2014年4月1日火曜日

『笑っていいとも!』が終わった


昨日、『笑っていいとも!』がグランドフィナーレを迎えました。大勢の人々と感動を分かち合いたくて、昨夜は新宿アルタ前に行ってみたのです。

大勢の人混みで歩けないほどだろうと踏んでいたのに、思ったほどは混んでいません。写真では大勢の人で賑わっているように見えますが、土日の新宿ならもっと人が多いので、拍子抜けしました。

ワールドカップ並の混雑を予想していたのに。

アルタビルの液晶大画面の向こうのギャグは冴え渡っていました。タモリやさんまがボケるたびに、私はクスクスと笑います。しかし落ち着いて周囲を眺めると、周りの10代から20代の人々は、画面の向こうほどの盛り上がりを見せず。中にはスマートフォンをいじっている人が、チラホラいます。

せっかく新宿前まで来て感動を分かち合いたくても、周りの10代や20代の関心が、携帯の向こうとテレビの向こうを行ったり来たりするのが悔しくてなりません。あのタモリの最後の『笑っていいとも!』だというのに!

私と同年代は周りにほとんど見かけず。タモリやさんまに夢中なっていた30代から40代の人々は、仕事が忙しくてテレビどころじゃないんでしょう(家でゆっくりとテレビを観ているのだったら良いのですが)。

時々私と同年齢の人が通りかかりますが、画面を見上げ、一瞥して素通りしていきます。笑ってる場合じゃないのかもしれません。

テレビの向こう側と、我々視聴者との間の温度差が、そこにはありました。

私にとっては間違いなく面白い話ばかり。ダウンタウンととんねるずの絡みには感動しましたし、ネットの笑いを取り込もうとする彼らの努力にも感心しました。

とはいえ、彼らのやっていることは、もはや伝統芸能ですね。さんまのことをよく知っているから、彼が口に自分でガムテープを貼るだけでおかしくなります。タモリがニヤリとしただけで彼が何を考えたか分かった気がして、苦笑します。松本がしつこく同じギャグを繰り返す「天丼」という技法に食傷しつつ笑い、木梨の無茶振りにハラハラします。彼らを知っているからこそ、彼らのキャラクターの醸し出す雰囲気だけで可笑しくなるのです。

しかし若者はそれでは笑えないのかも。芸人と共に時間を過ごした者だけに許される笑いは、ハードルが高いのです。ちょうど、私が子供の頃に落語を聞いて笑う年寄りたちを理解できなかったように。

時代はいつの間にやら、変わろうとしています。それを感じて、感動を分かち合うためにやってきたはずなのに、逆に寂しくなりました。

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