2014年8月5日火曜日

笹井芳樹副センター長が自殺

武田医学賞受賞時の写真 より
驚くべきニュースが飛び込んできた。STPA細胞論文捏造事件に大きく関与していた笹井芳樹博士が自殺したという。

★ 理研 笹井副センター長が自殺図り死亡

テレビの前であれほど堂々と弁明をしていた人物が自殺という手段を取るとは思ってもみなかった。態度からは心情はうかがい知れないという好例である。

このニュースを聞いて、私と同じように驚いた人も多かったはずだ。

衝撃を受けた人は、何かに責任を押しつけて気まずさを紛らわせようとする。今回、笹井氏の自殺の責任を、結論をダラダラと先延ばしにして、関係者を緩慢な自殺へ追いやろうとする文科省や理研上層部などに求める意見も多いようだ。私も最初、そう考えていた。

特に、早稲田閥を守るためなのかどうかわからないが、捏造がほぼ確定的になったにも関わらず、茶番劇のようなSTAP細胞再現実験を実行するよう、強く働きかけてきた文科省大臣の下村博文の罪は重い、と。

だが、アメリカで起こった、同様の事件「シェーンスキャンダル」について改めて調べ、それと比較すると、日本の事件解決に向けた取り組みはそれほど遅いものではない事がわかる。

「シェーンスキャンダル」というのは、数々の大発見をなしとげ、科学賞をいくつも受賞、2002年に「傑出した若手研究者のための材料科学技術学会賞」を受賞してノーベル賞受賞確実と言われたベル研究所のヘンドリック・シェーンという若手科学者の大規模な論文捏造が明らかになった事件のこと。

STAP細胞論文捏造事件のからみでテレビなどで何度か紹介されていたので、ご存知の人も多いだろう。
2000年 52K(-221.15℃)で超伝導を観測したと発表。
2000年 有機物における超伝導転移温度の最高記録を塗り替える。
2001年 上記記録を117Kに更新。
2001年 分子程度の大きさのトランジスタを作成
これらすべてが嘘、という指摘を受け、2002年5月、ベル研究所は本格的な調査に入ったが、結論が出て、シェーンを解雇したのは4ヶ月後の事だった。

そして、出身大学であるコンスタンツ大学がチェーンから博士号剥奪を決定したのはその2年後。そのあとシェーンは裁判で博士号剥奪撤回を大学に求めるために裁判を起こす。シェーンの訴えを退けて、裁判所が博士号剥奪を大学側に許可するまで、9年間を要した。

それに比べると、小保方の論文発表が今年の1月、捏造が発覚し出したのが2月頃。捏造が確定的になったのは今年6月頃だ。解決までにはまだまだ、時間がかかって当たり前なのだ。

理研は早い段階で誤りを認め、論文撤回を働きかけた。シェーンスキャンダルと比べても、対応は迅速に思える。

そのあとも、文科省や理研が、時間をかけながら問題の全容解明と再発防止に取り組んでいるのは間違いない。

STAP細胞再現実験に、小保方博士自身も参加して、自らの責任を果たそうとしている。逃げずに立ち向かっているという点では立派だと思う。

笹井博士もあきらめるべきではなかった。彼らを見守りつつ、全容究明に協力し、いずれ明らかになる破局に備えて、再就職の準備に入ればよかったのだ。

今回の自殺に関しては、文科省や理研の責任というより、笹井さん本人の責任放棄、という意味合いが強いのではないだろうか。

多くのプレッシャーにさらされる。それは当然だろう。だが、それでも彼らの研究所の周りをデモ隊が囲んでいるわけではない。生活の安全は保障されている。身近なところにサイコパスの人間がいて、毎日のように、「死ね」と言われながら生活していたわけでもなかろうに。

自殺した人間を責めることを、私はしたくないが、こうした高い地位にいる人間が責任を果たす前に自殺をすることは、どうしても許容できない。

「生きろ」という強制でもなく、
「生きねば」という諦観でもなく、
「生きてやる!」というがむしゃらの生への渇望を、持って欲しかった。


ご冥福を祈る。

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