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2015年2月20日金曜日

曽野綾子の醜態に作家の特権が失われゆくさまを見た気がした

曽野綾子のコラムが物議をかもして10日経つ。

キッカケは2/11付の産経新聞のコラム「透明な歳月の光」だ。以下の記事でコラム全文が読める。

★ 【追記あり】産経新聞、今度は曽野綾子が人種差別(アパルトヘイト)を肯定するトンデモ全開コラムを掲載

彼女はコラムの中で「移民の身分は日本人と法的に厳密に区別すべきだ」と説き、同時に、南アフリカ共和国の「実例」を紹介した上で、「居住区は人種ごとに分けて住むべきだ」と主張した。

これに批判が殺到したところ、彼女は下記のように弁明。

★ 曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」
私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。
私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。
さらには荻上チキという評論家と対談して、以下のように解答をしている。

★ 荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし
曽野:はい、あの区別で、差別をしなさいなんて全然言っていないんです。
荻上:日常の中のそうした配慮を区別とおっしゃっていると。
曽野:日常の穏やかなにね、そして相手の立場を持って大人げを持って認めると言うのが私は良いと思っていますよ。
差別を区別と言い換えるのは差別主義者の常套手段だけれども、それを指摘されても彼女は自分の過ちを認めない。
 南アフリカ共和国の駐日大使などが下記のように抗議している。

★ 曽野氏コラムで南ア駐日大使が本紙に抗議

このまま産経新聞も放置しておくわけにはいかないのではないか。彼女に謝罪をさせるか、コラムニスト自体を降りてもらうか、を迫られるだろう。そして、曽野綾子はすでに地位もカネもある人物だから、謝罪をすることもないだろうから、コラムニストを自主的に降板するんじゃなかろうか。

そしてまた日をおいて、『正論』などに今回の騒動の総括をおこない、言論の自由が失われつつある世の中を嘆いてみせるものの、産経新聞とは影響力は段違いだから、特に話題になることもなく、そのまま彼女は忘れられていくような気がしている。彼女ももう、83歳だし。

私のこの件に関する意見を述べる。

彼女はずいぶんと不誠実だ、というのが最初の印象だ。昔から彼女とは同じ保守思想に属しているはずなのに、どうにも賛同できないことが多かった。その理由は、狭い知見をもとにした、彼女の押しつけがましい論の建て方にあった。

たとえば彼女は若いころ、アフリカで貧困生活を現地の人に混じって体験したことがあり(一種の冒険を昔したことがあったため)、
「私と同じ経験をあなた方、したことないでしょ? それなら私の言うことをそのまま受け止めなさい」
と主張する、そんな内容のコラムを読んだことがある。似たような暴論で、なおかつ内容が偏ったものが彼女には昔から多かった。

今回の話も、ヨハネスブルグのマンションに黒人が大勢転居したために白人が逃げ出した、という一例をもって、人種が一緒に住むことはむずかしいと一般論に仕立てあげるのは明らかに論理の飛躍だ(なぜなら人種が共存しているニューヨークなどの大都会がたくさんあるのだから)。そのうえ住居を別にすべきという主張の傍証に、自然に人種が分離したチャイナタウンなどを証拠と挙げるのも卑怯だろう。だったら自然に任せればいいだけである。彼女が主張することはなにもない。

そしてもう一つ。この騒動で私が考えたのが、作家の特権の暴落についてだった。

もはや「作家の特権」は有名無実化しているのかもしれない。

昔は言論を社会に問うことの出来る人間は限られていた。作家はそのような特権階級の一つであり、新聞や書籍などの媒体を使って世の中に意見を問うことが可能な数少ない人種だった。だから、作家には道義から逸脱した言論を吐く権利があると、社会的に認められていたし、作家がそう主張しても、それに違和感を感じなかった。

当時は政治家や官僚などの力が今よりも数倍強かったから、彼らにペン一本で異議申立てするのも今とは比べ物にならないほどの勇気が必要だった。だからそれをする作家に、人々は声援を送ったし、彼らに倫理を逸脱する「特権」が許されていたように思う。

ところがもう、時代が違う。彼女が触れていなかったというインターネットで、誰もが発言をできる時代だ。もはや作家に、今までと同じような特権を与える理由がない。

それに、権利には義務がともなう。特権だったならなおさらだ。作家が特権を主張するならば、彼らはそれに見合ったノーブレス・オブリージュ(聖なる義務)を行使しなければならないのだが、日本の作家がここ数10年、義務を果たしてきたといえるだろうか?

たとえば昔だったら、「四畳半襖の下張事件」という有名な刑事事件があった。当時は権力がとかく人民の自由な表現を邪魔しようとうるさかったから、こうした風潮に噛み付いて、自由に作家活動ができるようにするべきで、読者にもそれを読む権利がある、という作家たちの意見表明に人々は拍手喝采を送ったものだった。こうした言論の自由を守る活動が、作家の特権を支えてきたといっていい。

ところが今、こうした活動をおこなう著名作家は少ない。特に現代社会では企業の力が肥大化しているが、あいも変わらず政治批判をすれば権力に反抗していると考えている方が多いのではないか。名誉毀損などで裁判を起こされるから、企業に刃向かう方がよほど困難、知名度のある作家には頑張って欲しいところだけど、彼らが一丸となって企業に立ち向かう、というような話はあまりない。

いたとしても論の建て方に緻密さがないために、読者に簡単に見切られるようになって、ますます彼らの特権が失われつつあるように思える。もちろん良心的な作家も大勢いるのだが、声が小さく、社会を大きく動かすに至っていないように思う。

曽野綾子が、「私は作家だから」とか「書きたいと思ったら、その時静かに書かせていただきます。それだけのことです」などと、作家としての自負を見せても、もはや形骸化した作家の特権に固執する様に感じられてただ、醜悪なのだ。それに気づかずに自分が特権階級だと思い込んでいる彼女に哀れさを感じてしまって、そのことに愕然としたのだった。



2015年2月15日日曜日

岡田斗司夫はなぜ高須克也氏には謝ったのか?

評論家の岡田斗司夫が、一時期ダイエットに成功してバラエティー番組にひっぱりだこになっていたことを覚えていらっしゃる方は多いはずだ。

ただ、ダイエットにはリバウンドの危険性が常に付いて回る(岡田氏も後でリバウンドした)。

ダイエット成功発表直後の2008年に、たまたま雑誌の企画で対談した美容外科医の高須克弥はそれを見越して、
「この際だから肥満再発予防のため、脂肪細胞を吸引してしまおう」
と岡田に提案したらしい。しかし岡田斗司夫は一度受けたその話を手術前になってドタキャンした、という事件があったらしい。

それが今頃になって明らかとなったのは、最近カネに困った岡田が、高須医師に借金の無心をしたために高須医師が怒りを爆発させて数年前のこの件を週刊誌で暴露したからだ。

★ 高須院長が激怒!「岡田斗司夫が金銭的援助を求めてきた」
高須:そう、あり得ないよね。よし、そのメッセージを見せてあげよう!(スマートフォンでフェイスブックを開き、岡田斗司夫氏からのメッセージを見せる高須院長)今回の女性問題で、岡田斗司夫が作ってた女性の格付けリストがネットに流れたでしょ。女性たちのために、それを削除したいってことらしくて。弁護士費用がかかるから、数百万円を援助してくれないか、という内容なんだよ。
「数百万円の貯金もないのか?!」
という批判の声がネット上で飛び交っているけれども、その批判に私は与しない。岡田氏が借金でここを乗り越えようとする気持ちは不思議ではないからだ。

仮にもあれだけの著作をヒットさせている男だ。数百万円の貯金は当然あるだろう。しかし、イレギュラーな高額出費のために貯金を切り崩してはならない、と判断したが故の行動だろうし、その判断は正しい。

借金をしてでも貯金に手を出さない、というのはカネを貯める人間にとっての鉄則だ。これは貯金の不思議な性質であり、詳しくは藤田田の著作「ユダヤの商法―世界経済を動かす (ワニの本 197) 」などに書かれているので、ご興味のある方は読んでみられてはどうだろう。それに財務的には、手元に自由になる現金が常にあることも重要。キャッシュフロー経営という言葉でお調べになれば、なぜそれが大切かがお分かりになるだろう。

ただ、この状況で、自分が以前迷惑をかけた人間に借金を申し込むという行動を理解するのは難しいだろう。しかしよくよく考えてもらえれば、極めて彼らしいと言えるはずだ。

彼は身勝手な人間で自分のことしか考えない。当然今、謝罪することが自分にとって有利だからそうするのだろう。そしてどん底の状態こそ、多くの人と和解するチャンスなのは間違いない。というのも、それは卑屈になれる数少ないチャンスだからだ。

怒らせた相手に謝罪するのは、不必要なリスクを抱え込まないためにも必要な行為だが、謝罪をするには下手に出なければならない。ところが岡田斗司夫という男はたいへんプライドが高い。たとえ自分に非があろうとも、相手に媚びたり卑屈な態度を取ったりすることは我慢できない。これまでもなんとかして言い逃れようとしてきた。

しかし、損得勘定に長けた男だから、カネのためだったら卑屈になれる。そしてそのことを、
「利益のために卑屈になるのは心が位負けらしているのではないから、いくらでも頭を下げる。そんな自分は他人から見ればカッコいい」
とでも考えているんだろう。

この手の傍若無人な人間は、「気にしない」と強がりながら実は人一倍外面を気にする。だから自分が他人に謝罪することで、自分が謝罪した相手よりも下に見られることに我慢できない。この手の男は、人間関係を上下関係でしかとらえないから、自分が他人よりも下の人間だと思われることをはなはだしく嫌う。

ところが現在四面楚歌、窮状にいることは誰しも認めるところだから、謝罪したことが世間に後日バレても、暴落した自分の株は、下げ止まりしていてこれ以上下がらないと踏んだのだろう。

それに、謝罪した相手よりも格が下だからなのか、窮状のせいなのか、それとも借金のために頭を下げたのか、世間は判断できまい、とも考えたのだろう。

様々な計算が働いた結果、高須医師に借金の申し出をしたのだろうが、いかんせん相手が悪かった。高須医師は全て見抜いた上で、岡田氏のメールを先に世間に暴露してしまったのだから。

私信の公開は違法だから、高須医師もずいぶんとリスクの高い行動をとっている。岡田氏が訴えれば高須医師にとってはダメージだろう。しかし岡田氏は訴えまい。訴えれば余計に自分の首をしめることになるからだ。非のある人間が居直るのを許すほど、世間は甘くない。

親告罪だから岡田氏が訴えなければ高須氏の罪を問われることはない。世間的には私信の公開はそれほどの罪だとは思われていないし(だから世間ではメールを平気でネット上で公開している人が多い)、高須氏はオープンな人間で、私信の公開を批判しながら陰口を叩いてきたエセ評論家とは異なるから、高須氏が責められることもなかろう。

そこまで見越しての高須医師の行動だったのだろうが、さすがだね。お見事である。

それに対して岡田氏、早々白旗を上げた。

★ 高須 克弥さま  お詫びと、経緯説明を申し上げます。(岡田氏のFacebookより)
その時に、すぐに僕から直に高須先生に謝罪すべきでした。しかし、後藤氏より「岡田さんが謝ると、人間味がないのでますますこじれる」と遠回しに言われ、自分でもそんな気がしたので、お任せしてしまいました。
編集さんの影にコソコソ隠れたりせず、まず、キャンセルを自分でも伝えればよかったと、今でも後悔しています。
その後、トラブルになっていると聞いたときも、編集さんに任せるだけでは無く、自分なりに誠意をもって謝るべきだった、と痛感しています。
ずいぶん殊勝じゃないか、と面食らった。乱交暴露騒動のあとの公開の場で、
「俺は、俺以外の人間はすべて犬とか虫に見える。それが人生観」
と言い放ったり、竹熊健太郎氏の盗作疑惑批判に対して、
「それが竹熊さんのあつかましいところでさ、あの当時、マンガファンみんな知ってたことじゃん。『オタク学入門』に全く新しい知見なんかないんだよ。」
「今更言うところも含めて、竹熊さんちっちぇえ」
と軽侮してみせた岡田氏と同一人物とはとても思えない。

何なんだろうね? この人……とつらつらと考えているうちに分かったことがある。この手の詐欺師の言葉に、誰もが左右されていたという事実だ。

記事が長くなったので、詳しいことは次の記事で書こう。普段は隔日連載だが、ひとつづきの記事は間を空けない方がいいから、明日記事を書こうと思う。

2015年2月13日金曜日

バレンタインデーで男からチョコを貰うことが普通になるかも

2/14はバレンタインデーだ。女性が思っている以上に、男性はチョコレートをもらうと嬉しいものだ。義理であってもぜひ、お近くの男性にチョコを渡していただきたいと思う。

別に意中の女性や絶世の美女からでなくとも、異性から好まれているというだけで私は嬉しい気持ちになるし、たいていの男性はそうだろう。

とはいえ、なかには偏狭な男性もいるのはたしかだ。好きでもない女性、気に入らない女性からチョコレートをもらうことを嫌がり、それを露骨に顔に出す男もいる。性格が悪い奴らで、まともじゃない、と思う。

……とはいえ、そういう自分は果たしてまともだろうか? と下記の記事を読んで考えた。

★ 同性カップルに結婚相当証明書 東京・渋谷区
東京・渋谷区は、同性のカップルに「結婚に相当する関係」と認める証明書を発行する新たな条例案をまとめ、来月の区議会に提出することになりました。
区は証明書を持つカップルを結婚と同等に扱うよう区内の事業者などに求める方針で、条例が成立すれば全国でも例がないということです。
同性愛を異性愛と同じように認め祝福するのが欧米先進国のトレンドだ。同じ文明圏に属する日本でも、これがやがてスタンダードになるのだろう。

さて、そのときに、たとえばバレンタインデーで、私が男性からチョコレートをおおっぴらにもらうことが数年後には当たり前になるのかもしれない。そう考えたときに、正直生理的な嫌悪感を感じた。ホモからチョコレートをもらうなんて!

ふいに、昔観た映画を思い出した。

あれはテレビドラマだったかもしれない。

アメリカの白人老夫婦の偏見がテーマだ。彼らは今でも人種差別を当然と思う、古い南部の田舎町に住んでいる。同じような価値観を持つ老人同士で意気軒昂に黒人差別で盛り上がる。現実に彼らが黒人を侮辱する行為に出ることはない。その場所はあまりに田舎なので黒人がいなかったため、それが通用していただけなのだ。ところがとうとうこの街にも黒人が移住してくるようになった。

そこで悲喜劇が起こるのだが、主人公である老夫婦も、やむを得ず黒人とつき合わざるを得なくなる。そしてある事件(なんだったか忘れた)をきっかけに、夫は黒人差別が間違っていることを悟る、というストーリーだ。

ところが、白人夫婦の改心で終わらないところが、この映画の良さだった。最後が秀逸だった。

夫の価値観の変化に戸惑いながら、「夫に妻は従うもの」という古い価値観にしたがい、妻は今度は黒人差別を一切口に出さなくなる。そして黒人に寛容であるようふるまおうと努力する。ところが、最後になってそれがどうしてもできず、彼女は涙を流しながら訴えるのだ。
「黒人差別が間違っていることは頭では分かっているの。でも、生理的に無理なの!」

……

よく、
「嫌なものは嫌なの!」
と自分の感情を変えないことを正当化し、感情を抑えることに徹底的に反対する人々がいる(女性に多い)。上記の白人の老婦人もそうだったのだろう。しかし、この生理的な嫌悪感や感情がどれほど純粋なものであろうとも、正しくないものは正しくない。

キアヌ・リーブスが、かつて、
「あなたは同性愛者ですか?」
と尋ねられたときにこう返したという。
「僕がその噂を否定するのは簡単だ。けれどそんなことをすれば
僕はゲイやバイセクシャルの人間であると思われたくないということになるだろう? 
それはひとつの差別意識の表れだよね。

ゲイだと思うなんて酷い、バイセクシャルの人間だと決めつけるなんて失礼だ
とそんな風に考えること自体が、実はひどく差別的なんだから。

セクシャリティにかかわらず、僕は僕だよ。
僕の俳優としての評価は、セクシャリティとは無関係だ。

だからその質問に対する答えはたった一つ、『ノーコメント』だよ」
これを2ちゃんねるで読んだときにカッコイイな、と思ったが、これからはこれを私達の公式な態度にしなければならないのだろう。同性愛への嫌悪感を示すこと自体、恥ずかしい行為だと認識して、決して口にせず、差別の輪に加わらないような態度だ。

キアヌは差別意識すら否定したが、生理的な嫌悪感、嫌だと思う感情を持つことまでも禁止するのはもはや自由意志の否定だと思うからそれには反対だ。しかし、それを外に出すことが許されない時代は、すぐそこまで来ている。

それに対応できない人間は、セクハラで捕まる老年オヤジのような末路を、これから数年後に迎えるのではないだろうか。そして、差別意識を有したままで態度だけを改めようとしても滲み出てくるのを止めるのは至難のわざだから、それなら意識を変えた方が手っ取り早い。

バレンタインデーでチョコレートを男からもらうことを想像して、生理的な嫌悪感を抱いている男性諸氏は、今のうちから自分を訓練しておいた方がいいかもしれない。

少しずつ自分を変えていき、同性愛者をからかうジョークの輪から一歩身を引き、嫌悪感を外に表さない訓練を少しずつ続けるのだ。

数年経てば、行動が変わり、やがて感情が変わる。生理的嫌悪感を抱くことはなくなるだろう。男性からチョコレートをもらっても、ただ、
「ありがとうね」
と言って笑って感謝することが、自然に出来るようになるのではないか。


2015年2月7日土曜日

武道を稽古するならば型稽古の方がいい

実践形式ではない武道の稽古をすることに、昔は疑念を抱いていました。

日本の伝統武道は、ほとんどが型稽古を重視しています。今の剣道のような防具をつけて竹刀でたたきあうような稽古を始めたのは江戸時代末期の北辰一刀流だそうでして、それまでの道場のほとんどは、型をひたすら繰り返す、というものばかりだったといいます。

学生の頃には、この種の稽古を小馬鹿にしていたことがありました。大学生の頃に古武術を習っていながら、
「こんなの実戦で通用するのかね」
と思いながら稽古していたのも事実。

子どもですから、ヒーロー願望があるんです。

街で暴漢に突然襲われたときに、次々に倒してやりたい、とかね。そんなシーンを夢想したこと、ありませんか?

型稽古を繰り返して、彼ら悪漢を倒せるように成るとは、到底思えず、かといって私の尊敬する武道家たちは「型稽古をやらなければならない」「強くなる」という主張をするものですから、ほんまかいな、と思いながら型稽古を不承不承、やっていたのです。

それから仕事が忙しくなって武道から離れて10年以上となりますが、最近ふたたび武道でも稽古しようかな、と思える精神的余裕を持つようになって、ふと思ったのが、今まで自分がいかに運が良かったのか、という事実。

この年で、たとえば頚椎に損傷を負って下半身不随になったとしたら、どうしようと考えると、ふいに怖くなりました。

考えてみれば、暴漢に襲われて命が奪われる可能性よりも、実践形式の武道の稽古で、打ちどころが悪くて半身麻痺になったり、骨折したりする可能性の方が確率が高いのではないでしょうか。

「危険を避けるため」
に武術や武道をやるのだとしたら、怪我をする危険性が、暴漢に襲われる危険性よりも低くなければなりません。それなのに、アクシデントの多い試合形式の稽古では、リスクが大きすぎます。

筋トレをして、走りこみをして筋力とスタミナをつけ、型稽古をすれば、いざというときに身を守る動きをするには充分ではないか、という確信が、今はあります。筋力をつけるという積み重ねを嫌う人間が、勘だとか技だとかに安易によりかかるのではないか、とも思うのです。

そう考えますと、実戦形式で稽古することには、メリットよりもデメリットの方が大きいのではないか、と思うようになりましたが、これは私が歳をとった、ということなのでしょうかね。



2015年1月30日金曜日

自衛隊のトップにいた人間が、なぜこうも愚昧なのだろう?

元航空幕僚長の田母神俊雄のツイートが話題になっています。

どうしちゃったんでしょうね。田母神さん。保守というよりも、これでは単なるネトウヨとか右翼モドキじゃないですか。私、自分を保守派だと思っていますが、彼と同じ保守としてひとくくりにされたくないと痛切に思う次第です。私自身が馬鹿なのに、さらに馬鹿に見られてはかなわないな、と。

問題となる点

何が問題か? ひとつは、別種の問題を持ち込んでいるという点。在日韓国人、朝鮮人が通名を利用して犯罪の指弾を免れているという問題は確かにありますが、今回のイスラム国による日本人殺害予告事件とはまったくの無関係。それを持ち出す理由が分かりません。

それに、仮に日本人ではなく在日韓国人だから韓国政府がこれを解決すべきだと言いたいのだとしても、それは今言うべきタイミングではありません。後藤健二氏の国籍が日本だとしたら、まったく余計な発言や問題提起で現場を混乱に陥れるだけ。日本政府が彼を日本人だと言っているのです。政府を信じて一意専心、彼の救出を祈るべきときでしょう。そのあと、問題を正していけばよろしい。

また、在日韓国人だから日本政府は救出に努力すべきではない、と言いたいのだとしたら、単なる差別主義者です。

仮に後藤氏が以前在日韓国人だから、帰化した人間だから、日本人らしい行動をしなくておかしい、という指摘だとしたら、今度こそ本当にただの馬鹿でしょう(そして多分、これが田母神さんの本音のように見受けられます)。日本人にも大勢くだらない馬鹿がいます。帰化したラモス瑠偉さんのような、ラテン気質で日本人としては型破りだとしても、日本人以上に日本を愛している方々もいます。多様性を認めず一つの鋳型に押し込もうとする人間は、単なる全体主義者です。

差別主義者でかつ全体主義者となると、ネトウヨというよりも「ナチ公」という称号のほうがふさわしい。

石堂さんの父は韓国軍人じゃない

それに、石堂順子さんが在日韓国人だ、というデマの根拠が著しく薄弱なことは、調べればすぐに分かります。

このデマは、石堂順子さんが1/23に会見の中で、子を思う親の気持ちについて述べるくだりで、
それから、私の父は軍人です。朝鮮とか、そういうところのかなりのトップだったと思います。私はいつも軍用車と、三角形のひらひらする旗のある自動車で送られていました。しかし、今、私どもが、写真を見ますと、私のおじいちゃん、教育者だったんですが、草履履きで私の朝鮮馬山の宿舎へ訪ねてきました。私はつい最近まで、おじいちゃん、なぜそんな格好で朝鮮へ来てくれたの、恥ずかしいという思いをしたことがありました。
と語った言葉がひとり歩きして、
「石堂順子さんの父が韓国軍トップ、ということは、石堂順子さんは在日韓国人だ」
と噂されたのが、そもそもの発端のようです。

★ 【全文】「私はこの3日間、何が起こっているのかわからず悲しく、迷っておりました」ジャーナリスト・後藤健二さんの母・石堂順子さんが会見

ところが、調べるとすぐに答えらしきものが出てきます。

78歳の女性が語る父親の思い出話です。父は韓国軍人ではなく、朝鮮半島に駐在していた日本帝国軍人である可能性もあるでしょう。そして今は便利な時代で、陸軍のトップの人間の名簿までもインターネットで見ることが出来る時代です。

★ 陸軍部隊最終位置
「石堂」というのは珍しい名前です。「石堂」の名で検索すると、朝鮮軍管区直轄馬山重砲兵連隊補充隊に「石堂燦二中佐」という人物が在籍していたことが分かります。

宿舎の場所も朝鮮の馬山で同じです。この石堂中佐と考えて間違いないように思います。

陸軍士官学校33期生なので、石堂中佐は1900年の生まれでしょうか。石堂順子さんは78歳なので、年齢から逆算すると1937年生まれあたり。順子さんは石堂中佐が37歳頃に生まれた子どもだと考えれば、年齢的にも辻褄が合うでしょう。

軍属の暮らす宿舎に、学校の先生をしていた石堂順子さんの祖父が、日本からわざわざ海をわたってやってきたのでしょう。立派な服装で訪れると「上官の父兄がやってきた」と大袈裟な歓待を受けてしまうので、仕事の邪魔にならないよう、敢えて近所の老人の素振りをして、粗末な身なりで宿舎を訪れた、というエピソードのどこにも、批判を受ける要素はありません。

……という情報は、調べればすぐに分かるはず。 その手間も惜しむ理由がわからない。

自衛隊トップにもバカは居る

なぜこんな人間が航空幕僚長という重責に就いていたのだろう? と不思議に思いましたが、案外、この手の卑しい品性の人間が、自衛隊のトップに多く生息しているのかもしれません。

自衛隊のトップレベルの方と会う機会は、あまりないでしょう。私の人生を振り返っても、お会いしたのは数度です。その内の一度は、私が19歳のときでした。

防衛大学を受験して、最終面接まで合格したあと、詫び状を書いて入学辞退をしたときのことです。その地方の自衛隊のトップだった人物の自宅に招かれて、こんこんと説教をされたうえで、執拗に防衛大学に勧誘されたことがあります。

居間に虎の皮が敷かれていて、随分と豪勢な家でした。ところが人物はそれに見合っているとは最後まで思えませんでした。3時間ほど食事をしながら歓談したのに、彼は最初から最後までカネのことしか言わないのです。

「地方だったら30代で、家をローン無しで一軒、建てることができる」
「俺の部下は北海道に、二軒の家を建てた」
「将来は安泰」
「かなりの財産も残せる」

「子どもだからカネのことを言えば納得するだろう」
と見くびっていたとしたら、子どもの気持ちをまったく分かっていないということで、指導者としては失格でしょう。子どもの心を動かしたいならば、カネではなく情熱でしょう。

日本のために尽くして欲しいとか、自分たちはこんなに頑張っているんだ、という具体的な話をしてもらえれば、単純な子供ですから、感動して防衛大学に入学したかもしれません。しかし徹頭徹尾、カネのことしか言われないのにあきれ果て、彼に会ったことすら後悔をしたのを、ふいに思い出しました。

私の乏しい人生経験の中で、ほとんど会うこともない自衛隊トップの人間が、たまたま若者にカネの話しかできない愚昧な人間だった、という可能性よりも、自衛隊トップの人間にはこの手の人間が大勢いる、と考えたほうがいいのかもしれません。

田母神俊雄も、航空幕僚長という経歴からもっと立派な人間を想像していましたが、ずいぶんと卑しい人物のようです。現代では昔と違って、品性に優れていようとも実務能力に劣る人間は出世しません。実務能力やコミュニケーション能力に優れていることと品性や教養とは別です。逆に言えば、出世した人間には随分と卑しい品性の持ち主もいる、ということでしょう。

それにこの方、支持者も右翼モドキやネトウヨばかりのご様子ですから、彼らにだいぶ毒されているという側面もあるのでしょう。また、Twitterなどは本人ではなくスタッフがおこなっているのでしょうから、スタッフに恵まれていないのかもしれませんし。

いずれにしても、彼には保守派を名乗らないでほしいものです。


2014年12月22日月曜日

Yahoo!映画レビューから献辞が削除されたという記事を読んで

松嵜真一という映画監督が、「映画は人を殺してもいいのか?~映画「告白」の裏側で亡くなった若手スタッフについて~」という記事で、映画撮影に携わっていた1人の若者の死を悼んでいる。

監督の裁量のもと、過酷な労働環境を強いられ、保障されないまま人々が酷使させられている現状を憂いた記事だ。昨今のブラック企業の問題にもつながる根深い構造だと思う。

詳しくは元の記事を読んでいただくとして、私が気になったのは、メインテーマとずれた、とある箇所だった。
けれどもやはり、私はそんな煮え切らない思いをどうにかしたくて、「告白」の公式ホームページで、感想を寄せてくださいと、Yahoo!映画レビューにリンクが貼られているのを見つけて、そこに上記の「後藤くんへの献辞の件」について書き込んだ。しかし、どういうわけだか、その書き込みはその数日後にはキレイさっぱり削除されてしまったのだ。Yahoo!映画レビューでは、1度レビューを投稿した映画には、再びレビューを投稿することはできず、削除された文章をもう一度書き込むことはできなかった。私はその時はじめてこの件に関して、なにかひっかかりを覚えはじめた。
確たる証拠はない。Yahoo!映画レビューが、「これこれこういう理由で削除しました」と明確に説明しないためだが、たぶんこれは、労働基準法違反が蔓延している映画製作の現状を知られることは一部の人間(多分映画政策配給会社)にとって都合の悪い書き込みだったから、削除させたのではないかな、と邪推する。

日本のサイトでは、この手の壁にぶつかることが比較的多い。ある程度の跳ねっ返りは許容してくれるけれども、根本に打撃を加えるような発言は、決して許してくれないという不寛容性がある(私も何度か経験した)。

楽天にせよ、Yahoo!にせよ、日本のIT企業が日本で善戦をしてくれている。それは外資系に日本の市場を席巻されることよりははるかに嬉しいのだけれども、彼らを根っこの部分で信用出来ないのは、こうしたところだ。日本のITサービスでは、企業や大きな団体に不利なことを書き込もうとすると、それが真実であるかどうかに関わらず、削除されたり発言の制限を受けたりすることがある。

無論、GoogleやAmazonなどの外資系IT企業がすべて信用できる、ということではない。彼らの検閲もかなりえげつない。でも、少なくとも、日 本のIT企業よりも、「事実をできるだけそのまま伝える」「できる限り検閲をしない」という使命に、もっと真摯に向き合い、違法行為を摘発する声以外の雑音には、拘泥しない、できるだけフェアであろうとする姿勢が強いように思うのだ。理念への信頼。私はこのブログで、何度かこのテーマを取り上げてきたが、どうしてもそこにこだわってしまう。

Googleが「邪悪になるな」という理念を社是としていることは有名だが、この種の形而上的な理念を掲げているIT企業は日本ではそれほどメジャーではない。実利的な、「暮らしをもっと豊かにする」などの直接社会に利益を与えることを目標として掲げるところが多い。

それはそれで一つの考えだと思うが、やはり少し、寂しいと思う。キリスト教原理主義者達が建国したアメリカでは、真実を人間が曲げてはならない、という想いを国民の中で共有している、という強みがある。例えばIT企業の中でもレビューの書き込みを監視する人間というのは現場の末端に属すると思うのだが、この現場レベルの人々の間に、自らの権利の濫用を防ごうという強い意志が働いているのではないか。

それに比べると、仏教国である日本は因果論に基づく、関係性の中でものごとをとらえようとする傾向が強いのだろうか。キリスト教の神のような絶対的なものを想定せず、存在の根拠を関係性の中に見出す思考法に慣れ親しんだ我々の中には、理想に殉じる気概を持つことを揶揄する風潮がアメリカの人々よりも強いように思う。

いや、それならば、ヨーロッパ発のインターネットサービスで、もっと世界を席巻するものが出てきてもおかしくないか。ITサービスのほとんどがアメリカ製であり、信頼を勝ち得ていることを考えると、SNSサービスを「フェアに」提供するための人材としては、キリスト教徒、というだけでは弱く、キリスト教原理主義的な、理念への狂的な信頼が必要なのやも知れず、そうした資質はアメリカ人にのみ多く宿り、その結果彼らのサービスが世界中で愛されている……そうした一面があるように思われる。

2014年12月20日土曜日

富裕層が海外に移住することのプラスの面

日本がまだ「もっとも成功した社会主義国」と揶揄されていた頃の話です。

今から15年ほど前でしょうか、格差が今ほどひどくなく、金持ちは累進課税制度を嘆き、渡部昇一辺りが大変人気を集めていた頃のことです。

「日本人にもっと金持ちが増えたほうがいい。一億総中流の政策のために、大金持ちが日本では生まれにくい。そのために、世界のエリートたちの輪に日本人が入れない。結果、日本の国益が損なわれる」

という富裕層からの意見を読んだことがありました。

当時は、日本が欧米諸国から盛んにバッシングをされていた時期。日本は経済的に優れていても文化的には劣ったものとみなされ、随分酷い誹謗中傷がイギリスやフランスの大衆紙などに掲載されていたものです。

四面楚歌状態の中にいたので、世界(主に欧米)からのけものにされている、という実感は日本人が等しく共有していました。いろいろな打開策を日本の識者が提案していましたが、「富裕層を増やす」という案はその中の一つとして出てきたもののようですが、さて、果たして金持ちが増えれば、本当に世界の支配層と日本の富裕層の関係性が生まれるのか? 今の閉塞状況から本当に抜け出せるのだろうか? と考えたとき、まったくその間に因果関係を見いだせない駄作と、私には思えました。

だって、日本人富裕層がいくら増えたところで、彼らが住んでいるのは日本です。欧米から隔たった場所に住んでいる以上、欧米の金持ちと交わる機会はどうせ少ないでしょう。

よって、日本人富裕層が増えれば欧米諸国の輪に日本人が入れるという意見は、まあ、与太話のたぐいだろう、としか当時は思えませんでした。

★ 富裕層、株売却益非課税国へ 日本人永住者2.6倍に
株式の売却益に課税しないニュージーランドや香港など4カ国・地域の日本人永住者が1996年に比べ2.6倍に増えたことが財務省のまとめで分かった。富裕層が節税のために永住権を得て、移り住んでいる例が多いという。欧州諸国などで深刻化する富裕層の国外流出が日本でも進んでいる実態が浮き彫りとなった。
これは今月初めの記事です。記事によれば、富裕層が節税のために海外に大挙して移住しているのだといいます。こうした記事を読みまして、15年ほど前の先述の富裕層の主張を思い出しました。

構造改革によって誕生した大勢の富裕層たちは、海外に移住し、当然、現地の富裕層コミュニティーに入ることでしょう。 同じ仲間同士で打ち解けあい、親交を深めることでしょう。人間同士が理解を深めるのは、何よりも、直に会い、話をすることが大切でしょう。

欧米の富裕層たちはカネを持っていますから、各国で、ある程度の権力を保有しています。そうしますと、普段から日本人とつきあっている欧米の権力者たちが、次第に日本に同情的な立場を取るようになるのはなんとなく分かる気がします。

そう言えば、往年の日本バッシングはいつの間にやら、終焉を迎えました。欧米の論調は日本に妙に同情的です。失われた10年、いや、20年と言われた景気の低迷などが同情を買っているという面もありますでしょうし、日本の平和への貢献がようやく認められつつあることも要因の一つではありましょう。アニメの人気が若年層に何らかの影響を与えているのかもしれません。

しかし、もしかしたらこの、欧米の「金持ちクラブ」の輪に日本人が多数入り込んだことで、世界の権力者達の感情に大きな影響を与えたのかもしません。税収のダウン以上に、彼らの海外移住が日本の国益に貢献した可能性はあるでしょう。ソフトパワーは侮れません。そう考えますと、彼らの海外移住は決して悪いことばかりでもありません。



2014年12月14日日曜日

自民党が圧勝したことが批判が加えられているが

選挙は自民党が圧勝しましたね。

投票後、食事を済ませてユーストリーム「ニューズ・オプエド選挙特番」で識者の分析を聞き流していましたが、途中で気分が悪くなってサイトを閉じました。

この特番では上杉隆がアンカーとなり、リベラルと言われる人々が選挙を振り返るというものでしたが、今回の選挙で日本の有権者が自民党を圧倒的大差で選んだことに対して、
「日本人の責任」
「ロシア並(の民度)」
「若者が本を読まなくなったせい」
「Yahoo!ニュースでヘッドラインだけを読んで社会を理解した気になっている」
「民主主義の危機であることが日本の国民はまったく理解していない」
と、恨み節ばかり。

さらには、
「日本人は民衆が自らの手で民主主義を勝ち取っていないので民主主義が成熟していない」
という、左翼勢力のいつもの主張まで飛び出す始末。彼らはどこまで日本人を馬鹿にしているのだろう、どこまで傲慢なのだろう、と思って気分が悪くなったのです。


今回の選挙で自民党を選んだ日本国民が、自民党の政策をすべて肯定しているはずがありません。外交、財政、社会保障、雇用問題など、自民党の様々な政策に、それぞれの立場から反発を感じている人々は多数いるのですから。

私の場合、自民党の労働政策に我慢ができません。日本電産のような労働基準法違反の企業を野放しにし、ワタミの創業者のような人間を自民党として公認する。こういう点が許せないのです。

それ以外でも、自民党の政策には是々非々です。同じく、親米政策、原発推進政策などを許せない人にとって、それが理由で自民党に反感を感じる、ということはあるでしょう。

ところが、こうした各論で反対ではあっても、総論では自民党を肯定する……それが多くの日本人の立場なのではないでしょうか。

様々な論の中にも序列があります。そのうちの、日本人の大多数が第一優先順位に考えているであろう、「人権への最低限の配慮」を有しつつ、「日本の国民のためになる政策」を考えている政党が、自民党くらいしか見つからないからです。

愛国主義、とまでは申しませんが、健全な保守主義を有している党が一つしかない、というのが日本の悲劇でしょう。

右翼的で暴力的な主張をする党はそもそも論外です。日本人の大多数の人権意識はそこまで低俗ではありません。かといって、それに対抗する勢力が総じて愛国にネガティブなのは、如何なものか。

アメリカは二大政党制を敷いていますが、共和党も民主党も、どちらも「国を愛する」という点では同じです。アメリカは二大政党とは名ばかりで、どちらも保守政党である、などと揶揄される所以ですが、政策は大きく異なっていようとも、国を愛していこう、という点では理念が一致しているのです。

国を愛するとは、その国の歴史を愛することでもあります。さまざまな間違いを、過去に起こしていたことは認めるものの、この国のたどってきた歴史は素晴らしいもので、私たちはこの国に生まれたことを誇りに思うべきである……こういう価値観を共有し、それ以外の点で対立する政策を、掲げ、争う。これが望むべき2大政党制でしょう。

ところが、日本では違いますな。民主党や社民党、共産党などの党員が、江戸時代の徳川幕府の政策や、明治政府が取り組んできた護民のための努力を積極的に肯定したりしませんね。近代史、それどころか、日本の歴史すべてを否定しようとする勢いです。だから日本を盛んに馬鹿にする人が多いのです。野党最大勢力である民主党のシンパにはこの手の人間が大変多いです。

民主党がこうなった理由は、いろいろあるでしょうが、民主党が自民党との対立軸を親米路線か否か、に置いたところに大きな原因があるような気がしてなりません。

民主党は、自民党とは異なる路線を取るために、親中国路線へと舵を切ろうとしました。

この中国という国はどういう国でしょうか? いまだに報道の自由や政治の自由、発言の自由を大きく規制している国です。また、明治期以降の日本の近代化の歴史を、帝国主義の歴史であると否定している国です。かつ、自国の過ちを決して認めようとしない、反省なき国家です。さらには未だに、チベット族や回族の独立勢力に虐待を加えている国でもあります。

そのような国に擦り寄ると、どうなるのか?

日本の過去をひたすら否定し、反省してみせます。
ところが、隣国の誤った政策には一切批判せず、見て見ぬふりをします。
さらには、報道の自由度などの、日本が優れている点を決して評価しないのです。


自分の長所ではなく短所ばかりに目を向けて、批判を許さない横暴なボスにすりよる人間が人望を失うのは必然でしょう。党もまたしかり。

外交政策は、私たちの生活に直接関係することではありませんから、投票する判断材料としては、二の次、三の次の優先順位でしょう。ところが、そう思って数年前、民主党を選んだところ、彼らの政策はお粗末極まりないものでした。当時は私も、ブラック企業追放のための何らかの施策を打ち出してくれるものと期待していましたが、なにか彼らが改善しましたかね?

結局、どの国を同盟国とみなすかは、党の姿勢に大きな影響を与えます。親米であれとは決して申しませんが、反米親中を選ぶことは、日本の先人の努力に敬意を払わないことにつながりますし、民主主義と自由主義という、民主国家にとって何よりも大切な理念を尊重しないことと、同意なのです。

そして、理念を尊重しない党が、リベラルだとか弱者救済だとかいったもともとの党の理念に沿った政治を、行えるはずがないのです。

各論で自民党と対立していても、根本では日本のこれまでの歴史を愛し、世界と協調しつつまずは日本国民のための政治を行うという点で共通している、そして何より、まともな人材が揃った野党に、現れてほしいものです。

2014年12月10日水曜日

ホリエモンの考え方に共感するのは、公務員に多いのかも

以前、とある勉強会で知り合った区役所の公務員が休憩時間に本を読んでいました。その本は堀江貴文の、
『君がオヤジになる前に』。


意外に思いました。堀江貴文といえば、新自由主義の申し子、 企業家バンザイ。公務員とは真逆の人、というイメージがあったからです。

「本、面白いですか?」
彼は答えます。
「面白いですよ。いろいろと共感することが出来て」

(へえ、共感するのか)
と、私は驚きしました。

それから他の公務員の友人と話す機会がありまして、そのことを話したところ、友人自身はそうではないと断った上で、
「上司や同僚に、そういえばホリエモンの信者や彼のことを好きなやつ、いるね」
と言うのです。
「自分に出来ないことをやすやすとやってるとこが、カッコいいと思えるからじゃないのかな」
と、彼は言います。

それだけだろうか、と考えてみました。

ホリエモンの主な主張をまとめますと、
  1. 能力主義
  2. 弱者切り捨て
  3. 行動主義
  4. 無責任
  5. 伝統や権威の否定
といったものでしょうか。

こうして並べて考えてみますと、なるほど、ある種の公務員が彼に共感する理由が、見えてくるような気がします。 

自分が有能だと思う人々

まず、1.能力主義、弱者切り捨てに関して。公務員には、自分の能力に自信をもっている方が大変多いものです。学校の成績が良い方が多く、学校の試験の延長線上にある公務員試験に受かって職に就いた方々が多いです。 昇進も試験の結果で決められることが多く、民間の競争を知りません。

ホリエモンが主張する能力とは、自由競争の中で勝ち上がる能力でしょうが、そこは人間、自分の業界のルールに引き寄せて考えます。中でも自分たちが有能だと思っている幹部候補生たちの耳に、ホリエモンの能力主義は心地よいことでしょう。

2.弱者切り捨てに関してはどうでしょうか。

役所に押し寄せるのは、社会の中でも恵まれない人々が多いものです。平日の昼間に役所に行きますと、ときどき窓口の職員に、
「お前の上司に代われ!」
と怒鳴り声を上げているヤクザまがいのオヤジなどに出くわします。



「公僕」という言葉を文字通りにとらえ、税金をほとんど払っていないのに、
「お前ら俺達のしもべだろ? お前らはオレたちの税金で食ってるんだ。文句があるのか!」
と言い放つ人々に日頃から接する機会が多い公務員の中に、
(あいつらがダメになったのは、自分自身のせいだ)
と、弱者全体に反感を持つ人が増えても不思議ではありません。

そうしますと、当然ホリエモンの、自己責任論、低能力者切り捨てに共感することになります。

ましてや、自分たちがリストラされることはほぼありませんから、無能力者がリストラされるのは当たり前(自分たちはリストラされないから有能)という考えにて陥るのも無理はありません。

公務員は責任を問われない

3.行動主義に関してはどうでしょうか。公務員の中には、仕事をしない、できない人間が一定数含まれています。縁故採用された人などですが、彼らに反感を感じている有能な公務員は多いでしょうから、彼らがホリエモンの行動主義に共感するのはよく分かります。

大都市ではさすがにそういうことはありませんが、地方都市などにいきますと、事務所の外の喫煙所、衝立の向こうのベンチに座って、一日中だべっている人などに出くわします。問い合わせをする窓口が分からなくて、彼らに尋ねても、うるさそうに立ち上がって、
「それ、あそこの人に聞いてくれる? 俺は今休憩中だからさ」
などと、1時間前からそこにいるのに堂々と命じたりするのです。

4.無責任はどうでしょうか。公務員は、誤った施策に対して基本的に責任を問われることはありません。無論左遷されることはあります。でも、数年に一度、転勤することが多く、仕事自体も成果が見えにくいものが多いため、自分自身の施策の結果を目の当たりにすることがあまりありません。

数年後に自分たちがおこなった施策によって多数の犠牲者が出たとしても、当時の担当が探しだされて罪を問われる、ということもありません。

そうしますと、
「一生懸命にやった結果が悪くても、それに対していつまでも責任を問われるのはおかしいでしょ。その時にそれに賛同した人たちの責任だから」
というホリエモンの主張は、自分を免罪してくれるものとして、心地良いものとなるでしょう。

ホリエモンも公務員も、一生安泰

「尖閣諸島を中国にあげればいい。それで中国が満足すれば」
と放言したことで有名なホリエモンですが、彼が小笠原諸島近海に大挙して押し寄せた中国船について述べることはありません。一歩引き下がれば一歩踏み込まれる相手の無理難題を聞くことは、相手につけいられるのと同じですから、こうした無責任な発言は、落選する危機のある政治家などは出来ないものです。

元億万長者という滅多に無い肩書きを持ち、実刑も喰らったことのある彼には怖いものはないでしょう。批評家としての地位は安泰ですし、それなりの資産もある彼は、たとえ言ってはならないことを言って、マスコミから干されようとも、食うに困ることもない、天下無双状態。首を切られない公務員のようなものです。彼の無責任礼賛が、一部の公務員から共感されるのも当然かもしれません。

5.伝統や権威の否定に関してはどうでしょうか。

役所の中ではつまらない伝統がてんこ盛りです。前例踏襲主義が根強いですし、叙勲の推薦手続きなんざ、後ろ向きもいいところで気が狂いそうになります。監督諸官庁の人々の機嫌をうかがったり、ひたすら昔の事績を調べたり。こんな仕事で一生を終えたくないと思う方々は多いことでしょう。

公務員に共産主義へのシンパが多いのはよく知られています。伝統や権威を守る立場にあるからこそ、それに従わざるをえない自分に忸怩たるものを感じる機会が、民間で勤めている人間には多いかもしれません。

(なぜこんな馬鹿げたルールに従わなきゃいけないの?)
(なぜ儀典のような馬鹿げたことにこんなに一生懸命にならなくちゃならないの?)

こうした思いをもつ人々にとってホリエモンの伝統否定発言は、
「よくぞ言ってくれた!」
と拍手喝采を浴びせたくなるのかもしれません。

匿名だから底辺ばかりというわけじゃない

尖った発言をすれば叩かれます。特に、地位のある人間で、批判に弱い立場の人には批判が集まり易い傾向があります。

公務員は地位があるものの、作家や政治家のような、多数のファンが周りにいるわけではありません。だから、余計なことを発言すると批判が殺到し、せっかくの地位を失いかねず、さらには彼を養護するサポーターにも恵まれないために発言するだけ損というもの。

それに、ある程度の承認欲求が満たされている彼らは、ネット上で発言する必要性を感じることは少ないでしょう。むしろ、百害あって一利なし。今後の昇進にも影響が出ます。

実名で発言するほど馬鹿じゃない、と思っている公務員のほとんどは、ウェブ上の発言は匿名で行うことが多いものです。

ホリエモンに共感する層というのは、物知らずの学生や自営業者たちだろうと、なんとなく思っていました。彼のブログやTwitterに賛同のコメントをしている人々も、そうだろうと。

ですが、こうして考えますと、ある程度有能だと自負しているけれども、他者への思いやりの少ない中間管理職の若手公務員などに、彼へのシンパが非常に多いのかもしれません。



2014年12月6日土曜日

家族を守るために殺人を犯した父の判断は正しかったか?

デジタル版朝日新聞の記事からです。

★ 「妻と娘を守る義務がある」 三男殺害、父への判決
父親「主治医や警察に入院をお願いしたが、最終的には措置入院もできなかった。今の精神医療の社会的仕組みでは、私たち家族は救えないのではないか。そう思いました」
 7日午前3時前。父親は風呂を出ると、2階にあった出刃包丁を持ち出し、三男の部屋に向かった。寝ている三男の横に中腰で座り、左胸を1回、思い切り突き刺した。

この記事を読んで、私は考えました。同じような状況に置かれたとき、自分はどうするか、と。

身内や隣人が反社会的人物となる可能性

似た事件が、長崎県の佐世保市でもありました。少女は、殺人衝動にとらわれた末に、同級生を殺したという、例のあの事件です。少女を野放しにしていた責任を問われた弁護士の父親は、世間から非難を受けた末に、自殺しました。

家族に狂人がいる苦労を想像することは、同じ状況にいない者にとっては難しいでしょう。しかし、たとえば隣人に執拗な嫌がらせを受けることや、ストーカーの被害に遭うことは誰にでも起こりうることです。他人に害を加えようとする狂人に出会う可能性は、どこにでも転がっています。

彼らが社会人ならば、彼らの非道を会社なり得意先なりに訴えて、兵糧攻めをねらうこともできるでしょう。ところが、相手が生活保護を受けていたり、親の財産を相続して働かなくてもよい、そんな相手だった場合は? 彼らには時間が十分にあり、失う社会的地位もないため、執拗な嫌がらせを避けることは困難です。

有り余る時間を使って、バレないように窓に石を投げたり、延々と苦情を述べ続けたりと、あの手この手の嫌がらせをおこなうことも多いのです。中には身の危険を感じることもあるでしょう。たいていバレますが、中には巧妙に証拠を隠すことに長けている者がおり、警察が動きようがないことも珍しくありません。

そんな狂人とつきあう羽目におちいったときに、さて、どうするか? この父親のように、殺すしかないのか? いざその状況に陥った時に、追い詰められた頭ではまとな判断ができません。平時に考えておくことが、大切です。

私の経験

今のところのベストな回答は、
「彼らから危害を受けたら、どんなに恥ずかしくても、怖くても、必ずその都度、警察に訴える」
ということではないかと思います。

冒頭の記事の事件では、母親に暴力を振るっています。長崎の同級生殺害事件も、その前に父親の頭蓋骨を陥没させるという暴力事件を起こしています。その時点で、警察に突き出さなければならなかったのでしょう。そうすれば、後日自分の手で息子を殺すことも、娘が他人を殺すことも、なかったかもしれないからです。

しかし、これは思った以上に、難しい。それは、昔私がとあるブラックな職場に勤めていた頃に、雇い主から木刀でのどを突かれたことを警察に訴えられなかった経験上、よくわかります。

警察に駆け込んでも、彼が逮捕されることはないでしょう。せいぜい厳重注意でしょう。のどの柔らかいところを突かれただけで痣もありませんから証拠もありません。逆に名誉毀損で訴えられるかもしれません。



しかも、彼は、
「もしもお前が逆らえば、懲戒解雇の上、以前の勤め先すべてに電話して、どんな人間か調べつつ、お前がどんなに無能な人間だったかを話してやる」
とうそぶくのです。

彼には実行力と執念深さを備えていました。たとえば、取引先の気に食わない役員に失礼な態度を取られたことがありました。そのとき彼は、その役員によって取引が中止されたあとに、その上司に敢えて大口の顧客を紹介したり、それをきっかけに他の役員と飲み食いを重ねるなどして信頼を勝ち取ったのちに、1年かけて件の役員を退職に追い込んだことがありました。

彼はゲームのように、誰かを嗜虐するのが好きな人間で、雇った人間が不幸になるように裏で画策するのが大好きなのです。だから、私の以前の勤め先に電話をしてあることないことを吹き込むというくらいの嫌がらせは、法に触れない範囲で間違いなくやるでしょう。

私にもプライドがあります。元勤め先を円満退社したものの、そこに嘘ではあっても妙な噂を吹き込まれるのは死ぬほど嫌でした。だから結局彼の暴力を警察に駆け込むことはできませんでした。

彼はこうした脅しで、前に勤めていた人間に暴力をふるい、自殺未遂に追い込んだりもしていました。弱い人間をねらって。世間に公表されることがないだろうと見越して。弱い人間にもプライドがあることを見越して。

プライドを捨てるのは難しい

この手のプライドが邪魔をして、結果大きな災厄に見舞われることは予想以上に多いのです。北九州監禁殺人事件でも、被害者が犯した小さな罪(不倫など)を表沙汰にされることをおそれて、加害者の松永太の言いなりになっていました。彼が犯す犯罪を警察に訴えることができませんでした。

犯罪者を警察に突き出すことに、普通ならば、誰もためらいを覚えないでしょう。ところが、相手が家族であったり、あるいは相手に弱みを握られていたりすると、警察に突き出すのは難しくなります。
 父親「警察に突き出すことは、三男を犯罪者にしてしまうこと。その後の報復を考えると、それは出来ませんでした」
 父親は法廷で、「三男は自分が犯罪者になることを恐れていた。家族がそうさせることはできなかった」とも話した。
と、冒頭記事の事件を犯した父親は証言しています。これもまた、プライドです。記事では「三男を犯罪者にすることはできなかった」と父は述べていますが、それだけでしょうか? 身内に犯罪者を抱えること、それが勤務先にばれることなどが恥ずかしい、という気持ちが、彼ら家族にあったのではないでしょうか?

日本人にはこの「恥ずかしい行動をしたくない」という気持ちが、自分でも思っていない以上に強いのです。それは社会の安定をもたらす反面、狂人や反社会的人物らに、つけこまれる隙をつくります。

江川達也の覚悟

こうした問題解決の参考例として、漫画家の江川達也さんがいます。
『東京大学物語』でおなじみ、ときどきテレビでコメンテーターとして活躍している江川氏は、元研究者である兄との間に、大きな確執を抱えています。

★ 親族に20億円騙し取られた森光子、実兄のせいで数億円失った江川達也…家族とお金の話

「1年研究してだめだったらやめてください」と結論を先送りした江川氏のもとには、さらに兄より執拗な電話がかかってくる。

「『お前が今まで稼いだ金と将来的に稼ぐ金も全部俺のものだ。死ぬまで稼いでも足りないぞ。早く金を返せ』『金を送らないと、お前のかみさんを“念”で殺してしまうぞ。殺したらお前の責任だ』『お前の目が見えなくなるぞ、いいのか』――こういったことを16~17時間にわたってネチネチと繰り返され、『このままでは、死んでしまう』と思いました」

江川氏は宗教に狂った兄から家族を守るために、兄を訴えます。それだけではなく、骨肉の争いを、継続することを決意しています。
「裁判が終われば、必ずまた兄が執拗に金を要求し、『お前の家族を殺してしまう』と言ってくると思うからです。私が死んだら妻や子どもが標的にされるでしょう。『俺の金を返せ。数兆円だ』とどこまでも追ってくるでしょう。兄が死ぬまで私は、生きて、家族を守るつもりです」
身内が狂人となるかどうか、反社会的人物が自分にからんでくるかどうかなど、自分がこうした争いに巻き込まれるか否かは、運次第です。それでも世間の中で、なんとか犯罪者とならずに、あるいは被害者とならずに踏みとどまるためには、現状の司法制度で出来る限りのことを、おこなっていくしかないのでしょう。そして、こうした争いを続けている人々を、応援していきましょう。


上記の本はお勧めです。犯罪者たちがどのように脅してくるのか、その場合にどのように立ち向かえばいいのか、くわしく書かれています。

2014年11月28日金曜日

小4詐称サイト炎上事件は、フジテレビ抗議デモと似ている

先日から何度かこのブログで、小4詐称サイト問題について触れてきましたが、首謀者の母校の大先輩である山本一郎氏が、総括的な決定版とも言える記事を書いています。

★ 小4詐称サイト問題の周辺に“オトナ”不在のなぜ?|やまもといちろうコラム

山本氏が容赦なく切り込んでいて、笑えます。女子高生218人にNPO法人の経費を流用して焼き肉弁当をおごったという、知っている人がまだ少ないネタまで紹介している始末。これには正直、感心しました。大学の後輩にでも手心を加えない。立派だと思います。

山本氏が指摘するように、この炎上事件の功績は、
「青木さんを入塾させたり小保方問題を起こした裏口同然のAO入試の問題」
「経費の使い方が怪しいNPOのガバナンスの問題」
「明らかに問題がある詐称サイトに支援をしてしまった脇の甘いオトナたちの問題」
などを炙りだしたことです(炎上だけに)。

どれも、単体ではそれほど関心を集めるネタではないのに、青木氏というスターのお陰で、さくさんの人の関心を悪い意味で集めたため、問題意識が共有されることとなりました。

AO塾は、これから世間から監視されるようになるでしょうし、大学側も批判を受けて、今後は何らかの対策を進めることでしょう。いろいろな自浄作用が働き始めるとしたら、それは大変素晴らしいことだと思います。

私、山本氏の記事を読んで、今回の炎上事件はフジテレビに対する反韓流デモと似ていることに気づきました。

何かの問題が炎上するのは、偶発的ではありません。それまでの過程で小さな不満が人々の間に積もっていて、怒りが蓄積されていることが多いです。

もともと韓流ブームは作られた感のあるものでした。NHKの『冬のソナタ』や『チャングムの誓い』がブームとなったのは、たまたまだったのでしょう。でも、このブームに便乗して韓流を仕掛けたのは意図的、計画的なものだったはずです。だって、テレビ局がほぼ一斉に、韓国系芸能人を重宝し始めたり韓国系ドラマを放送したりしていましたからね。

リーマン・ショックなどで広告費が先細りになるのに危機感を抱いたテレビ局や大手広告代理店などが、経費削減のために、コンテンツのダンピングへと舵をとった結果ではないかと思います。

大手広告代理店がブームを仕掛けることはよくあることです。しかしそれが大衆心理と乖離していると、人々の不満が段々と溜まっていきます。

作られた韓流ブームに、違和感をもった大衆は、高岡蒼甫の不当解雇をきっかけに、大規模なデモをフジテレビに対して行いました。そして今日の反韓流の隆盛へとつながっていったのです。


同じ構図が、今回の事件にも見え隠れします。

ここ一年ほどですが、ネット上でTehu氏をむやみに持ち上げる記事を見かけるようになりました。

★ 北川拓也氏×Tehu氏 『ハーバード大学卒の天才×現役灘高校生の天才』 by Life is Tech !
★ 天才灘高生 @tehutehuapple さんのプレゼンがすごかった
★ 元旦にニッポン放送で「ももクロ」に会った

同じく、青木氏のような威勢のいい若い大学生の政治活動も、民主党を中心とした人々からやけに持ち上げられています。模擬選挙だとか、大して中身はないのに、「凄い」「凄い」と大変な騒ぎです。

正直、少し気味が悪いと思っていました。

Tehu氏のプレゼン、ほんとうに凄いですか?
青木氏の主張、そんなに目新しいでしょうか?


なにより彼らの顔。


こう言うと大変失礼ですが、人気の出る顔とはとてもじゃないですが、思えないのですね。あの手の顔に人気が出るとしたら、経験を積んで顔に渋みが出てくる30を越えてからでしょう。

それなのに、広告代理店に「使える人材だ」と認定されて、応援され、大衆の尊敬を得ていないのに尊敬を彼らが得ているような扱い方をされるということ。これ、大手広告代理店による、社会的指導者を自分たちの手でつくりあげようという計画の一環だったのではないか、と邪推するのです。

芸能人のスターを大手広告代理店が作り上げることは、これまでもよくあったことです。芸能人スターを一から作り上げたように、政治家や文化人を彼らが原石から発掘して作り上げようとしていたとしても、おかしくありません。

18歳の若者にも選挙権を与えろという、どうでもいい主張に夢中になる彼らと、彼らを妙にプッシュしてきたマスコミについて調べるうちに、その想像が確信に変わりつつあります。

で、この意図的な動きに対して、完全に気づいたわけではありませんが、なんとなく嫌だな、と思う人々が巷に増えてきて、その不満が積もり積もって、小4詐称サイト問題で一気に炎上したのではないでしょうか。

本当の人気は、こんな流れで上がっていきます。人々が無意識に共有していた時代の気分にマッチしたスターが、最初は熱狂的な一部のファンの人気を博し、そのファンが宣伝をして次第に人々に知られるようになり、テレビに出たり事件を起こしたりしたことをキッカケに一気に人気が出てきて、それに広告代理店などが群がって人気を不動のものにするのです。

それに比べて作られた人気は、いつまでも何があっても応援してくれるコアなファンを欠いていますので、すぐにしぼんでしまいます。青木氏が元代表を務めていたNPO法人の活動が、今回の件ですぐに瓦解してしまったとしてら、たぶんそういうことなのでしょう。


2014年11月24日月曜日

下手な嘘には腹が立つ 「#どうして解散するんですか?」

今年は、嘘が目立つ年です。

小保方氏のSTAP細胞の発見の虚報に始まり、最近の元競泳選手の富田氏の開き直りに至るまで、世間をダマせると舐めてかかった人々が、世間から手ひどくしっぺ返しを受けるという事件が多く起こりました。

同じような事件は続くものです。ある大学生が世間を舐めて不特定多数の人々をダマそうとして、失敗したニュースが話題となっています。

「10歳の中村」を名乗るユーザーが作った衆院解散の是非問うサイト「どうして解散するんですか?」が21日からインターネット上で注目を浴び、「小学4年生が作ったとは思えない」と炎上。関与を疑われていたNPO法人「僕らの一歩が日本を変える。」の代表・青木大和氏(20)が22日、ツイッターで「今回の一連の騒動は全て私1人が行いました」と謝罪した。
現在彼が作ったサイトには、代わりに、謝罪文が掲載されています。

もちろん、寄せられた声の中には、僕たちへの誹謗中傷、暴言、愚痴など、#どうして解散するんですか?への問いではない声もありました。
でも僕は、これだけの方が目にしてくださった今回の問い「#どうして解散するんですか?」を、いま一度日本について考え直す機会に出来ないだろうかと思っています。
(中略)
今回、僕の軽率な言動により、関係のない多くの方に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。
最初は私も腹を立てました。しかし、それなりに反省しているようですし、よく考えればまだ20歳。考え方が幼いのも無理はありません。それが見当違いの反省だとしても、立腹は収まりつつあります。

なぜ彼がこのようなことをしたのか? もともと炎上狙いと新党結成という狙いがあったことが、以前の言動から明らかになっています。

Tehu:政治ネタは炎上しやすいから、絶対に来る。
青木:それで炎上したときに、全国で「オレも意見がある」「オレも政党をつくる」みたいなツイッターのリプライが絶対に来るから、そしたら「じゃ、おまえも政党つくれよ」と言う。それで地域政党がいくつか出てきて、盛り上がってくると思うんですよ。
元々の炎上サイトを確認しましても、小学4年生が作ったという体裁を取っていながら、難しい漢字がそのまま残っていたり、文字が妙にうまかったりと、粗が目立つのは事実。このページに掲載した画像は、彼が作ったサイトのページの1部です。彼らはそもそもバレることを前提にあのホームページを作っていたのでしょうね。

「本当に小学4年生が作ったはずがないでしょ? 見て分からないの? ネタですよ、ネタ」

と言って舌を出してダマした人々をバカにするところまで、彼らは織り込み済みだったのかもしれません。

ところが予想以上にこの記事は炎上し、彼らの手では収集がつかないほどの非難を受けてしまいました。

青木氏はNPO法人代表を辞任し、Tehu氏もTwitterでの発言を自粛。今頃は弁護士などを交えて、今後の対策を考えている最中かもしれません。

なぜこの件がこれほど炎上したのか。それについて作家の岩崎夏海氏が面白い分析をしています。

2人が炎上した真の理由――それは「人々を苛立たせたこと」だ。
では、どういう理由で苛立たせたのか?
それは、2人が「多くの大人は政治に関心がない」と勘違いしているところだ。それに苛立たされたのである。
この慧眼は、さすが作家だと思いました。おっしゃるとおり。みんな、政治に関心がないわけではありません。だから、政治番組は視聴率がよく、ネット上でも政治ネタは盛り上がるのです。それなのに選挙に行かないのは、まともな政治家がいないからあきらめているだけ。決して政治に関心がないからではないのです。

しかし、岩海氏、その後の文章がすべてを台無しにしているのは残念。選挙に行かない人々と、イジメを見てみぬ振りをする人々を同列視するのは、ちょっと違うのではないでしょうか。また、
ほとんどは、「イジメられているやつも悪い」と思っているときに、見て見ぬ振りが行われるのである
という分析も自分の経験上、あたっていないと思うのです。それよりも、巻き込まれるのが怖い、めんどくさい、という恐怖の方が大きいのではないでしょうか。

閑話休題。

今回の青木氏が引き起こした事件のそもそもの要因は、安易に他人をダマせると勘違いした人間がついた杜撰な嘘を目の前にして、自分がバカにされたように多くの人々が感じたからではなかったでしょうか。

今ではネットで世論を操作しようと試みるのが当たり前の世の中となりました。まとめサイトなどには広告代理店が相当数入り込んでいますし、Twitterでバズらせて流行を生み出そうとすることも多く行われています。

その分、私たちの精神的な負荷は多くなっています。ネットの話題の一つ一つ、盛り上がっていそうに思える話題の一つ一つを、
「これは嘘かな? これは本当かな?」
と吟味しなければならないからです。10年前に比べますと複雑になりました。

嘘が横行すると、嘘に対して不感症になるのでしょうか? 逆でしょう。むしろダマされないよう、嘘について敏感になり、普段、嘘を突き止めるのが困難な分、あからさまな嘘には逆上してしまうのです。

今回の青木氏の作品には、あとでネタだと強弁するためか(見破れなかった情弱のお前が悪いと指摘できる)、小学4年生らしからぬ表現、文章、きれいな文字で作られています。そして、自民党を馬鹿にし、民主党を持ち上げる意図が透けて見えます。

一方で雑な作りをしながら、もう一方でメッセージを含ませる。つまり、嘘はやがてバレるだろうが、メッセージが多くの人に届くまではバレないだろう、しばらくはダマせるだろうと、社会を舐めてかかっているのですね。高をくくっているんです。

この青木氏には、周りの人間たちが政治に関心がない劣った人間だ、という思い込みがあるものですから、いまだに、
実際に選挙が行われることは決まってしまった事実です。僕自身も人生ではじめての選挙です。だからこそ多くの人に#どうして選挙するんですか?と問うてもらい、日本の未来を考えて1票を投じてほしいと強く願っています。
という、傲慢な文章を、謝罪文に含めています。詐欺師のお前に他人を導く資格はもうないよ、お前に言われたくないよ、と私は思いましたけれども。これも火に油をさらに注ごうとする、彼なりの炎上芸なのかもしれませんが。

「あんなチャチなサイトで少しでもダマされるほど、俺達はそこまで馬鹿じゃないよ」
と今回のニュースでは誰しもが感じたはず。でも、自分のことを頭がいいと思い込んでいる人々には、だまそうとされた側がむかつく感覚がわからないのかもしれません。そして、他人の自負心を傷つけてはいけない、という思いやりもないのかもしれません。それは政治家志望の人間としては致命的でしょう。


2014年11月14日金曜日

顔面攻撃ありは実践的か

夢枕獏の作品(名は覚えていません『餓狼伝』だったか、どうだったか……)の冒頭部分で、とある登場人物がこんなことをうつぶやくシーンがあったと思います。

「自分は背が低い。顔面攻撃さえできれば、得意技の上段回し蹴りで一発KOできる機会があったのに、この流派ではそれができない」

もう30年ほど前の作品で、読んだのもずいぶん昔なので記憶は曖昧です。身長の低い空手選手が、顔面攻撃を認めない自分の流派では自分は万年2位だと悟り脱会、より"実践的な"道を模索していく……そんな話だったでしょうか。

夢枕氏の本を読んだ当時、私は中学生か高校生の子供でした。だから単純に、
(顔面攻撃を認めない格闘技なんて使えないな)
(伝統空手なんて、実践的じゃないな)
などと考えて、伝統空手をひそかにバカにしていたんですね。

ところが、最近、また格闘技を習おうと思っていろいろと調べていくうちに、このことをふと思い出しまして、改めて考えなおしてみました。

よく「ケンカが強い」などと言われる人が大勢います。芸能人ならジェリー藤尾とか、渡瀬恒彦とか。

けれども、よくよく考えますと、彼らはそりゃ、それなりに強いのでしょうけれど、それよりもケンカをして相手にケガをさせながら一度も刑務所に入れられなかった、というところがうまいんですよね。

つまり、相手を叩きのめす、という単純な強さに加えて、
「勝てない相手、勝てない場所では絶対に喧嘩しない冷静さ」
「逃げ足の早さ」
があったことや、
「逃亡を助けてくれる仲間」
「助けてくれる弁護士や事務所」
があったこと。さらには、
「相手を傷めつけても大怪我をさせない喧嘩術」
をよく知っていたのがすごいんですよね。

特に最後の、「相手を傷めつけても大怪我をさせない」というところがポイント。顔面攻撃などの、頭部への攻撃には、彼らはかなり気を配ったのではないでしょうか。

顔面攻撃は、一発で相手を倒せる方法として、たしかに有効です。でも当たりどころを間違えば、相手を死に至らしめてしまう危険性が大変高いのです。喧嘩をする機会が多ければ多いほど、慎重でなかった人間は刑務所の中へと沈んでいったことでしょう。

★ 顔面に左ストレート「私のパンチで致命傷、間違いない」 公園でスパーリング、男性死亡 大阪
「左ストレートが顔面に入った。私のパンチで致命傷を負わせたことは間違いない」と容疑を認めているという。
 逮捕容疑は19日午後11時35分ごろ、自宅近くの公園で、知人のアルバイト、松本健嗣さん(20)=同区巽東=の顔面を殴り、死亡させたとしている。
上記の記事は先々月のものですが、たまに、顔面をパンチして相手を死に至らしめたというニュースは各方面で話題になります。

頭をぶつけたり頚椎をひねったりすれば、人間、意外に簡単に壊れてしまいます。パンチ一発で動かなくなり生死不明となった人の動画を、検索しますとすぐにいくつも観ることができるでしょう。

ボクシングで頭部にパンチ、観た目はかっこいいんですよ。一発で相手が動かなくなったりするから。でもその後、相手が死んだら殺人ですよ。かなりリスキーだと思うんですよね。

冒頭で紹介したプロの格闘技の選手ならばともかく、私たちにとっての"実践的"とは、たとえば暴漢におそわれたときに身を守るための方法。ただそのときに、相手に大怪我を負わせれば過剰防衛となり、実刑を受けるかも知れません。高額の賠償金を支払う必要があるかもしれません。

顔面攻撃をせずに相手をねじ伏せるための方法論の方が、はるかに、この文明社会では役に立つ気がします。組み技に限定しません。ボクシングだと、ボディ攻撃だけで相手をノックアウトしていく方法とかね。

そんなことを考えますと、顔面攻撃を試合で許可しない伝統空手の方が、より"実践的"だったのかもしれないな、などと思ったりするのです。

2014年10月24日金曜日

ディベートは自分を変え、スピーチは世界を変える

学生の頃に、ディベートやディスカッション、スピーチなどをひと通り学びました。

私はディベートが好きでした。相手の様々な主張に有効な反撃を加えて、一つ一つをつぶしていくことが面白かったからです。

その頃、会話の技術の中ではディベートが最も実用的だと思っていました。社会を変えるためには、敵の過ちを指摘することが重要だと思っていたからです。ディベートにはいろいろな技法があります。技法を駆使し、反駁の材料を用意して、ひたすら相手の論点の欠点をえぐりだす。相手が反論できずに困るのを見るのが快感でした。

これに対して、スピーチのことは、少しバカにしていました。観客がいるとはいえ、敵とする相手もいない場所で、話すだけ。単なる自己満足でしょうと、重要視していませんでした。

ところが社会に出ると、議論で相手を打ち負かすのは厄介な事態を引き起こすことが多いことが分かるようになりまして、議論はひかえるようになりました。

議論自体は、楽しいので好きです。質問をなげかけ、回答をもらい、その矛盾点について質問をすることで、お互いの知識が深まります。問題は、相手がこうしたやりとりをするに値しない人物のとき。逆恨みされますし、矛盾のある主張を平気で吐き、指摘されても過ちを認めないので話がまったく前に進まなくなります。こうした人は案外多く、話していても時間が無駄になるだけです。

今ではむしろ、一歩ひいたスタンスです。相手の知識がある程度あり、筋の通った主張をしていて、過ちは過ちと認められるタイプならば議論を続けますが、道理のないことを主張する相手とは、議論自体行わないようにしています。

それに、たとえば昨今の保守と革新の議論を傍観していても分かるように、この手の議論に決着がつくことは、ほぼないと言っていいのです。

学生時代、ディベートは社会を変えるために有効な手段だと思っていましたが、どうやらそれは違うらしいと思うようになりました。

世界を変えるためには、反対勢力の矛盾点を指摘するよりも、傍観者の大多数にスピーチで共感をしてもらうことの方が、より効果的なのですね。反対勢力が自分の意見を変えることはほとんどありませんが、観衆を味方にすることは十分可能です。

では、ディベートにはなんの意味もないのか、という点ではそうではありません。ディベートは、相手が自分の代わりに、自分の主張の矛盾点を探してくれます。第三者の視点で、議論の精度を確かめてくれる……大変有難いことです。自分がいかに分かっていないのかを知ることができるのですから。

学生時代に、議論が世界を変え、演説は自分のためにあると思っていましたが、そうではありませんね。むしろ議論は自分のためにあり、世界を変えるためには演説の技法を学ぶべきでした。学生時代に、演説について、もっと身を入れて学んでいたら、今が楽だろうに、と思ったりします。

2014年10月16日木曜日

崇高なものを抱えて戦場におもむくわけじゃない

言葉も文化も違う人々の行動は、理解しがたいものだ。人は、理解できないものの行間を想像で補う。想像は自由に羽ばたく。結果、行動する当人が考えてもいないような崇高な理想を彼らに仮託することとなる。

「イスラム国」という武装勢力のもとに参加する欧米出身の若者が増えているという。

両親や片親がアラブ系の移民の子供たちが多いという。自分の出自を問い直す中で、イスラムの理想を追求する最も過激な集団に身を投じるのだと説明される。だが、最近はイスラム文化と無縁だった白人の若者の参加者も、増えているという。

彼らの行動に対する、識者の分析、論評、Twitterなどの市井の人々の感想を眺めてみた。ほとんどの人が理解できないものととらえているけれども、中には参加者たちの心情を褒め称えるものがある。戦争に参加することを、なにか特別なもののように思いなす人がいる。日本の若者と比べ、彼らの世の中を改革しようとする理想に共鳴するものもあった。

しかし、先日北大生の日本人が、自分探しの延長のような動機でイスラム国に合流しようとした事実を人々が知るところとなった。彼にとどまらない。戦争に参加する人々の考えていることは、案外バカバカしいものだ。

『きけわだつみのこえ』だとか知覧特攻平和館の少年たちの手紙を読んだことがある。とても哀しく、崇高なものをその中に感じる。だがそれは多分に美化されたものだ。

編纂は老人によって行われた。老人には若者たちの心理は理解できないから、想像で埋め合わせる。その結果、事実が覆い隠された。

そもそも、当時も現代も、戦場に向かおうとする志願兵の若者のほとんどは、死を覚悟しているというよりも、自分だけは死なないという根拠の無い自信に支えられているだけではなかろうか。それが若さだ。彼らが身近な人の死を、すでに経験していたとしても。

本当に人が死を理解して、自分のものとするのは、何年も何十年も、死ぬということを折にふれて考え続けてからではないかと思う。

私も、親友の病死や部活の後輩や叔父の自殺、祖父母の死などを経験してきたが、それを知ったばかりの当時の感情と、今の心情とは随分異なっている。今よりも年若い頃の私は、彼らの死に臨みながら、それを自分の死と結ぶことができず、無鉄砲なことを気軽に出来た。それが今は、難しい。

ある事柄を「理解する」ということは、表面的なものだけではなく、その中に潜むさまざまな情報を把握しているということである。決してよみがえることはなく、多くの人を悲しませ、将来がなくなることなどが瞬時に想像することが、今より若いころには出来なかった。

戦場におもむく、というと、なにやら崇高でロマンチシズムただようものを想像するけれども、無知なるが故の案外バカバカしい理由で参加しているバカな人々がほとんどだ、と割りきって考えることの方が、事実として近く、正しく状況を理解できるのかもしれない。



2014年10月8日水曜日

ノーベル賞を受賞した中村修二教授と、日亜化学工業の対立

ノーベル物理学賞を、名城大学教授の赤崎勇氏と名古屋大学大学院教授の天野浩氏、カリフォルニア大学教授の中村修二氏が受賞した。おめでとうございます。

なかでも中村教授の受賞は嬉しかった。強烈な個性の持ち主が栄誉ある賞を受け取ったことで、大企業が個人を圧迫する日本の現状に風穴を開けるきっかけになればいい。

中村氏のインタビューを観た。
 

国籍はすでにアメリカだという。徳島弁訛りだった日本語はやや英語化しており、寝ぼけて聞けば英語に聞こえなくもない。英語ばかりで生活しているせいだろう。

ところで、通称「青色LED訴訟」当時、中村氏側の主張に触れることが多かったのに比べ、日亜化学工業側の主張を知る機会は少なかった。今回のノーベル賞受賞を機に検索してみると、日亜化学工業自身が発表した記事がまとめられていたので読むと面白い。

★ 随想 青色発光ダイオード訴訟の帰結  (念の為に、魚拓をとっておいた)

ドメインからして、間違いなく日亜化学が発表したもの。一企業の名前で「随想」を発表するというのは異例だ。しかも個人攻撃にほとんどが費やされていて、とても興味深い。

まず、企業が発表するものとしてはお粗末。校正くらいして欲しかった。7ページ目の第一段落の「日亜主張」の3行目で、「フロリダ大学えに中村氏を……」と助詞が間違っている。それが何年もほって置かれたままなのはいい加減だな、というのが一つ。

ひと通り読んだが、中村氏の功績を否定するための論法の一つが、
「青色発光ダイオードが発明されるまでにはたくさんの先行研究があったお陰。彼の功績はほんの一握り」
というものであるのには笑った。すべての科学的成果は先行研究があってこそ成り立つ。それを言い始めたら、一科学者を称えることは誰もできなくなってしまう。素人が読んでも、日亜化学の主張に説得力が感じられないのだ。なにより科学者へのリスペクトが感じられない。

たしかに、東京地裁が示した604億円、という対価は過大だったと思う。だが、スポーツ選手が何十億という報酬を受け取れるのならば、社会の繁栄に直接つながる発明をした科学者は、もっと報われてしかるべきだ。

ところが日亜は、裁判に勝つために中村氏の功績を不当に貶めようとする。「随想 青色発光ダイオード訴訟の帰結」7ページでは、日亜の主張には根拠を示しているくせに、中村氏の主張にはいっさい根拠を載せないなど、アンフェアな態度で一貫している。

それでいながら8ページには、現社長の「小川英治氏の社長就任」という記載が年表に潜り込ませてある。言外に、小川社長の旗振りで、青色発光ダイオードの量産化を進めたのだと主張しているのだろう。それは逆に、この記事の信憑性を失わせている。社長の機嫌を取るために、この文章は書かれたのか、とかね。

産業の発展は日進月歩、中村氏の最初の功績はすぐに陳腐化してしまったのは間違いないようだが、彼のきらめきがあったからこそ、発光ダイオード研究の爆発的な進化がおこったのは事実だ(ノーベル物理学賞を同時受賞した赤崎氏が、そう述べている)。それを無視して、中村氏を一方的におとしめようとするから、結果的に嘘になり、説得力がなくなってしまう。

それに、日亜化学はそれ以外でもかなりデタラメな企業だ。2006年に偽装請負事件を告発した従業員に「直接雇用する」と約束しながら、その職場を閉鎖して、告発した従業員全員を解雇している。

小川英治社長の指示で、上記のような処遇をしているのは間違いない。卑劣な行動を取る問題経営者の常として、同じ方法を踏襲するというものがある。嫌がらせなどの汚い手段で気に食わない人間を辞めさせようとするのが小川社長の方法だとしたら、中村氏にも同様の圧力があったのではないか、という疑いが容易に湧く。

社長から青色発光ダイオードの「開発中止」のメモが回ってきたと中村氏は主張している。これは、中村氏の権力が強くなるのを恐れた経営陣による、中村外しだったのではないか? あとは、中村氏の研究成果をすべて、後任の研究者のものにしてしまえばいい。
開発中止命令があったとされる期間も、設備申請が認められ、原材料となるサファイアの購入実績等があり、開発中止命令があったはずがない。
と日亜は主張するが、それは中村氏以外の従業員に成果を横取りさせるためのものだということと、何の矛盾もない。

もっとも、中村氏にも、自身が日亜から年収2,000万円近くを受け取っていたことなどはいっさい言わずに、「発明の対価は2万円だけだ」とばかり繰り返すように、フェアではないところもある。こうした、自分に不利になることはいっさい言わずに自分の功績だけを語る人間を私はあまり信用していない。この人にも問題はあるのだろう。

それでも、偽装請負をして、直接雇用の約束を反故にする社長の言うことを信用するよりも、中村氏を信用する方が結果的に正しかろう。

中村氏のノーベル賞受賞によって、日亜化学の社長の面子はつぶれた。汚名返上のために背伸びした企業は、たいてい数年以内になんらかの問題を起こすものだ。また何かやらかすんじゃないかな。

2014年9月28日日曜日

20代の女性に社会が求めるものが多過ぎだ

私よりも年長、45歳の同僚の女性は、39歳で子供を産んだ。高齢出産である。私を含む周囲の同僚たちは、彼女から子育てがどれほど楽しいか、よく聞かされていた。

ところが私とその女性が、たまたま職場で2人きりとなったときに、真顔で諭された。
「子供は早く作った方がいいよ。楽しいと周りには話しているけれど、本当は身体がきつくてたまらないの。元気な子供についていくのが必死。こんなに大変だとは思わなかった」

彼女の言葉は、本音だったのだろう。人間は確実に老いる。子育てが楽しい、幸せだと、高齢出産を成し遂げた女性は声高にアピールするけれども、彼女たちは内心、元気な子供の世話に追われることで悲鳴を上げているのかもしれない。

出産にもある年齢を超えると危険をともなうことはよく知られている。子供を産むのには、適した年齢があるということだ。20代から30代前半の、15年ほどの期間。その間に子供を産むのが、身体に負担をかけない。

だから、社会が少子化対策のため、女性に子供を産んでほしいとお願いするならば、その年齢の女性が結婚し、子育てができる環境や雰囲気を作ることが必要だ。ところが社会は、女性たちに子供を産んで欲しいとお願いしながら、逆のことを平気で要求する。

よく語られる「経験を20代で詰め」

「20代で頭を鍛え損なった人がすべきこと」に取り組む50代のある半日」という日経BP社のオンライン情報サイト・ITproの記事では、50代の記者が、20代で能力を鍛え損なったことを後悔しつつ、日々経験に勤しむ様子をつづっている。
 20代の経験がその後の仕事振りを決める、すなわち仕事ができる頭は20代でつくられる、という話は昔からしばしば聞いた。この件は何回か書いたが大事だからまた書く。
 何かを成し遂げた人に「どうしてできたのか」と問うと若い頃の経験を必ず持ち出された。例えば、製品の企画、設計、生産、営業、客先への搬入、障害対策、保守を全部やらされて苦労したが、物事を判断する軸が頭の中に複数でき、その後の仕事にとても役立った、といった話である。
「20代で勉強・経験を積むことがいかに大切か」
という主張を、私のブログの読者も、どこかで読んだことがあるはずだ。いや、これはほぼ、常識のように語られている。

そして、少子高齢化社会の日本では、女性の社会進出に大きな期待が掛かっている。女性もまた、20代でキャリアを積み、専門知識を蓄えることを期待されている。

だが、20代は同時に、女性にとっては出産や子育てに適した年代だ。

一方では、女性もキャリアを積め、仕事をするべきだと言われ、もう一方では出産、子育てにはげめと言われる。別々のところで語られる矛盾した主張は、語る人間は異なるが、同じ人間へつきつけられている。女性にとってはあまりに酷ではないか。

矛盾した欲求で人は壊れる

無論、上記のITproの記者が、女性に酷な要求をするつもりで記事を書いたわけではない。だが、私たちは、同じ系列の日経新聞やその購買層が、矛盾した欲求を突きつけているのを知っている。

自動車のブレーキとアクセルと同時に踏めば、クラッチが焼けてしまう。幼少時に「私の言うことを聞きなさい」と言われながら、「自分の頭で考えて行動しなさい」と矛盾した2つの要求をされた子供は、両者に引き裂かれて精神を病むという。アンビヴァレントな要求をされることほど、ストレスのたまることはない。

無論、20代でキャリアを積むべき、という考え方は間違ってはいまい。だが、それを主張するときに、何らかのためらいを、私たちはそろそろ覚えるべきだ。

今のアメリカでは、化粧品会社が「白い肌は美しい」というキャッチコピーを使うことはほぼ不可能だという。有色人種への配慮がないからだ。窮屈なことだが、白人以外の人種に対して配慮をしていこう、有色人種の力を経済に取り組んでいこう、というアメリカ社会の意思を表している。

同じように、女性に子供を産んで欲しいと思い、同時に女性に企業の中でキャリアを積んで欲しいと日本人の私たちが思うのならば、キャリアはいつからでも積める、という考え方をもっとおしすすめていかなくてはならないと思う。

社会全体で、20代のキャリアに過剰な期待をすることをあきらめていくことで、女性へのストレスもまた、減るのではないかと思うのだ。

2014年9月18日木曜日

大江麻理子 不倫 略奪婚 アナウンサーとしての適格性

一昨日、マネックス証券社長である松本大さん(50)と、テレビ東京アナウンサーの大江麻理子さん(35)が結婚するというニュースを聞いて、耳を疑った人が多かったに違いない。

どちらも大変な著名人だ。大江アナウンサーの天然ボケでかわいらしい人柄はバラエティー番組で多くのファンを魅了してきた。今年3月からビジネスマン視聴率№1と言われるテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」のメインキャスターに就任していたので、お茶の間の知名度も高い。

松本大さんは、開成高校から東大に入り、ゴールドマン・サックスでは優秀な業績を上げ、それからマネックス証券を立ち上げた立志伝中の人物だ。経済に関する鋭い分析と穏やかな性格が、多くの人を魅了している。事業は順調で、大変な資産家でもある。

お二人には、まずはおめでとうと申し上げたい。

不倫の末の略奪婚?

さて、美男美女で金持ちかつ優秀な者同士の結婚なので、多方面から祝福の声が挙がっているものの、「好事魔多し」の例えどおり、いくつか気になる噂が流れている。その内の一つが、
「今回の結婚は、大江アナの略奪婚なのではないのか?」
というものだ。

根拠の一つが、松本氏の離婚時期にある。

彼が離婚したことは、これまでまったく公にされていなかった。今回の結婚報道で、彼が離婚していたことを知った人がほとんどだったようだ。

では、いつ離婚したのか?

昨年2013年12月12日、東京都港区六本木の政策研究大学院大学で開かれたアジアイノベーションフォーラム。17:30から行われた総括セッションの映像がYouTubeに上がっている。そのときの松本氏の左手薬指には、結婚指輪が光っているのだ。
 

動画の38:49頃に、松本氏が左手を高く上げているのでご確認頂きたい。

離婚したら結婚指輪は外す。そう考えると、彼が離婚したのは今年初めのはず。

松本氏が大江アナと知り合ったのは2012年12月4日。経済誌である『日経ヴェリタス』編集部と大江アナがトークをするという、ラジオNIKKEIの番組『日経ヴェリタス 大江麻理子のモヤモヤとーく』に松本氏がゲスト出演したときだ。

その時に面識があり、連絡先でも交換したのだろう。今年3月に大江アナが海外赴任先から帰国したのをきっかけに、つきあい始めたのだという。

しかし、50の男性と35の女性が、つきあって半年で結婚の意思を固めるだろうか? 乗り越えなければならない難問は山のようにある。お互いに責任ある立場にいる。結婚となると、大勢の人々に影響を与える。2人だけで決められることではないのだ。そのための準備時間として、半年はみじかすぎる。

特に松本氏は離婚経験者だ。離婚を経験した人間は、結婚に慎重になるはずではないのか?

そう考えると、2012年に知り合って、すぐに2人は人知れず交際を重ねた末に、松本氏が妻と離婚して大江氏と結婚することを選んだ、と考えた方が自然なのではないか? そうなると、大江アナにとっては不倫の末の略奪婚であるし、松本氏にとっては糟糠の妻を見捨てたことになる。

……と、こう邪推されたようだ。

こうした街の噂は、下記に詳しい。

★ 大江麻理子アナの結婚は【 略奪婚 】だった!!!?
★ 年の差婚発表のテレ東・大江アナに“不倫略奪婚“疑惑が急浮上?


実際は離婚して数年

ただ、上記記事でも紹介されているとおり、離婚したのは数年前だと松本氏自身が告白している。

松本氏のブログ「松本大のつぶやき」では、「海水浴」と題された記事に追記して、
私事ですが、ご報告させていただきます。数年間独身でありましたが、この度縁あって、テレビ東京キャスターの大江麻理子さんと結婚することとなりました。今後ともよろしくお願いします。
と書いているのだ。

大手企業の社長が、ついてすぐバレる嘘はつくまい。そうすると、彼は詮索されるのが嫌で結婚指輪をつけ続けていただけで、離婚は数年前に終えていた、というのが真相なのだろう。

頭が良くてカッコイイ資産家が離婚したとなると、妙な女性がわんさかと寄ってくるものだ。既婚者でも平気でアタックする芸能人崩れも多いという。松本氏もつきあいで、いろいろなパーティーに顔を出さなくてはなるまい。女性のアタックには、辟易していたことだろう。

加えて、中には押しの強い財界人も多い。彼らは松本氏が離婚したとなると、
「俺の知り合いに素敵な女性がいるから、会ってみてくれよ」
としつこく迫ってくる。

こうした煩わしさを嫌って、指輪をつけ続けていた、ということは、考えられないことではない。

ただ、そうすると、離婚していたのに結婚指輪をはめつづけて、周囲を欺いていたことになる。上記の噂は、彼がついた嘘に対して支払われるコスト、なのかもしれない。

アナウンサーとしての矜持

ただ、私が問題としたいのは、大江麻理子アナウンサーの行動だ。日本を代表するビジネス番組のメインキャスターとしてはあまりに軽率なのではないか。

「ワールドビジネスサテライト」(略称WBS)は、ビジネスマンならば必ず観ていると言われる夜の情報番組だ。この、公正中立を掲げる経済専門番組のメインキャスターに、一金融機関の社長夫人が座ることは許されまい。

すぐに辞めるのか? メインキャスターとなって半年なのに? 大江がメインキャスターとなるから、WBSにチャンネルを合わせていた視聴者たちを裏切るのか?

メインキャスターとなると、番組の構成にも携わる立場にある。どのような企業を取り上げるか、どのような商品を紹介するのか、どんな経営者にインタビューをするのか、などなど。そこに、価値中立的でいられるのか?

彼女が公正妥当だと信じて意見を伝えたとしても、視聴者がそれを公正中立だと判断するだろうか? ある企業の信用担保能力をゼロと某証券会社が判断するのは当然の行為ですと彼女が説明して、視聴者は受け入れるのだろうか。

証券会社としてメインで売りたい商品があるだろう。NISA(少額投資非課税制度)口座の存在を大勢の人に紹介したいなどと、彼女が番組で発言した途端、公私混同だ、という声が上がるだろう。上がらなくても、それは公私混同だ。

たとえば安住紳一郎が

逆の立場を考えていただきたい。

たとえばフリーとなった安住紳一郎アナウンサーが、報道ステーションの新メインキャスターとなったとする。ところが、彼がそのときすでに、女性政治家と隠れて交際していて、半年経って結婚を発表したとすると? あるいはメインキャスターとなった後に政治家とつきあっていたとしたら? 絶対にバッシングを受けていたはずだ。

政治報道番組にとっての政治家のように、株価に影響を与える経済専門番組にとって、証券会社経営者は出来る限り距離を保たなければならない業界関係者なのではないだろうか。それと隠れて交際していたというのは、メインキャスターとしては不適切だ。

WBSは、日本を代表する経済情報報道番組だ。彼女がすでに松本氏と交際を始めていたのならば、公正中立な立場を保つことが出来ない、結婚してすぐに辞めたら、大勢のスタッフに迷惑がかかるし、視聴者をがっかりさせることになるからと、上司に密かに伝え、番組のメインキャスターとなることを断るべきだったのだ。

もしもメインキャスターとなって言い寄られたのだとしたら、
「申し訳ありませんが、責任ある立場を任されたので、お断りさせていただきます」
と彼女は松本氏に、断るべきじゃなかったのか?

メインキャスター時代にサザビーズジャパン社長と結婚した小谷真生子とは、意味が違う。

男女雇用機会均等法が1986年に施行されて今年で28年になる。男女の扱いは公平であるべきだし、特に大江アナウンサーは、社会人として高い地位に就き、相当の収入を得ている30を越えた知性のある女性だ。男性と同等の、責任ある行動を求められるべきだろう。

ところがこうした観点から彼女を責める声が少ないことに、女性の責任を問わない、日本人男性の無意識の蔑視が潜んでいるような気がしてならない。





明後日は、上記で紹介していた記事の中に書かれていた、
514 :名無しさん@恐縮です@\(^o^)/:2014/09/16(火) 21:55:56.62 ID:pxgR9HAi0.net
やっぱり綺麗なのになんで結婚してないんだろ?ってのは
確実に愛人やってるわ
というコメントの真偽について、お見合いパーティーに行っていたときの経験でも書いてみようと思う。


2014年9月16日火曜日

「免許証コピー」という不合理を受け入れていくしかない

先日コワーキングスペースに入会したところ、免許証の提示とコピーを求められました。

「免許証の提示だけで、なんとかなりませんか? コピーは悪用される危険があるので、避けたいです」
と依頼しましたが、ダメだと言われて仕方なくコピーを撮らせました。このことを、下記の記事を読んですぐに思い出しました。

★ 免許のコピーを拒否するのは自由だけどそれを理由に店側が契約を断ったっていいはずだよねっていう話

この記事は、「免許証や保険証など身分証明書は悪用できるのでコピーさせないのが個人情報漏洩対策になる」に対する反論です。思ったのが、
「そりゃ、そうですよね~」
ということ。

私も本音では、「免許証や保険証など身分証明書は悪用できるのでコピーさせないのが個人情報漏洩対策になる」の記事を書いたはぴらきさんに賛成です。でも、相手が、
「免許証のコピーを提出してもらわないと、契約できません」
と言われればそれでおしまいです。

もちろん、役所や官公庁などの、「絶対に関わらなければならない強制的な機関」で免許証のコピー提出を求められたならば、そして、自分がそれを絶対に断りたければ、個人情報自衛の権利を主張することはできるはず。ただ、日本の役所を信頼していますし、ほとんどの個人情報を提出しているので、今さら彼らに免許証のコピーを提出するのに何の躊躇もありません。他の方もそうでしょう。

問題は民間の機関です。例えば携帯電話の契約だとか、冒頭で紹介した会員制の団体に入会する時に免許証のコピー提示を求められたときだとか。公的機関ほど、情報漏洩に厳しいところばかりではありません。ナアナアのところも多く、手癖の悪いアルバイトが、その情報をもとにして悪さをしないとは言い切れないのが怖いところ。

一昨年前にはソフトバンクショップの店員が、暴力団の求めに応じて愛知県警幹部の個人情報を漏洩して問題になりました。警察の個人情報という秘中の秘まで漏洩されることがあるのです。ましてや、一般人の個人情報をや。店員が個人的興味で我々の個人情報にアクセスして、機会があれば利用しようと考えているとしたら、ゾッとします。

私たちにできる事は、できるかぎり、個人情報登録の機会を少なくすることです。そうすれば、事件に巻き込まれたときに、どこから情報が漏れたのかある程度推測できますから。

しかし、それも相手次第なのです。相手から、
「だったら契約しないよ」
と言われれば契約できません。製品や会員権が消費者にとって必要なものならば、選択の余地はありませんから、結局は相手の言うがままに契約するしかないのです。

結局、個人情報を個人が守ろうとしても限界がある、ということです。

いざ、個人情報が漏洩しても、企業側の謝罪金なんて、ほんの雀の涙。ベネッセが個人情報漏洩をした会員へのお詫びは、たった500円でした。それでも3000万人近くの個人情報を漏洩したため、総額150億円になります。個人情報が漏洩したとき、企業に出来るお詫びはそれくらいでしょう。

頼れるのは法律のみ。先日、120年ぶりの民法の大幅な改正が行われました。ようやく悪名高き連帯保証人制度が廃止されることになりました。普段はある程度の不合理を受け入れ、地道な改革を求めていくしかないのでしょうね。

2014年8月24日日曜日

人間の脳の心理を脳機能から分析する林教授

人間の思考については、古来より哲学者が、近代では心理学者が分析を試みてきました。

それに加えて近年では、医学の発達によって、医学者達が脳機能をもとして思考分析を行い、目覚ましい成果を上げています。

脳というブラックボックスの中身を分析することは、
「宇宙人が、人類のことを何もわからない状態で、宇宙から望遠鏡を使って交通ルールの規則を読み取ろうとするようなもの」
という喩えを以前聞いたことがあります。

もちろん無理に等しいことを例えたものですが、人間は似たような試みを何千年もの間続けてきました。時間さえかければそれなりの効果はあるもの。それなりに一定の成果を上げてきたわけです。

ところが、脳の構造をもとにして人間の心理構造を分析することは、宇宙人が地球上に着陸して現地調査を行うようなもの。望遠鏡で眺めていた時代に比べますと格段の差となります。


日本大学の大学院総合科学研究科教授である脳神経外科医の林成之(なりゆき)氏は、上記記事で脳の構造を基にした人間の心理構造分析をおこなっています。

①大脳皮質 神経細胞は、視覚や聴覚の刺激を受け取り整理する部位です。情報はまずここで認識されます。

情報は次に、②A10神経群という部位に送られます。このA10神経群という言葉、よく聞くと思ってしらべますと、脳の部位を下記のように複数に分類したもののうち、「A10」の区画にあることから名づけられたもののようです。
    A1〜A7ノルアドレナリン神経系
    C1〜C3アドレナリン神経系
    A8〜A15ドーパミン神経系
    B1〜B9セロトニン神経系
     
そこに送られた情報は、「好き・嫌い」「面白い・くだらない」「やる・やらない」といった価値判断をされるのです。

タグ付けされた情報は、次に③前頭前野に送られます。前頭前野は、
  1. 思考する
  2. 行動を抑制する
  3. コミュニケーションする
  4. 意思決定する
  5. 情動の制御をする
  6. 記憶のコントロールをする
  7. 意識・注意を集中する
  8. 注意を分散する
といった、人間を人間たらしめる思考活動を受け持つところです。ここで情報が整理されたのち、④自己報酬神経群に送られます。

ところで、この種の啓蒙的な研究科者は、ときどき学術的に認知されていない自己流の用語を使うことがあります。ブログを書く上で気をつけねばと思い、用語を一つ一つ調べながらこの記事を改定ますが、「自己報酬神経群」とやらについて述べているネット上の記事が、林教授関連の物しかないのです。これ、なんのことなのでしょうね?

「報酬系」と呼ばれる神経群は脳にあるようですが、これはA10神経のことのようですし。どなたかご存じの方がいれば、コメント欄で教えて下さい。

そこからさらに情報は、⑤線条体-基底核-視床、それから記憶をつかさどる⑥海馬回・大脳辺縁系へと移ります。さらに再び②に戻り、情報は①~⑥の間をグルグルと回りながら、処理されていきます。

情報は②~⑥の間を回りながら、行動へとつながっていくのだそうです。そして行動につなげるためには、②の段階で積極的なタグをつけること、なのだとか。

面白いですね。こうした構造を、脳の機能に基づいて説明する方法は、科学的で信頼が持てます。

これまでのような文化論的なアプローチはいずれすたれ、生物学に則したアプローチが主流となった将来、
「昔は人間の心理を、ああでもないこうでもないと大昔の哲学者や宗教化が議論して、それをさらに検討することで分析しようとしていたみたいよ」
「ありえないよね。よくそれで人間の心理を理解できると思っていたよね」
などという会話が学生の間で繰り広げられているかもしれないな、と上記の記事を読みながら考えました。