2014年5月14日水曜日

Amazon VS 出版社の戦いは、ダイエー VS パナソニックの30年戦争に学べ(下)

出典:『里山の自然をまもる』(石井実・植田邦彦・重松敏則 著、築地書館)
昨日の続きです。

昨日は、ダイエー VS パナソニックの30年戦争の概略についてまとめ、流通側がメーカーから価格決定権を奪った現状について、解説しました。

なぜ、メーカーは流通に敗れたのか。

「自由競争と価格破壊が時代の流れだったから」
と言ってしまえば、それで終わりですが、メーカー側の対応がもう少し異なれば、別の結果に持ち込めたかもしれません。

今から20年ほど前までは、商店街に小さな家電店があるのは当たり前でしたが、今ではすっかり姿を消してしまいました。

家電製品は確かに安くなったものの、家電メーカーはどこも赤字で苦しみ、従業員は次々にリストラされ、今の日本の雇用状況の悪化をもたらしています。

メーカーがあの時、もっと別の方法を取っていれば、たとえ変化が避けられないものだとしても、ソフトランディング(軟着陸)が可能だったかも。一気に変わるのではなく、少しずつ変われば、社会は変化に対応できます。多くの人生が大きく狂うこともなかったかもしれません。

当時、どのような方法をメーカーが取ればよかったのか。冒頭のAmazon VS 出版社の戦いの参考にもなるのではないかと思いまして、メーカー側の戦略を、再検討してみました。

①メーカー側が一致団結するべきだった

家電メーカー敗北の1番の要因は、メーカー同士の足並みの乱れでしょう。ダイエーに対抗したのは松下電器だけ。その間、ソニーやシャープなどの大手メーカーは松下電器の動きを静観し、ほとんど協力することはありませんでした。

家電メーカー同士は熾烈なライバル関係にありましたし、ソニーと松下電器は家庭用VTR規格統一戦争を行っていましたから、しょうがないのかもしれません。それにメーカー間で価格協定を結んでしまえば、カルテルとなり、独占禁止法に引っかかります。

それでも、共闘宣言を出し、暗黙の了解のもと、流通側に対向する、という方法もあったはず。「ゲーム理論」でいうところの「囚人のジレンマ」を挙げるまでもなく、メーカー間で報復と報酬を繰り返すことで、密室談合を行わなくとも、協力できたのではないでしょうか。

ところが当時のメーカー間ではそのような動きはなく、松下電器だけの一人相撲になってしまいました。

②「メーカーが価格決定権を持つことは正しい」という信念がなかった

「自由競争と価格破壊」は世界のトレンドです。現在TPPの締結が急がれているのはその流れの一環。消費者志向は自由貿易の要とも言えます。

しかし、自由市場経済が世界中に広がった結果、私達は本当に豊かで幸せになったのでしょうか。むしろ、格差が広がり、最も豊かな国で極貧の生活を余儀なくされるような矛盾が、目立つようになったのではないでしょうか。

完全な自由社会では、一部の優秀な人間、組織のみに資金が異常に集まり、それ以外の労働力以外に売るものがない人々にカネが行き渡らなくなります。消費者は同時に生産者です。多数の生産者にカネが回らなければ、消費するための元手がなくなってしまいます。

松下幸之助は当時から、
「過当競争は寡占を生むので、将来的な独占価格をもたらす」
と指摘していました。この慧眼がメーカー側の共通認識となりえなかったこと、そのため、メーカー側に、
「価格決定権を我々がもつことは、人々の生活を豊かにすることだ」
という強い信念がなかったことも、足並みが揃わなかった理由の一つでしょう。

③大勢の人々への啓蒙活動がなされなかった

「価格決定権をメーカーがもつことが正しい」
という信念をメーカー側が持っているだけでは、世の中は動きません。メディアを巻き込んだ、大きな宣伝活動が必要です。

「ニューヨークでは100円で飲めるコーヒーが、東京では600円もする」
と、1970年代から90年代の日本では、新聞がこぞって書きたて、メディア全体が、日本の物価は高すぎる、という論陣をはっていたのを覚えている方々も多いでしょう。

600円の値段設定のお陰で、いくつもの中間業者に利潤が行き渡り、大勢の人々の生活が潤っていたというのに。皆が少しずつ得をする。もたれあい、支えあう隠微的な世界がそこにありました。それは窮屈ではあっても、心地よい世界でした。

もっとも、そのぬるま湯の心地よさは、今だから分かることかもしれません。20世紀末期には、消費者志向によってバラ色の未来が広がると、誰もが信じていました。

④その他大勢のメーカーを巻き込んだ研究会を開催するべきだった

消費者がメーカー側の主張に理解をするのは、生活レベルが一度落ちないと、難しかったもしれません。

数十年前にそれは無理でした。それでも、せめてメーカーに属する人々の意思疎通だけでも、統一する動きがあっても良かったのではないでしょうか。

流通業界では、ダイエーなどが日本の流通関係者を大勢集めて、アメリカのスーパーを見学させるツアーをよく主催していたものです。研究会や勉強会が各地で開催され、日本への流通革命の導入が図られました。

同じような勉強会を、メーカーが大勢の人々を招いて行ったという話は、あまり聞きませんね。

たとえばアメリカに対抗するものとして、欧州の方法があります。ドイツが生産者保護のために、どれほど法規制を国内に敷いていたか。そのあり方を日本のメーカーが、異業種のメーカー経営者のツアーを組んで見学させたりしたでしょうか? 生産者主導の社会をいかにつくり上げるか、という研究会が各地で開催された話も、寡聞にして知りません。

大勢の若手が集まって研究を行えば、その中にはキラリと光る手法が見つかったかもしれません。それによって、流通側に対抗する新しい方法がみつかったかも知れないのに。


以上をまとめると、もしも当時家電メーカーが流通側に対抗するとしたら、
①流通側に共同で対抗すると同時に、
②メーカー側の理念を明確にし、
③そlの理念を消費者に理解してもらいながら、
④業種を越えたメーカー間で研究を行う。

……といったところでしょうか。

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出版社には、家電メーカーと異なり、巨大流通業者と戦う上で有利な点が幾つかあります。

一つ目は、再販制度により、定価販売が法的に認められているということ。

知的財産を守るためには、定価販売が必要という共通認識が広く行き渡っていることです。これは、Amazonと戦う上で有利に働くでしょう。

二つ目は、自由市場経済の弊害が、現在では日本でも多く、知られるようになっていること。

2011年「ウォール街を占拠せよ」運動は、まだ記憶に新しいところです。自由主義の本場アメリカですら、市場経済万能思想は批判を浴びるようになりました。

三つ目は、出版社の商品を購入するのがインテリであること。

安いものにすぐに飛びつくではなく、自分の頭で考え、理念を消費行動に結びつける人々が出版物の消費者には多いはず。「安くて便利」以外の部分で、勝負が少しは、可能でしょう。

こうした利点を元にすれば、時代のスピードが早いとはいえ、出版社も十分、体勢の挽回は可能でしょう。

たとえば、出荷停止だけではなく、
「アマゾンは社会の多様性を奪います」
という煽り文句とともに、密林のすべての木々の根っこがすべて「Amazon」一つから生えているという反多様性の未来を描いたイラストの意見広告を、新聞やネットに流すとか。

戦争に勝つために、大勢の人々を巻きこみ、味方に引き入れるなど、いろいろな方法があるんじゃないでしょうか。

私もAmazonのアフィリエイトがもう少し多ければ、Amazon擁護の論陣を貼るのですが、一ヶ月のアフィリエイトが数百円という現状ですと、出版社側を応援せざるをえません。それに、Amazonの力が強くなりすぎると、我々ブロガーへの報酬がさらに少なくなるでしょうし。

出版社側には、ぜひとも頑張って欲しいところです。

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