2014年9月28日日曜日

20代の女性に社会が求めるものが多過ぎだ

私よりも年長、45歳の同僚の女性は、39歳で子供を産んだ。高齢出産である。私を含む周囲の同僚たちは、彼女から子育てがどれほど楽しいか、よく聞かされていた。

ところが私とその女性が、たまたま職場で2人きりとなったときに、真顔で諭された。
「子供は早く作った方がいいよ。楽しいと周りには話しているけれど、本当は身体がきつくてたまらないの。元気な子供についていくのが必死。こんなに大変だとは思わなかった」

彼女の言葉は、本音だったのだろう。人間は確実に老いる。子育てが楽しい、幸せだと、高齢出産を成し遂げた女性は声高にアピールするけれども、彼女たちは内心、元気な子供の世話に追われることで悲鳴を上げているのかもしれない。

出産にもある年齢を超えると危険をともなうことはよく知られている。子供を産むのには、適した年齢があるということだ。20代から30代前半の、15年ほどの期間。その間に子供を産むのが、身体に負担をかけない。

だから、社会が少子化対策のため、女性に子供を産んでほしいとお願いするならば、その年齢の女性が結婚し、子育てができる環境や雰囲気を作ることが必要だ。ところが社会は、女性たちに子供を産んで欲しいとお願いしながら、逆のことを平気で要求する。

よく語られる「経験を20代で詰め」

「20代で頭を鍛え損なった人がすべきこと」に取り組む50代のある半日」という日経BP社のオンライン情報サイト・ITproの記事では、50代の記者が、20代で能力を鍛え損なったことを後悔しつつ、日々経験に勤しむ様子をつづっている。
 20代の経験がその後の仕事振りを決める、すなわち仕事ができる頭は20代でつくられる、という話は昔からしばしば聞いた。この件は何回か書いたが大事だからまた書く。
 何かを成し遂げた人に「どうしてできたのか」と問うと若い頃の経験を必ず持ち出された。例えば、製品の企画、設計、生産、営業、客先への搬入、障害対策、保守を全部やらされて苦労したが、物事を判断する軸が頭の中に複数でき、その後の仕事にとても役立った、といった話である。
「20代で勉強・経験を積むことがいかに大切か」
という主張を、私のブログの読者も、どこかで読んだことがあるはずだ。いや、これはほぼ、常識のように語られている。

そして、少子高齢化社会の日本では、女性の社会進出に大きな期待が掛かっている。女性もまた、20代でキャリアを積み、専門知識を蓄えることを期待されている。

だが、20代は同時に、女性にとっては出産や子育てに適した年代だ。

一方では、女性もキャリアを積め、仕事をするべきだと言われ、もう一方では出産、子育てにはげめと言われる。別々のところで語られる矛盾した主張は、語る人間は異なるが、同じ人間へつきつけられている。女性にとってはあまりに酷ではないか。

矛盾した欲求で人は壊れる

無論、上記のITproの記者が、女性に酷な要求をするつもりで記事を書いたわけではない。だが、私たちは、同じ系列の日経新聞やその購買層が、矛盾した欲求を突きつけているのを知っている。

自動車のブレーキとアクセルと同時に踏めば、クラッチが焼けてしまう。幼少時に「私の言うことを聞きなさい」と言われながら、「自分の頭で考えて行動しなさい」と矛盾した2つの要求をされた子供は、両者に引き裂かれて精神を病むという。アンビヴァレントな要求をされることほど、ストレスのたまることはない。

無論、20代でキャリアを積むべき、という考え方は間違ってはいまい。だが、それを主張するときに、何らかのためらいを、私たちはそろそろ覚えるべきだ。

今のアメリカでは、化粧品会社が「白い肌は美しい」というキャッチコピーを使うことはほぼ不可能だという。有色人種への配慮がないからだ。窮屈なことだが、白人以外の人種に対して配慮をしていこう、有色人種の力を経済に取り組んでいこう、というアメリカ社会の意思を表している。

同じように、女性に子供を産んで欲しいと思い、同時に女性に企業の中でキャリアを積んで欲しいと日本人の私たちが思うのならば、キャリアはいつからでも積める、という考え方をもっとおしすすめていかなくてはならないと思う。

社会全体で、20代のキャリアに過剰な期待をすることをあきらめていくことで、女性へのストレスもまた、減るのではないかと思うのだ。

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