2015年1月26日月曜日

岡田斗司夫が異常にもてた理由とは

ここ数年でしょうか。

10代、20代の若者が喫茶店などで話しているのをなんとなく横で聞いていて、
「ずいぶんと、コミュニケーションを取るのが下手な人が増えたな」
とふと感じることが増えました。

仕事では、彼らと接点がありません。日常的に彼らを観察する機会がなく、印象論でしか語れないのが残念ですが、それでもその印象は、実態からそれほどズレていないはずです。

と言いきれますのも、私自身コミュニケーション能力が低く、苦労してきたため、なんといいましょうか、同種の人間を感じとるセンサーが発達しているからです。こう書くとなにやら超能力じみた力でもあるのか、と突っ込まれそうですが、そんなものではありません。

「同病相哀れむ」という言葉を思い浮かべた方がいるかもしれません。似た欠点を持つ人間にシンパシーを感じる力は、誰もが持つものです。それで、コミュニケーション能力に障害のある人――あまりいい言葉ではありませんが、「コミュ障」と呼ばれています――の存在にすぐに気づけるわけですが、若者の集団にコミュ障がいるな、と思う頻度が、ここ数年確実に増えました。

コミュニケーションで苦労している人間に会うと、かつての自分を思い出し、もどかしくなります。
(もう少し知識と経験と別の信念があれば、こんなふるまい方はしないのに)
この胸が苦しくなる感覚は、同じ苦労をしてきた者が共有するものかもしれません。

もちろん、私自身のコミュニケーション能力は今でもさほど高いものではありませんが、それでも年齢を重ね、経験値が蓄積されています。この場合にはこう言ってはいけない、こう言えば自分の言葉がこう曲解される、この場合にはこう行動しなければならない……知識が増えたせいで、随分と楽になりました。余裕があるからこそ、他人のことに気がつける、という側面もあるのでしょう。

コミュ障が増えた理由は、いったい何故だろう? と考えてみました。


若者になぜコミュ障が増えたのか?

私自身がコミュ障となった理由をふりかえってみますと、ちと特殊な経験からです。

父に転勤が多く、数年おきに友人関係を再構築しなければならなかったこと、母の束縛が大変強く、友人と遊ぶよりも家で勉強をするよう強要され、周囲から浮き上がっていたことなど、いくつもの原因が重なりました。それに、母が新興宗教にのめり込んでいたため、休日にそれ系の活動に駆り出されたことの悪影響も大きかったように思います。

つまり、意図せずして周囲の人間と濃密でまともな人間関係を築く機会が少なく、それを補うために読書へと逃げ、さらにコミュニケーションの機会を失うという悪循環からコミュ障となったわけです。

こんな経験をした人間は昔は少数派だったのでしょう。コミュ障はそもそも脳の作りが他人と異なっているという研究もなされていますが、最近はそうではない、という主張をなされる研究者もいるようで、意見はさまざま。私は、環境の影響も大きいと考えています。

20年ほど前から、人間のコミュニケーション能力、特に面と向かって話し合いながらお互いの意思疎通をおこなっていく能力を奪う環境が、増えてきました。

一つ目はゲームの存在です。

マクドナルド、あるいは公園などで小学生の集団を見かけますと、特に男の子はゲームに夢中になっています。お互いの目を見ながら会話するよりも、それぞれのゲーム画面をにらみながら会話してばかり。

たまに一人のゲーム機に面白いシーンが流れると、一斉に同じ画面をのぞきこみますが、そのときもお互いの顔を見て話すことはありません。このようなことを多感な時期に続けていては、相手の表情を読み取る能力は伸びないでしょう。

二つ目が体を動かして遊ぶ場所と機会の激減。

私の小中学生のころはまだ空き地が多く、しかも権利意識に乏しかった時代ですから、私有地であっても空き地ならば、入って缶蹴りをしたり虫捕りをしたりしても怒られることはほとんどありませんでした。ところが土地開発が進み、整備もされ、空き地が減り、減った空き地で遊べなくなりました。特に都市部では、子供たちが駆けまわって遊べる場所が減りました。

それに物騒な事件が多く報道されるようになり、子供たちを人気のないところで遊ばせることに躊躇する親が増えました。そのうえ、球技などの出来る公園は限られています。子どもの声が騒音だと難癖をつける人間も増えました。こうして外で遊ぶ機会は奪われていきました。

コンピューター経由ではない、対人関係を築く環境が激減したのです。


便利が能力を退化させる

そして三つ目、SNSの普及です。


日常的にパソコンやスマフォで文字入力をされていますと、久しぶりに手書きで文章を書こうとすると、漢字が思い出せなくて悩んだ経験がおありのはず。

人間の能力は、使えば伸びる代わりに、使わなければ退化します。便利になることはいいことばかりではなく、人間の能力減退も生み出します。それならば、コミュニケーション能力を補完するSNSというサービスのお陰で、逆に人間のコミュニケーション能力を退化させるのは当然と言えましょう。

Facebook、Instagram、Twitter、mixi……今の20代の若かりし頃は、「前略プロフィール」なんてものもありました。

これらSNSでは、これまでのような自己紹介が不要です。相手がどんな人間か、手探りで調べる必要がありません。日頃何をしているのか、尋ねる必要もありません。
「Facebook見てね」
「Twitterの過去ログを見れば、私が何に興味を持っているかわかると思うよ」
それだけで済んでしまいます。

イイねを押してもらえればつながっている安心感が生まれます。旅先の写真がアップされれば、わざわざ時間を見つけて、会って旅行の話を聞く必要もなくなります。

満足しているうちにコミュニケーション能力の一部は使われず成長させる機会も奪われ、リアルでのコミュ障が増える、というわけです。

……といったことを今つらつらと考えましたが、わざわざ私が書かなくても、誰でも思いつくことでしょう。「SNS コミュニケーション能力を奪う」という検索キーワードでググりますと、同じようなことを訴えている方々が大勢いました。

そのうえで本日の主題。社会評論家の「岡田斗司夫乱交事件」について、考えたのです。なぜ彼はそこまでもてたのだろうか、と。


岡田斗司夫がもてたワケ


彼は愛人遍歴を記した流出リストを「妄想がほとんど」と説明していますが、長年ネットをいじっていれば、彼の女性遍歴が妄想「だけ」なのかどうか分かります。自己顕示欲が肥大化した人間が、匿名のアカウントで他人にばれるかばれないかのギリギリのラインで何百回も投稿をしている内容がすべて嘘でしょうか? 私は彼の匿名告白は、8割型本当だと思っていいと考えています(もっとも、こんな意見もあるにはあるので、どちらを信じるかはあなた次第)。

彼の容姿はご存知のとおりですし、その上デブです。カネがある知識人だからといって、なぜあそこまでもてていたのか?

そこで、先ほどのコミュ障の増加ですよ。

近年、コミュニケーション能力を社会から問われることが多くなりました。それは以前ブログで書いた通り、IT化が進み、それでも人間にしか出来ないことを求めて追求された結果であるのでしょう。

ただ、それともう一つ、コミュニケーション能力に欠けた若者たちが社会に増えたために、入社してトラブルが多くなった、という側面もあるように思うのです。彼らがあまりに周囲とトラブルを起こすので、企業側が自衛策のために、コミュニケーション能力を事前に、入社前に若者たちに要求するようになったのではないでしょうか。

コミュニケーション能力を低下させる環境が増えたのに、社会は逆にコミュニケーション能力を求める。このアンビバレントな環境に挟まれた若者たちは高いストレスにさらされているはずです。

ストレスにはさまれた人々は、そこから逃れるために出口を探します。そこで、
「出口はこちらだよ!」
と指し示していたのがオタクの地位向上を目指していた岡田斗司夫らであり、彼らが異様にもてていた原因ではないでしょうか。

オタクには様々な定義がありまして、岡田斗司夫は、ある趣味に異常なこだわりを持つという面の方にフォーカスすることが多いのですが、若者たちが惹かれたのはそこではなくて、岡田斗司夫が余技的にやっていた社会性欠如フォローの方だったのでしょう。

社会性の欠如、コミュニケーション能力のなさを、
「いいんだよ、それでいいんだよ。これからの時代、それでいいんだよ」
と優しく包み込む彼の言動が、彼の講義を聴く大勢の若者たちの心をとらえたのではないでしょうか。


若者は悩んでいる

本来オタクについての専門家なるものはキワモノでして、日本における軍事評論家のような、
「たまに出てきて非常事態について説明してくれる人」
程度の存在だったはず。ところが若者の中でコミュ障が大きな割合を占めるようになったために、いつの間にか彼らは若者の間で大きく評価されてきてしまったのではないか、と。

だから彼が80人もの女性と同時並行で付き合い続けられるほど、次から次へと20代の(ときには10代の)若者たちが彼に群がったのではないでしょうか。

今は少子高齢化時代でして、数が少なくカネもないために、若年層の嗜好性が市場の中で軽視されがちなきらいがあります。かわいそうに、彼らの存在感は小さく、目立ちません。

しかし彼らの中で、コミュニケーションについて悩んでいる人々は、中高年の人々が考えているよりももっと、もっと多いのではないでしょうか。その悩みを救い取れる専門家は、案外少ないのではないでしょうか。

岡田斗司夫は期せずして、そこにつけこむことができた、ということなのでしょう。


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