2014年6月19日木曜日

ゴミを拾うと清掃員の仕事を奪うのか?

ブラジルで行われているワールドカップの日本対コートジボワール戦が終わった後、日本のファンがゴミ拾いをしている写真が世界に出回っています。

もちろん、日本人ファンのマナーを賞賛する声が多いのですが、中にはそれを腐すコメントもありました。まあ、批判する人は必ずいるものですが、今回、批判に同調する日本人のコメントがたくさんあがっていて驚きました。

主な批判の一つが、「ゴミ拾いは清掃員の仕事を奪う」というもの。
それに対して、
「たしかにそうだ」
「こんな考え方もあるんだね」
「考えさせられる」
などというコメントがいくつも並んでいるのです。

ゴミを片付けない日本人で溢れた未来。想像したくないものです。駅のプラットフォームなどに誰もがゴミをポイ捨てするようになるでしょうし、道路はゴミで散乱するようになるでしょう。それは勘弁してほしい。

どれほど教育をしても、易きに流れるのが人間の常というもの。多くの人がゴミをゴミ箱に捨てようとしても、心ない人々が必ずルールを破り、ポイ捨てするために、清掃員の方々はいます。さて、果たして、私たちがポイ捨てをしなくなると、彼らの仕事は奪われるのでしょうか?

むしろ逆でしょう。私たちが私たちに出来る範囲で、身近なところを掃除すれば、掃除員の人々は、他の場所を掃除する余裕が出来るだけ。大部分が汚れていないから、細かなところまで掃除できるというもの。

掃除員がいらないほどきれいな場所では、人々のサービスに対する要求レベルは高くなります。その要求に応えるために、別の作業のたもの人手が雇われるでしょう。ゴミのない場所では、人々が掃除以外の仕事に従事できるようになるでしょう。民度が高いために清掃にコストをかけなくてもいい社会の方がシステムとしては優れていますし、そのような社会の方が失業率は低くなるはず。現にゴミで汚れた国よりも、コミが路上に少ない国の方が、失業率は低いのです。

そもそもゴミを捨てて社会のコストを上げる行為は、むしろ社会の発展を蝕みます。税金を減らせという前に、ゴミを捨てるのを辞めろと言いたいですね。

加えて、どんな場所であろうとも、普遍的な倫理があります。ゴミを片付けることが悪徳なのは、宗教的な差別観が蔓延したインドくらいのもの。自分が出したゴミを片付けるのは世界のほとんどの場所での善行です。

ましてや日本人は、禅の影響により、様々な日常生活を人任せにせずに己が行うことが大切だ、という価値観をもっています。キリスト教でも自給自足を目指した修道院や克己を基本とするプロテスタントなどでは、自分の出したゴミを自分で掃除することを美徳としています。

清掃員を雇ってゴミを片付けさせるのは必要悪であり、私たち一人一人は、ゴミを捨てないようにするのがマナー。マナーを守ることは賞賛されこそすれ、「マナーを破る人が増えれば他の人の仕事が増えるのに」という誹謗の対象となるものではありませんよ。

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