2014年6月2日月曜日

凶悪事件の被害者遺族の方々の告白を読んで考えたこと

長崎県佐世保市で2004年に起こった「佐世保小6女児同級生殺害事件」は衝撃的だった。

1997年に起こった「神戸連続児童殺傷事件」では、14歳のような子供が残虐な殺人を犯しうるということを知ったことが衝撃的だったが、この事件の主役は小学生であり、しかも女の子だ。"聖少女"という言葉もある通り、少女にはどこかはかなげでかよわく、純粋なイメージがある。そのイメージが打ち砕かれ、なんとなく感じていた信頼感が根こそぎ奪われ、喪失感に襲われた。

事件被害者の少女・御手洗怜美さんの兄と父が、殺人事件の被害者の立場から講演を行ったという記事を、その時の衝撃を思い出しながら何度か読んだ。

★ <佐世保女児殺害>「子供の将来を守りたかった」(被害者の父と兄が語る10年・上)
現在大学生の次兄が、公の場で語るのはこれが初めてだ。怜美さんから相談を受けていたという次兄は「なんてアドバイスしていたら良かったんだ」と自問自答していたことを告白。「他のことにまったく手がつかなくなった」と、事件後の苦悩の日々を振り返った。
凶悪事件の被害者やその遺族に、誰もがなり得る可能性がある。日本では欧米に比べ、まだまだ、被害者救済のための対策が遅れているという。その中で、遺族の方が自ら名乗りでてくれた。彼らに何が必要かについて、考えることができるという点で、彼らの言葉を聞く機会は、大変貴重だ。彼らの勇気に感謝したいと思う。

ただ、記事を読んで、被害者のお兄さんの結論に少し違和感をもったので、それだけ少し、述べたい。

被害者のお兄さんは、カウンセリングを受けてもアウトラインを問われるばかりで、細かいところを聞いてもらえずに、気持ちが楽になることは決してなかったという。だが、数年後に事故について新聞記者から事細かに聞かれたことによって気持ちが整理できたそうだ。

これは遺族自身でないと分からないことであるから、とても貴重な意見だとは思う。

ところが、これが一般的なものであるかのように、お兄さんは結論づけている。
問いかけが大事ですね。「周りから見守りましょう」だけでは、治りません。仕事としてきちんと入り込めるプロならば、信頼関係を作ったうえで、きちんと気持ちのなかに入るべきだと思います。
お兄さんにとってはそうだったのかもしれない。しかし、逆の人も多くいるだろうと思うのだ。

たまたまお兄さんの周りには、彼を気遣って事件について触れない人が大勢いたのだろう。それが逆にお兄さんを疎外してしまったのは間違いない。

だが、他の凶悪事件の被害者遺族の中には根掘り葉掘り事件について聞かれて、語ることに辟易している人もいるだろう。その人々にとっては、少し距離をおいて見守ってくれる人の存在が、心の癒やしとなる、という可能性だってあるはずだ。

いろいろなアプローチを続けていくことが大切ではあるが、そのアプローチが遺族の心根をえぐるような、忌まわしいものとなる可能性だってあるだろう。人間は本心を語らない。今回のお兄さんの告白だって、語っている内容のすべてが、彼の本心とは限らない。心は常に変化し続ける。何がその人にとっての救いとなるのかは、誰も分からない。

こういうことを考えながら、被害者遺族の兄と父の告白を読んだ。

たぶん、凶悪犯罪被害者遺族へどのように対応すればいいのかについては、これまで様々な研究があり、その結果を踏まえた対応だったのだろう。だが、マニュアル通りの対応では、彼らのようにこぼれ落ちてしまう人々がいる。

決まりきった方法では、すべての問題を解決できることはない、マニュアルはあくまで基本であり、それをいかに応用して、逸脱をすくい取るのかが大切であるように思われる。

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