2013年12月5日木曜日

佐藤優の本音と沖縄

佐藤優(まさる)という元外交官の評論家が、『ハフィントン・ポスト』誌に「沖縄は本気で抵抗している」という記事を寄稿している。

内容をかいつまんでまとめると、
  • 沖縄差別は日本国内の構造となっている。
  • 加害者側(東京の政治家とマスコミ)は差別と思わず沖縄を虐げ続ける。
  • その一つが普天間基地の県外移設に真剣に取り組まないこと。
  • このままだと沖縄は日本から独立を考えるだろう。
  • 母が沖縄出身の筆者は、沖縄人だと自覚しているので、沖縄の立場を代弁していきたい。
といったところだろうか。

この記事には二つの意味が込められているように思う。

米軍が沖縄にいる理由と沖縄がそれを嫌う理由

一つは文言通り、沖縄の普天間基地の県外移設問題に、当局はもっと真剣に取り組むべきだ、という主張だ。

沖縄が犠牲を強いられているのは間違いない。国境の町とはいえ、在日米軍基地の7割以上が沖縄に集中しているのは異常だ。それが数十年、是正されないまま今にいたっている。

なぜ、こんな異常な事態がまかりとおっているのか?

いろいろある理由の一つに、アメリカが沖縄を、戦勝によって獲得した「領土」だと潜在的に考えているから手放さない、という説がある。

沖縄戦という地上戦で多数の死者を出した米軍にとって、沖縄は尊い犠牲の末に手に入れた土地。戦勝国が敗戦国の領土を獲得するのは大昔からの伝統だ。しかも沖縄はかつて独立国だった。日本から分捕って何が悪い? と。

もちろん正式には否定されているけれども、彼らにとって沖縄は心理的「占領地」なのだ。だから米軍は、沖縄という土地に執着する。

これは、アメリカの大学で政治学の教授が学生に語ったか、ケビン・メアの主張か何かだったと思う。何かの本に書かれていたと思うのだが、覚えていない。ただ、陣取りゲームを人間は好む。それにアメリカは騎兵隊が西へ西へと領土を広げていった国だ。アメリカの一部に、このような考えがあるというのは、有り得る話ではないか。

だが、逆の立場だったらどうだろう? 沖縄の人々にとって米軍が在駐している間は、占領下にあるのと同然ということになる。正式には独立していようと、心理的には、占領地だ。アメリカ人の一部が沖縄を戦利品のように考えるならば、カウンターを受けた沖縄の人々が現状を首肯出来ないのは当然と言える。

陣取ゲームで勝者が優越感にひたるのと対をなして、本来は多くの日本人が、沖縄の人と共に悔しさを共有するべきだろう。特に右翼や民族主義者、あるいは保守層におかれましては。ところが日本人のこの層は、対中対露対鮮のためとはいえ、沖縄の在米軍駐留に、嫌悪感を露わにすることすらしない。これはおかしくないか?

家族を守りたいという素朴な発想が民族主義者の原点であるべきなのにね。無意識に沖縄を日本から切り離し、敗戦によって土地が占領されているということを意識しないようにしている。これは差別ではないとしても、非情ではないか。

この点で沖縄に私も共感し、同情の念を禁じ得ない。私は在日米軍が沖縄に集中することに、不快感を持つ。

……ただ、それでも私は沖縄に米軍が必要だと思っている。日本を守るために? それもある。でも、それ以上に台湾を守るという目的のために。

そもそも米軍が沖縄に駐在する一番の目的が、アメリカの友好国である台湾=中華民国の人々を守るためにあることは、一目瞭然だと思うのだが。

台湾の存在

後世の中国の歴史書に、現代史がどう書かれるかを想像して欲しい。中華民国=台湾を併合しない限り、中華人民共和国と並んで、中華民国が清帝国の後継国家としていつまでも併記され続けることになるだろう。

国家としては屈辱であり、面子を重んじる中国人にとって許されることではない。だから、台湾併合は中国の悲願だ。中国が日本に圧力をかけ続ける一番の目的は、台湾を併合する方法を模索するためだと思っている。

しかし、中華民国=台湾には2,300万人の人々が住んでいる。しかも、日本と同じ民主国家であり、自由と基本的人権を尊ぶ国家だ。民主主義の旗手を自認するアメリカが重視するのは当然のこととして、私たち日本人も、併合によって彼らが虐殺の憂き目に会うのを許してはなるまい。

本来ならば台湾に米軍が駐留すれば一番なのだが、それでは中国を刺激し過ぎる。よって、沖縄で米軍が睨みをきかせ続けるしかない。沖縄以外に、台湾の人々のもとへ即座に駆けつけられる地域は地上にないのだ。

ただ、この理由を説明すると、中国を刺激するから日本政府にはそれが出来ない。ジレンマの果てに、沖縄の人々のストレスは増すハメになる。

ただ、言えないにしても誠心誠意、沖縄の人々と対話を続ければ、分かってもらえると思うんだけどね。政府要員や本土選出の国会議員達が頻繁に沖縄を訪れ、人々と地道にタウンミーティングを繰り返しているとは、寡聞にして聞かぬ。たとえば米軍によって犯罪被害に遭っても、保守派議員が現地で沖縄の側に立って米軍軍人を糾弾するといった姿勢を率先して取るとか、これまで色々な機会はあったと思うのだが、それをしてこなかったのは政治家の怠慢だろう。

佐藤氏の主張に込められたもう一つの意味

佐藤氏がこのような沖縄の現状を憂い、代弁するのは理解出来るが、記事の裏に秘めたもう一つの主眼があると、私は睨んでいる。

一種の脅迫だ。自分をこのまま軽んじ続けるならば、今後は沖縄の代弁者として日本と闘うぞ、と暗に当局を脅迫しているようにも取れないか。

以前佐藤氏を講演会で観たことがある。

背が低く肥満体なのだが目が大きいために肥満を感じさせない。私が彼と話したのは2回。質疑応答で質問し、本にサインをしてもらった際に彼と言葉をかわした。私の質問が大変くだらないものだったからだろう(実際、くだらない質問だった。当時有名だった元外交官を売り物にしている原田武夫という人物をどう思うか? というね)。バカにしたような気のない返事をされた。

この時、彼の態度を観察したのだが、佐藤氏、目を私ごときと合わさないのだ。それに、だいたい下を向いていることが多い。顔がいいので押し出しはいいのだが、何か落ち着かないというか、小心者というか。

誠実な人間という風でも無かったな。文学部や理学部といった浮世離れした学部の中にいて、出世欲を秘めた大学教授に、彼と似たタイプの人間がいたような気がする。

早口だし記憶力もいいので頭は間違いなくいいのだろうが、彼の書物を読み、人物評を読んで、大変な人物だろうと想像していたのに肩透かしを食らって面食らった。

彼には『国家の罠』という著書がある。

そのアマゾンレビューにはこう書かれている。
97 人中、83人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 スパイ小説顔負けのノンフィクション2005/4/4By カスタマーレビュー対象商品
 以前“佐藤優”という元外交官のことを文藝春秋の記事で読み、衝撃を受けて以来、彼の告白が出るのを待ち望んでいた。その記事の中の、あるエピソードを紹介したい。
 ……ソ連崩壊前後、ロシア各地で軍隊と民衆が衝突。そのどれもが流血無しでは収まらなかったのに、たった一箇所、ギリギリまで対峙しながら、軍隊が銃口を下ろし、民衆との和解が成立した地域があった。
 その影にいたのが、佐藤優だった。偶然かの地に居合わせた佐藤は、日本の外交官という中立の立場を利用し、軍隊と暴徒化寸前の民衆の両陣営を行き来しながら、粘り強く説得を続け、ついには和解にまでこぎつけてしまう……。
 その無私の態度と優れた能力は、ロシア人から高く評価され、ロシアの中で最も信頼される西側の外交官の一人となる。
優秀な日本外務省役人の中からまで「10年に1度の人材」との賞賛が沸き起こったほどだった。
 その佐藤が2000年までの日露平和条約の締結を目指し、鈴木宗男とタッグを組み、両国の和平に尽力しながらも、夢破れ、やがて個人ではどうしようもない政局のうねりの中に巻き込まれる様が、この「国家の罠」の中で述べられている。
 徒手空拳で己の力を信じ、この社会に立ち向かわんとする全ての人は、この本から、何者にも負けない勇気を得ることができるだろう。
2005年、このレビューを書いたのは実は私なのだけれども、これほどまでに惚れ込んでいた佐藤氏への尊敬の念は、実際に会ってみて幾分、醒めた。

謀略家の発言

外務省の某国でレセプションを担当している友人と現地で食事をしたことがある。彼に仕事の内容を聞くと、彼らの一番の目的は、海外を訪問する日本人政治家の世話だという。省内の先輩からは、要人たちの癖を飲み込み、彼らをいかに操縦するかを学ぶそうだ。

「麻生太郎は3メートル先に視線をやって歩く癖があるから、その視線の先にあるものに常に気を配る必要がある。石原慎太郎は予想外のものを見たり聞いたりすると、目をパチパチと閉じる癖がある。彼がそのような表情をしたら、彼にとって予想外なものを見聞きしていると思った方がいい」

こういうことを先輩から学び、政治家が何を考えているのかを先回りして考えて、自分たちの希望する方向へ物事を進めていくことを学ぶのだそうだ。ずいぶんと、民間企業とは発想がことなると驚いたものだ。

外務省というのはそういう、情報工作のプロを養成する機関である。そこの出身者である佐藤氏は、やはり謀略家だ。彼は威風堂々とした人間的魅力で人々を惹きつけ、大勢の人々を率いて状況を切り開くタイプではない。様々な発言によって波紋を各方面に投げかけて、それによって他人を動かして、自分に有利な状況を作り上げようとするタイプの人間だろう。

彼は様々なメディアで評論家として活躍しているけれども、今ひとつ、影響力に乏しい。本来ならば外務省で大活躍していたはずなのに、追放された古巣へのルサンチマンもあるのだろう。そのような自分を、戦後レジームの中で差別された沖縄に重ねあわせているのは間違いない。

彼が沖縄の代弁者となるならば、大変手強い論客となるだろう。佐藤氏は、自分でもそれが分かっている。だから、
「そうなってもいいのか? 俺をもっとリスペクトした方がいいぞ。さもないとお前らの敵になるぞ」
と暗に、日本の政治家マスコミを脅迫しているのではないか、と思う。

余談が過ぎてしまった。今日はこれまで。

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