2014年11月22日土曜日

『論語』はインディアンの酋長の言葉のようだと彼は言った

司馬遼太郎の『アメリカ素描』という作品がある。
アメリカ素描 (新潮文庫)
東洋の歴史や地域を描いてきた司馬にとっての新境地であり、歴史作家が見るアメリカの風俗は他と異なっていて(どこがどう異なっているのかは、今手元に本がないのでわからない)、面白かったのを覚えている。

この本の中に、こんな小話がある。

あるアメリカ人の学者が孔子の『論語』を読んで、一言、
「まるでインディアンの酋長の言葉のようだ」
と言ったそうだ。

司馬遼太郎はこの話を誰かから聞いて、心の底から笑った、というものだ。

中華文明に大変尊敬を抱いている司馬遼太郎は、同時にリアリストだったから、いくら自分が尊敬している対象でも、それに関心のない西洋人にとっては戯言にしか聞こえまい、孔子の教えの含蓄を知るのは難しかろう、ということがよく分かっていて、笑ったのだろう。それを読んだ私もニヤリとした。

ところがこの箇所について、ある批評家が『アメリカ素描』を批判する中で、

「司馬遼太郎は『アメリカ素描』の中でアメリカ人の学者が『論語』のことをインディアンの酋長の言葉のようだと評したと書いているが、そんな話を聞いたことがない。いくら調べても出典がみつからない。彼は嘘を書いているのではないか?」

と指摘していたのをあるとき読んで、ふーんと思った。

司馬は噂話として誰かから聞いたのだから、それを話した人の嘘かもしれない。だとしたら司馬の責任じゃなかろうし、面白い話だからいいじゃないか、とも思ったし、あるいは、エッセイのための作り話だったのかもしれないなどとも思い、それならもっと書きようがあるかもしれない、などとも考えた。

手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』はあまりに有名になり過ぎて、架空の病気の手術の描写をしたところ、医師から「そんな荒唐無稽なことをかくな」などとたくさんの非難を受けたという。歴史作家として有名な司馬ともなると、噂話ですら根拠のないことは書くなと批判されるのだろう、難儀なこっちゃ、と思った。

ただ、批評家がそう断言するくらいだから、アメリカの学者が『論語』のことをインディアン(今では「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶのが適切)の酋長の言葉だと評した、という事実はないのだろう、となんとなく考えていたのだが、

それから数年、このことを忘れていたのだけれども、マックス・ヴェーバーの『儒教と道教』をたまたま読んでいた時に、あっと思った。その本の中に、たしかに「『論語』はインディアンの老酋長の語り口に似る」という旨の文章が載っていたからだ。

残念なことにマックス・ヴェーバーはドイツの社会学者だからアメリカの学者ではないので、『アメリカ素描』で取り上げるには不適切だったかもしれない。だが、ソ連が存在していた当時、マルクスと対抗しうる社会思想を作り上げたマックス・ヴェーバーは、アメリカで大変人気の高い学者だったので「アメリカの学者」と学生あたりが誤認してもそれほどおかしくはない。司馬遼太郎がアメリカで世話になったボランティアの学生あたりが、こうした話を司馬にしたとしても、おかしくはない。

なにより、『論語』をインディアンの酋長の言葉だ、と学者が評したという話がまったくの作り話ではないと知って、私はいささか司馬遼太郎を見なおした。

こうした、数年越しに引っかかっていた疑問が化学反応を起こしたように解消される瞬間というのは、大きな快感が得られて言いようのない気分の高揚を覚える。

それにしても、アイデアというものはオリジナリティがあるものだ。『論語』を読んだ西洋のある程度高名な学者は何百人といるはずだし、ネイティブアメリカンの酋長が歴史的な経験則を理由をつけずに語る、あの独特の話ぶりを本や映画などで知っている人も多かろう。

だが、両者を似ていると感じて、そのことを著書に書いた学者は、案外いないものである。




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