のように定義している。それが岡田斗司夫にどう当てはまるかも書いてみた。
  • 良心が異常に欠如している……文章盗用や不倫騒動など
  • 他者に冷淡で共感しない………捨てた女への態度
  • 慢性的に平然と嘘をつく………岡田斗司夫の普段の行動のとおり
  • 行動に対する責任が全く取れない……美容手術ドタキャン騒動の放置
  • 罪悪感が皆無……罪を問われても言い逃れするばかり。
  • 自尊心が過大で自己中心的……彼のいつも態度
  • 口が達者で表面は魅力的……彼の特徴そのもの
「別の言い方をすると、他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う」
とか、他にも「 乱交的な性関係」だとか「寄生虫的な生活様式」だとか、岡田斗司夫の特徴そのものがサイコパスの特徴としてずばり書いている。

岡田斗司夫がサイコパスでなければ何なのか? という話だ。

似たような人間として有名なのが田中真紀子氏だろうか。彼女も平気で嘘をつき、口が達者で表面は魅力的であり、それでいながらお手伝いさんの女性を素っ裸で母屋の階段を昇り降りさせたり、雨の中、玉砂利の上で正座させて謝まらされた、などの過去が週刊誌で暴露されていた。報道のとおりならば、彼女も典型的なサイコパスと言える。

さて、岡田斗司夫と田中真紀子の二人には、似たような名言がある。岡田氏の名言はネット上の動画での軽口的な応答から。田中氏の名言は、身近に人に叩いた軽口が漏れ聞こえてきたものから。

「俺は、俺以外の人間はすべて犬とか虫に見える。それが人生観」……岡田斗司夫
「人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」……田中真紀子

私はこれまで、彼らのこのセリフは軽口だからこそ彼らの本心を表していると思っていた。だが、前回の記事を書くうちに、どうやら違うな、と考え始めている。彼らにとっては、それ以外の人間がいるのに、それを慎重に隠しているだけなんじゃないのか、と。

岡田斗司夫の場合は、高須克弥がそれにあたる。彼は岡田氏にとって虫けらだろうか? 謝罪の慌てぶりからすれば、決してそうは思えない。虫けら相手にあれほど真摯な対応をするだろうか? 彼が評論家の竹熊健太郎相手に見せた態度とは雲泥の差ではないか。

違うね。虫けら以外の人間だと思っているから、彼は異なる対応を取るのである。

それでは、「俺以外の人間はすべて犬とか虫に見える」という言葉には嘘が混じっているのだろうか? たぶん、そうだ。

私はかつて、サイコパスだろうと思われる上司の下で働いていたことは、このブログを以前から読んで頂いていた方はすでにご存知かもしれない。初めての方に改めて説明すると、彼は学生時代に暴力沙汰で警察の世話になったことを自慢していたり、愛人を10人近く常に抱えていたり、複数回の離婚歴があったり、部下をしょっちゅう殴りつけたり(私も被害にあった)、部下を鬱病で自殺未遂に追い込んだりと、「現実的で長期的な計画の欠如」以外のサイコパスの特徴をすべて兼ね備えているという人物だった(それに典型的な嘘つきだったしね)。

で、だ。

彼の行動を間近でみてきて面白かったのは、彼は利益のためならば、いくらでも下手に出ることが出来る人間でもあった。決して自己中心一辺倒ではなく、上下関係を一見、尊重するふりをするのだ。とはいえ、体育会系の上下関係とは明らかに異なっていた。

面倒見がいい人間、自分が取り行って得になる人間には徹底的に尽くす。その中でも自分をかわいがってくれる相手には常に平身低頭、どんなお願いでも聞いた。特に、権力を振りかざす、敵に回すと怖いタイプの人間との相性が抜群によくて、下手すりゃ夜のお供までしたんじゃないか? というくらい、卑屈になることが出来た。

ところが地位が上の人間でも、公平な人間や力のない人間に対しては、
「あいつは情がない人間だ」
とか、
「彼には挨拶だけしていればいい。そこそこつきあってりゃいいんだ」
と言って、敬意を払うふりをするだけ。彼にとっては、自分をかわいがってくれる人間だけが「情のある人間」であり、利用価値の無い人間を敬うことなど、考えられもしなかった。

この、「利用価値のある人間」や「敵に回すと怖い人間」へ極端に卑屈になるという特徴は、サイコパスの診断表にはまったく出てこないが、サイコパスの特徴の一つとして加えてもいいんじゃないだろうか。

ところが彼らは、自分よりも上の人間が存在する、ということを認めたがらず知られないようにしたがる。
「俺が一番」
「他の奴らは無能」
と威張るのが好きで、自己中心的だから、なによりも自分を敬ってほしい、崇め奉ってほしいと思っているから、「利用価値があって逆らってはいけない上位者」がいる、という事実を認めたがらない。口にしたくない。だから軽口で漏らした人間分類ですら、それを含めないのだ。

それで済むのは、自尊心のある人間ならば、岡田斗司夫が「自分以外はみんな虫」と公言しようが、自分のことを虫けらとは思っていないからだろうか。
「ああ、彼も馬鹿なことを言っているな」
としか思わず、岡田氏が自分のことを馬鹿にしていると考えて怒ることもない。

逆に独裁者タイプの人間にしてみると、他人には傍若無人な人間が自分にだけ擦り寄ると、
「他人には威張っているくせに、俺にはなつきやがって。うい奴じゃ」
と思って逆に可愛いと感じるんじゃないだろうか(気持ち悪いけれども)。

話を整理しよう。
  • サイコパスは、人間を(田中真紀子の分類法を利用するならば)「敵」「家族(または愛人)」「奴隷」の三種類に分類すると公言することがある。
  • しかしもう一つ「利用価値のある上位者」という分類があるが、そのことを公言しない。
  • 周りの人間には自分だけに注目して欲しいのと、上位者に「利用価値があるから媚びへつらっている」とバレるのが怖いからだ。
  • よって周囲は、この手の人間の「自分以外はみんな虫」という言葉を信用しない方がいい。それ以外の分類があることを隠しているだけだから。基本、彼の言葉には嘘が塗り込められていると疑ってかかった方がいい。
ということである。

それと、もう一つ悟ったことがあるが、これもテーマが異なるので別記事にして明後日辺りにアップしようと思う。






2015年2月15日日曜日

岡田斗司夫はなぜ高須克也氏には謝ったのか?

評論家の岡田斗司夫が、一時期ダイエットに成功してバラエティー番組にひっぱりだこになっていたことを覚えていらっしゃる方は多いはずだ。

ただ、ダイエットにはリバウンドの危険性が常に付いて回る(岡田氏も後でリバウンドした)。

ダイエット成功発表直後の2008年に、たまたま雑誌の企画で対談した美容外科医の高須克弥はそれを見越して、
「この際だから肥満再発予防のため、脂肪細胞を吸引してしまおう」
と岡田に提案したらしい。しかし岡田斗司夫は一度受けたその話を手術前になってドタキャンした、という事件があったらしい。

それが今頃になって明らかとなったのは、最近カネに困った岡田が、高須医師に借金の無心をしたために高須医師が怒りを爆発させて数年前のこの件を週刊誌で暴露したからだ。

★ 高須院長が激怒!「岡田斗司夫が金銭的援助を求めてきた」
高須:そう、あり得ないよね。よし、そのメッセージを見せてあげよう!(スマートフォンでフェイスブックを開き、岡田斗司夫氏からのメッセージを見せる高須院長)今回の女性問題で、岡田斗司夫が作ってた女性の格付けリストがネットに流れたでしょ。女性たちのために、それを削除したいってことらしくて。弁護士費用がかかるから、数百万円を援助してくれないか、という内容なんだよ。
「数百万円の貯金もないのか?!」
という批判の声がネット上で飛び交っているけれども、その批判に私は与しない。岡田氏が借金でここを乗り越えようとする気持ちは不思議ではないからだ。

仮にもあれだけの著作をヒットさせている男だ。数百万円の貯金は当然あるだろう。しかし、イレギュラーな高額出費のために貯金を切り崩してはならない、と判断したが故の行動だろうし、その判断は正しい。

借金をしてでも貯金に手を出さない、というのはカネを貯める人間にとっての鉄則だ。これは貯金の不思議な性質であり、詳しくは藤田田の著作「ユダヤの商法―世界経済を動かす (ワニの本 197) 」などに書かれているので、ご興味のある方は読んでみられてはどうだろう。それに財務的には、手元に自由になる現金が常にあることも重要。キャッシュフロー経営という言葉でお調べになれば、なぜそれが大切かがお分かりになるだろう。

ただ、この状況で、自分が以前迷惑をかけた人間に借金を申し込むという行動を理解するのは難しいだろう。しかしよくよく考えてもらえれば、極めて彼らしいと言えるはずだ。

彼は身勝手な人間で自分のことしか考えない。当然今、謝罪することが自分にとって有利だからそうするのだろう。そしてどん底の状態こそ、多くの人と和解するチャンスなのは間違いない。というのも、それは卑屈になれる数少ないチャンスだからだ。

怒らせた相手に謝罪するのは、不必要なリスクを抱え込まないためにも必要な行為だが、謝罪をするには下手に出なければならない。ところが岡田斗司夫という男はたいへんプライドが高い。たとえ自分に非があろうとも、相手に媚びたり卑屈な態度を取ったりすることは我慢できない。これまでもなんとかして言い逃れようとしてきた。

しかし、損得勘定に長けた男だから、カネのためだったら卑屈になれる。そしてそのことを、
「利益のために卑屈になるのは心が位負けらしているのではないから、いくらでも頭を下げる。そんな自分は他人から見ればカッコいい」
とでも考えているんだろう。

この手の傍若無人な人間は、「気にしない」と強がりながら実は人一倍外面を気にする。だから自分が他人に謝罪することで、自分が謝罪した相手よりも下に見られることに我慢できない。この手の男は、人間関係を上下関係でしかとらえないから、自分が他人よりも下の人間だと思われることをはなはだしく嫌う。

ところが現在四面楚歌、窮状にいることは誰しも認めるところだから、謝罪したことが世間に後日バレても、暴落した自分の株は、下げ止まりしていてこれ以上下がらないと踏んだのだろう。

それに、謝罪した相手よりも格が下だからなのか、窮状のせいなのか、それとも借金のために頭を下げたのか、世間は判断できまい、とも考えたのだろう。

様々な計算が働いた結果、高須医師に借金の申し出をしたのだろうが、いかんせん相手が悪かった。高須医師は全て見抜いた上で、岡田氏のメールを先に世間に暴露してしまったのだから。

私信の公開は違法だから、高須医師もずいぶんとリスクの高い行動をとっている。岡田氏が訴えれば高須医師にとってはダメージだろう。しかし岡田氏は訴えまい。訴えれば余計に自分の首をしめることになるからだ。非のある人間が居直るのを許すほど、世間は甘くない。

親告罪だから岡田氏が訴えなければ高須氏の罪を問われることはない。世間的には私信の公開はそれほどの罪だとは思われていないし(だから世間ではメールを平気でネット上で公開している人が多い)、高須氏はオープンな人間で、私信の公開を批判しながら陰口を叩いてきたエセ評論家とは異なるから、高須氏が責められることもなかろう。

そこまで見越しての高須医師の行動だったのだろうが、さすがだね。お見事である。

それに対して岡田氏、早々白旗を上げた。

★ 高須 克弥さま  お詫びと、経緯説明を申し上げます。(岡田氏のFacebookより)
その時に、すぐに僕から直に高須先生に謝罪すべきでした。しかし、後藤氏より「岡田さんが謝ると、人間味がないのでますますこじれる」と遠回しに言われ、自分でもそんな気がしたので、お任せしてしまいました。
編集さんの影にコソコソ隠れたりせず、まず、キャンセルを自分でも伝えればよかったと、今でも後悔しています。
その後、トラブルになっていると聞いたときも、編集さんに任せるだけでは無く、自分なりに誠意をもって謝るべきだった、と痛感しています。
ずいぶん殊勝じゃないか、と面食らった。乱交暴露騒動のあとの公開の場で、
「俺は、俺以外の人間はすべて犬とか虫に見える。それが人生観」
と言い放ったり、竹熊健太郎氏の盗作疑惑批判に対して、
「それが竹熊さんのあつかましいところでさ、あの当時、マンガファンみんな知ってたことじゃん。『オタク学入門』に全く新しい知見なんかないんだよ。」
「今更言うところも含めて、竹熊さんちっちぇえ」
と軽侮してみせた岡田氏と同一人物とはとても思えない。

何なんだろうね? この人……とつらつらと考えているうちに分かったことがある。この手の詐欺師の言葉に、誰もが左右されていたという事実だ。

記事が長くなったので、詳しいことは次の記事で書こう。普段は隔日連載だが、ひとつづきの記事は間を空けない方がいいから、明日記事を書こうと思う。

2015年2月13日金曜日

バレンタインデーで男からチョコを貰うことが普通になるかも

2/14はバレンタインデーだ。女性が思っている以上に、男性はチョコレートをもらうと嬉しいものだ。義理であってもぜひ、お近くの男性にチョコを渡していただきたいと思う。

別に意中の女性や絶世の美女からでなくとも、異性から好まれているというだけで私は嬉しい気持ちになるし、たいていの男性はそうだろう。

とはいえ、なかには偏狭な男性もいるのはたしかだ。好きでもない女性、気に入らない女性からチョコレートをもらうことを嫌がり、それを露骨に顔に出す男もいる。性格が悪い奴らで、まともじゃない、と思う。

……とはいえ、そういう自分は果たしてまともだろうか? と下記の記事を読んで考えた。

★ 同性カップルに結婚相当証明書 東京・渋谷区
東京・渋谷区は、同性のカップルに「結婚に相当する関係」と認める証明書を発行する新たな条例案をまとめ、来月の区議会に提出することになりました。
区は証明書を持つカップルを結婚と同等に扱うよう区内の事業者などに求める方針で、条例が成立すれば全国でも例がないということです。
同性愛を異性愛と同じように認め祝福するのが欧米先進国のトレンドだ。同じ文明圏に属する日本でも、これがやがてスタンダードになるのだろう。

さて、そのときに、たとえばバレンタインデーで、私が男性からチョコレートをおおっぴらにもらうことが数年後には当たり前になるのかもしれない。そう考えたときに、正直生理的な嫌悪感を感じた。ホモからチョコレートをもらうなんて!

ふいに、昔観た映画を思い出した。

あれはテレビドラマだったかもしれない。

アメリカの白人老夫婦の偏見がテーマだ。彼らは今でも人種差別を当然と思う、古い南部の田舎町に住んでいる。同じような価値観を持つ老人同士で意気軒昂に黒人差別で盛り上がる。現実に彼らが黒人を侮辱する行為に出ることはない。その場所はあまりに田舎なので黒人がいなかったため、それが通用していただけなのだ。ところがとうとうこの街にも黒人が移住してくるようになった。

そこで悲喜劇が起こるのだが、主人公である老夫婦も、やむを得ず黒人とつき合わざるを得なくなる。そしてある事件(なんだったか忘れた)をきっかけに、夫は黒人差別が間違っていることを悟る、というストーリーだ。

ところが、白人夫婦の改心で終わらないところが、この映画の良さだった。最後が秀逸だった。

夫の価値観の変化に戸惑いながら、「夫に妻は従うもの」という古い価値観にしたがい、妻は今度は黒人差別を一切口に出さなくなる。そして黒人に寛容であるようふるまおうと努力する。ところが、最後になってそれがどうしてもできず、彼女は涙を流しながら訴えるのだ。
「黒人差別が間違っていることは頭では分かっているの。でも、生理的に無理なの!」

……

よく、
「嫌なものは嫌なの!」
と自分の感情を変えないことを正当化し、感情を抑えることに徹底的に反対する人々がいる(女性に多い)。上記の白人の老婦人もそうだったのだろう。しかし、この生理的な嫌悪感や感情がどれほど純粋なものであろうとも、正しくないものは正しくない。

キアヌ・リーブスが、かつて、
「あなたは同性愛者ですか?」
と尋ねられたときにこう返したという。
「僕がその噂を否定するのは簡単だ。けれどそんなことをすれば
僕はゲイやバイセクシャルの人間であると思われたくないということになるだろう? 
それはひとつの差別意識の表れだよね。

ゲイだと思うなんて酷い、バイセクシャルの人間だと決めつけるなんて失礼だ
とそんな風に考えること自体が、実はひどく差別的なんだから。

セクシャリティにかかわらず、僕は僕だよ。
僕の俳優としての評価は、セクシャリティとは無関係だ。

だからその質問に対する答えはたった一つ、『ノーコメント』だよ」
これを2ちゃんねるで読んだときにカッコイイな、と思ったが、これからはこれを私達の公式な態度にしなければならないのだろう。同性愛への嫌悪感を示すこと自体、恥ずかしい行為だと認識して、決して口にせず、差別の輪に加わらないような態度だ。

キアヌは差別意識すら否定したが、生理的な嫌悪感、嫌だと思う感情を持つことまでも禁止するのはもはや自由意志の否定だと思うからそれには反対だ。しかし、それを外に出すことが許されない時代は、すぐそこまで来ている。

それに対応できない人間は、セクハラで捕まる老年オヤジのような末路を、これから数年後に迎えるのではないだろうか。そして、差別意識を有したままで態度だけを改めようとしても滲み出てくるのを止めるのは至難のわざだから、それなら意識を変えた方が手っ取り早い。

バレンタインデーでチョコレートを男からもらうことを想像して、生理的な嫌悪感を抱いている男性諸氏は、今のうちから自分を訓練しておいた方がいいかもしれない。

少しずつ自分を変えていき、同性愛者をからかうジョークの輪から一歩身を引き、嫌悪感を外に表さない訓練を少しずつ続けるのだ。

数年経てば、行動が変わり、やがて感情が変わる。生理的嫌悪感を抱くことはなくなるだろう。男性からチョコレートをもらっても、ただ、
「ありがとうね」
と言って笑って感謝することが、自然に出来るようになるのではないか。


2015年2月11日水曜日

ブログを書く効用


「なぜブログを書くのか」
と問われることがある。

承認欲求だとか、アフィリエイトによる利益の追求だとか、人的交流の機会追求だとか、人によっていろいろな理由があるだろう。いや、むしろ理由は一つではなく、複数あることが多いだろう。

かくいう私も、自信のある記事を書いてPVが増えれば嬉しいと思うし、それによってGoogleから多少の小遣い銭が入れば別の意味で嬉しい。それに、このブログを書いたことで増えた友人もいるから、それも楽しい。

いろいろな効用があるが、最近、これももう一つの効用だと思ったのが、
「思考がスピーディーに、論理的になる」
というものだ。それを最近実感して、ブログを書いていてよかった、としみじみ思った。

どういうことか。

私のブログ記事は、よくいらっしゃる方はご存知かもしれないが、案外長い。一記事3000字以上書く、と決めていた時期もあって、それを毎日続けて書いたこともあった。訪問者の方も当時は読むのがしんどかっただろうと、深く反省している。

ところが長文を毎日、あるいは隔日でもいい、定期的に更新していると、ある時期から思考が良い方向に変化したことにふいに気がついた。

どういうことか。

通常人間の思考は、それほど論理的ではない。いや、論理的だがそれを意識することがない、と言い換えるべきかもしれない。

具体的に説明すると、たとえば今まで野球の話を興味深く聞いて、野球の話題も自分から振っていたいような人が、突然、
「俺は野球なんて嫌いだ!」
と怒るようなことがあったとする。

当然怒られた相手は驚く。そして、野球が嫌いだと怒りだした人のことを、
「この人は感情的だ」
と思うだろう。そして、怒った人が自分自身、なぜ怒ったのかを説明できないと、
「あの人は気分屋だ、論理的じゃない」
と周囲から評価されてしまうだろう。

ところが、
「自分は野球が好きだが、それとは別に、不倫という行動が大嫌いだ。ところが今度、不倫相手の女性を殴ったことをメディアで暴露された大久保博元が東北楽天監督となった。それを許すことはできず、大久保の監督就任を許した野球界に絶望した。だから俺は野球を嫌いになった。今は聞くだけで嫌なんだ」
と説明されれば、それに共感できるかどうかは別として、聞かされた方は、
「なるほど」
と納得するだろう。

問題は、こうした思考が普段は無意識下で行われているために、意識できず、意識できないから論理的に説明しづらい、ということだ。

野球が突然嫌になったのは、数日前に聞いた大久保博元の楽天監督就任が影響しているのだけれども、そのことを思い出せず、まさかそれだけの理由で、野球自体がイヤになるほど自分が狭量だったとも自覚していないと、なぜ自分が、突然野球の話を聞くことが嫌いになったのか説明できないだろう。

よく「論理的ではない」と言われる人間の行動や発言には、必ず論理がある。無意識下の複雑な論理が重なった結果、予想外の行動、普段と異なる発言を行なうのだが、それを自覚できないだけなのだ。

ときにはそれは脳の病理によるものかもしれないが、それも、「脳の病理のため」という理由が背後にある。

人間行動にかぎらないだろう。

物事すべての事象には、必ず論理がある。隠されているために読み取れないか、複雑なあまりに論理をたどることができないだけなのだ。それを筋道立てた理屈で説明できる人間が「論理的」と言われるようになるのだ。

そして、日々の行動、思考などを文章化しようとすると、人は論理的になる。

自宅の日記帳にでも書けばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、日記は自分に甘くなる。自分しか読まないために、多少論理に整合性がなくとも、不正確でも、論理となる部品の一部が見つからなくとも、
「まあ、いいか」
で済ませてしまうことが多くなる。人間は不精な性格だから、思考の深堀を怠ってしまう。

インターネット上に公開されるブログはそうはいかない。他人に読んで理解してもらうためには理屈を文章につけなければならない。もしもとりとめのない思考をそのまま公表すれば、
「この人、馬鹿だな」
「この人、頭がおかしいんじゃないの?」
と思われてしまうだろう。

他人にまともな人間だと思ってほしいとか、馬鹿とは思われなくない、という自意識が、整合性のある文章を書かせる。「他人に理解してもらいたい」という欲求は、一人で日記に書いていた時には湧きにくい感情だろう。これが大切なのだ。

過剰な自意識は愚劣だと一蹴されがちだが、愚劣な感情には根深く強いエネルギーがある。このエネルギーを利用しない手はなかろう。

そして、論理的な文章を書くことを定期的に続けることで、思考はスピーディーになる。

毎日は暇な時ばかりではなく、急いでブログを書かねばならないこともあるだろう。あと1時間で日が変わってしまうことを恐れながら、時計を気にしながら記事を更新するときもあるだろう。いや、そんなときばかりだ。人生ヒマじゃない。

言わば強制的に、思考を高速に回転する訓練を自らに課しているようなものだ。それをPVやアフィリエイトが応援してくれる。

その繰り返しが重なり、それが数年続いたときに、ふと、自分の思考がクリアになり、合理的になり、スピーディーになり、無意識の行動に説明をつけられるようになった自分に気づくのだ。

私はバカかもしれないが、ブログを書く数年前に比べれば、自分の頭が確実に整理され、改善されたと断言できる。

これもまた、ブログを書く効用の一つではないか。

脳トレブームに見る如く、思考力を伸ばしたい、高めたいという欲求を持つ人はこの世に大勢いる。高齢化社会、ボケを防止したいと思っていらっしゃる老年の方々も多いはずだ。そんな人は、ある程度の量の記事をブログに毎日書いてみるといいのではないか。自己の成長という点で、数年後に必ず、良かったと思えるはずだ。





2015年2月1日日曜日

小保方春子はリケジョじゃない

最近、また小保方晴子の周辺が騒がしくなってきましたね。

★ 小保方晴子さんを思わせるキャラクターをゲームに使用、スクエニが謝罪

★ 窃盗容疑で小保方晴子氏を刑事告発へ
STAP細胞を開発したとする論文で研究不正が認定され、先月に理化学研究所を依願退職した小保方晴子氏(31)が、窃盗容疑で刑事告発されることになった。
★ 小保方氏と理研「暴露本」で密約?
騒動の幕引きを急ぐかのような経緯からは、理研の体質が垣間見える。内部関係者の話。
「あれだけのスキャンダルを起こしておきながら、組織の長である野依良治理事長がそのまま居座っているのが、いい例だ。理研は一日も早く騒動のマイナスイメージを払拭し“何もなかった”状態に戻したいと考えているのです」

昨年あれだけ世間を騒がせ、いったん収束したかとおもいきや、ふたたびニュースとなるのは、それだけ小保方晴子のキャラが魅力的だったからでしょう。

一見清楚、お嬢様。スタイルも容姿も美しい。その上科学の大天才。ハーバード大学で研究員を務めたのち、日本最高峰の研究所「理研」に所属しながら、「万能細胞を簡単に作れる」という画期的な論文を、世界的な科学誌『ネイチャー』に掲載。

しかしその実態は、大勢の科学者たちを手玉にとって国際的な地位を着々と築いた悪女。ある男は死に、ある男は人生を狂わされた。しかし女自身は決してつかまらず、逃げ続ける……。

これ、完全にアニメやライトノベルのキャラ設定ですよね。そしてたぶん、「設定を詰め込み過ぎです」「リアリティーがなさすぎます」と編集者に怒られるパターン。でも、本当にこんな人物が実在しているのですから、いやはや、事実は小説よりも奇なり、です。

昨年私も、彼女についていくつか記事を書きました。

★ 小保方捏造論文捏造疑惑は上質のミステリー
★ 小保方晴子の記者会見を観た
★ 小保方さん側弁護士は、わざと不利な情報を公表しているのではないか

それだけ魅力を感じたからでしたが、さて、再び最近のニュースで彼女についてふと思いついたのが、
「彼女は本当は理系ではなく文系だったのではないか?」
という疑惑です。

彼女は理系女子、通称「リケジョ」と言われ、当初は理系女子の出世株と目されていたのは衆知のとおりです。その株は後で暴落しましたが。

「理系の女の子の取扱説明書」によれば、リケジョには三つの特徴があるそうです。
  • プライドが高い
  • 子供の頃にいじめられたことがある
  • 議論が好き 
でも、小保方さん、そのどれにも当てはまりそうにありません。天然ぽくていじめられるタイプではなく、議論も下手でしょう。理系女子にありがちなプライドとは、少々無縁のように思います。

思えば彼女の言葉は、やけに文学的でした。STAP細胞のことを「王子がキスして目覚めるプリンセス細胞」と言ったり、週刊誌の記者が彼女に問い詰めたところ、「私が死んでも、STAPの現象は起こります」と答えたり、STAP細胞の再現実験に参加する際に、「生き別れた息子を早く捜しに行きたい」と答えたり……。

人間を理系と文系に分ける基準は思考のフレームにある、という説を聞いたことがあります。

理系はものごとを論理的に把握して、論理的に説明します。論理とは共通認識の積み重ねの末に、新しい事実を納得させるという技法です。たとえば、彼に浮気をしてはいけないことを説明するのに、
  1. 浮気をされると嫌だよね(←そうだな。俺は嫌だな)
  2. あなたは私を大切にしたい、私の嫌なことはしたくないって誓ったよね(←そうだ。君の嫌がることはしたくない)
  3. 浮気されることは私の嫌なことなの。だから浮気はやめて(←わかった)
と説得するのが論理的な説得方法。

それに対して、文系は、イメージをふくらませて、感情に訴えて説得するのだそうです。
「浮気をされたら、私は多分自分の心臓をえぐりだして死んでしまうかもしれない。大切なあなたに浮気をされたら、何も信じられなくて、自分が惨めになって、この世界にはいられないと思う。それほどつらいと思う……」
とかね。当然、思考もイメージ。頭の中にはさまざまなイメージがフラッシュのようにパッパッと沸き起こり、あるいはポロックの絵画のように、イメージや感情がうねりをともないながら渦巻いています。

その分類方法でいけば、小保方晴子は明らかに文系女子。論理的な積み重ねよりもイメージでものごとを考えるタイプの女性でしょう。

人間は異なるタイプの人間の話を面白がる性癖がありますから、理系の園に迷い込んだ文系女子に、研究者たちが魅力を感じて彼女に惚れ込んだのも、理解できなくもありません。


2015年1月18日日曜日

米田哲也など野球のレジェンドはなぜ老害となるのか?

野球界の伝説の名投手たちがあつまって、座談会が開かれましたが、そのタイトルがなかなか刺激的です。

★ 球界勝利数トップ3「投げすぎで投手の肩は壊れぬ」で意見一致

いずれも投手として一流で、しかも1日300球を平気で投げ、身体を壊すことなく引退したものですから、最近の投手に無理をさせない風潮が、歯がゆくて仕方がないようです。
──故障しなかったのは投げ込んだから?

小山:そう。投げすぎで壊れるわけがない。実際日本で一番投げている我々は壊れてない。そしてそれ以前に大事なのは、カネさんじゃないけど、投げ込める体を作るために走ったから。プロに入ってからはとにかく「走れ走れ」「投げろ投げろ」でしたね。これは財産になったと思う。
不思議な話です。彼らの同時代にも、杉浦忠や稲尾和久、権藤博といった、肩を酷使しして引退していった名投手たちが数多くいました。彼らのことを、金田正一、米田哲也、小山正明のお三方は覚えていないのでしょうか?

ちなみに、上記の座談会で小山氏が、
だから僕は「なんで投げ込ませてコントロールを身に付けさせないんだ」というと、あるバカな指導者は「肩は消耗品ですから」という。野球に9つあるポジションで唯一球を投げることが仕事の投手が、球を投げたらアカンてどうするのと。
と語っているのは、権藤氏が監督として横浜ベイスターズを率いていたときのことでしょう。「肩は消耗品」は権藤氏の持論。小山氏は横浜ベイスターズの元となった大洋ホエールズの出身ですから、OBとして意見を述べた可能性が高いです。

しかし、権藤氏、科学的な理論を取り入れた指導により、投手からの信頼が厚く、監督就任一年目でベイスターズを優勝させていますから、権藤氏から否定されても、小山氏は言い返せなかったはずです。

金田正一、米田哲也、小山正明の三人の肩が壊れなかったのは、たまたまでしょう。

たとえばボクサーでも、パンチドランカーになる人とならない人がいます。パンチドランカーとは、頭を殴られすぎたボクサーに出る症状で、ろれつが回らなくなったり記憶に障害が出たりするというもの。
これも、ならない人はなりません。しかし、頭部打撲の危険性は分かりやすいので、
「殴られすぎで壊れるわけがない。実際日本で一番殴られている我々は壊れてない」
と主張するボクサーはいませんし、いても馬鹿にされるだけでしょう。

150キロもの速度でボールを何度も投げれば、肩や肘に負担をかけないはずがないのです。それを「ない」と言い切る小山氏の神経を疑います。

「老害」という言葉があります。私はこの言葉が嫌いです。なぜ年を取っただけで害だと言われねばならないのか。「女害」「若害」という言葉がないのに、なぜ老人だけが狙い撃ちにされねばならないのか。不条理なものを感じるからです。

しかし、たしかに小山氏らのような存在は老害です。彼らは幾人もの落伍者を見てきたはずです。一生懸命走りこんでも肩を壊した人々のことも、何十年も野球界にいたのですから知っているはずです。ところが、彼らの頭からは、落伍者の記憶はすっぽり抜け落ち、主観的な印象しか残っていません。

記憶の怖いところです。記憶は感動して「こころ」で覚えたものはいつまでも残りますが、データとして「あたま」で覚えたものを忘れていきます。彼らは自分の成功体験を感動とともに記憶したものの、落伍者の失敗体験は冷笑して眺めていたのに違いありません。

落伍者に余計な憐憫の念を抱かないというのは、成功者に必要な素質の一つかもしれません。しかし、年をとるとそれがこのような形で現れ、客観的な判断ができなくなり、結果老害となってしまうのでしょう。それが老いるということなのでしょう。

そうはなりたくないものです。年をとってもいつまでも若々しくいたい。そのためには、客観的なデータをもとにものを考える人間でいたいものです。


2014年11月18日火曜日

セクハラ対策が未婚女性を苦しめる

最近はコンプライアンス研修を社員に毎年受けさせる会社が多くなってきました。この研修、法令遵守に加え、セクハラ禁止を衆知する内容のものが多くなっています。

日本人がセクハラをあまり意識していなかった1990年代、アメリカ三菱自動車の女性従業員がセクハラ集団訴訟を会社に対して起こしました。結局三菱自動車側は12億円を支払って和解しています。

当時の日本では、女性に同情するよりも、アメリカの訴訟社会を問題とするものが多かったのを覚えています。でもその頃からでしょうか。日本でもセクハラが「悪」である、という認識が広まるようになりました。

こうした動きを私は歓迎します。女性社員にとってだけではなく、男性社員にとっても朗報だと私は考えています。セクハラをする男性というのは暴君タイプが多く、彼らの女性へのセクハラは、部下へのパワハラとセットになっていることが多いのです。セクハラを禁止する社風は、パワハラの歯止めにもなります。

ましてや、女性にとってセクハラのない社会が居心地がいいのは論を待ちません。女性の多くにとって、好意を持たない男性から性的な目で見られたり、性的な言動を吐かれたりすることはおぞましいのです。ヘテロの男性が、ホモの男性から性的な目で観られたときに感じる嫌悪感を想像すればいいかもしれません。

もっとも、意中の男性以外から性的な目で見られることへの女性の嫌悪感は、備わった本能のせいだ、とも聞いたことがあります。優秀な遺伝子を持った子供を妊娠したい、と願う女性にとって、それ以外の男性に妊娠させられることは絶対に避けたいもの。そこで、不特定多数の男性から性的な目で見られると嫌悪感を感じるよう、本能にプログラムされている、という説もあります。

いずれにしましても、女性の活躍する21世紀、職場からセクハラを一掃しようという取り組みは、とてもいいことだ、と私は思っています。


ただ、私、コンプライアンス研修を先日受けながら思ったんですよね。
「ああ、こういう教育を入社時から受けている男性が草食系男子になるの、分かる」
と。

職場では一切、性的な感情を持ってはならない、職場を出たら、性的欲求を持っても構わない、と聞けば、至極当たり前だと思いますが、人間、そこまで器用じゃないでしょう。

性欲の強い人間は一定数いて、彼らの性欲は職場で抑圧されても職場を出ればすぐに復活します。彼らにはコンプライアンス研修が大きな効果を生みます。

問題は、もともとそれほど性欲のない人々。研修で様々に、
「女性を性的な目で見てはならない」
「女性にとって性的な目で見られることは苦痛」
という教育を受けるうちに、彼らの中では、女性を異性としてみること自体を抑制する方向へシフトしていくのではないでしょうか?

繰り返しますが、多くの人間はそれほど器用な存在ではありません。職場ではこう、退社後はこう、と人間性を180度回転させることは難しいのです。もともと優しい人ほど、研修を繰り返し受けるうちに、性欲を感じることに罪悪感を感じるでしょう。

男性が女性へ性的な魅力を感じなくなると、一緒に暮らしたい、子供を作りたい、この人を守っていきたい、という男性が本来持つ欲求を、だんだんと失っていきます。結婚を望んでいる女性たちにとっては悲報でしょう。

ほとんどの女性たちにとっても、セクハラが職場から一掃されることは大変嬉しいはずです。でも、この女性たちの欲求の総体が、まわりまわって自分たちの首をしめることにもつながっているのかもしれないというのは、やるせないですね。

2014年10月6日月曜日

身内意識と憎しみと

大久保博元が楽天の監督になる、という報道を聞いてから、身内意識についてつらつらと考えている。

私たちは他人へは、敬称をつけて呼ぶ。
「◯◯さん」「◯◯くん」
など。

ところが、親しい人間には、
「◯◯!」
と敬称を外して呼ぶ。軽蔑の感情とは、まったく無関係の感情だ。大切な相手、抱きしめたい相手、好きな相手。彼らへの親しみが増すほど、敬称をつけて呼びたくない、という気持ちが湧いてくる。

ところが、目下の人間、軽蔑する人間、嫌な人間にも、同じく敬称をつけたくない、という感情がはたらく。

この感情は、何なのだろう? まったくベクトルの異なる感情だ。片や、愛情を向ける相手、片や、軽蔑を覚える相手。そのどちらにも、
「敬称をつけたくない」
という感情がはたらく。

「愛情の反対は憎しみではなく、無関心」
という言葉がある。たしか、マザー・テレサの言葉だったはずだ。この辺りに真相があるのかもしれない。

いや、もう一つのベクトルがある。身内であっても尊敬する相手の場合。その場合は、敬称をつけたい、という気分にさせられる。上司や親にはどれだけ親しくなっても、敬称なしで呼びたい、という気分にはならない。

この気分の出処はどこにあるのだろう?

能動的に関わる相手か、受動的に関わる相手かの違い?

あるいは、コントロールしたい相手とそうではない相手との違い?

身内への人間、愛情、憎しみの対象となる人間には敬称をつけたくなくなる、というのならば、尊敬する相手へ敬称をつけようとする気分と矛盾する。

どうなんでしょうね。

2014年9月30日火曜日

同性愛を認めろという声の先にいる、近親相姦を認めろ、という人々

数日前「お見合いパーティー必勝法」の記事を書いたせいか、出会い系サイトと誤認識され、一部の携帯でこの「アマカナタ」のサイトが閲覧できなくなったようです。ただ、こうした規制に迎合していては、やがて何も書けなくなります。興味のおもむくまま、めげずに本日も、やや際どいネタを扱います。近親婚が合法化されるかもしれない、というニュースの感想です。

★ ドイツ諮問機関、きょうだい間の性交渉の合法化を勧告

ドイツで兄と妹が、性行為をいたして子供を出産。それがバレて兄は近親相姦を禁じる法律に違反したかどで有罪判決を受けました。これを不服として2人は欧州人権裁判所に提訴した、という記事です。

裁判には敗れたものの、この決定を検討したドイツ政府の諮問機関である倫理委員会は「同意に基づいた兄弟間の性交渉に対する刑罰を廃止するべき」と政府に勧告したそうです。

近親相姦……考えるだに気持ちが悪く、生理的嫌悪感を感じます。歴史的にも認められるべきではありません。しかし、歴史や嫌悪感を根拠として禁止するべきだ、という主張は成立しません。同性間の性交渉も同じ立場で、今は認められているのですから。

同性間の性的交渉や結婚がほぼ認められつつある現代、やがて近親相姦や近親婚も認めざるを得なくなるのでしょうか? このニュースについて遡って調べると、2008年の記事に、詳しい内容が載っていました。

★ ドイツ、実の妹を愛した男性による近親相姦合法化の訴え実らず
 訴えていたのはパトリック・ステュービング(Patrick Stuebing)さんの弁護団。ステュービングさんは2000年、別々に暮らしていた妹のスーザン・カロリュースキ(Susan Karolewski)さんと出会い、それ以来関係を続け、カロリュースキさんはステュービングさんの子どもを4人出産している。
 ステュービングさんは1976年、旧東ドイツのライプチヒ(Leipzig)で産まれたが、家族は崩壊状態だったという。父親がアルコール中毒で暴力を振るったため、ステュービングさんは3歳のときに児童養護施設に引き取られ、後に他の家族の養子となった。
 その後、24歳だった2000年にライプチヒの母親を訪ね、8歳年下の妹、カロリュースキさんと出会った。
 失業中のステュービングさんは、現在も妹と別れることを拒否しており、現在も係争中の4人目の子どもが生まれた際の裁判で有罪となれば、再び2年間の服役刑に処せられる恐れがある。
この兄妹は顔も公表した上で、近親相姦を禁じる法律の撤廃を訴えていおり、今やドイツでは知らぬ人もいない有名人なのだそうです。

近親相姦が禁じられている理由の一つに、劣性遺伝子の発現率が高まる、というものがあります。

しかし、子供に障害が現れる可能性が高まるからといって、結婚を許さないというのは今や認められない考え方です。実際彼らの弁護士は、
「障害者の出産、高齢出産が認められているのに、近親相姦のみが禁じられているのはおかしい」
と主張しています。


さらに調べると、近親相姦の合法化を訴えるのは彼らだけではありません。ここ数年、近親相姦を行っていた人々が、世界中で主張を始めているのを知りました。

★ 父親と娘が恋愛関係になって近親相姦、女児を出産してテレビ出演
★ 子供もうけ有罪の父娘、関係承認をTVで懇願 豪州

これまでタブーとされていたものも認めていくのが、今の欧米型先進国の風潮ですが、その先に待つのは、私たちが今でも禁忌と考える、近親相姦、近親婚を認めねばならないという現実のようです。

「どうせ特殊なカップルの話だ。私達には関係ない」
とお考えの人々が多いと思いますが、今後、近親相姦カップルが、あなたの身の回りに現れない、という確証はありません。

立花隆氏の著作で知りましたが、ネズミを高ストレス環境で幾世代も育てていくと、同性愛、ロリコン、近親相姦を行なう個体が高頻度で生まれることが実験で確かめられています。

ストレスの多い現代社会では、同性愛や近親相姦に向かう人々が増え続けるのかもしれません。特に貧困層では、欲望を金銭的に充足できず、家族の間で欲望を解消する傾向があります。それが「貧乏人の子沢山」という結果となるわけですが、倫理観のタガが外れると、虐待や近親婚へとつながります。

事実、アメリカの「レッドネック」と呼ばれる白人貧困層に、近親相姦が蔓延している、という噂があります。

彼らはトレーラーハウスと呼ばれる簡易式の住居に住み、無教養な差別主義者として描かれる事が多く、様々な嘲笑の対象となっています。ジョークとして流通するものの一つに、
「彼らは結婚相手がいないのに、いつの間にか子供が増えている」
というものがあるそうです。

「彼等は隠れて近親相姦しているような奴ら」
という意味の皮肉ですが、これが必ずしも悪質なジョークで済まないのは、彼らの中で近親相姦によるレイプ事件が高確率で多発していて、時々摘発されているという事実があるから。

メディアが欲望の解放を叫び、消費を惹起する様々なコマーシャルであふれるアメリカは、貧しい人々にとって暮らしにくい場所です。結果、違法で多くの人を傷つけることになる、ドラッグや近親相姦など、手近な欲望処理に走ってしまうのかもしれません。

それを「悪いこと、おかしなこと」と言えない世の中になりつつあるのでしょうか。

2014年9月22日月曜日

お見合いパーティー必勝法 下

私 「明日、どこか美味しいお店で食事でもしませんか?」
女 「明日も別のお見合いパーティー、行かなくちゃならないんですよ~」
私 「参加申込み、断ればいいんじゃないですか」
女 「でも、友達に頼まれてててぇ」
私 「友達と一緒に行くんですか?」
女 「いえ、友達はお見合いパーティーの主催者なんです」
このようにお見合いパーティーで出会った女性から聞いた私は、一気に鼻白んだ。

サクラ(偽客)とまでは言わないけれども、頼まれて参加しているだけなら、熱意はなかろう。こうしてカップルになっても、つきあうつもりはないだろう。今回のパーティーだけではなく、他のお見合いパーティーでも、主催者側が美人の女性を客寄せに仕込むことは多いに違いない、と空想しながら、素知らぬ顔でその女性と会話を続け、カクテルをもっと飲みたい言う女性をうながして立ち上がり、そそくさとバーを後にした。

彼女には2回ほどメールを送ってみたが返事がなく、関係も立ち消えとなった。

さて、こうした経験から、私は一番人気の女性に対して、先入観に基づいたある種の嫌悪感を持つようになった。主催者側の仕込み客だと疑い、どれほど美人だろうと、あきらめて、気持ちを切り替えられるようになったのだ。

そこから私は、以下の様な作戦を組み立てて実行することにした。

一番人気の女性は最初から完全無視して、2番手、3番手の女性にアタックする。会場に入ってすぐに、一番人気「以外」の女性に狙いをつけ、前半の自己紹介時に印象が良かったら、
「あなたが素敵だと思うから、あなたとカップルになりたい」
と最初から宣言してしまう。

ただし、前半終了後の休み時間にその女性に複数の男性が群がったならば、すぐに目標を変更して、別の女性へ、
「あなたとカップルになりたい」
と出来る限り早めに宣言する。

(最初に宣言した女性には結果的に嘘を言ったことになるけれども、複数の男性からアタックされているので、彼女を傷つけることはないから、罪のない嘘だろう)

あとは意思を曲げず、その女性にだけ熱心に話しかける。都合上、他の女性と話さなければならないとしても、できるだけ素っ気なく、ときどき目当ての女性だけに視線を向ける。案外女性は周りを観察していて、私が他の女性と熱心に話し込んでいたりしたら、すぐに、
「この人、誰にでも色目を使っているんじゃないの?」
と勘違いされる(はっきりとそう言われたこともある)ので注意が必要だ。

女性は、他の女性には目もくれずに最初から自分だけに強くアタックしてくる男性には好意を抱いてくれるようで、次第に、後半の歓談タイムでは、他の男性を無視して私とだけ話すようになる。他の男性はあきらめて去っていく。

★ 独身社会人のためのカップリングパーティー 「エクシオ」
★ エヴァのふれあいパーティー 
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つまり、後半に勝負をかける他の男性陣に対して、私の場合は前半で勝負をつけてしまうのだ。先行逃げ切り型だ。

なぜこの方法が有効なのか? それは、参加者に共通する「プライド」と「コンプレックス」を取りのぞくことが出来るからだろう。

お見合いパーティーに参加して異性とカップルになろうとする男女は、プライドが高く、なんらかのコンプレックスを抱えている人が多い、というのが私の分析だ。

学生時代や社会人になりたての頃なら、いくらでも出会いはあったはずだ。ところが、モテなかったり、合コンに参加する勇気が無かったり、好きだった相手とうまくいかなくて別れたり、ふられたりしたから今、パートナーがいない場合が多い。そのため、自分に自信が無かったり、承認欲求に飢えていたり、といったコンプレックスを抱えている女性が大変、多いのだ。

そもそも、こんなところでお相手を探さなくても、社会人サークルにでも参加して、その中で出会った相手に猛烈にアタックすればいい。普段つきあいのある異性に自然に好意を抱くのが自然な出会いの形だと思う。見ず知らずの異性にアタックする、お見合いパーティーという形式は不自然だ。

ところがそれをしないのは、プライドの高さのせいだ。頻繁に出会う異性にアタックして、ふられたあとに、その異性と前と変わらずに接する自信がないのだ。だから、日常とは異なる場所で相手を見つけようとする人が、お見合いパーティーには集まる。

私ももちろん、その1人。それは嫌なことではない。そのプライドは私にとってモチベーションの素となるので大切だと思っているし、コンプレックスも自分の個性の一部だから愛している。

男女の出会いには邪魔、というだけで……。

閑話休題。

お見合いパーティーで前半から猛アタックをすれば、最初から選ばれたという事実により、承認欲求が満たされ、コンプレックスが解消される。

それに、一番人気の女性がいるにも関わらず、それには目もくれずに自分一人を真っ先に選んでくれたということで、プライドも満たされる。
女 「ええ~。気が早くないですか? あそこに、私よりももっと可愛い女性がいるでしょ」
私 「あんなのどうでもいいんですよ。性格の悪さがにじみ出ている」
そんなジョークを言えば、女性は、
「そんなことないでしょ~」
とケラケラ笑いながら、まんざらでもない顔をするのだ。

それに、だ。

よく考えたら、結婚相手に求めるのは容姿ではない。ある程度、平均以上の容姿があれば、残りは性格だ。誰もがまず容姿で相手を判断するお見合いパーティーで、敢えて容姿を二の次にすれば、中身を観察することに全力を注ぐことができる。話した印象で、
(この女性とは、いても楽しくないな)と感じれば、すぐに別の女性へ気持ちを切り替えることもできた。

この方法で、私はお見合いパーティーに参加した後半の期間、必ずマッチング出来るようになった。15、6人とカップルになっただろうか。

慣れてくると、余裕が出来る。経験も積める。やがて、それまで無理だと思っていた女性ともマッチング出来るようになった。ときに元CA、財務省に勤める女性、大手企業の受付嬢、看護師などとマッチングして、食事に行く。

たいていは、その場で会話を楽しむが、平日夜、時間は11時を過ぎていることが多いため、それからさらに……ということにはならない。今度遊びに行きましょう、と約束して別れる。その繰り返しだった。

その中で、つきあった女性もいた。でも、ほとんどは1,2回の食事のみで別れてしまう。なぜか?

先日のブログで、2ちゃんねるの投稿を引用した。
514 :名無しさん@恐縮です@\(^o^)/:2014/09/16(火) 21:55:56.62 ID:pxgR9HAi0.net
やっぱり綺麗なのになんで結婚してないんだろ?ってのは
確実に愛人やってるわ
これを裏づける話が多かったからだ。


……またいつか、この話をしたいが、長くなったので今日はこの辺で。

(はてなブックマークでも集めれば、早めに書きますw)

2014年9月20日土曜日

お見合いパーティー必勝法 上

お見合いパーティーで出会った女性について話をしようと思うが、まず今日と明後日は、お見合いパーティー必勝法について書くことにしよう。

30歳を越えたばかりの頃の私は、結婚しなきゃとあせっていた。

その頃に知ったのが、お見合いパーティーの存在だ。初めて参加して、出会いの手応えを掴んだ私は、月に1~2回のペースで参加するようになった。1年の間に、20回近く参加しただろう。一度の参加費が男性は5千円程度だから、年間10万円以上の痛い出費だ。それが、ときどきインターバルはあるものの、数年続いた。

この時の経験則をご紹介する前に、お見合いパーティーがどのようなものか、ご存知のない方のために簡単に説明したい。

参加するパーティーは、ネットで「お見合いパーティー ◯◯(地名を入れる)」で検索すれば、いくらでも探せるだろう。あるいは、以下のサイトから選んでもいい。

★ 独身社会人のためのカップリングパーティー 「エクシオ」
★ エヴァのふれあいパーティー
★ 無料 婚活 「ハッピーブライド」

会場は、ホテルの一室のこともあれば、普段は会議に使われている貸し会議室の場合もある。事前に電話などで申込、受付で名前を伝え、身分証明書を見せて、会場に入る。

場所にもよるが、高校の教室ほどの広さのところが多かった。壁際のしつらえた机の上にお菓子や飲み物が用意され、自由に飲食できるようになっている。

部屋には向かい合わせに並べられたパイプ椅子が10脚×2列、それが2組あり、合計4列、40人分が座れるようになっていることが多い(あくまで1例)。

女性20人が、横一列に決められた場所に座る。その前に、男性も主催者に決められた順に座り、動くのは基本、男性だけである。

スタートと同時に、向かい合った男女がお互いに自己紹介とアピールを開始。たった3分で交代して横にずれていく。30秒の休憩後、また3分間自己紹介をし、世間話に興じる。

3分間は短い。それだけで自分をアピールし、相手を知ることなんて無理だ。でも、20人と話さなければならないから、休憩を含めると1時間半はすぐに経つ。初参加者が「こんなに短時間だと何も話せない」と声を上げることもあるが、やがて全員と話すのには時間が足りないことに気がついて、目前の相手と話すことだけに集中するようになる。

20人の初対面の異性と話し終わると、そこそこ疲れる。そのため、20分の休憩が主催者によって設けられ、気分転換が図られる。

席を移動して自由に歓談することが可能なので、人気の女性の周りには、4~5人の男性が群がり、必死にアピールすることが多かった。あきらめて飲食に走る男性もいる。まったく男性が周りにやってこない、あぶれた女性は女性同士でお喋りを始めたり携帯をいじったりしている。

その間に係員は、参加者全員から、少しでも興味のある異性の名前を3人ほど書かせた第一印象集計表を集め、パソコンに入力する。休憩時間が終わると、自分に興味を持ってくれた異性の名前が書かれた紙が、主催者から参加者に配られる。

先ほどの自由時間と似たような雰囲気で、20分ほどの自己アピールの時間が始まる。人気のある女性に群がっていた男性は、その女性が自分にまったく興味を持っていない、という現実をつきつけられ、自分に興味を少しでも持ってくれた女性の前に移動することが多い。もっとも、初志貫徹して目当ての女性に話しかけ続ける男性も多い。

それから参加者は、「この人とカップルになりたい!」という人の名前を書いた第二印象集計表を係員に提出する。係員は10分ほどで内容をパソコンに入力していく。大変タイトなスケジュールだ。

最後に結果発表。みごとマッチングした男女は、名前を呼ばれ、二人づつ、会場を後にする。最後まで名前を呼ばれなかった男女は、主催者から慰められながら、会場を後にする。

誰ともカップルになれなかった男女は、内心、みじめだ。男性は5,6千円がパー、女性は3千円程度だが、貴重な時間を費やしたことには変わりはない。それに、誰からも選ばれなかったという屈辱を胸に帰宅しなければならないから、悔しい。

何度か参加するうちに、私はコツをつかめるようになった。

一度、一番人気の女性と運良くカップルになれたことがある。会場の近くのバーに誘い、彼女に酒をおごった。アルコールが入って口が軽くなったのだろう、彼女がこんなことを打ちかけてくれた。
私 「明日、どこか美味しいお店で食事でもしませんか?」
女 「明日も別のお見合いパーティー、行かなくちゃならないんですよ~」
私 「参加申込み、断ればいいんじゃないですか」
女 「でも、友達に頼まれてててぇ」
私 「友達と一緒に行くんですか?」
女 「いえ、友達はお見合いパーティーの主催者なんです」
きくと、主催者がお見合いパーティーを盛り上げるために、知人の女性にタダで参加させている、というのだ。私は一気に興ざめした。

次回に続く。


2014年8月24日日曜日

人間の脳の心理を脳機能から分析する林教授

人間の思考については、古来より哲学者が、近代では心理学者が分析を試みてきました。

それに加えて近年では、医学の発達によって、医学者達が脳機能をもとして思考分析を行い、目覚ましい成果を上げています。

脳というブラックボックスの中身を分析することは、
「宇宙人が、人類のことを何もわからない状態で、宇宙から望遠鏡を使って交通ルールの規則を読み取ろうとするようなもの」
という喩えを以前聞いたことがあります。

もちろん無理に等しいことを例えたものですが、人間は似たような試みを何千年もの間続けてきました。時間さえかければそれなりの効果はあるもの。それなりに一定の成果を上げてきたわけです。

ところが、脳の構造をもとにして人間の心理構造を分析することは、宇宙人が地球上に着陸して現地調査を行うようなもの。望遠鏡で眺めていた時代に比べますと格段の差となります。


日本大学の大学院総合科学研究科教授である脳神経外科医の林成之(なりゆき)氏は、上記記事で脳の構造を基にした人間の心理構造分析をおこなっています。

①大脳皮質 神経細胞は、視覚や聴覚の刺激を受け取り整理する部位です。情報はまずここで認識されます。

情報は次に、②A10神経群という部位に送られます。このA10神経群という言葉、よく聞くと思ってしらべますと、脳の部位を下記のように複数に分類したもののうち、「A10」の区画にあることから名づけられたもののようです。
    A1〜A7ノルアドレナリン神経系
    C1〜C3アドレナリン神経系
    A8〜A15ドーパミン神経系
    B1〜B9セロトニン神経系
     
そこに送られた情報は、「好き・嫌い」「面白い・くだらない」「やる・やらない」といった価値判断をされるのです。

タグ付けされた情報は、次に③前頭前野に送られます。前頭前野は、
  1. 思考する
  2. 行動を抑制する
  3. コミュニケーションする
  4. 意思決定する
  5. 情動の制御をする
  6. 記憶のコントロールをする
  7. 意識・注意を集中する
  8. 注意を分散する
といった、人間を人間たらしめる思考活動を受け持つところです。ここで情報が整理されたのち、④自己報酬神経群に送られます。

ところで、この種の啓蒙的な研究科者は、ときどき学術的に認知されていない自己流の用語を使うことがあります。ブログを書く上で気をつけねばと思い、用語を一つ一つ調べながらこの記事を改定ますが、「自己報酬神経群」とやらについて述べているネット上の記事が、林教授関連の物しかないのです。これ、なんのことなのでしょうね?

「報酬系」と呼ばれる神経群は脳にあるようですが、これはA10神経のことのようですし。どなたかご存じの方がいれば、コメント欄で教えて下さい。

そこからさらに情報は、⑤線条体-基底核-視床、それから記憶をつかさどる⑥海馬回・大脳辺縁系へと移ります。さらに再び②に戻り、情報は①~⑥の間をグルグルと回りながら、処理されていきます。

情報は②~⑥の間を回りながら、行動へとつながっていくのだそうです。そして行動につなげるためには、②の段階で積極的なタグをつけること、なのだとか。

面白いですね。こうした構造を、脳の機能に基づいて説明する方法は、科学的で信頼が持てます。

これまでのような文化論的なアプローチはいずれすたれ、生物学に則したアプローチが主流となった将来、
「昔は人間の心理を、ああでもないこうでもないと大昔の哲学者や宗教化が議論して、それをさらに検討することで分析しようとしていたみたいよ」
「ありえないよね。よくそれで人間の心理を理解できると思っていたよね」
などという会話が学生の間で繰り広げられているかもしれないな、と上記の記事を読みながら考えました。

2014年8月13日水曜日

霊能力が統合失調症のことだとしたら

「ある統合失調症患者の1日の記録」と題された記事を先日読みました。患者の苦しい境涯に、同情を誘われます。
午前7時:
 目が覚めてもしばらくベッドの上に横たわっている。独り暮らしのはずなのに、自分のアパートのいたる所で足音が聞こえる。
午前7時半:
 温かく気持ちのいいお風呂に入る。が、お湯を出しているときに、ドアの向こうで誰かが会話している声が聞こえる。
午前8時:
 なにかが足を這い回っているみたいだが、見てみてもなにもいない。
午前10時半:
 女の子のグループが前をゆっくり歩いている。ネロという頭の中の声が命令してくる。女の子たちのひとりの腹を裂いてはらわたを抜き出し、その腸で二番目の女の子の首を締め上げ、友だちが死ぬを見て金切り声をあげる三番目の女の子を蹴り倒して踏みつけろと言うのだ。
統合失調症は、昔は精神分裂症と呼ばれていました。今は精神が分裂する、というおどろおどろしいイメージがもたらす偏見をなくすために、統合失調症という名前に切り替わりました。妄想、幻覚、人格崩壊などがその特徴です。

こうした精神障害に苦しむ人は今も昔も大勢いるのですが、患者自身の体験談に触れる機会はそれほどありません。書店に行けば体験談が置いてあることもありますが、目立たない場所に置かれていることが多く、読んだことがない人が大半でしょう。

それに、読もうとしても、大変読みづらいものが多いのです。以前、統合失調症患者の手記を何冊か手にとったことがありますが、いたずらに冗長で、途中で読むのをやめました。精神疾患を患うと、考えをまとめるのが苦手になるのかもしれません。

上記のような短くまとまった体験談は有り難く、たいへん貴重でした。

さて、これに似た体験談をどこかで読んだことはないでしょうか?

そう。オカルト雑誌や霊能者の書く書籍によく載っている、霊障体験談です。

★ 霊視 主な相談例
(相談例 2)
ある日から、私は霊に支配されていることを自覚し始めました。
お風呂にはいるときだけは、体から抜けて、お風呂の天井の隅から、男の人が見ています。
仕事もできなくなって、家で1日中寝ています。
病院にも行きましたが、異常はありません。
その他、弟や、母も家の中で異常な音を聞いたり、変なものを見たりしています。
私、昔から密かに、
「霊能力とは統合失調症の別名ではないか」
と考えていましたが、改めてその意を強くしました。

精神科医にとってはごくごく一般的な認識なのかもしれません。霊能力者が精神科医の診断を受ければ、のきなみ「統合失調症」と診断されてしまうのかもしれません。ドクター林ならば、
「一日も早く精神科受診が必要です」
と即断することでしょう。

……が、私はそこに、別の意味を見出します。

昔、高校の時に立花隆を薦めてくる友人がいました。彼から借りた本に書かれていたのが、
「臨死体験という現象がなぜ人間の脳に備わっているのか。その理由が必ずあるはずなのだ。それを探求するのが面白い」
という立花氏の述懐です。うろ覚えですが。

臨死体験というオカルティックな体験の存在の意味を問うことを許されるならば、統合失調症がこの世に存在するのに、理由があると考えることも、許されるはずです。


霊能者は何かを「観ている」

20年ほど前、NHKスペシャル『驚異の小宇宙・人体2 脳と心 第6集 果てしなき脳宇宙~無意識と創造性~』という番組で、沖縄のユタ(=霊媒)が口寄せをする際の脳波を測定するシーンが放映されました。覚えていらっしゃる方もいるはずです。

★ 科学的な検証
本物のユタが能力を発揮するとき、右脳が通常では考えられない異常な状態になることがわかっている。具体的には、論理的な言葉を話すときに活性化すると言われている左脳がほとんど活動を止め、逆に右脳が活性化して論理的な言葉を発している状態になる。この原因は解明されていない。
この番組では、ユタとなる女性の身の上が紹介されていました。ユタとなる以前の女性は、幾度となく幻覚に悩まされ、ときには裸足でうわ言を言いながら真夏の路上をひたすら歩くような異常体験をしたのだといいます。

先輩ユタに相談したところ、お前はユタになる運命にある、と告げられたのだそうです(なにぶん、20年前の記憶です。うろ覚えで申し訳ありません)。ただ、そこに至るまでの経験談は、まさに、統合失調症の発症例そのものでした。

しかし、彼女はユタとなる修行を続けるうちに、幻覚を神のお告げとして認識できるようになり、ユタとして生きるようになります。

彼女に神がかり状態になって神のお告げを語ってもらい、脳波をNHK取材班が測定してみたところ、驚くべき結果が現れます。

論理的なことを話しているのですから、本来ならば活発になるはずの、言葉を話すための左脳の働きがピタリと止まり、イメージを司る右脳が活発に動き始めるという測定結果が得られたのです。

言葉を話すために活発になるべき左脳が沈黙して、右脳が活発となるのは、間違いなく彼女が何かを観ながら、考えることなく話している証拠。そのシーンは衝撃的で、20年経った今でも覚えています。


聴覚を視覚として捉える「共感覚」

「共感覚(きょうかんかく)」という概念をご存知でしょうか。

人間には、本来ならば聴覚として捉えなければいけない情報を、視覚としてとらえてしまう人がいます。音を聞くと、色や形が目の前に現れるのです。

脳のなかの万華鏡---「共感覚」のめくるめく世界脳のなかの万華鏡

こうした人々は、芸術分野で驚くべき才能を発揮します。なにしろ文字通り、「音楽を観る」ことが可能なのです。ベートーベンの「運命」を絵にすることができ、しかもそれは、多くの人に感銘を与えるのです。

「もしもあの曲を色として観たならば、こうであろう」
という想念を、そのまま形にしてしまうのですから。

盲目の少年が、音の反射によって物を観ているというニュースが数年前に話題になったこともありました。

★ 音で世界を"視る"少年 米
ベンは2歳の時、網膜ガンに侵され、両目を摘出して視力を失った(現在、彼は両目に義眼を入れている)。しかしその後、ベンは失われた視力を補うべく、ある特異な能力を身に付けた。それは継続的に舌打ちをし、口から発する音のエコー(反響音)によって、まるで世界を視るように物体の外形や距離を掴むというものである。
この記事の後、研究は進みました。研究者たちは、ベンを始めとする人々の能力を調べ、それが人類に普遍的な能力=エコロケーションであり、学習次第で身につけられることを証明しつつあります。

下の動画は、エコロケーションを学習して身につけつつあるイギリス人の9歳の少年です。


逆の場合もあり、物を見ると音楽が頭に流れる人もいるといいます。そうした人は、優秀な音楽家となることでしょう。

そういえば、京極夏彦の小説にも、臭いを人の視線としてとらえる人物が登場していました。


幻覚、幻聴はなにかの情報?

よって、次のような可能性もあるのではないか、と考えるのです。

統合失調症に罹患すると、「幻覚」や「幻聴」を覚えます。何もないところに、幻を観たり、誰もいないのに誰かが語りかけてくるから、病気だととらえられてしまいます。

しかし、「幻覚」や「幻聴」のもととなる情報が、そこにあるかもしれません。

たとえば、男の人のわずかな臭いを、狐の姿として認識してしまう、という人がいるかもしれません。こういう人は、男の人が部屋にいると、狐の姿を男の背後に必ず幻視するでしょうし、男が数分前までその部屋にいれば、部屋に狐がうずくまっているようにみえるのでしょう。

あるいは、気圧の変化を光として認識する人がいるかもしれません。こうした人は、雨がふる前には青い光が周囲を包むという幻覚を観たりすることでしょう。

テレビ電波やラジオ電波を、受信する能力を備えている人がいるかもしれません。デコード技術(電波を音声として再構築する技術)に劣っているために、幻聴にしかなりませんが、ただしくデコードできれば、人間ラジオ、人間テレビの出来上がりです。

つまり、何もないのにものを見たり音を聞いたりするがために、現実を正しく認識できない=病気として、統合失調症=悪とされてきました。でも、何かの情報を、共感覚によって、視覚的な情報に変換して「幻覚」として観たり、聴覚的な情報に変換して「幻聴」として聞いていたとしたら、それは病気でしょうか?

もちろん、幻覚や幻聴そのままではなんの役目も果たしませんが、もしも幻覚から正しい情報を手に入れられるとしたら? それは立派な、才能となることでしょう。

実際のところ、霊能者達が、滝に打たれたり座禅を組んだりして、悩まされていた悪霊から開放さると同時に、守護霊が代わりにやってきて、有益な情報を教えてもらえるようになった、という話はゴマンとあります。

これは、統合失調症を「修行」によってコントロールして、幻覚から有益な情報を取り入れられるよう鍛えることが出来るという証左かもしれません。

昨今、「瞑想」の素晴らしさが科学的に証明されるようになりました。同じように、滝行や断食、読経などの「修行」が、統合失調症の有益な治療法として科学的に証明される日が、いつか来るかもしれません。

統合失調症に、人間の脳が後天的に共感覚を得る、脳の変容として、才能の獲得の機会として、積極的な意味を与えられる日がいつかやって来るかもしれない、などとも考えるのです。


2014年7月25日金曜日

「主人」という言葉が生理的に受け付けられないという性根に嫌悪感

視覚障害者を表す言葉に、
「メクラ」
というものがある。

「メアキ」の対語であり、単純に「目がくらんだ人」(物が見えなくなることを"くらむ"と言う)の意味である。

ところが、「メクラ」という言葉を差別的に使う人が昔は多かった。そのため「差別用語」「放送禁止用語」となり、常識的な人で視覚障害者をメクラと呼ぶ人は、今の日本にはいないだろう。

似たような経緯をたどった言葉に、「土人(ドジン)」という言葉がある。土着の人を表す言葉で、近代になって近代化されていない人々を主に呼ぶ言葉となり、日本ではアイヌの人々を主に指していた。彼らの保護を目的とした「北海道旧土人保護法」という法律が、つい最近、1997年まで日本に存在し得たのも、本来その言葉に差別的意味がなかったからである。

ところがこの言葉も、半裸で過ごす人を指すなど、ネガティブに使われることが多かった。今では常識ある人なら、「土人」などという言葉を使うことはないだろう。

私も使わない。

本来的な意味も大切だが、歴史的な使われ方も大切。そうすると、本来的な意味がネガティブなものであろうとも、使い方や意識を変えていくことで、良いイメージへと変わっていくこともあるのではないか、と思う。

そんな言葉の一つが「主人」という言葉ではないか。

御存知の通り、主人という言葉は一家の長を指す言葉であるが、同時に雇い主も主人と呼ぶ。対等であるべき人間関係に主従関係を持ち込む……フェミニストからすれば許せない言葉だという。下記のブログも、そういうフェミニストの感想の一つだろう。

★ 配偶者のことを主人と呼ぶのが生理的に受け付けない問題
個人的なインターネットなどでわざわざ「主人」と書いている人を見ると「そういう人(結婚に主従関係を持ち込んでおり心の底からそれに疑問を感じない人)なんだなあー」と思います。
わたしは結婚生活に主従関係を持ち込んでいないので、夫のことを「主人」とは呼べないし、オフィシャルな場面でも「夫」と呼べば充分だと思っています。というか、誰かが自分の「主人」であるという状況がちょっと理解できない(奴隷制度を採用していないので)。
この手の主張は昔からよく見かけるので、今更感もある。生理的に受け付けられない人は受け付けられないだろうし、どうでもいい人にとっては本当にどうでもいい話題だろうと思う。

ただ、私が指摘したいのは、男女同権という常識が浸透している今の日本では、言葉の本来の意味よりも、オフィシャル、あるいはよそゆきの言葉としてこの言葉をとらえている夫婦が圧倒的に多い、という事実だ。すでに歴史的な使われ方として、「主人」は、対等なパートナーを他人に紹介するだけの言葉になりつつあるのではないか、という現実だ。

それは、家庭以外の使われ方をみればわかるだろう。職場で社長のことを従業員が「ご主人さま」と呼ぶ習慣など、どこにもないのがその証拠だ。職階制度においては、社長は明らかに上にある。それなのに、社長のことを「主人」と呼ばない。職場で上位者を「主人」と呼ぶ習慣は、今の日本には残っていないのだ。

「主人」という言葉を夫以外に使うとしたら、喫茶店や居酒屋の店主を呼ぶときくらいだろうか。

しかも、従業員に対して、
「あなたの主人を呼んできて」
とは普通、言わない。せいぜい、
「店の主人を呼んできて」
と言うか、店主自体に、
「ご主人」
と呼びかけるときくらいではないか。

主従関係にある人間の上位者を呼ぶために「主人」という言葉が使われなくなったという事実。それは、本来的な意味が失われつつあることを示している。

「歴史的経緯」などというが、歴史は我々が作っていくものだろう。ネガティブな言葉だから使わないようにしよう、ではなく、ポジティブな意味を付け加えていこう、とどうして考えないのか。しかも、すでに現実が既存の価値観よりも先行しているというのに。

ところが、この手の人間(=id:neji-ko)は、旧来的価値観を持つ自分を恥じることがない。そして他人をバカにする。その上その理由を、
「生理的に受け付けない」
などと抜け抜けと表明する始末だ。

昔観た、アメリカ南部の黒人差別を描いた映画の1シーンが未だに頭に残っている。

公民権運動の後に、それでも差別的言動をやめない夫婦が、周囲から反省を迫られていくのがその骨子だ。周囲の声に抗う夫婦だったが、映画のラストだったかな、結局時代の流れには抗せず、夫は謝罪する。ところが、妻は、
「それでも私は、黒人が生理的に嫌なの! 黒人が近づいただけで身の毛がよだつの! どうしても無理なの!」
と叫ぶのだ。

この女生とid:neji-ko氏のイメージが重なるのである。男女同権を宣言するのが文明人ならが、感情を理性で抑えるのが文明人だろう。男女対等の意識を持つ他人が「主人」という言葉を夫に使っているのならば、それを尊重して敬意を払えよ。

生理的嫌悪感なんぞ、糞食らえだ。

……と、かように思うのである。

2014年6月28日土曜日

塩村文夏議員の中の、深い闇

都議会でセクハラ野次をおこなった側、受けた側の双方の過去を探りますと、さまざまな問題を抱えていました(ネタ元は、だいたい週刊文春7月3日号です)。

鈴木章浩は嘘の常習犯

まずはセクハラ野次を行った鈴木章浩(あきひろ)議員。

2005年に公費80万円を使ってフランスの地下鉄などを視察後に都に提出した報告書が、早稲田大学名誉教授の講演要旨の丸写しだった過去が、掘り起こされています。

★ 自民区議が報告書盗用? 千葉県HPから丸写し

上記記事では原文と盗用文が映像で紹介されているのですが、読みにくいので一部、書き起こしてみました。
EUの新たな中核都市を目指す「ユーラリール」プロジェクトを紹介します。ヨーロッパは政治・経済のドラスティックな変化の中で、長い伝統を持つ存在自体が大きく揺らいでいるという状況のもと、EUという一つの共同体として結集することにより再生しようとしています。ヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ動脈である「ユーロトンネル」の開通はその象徴的な事件でした。イギリスのフォークストンとフランスのカレーを結ぶ全長53km、海底部分38kmのトンネルが開通したのは1994年6月ですが、計画から実現までに2世紀を要したプロジェクトです。
上記が盗用されてしまった、早稲田大学名誉教授である浜田泰三氏の講演要旨であり、下記が鈴木章浩議員が盗用した報告書。
ヨーロッパは政治・経済のドラスティックな変化の中で、長い伝統を持つ存在自体が大きく揺らいでいるという状況のもと、EUという一つの共同体として結集することにより再生しようとしました。ヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ動脈である「ユーロトンネル」の開通はその象徴的な事件でした。イギリスのフォークストンとフランスのカレーを結ぶ全長53km、海底部分38kmのトンネルが開通したのは1984年6月ですが、計画から実現までに2世紀を要したプロジェクトでありました。
この調子でほぼ丸写しだったのにもかかわらず、「引用」だと鈴木議員は強弁して、この件はうやむやに。

過ちは誰にでもあると思うのです。でも、盗用は盗用。引用元を書かなければ、引用にはなりませんよ! 開き直ってしまうところが悪質。その上、翌年にも同じ盗作騒動を引き起こしています。反省しないから繰り返すのです。

詐欺師は再犯しやすいと言います。セクハラ野次騒動でも、最初は「野次を私は言っていない」とすっとぼけようとしましたから、この方は嘘の常習犯なのでしょう。

金銭欲と上昇志向と不倫

対しまして塩村文夏(あやか)議員。

この方がテレビ番組『恋のから騒ぎ』にレギュラ―出演したときに、「別れた彼氏から慰謝料1,500万円をもらった」などとテレビで告白していることは、私も以前の記事で触れましたし、ネットで存じの方も多いようです。

同じく都議の三谷英弘と不倫騒動も起こしていたことまでは、先日の記事でも取り上げたとおりですが……。塩村議員、朝日新聞記者とも不倫をしていたと、週刊文春では報じられています。いやぁ、ゆるいですね。



……ここまでが週刊誌に掲載されていた話ですが、本日の本題はここから。

私は、塩村文夏という美しい女性について調べれば調べるほど、不思議でなりませんでした。あの美しい顔の向こうに、異常な金銭欲と上昇志向、不倫願望が同居している理由が、分からなかったのです。普通、ある程度世間に認められれば、満足するはずですし、都議にまでなったら、身持ちを良くするはず。なにかアンバランスなものを感じたのです。

男女の間で何があったのかわかりませんが、相場というものがあるでしょう。別れ際に1,500万円もの大金を受け取る理由に、まともなものはありますまい。

グラビアアイドルから素人タレント、放送作家から政治家へと、自分の美貌をどうすれば社会的地位へと変えられるかを意識しながら、上へ上へと強迫観念のように上がろうとする上昇志向をなぜ彼女は持つにいたったのか?

そして、議員という社会的に責任のある立場にありながら、どうして不倫を重ねるのでしょうか?

それぞれまったく別のことではあるのですが、一人の人間にそれが同居するにはなにか大きな要因があるはずだと踏んだのですが、全体像のパズルを組み立てるにはピースが足りませんでした。

それがここ数日の間に出てきた情報が重なることにより、一気に理解できるようになったのです。

塩村一という産廃業者がいた

塩村文夏議員は、年上の男性が若い女性と結婚することに、大変な嫌悪感を持っていることを、過去に告白しています。

ツイートは現在削除されていますが、魚拓が撮られており、

★ https://archive.today/PEP1d

で確認することが出来ます。2011年、加藤茶が45歳年下の女性と結婚し、2012年に仲本工事が27歳年下の女性と結婚したことへ、嫌悪感をいだいた模様です。

なぜそのように感じたのか。彼女は別のツイートで理由を示しています。

つまりは、自分の父親が30歳も年下の女性と駆け落ちし、結局捨てられてみじめに年老いている姿を見聞きした結果、年上の男性への嫌悪感と不信感、憎悪が入り混じったコンプレックスを抱くにいたったのでしょう。

では、この老父とはどういう人物か。

それについては確証はありませんが(伝聞の類なので、もしも事実と異なっていることがわかれば、後日この部分を削除するかもしれません)、下記のような指摘をされているのを読みまして、本当か? と度肝を抜かれました。

★ 【塩村完全終了】2ch探偵団が塩村文夏議員の素性を特定!!!
(画像は「保守速報」より)
1989年に広島県福山市で汚土収集詐取事件が発生します。塩村一という人物が起訴され、有罪判決を受けました。暴力団の影響力の強い当時の広島県の福山市(映画『仁義無き戦い』では、福山市を地盤とする河野組という暴力団が出演しています)で、最大手の産廃業者というだけで、いろいろと想像がつくというもの。

この業者が、市長や市の職員を脅迫し、随意契約を違法に獲得。それがバレたという事件です。

塩村一という人物は、事件当時54歳。そこから計算した所、塩村議員の父親と同じ年齢。塩村議員の生まれ育った場所も、広島県福山市内でした。

妻子を捨てて30も年下の女性と駆け落ちできた塩村議員の父親は、それなりの社会的地位や資産を有していたはず。地方には同姓同名が多いとはいえ、年齢も姓も同じ成功者が、そうそういるとも思えません。

で、もしもこの「塩村一」という人物が塩村議員の父親だとしたら。彼女が11歳のときに汚土収集詐取事件が発覚したことになります。

すべては老父へのコンプレックス

幼いころに金持ちから貧困へ突き落とされた場合、長じて異常に金銭に執着する例が多いことが知られています。こういった事件があった以上、今までの豪奢な生活は当然送れないでしょうから、塩村一の子どもは、大変苦労したことでしょう。

成功者の父が家庭を捨てた場合、子どもは父を見返すために、異常な上昇志向を示すことが知られています。原爆の落ちた広島では、すべてが一からのやり直しでした。一代で市内最大手の産廃業者を束ねるに至るというのは相当の手腕でしょうし、その父に捨てられた子どもは、父を見返すために、強迫観念のように上へ登ろうとすることでしょう。

こう考えますと、塩村議員の行動パターンが非常によく、理解できるのです。

また、最愛の父に捨てられた娘は、2つのパターンに分かれます。年上の男性を求めるようになるか、逆に激しく拒絶するようになるか。

塩村議員の場合、ツイートからは明らかに後者であることが見て取れます。

ところが、恋愛対象が常に既婚者であるところを見ますと、年下や同年代の精神的に幼い男性に興味を持てないようです。かといって、年上の男性には嫌悪感を持ってしまいます。

そうしますと、同年代ではあっても、落ち着きのある既婚者を求めるのは必然かもしれません。彼女は気づかないうちに、父の面影を恋人に見て、父に愛されなかった代償行為として恋愛しているのではないかと、想像できるのです。

ところで、既婚者であっても一人の男性を愛する女性と、次々にいろいろな既婚者と不倫を繰り返す女性の違いをご存知でしょうか。

後者の女性が自身の行動原理を、かつてインタビューで答えていました。
「最初は自分のことを遊び相手だと考えているのがわかるが、次第に若い自分に夢中になっていって、家庭を捨ててもいいとまで思うようになる。自分にとって、相手を支配できるようになることが、とてもおもしろい」

塩村議員が次々に不倫を行う理由も、この種の支配欲にもとづいているところがあるかもしれません。

家庭を大切にしている相手が、次第に自分に夢中になることで、男性への不信感を再確認できるでしょう。
「やっぱり男はくだらない存在だ。男なんてそんなもんだ」
と確認して、決して自分の父親だけが自分を捨てたのではなく、男全体がそういうくだらない生き物だと見下せば、安心できることでしょう。

父に捨てられたが故の、男性不信。それが彼女の行動原理なのかもしれません。

2014年5月12日月曜日

小保方さん側弁護士は、わざと不利な情報を公表しているのではないか

小保方晴子の「STAP論文捏造事件」は、週イチで新しい燃料が投下されるので、炎上が収まる気配がありません。

先日は小保方さんの実験ノートが公開されまして、多くの人々の度肝を抜きました。
朝日新聞DIGITALより
ITmediaによれば、上記のような簡単なノートが、8ヵ月で4ページしか記載されていないそうです。研究者も色々な性格の人がいて当然ですから、雑なノートもあるでしょう。しかし、いくら雑であろうと限度があります。そして上記のノートは、明らかにその限度を超えていました。

その上、論文画像差し替えを誤った理由を、小保方さんは「多忙」と説明していたのですが、その時期に、そば教室に通ったり、ケーキ屋に弟子入りしてケーキを作っていたことも判明。

さらにはPEACEという動物愛護団体の情報開示請求によって、小保方さんが実験を行ったと主張する時期には、動物実験計画書が提出されなかったことも明らかとなりました。

★ STAP細胞論文の動物実験計画書についての質問書

おそらく彼女は、まともな実験を理研では一切していなかったのではないでしょうか? そんな人間に理研では高給を与えていたのだから、とんでもないはなしです。

それにしても、どうしてこう、どう考えても分かる嘘を、小保方さんはともかく、その周りのブレーンである弁護士たちが発表するのでしょうか?

そこでふと思ったのが、彼らが最初に主張した、
「小保方さんには悪意はない」
というものの中に、全ての答えが隠されているのではないか、ということ。

法律を多少かじったことのある方なら御存知の通り、「悪意」は日常用語と法律用語とだは意味がまったく異なります。日常用語での「悪意」とは、相手を騙そうという意思を意味するのですが、法律用語では「ある事実を知っている」という意味を示します。

それを知らない法律の専門家は存在しません。

ところが、小保方さんについた弁護士は、記者会見で、この「悪意」を、日常用語である「騙そうとする意思」という意味で使っているのです。

最初は「そんなバカな」と竹内久美子 のように思っていましたが、ここにきて、ようやく彼らの主張するところの、意味が分かりました。

彼ら弁護士は、最初から、小保方さんを弁護する気持ちなんて、さらさらないのではないか。

彼らはこの勝負が負け戦で、決して勝てるものではないことを知っています。小保方さんから全て、概要を聞いているのですから、小保方さんを擁護することは到底不可能であり、小保方さんの主張を通すことは無茶であることは百も承知なはず。

そこで彼らは目的を大きく変更したのではないでしょうか。バカな依頼人のために、一生懸命に働いているふりをし、名前を売るという方向へ。

自分たちの名前を売り、その上で、負けることを正当化することが当面の目的だとしたら、小保方さんがいかに「バカ」なのかを、マスコミ受けする形で、少しずつアピールする必要があります。マスコミに顔を出しながら、負けるのが当たり前、という雰囲気を作るのです。

依頼人もマスコミも騙し通せる自信のある彼らが唯一怖いのは、同業者たちから"無能"の烙印を押されることでしょうか。そこで彼らが記者会見でイの一番にやったことが、「悪意」の意味を、法律とは異なった解釈をしてみせることだったのではないか……と推測するのです。

つまりは大勢の同業者に、
「私達はプロレスをします」
と高らかに、宣言したのですね。

「『悪意』を『詐欺を働こうという黒い意思』という意味で使うところで察してください。
私達、本来の法律上の土台をもとに勝負するつもりありませんから」
というところですね。

「憎まれっ子世にはばかる」
といいます。弁護士に依頼をする客の誰もが、頭がいいとは限りません。いや、むしろ、おカネはあるものの揉めごとを自分たちで解決ができない、という点で能力の劣った人々が、彼らの顧客となることが多いのかもしれません(もちろん、裁判を起こす人々が全てそういう訳ではないことは、当然の話ですが)。

弁護士にとっての将来の顧客である人々は、どの弁護士が優秀でどの弁護士が劣っているのか判断する能力はなく、弁護士を探す上で、ネットで調べたり過去の事例を調査したりすることはないでしょう。

彼らが弁護士を依頼する上での判断基準は、
「聞いたことがある」
とか、
「過去に有名な事件を扱っている」
とか、記憶のどこかにかすかに残っているか否かのみ。

小保方さん側のバカな主張を繰り返しテレビで観る人々に、小保方さんをバカだと思わせ、それを一生懸命弁護しようとする弁護士側に頼り甲斐を感じさせる……弁護士陣はそこまで考えて、あのような稚拙な弁護活動を行っている……とは、考えられないでしょうか。

これくらい、私ですら考えられるのですから、様々な宣伝効果をご存知の弁護士が考えつかないはずがありません。負け戦も宣伝活動と思えば、ありがたいものです。

そうしますと、さらに大きな隠し球を、これからも投げ続けてくれるはずです。小保方さんがいかにどうしようのない人物で、負けて当然とでもいうような、そんな情報を。

これから彼らが投げる隠し球は、理研の内情暴露ではないか、と私は思うのですが、どうでしょう。

2014年2月8日土曜日

佐村河内事件には、面白い物語に必要な要素がすべて含まれている


佐村河内守が新垣隆をゴーストライターにして楽曲を発表していた「佐村河内事件」。

興味をそそられ、事件をスクープした週刊文春を探し回りましたが、売り切れ続出。3軒目でようやく手に入れました。それだけ反響が大きいのでしょう。

週刊誌には、詳細な事件の概要が書かれていました。下手な小説を読むよりも面白く、引きこまれました。

なぜこれほどこの事件が興味深いのだろうと考えてみました。そして気づいたのが、
「この事件には、面白い物語に必要な要素すべてが含まれている」
ということです。

抜群のキャラクター

佐村河内守は、サングラスを取れば、ご覧のとおりイケメンです。
普段は黒尽くめの服を着て、杖をついて歩く、群発性頭痛に悩まされる病弱な人物という謎めいたキャラクター。その実態は、詐欺師。キャラが立ちすぎています。

しかし、プロデューサーとしての実力は本物。出資者を募って演者を集め、著名音楽家の推薦もとりつけます。幾度となく作品をヒットさせ、ゲーム、テレビ、果てはスポーツ界までも巻き込んだムーブメントを作り上げることに成功しました。

「食えない」と言われているクラシック業界に一大旋風を巻き起こした異能の人であることは、間違いありません。

これに対峙する、佐村河内氏の欺瞞性を暴露した男は、斜視の冴えない、朴訥な風貌の人物。
しかし大変な音楽的才能に恵まれた天才であり、日本に1000人しかいないという、現代音楽の第一人者でした。

天才同士のせめぎ合いが、この事件の肝となっています。

謎解きの面白さ

佐村河内氏が詐欺師である証拠は、今から振り返ると、記録の中に数多くあります。


優れた犯罪小説は、犯人が分かった後に伏線を確認することが読後の楽しみの一つですが、この事件には数多くの伏線が横たわっていました。

たとえば音楽の専門家は、楽曲自体から、佐村河内氏のプロフィールとの乖離を読み取ることができました。

障害者に身近な方ならば、何十年も耳が聞こえない人物があれほど流暢に話せるわけがない、という確信を得られたことでしょう。

佐村河内氏のことを知るほど、嘘が如実に見えるのです。むしろ、それがバレなかった理由がしりたくなるほど。でも、当時はほとんどの人が騙されていたのですから、これは佐村河内氏の嘘がうまかったのでしょう。

複雑な人間関係

この事件には、多くの人々が関わっています。前述の2人の他に、佐村河内氏と5年来の友人で、NHKスペシャルを作った古賀淳也という人物がいます。
1977年、愛媛県今治市生まれ。2002年から7年間、「筑紫哲也NEWS23」や「シリーズ激動の昭和 最後の赤紙配達人」などTBSのニュース番組や報道特別番組を制作。現在はフリーランスのディレクターとして主にNHK「あさイチ」などの情報番組の制作を担当
彼は本当に、佐村河内氏の嘘を見抜けなかったのか。

また、義手のバイオリニストである中学一年の大久保美久さん。彼女の一家は佐村河内氏から、脅迫めいた要求をされていました。

佐村河内氏の妻。彼女は果たして共犯者なのか? 彼女の母の告白によりますと、そうともいいきれません。
「娘に『正直に言って。守は結婚後の7年間でいくら稼いだの』と聞いたら、『20万円です』と。がくぜんとした。娘は過労で点滴を打ちながら働いていたこともあるのに、自分は毎日飲んで、遊びほうけて…」
妻には同氏と同じ年の弟がいた。妻と同団地に住んでいた同氏(佐村河内氏)は高校生時代「○○君(妻の弟の名)の友達です。××さん(妻の名)いらっしゃいますか」と突然妻の家を訪ねてきた。後に弟に同氏について尋ねると「そんなやつ知らない」と答えたという。うそをつき妻に接近した可能性があった。
さまざまなキャラクターの織りなす人間模様が優れた物語には必須ですが、この事件にはそれがあります。

芸術性

物語を彩るために、たとえばヨーロッパの古城だとか、美術館だとか、芸能界などの華やかな舞台が用意されます。私達が憧れる、手の届かない芸術……この事件は、クラシック音楽界という古典的な舞台で生じており、私達の関心をいやが上にもそそります。

そのうえ、彼らの音楽は、たしかに美しいのです。

佐村河内守(新垣隆):交響組曲「ライジング・サン」


Symphony No.1 "HIROSHIMA" (3)


圧倒的な悪役

佐村河内氏のことは、知れば知るほど、ペテンぶりがあらわになります。彼の妻の母によれば、新垣隆に渡した指示書も、佐村河内氏のものではないそうです。
同氏が書き、新垣氏に提示していたという18万枚のヒット曲「交響曲1番 HIROSHIMA」の「指示書」についても「テレビで紙を見てびっくりした。あれは娘の字です」と妻が書いたものと主張した。
また、佐村河内が堂々と「自分の著作」の表紙に使っていた写真。
これは新垣氏が書いた楽譜であることも、関係者の証言で分かっています。
そのうえ、障害者手帳を詐取する、診察でも(たぶん)嘘を言って大量の薬を手に入れる、弱者を脅迫しようとする、支配しようとするという悪辣っぷり。

ここまで圧倒的ですと、感動すら覚えます。

登場人物の根底にある「真摯さ」

ただ、それでも私は佐村河内氏を憎めません。これまでの私のブログをお読みの方は御存知の通り、とことん相手を追い詰めるタイプに私は生理的な嫌悪感を抱くのですが、佐村河内は知能犯ではあっても、粗暴な人間ではないようです。

たしかにとんでもない人間です。しかし、クラシック音楽にこだわり、世間を感動させてやろうという情熱は本物ですし、そのためならばなんでもやる、障害者のフリもするし、感動の場をつくり上げるための努力――たとえば曲を捧げるにふさわしい人物を探し当てるために、津波で被害を受けた人々のリストに片っ端から連絡を取るとか――を惜しまない、その情熱は本物です。

また、若い頃には自腹を切ってでも(とはいえ妻の稼ぎからくすねているのですが)、いい曲をつくるための努力を惜しみません。

もう一人の主要登場人物である新垣氏。彼が告発に至った経緯が次第に明らかになってきて、その苦悩が読み取れるようになりました。

師匠である三善晃を守るため、彼の弟子である"みっくん"を守るため、オリンピックで日本代表となる高橋大輔を守るため、日本の名誉を守るため……彼はゴーストライターとして告発することを決意しました。

名誉への情熱、プライド、真実への渇望が、この事件には同居しているのです。

佐村河内氏の楽譜を管理販売している「東京ハッスルコピー」には、文春がこの件をすっぱ抜く前に、こういうメールが届いたそうです。
「(2月)6日発売の文春に私の記事が出ます。そこに書かれている内容は、嘘偽りのない全て真実です。私は罪と罰を受けます。お許し下さい」
悪あがきをする犯人が多い中で、潔いではありませんか? 嘘が露見したら、速やかに罪を認めるところも、佐村河内氏の"真摯さ"を示しています。

挫折、そこからの復帰

マンガでは、敵に倒されて、そこから再度復活して敵を倒すことでストーリーが盛り上がりますが、この事件にも、佐村河内氏と新垣氏の「挫折と復帰」が語られています。

佐村河内氏と新垣氏が出会ったのは、それぞれ33歳と25歳のときです。佐村河内の方が8歳年上でしたが、この年になっても、不遇をかこっていたそうです。ロッカーを目指して上京したのに少しも目が出ず、毎日飲み歩く日々。そこで知り合った音楽業界の人々に多少のコネはあるものの、何より必要な音楽的才能が欠如していて、成功を望むことも叶いませんでした。

対する新垣氏もまた、かつては早熟の天才ともてはやされたものの、その後は鳴かず飛ばず。音大作曲科を卒業後に得た栄誉といえば、音楽祭で自曲が演奏され、大家である武満徹に「自分の信じる道で頑張りなさい」と声をかけてもらった程度。

非常勤講師として月収数万円に耐えながら、町のピアノ教室やヴァイオリン教室の発表会の伴奏をして、ようやく糊口をしのいでいた状態でした。

この2人がタッグを組んで、いまだに名作として名高い『鬼武者』のゲーム音楽を作り上げて世間をあっと言わせることに成功しました。まさに、挫折からの復帰です。

もちろん、それで得た報酬は、微々たるものでしょう。新垣氏に支払われた収入は雀の涙程度と言われていますが、佐村河内氏が得た収入だって、たかだか数百万円程度のはず。一年の生活費で、あっという間に失われる額です。

そもそも音楽で食っていくことは、今の時代では至難の業です。それでも、彼らは音楽によって、栄誉を勝ち取ることに成功したのですから、彼らの軌跡は「挫折からの成功」と呼んでしかるべきではないでしょうか。

そして、再度彼らは失墜してしまうのですが。

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佐村河内氏の名前や売れるまでの経歴(被爆二世、弟の夭逝など)は本当だそうです。
★ 佐村河内さん、名前と広島出身は本当だった
佐村河内さんは著書の中で、実弟を交通事故で亡くした、と明かしているが、住人によると事実だという。また、横浜市内の佐村河内さんの自宅は、この日も返答はなかった。
本当であることがニュースになるのは、この問題の面白いところです。

ネット上には同級生との交歓の様子も載っていますが、同級生の前で、よくぞバレなかったものです。細心の注意を払って、キャラクターを作り続けてきたことが分かります。

これからも、佐村河内氏や新垣氏、虚像を作り上げた人々の実像が、明らかになっていくでしょう。これほど面白い事件はそうそうないので、それが楽しみです。

ただ、明日が都知事選であることは返す返すも悔やまれます。都知事選後のテレビはそれ一色になるため、事件の深堀りがストップしていまいますからね……。

2014年2月2日日曜日

相手に自分の価値観を投影してしまう

先日、喫茶店でコーヒーを飲んでいますと、横の女性二人がなにやら深刻な顔で話しています。

携帯をいじりながら彼女たちの会話に耳をかたむけると(かたむけなくても聞こえるほどの声でしたが)、どうやら女性の一人の彼氏が浮気をしていて、それをもう一方がなぐさめていることがわかりました。

「どうしてあんな女と浮気するの? 私のほうがいい女なのに!」
「どんな相手だったの?」
「ブス!」

トイレに行くついでに彼女たちの顔を見ますと、なるほど、たしかに、どちらも他人をブス呼ばわりするだけの、美貌の持ち主。下記の写真(鬼女の写真だと言われて出回っている写真ですが、何の写真かわかりません)の、左側2人をもっときつくしたような女性でした。
話を聞きながら、
(そうじゃないんだよなぁ)
ということを、考えました。

女は男に浮気をされた時、ショックを受けます。それは、女性が自分たちの考え方を、男性に投影するからでしょう。

女が浮気をする時は、今つきあっている彼よりも好きな男ができた時です。浮気相手が彼よりも"上"だと思うから、浮気をします。

だから、女は思います。
「男も同じだろう」
浮気されるのは、男にとって、浮気相手の女よりも自分が劣っているからだろうと。

でも、男はそうではないのです。

もっと動物的な、性欲に突き動かされるように浮気するのではないでしょうか。別に、つきあっている女よりもランクが上の相手を見つけたから、浮気をするわけではありません。

私が浮気をしないのは、浮気をすることで相手を悲しませたくないからですが、中には欲望に忠実であることの方が正しいと思う人もいます。

こういう価値観の違いはあるにせよ、会話を通してすりあわせていくことで、誤解は次第に解消されていくと思うのですけどね。

彼女たちが、自信を失わなければいいんだけど、と思いながら店を出ました。

2014年1月19日日曜日

青年女性向けのマンガのジャンルを作ればいいのにと思ったけれども

恋愛天国 (パラダイス) 2014年 03月号 [雑誌]
恋愛天国 (パラダイス) 2014年 03月号 [雑誌]

「今の少女マンガはえげつないよ」
ということを女友達から聞きまして、数冊の少女マンガを読んでみましたが、たしかにえげつないですね。

少年マンガよりも、はるかに性的描写が多いのです。

少女マンガの金字塔となった『NANA』という作品。
こちらも、過激な部分が多く描かれ、ちょっとどうだろう? と思いました。

少女マンガの露骨さは少年マンガの妄想的なものとは違いますね。現実の延長上にあり、主人公に感情移入するとそのまますうっと現実に行動を起こしそうなものを感じました。少女にとって悪影響を与えないだろうか……と心配になりました。

インターネットで情報はいくらでも仕入れることができる時代ですから、規制の効果が昔ほど期待できないとしても、精神が未成熟な少女からできる限り性的なものを遠ざけて、落ち着いた環境に置くよう努力するのは、大人の役目。だから、子供向けの少女マンガ冊子に過激なものを載せないようにしてほしい。

それにしても、なぜ今の少女マンガがこう変化したのか? 女性は男性と異なり、性的描写をそれほど求めていないのに、と考えているうちに、男性には青年向けのマンガである「ビッグコミック」という雑誌が用意されているのに対して青年女性向けのマンガ雑誌がないから、少女マンガに20代女性向けのマンガが押し込まれてしまっているのではないか、と思い至りました。

むろん、レディースコミックというジャンルがありますが、こちらは男性向けのエロ雑誌の女性版のようなものでしょう。青年女性向けの純粋なストーリー性のある娯楽雑誌とは異なります。

たとえば『今日からヒットマン』や『リアル』、あるいは『島耕作シリーズ』のような物語の載ったビッグコミックと呼ばれる青年男性向け雑誌。あれの女性版があってしかるべきではないか。

そうすれば、現在ビッグコミック系雑誌に掲載されていた『おたんこナース』だとか『働きマン』のような若い成人女性向けのマンガがそちらに掲載され、女性漫画家ももっと女性向けに特化した漫画を描けるのではないか。

こうしたことを思って調べてみますと……以前はそういうものがあったのに、廃刊となったことが分かりました。


ヤング・レディース
 ヤング・レディースは、日本における女性向けの漫画のジャンル。大人の若年(20代を中心とする)女性の生活や恋愛を描く。
(中略)
 1980年代中盤には女性漫画(レディースコミック)が隆盛し、次いでレディース誌と少女誌の隙間とされた年代をターゲットにした雑誌が続々と創刊され、ヤング・レディースというジャンルが確立した。
 1990年代後半、女性漫画のブームが落ち着くと共に淘汰が進み、大手出版社以外はこの分野からほぼ撤退している。「ヤング」付きの誌名を持つ雑誌は『FEEL YOUNG』一誌を残すのみとなった。
なくなってしまった理由は単純です。……それが売れないから。なぜだろう? と思って友人に聞いたら、即答されました。

「だって、ファッション誌を読んだり現実に買い物している方がマンガを読んでいるよりも楽しいじゃない」

なるほど。

男性と比べると女性は現実的。妄想よりも現実にシフトする女性が男性よりも圧倒的に多く、マンガを読まなくなるため、彼女たちをターゲットとした青年女性向けのマンガ雑誌の市場が育たないのでしょう。とはいえ少ないながらも青年女性向けのマンガを求めている人々がいるので、青年男性向けの雑誌と少女マンガ雑誌に、青年女性向けのマンガが押し込まれてしまうと、こういうことではないでしょうか。

それでも少女向けの雑誌には、あまり無茶な描写を持ち込んでほしくはありません。少年漫画も同様ですがね。


2013年12月24日火曜日

占い記事は結構いい加減

密教占星法
クリスマス・イブなので、少々スピリチュアルな話を。

時々雑誌の企画で、芸能人やスポーツ選手の能力や人気に五段階評価をつけるというものがある。あるいは雑誌の埋草に、星座や血液型同士の相性が書かれていることがある。

昔スポーツ選手をタイプ分けする企画に関わっていたことがあるのだけれども、案外、いい加減に作っているのをご存知だろうか。占いもまた然り。

たとえば血液型だと、それぞれ基本的な特徴というものがすでに決まっている。
A型・・・・・・まじめ
B型・・・・・・マイペース
O型・・・・・・おおざっぱ
AB型・・・・・・二重人格
基本系だけだと面白くない。そこからどうアレンジした文章を書けるかがライターの腕のみせどころ。

たとえばAB型の二重人格というのは要は誰もが持っている二面性を抽出したものに過ぎないので、そこから、
「AB型の女性は親友の前だと本音が話せるのに、つきあい程度の友達の前ではどうしても自分をガードしてしまいがち。でも、本音を見せないあなたを信用する人がいるでしょうか? せっかく、親友となれそうな友達を作るチャンスを、あなたの警戒心が今まで何度邪魔したことでしょう? 一度、自分を取りつくろおうとする気持ちを抑えて、心を開いてみてはいかがでしょうか?」
などと書く。

でも書いている本人自身の、
「本音が話せない相手は口が軽いとかいろいろ理由があるから話せないんだよね」
などという本音は書かない。

こんなことを以前知人に話すと、
「いろいろな占いの本で相性占いをしてみても、全部同じ結果になるんだよね。やっぱり、その裏にはしっかりした統計研究があるんじゃんないの?」
と言われたことがある。

その知人にはもう何年もつきあっている彼氏がいるのだが、その彼氏との相性診断が、占いではよくないんだそうだ。

でも、これにもタネがある。占いライターはそれなりに真面目なので、まったく想像で書いてはいけないという倫理観はある。たいていの企画には、すでに先行研究の書籍があり、それを参考にしながら記事を書く。参考にされるテキストは、すでに業界の中で定評のあるものとなる。

同じネタもとからひっぱってくるから、同じ結果になるだけなのだ。別に相性が統計によって定まっている訳ではない。

そもそも相性が悪い彼氏と何年もつきあえる訳がなく、しかも二人はうまくいっているのだから、それが一番の証明だと思うのだけれども、それだけでは満足できないのは本人の欲深さのせい。人間、なかなか飽きたらないものだ。

昔、占いのために統計的な調査が行われていたのは確かだ。たとえば日本では水野南北という占いの大家がいて、手相などの研究のために髪結い床(当時の理髪店)の見習いを3年、湯屋の三助業(当時の銭湯のマッサージ師のようなもの)を3年、火葬場の隠亡焼き(葬儀屋ですね)を3年続けて、何万人という人々の身体の特徴を観察し、研究したという。

似たようなことが中国やヨーロッパでも行われていただろう。また、アメリカ辺りでは様々な科学的な統計結果が占星術にも取り入れられているそうだ。

でも、数十年も経てば環境も大きく変わる。男性が強圧的に女性を支配していた時代には離婚出来なかったある性格の女性は、現代制度下では最も離婚し易い性格かもしれない。つまり、古い過去の事例を元にした統計は、現代人に当てはまらないことが多いということ。いわんや数千年前の統計結果においてをや。

よって、占いに振り回されるのはバカバカしい。

ただ、占いが好きであっても何ら問題無いと思う。実際私も、先日、預言カフェに行ったレポートも書いた。なにしろ、優れた占い師の直観的判断は凡人の判断能力をはるかに凌駕するケースが多いからね。

でも、のめり込むほどのものではない。

それでも占いにハマりたいなら、どうせならこんな本で研究スべきだ。阿含宗の桐山靖雄の『密教占星術』も、この辺りがネタ元かもね。