2015年1月10日土曜日

高倉健の愛読書『男としての人生』の最初の部分の概要と感想

昨年11月10日に亡くなった高倉健が生涯愛読した本があります。グラフ社発行、木村久邇典著『男としての人生』です。副題は「山本周五郎のヒーローたち」となっています。

一度絶版となったのちに、若干の手直しをされて『山本周五郎が描いた男たち』というタイトルで平成22年(2010)再発行されたようですが、こちらも今は絶版、両者ともに読むのが大変困難な状況です。

先ほど確認したところ、『男としての人生』はヤフオクにすら出品されていません。『山本周五郎が描いた男たち』はヤフオクで99,700円の高値をつけていました。

グラフ社も緊急出版すればいいと思うのですが、難しいのでしょうか……。

先日たまたま本を読む機会がありました。内容を知りたいという人は多いことでしょう。せっかくですから、最初の方の内容を、簡単にご紹介しようと思います。

まずは筆者の紹介から。木村久邇典氏は大正12年(1923)生まれ。刊行当時別府大学教授。山本周五郎研究の第一人者でしたが、惜しくも平成12年(2000)に亡くなっています。

刊行は昭和58年(1983)。山本周五郎が亡くなって16年後に書かれたものです。

まずは、序章にあたる「はじめに」の概要です。

はじめに

木村氏は、批評家達の通念となっている、「山本周五郎は女性を描くのが得意な作家」という認識に対して、少し違うのではないか、と疑義を呈することから、筆を起こしています。

山本周五郎は女性の間で人気がある作家でした。また、女性造形に抜群の技量も持っていることでも定評がありました。それに異を唱えるつもりはない、しかし、彼は女性を造形することで男を描きだした作家だったことも指摘したい、と言うのが前書きの本旨です。この主張がタイトルにつながっていきます。

山本周五郎が描く男性群像は、「こうありたい」と彼が望む理想像だったのだろう、とも。これが、「はじめに」の概略です。

つづいて、「第1章 男の忍耐」の概要に移ります。


第1章 男の忍耐

その前に、若干のお断りを先に行います。文中の人物の呼び方についてです。

時代物の登場人物の呼び名は、今と違って苗字か官位で呼ばれるのが普通です。この第一章で出てくる伊達兵部少輔宗勝(ひょうぶしょうゆうむねかつ)を、下の名前・諱(いみな)「宗勝」で呼ぶ人は、彼の存命当時にはいません。友人などの第三者が彼を呼ぶとしたら、「兵部」、あるいは「伊達どの」といったところでしょう。今の日本で苗字ではなく「課長」などの役職で人を呼ぶ会社が多いのは、その名残です。

『男としての人生』でも、人物を官名で呼んだりしていますが、逆に今は分かりにくい。そこでこの記事では基本的に苗字で、同姓の登場人物がその章に多ければ、混同を避けるために諱(いみな)で呼ぶことにします。


さて、第1章です。

まず取り上げられたのは、山本周五郎の最高傑作と言われる『樅ノ木は残った』。伊達騒動を描く作品で、NHKの大河ドラマの原作となったこともありました。

主人公は、国家老の地位にあった原田宗輔(むねすけ)。

舞台は東北の名門、伊達家家中。伊達政宗の末子・伊達宗勝は、徳川幕府の老中・酒井忠清(ただきよ)と組んで、伊達家62万石を分断、30万石を自分のものにしようと画策します。幕府にとってみれば、力のある大藩の力を削げるのですから、他藩の内部紛争は願ったり叶ったりです。

原田は宗勝と酒井が密かに裏で手を握ったことを知り、酒井らが仕掛ける伊達藩中のさまざまな騒動の種を、すべてもみ消していきます。最終的ににっちもさっちもいかなくなり、幕臣としての面目も潰された酒井は、自邸に原田ら伊達藩の4人の重役を呼びつけ、殺してしまい、これまでの口封じを図ろうとしました。

そこに到着した将軍側職の久世に対し、原田は死にかけながら、
「自分が乱心して仲間を殺したことにして欲しい」
と頼みながら死んでいきました。

江戸時代の刑罰は、一方だけが悪くとも「喧嘩両成敗」が基本。自分らを酒井が殺したことがばれれば、もちろん酒井は罰せられるでしょう。しかし、同時に伊達藩も相当のダメージを得ることは必至。伊達家のお家騒動がそもそもの発端で、酒井は巻き込まれた側。場合によってはそれを口実に伊達藩は取り潰されるでしょう。

結果的に原田一人が罪をかぶり、伊達62万石はそのまま存続しました。しかし伊達藩は、原田の所領を没収し、家族一同皆殺し、家名も断絶させました。

ここまで『樅の木は残った』の内容について詳細にこの記事に記せるのは、第1章15ページのうち、『樅の木は残った』の解説に8ページも割かれているからです。

次に、木村氏が書いた、『樅の木は残った』のあらすじ以外の部分について。第一章の冒頭で著者の木村氏は、あらすじを紹介する前に、山本周五郎の次の言葉を紹介しています。
日本人という国民はよろずにつけて辛抱が足りない、粘り強さに欠けている、諦めが早い。熱しやすく冷めやすい。これではいけないね、と山本周五郎が云った。
また、山本はこうも語ったそうです。
三十年戦争、百年戦争をはじめ、第一次、第二次世界大戦のように、血みどろになってトコトンまで闘う。戦ったのちのちも遺恨は決して消えない。ヨーロッパの闘争にはそういうねちっこいところがある。僕は戦争の賛美者ではないが、西欧人のあの執念深さは学ばなければなるまい、と信じている。なぜなら執念がなければ文化は生まれないからだ。
山本周五郎は日本人に対して随分批判的だったようです。終戦後まもない当時の文壇の風潮でもあります。山本は、日本人の軽薄な国民性からはロクな文学が生まれないから、自分が頑張り通す人間を描いてやると意気込んで数々の作品を発表し続けたのだとか。かなりの自信家です。

その彼の自信作が、この『樅の木は残った』でした。

「伊達騒動」は、江戸時代の歴史に関心のある人にとってはよく知られた事件です。ただし史実によれば、主人公の原田の乱心が真実として伝えられています。ですから、藩の存続を願ったために原田が汚名を着たのだ、という山本流の解釈は社会に大きな驚きをもたらしました。

このおかげで山本周五郎の周りには、歴史の常識に敢えて意を唱えた勇気を讃えたり根拠を正したりする人々が増えたようですが、彼はそれに警鐘を鳴らします。講演で、歴史の常識に異説を唱えることが目的ではなく、平凡人が大事件に巻き込まれながら、一個の人間として誠実に生きようとした人間態度を描きたかっただけのだと説明しているそうです。

また、主人公・原田と、ヒロイン・畑宇乃(はたけうの)との間のプラトニックな恋愛が本当のテーマだ、などとも主張しているそうです。

これに対して『男としての人生』の著者・木村は山本の主張を肯定しつつ、山本周五郎の履歴を振り返りながら、原田が山本の理想の一つなのだ、と説きます。原田は挫折したけれども、執念と忍耐で悲劇的な人生を生き切った、このような人物に、山本は憧れていたに違いない、と結論づけるのです。

ここまでが第1章の内容です。

【私の雑感】

山本周五郎は、下克上だとか理想に国作りだとか、大上段な理想の実現に奔走した人々を書くのを好みません。むしろ、大きな理想の実現のために無理難題を持ち込まれた人々が、それに対抗して、お家存続だとか家庭の平穏だとか、小さな理想を守るために努力する姿を好んで描く作家でした。

それが当時人気となったのは、第二次世界大戦に翻弄され、逃れられない大きな宿命の中で、それでも自分なりの信念を守り通そうとした悲哀を多くの人が共有していたからでしょう。

ところが今は違います。国家の意思に人々が翻弄されることは少なくなりました。それよりも大きな影響を与えるのは時代の風潮です。また、平穏な日常の繰り返しに嫌悪感を感じる若い人々も大勢います。

彼らからも山本周五郎は支持されるのでしょうか。『男としての人生』が絶版になった理由が、段々と見えてきたような気持ちに、第1章を読んだ後になりました。




 こんな調子で、あと一章ほどを後日紹介してみようと思います。

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